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「映画『ジュディ 虹の彼方に』を見る前に知っておきたいジュディ・ガーランドのこと」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/03/06)

「映画『ジュディ 虹の彼方に』を見る前に知っておきたいジュディ・ガーランドのこと」

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします! 「映画『ジュディ 虹の彼方に』を見る前に知っておきたいジュディ・ガーランドのこと」。

1940年代〜1950年代のハリウッドを代表する伝説のミュージカル女優ジュディ・ガーランドの波乱の生涯の最晩年、1968年のロンドン長期公演の日々を描いた映画『ジュディ 虹の彼方に』が本日より公開になりました。先日の第92回アカデミー賞でジュディを演じたレネー・ゼルウィガーが主演女優賞を受賞したこともあって公開を楽しみにしていた方も多いかと思いますが、スーさんはすでにご覧になられたんですよね?

スー:はい。もうこれは深く深く胸に刺さりました。人生、どんな栄華を極めても思い通りにいくわけではないということ。堀井さん、ジュディ・ガーランドは何歳で亡くなったと思います?

高橋:それが47歳なんですよ。

堀井:ええっ? 私と同い年だ!

スー:そうなんです。私たちぐらいの歳なんです。この歳で命を落としてごらんなさいよ。子供たちもまだ小さくてさ。

高橋:当時ジュディにはまだ幼い子供がいたんですよね。しかも、多額の借金を抱えていたことから離れ離れで生活することを余儀なくされて。

スー:空を高く見上げちゃうよね、堀井さん。

堀井:「もうちょっと待って!」という感じですよね。まだいろいろとやっていないことがたくさんある。

スー:でもね、運命は待ってくれないの。

高橋:この映画、僕もひと足先に見させていただいたのですがスーさんと同じくめちゃくちゃ感動いたしまして。もう人生で大切な一本になりそうな勢いですね。本日はそんな映画『ジュディ 虹の彼方に』を鑑賞するにあたって、ジュディ・ガーランドのこれだけは知っておきたいというポイントを中心に話を進めていきたいと思います。

まずはジュディ・ガーランドのプロフィールを簡単に紹介しておきましょう。ジュディは1922年6月10日、アメリカはミネソタ州生まれ。1939年、17歳のときにミュージカル映画『オズの魔法使い』で主役のドロシーを演じて一躍人気スターになりました。代表作は1944年の『若草の頃』、1948年の『イースター・パレード』、そしてレディー・ガガの主演によるリメイク版の記憶も新しい1954年の『スタア誕生』など。最初にもお伝えした通り、1940年代〜1950年代のハリウッドを代表するミュージカル女優と言っていいと思います。ちなみにこの劇中にも登場しますが、女優/歌手のライザ・ミネリはジュディの実の娘になります。しかしすごい親子!

スー:どうなっているんだ?って感じですよ。

高橋:そんなジュディ・ガーランドについて、この『ジュディ 虹の彼方に』を見る上でぜひ念頭に置いてご覧になっていただきたいことは、彼女が最も有名なゲイアイコンであるということ。死後50年たった現在もなおLGBTQコミュニティから熱烈に支持されているゲイアイコンのパイオニアであるということです。1960年代に刊行されたアメリカの歴史あるゲイ雑誌『The Advocate』はジュディ・ガーランドを「The Elvis of homosexuals」(同性愛者たちにとってのエルヴィス・プレスリー)と評したそうですが、このフレーズからLGBTQコミュニティにおけるジュディのポジショニングがよくわかるのではないでしょうか。ほら、劇中にジュディのコンサートに足繁く通う中年のゲイカップルが出てくるじゃないですか。

スー:はい、いますね。

高橋:そのゲイカップルは物語のなかで非常に重要な存在になってくるわけですが、彼らがジュディに心酔しているのはそういう背景があるから、ジュディがゲイアイコンだからなんです。つまりジュディは後世になってからゲイアイコンとして評価されたのではなく、1960年代後半の晩年にはすでに当時まだまともに人権がなかったゲイの人々の心の支えになっていたと。それはジュディ自身が同性愛に深い理解を示していたこと、それからこれはのちほど触れますが、さまざまな抑圧と戦う彼女の壮絶な生きざまが彼らの共感を集めたことに起因しています。それにしても、この映画の舞台になっているイギリスでは1967年まで同性愛が刑法犯罪だったというね。にわかには信じがたい話ですが。

スー:信じられないよね。その片鱗がうかがえるシーンもあるんだけど、あれは胸が痛かったな。

高橋:そんななか、ジュディが睡眠薬の過剰摂取によって47歳で亡くなった1969年6月22日の6日後、1969年6月28日にはニューヨークで「ストーンウォールの反乱」と呼ばれる同性愛者たちによる抵抗運動が起こっています。これはジュディの死が当時虐げられてたゲイコミュニティの団結を高めた結果起こった運動とも言われていますが、現在世界各国でゲイプライドパレードが6月に開催されているのは1969年6月に起きたこの「ストーンウォールの反乱」が由来になっています。

そしてその「ストーンウォールの反乱」の翌年の1970年にはニューヨークで最初のプライドパレードが開催されていますが、このときに歌われてのちにゲイアンセムになるのがジュディが17歳のときに『オズの魔法使い』で歌った曲、「あの虹の向こう側にはすべての夢が叶う場所がある」という歌詞でおなじみの「Over the Rainbow」(邦題「虹の彼方に」)になります。LGBTQの社会運動のシンボル、性の多様性を表わすレインボーフラッグも「Over the Rainbow」から着想を得たという話がありますから、LGBTQ運動の根幹を成している要素の多くがジュディに関連しているということですね。

では、その同性愛解放運動のシンボルになった「Over the Rainbow」を聴いてみましょう。女性アーティストとして初めてのグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞した1961年のカーネギーホールのコンサートの模様を収めたライブアルバム『Judy At Carnegie Hall』での感動的なパフォーマンスです。

M1 Over the Rainbow (Live) / Judy Garland

高橋:この『ジュディ 虹の彼方に』を見るにあたっては、いま話したような「ゲイアイコンとしてのジュディ・ガーランド」という視点を持って臨んでいただきたくて。それによって、この映画は「ジュディ・ガーランドという偉大なエンターテイナーの伝記映画」以上の意味を帯びてくることになると思います。劇中のレネー・ゼルウィガー演じるジュディにこんなセリフがあるんですよ。「ゴールに到達することがすべてじゃない。夢に向かって歩いていくことが大切なんだ。希望を抱いて人生の道をコツコツと歩いていれば、もうそれだけで十分だと思う」。このセリフに象徴されるように、『ジュディ 虹の彼方に』という映画は人生を肯定してくれるエンパワメントムービーとしての側面もあるのではないかと。

そのセリフに通ずるような、ジュディ・ガーランドのこんな名言も紹介させてください。「Always be a first-rate version of yourself, instead of a second-rate version of somebody else」。「誰かの真似をするぐらいなら、いちばん素晴らしい自分でいよう」みたいな意味になるのかな? これはすごく勇気が湧いてくる言葉として個人的なお気に入りなんですけど、こうしたジュディの意志をこの映画はしっかりと継承していると思います。特にジュディが1950年に発表した「Get Happy」を歌う場面はこの映画のハイライトと言っていいでしょうね。

「Get Happy」はこんな歌詞の曲になります。「悩みなんて忘れて幸せになろう。不安なんて吹き飛ばせ。ハレルヤと叫んで最後の審判に備えなくちゃ。太陽は輝いている。さあ、幸せになろう。きっと神様はあなたに手を差し伸べてくれるから」。この「Get Happy」のシーンを見れば、なぜジュディ・ガーランドがゲイアイコンとして愛され続けているのか、その理解がぐっと深まるんじゃないかと思います。では、劇中で披露されるものとはアレンジが異なりますが、ジュディが1950年に映画『Summer Stock』の挿入歌として歌った「Get Happy」を聴いてください。

M2 Get Happy / Judy Garland

高橋:先ほどエンパワメントムービーの側面もあるとは言ったものの、この映画には見ているのがつらくなってくるような悲しいシーンもあって。ジュディが幼いころからスレンダーな体型をキープしつつ不眠不休で働けるように、映画スタジオから薬漬けにされていた様子が彼女の回想としてところどころに挟み込まれるんです。

スー:なにか食べようとすると制止されたりね。まだ育ち盛りなのにさ。

高橋:ジュディの娘のライザ・ミネリは「私の母はハリウッドに殺された」と発言しているぐらいなんですけど、この映画ではそういったかつてのハリウッドの闇も描かれているんですよ。

ちょっと話は変わりますが、先日2月14日にニューアルバム『Changes』をリリースしたばかりのジャスティン・ビーバーがインタビューで16歳でデビューした当時のころを振り返って「まだ右も左もわからない若いころにいきなり業界に放り込まれたのは本当につらい体験だった。たくさんの裏切りにあったし、もう生きているのが嫌になった」と涙ながらに語っていて。このインタビューを読んだとき、まさに映画で描かれているような少女時代のジュディのエピソードを思い出したんですよ。ある意味で同根の話なのだろうと。

スー:いわゆる「消費する」ということですよね。人を物として消費していく。容赦ないですからね、この時代のショウビジネスでは特に。

高橋:ここ数年、アメリカのエンターテイメントでは映画業界も音楽業界もかつての悪しき慣習を改めていこうという機運が高まっているじゃないですか。そういうなかでこうしたショウビジネスのダークサイドと正面から向き合った映画が作られたのは意義深いところもあるんじゃないかと思っていて。これはハリウッドやアメリカのエンターテイメント業界の反省とも受け取れました。

ほかにもジュディがハリウッドから受けた仕打ちとしては、彼女が1954年に『スタア誕生』で薬物中毒からカムバックを果たしてアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされたとき、もう受賞が確実視されていたにも関わらず業界の思惑が働いてジュディに賞を取らせなかったという話があるんですよ。要はジュディはハリウッドから干されてしまったわけですが、それがきっかけで彼女の人生の歯車が狂っていったとも言われていて。

だから今回、レネー・ゼルウィガーのオスカーの主演女優賞受賞はジュディが果たせなかった夢の66年越しのリベンジとも言えるのではないかと思います。そしてこれは同時に、大きな転換期を迎えたハリウッドの変化を象徴する出来事にもなるのではないかと、そんなことも感じましたね。というわけで、最後はジュディが憑依したような鬼気迫る演技でオスカー像を手にしたレネー・ゼルウィガーの役者魂に敬意を表して、彼女の素晴らしいパフォーマンスで締めくくりたいと思います。

M3 The Trolley Song / Renée Zellweger

スー:レネー・ゼルウィガー、こんなに歌が歌えたんだね。知らなかった!

高橋:ジュディ・ガーランドは1940年代〜1950年代が絶頂期のエンターテイナーなので、この映画に関してもちょっと縁遠く思っている方もいるかもしれませんが、いま話してきたように現代につながるテーマも盛り込まれた素晴らしい映画なのでぜひご覧になってみてください。『ボヘミアン・ラプソディ』や『ロケットマン』と比べてもまったく遜色ない音楽伝記映画の傑作です!

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―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

3月2日(月)

(11:07) Shake it Off / Nick Kroll & Reese Witherspoon
(11:26) Happy / Pharrell Williams
(11:40) I Want Candy / KIDZ BOP Kids
(12:14) Rockin’ Robin / Michael Jackson

3月3日(火)

(11:07) Shake it Off / Nick Kroll & Reese Witherspoon
(11:26) Happy / Pharrell Williams
(11:40) I Want Candy / KIDZ BOP Kids
(12:14) Rockin’ Robin / Michael Jackson

3月4日(水)

(11:07) Try Everything / Shakira
(11:26) How Far I’ll Go / Alessia Cara
(11:38) ゼロ / イマジン・ドラゴンズ
(12:14) Little Bitty Pretty One / Bobby Day
(12:50) Mr. Lee / The Bombettes

3月5日(木)

(11:06) if I Didn’t Have You / Billy Crystal & John Goodman
(11:26) Winnie The Pooh / Zooey Deschanel & M. Ward
(11:35) Under the Sea / Samuel Wright
(12:11) You Can Get If You Really Want / Desmond Dekker
(12:20) Wonderful World, Beautiful People / Jimmy Cliff
(12:48) Woman Capture Man / The Ethiopians


宇多丸、『1917 命をかけた伝令』を語る!【映画評書き起こし 2020.3.6放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、1917 命をかけた伝令』2020214日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……1917 命をかけた伝令』

(曲が流れる)

『アメリカン・ビューティー』『007 スカイフォール』などのサム・メンデス監督最新作。第一次世界大戦を舞台に、若き2人のイギリス兵が、最前線にいる仲間を救う重要な命令を伝達するため戦場に身を投じる姿を、全編ワンカット風の映像で描く。戦場を駆け抜ける2人のイギリス兵を演じるのはジョージ・マッケイ、ディーン=チャールズ・チャップマン。ベネディクト・カンバーバッチ、コリン・ファース、マーク・ストロング……だからこの3人は、『裏切りのサーカス』のトリオですよね。彼らが脇を固める。撮影は名手ロジャー・ディーキンスが務め、第92回アカデミー賞で撮影賞、録音賞、視覚効果賞を受賞したという。まあ非常に高く評価されている作品でございます。

ということで、この『1917 命をかけた伝令』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。そうですか。やっぱりね。賛否の比率は褒めが8割以上。褒めてる人の主な意見は「全編ワンカット風の映像もすごいが、それだけじゃない。美しいショットが多く、カメラワークも見事」「ドラマはシンプルだが、役者たちの熱演や音響の迫力に圧倒される。IMAXで見たら没入度が桁違いだった」などがございます。

一方、主な否定的意見は「リアリティーのある戦場の描写とワンカット風の映像という手法がかみ合っておらず、内容に集中できなかった」とか「もっと戦場にいる感じをじっくり味わいたかったのに、話が意外とスピーディーでそれが叶わず残念」などがございました。

■「無理に映画館に行かせるためではなく、物語を紡ぐための新しい技術」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「天源寺」さんです。「驚くべき撮影と編集がもたらす臨場感とリアリティーを持ちながら、『指輪物語』のような神話性を帯びた生きて帰りし物語。『ゲームみたい』という感想があるとしたら、どれだけゲームだったらよかったか、と思わせる戦争の地獄と無情さを観客に訴えます。私はエンドロール中もさめざめと泣いてしまいました」と。

それでいろんなことを書いていただいておりますが……「『(主人公)スコフィールドの感情が見えない』との指摘もありますが、もしこれ以上わかりやすく描いたらウエットすぎると思います。『ご都合主義の話運びだ』という指摘はすでに感情移入してるので気になりませんでした。革新的な技術だけにとどまらず、非常に映画らしい作品でした。印象的な美しい画づくり。反復する所作やシーンはそのたびに異なった意味を持ちます。オープニングとエンディングの対比には胸をえぐられます。桜も本作の重要なモチーフです。無理に映画館に行かせるためではなく、物語を紡ぐための新しい技術。1日という時間の中で見る成長を遂げる主人公に若手俳優を据え、短いシークエンスで様々な将校を体現する英国の名優たち。私は名作だと思います」という天現寺さんでございます。

一方、イマイチだったりという方……というか、まあ「良くも悪くも」っていう感じかな? 「南向きの鳩」さん。「『1917』を見てきました。ワンカット映像の良いところと悪いところを知ることができる面白い映画でした。出発する時の塹壕内を進むところで集中してしまいました。溝の中という囲まれたな場所をワンカットで進むことで余計な景色を見ることがありません。ただただ主人公を追いかけることに専念することになりました」という。

それでいろいろ書いていただいて。「ワンカットの演出だからこそ戦場にいる感覚を味わえるシーンが多々あったと思います。そして私が混乱したのがワンカットということで、時間経過が分からなくなったことです」。で、いろいろ書いていただいて。「ワンカットなので見ている自分と同じ時間が流れていると思ったら、映画の中の時間は早く進んでいました。シーンが変われば私の中でもリセットができるのですが、カットが変わらないためリセットができませんでした。自分の感覚と映画内の時間とのズレに違和感がありました。この違和感で後半の多くは没入できなくなってしまいました。自分の時間間隔をうまく処理できていれば素晴らしい作品だったと思います。宇多丸さんはこの時間感覚、どのように感じましたか?」というメールなんですけど。

これ、まさに僕が今日の評の中で、非常にあの大きなポイントとして触れようとしていた部分で。だからまあそれを僕はポジティブに捉えているんですけども、まあおっしゃっていることはわかります。その通りだと思います。他にも皆さんね、メールを読ませていただきました。ありがとうございます。

圧倒的な映像はやっぱり映画館で体感してナンボ

ということで私も、『1917 命をかけた伝令』、先週ガチャが当たる前にまず1回、TOHOシネマズ日比谷でIMAXで見て、その後にもう1回、TOHOシネマズ日比谷のIMAXに行って。その後、TOHOシネマズ六本木で、普通の字幕でも見てみました。

あのね、最初に行った時。2週間ぐらい前まではね、本当満席に近いくらいすげえ入ってたのに、今週2回見た時は、どっちもやっぱりかなり空いていて。まあ明らかに新型コロナウイルスの影響かと思いますが。ただ本作、先に言っておきますけども、やっぱりね、圧倒的な映像技術を全身で体感してナンボ、要はやはり映画館、それもできればIMAXとかドルビーシネマなど、現状ベストな上映環境で鑑賞するのがやっぱりそれは望ましい、という作品でもあるので。今、逆に入りがまばらっていうこともありますから、諸々配慮、考慮の上で、ぜひぜひ劇場でやってるうちにウォッチしてください! という風に一応、先に言っておきたいですね。これはね、やっぱり劇場で見てナンボでしょう。

実際ですね、これだけ「映像技術そのもの」にスポットが当たって、見に行く側もそれを前提に、知識として持っている、というケースはこれ、久しぶりな気がしますね。はい。要は宣伝などでもアピールされている通り、全編ワンカット風……厳密に言うとね。ワンカット「風」。要するに、本当は別々に撮ったものを、つなぎ合わせているわけですね。たとえば、人物の背中にグーッとカメラが寄ったりとか、通り過ぎる瞬間につないだり。あるいは、なんか物の横をグーッと通ったりする瞬間とか、あるいは明暗が激しく変わったりして、画面全体が真っ暗、もしくは真っ白になる、あるいは煙がバーッとかかって、画面が真っ白になる、というような瞬間を狙って、つなげている、という。

まあ、ヒッチコックの『ロープ』という1948年の作品が、やっぱりひとつながりの、ワンカット「風」の試みをしてるんですけど。その『ロープ』に非常に近いやり方でね、つないでる作品ですね。あとぶっちゃけ、はっきり言ってそういう、「巧みにつないでる」とかいったレベルではなく、これは私のカウントですけども、これは「カットを割っている」と言っていいと思うという場所が、僕のカウントでは2ヶ所、あります。なので、厳密に言えばワンカットではないんだけど、とにかく全体がひとつながりの流れとして作られている映画ですよ、という。

もちろん全編ワンカット、もしくはワンカット風の映画っていうのは、これまでもいくつかというか、いろいろ作られていて。まあソクーロフの『エルミタージュ幻想』とかね。あるいは2014年の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』とかもそうですし。あるいは白石晃士監督の『ある優しき殺人者の記録』とかね。いろいろありますけども。それで、それぞれ狙いとか醸し出す効果っていうのは違うんだけど、この『1917』の場合はやっぱり、戦争映画という、大がかりな、ものすごく要素が多い撮影でそれをやる、というところで、まずはやっぱりわかりやすいレベルで、すごい! ですよね。やっぱりね。サム・メンデスも、「今まで作ってきた作品の、誇張ではなく50倍、リハーサルした」っていう風に言ってますね。

だから動きの……それでも最後のクライマックス、ワーッて走ってくるところ、主人公が手前にワーッと駆けてくるところで、横に兵士たちがブワーッと行くのに、ぶつかって倒れちゃったりしてますよね。あれは、アクシデントなんだって。で、なのにカットをかけずにそのまま走り続けたから、あの「はっ!」っていう臨場感になっていたりする、ということらしいんですけどもね。

全てがひと連なりの流れであったがゆえに湧き上がってくる「ある感覚」が、作品最大の特徴ではないか

ちなみに第一次世界大戦物……第一次世界大戦っていうのは当然、技術革新も進んだこともあって、史上最も多くの死者を出したという、人類が初めて遭遇する、まあ超悲惨な近代戦争であり。近年また、いろんな作品で題材にされることが増えてきましたよね。まあビデオゲームの『バトルフィールド1』であるとか、あるいは一昨日ね、オープニングでも触れましたけども、ピーター・ジャクソン渾身のドキュメンタリー『彼らは生きていた』。これは本当に、戦争を題材にした映画全体を見渡しても、非常に画期的な、素晴らしい作品なので。ぜひこれね、『1917』とセットで見ていただきたいという風に私は思います。このね、『彼らは生きていた』。

で、まあとにかく、映画で第一次世界大戦物、しかも、塹壕ですね、先ほどのメールにもありましたけども、塹壕を移動するところをわりと長回しで見せる、っていうと、スタンリー・キューブリックの1957年の『突撃』っていうね、カーク・ダグラス主演のあれが、先行作品としてまずは連想するあたりなんですけども。事実、今回の『1917』の監督・脚本・製作のサム・メンデスも、当然『突撃』を、この作品を作るというタイミングで見直したんですって。でも、見直したら、今の感覚で見ると、思ってたよりもその塹壕のショット、当時はすごい長いショットだと言われていたけども、今の感覚で見るとあんまり長くない、ということに気づいた、という風に言っていたという。それを私はインターネット・ムービー・データベースで読みましたが……という。

まあ、サム・メンデス。前作にあたる『007 スペクター』、2015年。あれのオープニング、アバンタイトルの、「死者の日」を舞台にしたシークエンスで、ワンカット風の長回し、かなり手応えを得た、「これでもっと行けるな。長く行けるな。全編行けるな」っていうのを、たぶん『スペクター』のアバンタイトルで手応えを得た、というのは間違いがないところだと思います。

ただですね、全編ワンカット風の作品というのは、さっきも言ったようにこれまでもいろいろあったし、狙い、醸し出す効果っていうのはそれぞれあるんだけど、この『1917』に関してはですね……もちろん、ずっとひと続きの流れで主人公たちを追っていくことによる没入感、臨場感という、まあわかりやすく想像がつく範囲の効果というのも、もちろんばっちりあるわけです。それもすごくあるわけですね。なんだけど、特に映画を見終わってみると、そういう即物的な効果とは別にですね、全てがひと連なりの流れであったがゆえに湧き上がってくる、ある感覚というのが、この『1917』という作品最大の特徴なのではないか、という気がしてくるという。それは何か、というのはこれからお話ししていくんですけど。

今回、公開からわりと時間も経っていますし、あと全編ワンカット風っていうその作り自体もですね、既に多くの方に周知済み、ということもあるので、ちょっと具体的にいろんな展開について触れる部分、いつもよりちょっと多めかもしれません、ということで。はい。ちょっとご了承いただきたいっていうか、全く更地で行きたい人はもちろんね、いつも通りと言いましょうか、まあ20分後ぐらいかな? お会いしましょう、みたいな感じになると思いますが。もしくは後からいろんな形で聞いてくださいね、っていう。こういうことを言うもんじゃないんですけどね(笑)。

■「木」で始まり「木」で終わる、ツイになっているオープニングとエンディング

まず冒頭。一番最初に、画面に映るものですね。お花が咲いているすごくのどかな野原の向こう側、かなり遠くの方に、木が1本あって。それが、画面の中心に映し出されているわけです。サム・メンデス監督、『007 スカイフォール』を僕は20121216日に評しました。その時にも言ったと思いますが、非常にシンメトリックな、左右対称を意識した画づくりと、あとはその左右対称かつ、奥行きを感じさせる構図っていうのが、サム・メンデスはすごく多いんですね。それを非常に得意とする監督なんですが。今回もですね、撮影監督のロジャー・ディーキンスと……もう本当に名コンビですね。

加えて本作では、クリストファー・ノーラン作品などで知られる編集のリー・スミスさん。『ダンケルク』でアカデミー編集賞を取っていますが、そのリー・スミスさんも加えたこの三者……だから、ワンカットだからって編集がないわけじゃないんです。実はこれこそ編集が難しい映画で。サム・メンデス得意の構図とかいろんなものを実現する撮影のロジャー・ディーキンスと、編集のリー・スミスさん、このトライアングルがまずはすごい、ということかもしれないですけど。とにかくそのサム・メンデス作品らしい、実は美しくデザインされつくしたショットっていうのが、しかもひとつながりの動きの流れの中で、次々と提示されていく、っていうことなんですけども。

とにかく最初ね、真ん中に1本、木が映ってるわけです。で、カメラがちょっと引いていくと、左方向に寝転がっているディーン=チャールズ・チャップマン演じるブレイク上等兵と、画面右側で、もうちょっと観客、こっち側、手前寄り、画面右側で木に寄りかかって寝ているジョージ・マッケイ演じるスコフィールド上等兵、っていうのが次々と映し出されるという。これも軽く左右対称、という感じですかね。で、彼らはこの後、そのブレイクの兄も含む多くの兵の命がかかった超重要な指令を伝えるべく、戦地を横断していく、というね。まさに戦場版『走れメロス』みたいなことになっていくわけですけど。

ちょっとね、話が一気に飛びますけども。上映時間約2時間弱後、この映画の本当の終わり、本編の終わりの部分の話に、ちょっと飛びますけど。そこもやはり、野原にポツンと1本立った木、そこに寄りかかるスコフィールド、というところでこの映画、本編は終わるわけですね。つまり、要は最初とはっきり対になってるエンディングなわけです。さっきのメールもありましたけど。で、これによってどういう感じが醸し出されるかというと、あたかも画面に最初に映し出された、「あの木」のところまでやってきた、っていうような錯覚を覚える作りなわけです。

実際は絶対もっと遠い場所のはずなんですね。だって6時間、8時間かかるっていう、順調に行ってもかかるっていう場所なんで。そんな、あそこの木なわけはないんだけど、間違いなく違う木のはずなんだけど、映画的にはあたかも、最初に映った「あの木」が「この木」で、ここまで移動した、っていう話であるかのように感じさせている……ように、明らかに意図的に作っているオープニングとエンディングですよね。つまり、実際に移動したはずの距離よりも圧縮された空間感覚を、最後に改めて感じさせる作りになっている。わざわざ「あれ? こんなに短かったっけ? あれ、そんなはずは……?」って感じがするように、違和感を感じさせる作りになっている。

■映画の最後に浮かび上がる、「映画的体験」の本質のようなもの

同じように、時間もですね、上映時間は119分。本編はもっと短いわけですね。115分ぐらいでしょう? なんだけど、劇中で過ぎてる時間はたぶん、ほぼ丸1日ぐらいですね。1ヶ所、意識がブラックアウトしてるところがあるにしても、それにしても明らかに、劇中で流れたはずの時間より、現実に我々が体験してる上映時間は、圧倒的に短いわけです。つまり、時間も圧縮されているわけですよね。

まとめますけどね、つまり本作『1917』は、一見、全てをひと続きの流れでワンカット風に……全てがリアルタイムで、リアルな空間の広がりと共に見せているように作られている分、最初に見えていた「あの木」が、今ここにある「この木」であるようにあえて錯覚させられるそのエンディングまでたどり着いてみると、実は時間も空間も作為的に圧縮された、完全に人工的な、現実にはあり得ない時空間を旅してきたんだ、っていうことが浮かび上がってくる。

そして、その一定の時間・空間を通り抜けた前と後とでは、全く同じように見える人と場所でも、何かが既に決定的に変わってしまっている、という……つまり、要は「映画的体験」の本質のようなものが、よりくっきりした感慨として浮かび上がってくる。実はこの『1917』というのは、そんな作品なんですね。特にこの最後のところで、「ああ、そういう狙いなのか!」っていうことがわかってくるという。

だからもちろん……たとえばですね、コリン・ファース演じる将軍から指令を受ける。あそこでね、キップリングの引用かなんかして、「なんで2人なんですか?」って、それをキップリングの引用かなんかで煙に巻かれるんだけども。

まあ正直俺も、「いや、2人って……こんな大事なことを伝えるならもうちょっと複数のタマを送れよ?」っていう気もしなくもなくはないけど、その2人を送るということで。それでその作戦室から出たところで、そのスコフィールドかね、ちょっと要するに、あまりにもヤバい任務だから、「おい、ちょっと話し合おう」って言うと、ブレイクが間髪入れず、かぶせるように、「なんで?」って言ったところで、トーマス・ニューマンの音楽とともに、映画全体がにわかに「走り出す」瞬間。あれの高揚感とかですね。

そこからの、最初にあの塹壕から出ていくところ。その手前のところでは音楽が一旦止まって、グッと緊張感が高まったところからの、やはりトーマス・ニューマンが……全編に、非常にミニマルなんだけど、的確にその場のテンションを象徴する、説明している音楽で、シーンごとのモードチェンジを伝えていくという。その語りのスマートさも、ああ、すごくスマートだな、っていう感じで惚れ惚れしますし。

もちろんですね、たとえばグーッと……まあ基本、左から右へ移動です。(観客が)混乱をしないように左から右に移動していく中で、水面スレスレをフーッと、波も立てずに横移動していたかと思えば、そのカメラが今度は、丘をグーッと登って。でね、なんか死体みたいなものにグッと寄っていったかと思ったら、今度はこれを越えて、塹壕の中に降りていく、っていう。もう本当に驚くべきカメラワークの妙に……本当に実際に、アナログに、カメラを手渡しして違う装置にくっつけて、ワーッとやったりとか。

あれですね、『狼の死刑宣告』のワンカットのあれもすごくアナログな工夫をしてましたけど、あれが延々続くような感じで撮っているみたいですけどね。

■要所要所ではっとさせられる、超現実的に感じられる飛躍

もちろんそのカメラワークの妙技は絶品そのものですし。あるいはドイツ軍のあの、イギリスのそれとまた全く違った様式の塹壕。プロダクション・デザイナーのデニス・ガスナーさん、あとはやっぱり衣装のジャクリーン・デュランさんなんかも、本当に見事に隙のない仕事をされてると思いますが。そのドイツ軍の塹壕の中、暗い地下室みたいになってるところで、さっきまでものすごく流麗なカメラワーク、「うわっ、すげえ!」って思っていたんですけども、ここだけはなぜか、あえてものすごく無造作なカメラ位置に、フッと置かれるわけです。

で、そんなカメラ位置に置いて撮っているんですけど、そこに太ったネズミがやってきて、「ああ、ネズミだ。太っているな」なんつって、その太ったネズミのことを目で追っていくと、ちょうど「あっ、罠が仕掛けられている。トラップがある!」っていうのが、その無造作なワンカットの中に捉えられて。というあたりから、見る見るうちに、「あ、ああーっ! ちょ、ちょっと、ちょっと!」っていう……要はワンカットならではの、「本当に目の前でそれが起こっている」感覚ですね。ゆえのショックのデカさ、っていうのもこれ、非常に効果的だったりとかもしますし。

あるいは、あの戦闘機同士の空中戦を遠くに見ていて。要するに全然他人事として遠くに見ているうちに、「うん、うん……うん? ヤバくね、ヤバくね?」っていうね。どんどんどんどんと墜落機が近づいてきて、からの、これはですね、実はなかなかに画期的にリアルな描写なんですけど、あの「顔色」の表現ですね。そこまで、やはりこれも持続する同じショットの流れで見せられているからこその迫力、あるいは、目の前で何か決定的なことが起こってしまった、それをこちら側はただなすすべもなく見ているしかない、という、非常に映画的な感覚っていうのに全編が満ちていて、素晴らしいっていう。

まあこんなことはね、本当に『1917』を見た人全員が感じることなんで、私が改めて説明することじゃないんですけど。それと同時に、この『1917』を特徴づけてるのは、さっきも言ったように、実はリアルタイムではない、人工的な、作為的な時間や空間のその圧縮によって……もちろんこれもその、映画表現の得意技、本質そのものなわけですけど、要所要所ではっとさせられるような、超現実的に感じられる飛躍っていうのがあって。それこそがこの『1917』特有の、ちょっと詩的な感じっていうか、ポエティックな感じにつながっているのかな、って思います。

たとえばですね、軽く丘を越えた先にですね、突如現れる、意外な光景。たとえば「なんでこんなところに?」っていうように、桜の花がフワーッと咲き誇っていたりとか。あるいは、人っ子一人いないと思っていたようなその場所が、カメラがパンしたり横移動したり、あるいは足だけの人物がフレームインしてきたりすることで、ギョッとするような……「あれ? なんで? 実は思ったよりも人がいたのか?」っていう感じがわかったりとか。あるいは、さらに後半に行くにつれてですね、あの照明弾にボーンと浮かび上がる、超巨大な街の廃虚のセット。もうこれ自体が唖然としてしまいますけど。とか、その中にある、あの史上最大級の照明を焚いて作られたという、燃え盛る教会。そのまさに、黙示録的な絵面であるとか。

しかもその、すごく黙示録的な絵面の向こう側から、フーッと黒い影が来たと思ったら、その黒い人影が、そのまま発砲してくる。これ、あの『アラビアのロレンス』のね、オマー・シャリフ登場シーンなんかもちょっと連想させるような、生々しい怖さであったりとか。あるいはですね、やはり桜の花がブワーッと飛び散る中……実はこれ、映画全体の構成も、シンメトリックになってると思います。要するに、前半で桜が出てきた。後半でも桜が出てくる。そして前半で塹壕の長いショットから始まった。後半も塹壕。そして最初は木から始まった。最後も木で終わる。

全体もシンメトリックな構成になってると思うんですけど、桜の花が、やはりさっきと同じくブワーッと飛び散ってるなと思ったら、その中に大量の死体がたまっている、という。これはギリシャ神話のステュクス川っていう、あれをイメージしたという、もう完全にあの世感な光景であるとか、どんどんどんどん超現実的なビジョンも増えてくる、という。で、そんな中で、特に主演のジョージ・マッケイの、これは僕の感じ方なんですけど、なんていうのかな、非常に「絵画的な顔立ち」っていうのかな。絵っぽいですよね。あの人の顔ってね。

■「まるで119分のような丸1日」を感じさせる。観客の脳内に残る夢、記憶としての映画。

なんかそれがすごく端正にハマっているなと。元々はあのトム・ホランドがオファーされていて……トム・ホランドがやれば、もっと親しみやすい、感情移入しやすい感じにはなったと思うけど、それとは違う、なにかこう絵画的なニュアンスみたいなのを強めていて。本当に素晴らしかったと思いますし。あと、その彼が冒頭から、胸元に、青いブリキですかね? ブリキの薄いケースに入れて、何かを大事に持っている、っていうのがある。それで、劇中で周りの人が「故郷」とか「家族」の話題っていうのを出すたびに、どうやらそれに……故郷とか家族というものに対して複雑な思いを抱いているらしい、そのスコフィールド上等兵がですね、その青いブリキケースをあるかどうか触って確認したり、出してみたりとか、常に家族とか故郷の話が出た時にそれを意識してみせる、というのが示される。

当然中盤、「ある人たち」との出会いっていうのも、まさにそれの伏線になってますね。で、その中身が何なのか?っていうのは、最後の最後まで観客には明示しないでおいて。その最後の木のところで、初めてその中を見せる、というあの着地。実に上品な語り口だな、という風に思ったりします。

ということでですね、まあ「第一次世界大戦の本当のリアル」みたいなことで言えば、正直ですね、さっき言った『彼らは生きていた』っていうね、ピーター・ジャクソン渾身のドキュメンタリーに、大抵の映画はも負けてしまうだろうというぐらい……だからまずはこれをね、『彼らは生きていた』、そのリアルが感じなければ、そっちをぜひ見ていただいて。

ただ、本作『1917』の方はむしろ、さっきから言ってるように、人工的、仮想的に作り上げられた一定の時空間としての「映画」……あるいは、本作で言えば「まるで119分のような丸1日」っていうのを感じさせる、映画を見終わった観客の脳内のみに残る夢、記憶としての映画、っていう、まあやっぱりその映画というメディアの本質をくっきり、より分かりやすく浮かび上がらせる一作、というところに最大のキモがある、という風に私は思います。

もちろんでも普通に、地獄巡りライド映画として、全編きっちりエンターテイメントとしてもよく考え抜かれてて、面白いし。あと、「あの人がこんなところに?」的な、やっぱりそのスターキャメオ出演映画としても、なにげに愉快だったりとか、っていうところで。

あとはやっぱり、とにかく「よくもまあ、こんな手間のかかるもんを作ったものよ」というその一点だけでももう、入場料分ははるかに超えた中身だと思いますし。とにかく、エンタメ的にもアート的にもレベルが高い!っていうことで。わかっちゃいたけども、僕はやっぱり想像をさらに越えて、すごいレベルの作品をサム・メンデスは出してきたな、っていう風に思います。映画館で見る作品として、これはちょっと文句なしにおすすめと言わざるを得ない。もちろん好き嫌いのテンションの差はあると思うけど、これはちょっと評価しないのは難しい1本じゃないでしょうかね。ぜひぜひ劇場でやっているうちにベストな状況でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週のこのコーナーはお休み。再来週の課題映画はまだ未定です

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

「春を予感させる最新韓国インディーロック特集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/03/13)

「春を予感させる最新韓国インディーロック特集」

春を予感させる最新韓国インディーロック特集http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200313123618

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

高橋:本日はこんなテーマでお届けいたします! 「春を予感させる最新韓国インディーロック特集」。1月に台湾のインディーロック特集をしましたが、今日はその韓国バージョンですね。ここ半年ぐらいのリリースからわたくしのおすすめを4曲紹介したいと思います。

トップバッターはセソニョン(Se soneon)です。セソニョンはギターとボーカルを務めるファン・ソユンを中心とする3ピースバンド。2017年にデビューして昨年には日本の音楽フェス『SUMMER SONIC』にも出演しています。今回聴いてもらいたいのは、そんな彼らが2月18日にリリースしたセカンドEP『Nonadaptation』収録の「Midnight Train」。疾走感あふれる、そしてドラマティックかつドリーミーなめちゃくちゃかっこいいロックチューンです。

M1 Midnight Train / SE SO NEON

スー:かっこいい!

高橋:うん、90年代初頭のUKロック〜ギターバンドが好きな方にはたまらないサウンドだと思います。では次、この番組でも何度か紹介しているヒョゴ(HYUKOH)ですね。ヒョゴは2014年にデビューした4人組バンド。彼らも昨年に日本の音楽フェス『FUJI ROCK FESTIVAL』に出演しています。この2月にも来日を果たして、福岡を皮切りに大阪〜愛知〜東京を回る5公演を開催するなど、日本でもすっかり人気アーティストになりました。今回紹介するのは1月30日にリリースしたEP『through love』の収録曲で「Help」。ボサノバ調で始まるんですけど、これが徐々にファンキーなグルーヴを帯びてくる不思議な魅力を持った曲です。

M2 Help / HYUKOH

高橋:終盤のフルートが入ってくるところが気持ちいいんですよね。

スー:最初はボサノバっぽかったのにね。

高橋:ね。それが次第にファンキーなジャムセッション風に展開していくあたり、やはり一筋縄ではいかないバンドです。続いて3曲目はアオル(OurR)。アウォルはキーボード/シンセサイザー担当のイ・フェウォンをリーダーとする3人組。先ほどのセソニョンと同じ男女混成の3ピースです。2018年にデビュー後、昨年12月に初めてのまとまったかたちの作品、7曲入りのEP『I』をリリースしました。今日紹介するのは、その『I』の収録曲で「Floor」。幻想的なドリームポップ調の演奏に韓国的/アジア的情緒のメロディが乗ったセンチメンタルな曲になっています。女性ボーカルのホン・ダヘのかすれ気味の声がエモーショナルでいいんですよ。

M3 Floor / OurR

スー:これはたしかにアジアン情緒がありますね。

高橋:最後はソル(SURL)です。ソルはメンバー全員が1998年生まれの4人組バンド。

スー:みんな若いなー。

高橋:高校のときに友人たちと結成して2018年にデビュー、去年の11月には早くも来日公演を開催しています。韓国インディーでいま最も勢いのある若手バンドと言っていいでしょうね。今日聴いてもらいたいのは、昨年10月にリリースしたセカンドEP『I Know』収録の「People」。空間を活かしたギターの響きが心地よい、まさに春の到来を予感させるような爽やかな曲です。

M4 People / SURL

高橋:最後に今日取り上げたアーティストに関するリリース情報を。日本のレーベル「Bside」が昨年から韓国インディーの注目アーティストの楽曲をアナログ7インチでリリースするプロジェクトを立ち上げています。第一弾では先ほどのセソニョンや以前このコーナーで取り上げたアドイをリリースしているんですけど、3月25日発売の第二弾ではこれもさっきかけたアウォルとソル、あと今日は紹介できなかったブラック・スカーツなどをリリースするそうです。興味のある方はぜひチェックしてみてください。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

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当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

3月9日(月)

(11:07) Beauty and the Beast / Bebel Gilberto(「美女と野獣」)
(11:26) Under The Sea / Jacob Collier(「リトル・マーメイド」)
(11:36) Give a Little Whistle / Stacey Kent(「ピノキオ」)
(12:11) Give Me the Simple Life / Beverly Kenney
(12:22) Ill Wind / Rita Reys
(12:51) Blow, Gabriel, Blow / Chris Connor

3月10日(火)

(11:06) Bibbidi Bobbidi Boo / Louis Armstrong(「シンデレラ」)
(11:26) Heigh-Ho / Louis Armstrong(「白雪姫」)
(11:37) Zip-A-Dee-Doo-Dah / Louis Armstrong(「南部の唄」)
(12:10) All That Jazz / Mel Torme
(12:23) What Now My Love / Frank Sinatra

3月11日(水)

(11:07) You’ve Got a Friend (Live) / Donny Hathaway
(11:37) Lean On Me / Bill Withers
(12:11) I’ll Be There / Jackson 5
(12:24) O-o-h Child / Five Stairsteps
(12:50) Brother, Brother / The Isley Brothers

3月12日(木)

(11:06) Swing Little Indians, Swing / Anita Kerr Quartet
(12:13) Can You Tell Me How to Get to Sesame Street / Free Design
(12:25) When the Saints Go Marching In-March / Conjunto 3D
(12:50) I’ve Got You Under My Skin / The G/9 Group

3月13日(金)

(11:06) When Will My Life Begin? / Manday Moore
(12:13) Try Everything / Angelique Kidjo
(12:25) Zip-a-Dee-Doo-Dah / Nellie McKay
(12:50) A Spoonful of Sugar / Kacey Musgraves

宇多丸、『ジュディ 虹の彼方に』を語る!【映画評書き起こし 2020.3.20放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ジュディ 虹の彼方に』202036日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

「家にいながら解放感が味わえるジャジーでファンキーなおすすめ新譜」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/03/27)

「家にいながら解放感が味わえるジャジーでファンキーなおすすめ新譜」

家にいながら解放感が味わえるジャジーでファンキーなおすすめ新譜http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200327123440

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします! 「家にいながら解放感が味わえるジャジーでファンキーなおすすめ新譜」。ここ一ヶ月ぐらいのリリースから気持ちよくてかっこいい、ジャジーなグルーヴが堪能できるおすすめの作品を聴いてもらいたいと思います。計4曲紹介しますね。

スー:いいねえ。いきましょう!

高橋:1曲目はホセ・ジェイムズの「Feels So Good」。これは2月5日にリリースされたニューアルバム『No Beginning No End 2』の収録曲です。ホセ・ジェイムズは1978年生まれ、ミネアポリス出身のシンガー。ニューヨークのニュースクール大学でジャズを専攻後、2008年にデビューしています。2012年から2018年まではジャズの名門レーベルブルーノートに所属して、2014年には椎名林檎さんと日本語でデュエットもしました。

この「Feels So Good」は「現代のミニー・リパートン」の異名をとる女性シンガー、セシリーとのデュエット曲。タイトルに偽りなしの爽快な曲になっています。

M1 Feels So Good feat. Cecily / Jose James

スー:湿度が低い!

高橋:ねえ。気持ちいい!

スー:麻のシャツのボタンを開けたら風がフワッと入ってくるみたいな、そんな感じ。行ったことないけどアカプルコ感。

高橋:わかりますよ、アカプルコ感というかちょっとしたリゾート感ね。続いては、ココロコ(KOKOROKO)の「Carry Me Home」。3月3日にリリースされたニューシングルです。ココロコはサウスロンドンで結成された男女混成の7人組バンド。2018年に現在のロンドンジャズシーンの盛り上がりをパッケージングしたコンピレーション『We Out Here』に参加したことで注目を集めて、去年EP『Kokoroko』でデビューしたばかりです。

これから聴いてもらう「Carry Me Home」も含めてアフリカ音楽/アフロビートの要素が色濃い音楽性なんですけど、アシッドジャズやジャズファンクの感覚で楽しんでもらえると思います。

M2 Carry Me Home / KOKOROKO


高橋:曲を聴いてるあいだ「ちょっと懐かしい感じだねー」なんて話をしていました。

スー:私の友人がこういう曲を聴いたときに「懐メロの新譜」という非常に的確な形容をしていたんですけど、これはもう完全にそれだなって。

高橋:まさに90年代前半の渋谷の雰囲気を思い起こすようなね。スーさんもよくWAVEでお買い物してたそうじゃないですか。

スー:ああっ、恥ずかしい! CLUB QUATTROにジャイルス・ピーターソンのイベントに行って、そのあと向かいのソーホーでご飯を食べたっていう(笑)。

高橋:僕もまったく同じルートをたどっていました(笑)。ちなみにホセ・ジェイムスもココロコもジャイルス・ピーターソンに見出されたという経緯があります。

では3曲目、ジェイコブ・コリアーの「In My Bones」。3月25日にリリースされたばかりのニューシングルです。ジェイコブ・コリアーはロンドン出身の25歳。この番組では昨年「Moon River」のカバー特集で取り上げたことがありますね。アカペラと楽器演奏の多重録音パフォーマンスをYouTubeで配信して一躍話題を集めたマルチミュージシャン。今年のグラミー賞ではその「Moon River」で最優秀アレンジ賞インストゥルメンタル/アカペラ部門を受賞しています。

この「In My Bones」は、今後リリース予定のアルバム『Djesse Vol. 3』からの先行シングル。ニュージーランドのシンガーソングライターのキンブラ、そして今年のグラミー賞で最優秀新人賞にノミネートされていたニューオーリンズのソウルバンド、タンク・アンド・ザ・バンガズをフィーチャーしています。この曲はちょっとマイケル・ジャクソン的なファンキーさがあるんですけど、もう変態の域に達しているというか、ただただ圧巻です。

M3 In My Bones feat. Kimbra & Tank and The Bangas / Jacob Collier

スー:山下達郎さんもびっくりって感じですね。

高橋:すさまじい多重録音ぶり。先ほどマイケル・ジャクソンっぽいと言いましたけどプリンスの要素も入ってるのかな?

スー:うん、プリンスっぽい。ミネアポリス感はありますね。

高橋:そんな感じで曲自体80’s感があるんですけど、ミュージックビデオがまたピーター・ガブリエルの「Sledgehammer」風で楽しいのでそちらも併せてぜひ。

スー:フフフフフ、それわかる人はアラフィフになっちゃうぞ(笑)。

高橋:最後いっちゃいましょう。ベッカ・スティーブンスの「Slow Burn」。これは3月20日にリリースされたニューアルバム『Wonderbloom』の収録曲です。ベッカ・スティーブンスはノースカロライナ出身の女性シンガーソングライター。Apple Musicやウィキペディアのカテゴリーではジャズに分類されているんですけど、ジャズを基盤にしてフォークだったりロックだったりポップスだったり、いろいろな音楽のエッセンスを取り入れているアーティストです。

この「Slow Burn」はいま紹介したジェイコブ・コリアーとのコラボ曲。ふたりの共演はこれで3度目ぐらいかな? これもやっぱりマイケル・ジャクソンやプリンスの流れを汲む変態チックなシンセファンクになっております。

M4 Slow Burn / Becca Stevens

スー:すごいトリッキーでしたねー。今日紹介してもらった曲で踊って今週末を乗り切ろう! ヨシくん、来週もよろしくお願いします!

高橋:よろしくお願いします!

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―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

3月23日(月)

(11:08) If You Want It / Niteflyte
(11:29) Please Don’t Fall in Love / Average White Band
(11:38) Shine Like You Should / Melissa Manchester
(12:13) Still Falling for You / Boz Scaggs
(12:24) Don’t Cha Love Me / Crackin’

3月24日(火)

(11:06) You Are The Sunshine of My Life / Stevie Wonder
(11:26) Flying Easy / Donny Hathaway
(11:37) Gotta Get Closer to You / Terry Callier
(12:16) Love Each Other / Leon Thomas
(12:20) Feelin’ Mellow/ Weldon Irvine

3月25日(水)

(11:05) Brass in Pocket / The Pretenders
(11:27) Accidents Will Happen / Elvis Costello & The Attractions
(11:37) When I Write The Book / Rockpile
(12:11) Up The Junction / The Squeeze
(12:25) Happy Loving Couples / Joe Jackson
(12:49) ヴァージニティ / ムーンライダーズ

3月26日(木)

(11:06) Forca Bruta / Jorge Ben
(11:26) Vou Morar No Teu Sorriso / Trio Ternura
(11:36) Todo Meu Amor / Os Diagonais
(12:12) Cheguendengo / Elza Soares
(12:24) Vou Deitar e Rolar / Elis Regina
(12:49) Me Deixa Em Paz / Ivan Lins

3月27日(金)

(11:05) Rescue Me / A Taste of Honey
(11:36) Love Festival / Kool & The Gang
(12:12) Until the Morning Comes / Ray Parker Jr. & Raydio

宇多丸、『ミッドサマー』を語る!【映画評書き起こし 2020.3.27放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、カルト的映画として語り継がれるであろう一作2020221日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

「追悼 志村けんさん~志村さんが愛したソウルミュージック」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/04/03)

「追悼 志村けんさん~志村さんが愛したソウルミュージック」

追悼 志村けんさん~志村さんが愛したソウルミュージックhttp://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200403123913

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

高橋:本日はこんな特集をお届けいたします。「追悼 志村けんさん~志村さんが愛したソウルミュージック」。新型コロナウイルスに感染して闘病されていたタレントでコメディアンの志村けんさんが3月29日、肺炎でお亡くなりになりました。70歳でした。まだ受け止められないという方も大勢いらっしゃると思いますが、今日は音楽を通して志村さんを追悼できたらと。

もしかしたら「音楽コラムで志村さんの追悼企画ってどういうこと?」と思われる方もいるかもしれませんが、志村さんは大の音楽好き、熱心な音楽マニアなんですよ。特にブラックミュージック/ソウルミュージックがお好きなようで。志村さんが亡くなったあとSNSなどでも話題になっていたのでご存知の方もいると思いますが、志村さんは1980年前後には音楽雑誌でアルバムレビューを執筆していたほどなんですよ。

もちろん、志村さんは当時すでにドリフターズの中心メンバーとして子供たちに大人気で。TBSテレビで放映されていたドリフターズの出演番組『8時だョ!全員集合』の視聴率が40パーセントに達していたころですね。そんな状況のなかで音楽雑誌に寄稿していたわけですから、志村さんがどれだけ音楽好きだったのかはここからもよくわかると思います。

そんな志村さんの音楽趣味はドリフターズのギャグやコントにも強く反映されていました。その最もよく知られている例が、1979年から1980年にかけて『8時だョ!全員集合』のコントコーナーで加藤茶さんとのコンビで披露していた「ヒゲダンス」です。志村さんと加藤さんが黒の燕尾服につけ髭姿でダンスをしながらいろいろな芸に挑戦するコント、皆さんよくご存知ですよね。

その「ヒゲダンス」のテーマ曲として使われていたのが、1980年にたかしまあきひこ&エレクトリック・シェパーズ名義でシングルが発売になった「『ヒゲ』のテーマ」です。

M1 ヒゲのテーマ / たかしまあきひことエレクトリック・シェーバーズ

ザ・ドリフターズ ゴールデン☆ベスト

スー:いやー、子供のころこの曲を聴くと心が沸き立ったよね。最高!

高橋:この「『ヒゲ』のテーマ」には実は元ネタがあるんですよ。それが1970年代に絶大な人気を博したソウルシンガー、テディ・ペンダーグラスの「Do Me」。あのおなじみのリフ/ループはこの曲から引用されているんです。これは当時テディ・ペンダーグラスの「Do Me」が好きだった志村さんが、たかしまあきひこさんにレコードを持っていってあのおなじみの「『ヒゲ』のテーマ」にアレンジしてもらったという経緯があります。アレンジの方向性には志村さんの意向も取り入れられているらしいですね。

ここで注目したいのは、テディ・ペンダーグラスの「Do Me」が収録されているアルバム『Teddy』のアメリカでのリリースは1979年7月。だから、ほぼタイムラグなく最新のアメリカのソウルミュージックをコントに取り入れいているんですよ。しかも、この「Do Me」はシングル曲ではなく単なるアルバム曲で。

スー:ええーっ!

高橋:うん。このあたりから志村さんがいかに熱心に音楽を聴き込んでいたかがよくわかると思います。

スー:しかも、それをお茶の間の子供たちにドーンと届けたわけだもんね。

高橋:そう。そのへんがまたかっこいいよね。

M2 Do Me / Teddy Pendergrass

スー:うん、かっこいい!

高橋:志村さんがアメリカのソウルミュージックを引用したケースは他にもあります。「ヒゲダンス」の直後、これも『8時だョ!全員集合』の少年少女合唱隊のコーナーから派生して1980年にヒットした「ドリフの早口ことば」。

M3 ドリフの早口ことば / ザ・ドリフターズ

ドリフの早口ことば

高橋:この「ドリフの早口ことば」のオケもソウルミュージックからの引用で、元ネタは「ダンス天国」などのヒットで知られる名シンガー、ウィルソン・ピケットの「Don’t Knock My Love」。1971年にアメリカのソウルミュージックチャートで1位を記録したヒット曲です。

これも先ほどの「『ヒゲ』のテーマ」と同じようにたかしまあきひこさんに音源を持っていってアレンジしてもらったのだと思うんですけど、「ドリフの早口ことば」で注目したいのはその手法ですね。ソウルミュージックやファンクの楽曲の一部分を抜き出してそれをループさせてトラック/オケを作って、そこに早口言葉/おしゃべりを乗せる。これはもうラップですよ。

スー:そうだね。

高橋:先ほども触れた通り「ドリフの早口ことば」のシングルは1980年12月のリリース。そして、最初のラップのヒット曲であるシュガーヒル・ギャングの「Rapper’s Delight」が発売になったのが1979年9月。

スー:フフフフフ、早いな!

高橋:そうなのよ。「Rapper’s Delight」はアメリカのソウルミュージックチャートで4位にランクインする大きなヒットになっているから、もしかしたら志村さんは「Rapper’s Delight」にインスパイアされて「早口ことば」のあの手法を思いついたのかもしれないですね。これはあくまで妄想にすぎないんですけど、でも「ヒゲダンス」のテディ・ペンダーグラスのケースを踏まえるとまったくない話でもないのかなという気もします。

では、その「ドリフの早口ことば」の元ネタを聴いてもらいたいと思いますが、今日はオリジナルのウィルソン・ピケット版ではなく1973年にリリースされたダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイのデュエットによるカバーバージョンを紹介したいと思います。こちらの方がより「早口ことば」のアレンジに近いんですよ。

M4 Don’t Knock My Love / Diana Ross & Marvin Gaye

スー:すごい! 素晴らしい!

高橋:その他、『8時だョ!全員集合』のコントやギャグに関する志村さんのソウルミュージックのオマージュとしては、これも少年少女合唱隊のコーナーから生まれた1976年の「東村山音頭」 もそうなんですよ。「東村山音頭」は四丁目から始まって三丁目、一丁目と進んでいく構成ですが、一丁目はこんな感じでした。

M5 志村けんの全員集合 東村山音頭 / 志村けん

東村山音頭

高橋:この「いっちょめ、いっちょめ、ワーオ!」のフレーズ、これはファンクの帝王ジェームス・ブラウンのシャウトがモチーフになっているそうなんです。ちょっと聴き比べてみましょうか。

M6 Give It Up Or Turn It a Loose / James Brown

高橋:これ、JBからインスパイアされたというのは志村さんご自身が明言されているんですよ。

スー:すごい! しかし本人はめっちゃおもしろかっただろうね。JBにインスパイアされてやったことを子供たちが大喜びで「いっちょめ、いっちょめ、ワーオ!」って真似してるんだからさ。

高橋:この志村さんが「東村山音頭」で披露したジェームス・ブラウン譲りのシャウトなんですけど、実は志村さんがドリフターズに加入して最初のシングル、1976年3月にリリースされた「ドリフのバイのバイのバイ」ですでに聴くことができるんですよ。ここではより露骨にJBの代表曲「Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine」の有名なフレーズ「ゲロッパ!」を叫んでいて。

スー:ええっ!?

高橋:さらにこの「ドリフのバイのバイのバイ」、これは志村さんのアイデアかどうかはわからないんですけど、実質的に当番組のラジオショッピングのテーマ曲としておなじみ、ヴァン・マッコイの「The Hustle」のリメイクなんですよ。

M7 The Hustle / Van McCoy & The Soul City Symphony

スー:これはもう完全に有坂さんが出てくるパターン!

高橋:フフフフフ。ヴァン・マッコイ「The Hustle」のリリースは1975年4月。この曲はディスコブームの原点とされていて、日本の歌謡曲にも絶大な影響を及ぼしているんですね。なかでは筒美京平さんが手掛けた岩崎宏美さんの「センチメンタル」などが有名だですけど、この「ドリフのバイのバイのバイ」のアレンジもそういう流れから生まれたのではないかと思います。

では、もろに「The Hustle」なアレンジと志村さんのJBばりのシャウトに注目して聴いてください。

M8 ドリフのバイのバイのバイ / いかりや長介とザ・ドリフターズ

ドリフのバイのバイのバイ/ドリフの英語塾

スー:贅沢!

高橋:思いっきり「The Hustle」でしょ? 「Do the hustle!」の掛け声まで入っていたりして。

スー:ねえ。すごい!

高橋:ドリフターズの音源はいま各ストリーミングサービスで配信されているのでこの機会にぜひ聴いてみてください。めちゃくちゃ楽しいですよ。そういえば、堀井さんは志村さんと一緒にお仕事されたことがあるんですよね?

堀井:2回ぐらいかな? 志村さんがTBSラジオで番組を始めたときもご挨拶に行ったんですけど、真面目で無口な渋い男性のイメージですね。

スー:志村さん、思うところはいっぱいありますけど明るく送り出したいですね。みんなで志村さんにお悔やみを申し上げたいと思います。

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当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

3月30日(月)

(11:05) That’s The Way of the World / Earth Wind & Fire
(11:19) Fool’s Paradise / Rufus featuring Chaka Khan
(11:35) Mr. Melody / Natalie Cole
(12:10) Wouldn’t Matter Where You Are / Minnie Riperton
(12:20) Girl, I Think the World About You / Commodores
(12:49) 恋は流星 / 吉田美奈子

3月31日(火)

(11:08) Hello It’s Me / Todd Rundgren
(11:25) Been to Canaan / Carole King
(11:36) Lilly (Are You Happy) / Daryl Hall & John Oates
(12:11) Turn Around / Billy Joel
(12:23) Rocket Man (I Think It’s Going to Be a Long Long Time) / Elton John
(12:49) My Love and I / Paul Williams

4月1日(水)

(11:05) If She Knew What She Wants / Bangles
(11:26) Don’t Dream It’s Over / Crowded House
(11:37) When I Change My Life / The Pretenders
(12:10) You Are the Girl / The Cars
(12:22) Mary Jean / Marshall Crenshaw
(12:49) See You Again / 高野寛

4月2日(木)

(11:04) There’s a Kind of Hush (All Over The World) / Herman’s Hermits
(11:36) Love Is All Around / The Troggs
(12:15) Goin’ Out of My Head / The Zombies
(12:26) To Show I Love You / Peter & Gordon
(12:50) I Can Take or Leave Your Loving / The Foundations

4月3日(金)

(11:03) All This Love / DeBarge
(11:23) That Girl / Stevie Wonder
(11:33) Serves You Right / Lionel Richie
(12:14) Do What You Feel / Deniece Williams

宇多丸、『人間の時間』を語る!【映画評書き起こし 2020.4.3放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『人間の時間』(2020年3月20日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『人間の時間』。(曲が流れる)『嘆きのピエタ』『殺されたミンジュ』などで知られるキム・ギドクが監督・脚本を務めた異色のファンタジー。舞台はさまざまな乗客を乗せたクルーズ旅行中の元軍艦。いつしか未知の空間に迷いこんだ艦内は、やがて乗客たちの生き残りをかけたサバイバルの舞台となっていく。出演は韓国で活躍中の藤井美菜さん、日本でも高い人気を誇るチャン・グンソクさん、そしてアジアを中心に活躍されているオダギリジョーさんなどなど……キム・ギドク映画としては、わりと実はスターキャストが揃っている作品でもありますよね。

ということでね、この『人間の時間』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、通称<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量はまあまあ、「少なめ」っていうのはありますけども。ただ、都内では単館ですし、今の状況を鑑みれば、これはかなり健闘してる方かな、という風に思います(※2020年4月上旬、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために休館する映画館が増えていた)。賛否の比率は、褒める意見が6割程度。

褒めてる人の主な意見は、「変な映画だが中毒性があり、忘れ難い魅力がある」「寓話にしてはあまりにも生々しく、目を背けることができない」「新型コロナウイルスの影響下にある、現代の我々を描いてるかのようでいたたまれなくなった」などがございました。一方、否定的な意見は「脚本・演出が粗すぎて寓話としても飲み込みづらい」「映画自体が持つメッセージはいいのだが、女性暴行事件を起こしたキム・ギドク監督の作品であることを考えると素直に受け取れない」などなどございました。ちょっとその件についても後ほど、触れますが。

■「目を背けたくなるようなものがあえて映し出されることでしか感じえない何か」(byリスナー)

代表的なところをご紹介しましょう。「サイトウハジメ」さん。「『気付いたら船が宙に浮いていて……』という設定を聞いた時から『見たい』と思っていたキム・ギドクの新作。印象としては昨今稀に見る骨太の怪作でした。主人公夫婦の明らかにちょっと不自然な日本語と不自然な芝居。オダギリジョー演じる主人公の夫の常軌を逸した正義漢ぶり。悪すぎる政治家。そしてその政治家や、新婚旅行だという主人公や、その他さまざまな貧困層の人が乗り合わせてるこの船など、とても飲み込みづらい設定に、最初は『あれ? この映画、外れだったかな?』という印象すらしていました。

しかしそうした設定は、映画が終わってみれば寓話的な空間として作られていたのだとわかります。船が宙に浮いていることがわかり、生存をかけた争いが始まってからは、それまでの展開とは打って変わって目を見張るものがありました。『政治家が食料を牛耳り、それに反抗する人々』という図式はポン・ジュノの『スノーピアサー』や『マッドマックス/怒りのデス・ロード』を思い起こさせたりもしましたが、食料に群がる人々を見て『これはまさに連日、ドラッグストアの前に人が並んでいる2020年の日本、東京と同じではないか』と感じて、いたたまれない気持ちになりました」と。それでいっぱい書いていただいて。

「……ポン・ジュノやアリ・アスターをはじめ、計算された上手さ――もちろん、彼らの映画の魅力はそれだけではありませんが――それらが評価され目立つ中で、キム・ギドクのフィクション(作り物)で何かを表現しようとする姿勢。目を背けたくなるようなものがあえて映し出されることでしか感じえない何かは、まさにこの時代になくてはならないものだと感じました。万人にすすめるのは難しいかもしれないけど、こういう映画がなくなってはいけないと思わされました。この映画をこのタイミングで見れたのはムービーウォッチメンを続けてくださったおかげです。ありがとうございました」ということでございます。すいません。マスクのあれが……(※当日はマスクをしたまま放送をしていた)オレ、ムービーウォッチメンだとダメだ! 倒れちゃうからちょっと(鼻と口を)出しますね。すごい苦しくなってきた(笑)。

ラジオネーム「パエリャで卵かけご飯」さん。この方は不満だったという方。「今回、キム・ギドク作品『人間の時間』を見れてよかったし、非常に濃密な鑑賞時間を過ごせたのですが、見終えてみると不満が残りました。本作は最近名作が立て続けに公開されている格差社会を描いた作品というよりは、上級国民とそれ以外しか存在しない世界を描いた寓話であり、今の日本で公開されるべき映画だと思います。寓話という点で本作はポン・ジュノの『スノーピアサー』と同様、社会の縮図である乗り物が唯一の舞台になる作品ですが、寓話の要素が強すぎて遊びが少ないと思うのです」という。まあ、いろいろとそうやって書いていただいてですね。

「……また『人間の時間』は先週取り上げた『ミッドサマー』とよく似たゴア描写のある作品ですが、作中美しい画面で醜い出来事が起こるアリ・アスターの対位法が効果的であった『ミッドサマー』と違って、キム・ギドクの作品では、汚い画面の中で酷い出来事が、エスカレートはするものの次々と起こるだけなので、単調に感じられてしまいました。ずっと記憶に残る、人に語りたくなるようなシーンを見たいがために映画館に行ってるのに、本作はあまりにも寓話寓話しすぎており、ゴア描写も単調でユーモアも少ないために、上映終了後に持ち帰れるお土産、思い出が少ないと感じました。また、監督が#MeToo運動でやり玉に挙がった後の作品なので、1人の男をめぐる内省的な内容の作品を期待してたのですが、『人間とは……』と大上段に構えた作品だったのが少し期待外れでした」ということでございます。

あと、音楽プロデューサーの加茂啓太郎さん。フィロソフィーのダンスなどでおなじみの名プロデューサーである加茂啓太郎さんが、キム・ギドクファンとしてかなりドスンとしたメールをいっぱい送っていただきました。ちょっと読み上げる時間がないんですけども、読みました。ありがとうございました。

■「その人にしかつくれない変な映画」だらけのキム・ギドク監督。好きな作品、そんなでもない作品、嫌いな作品もなくはない。

ということで『人間の時間』、私もシネマート新宿で2回、見てまいりました。でもね、このコロナ自粛期のわりには……というか、平日の昼としては、まあそこそこ入っていて。とはいえ、結構劇場が大きい劇場だったので、人の距離的には充分、かなり離れている状態で、という鑑賞でございましたが。

ということで、キム・ギドクね、僕のこの映画時評コーナー的には、2013年7月6日、前の番組『ウィークエンド・シャッフル』時代に、『嘆きのピエタ』っていう作品を扱いました。その時にですね、彼のキャリアとか作品についても一通り概観しましたね。世界的にはすごく評価を得ている作家だけども、韓国国内ではわりと批判的だったり、あとは論議の的になったりするタイプの人ですよ、と。で、この間、その後も『メビウス』とか、あとは『殺されたミンジュ』とかね。あと、これだけ僕ね、見れてなくてすいません、福島原発事故を題材にした、日本で撮った『STOP』という作品。そして、今回も出演しています、リュ・スンワン監督作でもおなじみリュ・スンボム主演の、『The NET 網に囚われた男』とかね。

まさに先週、『ミッドサマー』評の最後でも言った、「その人にしかつくれない変な映画」ばっかりを引き続き連発してきた、というキム・ギドクさんなんです。僕ももちろん、好きな作品、そんなでもない作品、あとはまああんまり……嫌いだな、っていうような作品もなくはない。まあ、評価の波は作品ごとにいろいろあるんですが、毎作やっぱり他では得難い鑑賞体験を残してくれる、という意味で、まあ新作を楽しみにしている作家の1人だった、ってのは間違いないですが。

ただまあ今回の『人間の時間』、作品そのものの評に行く前に、どうしても触れておかなければいけないこととして、要は2017年の『メビウス』という作品に出演予定だった女性からの暴力・セクハラの訴え。続いて2018年には他の女優2名からも……要するに彼から過去にセクシャルハラスメントと性的暴行を受けていた、という訴えが出て。キム・ギドク自身は逆にそれを名誉毀損で告訴し返したりしてるんですよね。要は、「演出上必要なことで暴力じゃない」って言ったりとか。あとは「相手の意に反した性行為の強要などはしていない」っていう風にキム・ギドク側は主張をしていて、ということなんだけども。まあ、とにかくそういう問題があって。

この『人間の時間』もですね、韓国では上映されていない。それで映画祭での上映などにも抗議が集まったりしていたという。そんな中で、まあ今回の日本での劇場公開、そしてそれをこうやって私が評すること自体にもですね、ご意見・ご批判は当然あると思います。僕としてはですね、そういう問題があったということを前提としてもちろん認識しつつ……つまり、それらをなかったことに、「作品とは別だから関係ない」っていう、そこまで極端な単純化もしたくなくて。そういったことがあったということはもちろん踏まえつつ、でもじゃあ実際、それはどういう作品なんだ、というところにも向かい合っていきたい。

つまり、作品というのも「なかったこと」にはできないだろう、という。事実は事実として認識しつつも、作品そのものもなかったことにはしたくない、という考え方なので。まあ公開されている以上は、ちょっと今回は正面から論じたいなと思っております。

■原題は『人間、空間、時間、そして人間』

ただね、結論から言いますと、もちろん寓話として面白い、スリリングなところも多い作品でしたし、もちろんキム・ギドク作品ならではエクストリームさ、楽しんだ部分も多々あるんですが。まあそれでもやっぱり、不満に感じる部分、あるいははっきり同意しかねる部分っていうのもあったりしてですね。まあそういう風に、もちろん思考をうながして、賛否両論分かれることは、たぶんキム・ギドク的にも全然望むところではあると思うんですが。ということで、はっきりと同意しかねるな、という風に感じる部分もあったりしました。実際には、どうなのか。ちょっと行ってみましょう。

原題はですね、『人間、空間、時間、そして人間』というタイトルなんですけど。これ、実は、映画全体の章立てがそういう風になってるわけです。最後の「そして人間」というパートはほぼエピローグ的なものなので、実質「人間、空間、時間」の三幕仕立てだと思ってください。で、ですね、前述したその『嘆きのピエタ』評の時にも触れましたけど、キム・ギドク監督は、自作のフィルモグラフィーに対してですね、3つに分類して、自作を分析していると。

平たく言えば、人物たちそのものに焦点を当てた小さな物語、個人的な物語の場合を描いた、「クローズアップ映画」というくくり。そしてもうひとつは、背景にある社会の問題などが浮き彫りにされていくという、「フルショット映画」というくくり。そして最後に、神的な俯瞰視点になった、「ロングショット映画」というくくり。この3種がキム・ギドク作品にはある、という風に、ご自分でもおっしゃっているということなんですけども。

その意味で今回の『人間の時間』……原題『人間、空間、時間、そして人間』は、最初のその「人間」の章と、あと「空間」の章――この「空間」というのは、「世界」って言い換えてもいいと思うんですけども――その章は、『殺されたミンジュ』『STOP』『The NET』と、このところ続いたその「フルショット映画」、つまり社会のあり方、構造が浮き彫りにされるような作品、今回で言えば暴力をバックにした権力の支配構造みたいなもの、つまりその社会的メッセージが前面に出た路線なのかな、という風に思いきや……次第により長いスパンの視点、すなわち「時間」ですね。

要するに、人間が生きているよりさらに長い、時間が全てを支配する、個々の人間社会を超越した、神的目線。つまり結局は「ロングショット映画」なんだな、ということが明らかになっていくという、そういう構成になってるわけですね。

で、もちろんですね、『嘆きのピエタ』評の時も言いましたが、とはいえキム・ギドク作品、たとえその社会の「リアル」を切り取るような題材、あるいは暴力や性などの生々しい描写がいっぱい扱われていてもですね、基本、寓話なんですね、やっぱりね。全部ね。どこか現実の社会からは隔絶したような限定空間、ちょっとファンタジックな空間というのが舞台になってることが多い、というか、ほとんど全部がそうだという風に言ってもいいと思います。まあ自伝的なあの『受取人不明』とか以外は、たぶんそうかなっていう感じですね。

で、その意味では今回、寓話度は、はなからマックスですね。最初からもうはっきり「全てはたとえ話、メタファーですよ」っていうことが打ち出された作品、ということが言えると思います。

■設定やセリフ回しからしてすでに寓話的

まずその最初のかも「人間」パートから行きますと……非常に極端な俯瞰ショットで、洋上にポツンと浮かんでいる、その古い元戦艦っていうのがある。元戦艦が客船として使われている。これがまず、もうあり得ないわけですし。

で、そこになぜか新婚旅行に来ている、現在は韓国でも活躍されている藤井美菜さん演じる女性と、オダギリジョーさん、こちらもアジアを股にかけて活躍されている(彼が演じる)男性、この2人の日本人の夫婦がですね、船に乗っていて、「なんか血の匂いがする気がするな」なんてことを言っていて。まあ、これ自体もかなりフィクショナルなセリフですけど。そうしたらですね、ふとデッキの方を見ると、「あら、次の大統領候補よ。息子さんと旅行かしら?」って……もう現実には絶対にあり得ないような(笑)、寓話的なセリフを口にしたりする。

で、しかもその後に、この大統領親子だけはいい飯といい客室を当てがわれている、というね。ただ、そういう風にセリフでは言われるんですけど、言うほどいい客室にも見えないっていうか(笑)。一般客室の様子が映されない、つまり、そのロケをしている元戦艦は客室なんて当然ないから、「一般客室と違うじゃないか!」って言うんだけども、そこも映し出されないので。どんだけそれがギャップがあるのかよくわかんない、っていうあたりもまあ、いかにも低予算作品ならではのご愛敬、という感じなんだけど。

とにかくですね、その扱いの格差に、オダギリジョーを演じるその男性というのが、非常に抗議したりする。そこのところはですね、同じくオダギリジョー主演の『悲夢(ヒム)』というキム・ギドク作品でもやってたことですけど、韓国語と日本語が、翻訳というプロセスを挟まずに、直接、普通に意思疎通できている、という描き方なんですね。まあたとえばその日本人夫婦が他の韓国人キャラクターとぶつかるというか、衝突を起こす時も、たとえば現実だったら「日本人のくせに」とか、なんかしらのそういう国籍にまつわるセリフは出てきそうなところだけども、そういうセリフは一切なくて。つまりやはりこれは、どこの国、どこの時代というのが特定できないような、寓話なんですよ、っていうことをはっきりと打ち出したような作り方になっている、という。

で、まあ事程左様にですね、イ・ソンジュさん演じる政治家、権力者と、その息子……これをチャン・グンソクさんがね、よくこんな役を演じてくれた、っていう感じですけどね。その息子と、あるいはその彼、政治家の権力行使の後ろ盾になり、そしてまた自らもそれで甘い汁を吸おうとする、リュ・スンボムさん演じるリーダー率いる、ヤクザ軍団。あるいは、非常にちょっと素行不良気味な男子学生たち、とかですね。あるいは、売春婦たちが3人いたりとか。あとは、韓国人の若いカップルもいたり。あと、その韓国人の若いカップルをギャンブルでカモにする、おじさんたちがいたりとか。そしてまた、この場本来の秩序を守る立場である、船のクルーたちがいるよとか。

そしてなぜかですね、土をその船のところから集めている、アン・ソンギさん演じる謎の仙人めいた老人。などなどがですね、いかにも象徴的に……まあ言ってしまえば記号的に配されていくわけですね。で、この「人間」パート。要は、人間社会の通常運転モードのはずなんですよね、これはね。その後に異常事態にどんどんなっていくんだけど……ただ、すでにこの時点でこの作品、実際のところ、暴力がすべてを制している状態なんですね。で、そのいろんな暴力が、結構もう最初の時点で起こっていて、さっきの老人が、いろんなところからそれを覗いている、っていうね。普通に見てると、「助けんかい!」って思うんだけど(笑)。まあ、ちょっとそれは理由があるんですけど。

まあ、老人がいろんなところから……っていうか、「覗かれすぎ」ですよね、この話(笑)。まあ寓話だからね。リアリズムツッコみってこれは、わざとやっていますけども。覗かれすぎ!っていうね。いろんなことが覗かれすぎ、っていうのがありますけども。とにかく、権力は暴力をバックにもう平然と腐敗してるし、公正を主張するものも、力の弱いものも、結局暴力の前に屈服させられていく、というまあ最低の状態が、既にもう最初の時点で描かれているわけですね。

■最初から現実の醜悪さが剥き出しで、現実を撃ち抜くメタファーとしては弱い

たとえばここでそのチャン・グンソクさん演じる権力者の息子。本当にね、善意の人ぶってるだけに、最低!っていう。よくこんな役をチャン・グンソクはやってくれたなっていう。だからそれだけでチャン・グンソク、偉いなって本当に思うんだけど……みたいなことが描かれ出していく。本当に目を背けたくなるような場面の連続なんですけど。それでまあ、おそらくキム・ギドクとしてはですね、なるほど「平常時でさえ世界の仕組みっていうのはこうだろう? だって現にこういう現実、世界中にあるじゃないか」っていうことを突き付けたかったのかもしれないし、それはそれで論理としては分からないではないんですけど。

ただ、僕はね、ここの最初の人間パートは、その真実の醜悪さというのがしかし、表面上は隠蔽されて、「ないこと」にされている、要するに欺瞞に満ちた状態、というくらいに描写を止めておいた方が、現実を撃ち抜くメタファーとしてもやっぱりより適切だし、その「空間」パート以降、食べ物が逼迫していくにつれ現出していく異常状態というのが、より効果的に際立ったはずだろうとも思う。現状はやっぱり、「えっ、だってこいつら最初から全部、めちゃくちゃだったじゃん? 最初からめちゃくちゃな人たちがめちゃくちゃになってるだけなんですけど」っていうバランスになっちゃっていて、あんまり効果的じゃないし。

あと、これは真魚八重子さんがキネマ旬報でも指摘されてましたけど、やっぱり女性の描き方が、売春婦かレイプ被害者しかいない……他にも女性は乗ってはいるんですよ。映り込んではいるんですけども、彼女たちが人間的に描かれてるところがないので、キャラクターとして描かれているのが売春婦かレイプ被害者だけかっていう、これはちょっとどうなんだ?っていう風に思ったりもしまいます。要するに現実社会のメタファーとしても、「そういう認識なわけ?」という風に思っちゃうような感じになっちゃう。

■船が宙に浮かんでからがスリリングで面白い。雑な暴力シーンもこわい!

で、とにかくその「人間」パートが終わってですね、「空間」っていう章に入って、船全体がなぜか宙に浮かんじゃってですね、完全に孤立した空間、本当にここが世界の全てになってしまう、という風になるわけですね。この「空間」というのは「世界」って言い換えてもいいと思うんだけども。で、限られた食料を巡って、どんどん事態が怖いことになっていく、という。まあ、やっぱりこのパートがね、明らかに本作でも最もスリリングで面白い、というところなのは間違いないと思います。特にですね、はからずもこのご時世にはシンクロする部分も、やっぱり多い。リスナーの方でも書かれている方が多かったですね。

限られた物資を巡ってパニックを起こす人々と、まさに「非常事態宣言」を布告して、「とにかく自分に任せておけ、それからの先のこと、全体のことを考えているからこそ、皆さんに負担やご苦労をお願いしているのですよ、だから、言うことを聞かないものは、分かるね?(チャキッ)」っていうね……みたいなことですね。しかし、実際のところその権力者側は、自分の方が助かるというか、少しでも生き延びる……権力者側も結局、目先のことしか考えてない、ということが見えるみたいな。今、このご時世の中で見ると、なかなか切実に嫌な気持ちにさせられる描写が続いて。ここは、今だからこそ本当に相当見ごたえがありました。いろいろと考えさせられましたし。

ただ、個人的にはここもやはりですね、まずその大衆側、普通の人々側――「普通の人々」というには酷いことしてるんだけど――人々側が、権力者に暴力で最初から脅されて言うことを聞かされる、っていう描写から始まっちゃっているんですけど……最初は自ら、「ああ、異常事態ですからね」っていう風に、自らいろんな全権を委ねてしまう、ってプロセスを一旦は描いておいた方が、これもやはり寓話としての精度はより上がったのにな、っていう。現状はなんか平板で……さっき言ったように最初から全てが剥き出しで暴力的すぎるので、権力のあり方の描き方として、ややちょっとこれは単純化しすぎだろう、という風に思ってしまいました。

つまり、やっぱり寓話化というのが単純化の方に行ってしまっているというか。とはいえ、エスカレートしていく生き残り合戦。そこから現出していく地獄絵図。その一方で、どうやら、他の人たちが今ある食べ物を奪い合うことに汲々としている中で、持続可能な食料生産システムを作ろうとしている……ただしそれは、人々の大量死を礎としてそれを構築しようとしているという、謎の、その黙々と作業を続ける、先ほど言ったアン・ソンギさん演じる謎の老人、というこの「空間」パート。まあキム・ギドクならではの本当にエクストリームな、極端な……まあ、本当にキム・ギドク作品は、前の『嘆きのピエタ』評の時にも言いましたけども、元々全作、粗削りです。特に『嘆きのピエタ』以降は、その粗削り度を増しています。

今回もまあ、もうめっちゃ粗削りなんですけども。雑だし、暴力の振るい方も……ただその雑さがね、また怖かったり。穴の中に手を突っ込んで、斧でゴンゴンゴンッてやるとか、なんかクソ雑なところが(笑)キム・ギドク作品らしいとこではあるし、本作でも最も楽しめる、というあたりだとは思います。で、その後の「時間」パートというね、より長いスパンで物事を見ると……というパートになっていく。

■ある種の本能論的な結末に落とし込むのは、危険だし、よくないと思う

ここでですね、その先ほどの老人のですね、いかにもこれはやっぱりキム・ギドク作品らしい、要はキリスト教的な自己犠牲のプロセスなんかも経つつ……ちなみに、さっきのその日本人の夫婦の女の人、藤井美菜さん演じる役柄と、チャン・グンソク演じる金持ちの権力者の息子は、役柄上、これは映画の中では言われてないですけど、一応役柄上は、「アダム」と「イヴ」という風に、もうめっちゃ分かりやすい役名がついていたりします。

で、要はキム・ギドクさん的には、「世界に悪いやつ、悪いことっていうのは絶えない。それに対してどうしていいかと我々はすごく途方に暮れてしまうけども、より長いスパンから見れば、そういう個々の人間たちというのは、次世代の世界を生むための土壌、サイクルの一部にしか過ぎないんだ」というような視点なわけです。で、これはやはりキム・ギドクなりにですね、切実に到達した結論なんだとは思うんですよね。いろんなことを考えて、いろんな目にあいつつも出した結論だとは思うんですね。作家のメッセージとしてそれは尊重したいとは思うし。納得というか、「まあ、なるほどな」って思うところもやっぱりあるわけですけど。

ただですね、ちょっと今回はこういう風に思うことが本当に多かったんですよ。個人的には、やっぱりラストですね。ラストのラスト。「そしてまた人間」というパートで。でも人間はやっぱりこういうことを繰り返すんだ、っていうところに落ち着いていくんですけど。それがですね、やはり非常にキリスト教的な、その罪、原罪というか、そういう捉え方で……性のあり方とかですね、そういうものは、多分に社会的なものだ、という風に僕の考え方では思うわけです。特にやっぱり、たとえば劇中で何度も描かれるレイプ。男性の性の、暴力的なあり方であるとか。

暴力で人を抑え込んで、ということとセットになった性のあり方っていうのはこれ、多分に社会的な仕組みの産物でもある、という風に僕は思っていて。なので、社会から隔絶したところで育った人間も、同じ暴力、権力、性欲のあり方を繰り返すんだっていう、この「本能」論みたいなものには、完全に同意できない、っていうか。これ、この本能論は、なんなら非常に危険というか。これを本能的なとこに落とし込んでしまうのは、やっぱりそういうものの肯定にもなりかねないし……ということです。

なので、セクハラ・暴力問題というのは別にしても、僕はここは全く同意できないところだったし。まして、そういうところは……まあ本人はもちろん否定しているから本人の立場とは違うのかもしれないけど、その(セクハラや性暴力の訴えが出ている)最中で、っていうところで、ちょっとこの結論は俺はよくないと思う、という感じにすごく思ってしまいました。まあ「個人的には、個人的には」っていう言葉がすごく多くなってしまって申し訳ありませんが、個人的にはキム・ギドク作品はやっぱり、個人の情念に焦点を当てた「クローズアップ作品」の方が、僕は良作が多いような気がしておりますが。でも、これさえも言っちゃえば、たしかに近視眼的な視点かもしれない。

■悩みながらの評。ただし、この時期に日本で公開されている以上、一見の価値はある

まあ、ある1人の作家のね、「こっちがよくてこっちがダメ」って言ってもしょうがないところかもしれないし。今後、ちょっとキム・ギドクはたぶん、もう韓国では映画は撮れない、撮らない、ということでしょうから。あれかな、ロシアに拠点を移したのかな? もうすでに新作の準備もできているようですが。ちょっと作家としての動向……もちろんその作り手の人間性の部分と作品のあり方、簡単に僕も答えを出せている部分ではないので、悩みながらの評ではありましたが。

ただ、この時期にやっぱり、少なくとも日本で公開されている以上は、一見の価値のある作品でございました。いろいろと騒動があって見づらい状況ではありましたが、いずれ、というの含めて、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『スウィング・キッズ』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!◆TBSラジオ『アフター6ジャンクション』は毎週月-金の18:00~21:00の生放送。


「追悼 ビル・ウィザース~困難な時代を生き抜くための歌」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/04/10)

「追悼 ビル・ウィザース~困難な時代を生き抜くための歌」

追悼 ビル・ウィザース~困難な時代を生き抜くための歌http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200410123206

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

高橋:本日の特集はこちらです。「追悼 ビル・ウィザース~困難な時代を生き抜くための歌」。

スー:うーん、亡くなってしまいましたね。

高橋:アメリカのソウルシンガー、ビル・ウィザースが3月30日、心臓疾患の合併症のために亡くなりました。81歳でした。ビル・ウィザースは1971年にデビューして1985年に引退するまでグラミー賞を三度受賞。2015年にはロックの殿堂入りを果たしています。スーさんも大好きなアーティストですよね。

スー:いやー、人はいつか亡くなってしまうわけだけど……でもちょっとショックでしたね。

高橋:びっくりしましたよね。ビル・ウィザースがポップミュージックの歴史やアメリカ社会のなかでどんな存在だったのかは、バラク・オバマ前アメリカ大統領がTwitterに投稿したビル・ウィザースの追悼コメントにわかりやすいので引用したいと思います。

「ビル・ウィザーズは真のアメリカの巨匠だった。労働者の日々の生活の喜びや悲しみに根差した彼の音楽は、魂がこもっていて、賢明で、人生に前向きになれる、困難な時代を生き抜くための完璧な強壮剤だった」

我々アメリカ国民はビル・ウィザースの音楽に励まされ続けてきました、ということですね。

スー:まさにいま、このタイミングで必要な歌だったんだよね。

高橋:まったくその通り。ソウルミュージックにお詳しい方なら、このオバマ前大統領のコメントからビル・ウィザースのある特定の楽曲を連想すると思います。スーさんはわかりますよね?

スー:わかります。

高橋:その曲は、1972年にリリースされた「Lean On Me」。当時アメリカのチャートで1位になった大ヒット曲にしてポップ音楽史に残る名曲です。この「Lean On Me」のタイトルは「僕を頼って」という意味になるんですけど、歌詞はビル・ウィザースが生まれ育ったウェストバージニア州スラブフォークというアメリカ南部の小さな炭鉱の町で暮らす人々にインスパイアされたそうなんです。まずはどんなことを歌っている曲なのか、歌詞の大意を紹介したいと思います。

「生きていれば誰だって痛みや悲しみを抱えるときがある。だけど僕たちは学んできた。明けない夜はないということを。強くいられないとき、弱気になってしまったときは僕を頼ればいい。僕が君の友達になって前に踏み出す手助けをするから。どうか僕を頼ってほしい。きっとそう遠くないうちに僕も頼れる誰かが必要になるから」

スー:持ちつ持たれつ、ということだよね。

高橋:そう。困ったときはお互いさま。支え合い、助け合いの大切さを説いた歌なんですよ。「Lean On Me」は1972年にリリースされて、ベトナム戦争やさまざまな社会運動を経て疲弊しきっていた当時のアメリカ国民の心の支えになったと言われています。そして先ほど紹介したオバマさんの「困難な時代を生き抜くための完璧な強壮剤」という言葉通り、以降なにか有事が起こるたびに歌われて人々を励ましてきた曲で。それはアメリカ同時多発テロのときだったり、ハリケーンカトリーナのときだったり。

そしてさっきスーさんが言っていたように、まさに現在、たったいまですよ。新型コロナウイルス禍のなかでも、この「Lean On Me」が希望と連帯のアンセムとして歌われていたところだったんです。オバマさん言うところの「完璧な強壮剤」としての「Lean On Me」の力に改めて注目が集まっていたタイミングでビル・ウィザースが亡くなってしまったから、それだけにショックも大きくて。いまこそあなたの歌が必要なときだったのに。

スー:そうだね。でも、歌は残るからね。

高橋:うん。今日はそんな「Lean On Me」を1973年、ニューヨークのカーネギーホールで収録されたライブバージョンで聴いていただきたいと思います。いままさに必要とされている歌です。

M1 Lean On Me(Live) / Bill Withers


※リンクの動画はスタジオバージョンです

スー:繰り返しになっちゃうけどさ、本当にいまこそ必要な曲だよね。

高橋:そうね。「Lean On Me」は『生活は踊る』でも番組開始直後の熊本地震のときにオンエアしているんですよ。つい先日、今年の3月11日にも東日本大震災から9年を迎えたタイミングで選曲したばかりで。本当に有事に必要とされる歌なんですよね。

ビル・ウィザースには、この「Lean On Me」のようなここぞというタイミングで力を発揮する歌、日々の生活のなかで力を与えてくれる曲がたくさんあって。基本的に市井の人の視点を持ったシンガーだったんですね。そんな彼の数ある傑作のなかから次に紹介したいのは、1977年にヒットした「Lovely Day」。

スー:名曲だね。

高橋:CMソングとして使われていたり、いろいろなアーティストにカバーされたりサンプリングされたりしているから、きっとご存知の方も多いと思います。この曲のタイトルは「素晴らしい日」という意味。歌詞はこんな内容になります。

「朝がやってきて目が覚めると陽射しが痛いぐらいにまぶしくて、なんだか急に重いものが心にのしかかる。目の前にある一日を過ごすことがとても耐えられないように思えてきて、いつも自分以外の誰もが答えを知っているような気分になる。でも、君を見れば僕の世界はもうなんの問題もない。君を見れば今日が素敵な一日になるということがわかるんだ」

スー:「Then I look at you♪」だよね。

高橋:そうそう、まさにそれ! ここで歌われている「君を見れば今日が素敵な一日になるということがわかる」の「君」は別に恋人や家族じゃなくてもいいと思うんですよ。たとえばペットでもいいし、ベランダの植木でもいい。

スー:自分の推しのアイドルでもいいよね。

高橋:まさにまさに。お気に入りのラジオ番組でもいいと思うんですよ。

スー:おおっ、いいこと言う!

高橋:フフフフフ。だからもしこの状況のなかで不安な気持ちにさいなまれるようなことがあったら、自分が好きなものや愛するものに触れるなり思いを馳せるなりして、なんとか一日を乗り切っていこうという。ビル・ウィザースが「Lovely Day」で歌っているのは、そういうメッセージだと解釈しています。

M2 Lovely Day / Bill Withers

高橋:堀井さん、なんか盆踊りみたいな振りで踊っていませんでした?

堀井:この曲に合わせて炭坑節を踊っていました(笑)。

高橋:アハハハハ!

スー:いやー、今日の天気にぴったりだね!

高橋:やっぱりこの曲は無条件で気分が上がるよね。ちなみに「Lovely Day」は『生活は踊る』で過去2回オンエアしたことがあるんですけど、それが2017年と2019年の新年最初の放送なんですよ。

スー:おおっ!

高橋:ビル・ウィザースの曲はここぞというときにかけたくなるものが多いことを改めて痛感しましたね。

さて、ここからは現在の音楽シーンにおけるビル・ウィザースの影響力について触れておきたいと思います。ビル・ウィザースに関する直近の大きなトピックとしては、2018年9月にふたりのシンガーが偶然同じタイミングでビル・ウィザースのカバーアルバムをリリースしているので紹介したいと思います。いずれも夜に家で過ごすときのBGMとして最適なロマンティックなラブソングを選んでみました。

*まずはミネアポリス出身のシンガー、ホセ・ジェイムスがジャズの名門ブルーノートから発表したアルバム『Lean On Me』から、ビル・ウィザースがジャズサックス奏者のグローヴァー・ワシントン・ジュニアと共演した1981年のヒット曲「Just The Two of Us」のカバーを聴いてもらいたいと思います。これは90年代に久保田利伸さんもカバーしていた曲ですね。

M3 Just The Two of Us / José James

スー:いやー、名曲しかない!

高橋:いつ聴いてもうっとりしちゃうよね。続いては、これもホセ・ジェイムスの『Lean On Me』と同じ2018年9月にリリースされた作品。アトランタ出身のR&Bシンガーでグラミー賞にもノミネートされたことがあるアンソニー・デヴィッドのアルバム『Hello Like Before: The Songs Of Bill Withers』より、ビル・ウィザースの1977年の作品「I Want You To Spend The Night」のカバーを聴いてもらいたいと思います。これはブラジリアンなアレンジに注目していただけたらと。後半のサンバに転調するところがめちゃくちゃ気持ちいいんですよ。

M4 I Want You To Spend The Night / Anthony David

高橋:ビル・ウィザースについてはまさに昨日、ヒップホップバンドのザ・ルーツのメンバーのクエストラヴが『Rolling Stone』に寄稿した追悼文が公開になっていて。非常に印象的だったのは、クエストラヴは以前より「ビル・ウィザースはアフリカンアメリカンのアーティストとしては稀有な『普通の人』だった」と言っているんですね。「私たちアフリカンアメリカンのアーティストは超人的な才能、原始的な才能を求められることが多く『普通』でいられることがむずかしいのだが、ビル・ウィザースは違っていた。彼は黒人にとってのブルース・スプリングスティーンのような存在だった」と。

これはクエストラヴの指摘通りで、実際ビル・ウィザースはショウビジネスの世界と肌が合わなくて1985年にリリースしたアルバム『Watching You Watching Me』をもって引退しているんですよ。だから実質的な活動期間はわずか14年。隠居してからはロサンゼルスで大工仕事などをしながら家族とのんびり過ごしていたそうなんですけど、とにかく俗気がない人で。今回いろいろなアーティストのビル・ウィザースに寄せる追悼コメントでを見ていても、やっぱり「謙虚」という言葉が目立つんですよね。

そういうビル・ウィザースの平凡な一市民の目線で歌うソウルミュージックは、きっと皆さんの生活の素晴らしいサウンドトラックになると思います。この機会に、ぜひ彼の音楽に触れてみてください。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

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当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

4月6日(月)

(11:06) Let Me Be The One / Carpenters
(11:23) Last Night I Didn’t Get to Sleep at All / The 5th Dimension
(11:36) Jolie / Tony Orland and Dawn
(12:11) Fly On / Al Kooper
(12:21) Feelin’ Stronger Every Day / Chicago
(12:51) 生まれた街で / 荒井由実

4月7日(火)

(11:06) Aretha Franklin & George Michael / I Knew You Were Waiting (For Me)
(11:30) Steve Winwood / Higher Love
(11:38) Fine Young Cannibals / She Drives Me Crazy
(12:10) Terence Trent D’Arby / Wishing Well
(12:22) Simply Red / The Right Thing
(12:48) チャゲ&飛鳥 / 恋人はワイン色

4月8日(水)

(11:06) John Lennon / Stand By Me
(11:25) Ringo Starr / Only You (And You Alone)
(11:37) Wings / Listen to What the Man Said
(12:09) George Harrison / You
(12:21) Billy Preston / My Sweet Lord

4月9日(木)

(11:03) Rhythm of The Blues / Lord Creator
(11:35) Luck Will Come My Way / Winston Samuels
(12:09) How Many Times / Owen & Leon Silvera & Roland Alfonso
(12:18) Sit Down Servant / Jackie Opel
(12:49) A Little Dance Ska / EGO-WRAPPIN’

4月10日(金)

(11:07) Message in Our Music / The O’Jays
(11:22) Tell the World How I Feel About ‘Cha Baby / Harold Melvin & The Blue Notes
(11:36) I Swear You’re Beautiful / Archie Bell & The Drells
(12:09) This Song Will Last Forever / Lou Rawls

宇多丸、『スウィング・キッズ』を語る!【映画評書き起こし 2020.4.10放送】

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 TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『スウィング・キッズ』2020221日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『スウィング・キッズ』

(曲が流れる)

大ヒット韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』のカン・ヒョンチョル監督最新作。朝鮮戦争最中の1951年、捕虜収容所で結成された寄せ集めのタップダンスチームが、立場や人種、イデオロギーを越えて絆を深めていく姿を描く。捕虜ながらタップダンスに魅了されていく主人公のロ・ギスを演じるのは、人気K-POPグループEXOのメンバー、D.O.さん。チームを引っ張る元タップダンサーの黒人下士官ジャクソンを演じるのは、ブロードウェイミュージカルの最優秀ダンサーに授与されるアステア賞の受賞者であるジャレッド・グライムスさん、などなどといったところでございます。

ということでね、この『スウィング・キッズ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、通称<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールやおハガキなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「少なめ」。とはいえ、これはまず公開から結構時間が経っていますからね。221日から日本公開されて、そこからコロナウイルスの感染拡大騒動があって、なかなか見づらい状況になった中で……しかも今週は火曜日、というか水曜日からはもう映画館が(47日火曜日の緊急事態宣言を受けて)休館になっちゃっているところなわけで、現状を考えれば、かなりこれは健闘している方でしょう。

そんな中、「(このコーナーをやってくれていることに)感謝の気持ちを伝えたい」という初メールがちらほら届いておりました。こちらこそ感謝でございます。賛否の比率は、ほぼ全てが褒めの意見という。「今年ベストの1本! 生きる喜び、自由の象徴としてのダンスシーンが素晴らしい」「クライマックスのショーには大興奮。たたみかける編集も素晴らしい」「衝撃の結末に劇場が静まり返っていた。イデオロギーの危険さや人間の愚かさについて考えさせられた」というものなどがございました。ただ、結末に対して納得がいかず怒ってる人もいました、ということでございます。

まあ、このご時世的に、この抑圧された人間がダンスで、せめて何かを発散するというか昇華してゆく、というところもやっぱりちょっと、感情的にさらにエモくなっているところもあるのかもしれないですね。

■「どうかこの映画のタイトルを覚えていてほしい。」(byリスナー)

じゃあ、こちら。封書でいただいたお便りでございます。「きんどこ」さん。「メールでお送りする環境にないものですから、書面で失礼いたします」。いえいえ、ありがとうございます。

……素晴らしい映画でした。見た後に呆然としたのは初めてでした。よく『刺さった』とかそんな言い方をしますが、心臓をえぐられるような気持ちになりました。自由と、それを奪われることとは、なんと辛いことなのかと思いました。自分の内にある鼓動、ビート、リズム、それに則って生きていければ。生きる歓びはそこにしかないんじゃないかと思わずにはいられません。でも人間にはそれが難しい。教育されてしまうから。これを急いで書いています。なぜなら明日にでも映画館は休業してしまう」。これ、47日に書いていらっしゃる。

……映画時評をやっても見られなくなってしまう。それは仕方のないことですが、ただどうかこの映画のタイトルを覚えていてほしい。そしていつか、配信とかレンタルとかで見る機会を得た時に、どうか多くの人にこの映画を見てほしいと願ってやみません。宇多丸さんがどんな評をされるにしても、この映画を取り上げることで、今は映画館で見ることがかなわなくても、タイトルが皆さんの記憶に残るなら、映画評の意義があるなと思います。本当に素晴らしい映画でした」というお便りをいただきました。

あと、複数の方から「とにかくこの機会に『スウィング・キッズ』が見れてよかった」という感謝のメールをいただいて。こちらこそ、ありがとうございますっていう感じですね。一方ですね、「ミスターホワイト」さん。「短くまとめると年間ベストワン級で興奮アンド号泣で、主人公たちを大好きにさせておいてからの、あの結末! 許すまじ!」ということで。まあ、ちょっとネタバレも含みますので飛ばしますけども、とにかくめちゃくちゃ思い入れた結果、あまりに苦いというか厳しい結末に……というところで。だから本当に評価をされているがゆえの、思い入れているがゆえの怒り、というようなメールをいただきました。

■「舞台化してもよさそうだな」って思って見ていたら、順番が逆。元は2015年のミュージカル

というところで、『スウィング・キッズ』。行ってみましょう。私もまずシネマート新宿と、あとはギリですね、コロナで皆さん休業される前日にTOHOシネマズ錦糸町で、2回、見てまいりました。行ってみましょう。

まあ日本公開直後から、非常に熱いリスナー推薦メールを多数、いただいておりました。脚本・監督は、なにしろあの2011年の名作『サニー 永遠の仲間たち』の、カン・ヒョンチョルさん。僕は前の番組時代の201277日、公開当時に評をして、もちろん大絶賛しましたし。その後ね、『サニー』はアジア各国でリメイク、日本でも2018年に大根仁さん監督版が作られた、というのも記憶に新しいあたりですけども。

で、まあとにかくね、カン・ヒョンチョルさん監督作としては……その後ね、『タチャ~神の手~』という、これも面白かったですけどね。ただね、今回の『スウィング・キッズ』、ミュージカル要素が強い、笑えるコメディであり、切ない青春映画でありつつ、背景には韓国近現代史のハードな現実がドスンと横たわっていて、最終的にそれを踏まえた現在と過去がほろ苦く交錯する、という構造などですね、今回の『スウィング・キッズ』も、やっぱり実は『サニー』とより通じる部分が多い作品かな、という風に思います。あとね、パク・チンジュさんっていう、『サニー』の「罵り娘」っていうあれで出ていた方、そのパク・チンジュさんが今回、「リンダ」という英語名のあの役で出ていたり。

あとは一瞬ですけども、チョン・ウヒさん、これは『サニー』でイ・サンミっていう、あのちょっとグレちゃった子を演じていた方、たぶん振り返ったのはあれ、チョン・ウヒさんですよね? 振り返った、「奥さんかな?」と思ったら……っていうね。まあ、それはいいんですけど。

はい。脚本・監督カン・ヒョンチョルさんの、『タチャ』以来4年ぶりの新作、という2018年のこの『スウィング・キッズ』。「これ、舞台化してもよさそうだな」って思って見ていたら、順番が逆で。元がですね、『ロ・ギス』というこの主人公の名前がついた、2015年の舞台のミュージカルが元になっているという。

今回の劇中にも出てくる、巨済(コジェ)捕虜収容所の捕虜たちが「自由の女神のでかい張りぼて像の前で仮面を被って踊っている」という様子が撮られた、当時の写真があるわけですね。従軍記者が撮った写真があって。そこからインスパイアされた、というお話らしいですけど。パンフにも寄稿されているライター・翻訳家の桑畑優香さんの監督インタビューによれば、元の舞台はその主人公とお兄さんの兄弟愛がメインだったというのを、映画版ではですね、対立する立場の人々がダンスでひとつになるという物語に(してあって)、北朝鮮軍の捕虜と彼にタップを教えるアフリカ系アメリカ人、その価値観の異なるふたりのバディムービーにしたかった、というようなことを語っているということですね。

ではまあ、実際にどんな映画なのか、順を追って話していきますけども。

■実在した巨済島捕虜収容所を巨大なオープンセットでまるごと再現!

まず最初にですね、白黒スタンダードで、古いフィルム風に、映画会社のロゴが出る。これ、アメリカの製作会社、アンナプルナが製作なんだ、っていうことですね。で、そこから、これは当時の本物なのか、それともそれ風に改めて作ったものなのかは分からないですけど、とにかくちょっとプロパガンダ映像みたいなのが流れて、そもそもの朝鮮戦争、これが泥沼化していった経緯が……本当にすごいですね。朝鮮半島で押したり引いたりして、ソウルまで取った、取られたしていて。本当に大変な歴史というのを朝鮮半島の皆さんは味わってきたんだなって、改めて思うけども。

で、そこから生じた大量の捕虜たちが、収容所内でも、北と南の対立から激しい殺し合いになった、という話が……要は本作の前提となる歴史的状況というのが、そのプロパガンダフィルムの形で(説明される)。プロパガンダフィルムですから、大変にわかりやすく説明されていく。それで事実、舞台となる巨済島捕虜収容所……これね、本作では、巨大なオープンセットでまるごと再現されていて。これはもう半端じゃない、エキストラの方の人数感も含めて、それだけでもう圧巻!という感じがしますけども。

とにかく、その巨済島捕虜収容所では、1952年に実際、捕虜たちとその米軍が大規模な衝突をして、米軍が発砲して、大量の死者を出した、というのがあったりとか。あるいは、ことを収めようとした米軍側の司令官が、逆に捕虜たちに身柄を拘束されちゃったりとか。そんないろんな事件があった、本当に起こった、というね。そこがまず最初に語られる。それで、ここからがフィクションのね、本チャンの物語の方なんですが。ロス・ケトルさんというアメリカ人俳優の方が演じる、新しい収容所所長。

これね、サン・ジェソンさん演じるサムシクという、北朝鮮側の捕虜。個人的にはこのサムシクさんが後半見せる表情が、すごく野呂圭介さん似だ、という風に思いながら見てましたけど(笑)。最終的に、とにかく見終わった人みんなに強烈な印象を残すこのキャラクター。本当にまさしく見事な「演技」っていう感じなんだけども。そのサムシクという男を、この収容所所長が、召使いというよりは、ほとんど「ペット」のように扱っている。

まあ、その差別的な意識を持った西洋人、特に白人の方が東洋人を見る視線で、よくある感じだろうな、っていう。要するに、こっちが英語をうまくしゃべれないのをいいことに、ペットのような扱いをしていて。要は、ニコニコしていても、はっきりと感じ悪い!というね。これはまたもちろん、演じられているロス・ケトルさんが非常に絶妙だ、っていうことなんですけども。で、まあその収容所所長のアイデアで、北と南で対立するその捕虜たちに、対外的アピールのためにダンスチームを組ませることになる、ということです。

■超一流ダンサーのもとに凸凹メンバーたちが集まる前半は、ちょっと過剰なぐらい軽いタッチのコメディ

そこでそのリーダーとして、コーチとして、その白羽の矢が立ったのが、かつてはブロードウェイに立っていたという黒人タップダンサー、ジャクソン、というね。これ、演じてるのはジャレッド・グライムスさんという方。もちろん現役の超一流ダンサーであって。特にこれ、監督があちこちのインタビューで語っていることなんですけども、グレゴリー・ハインズという方、皆さん覚えてますかね? 80年代とかに活躍されてました、あのグレゴリー・ハインズの弟子、っていうことなんですよ。

グレゴリー・ハインズ、映画代表作で言うと、『ホワイトナイツ/白夜』っていう1985年の映画がありますが。これ、政治的に対立するダンサー同士の話という意味で、これ今回、カン・ヒョンチョルさんが参考にした、という風にインタビューなどでもおっしゃっている作品ですね。だから「あのグレゴリー・ハインズの弟子か。そりゃあ超一流だ!」という感じですけども。

とにかくその、ジャクソンはですね、渋々……最初は「アジア人にタップは無理だ」とかね、言ってたぐらいで。だから、言われていましたよね。「あなたがレイシズムですか? 皮肉ですね」なんていう風に所長に言われてましたけども。それと同時に、やっぱりこのジャクソン自身が、アメリカ軍内では、もしくはアメリカでは、やっぱりアフリカ系アメリカ人として差別される、はぐれ者でもある、というところがキモにもなってるわけですけど。それでジャクソンは渋々ですね、オーディションを開く。

そこから、『七人の侍』よろしくと言いましょうか、1人また1人と、なんとか集めた……当然タップは未経験なんだけど、ダンス的に見どころあり、という風に思われる、キャラ立ちした凸凹メンバーを鍛えてあげていく、という。この、基本的なお話の構造そのもの、つまり、「落ちこぼれチームの成長と成功」を描くストーリー、というこの構造そのものは、典型的な『がんばれ!ベアーズ』物と言いますか。『がんばれ!ベアーズ』、1976年のアメリカ映画ですけども、『がんばれ!ベアーズ』物っていうのがあるわけですよ。『シコふんじゃった。』でもなんでもいいんですけども。いわゆる『がんばれ!ベアーズ』型の話だと言えますよね。

で、たとえば、彼らが意地悪なアメリカ兵たちと、ダンスバトルを繰り広げる。それもですね、本来はこれ、マイケル・ジャクソンの「Beat It」を流したかったけど使用料が高すぎて、1988年の、韓国産ディスコ歌謡というのかな、チャン・スラさんという方の「歓喜」という曲、これが流れ出して。これに乗せてダンスバトルをする。この、時代考証などをハナから無視してポップミュージックを使う、というやり方は、後ほど言うとある名場面で、さらに効果的に機能していますよね。

まあ『ジョジョ・ラビット』とかにちょっと近い感じだと思ってください。とにかくそういう振り切った、荒唐無稽さもあったりとか。あるいは、先ほど言った原作舞台のインスパイア元となった、仮面をつけて踊る場面。これ、すごくベタベタなドタバタ劇として描かれていたりして。要は前半は、ちょっと過剰なぐらい軽いタッチのコメディとして描かれていくわけです。頬がわざとらしく赤く染まるっていう、あれも『サニー』でもやってたりしましたよね。

グッと悲劇的な色を強めていく後半こそ本作の独自性

まあその『サニー』評の中でも僕、言ったんですけど、このカン・ヒョンチョルさんという監督さん、要はですね、編集とか音楽の使い方を含めて、「映画的なリズム感」がすごくいいので。それでグイグイ見せていくってこととか、あるいはその俳優さんの使い方の上手さとかで、要は、多少無理があるかな……って冷静に考えれば思えるような話も、そうは感じさせずにグイグイと見せてしまう、という手腕があるということですね。なので、まずはカラッと楽しい前半部なわけです。

なんだけど同時に、「いや、でも朝鮮戦争で実際ね、巨済島捕虜収容所の中でもいろんなことが起こっていたとは聞いてるけど、これはいくらなんでもノリが軽すぎなんじゃないかな?」って思って見てると、やっぱりそれは、あえて意図された前半部のバランスなんですね。つまり、ここがカラッとしている分、後ろの重みが効いてくる、という作りになってる。

主人公の旧友、グァングクさんという青年がくる。これを演じているイ・デビッドさんという方。これ、『高地戦』とか、『ポエトリー』のあの子とか。ベビーフェイスが特徴なんですね。あのおなじみのベビーフェイスなだけに、痛々しいにもほどがある姿で彼が登場して以降ですね、物語全体が、グッとこう悲劇的な色を強めていく、と。要は、やはりもうその朝鮮戦争の真っ最中でもありますから、「お前ら、アメリカ人とヘラヘラしてる場合か?」っていうね、同調圧力が強まってくる。それで実際、死体がゴロゴロと転がりだすような状況になってくると、やっぱりそのダンスというのもやりづらくなってくる、というような展開になってくる。

実はこの後半からこそが、この『スウィング・キッズ』という作品の独自性、本領発揮の部分、というあたりだと思います。中でも白眉はやはりですね、今回抜擢されたパク・ヘスさんという女性。まあ本当に、飾りっ気のない品と知性を感じさせて、非常にぴったりだと思います。彼女が演じるヤン・パンネというキャラクターと、何しろ本作は彼のダンススキルとスターとしての吸引力、説得力がありきの作品とも言えると思います、EXOD.O.さん演じるこの主人公ロ・ギス。この2人がですね、別々の場所で、それぞれに鬱屈を抱え、抑圧されながらですね、それでも自由を求める魂っていうのを、全力のダンスで表現する。その切実な心の叫び、2人の動きが、映画的にシンクロする。

しかもそこで彼らがステップを踏む曲は、デヴィッド・ボウイの1983年の「Modern Love」という曲ですね。これね、フィクションならではの飛躍。これにまずハッとさせられますし。これもすごく『ジョジョ・ラビット』的な音楽使いとも言えるかもしれませんけども。この曲の言ってる歌詞、これは宗教のことなんだけども、要は、「押し付けられた思想から自由になるんだ」っていうことを歌ってるこの歌詞に、絶妙にシンクロもしていて。こちらももう、ハートが熱くなる、そして目頭が熱くなる、という、これは本当に名場面になってるなという風に思いますね(宇多丸補足:後から遅まきながら思い出しましたが、この場面、選曲といいカメラワークといい、レオス・カラックス『汚れた血』のあの有名なダンスシーンの、わりとわかりやすいサンプリングでもあったかもしれないですね。脳内検索機能がやはり衰えてるわ、とほほ……)。

■終盤に向けて高まる緊張感。ハートウォーミングな描写も交え、その後の転回をさらに際立たせる

で、こことか、オ・ジョンセさんという方が演じる、カン・ビョンサムというキャラクター。これは要するに民間人でありながら、どさくさで間違って収容されてしまった、北朝鮮側の兵士と間違えられて収容されてしまった方。それで生き別れになった妻を必死に探している男なんですね。ちなみにこうやって間違って収容されてしまうとかね、要するに「お前、アカだろう!」って言われて入れられてしまうとか、そういうことも実際にあったことらしいんですね。で、彼が辛い現実を前に……要は奥さんをずっと探しているんだけども、あまりにも辛い現実を前に、「こんなんだったらダンスを踊っていてもしょうがないじゃん……っていうことで、やめてしまおうとする、というところですね。ここの編集。

彼の足元にポトポトと涙が落ちる。その足元をずっと捉えたまま、ポトポトと涙が落ちたところで、足がカンカンカンッと動き出す。そこで、要するにわざわざ泣き顔のアップとかにしない、という。カットを割ったりとかしないで、そのポトポトと落ちた涙の上をステップが踏む、という。この上品さ、スマートさ、そしてやっぱりその、映画としての構造の美しさ、というか。だからこそ、こちらの涙腺もより刺激される、という。このあたりはもうカン・ヒョンチョルさん、うまいあたりですよね。

一方ですね、この5人いるメンバーの中で、中国人……もちろん中国共産党軍もグーッと入ってきて、朝鮮戦争を戦っていますから。キム・ミノさん演じるシャオパンという中国人のキャラクター。ほとんどセリフがないのに、存在感だけで見せるあたりとかも、すごくメリハリがついていていいと思います。そんなこんなでですね、チームのタップダンスへの意志は強まる一方で、どんどん終盤に向かって……ちょっとしたどんでん返し展開もあったりして。「ええっ!」っていう展開もあったりして。クライマックスのダンスお披露目シーン、これは当然盛り上がりになるわけですけど、権力者同士の思惑も交錯する、という。

要は、いろんなことの緊張感が一点に集約される場になっていく、というね……ダンスショーがクライマックスで、つまりミュージカル的な盛り上がりと、あとはバート・レイノルズの『ロンゲスト・ヤード』にもあったように、権力側から「お前、こうしろよ」って言われているという、この緊張感、体制vs自由という戦いと、さらにはやっぱりその、ある行為を強いられて、それをどうするんだ?っていうサスペンスみたいなものとかが、一点に集約されていく、という。しかも、その手前のところでは……(クライマックスの舞台は)クリスマスパーティーなわけですよね。

ちょっと「クリスマスの奇跡」的な、さりげなくハートウォーミングな描写が続くわけですよ。で、このハートウォーミングな描写それ自体も、めちゃめちゃ感動的だし。それ自体もう泣けちゃう……それまですごく意地悪だったやつが、ちょっとこの日だけは優しい、とかも泣いちゃうし。だからそこを見ていると、「ああ、やっぱりヘイトよりもラブだよな」っていう風に思うんだけども……これもやっぱり、その後の展開をさらに際立てる、という仕掛けにもなっていて。非常に巧みですね。

■クライマックスのステージでは初見時にやや不満あり。しかしそれも最後まで見ると……

ということで、まあこのクライマックスに向けての、盛り上がりのカーブの作り方が上手いし、そりゃあもうむちゃくちゃ……僕、「あ、これはマズい」と思って、ここらへんで慌ててバッグからハンドタオルを取り出しました(笑)。「これはもうオレ、耐えられないやつだ!」と思って。しかもそのね、「耐えられない!」って(涙が)ドッとなる一点が、ちゃんと用意されているわけです。ステージの始まり。そのジャクソンというね、ずっとリードをしてきたキャラクターがですね、要は自分も黒人として、差別を受けてきた。

言われなき差別とか抑圧を受けてきた人々。そして同時に、エンターテイナー、アーティスト。そういう現実と対抗する立場、エンターテイナー、アーティストとして、あらためて誇りを持って宣言する、ある言葉があるわけです。ここからダンスシーンが始まる、っていうところで……これはもう涙腺決壊ですよね! もう目から滝のように、ドーッと泣いてしまって。あと、ものすごくハートも熱くなる!っていうね。「そうだよ!」っていう感じになるという。

要は特にこのご時世、やっぱりいろいろ映画に行くのだって肩身狭い思いしながら見に行って、映画館の席に座ってる時に、「そうだよ! やっぱりアートとかエンターテイメントっていうのはさ、こういう時のためにあるんだよ!」っていう風にね、ガーッとなってくる、というね。ただ、ちなみにこのクライマックスのステージ、たしかにものすごく盛り上がるし、楽しいシーンになってます。

なんだけど僕、これ初見時です、1回目に見た時には、ここは個人的に、「ちょっとこれは、せっかくタップダンスのいろいろな練習の成果を見せる場面なのに、カットを割りすぎだし、ちょっとフィクショナルな見せ方もしている、特撮というか、VFX的なのを使った表現もあったりで、もうちょっとその、パフォーマンスそのものの生のすごさをストレートに見せてくれないかな?」という風に、初見時はちょっとだけ思ったんですよ、正直。

しかしですね、それそらも、ずっと見続けていると、その後のことをちゃんと考えた意図的なバランスだった。ここはあえて、ちょっとフィクショナルに、それこそMTV的なカッティングで見せるという、これはもう完全にカン・ヒョンチョルさんの計算だったんですね。最後まで見るとそれが分かる、という作りになっている。もう、おみそれしました!って感じなんですけどね。このクライマックスシーン、盛り上がりに盛り上がったところでですね、ちょっと多くは語りませんが。

■ムービーウォッチメン休止前の映画がこの作品で、本当によかった!

やはりですね、先ほど僕が言ったように、やっぱり朝鮮戦争、現実なわけですね。朝鮮半島の皆さんが受けてきた苦難……もちろんその根本の部分には、日本という国がしでかしたこととや、そこからね、たとえば「朝鮮戦争特需」とか、知ってるでしょう? 我々は全く無縁じゃないっていうか、本当に申し訳ない……っていうこともあります。とにかく、そういう朝鮮戦争という現実、民族同士が分断され、憎しみ合い、殺し合うというこの歴史の重みから、やっぱり逃げることはできない。というか、逃げない。

これだけエンターテイメントとして楽しめる作品、楽しませようという作品においても、逃げることはできない、というか逃げない、というところに、韓国映画……エンターテイメントであってもこれなんだからな、というところに、凄味を感じる。もちろんね、起こったことがあまりにもひどすぎて、「いや、ちょっと待てよ。これ、いくらなんでも他に手はなかったのか?」って思わなくもないです。ただ、先ほど言いましたように、実際この巨済島捕虜収容所では、米軍の発砲による大量の死者、というのが出ているわけですね。

なので、史実を考えるとやっぱりこれは……というのがあったりします。からの、エピローグですね。これ、『サニー』の時も言いましたけど、その時に、「実はこの『サニー』という作品は、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』に近いんじゃないか」と言いましたけども。まさにそのセルジオ・レオーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』的な、時制の映画的な一瞬の飛躍、ポンと時制が飛んでからの、そこからの、ジャレッド・グライムスさんとD.O.さん、2人のタップダンス。ここのために取っておいたんですね。ここで、タップダンスそのものの力、体が自由に解き放たれる姿……その、ダンスそのものが貴い、歓びであるような感じ。ここのために取っておいた。

それで2人がグワーッと踊ってからの、ボン! とエンドロール。これ(曲名は)はもう言いませんけど、ビートルズの曲が韓国映画で初めて正式に使用された、というエンドロール。タイトルが出て、ドーン!とそのビートルズのそこに行く、というこのね、エンディングのそのリズム感で、またガーンと来る。『サニー』もそうでしたけどね。このカン・ヒョンチョルさんの「映画的リズム感のよさ」はただごとじゃない。で、その劇中の名場面みたいのをしみじみと見る、というね……ドスンと来るし、もちろんその前半部も、普通にカラッと楽しいし。ダンスシーン、ミュージカルシーンも全て楽しいですし。

それと同時に、やっぱり歴史というものを踏まえた深み、重みもある。笑えるし、泣けるし。そして歴史も、僕らなんかね、無知でしたからね。その巨済島捕虜収容所でこういうことがあったって……たしかに朝鮮戦争のなかで捕虜というのはこういうことになった、という歴史も知れて、考えさせられ。そして同時に、この時代においてですね、全く立場も国籍も何もかも違う我々が、勇気さえもらえてしまう、というですね。いや、これはね、もちろんいろいろと後から考えると、「あそこ、もうちょっと何とかできたんじゃないか? なんでこうなるしかなかったんだ?」みたいにも思うけど。

でも、そういうことをリアルタイムでは感じさせない、その腕力も含めて見事な、韓国映画ならではのエンターテインメントじゃないでしょうか。そして、この時世にこそ見てほしい作品でございました。映画館でウォッチするということは一旦、ちょっとお休みとなりますが、それがこの作品で、本当に良かったと思います。皆さん、いずれ映画館が再開した時に、劇場で、もしくはいろんな形で結構です、ウォッチしてください!

(来週はコロナウイルスでの自粛要請を受けて都内の全映画館が休業してしまったため、「リスナー枠取りこぼしウォッチメン」に企画変更。リスナー枠で推薦されていた映画の中で取りこぼした作品、かつ配信などで見られるものの中から選びました。ガチャ回しの結果、来週の課題映画は『ホテル・ムンバイ』に決定)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャ回しパートにて)『Modern Love』で踊るところは、『シング・ストリート 未来へのうた』の、あのね、幻想のミュージックビデオシーンも想起させるところもありましたね。『シング・ストリート』もいいですよ!

 

◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!◆TBSラジオ『アフター6ジャンクション』は毎週月-金の18:00~21:00の生放送。

「天才ソングライター、アダム・シュレシンジャーを偲んで~スクリーンから聞こえてきた魔法のポップソング」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/04/17)

「天才ソングライター、アダム・シュレシンジャーを偲んで~スクリーンから聞こえてきた魔法のポップソング」

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします。「天才ソングライター、アダム・シュレシンジャーを偲んで~スクリーンから聞こえてきた魔法のポップソング」。アメリカのシンガーソングライター/ミュージシャンのアダム・シュレシンジャーが4月1日、新型コロナウイルスの合併症により亡くなりました。52歳でした。

スー:最近続いてますね。

高橋:そうですね。アダム・シュレシンジャーは1967年、ニューヨーク生まれ。1996年にロックバンド、ファウンテンズ・オブ・ウェインのメンバーとしてデビューしているんですけど、正直日本ではそんなに知られていないミュージシャンだと思います。おふたりはご存知でしたか?

スー:好きな映画の音楽で「ああ、このひとが曲をつくってるんだ!」という認知はありました。でも詳しくは存じ上げてないですね。堀井さんは?

堀井:今日これから紹介される映画の曲にいくつか好きなものがあって。「へー、このひとがつくっていたんだ!」という驚きがありました。

高橋:まさにそんな感じだと思うんですよ。アダム・シュレシンジャーの名前は知らなくても、彼が書いた曲は皆さん知らず知らずのうちに耳にしている可能性が高いと思います。いまスーさんと堀井さんがおっしゃていたように、アダムは映画やテレビドラマの音楽を数多く手掛けていて。アカデミー賞やゴールデングローブ賞にノミネートされたことがあるほか、エミー賞を受賞した実績もあるんです。今日はそんな偉大なソングライター、アダム・シュレシンジャーを知ってもらうきっかけとして、彼が映画に提供した素晴らしいポップソングの数々を紹介していきたいと思います。

まずは1996年公開の映画『すべてをあなたに』より、実質的な映画の主題歌、ザ・ワンダーズの「That Thing You Do!」。いろいろなアーティストにカバーされているアダムの代表作です。

『すべてをあなたに』は、俳優のトム・ハンクスの初監督作品。ビートルズがアメリカに上陸した年、1964年のペンシルバニアを舞台に、彼らに憧れる若者たちが結成したロックバンド、ザ・ワンダーズのサクセスストーリーを描いた青春映画になります。

この物語は実話ではなくフィクションなんですけど、フィクションの音楽映画、特に架空のバンドのサクセスストーリーを製作するにあたって必要不可欠なものは、やっぱり魅力的な音楽ですよね。もうこれに尽きると思います。どうしても決定的な一曲がほしい。音楽のクオリティがそのまま映画のクオリティに直結することになると思うんですよ。

だから、こういう架空のバンドの物語を製作するにあたってプロデューサーや監督がソングライターにどんなオファーをしているかというと、その映画の設定に応じた細かい要望はあるかもしれませんが、突き詰めると「名曲お願いします!」「名曲つくってください!」ということになるんじゃないかと思います。言ってみれば「ホームランを打て!」的な無茶なリクエストですよ。でも、そんな無茶なリクエストに応えてきたのがアダム・シュレシンジャーという男であり、そんな彼の会心の一撃といえるのがこの『すべてをあなたに』の「That Thing You Do!」です。

M1 That Thing You Do! / The Wonders

That Thing You Do!

スー:これは売れるよ!

高橋:フフフフフ、だよね。アダム・シュレシンジャーの訃報には監督のトム・ハンクスも自身のTwitterを通じて追悼コメントを発表しています。「アダムと『That Thing You Do!』なしにプレイトーンレコード(劇中でワンダーズが契約したレコード会社)は存在し得なかった。彼はまさに『One-der』だった」と。

そして、この『すべてをあなたに』の出演者がアダムのトリビュートを兼ねた新型コロナウイルスのチャリティーストリーミングイベントのために20年ぶりに再集結することになりました。日本時間の4月18日(土)午前8時より、ワンダーズのYouTube公式チャンネルにて行われるそうです。ワンダーズのメンバーはもちろん、ヒロインのリヴ・タイラーも参加予定とのことなので盛り上がりそうですね。

スー:ねえ!

高橋:続いては、レイチェル・リー・クックが主演を務める2001年公開の映画『プッシーキャッツ』より、ジョシー&ザ・プッシーキャッツの「Pretend to Be Nice」。

『プッシーキャッツ』は、女の子3人組のロックンロールバンド、ジョシー&ザ・プッシーキャッツの活躍を描いたコメディー映画。1970年代にアメリカで放映されていたテレビアニメ『ドラドラ子猫とチャカチャカ娘』を実写映画化したものになります。

この『プッシーキャッツ』のサウンドトラックはパワーポップの名盤としてカルト人気がすごくて。2017年にアナログ化が実現した際にはリリースパーティーも開催されました。

アダムは『プッシーキャッツ』のサウンドトラックにおいて6曲をプロデュース、2曲でソングライティングに携わっているんですけど、これもまた「ホームランを打て!」のリクエストに場外ホームランで応えたような傑作といっていいと思います。

これから聴いてもらう「Pretend to Be Nice」はソングライティングがアダム、プロデュースを務めるのがR&Bシーンの重鎮ベイビーフェイス。これがめちゃくちゃキュートなガールロックで、実際にこんなバンドが存在していたら確実にヲタになっていたと思います(笑)。

M2 Pretend To Be Nice / Josie And The Pussycats

Pretend to Be Nice

スー:かわいらしい曲だね!

高橋:ね、かわいくてかっこいいんだよな。では3曲目、2007年公開の映画『ラブソングができるまで』より、ヒュー・グラントとヘイリー・ベネットのデュエット曲で「Way Back Into Love」。この映画はスーさんも堀井さんも大好きですよね?

スー:大好き!

堀井:大好きでーす!

スー:たぶん、この映画でアダムの名前を知ったんだと思うよ。

高橋:そっかそっか。『ラブソングができるまで』はヒュー・グラントとドリュー・バリモアのダブル主演で当時話題になったんですよね。人気シンガーへの楽曲提供でカムバックを図る元ポップスターと、成り行きで彼の曲作りを手伝うことになった植木世話係の女性との恋の行方を描くラブコメディです。

この映画は、これから聴いてもらうアダム書き下ろしの「Way Back Into Love」をヒュー・グラントとドリュー・バリモアがつくり上げていく過程が物語の軸になっていて。苦い過去を持つふたりがそれを乗り越えて心を通い合わせる、その結晶が「Way Back Into Love」なんですよ。

だから当然この「Way Back Into Love」は映画のクライマックス、ここぞという場面で流れるわけなんですけど、これはもう名曲じゃないと物語が成り立たない。

スー:ねえ。本当に!

高橋:だから製作側としてはまさに「アダムさん、またホームランお願いします!」という局面だったわけなんですけど、アダムはまたしてもそんなむちゃくちゃな要求にバックスクリーン直撃のホームランで応えたという。アメリカの『Billboard』は、このアダムの仕事に対して「fictional-songwriting GOAT」(最高のフィクショナルソングライター)との賛辞を捧げています。

M3 A Way Back Into Love / Hugh Grant & Haley Bennett

オリジナル・サウンドトラック ラブソングができるまで

高橋:フフフフフ、ふたりとも体を揺らしながら聴いてますね。

スー:いやー、映画の感動を思い出すね。

高橋:このシーンがまた泣けるんだよねえ。

スー:本当にここぞ!ってシーンでかかるんだよね。もうこれ以上はないっていう。

堀井:私のiPodに入っている数少ない洋楽のひとつがこの曲で。アダム・シュレシンジャーさんは私のiPodのなかで生きています。

高橋:堀井さん、素晴らしい! アダムは『ラブソングができるまで』のサウンドトラックに「Way Back Into Love」を含めて3曲提供しているんですけど、なかではヒュー・グラントがかつてヒットさせたという設定の「Meaningless Kiss」がもろにジョージ・マイケルの「Careless Whisper」をモチーフにしていて最高なのでぜひ。

この『ラブソングができるまで』の監督のマーク・ローレンスはその他の監督作品、たとえば『トゥー・ウィークス・ノーティス』や『噂のモーガン夫妻』でもアダムの楽曲を使用していて。こんなところからも映画業界におけるアダムの信頼の厚さがうかがえると思います。

そして、このマーク・ローレンスと共にアダムの才能に惚れ込んだ映画監督には2018年の『グリーンブック』でアカデミー賞作品賞を受賞したピーター・ファレリー監督、ファレリー兄弟がいます。日本でも人気が高いファレリー兄弟の一連のラブコメ映画、『メリーに首ったけ』『ふたりの男とひとりの女』『愛しのローズマリー』『2番目のキス』など、アダムはこのすべてに楽曲提供しているんですよ。

最後の曲はこの映画のなかから、ジム・キャリーとレニー・ゼルウィガーが主演した2000年公開の『ふたりの男とひとりの女』よりアイヴィーの「Only a Fool Would Say That」を聴いてもらいたいと思います。アイヴィーはファウンテンズ・オブ・ウェインと共にアダムが率いていたバンドですね。

『ふたりの男とひとりの女』のサウンドトラックは基本的にスティーリー・ダンのカバー曲で統一されたコンセプチュアルな内容になっていて、この曲もスティーリー・ダンの1972年の作品のカバーになります。だからこれまでの3曲とちがってアダムが書いた曲ではないんですけど、音楽通で知られるファレリー兄弟の眼鏡にかなったアダムのポップセンスはこのカバーでも十分に発揮されています。

M4 Only A Fool Would Say That / Ivy

ふたりの男とひとりの女

高橋:以上4曲、これだけの名曲を映画に提供してきたアダムですから、本業のバンドの曲が悪いわけがなくて。ファウンテンズ・オブ・ウェイン、アイヴィー、ティンテッド・ウィンドウズなど、アダムが率いたバンドの作品もまさにポップミュージックの魔法が堪能できる傑作ぞろいなのでぜひこの機会にチェックしてみてください。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

4月13日(月)

(11:06) Hysteria / Def Leppard
(11:23) Feels So Good / Van Halen
(11:35) I’m Gonna Miss You / Kenny Loggins
(12:12) Hungry Eyes / Eric Carmen
(12:24) One More Day / Chicago
(12:52) バスケットボール / 岡村靖幸

4月14日(火)

(11:08) 堀込泰行 / サンシャインガール + SKIRT
(11:36) Todd Rundgren / Long Flowing Robe
(12:13) Emitt Rhodes / Fresh as a Daisy
(12:23) Colin Blunstone / She Loves the Way They Love Her
(12:50) Nilsson / Gotta Get Up

4月15日(水)

(11:06) Shout to the Top! / The Style Council
(11:38) Don’t Be Scared of Me / The Blow Monkeys
(12:13) I’m Your Man / Wham!
(12:23) When Smokey Sings / ABC
(12:50) Young Bloods / 佐野元春

4月16日(木)

(11:05) Three Little Birds / Bob Marley & The Wailers
(11:36) Can’t Go Through with Life / Marie Pierre
(12:13) 6 Sixth Street / Louisa Mark
(12:23) Some Guys Have All the Luck / Junior Tucker
(12:52) 昔の彼に会うのなら / 松任谷由実

4月17日(金)

(11:05) Feel Like Makin’ Love / Roberta Flack
(11:28) Cause You Love Me Baby / Deniece Williams
(11:40) One Love in My Lifetime / Diana Ross
(12:11) Promise Me Your Love / Margie Joseph

宇多丸、『ホテル・ムンバイ』を語る!【映画評書き起こし 2020.4.17放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ホテル・ムンバイ』(2019年9月27日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。改めまして、昨年のリスナー枠で当たらなかった作品を扱うリスナー枠取りこぼしウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『ホテル・ムンバイ』

(曲が流れる)

2008年、インド・ムンバイ同時多発テロの際、テロリストに占拠されたタージマハル・パレス・ホテルの悲劇を映画化。テロリストによって500人以上の宿泊客と従業員が人質に取られる中、宿泊客を逃すためにテロリストに立ち向かうホテルマンの1人を、『スラムドッグ・ミリオネア』などのデブ・パテルが演じるほか、部屋に取り残された子供を救出するために行動を起こすアメリカ人旅行客役として、『君の名前で僕を呼んで』などのアーミー・ハマーも出演。監督は、本作が長編初監督作となるオーストラリア出身のアンソニー・マラスさん、ということでございます。

ということでね、初のリモート放送ウォッチメンでね、本当に「ラジオ、できるかな」という状態でお送りしますが。

ということで、この『ホテル・ムンバイ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通よりちょい少なめ」です。まあね、ちょっと見られる環境がある方、ない方いらっしゃるでしょうしね。あと、このご時世的に、ちょっと『ホテル・ムンバイ』を見るのはキツいかな?っていう方もいらっしゃるかもしれないですね。

でも、賛否の比率は、9割が褒めの意見。「忘れられない1本。今年のベスト」「上映中、ずっと緊張感が続き、見終わった後には疲れ果てていた」「実話ベースなのにちゃんと映画としての面白さもある」「テロリスト側の描き方もフェア。だからこそテロの虚しさやテロを生み出した社会への憤りが湧いてくる」という意見が多かったということです。一方、「もう少しホテルマンたちの葛藤を描いてほしかった」といった声もありました。

■「でも、あの南ムンバイの小さな映画館に行くことはたぶんもうないと思います……」(byリスナー)

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「れいれいれいら」さん。「私は外資系の会社勤務で年に3、4回のインド出張があり、ムンバイに数ヶ月、住んでいたこともあります。昨年の秋、珍しく日本公開から少し遅れてインドで本作が公開され、ちょうどそのタイミングでムンバイ出張があったため、せっかくだから現地で見ようと見逃していた本作を見に行きました」。うわあ、ムンバイ現地で『ホテル・ムンバイ』!

「……しかも、ちょうど惨劇の舞台となってしまった南ムンバイ、タージマハル・ホテルのすぐ近くの小さなショッピングモールの映画館で英語版が上映されているとのこと。『映画の前後にタージマハル・ホテルにも寄って行こうかな』ぐらいの軽い気持ちでタクシーを使い映画館に向かいました。映画が始まり、私は冒頭からいきなり恐怖で震え上がりました。テロリストたちがタクシーを走らせる道。それは私がたった今、通ってきた道と全く同じで、彼らがタクシーの窓から見ていた光景は私がついさっき、ぼんやりと眺めていた景色と完全に重ったからです。

とてもない臨場感と共に、自分が見慣れた光景が破壊され、普通の少年たちがアサルトライフルで人を殺しまくる光景が本当に怖くてたまりませんでした。また、テロリストの少年たちの言動も『理解できない』というよりは細部まで納得がいってしまうもので、特に豚肉をうっかり食べた・食べないのジョークのくだりのシーンはいかにも現代の普通のムスリムの少年たちの悪ふざけっぽくてゾッとしました。『機動隊はまだデリーにいる』と聞いた時は、私もインドに住んだことがあるからこそ伝わってくる『それは間に合わないな……』という絶望感がありました。

普段、よくも悪くも純粋で信心深いインド人が働いているからこそ、ホテルスタッフたちの身を呈して行いは決して映画のための誇張だとも思えなかったし、デブ・パテル演じるシーク教徒のホテルスタッフがあっさりターバンを外したシーンは(その信仰の重さを知っている分)胸に迫るものがありました。映画が終わり、帰りには予定通りタージマハル・ホテルに立ち寄ってみましたが、そこには映画と同じデザインの制服で笑顔で私を迎えてくる従業員と、まるでなにもなかったかのように佇む美しいホテルの姿がありました。

インドの映画文化は本当に素晴らしく、私は出張のたびにインドの最新設備の映画館で映画を見るのをいつも楽しみにしていました。いつかコロナが収束したら、またインド出張に行き、映画館にも行けるでしょう。でも、あの南ムンバイの小さな映画館に行くことはたぶんもうないと思います。『ホテル・ムンバイ』鑑賞は私にとって最も忘れられない映画体験のひとつになりました」というね。これはすごいですね。「シアター一期一会」として、これは強烈な体験だったと思います。れいれいれいらさん、ありがとうございます。

一方、「たくや・かんだ」さん。「『ホテル・ムンバイ』、見ました。ホテル内でのハラハラドキドキ感もすごかったし、重要登場人物があっさりと○○になってしまう様も、まさに現実の事件をベースにした作品という感じでした」という。それでいろいろと書いていただいて……「ひとつ、不満があるとしたら、客の命を守るホテルマンたちがあまりにヒーロー然としていることでしょうか。いくら『お客様は神様です』と言っても、映画的にはもう少しホテルマンたちの迷いを描く場面があればな……と思いました」。

ただまあね、「家に帰っていいですか?」っていうんでね、苦渋の思いで帰る方もいたりとか。あとはやっぱりその、お客のことをずっと慮っていったあの女性従業員、なのに……っていう描写もあったりしてね。そこはなんか、決して言葉は多くはないけれど、描かれてる部分もあったかな、という風に個人的には思ったりしますが。とはいえ皆さんね、基本的には本当に褒めのメールばかりでした。ありがとうございます。

■近年多い実在のテロ事件を当事者視点で描いた作品。本作の元になった事件もすでに2作映画化。

といったあたりで『ホテル・ムンバイ』、私も今回このタイミングで、Blu-rayをあえて取り寄せて、自宅で拝見いたしました。

2008年、インドのムンバイで実際に起きた同時多発テロを題材にしているということで。本作のようにですね、近年……特にやっぱり2001年の9.11、アメリカ同時多発テロ後、その後数年経ってから、要は製作側や観客側の精神的なほとぼりが冷めてきて以降、実際にあった多数の死者が出たテロとか、あるいは紛争が起こったという、そんな残酷な事件などをですね、多くは無力な一般人である当事者に寄り添った視点で、リアルに生々しく切り取った映画というのが、明らかに増えている、というような感じがします。

9.11で言えばやっぱり、『ユナイテッド93』とかね、あのあたりもそうでしょうし。あとは今回の『ホテル・ムンバイ』同様、「ホテルマンが体を張って、半端じゃなく暴力的な事態から人々をできる限り守ろうとする」という話として、やはりこれは1994年のルワンダ大虐殺を描いた、2004年の『ホテル・ルワンダ』とか、このあたりが当然まず頭に浮かびますし。あとはまあ、僕のこの映画時評コーナーで扱ったもので言えば、前の番組時代、2018年3月3日に扱った、クリント・イーストウッド監督の『15時17分、パリ行き』。これはね、2015年にオランダ~パリ間の鉄道の中で実際に起こった無差別テロ、これを扱った作品なんかもありました。他にもね、『キャプテン・フィリップス』とかね、枚挙に暇がない感じなんですが。

それでこの、2008年に起こったムンバイ同時多発テロ。その中でもこのタージマハル・パレス・ホテル、ムンバイが誇る五つ星の最高級ホテルでの無差別大量殺人、および立てこもり事件っていうね、これを題材に撮った映画というのも、実は今回扱う、これは2018年のオーストラリア・アメリカ・インド合作の『ホテル・ムンバイ』以前にもですね、僕が知る限りでもすでに2本、映画が作られてるわけですね。まずは2015年のフランス映画で、これは日本タイトルが『パレス・ダウン』っていうね。原題はズバリ、『Taj Mahal』っていうタイトルで。これは、宿泊客の18歳のフランス人少女の視点に、ほぼ絞った作りになっている。最後の方、階下の女性と窓越しに励まし合うところとか、ここなんか、なかなかいい作品でしたけどね。

あとはまあ、2017年にはオーストラリアとネパール合作、これ、日本語タイトルは『ジェノサイド・ホテル』、原題が『One Less God』というね。こちらは群像劇で、テロリスト青年側の描写もそれなりに割いてあるという、比較的今回の『ホテル・ムンバイ』にも近い作りになっている作品で……なんだけど、まあ全体に割とまったりとしたテンポと、妙にスピリチュアルなノリというか語り口が特徴的な1本だったりして。まあ、それぞれに描き方の角度が違うのはこれ、当然です。要するに事件に遭った方がいっぱいいらっしゃいますし、どういう角度から切り取るか、があるのは当然として。

個人的にはやはり今回の『ホテル・ムンバイ』が、メッセージ性のバランスや、エンターテインメントとしての質の高さなどなど、その過去の二作と比べても、段違いで突出した作品であるのは明らかであるような気がしますね。という風に思います。

■ジャンル的に近いのはグランド・ホテル形式のパニック映画、もしくは「ジョン・マクレーンのいない『ダイ・ハード』」

監督と、共同脚本、共同編集というところにもクレジットされている、アンソニー・マラスさん。なんとこれが長編映画デビューなんですね。この前に撮った2011年の短編『The Palace』というのも、これも1974年に本当に起こったトルコのキプロス侵攻を描いた作品ということで。

僕、今回本当に申し訳ないんですけど、フルサイズの作品は見れなくて。ちょっとこれ、予告編しか見られなかったので。まあでもそこからだいたいどういう作品かっていうのがうかがえる限りでも、突然の圧倒的な暴力によって日常が根本からひっくり返されてしまう恐怖……たとえば今回の『ホテル・ムンバイ』にも出てきますけど、クローゼットの中で息を潜めて、殺人者、追跡者の行動を覗き見る、というような、そういうサスペンス的なくだりがあったりとかして。限りなく今回の『ホテル・ムンバイ』に直結する作品のようですね、この『The Palace』は。

しかも、実はこのアンソニー・マラスさん自身が、まさにその紛争の最中、ギリシャから難民として逃げてきたっていう、そういう経験をしている方だそうで。なので、その短編『The Palace』、そして今回の『ホテル・ムンバイ』と、まあ一貫して描いている、突発的暴力によってそれまでの生活がいきなり破壊されてしまう、というその極限状態描写、その圧倒的な緊迫感、リアルさみたいなものは、まさにこのアンソニー・マラスさんご本人が、体験してきたことだからこそ、なのかもしれないですよね。筋金入り、っていうことですよね。

さらに本作には、エンドロールにも出てきますけど、インスパイア元になった2009年のドキュメンタリー、『Surviving Mumbai』というドキュメンタリーがあって。これは僕も今回、日本語字幕とか付いてない状態ですけど、配信のレンタルでこれは見ることができました。こっちはですね、そのタージマハル以外にも標的になった高級ホテルの、オベロイ・トライデント・ホテルという、そこにいた人々の話なんかも入ってるドキュメンタリー作品なんですけど。とにかくその中で、本物の生存者たちが語っているさまざまなエピソードが──後ほど決定的なネタバレはしないようにしながらお話ししますけど──今回の、劇映画としての『ホテル・ムンバイ』にも、そのドキュメンタリーで生存者の人たちが語っているエピソードが、しっかり反映されてたりする。

ということで本作、この『ホテル・ムンバイ』は、アンソニー・マラスさんと、共同脚本そして製作総指揮のジョン・コリーさんという方が、当事者とか関係者に取材・調査を重ねて……たとえば、一応の主人公、というか、まあのこの映画は群像劇なので、より正確にはメインキャラクターの1人、といった感じの、デブ・パテルさんが演じる……デブ・パテルさん、もちろん『スラムドッグ・ミリオネア』、『チャッピー』とか、『LION/ライオン ~25年目のただいま~』とかありましたけども。デブ・パテルさん演じるホテルマン、アルジュンのようにですね、複数のモデルとなる人物を混ぜた、架空のキャラクターもいれば、アヌパム・カーさん演じるオベロイ料理長っていうね、これは実在の方ですね。非常に有名なコック、料理人の方なんですけど、オベロイ料理長のように、実在の人物もいる、という感じで。まあ事実を元に、1本の劇映画として再構成した作品、という感じだと思います。

既存の映画ジャンルで一番近いところで言うと、やっぱりですね、特にビルが舞台で、階を上がったり下りたりするところにまた見せ場やサスペンスが生まれる……状況に応じて、上に行った方がいいのか、下に行った方がいいのか、みたいなところで見せ場を作っていくあたり、やっぱり『タワーリング・インフェルノ』みたいな、いわゆるグランド・ホテル形式のパニック映画、あるいは、「ジョン・マクレーンのいない『ダイ・ハード』」というか、そういうことですよね。

ちなみにこの『ダイ・ハード』を連想するあれとしては、最初にあのデブ・パテルさん演じる主人公のアルジュンが、靴を忘れてきちゃったって言って、足に合わない靴を履いてる、っていうところでね、『ダイ・ハード』だったら確実にそれを活かしたなにか見せ場があったわけですけど、あれ、別にサスペンス的に生かされるくだりがあるのかな?って思っていたけど、別にそれはなかった、っていうのはありましたけどね。はい。まあ、そんなような感じだと思ってください。

■本作は、テロリスト側の青年たちでも、あくまで「人間として見る」ことを投げ出さない。

ただしですね、その一方で、同時にテロリスト側……というより、「テロの駒として使われた」青年たち側の視点も描いているのが、本作、この『ホテル・ムンバイ』という作品の、ひとつの特徴で。たとえば、さっき言ったクリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』だと、元になったルポルタージュには、テロ実行犯の青年側のストーリーっていうのがあったわけです。これ、原作の本、日本語でも読めますけども。これはこれですごい、この話があることがまた重みを増してるようなルポルタージュなんですけど、映画版では、バッサリとそこを切ってますよね。テロリストの青年側の事情みたいなのは全く、イーストウッドは切ってるわけですけど、それとは対照的なスタンスと言えるという。

で、それはまあ、本作全体が主張しようとしているメッセージとも関係していることなんですけど……とにかくその映画の冒頭に映し出される、ゴムボートに乗ってムンバイに上陸してくる青年たち。まだあどけなささえちょっと残すようなその彼らに対して、パキスタンにいたというその首謀者らしき男の声が、ずっと聞こえてくる。で、その男が、冒頭から最後に至るまで絶えず、その彼ら以外の人々、彼ら以外の世界への憎しみをあおるような言葉を、ずっと吹き込み続けているわけですね。特に印象的なのは、「あいつらは異教徒なんだから、人間と思うな」っていう。この「人間と思うな」っていう考え方、このセリフが、非常に印象的なわけです。

つまり彼らはまさに、「あいつらは異教徒だから、人間扱いしなくていいんだ」っていう風に信じている……というよりも、信じ込まされてきたから、実際その後、平然と人々を殺しまくるわけですよね。なんですけど、しかし一方でですね、その青年たち。特にその中の1人に描写が集約されてるんですけど、青年たちのうちの1人がですね、たとえばそのタージマハル・ホテルの、巨大で美しいロビーに足を踏み入れて、思わず「えっ、なんだ、これ? こんなの初めて見たよ。まるで楽園だ……」って、ちょっとついうっとりしてしまったり。その全く同じ青年がですね、今度は、水洗トイレがあるのを知らなくて。「これ、水を流せるんだ! これ、いいね!」って驚き喜んだり。

あとはその、食べ物をつまみ食いして、「ウマッ!」みたいになったりですね。あるいはさらに後半では、その首謀者が、自分がたとえばそのテロをやった後に死んだとして、本当に家族にお金をくれるのか?を心配しだして。で、こっそりその家族に電話して、号泣してたりもする、という。要は、かなり貧しい環境で生まれ育って、他の世界のことを知らないまま……で、その純粋さが故に、おそらくそこにつけ込まれてこうなってしまっただけの、普通の青年でもあるんだ、ということが、割としっかり描かれるわけです。この『ホテル・ムンバイ』は。

その中で、中では割と冷酷なリーダー格の男でさえ、「What’s your name?」っていうすごく簡単な、基本的な英単語、あるいは会話さえ、全く分からない状態でここに来てるぐらいで。とにかくやっぱり、相当な貧困と無知……つまり、教育が行き届いてない状態っていうのがベースにあるんだな、ってことを、かなり意識的に描いている作品なんですね、この『ホテル・ムンバイ』は。つまり、テロ実行犯たちがですね、どれだけ……もちろん、映画の中でも、ひどいんです。極悪非道なんです。やっぱり見ていたら当然、怒りもわくし、憎しみもわくわけなんです。なんだけど、この映画自身の語り口は、彼らをあくまで、それでも……もちろん、「人でなし」なんですけどね。でも、あくまで「人間として見る」ことを、投げ出さない。

つまりですね、作品の語り口そのものが、テロリストと同じ次元に堕さないように、気をつけているわけです。つまり、「他者にレッテルを貼って、人間と思わない」っていうその思考に決して陥らないように、映画自体が心がけている作品だ、ってことなんですね。事実、先ほど言ったですね、本当は単に純朴なだけでもあるそのテロリスト青年が、ついに……首謀者からあれだけ「あいつらは人間だと思わなくていい」って言われて殺してきたその青年が、ついに、どうしても相手を「人間と思わない」でいることが、できなくなってしまう。この瞬間。本作で間違いなく最も美しい、感動的な瞬間というのがある。

しかも、皆さん……驚くべきことに、この話こそがまさに、先ほど言った元になったドキュメンタリーで、生存者が語っていた事実を元にしたエピソードなんですよ! これこそが本当の話なんですよ!というね。しかもそれは、劇中で2度ほど、もちろん状況が状況なだけにまずは否定的に語られる、その「祈り」というものをめぐる意味……つまるところ「信仰」の意味ですね。「信仰なんてものがあるから、こんなことになっているんだ」、あるいは、「信仰なんて意味があるの?」っていう、その信仰というものの意義を非常に真摯に問う作者からのメッセージが、この最も感動的な場面にも込められている、というね。

■エンターテイメント的な面でもきっちり高レベルで「面白い」

で、そういうことに関して言うと、「他者」をどう見るか?っていうことに関しては、テロリスト側だけではなくて、宿泊者側、つまり、一般……我々の側にもある偏見、という面にも、ちゃんとスポットを当てる。たとえば中盤。その主人公アルジュンの、シーク教徒としての姿。ターバンを巻いていたり、ヒゲ姿であるというその装いに関する、ある白人女性とのやりとり。ここで、我々、一般の側にもある、他者として人を見る視線っていうものも、正面から誠実に描こうとしている、ということなんですね。

ということで、ちょっと踏み込んだメッセージの話からしてしまいましたけども、この『ホテル・ムンバイ』という映画の偉さというのは、もちろん今言ったようなメッセージの深さ、バランス感覚の素晴らしさ、これももちろんあるわけですが、それと同時にですね、これもメールで書いてる方が多かったですが、やはりエンターテイメント的な面でも、きっちりと高レベルで「面白い」っていうことですね。めちゃくちゃ面白いんですよね。

序盤、それぞれのキャラクターの日常描写から、わりと脇の人物まで、くっきりと端的にスピーディーに、観客に印象付けしていく。そんなにクドクドとね、「この人はこういう人で……」なんて語らなくても、ちょっとしたセリフとか、ちょっとしたたたずまいとか、ちょっとした他の人との関係性で、「この人はこういう人」っていう印象付けをしていく。その手際だけでもう、長編一作目にしてすでに熟練のワザ感があるぐらい、上手いですし。そこからですね、いよいよいざテロが開始されて。みるみるうちに、その日常が崩れていく。そこからの、サスペンスからサスペンスへの……要するに状況の変化に従っての、サスペンスからサスペンス。

手を変え品を変えの、その見せ場が連鎖していく。その構成の巧みさと、引き出しの多さ。あとは、奇をてらわない、非常にオーソドックスな見せ方なんだけど、やっぱりそのツボを押さえた的確な演出ぶり、という。本当にこれ、グイグイグイグイ引き込まれてしまう。たとえばですね、ホテルマンのそのアルジュンと並ぶ、宿泊客側のメインストーリーと言ってよかろう、アーミー・ハマー演じるアメリカ人の建築家の夫と、ナザニン・ボニアディさんという方が演じているザーラという、この方は中東系の女性なわけですね、この夫婦。

彼らは、まだ生後間もない感じの赤ちゃんを、ティルダ・コブハム=ハーベイさんという方が演じているベビーシッター、サリーさんという方に預けたまま、そのテロに巻き込まれてしまう。要するに、赤ちゃんとずっと離れてるっていうのはまずひとつ、最初の状況としてある。それで最初、そのベビーシッターさんが、シャワーを浴びていて電話に気付かない、っていう、まあもちろんベタではあるんだけど、普通にやっぱりここもハラハラさせられますし。

その後……これは全編に渡ってですね、ドアがノックされる度に、そのドアをノックしているのがテロリストなのか誰なのか、つまり、「出ていいやつか、ダメなやつか」サスペンスが発動するわけです。しかも場合によっては、開けた途端に、即射殺!になったりもするので。つまりこの映画のキモはですね、どんな行動が正解か誰にも分からない、っていうまま話が進む、というところなんですね。それで、時に観客にだけは、ちょっと神の目の視点で、複数視点がある分、「ああっ、ダメダメ! そこは開けちゃダメ!」みたいなのがあるから、そこでもさらにサスペンスが増したりする、そんな作りになってるわけですけど。

■巧さ、上質さ、そしてもちろんメッセージの素晴らしさ。なるほど、これは一級品!

それでまず、そのメイドさんが、ノックに対してドアを開けるかどうか。これで一発目のサスペンスが来てですね。そこからも、さっき言った、クローゼットに隠れて追跡者をやりすごそうとする、っていうくだり。これは本当に、サスペンス・ホラー映画の、わりと定番的なシチュエーションなんだけども、この『ホテル・ムンバイ』は、そこにですね、さっき言った生後間もないド赤ちゃんという一要素を加えることで、さらに何倍もの「うわー! やめてくれー!」っていう緊迫感を高めている、という。ここが本当にすごいあたりでしたし。

あるいはその後、アーミー・ハマー演じるそのお父さんがですね、ベビーシッターのいる部屋に単身向かおうとする、というその一連のシークエンス。たとえば、同じショット内に、それぞれ見えない位置にいる、そのアーミー・ハマーと、他の客と、テロリスト、っていうその位置関係の見せ方。これはアンソニー・マラスさん、このへんが非常に上手いですし。互いの距離感、位置関係を、これ以上ないほど端的に示しているからこそ、まさしく肝が冷えるような恐ろしさを感じさせる、見事な見せ方。さらにそこから連続して、今度はエレベーター内。「あっ! 途中階に止まっちゃう!」っていうところのハラハラ、からの、その食べ物を乗せたワゴンを挟んで、そこに……しかもそこは、さっき言ったように、彼ら(テロリスト)側の人間性演出にも重なっていたりする、という、また全く異なる空間を使ったサスペンスを用意してたりとか。

はたまた終盤、とある宿泊客の、気持ちはわからなくないが致命的な迂闊行動……これも、本当にあった話です! 皆さんね、『ダイ・ハード』でも描かれているように、こういう時には気をつけなきゃいけませんよ。その行動によって、ついにテロリストたちがね、すぐ背後に迫ってきてしまう。ここのもう、『悪魔のいけにえ』か! という絶望的なね、同一ショットに収まった恐ろしい追いかけっこであるとか。とにかく、単純にサスペンス、スリラーとして、普通に、たたみかけるように面白い。

その上で、さっき述べたように「他者を人間と思うな」的な思考……それはテロリスト側のそれであり、同時にそのテロリストを単に悪魔的な存在として切り捨てる思考でもあるわけですが、そこには陥らない、語り口とメッセージ。そしてある、驚くべき感動的な瞬間を用意してくれる。しかもそれこそが、事実に基づく部分だ!という。

つまり「現実に」、世界や人間に希望はあるんだ!っていうことも示す、ということですね。そんなところまで、あくまでサラリと感じさせてくれる。「ある男が家から出かけ、帰ってくるまで」というところを含めた、全体の構成の美しさ、上手さ。撮影・編集を含めた、見せ方の巧みさ。セリフの大小に関わらず、キャラ分け、印象づけをしっかりしている役者陣と、その演出の上質さ。そしてもちろん、メッセージの素晴らしさ。ということで、これはなるほど、一級品でございました! この機会に見れて、本当にこれ、良かったです。

なかなか怖い映画ですし、ちょっとふさぎがちな日々にはハードかな、と思われるかもしれませんが、ちゃんとしっかり希望も残す作品にもなっておりますので。ぜひこのタイミングで、お家でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週は、「リスナー枠取りこぼしウォッチメン」に続き、特別企画第2弾「配信限定ウォッチメン」。配信限定作品のリストの中から、スタジオにいる山本匠晃アナウンサーがガチャを回した結果、来週の課題映画は『アンカット・ダイヤモンド』に決まりました)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!◆TBSラジオ『アフター6ジャンクション』は毎週月-金の18:00~21:00の生放送。

「憂鬱な日々にそっと寄り添う最新女性シンガーソングライターおすすめアルバム」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/04/24)

「憂鬱な日々にそっと寄り添う最新女性シンガーソングライターおすすめアルバム」

高橋:本日はこんなテーマでお届けいたします。「憂鬱な日々にそっと寄り添う最新女性シンガーソングライターおすすめアルバム」。家にこもる時間が長くなるなかでじっくりと聴き込める、かつ不安な心を癒してくれるような女性シンガーソングライターのアルバムを、ここ一ヶ月ほどのリリースから4タイトル選んでみました。日々の自粛生活の気分転換になれば幸いです。

スー:よろしくお願いします。

高橋:1曲目は、フィオナ・アップルの「I Want You To Love Me」。4月17日にリリースされた8年ぶり通算5枚目のアルバム『Fetch the Bolt Cutters』の収録曲です。

フィオナ・アップルは1996年にデビューしたニューヨーク出身のシンガーソングライター。90年代を代表するシンガーソングライターであり、いまもなおカリスマ的な存在感を放っているアーティストですね。最近ではジェニファー・ロペス主演の映画『ハスラーズ』で彼女の「Criminal」が効果的に使われていました。今回の新作もリリースされるなり欧米の音楽メディアがこぞって大絶賛しておりまして。現時点で23本のレビューが公開されているんですけど、そのすべてを集計した平均点が94点という驚異的な数字になっています。

スー:おかしい! すごいことになってる!

高橋:そうなんですよ。これから聴いてもらう「I Want You To Love Me」はアルバムのオープニングナンバー。実質歌とピアノとウッドベースだけの非常にシンプルな編成の曲なんですけど、これがもうものすごい迫力で。きっと皆さん冒頭から一気に引き込まれることになると思います。

M1 I Want You To Love Me / Fiona Apple

高橋:堀井さん、いかがですか?

堀井:首をカクカク動かしながら聴いていました。いくつぐらいの方なんですか?

高橋:確か40代かと……42歳ですね。

堀井:ああ、そうなんだ!

スー:我々と変わらないですね。

堀井:そうなんですね。やっぱり声が大人だなと思って聴いていました。

高橋:ピアノの音色も含めて心地よいですよね。では次、2曲目はエリスの「Pringle Creek」。こちらは4月3日にリリースされたデビューアルバム『Born Again』の収録曲です。エリスはカナダ出身のシンガーソングライターで、本名のLinnea Siggelkowの印象からするとドイツ系の方なのかな? 2018年にデビュー後、今回ようやく初めてのアルバムを完成させました。これがダークななかにもメロウな甘さがあって、寄り添い力/包容力ということでは今回紹介する4作品の中でも特に沁みる内容になっています。

M2 Pringle Creek / Ellis

スー:ちょっとなんか懐かしい感じもありますね。

高橋:ノスタルジーを刺激されますよね。

スー:ギターの感じとかも含めてね。

高橋:堀井さんは頬杖をつきながら目を瞑って聴いていました。

スー:女子高生みたいだね。

堀井:私、こんな歌い方を忘れたね……。

スー:フフフフフ、歌ってたのか?(笑)。

高橋:堀井さん、こんな歌い方していたんだ(笑)。

堀井:もう歌えないよ、ドスがきいちゃって(笑)。

高橋:次はさらに若いアーティストですね。3曲目はジョーダナの「Jackie’s 15」。こちらは3月27日にリリースされたデビューアルバム『Classical Notions of Happiness』の収録曲です。ジョーダナは、アメリカはメリーランド州出身の19歳。今回紹介するのは去年彼女が自主制作で発表して話題を集めたアルバムで、今年に入ってから有名インディーレーベルと契約したことを受けてボーナストラックを加えて再リリースしたものです。これはまさにいま、昼下がりのまどろみのなかでぼんやり流しておくには最高のアルバムですね。

スー:いいですね。皆さん、換気などしながら聴いてほしいですね。

高橋:はい。ちょっと気だるくて、倦怠感のある感じがとても心地良い曲です。

M3 Jackie’s 15 / Jordana

スー:ない悩みが浮かんでくるような曲ですね。

高橋:フフフフフ。

スー:取るに足らない、ない悩みがこう浮かんでくる感じ。なんかアンニュイ。

堀井:だんだん気だるくなっていきますね。退廃感があるというか、ダメになっていく(笑)。

スー:これはなんにもやる気が起きなくなるね。

高橋:では最後の曲いってみましょうか。4曲目は、U.S.ガールズの「4 American Dollars」。これは3月6日にリリースされた通算7枚目のアルバム『Heavy Light』の収録曲です。U.S.ガールズはトロント出身のシンガーソングライター、メーガン・レミーのソロプロジェクト。彼女が2007年に始動させたプロジェクトです。おととし発表した前作『In a Poem Unlimited』がカナダ版グラミー賞のジュノアワードで最優秀オルタナティブアルバム賞にノミネートされるなど、高い評価を受けて広く知られるようになりました。

楽曲によって大きく表情が変わるアーティストなんですけど、これから聴いてもらう「4 American Dollars」は1970年代のフィラデルフィアソウル、オージェイズやスリー・ディグリーズなどに代表されるフィラデルフィアソウルにインスパイアされたようなゆるいディスコグルーヴが気持ちいい曲です。

M4 4 American Dollars / U.S. Girls

高橋:というわけで、本日は「憂鬱な日々にそっと寄り添う最新女性シンガーソングライターおすすめアルバム」として4作品紹介しました。最初に触れた通りどれもアルバムとして非常に聴き応えがあって、かつささくれた心を癒してくれるようなところもあるアルバムです。お疲れの際にはぜひトライしてみてほしいですね。

スー:いやー、やっぱりこれぐらいのよく晴れた日にだらっとこういう音楽を聴くと「贅沢してるな!」って感じがするね。

高橋:うんうん。怠惰な生活のBGMとしてもバッチリだと思いますよ(笑)。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

宇多丸、『アンカット・ダイヤモンド』を語る!【映画評書き起こし 2020.4.24放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『アンカット・ダイヤモンド』(2020年1月31日配信)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン改め、配信映画を評論する配信ウォッチメン。『DVD&動画配信でーた』編集部監修のガチャリストの中からカプセルが当たったのはこの作品……Netflixで配信中アンカット・ダイヤモンド』

(曲が流れる)

『グッド・タイム』などのジョシュ&ベニー・サフディ兄弟監督が、アダム・サンドラーを主演に迎えたクライムドラマ。ニューヨークで宝石商を営むハワードは、借金まみれで取り立て屋に追われる日々を送っていた。ある日ハワードは、巨大なブラックパールの原石を手に入れ一獲千金を狙うが、事態は思わぬ方向へ向かっていく……。共演は『アナと雪の女王』シリーズでエルサの声を演じたことでおなじみ、イディナ・メンゼルさんとか、あるいはNBA選手ケビン・ガーネットがご本人役で出演。2012年の本人役、ということです。そしてミュージシャンのザ・ウィークエンドなど、こちらも本人役です。あとはたとえば一瞬ですけども、俳優のジョン・エイモスが、一瞬本人役で出てくるとかね、そういう見どころもございます。

といったあたりで、この『アンカット・ダイヤモンド』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。

メールの量は、「普通よりちょい少なめ」。まあね、みんながみんなNetflixに入っているわけじゃないでしょうし……というところもあるでしょうけどね。賛否の比率は、褒める意見が6割、けなす意見が3割、中間票が残り1割。受け付けない人は全く受け付けないらしく、正直、賛否が分かれています。これは非常に分かる気もします。

褒めの主な意見は「面白い! ハイテンションと緊張感、そしてダーティーな会話の応酬。首根っこを引きずられるように最後まで見てしまった」「主人公はとんでもないクソ野郎だが、かわいそうでもあるし、どこか憎めない。資本主義に踊らされた男の末路といった趣でラストの余韻がとても味わい深い」などなどがございました。一方、批判的な意見としては「とにかく見ていてストレスがたまる。話がどこに向かっていくかわからないのでイライラする。見ていて疲れてしまう」などの声がありました。たぶん、これは本当にでも、褒めてる人も「まあ、そういう作品だよね」っていうことは納得する感じじゃないかと思いますけど。

■「特筆すべきはアダム・サンドラーの顔。最高にキモい!」(byリスナー)

代表的なところを紹介しましょう。いっぱいいただいてるんですけどね。ラジオネーム「ガク丸」さん。「『アンカット・ダイヤモンド』、Netflixでウォッチしました。結論から申し上げて、最高でした。序盤から激しい会話とキャラの立った登場人物が多く、映画のテンポに付いていけないかと思ったのですが、気づいた時にはこのグルーヴ感がたまらなく気持ち良くなりました。特筆すべきはアダム・サンドラーの顔。終始最高でしたが中盤の破局した妻へヨリを戻そうと必死の愛の言葉をかける時の顔が、信用できなさすぎる上、最高にキモい。マジキモい! 本人の本気さがよりキモさを際立てていて『本当に変な顔』と言われて爆笑されるところが最高でした。最後の最後での顔も最高!」。たしかにね、エクスタシー!っていうね。「俺、イキそうだぜ!」とかって言ってね(笑)。あと、「こっちがダメならこっちに行く」みたいなのが本当に最低!っていうね(笑)。

あとは褒めてる方。「タツヤ・マキオ」さん。この方は、舞台でね、プロバスケットボールのNBAが非常に重要な背景となってるわけですが、この途中で出てくる試合に関して、「劇中で賭けの対象になるあの試合は、2012年のプレーオフで行われた本当のNBAの試合です。流れる試合映像、試合結果、試合後のインタビュー等も実際のものをそのまま使っています。本作はフィクションでありながら、現実との強固なリンクを実現させて、そのリアリティーがさらなる緊迫感を生み出し、試合結果を知っている我々NBAファンにとっても当時のあの激戦を強制的に思い起こさせる強烈な映像となりました。

実際にこのボストン・セルティックス対フィラデルフィア・セブンティシクサーズの試合はこの10年間でも名勝負のひとつに数えられています。当事者であり、重要な立ち位置で本人役として本作に出演しているNBAの元スーパースター、ケビン・ガーネットの鬼神のごとき大活躍の裏に、本作で描かれた焦燥感にあふれる狂乱的な人間模様があったのだと捉えると、あの頃の試合を見る楽しさが大きく増した気持ちになります。YouTubeであの試合のハイライト映像が見られるので、NBAに興味のある方はいかがでしょうか?」という。はい、NBA視点。これは非常に勉強になりました。

一方で批判的な意見、代表なところ。「阿佐谷一の美女」さん。「『アンカット・ダイヤモンド』、見ました。正直に言うとイマイチでした。あまりハマりませんでした。アダム・サンドラー演じるハワードはとにかくクズで全く共感できませんでした。クズはクズでも見ていて愉快なクズは好きなのですが、ハワードはとにかく不愉快なクズでした。最初から最後までその場しのぎでそんな彼に振り回される周りの人々がかわいそうです。映画中盤、借金取りに終わり終われ、身ぐるみを剥がされ、妻に愛想をつかされるシーンは『ざまあみろ!』としか思いませんでした。

その後、噴水に投げ込まれ、しょぼくれた彼を愛人ジュリアが慰めるところなど、なんだかひたすらイライラしてしまいました。それだけ悪感情を抱きながらも映画終盤の一世一代の大勝負に出るシーンは引き込まれてしまいました。『どうか賭けに勝って借金をチャラにしてほしい』とは微塵も思いませんでしたが。映画全体を通して快い思いはしませんでしたが、最後のギャンブルだけは素晴らしいものがあったと思います」という。後はもう本当に激烈に「こいつ嫌い!」っていうメッセージもいっぱいいただきました。まあそれだけ入り込んでるという言い方もできるかもしれませんし、そういう映画なのは間違いないと思います。

■一貫した作風のジョシュ&ベニー・サフディ監督。ふてぶてしい陽性のエネルギーが漲っている

ということで『アンカット・ダイヤモンド』、私もNetflixで、英語オリジナル版と日本語吹替版で何回か見直してまいりました。ちなみにこれ、アメリカでは昨年12月に普通に劇場公開された作品でもあるので。普通に劇映画ということですね。ベニー・サフディ&ジョシュ・サフディ……ジョシュさんがお兄さんで、ベニー・サフディさんが弟。サフディ兄弟の最新作でございます。まあサフディ兄弟ね、すごくいろんな作品……たくさんの短編と、長編も何本か撮っていてっていう感じで。

僕は申し訳ないですけども、『グッド・タイム』以前の長編というのはちょっと見られてなくて申し訳ないんだけども。ただ、やはりですね、彼らの才能を一気に世界に知らしめることとなったと言ってよかろう、2014年の『神様なんかくそくらえ』。原題『Heaven Knows What』という映画。これは東京国際映画祭でグランプリと最優秀賞監督賞を早くも取っている作品ですけども。その『神様なんかくそくらえ』以降、今回の『アンカット・ダイヤモンド』、これは4月11日に映画ライターの村山章さんにこの番組でもご紹介いただきました。

その時にもおっしゃっていましたが、原題は『Uncut Gems』という……劇中でメインに描かれるのはダイヤモンドではなくて、ブラックオパールの原石なので、ちょっとこの『アンカット・ダイヤモンド』という邦題は、若干微妙かな?っていう気がしなくもないんだけど。まあまあ、気持ちはわかる、というタイトルではありますが。とにかくその『アンカット・ダイヤモンド』に至るまで、このジョシュ&ベニー・サフディ兄弟、わりと作風というのが、はっきり一貫している方でございまして。

ざっくり要約するなら、こんな感じですね……客観的に見れば非常に短絡的な、狭い視野しか持っていない、それゆえに常にギリギリの状況を綱渡りのように生きている、ニューヨーク裏側の人々。ニューヨークのストリートライフを生きる人々。だからと言って通常の物語的な因果応報でいいとか悪いとかをジャッジすることなく、とにかく彼らの視点に、映画の語り口的にも「寄り」をキープして――特にその『神様なんかくそくらえ』『グッド・タイム』はすごく寄りのショットが多い作品でしたけど――持続するハイテンションの中に、観客を否応なく巻き込んでいく、というね。すごくどうしようもない主人公の行動に、周りの登場人物もそうだし、観客も巻き込まれていくというような。

たとえば『グッド・タイム』だと、知的な障害を持つ弟との銀行強盗が目も当てられない失敗に終わり、捕まって病院に収容された弟を奪還しようとするんだけども、そこからありえない大チョンボが挟まれて(笑)。「じゃあ、今度は……」という感じで、とにかくこれね、その『神様なんかくそくらえ』を気に入って兄弟にアプローチしてきたロバート・パティンソン演じる主人公、この行動が、本当に行きあたりばったり。どんどん、彼にとっての想定外の事態が連鎖して、本来の目的が何だったかもよく分からなくなるほどに、脱線に脱線を重ねていくという。

で、とりあえずこの映画はここで終わり!っていう感じで、異様に無造作に突き放してバサッと終わるっていう、そういう感じ。「でも、人間とか人生って、実際こんなもんじゃね?」とでも言うような、ふてぶてしい、妙に明るいエネルギー、陽性のエネルギーもみなぎっているような、そんな映画を撮ってきた人たちですね、サフディ兄弟ね。今回の『アンカット・ダイヤモンド』もそうですけども。

■万人にはおすすめできないサフディ兄弟作は“イライラ・エンターテイメント”!?

そこにさらにですね、ちょっとストレンジな印象も増しているのが、非常に独特な、キッチュでエキセントリックな、音楽の使い方。たとえばこの『神様なんかくそくらえ』、2014年作品では、ドビュッシーの「月の光」の冨田勲バーションが、すごくミスマッチなところで流されたりとか。あとはもちろん『グッド・タイム』と今回の『アンカット・ダイヤモンド』におけるですね、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンさんによる、80年代的なチープなポップさと現代音楽的なアバンギャルドさが入り交じったようなエレクトロサウンド、っていうのが、非常に鮮烈かつ、やっぱり劇伴としても、とても変わったポイントで流されるという。

普通だったらこの場面にはこういうテンションの曲を流すだろう、っていうのとは、ちょっとずれた感じで流される。あるいは今回だと、ビリー・ジョエルの「Stranger」がいきなり流されたり……それもすごくミスマッチな感じに流されることで、異様なニュアンスを醸し出している。あとは、大音量で流れるマドンナ、っていうのもありましたね。とにかくそんな独特の――でもまあ「ニューヨーク」というキーワードがひとつ、ありますけどね――そんな独特の電子音楽趣味というのが、サフディ兄弟作品のひとつの特色ともなっている、みたいな感じで。

なのでですね、まずはっきり言っておくと、間違いなくサフディ兄弟、好き嫌いは分かれる作風です。万人にフラットにおすすめは、僕もしません。はっきり言って。かく言う僕自身が、『グッド・タイム』を見た時点では、「これ、面白いんだか何なんだか……」っていう感じで、どう評価していいか、ちょっとよくわかってなかったところも正直、ありました。なんだけれども、これも村山章さん、先日のご紹介の中でもおっしゃってましたが、今回の『アンカット・ダイヤモンド』で、「ああ、なるほど。サフディ兄弟ってつまり、こういう語り口の映画がそもそも作りたい、ってことなんだな」ということが、よりクリアになった、作風としてより明白に確立された、みたいなところがある気がします。今回が決定打、という感じがします。

とは言えですね、とにかくその、視野狭窄で短絡的、行きあたりばったりな主人公が、後先とかね、他人の迷惑を顧みず、とにかくハイテンションで暴走していき、案の定目も当てられないことになっていく、という話なのに変わりはないので。その登場人物のバカすぎる行動全般にイライラしてしまう、という方には、ひょっとしたら本当に、ただイライラさせるだけの映画に見えるかもしれない。実際に僕も見ながら、「これは、イライラさせられる行動や状況の連鎖こそが見せ場となっている……まさにこれは、“イライラ・エンターテイメント”だっ!」みたいに、つくづく思いながら見てたぐらいなんですけど。

「暴走するイノセンス」アダム・サンドラーのキャラクター性がぴったりはまった

ただそのね、イライラがエンターテイメントたりえている、ということに関して言えば、今回は特にやはりですね、アダム・サンドラーが主演である、ということが、非常に大きくプラスに働いてるのは間違いないあたりかなと思います。アダム・サンドラーが、どれだけね、特に本国アメリカでは巨大な存在か、まあ本当にトップ・コメディアンであり続けてきたか、ということに関しては、ちょっとここでは語っている時間がないんですけど。とにかく近年はですね、Netflix制作・配給作品に軸足を移して、人気の根強さを改めて証明してみせている、というアダム・サンドラーですけど。なので、アメリカで劇場公開された実写作品としては、2015年の『ピクセル』以来の作品、ということに今回の『アンカット・ダイヤモンド』はなるわけですけども。

今回はNetflixと、またしてもA24の共同配給作品となってるわけですけど。要はですね、そのアダム・サンドラーが、じゃあどういうキャラクターで人気があった人かという、その魅力のあたりを一言で言うならば……僕の表現で言うなら「暴走するイノセンス」っていうか。そういうキャラクターですよね。つまり、非常に親しみやすい、素朴で庶民的な、憎めない無邪気な人物。なんだけれども、その無邪気さゆえに、すごく一本気なのがちょっと狂気の領域に行ってるっていうか、一度キレると爆発的、もしくは暴力的に暴れ出す、というような、そういう彼の「暴走するイノセンス」的なキャラクターが、たとえばそのコメディ映画というジャンルで、すごい人気を博してきたわけですけど。

それを「作家的に」アダプテーション、読み替えてみせたのが、たとえばポール・トーマス・アンダーソンの『パンチドランク・ラブ』だったりすると思うんですけど。その意味で、最初に言ったサフディ兄弟の作家性……異常に視野が狭い、短絡的で行きあたりばったりの人が、ニューヨークの裏側をハイテンションで暴走していく、というのは、同じくニューヨーク育ちのユダヤ系、つまり同じ世界を見てきた人でもあり、その「暴走するイノセンス」アダム・サンドラーと、相性がぴったりなわけです。しかもアダム・サンドラーなら、そういうサフディ兄弟的なキャラクターに、まさしく「憎めない」ユーモアっていうのを、自然に加味することができる。

普通だったら感情移入しづらいキャラクターにも、アダム・サンドラーがやるなら憎めなさが、そしてユーモアが加味されるという、そういうプラスもある。ということで、このサフディ兄弟が10年来温め続けてきた、これはお父さんの経験とかも元にしたというこの企画。一時はジョナ・ヒルが主演で進んでいたようですが、結局降板して、当初の第一候補で一度は断られたという、そのアダム・サンドラーに決まって……結果、アダム・サンドラーのキャリア上でも最高レベルの名演、ハマりっぷりを見せることになるという。これ、インターネット・ムービーデータベースによれば、ダニエル・デイ=ルイスが今作のアダム・サンドラーの演技を絶賛して。アダム・サンドラーが、「俺のキャリアで最高の瞬間だ!」みたいな、あの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のディカプリオみたいなことを言っている、っていうね(笑)。

ちなみに今回のアダム・サンドラー、前歯は付け歯です。あとホクロもフェイクだそうです。っていうね。

■オープニングで乗れなかったら、止めてもいいかもしれないです。

で、まずは何しろね、『アンカット・ダイヤモンド』、オープニングからぶっ飛ばされますよね。2010年、エチオピアの鉱山で、巨大なブラックオパールの原石が、すごく労使が大モメしている中、密かに掘り出され。それでそのダニエル・ロパティンさんの、80’sチックなモーグのシンセが鳴り響く中ですね、カメラがググーッと、その原石に寄っていく。『ミクロの決死圏』よろしく、その中の中の中の小宇宙にまで、進んでいく。

これ、ちなみにこういう顕微鏡写真家の作品を参考にした、ということらしいですけど。それでタイトル、『Uncut Gems』っていうね。要するに、カットされてない宝石たち。輝く可能性を秘めているけど……な原石たち、というこのタイトルが暗示するものも、後から考えるとなかなか味わい深いですが。とにかく、その『Uncut Gems』というタイトルが出たあたりから、このオパールの原石の内部に進んでいったはずのカメラ、どうも映し出してるものが、何か様子がおかしくなってくる。最終的に、「なんちゅうところにつながっているんだよ?」っていうところに至る。そして「2012年春」というクレジットが出る。

これ、『ファイト・クラブ』とか『エンター・ザ・ボイド』とかを連想させもするけど、とにかく「何を考えてるんだ!?」と誰もが驚きあきれる、このオープニング。このオープニングにまず、「ヤバい、この映画!」ってすごくアガるか、はたまた「わけワカメ……」となってただ引いてしまうかで、まずは本作との相性がわかる。だかららとりあえず最初のオープニング、見てください。ここで乗れなかったら、止めてもいいかもしれないです。はい。それで、そこからがまたすごい。ニューヨーク、ダイヤモンド・ディストリクトという、行かれたことがある方もいると思いますけど、要するに宝石をやり取りする場所があります。お店がいっぱいあるところ。

そこに店を開く、アダム・サンドラー演じるユダヤ系の宝石商、ハワード・ラトナーさんという方。クライマックスでも実は非常に緊迫感あふれる舞台となる、このお店。あのお店は、完全にセットで作ったらしいですけど。その主人公ハワードとその周囲の人物たち、その関係性、あるいは固有名詞などを、全く説明もなく、次から次へと、時にはセリフ同士、会話同士が、かぶりまくるほどの密度と速度でやっていく。

この、全てが同時に重ね合わせられて平行に進んでいく、というこの感覚はですね、ひょっとしたら我々日本人の観客には、今回、字幕で見るよりも、たとえば主人公のハワードに森川智之さんが声をあてている日本語吹替版の方が、ひょっとしたらこの情報重ね合わせ感とかカオス感とか会話のテンポ感とか、実はそっちの方がちょっと分かりやすいかもしれない、っていう意味で僕は今回、吹替版が結構おすすめです。はい。

一番ノリとして近いのは、やっぱり本作の制作総指揮にも名前を連ねているマーティン・スコセッシの、『グッドフェローズ』かな、とも思います。つまり、説明もなく固有名詞がバンバン飛び交うことで、逆にその業界の真っ只中にいる感じ……要するに、業界の中にいれば、固有名詞なんか説明しないわけですから。その感じが体感できる作り、っていう感じだと思いますね。はい。

■ニューヨーク内幕物としても面白い、「ああ、こういう世界がたしかにあるんだろうな」感

それでこれ、撮影監督のダリウス・コンジさんが35ミリフィルムを使って……今回、35ミリフィルムで撮っています。あのざらついた質感が、70年代ニューヨーク犯罪物、っていうような感じがするのも、すごくいいですよね。

特に新鮮なのは、壁にかかってる写真、よく見ると、スリック・リックとこのハワードさんが一緒に撮った写真があったり……まあもちろん合成でしょうけど、そんな写真があったりとかして。そんな感じで、ラッパーとか、あるいは先ほどのメールでもあった通り、2012年の当人役として本作に出演しているバスケットボールのスター選手、ケビン・ガーネットさんとか……ちなみにサフディ兄弟、前に『レニー・クック』という、高校バスケのスター選手だった人のドキュメンタリーを撮ってたりする、というね。ちなみに今回のKG(ケビン・ガーネット)がやってる役は、故コービー・ブライアントにオファーして断られた役、という、こういう裏話もあったりするようですが。

とにかくその、ラッパーやスポーツ選手といったアフリカ系アメリカ人のスターが、そのラキース・スタンフィールドさん演じるデマニーのような仲介人を通して、ユダヤ系の宝石商とつながり、そういうブリンブリンな、キラキラしたアクセサリーを買っている、というこの感じ。映画などでこうやってはっきり描かれたことはあんまりないと思うんで。まずすごく「ああ、こういう世界がたしかにあるんだろうな」っていうのが、すごくリアルで興味深いわけですね。

なんか、ニューヨーク内幕物としても面白い。それでまあとにかく、この主人公のハワードがですね、開始早々からとにかく、常軌を逸したギャンブル体質、出たとこ勝負体質全開で。借金取りに追いかけ回されてるにも関わらず、なんかちょっと金目なものとか、ちょっと現金が手に入ると、それが人のものであっても、すぐに金に換えちゃって、それをバスケ賭博に全部突っ込んでるという、本当に綱渡り以外の何ものでもないサイクルを生きている、という。まあ、ざっくり言えばこれはですね、「アメリカ的な欲望」というものを極端に体現したキャラクター、というような言い方ができるかなと思います。

それゆえの、そのアイコンとしてのキャッチーさがある、というね。こういう共感できないエグいキャラクターがアイコン化していくタイプの作品ってたまにあったりしますけど、『アンカット・ダイヤモンド』のハワードはまさにそういうタイプの、アイコン化していくキャラクターかなっていう感じがします。それで、当然ですね、こんなのはちょっとでも綻びが出れば、全てがドミノ倒し的に崩壊していくに決まっている、狸の皮算用ベースのライフサイクルなので。当然、事態はどんどんと悪化していくわけですね。

ということで、このケビン・ガーネットに預けたオパール原石と、先ほどのメールにあった通り実際に2012年、彼がセルティックスでプレーした試合の行方、というのを中心にして、追ってくる借金取り、あるいはイディナ・メンゼルさん、『アナと雪の女王』でエルサの声をやっていましたけどね、あんな怖い顔していたなんて……(笑)。イディナ・メンゼルさん演じる奥さんとの、冷え切った夫婦仲。倦怠夫婦物でもある。それにさらにですね、やはり2012年の当人役、まだそこまで売れてないという立場役で出てくる、ザ・ウイークエンド。彼がどうしてここに出演しているかっていう経緯については、『キネマ旬報』5月上旬・下旬合併後で宇野維正さんが鼎談の中で語っているものがすごく詳しいので、こちらを読んでいただきたいですけど。

とにかくザ・ウイークエンドを挟んでの、ハワードの愛人であり雇用関係でもあるジュリアという方との、このイチャイチャ喧嘩関係、というね。これを演じていらっしゃるジュリア・フォックスさんという方は、映画は初出演だけど、ニューヨークでは知られたセレブというか実業家・アーティスト、という方らしいですね。あとはね、先ほども言ったけども、ジョン・エイモスさんっていう有名な俳優、『星の王子 ニューヨークへ行く』とかに出ていたあの俳優が出てきたり。その虚実の皮膜というか、本人が出ることによるその虚実の皮膜感みたいなところが、すごく味わいでもあって。あるいは本人に近いキャラクターが演じることとかがね、すごく面白い映画でもあるんですが(※宇多丸補足:他にも、コワモテの借金取りを演じているキース・ウィリアムズ・リチャーズさんは、街でスカウトされた演技未経験者、完全に“ホンモノ”寄りな方らしいです……)。

■後半に向けてどんどん高まるテンション。そしてラストは……

とにかく、そういうハワードを取り巻く人々との、ひとえに彼の身勝手さ、無謀さ故にこじれていくエピソードが、非常に非直線的に、つまりどこにストーリーが向かってるかは明確ではないんだけど、しかし着実に作品としてのテンションを高める方向で……つまり、各々きっちりハラハラさせられたりする見せ場とか面白さが用意されているため、作品としてのテンションはどんどんどんどん高まっていく感じで、散りばめられていく。たとえば、娘の演劇鑑賞をしていたら、その最中に「ああ、あいつらが来てる!」。そこからの脱出、からの監禁! とか。あるいは、息詰まるオークションでの価格吊り上げ工作! とかですね、そういう見せ場があって、テンションはどんどん高まっていく。

それで、どんどんどんどんドツボにハマっていくハワード。当然、自業自得そのものなんだけど、たとえば直前まで喧嘩していたあの愛人ジュリアの前で、「ううう……俺はもうダメだ! 何をやってもうまくいかないんだ!」とかね、グズったかと思いきや、これはジュリア・フォックスさんのアイデアだという、あの愛人ジュリアからのバカップル感丸出しの「あの」プレゼントにですね、「ううう……俺はこんなのに値しない男なんだ! 同じ墓には入れないよ〜?!」とか、また勝手なことを言ってると……そこに入ってきた救いの神的な商談に、いきなりケロッとして、「いやー、やったぜ! マジでオレ、本当にハンパないんだけど!」みたいな(笑)。

この、本当の意味での凝りなさが、だんだん清々しく、かっこよく見えてくる、っていうね。あとはやっぱりアダム・サンドラーゆえの憎めなさ、愛嬌がもちろんある、というあたりで、どんどんどんどんとハワードの行動から、やっぱり目が離せなくなってくる。その極みはもちろん、クライマックスに突入していく、あのきっかけですね。オフィスでKGと話していて、勝負師の魂に、またまた火がついてしまう!っていうこのくだりで、その目に宿る狂気に、あのKGが……もう海千山千の勝負師、まさにトップで勝負しているKGが、ひるむ。そこからの、実際のですね、これ2012年のセルティックス対セブンティシクサーズの試合状況とシンクロしての、一世一代の大博打……しかもそこは、単身カジノに乗り込んでいるジュリアさんの、非常にサスペンス的な状況とも並行してあるから、とにかくまあハイテンションで盛り上がっていく、という。

それでそこから、どういう風に決着がついていくのか? 僕は思わず、「あっ!」と声を上げてしまいましたけどね(※宇多丸補足:ここ、撮影時のアクシデントから本気で身の危険を感じていたという、エリック・ボゴシアンの迫真の表情にも注目です!)。ものすごく突き放したラストのように見えるけど、なぜか高揚感とか、ある種の……つまり、やっぱりやつの幸せさっていうか、こういう風に生きてるやつって幸せなのかな、って気もするから、っていうところもあります。そしてやはり、そういういろんな人が出入りをするわけですけども、いろんな粗削りな人生、人間というもの。俺たちは、夜空に輝く、キラキラ光る星の原石だよね、粗削りだけど、そのままでは価値はないけど……みたいな。そんな、サフディ兄弟ならではの着地。

ということで、非常に人を選ぶ作品なのは間違いないので、見る前に覚悟はしていただきたいですが。僕はちょっと不思議なほどハマって。中毒的にハマってしまいました。たぶんこれは、カルト映画的に語り継がれ、上映され、愛されていく作品になっていくんじゃないですかね。この機会にぜひ、Netflixでウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週も、配信映画を評論する配信限定ウォッチメン。山本匠晃アナがガチャを回した結果、課題映画は『エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語』(YouTubeムービー/Google Play)に決まりました)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

「新曲『Living in a Ghost Town』発売記念! ローリング・ストーンズとレゲエの深い関係~キース・リチャーズ編」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/05/01)

「新曲『Living in a Ghost Town』発売記念! ローリング・ストーンズとレゲエの深い関係~キース・リチャーズ編」

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします。「新曲『Living in a Ghost Town』発売記念! ローリング・ストーンズとレゲエの深い関係~キース・リチャーズ編」。

BGM Living in a Ghost Town / The Rolling Stones

スー:ローリング・ストーンズ、新曲が出たんだよね?

高橋:うん。先週金曜日、4月24日に8年ぶりの新曲「Living in a Ghost Town」をリリースしました。さっそく世界20ヶ国のiTunesチャートで1位を記録するヒットになっています。

スー:すごいよね! あのライブをやった前後かな?

高橋:そうそう。4月18日にインターネット配信されたチャリティ番組『One World: Together At Home』の直後です。それにしてもスーさん堀井さん、ストーンズは今年でデビュー57年、ボーカルのミック・ジャガーはいま76歳ですからね。

スー:よく動けますよね。一時期体調を崩していたときもありましたけど。

高橋:最年長のドラマー、チャーリー・ワッツに至っては78歳ですよ。堀井さん、いまお手元に写真あります? チャーリーは完全に堀井さん案件ですよ。ロマンスグレーのヘアスタイルが素敵で。

堀井:ああっ、好き! 好き好き!

スー:枯れ専の堀井さんにはドンズバだよね。

堀井:ああ、もう本当にありがとうございます。よく紹介してくれました。今後の生活が豊かになります。

スー:フフフフフ、よかったよかった。

高橋:この「Living in a Ghost Town」は一年ぐらい前にレコーディングしていて、いま制作中のニューアルバムに収録する予定だったんですって。でも、その内容が新型コロナウイルス禍で世界の多くの都市がロックダウンされている現在の状況と重なるところが多かったということから、急遽仕上げて配信リリースすることになったそうです。

スー:「Living in a Ghost Town」というタイトルから情景が目に浮かぶもんね。まさにいま、そこらじゅうがゴーストタウンみたいになってるからさ。

高橋:まさに歌詞がそんな状況を歌っていて。「俺はゴーストタウンに棲む幽霊。いままで楽しく生きてきたのに、すべてがロックダウンされてまるでゴーストタウンに棲む幽霊のような気分。どこにも出かけないでひとり閉じこもっている」という。まさにコロナ禍の世界の「たったいま」を歌ったコンセプトの曲をこのタイミングで出してきたのもすごいんですけど、約60年もの活動歴を誇るバンドがストリーミング時代の流儀をわきまえた「機を見るに敏」なフットワークで曲を出してきたのもすごい。そしてなによりも曲からあふれ出るバイタリティーですよね。ストーンズ、まだまだ元気だなって思いました。

スー:なんですか? 堀井さん、どうしました? チャーリー・ワッツが好きすぎる?

堀井:フフフフフ、いまチャーリー・ワッツに見守られているから。今日はね、ちょっと癒やされたいと思ってたまたまスタジオに置いてある私のおじいちゃん写真集を見ていたところだったんですよ。だからちょうどこの特集があってよかった(笑)。

高橋:堀井さんはスタッフが用意したチャーリー・ワッツの画像を真横に置きながらしゃべっています(笑)。話を戻すと、この新曲の音楽的なポイントとしてはレゲエにインスパイアされたと思われるリズムを使ってる点なんですね。ファンの方はよくご存知だと思いますけど、ローリング・ストーンズはレゲエが大好きなんですよ。1970年代以降たびたびレゲエの要素を取り入れた曲を作っているほか、ジャマイカでアルバムのレコーディングをしたこともあって。自分たちのレーベルからボブ・マーリーとウェイラーズというグループを組んでいたピーター・トッシュのアルバムをリリースしたこともあるんですよね。

今日はそんなストーンズとレゲエの関係をテーマに曲を紹介していきたいんですけど、なにせ数が多いのでバンドのギタリスト、キース・リチャーズの関連作品に絞って4曲お届けしたいと思います。初夏の陽気の東京にバッチリはまるゆるいひとときをお楽しみください。まずはやっぱりローリング・ストーンズの曲から始めましょうかね。キース・リチャーズがリードボーカルを担当している曲、1997年リリースのアルバム『Bridges to Babylon』に収録の「You Don’t Have To Mean It」です。

M1 You Don’t Have To Mean It / The Rolling Stones

スー:本当に今日の天気にぴったりな明るいカラッとしたレゲエですね。

高橋:めちゃくちゃ気持ちいいでしょ? 続いてもキースが歌うレゲエナンバーを聴いていただきたいと思います。今度はキース・リチャーズのソロ作品、2015年リリースのアルバム『Crosseyed Heart』から「Love Overdue」。これはゲストにレゲエ界の生ける伝説、リー・ペリーをフィーチャーしています。キースは結構レゲエの名曲をカバーしていて、たとえばジミー・クリフやメイタルズの曲を歌っていたりもするんですけど、これはいまはもう亡くなってしまった偉大なシンガー、グレゴリー・アイザックスの1975年の作品の素晴らしいカバーになります。

M2 Love Overdue feat. Lee "Scratch" Perry / Keith Richards

※動画はリー・ペリーが参加していないバージョンになります

スー:これはかなり本格的というか。フレイバーづけられていない本気のレゲエですね。

高橋:うん、キースのレゲエに対する造詣の深さがよくわかる曲だと思います。このリー・ペリーとのコラボもそうですけど、キースは1970年代のころから本場ジャマイカのレゲエアーティストと積極的に交流を行なっているんですね。今度はそんなキースが参加したレゲエシンガーの作品を紹介したいと思います。

さっきのリー・ペリーともゆかりの深いマックス・ロメオの「Wishing For Love」。1981年リリースのアルバム『Holding Out My Love to You』の収録曲です。キースはこのアルバムでプロデュースを手掛けつつギターも弾いていて。これから聴いてもらう曲はアルバム中でもベストといえる仕上がりの曲で、とろけそうなほどに甘いレゲナンバーです。

M3 Wishing For Love / Max Romeo

スー:いやー、なんかもうジャマイカの浜辺にいるような気分になってきたね。

高橋:ね。放送終わったら白ワインでも飲もうかな(笑)。

スー:フフフフフ、私はジュースにしておきます。

高橋:最後もジャマイカのレゲエアーティストの曲を聴いてもらいたいと思います。こちらは1970年代から80年代にかけて活躍した3人組ボーカルグループ、アイタルズの「In a Dis Ya Time」。1976年の作品です。これはキース・リチャーズのお気に入りのレゲエナンバーなんですけど、スターバックスコーヒーが立ち上げたレーベル「Hear Music」が以前に人気アーティスト自ら選曲した『Artist’s Choice』というコンピレーションシリーズを出していて。

スー:あー、あったね!

高橋:そうそう、エルヴィス・コステロ編、ジョニ・ミッチェル編、ノラ・ジョーンズ編、ボブ・ディラン編などが出ていましたね。そのなかにローリング・ストーンズ編もあるんですけど、各メンバーが3〜4曲ずつ選曲をしていて。そこでキースが選んでいる曲のひとつがこのアイタルズの「In a Dis Ya Time」になります。ライナーノーツにはメンバーのコメントも掲載されているんですけど、キース曰く「自分にとって完璧なレゲエトラック」と絶賛しています。

M4 In a Dis Ya Time / The Itals

スー:窓を開けてベランダでボーッとしたいね、これは。

高橋:なんだか眠くなってきた(笑)。というわけで「ローリング・ストーンズとレゲエの深い関係~キース・リチャーズ編」として4曲聴いてもらいました。ストーンズは最初に話した『One World: Together At Home』でのパフォーマンスも素晴らしかったし、この新曲の出来からしてもニューアルバムはかなり期待できるんじゃないかと思います。あ、堀井さんにはチャリー・ワッツがジャズアルバムを出しているのでそちらを楽しんでいただけたらと(笑)。

堀井:曲を聴いてるあいだチャーリー・ワッツのことド検索していました。

高橋:アハハハハ!

スー:今日はキース・リチャーズの特集だっつーの!

堀井:「休日は妻と乗馬を楽しむ」とか「持っているスーツは200着」とか。

スー:フフフフフ、キース・リチャーズの身にもなってよ!

高橋:じゃあいずれチャーリー・ワッツの特集も考えたいと思います(笑)。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

4月27日(月)

(11:06) Handle with Care / Traveling Wilburys
(11:26) You Got It / Roy Orbison
(11:37) Learning to Fly / Tom Petty & The Heartbreakers
(12:11) Cheer Down / George Harrison
(12:22) So Serious / Electric Light Orchestra
(12:52) 車も電話もないけれど / ユニコーン

4月28日(火)

(11:07) Head Over Heels / Tears for Fears
(11:26) When Love Breaks Down / Prefab Sprout
(11:36) If You Leave / Orchestral Manoeuvres in the Dark
(12:13) Lay Your Hands On Me / Thompson Twins
(12:51) 以心電信 / Yellow Magic Orchestra

4月29日(水)

(11:07) More Today Than Yesterday / Barbara Acklin
(11:25) This Love Is Real / Jackie Wilson
(11:36) The Waiting Is Not In Vain / Tyrone Davis
(12:11) Love Land / The Lost Generation
(12:24) Here Is a Heart / Ginji James
(12:50) Deep French Kiss / ORIGINAL LOVE

4月30日(木)

(11:06) Each and Every One / Everything But The Girl
(11:36) All Gone Away / The Style Council
(12:13) Thinking of You / The Colourfield
(12:24) Like Nobody Do / Louis Philippe
(12:48) 全ての言葉はさようなら / Flipper’s Guitar

5月1日(金)

(11:06) Miss You / The Rolling Stones
(12:17) Da Ya Think I’m Sexy? / Rod Stewart
(12:23) Fun Time / Joe Cocker


宇多丸、『エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語』を語る!【映画評書き起こし 2020.5.1放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語』202034日公開・(YouTubeムービー/Google Play))です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン改め、配信映画を評論する配信ウォッチメン。『DVD&動画配信でーた』編集部監修のガチャリストの中からカプセルが当たったのはこの作品……アマゾンプライムビデオやU-NEXTで配信中、『エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語』

(曲が流れる)

2008年にガース・スタインが発表したベストセラー小説を映画化。実力はあるがチャンスに恵まれないカーレーサーとその家族の人生を、彼らを見守り続けた犬の視点から描く。ケビン・コスナーが主人公の犬・エンツォの声を務める。その他の出演は、『ロッキー・ザ・ファイナル』……それから『クリード2』にも出てきましたね、ロッキーの息子役とか、あとは『HEROES/ヒーローズ』などでもおなじみの、マイロ・ヴィンティミリアさん。それから『マンマ・ミーア!』シリーズのアマンダ・セイフライドさんなど、ということです。監督は『マリリン 7日間の恋』などのサイモン・カーティスが務めた、ということです。

といったあたりで、この『エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「いつもよりちょい少なめ」。まあ見られる環境、見られない環境の方もいらっしゃるでしょうから。賛否の比率は褒める意見が「6割」。否定的意見が「1割」。中間、もしくは両論併記が残り3割。おおむね好評といった感じでございます。

主な褒める意見は、「軽い気持ちで見始めたらラストで大号泣。とても良い話だった」「語り手を犬のエンツォにしたのが素晴らしい。演技も達者だし、なによりかわいい」「コロナで疲れ気味の今、安心して誰にでも勧められる良い映画」などなどがございました。一方、批判的意見としては「後半、ご都合主義の展開が多く、興ざめしてしまった」「どこかで見た展開が多く、シンプルに面白くない」などの声がありました。

■「『犬』『カーレース』が前向きの象徴として描かれることで、『人』も希望に向かうものと思わせてくれる」(byリスナー)

それでは代表的なところをご紹介しましょう。「エミ」さん。「初投稿です。いわゆるザ・動物物のご都合主義的な展開は否めないところはありましたが、この映画は『前向きさとは、人がもともと備えている能力である』と私に教えてくれた気がしました。本作の構成要素は『人』『犬』『仕事としてのカーレース』と大きく分けて3つあると思いますが、『人』以外の部分……『犬』と『カーレース』については概念そのものからして前向きさの象徴であるようにか描かれています」ということで。途中、いろいろと書いていただいていて。

……これらの構成要素が前向きでしか成立しないものとして描かれていることで、私は自然と『人』という要素の部分も、前向きでしか成立してない存在なのではないか、と知らず知らずのうちに思わされていました。この映画を見て、人の概念の中にも『希望に向かう』という性質があると思えたら、少し気持ちが晴れると思います」というね。要するにカーレースは目的に向かって進んでいく。犬もまっすぐに前向きに進んでいく、みたいな、そういうことを書いていただいております。

あとはちょっと批判的な意見。ラジオネーム「もりすけ」さん。「『エンツォ』、さっそくアマゾンプライムにて監視してきました。エンツォと家族の物語にレース要素も加わり、とてもユニークな切り口だと思いました。ただ内容については平凡に感じてしまいました。これは個人的な趣味の問題だとというのは承知の上なのですが、家族や友人、恋人といった近親者の病気などで安易に感動を誘う映画は受け付けられないという歪んだ思想を持つ心の汚れた私にとっては、今回の中盤における展開はいただけませんでした。

またその後の(とある骨肉の)争い。エンディングに向けたレーサーとしての進展など、ある程度ストーリーも予想できるように感じてしまいました。犬好きにはとても楽しめる映画かもしれません。かく言う私もエンツォとよく似たゴールデンレトリバーを飼っていたので、彼女を思い出しながら見ることができました。一方、レースシーンはほとんどなく、F1ファンなどにとっては物足りない内容だったかもしれません」というね。

要するに、「ワンちゃんの視点だから、ワンちゃんが見てる光景じゃないとダメ」ということがあって、たとえばレーサー視点みたいなものは、主人公がパソコン越しに反省用に見ている画面とか以外は、なかなか見れない。だからこそ、あの最後の場面が……というのはあるかもしれませんけどね。

■日米共に定期的に作られている「犬エクスプロイテーション映画」

ということで『エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語』、私もアマゾンプライムで、まずは吹き替え版を購入して見て、その後、すでにアメリカ版では輸入Blu-rayが出てますので、そちらで英語版と、サイモン・カーティス監督の音声解説が入っているので、そちらを見たりとかして、ちょっとね、資料が少なかった分を勉強させていただきました。

アメリカ本国ではちなみに、昨年8月に普通に劇場公開していた作品です。なので、日本では3月から配信のみで……というような作品になっております。日本題からも明らかなように、まあワンちゃん映画なわけです。言わずもがなね。要は「犬と飼い主の心温まる交流を描く」みたいなね。賢くてかわいいワンちゃんが、健気に振舞う姿を見てるだけで、「はきゅーん!」となってしまうという。いわば「犬エクスプロイテーション映画」。定期的に作られ、一定の成績を着実に残すという、完全に映画の中の1ジャンルですよね、これね。日本映画でもアメリカ映画でもある。特にアメリカの映画は、ここのところ定期的に出てくる感じがある。

僕のこの映画時評コーナーで言うと、前の番組時代、2017107日、ラッセ・ハルストレムさん監督の『僕のワンダフル・ライフ』なんかがまさにそれで。まあ犬エクスプロイテーションというジャンルについてもその評の中でいろいろ触れてるので、興味ある方は『ウィークエンド・シャッフル』のホームページに公式書き起こしが残っているので、ぜひ参照していただきたいですね。特に『僕のワンダフル・ライフ』ね、途中の70年代ポリスアクション風パート、ジョン・オーティス演じる「カルロス」のエピソード、もう今思い出しても俺はちょっとウルッときちゃぐらい、あそこは本当に素晴らしかったですけどね。

で、その『ワンダフル・ライフ』も、元はというと2011年にアメリカで出版されてベストセラーになった原作小説、っていうのがあるんだけれども。そんな風に、そもそも「犬物ベストセラー本」っていうのが、アメリカは定期的に出る土壌があるっぽくて。今回のその『エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語』も、原題The Art of Racing in the Rain……「雨の中のレースのワザ」みたいな感じかな、これは要するに、「人生を生き抜く術」というもののメタファーでもあるわけで。これ、すごく素敵なタイトルだと思いますね。『The Art of Racing in the Rain』。素晴らしいと思うんだけど。

とにかくこの作品も、『ワンダフル・ライフ』の原作よりもさらに古い、2008年にガース・スタインさんという方による小説が出て、ベストセラーになっているという。で、日本でも、ヴィレッジブックスから2009年に、『エンゾ レーサーになりたかった犬とある家族の物語』という、『エンゾ』という風なタイトルで翻訳版が出ているんですけども。これはとうに絶版らしくて、今回の評のために古本を取り寄せて読んでみたら……この原作をどう映画化したのか?っていう部分が興味深かったので、後ほどそれはいろいろと話しますけども。とにかくこの原作小説が、2008年にアメリカでベストセラーになって。わりとすぐ、翌2009年には、当然のように映画化の話も持ち上がっていたんですね。

なんだけど、なかなか監督が決まらず、映画会社も二転三転するうちに、ここまでかかってしまったという。まあ2008年といえば、僕、個人的に犬エクスプロイテーション映画の中でトップクラスに評価している、『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』、これは2005年に出た本が元になって、2008年に映画化されて大ヒットした。だからハリウッド的には、「ベストセラー原作のワンちゃん映画、行けるぜ!」っていう機運が高まっていた時期、ということも言えるかもしれません。でも、ともあれなかなか実現しなかったこの『The Art of Racing in the Rain』の映画化。まあレース要素とかも入ってくるんで、ちょっとね、ハードルが高かったのかもしれないですけども。

実は今回、プロデューサーとして名前を連ねている、『グレイズ・アナトミー』などでもおなじみのパトリック・デンプシーが、元々は自ら主演するつもりで進めていた企画だった。というのはこのパトリック・デンプシーさんは、チームオーナーかつドライバーとして、モータースポーツをゴリゴリにやってる人なんですね。なので、たしかに本作の主人公にはぴったりだった。まあパトリック・デンプシーがやってたら、本当に運転するシーンも自分でやる、ぐらいの感じだったかもしれませんけど。ただたぶん、この企画が10年以上延びるうちに、おそらく主人公としては年齢的なバランスが取れなくなってきちゃって。本作ではおそらく制作に回った、という形なのではないかと思うんですが。

■良くも悪くも淡々としたエンターテイメント作品の枠内に収めきるサイモン・カーティス監督の手腕

それで、ようやく最終的に監督として決まったのが、サイモン・カーティスさんっていうね。長編映画としてはこれまで、『マリリン 7日間の恋』であるとか、『黄金のアデーレ 名画の帰還』というナチスに取られちゃったクリムトを取り返すっていうの、あとは『グッバイ・クリストファー・ロビン』っていう、これは『くまのプーさん』誕生秘話というか、などなどを撮ってきた方で。まあ、扱っている題材とかはそれぞれなんですけど、あえて一貫した構造とか、トーンを見出すならば、どれも……今回の『エンツォ』もそうですけど、「すでに過ぎ去った最良の時」っていうのを、それでもその後の人生の糧として肯定的に振り返る、っていう話ですよね。どれも一貫してね。

で、それを割と手堅く……これ、良くも悪くもなんですけど、良くも悪くも淡々としたエンターテイメント作品の枠内に収めきる、っていう感じですね。はい。良くも悪くも淡々としてるっていうね。だから、『アデーレ』とかもナチス物と言えばナチス物なんだけども、たとえば裁判も出てきたりとかあるんだけど、わりと「ああ、そこはあっさりなんだ」みたいなところもあるっていうね。まあ職人的な作り手、というようなことは言えると思います。

それで今回の『エンツォ』も、ともすればですね、ズブズブにお涙頂戴の、安っぽく陳腐なメロドラマになりかねない……本当に、下手な志の低い作り手たちの手にかかれば、いくらでもしょうもない代物になっていったであろう題材ではあると思うんですよね。なんだけど、これはまあマーク・ボンバックさんによる脚色、原作小説からのアダプテーションも含め、非常に抑制とサービスのバランスを品よく保っていて、まさしく過不足ない仕上がりに持っていった。すごく抑制も効いているけど、でもサービスもちゃんとする。泣かせもするけど、嫌な泣かせはしない、みたいな感じで。やはりサイモン・カーティスさんの腕はしっかり生かされてるな、という風に思います。

■犬物映画の中で大切なのは、どこまで擬人化されているのかというルール

ということで、じゃあ実際にね、『エンツォ』はどういう作品なのか、ちょっと順を追って話していきたいと思うんですけど。まあ犬物映画、たくさんあるわけですが。まず大きなポイントとなるのが、先ほど番組オープニングでもチラッと言いましたが、その作品内での犬描写、動物描写のルールがどういうことになってるのか、観客にそのルールをすんなり飲み込ませられるのか、ということだと思うんですよね。まあ本作『エンツォ』の場合、原作小説がまずそういう作りなわけなんだけど、基本犬の内面の独白、犬の一人称で語りが進んでいくわけです。エピローグ以外。まあ、このエピローグについては後ほどまた言いますけど。

その一方で、「客観的に起こっていること」っていうのは、あくまで現実の犬という動物の行動原理の枠内に収まっている。つまり、我々が見ている「犬らしい行動」の向こうには、実は犬なりのこういう思考があるのかもしれないな、と思わせるような作りっていうことですね。その意味で、どの程度、犬を犬のまま描きつつ、でも擬人化というか、人間的な感情移入もさせるのか?っていうバランスは、やっぱりですね、さっき言った『僕のワンダフル・ライフ』が一番近い、と言えると思います。たとえば冒頭。これは原作小説も全く同じ始まり方をするんですけど、家の中でぐったりと横たわってる老いた犬がいて、彼の独白……映画ではナレーションが始まるわけです。

で、その声をあてているのが、オリジナル版の映画ではケビン・コスナー。日本語吹き替えは菅生隆之さん。トミー・リー・ジョーンズの「宇宙人ジョーンズ」の二代目、っていう感じですけども。とにかく要は、非常に落ち着いた、老成したようなトーンの声、話し方で、「犬には人間のように話す口の構造がないので、ジェスチャーするしかないんだ」みたいなことを言うわけです。つまり、この冒頭のセリフでもう、この作品内の犬という存在に関するルールを、さっそく端的に明示してるわけですね。

実際、本作におけるエンツォくんのその独白の内容、それ自体は、この冒頭部での、要するに「人間とは舌の構造が違うからさ……」なんてことを言う、そういうことに言及をしたりとか、あとは、後でいろいろ出てくるモータースポーツに関するいろんな知識であるとか、そういうのは人間たちがしている話とか、テレビから学んだっていうことらしい、そういうことになっているんだけども、まあ明らかに現実の犬の思考よりは、グッと擬人化が強めですよね。

その意味ではフィクション度が高め、とも言えるんだけど、ただその結果となる客観的な行動、あるいは彼が取れる行動の範囲ってのは、あくまで現実の犬の枠内にとどめているので。あと、あるいは彼が言っている現実認識と、客観的な現実っていうのが、観客にはわかる範囲で、隔たりがあったりもするわけです。犬としてはこう言ってるけど、客観的に人間が見ると、「いや、それは違うよ」っていうのが分かるようになっている。つまり、やっぱり彼はとはいえ犬なんだ、いろいろ能力的に言っても犬なんだ、ってことが改めて示されたりする部分も多々あるため、お話そのものが、人間ドラマも絡んできますから、現実離れはしていかないように、実はやっぱりかなりしっかりバランスが取られている、という作りになっていると思います。

■ゴールデン・レトリバーの「演技」に感心

また本作においてですね、犬のエンツォを演じているのは、年齢、場面によって入れ替わる、複数のゴールデンレトリバーなんですね。ちなみにこれ、原作では雑種なんですけど、映画だと子犬から老犬まで、要するに違う犬を揃えなきゃいけないっていう時に、雑種だと同じ按配のを揃えるのが無理なんで、なのでゴールデンレトリバーということにしました、っていう風に、監督が音声解説でもおっしゃっていましたけども。まあ、ゴールデンレトリバー。基本的には幼犬の時、ちょっと若い時――これが一番多いですけど――の犬と、老犬になってから、の3匹。それと、吠える時だけちょっと気性の荒い子を連れてくるとか、そういうことをやっていたらしいんですけども。まあ、複数の犬が演じるゴールデンレトリバー。

とにかく、メイキングや音声解説によればですね、たとえばその冒頭、ぐったり横たわっているそのエンツォ。彼のもとにマイロ・ヴィンティミリア……『ヒーローズ』とかロッキーの息子役をしていた彼が演じる、実質上の主人公・デニーが歩み寄っていく。そうすると、その老いたエンツォを演じる、元の名前はバトラーだったかな、そのワンちゃん、ゴールデンレトリバーが、飼い主が寄ってきたら、彼の方に目線を……犬ってちゃんと白目がありますから、目線をクッと上げるんですよね。で、これとか、作品によっては犬のその白目を強調した作品って、CGをバンバン使ってるっていうか、この間のね、『野性の呼び声』とかあれなんかもうね、ザ・CG!っていう感じでしたけども。

これ、CGじゃなくて、本当にこのバトラーくんの「演技」なんだそうです。この目をクッと上にやるっていうのは。他にもそういう、まさにその「エンツォなりの意志」というものを感じさせる、本当の生の犬の演技が、もちろんその巧みなドッグトレーナーの指導とか、あるいは巧みな編集技術、要するにカットを組み合わせることによってそう見せてる、という部分はあるけれども、とにかくごく自然に人間たちのドラマ演技と溶け合っている、というところがある。たとえばあのね、このメインのキービジュアルにもなっている、最後、この赤いテスタロッサに乗っかって念願のドライブをする、という場面。あそこでエンツォは、そのデニーの肩に、頭をクッと乗せるんですけど、あれ、彼が自然とやったアクションらしいんですよね。

なので、そういう感じ……もちろんおそらくドッグトレーナーの方々の非常な優秀さを含めた、見事なその犬演出、犬演技。そこも本作が、わりとすんなりドラマとして、フィクショナルな部分もあるんだけど、わりと飲み込みやすい……さりげなくも、でもここがダメだと全然ダメっていう、すごく重要かつ高度なポイントじゃないかな、という風に思います。そこだけでも実は、すごくよくできている、という風に思いますね。

他の犬物映画ではあまり見たことがない「犬幻覚」シーン

で、今回の映画化された『エンツォ』。さっき言ったようにですね、老いて間もなく寿命を迎えようかというそのエンツォの、これまでの人生を振り返る、っていう形で、子犬の頃、そのデニーに買われていく、というところに戻って。そこから今に至るまで、というのをやるというその全体の構成とか。

あるいはその、レーサーであるデニーが語る、モータースポーツの哲学っていうのが、そのままそのエンツォにとっての、そして観客にとっての、人生訓になっていく、っていうそのパンチラインの数々など、基本的なところは、わりと原作小説に忠実に進んでいく。特に僕は個人的に、ここが本作で一番フレッシュ、他の犬物ではあんまりこれは見たことないな、っていう描写だったんですけど、エンツォ、犬の目から見た、要するにデニーの人生……アマンダ・セイフライド演じる奥さんとかわいい娘がいて、非常に順調に見える彼の人生っていうものに、影が差し始めるわけですけど、そのきっかけとしてですね、ある事件がある。

エンツォが、その時点では理由も分からないまま、あるかなり過酷な生活を強いられる、という展開があるわけです。ここがすごく実は「えっ!」っていう……ちょっと今までの犬物にはない、「えっ、これはなんなの? ちょっとひどいんだけど……という場面が来る。その上で見た、「犬幻覚」。みなさん、「犬幻覚」シーンですよ! それを含め、ここはかなりドキドキさせられるし、非常に新鮮なくだりでした。しかもここは、原作小説通りでもあるんだけど、後半になって逆に事態を好転させていくひとつのきっかけとなる、伏線にもなってる、というね。非常に上手い仕掛けのあたりですけども。

一方で、原作小説からはっきり改変してる部分もあって、そっちも概ね、いい結果を生んでいると思います。最大の改変は、何と言ってもですね、その主人公のデニーがどんどんどんどん追い込まれて、最後には逮捕されるわ、訴えられるわ、お金はなくなっちゃうわで、なかなかエグい苦境にまで追い詰められてしまう。もう見てる観客も、「えっ、これはもう彼の人生、おしまいじゃね?」って思うところまで行ってしまう。で、その訴えられる内容、あるいはその訴えを直接を起こしてきた人物っていうのが、根本的に変えられているんです、実は。

具体的には、これね、原作小説だと、「未成年に対するレイプ疑惑」っていうのをかけられるんです。もちろん、やってないんですよ。やっていない。これは単なる無実なんだけども、(疑惑を)かけられるというところで。これは小説でも、なかなかに後味の悪いエピソードでもあるし、監督のサイモン・カーティスさんは音声解説でもこれ、はっきり言ってましたけど、その主人公デニーとモメることになる、その元凶である、義理のお父さんとお母さん、つまり、アマンダ・セイフライド演じるイブのご両親……キャシー・ベイカーと、ハル・ハートリー作品でもおなじみマーティン・ドノヴァン、非常にとても繊細な演技をしてるこの義理の両親ですね、彼らを、「決定的な悪役として描きたくなかった」という風に、監督は言っている。

彼らは彼らなりに、孫のことを思ってのことだし。で、ちょっとした行き違いから揉め事がデカくなっていく、その発端として、今回の映画版の揉め事の発端ぐらいの方が、俺はむしろリアルっていうか、ああ、このぐらいだったら全然あり得るよね、っていう感じに収まってるから……あとやっぱり、1人の明白な悪役っていうのを作らないっていう方がよかったな、っていう風に、僕はいい改変だな、と思います。同様にですね、本当は裁判のくだり。決着が付く前に、デニーが訴えを起こしてきてる相手に、切々とその自分の無実を訴えるっていう、小説版にも類似したところがあるシーンを撮ったんだけども、説明過多と判断してカットした、っていう風にもおっしゃっている。

これもやっぱり、サイモン・カーティスさん監督作に共通する、さっき言ったある種の淡白さ、くどくなさっていうのが、本作ではメロドラマ的側面に対して、非常にスマートに機能している。彼の特質、淡々としているというところが、プラスに働いてる部分だな、という風に思います。

■エモーショナルな場面では抑制の効いた映画的演出。繊細さ、品の良さが味わえる

で、それが最もよく現われてるのが、やはりですね、登場人物の誰かが亡くなる、というような場面。先ほどもね、そこがやっぱり受け入れられないという方もいらっしゃる、それもわかるんですが。音声解説によれば、監督自身かなり意識的に、たとえば露骨に大声で泣く、とかは一切やらないように、それを意識してやっている。

たとえば、この悲しすぎる報せというものを、娘にどこ伝えたものか?というお父さんのデニー、そしてあどけない表情で眠っている娘のゾーイ……カットがぱっと変わると、このゾーイの表情が、パッと頑なに、ちょっと大人びた表情になっている。そして、何かを忘れようとするが如く、集中して彼女の髪をとかすお父さんのデニー。服はもちろん正装になっている。つまり、何事かを物語っているわけですね。それで時折、エンツォとゾーイは目が合うんです。なんだけど、おもちゃを口にくわえて来たそのエンツォに対して、ゾーイが放つセリフの、非常に何と切ないことか……っていう。

つまり、事程左様にですね、全編ナレーションで埋め尽くされた作品ではありますが、肝心のエモーションを伝えるところになると、直接的なセリフじゃなくて、むしろ「無言で交わされる視線」といった、本当に実に映画的な演出によって、それらを表現していて。あと、もうひとつ大きな映画的な改変として、原作では中盤に出てくる「エンツォを乗せてレースコースを走る」というくだりも、本作では、これはエンツォの人生……「犬生」に対する、最後のご褒美として、ラストに持ってきている、という。これも素晴らしい改変ですね。赤い、クラシックなテスタロッサ。たぶんレプリカですけど、赤いテスタロッサに、縁が非常に映える場面で。美しい車、美しい男、美しい犬!っていうね(笑)。素晴らしい場面になっている。

で、エピローグ。ここだけエンツォ視点から離れた、後日譚があって。これは原作にもあるパートなんですが。正直、『僕のワンダフル・ライフ』以上にこれ、なかなかトンデモな、フィクショナルな飛躍が暗示されていて。僕は正直、「えっ、これはちょっと……いろいろ失礼じゃね?」とか思わなくもなかったんですけど(笑)。ただ、ここもあくまで、父と娘の間の無言の視線の交わしあいで、暗示される、というだけにとどめているので。やっぱり何かこうギリ、品を保っているんですよね。トンデモな結論に見えるんだけど。

ただね、気になるのはそれ以上に、ここのね、デニーのレーサーとしての出世ぶりの方が、実はめちゃくちゃファンタジーで。だってデニー、あれは結局、F1のエースレーサーになっちゃった、みたいなことでしょう? ちょっとだから、そっちの方がむしろ夢物語だろう、みたいな……これね、ある意味『マーリー』の真逆の結論になってるな、と思っていて。これ、『マーリー』と見比べても面白いあたりかなと思います。

ということで、お話としてはね、先ほどおっしゃっていた方もいた通り、たしかに想定内の中に収まってる部分が多いです。なんですが、この題材、このお話をどう料理するか、という点で、実はとてもいい仕事をしている。よくこのレベルまで持っていった、っていうか。

特にやっぱりですね、「視線の演出」の繊細さ、品の良さ。サイモン・カーティス監督のまさに職人の技を味わえる、っていうところもありますし。あと、マイロ・ヴィンティミリアの本当に陰のある色男っぷりと、エンツォを演じた各犬たちと彼らのトレーナー……自然に画面に目を引きつけられる、いい仕事をしている、というあたりで。犬物として僕、これはかなりしっかりした、出来のよい作品だったなと思います。この時期にお宅で配信などで見るにも、本当にぴったりな作品ではないでしょうか。ぜひぜひいろんな形で、ウォッチしてください!

(以下、ガチャ回しパートにて……

山本匠晃:では、来週の課題映画の候補を発表します……

宇多丸:あ、ちょっと待って。『エンツォ』、ちなみにひとつだけみんなががっかりすることを言うと、最後のレースコースのシーンで、デニーとエンツォが2人で(テスタロッサに)乗っている、アップのシーンは、グリーンバックです(笑)。

山本匠晃:なにー! グリーンバックっていうのは、映像を合成しているという?

宇多丸:合成です。たぶん、テスタロッサが高すぎて……(笑)。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週は、4月後半にDVDやブルーレイが発売となった作品の中から候補を絞った「新作DVD&ブルーレイ・ウォッチメン」。ガチャを回して決まった課題映画は、『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』 Google Play / YouTube  です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

「魂を鼓舞する音楽、アフロビートを聴いてうちで踊ろう!」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/05/8)

「魂を鼓舞する音楽、アフロビートを聴いてうちで踊ろう!」

魂を鼓舞する音楽、アフロビートを聴いてうちで踊ろう!http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200508123300

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

スー:ヨシくん、今日は「魂を鼓舞する音楽、アフロビートを聴いてうちで踊ろう!」というテーマだそうで。

高橋:はい。めずらしいですね、タイトルをスーさんに言ってもらうなんて。

スー:だって台本に「スー」って書いてあったよ?

高橋:それは単に台本がまちがってるだけですね(笑)。

スー:我々はほら、台本を読むだけの人間だからさ。台本を読むだけの機械だから(笑)。

高橋:フフフフフ。「アフロビート」って聞いたことあります?

スー:わかんない。

高橋:堀井さんはどうですか?

堀井:もちろん初めて聞きました。

高橋:アフリカに関連する音楽であることは名前からなんとなくわかると思うんですけどね。アフロビートは西アフリカに位置するナイジェリアの伝説的なミュージシャン、フェラ・クティが中心になって1960年代後半に生み出された音楽スタイルになります。アフリカ音楽にジャズやジェイムズ・ブラウンのファンクを融合させて、さらにそこにアメリカのブラックパワームーブメント/黒人解放運動から影響を受けた政治的メッセージを込めた音楽になります。

実は先週4月30日、そのフェラ・クティの右腕的存在でアフロビートのパイオニアのひとり、偉大なドラマーのトニー・アレンが79歳でお亡くなりになって。今日はそんなトニー・アレンの追悼の意味を込めてアフロビートを取り上げようと思った次第です。アフロビートと、アフロビートがポップミュージックに及ぼした影響を聴いていきたいと思います。

まずはアフロビートやフェラ・クティの影響を受けた作品のわかりやすい例としてこちらを聴いていただきましょうか。

BGM Deja Vu (Live) / Beyonce

高橋:これはジェーン・スーさんの生きる糧ですね(笑)。

スー:はい!

堀井:ひとりですごい踊ってます(笑)。

高橋:もうこの番組では何度も紹介されていますね。去年Netflixで公開になったR&Bシンガーのビヨンセのドキュメンタリー映画『Homecoming』より、2018年のコーチェラフェスティバルでの「Deja Vu」のライブパフォーマンスです。この演奏ではフェラ・クティの1976年の作品「Zombie」のフレーズを引用しているんですよ。

ビヨンセとフェラ・クティの関係について話すと、2009年にフェラ・クティの生涯を描いたミュージカル『Fela!』がブロードウェイで上演されて非常に高い評価を獲得しているんですよ。トニー賞では11部門でノミネート、うち3部門で受賞しています。ビヨンセはその影響から2010年前後にフェラ・クティにインスパイアされたコンセプトアルバムをリリースする構想を立てていて。ほぼ完成していたにも関わらず、最終的にお蔵入りになってしまったんですけどね。ただ、ビヨンセが2011年に発表したアルバム『4』にはその名残があるんですよ、まさにアフリカ音楽の要素を取り入れた「End of Time」ではミュージカル『Fela!』のバンドが参加していたりします。

では、ここではビヨンセの「Deja Vu」のパフォーマンスで引用していたフェラ・クティの「Zombie」を聴いてみましょうか。ドラムを叩いているのは先ほど触れたトニー・アレンです。

M1 Zombie / Fela Kuti

高橋:ビヨンセが思い切り引用しているのがおわかりいただけたのではないかと。

スー:こっちのオリジナルのほうが軽くて湿度が低いというか、砂埃が舞ってるような軽やかさを感じるね。

高橋:かつ勇壮さもあったりしてね。こうしたフェラ・クティやアフロビートの影響を受けた音楽を紹介していくと結構キリがないところもあるんですけど、なかでもよく知られているのがデヴィッド・バーン率いるトーキング・ヘッズですね。

スー:はいはい。なるほど、わかってきたぞ。

BGM Fela’s Riff (Unfinished Outtake) / Talking Heads

高橋:いま聴いてもらっているのはトーキング・ヘッズの代表作、1980年のアルバム『Remain in Light』のアウトテイクなんですけど、このタイトルが「Fela’s Riff」と名付けられているんですよ。つまり「フェラ・クティにインスパイアされたリフ」ということですね。おそらく、こういうセッションを繰り返すことで目指すサウンドのイメージを固めていったのでしょう。

ここからもわかると思いますが、トーキング・ヘッズの『Remain in Light』は思いっきりアフロビートの影響を受けてつくられているんですね。このアルバムのプロデュースを担当したのはデビッド・ボウイやU2を手掛けているブライアン・イーノなんですけど、彼がトーキング・ヘッズのメンバーに聞かせたフェラ・クティの1972年のアルバム『Afrodisiac』が『Remain in Light』のモチーフになっているんです。

スー:へー!

高橋:今度はその『Afrodisiac』から「Alu Jon Jonki Jon」を紹介したいと思います。BGMで流れているトーキング・ヘッズの演奏が完全にフェラ・クティからインスピレーションを得ていることがよくわかると思います。こちらも先ほどの「Zombie」同様、ドラムはトニー・アレンによるものです。

M2 Alu Jon Jonki Jon / Fela Kuti

高橋:トーキング・ヘッズがどうやってフェラ・クティのビートを自分たちのスタイルへと昇華させていったのか、こうして聴き比べてみるとなんとなくわかってもらえるかと思います。

スー:かっこいいですねー。

高橋:かっこいいね、ぶち上がります。では、次はここ最近のリリースからフェラ・クティのオマージュ、アフロビートの影響を受けてつくられた曲を紹介したいと思います。イギリスのモンスターバンド、コールドプレイの「Arabesque」。これは去年の11月にリリースされた彼らの最新アルバム『Everyday Life』の収録曲です。

この曲はアフロビートの要素を取り入れつつ、フェラ・クティの肉声をサンプリングしているんですね。さらにフェラ・クティの息子フェミ・クティがホーンで参加していて、それに加えてフェミ・クティの息子マデ・クティがホーンアレンジに携わっているという。

スー:フフフフフ、全フィーチャーですね。

高橋:そう、一曲のなかに親子三代勢揃いしているというね(笑)。

スー:すごい、孫まで!

高橋:ここでコールドプレイがフェラ・クティのどんな言葉をサンプリングしているかというと、「Music is the weapon of the future」(音楽は未来への武器だ)というフレーズなんですね。これはナイジェリア政府の腐敗/悪政に音楽で闘ってきたフェラ・クティの活動を象徴するフレーズで、フェラ・クティのドキュメンタリー映画のタイトルも『Music Is the Weapon』だったりします。コールドプレイの今回のアルバムはさまざまな社会問題を扱ったメッセージ性の強い内容だから、まさにこのフェラ・クティのスピリットを継承しようとしているんでしょうね。

M3 Arabesque / Coldplay

高橋:この曲の雛形はコールドプレイが10年前、トーキング・ヘッズにフェラ・クティを聴かせたブライアン・イーノと行ったセッションから生まれたそうで。いろいろつながっているんですよね。

では、最後は「Zombie」と並ぶフェラ・クティの代表曲「Water No Get Enemy」で締めくくりたいと思います。1975年のアルバム『Expensive Shit』の収録曲。この「Water No Get Enemy」はR&Bシンガーのディアンジェロがカバーしているほか、ヒップホップの曲などでもよくサンプリングされているので聞き覚えのある方も多いのではないかと。これも引き続きドラムはトニー・アレンによるものです。

M4 Water No Get Enemy / Fela Kuti

スー:かっこいい!

高橋:今日紹介したフェラ・クティの曲、実はどれも10分以上あって。だから、どれも曲のほんの一部を聴いていただいたにすぎないんですよ。本来はその長い尺で聴いてこそのアフロビートみたいなところがあるんですよね。

スー:グルーヴ感とかね。

高橋:そうそう。いま各音楽ストリーミングサービスにフェラ・クティやアフロビートのプレイリストがたくさんあるんですよ。たとえばSpotifyだったらR&Bシンガーのエリカ・バドゥやトーキング・ヘッズを手掛けたブライアン・イーノの選曲によるプレイリストがあるし、AppleMusicだったらトニー・アレン自ら選曲したプレイリストもあったりして。まずはそういったプレイリストを通してどっぷりとアフロビートの世界に浸かっていただけたらと思います。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

5月4日(月・祝)

(11:08) Don’t Answer Me / The Alan Parsons Project
(11:26) Sunglasses / Tracey Ullman
(11:39) The Way Life’s Meant to Be / Electric Light Orchestra
(12:14) Say Goodbye to Hollywood / Billy Joel
(12:23) The Last Time / Daryl Hall & John Oates
(12:50) 雨は手のひらにいっぱい / SUGAR BABE

5月5日(火・祝)

(11:07) Carly Rae Jepsen / Part of Your World
(11:31) Michael Buble / You’ve Got a Friend in Me
(11:41) Billy Joel / When You Wish Upon a Star
(12:13) Mattew Morrison / A Dream Is a Wish Your Heart Makes
(12:23) Yuna / A Whole New World
(12:49) 小西康陽 / Part of Your World

5月6日(水・祝)

(11:05) You Can’t Hurry Love〜恋はあせらず〜 / Phil Collins
(11:25) Maneater / Daryl Hall & John Oates
(11:42) Drive it Like You Stole it / Sing Street
(12:16) Part Time Lover / Stevie Wonder
(12:24) Walking On Sunshine / Katrina & The Waves
(12:50) Crazy / NONA REEVES

5月7日(木)

(11:03) Iko Iko / Dr. John
(11:37) Hey Pocky A-Way / The Meters
(12:14) How Much Fun / Robert Palmer
(12:23) Dixie Chicken / Little Feat
(11:05) Hand Clapping Rhumba 2000 / Tin Pan

5月8日(金)

(11:05) Best of My Love / Emotions
(11:37) It Must Be Love / Alton McClain&Destiny
(12:12) Have Some Fun / B.T. Express

宇多丸、『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』を語る!【映画評書き起こし 2020.5.8放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』2019920日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン改め、最新映画ソフトを評論する新作DVDBlu-rayウォッチメン。今夜扱うのは、415日にDVDBlu-rayが発売されたばかりの、この作品です。『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』

(曲が流れる)

この、なんかちょっとポップなシンセ使いみたいなのも印象的ですよね……A24作品って、こういうチープなシンセの使い方をした音楽の作品が多い気がしますけどね、はい。生まれた時からウェブサイトやSNSが存在する「ジェネレーションZ」世代のティーンたちのリアルな姿を描く青春ドラマ。中学卒業を1週間後に控える中、「クラスで最も無口な子」に選ばれてしまったケイラは、高校生活が始まる前に不器用な自分を変えようと奮闘するのだが……。主人公のケイラを演じるエルシー・フィッシャーさんは、第76回ゴールデングローブ賞の主演女優賞コメディ・ミュージカル部門にノミネートされた。監督と脚本を務めたのは、YouTuber出身という人気コメディアンで、俳優としても活躍するボー・バーナムさん、ということでございます。

ということで、この『エイス・グレード』をもう見たよ、というリスナーのみなさま……昨年、9月に公開されていますから、劇場でご覧になった方もいらっしゃるでしょうし、このタイミングでいろんな形で見たという方もいらっしゃるでしょう。<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」です。賛否の比率は絶賛意見が8、否定的意見が1割、中間が1割といったところ。

主な褒める意見は、「過去の自分を見てるようで辛い。イタすぎてほとんどホラー」「主人公ケイラを演じたエルシー・フィッシャーがリアルすぎて悶絶」「安易な解決策を示さないのか誠実だし、見終わった後は自然と勇気が湧いてくる」など。悲鳴のような絶賛評が多かった、ということです。一方、ごくわずかな否定的意見、批判的意見としては「リアルだとは思うが、平坦で盛り上がりに欠ける」などの声がありました。

「二度と見たくない大傑作」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「T.I.S.M」さん。「タカキ、恨みます!」。先週ね、ガチャを回したのが山本匠晃さんでしたからね。「なんでこんな映画、当てたんですか。宇多丸さんは『1万円、使っていい』と言ったじゃないですか。回避、回避! ホラー映画より悲鳴をあげてしまうシーンのオンパレードで1分ごとに一時停止って悶絶してから深呼吸しないと先が見れません。悶絶死させる気ですか? それでもこの映画が素晴らしいのは、彼女を奈落の底に落とすような決定的な失態や、彼女の救世主を登場させて救い出したりしないところです。

嫌な人も良い人も、それぞれちゃんと距離感を持って描かれます。お父さんですら、ただ見守ることしかできません。あくまで主人公のケイラの自問自答、七転八倒として向き合わせます。だから辛い。そして最後も彼女は周りからの影響を少しずつ吸収しながら一歩だけ、半歩だけでも自分の力で先に進みます。何があっても時間は過ぎていくし、問題を解決したり、しなかったりして、もがきながら進むしかない。思春期という誰にも訪れる青春時代を残酷なまでに誠実に描いた作品だと思いました。二度と見たくない大傑作です!」っていうね。褒めながら悶絶、というね。

一方で批判的な意見。ラジオネーム「モンゴリアンチョップ」さん。「結論から言うと、『あまりにリアルでイマイチ』という感想です。残虐ないじめ描写は出てきませんが、序盤からいわゆる共感性羞恥を感じさせる場面のオンパレードで、下手なホラー映画なんか目じゃないくらい、『もう見てられない!』とこちらの心をザクザクとえぐってきます」。まあ、ここは褒めているわけですね。

「どんな時代でも起こりうる普遍的でリアルで丁寧に作られた作品だと感じました。ただ、あまりにもリアル過ぎるためか、過剰な演出も少なく、終始カタルシスを感じることがなく、個人的には盛り上がるところがなくエンディングを迎えてしまいました。ちょっと期待しすぎていたのかもしれないです」というモンゴリアンチョップさんのご意見でした。皆さんメールありがとうございましたね。

YouTuber出身の初脚本・初監督作品

ということで、私も『エイス・グレード』、このタイミングでBlu-rayを買いまして、それで2回、見たりとか……あとは音声解説、ボー・バーナムさんと主演のエルシー・フィッシャーさんの音声解説で見たりなんかしました。ということでね、ちょっと時間がかかりそうなのでいろいろ予定していたのを端折りながら行きますが、これが長編映画監督デビューとなるボー・バーナムさん。1990年生まれ、2006年にYouTubeに上げた動画が話題になって、以降コメディアン、ミュージシャン、俳優として活躍中、という。

まあ、言ってみれば最初期のYouTuberにして最初の成功例、という感じじゃないですかね。まさに新世代マルチアーティスト、っていう感じだと思います。『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』なんかにも出ていましたし。彼のスタンダップ・コメディショーはですね、Netflixで『ボー・バーナムのみんなハッピー』というのがあって、これ、めちゃめちゃ面白いんで。ぜひこれ、ちょっと見ていただきたいと思います。

とにかく、こんなボー・バーナムさんが、初めて自ら脚本・監督を務めたこの長編映画『エイス・グレード』なんですけども。面白いのは、いわゆるそのデジタルネイティブ世代、SNS世代の若者を描く、という意味では、当然のようにそのYouTuber出身というボー・バーナムさん、ご自身のキャリアを連想させるものでありながら、たとえばご本人は、パフォーマーではあるわけなんだけども、本人が主演とか、出演もしない。

どころか、各種インタビューでも繰り返し答えていらっしゃるように、よくあるティーンエイジャー物のように、作り手の記憶を反映したものにはしたくなかった、自分の過去を反映したものにはしたくなかった、というのは記憶と現実は違うはずだから……自分では美化してしまっていたりするから、ということで、むしろ自分とは全く異なる存在である今の少女というものを主役にした、要するに自分とは違う存在だからこそ主役にした、と言っていて。

で、脚本を書く際にも劇中の主人公たちと同じくらいの年齢の子たちがネットに上げている動画を大量に見たりして研究を重ね、実際にその年代の子たちをキャスティングし、彼らが普段してるしゃべり方や仕草をさらに逐一、そのセリフなどにフィードバックしていった、ということで。要はですね、年長者の、わかったような視線ではない若者像。ドキュメンタリックなまでに、生の、リアルな若者の世界というのを非常に丁寧に観察し、そして作品に落とし込んでいる、という。で、その結果として、むしろたとえば僕のように、年齢から立場からまるで違う観客にも、かつて感じていた……あるいは今もひょっとしたら時には感じているのかもしれない、「あの気持ち」「あの時の気持ち」っていうのを、極めて生々しい感触とともに想起させもする、という作りになっていて。

そんな風にですね、若者の今現在っていうのを誠実に、ありのまま見つめたら、結果普遍的な共感、共振度が高まった、という例として、キャラクターの年齢とか諸々はもちろん全然違うんだけども、僕はこのバランスはね、『桐島、部活やめるってよ』をちょっと連想しました。あれもね、吉田大八監督が「自分がセリフを書くと嘘っぽくなるから」ということで、様々な俳優さんたちに時間をかけてエチュードをさせたりとか、いろんな形でリアルな若者像というのを描いた結果、すごく普遍的な青春映画になりましたよね。それに近いバランスを感じました。

大人と子供の本当の意味での境目、それが「13歳~14歳」

で、それはともかくですね、この『エイス・グレード』には、もうひとつポイントがありまして。なんと言ってもそれは、タイトルにもなってるこの、8年生」という年齢設定ですね。日本で言えば中2に当たる年齢ですけども。まあ13歳から14歳といったところ。アメリカの学年制度ではこれ、州によっては違うところもあるみたいですけども、基本的には、小学校1年生から624制で小・中・高と分かれている、という。つまり、本作で描かれる8年生最後の1週間というのは、ただでさえ13から14というね、本当に文字通り子供と大人の境目であると同時に、中学生と高校生の境目でもある。全く新しい、一段上の大人な領域にこれから足を踏み入れる、手前のその瞬間、ということですね。

で、これね、ボー・バーナムさんがあちこちのインタビューでも言っていることでもあるんだけれども、これまではティーンエージャームービーっていうと、やっぱり高校生にスポットが当たることが多かったと思うんです。で、これはボー・バーナムさん曰くですね、それは作り手……これは僕が考えるにおそらく観客の多くも、思い出したがっている時期は17歳とかなんですよね。というのは、僕の経験に照らし合わせても、17歳ぐらいになるとやっぱり、自分がある程度コントロールできてくるから。「楽しい青春」が増えてくるんですよ。

でも、本当に青春の問題なところっていうか、あんまり思い出したくないような……つまり、若さゆえの不安や焦りとかに苛まれて、どうしていいかわかんなかったっていうのは、実はさらにその前の年齢なんじゃないか?っていう。まして、より大人びている今時の若者なら、なおさらその前にこそスポットを当てるべきなんじゃないのか?っていうのが、ボー・バーナムさんの考えで。なので、これまでは実はあまり作られてこなかった、13歳から14歳、大人と子供の本当の意味での境目、そして中学生と高校生の境目という、そこにスポットを当てて、SNS時代ならではの自意識の揺れ動きっていうのを、もちろん笑い混じりに、しかし、本質的にはとても優しく見つめていく、という。それがまあ、今回の『エイス・グレード』という映画ですね。

で、ご多分に漏れずこの映画も、まずはオープニングが何よりですね、本当に的確かつ雄弁に、作品全体のテーマやトーンを物語っていたりするんですけれども。まずね、もはや信頼のブランドA24……本当にもう、傑作を連発ですね。素晴らしい制作会社です。A24のロゴが出て、まず最初、そのエルシー・フィッシャーさん演じる……エルシー・フィッシャーさんはこれまで『怪盗グルー』の声(アグネス)を当てたりとか、子役としてはずっと活躍されてきた方らしいんですが、エルシー・フィッシャーさん演じる主人公ケイラ、真正面のアップで、非常にどアップで、まあブローアップされたように、非常に画質が粗い画面。

で、どうやらそれは、彼女が恐らくYouTubeに定期的に上げているらしい動画で、彼女なりの人生哲学を視聴者に語りかけているんだけど……のっけから言うことが、「えー、まずはですね、ぶっちゃけ視聴数が伸びなくて悩んでるので、チャンネル登録、お願いします」みたいなことを言っている(笑)。これ、後の方でまた別の場面で出てくる画面を見ると、再生回数は10かなんですよ。だから、恐らくは彼女自身が見返しているか、あるいは後で実はチェックしていることが判明するお父さんが見てるかぐらいしか、ほぼほぼ誰も見てない状態、っていうことなんだけど。

ただ実際……我々がこのネットの動画みたいなのをこういう場で話題にする時って、まあ再生数が多いものとか、広く拡散されたものっていうのを話題にしている、あるいは自分が興味あるものを目にしてるわけですけど、ほとんどの、大半の人にとって、あるいはSNSがデフォルトであるような若者にとっては、こういうSNS上からの発信というのは、こうやってごくごく限られた範囲に向けた、個人的なものがほとんどですよね。実はこっちの方が多いわけです。こういうのの方が。

で、なおかつ、このようにかつてなら日記とか、他人を交えるにしても交換日記、文通、せいぜいZINEを作るっていう程度だった、そこで吐き出されてたような私的な内容というのがですね、たとえば現在のSNSでは、同時に公的でもある、人目を意識せざるをえないようなものでもある、っていうことですね。ちなみにボー・バーナムさんの脚本を書く時の調査によれば、女の子は自分の心情について語る内容が多いけど、男の子はゲームの話ばっかりしてるっていうね(笑)。男の子はやっぱり、自分の感情をこういう場で吐露することの訓練を受けていない、慣れていないっていうか、抑圧しちゃう傾向がある、という話をしてましたけど。あとはまあ、単に幼稚っていうことですかね(笑)。

■SNS時代、いい歳した大人だって結局同じことで悩んでる

まあ、とにかく人目を意識せざるを得ない。つまり、プライベートであり同時にパブリックでもあるこのSNSという場に、とりあえず身を投じることが良くも悪くもデフォルトである主人公ケイラたちの世代……これ、いい面と悪い面の両方がありますけど、それがもうどっちにしろデフォルトである、その自意識の揺れ動きを、ここでのケイラの独白というのが如実に表してもいるわけですね。彼女は、「自分らしくいる」とはどういうことか、どうすればいいのか、っていうことを、表面的にはその答えを悟った立場から、画面の向こうの誰かに教え諭しているわけですね。

で、その語り口そのものはとても大人びていて、まあ賢い子なんだな、っていうのはすごくよく分かるんですけど。ただ、その時折よどむ口調であるとか、泳ぐ視線から、そう言う彼女自身が、「自分らしく」なんてこと言ってますけど、実はやっぱり人の目を誰よりも気にしていて、自分自身が「自分らしさ」への自信を全く持てないのであろう、ということが痛いほど伝わってくるわけですね。

たとえば、「私は『無口』って言われるけど、そんなことはなくて、話しかけてさえくれれば…………っていうことは、まあだいたいどういう扱いなのか、っていうのは分かりますよね。つまり、本当はこの動画は、彼女の切実な心情吐露でもあるわけです。なんだけど、それらがあくまで他者へのメッセージ、教訓という、外向きの、言わばロールプレイのパッケージングをされている。これがやっぱりSNS時代、っていうところですよね。で、撮影を終えた彼女がパソコンを止めると、カメラがパッと引いて、実は彼女は暗い部屋の隅でポツンといる、という様子が映る。つまり、彼女は必死に呼びかけてはいるけども……という彼女の状況を、ビジュアル的にポンと一発で示す。これも見事な演出ですよね。

という感じで、まずはそのSNS時代の若者の置かれてる状況、その中での心の揺れ動きを端的に表わす、という、本当に見事なド頭のツカミだと思いますし。同時に、ここで彼女が悩んでるその、「自分らしく」いたいけど、他人の目とか評価が気になってしょうがなくて……というか、そもそも「自分らしさ」が何か、私自身がわかってるかどうか疑わしい、でも表向きはそんな不安があるかどうかも押し隠してやっている、っていうこれ、我々いい歳した大人だって、結局同じことで思い悩んでいますよね。このSNS時代ね。ということなんです。

なので、そこの彼女の心情。切実でありながら……自分を抑え込んでいるからこそより切実に見える心情吐露を見るだけで、「ああ、これは私たちの話でもある」っていう風に、感情移入できるわけです。そこから、彼女が登校をする朝の日常と共に、オープニングクレジットなんですけども。まずね、YouTubeで、あのオリヴィア・ジェイド・ジャヌリさんっていう、あの大学不正入学問題で大炎上になった二世インフルエンサーというか、あの人の動画を見ながら、お手本にしながらメイクをしている。それでその洗面台に、ペタペタと、ポストイットにすごい自己啓発的なワードがいっぱい書かれていて。これがまた痛々しくもかわいらしい。

11個、ジョークを覚える!」とか書いてあるわけ(笑)。しかもあの洗面所、お父さんと共同で使っているんだから。お父さんは毎日、それが増えてくるのを見ているわけじゃん? 超かわいいよね!っていう。もう娘が愛おしくてしょうがないだろうね、っていう。

主人公ケイラを演じるエルシー・フィッシャーさんのたたずまいが物語る「14歳」らしさ

で、まあ学校に向かっているわけです。で、その学校に向かっていく彼女を、後ろから追うカメラ。これは何度か出てくるカメラワークなんですけど、とにかくここでの、エルシー・フィッシャーさんのたたずまいね。猫背で、ちょっとふっくらした少女体型。あとは顔にニキビが、すごくこう……これは本物のニキビでしょうね。どアップでもガーンと出てくるという。

で、そういう自分の身体自体に居心地の悪さを感じているようなたたずまいそのものがですね、これもまた何よりも雄弁に、このケイラという……監督の音声解説によると14歳と言っていましたが、その14歳の少女の置かれている立場や心情を物語っていて、圧巻!という感じではないでしょうか。で、彼女がそうやって背を小さく丸めたくなるのもわかるほど、その向かっていく学校、8年生の教室というのがですね、ぶっちゃけ特に男はまだ全然小学生ノリというか、すごい幼さ、無邪気さ、デリカシーのなさ、っていうのを残している年代でもあって、というね。

しかも、そのデリカシーのなさには、性の目覚めも含む、みたいな(笑)。そういう様々な生徒の様子を、ポンポンポンポン、テンポ良く見せて示していく。このあたりも非常に楽しいですね。マジックの匂いを嗅いだり、クレヨンを積んでガチャーンとやったりね(笑)。要は、彼女が自意識過剰でキョドってしまうのも、こうやってその動画を見てから他の生徒の様子を見ると、他の子より彼女がやっぱり賢いからなんだ、っていうね。一足先に大人になりつつあるから、彼女は自意識過剰になっちゃうんだ、っていうのもわかってくる。

ただ、なのに学校の人たちは、大人も子供も、彼女を無神経に……要するに「おとなしい子ね。無口な子ね」っていう風にレッテル貼りして、済ませてしまう。「無口賞」って超ひどいなとも思うけど、アメリカでは……って思うかもしれないけど、日本の学校も似たような、そういう無神経なことって、教室ではよくあったと思いますよ。で、そんな彼女の思春期を、オロオロと見守るばかりのお父さん。これね、ジョシュ・ハミルトンさんが本当に見事に……本当に、温かみと深みのある名演だと思いますね。僕はもちろん、このお父さんの立場で見てましたけど。

それで、学校の人たちはレッテルを貼るばかりなんです。で、ケイラとしては、そのSNSに投稿しているような理想の自分像を、自信が持てない自分の実像を飛び越して、周囲に認知してほしい。要は、上手く「再デビュー」したいわけですよ。高校デビューなり、そのプールパーティーデビューをしたいと考えてるわけなんだけど。でも、こういう理想と現実のギャップ、「こう見られたい自分」と実際の「こう見られている自分」との絶望的な乖離、あるいは、一方的に憧れた異性とのキスの練習(笑)、とかね。ああいうのもとにかく、みんなやったことだよね!っていうことだと思います。

ここでね、彼女が憧れているエイデンという男の子が出るたびに、テーマ曲みたいのがダーンって流れ出すのとか、本当に笑っちゃうんだけど。で、そのね、再デビューの絶好の機会にして、理想と現実のギャップを文字通り白日の下にさらされる場でもある、最初のクライマックス。これ、伊賀大介さんも大悶絶、大絶賛していた……一応学年ナンバーワン女子的存在のケネディっていう女の子の、誕生パーティー、プールパーティーのシーン。なるほど名場面!という感じで。

映画史上はじめて写し撮られた「ある瞬間」

まあケイラの動画コメントで、実は「彼女が考える理想的展開」っていうのが語られる中、音楽が、どんどんどんどん不安さを増してですね、本当にホラー的になっていって。着替えに入ったその洗面所のところで、ちょっとパニックに陥っちゃって。で、なんとかあの印象的な緑の水着に着替えてですね、おずおずと、プールにケイラが向かっていくとですね。そこに広がっている、一大スペクタクル。動物的に騒ぐ男子! 大人ぶって気取る女子! どっちにしてもここに上手く居場所を見つけられる気が全くしねー!っていう感じがビンビンの、彼女にとってのデンジャラスゾーンとして、プールサイドが描かれていく、というね。本当にサスペンスだと思いますね。ホラー、サスペンス。

ここでね、後に何気にキーマンになっていく、ゲイブくんと出会ったりする。ゲイブくん、後ほどの食事シーンだと、猫背のケイラに対して、胸張りすぎ!っていうのが逆に挙動不審感を醸すという(笑)。その彼のたたずまいとかももう、本当におかしく愛おしいんだけども。ねえ。あの最初に会った時も、「なんだ、それ?」なコミュニケーション(笑)。これもすごく笑えたりするんですけども。ちなみに僕がこのプールシーンで一番悶絶したのは、ケネディさんにその誕生プレゼントを渡すという……その誕生日プレゼントがスカッちゃう、っていうこともさることながら、その手前の部分。

ケイラが、みんなが盛り上がっている輪に加わろうとして、みんなの盛り上がりに合わせて愛想笑いをしながら、音にならない言葉をパクパクと……あの「輪に加わりきれないパクパク」、俺、子供の頃っていうか、最近もどっかでやった気がするんだよね。輪に入りきれなくてパクパクするの。このね、「輪に入りきれないパクパク」をしっかり写し取った映画は、史上はじめてです! もう画期的だと思いました。僕はここで泣き、おののき……っていう感じでしたね(笑)。

で、ともあれここでね、エイデンくんに思いがけず話しかけられて、強気モードに入ったケイラさん。エイデンくんと一気に距離を詰めようとして、彼女はかなり大胆な行動に出ていくわけですけど……意地悪なことに、この前後からですね、それまでのそのケイラの主観的視点には入ってこなかった、イケメン少年エイデンくんの、まだガキなところ、つまりいくらミステリアスに見えても、内面をやっぱりただのガキ、しょうもねえガキなんだっていうのが、はっきりと示される描写が増えていく。で、ここらへんからね、事程左様に、ケイラと異性、男の子たちとの関係というのが、にわかに生々しい性的な緊張感というのを帯び始めるわけです。

正しく現代的でフレッシュ。青春映画の新たな傑作!

このエイデンとのやり取りも、SNS時代ってことを考えれば、なかなかちょっと危うさを感じずにはいられませんし。そうした緊張感が極に達するのはもちろん、後半ですね、進学する高校の1日体験で親しくなった先輩のオリヴィアに誘われて、男女2人ずつ、4人の友人グループの輪に、ケイラが同行する、というこの展開。ここで、Blu-rayでね、その音声解説で監督とエルシーさんがしている考察が、すごい面白くて。

ケイラにとって今、憧れの的であるオリヴィアさんも、落ち着きのない話し方、身振り手振りから言って、やはりケイラと似た……元々エイス・グレードの頃はケイラと同じく、キョドり女子だったのであろうと。そして、その後ケイラを車で送っていくことになるライリーという男の子。強がった話しぶりはしているけど、やはり話の輪に今も上手くは入れていない。これもやはり、ケイラと同じような立場の子なんだ、と。だからこそ、オリヴィアはケイラの立場が分かるから、女の子はケイラを助けようとする一方、ライリーは……彼女を分かっているからこそ、最低の形でコントロールし、利用しようとする、という。

この、本当におぞましい……本当に精神的デートレイプとでも言うべき、本当におぞましいシーンですが、ここも、非常に悲しいけど、やっぱりリアルです。男性が、自分が思ってる以上に公使しているかもしれない加害性というものを改めてちょっと突きつけられたような、非常に……特に、ゴリゴリのマッチョな男じゃない男が振るう、セクシャルな、まさにハラスメント、というあたり。本当に恐ろしいあたりで、突きつけられた感じがしました。

で、その傷ついたケイラに対して、やっぱり父親は、基本的には外側からそれをね、オロオロと見守るしかないんですけど。特に性的な経験については、親ができることというのは限られてくる。これは仕方ないんだけど。ただですね、ここまで劇中では、部屋やテーブルの端と端とで隔てられて……しかも、ケイラはスマホやPCの青白い光に照らされてる顔、お父さんは部屋の向こう側にある暖かい電気の光、という風に、光の色合いでも隔てられていた2人が、この事実上のクライマックス、ここで、ある光に照らされるわけです。つまり、人類の営みとして最もプリミティブな明かり。焚き火の炎に、等しく照らされて。

同じ暖かい光に照らされて、初めて正面から会話をする。ここでこのお父さんが、娘にかける言葉……親として、これ以上素晴らしい子供への語りかけってあるでしょうか? 親ができることの、もう最大限と言っていいんじゃないでしょうか。もうここで本当に僕は……やっぱりお父さんの立場でもあり、そしてそういう言葉をかけられる子供、そのどっちの立場でもありで、本当に感動しました。素晴らしい名ゼリフ、名場面だったと思います。あの、エンディングに向けてね、高校卒業時の未来の自分に向けてケイラが語りかける中、車中のお父さんと娘が、劇中ではついぞなかった、笑顔を交わすっていうカットが、1カットだけ入りますよね? ここで、「ああ、彼女はもう大丈夫だ」っていう感じがしっかりします。

そんな感じで、役者陣の本当に自然な演技……若者たちの自然な演技、その素晴らしさを引き出すと同時に、でも同時に、さっき言った光の演出など、純映画的な語り口、構成も、実は非常に巧みです。ストーリー、キャラクターを捉える視点も、フラットな優しさというのかな、非常に正しく現代的で、本当にフレッシュでした。ボー・バーナムさん、本当にすごい作り手が現れたなと。

監督としてもこれから、ますますすごい作品を作っていくんだろうなと思いますし、エルシー・フィッシャーさん、この時ならではの名演、という部分でも素晴らしかったですし。他にも、登場するみんながみんな、もう隅から隅に至るまで味わい尽くしたくなるほど、素晴らしい演技を見せていて。これはたしかにティーンエイジャー映画、青春映画として、この『エイス・グレード』、新たな傑作、クラシックが生まれたと言っていいんじゃないでしょうか。ぜひぜひ、いろんな形でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週も最新映画ソフトを評論する『新作DVDBlu-rayウォッチメン』。山本匠晃アナがガチャを回して決まった課題映画はEXIT イグジット』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

「スカを世界に広めたヒット曲『マイ・ボーイ・ロリポップ』と1964年のニッポンガールズ」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/05/15)

「スカを世界に広めたヒット曲『マイ・ボーイ・ロリポップ』と1964年のニッポンガールズ」

高橋:本日はこんなテーマでお送りします。「スカを世界に広めたヒット曲『マイ・ボーイ・ロリポップ』と1964年のニッポンガールズ」。「マイ・ボーイ・ロリポップ」はジャマイカの女性シンガー、ミリー・スモールが1964年にリリースしたシングルで、ジャマイカ発祥の音楽「スカ」の初めての世界的なヒット曲になります。イギリスとアメリカのチャートで最高2位を記録、全世界でのレコードの売り上げは600万枚以上に達したそうです。世界にスカの存在を知らしめた、ポップミュージックの歴史でも非常に重要な曲ですね。のちのジャマイカのミュージシャンたちが世界に進出していくための道を切り開いた曲ともいえるでしょう。

その「マイ・ボーイ・ロリポップ」を歌ったミリー・スモールが5月5日に脳卒中でお亡くなりになりました。72歳だでした。今日はそんな彼女の追悼の意味も込めて「マイ・ボーイ・ロリポップ」とこの曲にちなんだ1964年当時の日本のガールポップを紹介したいと思います。では、まずはさっそくこちらから聴いてもらいましょう。

M1 My Boy Lollipop / Millie Small

高橋:これはスーさんも堀井さんも聴いたことがあるんじゃないかと思います。

スー:うん、なんとなくだけど聴いたことあリますね。

高橋:このミリーの「マイ・ボーイ・ロリポップ」、プロデュースを手掛けているのがのちにボブ・マーリーを世界に紹介するアイランドレコード創設者のクリス・ブラックウェルなんですよ。彼は曲のアレンジはジャマイカの名ギタリストであるアーニー・ラングリンに任せているんですけど、バッキングはロッド・スチュワートが在籍していたこともあるイギリスのブルースロックバンド、ファイヴ・ディメンションズに演奏させていて。このあたりのバランス感覚が広く受け入れられたひとつの要因になっているのかもしれませんね。

「マイ・ボーイ・ロリポップ」は1964年3月にリリースされて、アメリカのチャートを賑わすヒットになったのは1964年5月。先ほども触れた通り、全米チャートで2位に食い込むぐらいの大きなヒットになっているから当然日本でもリリースされていて。当時の日本盤7インチシングルのジャケットを見るみると、キャッチコピーとして「新リズム〈スカ〉登場!」と書いてあるんですよ。

スー:ああ、なるほど!

高橋:だからきっと「なにか新しいスタイルの音楽が出てきたぞ!」みたいな認識はあったんじゃないかと思います。当時の日本の歌謡曲ではマンボだったりカリプソだったり、いろいろな音楽スタイルのリズムを取り入れた「リズム歌謡」が流行していたんですけど、おそらくそういうリズム歌謡的なアプローチで「マイ・ボーイ・ロリポップ」のカバーがちょっとしたブームになるんですよ。

まず最初に「マイ・ボーイ・ロリポップ」をカバーしたのが伊東ゆかりさん。当時17歳です。まだ「小指の想い出」が大ヒットする前のことですね。伊東さんは「マイ・ボーイ・ロリポップ」のカバーを1964年9月にリリースしているんですけど、当時からするとこれは結構早いリアクションだったんじゃないでしょうか。

なお、日本語詞を書いたのは翌1965年に同じ伊東ゆかりさんの「おしゃべりな真珠」でレコード大賞作詞賞を受賞することになる安井かずみさん。編曲は洋楽のカバー曲を数多く手掛けた東海林修さんです。スカ感は抑えめで、スウィング感のあるビッグバンド調のアレンジになっています。ちなみにこの伊東ゆかりさんのバージョン、タイトルの表記が「ロリポップ」ではなく「ラリポップ」になっています。

M2 マイ・ボーイ・ラリポップ / 伊東ゆかり

高橋:曲がかかっているあいだに聞いたんですけど、堀井さんはこの伊東ゆかりさんのバージョンで「マイ・ボーイ・ロリポップ」を認識していたそうで。

堀井:そう、オリジナルではなくこっちでした(笑)。

スー:そうなんだ。意外!

高橋:そして、この伊東ゆかりさんに続いたのが伊東さんや園まりさんと共に「スパーク3人娘」を組んでいた中尾ミエさん。

スー:おおーっ!

高橋:中尾さん、当時18歳です。中尾ミエさんのバージョンも伊東ゆかりさんのものと同じ安井かずみさんさんの詞を使っているんですけども、編曲はザ・ピーナッツの育ての親として知られてる宮川泰さんが手掛けています。これがすごく粋なアレンジで、たぶんタイトルつながりだと思うんですけどガールポップのコーデッツが歌った「Lollipop」ってわかります? 「ロリポップ、ロリポップ♪」ってリフレインの1958年のヒット曲。あの曲を引用しためちゃめちゃ洒落た仕上がりになっています。

M3 マイ・ボーイ・ロリポップ / 中尾ミエ

スー:洒落てる!

高橋:ね、かっこいいよね。このコーデッツの「Lollipop」を引用したアレンジからすると、当時ミリーの「マイ・ボーイ・ロリポップ」はガールポップの新しいスタイルとして受け止められていたところもあるのかもしれませんね。もともと「マイ・ボーイ・ロリポップ」がミリーのオリジナルではなくバービー・ゲイの1956年のガールポップのカバーであることを考えても、これは素晴らしいアプローチだと思います。

この中尾ミエさんと同じタイミングでは『トムとジェリー』の主題歌を歌った梅木マリさんも「マイ・ボーイ・ロリポップ」をカバーしているんですけど、この「マイ・ボーイ・ロリポップ」のちょっとしたカバーブームから生まれた幻の名曲と言われているのが1964年12月にリリースされた中川ゆきさんの「東京スカ娘」です。中川ゆきさんは当時19歳。日本のタップダンスの草分け、中川三郎さんの娘さんだそうです。

この「東京スカ娘」は、作詞が同じ1964年に都はるみさんの「アンコ椿は恋の花」を手掛けた星野哲郎さん。作曲がこのあと「世界の国からこんにちは」や「三百六十五歩のマーチ」の編曲に携わることになる小杉仁三さん。これが実質「マイ・ボーイ・ロリポップ」のオケにまったく別の新しい歌詞を乗せたつくりになっているんですけど、非常にパンチの効いた、でも妙な中毒性のある不思議な魅力をもった曲になっているんです。

M4 東京スカ娘 / 中川ゆき

スー:ちょっとどう受け止めたらよいものかわからなくなっちゃった(笑)。タイトルに「スカ娘」とはついてるけど……これはスカなのか?

高橋:フフフフフ。でも新し音楽に触れた興奮というか、好奇心を刺激されたことに対する素直な反応ぶりが楽しいなって。

スー:歌ってることもすごく進歩的ですね。「しあわせの おし売りは お断り じぶんで さがします」って。女性の自立を歌ってる。

高橋:「靴もドレスも 髪も 型にはめるの きらい」なんて一節もありますからね。そしてこの「東京スカ娘」、カップリングが同じ星野哲郎さんと小杉仁三さんのコンビがつくった黒田ゆかりさんの「スカで踊ろう」という曲で。これがまたおもしろい仕上がりになっているんですよ。2011年にアナログが復刻されているので、興味のある方はぜひ探してみてください。

スー:いやー、びっくりした。最後にすごいの聴いちゃったな。なんか夢に出そう(笑)。

高橋:これは結構病みつきになりますよ。あと「マイ・ボーイ・ロリポップといえば1964年から約25年後、1990年に小泉今日子さんが「あたしのロリポップ」のタイトルでカバーしています。これはプロデュースが藤原ヒロシさん、歌詞が川勝正幸さん、編曲と演奏が東京スカパラダイスオーケストラという錚々たる布陣で当時大きな話題になりました。この機械に併せてキョンキョン版も聴いてみてはいかがでしょうか。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

5月11日(月)

(11:08) I.G.Y. / Donald Fagen
(11:26) Where You Gonna Run / Sneaker
(11:36) I Keep Forgettin’ / Michael McDonald
(12:13) In the Dark / Lauren Wood
(12:51) エスケイプ / EPO

5月12日(火)

(11:07) My Girl / The Temptations
(11:29) My Guy / Mary Wells
(11:37) Come See About Me / The Supremes
(12:13) Too Many Fish in the Sea / The Marvelettes
(12:21)In My Lonely Room / Martha & The Vandellas
(12:48) スウィート・ソウル・レヴュー / Pizzicato Five

5月13日(水)

(11:05) Mayor of Simpleton / XTC
(11:23) Streets of Your Town / The Go-Betweens
(11:38) Somewhere in My Heart / Aztec Camera
(12:13) I Hope You’re Happy Now / Elvis Costello & The Attractions

5月14日(木)

(11:03) Miss Jamaica / Jimmy Cliff
(11:36) My Daily Food / The Maytals
(12:16) King of Ska / Desmond Dekker
(12:50) Ring Don’t Mean a Thing / Laurel Aitken

5月15日(金)

(11:05) That Lady / The Isley Brothers
(11:28) Too High / Stevie Wonder
(11:36) Will it Go Round in Circles / Billy Preston
(12:13) Kissing My Love / Bill Withers

宇多丸、『EXIT イグジット』を語る!【映画評書き起こし 2020.5.15放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『EXIT イグジット』(2019年11月22日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあここからは、週刊映画時評ムービーウォッチメン改め、最新映画ソフトを評論する新作DVD&Blu-rayウォッチメン。今夜扱うのは、5月2日にDVDやBlu-rayが発売されたばかりのこの作品です。『EXIT イグジット』

(曲が流れる)

フフフ、これ、エンドロールで流れる曲(『Super Hero』)ね(笑)。このなんというか、絶妙ないなたさ感っていうか、ここもちょっと味わいですよね。昨年7月に韓国で公開され、動員900万人……942万人を超える大ヒットを記録したサバイバルパニック。韓国のとある都心部に突如として原因不明の有毒ガスが蔓延……「原因不明」というか、テロですね。有毒ガスが蔓延。

高層ビルに取り残された青年ヨンナムと、彼が想いを寄せる大学時代の後輩ウィジュの2人は、毒ガスから逃げる為に高層ビル群を駆け抜ける……。主人公ヨンナムを演じるのは、『建築学概論』などのチョ・ジョンソクさん。ウィジュを演じるのは、ガールズグループ「少女時代」のメンバー、ユナさん。脚本・監督は、本作が長編初作品となるイ・サングンさん。製作として『ベルリンファイル』『ベテラン』などのリュ・スンワンさんが参加しているということでございます。

ということで、この『EXIT イグジット』を見たよというリスナーの皆さま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。しかもメールの量は、「ちょい多め」。このね、DVD&Blu-rayウォッチメンも、このシフトになってきてからだんだんとメールが増えてきていて、ありがたいことでございます。賛否の比率は9割が褒め。

主な褒める意見は、「冒頭20分は間違えてホームコメディ映画を見に来たのかと錯覚。しかし後半にかけてグイグイ緊張感が増し、最後はちゃんと感動して晴れやかに。エンタメ映画として超ハイレベル!」「ハリウッド映画にはないバランス感。こんな映画が撮れちゃう韓国映画界がうらやましい」「緊迫感の中でも笑いの要素を忘れないのが偉い」などなどがありました。

一方、批判的意見としては「最後までふざけているため、パニック映画として素直にハラハラできなかった」などの声がありました。これは要するに、同じバランスのことを指しているという風に思いますね。

■「見返すたびに勇気をもらえるであろう、力強くキュートな一作」

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。リスナーメール。「オレンジエコー」さん。「映画『EXIT イグジット』、アトロクのくれい響さんの特集を聞いて映画館に見に行き、生涯ベスト級の映画になりました。本当にありがとうございました。と言うのも、この映画、私にとっては理想のヒーロー映画で。中盤までの自己犠牲のシーンも素晴らしいですが、さらにその先。終盤の主人公とヒロインが自分たち2人とも生きて帰るため、全力を尽くす姿に胸を打たれました。

特にクライマックスが素晴らしく、『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』や『仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ』など、人々の声援がヒーローを助けるシーンではかならず泣いてしまいますが、本作で人々の声を届けるのが観客の視線の象徴である“あれ”。災害映画でこうした展開を描いてくれるのは、多くの災害でモニター越しの被災者の無事を祈るしかなかった我々に、『お前たちの祈り、ムダじゃないよ』と言ってくれているようで、そのエンターテイメント精神にあふれた優しさに泣いてしまいます。

“あれ”を使った観客の視線のダークサイドを描いた近年の傑作が『ミスミソウ』なら、今作はライトサイドを描いた傑作です。余談ですが、匿名の誰かとのつながりを縄を通して描くのは、今では『DEATH STRANDING』を思い出しますね。見返すたびに勇気をもらえるであろう、力強くキュートな一作でした」というオレンジエコーさんのメール。

一方、こんなご意見もあります。「わらびもちワナビー」さん。「悪い映画ではありませんが、パニック映画としてはもう一歩足りていないような映画でした。その理由はシリアスさとユーモアのバランスの取り方にあると思います。この映画は起こった事態に対して登場人物の行動が悪い意味でユーモアに寄りすぎていて、彼らを心から応援する気を起こさせてくれません。その上、後半に行くにつれて場面転換などのストーリー運びが雑になっていくので、何かもうどうでもよくなってしまいました」。まあ、いろいろと書いていただいて……。

「この映画を通して相対的に『新感染 ファイナル・エクスプレス』や『グエムル』が絶妙なユーモアを含んだ大傑作であったことが再認識できました」というようなご意見でございます。ということで皆さん、メールありがとうございます。

■ちょっとだけ垢抜けなさも残した、娯楽作の楽しさに満ちた一作

私も今回、この『EXIT イグジット』、劇場公開時にはちょうどね、間に合わなくてというか、劇場で見れていなくて本当に申し訳ないんですが。このタイミングで……しかもこれ、ソフトが売り切れていて。これはやっぱりあれかな、ユナさん人気なのかな?

なので、アマゾンプライムの配信で購入して、何度か拝見いたしました。行ってみましょう。ということで先日、くれい響さんのご紹介にもあった通り、2019年下半期の韓国映画を代表する大ヒット作。動員が940万人超え。日本では昨年11月12日に劇場公開された作品です。結論から最初に言ってしまえば、さっきも言っちゃいましたけども、いやー面白かった!っていうね(笑)。見事な娯楽作! という感じではないでしょうか。ディザスター物、サバイバルパニック物というね、もちろんそのジャンル映画として非常に定番ですし、ある意味手垢がついたジャンルとも言えるわけですけど。

ジャンル映画としてまず、手に汗握る展開の連続、フレッシュなアイデアもてんこ盛りで。端的にここ、無類に面白い部分がいっぱいありますし。その上に、冷静に考えればかなりの死者が出ているはずの大惨事を舞台にしているもかからず、全く重くならない。これはだから、これをどう取るかはちょっと意見が分かれるところでしょうが、この映画は、あまり重くならないんですね、人がいっぱい死んでる大惨事の割には。で、僕はこれは、「いい意味で」というか、この作品に関してはこれが合ってるな、と思ったんですけど。

終始、ベタベタなまでのコメディタッチが貫かれていて、非常にそれはすごく独特のバランスといえばバランスなんですけど、それがサスペンスの緊迫感やドラマとしてのエモーションを、損なっていないどころか――これは僕の意見ですよ――損なっていないどころか、キャラクターたちへの共感度を高めて、サスペンスやエモーションも倍増させるような相乗効果も担っていて……という感じで。で、まあ後味の爽やかさとか、ある種全く格好をつけてもいない、ちょっとだけ垢抜けなさも平然と残してる感じ。

たとえば主人公が、日本で言うところのLINE……カカオトーク、あれをやっている。それで「就職に落ちました」というメッセージが来るんだけども、その字幕の文字が、カクン!と落ちたりとか(笑)。そういう、ちょっとどうなんだ?っていう垢抜けない演出とかも含めて、そういうある種のいなたさも含めて、非常に娯楽映画……「ああ、たしかに娯楽映画ってこういうもんだったな」っていう楽しさに満ちた一作で。それこそ、ちょっと昔の香港映画を連想させるようなバイタリティも感じさせるというか。

■『ベルリンファイル』のリュ・スンワン監督に見出された新鋭イ・サングン監督

脚本・監督のイ・サングンさん。先ほども言いましたけど、何とこれが長編映画デビューという。で、あんまり日本語の詳しい情報がなかったんですけど、韓国語のWikipediaによれば……これ、翻訳マシンにかけてなんとか読み取ったところによれば、韓国芸術総合学校大学院に在籍中に、ミジャンセン短編映画祭という、ナ・ホンジンとかいろんな監督を輩出しているそういう短編映画祭に出品した。で、その作品が、最初は落とされかけたんだけど、パク・チャヌクとかリュ・スンワンに注目されて、それで後にいろいろと賞を取るようになった、というような流れらしい。

で、そのリュ・スンワンさん。僕の映画評では『ベルリンファイル』、これを2013年8月3日に評しましたが。本当にあれですよね、韓国映画を代表する娯楽映画監督ですよね。リュ・スンワン、彼の2008年の『史上最強スパイMr.タチマワリ!』という作品、あれの助監督についたりしていた、っていうことらしいですね、イ・サングンさん。で、大学院を出てから書いたこの『EXIT イグジット』の脚本の草稿が、韓国の映画振興委員会っていうのの企画コンペみたいのに通って、それでリュ・スンワンさん製作ということになって、今回の実現に至った、ということらしいんですね。なので、まさにリュ・スンワンさんが見出したシンデレラボーイ、ぐらいの感じがあるんじゃないですかね。

で、たしかにね、時にベッタベタな、いなたいギャグなども厭わない本作『EXIT イグジット』の、このたくましい娯楽映画精神みたいなものはですね、リュ・スンワン作品とも通じるものがあるかな、という風に思いますね。で、実際にこの『EXIT イグジット』、最初に見た時はこれ、先ほど紹介したメールにもあった通りです、「あれ? これ、違う映画を選んじゃったかな?」という風に一瞬思ってしまうぐらい、最初の20数分は、サバイバルパニックアクション感ゼロのですね、本当にもうごくごく普通の青年……まあ『建築学概論』のチョ・ジョンソクさん演じる、ごくごく普通の就職難に悩んでくすぶっている青年と、彼の家族たちの、コミカルなやりとりが描かれている。

■テロリスト側の描き込みを極度に減らし、重みや後味の悪さを排除

この家族描写がまたですね、我々日本のそれとはちょっと違う、韓国ならではのディテールにあふれていて、これもまた楽しいんですけど。とにかく、まあベタベタなコメディタッチのホームドラマ調に、冒頭の20数分間は進んでいくわけですね。しかしこの『EXIT イグジット』、実はやはり娯楽映画の王道的構成、非常にきっちりした三幕構成も取っている。やっぱりね、このイ・サングンさん、ちゃんと大学院まで学ばれていますからね。非常にかっちりした構成になっていて。

上映時間103分あるわけですけど、要するに序盤の20数分っていうのは、全体の4分の1ぐらいのサイズっていうことですね。全体の4分の1ぐらいのサイズが第一幕。めちゃめちゃ正統派な構成。で、それで(ストーリーテリング上必要な人物紹介や状況説明を)セッティングするという、セッティング部分。そして、第二幕の中盤、第二幕のさらに半ばほど、ちょうど上映時間の真ん中あたりまでが、この家族をなんとか無事に脱出させるまで。で、そこから先は、チョ・ジョンソクさんとその少女時代のユナさん、この主人公2人の脱出劇。

で、さらに最終的には、街で最も高い場所……つまり有毒ガスが追いついてこない場所としての、建設中のビルのタワークレーンを目指しての、大疾走が始まる。これが第三幕、といった感じで。そのラストの20数分、やはりその4分の1サイズがクライマックスになっている、って感じで、構成そのものは非常にオーソドックス。これ以上ないほどオーソドックスな三幕構成になっている。

ただ、普通に考えたら、この第一幕の時点で、もう少しですね、後のそのガスを散布するテロの準備が着々と進行していく、という様を並行して描いた方が、もちろん序盤から緊張感が高まって、まあ普通だったら良さそうなもんですね。たとえば『ダイ・ハード』だったら、普通に日常が進行してるけど、同時にテロリストの計画も進行している、っていうのを描くという。普通はそうなんですけど。ただ、これは思うにですね、恐らく作り手イ・サングンさんはですね、その毒ガステロを起こした側の描き込みっていうのを、極度に減らすことで、さっき言ったような「実際は大量の死者が出ている悲惨な事態である」という、それゆえの重み、後味の悪さってのを、できるだけ感じさせないようにしたんじゃないかな、という風に思います。

だから、序盤から毒ガステロのことを描いちゃうと、なんかそこに重みがあるように見えちゃう。それを避けたかったんじゃないか、ということですね。で、それは本作に関しては、たしかにひとつの正解であったように思います。と、いうことですね。

■役立たずと思われてきた人間が、培ってきた能力と勇気を発揮し、真の意「スーパーヒーロー」になる物語!

とにかく、チョ・ジョンソクさん演じる主人公のヨンナムがですね、かつて山岳部、山岳サークルにいた、そこで培った身体能力を、でもお婆ちゃんと子供しかいない公園の鉄棒を使って、ムダにアピールしている。で、実際のところ、就職にも失敗し、家族から持て余されている、という。ここから話が始まる。

要は、役立たずと思われていた人間が、いざという時に、日頃から地道に鍛え続けていた能力であるとか、あるいはそれを他者のためにこそ使う、という、勇気を発揮するという話……この「利他的行為の尊さ」というのが、本作においては非常に大きな、感動的なメッセージともなっている。まあこれ、後ほど詳しく言いますけど。ということで、とにかくそういう、培ってきた能力と勇気を発揮して、役立たずと思われてきた人が、エンディングで流れる歌の通り、真の意味で「スーパーヒーロー」になる、という。そういう物語である、とは言えるわけです。

しかもこの構造は、「非常時に、意外なものが意外なところで役に立つ」という、その構造とも重なっていて。要するに、非常にそれが上手いわけですね。テーマと、その途中の小道具使いなんかが重なってきて、非常に上手い、っていう感じだと思います。

「えっ、この人たち、1人も死んじゃいけない感じの人たちだよね?」というスリル

で、ですね、その主人公のヨンナムさん。お母さんと古希祝いのために式場を借り切って、その親族を集めてパーティーをするという、いかにも韓国らしい慣習……日本にはないですね、こんなのはね。その慣習の最中に、そのヨンナムが、かつて同じ山岳部に所属していて、告白して振られたことがある、少女時代のユナさん演じるウィジュという女の人と再会して。まあ、これも実は偶然ではなかったということが、後から分かるわけですけど。

で、その彼女側、ウィジュ側はウィジュ側で、職場の上司に、限りなくセクハラ的なモーションをかけられていたりもする。もちろんこの上司というのがですね、後ほどその、ディザスタームービーにおける定番ですね、ディザスタームービーにおける卑劣漢役……たとえば『タワーリング・インフェルノ』におけるリチャード・チェンバレン的な、要するにてめえが悪いんじゃないかっていうやつがいち早く逃げようとするとか、そういう役回りを、もちろんきっちり演じることになるわけですけど。まあそんなこんなでですね、ただでさえ言うことを聞いてくれなさそうなクセの強い親族たちに加えて、ヴィラン候補まで出てきて、そういう人物紹介というセッティングがひと通り終わったところで、さっき言ったように、20数分目。ついに街中で、毒ガスがブワーッと散布、拡散されていく。

まあ冷静に考えればですよ、この毒ガス、テロに使うには……「目に見えすぎ」っていう(笑)。その迫ってくる様が視覚化されすぎですし、最終的なその「実は……」な解決策も、「だとしたらこのガス、弱点ありすぎだろ?」っていう感じで、突っ込みどころは満点なんですけど。これはまあ、要するに本作における「マクガフィン」なわけですね。要するに、そのサスペンスとかを生じさせ、そして盛り上げるための機能に特化した、装置でしかないわけで。監督としてもそれ以上の意味を持たせたくないので、たぶんこのぐらいの描写にしている、という感じだと思います。

で、まずはここ、主人公家族がですね、一旦その式場の外に出て、徐々にその事態の深刻さを目の当たりにしていく、というこのくだりなんですけど。ここね、大きな道路に面しているわけです。大きな道路に面していて、既に街中がワーッと騒然としてるわけですけど、その道の右側の方向を見ていくと、その右側のさらに右側、もう1個曲がった角。つまり、カメラには見えないもう1個曲がった角の向こう側から、人や車が、逆流してくる!っていうのを見せることで、間接的に「ああ、あっち側に行ったら死ぬ」という……しかもその、あっち側に行ったら死んでしまうその何かが、こっち側に津波のように迫って来ているんだな、っていうのを、角を2個曲がった先に間接的に見せる、という見せ方をしていて。

これは恐らく、スピルバーグの『宇宙戦争』序盤の、トム・クルーズが事態を悟っていくあたりに、たぶんよく学んだ感じで。実に上手い見せ方をしているし。また、序盤でですね、さんざんコメディタッチのホームドラマとして描かれてきた主人公家族、だからこそですよ。あんな感じでヘラヘラと描かれていた登場人物だからこそ、1人として死なすわけにはいかない。ところが、ここも上手いんだけど、1人、ガスを本当に吸っちゃう人を出すわけですね。だから「あっ!」っていうか。「えっ、この人たち、1人も死んじゃいけない感じの人たちだよね?」っていうのがあるからこそ、余計にスリルを高めることにもなる。しかも、言うことを聞かなそうだし……っていう(笑)。

ということで、ビル内に一旦戻った家族たち。で、その下の階にはどんどんとガスが溜まってきていてダメだし、しかもそれがどんどんどんどんと上にあがってくる、ということで、まあヘリの救助が来るであろう屋上に逃したい。なのに、カードキーがなくてドアが外側からしか開けられない!という状況になる。そこでその主人公のヨンナムが、山岳部上がりのクライミングスキルを駆使して、一旦隣のビルにバーンと飛び移り……もうあそこの飛び移りも本当にね、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』のトム・クルーズのジャンプ級の、あのトムの骨折ジャンプ級のドーン!っていうのがあってからの、そこから改めてもう1回、家族がいるビルの外壁にジャンプして、へばりついて、屋上を目指す、というくだりになっていく。

ここね、「もう一度その家族がいるビル側に戻る」ところがすごいですね。あの、突起に引っ掛けるための棒を横に持って、ジャンプして突起に引っ掛ける、っていうことを、ちゃんとカットを割らずに見せるから、ここは複数回見ても、「うわあーっ!」ってなるところですね。本当にね。これはよく考えた。だから1個1個、こういうハラハラドキドキさせる、でもこの方法でしかこっちには戻れない、という必然があるアイデアが、本当にたくさん盛り込まれていて、見事なものですし。

■サバイバルパニック物の主人公がここまで人間的な弱さをさらけ出すのは珍しい

あとですね、この場面、ここから先のシークエンスが非常に上手いのはですね、まず、さっきもちょっと言ったように、ビルの中にあった日用品を、クライミング用に転用するところ。これが上手い。特にやはりあの、チョークですね。チョークを砕いて滑り止めにするところっていうのが、主人公が序盤、その鉄棒でムダに体力をアピールするところでもその滑り止めをしているから、「ああ、それが必要なんだ」っていうのがもちろん観客にも分かるし、要は「思わぬところで役に立つ」という構造が、主人公ヨンナム自身の立場とこのチョークで重なるから、余計にグッと来るわけですよ。

加えてですね、このウィジュや家族といった、「なすすべもなく見守るしかない」立場……つまり、映画というものの観客そのものですね。映画の観客そのものと同じ立場の視点を入れることで、もちろんハラハラも増す構造ですし。同時に、家族たちのその騒ぎようがちょっとコミカルなので、重くなりすぎもしない、というバランスにもなっている。で、さらにはその、外壁をよじ登るというその中にも、いくつかフェイズの変化を入れていて、飽きさせないようになっている。最終的には命綱を取って……あの、映画にもなりましたね、ドキュメンタリーにもなった、あの『フリーソロ』状態になるという。ちゃんとその、クライミングはクライミングだけど、単調にならないように、ちゃんとどんどんどんどんその緊張感を増していく作り、アイデアを足していく感じになっているし。

そしてですね、あまつさえ、実は序盤でのクライミング訓練の回想描写が、失敗への恐怖をいやが上にも高める、という効果を出している。しかもこれが、絶妙に編集が上手くて。「うわあーっ!」ってやっぱり声をあげてしまうような効果を、見事に上げていて、本当にお見事なもんだと思います。でですね、何とか屋上に出られてからも、今度はスマホ画面を使ったSOSアピール……これね、この掛け声は、エンディングのあの「Super Hero」っていう曲の途中の、ブリッジでも出てきて。思わず一緒に歌いたくなっちゃったりするような感じですけども。

それとか、このアクが強い親族たちだからこそ、な……これ、僕はね、細田守さんの『サマーウォーズ』をちょっと連想しました。『サマーウォーズ』を連想するような、アクが強い親戚のおじさん、だからこその活躍、アイデアみたいなものが……本当に本当にアイデアが豊富で、飽きさせないし。で、更に僕が本作にとても感動したのは、救出ヘリに結局乗り切れなかった、ヨンナムとウィジュの主人公2人。特にそのユナさん演じるウィジュがですね、最初はその「副店長」としてのプロ意識から、非常に気丈に振る舞って、凛としてるわけですけど。それでヨンナムも「ああ、お前は偉いな」って感心してるんだけど、ついに耐え切れなくなって、「いや、私だってあのヘリに乗りたかった……お母さーん、お父さーん!」って号泣しだすところ。

ここもあくまでコメディタッチ、チョ・ジョンソクさんもユナさんも、しっかり笑える一線を守った演技をしている、というのがまた絶妙なバランスなんだけど。これ、サバイバルパニック物の主人公が、ここまで人間的な弱さをさらけ出す、というのは珍しいと思うんですよね。つまり「本当は助かれたところを主人公が利他的な行動を取る」という、これはあるけど、「本当は私だって乗りたかった! 助かりたい! 命は惜しいです!」って泣き出す、というのはこれ、非常に珍しいですし。だからこそ我々観客も、彼らの恐怖を、「そりゃあ怖いよね」って、やっぱり身近に感じることができる。

そして、後述するある展開。彼らの勇気、人としての尊さも、本来は弱い、普通の若者だからこそ……っていうところが、より感動が高まる感じになっているあたり。本当にね、僕はこれは素晴らしいと思います。

「人間は弱い、だからこそ、その弱い人間が振り絞る勇気は尊い」!

ということで、2人が取り残されてしまってからは、今度はですね、そのクライミングのスリル、つまり、縦の動きですね、上下するアクション、その緊張感のみならず、たとえばその手製の防護服……この手製の防護服がまた妙にポップな感じで楽しかったりするんですけど、その手製の防護服を着ての、街中の移動であるとか。あるいは、スポーツジムのダンベルを使った……しかもそこに気の利いた笑いを1個交えて、っていう、これも気が利いてるロープ移動であるとか。

つまり、「横方向のアクション」なども今度は足してくる。やはりアイデアを豊富に足してきて。本当にアイデアを見ているだけでも楽しい。焼肉屋の換気システムを、こういう風に使うか! 考えてるね!っていうあたりとか。特に、やはり白眉はですね、2人きりだとそのヘリ救助が後回しになってしまうかも、と考えた2人が、人型の看板を並べて、人数を偽装しようとする……するんだけど、その屋上の斜め下に、学習塾に取り残された、10数名の子供たちが見える、というこのシークエンスですね。まずはその子供たち、自力でクライミングさせるという、さっき言ったような「なすすべもなく見守るしかない」構造で、ひとやきもき、ひとハラハラさせつつ、最終的にその主人公2人が、泣きながら、「本当は嫌なんだけど、でも……」っていう、ある苦渋の選択をするわけです。

しかも、それをセリフではなく、あるアクションで示すわけです……しかも基本的には、笑えるんです。主役2人のコミカルな演技もあって、基本的にはすごく笑えるんだけど、同時に僕は、個人的には本当にここ、魂が震えるほど感動を覚えました。久しぶりに声を出して笑いながら、泣きました。『アイアムアヒーロー』のロッカーのシーンとも重なるような……要するに、「人間は弱い、だからこそ、その弱い人間が振り絞る勇気は尊い」というシーン。あくまでそれが笑い、ユーモアに包み込んで表現されているそのスマートさも含めて、本当に素晴らしい場面だと思います。

あと、韓国社会では特に、あのセウォル号事件がありましたね。あれのことなどもあって、いざという時に人がどうすべきか、という問題が、より切実に響くのかな、ということも思ったりしました。それで、そこからね、三幕目のクライマックス。最後の大疾走。ここも「第三者の見守る視点」が、今度はそのね、ドローンという今時ガジェットで、生かされている。これも言うまでもないですし。さらにはそのドローンが、先ほどのメールもありましたけどね、非常にフレッシュな使われ方を……見守るしかなかった側の視点として使われたものが、さらに反転して、非常にフレッシュなプラスになるという、これもアイデアとして、本当に感心してしまいました。

『未知との遭遇』的でもありますけど、これは構成作家の古川耕さんの指摘で「なるほどな」と思ったのは、さらにその『E.T.』込みのスピルバーグ・フォロワーでもある、『ニューヨーク東8番街の奇跡』的な絵面ですね……ビルの間に、ちっちゃいかわいいアレがね、ピカピカ光っている。これも意表を突いていて、本当にね、愉快ですし。最終的には、『ダイ・ハード』的な決死の大飛躍……その顛末を、あえて本編では直接語らず、アメコミ調のポップなエンドクレジットにオマケのようにつけるという、ちょっと変わった、ちょっと軽いノリになってるんだけど。

これも、本作『EXIT イグジット』に関しては、合ってるなという風に思います。あとはヨンナムとウィジュの、ラストのやり取りのベタベタしてない感じね。恋描写もベタベタしてない。あくまで間接的に伝える感じ。そしてサクッ終わる感じ。まさに娯楽映画かくあるべし!なスマートさに満ちている、という風に思いました。

■今の韓国映画の余裕さえ感じさせる、文句なしに楽しい一作

ということでですね、サバイバルパニック物という、ある意味手垢がつきまくった定番ジャンルに、しっかりした生身のアクション……これ、主役の2人、頑張った。しかも2人とも、きっちり庶民的に見える。特にユナさんなんか、あんな絶世の美女なのに、ちゃんと庶民的な美女、コメディエンヌ的な笑い感も出していて、見事。主役の2人、頑張ったし。

フレッシュなアイデア、ユーモアとメッセージ性、バランスよく盛り込んで、きっちり後味よく仕上げる。特にこの、コメディタッチとの融合というか、コメディタッチの多い按配は、往年の香港映画的なバイタリティも感じさせるという……今の韓国映画の余裕のようなものも感じさせる、というのも含め、なるほどこれは文句なしに楽しい、イ・サングンさん、長編一作目にして恐るべき成果を上げたな、という感じでございます。とにかくまずは気軽に楽しめる一作として、ぜひぜひいろんな形でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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