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宇多丸、『アイリッシュマン』を語る!【映画評書き起こし 2019.12.13放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『アイリッシュマン』(2019年11月15日公開)。

オンエア音声はこちら↓

 

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品、『アイリッシュマン』『タクシードライバー』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などの巨匠マーティン・スコセッシ監督によるNetflixオリジナル映画。

第二次大戦後のアメリカ裏社会に生きた男たちの姿を描く。実在の殺し屋フランク・シーランを演じるのはロバート・デ・ニーロ。また、伝説的マフィアのラッセル・バッファリーノ役のジョー・ペシ、全米トラック運転組合委員長ジミー・ホッファ役のアル・パチーノなど、ハリウッドのベテラン俳優が揃って演じ、まさにオールスター映画という感じでございます。

ということで、この『アイリッシュマン』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量なんですが……「少なめ」。これはちょっと私、信じられませんね。だって、ねえ? もちろん劇場でかかっているのはちょっと少なめですけどね。アップリンクとかでしかやっていなくて。でもNetflixではいつだってどこででも見れるわけですから。まあ……Netflixの加入者っていうのがそんなに多くない? ……ええ〜。そんなわけないだろう?

いやー、このためにNetflixに入る、っていうぐらいでもいいぐらいだと思うんですけど。うん。いやー、これはちょっと私……その他のね、やれMCUだ、ゴジラだ、アニメだっていう時の数の感じからすると、うーん……。だからやっぱりね、(スコセッシらが映画界の近況に)ちょっと苦言を呈したくなる気持ちも分かるわよ、っていう気がしちゃうな。まあいいや。

賛否の比率は、褒める意見が8割。概ね好評でございます。褒めてる人の主な意見は「冒頭のカメラワークからしてすでに超一流」。たしかに、最初のね、あの介護施設みたいなところを、グーッと長いワンショットで、カメラがグーッとゆっくり進んでいくところで、前もちょろっと言いましたけども、「ああ、スコセッシの映画が始まった!」っていう感じがしますよね。

「スコセッシ監督らしいスピード感はなく、そのかわりずっしりとした人間ドラマ、歴史ドラマ、宗教性が味わえる」。たしかに『グッドフェローズ』とか『カジノ』みたいなスピード感というよりは、かなりどっしりした……まあカメラとかもね、わりとどっしりした置き方をしてたりしますね。「ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、アル・パチーノら名優たちの競演にしびれた」「過去の名作を総括するような、マフィア映画総決算的な一作」などなどがございました。一方、否定的な意見は「長い。ので冗長」「テンポが悪い」「説明不足」などといった不満が多かったという感じでございます。

■「体感としては1秒だったので、2回見ても実質2秒でした」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「インターネット・ウミウシ」さん。「『アイリッシュマン』、Netflixで本編3時間半と『監督・出演陣が語るアイリッシュマン』約30分の、合計4時間を2回ウォッチしました。しかし体感としては1秒だったので、実質2回見ても2秒でした。宇多丸さんが今年評論されたクリント・イーストウッド監督の『運び屋』同様、いやそれ以上にパワフルな“老害かわいい映画”」。そうですね。たしかに。『運び屋』で、「老害かわいい」という言葉を使いました(笑)。

「……わがままかわいいアルパチーノと穏やか物騒なジョー・ペシの間に板挟みになりながら、ひたすら困り顔で(隠語で言うところの)“ペンキを塗り続ける”ロバート・デ・ニーロという、見ている間中、脳内から幸福な汁がとめどなく出続けてしまうほどに、贅沢ここに極まれりな1本でした。そしてこの映画はセリフや小道具を差し置いて、なによりも“目”で語る映画でした。特に娘・ペギー(アンナ・パキン)の目は一言も発さなくても何よりも雄弁に怒りや恐怖を訴えておりました。

ジミーやラッセルの言葉を受けた時のフランクの目も同様で、表情は大きく変わっていないのに目で動揺や落胆、悲しみを伝えており、世界を代表する役者ってすげえな! と思いました。まるでジェットコースターに乗せられているかのように序盤は音楽に継ぐ音楽でノリノリで見ておりました。しかし後半では人生の最盛期が過ぎたことを示すかのようにグッと静かなシーンが増えるのもたまりませんでした」。

あのクライマックスの1975年7月30日のくだりは、ほぼ音楽がないですからね。結構長く続きますけども、そこはずーっと音楽が流れない。あと、今回は既存の音楽使い……『グッドフェローズ』的な、サンプリング的な、そこはちょっと抑えめで。いま、後ろで流れているロビー・ロバートソンの、この渋いブルージーな、このサウンドトラックがわりと印象的でしたね。はい。で、ごめんなさいね。インターネット・ウミウシさん。

「……最後には、もう死にたいのに死ねない『火の鳥 未来編』のようなリンボー感がありました。家のペンキを塗る、ドアを少し開けておく、最後にフランクに話を聞きに来る男たちの前でかぶっていた帽子のロゴなど、細部に至るまで気が利いており、何度も見返して味わい尽くしたくなる映画でした」ということでございます。

一方、ダメだったという方、ラジオネーム「劇場版テンペスト4DX」さん。「長い。つまんないです。作品が冗長なのはNetflix作品全般に言える気がしますが、デニーロ、パチーノ、ジョー・ペシ、カイテルが共演して動いてること以外に価値が見いだせない。それら俳優に興味がない私はきつかった。どのようなテクノロジーが使用されているのか分かりませんが、俳優陣の若作りがうまくいってない。どう見ても成立していない。ただただきつい。悪いジョークにしか思えない。これだけ長い映画であるにも関わらず、たとえばホッファがいかに大物で影響力があったのか、映画的に説明できていない」というようなことでした。結構親切に説明してたと思いますけどね。

あと、この方。ラジオネーム「マフィアグッズ専門店」。「私はマフィアグッズ専門店というものをしていることもあり、『アイリッシュマン』をずっと楽しみしていました。2015年の制作発表から待っていたのでハードルはかなり上がっていましたが、結果的に期待を上回る完成度でした。大満足です。史実に詳しくなれば『うん?』となるところもあるのかなとも思いましたが、予備知識なしでも十分楽しめます。スコセッシ監督が関わった『ボードウォーク・エンパイア 欲望の街』(テレビシリーズ)、『グッドフェローズ』『カジノ』を見ていたら、改めて同じタイムテーブルの物語なのだなと感じさせる部分が多かったです。

コパカバーナが登場する点や、冒頭で語られるマイヤー・ランスキー、『グッドフェローズ』で語られるクレイジー・ジョーの話、カジノに出資するくだりなどなど。私は北海道の映画館にて鑑賞しましたが、時折笑いが起こり、最後には泣く人もいてとても良い雰囲気でした。私の年齢(26歳)的に初めて大作マフィア映画を映画館で鑑賞できたので、とても思い出深い一作になりました。これまでのギャング映画の落とし前とも、アンサーとも言える作品になっていると思います」というね。そうか、今やそういうことになってしまっているんですね、26歳の若者にとってはね。

■オレらにとっての『アベンジャーズ』、アメリカ映画史的にも集大成

はい、ということで行ってみましょう。私も『アイリッシュマン』、Netflixで2回、それからアップリンク吉祥寺、劇場でも1回、見てまいりました。アップリンク吉祥寺は、Netflixとか使っていなさそうな年配の夫婦客とかが多かったということで、やっぱりちゃんとこういうの(大人向け大作)の需要は(映画館にも)あるんだぞ、という感じもしましたけどね。ということで、巨匠マーティン・スコセッシ最新作。

まあ歴史的名作『グッドフェローズ』『カジノ』に連なる、彼の真骨頂たる「実録マフィア物」。しかも、ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、さらにはハーヴェイ・カイテルといった、言わば生え抜きのスコセッシ組の面々に加えてですね、スコセッシとはこれが初顔合わせになる、アル・パチーノ……なんと言っても、特に『ゴッドファーザー』『スカーフェイス』という説明不要のギャングスタームービー・クラシックスに出演という、そんなアル・パチーノまで参加しての、まさに「俺らにとっての『アベンジャーズ』」。映画ファンにとっての夢の競演、オールスター大集合作品で。

なおかつこの本作は、フランク・シーランという、アメリカ裏社会で暗躍してきた実在の殺し屋の告白を元にした、チャールズ・ブラントさんによるノンフィクション小説、これはハヤカワ・ノンフィクション文庫から上下巻で出ておりますが、これを原作に、ジミー・ホッファ失踪事件……これね、ジャックニコルソン主演の1992年の映画もありました。あれはまあ推測で、その真相というのを描いたりしてましたけど。そのジミー・ホッファ失踪事件の真相というのを中心にして、彼が率いたその全米トラック運転組合(チームスターズ)とマフィアの癒着……これはたとえば、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でも出てきた話。あれでね、ホッファを思わせる人物が出てきたりしましたよね。そんなのでも描かれてましたし。

あるいは、キューバ革命後のCIAの暗躍……キューバ革命といえばね、当然『ゴッドファーザーPart2』でそこが大きな事件として描かれていたりしましたし。あとはその後、バラキ公聴会ことマクラレン委員会……チャールズ・ブロンソンがバラキを演じた『バラキ』という作品がありました。そのバラキ公聴会とか。あとはそこから先の、ケネディ暗殺からウォーターゲート事件などなどまで、要はマフィア物、ギャング物を中心に、これまでアメリカ映画が何度となく、様々な角度から描いてきた、アメリカ近現代史の影の部分を、言ってみれば「闇の『フォレスト・ガンプ』」的に、横断的に駆け抜けていく。

フランク・シーランさん、本作ではそこは比較的サラリと流していますけども、ケネディ暗殺にまつわる諸々とか、「ここにも関わっている!」「ここにも関係している!」みたいな感じ。その意味でもまさに、アメリカ映画史的にも一種集大成的な一作でもあって、ということですね。あとは、さりげない『ゴッドファーザー』オマージュとかも、あちこちに散りばめられていたりしますけども。

■正統派ながら、Netflixならではの「今」の映画でもある

そんな、当然のごとくこれは35ミリフィルムで撮影された、まさしく昔ながらの、堂々たる正統派の「映画」がですね、同時に、たとえばその主要キャラクターたちの年齢を、デジタル的にコントロールする、言わばスコセッシの言葉によると「CGによる特殊メイク」。

とは言っても、あの『ジェミニマン』的なですね、まんまそれをガッツリ再現する、というよりは、あくまでもちろんメイクレベル、雰囲気……要するに、「それ自体が見世物になるような感じとまではいかない」感じなんですけどね。それは僕、一種スコセッシの矜持でもあると思うんですけど。まあ、そのデジタルメイク……なんだけどそれは、名優たちの演技の邪魔にならないよう、最小限の目印・ドットだけつければすむ、その代わり、カメラを違う角度から同時にいくつも回さなければいけないという、新開発の、まさに最先端の映像技術が大幅に導入された、つまり2010年代末の現在でなければ創られえなかった、紛れもない「今」の映画でもあるわけです。

ものすごい昔ながらの映画の流儀だけど、今じゃなきゃ無理だった、っていう映画でもある。で、そのせいで莫大な額に膨れ上がった製作費を、最終的に請け負った、配信サービスの雄・Netflix。で、先ほどの方がおっしゃられた、その『アイリッシュマン』を語る座談会(『監督・出演陣が語るアイリッシュマン』)の中で、スコセッシ自らも、いま、その「映画」の見られ方、あり方っていうのは、トーキーの導入以来の変化の時を迎えているという、そういう認識のもと、どこでどう見られるか……つまり、昔だったら劇場での回転数がありますから、上映回数の関係で、長尺、3時間半なんていうのはまあ、嫌われるわけですね。

で、いまだったらもう、シネコンとかでも、そんなのはいろいろと回転が狂っちゃうから嫌だ、ってことになるんですけど、「そういうのを意識せずに、ただただ純粋に作品を作ることに専念した」みたいなことをスコセッシは言ってるわけですけど。だからたとえば、この3時間半という長尺も、実はですね、Netflix作品だからこそ可能になった、「今の映画」の形のひとつかもしれないわけですよ。だってそのNetflixで、ドラマシリーズ一気観、とかに比べれば、3時間半なんか全然別に長くないんですよ。そういう、だから逆に3時間半っていうところは、今っぽい、Netflixならでは、ってことも言える。

つまり、本作の語り口と同様ですね。過去と現在、伝統と今、古さと新しさが、混然一体に、等価に機能している。スコセッシ流の、映画そのものによる時代への回答。それがこの『アイリッシュマン』というとてつもない作品なのではないか、と私は思うわけですね。

■「今(1990年代末)」「1975年」「1950年代」という3つのタイムライン

ひょっとしたらスコセッシの過去の作品──特にやっぱり『グッドフェローズ』ですね。『グッドフェローズ』とかを見慣れていない人にはですね、序盤、何の説明もなく飛び交う固有名詞とか、隠語。もちろんね、あの「家にペンキを塗る」っていう……つまり、殺しなわけですけど。これはどういうことなのか、見てください。冒頭で語られます。

それをはじめとして……あとあるいは、その時点では真の意味が不明な、諸々の展開やディテールが続くので、序盤は何がなにやら、困惑が先に立ってしまう、「なんだかよくわかんないな」ってなるかもしれません。ただ、それは完全に意図的なものなので、ぜひご安心いただきたい。映画の中で描かれる時制。大きく言って3つ、時制がありますね。タイムラインがある。

まずはこのロバート・デ・ニーロ演じる主人公のフランク・シーランが、介護施設で、過去を振り返っている、(作品内における)「現在」というところにあたる、いちばん時制的には後にあたる──これは、恐らくは原作ノンフィクションの取材に答えている、という構造を持っている。まあ、ちょうどコソボ紛争最中というね、ニュースの映像が出ますから、90年代末でしょう。そのタイムラインと、1975年。フランクと、その彼のボスである、ジョー・ペシ演じるラッセル・バッファリーノという方。

この方は、原作によればですね、このフランク・シーラン曰く、面識のある犯罪組織のボスのうち、『ゴッドファーザー』でマーロン・ブランドが演じたドン・コルレオーネの特徴や流儀を誰よりも想起させるのは、ラッセル・バッファリーノだった、っていう。そんぐらいの大物なわけですよ。それとその妻たちが、まあとある結婚式に出席するため、道すがら、いろいろと集金なんかもしながら、のんびりドライブ旅行をしている、というライン。これが実は、クライマックスとなる1975年7月30日……これはもう歴史的な事件ですね。ジミー・ホッファ失踪事件へとつながっていくわけなんですけど。

これね、たとえば『グッドフェローズ』クライマックスの、主人公が逮捕される1日と同じでですね。あれも、料理したり、家族を送り迎えしたり……という風に、本題にあえて最初に触れずに進んでいくわけですよ。何をやってるのかよく分からないわけですよね。最初は、何の話をしようとしてるのか、何でこんな日常描写に尺を割いているのか、わかんない。でも実は、それは隠語と同じなんですよ。暗に恐ろしい事態が進行している、ということなんですよね。

要するに彼らにとっては、日々の日常的な生活も犯罪行為も、同列なわけですよ。それも全て日常であるという、そういう語り口。スコセッシ一流の実録犯罪物ノンフィクション。なんなら、ドキュメンタリー的でもあるような語り口、ストーリーテリング術なわけですね。で、まあとにかく、その1975年7月30日に集約されていくタイムライン、というのがある。そのドライブしているタイムラインね。ロードムービー的なというか。

それと、1950年代。これ、いちばん古い時代ですね。一介のトラック運転手にすぎなかった主人公フランクが、闇社会で一目置かれ、最終的にはその、当時のスーパースター的存在、ジミー・ホッファさん。これ、劇中でもちゃんと「今の世代の人は知らないだろうけど……」って前置きした上で、結構親切に説明していると思うんだけどな。僕は「そういう風に説明してくれているので、(ジミー・ホッファが何者かを)知らない人も安心です」だと思いますけどね。まあ彼の信頼を得るまでに至る、メインストーリー。それが、さっき言った1975年7月のドライブの時点に追いつくまで、っていうタイムライン。これがメインストーリーとしてあるわけです。この3つの時制を交互に見せていく、という。主にその1950年代から、彼が成り上がっていく過程というのを見せていく。

■こまごましたエピソードが絶妙なタイミングでカットイン

で、そこにさらに、こまごましたエピソードが、それこそこれは本当にスコセッシが『グッドフェローズ』で確立した手法ですけど、ヒップホップDJ的に、細かい挿話がカットインされていく。たとえば、二度、一瞬カットインされる、「もう1人のウィスパーズ」さんの車が爆発するイメージ。2回、出てきますよね。1回目はギャグとして、2回目は、『グッドフェローズ』終盤同様の見えない恐怖として、疑心暗鬼の象徴として描かれる。こんなのもありますし。

あるいは先ほどね、ちょっと(番組の)オープニングでもチラッと話しましたけど、ラッセル夫婦の、あまりにも肝が座りすぎていてユーモアさえ醸し出す、根っからのマフィア体質家族っぷりを示す短い挿話であるとか。などなどが、絶妙なテンポで挟み込まれていく。しかもそのひとつひとつがですね、たとえば単なる言い争いのシーン、くだらない言い争いのシーンだとしても、演者たちの圧倒的力量、そして魅力もあって、とにかく引き込まれるし、1個1個のセリフっていうのもうまくできていて、端的に、面白い! ということですね。なので、3時間半という風にイメージされるものよりは、はるかにスイスイと見やすい。ただまあ『グッドフェローズ』とか『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の情報量に比べると、ゆったりした語り口ではありますけども。はい。

■原作の要素をスコセッシ的なテーマにまとめた素晴らしい脚色

で、ですね、これね、まず脚本のスティーブン・ザイリアンさんという方。これ、『シンドラーのリスト』とか、スコセッシだと『ギャング・オブ・ニューヨーク』とかをやってますけど、この方の脚本。先ほど言った、大きく言って3つの時制を行き来するこの構成によってですね、原作にあった様々な要素を、うまくストーリーの流れや、キャラクターの心情の動きに合わせて再配置……場合によってはちょっとだけ、本質をねじ曲げない範囲で、劇的に盛って。要はいくらでも複雑怪奇になってしまいかねないこの話を、しっかりと1本筋の通った、それも、いかにもスコセッシ的なテーマが際だったドラマにまとめていて、実に見事だ、という風に思います。

たとえばですね、物語全体を通して非常に重要な、重い意味を持つ、フランクの次女・ペギーの視点。成長してからはアンナ・パキンがね(演じていますが)、本当、セリフ数はほとんどないんです。ほとんどしゃべらないんだけど。セリフ数こそごくわずかながら、最終的には、フランクの人生全体を根本から問い直す、否定するような鋭い眼差しが強烈に印象に残る、このペギーという役柄。原作でも、この『アイリッシュマン』で語られるのと同様、1975年の8月3日以来、彼女はお父さん、フランクを完全に拒絶する。「もう二度と会ってはくれなくなった」という、これは本当なんですね。

要はジミー・ホッファ失踪に父が関与しているのを察知して……という、この悲しい話は本当なんだけども。映画と違って、原作によると、お父さんとペギーは、別に幼い頃からずっと仲が良かったし、ラッセルにも全然なついていた、っていうことなんですよね。カタギではないおじさんたちともそれなりに仲良くしていた、という風に書いてある。でも、それを今回の映画では、フランク・シーランという男の暴力的人生……本人的にはそれは「家族を守るため」という意識なんだけども、それを劇中、終始相対化し、批判的に見つめる視点として、そのペギーの視点を、アレンジしているわけですね。まさに物言わぬ目線、というところに、物語的に置き換えてみせている。これも非常に見事ですし。

あと、原作にもある、これはまた別の娘さんでドロレスさんという方の述懐を、フランクに直接、面と向かって伝える形にして。要は彼の「家族を守る」という大義名分による暴力的行為みたいなものが、いかに自分勝手かつ、むしろ有害な影響を家族に与えてきたか、っていうのを、そのドロレスさんを演じているこれ、マリン・アイルランドさんという方、これも見事としか言いようがない、「泣き笑い演技」……彼女が、ちょっと笑ってるような泣いてるような顔で「何をいまさら言っているの?」っていう風にやる、あれを込みでしっかりと、つまり終盤の重要な、フランク自身が自らの人生の本質を悟ってしまうシーンとして置いている。これも素晴らしい脚色だと思います。

あるいは原作では、「俺は今、介護施設の狭い部屋で暮らしている。ドアはいつも開けっ放しだ。自分で立って閉めに行けないからな」とだけある、非常にさらっとした描写を、ご覧になった方はお分かりの通り、この「閉じきらないドア」ということそのものを巨大な映画的キーワード、映画的モチーフとして……もちろんジミー・ホッファが、初めてフランクをホテルの同じ部屋に泊めた、つまり初めて「お前のことを信頼したよ」という証としての、その夜の、半開きのドアですよね。

あるいは少女時代のペギーが、その閉じきらないドアの隙間から垣間見てしまう、暴力的仕事人としての父の姿、とか。それら繰り返される「閉じきらないドア」というモチーフ。これの繰り返しの果てに、ホッファと娘、同じ写真に写った2人を、ある意味同時に失った……しかも自分のせいで! というフランクが、「ドアを開けておいてくれ」と言う。この切なさ、この構成の妙、っていうことですよね。本当に鳥肌が立つ。

しかもね、そのドアの隙間から……彼のことを積極的に訪ねてくる、彼が会いたい人っていうのは、もう二度と来ないでしょう。なんだけど、そのドアの隙間から、彼の心の虚しさ、孤独を唯一眺めることができるのは、我々観客なんですよね。つまりこれこそが、敗れ去った者の、それでも最後に実は残っていたハートの熱さとか、尊厳とかいったものをヒリヒリと突きつけてくる、まさにそのスコセッシ映画の味わい。もっと言えば、映画というものができること、その存在意義ですよね。そういうラストですよね。

■役者陣の演技は、まさに極上ディナーのフルコース

他にもですね、その第二次大戦中イタリアでのね、従軍経験中に、捕虜に自ら墓穴を掘らせる、というそのエピソードも、物語全体のテーマに合わせてアレンジしてたりとか、っていうことですよね。ある意味、この作品の登場人物は全員、自ら墓穴を掘ってる。しかも、言い草としては「俺たちを守るためだ。家族を守るためだ」と言いながら、というね、このあたりも本当に見事な置き換えですし。あとはやはり、原作だとさらりと流されている──これはちょっとギャグ的な部分ですけど──ビッグイヤーズ(大きな耳)っていうあだ名がついているハントっていう男の件を、これも原作だとさらっと触れているだけなんだけど、何とも知れないオフビートな笑いが漏れる、ちょっとした1エピソードにちゃんと仕立ててたり、とかですね。

とにかく、いちいち脚色が気が利いてますし。たとえばあの、デカいメガネをしたサリーという男の殺人描写を前の方で見せておいているからこそ、後半、フランクが、なぜか彼の前に座るのを嫌がる。助手席に座るの嫌がる。席が魚のせいで濡れてるっていうのに……しかもこれ、魚で濡れてたのは本当なんですよっていう(笑)。それでも言外に、やっぱり彼、フランクは、「いや、俺が危ないかもしれない。俺がやらなきゃ、俺が逆に危ないんだ」という……彼の警戒、不安を、セリフではなく見せている。これも上手いですね。「助手席に絶対座らない」っていうことで示していたり。これも非常に上手いですし。

上手いと言えば、もちろん役者陣の演技、競演はですね、まさに極上ディナーのフルコース、といったところで。あのね、非常に押しが強くて人懐っこい、っていうこのホッファ役は、まあ、アル・パチーノの演技にはまらないわけがない。似てる度で言ったらジャック・ニコルソンの方が上だけど、やっぱり愛され男、愛されおじさんというか、「愛され老害かわいいおじさん」(笑)、そういう意味ではアル・パチーノ、すごいはまらないわけがないし。これまでとは打って変わって落ち着いた、でも直接的ではない威圧感で場を制圧する、ジョー・ペシももちろんそうですし。

あと、たとえばほぼ原作通りの手順……引き目のカメラで、時にワンショットで、実にそっけなく遂行される殺人シーンを含めですね、いかにもアイリッシュ的な、ブルーカラーギャングの無骨さ、あるいはそれと対照的に、まあよれよれになった老境までを、余裕の貫禄で演じ切るデ・ニーロ。あと、あそことかすごいですね。「事後」に、ホッファの奥さんに……ホッファの奥さんはあれ、『グッドフェローズ』でベビーシッターやってたあの人(ウェルカー・ホワイト)ですよね。あの人に電話するところの、モゴモゴ具合の切なさとか。たとえばあとね、終盤近くで、「そんな電話、かけるかよ……」っていう。つまり、間接的に……だからこそ痛恨の深さをうかがわせる、名ゼリフですよね。

「そんな電話、かけれるかよ、俺に……」って。あれはデ・ニーロの発案、アレンジによる名ゼリフ。つまり、物語の理解度がただ事じゃない!ってことですよね。脇では特に、トニー・プロ役、スティーヴン・グレアムさん。これね、あの『ボードウォーク・エンパイア』でアル・カポネ役をやってましたけど。が、とにかくあのアル・パチーノ演じるホッファと、異常に低レベルな「オマエが先に謝れ」合戦を繰り広げるくだりなど(笑)、本当に、「人懐っこい強面」感。これ、すごい良かったですし。

他も、名もなきマフィアの面々も、要はね、例によって「どこから連れてきたんですか、このホンモノ?」っていう人たち(笑)。イイ顔揃いで、見飽きないですし。家族・ファミリーが裏切りによって崩壊していく、断絶していく、というのは、実にスコセッシ的テーマでありつつ、「家族のためにやったことが、家族を遠ざけ、失うことにもつながっていく」というのは、まさに『ゴッドファーザー』三部作のテーマそのものでもありますし。

■やはり圧倒的な一作。できればぜひ劇場で!

そしてその、崩壊が決定的になる一夜。ラテンカジノでのその「フランク・シーラン感謝の夕べ」のシーン。主要人物たちが一堂に会し、思惑と視線が交錯する。まさに名匠の、名優の技が堪能できる、極上シークエンスですけど。ここでさ、満を持してって感じで、アル・パチーノが、ダンスを踊り出すじゃないですか。これはやっぱり、『ゴッドファーザー』がこだまするわけですよね。あるいは彼が湖畔に座っている姿とかも含めて、やはり『ゴッドファーザー』もこだまする、ということです。

まあ、ちょっとさまざまな要素がありますから……いろんな意味で僕はやはりこれ、圧倒的だと思います。つまり、これぞ映画だ!っていうことを、今の時代に突きつけるような1本であると同時に、これからの映画のあり方っていうのをスコセッシなりに模索して、スコセッシなりの回答を全力で返した1本でもある、ということで。そして何よりもやっぱり、面白いし味わい深いし、というあたりで。まさにこれね、『グッドフェローズ』が生涯ベストな私のような映画ファンにとって……俺らにとっての『エンドゲーム』。

いや、これでエンドと言わず、こういうのをもっと!(笑) ねえ。おじさんたち、生きている限り、よろしくお願いします、という感じでございます。来年に開催される賞レースも、席巻間違いなしの一作ではないでしょうか。といったあたりで、とにかくNetflixでもいいですし……劇場で見るのがやはり僕は極上でございましたから、ぜひぜひ劇場で。今、このタイミングでご覧ください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の予定でしたが、宇多丸さん体調不良のため、次週以降に持ち越し)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャ回しパートで)しかし『アイリッシュマン』、つくづくスコセッシは本当に、「板挟み物」がね(笑)。本当に「板挟み物」ですよね、スコセッシの真骨頂はね。『沈黙 -サイレンス-』だってある意味、「板挟み物」ですからね。

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「冬のイルミネーションに映える最新キラキラ☆アーバンポップ特集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2019/12/06)

「冬のイルミネーションに映える最新キラキラ☆アーバンポップ特集」

冬のイルミネーションに映える最新キラキラ☆アーバンポップ特集http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20191220123916

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りします! 「冬のイルミネーションに映える最新キラキラ☆アーバンポップ特集」。

【ジェーン・スー】
おやおや、キラキラしちゃうのかい?

【高橋芳朗】
しちゃいます。クリスマスで賑わうこの週末のお出かけのBGMなどにご活用していただきたい、アーバンでダンサブルな新譜4曲。すべてここ1ヶ月ほどのリリースから選曲しました。ではさっそくいってみましょう。

1曲目はユミ・ゾウマの「Right Track / Wrong Man」。12月10日にリリースされたニューシングルです。

ユミ・ゾウマはニュージーランド出身でニューヨークとパリを拠点に活動する男女混成の4人組。2013年にデビューして以来、これまでに2枚のアルバムをリリース。来日公演も2度行っております。透明感のあるダンサブルなエレクトロポップで、まさに冬のイルミネーション映えばっちりな一曲かと。

M1 Right Track / Wrong Man / Yumi Zouma

【高橋芳朗】
「キラキラ」というよりも「フワフワ」って感じかな?

【ジェーン・スー】
そう。なんかフワフワフワフワッて。綿菓子みたい。

【高橋芳朗】
続いて2曲目はケイトラナダの「What You Need」。ジェーン・スーさん、ケイトラナダはご存知ですか?

【ジェーン・スー】
うわ、怖い! もう「ケイトラナダ」って名前を聞くだけで怖くなる。ごめんなさいごめんなさい……。

【高橋芳朗】
12月13日リリースのニューアルバム『BUBBA』の収録曲です。ケイトラナダはハイチ生まれ、カナダ出身のダンスミュージックのプロデューサー。

【ジェーン・スー】
知ってる知ってる。なにがあったかは後で話す後で話す。

【堀井美香】
ケイトラナダ?

【高橋芳朗】
いまやもう超売れ子プロデューサーです。ケンドリック・ラマーやメアリー・J.ブライジなんかともコラボしていたりして。

【ジェーン・スー】
早いうちに教えてくれて本当にありがとう!

【高橋芳朗】
この曲は同じカナダ出身の女性シンガー、シャーロット・デイ・ウィルソンをフィーチャーしたハウス調のスムーズなナンバーになっております。

M2 What You Need feat. Charlotte Day Wilson / KAYTRANADA

【高橋芳朗】
ケイトラナダというと、3年前に僕が彼のファーストアルバム『99.9%』のCDをジェーン・スーさんの誕生日にプレゼントしたんですよ。

【ジェーン・スー】
しかもそれを私は聴きもせずほったらかしていて。その年の年末にヨシくんが番組で紹介したときに「これ、いいね!」みたいな感じでしれっと話していて。

【高橋芳朗】
フフフフフ。

【ジェーン・スー】
そうしたら「これ、あなたの誕生日にあげたアルバムだよ!」って。

【高橋芳朗】
あれはびっくりしました。

【堀井美香】
聴いてなかったの?

【ジェーン・スー】
失礼しました。

【高橋芳朗】
堀井さん、この人はこういうことが多いんですよ。

【ジェーン・スー】
そんなことないよ。忘れちゃうの。

【堀井美香】
忙しいんですよね?

【ジェーン・スー】
でもね、そのときにも「忙しかったんだよ」って言ったら「同じタイミングでおすすめした星野源さんはちゃんと聴いてLINEで感想を送ってくれたよ」って。星野さんよりも忙しい人はなかなかいないよってことですよね。

【高橋芳朗】
フフフフフ、では3曲目。フリー・ナショナルズの「Shibuya」です。

【ジェーン・スー】
渋谷?

【高橋芳朗】
そう、日本の渋谷。これは先ほどのケイトラナダと同じ12月13日にリリースされた彼らのデビューアルバムの収録曲です。

フリー・ナショナルズはロサンゼルス出身の4人組R&Bバンド。R&Bシンガーのアンダーソン・パークのバックバンドですが今回初のアルバムを出しました。この曲は今年6月に当コーナーで特集したジ・インターネットのシドをゲストボーカルにフィーチャーしております。

タイトルが「Shibuya」だからってわけじゃないけど、ちょっと日本のシティポップに通じる気持ちよさもあるような。歌詞が気になるところだと思いますが、海外から日本にやってきたカップルが「週末まで滞在を延ばしてちょっと渋谷で遊んでいこうよ」みたいな内容ですかね。

【ジェーン・スー】
おお、おしゃれ!

M3 Shibuya feat. Syd / Free Nationals

【ジェーン・スー】
我々の知ってる渋谷と違う!

【高橋芳朗】
フフフフフ、向こうから見ると渋谷はこんな感じに見えるのかもね。

【ジェーン・スー】
ねえ。

【高橋芳朗】
最後はアドイの「Lemon」。11月22日にリリースされたアルバム『VIVID』の収録曲です。

アドイは2017年にデビューした韓国ソウル出身の男女混成4人組インディポップバンド。このコーナーでシリーズ化してる「いわゆるK-POPとはちょっと違う韓国ポップス特集」で何度も取り上げているのでご存知の方も多いかと思いますが、このたびついにファーストアルバムがリリースされました。もう切ない胸キュンエレポップのつるべ打ちで最高なんだけど、アルバムのオープニングを飾るこの「Lemon」はなかでも格別です。

M4 Lemon / ADOY

【高橋芳朗】
こんな素敵なエレポップが流れているうしろであなたたちはなんの話をしてるだっていう。

【ジェーン・スー】
「パンツのゴムが切れたらどうしよう?」って話をしていました。

【高橋芳朗】
深夜枠にスーと堀井さんで番組を持ってオープニングトークで「パンツのゴムが切れただの切れないだの」って話をして。そしてトークを終えたあとの一曲目がヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「Power Of Love」……そんな話をしていました。

【ジェーン・スー】
なんでそんな話になったかというと、この番組の選曲は我々の深夜番組とは一線を画してるということですよ。それぐらい素晴らしいってこと。

【高橋芳朗】
ホント?

【ジェーン・スー】
アドイ!

【高橋芳朗】
フフフフフ、アドイ!

【ジェーン・スー】
もとい、アドイ! 今日の選曲ではフリー・ナショナルズが好きだったかな。

【高橋芳朗】
フリー・ナショナルズはアルバムごと素晴らしいのでぜひ。アンダーソン・パークやベニー・シングスが参加してる曲もあるからね。

【ジェーン・スー】
いま落としました! サブスクで登録した!

【高橋芳朗】
スーさんと堀井さんの深夜番組、実現したら僕に選曲させてください。ちゃんとふたりに合った選曲をするから。

【ジェーン・スー】
ずっとやらせてほしいって言ってるんですけどね。堀井さんと私の「ババラジ」。

【堀井美香】
ババラジね!

【高橋芳朗】
ぜひぜひ。

【ジェーン・スー】
ありがとう。でも1曲目は「Power Of Love」だから(笑)。

【高橋芳朗】
オッケー、それは死守するよ(笑)。

【ジェーン・スー】
というわけでヨシくん、来週もよろしくお願いします!

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

12月16日(月)

(11:06) Everything Your Heart Desires / Daryl Hall & John Oates
(11:26) Parallel Lines / Todd Rundgren
(12:13) Follow Your Heart / Ned Doheny
(12:25) Face to Face / Michael Franks
(12:52) Never Stop Believing / Christopher Cross

12月17日(火)

(11:08) Time and Love / Laura Nyro
(11:37) You Look So Good to Me / Billy Joel
(12:13) Lady What’s Tomorrow / Elton John

12月18日(水)

(11:06) The Kids Are Alright / The Who
(11:37) If I Needed Someone〜恋をするなら〜 / The Hollies
(12:14) Tired of Waiting for You / The Kinks
(12:24) Blue Turns to Grey / The Rolling Stones

12月19日(木)

(11:07) Christmas Is the Time to Say "I Love You" / Billy Squier
(11:25) I Wish it Could Be Christmas Everyday / Wizzard
(11:36) Merry Xmas Everybody / Slade
(12:13) Elton John – Step Into Christmas
(12:21) Tom Petty & The Heartbreakers – Christmas All Over Again (1992)
(12:49) U2 – Christmas (Baby Please Come Home)

12月20日(金)

(11:06) This Christmas / Donny Hathaway
(11:30) Someday at Christmas / Jackson 5
(12:16) Christmas Love / The Rotary Connection

「2019年がんばったあなた、がんばれなかったあなたに贈る感動のゴスペルライブ名演集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2019/12/27)

「よくぞ、よくぞここまでたどり着きました! 2019年がんばったあなた、がんばれなかったあなたに贈る感動のゴスペルライブ名演集」

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りします! 「よくぞ、よくぞここまでたどり着きました! 2019年がんばったあなた、がんばれなかったあなたに贈る感動のゴスペルライブ名演集!」

【ジェーン・スー】
イエーイ!

【高橋芳朗】
ハレルヤ!

【ジェーン・スー】
ハレルヤ!

【高橋芳朗】
先月11月1日の放送で「ヒップホップmeetsゴスペル特集」をお届けしましたが、そのときにジェーン・スーさんからストレートなゴスペルの特集もやってほしい、特にマス・クワイアと呼ばれる40〜50人規模の大所帯の聖歌隊の音源を紹介してほしい、というリクエストをいただきまして。それでいつやろうかとタイミングをうかがっていたのですが、ゴスペルミュージックの持つ荘厳さや包容力が最も威力を発揮するのはやはり年の瀬だろうと。そんなわけで今回、2019年最後の音楽コラムで取り上げることにしました。

【ジェーン・スー】
ありがとうございます。ありがとうございます。

【高橋芳朗】
そして、こうなったらもう盛大に盛り上げていこうじゃないかということでスーさんのマス・クワイアのリクエストにさらにもうひと要素上乗せしてすべてど迫力のライブ音源で選曲してみました。

【ジェーン・スー】
すごい! 皆さん、もう立ち上がって窓を開けても大丈夫な人は窓も開けて「ハレルヤ!」って感じでいきましょう!

【高橋芳朗】
この一年の皆さんの労をねぎらう最高の選曲ができたと自負しておりますので。いつもよりもボリュームを1〜2レベル上げて楽しんでいただけたらと思います。

【ジェーン・スー】
体で音楽を感じる時間ですね。

【高橋芳朗】
そうですね。とりあえず立ちましょうか(笑)。

【ジェーン・スー】
私はいま立ちました!

【高橋芳朗】
ドライバーの皆さんは路肩に車を停めてお楽しみください。ではまずは大所帯の聖歌隊、マス・クワイアの音源を2曲紹介したいと思います。1曲目はジョージア・マス・クワイアの1995年のレコーディングで「Sunday Morning Medley」。これは昔ながらのオーソドックスなゴスペルですね。「Sunday Morning Medley」というタイトル通り、日曜日の礼拝で歌われるスタンダードなゴスペルナンバーをメドレー形式で披露しています。

M1 Sunday Morning Medley (Live) / Georgia Mass Choir

【高橋芳朗】
これやろ? こういうのを聴きたかったんやろ?

【ジェーン・スー】
最高! いま私はロングコートを逆さまに着てガウンに見立てて歌っております!

【高橋芳朗】
宣教師スー(笑)。

【ジェーン・スー】
「ハレルヤ!」ですよ! 「Can I get an amen?」ですよ! 最高です!

【高橋芳朗】
続いてはシカゴ・マス・クワイアの2005年のレコーディングで「Lord We Come To Praise You」。今度はコンテンポラリーな演奏をバックに歌うマス・クワイアの曲ですね。バッキング自体はほとんどアース・ウィンド&ファイアーかスティービー・ワンダーかって感じですね。臨場感がすごいですよ。

M2 Lord We Come To Praise You / Chicago Mass Choir

【ジェーン・スー】
すごい! もう南国に来たみたい!

【高橋芳朗】
演奏がサンバみたいなんですよね。

【ジェーン・スー】
こんなのもあるんですね! 私はゴスペル・クワイアのコーラスの厚みがありすぎて主旋律がどこなのかわからなくなってくるやつが大好きなのですよ!

【高橋芳朗】
ダンゴ状態になってるやつね(笑)。私も大好物でございます!

【ジェーン・スー】
そうですか! 堀井さんもニヤニヤしてますね。

【堀井美香】
なんか年末年始のやりすぎ感というか。歳末がグルグル回っている感じですね。

【高橋芳朗】
大掃除をしながら聴いたりすると効率が上がるかもしれないですね。次、3曲目はちょっと趣向を変えてロックバンドとゴスペル・クワイアのライブ共演を聴いてみたいと思います。先月来日していたU2が1988年にリリースしたアルバム『Rattle and Hum』から「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」を。

【ジェーン・スー】
ええっ、ゴスペル?

【高橋芳朗】
うん。これはゴスペル・クワイアのニュー・ヴォイシズ・オブ・フリーダムをフィーチャーしたライブ音源なんですよ。実質U2の演奏をバックにゴスペル・クワイアが歌っていると考えてください。めちゃくちゃ感動的なパフォーマンスです。

M3 I Still Haven’t Found What I’m Looking For (Live) / U2

【ジェーン・スー】
荘厳でしたね!

【高橋芳朗】
素晴らしいでしょ? では、最後はコンテンポラリーなゴスペルのライブ音源で締めくくりたいと思います。現代ゴスペルシーンの重鎮、フレッド・ハモンドが2016年にリリースしたライブアルバム『Worship Journal』より「The Lord Is Good」。これはもうポジティブなエネルギーにあふれる本当に素晴らしいパフォーマンスです!

M4 The Lord Is Good (Live) / Fred Hammond

【ジェーン・スー】
力がみなぎってきましたね。心が洗われました! つらい思いをした人ほど心を揺さぶるゴスペルが歌えるんですよね。今年一年、つらい思いした人もゴスペルを歌って2020年に突き進んで行きましょう!

【高橋芳朗】
ですね。ゴスペルはいろんなことをいい感じで有耶無耶にしてくれるので年の瀬のリスニングに最高です!

【ジェーン・スー】
有耶無耶って言うな!(笑)

【高橋芳朗】
ぜひお試しください(笑)。本年もありがとうございました!

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―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

12月23日(月)

(11:07) Driving Home for Christmas / Chris Rea
(11:23) Santa Claus Is Coming to Town / The Whispers
(12:13) Wonderful Christmastime / Paul McCartney
(12:51) Thanks for Christmas / The Three Wise Men

12月24日(火)

(11:09) Fairytale of New York / The Pogues
(11:25) River / Joni Mitchell
(11:37) Christmas Day / She & Him
(12:24) Winter Wonderland / Darlene Love
(12:50) The Chipmunk Song / The Chipmunks

12月25日(水)

(11:05) Santa Claus Is Comin’ to Town〜サンタが街にやってくる〜 / Lou Rawls
(11:25) Mistletoe and Holly / Jack Jones
(11:35) Happy Holiday / Peggy Lee
(12:14) Frosty the Snowman / Ella Fitzgerald
(12:25) Cool Yule / Louis Armstrong & The Commanders
(12:49) All I Want for Christmas (Is My Two Front Teeth) / Nat King Cole Trio

12月26日(木)

(11:05) Only Love Can Break Your Heart / Neil Young
(11:36) Deirdre / The Beach Boys
(12:22) Chain Letter / Todd Rundgren
(12:50) しんしんしん / はっぴぃえんど

12月27日(金)

(11:06) Run Away / The Salsoul Orchestra
(11:25) Let Me Be Your Lover / Patterson Twins
(11:36) Mainline / Black Ivory
(12:13) Top of the Stairs / Collins & Collins

(12:21) ろくでなし / 越路吹雪
※「ろくでなし」はリスナーからのリクエスト

「映画『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』をより楽しむための音楽ガイド」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/01/03)

「映画『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』をより楽しむための音楽ガイド」

【高橋芳朗】
2020年一発目の音楽コラムはこんなテーマでお送りします! 「本日公開! 映画『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』をより楽しむための音楽ガイド」。

本日3日より公開になったアメリカのラブコメディ映画『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』。ラブコメディが大好きな僕とスーさんは試写会でひと足先に拝見して「これはもう現行ラブコメの最高傑作だ!」と大興奮。映画の公式サイトに推薦コメントを寄せたうえ、昨年12月には番組主催でトークショー付きの試写会まで開催してしまったという入れ込みようで。

【ジェーン・スー】
詳しい映画評は男性ファッション誌『UOMO』のウェブサイトで私とヨシくんが連載している『ジェーン・スー x 高橋芳朗 愛と教養のラブコメ映画講座』をご覧になってください。

【高橋芳朗】
そうですね。映画の見どころはここでたっぷり語っております。堀井さんもご覧になられたんですよね。いかがでしたか?

【ジェーン・スー】
いかがでした?

【堀井美香】
フフフフフ、ふたりのすごい圧が(笑)。

【高橋芳朗】
ちょっと僕らふたりがこの映画のことを好きすぎるからね。表面上は丁寧に「いかがでしたか?」なんて言いながらも実際は「おい、どうだったんだ!」って詰め寄ってるみたいな構図になってるという(笑)。

【堀井美香】
もうシャーリーズ・セロンがきれいできれいで。彼女のことをずっと見ていました。あと、高校生〜大学生ぐらいのころに聴いていた曲が結構かかっていて。

【ジェーン・スー】
そうなの!

【高橋芳朗】
挿入歌は80年代〜90年代のものが中心ですもんね。

【堀井美香】
それがすごくよかったです!

【ジェーン・スー】
まずはどんな映画なのか、ちょっとヨシくんから説明してください。

【高橋芳朗】
はい。「『マッドマックス 怒りのデス・ロード』や『タリーと私の秘密の時間』などでおなじみオスカー女優のシャーリーズ・セロンと、『40歳の童貞男』のセス・ローゲンが共演したラブコメディ。アメリカ大統領選への出馬を決めた才色兼備な国務長官に恋をした失業中の冴えないジャーナリストの奮闘を、男女逆転のシンデレラストーリーとして描く」と。まあ、いわゆる格差恋愛/格差カップルを題材にしたラブコメディです。

【ジェーン・スー】
男女の場合、男性の社会的地位が上の場合は「格差」とは言われないんですよね。女性が上の場合だけ「格差」と言われる。不思議なトリックがあるんです。

【高橋芳朗】
あんまり使いたくない言葉ではありますね。

【ジェーン・スー】
この『ロング・ショット』では女性がすべてを持っていて、男性がすべてを失ったという設定で。そんなふたりがどうやって結ばれることになるのかってところなんですけど、ヨシくんと私がよく話してるのは「ラブコメ映画はポスターを見た時点で誰と誰が結ばれるのかはっきりわかっている」ということ。この映画のポスターを見ても主演のセス・ローゲンとシャーリーズ・セロンがくっつくのは明白ですからね。そこに至るまでのロードマップをどう描くか、これがラブコメ映画の醍醐味なんですよ。

【高橋芳朗】
今日はそんな『ロング・ショット』の魅力に音楽面から迫っていきたいと思います。まず最初に聴いていただきたいのは、デヴィッド・ボウイの「Modern Love」。1983年の大ヒットアルバム『Let’s Dance』の収録曲です。この曲に関しては映画本編ではなく予告編で使われている曲になります。日本のテレビコマーシャルでも流れているから「おっ、ボウイじゃん!」と反応したリスナーの方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

この「Modern Love」、もちろんノリの良さで使っているところもあると思うんですけど、ちゃんと映画のテーマを踏まえての意味のある選曲だと考えていて。というのも、『ロング・ショット』という映画はまさにモダンラブ、現代的な恋愛観/男女観にのっとって作られているんですよ。既存の恋愛観/男女観を覆すことに意識的に作られている。白馬に乗った王子様がヒロインを迎えにくる、旧来のラブコメディのセオリーを打ち破った映画なんです。

M1 Modern Love / David Bowie

【ジェーン・スー】
「ラブコメ映画って若い人のものでしょ?」って思ってる人もいるかもしれないけど、この選曲でもう狙い撃ってきてることが伝わったんじゃないでしょうか。もうアラフォーアラフィフが撃ち抜かれまくりだよね。

【高橋芳朗】
そうね。セス・ローゲンとシャーリーズ・セロンが出会うきっかけがボーイズIIメンだったり、随所に『ビバリーヒルズ高校白書』ネタが仕込んであったり。そんなふうに90年代初頭のカルチャーへの引用が多い『ロング・ショット』のなかでも、特に印象的なのが映画『プリティ・ウーマン』へのオマージュになります。さっきも「白馬に乗った王子様が〜」という話をしましたけど、そういう王道ラブコメディの象徴といえる映画ですね。1990年公開、主演はリチャード・ギアとジュリア・ロバーツでした。

【ジェーン・スー】
ねえ。堀井さんも何回も見たって言ってました。

【高橋芳朗】
『ロング・ショット』はその『プリティ・ウーマン』の男女逆転バージョンなんて言われていたりもするんですよ。しかも劇中では実際に『プリティ・ウーマン』の挿入歌を使用していて、それによってこれが『プリティ・ウーマン』のカウンター、旧来型のラブコメのカウンターであることを明確に打ち出しているんです。

その曲はスウェーデン出身の男女デュオ、ロクセットの「It Must Have Been Love」。もともとは1987年にリリースされた曲なんですけど、1990年に『プリティ・ウーマン』の劇中で使用されたことがきっかけになって全米1位を記録しています。実は『ロング・ショット』の『プリティ・ウーマン』オマージュは音楽にとどまらず衣装やセリフでも表現されていて。

【ジェーン・スー】
そうなのよ、いっぱい出てくるの。それを見つけるだけでも楽しいよね。

【高橋芳朗】
うん。そんななかでも「It Must Have Been Love」でシャーリーズ・セロンとセス・ローゲンがスロウダンスを踊るシーンはラブコメ転換期のシンボルになるような名場面だと思います。

【ジェーン・スー】
この曲がかかったときに思い浮かぶシーンが変わっていくということですよね。

【高橋芳朗】
まさに。昨年12月9日に亡くなったロクセットの女性ボーカル、マリー・フレデリクソンの追悼も込めてこの曲を聴いてもらいましょう。

M2 It Must Have Been Love / Roxette

【高橋芳朗】
こんな具合に『ロング・ショット』は劇中で使われている音楽が非常に雄弁な映画なんですよ。ここからは個人的に特に印象に残った音楽シーンを紹介していきたいと思います。

まずはブルース・スプリングスティーンの「I’m On Fire」。1984年の大ヒットアルバム『Born in the U.S.A.』の収録曲です。ブルース・スプリングスティーンというと、ロナルド・レーガンからバラク・オバマまでアメリカの大統領と密接な関係にあるアーティストで。不本意なものも含めて自分の曲がたびたび大統領選のキャンペーンソングに使われたり、民主党のイベントに参加してパフォーマンスを披露したり。

この『ロング・ショット』でも大統領選挙への出馬を決めたシャーリーズ・セロン演じる国務長官はかつて民主党のイベントでブルース・スプリングスティーンと共演したことがあるという設定になっていて。それを受けてセス・ローゲンがシャーリーズ・セロンに「僕が君と一緒に過ごした時間は人生でも最高の瞬間だった。君にとってはスブリングスティーンと共演したことの方が思い出深い体験だろうけどね」と自分の思いを打ち明けるシーンがあるんですよ。ふたりはこれを機に急接近することになるんですけど。

【ジェーン・スー】
ニヤニヤシーンですね。

【高橋芳朗】
そのやり取りの直後に流れるのが、スプリングスティーンの「I’m On Fire」です。文字通りふたりの関係に火がついたということですね。個人的にこのくだりにはめちゃくちゃ唸らされたというか感銘を受けまして。次期アメリカ大統領候補がヒロインの映画でアメリカ大統領選とゆかりの深いブルース・スプリングスティーンを重要なシーンのダイアローグに絡めて、かつスプリングスティーンと大統領選との関係の起点になった「Born in the U.S.A.」の収録アルバムからとびきり情熱的なラブソングの「I’m On Fire」を選曲するという。このセンスは本当に洒落てますよね。

【ジェーン・スー】
この映画の素晴らしいところは、なんの予備知識がなくてもラブコメ映画として思いっきり楽しめるんですよ。でも、深く掘ろうと思ったら結構いくらでも掘り下げられる。隠しコマンドみたいなものがいっぱい仕掛けられているんですよね。

【高橋芳朗】
そう。いまのアメリカの社会情勢やトランプ政権に対するフラストレーションも強く反映されている映画になっています。

M3 I’m On Fire / Bruce Springsteen

【高橋芳朗】
最後にもう一曲、これも映画のとある重要なシーンで流れるアレサ・フランクリンの「Bridge Over Troubled Water」を。サイモン&ガーファンクルが1970年にヒットさせた「明日に架ける橋」のカバーですね。1971年の作品。

「明日に架ける橋」は「あなたが困難な状況に立たされたときは私が身を挺してあなたを助けよう。濁流に架かる橋のように」という内容の歌になります。これはもちろんシャーリーズ・セロンとセス・ローゲンの関係を投影しているものでもあるんですけど、決してそれだけではないというか。重要なのは、サイモン&ガーファンクルではなくあえてアレサ・フランクリンのカバーバージョンを使っているところなんですよ。

僕はこの選曲にウーマンリブやフェミニズムのメッセージも託されているんじゃないかと考えていて。1970年前後のウーマンリブを音楽面から後押ししたアレサによる「明日に架ける橋」が合衆国初の女性大統領を志すヒロインにオーバーラップしてくると、それはもうどうしたって当時の運動の継承を意識せざるを得ないわけで。僕はこのシーンを見ながら「アメリカで女性大統領が実現するのはいつになるのだろう」なんて考えてしまいました。

【ジェーン・スー】
2016年の大統領選では悲願が叶わなかったわけですからね。

【高橋芳朗】
今年アメリカは大統領選がありますからね。この映画は当然それも射程に入ってるんでしょう。

M4 Bridge Over Troubled Water / Aretha Franklin

【高橋芳朗】
2020年の映画界は年明けから話題作が目白押しで。今日はほかにも韓国で記録的な大ヒットになったアクションコメディ映画『エクストリーム・ジョブ』が公開になるし、来週10日からはいよいよ『パラサイト 半地下の家族』、それから『フォードvsフェラーリ』も始まります。そんなわけで新年からなかなかの激戦になっているんですけど、ぜひこの『ロング・ショット』も有力な選択肢のひとつに加えていただきたい。とりあえずは冒頭でも触れたスーさんと僕が『UOMO』のウェブサイトで公開している連載『ジェーン・スー x 高橋芳朗 愛と教養のラブコメ映画講座』をチェックしてみてください。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

12月30日(月)

(11:06) Love Love Love / Donny Hathaway
(11:41) One Man Band / The Chi-Lites
(12:15) Don’t Say Good Bye Again / The Jackson 5
(12:23) So Very Hard to Go / Tower of Power
(12:48) You Ought to Be with Me / Al Green

12月31日(火)

(11:07) God Only Knows / The Beach Boys
(11:35) Go Where You Wanna Go / The 5th Dimension
(11:48) A Lifetime Lovin’ You / The Innocence
(12:14) You’ll Be Needing Me Baby / Nino Tempo & April Stevens
(12:24) I Believe Her / The Tradewinds
(12:49) Younger Girl / The Critters

1月2日(木)

(11:15) Mr. Blue Sky / Electric Light Orchestra
(11:28) Get it Right the First Time / Billy Joel
(11:37) With a Little Luck / Wings
(11:45) Who Needs You / Queen
(11:15) Whenever I Call You Friend / Kenny Loggins & Stevie Nicks
(11:24) Right Down The Line / Gerry Rafferty
(12:46) Slip Slidin’ Away / Paul Simon

1月3日(金)

(11:07) Got to Be Real / Cheryl Lynn
(11:27) Happy Man/ Chic
(11:44) Standing Right Here / Melba Moore
(12:14) Don’t Cost You Nothing / Ashford & Simpson
(12:23) Time / Deniece Williams

「新年の穏やかな時間のなかで聴きたいブラジリアンミュージック~2019年ベストセレクション編」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/01/10)

「新年の穏やかな時間のなかで聴きたいブラジリアンミュージック~2019年ベストセレクション編」

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りいたします! 「新年の穏やかな時間のなかで聴きたいブラジリアンミュージック~2019年ベストセレクション編」。

【ジェーン・スー】
ああ、去年のベストなんだ!

【高橋芳朗】
はい。去年は新年一発目に同じテーマを「シンガーソングライター編」としてお届けしましたが、今年は題して「2019年ベストセレクション編」。去年のブラジル関連作品からわたくしのお気に入りを紹介したいと思います。前半がブラジル国外のアーティスト、後半が現地ブラジルのアーティスト、それぞれ2曲ずつで計4曲。明日からまた三連休でのんびりできる方も多いと思うので、ぜひその際のBGMとして活用していただきたく。

【ジェーン・スー】
世は三連休だもんね。

【高橋芳朗】
うん。まだ正月ボケが抜けきらない僕みたいな人にもちょうどいい湯加減の音楽だと思います。

【ジェーン・スー】
私たちもいま胸が痛いです。

【高橋芳朗】
ではさっそく始めましょうか。まずはブラジル国外のアーティストから。カーウィン・エリス&リオ・デゾイト(Carwyn Ellis & Rio 18)。この人はウェールズ出身なんですよ。

【ジェーン・スー】
ええーっ!?

【高橋芳朗】
この曲はタイトルもウェールズ語なんだけど……「Tywydd Hufen Iâ」。

【ジェーン・スー】
なんていう意味なんですか?

【高橋芳朗】
英語に訳すと「Ice Cream Weather」。「アイスクリーム日和」だとか「アイスクリームを食べるのにぴったりの天気」みたいな、そういう意味ですね。これは去年6月にリリースされたアルバム『Joia!』の収録曲。カーウィン・エリスはマルチプレイヤーで、日本のくるりやプリテンダーズのサポートメンバーを務めたこともあるミュージシャンです。

彼はそのプリテンダーズと南米ツアーに行ったとき、プリテンダーズのリーダーのクリッシー・ハインドに自分のブラジル音楽に対する情熱を指摘されたみたいで。それがきっかけで母国のウェールズ語によるブラジル音楽のアルバムを作ろうと決意したそうです。プロデュースを務めるのは現行ブラジル音楽の人気プロデューサー、アレクサンドル・カシン。曲調としてはゆるいまったりしたサンバで最高のリラクシングミュージックになると思います。

M1 Tywydd Hufen Iâ / Carwyn Ellis & Rio 18

【ジェーン・スー】
パッと聴きだと何語だかわからなくておもしろい!

【高橋芳朗】
堀井さんがノリノリでしたね。

【堀井美香】
ずっとカモメの気分で聴いてました。

【ジェーン・スー】
「かもめの玉子」を食べてるからだよ(笑)。

【堀井美香】
フフフフ、大船渡の海を飛んでいるカモメ(笑)。

【高橋芳朗】
ブラジル国外のアーティスト、2曲目はゲイリー・コーベンの「Donateando (Happiness) 」。これは11月21日にリリースされたアルバム『Gods in Brasil』の収録曲です。この人もイングランド出身のミュージシャンですね。

【ジェーン・スー】
ふーん。やっぱり寒いところの人は憧れるのかな?

【高橋芳朗】
そういうのもあるのかもしれないね。ゲイリー・コーベンは有名なブラジル音楽の再発レーベル「Whatmusic」の創設者。90年代にブラジルに住んでいたこともあるみたいです。いまはポルトガルに住んでいるのかな?

このアルバムはブラジルに住んでいたころにルームシェアしていたアレクサンドル・カシンのプロデュースのもとで作り上げたもの。アレクサンドル・カシンはさっきのカーウィン・エリスのアルバムのプロデューサーでもあります。

これがもうめちゃくちゃおしゃれなアルバムなんですけど、これから聴いてもらう曲はそのなかでもベストにくるんじゃないかと。タイトルや曲調から考えると、おそらくこれはブラジル音楽の重鎮ジョアン・ドナート(João Donato)のオマージュなんだと思います。

M2 Donateando (Happiness) / Gary Corben

【高橋芳朗】
3曲目、ここからは現地ブラジルのアーティストの作品です。まずはオ・テルノの「Volta e meia」。去年4月にリリースされたアルバム『<atras/alem>』の収録曲です。オ・テルノはサンパウロ出身の3人組バンド。この曲ではゲストにアメリカのシンガーソングライターのデヴェンドラ・バンハート、そして日本から坂本慎太郎さんがボーカルで参加しています。

【ジェーン・スー】
へー! 坂本さん、いま海外ですごいんだよね。

【高橋芳朗】
そうなんですよ。2017年にドイツで開催されたフェスを通じて交流がスタートしたんですって。これはストリングスがとても美しい幻想的な曲なんですけど、ちょっとエキゾチックというか、端的に言うとめちゃくちゃ細野晴臣さんっぽい。『トロピカルダンディー』あたりに入っていても違和感なさそうな曲です。

M3 Volta e meia feat. 坂本慎太郎, Devendra Banhart / O Terno

【高橋芳朗】
不思議な魅力の曲でしょ?

【堀井美香】
うんうん。

【ジェーン・スー】
変な夢を見て目が覚めたみたいな……。

【堀井美香】
(坂本慎太郎さんのモノマネで)「どこまでも追いかけてくるあのときの自分……」。

【高橋芳朗】
うまい! いきなり似てるな(笑)。これがホント病みつきになるんですよ。

【ジェーン・スー】
不思議だね。癖になる感じ、あります。

【堀井美香】
なんだろう、もう一回聴きたい(笑)。

【高橋芳朗】
そう、なんかリピートしたくなるっていうね。

【ジェーン・スー】
これを聴いていたら一日が終わっていたみたいなね(笑)。

【堀井美香】
あるよね。10歳、歳を取っていたみたいな(笑)。

【高橋芳朗】
最後の曲もちょっと中毒性があります。引き続き現地ブラジルのアーティストの作品、アナ・フランゴ・エレトリコの「Caspa」です。これは去年9月に出たアルバム『Little Electric Chicken Heart』の収録曲。

この方はリオデジャネイロ出身の女性シンガーソングライター。ブラジルのメディアではビョークやオノ・ヨーコさんと比較されてるみたいで。たしかに彼女たちに通じるシュールさやアヴァンギャルドさ、イノセンスもあるんですけど、一度聴くとずっと頭の奥で鳴り続けているような中毒性があるんですよ。

【堀井美香】
またですか?(笑)

【ジェーン・スー】
我々をどうしたいんですか?(笑)

M4 Caspa / Ana Frango Elétrico

【ジェーン・スー】
あんた、なにを持ってきているんだ?(笑)

【堀井美香】
なんか「ボケてていいんだ、一生ボケててもいい」って思えてくる(笑)。

【高橋芳朗】
フフフフ、もうアルバム通して最高なのでぜひ。

【ジェーン・スー】
メモしました。オ・テルノとアナ・フランゴ・エレトリコはメモしたよ。でも電車に乗ってるときには聴かないようにしよう。なんか乗り過ごしちゃいそう……。

【高橋芳朗】
ぼんやり聴いてたらどこか知らない土地に着いてるかもしれないね(笑)。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

1月6日(月)

(11:03) Work to Do / Average White Band
(11:21) Business As Usual / Orleans
(11:34) City Music / Jorge Calderon
(12:14) Camellia / Daryl Hall & John Oates
(12:23) Feel Your Groove / Ben Sidran
(12:49) さみしさのゆくえ / 荒井由実

1月7日(火)

(11:09) Walk Out to Winter / Aztec Camera
(11:39) Lullaby No. 2 / Friends Again
(12:14) In the Country / The Farmer’s Boys
(12:24) You’ll Never Never Know / Dislocation Dance
(12:49) スキニー・ボーイ / 杉真理

1月8日(水)

(11:09) Hazy Shade of Winter 〜冬の散歩道〜 / Bangles
(11:27) Boy Blue / Cyndi Lauper
(11:37) Tonight She Comes / The Cars
(12:08) Kiss the Dirt / INXS
(12:22) Voices Carry / ‘Til Tuesday
(12:50) 冷たくされても / 岡村靖幸

1月9日(木)

(11:06) I Am a Rock / Simon & Garfunkel
(11:25) Straight Shooter / The Mama’s and The Papa’s
(11:35) Have You Seen Her Face / The Byrds
(12:18) The Kind of Girl I Could Love / The Monkees
(12:52) For What It’s Worth / Buffalo Springfield

宇多丸、『家族を想うとき』を語る!【映画評書き起こし 2020.1.10放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『家族を想うとき』(2019年12月13日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評「ムービーウォッチメン」。今夜扱うのはこの作品、『家族を想うとき』。これ、今のはたぶん仮で流れているBGMで、音楽は……ああ、映画のサントラか。あのね、でもすごく控えめなところでね、途中からやおら鳴り出すところが2ヶ所あるぐらいで、すごい音楽の使い方が控えめな映画ですけどね。ああ、これはエンドロールで流がれるやつっていうことか。

2006年の『麦の穂をゆらす風』、2016年の『わたしは、ダニエル・ブレイク』でカンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを受賞した、ケン・ローチ監督の最新作。マイホーム購入を夢見るひとつの家族が、労働問題など現代社会の歪みに翻弄されていく。出演は父・リッキー役のクリス・ヒッチェン、母・アビー役のデビー・ハニーウッドなど、オーディションで選ばれた新鋭キャストが揃った。脚本はケン・ローチ作品に欠かせないポール・ラバティが務めた、ということでございます。

■「エンドロールが流れ出した時、『この先は宿題です』と言われているようでした」(byリスナー)

ということで、この『家族を想うとき』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、普通。まあでもね、そんなにドカンっていう公開の仕方じゃなくても普通、っていうのは、なかなか健闘なんじゃないでしょうか。賛否の比率は、ほぼ全員が褒め。否定的意見はほぼなし、圧倒的高評価。褒めている人の主な意見は、「新年早々辛い。けど、本当に見てよかった。傑作!」「他人事とは思えぬ主人公の境遇。閉塞感と絶望感で胸が苦しくなる。だが家族同士が思いあってるのが救いだった」とかですね。「見終わった後もずっとこの映画のことを考えている」とか。「クスリと笑ってしまうようなシーンもあり、奥深い作品だった」などがございました。

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「三島駅から徒歩5分」さん。「見ている時は非常に辛く、胸を揺さぶられ、心が震えました。本当に見てよかったです。私はどちらかというとつまらない日常からの逃避を目的に映画を見るタイプです。魅力的な主人公が何か困難に直面し、それを克服する中で周りの人を巻き込んで人間的成長を遂げる。そういった物語に救いを求めているのです。それに対し本作では様々な問題の根幹となる貧困、労働問題に対して具体的な決着、いわゆる物語的回答が提示されることはありません。

エンドロールが流れ出した時、『この先は宿題です』と言われているようでした。帰り道はこの映画のことしか考えられませんでした。一発目にこの作品を見た2020年を意義ある年にしたいと強く思いました。余談ですが、私はドライバーではないものの、物流業界の末端で働いています。程度の差こそあれ、配達所の細かな描写に他人事とは思えない既視感を感じました」というね。これはでも、ケン・ローチさんも本当に作ってよかったと思うような、手応えある感想じゃないですかね。

ちょっとこれは否定寄りの感じなのかな? 「スパイラーメン」さん。「『家族を想うとき』、武蔵野館で見てきました。こういう映画に賛否を付けるのは難しいですが、生活水準が彼らに近い私には辛すぎたので否です」。ああ、なるほどね。「一緒に車に乗るくらい、いいじゃないですか」。これは劇中に出てくるあるくだりなんですけども。「鑑賞後、メンタルケアのため『ジュマンジ』を見て帰りました」。フフフ、まあそのバランスね。そのやっぱり逃避的なエンターテイメントとのバランス、というものはあると思いますが。はい、皆さん、ありがとうございます。

 

■観客の誰もが「ああ、これはまさに私たちの問題だ!」と胸を痛める

ということで私も『家族を想うとき』、まず私ね、『週刊文春エンタ!』という去年の末に発売されたやつの星取表のために、一足先に拝見をしまして。あとヒューマントラストシネマ有楽町で2回、見てまいりました。ちなみにヒューマントラストシネマ有楽町、平日昼だけど、結構埋まってましたね。まあその『週刊文春エンタ!』に書いた寸評がですね、80字以内規定でまとめるとこうなる、という感じで簡潔にまとまってますので。もうここだけを聞けばいい、というぐらいにまとまってますので(笑)。「お前、こんなに短くできるじゃないか!」って思うかもしれませんけど、先に言うと、こんなことを私、書きました。

「利便性の裏で悪質化した」──これは「巧妙化した」と言い換えてもいいんですけども──「搾取構造の下、『家族のため』がかえって家族関係を破壊する。他人事ではないこの負のサイクルを、しかしあくまで飄々と描き出す、巨匠の手際!」という、こんなことを書きました。私も非常に高評価をさせていただきました。ということで、巨匠ケン・ローチ監督がですね、前作にあたる、これまた大傑作『わたしは、ダニエル・ブレイク』での引退宣言を再度撤回してまで作った一作、ということですね。

その『わたしは、ダニエル・ブレイク』自体も、2014年の引退宣言後、その翌年の2015年にイギリスの保守党が選挙で圧勝して、福祉予算をバンバン削り始めたというのを受けて作られた、渾身の一作だったわけなんですけど。その『わたしは、ダニエル・ブレイク』、これもう本当に、ご覧になったことがない方がいたら、ズシンと来る一作なので……でも、ちゃんと面白い、というね、その『ダニエル・ブレイク』が、2006年の『麦の穂をゆらす風』以来のカンヌ映画祭、パルム・ドールを見事獲得して、まあまさに有終の美。「引退作」って言ってましたから。

引退作でパルム・ドール、有終の美を飾ったかに見えた、さらにその後、「やっぱりこれを作らねば」ということでできたのが、今回の日本タイトル『家族を想うとき』という……これ、『たまむすび』で町山智浩さんもおっしゃってましたが、その『家族を想うとき』という邦題が非常にふんわりしてて、中身がちょっと伝わりづらい感じがあるかもしれません。原題は『Sorry We Missed You』という、要するに宅配業者が置いていく、不在票に書かれた言葉。「すいません、お会いすることができませんでした」というね、不在票の言葉。『Sorry We Missed You』というね。

で、それは同時に……映画を見終わると、僕は思ったんですけど、その過酷な労働条件のもと、すれ違いを重ねていく主人公家族の姿を、そこはかとなくダブルミーニングしてるタイトルでもあるなと。会えませんでしたね、会えなくて残念です、っていうね。で、とにかく日本でも近年、本当に問題にされることも多くなってきましたよ。個人事業主、フランチャイズという名前の下に……まあ新しい搾取・抑圧構造と言っていいでしょう、それに翻弄される家族の姿を描いた作品。日本でも本当にね、それこそコンビニエンスストアが「24時間営業が回らなくなった」って言ったら、「じゃあフランチャイズを外しますよ」って言われるような件とか。

他にもいろいろ、もう次から次へと出てきてる問題ですよね。そういうね、今ある種流行りの事業形態というか、個人事業主、フランチャイズといった形でのビジネス構造に、翻弄される家族の姿を描いている。つまりですね、このおかしな世の中というのが、ケン・ローチに引退をなかなかさせてくれない、というような感じがするぐらいですね、まさしく今、作られるべき、我々日本の観客を含めて世界中の人々が「ああ、これはまさに私たちの問題だ!」っていう風に、胸を痛め、あるいは頭を抱えざるを得ない……というのは、自分たちも、自分たちの生活も、ある種の加害者的な当事者でもある、という面もあるからなんですね。という、83歳にしてますます鋭利さを増した巨匠の、しかし相変わらず軽やかさ、ユーモアも欠かさない、さりげなく、本当にあらゆる意味でさすがの一作、ということだと思います。

■社会に対する鋭い批評性を持つケン・ローチは、作品の作り方そのものとテーマを一致させようと試みる

ケン・ローチ作品、僕のこの映画時評コーナーでサイコロなりガチャなりが当たったのはこれが初めてなので、ご存じない方に向けて、どんな作家なのか、ざっくりと概説しておくならば……1939年生まれの現在83歳。とにかく60年代から、最初はBBCのテレビシリーズで名を上げて、もしくは物議を醸して。

最初から物議を醸して。で、途中でいろいろそういうのもあって、叩かれたり……要するに社会的問題を扱っているということで、右派とか保守派から叩かれたりなんかして、途中なかなか映画を作れない時期とかもあって。その間はやむなくね、「俺はこんな映画を撮っているのに、マクドナルドのCMとかを撮っている時期もあって。人に偉そうなことを言っていたのにあんなことをやって……」とか、自嘲的にインタビューとかでおっしゃったりもしていましたけども。

そんな時期もあったんだけど、90年代以降、世界的なその時勢の変化、社会問題に対する意識の変化とかもあって、特にイギリス本国以外のヨーロッパで高く評価されるようになり、とにかくちょっといちいちタイトルを挙げてられないほど、数々の傑作・名作を世に送り出してきた人、ということですね。で、作風はもう本当に、最初のテレビシリーズの時から一貫しています。

常に労働者階級……それまでの、特にイギリスのエンターテイメントでは、そういうその労働者階級の実像というのが、モロに、言葉遣いとかそういうのも含めて描かれることはなかったし、なんならその描くことそのものがショッキングだった、という時代、1960年代。その時から常に、労働者階級、あるいはその持たざる人々の目線に、ドキュメンタリックな生々しさで寄り添いつつも、社会の不公正、矛盾、理不尽を浮き彫りにし、暴き出していく、という。そういう作風で完全に一貫しているわけですね。

なので、その社会に対する鋭い批評性ゆえに、特にイギリス国内、本国では、物議を醸したりとか、あるいはアンチを生んだりとかね。「見もせずにまた批判されているよ」みたいにインタビューとかでもぼやいたりしてましたけど。みたいなことがあるようです。で、とにかくそのケン・ローチ、いろいろとすごいんですけど、僕がすごく感心してしまうのはですね、その徹底したリベラルさ(※宇多丸註:ここに関して、ケン・ローチの政治的スタンスは“社会主義”であって“リベラル”ではないのではないか、という指摘を知人から受けました。確かに、言葉の定義をきちんと意識しないままぼんやり使ってしまっていました! お恥ずかしい限り、訂正してお詫びいたします)が、映画としての語り口と、思想的に本人の中で完全に一致している、っていうことなんですね。

これ、どういうことかって言うと、たとえばですね、これは『麦の穂をゆらす風』のDVD特典ディスクに日本では入っている、『ケン・ローチのすべて』というドキュメンタリーで彼自身が言ってること、これ、ちょっと長いですけど超面白いので引用しますけど、彼はこんなことを言ってます。これ、彼の言葉ね……「政治は映画の美学に現れる」「人間をどう撮るか決めるからだ」「たとえばワイドレンズで近距離から照明を当て、クローズアップで人を物のように撮る」「これは右翼的だと思う。なぜなら人を物として見ているからだ」「人に戦争をさせたり、搾取したり、異教徒と呼んで追放したり。人を敵意で見る撮り方だ」っていう。

ここまで言い切る人も本当に珍しいと思うんですよね。映画の文法そのものに思想性が現れる、という。人を物として見る、右翼的な撮り方だ、と言っている。それに対して彼自身は、こう言っています。「もっと遠くから望遠レンズで優しい照明を当て、彼らと気持ちを共有し、共に泣き、共に怒る」「そうすれば観客との間に連帯が生まれる」というね。ということで、いやー、本当にね、世に社会的なテーマを扱う作り手というのは多しといえど、ここまで厳格に、ストイックに、作品の作り方そのものとテーマを一致させようとしてる人って、なかなかいないと思うんですね。すげえな、ケン・ローチ。すげえことを言うな!って思って。はい。ということです。

■「本当にそこにそうやって生きている市井の人々」感を重視したキャスティング

まあともあれ、この発言通りですね、とにかく劇中の人物たちを、生き生きと、ありのまま、それこそ本当にドキュメンタリー的な自然さで捉えていくのがケン・ローチ的な演出で。実際にですね、俳優たちに対する演出も……演出っていうか、それ以前に、そもそもキャスティングも、たとえばこの本作『家族を想うとき』でもですね、舞台となるニューカッスル出身の在住者とか出身者のみで固めつつ、お父さん役のリッキーを演じるクリス・ヒッチェンさんは、役柄通り、元々はマンチェスター出身という。「マンチェスターのレイヴで出会った」なんて話をお母さんがしていますけども。

だから年齢的にはそれこそ、セカンド・サマー・オブ・ラブ的な時代だったのかもしれないですね。マンチェスター出身。なおかつ、20年以上も彼、クリス・ヒッチェンさんは、配管工として働いていて、40歳から俳優を始めたという方。要するに、その労働者としての経験あり、という方をキャスティングしているという。あるいはですね、お母さん役のアビーを演じるデビー・ハニーウッドさん。この方も、教育サポートの仕事をしている。つまりやっぱり、福祉的なところで、奉仕する仕事をしている、というような方を選んでいるとか。

あるいは先ほどね、オープニングでも話題に出ましたけども、非常に威圧的な、マロニーという、宅配サービスの支店を仕切っている人。この人は、笑っちゃうんだけど、ニューカッスル近郊で働いている、現役の警察官の方。「えっ、なんでオレ?」っていう(笑)。たぶん、見かけたんですかね? でも、見事な面構えですよ。あとあの体格ですよね。体格そのものが壁のようで、非常に威圧的なんだけど、彼を配役していたりとか。とにかく、こういうことですね……「本当にそこにそうやって生きている、市井の人々」感をこそ重視してキャスティングしているわけです。だからもう、スターとかは使わないわけですね。

ケン・ローチ作品からスタートしてスターになった人はいるけども、スターだからといってキャスティングすることはしない。そこから始まってですね、彼らに対する演出も、あくまでもまずは順撮り。基本、順撮りです。場面の順番通りに撮っていく。普通の映画はそうじゃないわけですね。でもケン・ローチは順番に撮っていくし、先々の展開も教えない。つまり、脚本全体を渡さずに、その場その場で、今日何を演じるか、この場面では何を演じるかを指示していく。時にはその中で、サプライズ的な仕掛けもするという。だから「君はこういうことをしてね」って言うと、その周りのリアクション……周りにいる人が、その役者が知らなかったような何かを仕掛けてきて、その生のリアクション、つまり事前に準備した演技では絶対に出せない、生のリアクションとかを引き出していくという、そんな演出法を取っている。

あと、現場で、俳優たちが演技の最中は……つまり、俳優たちがその役柄で演じる、その場の現実に集中してもらうためにですね、監督もスタッフも目を合わせないように、そっぽを向いて。みんな壁の方を向いていたり、監督もなんか、壁にこうやって見えないように隠れていたり(笑)。とにかく、演技じゃなくて、そこが現実空間だ、というような場を作る。それで要するに、その俳優が演技してるところに直接は介入しないようにしている、みたいなね。俳優が、気持ち的にも監督を頼りにしないようにしている、というようなことも言ってましたけども。そんな感じなんですよ。

■悲劇と裏腹にあるユーモア。それは我々の人生や世界の在り方と同じ

そういう、徹底的に自然主義的な演出というのは、たとえばやっぱり是枝裕和監督にも大きな影響を与えた、ということでも知られていますね。今回のプログラムでもね、対談の記事が載ってたりしましたけど。

で、その自然さ、生々しさというところにも関係しますけど、非常にハードな、過酷な社会の現実、社会問題というもの、非常に大きな問題というものを常に題材としつつ、同時に、語り口はやっぱり、人々の生活に寄り添っていますから、むしろ軽やか、飄々としていて。笑っちゃうところ、ユーモアもふんだんにある。要するに、その市井の人の、本当に歯に衣着せぬ、ワーッと言っちゃうところとか。

たとえば今回でも、一番悲劇が高まったところ、一番家族の悲劇が高まって、「これはひどい! いくらなんでもこの社会のシステムはひどい!」っていうところで、お母さんが電話口で……で、それがつい、やっぱりちょっとつい笑っちゃうんだけど、でも同時に、お母さんがその後に「ああ……」って傷ついているところもあって。だから、笑いと悲しみと怒りとみたいなものが、渾然一体としてそこにある。つまりそれは、我々の人生とか、世界のあり方がまさにそうだから、ですよね。

まあ『この世界の片隅に』とかにも通じる世界観かもしれません。で、そうしたケン・ローチ一流の作家性というのは、もちろん今回の『家族を想うとき』でも、先ほどからもちょいちょい言っていますけども、ビンビンに健在です。脚本はケン・ローチ組の常連、ポール・ラバティさんが、リサーチとかもして、見事な脚本を練り上げていると思います。まずね、冒頭。最初のところ。最初は黒みのところでクレジットが出て、そのリッキーというお父さんが、自分はこれまで肉体労働者としていろいろな仕事をしてきて、真面目に働いてきた、っていうような経歴が語られてきて。

それでパッと画面が映ったところで、この宅配フランチャイズの、その支店を仕切っている、スキンヘッドでガタイが異常によくて、おだやかに話している時でさえも威圧感がゴリゴリの男から、お父さんのリッキーが、宅配フランチャイズの仕組みの、まあ主に美点と聞こえる部分のみの説明を受けている。まあここから画面が……要するに「ここから始まりです」っていう感じで、画がつき始めるわけですね。

曰くですね、「あなたは我々に雇われるのではなく、個人事業主として、あくまで対等な契約をするんですよ。なのでノルマもありません。タイムカードもありません。あるのは最低限のルールだけです。あなたは自分の責任で働く。自分の責任で、働けば働いた分だけ稼ぐことができるんですよ。上を見ればいくらでも見ることができるですよ」という。この「ルール」っていうのと、「自分の責任」というのが、非常に引っかけ問題のようにですね、後から効いてくるわけですけど。

まあとにかく、要はですね、大企業の宅配サービス……アマゾンでも何でもいいですけどね、宅配サービスの、下請けの下請けの宅配ドライバーとしてリッキーは働き始める、ということです。で、これはもちろん言うまでもなくですね、僕自身がその、たとえばもうアマゾンとかの、翌日には届くとかの利便性に──何ならその日に届いたりしますよね──その利便性にどっぷり浸かってる身で。はっきり言ってまあ、ガッツリ関係している。つまり、その責任も感じずにはいられない話でもあると思う。私が「◯時に届けて」って……で、たまにその「◯時に届けて」っていうのが上手くいかないと、イラっとしたりするじゃないですか。そういう自分っていうのに対して、「オレはなんて非人間的な、こんなちょっとした利便のために、そういう向こうにいる人のことを考えないなんて……」なんて。そこをちょっとやっぱり思い出させるような話でもある。

で、一方奥さんのアビーは、介護サービスの仕事。こちらもどうやら、非常にその末端がしわ寄せ、負担を強いられているシステムらしいというところ。それでまあ非常に仕事に忙殺されてて、2人の子供たち……思春期ならでは危なっかしさを抱えている息子のセブ、そして「いい子」ゆえにいろいろ内側に溜め込んでいるっぽい娘のライザっていうのと、ゆっくり向き合う余裕もなくなっている、というね。

■前半にはまだあるユーモアや優しさ。しかし後半は自分たちの加害者性も突きつけられ……とにかくキツい

で、その真面目に働きまくってるこの夫婦、家族が、どうしてこういう状況にいつの間にか陥ってるか?っていうと、そのひとつのきっかけとして、これは劇中ではやんわりと触れるだけなんですけど、2007年のサブプライムローン問題に端を発する……詳しくは2016年3月12日に『マネー・ショート 華麗なる大逆転』という作品の評を私、やっていますんで。これ、書き起こしがまだ読めますんで、こっちを読んでいただきたいんですが。とにかくサブプライムローンに端を発する、ノーザン・ロック銀行の信用危機という、これがどうやら関わっているらしい。「積立をしていたのに……」っていうね。

だからその、真面目に働いてきた者がバカを見る世の中の、まさに皺寄せ、その末端中の末端がこの家族、というわけなんですね。で、とにかく働けど働けど状態が続く中、次第に疲労といら立ちを累積させていくこの夫婦。その一方で、その子供たち。たとえば息子のセブは、社会の中に目指すべきロールモデルを見出せない状況なわけです。たとえば「あそこのお兄さん、大学を出たってロクなことになってないじゃないか」っていう。これも気持ち、分かりますよね。

だから、仲間たちとの、そのグラフィティっていうアート活動に、せめてもの情熱を注いでいるという。だけどそれも、もちろん親……特にお父さんには、理解されるはずもないし。内心想いを寄せていたっぽいあの子も、町を離れちゃう。なのでもう、フラストレーションを溜め込むばかり、っていう。これもまあ息子、この年頃でこんな感じだったら分かる、と。

で、そんな感じでケン・ローチの目線はですね、それぞれの家族の日々のもがきを、しかし前半はそれでもある種の人間らしさ、ユーモアを交えつつ、映し出していくわけです。このカメラマンのロビー・ライアンさん、ケン・ローチ作品はこれで四作目なので……それこそね、この方は『女王陛下のお気に入り』とかも撮っているんですけども、あのタッチとは本当に180度違います。あんなケレン味たっぷりのとは……もう淡々としたケン・ローチ的距離感を保ちつつ、描き出していく。

たとえばですね、お父さんのリッキーが、慣れない宅配ドライバー業に四苦八苦する、序盤のあたり。たとえば警官に駐禁とられそうになって、それで何とかごまかそうとするんだけど……のくだりとか。あとは、書かれている住所に行ってみたんだけど……のところとか。あとは、ひいきのサッカーチームのことで言い合いをする件、とかは、まだ笑える範囲の話かもしれないし。あとね、そのアビーの介護業での、それぞれの人との思いやりあるやり取りとか。あと、そのリッキーも宅配業で、たとえば身体が悪そうな人が出てきたなと思ったら、「荷物を奥に運びましょうか?」とか、そういう人間的なやりとりはちゃんとしてるし。

あとは、せっかくの家族団らんを台無しにしかねない、突然の介護の呼び出しなんかも、これは息子セブの素敵な提案で、久々に家族らしいひと時を……ここね、家族で、子供たちと一緒にお父さんが、あのYoung MCの曲をね、キャッキャキャッキャと……あれはたぶん、マンチェスターでクラブ遊びをしている頃に覚えたんですかね? ラップを、一緒にこうやってやって楽しんでるところとか、すごく微笑ましかったりする。あるいは、「娘と一緒に宅配を回れば一石二鳥じゃん!」のところとか、前半はまだ人間的なやり取り、ユーモア、優しさで、「ああ、この世知辛い世の中、なんとかみんな支え合って生きていくこともできる、のか?」みたいな感じも見えるわけです。

しかし、そもそもやっぱり、リッキーが働いているこの宅配フランチャイズという名の下請けの下請け業にせよ、アビーが働いてる、やはりその時間単価で細切れにされ、それ以外のフォローは全くない介護サービス……あれもたぶん、上から何かしらの下請けを受けての介護サービスでしょうけど、それにせよ、そのマロニーという上司が言い放つ通り、そうした各々の人間的な事情など、知ったことか!と切り捨て、あるいはその顧客側からはブラックボックス化することで、ひたすら効率化するためのシステムなわけですね。

なので、どんな事情があろうと、休めば稼ぎが減る、だけでなく、ペナルティー料金を取られ、さらに暮らしを圧迫されていく。要するに働けば働くほど身体を壊し、借金は増えていく、というシステム。そしてその駆動力となっているのは、「家族のため」という、これ以上ないほど人間的な動機なんですよ。にも関わらず、それが結果的に、どんどん家族関係を破壊していく、というこの痛ましさ。僕自身、たとえばさっきも言ったようにフリーですから、「休めば職を失うかも」という恐怖に追い立てられるように、ギリギリまで働いてしまう感覚。体壊すまで働いてしまう感覚。まさに僕は自分ごととしてある。

それと同時に、宅配サービス含め、今の社会の利便性、その背後にある巧妙化した搾取のシステム、そこに無自覚に……つまり向こう側に働いている人々に想像力をろくに働かせることもせずに加担してきた責任、というのも同時に感じる、みたいな感じで。とにかく両方の面でキツい!っていう。

誰もが自分ごととして感じる映画としての力。それがケン・ローチの映画のすごさ!

とりあえずやっぱり見ていて思うのは、労働者同士を分断させるシステム、こんなことやってると、目先の効率はよくても、いずれ社会全体が破綻するんじゃないか? 実際にそう予感せざるを得ない、出口なし!の終わり方なんですね。

終わり方は、「こんな人たちがみんないるんだったら、上手くいくわけないじゃん!」っていう予感がする。で、ケン・ローチがすごいのは、こうした要するに大きな社会問題を扱っていながら、さっきも言ったように、あくまで市井の、国とかは違っても我々と同じ、普通の人々、家族の、どこにでもあり得る悲喜こもごもを通して、観客に自然に「こんなシステムは間違っている!」って実感させる。決して上から目線の説教じゃなくて、実際にある人々の苦悩を通して、社会の問題を、しかも生き生きと、「面白く」伝えてみせる。

誰もが自分ごととして感じる、映画としての力。それがケン・ローチの映画のすごさなんですね。ラスト、そのボロボロの身体で、泣きながらトラックを運転するあのリッキーの姿。あれは明日の我々、自分たちの姿かもしれない。だってリッキーも、最初は同僚の男がですね、文句を言っている様を、それが何なのか、意味は分かっていなかったわけですよ。つまり、明日は我が身……みんな、「明日は我が身」とは思わない社会。だからこそ弱者に思いを寄せなかったりとか、福祉とかの重要性とかがわからなかったりするわけじゃないですか。「明日は我が身」と思わせる力。しかもそれが、ちゃんと笑えて、面白いホームドラマでもある、というね。

あのバンが……大事な、仕事用に使う車、バンの、鍵の行方。あれがわかった時。あそこで出てくる、「正しさ」を越えた愛、思いやり、人間的なるもの。そこにこそ、やっぱり涙する人間でありたいという思い。それがやっぱりこのケン・ローチの作品が伝えてくるすごさ、というか。ぜひぜひ、ケン・ローチ作品を見たことがない方も、本当に素晴らしい作品……辛いですけどね。正月早々、世知辛いですけども。まあ『ジュマンジ』とセットでもいいんで(笑)、ぜひぜひ映画館でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『フォードvsフェラーリ』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャパートにて)『家族を想うとき』、あの威圧的なマロニーだって、ある意味中間でがんばっている人だから。つまりやっぱり、搾取したもん勝ちっていうこのシステムこそが間違いなんだ、と思わせてくれる。それも自然に……という。すごい映画でございましたね。

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「オスカー作品賞ノミネート! 映画『フォードvsフェラーリ』をより楽しむための音楽ガイド」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/01/17)

「オスカー作品賞ノミネート! 映画『フォードvsフェラーリ』をより楽しむための音楽ガイド」

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りします! 「オスカー作品賞ノミネート! 映画『フォードvsフェラーリ』をより楽しむための音楽ガイド」。

映画の劇中で使われている音楽を解説するシリーズですね。今回は先週10日より公開、第92回アカデミー賞作品賞にノミネートされた『フォードvsフェラーリ』を取り上げたいと思います。

【ジェーン・スー】
意外! 音楽がフィーチャーされた映画というイメージがなかったなー。

【高橋芳朗】
あー、確かにそんなところはあるかもね。では、まずは映画の概要を。「1966年のル・マン24時間レースをめぐる実話を映画化した伝記ドラマ。フォードモーター社からル・マンでの勝利を命じられた男たちが、王者フェラーリを打ち負かすため意地とプライドをかけた戦いに挑む。監督/脚本は『LOGAN ローガン』『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』のジェームズ・マンゴールド。主演はこれが初共演になるマット・デイモンとクリスチャン・ベール」。

【ジェーン・スー】
マット・デイモンとクリスチャン・ベールは初共演なんだね。

【高橋芳朗】
結論から言うとめちゃくちゃおもしろかったです。CGを極力排除したレースシーンの迫力は前評判通り。やはり大画面大音量で楽しんでこその映画という気はしますね。あと、物語としては『フォードvsフェラーリ』であると同時に『フォード上層部vsマット・デイモン』の要素も結構強くて。企業間の戦いと並行して描かれる現場と経営陣の戦いも見応えがありました。

そんな『フォードvsフェラーリ』の音楽ですが、予告編で流れているローリング・ストーンズの「Gimme Shelter」は本編では使われていないんですよ。しかも、この選曲が映画のトーンに合っているとは言い難いものがあって。

【ジェーン・スー】
なるほど。

【高橋芳朗】
劇中で使用されている音楽の傾向は、これからかける曲を聴いてもらえばなんとなくつかんでもらえると思います。本編で数回流れる実質的な映画のテーマソングですね。ジェームス・バートンの「Polk Salad Annie」。1971年の作品です。ジェームズ・バートンはエルヴィス・プレスリーのバンドでリードギターを弾いていた偉大なミュージシャン。これはトニー・ジョー・ホワイトが1969年にヒットさせた曲をインストゥルメンタルでカバーしたものになります。レースの興奮や疾走感を体現する見事な選曲です。

M1 Polk Salad Annie / James Burton

【高橋芳朗】
『フォードvsフェラーリ』で使われている音楽は、基本的にこういうノリのいいごきげんなロックンロールが中心になっています。そんななかでもサウンドトラックのトラックリストを眺めていて目を引くのが、ガレージパンク/ガレージロックと呼ばれるジャンル。これは1960年代半ば、まさに映画の舞台になった時代に台頭してきた音楽ですね。

ビートルズやローリング・ストーンズなど、イギリスのバンドの成功に触発されたアメリカの若者たちが演奏したシンプルで荒々しいロックがガレージパンク。彼らが自宅の車庫/ガレージで練習していたことからこの名前が付けられと言われていますね。「ガレージ」はある種のインディペンデント精神を表す言葉と言っていいと思います。

では、『フォードvsフェラーリ』のサウンドトラックからガレージパンクのサンプルとして一曲紹介しましょう。これはもうガレージパンクを代表するバンドによるガレージパンクを代表する名曲。ザ・ソニックスの1965年の作品「Have Love Will Travel」です。リチャード・ベリーが1959年にヒットさせたR&Bソングのカバーですね。まさに物語のギアが1速から2速にシフトするタイミングでかっこよく流れてくる、劇中で最も印象的な挿入歌のひとつです。

M2 Have Love Will Travel / The Sonics

【高橋芳朗】
レーシングカーのエンジン音をイメージさせるところがあるのか、『フォードvsフェラーリ』ではガレージパンクの荒々しいサウンドが映画の音楽面のひとつの指針になっている印象を受けました。映画のスコアはマルコ・ベルトラミとバック・サンダースが共同で手掛けているんですけど、そのなかにもガレージパンクのサウンドにインスパイアされたと思われるものがいくつかあって。実際ふたりのインタビューを読むと、監督がスコア制作の参考で用意したプレイリストに基づいて意識的に歪んだギターサウンドを取り入れたそうです。

劇中で使われているガレージパンクからもう一曲聴いてみましょうか。ザ・キングスメンの「Money (That’s What I Want)」。1964年の作品です。

【ジェーン・スー】
「That’s what I want♪」だよね。

【高橋芳朗】
そうそう。ビートルズやRCサクセションがカバーしていることでもおなじみのロックンロールスタンダードですが、オリジナルはバレット・ストロングが1959年に放ったモータウンの記念すべき最初のヒット曲。さっきのザ・ソニックス「Have Love Will Travel」もそうですが、ガレージパンクのバンドはリズム&ブルースの曲を好んでカバーする傾向にあるんです。

M3 Money (That’s What I Want) / The Kingsmen

【高橋芳朗】
最後はガレージパンクから離れて、個人的にこの映画の最も印象的な音楽シーンに挙げたいニーナ・シモンの1965年の作品「I Put a Spell On You」。映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の挿入歌としてリバイバルしたスクリーミン・ジェイ・ホーキンスの1958年のヒット曲のカバーですね。

これまで聴いてきた曲の男臭さからも想像がつくと思うんですけど、『フォードvsフェラーリ』は「男のロマン」を地でいく王道の少年マンガ的ストーリーになっていて。主役のふたりが殴り合いの喧嘩をすることによって絆を深めるという、いまどき少年マンガで描いたらソッコーでボツになるようなシーンがあったりするほどなんです。そもそも、役名がついているような女性はレーサー役のクリスチャン・ベールの妻を演じるカトリーナ・バルフしか出てこない。

【ジェーン・スー】
ひとりだけ!?

【高橋芳朗】
うん。ただ、このカトリーナ・バルフがめちゃくちゃ好演しているんですよ。男たちのロマンに翻弄される健気でつつましい妻、という都合のいい役回りだけでは終わらない強烈な存在感を残しています。なかでも特に素晴らしいのが、そのニーナ・シモンの「I Put A Spell On You」が流れるシーンなんですよ。

フォード上層部の意向でレースに出場できなくなったクリスチャン・ベールがもやもやしながらその模様をラジオで聴いていて。そこに妻のカトリーナ・バルフがやってきて、彼女がおもむろにラジオのチューニングを変えるんです。するとニーナ・シモンの「I Put a Spell On You」が流れてきて、彼女がすっと夫に寄り添ってふたりでスロウダンスを踊るという素敵なシーン。

この「I Put a Spell On You」のタイトルは「あなたに魔法をかける」という意味で、浮気ばかりしてる相手に呪いをかけるという内容になります。「あなたに魔法をかけておいた。だってあなたは私のものだから。いつまでも遊びまわっていないでもういい加減大人になったらどうなの?」と恋人をたしなめる歌。

だからこの場面で流れる「I Put a Spell On You」はレーサーの妻として夫を鼓舞する/魔法をかける意味も込めた選曲だと思うんですけど、どちらかというとロマンを追い求める夫に対して「お前の人生には私がいることも忘れんなよ!」という妻の心情を代弁するものなのでしょう。少年マンガ的な男のロマンを描いた映画のなかにあって、音楽を有効に使って女性の存在感を訴えた非常にインパクトのあるシーンでした。

M4 I Put A Spell On You / Nina Simone

【ジェーン・スー】
ちょっと曲調的に任侠映画みたいじゃない? この映画は見てないんだけどさ、自分が出るはずだったレースの模様をラジオで聴いていたら肩にポンと手をかけられて振り返ってみたら妻が立っていて。それで「お前さん、それでいいのかい?」って……もう完全に任侠映画じゃん!

【高橋芳朗】
フフフフフ。女性の存在感を強烈にアピールするという意味では、やっぱり普通のポピュラー歌手とかではなくニーナ・シモンというのが効いているんでしょうね。まさに「ニーナ・シモン力」を思い知らされるというか、音楽史におけるニーナ・シモンのポジショニングも踏まえたようなナイス選曲でした。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

1月13日(月)

(11:11) It Ain’t Over ‘Til It’s Over / Lenny Kravitz
(11:26) Shiny Happy People / R.E.M.
(11:42) Roam / The B-52’s
(12:11) Disappear / INXS
(12:19) Freedom! ’90 / George Michael
(12:52) Boys & Girls / サディスティック・ミカ・バンド

1月14日(火)

(11:07) I Want You / Bob Dylan
(11:23) Homeward Bound / Simon & Garfunkel
(11:37) Cactus Tree / Joni Mitchell
(12:14) Man in a Shed / Nick Drake
(12:48) Jennifer Juniper / Donovan

1月15日(水)

(11:05) I Wanna Be Your Boyfriend / The Rubinoos
(11:24) Come On, Come On / Cheap Trick
(11:37) Baby It’s Cold Outside / Pezband
(12:14) Starry Eyes / The Records
(12:24) Too Late / Shoes
(12:50) 10年早いぜ / 近田春夫 & ハルヲフォン

1月16日(木)

(11:03) My Baby Just Cares for Me / Nina Simone
(11:27) ‘Deed I Do / Blossom Dearie
(11:36) It’s Most Unusual Day / Beverly Kenney
(12:11) Exactly Like You / Carmen McRae
(12:21) Tabby the Cat / Lucy Reed

1月17日(金)

(11:06) And The Beat Goes On / The Whispers
(11:26) Here I Am / Dynasty
(11:35) Friends / Shalamar
(12:14) Winners and Losers / Collage

宇多丸、『フォードvsフェラーリ』を語る!【映画評書き起こし 2020.1.17放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『フォードvsフェラーリ』(2020年1月10日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評「ムービーウォッチメン」。今夜扱うのはこの作品……『フォードvsフェラーリ』。1966年のル・マン24時間耐久レースで絶対王者のフェラーリに挑んだ男たちの実話を映画化。フォードモーター社から依頼を受けた元レーサーのカーデザイナー、キャロル・シェルビーと破天荒なイギリス人レーサーのケン・マイルズの2人は様々な困難を乗り越えてル・マンに挑む。

キャロル・シェルビーをマット・デイモン。ケン・マイルズをクリスチャン・ベールがそれぞれ演じる。監督は『LOGAN/ローガン』などのジェームズ・マンゴールド。第92回アカデミー賞で、レース映画としては初めて作品賞にノミネートされたほか、全4部門にノミネートされているというね。町山智浩さんがいらした時にも、町山さんが去年見た映画で、アメリカ映画ではベスト、ということをおっしゃっていましたね。

ということで、この『フォードvsフェラーリ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「とても多い」。ありがとうございます。賛否の比率は。8割が褒め。しかも、今年ベスト、などの絶賛が多い。褒めてる人の主な意見は「主人公2人の挑戦と友情に胸が熱くなった。勇気とやる気をもらえた」「迫力のレースシーンに興奮。画面もすごいが音もすごい。見ながらずっと右足を踏みっぱなしだった」「クリスチャン・ベールがすごかった」などなどがありました。一方、否定的な意見は「タイトルに偽りあり。全然『フォードvsフェラーリ』ではない。全然スカッとしない」などがございました。はい、まあね(笑)。

■「大迫力のレースとともに、答えのない宿題を渡される。力作でした」(byリスナー)

では、代表的なところをご紹介しますね。ラジオネーム「インターステラーのあいつ」さん……ああ、なるほどね、そういうことか(笑)。まあ、キャスティングに絡めて、っていうことですね。「『フォードvsフェラーリ』を見てきました。見終わってしばらくはエンジンの高鳴りが耳に残っていました。他のカーレースを題材にした映画と違うのは『組織と人』という現代社会の永遠のテーマを前面に押し出していることだと思いました。

主人公たちが属するフォードが敵のように見え、それは最後まで変わらないのも印象的。カリスマのもと、手作りで丁寧に早く美しいマシンを作る小さな会社フェラーリ。二代目社長のもと、大量の人が調和することなく機械的に大量消費の車を作る巨大企業フォード。車を売るためにもたらされたレースの結末に、この映画の中で一体誰が勝者なのかが分からなくなりました。続く大迫力のレースとともに、答えのない宿題を渡される。力作でした」というね、メールでございます。

あとですね、じゃあね、これにしようかな。ラジオネーム「ダンボルギーニ」さん。「今年から自動車メーカーで働く予定の大学生です。私もモータースポーツの世界に憧れてこの道を選んだため、『フォードvsフェラーリ』はかなり前から楽しみにしていました。モータースポーツは他のスポーツと違い、選手同士の競争に企業同士の競争が組み合わさるのが大きな特徴です」。特にル・マンは、メーカー同士の戦いという色が強い、ということらしいですね。

「……だからこそ多面的な楽しみ方ができ、後世まで語り継がるような熱い物語が生まれるのですが、同時に、様々なしがらみが存在するのも事実です。この映画はそんなモータースポーツの両側面を万人に分かるように描けてると思います。この映画をきっかけに車やモータースポーツに興味を持つ人がちょっとでも増えたらいいなと期待しています」というお手紙。

あとはですね、「紅のハーロック」さん。この方はちょっと否定的。「やたらと会話が多い上、その会話の内容がつまらないとか、レーシングカー開発の過程がつまらないとか、人間関係の描き込みが足りなくてキャラが立っていないとか数多い欠点のある映画ですが、最大の不満は敵であるフェラーリ側の描写がおざなりすぎることです。スーパーカーブームの洗礼を受けた僕らの世代は当然、フェラーリの味方なんですよ! ところがフェラーリ側がどんなに強くて素晴らしいかがきちんと描かれていない。何のカタルシスもありませんでした。ぶっちゃけ過去のアメリカやフォードの歴史が好きな人(アカデミー賞選考委員の老いぼれとか)以外、誰が面白いんでしょうか?」。すごい極端な意見だな(笑)。すごいな。はい。

ということで皆さん、メールありがとうございます。

「今どきの映画の流行りがどうだか知らねえけど、そういうのをやらせたければ、オレに頼まない方がいいぜ!」

『フォードvsフェラーリ』、私もですね、TOHOシネマズ日比谷でIMAX字幕、そしてTOHOシネマズ六本木で普通の字幕で、見てきました。特にIMAX字幕の方はですね、成人の日だったこともあるけど、ほぼ満席で。すげえ入ってましたね。ということで、1963年、フォードとフェラーリという非常に対照的な自動車メーカー間で、買収話が決裂した結果、確執が生まれて。そのヘンリー・フォード二世社長がですね、ル・マン24時間耐久レースへの参戦を決意して。

最初はいろいろうまく行かなかったんだけど、1966年に見事フェラーリを打ち負かして優勝を果たす、というモータースポーツ界の伝説的実話の映画化。これ、ちなみにA・J・ベイムという方のノンフィクション本が日本でも出てるんですけど、もう絶版で。それで、今回の期間中に入手できず、こちらは未読です。これはちょっと申し訳ございません。これを読めば、さらにその事実との違いとかをいろいろお話しできたと思うんですけど。ちょっとすいません、今回、そちらには手が回らなくて。

で、この映画化の企画自体は、結構前、2011年頃から動いていたもので。今回最終的にその製作総指揮という形でクレジットされている、マイケル・マンが監督、ということで話が始まって、まあいろいろと紆余曲折があった果てに、今の座組になったんですけど。パンフレットに載ってるマット・デイモンのインタビューによればですね、今回その実際に映画化されたバージョンのこの脚本の特徴は、彼が演じたキャロル・シェルビーと、クリスチャン・ベールが演じたそのドライバーのケン・マイルズ。その2人の関係、友情に、今回のバージョンは焦点を絞ってるところが特徴で。

それまでの……要するにマット・デイモンはかなり前からキャスティングに名前が挙がっていて。なんかもうちょっと別な役だったということもあるみたいなんですけど、まあ、(途中段階の)脚本を読んでいると。で、それまでの脚本のバージョンの中には……で、たしかに実際はたぶんそっちの方が事実に近いんだろうけど、要するに、エンジニアたちの働きをもっとドライバーと同等に、要するに「チーム」として、実際にそのフォードの優勝にはエンジニアたちの働き、活躍の部分が非常に大きかったということらしいんで、そっちを全面に描いたものというのもあったようなんですけども。

でも、まあなんにせよ結果として、今回監督を務めた、ジェームズ・マンゴールドさん。このムービーウォッチメンでガチャが当たって評したところで言うと、2017年6月17日の『LOGAN/ローガン』。これは公式書き起こしが残ってますので、そちらもぜひ読んでいただきたいんですが。その時の評の中でも言った通りですね、このジェームズ・マンゴールドさん、フィルモグラフィー的には本当に多岐に渡る。いろんなジャンルを職人監督的に手がけて。しかもそれがわりとどれも高打率、いい作品が多いという。僕的には非常に信頼感がある監督ですね。

『17歳のカルテ』とか、『ウォーク・ザ・ライン』とかもいいんですけども。中でもやはり、1997年、スタローンがシリアス演技に挑戦、『コップランド』であるとか、2007年、これはもう傑作、リメイク西部劇ですけど、傑作だと思います、『3時10分、決断のとき』。そして『LOGAN/ローガン』もここに加えていいでしょうけど、要は、骨太で泥臭く男臭い、リアルなアクション物で一際輝くものがある、ということを私、評の中で言いました。で、さらに加えて言うなら、その作風っていうのは、『LOGAN/ローガン』評の時にも引用した様々なそのインタビュー発言からもうかがえる、ジェームズ・マンゴールドさんの、キャラクターというか、気骨。

要はですね、「今時のウケる映画の流行りがどうだか知らねえけど、そういうのがやらせたければ、オレに頼まない方がいいぜ!」みたいな。カッコいいんですよ、なんか。一種反時代的な、反骨精神の反映でもあるように思える。たとえばですね、さっき挙げたようなジェームズ・マンゴールド監督作に見られる、世間的な成功とか称賛とかの影に隠れがちな人物の、もがきとか挑戦、達成にこそ、真の偉大さを見出す、という。その眼差しみたいなものですね。それは、脚本家はそれぞれ違う。あと、ジャンルとかトーンもそれぞれ違う。職人監督的なスタンスで関わった作品たちであるにもかかわらず、やっぱりジェームズ・マンゴールドのフィルモグラフィーを見ていて、やっぱりある種の一貫性、作家性のようなものとして、はっきりと刻印されている、という風に僕は思うわけです。

■迫力のカメラワークや編集のリズム感など、プロドライバーの感覚をアナログ的ストレートさで見事に表現しきっている

で、実際に映画の作り自体も、60年代、70年代的な風格、あるいはザラつき、ひりつき、アナログ感を感じさせるタッチだったりもしてですね。まあ『LOGAN/ローガン』とかもそうでしたよね。ということで、ともあれさっき言ったように、最終的な脚本では、そのシェルビーとマイルズという、言わばそれぞれにタイプの異なるはぐれ者、反逆児コンビと、その会社としてのフォードが振りかざす世俗的な論理や価値観との対立、というところに焦点を絞ったストーリー。そして、1966年の『グラン・プリ』であるとか1971年の『栄光のル・マン』……これね、今回の劇中でもサラッと、ル・マン映画のパイセンとしてのスティーブ・マックイーン、名前が触れられていましたけども。

『グラン・プリ』とか『栄光のル・マン』あたりの、60年代、70年代のレース映画、あるいはアメリカ映画感、みたいなものも思い起こさせるような、アナログな、奇を衒わない、地に足のついた、骨太な映画としてのタッチ。「ああ、昔はこういう映画がたくさんあったし、やってたな」としみじみ思わされるような、そんな感じ。そんな諸々が、まさにジェームズ・マンゴールド監督の、僕がさっき言ったような資質にどんぴしゃでハマった、という。それはよくなるに決まってるな、っていう1本に仕上がってるなと思いますね。

で、もちろん肝心のレースシーン。これね、町山さんもおっしゃってましたけど、車両はすべて本物の車を走らせ、そして当時のル・マンのコース……ル・マンの今のコースは当時と全然景観が変わっちゃってるということで、ジョージアのあたりにそのコースを再現して。それで実際に走らせてですね。それで、やたらとカメラがダイナミックな動きまくるような……たとえばドローンを使ったり、あるいはVFXを使ったりとかっていうような、今時っぽい、トリッキーなショットなどは入れずに、地面スレスレにセッティングされたカメラ、そして何よりドライバーたちの表情に肉迫するクローズアップ……これね、撮影監督のフェドン・パパマイケルさんという方。これはジェームズ・マンゴールドさんと何作も組んでいる方ですけど、そういうカメラワークであるとか。

そして、ブーンとやっていて、すごい迫力、すごいスピードで走ってるというそのスピード感でワーッと圧倒されるんだけど、時折挟み込まれる、ドライバーが「ゾーン」に入った時の静寂……からの、また突然の事態がまたブワーッと来る、みたいな。そういう、編集による緩急のリズムなどによってですね、常人には普通想像もつかない、危険で孤独なそのプロドライバーの感覚というのを、そのアナログ的ストレートさで見事に表現しきっている、という感じ。ちなみにその「常人には想像もつかない」っていう世界を、初めて実際に垣間見てしまったその社長のフォード二世が……というこの中盤のシーン。

これ、演じるトレイシー・レッツさんの見事な演技も相まって、本当に爆笑もの、かつ、でもしっかりと味わい深い……つまりあの社長はビビって「うわっ!」ってなっているんだけど、同時にやっぱり、車会社、そのお爺さんから受け継いだ会社の誇りもあって、感激もしている、という。すごくやっぱりニュアンス豊かなシーンになっていて。非常に印象的な場面にもなっていましたよね。

■さりげなくも研ぎ澄まされた演出と俳優陣の演技

そんな感じで、事程左様にですね、レースシーンが本当に、全身に力が入って、思わず身を乗り出してしまうド迫力に満ちているのはもちろんのことなんですが、たとえばその社長のくだりのようにですね、主人公2人を囲む周囲の人々のリアクション。その繊細な演技とか、さりげなくも研ぎ澄まされた演出とかがですね、実に実に堂々と見事、味わいがいがある作品でもありまして。細かいところなんですよね。

たとえば、あのリー・アイアコッカですよ。あのクライスラーを建て直したとか、いろいろな逸話を持つ名経営者、リー・アイアコッカを演じる、ジョン・バーンサルね。ジョン・バーンサルは元々、本当にいい役者ですけども、ジョン・バーンサルが今回、リー・アイアコッカとして出ていて。基本的にはそのフォード側の人間、つまり会社のビジネスマンとしての立場でそこにいながら、セリフじゃなくてあくまでちょっとした表情の微細な変化、ニュアンス一発で、「本当は主人公たち側に共感してるんだ」みたいなのを、これは全体に通じる視線として示しているんです。

彼が見る目線によって、その主人公たちへの共感というのを、観客たちも共有できるようになっている。という非常に重要な役柄を、しかもセリフではなく……セリフ上では会社側を代表して「わかってくれよ……」みたいなことしか言わないのに、こうやってちょっとした表情とか目の輝きとかでら「ああ、こいつやっぱり本当は主人公たちのチームでいたいんだ!」みたいなのがわかるという。まさにいぶし銀の名演。助演とはこれ! という名演ですね。

あと、そのリー・アイアコッカとか、本作におけるわりとはっきりした「悪役」である副社長を演じるジョシュ・ルーカス。このジョシュ・ルーカスも上手いね。彼が演じるレオ・ビーブさんという、先ほどから話題に出ている憎き副社長……でもね、こういう人は社会のあらゆるところに本当にいるよねっていう。要は、「自分、ちゃんと仕事してますから」感を出すためだけに、余計な横槍を入れてきて。で、誰得な事態を招いて。でもその誰得な事態には責任を取らない、というね。何なら人のせいにもしてくる、みたいな。そういう人、めっちゃいますよね? アハハハハハハハハッ!

まあ、とにかくその悪役たる副社長と、さっき言ったそのトレイシー・レッツさんが本当に、尊大さと、あとは若干の人のよさっていうか、甘さみたいなところを……要するにお坊ちゃん感も絶妙にブレンドした按配で演じてみせる、その社長のフォード二世。そしてマット・デイモンのシェルビー……この、リー・アイアコッカと、社長と、副社長と、シェルビーと、それからその向こう側に別のスタッフもいるんですけども、とにかくその社長室で一堂に会する中盤のシーン。最初のル・マンで成績をうまく出せなかったっていうので、シェルビーが呼び出されるシーンがありますよね?

ジェームズ・マンゴールド監督、本当に腕がある! 「これが映画の演出というものだ」という瞬間が多々現出する

ここね、彼らの位置関係……誰がどっちを向いているか、そしてどのタイミングでどう動くのか、どの方向を見るか、あるいは画面内でどう切り取られているかによって、この社長室内の力関係、パワーバランスが、シーンの中で少しずつ変化していくのが、絶妙に示されていく。たとえばですね、最終的にシェルビーが、その副社長……最初は場を仕切っていた、「もうあいつ外しましょうよ。レースとか、よくないですよ」とか言ってた副社長のいる場所を越えて、社長側に呼び出されて。そして、部屋にいる他の誰も見えない景色を、2人で共有する、っていうくだりであるとかね。

あるいはその手前。ずっと座ってそっぽを向いて、内側に怒りをため込んでいると思しきその社長が、ここぞというタイミングで、シェルビーの方に向き直る。その時の、「風向きが今、変わった!」感であるとかですね。あるいは他の連中は、車の模型が置かれた、四角に囲われた台の向こう側にいるわけですね。彼らはやっぱり、その枠から出れない、っていう切り取られ方であるとかですね。で、その中間にアイアコッカがいて、その両側の成り行きをハラハラしながら見ている、とかですね。とにかくこういう、一見地味な会話だけのシーンに見えるけど、人物の置き方、動かし方、目線の移動の仕方で諸々を語っていく、という。これ、こういう一見地味な会話だけのシーンでこそ、僕は映画監督の技量というのが出るものだと思うんですが。これはまさにお手本のような、見事な、複数による会話シーンだと思います。ジェームズ・マンゴールド、本当に腕があるな!っていう感じだと思います。

あるいはですね、デイトナでの勝利というので打ち上げっていうのをした後の夜にですね、ノア・ジュプくんという、『ワンダー 君は太陽』のちょっと最初に意地悪だった子、あとは『クワイエット・プレイス』などにも出ていました、非常にもはやおなじみのノア・ジュプくん演じるケン・マイルズの息子ピーターがですね、ル・マンのコースの絵を書いている。で、クリスチャン・ベール演じるそのお父さんが、コース各所の説明をしてあげる、というシーンがありますよね。

あそこはもちろんですね、後に来るクライマックスの、ル・マンでの実際のレースシーンで、コースごとのですね、その地理的状況っていうのを観客に理解させる、そのイメージを観客に先にインストールしておく、という、そういうわりと実際的な役割を当然、果たしているわけなんですけども。お父さんがですね、「じゃあ説明するよ」ってコーナーを指でなぞって説明を始めると、その瞬間から、遠くからうっすらと、自動車の走行音が、わざとらしくない音量で流れ出す。それによって観客も、未来のレースシーンをイメージしやすくなるよう、さりげなく音を入れている、とかですね。

似たようなところで言うと、途中で、フォードの最初のル・マン参戦でチームから外されてしまったマイルズが、倉庫の中で1人、レースの様子をラジオで聞いているという、非常に切ないシーンがありますね。あそこで、会場の音、実況が鳴り続ける中ですね、倉庫の表のところを、キャリアカー、車両運搬車みたいのが通るわけですね。要するに上に車を積んでる車が通るわけです。で、その影が、壁に映っている。

ケン・マイルズの向こう側の壁に映っていて……つまりこれ、実況されていて「ウォン、ウォン、ウォーン!」って、さっきと逆ですね、だから実際のレースの音が流れてる向こうに、あたかもマイルズが脳内に思い浮かべているイメージとしての車たちっていうのが投影されているように見える、というショットで。非常にショットとして美しいし、演出として品がいい、というあたりだと思います。見事だなっていう風に思いますね。

あるいは、レースが終わったその直後。マイルズに向けて、そのエンツォ・フェラーリ社長が示す、無言の敬意の仕草であるとか。実際には、1966年のル・マン会場に、エンツォ・フェラーリさんは来ていなかった、ということらしいんですけどね(笑)。なのであれは完全に映画向けのアレンジだそうですけども。とにかくここも……要するに最後のところです。レースが終わった後、誰が誰を見ていて、見ていないのか?っていうところに、物語的なテーマ、メッセージが、スマートに示されているわけですよ。要するにエンツォさんは、自分でやっぱり汗を流す人だから、分かるわけですね。なんていうか、「これが映画の演出というものだ」という瞬間が、多々現出する映画だ、という風に僕は思いますね。

うっとりするような美しい車や60年代末ならではのディテールのリッチさで眼福

もちろん主演の2人……特にやはりですね、こういう世を拗ねた変わり者の天才みたいなものを演じさせたら、まあクリスチャン・ベール、よくないわけがないよね。それはもう当然、ハマっていますよ。それはね。ですし、対照的に、常に一歩引いた立場から……つまり、本当は自分の手でハンドルを今でも握りたいだろうに、もう身体が悪いから握れない、その情熱をマイルズのドライビングにシンクロさせることで昇華させていく、という、ある意味要は、相対的にマイルズに対して地味というか、役柄的にはちょっと損ともいえるシェルビー役。これはやっぱりマット・デイモンの、「優等生型天才」感。まあこれ、当然ハマらないわけがない。

ちなみにですね、かつてのいろんなキャスティング案であった、トム・クルーズ版シェルビー。これはハマりそうですね。これはこれで超ハマりそう。たぶん、もうちょっと感じが悪いんだと思いますよね(笑)。トム・クルーズ版のシェルビーも超ハマっていただろうな、と思うけど、マット・デイモンは見事なもんでした。個人的にいいなと思ったのは、カトリーナ・バルフさんが演じるマイルズの奥さん。これ、特に立ち姿のシルエットが、さすが元モデルっていう感じで、素晴らしく美しい方でしたけど。

彼女がそのね、あきれ顔で見守る中、マイルズとシェルビーが……これは予告でもやってますけど、まあ喧嘩をするわけです。ただ喧嘩なんだけど、明らかにこれは言わば「仲直りのための喧嘩」を始めるわけです。要するに、シェルビーが謝った途端に、始まるじゃないですか。だからつまり、もう仲直りするよ、というための喧嘩が始まると。で、そこの中で、途中でですね、いろんな面白いところがあるんだけど、散らばったものを使って反撃しようとするっていうね。買い物帰りなので。

それで反撃しようとする時、そのマット・デイモン演じるシェルビーが、一瞬、ビール缶を手に取るんだけど。たぶん「これじゃ危ない」っていう風に判断したのか、すぐにそれは捨てて。それで、そこにあったポップコーンかなんかの袋に持ち替えて、マイルズの頭にバーンと叩き込むわけですよ。つまり一瞬で……一瞬の甘噛み仕草?(笑)とかね、細かいんですよ。すごい細かいところにも豊かな機微っていうか、そのキャラクターの気持ちとか、そういうのが入っている、っていうことで。

だからね、ちょっとした表情の変化とか、ちょっとした仕草とかに、チャームとか、あるいはさっき言ったような物語上の意味とか(が込められている)。あと、本当に視線のやり場みたいなのがすごく重要な意味を示していたりね。これが本当に僕は、映画の演出だ! というような感じがしましたね。あと、もちろん免許を持っていない僕が見てもね――これ、免許を持ってないので、たとえばいろんなその中の部品のこととか分かってない、というところはあるんですけど――免許を持ってない僕が見ても、うっとりするような美しい車たち。

もちろんその、フェラーリとかフォードGT40といったレースカーももちろんなんですけど、たとえばシェルビーが前半で、プライベートで乗っているあのポルシェとか、あと最後の方で出てくるアストンマーチンとか。あの美しい……なんていうかもう、画面に出てくる車とか、あるいはちょっとしたもの、あるいは服装とかも含めてですね、60年代末ならではのディテールのリッチさ、それを眺めるだけでも、もう本当に眼福!っていう感じもございました。

■「かつてあったアメリカらしいアメリカ映画」として万人にオススメ!

で、まあ先ほどから言ってるように、テーマ的にも実は、ものすごく万人向けだと思います。もちろんその、天才ドライバーと元天才ドライバーかつカーデザイナー、という立場ではありますけども、要は「現場 vs トップ」とかね、あるいは「実際に汗をかいてる側 vs 金を出して彼らを使う側」とかですね、非常に普遍的な……資本という論理の中で、我々はどっちにしろ生きてるわけで。何らかの組織と関わって、あるいは何らかの資本の中で動く以上は、大人であれば特に誰もが、どこか思い当たるところがあるはずの話でもあるわけですよ。

ということで、だから非常にコミットしやすい話に落とし込んでもいる、というあたり。なのでさっきから言っているように、演技よし、演出よし、そしてもちろん手に汗握るレースシーンよし、普遍性のあるストーリーよし。今どき珍しいほどはっきりと色分けされた悪役……今どきあんな最初から最後まで悪い奴っていうのも、なかなか珍しいぐらいだと思うんだけど、そのはっきり色分けされた悪役、とかの分かりやすさももちろんあって。

なんかストレートに、いわゆるかつてあったアメリカ映画らしいアメリカ映画、みたいなところ……殴り合いで仲良くなるとか、そういうとこも含めてですね、いわゆる「かつてあったアメリカらしいアメリカ映画」という中で、非常に高い打点を生み出してるというかですね。ジェームズ・マンゴールド、やっぱり本当に本当本当に、何気に腕がある人だな、ということを実感させるような。本当にストレートにいい映画でございました。わりと万人に、ストレートにおすすめでございます!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『パラサイト 半地下の家族』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャパートにて)

『フォードvsフェラーリ』、ちょっとひとつだけ、おまけ的に。個人的な、すごく個人的な話なんですけども。僕自身、免許とか持っていないんだけど、おじいちゃんとおじさんがですね、自動車整備工場をやっていて。なので、特におじさんの方の佇まいが、今回のクリスチャン・ベールのケン・マイルズの、あのつなぎを着て……で、ちょっと猫背で。ちょっと世を斜めに見ているようなこのムードとかがね、すごく僕のおじさんに似ていて。それもすごいね、「あっ! そういえばうちって、実は自動車ラインもあったな」っていう。ケン・マイルズのあの感じ、特に自動車整備工場で働いている感じが、「あっ、おじさん、こんな感じだった!」っていう。それも個人的にすごく思い出したような感じでございました。

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「オスカー作品賞ノミネート! 映画『ジョジョ・ラビット』をより楽しむための音楽ガイド」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/01/24)

「オスカー作品賞ノミネート!映画『ジョジョ・ラビット』をより楽しむための音楽ガイド」

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りいたします。「オスカー作品賞ノミネート! 映画『ジョジョ・ラビット』をより楽しむための音楽ガイド」。

今週も先週に引き続きアカデミー賞作品賞にノミネートされた映画の音楽についてお話したいと思います。今回取り上げるのは先週17日(金)から公開になった『ジョジョ・ラビット』です。

【ジェーン・スー】
気になっているんだけど、どういう話かいまいちよくわかってないのよ。

【高橋芳朗】
そういう人は結構多いかもしれないですね。一応「第二次世界大戦下のドイツを舞台にしたヒューマンエンターテインメント」という触れ込みなんですけど、これがコメディ映画でもあり反戦映画でもありラブストーリーでもあり、そしてひとりの少年の成長譚でもあるという、非常に多様な魅力を持った映画なんですよ。

僕がこの映画に興味を持ったのは予告編の音楽がきっかけで。第二次世界大戦下のドイツが舞台であるにも関わらず、モンキーズの「I’m a Believer」やデヴィッド・ボウイの「Heroes」が使われていたんですよ。「I’m a Believer」はオリジナルではなくジャック・ホワイトによるカバーなんですけど、両方ともドイツ語バージョンを使用しているあたりに強いこだわりを感じて。それでちょっと調べてみたらどうやら時代設定に関係なくポップミュージックを使っていく映画であることがわかったという。そういう経緯ですね。

【ジェーン・スー】
ほう。そういうことだったのね。

【高橋芳朗】
まずは映画の概要を紹介しますね。「第二次世界大戦下のドイツ。10歳のいじめられっ子の少年ジョジョはイマジナリーフレンド(空想上の友人)であるヒトラーの助けを借りながら立派な兵士を目指している。そんなある日、ジョジョは自分の家にユダヤ人の少女エルサがかくまわれていることに気づく。ユダヤ人は悪と教えられていたジョジョは戸惑いながらも、エルサとのぎこちない交流を通して次第に強く勇敢な彼女に惹かれていく。監督は『マイティ・ソー バトルロイヤル』のタイカ・ワイティティ。主な出演はジョジョの母親役にスカーレット・ヨハンソン、ジョジョを指導するナチスの教官役にサム・ロックウェル。同じくナチス党員役で売れっ子のコメディエンヌのレベル・ウィルソンなど」。

こうした出演者のラインナップやポップミュージックを使った演出からなんとなく想像がつくと思うんですけど、ナチスドイツや戦争を題材にしながらも映画自体の体裁はすごくポップなんですよ。劇中で使用される言語もドイツ語ではなく英語だったりして。それで冒頭のタイトルバックでいきなり度肝を抜かれたんですけど、実際の戦時下のドイツの映像にかぶせてビートルズ「I Want To Hold Your Hand」のドイツ語バージョンが流れるんですよ。

【ジェーン・スー】
へー!

【高橋芳朗】
ビートルズは1964年当時にドイツのファンに向けて「She Loves You」と「I Want To Hold Your Hand」をドイツ語で録音していて。ここではその音源を使っているんですけどね。

この選曲がなにを意味しているのかというと、まだナチスの意味もよくわからないまま無邪気にヒトラーを偶像視している主人公の少年ジョジョと1960年代のビートルズフィーバーを重ね合わせているのがひとつ。そしてさらに、この物語が少年ジョジョとユダヤ人少女エルサとの淡い恋を描いたものであることも示唆しているのではないかと。

だからものすごくシニカルな意味が込められた選曲ではあるんですけど、同時に「I Want To Hold Your Hand」というピュアなラブソング本来の魅力もちゃんと活かしているわけですよ。しかもそれを映画の舞台であるドイツ語のバージョンでかけるという。映画の題材的に使用の許諾を得るのにはかなり苦労したようなんですけど、実際めちゃくちゃ大胆かつ攻めた選曲だと思います。

M1 Komm gib mir deine Hand / The Beatles

【高橋芳朗】
いきなりビートルズの有名曲がかかるわけですから、さっきも話したように『ジョジョ・ラビット』は戦争を題材にしながらも体裁自体はすごくポップなんですよ。どういうポップさかというと、共にオスカーでノミネートされているかわいらしい美術や衣装、それからどこかほのぼのとした映画全体を覆うムードも含めて、ウェス・アンダーソン監督作品に通じるところがあって。同じ子供が主役ということもあって個人的には『ムーンライズ・キングダム』(2012年)を思い出したりもしました。

音楽の使い方でもウェス・アンダーソンっぽいセンスだなと思ったのが、トム・ウェイツの「I Don’t Wanna Grow Up」(1992年)が流れるシーン。少年たちが一人前の兵士になるべくハードな実地訓練を受けている様子をモンタージュで見せながら、そこにトム・ウェイツのあの酒焼けボイスで「大人になんてなりたくない。いいことがあるなんてちっとも思えない。みんななりたくもないものになっていく。でも今日を生きていくためには仕方のないことなのさ」という歌詞がオーバーラップしてくるんですよ。ちょっとシュールな場面なんですけど、こうしたナチスや戦争を戯画化した演出がこの映画の大きな特色になっています。

M2 I Don’t Want To Grow Up / Tom Waits

【高橋芳朗】
曲がかかっているあいだに話していたんですけど、なんでも堀井さんはトム・ウェイツが大好きということで。

【堀井美香】
そうですね。私はビートルズのメンバーも言えないんですけど、トム・ウェイツは大好きで。

【ジェーン・スー】
おじいちゃんが好きだから?

【高橋芳朗】
トム・ウェイツは堀井さん好みのおじいちゃん感とはちょっと違うんじゃない?(笑)

【堀井美香】
すごい聴いてましたよ。

【ジェーン・スー】
へー、そうなんだ!

【高橋芳朗】
でも堀井さんのイメージに合うかも。

【ジェーン・スー】
これは堀井さん向けにトム・ウェイツ特集をやらなきゃね。

【高橋芳朗】
うん、やりましょう!

【堀井美香】
ありがとうございます。

【高橋芳朗】
では続けますね。この映画、第二次世界大戦下のドイツが舞台であるにも関わらずわざわざ現代のポップスを使っているぐらいだから、一曲一曲にちゃんとしっかりした意味が込められているんですよ。たとえばロイ・オービソンのこれもドイツ語バージョンで使われている「Mama」(1962年)。この曲はジョジョの母親役のスカーレット・ヨハンソンのテーマソング的に流れてくるんですけど、これがヒトラーに心酔しているジョジョを頭ごなしに否定するのではなく対話を重ねながら優しく導こうとする彼女の慈愛を見事に体現した素晴らしい選曲で。またスカーレット・ヨハンセンが『マリッジ・ストーリー』に続いて素晴らしい母親を演じているんですよ。今回のオスカーの主演女優賞と助演女優賞のダブルノミネートも納得の好演でしたね。

あと、ジョジョがいよいよ戦争の悲惨さや愚かさと向き合うことになる場面で流れるラヴの「Everybody’s Gotta Live」(1974年)。これは「みんな生きてみんな死んでいく。みんなただ良い人生を送りたいだけなのに」という戦時下の庶民の声を代弁するような歌詞なんですけど、この曲の歌詞には「He couldn’t hardly tie his shoes」(彼は靴紐を結ぶのにも苦労していたね)という一節があって。おそろしいことに、劇中では靴紐がジョジョの成長を示すひとつのメタファーとして使われているんですよ。

【ジェーン・スー】
へー、本当にいろいろな意味があるんだね!

【高橋芳朗】
うん。これもまたすごい選曲だなと。

M3 Everybody’s Gotta Live / Love

【高橋芳朗】
最後はデヴィッド・ボウイ「Heroes」(1977年)のドイツ語バージョン。最初に話したように予告編でも流れていた曲ですね。

デヴィッド・ボウイの「Heroes」といえば、ボウイが1970年代後半に西ベルリンに住んでたころに作ったいわゆる「ベルリン三部作」の代表曲。サビの「僕らはヒーローになれる。今日一日だけなら」という一節があまりにも有名ですが、この曲はベルリンの壁の監視塔のもとで落ち合うカップルを描いた曲なんですね。

さらに言うと、デヴィッド・ボウイは1987年6月に西ベルリンのベルリンの壁近くの広場で壁に背を向けるような格好でコンサートを開催していて。これはボウイ自身「過去最も感動的なコンサートだった」と語っているんですけど、特にこのときに演奏した「Heroes」については「さながら賛美歌のようで、ほとんど祈りに近いものがあった」とコメントしているんですよ。このコンサートでは壁を挟んだ東側にも約5000人のオーディエンスが集まったそうで、何台かのスピーカーは東ベルリン側に向けられていたという逸話も残っています。

このコンサートの開催が直接的にどれだけ影響を及ぼしてるかわからないんですけど、ご存知の通りそれから2年半後の1989年11月にはベルリンの壁が崩壊することになります。そして、デヴィッド・ボウイが亡くなった2016年1月にはドイツの外務省がTwitterを通じてボウイにこんな弔辞を送っているんですよ。「さようなら、デヴィッド・ボウイ。あなたはいまヒーローズの一員になりました。壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう」と。

【ジェーン・スー】
ふーん!

【高橋芳朗】
こうした背景を持つデヴィッド・ボウイの「Heroes」が、映画のクライマックスで少年ジョジョとユダヤ人少女エルサのふたりに天から降り注いでくるように流れてくるんですけど、この「Heroes」に関してはいままで紹介してきた劇中の挿入歌と立ち位置が違うというか、ちょっと異なる演出が施されているんですよ。それはここでは伏せておきますけど、その演出によってそれまである種の距離感をもって映画を見ていた我々にも反戦のメッセージが真正面から突きつけられてくることになります。このシーンには本当に心が震えましたね。

そしてこのシーンで改めて痛感させられたのは、デヴィッド・ボウイは本質的に少年少女にエールを送り続けてきたアーティストなんだよなって。帰りの電車で天国のデヴィッド・ボウイに思いを馳せていたら涙が止まらなくなっちゃいました。完全に不審者(笑)。

【ジェーン・スー】
ええーっ! そこまで?

【高橋芳朗】
うん。でもこれは映画に感動したのもそうなんだけど、僕のデヴィッド・ボウイに対する思い入れによるところが大きいのかもしれないです。

M4 Helden / David Bowie

【高橋芳朗】
というわけで、今日は映画『ジョジョ・ラビット』の挿入歌を4曲紹介しました。この映画はアカデミー賞をはじめとする各映画賞で高く評価されている一方で、ナチスやヒトラーの描き方から違和感を示している人も少なくないようで。実際、僕も抵抗感を覚えたという感想をいくつか目にしました。ただタイカ・ワイティティ監督もそのへんはわきまえているようで、あくまで彼は「そういう人にもいつかこの映画を理解してくれるときが来ると願っている」というスタンスなんですよ。そんな監督の覚悟は少年ジョジョのイマジナリーフレンドであるヒトラーを自ら演じていることにも表れているんじゃないかと思います。今年に入ってから毎週のように年間ベスト級の傑作が公開されていてこの怒涛のペースになかなか追いついていけないなんて方も多いと思いますが、『ジョジョ・ラビット』、ぜひ皆さんもトライしてみてください。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

1月20日(月)

(11:07) I’ll Be Good to You / Brothers Johnson
(11:27) Hollywood / Rufus featuring Chaka Khan
(11:37) On Your Face / Earth Wind & Fire
(12:14) It Ain’t Because of Me Baby / Bill Withers
(12:49) Uptown / 吉田美奈子

1月21日(火)

(11:10) Brown Eyed Girl / Van Morrison
(11:27) I Dig Rock and Roll Music / Peter Paul & Mary
(11:36) Sweet Peony / Bobbie Gentry
(12:14) The Wine Song / The Youngbloods
(12:50) Down Along the Cove / Bob Dylan

1月22日(水)

(11:04) January / Pilot
(11:24) Now’s The Time / Brinsley Schwarz
(11:37) Last Dance / Raspberries
(12:14) When My Baby’s Beside Me / Big Star
(12:25) Feel Alright / Cargoe
(12:50) Baby Blue / Bad Finger
Prince Buster All Stars – Hey Train (1964)

1月23日(木)

(11:05) Prince Buster All Stars / Hey Train
(11:36) Don Drummond / Garden of Love
(12:13) Roland Alphonso / Sandy Gully
(12:23) Tommy McCook / Rocket Ship
(12:51) Tony Washington & The D.C.’s / But I Do (Honky Tonk Ska)

1月24日(金)

(11:05) Just a Touch of Love / Slave
(11:23) I Feel for You / Prince
(11:35) Fool On the Street / Rick James
(12:11) Go On Doin’ What You Feel / Switch

宇多丸、『パラサイト 半地下の家族』を語る!【映画評書き起こし 2020.1.24放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『パラサイト 半地下の家族』(2019年12月27日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がガチャガチャで決まった最新映画を自腹で鑑賞し、評論する週刊映画時評「ムービーウォッチメン」。今夜扱うのはこの作品……『パラサイト 半地下の家族』。『殺人の追憶』『グエムル-漢江の怪物-』『スノーピアサー』などなどのポン・ジュノ監督最新作。全員が失業中の貧しい家族が、IT企業を経営する富裕な家族にパラサイト(寄生)を始めたことから思わぬ事態に発展していく。

主演はポン・ジュノ監督と4度目のタッグとなるソン・ガンホ。共演は『最後まで行く』などのイ・ソンギュンなどなど。第72回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)を受賞。そして第92回アメリカ・アカデミー賞で作品賞、監督賞を含む6部門、主要部門ですからね、ノミネートされるなど、世界中で高い評価を集めております。アジア映画でアカデミー作品賞にノミネートされたのは初、ということでございます。

ということで、この『パラサイト 半地下の家族』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「とても多い」。先週の『フォードvsフェラーリ』に続きメールの数は多め。そして先週以上に絶賛評が多く、全体の9割が褒めでございました。褒めている人の主な意見は、「前半は笑いながら見ていたが、後半からどんどんすごいところに連れて行かれ、最後はズドンと重い宿題を渡された」「すさまじい脚本で、今もその要因を引きずっている」とかですね、「家、町並み、演技、小道具……画面に映るすべてが完璧。ポン・ジュノ監督の最高傑作。いや、韓国映画史上でも最高傑作では?」などなどございました。

一方、主な否定的な意見は、「ラストに納得がいかない」「格差社会へのメッセージとしては弱いのでは?」とか「映画の中でのフィクションラインが曖昧で乗れない」などがございました。

■「あの“家”が登場人物みんなにとってのファム・ファタール。現代における金持ち描写の最高峰だと思います」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「オレンジエコー」さん。「『パラサイト 半地下の家族』、ウォッチしてきました。期待以上の名作かつ怪作で、ポン・ジュノ監督の新たなステージではないかと思います。(半地下に住んでいる貧乏な家族と金持ち家族の)どちらの家族にも愛着を持てるからこそ、誰にとっても他人事ではないと感じさせる脚本やキャストはもちろんのこと、何と言っても美術や撮影が素晴らしかったです。

監督の過去作では『団地』や『列車』という箱庭を用いて社会を描いてきましたが、今度は『家』という最小単位。多くの映画で空虚に描かれがちな豪邸や、そこでの暮らしが、スタイリッシュで温かみもありながら、どこか奇妙で滑稽。つまり本当の意味で美しく描かれ、あの家が登場人物みんなにとってのファム・ファタールであるという説得力が半端なく、現代における金持ち描写の最高峰だと思います。他にも魅力を挙げればきりがありませんが、『映画を好きでよかった。感謝。圧倒的感謝です!』と感じさせてくれる最高の映画体験でした」という。

たしかに、金持ち描写っていうのをさ、説得力ある感じで……しかもね、その映画の中身とちゃんとリンクさせてっていうのはね、意外と難しいことかもしれませんね。それを見事にやっている、というご意見がございました。

一方ですね、「ポコターン」さん。この方はイマイチだったという方。「自分にとってこの映画のリアリティラインはあまり合わない感じでした。娯楽作品として見れば過不足なく手際のよい物語の語り口、適切な演出でポン・ジュノ作品を初めて見た自分でも実力は十分に伝わってきます。しかしながら、下層階級の家族が上流階級の家庭に食い込んでいくというお題目のために都合の良い展開が多すぎるなと感じました」。

それでいろいろと書いていただいて……「自分にとってこの映画は全体的にフィクショナルすぎてふわふわした印象でした」というご意見でございます。というところで皆さんね、メールありがとうございます。

『パラサイト 半地下の家族』、私もですね、まず昨年度の『週刊文春エンタ!』星取表のために、いち早く見させていただいて。で、今回のムービーウォッチメンのために、そしてあと(監督ポンジュノ&主演ソンガンホの)インタビューのためにもね、ちょっと見返したりもしましたけど。今回のムービーウォッチメン用に。TOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。だから計4、5回はもう繰り返し見てる感じだと思いますけど。

ということで、平日昼にも関わらずですね、この日比谷も、ご年配の方々を含め、かなり埋まっていて。実際に配給会社の方もね、「記録的ヒットだ」というようなことをおっしゃっているようです。もちろん、さっきから言ってるようにもう世界的に高い評価を得ているということもありますし、日本の出ている映画評なども本当に……たしか週刊文春のシネマチャートでも全員満点とか、軒並み超高評価。

僕も満点を付けましたし。とにかくすごい圧倒的な前評判の高さに加えて、実際の作品自体がですね、確かになるほど、誰の目から見ても明らかな形で、まずはストレートにむちゃくちゃ面白いんですよね。映画としての語り口、まさに極上だし、途中には、見た誰もが度肝を抜かれるであろう仕掛けも用意されている。その上、痛烈な社会批評と、最後にはそのね、皆さんがおっしゃっているように、ドスンと腹に来る余韻が残るという。要はあらゆる意味で、ぶっちぎりでハイレベルな1本なので。これに今、ちゃんと日本でも観客が集まっているっていうのは、とてもいいことであるという風に、私も嬉しく思います。

脚本・監督のポン・ジュノ。長編デビュー作、2000年の『ほえる犬は噛まない』から本当に、すでに「ああ、これはすごい才能だな」という感じでしたけど。僕がやってきた映画時評の中ではですね、2009年の『母なる証明』。これ、ウィークエンド・シャッフル、シネマハスラー時代の2009年11月23日に扱いましたが。その後、ポン・ジュノさんはですね、フランスのグラフィックノベル、バンド・デシネ原作で、豪華ハリウッドスターたちをキャスティングした『スノーピアサー』、2013年の作品であるとか、それに続いてやはり豪華ハリウッドスターが多数出演、Netflixでもう莫大な金額をかけて作った『オクジャ』っていう、これは2017年の作品と、要するに世界進出モードのSF大作、というのが続いたわけですが。まあの『パラサイト』で、久々にその韓国のね、ドメスティックな社会の現実をアイロニカルに描き出す、という、言わば十八番の路線に回帰した、という風に言えると思います。

まあ今年、この番組でも1月8日にオンエアーいたしました、ポン・ジュノさんとソン・ガンホさん、今回の『パラサイト』のタイミングで私、インタビューをさせていただきました。これ、みやーんさんの非公式書き起こしもね、読めますから。こちらも読んでいただきたい。で、そこでポン・ジュノさんがおっしゃっていたのは、企画自体は『オクジャ』よりも前に始まっていたというのもあって、外国か韓国かという制作環境の違いというよりは、やっぱり制作規模……「作品のサイズ」が、『殺人の追憶』『母なる証明』のように、自分にぴったりなサイズに今回戻ってきた、という気持ち、その部分が大きい、ということをおっしゃっていました。

そこがすごい印象的でしたね。まあ笑いまじり、冗談まじりのムードでしたけど、「これからはずっと小さい映画を作っていきたい。大きい映画は作りたくない!(笑)」なんてことをおっしゃってましたけどね。実際のところ、今回の『パラサイト』はまあ、そのインタビュー中でもおっしゃっていたようにですね、実は大掛かりなところは超大掛かり、お金もしっかりかかった一作なのは間違いないのですが……という。

前からむちゃくちゃすごかったのに、はっきりさらにすごくなった

まあ、とにかくひとつ言えるのはですね、ハリウッド規模の大作製作を経て、さらに一回り作家として成長されたポン・ジュノさんはですね、本作『パラサイト』でのその語り口……過去のいずれ劣らぬ傑作群、もうすでに世界映画史に残る傑作・名作を残している人なんですが、それらと比べても、明らかにソリッドさ、無駄のない的確さ、明晰さというか、それをさらに増していてですね。それが映画としての、普遍的な、誰が見てもわかる面白さとか、誰が見てもわかる深みとか凄さとして結実している、っていうことなんですね。まあその意味で、前からむちゃくちゃすごかったのに、はっきりさらにすごくなった、というのが今回の『パラサイト』だと言えると思います。

まず、その話の構造がですね……ああ、ちなみに今日も決定的なネタバレはもちろんしないようにします。ポン・ジュノさんもね、いろんなところで「(ネタバレ)しないでください」っておっしゃっていますから。決定的なネタバレはしませんけども、もちろんいろんなディテールだとか、「こういう場面がありました」なんてことは触れるので。全く情報を入れたくない方は……まあ、ふと聞いちゃっている人もいるでしょうから。『パラサイト 半地下の家族』が評判になっているから、全く情報を入れずに行きたいという方はね、追い追いね、タイムフリーであるとかラジオクラウドとかで追い追い聞いていただく。まあ、その間はね、他にもいろんな楽しい局が、楽しいラジオをやっていると思いますんでね(笑)。フフフ、なんてことを言うんだろう、私はね(笑)。

ということでまずね、今回の『パラサイト』。話の構造がそもそも今までのポン・ジュノ作品に比べてものすごくシンプルですよね。親子4人、定職がないまま綱渡り的な生活をしている貧しい家族がいて。その彼らの貧しさの象徴というか、まあ韓国に実際に多くあるというその半地下の住居っていうのがあるわけです。これ、パンフレットに載っている町山智浩さんの文章によればですね、元は北朝鮮の攻撃に備えた防空壕だったものが住居として使われるようなったということらしいんですね。で、この「元は北朝鮮の攻撃に備えるための……」っていうのは、ご覧になった方はすでにお分かりでしょうが、後半に出てくるアレと呼応している、ということがございますよね。

ちなみにこの家族が貧しくなってしまったきっかけとして、お父さんが事業に失敗して、その事業というのが「台湾カステラ」のお店を出したという。これもやっぱり実際に韓国で近年流行って、それでバタバタッと潰れていったという、そういう実際の事実をベースにしているというのがあります。で、まあとにかくその職がほしいという家族4人がですね、それぞれ身分を偽って、ある超お金持ちの家に入り込んじゃうと。前半は、彼らが次々と策略・謀略を仕掛けていって。

まあこの策略・謀略も、主人公家族がしきりと「計画がある」「プランがある」ということを口にするんですけども。これがラストに行くにしたがって、その「計画」という言葉がですね、僕には計画がある、私には、俺には計画があるっていうのが、重い意味を持ってくる……というあたりも、ご覧になった方はお分かりのあたりだと思いますね。まあ、とにかくとある「計画」を持って策略・謀略を仕掛けていって、金持ち一家たちがまんまと、間抜けにも騙されていく、というプロセスを、デフォルメされたコメディタッチで、非常にコメディタッチで見せていくわけですね。

まあ一種のコンゲーム物的な面白さと言いましょうかね、騙して潜入していくという、コンゲーム、詐欺物ですね。その面白みがある。

■前半はジャンル的枠内で楽しんで観ていられる……しかしところどこで「あれ?」

こんな感じでですね、社会階層の異なる人物とかがブルジョワ家庭に入り込んで、そのブルジョアならではの欺瞞を盗み見たり、あるいはそれまでは保たれていた平穏・秩序をかき乱したりしていく、的な話……ってですね、昔から定番的に、ここまではある話なんですよね。よくある話。それこそ前述のインタビューの中でも触れたキム・ギヨン監督の、1960年のまさに韓国映画クラシック『下女』とかですね。これ、ポン・ジュノさんも言及していましたけども、階段の使い方とかを含めて、本作に大きく影響を与えている、これは間違いないことでしょうし。

まあ『小間使の日記』とかですね、『テオレマ』とかも入れてもいいかもしれませんね。ジャン・ルノワールの『素晴らしき放浪者』とかも入れてもいいのかな、とか、いろいろとあるわけです。個人的には、「家族ごとパラサイトしてくる」っていうこの感じは、『魔太郎がくる!!』にですね、そういうエピソードがあるんですよ。それをちょっと連想したりしましたけどね。はい。あとは同じ藤子不二雄Aさんの作品だと、『ひっとらぁ伯父サン』とかも、家にパラサイトしてくる、乗っ取られる話ですよね。

まあ、ともあれ前半はそんな感じで、ある意味観客も、いわばジャンル的安心感の枠内で、楽しく見られるわけですよ。「ああ、まあまあ、乗っ取ってくる感じね。ああ、面白い、面白い」って。その行く先が見える感じで楽しめるわけです。ただ、それでもですね、単に主人公家族がブルジョワ一家をまんまと篭絡して痛快だ、となるだけではなさそうだな、というような、フッとハシゴを外されるような瞬間も、実はいくつか事前に周到に仕掛けられていて。たとえば、ソン・ガンホ演じる、この半地下の家族のお父さんがですね、先方の金持ちの家の奥様……これ、チョ・ヨジョンさんが、黒木瞳的奥様感と言いましょうか、その奥様と2人きりになって、ある秘密を共有する、という場面。

これ、これまでのそういう入り込み物、家族入り込み物、異物入り込み物なら、ここで奥様側も「ドキッ!」っていうね。主人にはない何かワイルドみにドキッ!みたいな、そういう展開になりがちなところを、実際にここで彼女が返してくる反応というのは……というあたり。そして、それを受けてのソン・ガンホさんの物言わぬリアクションがまた、おかしくも哀しい、っていう感じが本当に最高なんですけども。あるいは、やはりソン・ガンホさんのお父さんと、金持ち一家の主であるパク社長。これ、演じてるイ・ソンギュンさんね。『最後まで行く』という、僕はすごい好きな映画がありましたけど。あれでも主演をされてましたが。

それがですね、まあパク社長に向けてそのソン・ガンホが、「奥さんを愛していらっしゃいますもんね」って、まあお世辞半分に言っていることなんだけど、それに対して思いのほか、冷めた反応が返ってくる、ってあたり。これもやっぱり、終盤と呼応していますね。「奥さんを愛していらっしゃいますもんね」っていうこのセリフね。というあたりで、「あれ?」っていうね、その今までの入り込み物の温度感とはちょっと違うのか?っていう、フッとそういうハシゴを外されるような瞬間が、用意されてはいる。まあ、とにかく一見、まんまとブルジョワ一家に取り入っていく半地下家族、というのが前半なわけです。

■急展開を見せる後半の合図は、ある人物の「思ってもいなかった角度の姿勢」

で、その金持ち一家がキャンプに出かけるということで、その邸宅が空いた。それをいいことに、堂々と家族団らんの酒盛りを始める一同、という。なんですけど、その全面ガラス張りのリビングっていうところで、まずちょっと不安が募りますよね。見てるだけでね。なんか、「見られちゃう」感じがするし。そして、外が激しい雷雨になる、それと共にですね、物語全体が、想像もつかなかった方向に一気に転がりはじめていく!というのが、まさにこの映画の、キモ中のキモなわけですね。

特にやっぱり、「あっ、何かが……決定的に何かがおかしい方に行く」っていうきっかけが、「人物の、思ってもいなかった角度の姿勢」というのが、ポン・ジュノっぽいですよね。そんな姿勢!?っていう。この空間でその姿勢はない!っていうことが起きてる、っていうあたりだと思います。

当然、ちょっとここから先の話は、具体的には言いませんけども。何が起こるかは具体的に言いませんが、ただちょっと抽象的な説明の仕方を重ねますけども。ポン・ジュノ作品、これまでも非常に印象的だった、「闇の奥に何かがある」っていうショット。「奥に何かがある」っていう感じはすごく今までも印象的に使われてきたんですけど、今回はさらにその闇の奥にですね、要するにその得体の知れない領域に、主人公家族も我々観客も、まさにカメラと共に、文字通り「連れて行かれてしまう」っていう作りになってるわけです。

これまでもポン・ジュノ作品、既存のジャンル的なその予想の範囲を超えて、最終的に、得体の知れない領域に行ってしまう、という作品ばかり撮ってきました。見終わってみると「何だ、この感情は?」とか。「最高の映画だし、最高に面白かったけど、今、どんな気持ちになれと……?」っていうね。言葉で説明できないところに連れて行かれる、っていうのは今までもありましたけど、今回の『パラサイト』は、それがストーリー、そして映画としての語り口と、シンプルに一致しているんですね。

主人公のその家族たちと観客もですね、要は今まで「こうだ」と思っていたような物語世界が、実は全く違う本質を持ってることがはっきりしてしまう。それによって世界の意味がひっくり返るような感覚を、主人公家族と同時に我々観客も、直接的に味わうことになるわけです。今まで思ってたような世界じゃなかった。そして先ほど言いました、ポン・ジュノさんとソン・ガンホさんへのインタビューでも触れた通り、ここに至って、その大邸宅のですね、すごく印象的にある階段であるとか、その上下の構造。あるいは、あの金持ちの家に行くために、まあ坂を登ってくるわけですよね。その、地理的な構造。つまり、階段や坂を介した上下の構造が、物語的なテーマと実は直結してたんだ、ってことに、我々観客はそこで気づくわけです。

「ああ、『半地下』の家族って、そういうことか!」みたいなね。で、もちろんポン・ジュノ映画、これまでも、地形の高低差とかそういうのを、印象的に使ってきました。たとえばそうだな、『母なる証明』だったらね、あの死体が置かれていた、あの2階の屋上の、高台のところから見晴らした街とか、そういうのは使ってましたけど。今回の『パラサイト』は、それがストーリーやテーマと、シンプルに直結している。まさに映画ならではのストーリーテリング、っていうのがすごくスマートにできてるとか。またですね、やはりこれまでもポン・ジュノ作品が際だって上手かった、非常にミニマルなシチュエーションなんだけど、それを最大限のスペクタクル、サスペンスに仕立て上げてしまう手際。

■テーマと直結した語り口、舞台設計、そしてそれらに説得力を持たせる俳優陣

たとえばその、さっきから言っている『母なる証明』で言えば、ジンテっていう不良の家をお母さんが脱出するシークエンスとか、本当に最高でしたよね。小さなシチェーションなのに、すごいでっかいサスペンス、スペクタクルがある。ですけど今回の『パラサイト』の中盤はですね、まさにそのテクニックの、拡大・連発版ですね。まあその、要は「家屋内かくれんぼ」だけでですね、これだけハラハラドキドキ、しかもいろんな引出しで(ハラハラドキドキ)させられるだけでも、まあやっぱり半端な腕じゃないですし。しかも今回の『パラサイト』では、その家屋内かくれんぼのハラハラドキドキにもですね、テーマと直結した、やっぱりそこでも上下の構造……上にいる人、下にいる人、そしてクライマックスの布石となる「匂い」という、非常に残酷なモチーフを絡めてきてるわけで。二重、三重にすごいわけですね。

ちなみにこの、匂いというくだり。半地下住居のその匂いというのはですね、韓国の方は割と「ああ、あの匂いか」ってわかるような、結構具体的なものとしてあるらしいんですけどね。でも、(そうした認識を共有していない他国の観客である)我々にとっては、やっぱり僕がインタビューの中でも言った通り、映画においては不可視な「匂い」というのを使って差別というものを表現されると、もうこっちはどうにもできない……「お前は臭い」と言われるとどうにもできないっていう、残酷な差別の構造として、やっぱりこれは非常に演出として生きている。

ともあれ、さっきから言ってるように、高低差によって示されたその社会の構造。そのまさに、まさに文字通り「下流」にいる者たち同士がですね、構造全体の不条理には怒りが向かず……なんならそっち、構造全体の不条理に関して諦めちゃってるから、(劇中のセリフ通り)「リスペクト!」までしちゃってですね。それで、その下にいる者同士で、食い扶持を確保するために争い合うっていう、そういう悲しい、でもぶっちゃけこれが現実にはやっぱりよく噴出する構造でもある、というその展開の果てに……プラス、もちろんさっきのインタビューでも触れた、一大スペクタクルシーンが用意されています。これはもう、「ああ、ここがこんなスペクタクルになっちゃうのか!」という見せ方。しかもそれがやっぱりテーマとも直結している、というその展開の果てにですね。ここは元のシナリオ以上に、「ソン・ガンホが演じる」説得力によって、よりくっきりしたメッセージが込められたものに変わったらしいんです。

要するに、とある人物の行動が、シナリオではもっと、どういう意志でやったものかが曖昧だったのが、ソン・ガンホが演じるならこれは説得力を持たせられるんだ、ってことで、はっきりと意志を持ってとある行動を取る、というクライマックスへと突入していく。インタビューでポン・ジュノさんもおっしゃっていた通りですね、このシンプルな語り口と構造を、真に豊かなものにしているのはやっぱり、そのさっき言ったソン・ガンホさんとかを含めて……もちろん、見事というほかない美術や撮影、それら全てを緻密にイメージボードを書いてコントロールしているポン・ジュノ演出はもちろんなんですけど、やっぱり、ソン・ガンホさんをはじめとする俳優陣の力、というのが当然、大きいわけです。

■全員素晴らしい役者陣。中でも家政婦役を演じたイ・ジョンウンさんは実は監督の過去作では……

ソン・ガンホさんね、その、のほほんとした親父から、終盤にかけて特に……笑顔が完全に消えるんですね。そのシリアスなトーンっていうところの演技はもちろん見事なものですし。あとやっぱりソン・ガンホは、声がいい、というあたり……特にラスト周辺で、それ(声のよさ)が非常に、抜群に生かされるのは、その半地下ファミリーの息子、チェ・ウシクさん演じる息子さん。オープニングと対になった、そのラストショット。オープニングと同じく、その半地下で、カメラがグーッと下りてくると、その息子の顔になる。まさにポン・ジュノ映画の幕切れにふさわしい、あの眼差しですね。あれも見事なものでしたし。

パク・ソダムさん演じる娘もですね、非常にストリート感、ゲットー感っていうのと、転じて、演技としてのハイソな知性みたいなものを、本当に見事に演じ分けられてて、素晴らしかったですし。あとお母さん。チャン・ヘジンさんのね、元ハンマー投げメダリストっていう、あのなんか「太いキュートさ」って言うんですかね? 図太いキュートさという。あれも本当に見事なもんでしたしね。

あと、今回一番実は重要なのは、追い出される家政婦役。ムングァンという役の、イ・ジョンウンさん。彼女は、『母なる証明』の、被害者の女子高生のお葬式のシーンで、母親に食ってかかる、一番目立っていたあの女の人。あるいはですね、『オクジャ』のあの生き物の、鳴き声を演じている(!)。だからその、ポン・ジュノさんの信頼が非常に厚い女優さんなんだけども。今回も、本作のある意味一番、要の役ですね。「おもしろうてやがて哀しき……」っていうあたり。

そして、ネタバレできないので詳しくは言えませんが、やっぱり「リスペクト!」なあの人。要するにその、さっき言った社会の不条理な構造に関して、諦め切った人。その思考の、狂気性、ピュアさも込みで、見事に体現されてますね。あの人の佇まい……バナナの食べ方! まあもちろんね、金持ち家族も素晴らしい。金持ちの娘・ダヘさん。チョン・ジソさんですか。普通にアイドル的に、なんか「坂道」にいそうだな、みたいな感じで、すごいかわいかったですけどね。

■悔しいが、褒めるところしかない。元々すごかったポン・ジュノがさらにすごい一本を撮ってしまった!

そんな感じでですね、まあちょっとネタバレできない範囲も多かったんでね、このぐらいにしておきますが。ラストに向けて、語りの位相がシフトしていくあたり。この人のナレーションか、と思ったら、この人のナレーションになっている、という風に、語りの位相がシフトしていくことによって、現実と想像の境がどんどん淡く、曖昧になっていく……かと思いきやの、さっき言ったその、オープニングと対になった着地で。そして音楽も、ちょうどそこで着地、っていう。この、ドスンと来る余韻。結局やっぱり、現実に(作中の問題提起を)持って帰らされる。「で、あなたたちは……?」って来るわけですね。

ということで、面白さ、そして語り口のシンプルさ、スマートさ、深さ。驚き、サプライズもある。そして、ユーモアと残酷さもある。撮影とか美術とか音楽の質の高さもある。もちろん、演技の素晴らしさもある。とにかくすべてが、あらゆる面ですごいレベルというか。もう、これだけ絶賛するしかないのが、本当に悔しいぐらいなんですが。だって、褒めるところしかないんだもん!っていう。元々すごかったポン・ジュノが、さらにさらにすごくなって帰ってきた、すごい1本を撮ってしまった。そんな1本。そりゃあ当然、劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『リチャード・ジュエル』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャパートの前)ポン・ジュノ作品は、細かいところのキャスティングの「顔チョイス」が本当にセンスいいことで知られているんですけども。今回は特にね、あの、終盤の刑事。本当、あいつの顔が出てきた時に、「いやー、やっぱりポン・ジュノの顔選び、最高!」って思いましたけどね(笑)。

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「冬の陽だまりで聴きたい台湾インディーロック特集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/01/31)

「冬の陽だまりで聴きたい台湾インディーロック特集」

冬の陽だまりで聴きたい台湾インディーロック特集http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200131123148

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りいたします! 「冬の陽だまりで聴きたい台湾インディーロック特集」。2018年12月以来の台湾インディーロック特集です。今回は2019年にリリースされたもののなかからギターポップ系を中心に4曲厳選しました。なので2019年の台湾インディーベストセレクション的にも楽しんでいただけるのではないかと思います。「冬の日だまりで聴きたい」と謳っている通り、昼のまどろみのなかで聴くのに最高な曲ばかり。仕事中の方、運転中の方は眠ってしまわないよう十分お気をつけください(笑)。

【ジェーン・スー】
あー、そういう感じだ(笑)。

【堀井美香】
芳朗さんがなんかもうまどろんでる(笑)。

【高橋芳朗】
フフフフフ、曲を紹介する僕がすでにまどろみかけてるというね。ではさっそく1曲目、トップバッターはDSPSの「Folk Song for You」。こちらは去年9月21日に出たEP『Fully I』の収録曲です。DSPSは日本のスーパーカーに憧れてバンドを組んだという台北出身の男女混成3人組。映画『愛がなんだ』の主題歌を担当していたHomecomingsとツアーを行なうなど、日本のバンドとの交流も積極的ですでに何度も来日しています。彼らのことは2018年9月放送の「秋に聴きたいアジア生まれの胸キュンギターポップ特集」でも取り上げているのできっと覚えている方もいるのではないかと。

M1 Folk Song for You / DSPS

【堀井美香】
かわいい!

【ジェーン・スー】
うん。素朴な感じは変わらずですね。

【高橋芳朗】
続いては、Angel Babyの「雨滴」。こちらは去年11月30日にリリースされた彼らのセカンドアルバム『Anyiquangin』の収録曲です。Angel Babyは先ほど触れた2018年12月の台湾インディーロック特集の際に取り上げた落日飛車(Sunset Rollercoaster)のドラマー兼ボーカル、ZL(尊龍)が率いる5人組。2月には来日公演が決定しています。彼らの音楽は空間を活かした浮遊感のあるサウンドがめちゃくちゃ気持ちよくて。特にリバーブの効いたギターが最高なのでそちらにご注目ください。

M2 雨滴 / Angel Baby

【高橋芳朗】
このゆるいメロディとギターの反響音がたまりません。

【ジェーン・スー】
お風呂に浸かっていい気分になって歌っているみたいなね。

【高橋芳朗】
3曲目は甜約翰 Sweet Johnの「城市的浪漫運作」。タイトルは「街をロマンチックにする方法」という意味で、「Daze of City Walk」なる英語タイトルもつけられています。こちらは去年12月13日にリリースされたアルバム『城市小説選集/Urban Fiction Select』の収録曲ですね。Sweet Johnは2017年にデビューした台南出身の男女混成5人組。現地でもかなり人気があるバンドのようです。キーボード兼ボーカル担当の女性メンバー、Mandarkが参加しているI Mean Usもおすすめのバンドなんですけど、今日はこちらのほうを聴いてもらいましょう。

M3 城市的浪漫運作 / 甜約翰 Sweet John

【高橋芳朗】
まさに白昼夢といった趣で。

【ジェーン・スー】
ね。目が半分閉じてきましたよ。

【高橋芳朗】
では最後、最後を飾るのはDeca Joinsの「散去的時候」。こちらは「去りゆく時」という意味で英語タイトルは「Dissipation」。去年10月25日にリリースされたシングル「霧」のカップリング曲になります。Deca Joinsは2013年にデビューした台北に拠点を置く4人組。彼らも先述した2018年10月放送の台湾インディーロック特集の際に「海浪」という曲を紹介しました。ちょっとした短編映画のようなミュージックビデオがなかなかインパクトがあって。

【ジェーン・スー】
あー、あの怖いやつだ!

【高橋芳朗】
そう。ショッキングな内容にスタジオが騒然となりましたよね。ただ、今回聴いてもらう曲は「海浪」よりもぐっとキャッチーになっていて。さまざまなな音楽の要素を詰め込んだプログレッシブな「海浪」に対して、まさに冬の陽だまりで聴くとしっくりくるような和みの一曲になっています。

M4 散去的時候 / Deca Joins

【高橋芳朗】
堀井さんはがっつり寝てましたね(笑)。

【ジェーン・スー】
寝ていたというよりは、目を閉じてリズムを取るようにして左右に体を揺らしている感じ。

【堀井美香】
夢か現か……砂糖菓子を食べてる夢を見ていました。

【高橋芳朗】
フフフフフ。台湾のインディーシーンに関しては昨年11月6日放送の『アフター6ジャンクション』の特集を聴くとさらに理解が深まると思うので、興味を持たれた方はぜひそちらもチェックしてみてください!

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

1月27日(月)

(11:03) 99 / TOTO
(11:24) Minute By Minute / The Doobie Brothers
(11:35) Please Don’t Leave / Lauren Wood
(12:15) Breaking Too Many Hearts / Nicolette Larson

1月28日(火)

(11:09) It’s Too Late / Carole King
(11:37) Something to Make You Happy / Dave Mason & Cass Elliot
(12:13) Mama You Been On My Mind / Rod Stewart
(12:21) You Turn Me On I’m a Radio / Joni Mitchell
(12:48) 地下鉄 / ブレッド&バター

1月29日(水)

(11:07) The Drifter / Roger Nichols & The Small Circle of Friends
(11:37) Everything That Touches You / The Association
(12:11) It Won’t Always Be the Same / The Millennium
(12:51) Mrs. Bluebird / Eternity’s Children

1月30日(木)

(11:04) Let’s Stay Together / Al Green
(11:27) Ain’t No Woman (Like the One I’ve Got) / Four Tops
(12:16) Living in the Footsteps of Another Man / The Chi-Lites
(12:50) I’m Never Gonna Be Alone Anymore / Cornelius Brothers & Sister Rosa

宇多丸、『リチャード・ジュエル』を語る!【映画評書き起こし 2020.1.31放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『リチャード・ジュエル』(2020年1月17日公開)。

オンエア音声はこちら↓

 

宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評「ムービーウォッチメン」。今夜扱うのはこの作品……『リチャード・ジュエル』。1996年にアトランタで起きた爆破テロ事件をクリント・イーストウッド監督が映画化。オリンピック開催で沸くアトランタで警備員として働くリチャード・ジュエルは、公園に仕掛けられた爆弾を発見し多くの命を救ったが、事件の容疑者にされてしてしまう。

主人公リチャード・ジュエルを演じるのは、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』や『ブラック・クランズマン』などのポール・ウォルター・ハウザー。その他の出演は、リチャード・ジュエルを助ける弁護士ブライアント役のサム・ロックウェルや母親ボビ役のキャシー・ベイツなど、といったところでございます。

ということで、この『リチャード・ジュエル』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。やはりね、イーストウッドの最新作となるとまあ、かならず見るという方も多いでしょう。賛否の比率はほぼ8割のメールが「褒め」。

褒めている人の主な意見は、「横暴な司法やメディアリンチによって犯人が創り出されていく。その構図に、これは他所の国の話ではないとゾッとした」「主人公を全面的なヒーローとして描かない、そのバランス感に唸った」「近年のクリント・イーストウッド監督作品の中でも一番出来がいい」とかですね、「ポール・ウォルター・ハウザーもよかったが、サム・ロックウェルがとにかく見事」などがございました。一方、主な否定的な意見は「淡白で平坦。盛り上がらないまま終わってしまった」「女性記者の脚色(描き方)は大問題。作品のテーマと相反するし、エピソードとしても陳腐」などといったご意見がございました。

■「一言では表わせない『正しさ』をイーストウッドならではの絶妙なバランスで描いている」(byリスナー)

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「ペイ・ザ・サーティーン」さん。「感想は『それは面白いでしょ!』です。本作の特徴としては、ポール・ウォルター・ハウザーという異端の俳優を主演におき、まさに今のメディアのあり方、偏向報道やフェイクニュースに対する現代的問題を見事に描ききった点にあると思います。もちろんポール・ウォルター・ハウザー演じるリチャード・ジュエル自身も過剰に正義を重んじるがゆえに歪んで見える言動や、その言動があったからこそ救われた命があるという、非常に多層的な構造になっている。一言では表わせない『正しさ』をイーストウッドならではの絶妙なバランスで描いている点も見事でした。そして脇を固めるサム・ロックウェル、キャシー・ベイツ。こちらも素晴らしい演技でアンサンブル映画としても見応え抜群でした。今年で90歳となる御大、まだまだ新作を見たいです」といったご意見。

一方、ダメだったという方。「たくや・かんだ」さん。「『リチャード・ジュエル』、見てきました。正直あまり面白くなく、不満が残る映画でした。あまりに平坦で盛り上がりがなく、そのまま最後まで行ってしまった印象です。この映画のテーマであるメディアリンチの怖さ、マスメディアの横暴はこれまでもさまざまな映画で描かれてきましたが、それらを超えるような描写ではなかったと思います。逆に国家権力とメディアに翻弄されるジュエルの人物像の描き方に意図的なものを感じてしまいましたし、話題になっている女性記者の脚色も全く評価できません。イーストウッド自身はインタビューで『彼女について調べた結果、十分あり得ると考えたんだ』と答えていたようですが、作品内のエピソードとして女性記者が権力者から情報を得る手段として、余りに陳腐でステレオタイプです。過去のイーストウッドの名作に比べたら本作は数段落ちる作品と言えるでしょう」というようなご意見がございました。ということで、皆さんメールありがとうございます。

 

■この人の名前だけでも覚えて帰ってね! その名は「ポール・ウォルター・ハウザー」さん

私も『リチャード・ジュエル』、バルト9とTOHOシネマズ六本木で2回、見てまいりました。どちらも正直、入りがちょっと寂しい感じだったのは、残念でしたけどね。ということで、今回はとにかくですね、皆さん、ポール・ウォルター・ハウザー、ポール・ウォルター・ハウザー、ポール・ウォルター・ハウザーさん! この人の名前だけでもぜひ、覚えて帰ってね、といった感じでございます。我々が彼のことを知ったのはですね、なんと言っても『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』、2017年の作品。僕は2018年5月11日にこのコーナーで評しました。公式書き起こしも読めますので、そちらも参照してください。

その『アイ,トーニャ』に出てくる、トーニャ・ハーディングの自称ボディーガード。要は、悪名高きナンシー・ケリガン襲撃事件の計画者の1人でもある、ショーン・エッカートという人。彼のですね、誰の目にも明らかな虚言癖……しかもそれは、彼にとっては、あまりにも救いがなさすぎる現実の自分の人生からの逃避でもあるっぽい、というあたりがまた、おもしろうてやがてかなしき、という感じでね、非常に味わい深かったんですが。

とにかくそのショーン・エッカートという男の、底なしのダメダメ感、ボンクラ感を、そこはかとないキュートさ、憎めなさ込みで、これ以上ないほど見事に体現していた俳優さん。それが今回、『リチャード・ジュエル』で主演を張っております、ポール・ウォルター・ハウザーさんなんですね。ちなみに1996年、本作で描かれたように、リチャード・ジュエルさんが爆破テロの容疑者としてアメリカのメディア中で袋叩きにあっていた時にですね、当時の人気司会者、ジェイ・レノという人が、まさにさっき言ったショーン・エッカートとそのジュエルさんを重ねてからかったりしていた、という事実があるわけです。

また実際、イーストウッドも、『アイ,トーニャ』を人から勧められて見て、リチャード・ジュエル役、まさにポール・ウォルター・ハウザーさん、この役を演じるために生まれてきたようなぐらいだ。そっくりだ、みたいなことをおっしゃったりしている。そんなリチャード・ジュエルさん、本人の姿は、実は今回の映画でも、爆弾の第一発見者として最初に好意的なインタビューを受ける番組がありますよね? あそこの番組の映像は、実はあそこだけ、本人映像です。はい。だから、そこがシームレスに見えちゃうぐらい、やっぱりそっくりだ、っていうことですね。

元はね、ジョナ・ヒルが映画化に動いたりしてたようですけどね。やっぱりポール・ウォルター・ハウザーさん、ぴったりということで。とにかくまあその『アイ,トーニャ』での大好演で一気に注目されていった結果ですね、それ以降も、たとえばスパイク・リーの『ブラック・クランズマン』、2019年3月24日に僕は評しました。これも公式書き起こしがありますが……それのKKKメンバーだとかね、あるいは、あの『Cobra Kai』ですね。当番組でも何度も話しました、『ベスト・キッド』の最高の続編ドラマシリーズ。こちらにも出ていたりとか。

要は、だいたい同じ役ですよね。実人生、実社会では明らかにダメダメのボンクラ。太った冴えないおじさん。ゆえに、やたらとデカい口を叩いたり、そういうまあ要するに逃避的な思考に陥りがち、というですね、『アイ,トーニャ』で確立した、いわゆるホワイトトラッシュ的キャラクターを、繰り返し演じてきた。そういうところにキャスティングされてきた、という方ですね。で、僕とかはやっぱり、「あっ! またポール・ウォルター・ハウザーが十八番のダメ人間役で出てきた!」って大喜びしたりしてたんですけど。

その意味ではですね、この今回の『リチャード・ジュエル』は、1月に町山智浩さんがご出演された時にもおっしゃられていましたが、そういうポール・ウォルター・ハウザーさんがこれまで演じてきたような役柄のイメージを、逆手にとったキャスティングでもあると。要は、「どうせ、こういうやつなんでしょう?」っていう先入観、決めつけが招いた最低の事態、というのをこちらに突きつけてくる作品でもあるわけですね。だから、『アイ,トーニャ』以降のその彼の演じる役柄を、まあゲラゲラとね、笑いながら見ていた僕のような……ファンなんですよ? ファンなんだけど、ちょっと襟を正さざるを得ないというか、そういう感じもある作品です。

■御年89歳のイーストウッド監督のさらりとした名人芸

原作はですね、事件の翌年、1997年に雑誌『ヴァニティ・フェア』に載った『AMERICAN NIGHTMARE: The Ballad of RICHARD JEWELL』という記事が元になっています。これ、今でもWEBで全部読めます。で、監督やキャスト、いろんな話が浮かんでは消え……という中で、ずっと映画化への意欲を見せ続けていたのがイーストウッドだった、という。それでここに行き着いたということなんですけども、たしかにこれ、ものすごくイーストウッド好みの題材ですよね。近年、まあ実話ベース物ばっかりを撮っている御年89歳。今年90歳になるイーストウッドですけども。

たとえば、信じていた国家や政府……まあアメリカですね。アメリカという国家や政府に裏切られたり幻滅したり、っていう。愛国者だったのに……というのもね、すごくイーストウッドに多いテーマですし。あと、冤罪物もイーストウッド、非常に多いですよね。特に、本来多くの人命を救った英雄として称えられるべき人が、あらぬ疑いをかけられて……という構図は、『ハドソン川の奇跡』、かなり近いですよね。これも僕、2016年10月15日に評しました。公式書き起こし、あります。

あと、一方では、そのへんにいるようなごくごく普通の人、なんならボンクラめな人……ただし正義感とか使命感というのは人一倍強い人が、なすべき時になすべきことをなす。その尊さ、みたいなところでは、『15時17分、パリ行き』。大変に変わった映画でしたけどね、あれね。僕の評は2018年3月3日にやりました。こちらも公式書き起こし、あります。まあ、あれとも連なるものでもあって。だからその、『ハドソン川の奇跡』と『15時17分、パリ行き』のちょうど中間というか、ミックスしたような感じの映画ですね。今回はね。

で、実際に本作『リチャード・ジュエル』の企画は、まさに『ハドソン川の奇跡』と『15時17分、パリ行き』の間に始まった企画だということなので、まあ、なるほど納得だな、という感じの話ですよね。ということで、まあそうしたイーストウッドの近作同様ですね、この『リチャード・ジュエル』も、あくまで淡々と……まあ今時の映画と比べるとちょっと素っ気ない程の淡白さ、簡潔さで、サクサクと話が進んでいく、という。なので、「淡白だった」とか「引っ掛かりが少なかった」というのはまあ、近年のイーストウッドの作風ではありますね。そういう味わいではある、というかね。

まず序盤。リチャード・ジュエルという男の、その不器用な真面目さ。ちょっとどうかと思うほどまっすぐな、その「社会に貢献したい!」という気持ち。あるいはその規範意識、道徳意識、っていうのを、サム・ロックウェル演じるワトソン・ブライアントという弁護士……これ、サム・ロックウェルが終始、非常に上品な温度感でさらりと演じている、このワトソン弁護士は、その彼のそういう真面目さっていうのを、非常に好ましく感じ、それで2人の距離がちょっとだけ縮まっていく、というその過程。それをですね、たとえばスニッカーズだとか、あとはゲーセンのガンシューティングゲームだとか、あと100ドル札という、そういう日常的小道具を通じて、やっぱりさらりと上品に描いていく、という手際。

このなんかあんまり味が濃すぎない感じも含めて、でもきっちり2人の距離が縮まった感じ、しかもその露骨なセリフとかではなく……っていう感じが、非常に名人芸!といった感じだと思いますし。同時にですね、まさにそのさっき言った、彼、リチャード・ジュエルの不器用な真面目さ、ちょっとどうかと思うほどまっすぐな「社会に貢献したい」という気持ち、規範意識、道徳意識が、しかし一般社会からはやっぱり、煙たがられたり、あるいは奇異の目というか、「あいつ、ちょっと変わってるよな」っていう……まあバカにされてたりもする、という、そのきしみのようなものも、その序盤でしっかり印象付けられていくという。

なので、平たく言えばこの主人公リチャード・ジュエルさんがですね、あまりにもピュアすぎて……かわいいんだけど危なっかしい!っていうね(笑)。この「ピュアすぎて、かわいいんだけど危なっかしい!」、こここそが本作『リチャード・ジュエル』特有のハラハラ感、面白みみたいところ……つまり、イーストウッドの他の作品はもちろん、過去の無数にある冤罪物と大きく異なるというところ。ピュアすぎる。だから本人が一番危なっかしい!っていうね。本人がしっかりしていないんですよ、というあたりだと思います。

■リチャード・ジュエルの危なっかしさから生まれた「いろいろ心配エンターテイメント」

で、それは間違いなく、ポール・ウォルター・ハウザーという俳優の持ち味によって、さらにきっちり成立してるものでもある、っていうことですね。かわいすぎて危なっかしい、というね。考えてみればですね、彼がその『アイ,トーニャ』とか『ブラック・クランズマン』などで演じていた役柄も、その、自分の身の丈を越した何か大きなイズムっていうのを、疑いなく信奉してしまう。そこに、自分の実人生の救われなさに対する救いを求めてしまう。そういうピュアさ、あるいはその反面としての弱さ、みたいなところ。これ、パンフレットで映画評論家の森直人さんが「底抜けのイノセンス(無垢さ)」という風に表現してるものも、まさにそこだと思うんですけど。

まあ今回のリチャード・ジュエルさんと、完全にその表裏一体なものですよね。その『ブラック・クランズマン』のKKKと『アイ,トーニャ』のあいつは、犯罪者とか差別主義者ですけど、実はやっぱり表裏一体のものが、リチャード・ジュエルさんにもちゃんとあったりする。なので、我々観客はその危うさを、先ほど言った序盤のセッティングですでにしっかりともう叩き込まれているので、後にその爆破テロが起こる記念公園でですね、彼が警備員を、例によって若干張り切りすぎなテンションで……まあ実際のところ、すごく嬉々としてですね。

「おい、危ねえぞ、気をつけろ!」みたいなのを、実際に嬉々としてやっている様子。その一挙手一投足が、「ああ、だからこういうのが追い追い、疑わしく見えたりしてしまうんじゃないか、お前。気をつけろよ……」みたいな感じで。本当にまさしくひとり息子を見守るキャシー・ベイツのお母さんよろしくですね、もうとにかくいろいろ心配! 全体として、「いろいろ心配エンターテイメント」っていうか(笑)。「お前、ちょっとこれ、そこが……」っていう、心配エンターテイメントな感じなんですよね。

で、しかもこの記念公園の場面。無造作にその記念コンサートの様子を見せているだけのようにも見えてですね……あの『マカレナ』、当時、流行っていた「ヘーイ、マカレナ♪」っていう、あの振り付けのダサさに悶絶しましたけどね(笑)。びっくりするダサさ。まあ、それはいいんだけど、とにかくコンサートの様子を無造作に見せているだけに見えて、実はここ、すごく段取りが周到で。1日目、まだその爆発が起こる前日ですね。彼がまず、ベンチの下に置いたクーラーボックスから、妊婦さんに水をあげたりとか、すごく親切なんですけど、そのクーラーボックスから、同僚たちにコーラを持っていってあげる、というくだりがあります。

そうすると、そこに怪しげなリュックを背負った男が……で、ジュエルは目ざとく彼を見つけてですね、追っかけていく。結局その男は、怪しく見えたんだけど、まさに先ほどジュエルがしてたのと全く同じようなことをしてるだけなんですね。缶ビールを出して、仲間に分けている。要するにここで、まずジュエルとその怪しげに見えた男が重なる、っていう段取りがひとつあります。

そして翌日、本当に爆弾が入ってることが後に分かるリュック。これがまさに前日疑わしく見えたあの男のリュックとほぼ同じミリタリー、軍のリュックであると。で、なおかつそれがさっき、クーラーボックスからコーラを出しましたけど、そのクーラーボックスを置いてあったのと同じく、ベンチの下に置かれている。つまり、疑わしさとリチャード・ジュエル本人の行動が、いわば、ちょっとずらして重ね合わせられている、というか。だから我々観客も、この後にジュエルが疑われることになってしまうことに、一定の合理性をも感じてしまうっていうか。

というのは、ジュエル自身が、結局自分と同じことをしていただけの人を、間違って疑わしく見てしまっていた、っていう段取りがあるからなわけですね。なので、ということで今度こそ、彼の不器用なまでの真面目さ、規範意識が功を奏して、爆発物をいち早く、しかも安全に発見することができた。要するに迂闊にガシャン!とかやらずに、ちゃんと爆発処理班を待って。「プロトコル通り、決まり通りやれ!」みたいな感じでやったら、実際にそれが功を奏した。

で、被害を少なめにとどめることにも貢献したというその後も、まあ「心配エンターテイメント」と言いましたけど、その翌日ね。その現場でなんか、その爆発の破片を拾って、ポケットに入れたりしてるわけですよ。「お前! だからそういうことをすなーっ!」っていう風に(笑)、親心目線で、こっちはまあハラハラしているわけですね。

でも同時に、その親心目線。やっぱりキャシー・ベイツ、本当に見事な演技でしたね。彼女が演じるお母さんが、テレビでインタビューされる息子を見て、本当に誇らしげなところとか。「お母さん、よかったね! 息子さんの育て方、間違ってなかったよ!」ってね、ウルッと来てしまう。それで『15時17分、パリ行き』ならここで終わっていたところなんだけど、だからこそ後半で、それが最悪の反転を見せるという展開が、本当に胸をえぐる、っていう感じなんだけど。

 

■これまでポール・ウォルター・ハウザーが演じてきたような役柄たちが感じてきた「痛み」や「悲しみ」に我々も気づかされる

あの、お母さんがファンだって言ってた人気司会者のトム・ブロコウさんが、ファンだったブロコウさんがよりにもよって……これ、原作の『ヴァニティ・フェア』の記事にもあるんですけど。本当にあったくだりなんですね。そのお母さんが、自分がファンだった司会者が、よりにもよって息子をテロリスト、犯罪者扱いしている、というところで、「ブロコウさんは、なんでこんなことを言うの……?」って。それを見て、息子もいたたまれない気持ちになる、という。あれ、本当にあったことです。

あと、本当にあったと言えば、クソ野郎役には定評のある、ジョン・ハムさん演じる……あのね、『ブライズメイズ』の「おい、しゃぶれ」(的な無言の仕草)でおなじみ(笑)ジョン・ハムさん演じる、FBI捜査官。役名は架空だけどFBI捜査官たちが、リチャード・ジュエルをもう、はっきり騙してビデオを撮ろうとするところ。そしてジュエルが、「これはマズいだろう……?」と思って、それをなんとか突っぱねて、ワトソン弁護士に連絡を取ろうとするところ。

これも信じ難いことに、そして最悪なことに、本当にあったことなんですね。で、このジョン・ハム演じるFBIチームがですね、とにかく手を変え品を変え、ジュエルをはっきりと、陥れようとする展開が続くわけですね。後の方でも、「ちょっと爆弾を仕掛ける音声、言ってみて?」って。そしたらジュエルがまたそこで、「ああ、そうですか。わかりました。俺もね、法の執行官なんで。もう協力しますんで……」って。「だから、お前は!」みたいなところがあるんだけど(笑)。

そこの要するに、はっきりですね、早い話がジュエルを、心底バカにしているからこその卑劣な手段なわけなんですけどね。それを途中でですね、実はジュエル自身も、「痛いほど分かってるよ!」と。「お前は何であんなことされて平気なんだ?」って言われて、「平気じゃないよ!」って言って。しかもそれは、今回の事件がなくたって、これまでの彼の人生で、ずっと彼が感じてきたことだったんだ、っていうことを、初めて本人が吐露する一連のくだりがあるわけです。

で、要は彼の言動にずっとね、見ながら……さっきね、「心配エンターテイメント」って言いましたけども。ハラハラとかイライラを繰り返してきたワトソン弁護士、そして我々観客も、そこではっとさせられるわけですよね。その彼の……つまりポール・ウォルター・ハウザーさんが演じてきたような役柄全てにも通じるだろう、そういう人たちが実はやっぱり人として当然感じてきた、抱えてきた痛み、悲しみっていうところに気づかされて、はっとする。

でも、やっぱりその一連の『アイ,トーニャ』のあいつとか『ブラック・クランズマン』のKKKと違うのは、しかしやはりそれを超えて、それでも善き人であろうと努力している、ジュエルさんの人格というのの本質的な高潔さ、っていうのが見えてくるあたりを含めて……だからやっぱりあそこで、初めてに近い感じで、ワトソンは彼のことを「尊敬」するんですよね。なのでやはりここ、涙なしには見られない、本作の本当に白眉だという風に思います。はい。とはいえ途中ね、FBIの家宅捜索に備えてですね、そのワトソン弁護士が、「お前、銃とか持っている?」「ああ、ジョージアだから持っているよ」「持ってる銃、一応全部出しといて」って言ったら、「お前さ……なに? ゾンビ対策?」みたいな(笑)。

私、ちょっと身につまされるところがありました。「銃、出しといて」って言ったら、「嘘でしょう?」っていう量が出てくる、とかね。あるいはですね、「黙ってろ」って言っているのについ、「あの、本当にオレも法の執行者なんで。捜査、本当に協力しますんで」って。とにかく何か余計なことを言い出す。それで「あっ、その本ね! その本、警察の手口がわかって本当にいい本だよね!」とか言って。その本の、「よりによって……あちゃー!」という感じとか(笑)。

とにかくね、「この男、しょうもなさすぎである」っていうね(笑)。そういうまあ、その軽やかなユーモア感。その人間のダメさっていうのに対する、生あたたかい視線というのかな。それはやっぱりね、イーストウッド映画ならでは。特にイーストウッドの近作のね、たとえば『運び屋』とかにもあった、「このジジイ……」っていう。すごく楽しいあたりだし。あと終盤、喜びを噛みしめながら、同時にハンバーガーを頬張り、噛みしめるっていう(笑)。「かわいい……かわゆいのう!」っていう、本当にいとおしい姿。素晴らしかったですけどね。

 

■女性新聞記者の脚色は本作のメッセージを損なってしまっている

ただですね、ちょっとどうしてもここは言及しなきゃいけないところだと思います。「生あたたかい」ではちょっと済まされない、たしかになるほど引っ掛かるな、という要素も、あるにはあって。要はですね、先ほどのメールにもありましたけど、FBIがジュエルを疑っているという報道を最初にした、アトランタ・ジャーナル・コンスティテューションという新聞の記者、キャシー・スクラッグスさん。この方、2001年に亡くなってしまっているんですが。映画ではオリビア・ワイルドが演じていますけども。彼女が、FBI捜査官からセックスと引き換えに情報を得る、という描写がこの映画にはあるわけです。

で、「これは事実ではないし、もう死んでしまっているその故人の名誉を傷つけるものだ」という反論をアトランタ・ジャーナル・コンスティテューション側が出している、という。まあ当然、アトランタ・ジャーナル・コンスティテューションはこの映画における最大の悪役のひとつでもあるから、当然、「こんな映画!」っていう感じでね、反論が出るのもまあ分かるんですけども。で、それに対してワーナー側は、「ちゃんと情報源に基づいている」と主張して。あるいはイーストウッドも、パンフレットのインタビューでも、「この件に関して、彼女がどうやったかについて、私たちは私たちなりの推論を示したんだ」なんてことを言ってますけど。

これに関して、僕の個人的な意見はですね、事実がどうだったかとは別に、やはり先ほどメールにもありましたけども、これまでもいろんな映画などで繰り返し描かれてきた、「ネタのためなら自分のセックスも使う女性ジャーナリスト」という、要は現実の女性ジャーナリストの皆さんの活動を阻害しかねない、偏見を助長するステレオタイプなイメージを、2019年、2020年の今、わざわざ強調して描く必要は……少なくとも本作は、テーマと関係ないどころか、問題はそこじゃないじゃないですか。彼女がどうやって情報を得たかが問題なんじゃなくて、その情報を精査して、どの程度、どの段階でどう出すのか?っていうのが問題なのであって。

なおかつ本作のテーマ、「人をステレオタイプなイメージで裁く危険性」っていうところも、少なからず損なってしまっている、という風に僕は思います。だし、その彼女、キャシーさんのキャラクターが、終盤で改心するくだりも、ちょっとだから、いきなり感が強くてですね。なんか要は彼女のキャラクターが、妙に薄っぺらな感じに見える。彼女も含め、彼女やFBIなど悪役側が、やや類型的、記号的というか。僕はですね、本当にこの事態が怖いのは、彼らとて、彼らなりに良かれと思ってやったこと、職業意識の強さでやったこととかがこの事態を招いてしまう、ということこそが、本当に恐ろしいことだと思うので。テーマ的意義をちょっと損なっているんじゃないかなという風に(思います)。そっちの方がよりテーマ的意義が際立つことになったんじゃないかな、という風に思います。

なんか久しぶりにポール・ニューマンの『スクープ 悪意の不在』とかを見てみたくなりましたけどね。ということで、だからちょっとそこはね、もったいないな、と思いました。僕も今回の、それこそね、いろんな方の批判とか問題提起で、「そうだよな。そういう描写って結構問題あるよな」とか。『ハウス・オブ・カード』とかにも出てきましたけど。改めて目を開かされたという。だから有意義な議論だと思います。とはいえ、だからといって、アメリカで一時起こったという作品ボイコットのように、全てを……「全てかゼロか」思考でこの作品を切り捨ててしまうというのは、僕はそれもあまりにも、それもちょっともったいない作品だと思います。

 

■とは言え有意義な問題提起。なによりポール・ウォルター・ハウザー一世一代の主演作!

リチャード・ジュエルさん、すでに亡くなっていますが、結局彼の名誉が、生前十分に回復されきったとは言えない、という事実に対して、やっぱり非常に有意義な問題提起をちゃんとしている作品なのは間違いないし。冤罪、報道被害、日本も他人事ではないどころか、よりひょっとしたら根が深い悪質さがあるわけで。そういう意味でも見られるべき作品ですね。そしてやはり、映画ファンとしてはですね、ポール・ウォルター・ハウザーが、一世一代の主演作ですよ。

彼の主演作なんてそう何度も……ねえ。次、いつあるかなんて分からないんだから。そういう意味でも、なので前述したような問題点があるとか、問題提起がある。議論があるってことを踏まえながら、ぜひ劇場でウォッチしていただきたい。ポール・ウォルター・ハウザーのかわいさにとにかくぜひ萌え狂っていただきたい、と思います。ぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『キャッツ』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンでした!

 

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「映画『ハスラーズ』をより楽しむための音楽ガイド〜ジャネット・ジャクソン編」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/02/07)

「映画『ハスラーズ』をより楽しむための音楽ガイド〜ジャネット・ジャクソン編」

【高橋芳朗】
今日はこんなテーマでお送りします! 「本日公開! 映画『ハスラーズ』をより楽しむための音楽ガイド〜ジャネット・ジャクソン編」。

恒例の映画の劇中で使われている音楽を解説するシリーズです。今回は本日より公開の『ハスラーズ』を取り上げたいと思いますが、この映画の挿入歌に関しては2月3日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』での特集で一通り紹介済みで。僕とスーさんで一緒に出演して映画の見どころを語り尽くしてきました。radikoタイムフリーなりラジオクラウドなりでぜひ聴いてみてください

【ジェーン・スー】
ギャーギャー騒いでまいりました。

【堀井美香】
ああ、そうなんですね。

【高橋芳朗】
なのでここではまた別の切り口から、この劇中で大きくフィーチャーされているジャネット・ジャクソンにフォーカスして映画の魅力に迫ってみたいと思います。『ハスラーズ』はジャネット・ジャクソンの曲で始まってジャネット・ジャクソンの曲で終わる構成になっているんですよ。

では、まずは映画の概要を紹介しましょう。「2008年のリーマンショック後のニューヨークを舞台に、ストリップクラブで働く女性たちがウォール街の裕福なサラリーマンから大金を奪う計画を立てた実話を映画化。監督/脚本は『エンド・オブ・ザ・ワールド』のローリーン・スカファリア。出演は『クレイジー・リッチ!』のコンスタンス・ウー。そして自ら製作総指揮にも名を連ねているJ.Loことジェニファー・ロペスのダブル主演」。ジャンル的には実録犯罪映画になるのかな? 女性の友情や連帯を意味する「シスターフッドムービー」と紹介されることも多いようです。

そんな『ハスラーズ』のオープニングに流れるのが、ジャネット・ジャクソンの1986年のアルバム『Control』のタイトル曲「Control」です。これはジャネットが当時マネージャーだった父親の支配下から逃れて「自分の人生は自分でコントロールするんだ!」と決意表明する彼女の自立のプロセスを歌った曲になります。監督自身が「コントロールこそが作品全体を貫くテーマである」と明言しているように、このジャネットの「Control」は実質的な映画のテーマソングと言っていいんじゃないかと思います。

おもしろいのは、曲の冒頭のジャネットの独白「This is a story about control」(これはコントロールについての物語)をそのまま主演のコンスタンス・ウーの登場シーンにオーバーラップさせているんですよ。つまり、あたかも映画のテーマをジャネット自身に語らせているような演出を施しているわけです。これはなかなか粋なオープニングでしたね。

M1 Control / Janet Jackson

【高橋芳朗】
スーさんがバリバリ踊っております!

【ジェーン・スー】
最高!

【高橋芳朗】
いや本当に最高! ジャネットの曲をこうしてフェミニズム的な文脈で使った映画はおそらくこの『ハスラーズ』が初めてだと思うんですけど、女性の自立を前面に打ち出した『Control』というアルバムは本来フェミニズムや女性のエンパワメントと非常に相性がいいと思うんですよ。実際、2016年にはこのアルバム『Control』がフェミニズム的な観点から注目を集めるちょっとした事件が起きていて。

【ジェーン・スー】
へー!

【高橋芳朗】
その事件というのは、このアルバム『Control』に収録されている大ヒット曲「Nasty」をめぐる騒動になります。2016年10月のアメリカ大統領選の最終テレビ討論会の際、富裕層への増税について発言したヒラリー・クリントンに対して、ドナルド・トランプが彼女に「Such a nasty woman」(なんていやな女だ)と捨て台詞を吐いて女性蔑視的な発言として大問題になったんですよ。日本でもそこそこ大きく報じられたので覚えている方も多いと思います。

【ジェーン・スー】
ああ!

【高橋芳朗】
このトランプの発言は多くの人々にジャネット・ジャクソンの「Nasty」を連想させることになったようで、討論会の映像に「Nasty」をかぶせた映像が作られてSNSでめちゃくちゃ拡散されたんですよ。さらに『Control』のジャケットのジャネットをヒラリーに差し替えた画像も作られて、「#IamNastyWoman」や「#NastyWomanUnite」といったハッシュタグと共にSNSで拡散されてTwitterでトレンド入りする事態にまで発展して。

【ジェーン・スー】
「あなた方の思い通りになる人間ではない」という意思表示だよね。自分の思い通りになる女性に対して「いい女」と肩書きをつけるのはどこの国も一緒だから。

【高橋芳朗】
その結果、音楽配信サービスのSpotifyではジャネットの「Nasty」の再生回数が一気に250%アップしたんですって。

【ジェーン・スー】
アハハハハ!

【高橋芳朗】
トランプの発言を受けてリバイバルヒットしてしまったというね。この「Nasty」はそもそもストリートハラスメント、街で声をかけてくるウザい男をあしらう曲で。だから女性たちによる反トランプのテーマ曲としてうってつけの内容なんですよ。

あと、この曲にも先ほどの「Control」と同じようにジャネットの自立が表現されていて。歌詞のなかには「My last name is control / No, my first name ain’t baby / It’s Janet」(私のラストネームはコントロール。ファーストネームはベイビーなんかじゃない。ジャネットだよ)という一節があるんですよ。これはもはやアティテュードとしてはR&Bシンガーというよりラッパーですね。非常に力強いエンパワメントソングだと思います。

この「Nasty」をめぐる一件、そして今回の『ハスラーズ』での「Control」によって、ジャネットのアルバム『Control』はフェミニズムの新しいシンボルになっていくのではないかと考えています。

M2 Nasty / Janet Jackson

【高橋芳朗】
ジャネットのアルバム『Control』と映画『ハスラーズ』の関係としては、もうひとつ非常に重要なトピックがあって。主演のジェニファー・ロペスがエンターテイメントの道を志すようになったきっかけは、実は彼女が17歳のときに見た『Control』収録の「The Pleasure Principle」のミュージックビデオなんですよ。

BGM The Pleasure Principle / Janet Jackson

これは昔からジェニファー・ロペスのどのインタビューを読んでもピンポイントで「The Pleasure Principle」を挙げているから、彼女にとってものすごく大切な思い入れの強い曲なのだと思います。

ジェニファー・ロペスは「ジャネット・ジャクソンは私のダンスとミュージックビデオの最大のインスピレーション源です」と公言しているほどジャネットをリスペクトしているんですけど、彼女がすごいのはジャネットへの憧れを出発点にしてそれから6年後、24歳のときに当のジャネットとの共演を実現してしまうんですよ。

【ジェーン・スー】
すごいよねー。

【高橋芳朗】
それが1993年のジャネット・ジャクソンの大ヒット曲「That’s The Way Love Goes」になります。この曲のミュージックビデオにはまだ無名に等しかったジェニファー・ロペスがバックダンサーとして出演していて。彼女は冒頭の寸劇にもからんでいてかなり目立っているから、きっと見れば一発で確認できると思います。ジェニファー・ロペスが「もってる」と思うのは、結果的にこの曲はジャネットのキャリアで最大のヒット曲になっているのに加えて、90年代のR&Bを代表するエポックな曲にもなっているんですよね。

M3 That’s The Way Love Goes / Janet Jackson

【堀井美香】
この曲は昔からずっと聴いていましたけど、いま芳朗さんの解説を聴いて初めてどういう歌なのかがわかりました。

【高橋芳朗】
まさかこの名曲のビデオにジェニファー・ロペスが出演していたっていうね。彼女はこの「That’s The Way Love Goes」のビデオ出演を経て、このあとジャネットのワールドツアーへの参加を打診されるんですよ。でもジェニファー・ロペスは「Control」のジャネットよろしく「自分の人生は自分でコントロールするんだ!」と決意したんでしょうね。彼女は自分の将来を見据えて「いま自分が本当にやるべきことをやらないと」という理由からそのオファーを断るんですよ。

ジェニファー・ロペスはそれで女優業に専念して、2年後の1995年に『ミ・ファミリア』で映画デビュー。その後1997年には『セレナ』で初主演を務めて見事ゴールデングローブの主演女優賞にノミネートされることになります。「That’s The Way Love Goes」のビデオからたった4年でここまで上り詰めているんですよ。

このジェニファー・ロペスの足跡を踏まえると、今回自ら製作総指揮を務めて役者としても勝負をかけてきた『ハスラーズ』において、オープニングとエンディングをブックエンドのようにジャネットの曲で挟んだ構成にちょっとグッときてしまって。彼女のジャネットに対する感謝と敬意を感じるんですよね。

【ジェーン・スー】
本当だよね。泣ける!

【高橋芳朗】
そんなわけで、最後は映画と同じようにジャネット・ジャクソンの1989年のナンバーワンヒット「Miss You Much」で締めくくりましょう。これがまためちゃくちゃ粋な選曲なんですよ。この曲はもともとプロデュースを手掛けているジミー・ジャムが長年付き合って別れたかつての恋人から「I miss you much」(あなたがとても恋しい)と書かれた手紙をもらったことに着想を得ているそうなんですけど、この映画では「あなたがとても恋しい」という歌詞を劇中のコンスタンス・ウーとジェニファー・ロペスのシスターフッド、女性同士の友情と連帯に重ね合わせているんです。映画のビターな余韻にかすかな希望を加えるナイス選曲ですね。

【ジェーン・スー】
そうだね、この曲で少し気持ちが明るくなる。

M4 Miss You Much / Janet Jackson

【高橋芳朗】
というわけで本日公開の映画『ハスラーズ』、ここでは劇中で大々的にフィーチャーされているジャネット・ジャクソンにフォーカスしてみました。そして実はこの映画のパンフレット、ジェーン・スーさんが寄稿しております!

【ジェーン・スー】
書いてます!

【高橋芳朗】
これがまためちゃくちゃ素晴らしい解説なのでぜひ皆さんチェックしてみてください。

【ジェーン・スー】
いやー、頭のなかでずっとジャネットが踊ってるわ。最高!

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

2月3日(月)

(11:06) Never Be The Same / Christopher Cross
(11:23) Don’t Ask Me Why / Billy Joel
(11:35) Romeo’s Tune / Steve Forbert
(12:14) Him / Rupert Holmes
(12:51) Goodies / EPO

2月4日(火)

(11:04) Jolie / Latimore
(12:12) We The Two of Us / Betty Wright
(12:22) You’re the Song I’ve Always Wanted to Sing / Timmy Thomas
(12:48) Keep it Up / Milton Wright

2月5日(水)

(11:05) The King Is Half-Undressed / Jellyfish
(11:26) Diane / Material Issue
(11:38) Bubblegum Factory / Redd Kross
(12:12) Do You Have to Break My Heart / The Darling Buds
(12:25) Can’t Get You On My Mind / Adam Schmitt
(12:50) Slip Away / The Primitives

2月6日(木)

(11:04) These Days / Nico
(11:22) The Wailing of the Willow / Nilsson
(11:37) Punky’s Dilemma / Simon & Garfunkel
(12:12) I Wish You Could Be Here / The Cyrkle
(12:22) Pretty Girl Why / Buffalo Springfield
(12:50) Imagination / Chad & Jeremy

2月7日(金)

(11:06) Brick House / Commodores
(11:27) Saturday Nite / Earth Wind & Fire
(11:37) Ffun / Con Funk Shun
(12:10) Let’s Have Some Fun / The Bar-Kays

宇多丸、『CATS』を語る!【映画評書き起こし 2020.2.7放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『キャッツ』(2020年1月24日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『キャッツ』

(「Jellicle Songs For Jellicle Cats」が流れる)

やったー!(笑) 本当にこれ、いいんだよな。1981年、ロンドンで初演されて以来、世界で8000万人以上の観客動員を誇るミュージカルの金字塔『キャッツ』を、最新VFXを使い映画化。満月が輝く夜、ロンドンの路地裏に捨てられた白猫ヴィクトリアは、年に一度、特別な1匹の猫を選ぶための舞踏会に参加する、個性豊かな猫たちに出会う。出演は、英国ロイヤルバレエ団プリンシパルのフランチェスカ・ヘイワード。この彼女が抜擢されました。

その他、ジェニファー・ハドソン、テイラー・スウィフト、ジュディ・デンチ、イアン・マッケラン、イドリス・エルバなど。ちなみにジュディ・デンチさんは、1981年の初演の時に、グリザベラ役とかでキャスティングされていたんだけども、ケガをしちゃって降板した、という、その経緯もあるというキャスティングでございます。監督は、『レ・ミゼラブル』などのトム・フーパー。また、オリジナル舞台の作曲を務めたアンドリュー・ロイド=ウェバーが、製作総指揮とかね、あとは今回のテイラー・スウィフトとの新曲とか、いろんな形でも関わっております。

ということで、この『キャッツ』をもう見たよ、というリスナーキャッツのみなさま、<ジェリクルリスナー>からの監視報告(感想)をニャーニャーとメールでいただいております(笑)。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。前評判を知り、怖いもの見たさで足を運んだ人が多かった様子……先に言っておきますけども、要するに、世界中で大酷評の嵐。阿鼻叫喚の大酷評の嵐で、興行的にも、世界的には……日本はね、興行収入、初週で1位も取りましたし、あれでしたけど。世界的には大不評だ、という前提で、怖いもの見たさで足を運んだ方が多かったと。賛否の比率は「褒め」「ダメ」「普通」とそれぞれ同じ比率。ただし褒めてる人も、「欠点の多い映画だ」とは認めている。

褒めている人の主な意見は、「なんだかすごいものを見た。音楽や歌が素晴らしく、最後には涙した」「セットも豪華で俳優たちのダンスも素晴らしい」「ここ数年で一番の珍作。カルトムービーとして今、劇場で見ておいて損はない」などがございました。一方、主な否定的な意見は、「不気味な猫人間に最後までに慣れなかった」「いくら元のお芝居通りとはいえ、ストーリーがなく、映画として観るに堪えない。映画にする意義が感じられなかった」などなどがございました。

 

■「『飽きる』だの『キモい』だの散々な言われようですが、『キャッツ』は元々そういうものなのです!」(byリスナー)

代表的な感想を紹介しましょう。ラジオネーム「ミュオタ」さん。「初めてメールさせていただきます。私は海外ミュージカルファン歴20年の30代女性です。同じくファン歴10年、11歳の息子とファンではない娘・9歳と一緒に字幕版を見てきました。結論から申し上げます。今回の映画版、最高です! まず作者のアンドリュー・ロイド=ウェバーに対する敬意がしっかり払われた出来だったと感じています。「Overture」をはじめ、各曲の音作りが忠実で別物になっていません」。この方、この間のジョン・ファヴロー版の『ライオン・キング』は、音が原曲からいろいろ変えられちゃって台無しだった、という風におっしゃられている。

「……98年のDVD版を意識した出来となっており、歌曲の様々な点での影響を見ることができました。巷では歌曲だけのストーリー展開に『飽きる』だの『猫の見た目がキモい』だの散々な言われようですが、仕方ないではありませんか。『キャッツ』は元々そういうものなのです!」という。で、いろいろ書いていただいてですね。「……舞台版に対するオマージュあふれた今回は、欠点を補ってあまりある出来でした。たとえばゴキブリのシーンはあえてケーキを取り入れたことにより、舞台版の円形劇場を再現。これには膝を打ちました」。なるほど、なるほど。

「何よりもラストシーンの”あれ”。あれが上空に上っていくシーンは、まさにあの映画化もされた、某伝説的ミュージカルのまさにアレに対するオマージュ!」。これは僕は気づかなかったあたりですね。あの、あれが上空に上っていくシーンに対する僕の意見というのは、また別にあるんですが。はい。「きっと監督はこれがやりたくて映画化したのではないでしょうか。このシーンだけでも5億点です」というご意見でございました。

一方、否定的な意見もございます。ラジオネーム「山田」さん。「昨年、初めて劇団四季版『キャッツ』を観劇し、今年二度目の観劇をするほどには『キャッツ』が好きです。以下は全て劇団四季版との比較になります。『キャッツ』という舞台はストーリー性は低く、結末は非常に宗教的で、『それは幸せなのか?』と疑問に残ります。有名なわりにはいびつなカルト的魅力のある作品です。特別な存在“ジェリクルキャッツ”に選ばれるために、様々な猫が歌い踊るアピール合戦の中、犬と猫の喧嘩(なんで?)が挟まり、崇拝されている長老ネコが犯罪王に誘拐されて、マジックしてる間に見つかり、第四の壁をぶっ壊して『いかがでしたか?』と猫たちが観客に話しかけ、『猫は犬にあらず』と、知っとるがな! みたいなことを朗々と歌い上げる」という(笑)。「前半で一定数の観客が振り落とされます。寝ている人がわりといます」。

わかる。オレも最初、すごい面食らいました。「話、ないやん!」ってね(笑)。「……それでも『キャッツ』に魅了されるのはなぜか? 中毒性のあるアンドリュー・ロイド=ウェバー作の楽曲。そして身体性を存分に活かした素晴らしいダンスにあると思います。映画版はことごとくダンスをきちんと見ててくれません。何度も何度もカットを割りまくり、『やっと猫の全身が見れる!』と思うと、またカットが割られる。

演者の嘘のない素晴らしい身体性をもCGで台無しにします。空間と距離の把握を観客ができていないのにカット割りが繰り返されるので、連続性がなく、多くのシーンが唐突に感じます。映画にするにはストーリーの強度が弱いことは素人目にも明らかなのに、舞台版に毛が生えた程度のストーリーの補填で効果がわからない変更点も多く、『トム・フーパー監督はもともと過大評価だと思ってたんだよな』とスクリーンと腕時計を見比べながら遠い目をしていました。

酷評するというよりは心配になる作品でした。真面目に真剣に作ったけど間違っちゃってる作品が持つ愛敬みたいなものがある作品でした」。そう。全力で作ってるのは間違いないよね。はい。ということで山田さん、どうもありがとうございました。

 

■あらかじめ劇団四季の舞台やオリジナル版のDVDも観劇。そのときの印象は……

ということで私も、TOHOシネマズ六本木で字幕版、こっちはちょっと入りが寂しい感じでしたけど、それに対してバルト9で日本語吹替版と、2回見てまいりました。そしてこの吹替版には、すごくお客が入ってました。たぶんこの、山崎育三郎さんとかね、大貫勇輔さんといった、ミュージカル畑からのキャストのファンの方々だったんじゃないかな? 男性は僕だけ、ぐらいの勢いで、皆さんね、エンドロールでも誰も席を立たない。ゴソゴソもしないぐらい、本当にお行儀がいい皆さん、っていう感じでね。普段の映画館とはまた違う客層でしたね。はい。

で、先にそこに関してだけ言っておくとですね、この日本語吹替版が、かなりよくできてる!っていう風に私は思いました。まあ恥ずかしながら僕自身は、この前まで完全なる『キャッツ』弱者でございました。今回のね、この映画版が2020年に公開されるというのを、去年、予告などで知って。もしこのコーナーでガチャが当たった時に、肝心の舞台版を1回も見たことがないっていうのもあれだし、そこからいきなりチケットを取って見に行こうとしても、その週のうちにっていうのはたぶん難しいだろう、ということで、念のため、あらかじめ早くからチケットを予約して、この元日にようやく見てきたわけですね。大井町のキャッツシアターに見に行った。

ちなみに僕の奥さんはですね、子供の頃から何度も見て、歌も歌えるくらいの『キャッツ』ファンなので、いろいろと解説なんかもしてもらいながら見たという。で、その結果、今さら僕が言うのも何ですが、まあミュージカルとしての『キャッツ』、大ファンになりました! もう言わずもがななんですけど、本当にとにかくやっぱり、アンドリュー・ロイド=ウェバーの楽曲、どれも素晴らしい。言わずと知れたミュージカル界の巨匠中の巨匠。さすがですね。本当に耳に残るし、楽しい!という感じでございます。

ただですね、その四季版を見て、ちょっといろいろと思うところはあったんですね。まずひとつ気になったのは、日本語詞の歌の乗せ方で。やはり、いろいろとブラッシュアップはしているんでしょうが、その四季版の初演、1983年からも随分と時間が経っていることもあって、今だったらもうちょっと……たとえば、もうちょっと日本語詞でも韻を踏むとか、もうちょっと今風のミュージカルとしてやりようがあるんじゃないか、という風には思ったんです。職業柄もありまして、どうしても思ってしまった。

あとですね、サウンドアレンジも、四季版は正直ちょっと、一昔というかニ昔、三昔前ぐらいの感じがあるな、っていう感じがして。ちょっとそこは引っかかったあたりだったんですね。「ああ、やっぱりなんか古い感じがするな」っていう。で、今回はまずですね、その英語版を見て。それからソフトとして出ている、先ほどメールにもあった98年の、オリジナル舞台の映像化版というのを見て。

それでやはりそちらも、原作がT・S・エリオットが子供たちのために書いたという詩が元だから、当然、要するに元の英語の歌を聞いたら、ライミングを含めた言葉遊びがキモな歌だった、ということも再確認しつつ……今回の映画版、アンドリュー・ロイド=ウェバー御大ご本人はもちろんのこと、グレッグ・ウェルズさんという音楽プロデューサー、音楽アーティストとか、あとは曲によっては……「The Rum Tum Tugger」とか「Macavity」には、ナイル・ロジャースが参加していたりして。まず、サウンドのアレンジは、やっぱり格段にアップデートされてるんですよね。やっぱりすごくちゃんと今っぽい部分も増えているし。

 

■サウンド面が格段に進化。そして日本語吹き替え版がいい!

ということで、アップデートされている。僕なんかはむしろ、今回の映画版で改めて『キャッツ』の楽曲群の真価に、この映画版で気づかされたぐらい。「ああ、やっぱりちゃんとアレンジとかを今風にブラッシュアップしたら、すげえいいんじゃん!」みたいに、気づかされました。歌詞とかもね、元のも「ああ、このライミングの感じが楽しいんだ!」みたいな。

で、さらにさっき言った日本語吹替版。最初の方こそちょっとね、リップシンクのズレとかがやっぱり気になるは気になるな、みたいなのが一瞬あったんだけど、歌詞はしっかりですね……あと、そのリップシンクもだんだん、見てるうちに、「ああ、でもちゃんと気も使ってるな」っていうのも分かってくるし。歌詞はしっかり、さっきから僕が言ってるような部分、たとえばライミング、韻を踏む部分なんかもばっちり押さえた上で、日本語詞としての聞き取りやすさ、飲み込みやすさにも、配慮が行き届いていて。はっきり僕は、劇団四季版よりもブラッシュアップ、アップデートされている日本語吹替版になっていると思います。これ、すごいいい仕事してるな、という風に思いました。

また、日本版キャストの歌唱も、本当に申し分なくて。たとえば、一番わかりやすいところで言えばやはり、最も肝心要の「Memory」ですね。これはもうスタンダードとして、『キャッツ』と関係なく残ってますけども。「Memory」。これもですね、シンガーの高橋あず美さんという方が……この方は元々、(今回グリザベラを演じている)ジェニファー・ハドソンに憧れて、なんかアポロシアターで年間チャンピオンだか、すごいことを成し遂げた人なんですけど。とにかくジェニファー・ハドソン版グリザベラの押しの強さとか、それに引けを取らない歌唱力はもちろん、その緩急の呼吸まで見事に重ね合わせて、文句なしの日本語版「Memory」を成り立たせている、というあたりだと思います。本当に見事だと思いました。

そんなハイレベルな日本語吹替版。プロデュースしたのはなるほど、やっぱりあの『SING/シング』ですよ。僕は2017年3月25日に評しました。これ、公式書き起こしもありますので。ここでも言及しましたが。『SING/シング』と同じく、あれでも他に類を見ないレベルで、本当に素晴らしい日本語版を手がけていらっしゃいました、蔦谷好位置さん。日本を代表する名ポッププロデューサーですよ。蔦谷好位置さんプロデュース。さすが!っていう感じですね。あと、日本語歌詞監修としてクレジットされている、田中秀典さんという方。この方も蔦谷さん同様、agehasprings所属なので。まあ恐らく、この方の果たした役割も大きかったのかもしれません。

ということで、ちょっと長くなってしまいましたが、こと音楽面に限って言えば、今回の映画版『キャッツ』、きっちりこの時代にやるべきことはやっている作品なんですね。で、あまつさえそのアンドリュー・ロイド=ウェバー本人と、テイラー・スウィフトによる、これはこれで「いきなりクラシック!」感、やっぱりさすがとしか言いようがない「Beautiful Ghosts」という素晴らしい新曲まで、加わっているわけだし。さらに言えば、さっきから言ってるように、日本語吹替版も大変良い仕事をしている、ということで。これ、本当に日本語吹替版、おすすめです。

 

■元も子もないことを言えば、そもそも『キャッツ』はあんまり映画化には向いていない

にも関わらずですね……同時に、やっぱりこの映画版『キャッツ』ね、全世界的な酷評の嵐、それがここまでの言われようが妥当かどうかはちょっと置いておいても、なるほどたしかに、万人にすんなり受け入れやすいとは全く言い難い、映画として大変奇妙な作品になっているというのもまた、明らかなあたりでございまして。僕は個人的には、この奇妙な、もうビザールと言っていいような味わい……あとずっと、これは予告を見てる時から「あっ、オレ、このテイストは嫌いじゃないな」と思ったのは、悪夢を見てるようないびつさ。決して嫌いではないんですが……元々ですね、さっきから言ってるように、原作は、T・S・エリオットが子供たちのために書いたという詩の連作。これ、ちくま文庫から出ております。で、81年初演のそのミュージカル版も、直線的なストーリー展開というのは、ないわけですね。僕もちょっと、その四季版を見てすごく面食らいました。「ストーリー、ないな」っていう。

で、じゃあなにかっていうと、いずれ劣らぬ個性的な猫たちの、自己紹介的な歌と踊りが次々と連鎖していくという……まあいわゆる「レビュー」形式ですね。レビュー形式に近い舞台なわけです。脈絡があんまりない、という。作品としてのトーンみたいなのは全然違うけど、『くまのプーさん』がやっぱり直線的なストーリーがなくて、っていう構図と、ちょっと近いものがあるという風に思います。『くまのプーさん』も、あまりのストーリーのどこに行ってるかわからなさに、だんだんと気が狂いそうになってくる、っていうね(笑)。あの感じとも近いものがあるという。あと、言葉遊びがメインだったりも。

で、なおかつそのT・S・エリオットの元の詩というのはですね、猫の生態を擬人化して表現したものだったっていうのを、舞台では、猫に見立てた、80年代的コスチュームですね……あのスパンデックス、要するにレオタードですね。80年代的コスチュームを着て、その猫に見立てた人間たちが演じる、という。つまり、こういうことですね。「人に見立てた猫」を、「猫に見立てた人」が演じる、っていう。で、他にもたとえば、列車に見立ててガラクタとか、犬に見立てた猫とか、そういうさまざまな「見立て」の趣向を楽しむような、まさに舞台芸術ならではの構造が強く前提にあるという、そんな作品なわけですね。非常に、「見立て」が面白い作品なわけです。で、それってもう、舞台ならではの面白さなわけじゃないですか。『キャッツ』はね。

つまり、「直線的なストーリーを持たないレビュー形式」、なおかつ「舞台ならではの“見立て”’ありきの作品」……要はこれですね、元も子もないことを言うようですが、そもそもあんまり映画化には向いていない題材、という(笑)。これはもう分かり切った感じなんですね。で、たとえばその直線的なストーリーがない点をカバーするために、今回の映画版では、舞台版では持ち歌もない、わりと小さな役だった白猫のヴィクトリアというキャラクターにですね、四季版でのシラバブっていうキャラクターがいますけども、シラバブ的な、要するにグリザベラにちょっと寄り添うような役割を加えて、一応の主人公にして。捨て猫として外部から来たその彼女の視点で、一貫した物語性を担保する、という手を取ってるわけなんです。

これ、考え方としてはまあ、理解できますよね。まあまあまあまあ……って思うんですけど。ただ、それが実際の作品上では、あまりうまく機能していない。一貫した直線的なストーリーの推進力に、このヴィクトリアというキャラクターは、やはりあまりなっていない。これがまず、多くの方が本作を見て、少なくとも長編劇映画として退屈、もしくは散漫に感じる、ひとつの大きな要因だと思います。このキャラクターのために抜擢された、その英国ロイヤルバレエ団の現役プリンシパル……すごい人なんです、もうすでに。フランチェスカ・ヘイワードさん。

まあたしかに、当然のことながら、身のこなしから何から、美しい!の一語ですし。表情も愛らしい。ただですね、彼女が実際にやらされていることと言えばですね、次々と登場する、そのアクの強い猫キャラとかシチュエーションを前にですね、毎回……こういうことです。「何やら目を輝かせて、身をくねらせてる」っていう(笑)。とにかくこのですね、その歌や踊りのシーケンスになるたびにですね、彼女を筆頭に、「何やら目を輝かせて、身をくねらせる」っていうショットが、しつこく示されるわけですね。こうやって……クドいんですよ。で、この多くの批判的な評が言っている、「まるで全編、発情しているみたいだ」みたいに評されるんですけど、これはたぶんまさにこの、「何やら目を輝かせて、身をくねらせる」っていう、単調なリアクション演出の頻出が、おそらく原因だと思うんですよ。

で、特にこのヴィクトリアに関しては……この『キャッツ』という作品の特性上しょうがないんだけど、素のセリフみたいなのが、ほぼ無いんですね。『キャッツ』はね。ほとんど全てがその、さっきが言ったような各キャラクターの自己紹介ソングなので。要は持ち歌が元々ないヴィクトリアは、それぞれの歌に部分的に乗っかるか、後はその新曲の「Beautiful Ghosts」、中盤になってようやく出てきますけど、そこでようやくっていうか、なんなら唐突に心情めいたものを漏らすしかなくて。結局のところ、主人公として継続的に観客の感情を引っ張っていくような存在には、どうしたってなりようないんですよ。そもそも無理があるんですね。

ということで、映画的な物語の再構築には、やはりこれはもうはっきりと、失敗している、と言わざるを得ないという風に思います。ヴィクトリアを主人公にしても。で、そういうレベルでなくても、たとえば後半ね、ミスター・ミストフェリーズっていうあのマジシャン猫がですね、何度もそのマジックに失敗するくだりの、クドさと、テンポの悪さとか。あちこちで、理解に苦しむ鈍重な展開が見られて、本当に眠気をさらに加速させている、という(笑)。

 

■猫たちの「気まずい」造形やバッドテイストな具体描写で前半から脱落者が多かったのでは

そしてさらに、映画化に際してもうひとつの大きな懸念としての、さっき言った「見立て」問題なんですけど。たしかにこれね、オールアニメCGの猫キャラかなんかでやっても、その見立ての面白さがゼロになってしまうから、これは『キャッツ』らしさは全然なくなっちゃって面白くない、っていうことになるけど。まあ世界中でやはり、「気持ち悪い」「怖い」と阿鼻叫喚、超絶不評の大合唱の、今回のその猫見立て処理……まあ人間の肉体のプロポーションは、ほとんど裸体そのままのような生々しさも残しつつ、CGで全身に毛、耳や尻尾もくねくねと動いて、これがまた気持ち悪く動物的。それでいて、乳や性器など直接的に性的な要素は、ツルーンとしていて、なきことにされているという。

その結果、人でも獣でもない、しかし妙に生々しくて、なんならやっぱりエロくもある、という生き物が現出することになったという。特にその「やっぱりちょっとエロくもある」っていうあたりが、多くの観客を、はっきり「気まずくさせている」っていう(笑)。これは間違いない。「なんか気まずいな」っていう。しかもですね、このトップバッターが、レベル・ウィルソンがこれ、舞台版よりかなり若くエグく下品なノリで演じている、ジェニエニドッツ。まあガンビーキャットですね。あれのシークエンス。

モロにバスビー・バークレー風ショット。上から見た円形のショットっていうのは、いわゆるバスビー・バークレー風ショットですけども、それが連発されて、「わかりやすくミュージカル的」っていうところではあるんだけど。ここはやっぱりその、子供のネズミたちとかゴキブリ軍団ダンス……しかもね、ゴキブリをわざわざ食べたりとか、非常にそれも悪趣味出し。レベル・ウィルソン自身も、大股びらきとか尻尾を股間に通してゴシゴシしたりとか、そういうまあセクシャルなアクションをわざとやっていたり。要は、特にここはこの『キャッツ』の中でも悪趣味色、バッドテイスト色が、あえて強いシークエンスなんですね。

なので、ここが頭の方に来ることで、いきなり、さらに食らってしまう方が多かった、これでもう脱落!っていう方が多かったんじゃないか、と思います。あとはまあ、ここもそうなんですけども、たとえばジェームズ・コーデン演じるバストファージョーンズ氏のくだり。バストファージョーンズがゴミ箱の中を漁って、中の食べ物をむさぼるところとか、要は舞台では抽象的表現で描かれていたものが、わりとエグめの具体描写で示されることで、ゲッ!ってなるところも多かったです。

具体描写で言いますと、先ほどのメールでね、非常に、とある有名な……たしかにわかります、あるミュージカルへのオマージュだっていうことで評価されてたメールでしたけど、ラスト、「天上に行く」描写も、今回の映画版の描写だとですね、単に島流しとか、姥捨てっていう風にしか見えないよ!っていう風に思ったりとかして(笑)。あと、個人的には、ジェニファー・ハドソンのグリザベラ。もちろん歌唱力は圧倒的ですよね。それはもちろんね。で、その圧倒的な歌唱力、それをアップでグーッと見せる。

作りとしては同じトム・フーパーの、『レ・ミゼラブル』のアン・ハサウェイの絶唱。あれは感動的でしたけど、あのくだりと同じなんですけど。やっぱりジェニファー・ハドソンはですね、少なくと老いた老娼婦猫って……老いては見えないし、そこまでボロボロの、人生メタメタの人にも見えなくて。なんならまだ生命力があふれまくってるように見えてですね、正直その「Memory」のエモーションっていうのが、やっぱり、やたらと押しの強さばかりが際立っているような感じでもあるな、という風に思いました。歌は素晴らしいんですけどね。

今回のその半猫半人『キャッツ』、一番ハマっていたのは、僕は明らかに、ボンバルリーナ役のテイラー・スウィフトだと思いますね。元々いわゆる猫顔なのもあって、自然に似合っているし、彼女の歌うその「Macavity」のシークエンスは、本当にセクシーでかっこいいし、サウンドも、ナイル・ロジャースが参加してめちゃめちゃかっこよかったですし。このマキャヴィティー自身を演じているそのイドリス・エルバ。今回のマキャヴィティーは、はっきりね、今までのマキャヴィティーのそのキャラクター作りと比べて、はっきりドラッグディーラーのメタファーになってて。それはちょっとどうなんだ?っていう気もしなくもないけど、まあかっこよかったし……みたいなのもありますね。

あとね、スキンブルシャンクスのところの、あのタップダンスで鉄道猫を表現するという、あのへんも楽しいし。あとは全体の、その縮尺感覚の狂った世界を表現する、悪夢的、ノワール的美術も含めて、見どころはちゃんとあると思います。

 

■音楽劇として気持ち良く見せてくれないのが最大の問題展。ただし、見るべきところもある

ただですね、全体にこれ、トム・フーパーさんの、完全に癖ですね。落ち着きのない手持ちカメラと、意外とせわしない編集によって、これは否定的なメールもあった通り、単純にミュージカル、音楽劇、もしくはダンス劇として、気持ち良く見せてくれないところが多いわけです。実はこここそが最大の問題点なんじゃないですかね? あんまり気持ち良くないんですよね。

前述の、その要所の絶望的なテンポの悪さとも重なる話なんですけど。トム・フーパーさん。『英国王のスピーチ』、僕は2011年3月19日に評しました。これはともかく、日本では大ヒットした『レ・ミゼラブル』。個人的にはあれも、少なくともミュージカルとしては、相当変なバランスの作品だった、と思っています。手持ちのグラグラした、いわゆる「リアルな」カメラ。そしてその「リアルな」世界観の中で、いきなり朗々と歌い出す!っていう。僕はだからあの時点で、今回の『キャッツ』同様に、「いや、変だろう? 気持ち悪いだろう、これ?」って普通に思ってましたし。

あと、たとえばラッセル・クロウの、「うわー、自殺しなさそう……」感とか(笑)。あとはさっき言ったアン・ハサウェイの絶唱シーン。あれはまあ、すごくうまくいってたと思うけど、それの撮り方とか、実は今回の『キャッツ』といろいろ通じるバランスも多々ある。要は、「ミュージカルとして、いろいろ距離感がおかしくない?」みたいな感じは、前から、『レ・ミゼラブル』の時点から、トム・フーパーはあったよね、という風に僕は思ったりします。はい。

といったあたりなんですが、ただですね、さっきから言ってるように、まず『キャッツ』のミュージカルとしての魅力っていうのを僕自身は改めて発見するぐらい、今回の、少なくとも楽曲面、音楽的なサウンドアレンジとかも、原曲の良さをたしかに殺さずに、でもちゃんと今風、今のレベルにブラッシュアップしてる……という意味では確実に、今やるべきこと、その価値があったと思うし。あと、特に日本語吹替版ですね。これは本当に、日本語バージョンとして、四季版をさらにブラッシュアップ、アップデートしていて。これは素晴らしかった。これ、実におすすめしたいですし。

あとは皆さんがおっしゃるように、やっぱり珍品として、これはこれで捨てがたい味わいがある。後になってみれば、「みんな、あんなに怒ることなかったのに」っていう感じにも落ち着く気もします。というあたりでございます。といったあたりで、少なくとも私がね、とにかく何かっていうと『キャッツ』風のくだりを持ち出してウザがられるぐらいに(笑)『キャッツ』にハマる、といういいきっかけになりましたし。ぜひぜひ皆さん、悪評に惑わされすぎずに、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ジョジョ・ラビット』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

【オマケ。ガチャパートにて】

ということで以上9作品、レッツガチャタイム!

……(出たカプセルを見て)フフフ、『バッドボーイズ フォー・ライフ』か(笑)。まあ、どうかな? どうか……でもウィル・スミス、この前(『ジェミニマン』)やったからな……久しぶりに1万、行っちゃおうかな? 1万出すキャッツ♪ もう1回、回すキャッツ♪ だいたい後悔するキャッツ……あ、『ジョジョ・ラビット』、来た。これでいいんじゃない? 『ジョジョ・ラビット』、行ってみよう! ラビット、キャッツ♪ 金返せ、キャッツ♪ ウィル・スミスのせいキャッツ♪ 違うキャッツ♪(笑)

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「バレンタインデー当日特別企画:アイドル/ガールポップ限定モータウンビートNONSTOP MIX!」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/02/14)

「バレンタインデー当日特別企画:アイドル/ガールポップ限定モータウンビートNONSTOP MIX!」

本日はバレンタインデー当日! せっかくの機会なので恋の高揚感が疑似体験できるようなモータウンビート、シュープリームスの1966年のヒット曲「You Can’t Hurry Love」(邦題「恋はあせらず」)のビートを使った曲を日本のアイドル/ガールポップしばりのノンストップミックスでお届けしました。

The Supremes – You Can’t Hurry Love

お送りしたのは計10曲、すべてここ10年ほどのリリースから選曲しています。

01. Tommy february6 – Be My Valentine (2013)

BE MY VALENTINE

02. SOLEIL – 魔法を信じる?(2018)

03. Negicco – SNSをぶっとばせ(2016)

SNSをぶっとばせ

04. バニラビーンズ – チョコミントフレーバータイム(2012)

05. スマイレージ – シューティングスター(2010)

シューティング スター

06. RYUTist – 恋してマーマレード(2017)

恋してマーマレード

07. さくら学院 – Song for smiling (2012)

Song for smiling

08. フェアリーズ – Sweet Jewel (2011)

09. NMB48 – ジッパー(2013)

ジッパー

10. 乃木坂46 – 13日の金曜日(2013)

前回2017年2月10日放送の特集もご参考に!
「バレンタイン直前!恋のリズム=モータウンのリズムを浴びまくろう!」

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

2月10日(月)

(11:07) And Love Goes On / Earth Wind & Fire
(11:25) Get On The Floor / Michael Jackson
(11:36) Tonight I’m Alright / Narada Michael Walden
(12:11) Clouds / Chaka Khan
(12:25) Say You Will / The Isley Brothers
(12:51) I Need Your Lovin’ / Teena Marie

2月12日(水)

(11:04) One Fine Day / The Chiffons
(11:24) The Kind of Boy You Can’t Forget / The Raindrops
(11:36) Whirlwind / The Rev-Lons
(12:13) When The Boy’s Happy (The Girl’s Happy Too) / The Four Pennies
(12:26) The Greatest / The Percells

2月13日(木)

(11:08) Killer Diller / Jackie Mittoo
(11:26) Peace and Love / Justin Hinds & The Dominoes
(11:36) He Will Provide / The Maytals
(12:13) Go Jimmy Go / The Wailers

2月14日(金)

(11:06) You Can’t Hurry Love / The Supremes
(11:25) I’m Ready for Love / Martha & The Vandellas
(11:36) All I Need / The Temptations
(12:09) C’mon Marianne / The Four Seasons


宇多丸、『ジョジョ・ラビット』を語る!【映画評書き起こし 2020.2.14放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ジョジョ・ラビット』2020117日公開)。

オンエア音声はこちら↓

 

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞して評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『ジョジョ・ラビット』

はい。日本の公開作で言うと『マイティ・ソー バトルロイヤル』などで知られる、タイカ・ワイティティが監督を務め、第92回アカデミー賞で作品賞ほか6部門でノミネート、そして脚色賞を受賞した人間ドラマ。第二次世界大戦下のドイツ、立派な兵士になる日を夢見る10歳の少年ジョジョは、ある日、母親がこっそり匿っていたユダヤ人の少女を見つけてしまう……

出演は、ジョジョ役のローマン・グリフィン・デイビスの他、母親ロージー役のスカーレット・ヨハンソン、教官役のサム・ロックウェル、レベル・ウィルソンなど。監督のタイカ・ワイティティが、ジョジョの空想の友達であるアドルフ・ヒトラーを演じている、ということになっております。ということでね、アカデミー賞でも評価が非常に高かったというこの『ジョジョ・ラビット』を、もう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。はい。ありがとうございます。

賛否の比率は「褒め」が9割、否定的意見が1割。「今年ベスト」「人生ベスト」「大好きな映画」と熱烈な声が目立ったということでございます。褒めている人の主な意見は、「愛くるしいジョジョ少年の成長を描きつつ、戦争の残酷さにもちゃんと向き合っている」「コメディとしてセンスが良く、キュートさもあるが重さもあってズシンと残る」「スカーレット・ヨハンソンもよいが、またしてもサム・ロックウェルがよかった」などなどがございました。また『この世界の片隅に』と共通点を挙げる人も多かったというね。まあ僕もちょっと連想する瞬間がありましたけどね。

一方、主な否定的な意見は、「ドイツが舞台なのに、なぜ登場人物たちが英語をしゃべっているのか?」。いや、これはあの、アメリカの……ハリウッド映画全般がね、歴史的にそういうことを──まあ、それが良いか悪いかは別にして──それは『ジョジョ・ラビット』だけの問題ではないというね。『イングロリアス・バスターズ』はそこをちゃんとやってる、という話をね、映画評の時にもやりましたけどね。「ジョジョくんがあまり成長していない」「少年の成長や家族の愛を描くのに、あるいは反戦や反ヘイトのメッセージを描くのに、なぜわざわざナチやホロコーストを持ち出すのか?」などがございました。

「こんな作品がこの世に存在してくれているというだけで強く生きていけるような映画」(byリスナー)

代表的なところをご紹介しましょう。「きたあかり」さん。「今作は第二次大戦の、それも主犯国というか、ドイツが舞台で、さらにイマジナリーフレンドとしてのヒトラーを動かしておきながら、映画全体としてはかなりポップで明るい物語です。おそらくこの描き方に違和感を覚える人もいるでしょう。でも私はこの映画は悲惨な過去が現実から逃げてはいないと思います。むしろ、立ち向かっていると思います。

この映画の主人公はまだ子供のジョジョです。陽気で楽しげでおもちゃ箱のようなこの映画に一貫してる空気は、彼が見ている世界そのものです。だからきっと大人たちが感じていた本当の意味での戦争のシリアスはあまり見えず、現象として描かれるのはジョジョの周りで実際に起きてしまった出来事だけでした。しかし、ジョジョのようなナチに対して無邪気に好意を抱いていた子供たちは実際に存在したわけで、それは親切にもオープニングで流れるビートルズのメロディーに乗せて示してくれます。ちっともおとぎ話ではないのです。

このような戦争映画で凄惨な演出をしようと思えばいくらでもできたと思います。ですが、ジョジョの周りにいたキャラクターたちは皆、とても優しくて強い人ばかりでした。そんなつらい最中、『きれいごとを』と考えるのは当然であり、簡単なことですが、でもそんなことは百も承知でしょう。それでも美しく生きていくことの素晴らしさを信じて、祈りのような気持ちをジョジョに、ひいては映画に託したのではないかと私は思います。

母がダンスをしたように、ジョジョはぎこちなくステップを踏みました。それが全てなんじゃないでしょうか。こんな作品がこの世に存在してくれているというだけで強く生きていけるような、そんな作品が人それぞれあるとは思いますが、『ジョジョ・ラビット』もそんな映画のひとつになりました。本当に大好きな1本です」ということでございます。

一方、ダメだったという方。これね、和歌山の書店、「本屋プラグ」の嶋田さん。本屋プラグさんね、僕が和歌山にツアーに行った時に寄らせていただいて、この番組でもお話をしました、素晴らしい書店さんでございます。本屋プラグの嶋田さん。嶋田さんはちょっとね、作品としての質の高さとか俳優陣の良さみたいなことはもうわかった上で、それもいろいろと列記していただいた上で、それでもですね……

『俺がこの映画の悪口を言わなければ誰が言う!』という使命感を持ってメールさせていただきます。『ジョジョ・ラビット』、結論から言えば全くダメでした」と。それでまあ、いろいろと書いていただいているんです。(映画としては)すごく質も高いんだけど……「『ライフ・イズ・ビューティフル』が人生ワースト級に、もはやトラウマレベルで苦手なので予告から嫌な予感をしていました」という。ちなみに僕も、『ライフ・イズ・ビューティフル』は、ちょっといただけない派です。それで、まあとにかくいろいろ書いていただいているですけども……

そういうことじゃない、と。「ホロコーストは『昔昔、あるところで』でも『ここではないどこか』の話ではないのです。ほんの半世紀前のヨーロッパで起きた出来事であって、寓話といえども多くのユダヤ人の少女エルサのような人々が実際に命を失ったリアルと対峙するのに、その命を左右する力を持った主人公の少年のリアリティーのなさはあまりに軽薄で、さらにそれが無邪気なナチ信奉者となれば、その素直さというかバカさ加減。『こんなバカが1人の人間の命を左右する力を持ってしまうのか』と呆れを通り越して醜悪とまで感じてしまいました」という。

それでですね、まあとにかくそれが美談に落としこまれるのもどうかと思う、というようなことをお書きいただいて。「こうした映画が2020年の今、公開されてまた評価されているのは、もちろんナチの悲劇を忘れないというメッセージではなく、今現在も行われている様々なヘイト、差別に対抗するというメッセージとして受け入れられているのだと思います。が、しかし、そうした現在進行形のヘイトや差別に対抗するなら、現在進行形のヘイトや差別を描けばいい。わざわざナチを引っ張り出してこなくてもよいのではないか? 結局ナチとホロコーストを描く必然性が見い出せない作品でした。映画としての完成度が高いだけに残念です」というね。これもまあちょっと理はあるかな、というご意見だと思います。

 

■タイカ・ワイティティさんという、この才人の名前を覚えて帰ってね

はい。ということで皆さん、メールありがとうございます。私も『ジョジョ・ラビット』、TOHOシネマズ六本木とTOHOシネマズ日本橋で2回、見てまいりました。特に六本木で見た時はですね、アカデミー賞発表直前だったのもあるんでしょうかね、もうほぼ満席で。すごい人が入っていましたね。ということでですね、その先日発表された第92回アカデミー賞で、脚色賞を獲得した一作という。つまり、原作があるわけです。クリスティン・ルーネンズさんという方の『Caging Skies』という小説で、これ日本語訳が出てないので、今回僕はですね、Kindleの英語版をダウンロードして、頑張って読んだ……気になった、っていうね、状態でございます(笑)。もう「読んだ気」です。あくまでもね。

で、とにかくナチスに心酔している、ヒトラーユーゲントに入団とかをしている少年の目線を通して、第二次大戦ドイツを描き出していく、というこの小説に、今回の映画は、大胆な独自のアレンジを加えている。たとえばその、少年のある種、父親代わりでもある想像上の友達、イマジナリーフレンドとして、なんとアドルフ・ヒトラーその人が登場する。これは小説にはないディテールなんですね。小説では、お父さんが一応ちゃんと出てくるんですよね。で、映画版ではお父さんが不在の代わりに、そのお父さん代わりの位置に、そういうイマジナリーフレンドとしてのヒトラーが出てくる。これは映画独自のアレンジです。

あとは全体的に、ファンタジックですらあるようなコメディタッチで描く、とか。そういう、まあ下手したらかなり非難を集めてもおかしくない……もちろんそこをもって、先ほどのメールのような意見があってもおかしくない、まさに大胆きわまりないアレンジを施して。その結果、見事な成果と評価を残してみせたのが、本作の製作・脚本・監督、そして前述の少年のイマジナリーフレンドとしてのヒトラー役というのを、チャップリンばりに……というより、わりとはっきりと、メル・ブルックス寄りですね。メル・ブルックスっぽいバランスで演じている、タイカ・ワイティティさん。

まあニュージーランドの方で。お父さんがニュージーランドの先住民マオリ族で、お母さんがロシア系ユダヤ人。つまり、「マオリ系ユダヤ」という出自を持つ方です。今回はまず、このタイカ・ワイティティさんという才人の名前を覚えて帰ってね、というのがまあ、ひとつの一番の大きなポイントじゃないでしょうか。今後、間違いなくね、様々なシーンで名前がさらに出てくる方だと思いますが。

日本ではですね、しかし一般劇場公開されてる作品が、実は少なくて。辛うじて、2014年、これは共同監督ですが、『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』というモキュメンタリー作品と、あとは『マイティ・ソー バトルロイヤル』。まあ(原題は)『マイティ・ソー ラグナロク』ですね。それくらいしか日本では劇場で一般公開されてないんですが、実は、特に長編二作目の『ボーイ』という2010年の作品、あとは四作目になるのかな、『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』を挟んでの、『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』、これは2016年の作品。こちらの『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』というほうは、日本でも配信が見られます。僕もこのタイミングで見ましたけども。

『デッドプール2』のファイヤーフィスト役の少年、ジュリアン・デニソンくんが、おそらく……要するにこの作品での好演があって、その『デッドプール2』のファイヤーフィストにたぶん抜擢されたんであろう、という主演作『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』。この二作、いずれもですね、少年を主人公とするコメディで、ニュージーランド本国の歴代興行収入記録を、最初に『ボーイ』が更新して、それでその次にこの『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』がまた塗り替えた、という。

要するに、すでにかなりすげえキャリアの持ち主だったわけです。だから我々、その『マイティ・ソー バトルロイヤル』の時に、「えっ? 『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』の人だよね? よく抜擢したな」って思ったけど、そういうことじゃないんですね。もともと実績がある人。それで、その意味では今回の『ジョジョ・ラビット』も、まさに彼の十八番たる題材なんですね。少年物、というのは得意なわけです。

■ウェス・アンダーソン作品を思わせる画面構成や世界観

さらに言えばですね、一般社会から隠れなければならないような存在とか生活、っていうモチーフは、さっき言ったようなその『ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル』とか、『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』とも通じているものでもある、というあたりで。しかし、やはりそれでもなお本作、この『ジョジョ・ラビット』が、タイカ・ワイティティのキャリアをさらにね、本当にアカデミー賞レベルにまで押し上げる特別な1本となり得たのは、やはりひとえにですね、まあナチス物だからですね。

やっぱりアカデミー賞はナチス物、強い、っていうのはありますよね。ユダヤ系の方、すごくアメリカの映画界は多いですから。ナチス物が強いっていうのはありますし、ナチス物として非常に大胆かつ斬新な……そしてやはり、分断と憎悪が渦巻く現在の世界とも、非常に切実に接続する作品だったから、ということが当然、あるわけです。冒頭からとにかく徹底しているのはですね、10歳の少年の目線。彼から見た世界、彼が感じた世界である、ということが徹底されているという。

まあもちろん、先ほどのメールでも例として出てましたけど、たとえば『ライフ・イズ・ビューティフル』、あれもね、その無垢な少年が、悲惨な現実に対して、幻想というかね、その頭の中の世界で対抗する、というのは似てるんだけど、『ライフ・イズ・ビューティフル』は、客観視点がやっぱりちょいちょい入る、と言うか、(少年に現実を見せまいと奮闘する)お父さん側の視点というのがメインですから。それに対してこっちは、完全に子供の視点がずっと通されている。

まず、カメラが基本、その主人公ジョジョくんの背丈を基準に置かれてるわけですね。低いわけです。なので、大人たちの顔や身体が、結構画面から切れてることも多かったりする、という。で、たとえばそれを使った演出として、そのスカーレット・ヨハンソン演じるお母さんが、白と茶のコンビがすごくお洒落なパンプスを履いているわけですね。で、そのパンプスの足だけが見える。ジョジョ目線でそのパンプスの足だけがですね、お母さんがちょっと高いところに立っていて。そのパンプスだけがこう見えている、という、非常に印象的な画面の切り取り方をしてるわけですけど。

その画面構成が、中盤の、思わず息を呑むようなあるショッキングな展開、それを示す演出、それの、実は周到な布石いうかね、伏線にもなっていたりする、という感じなんですよね(宇多丸補足:無論、「靴ひもを結ぶ」というアクションの共鳴込みで……また、その中盤の悲劇的シーン、周りを取り囲む家々の窓が、まるで目のように見える、という不思議なショットの連なりも印象的でした)。まあそんな感じでもう、画面構成もジョジョくんの視点になっているし。とにかく10歳の少年の目線、彼から見た、彼が感じた主観的世界、というスタンスで、語り口が徹底している。その表れとして、たとえばすごくシンメトリックな構図、左右対称な構図が頻出したりとか、要はグラフィカルな画面構成……あとは、箱庭のようにファンシーでカラフルな、美術とか衣装など、ビジュアル的なデザインがすごくかわいくおしゃれで、隅々まで行き届いてる感じなんですね。なので、すごく映画として、まずルックがすごいチャーミングなわけですよ。

まあ一番やっぱり連想するのは、ウェス・アンダーソンですね。ウェス・アンダーソン作品のように……特にやっぱり、少年が主人公で、ちょっとボーイスカウト的なね。ヒトラーユーゲントのキャンプがボーイスカウト風だから、やっぱり『ムーンライズ・キングダム』はすごい連想するし。あと、『天才マックスの世界』とかね、そういうのをちょっと連想したりする感じなんです。『天才マックスの世界』と言えば、僕は今回『ジョジョ・ラビット』を見ていて、サム・ロックウェルが演じるそのナチス将校、それがちょっとこう、ダルそうな、「引いたスタンスのいい人」っていう感じなんですね。その感じが……あとはその少年との、歳の離れた友情感とかが、『天才マックスの世界』の、ビル・マーレイの校長の感じにちょっと近いな、なんて思って見ていたんですけども。

これ、『BANGER!!!』っていうサイトでのサム・ロックウェルへのインタビューを読んだらですね、本当に、実際ビル・マーレイを参考にしました、っていう風に、サム・ロックウェルは言ってました。あと、あれですね。彼の部下で、おそらくゲイのパートナーでもある、ほぼセリフなしなんだけども、アルフィー・アレンさん。これは『ゲーム・オブ・スローンズ』のシオン(・グレイジョイ役)ですね。もう最高です! シオン役だったアルフィー・アレンさんが、セリフないのに、すごい存在感ですね。それも素晴らしかったです。

■「ポップにナチス時代を描く」という際どい試みを宣言する冒頭

ともあれ、まあとにかくウェス・アンダーソンばりに、美しくポップにデザインされた世界……なんだけど、それは実はやっぱり、第二次大戦中、ナチス政権下。言うまでもなくホロコースト、いわゆる「ショア」という、人類史上最悪の事態が進行していた時代、場所でもあって、という。なので、特に序盤はですね、もちろん意図的なものなわけですが、観客は、特にちゃんと歴史の知識が……当然あるべきなんですが、ある観客は、まあなかなか微妙なというか、結構居心地の悪い思いをしながら見ることになる、という。

冒頭から、とにかくそのジョジョ少年は、無邪気にそのナチス、およびヒトラーを信奉しているわけですね。演じてるローマン・グリフィン・デイビスさん。これ、なんと映画初出演ということなんですけども。オーディションで選ばれた。単にかわいいだけじゃなくて、どことなく僕は、『ブリキの太鼓』っていうドイツ映画がありますけども、そのオスカル少年を思わせる、ちょっとエキセントリックなムードも漂わせている、という。おそらくですけどもタイカ・ワイティティさんは、『ブリキの太鼓』のオスカル感を、多少は狙って彼をキャスティングしてるんだろう、と思うんですけど。はい。

まあ、それもすごく、これ以上なくハマっているんですけども。で、まあとにかく彼がですね、ヒトラーユーゲント入団を前に、緊張してるわけです。それで鏡に向かってこうやっていると、そこへ、さっき言ったように顔が切れた構図から、そのタイカ・ワイティティ本人が演じる、イマジナリーフレンドとしてのヒトラーが現れて。で、その彼を鼓舞する。「ハイル、ヒトラー! ハイル、ヒトラー! ハイル、ヒトラー!」って連呼して、彼を鼓舞して。それで勢いづいたジョジョが、「ハイル、ヒトラー! ハイル、ヒトラー!」って言いながら、表に駆け出していく。

それと同時に、ドイツ語版のビートルズ『抱きしめたい』が流れ出して、先ほどのメールにもあった通り、まさに本当に当時、そのポップスター的な熱狂を集めてた、若者たちとか女の子が「キャーッ!」って言っているヒトラーの映像をモンタージュしていく、という感じです。まさにこの映画の、「ポップにナチス時代を描く」という、そのなかなかに際どいスタンスが、早々に打ち出されるオープニングなわけですね。ただしかし、実際、ナチスを無邪気に信奉し熱狂した人々にとってですね、まさにそのナチス、ナチズムというのは、このようにポップな、「善きこと」そのものであったのではないか、というね。もちろんだから、これはそういうことを踏まえた上での、痛烈なジョークでもあるわけですね。

以降もですね、ちょっと『モンティ・パイソン』の戦争ギャグとか、あとは昔の映画で言うと『まぼろしの市街戦』とか『ジョンレノンの僕の戦争』とか、といったような、まあ毒っ気たっぷりの戦争ジョーク物みたいな……すごい毒っ気たっぷりの戦争ジョーク、たとえば後半で、レベル・ウィルソンがね、もう子供に手榴弾をこうやって、「はい、これでアメリカ兵に抱きついてきなさい!」みたいな。そういう、まあかなりブラックなというか、痛烈なジョークもあったりする、ということですね。

■「他者」と向き合うことで偏見や憎悪を乗りこえていく話

ともあれですね、そのジョジョくんのイマジナリーフレンドとしてのヒトラー。これはつまり、彼がいつの間にか内面化してしまった、たとえばその、ユダヤ人を恐れ、憎むのが正しい、とする考え方。それを具現化して見せたものなわけですね。つまり、人が内面化しでしまったヘイトの、メタファーとしてのヒトラーなわけです。同時にそれは彼にとっては、不在の父親に代わる、「男らしさ」のシンボルでもある。だからもう序盤からその彼、ヒトラーが言うことは、とにかく「お前は男だろう?」とか……あとは(ヒトラーユーゲントの訓示として語られる)「お前らは今日、大人の男になる!」とかっていう。それに対して女性の役割っていうのは、それこそ「はい、子供を産むのが役目です」とかね。なんてことを言って、すごくこう皮肉っぽく、最初に提示されるわけですよね。

ただですね、ナチス思想にとってそのヘイトの対象である「ユダヤ人」にしても、そしてその「男らしさ」にしても、実際のところその10歳の少年の主人公ジョジョにとっては、どちらも単なる机上の空論っていうか、妄想の産物でしかないわけですよ。「ユダヤ人って怖いんでしょう? 臭いんでしょう?」って言うんだけど、知りもしないから。で、それって実は、ヘイトが生まれる構造そのものですよね。知らないから怖いし、憎む、っていうね。で、その彼が、なんとよりによって、「ユダヤ人」で、なおかつ(母親以外の)「若い女性」という、要するに圧倒的な「他者」っていうのと、ひょんなことから実際に向き合うことになることで……という話。

ここ、2人が出会うところのくだりが、あえて、ここは完全にJホラー風の演出をしているところとか、なかなかおかしいんですけども……とにかくその、「他者」と向き合う経験を重ねることで、特定の人種を恐れ、憎悪することの無根拠さであるとか、あるいは表層的な「男らしさ」っていうものの、何たる無意味さ、無力さ!っていうのを、自然に彼は学んでいく、というね。まあ『ジョジョ・ラビット』っていう今回の映画は、言ってみればそういう話ですね。要するに、他者っていうのに向き合わないから勝手にいろんなことを思い込んでいた人物が、他者と向き合う経験を通じて、それを乗り越えていく、という話。

なので、ここはだから先ほどのメールにもあった通り、そこの是非はちょっと置いておいても、もちろん第二次大戦下のナチスを題材にはしているんだけども、要はその、「ヘイトや偏見を内面化してしまった人が、他者を知ることでそれを乗り越えていく」という、まあ当然、現在の社会、世界に通じる普遍的なメッセージ、っていうものを含む作品で。この作品のですね、従来の第二次大戦物、ナチ物とは違うこの「ポップな」意匠というのも、そこを際立たせるための作りである、ということは間違いない。ただ、それに対する是非とか意見の相違というのが出てくるのも、それもまた当然かな、という風に思います。

僕も実はちょっと……後ほど言いますけど、ちょっと微妙に思うところもある。で、本作はとは言え、本当にその、さまざまなディテールとか場面とかが、非常に魅力的な作品で。

■とにかく魅力的なキャラクターたち。誰ひとりとして非人間的に描かれていない

何が魅力的かというと、やはりこれはタイカ・ワイティティ監督の一番の真骨頂の部分として、個性的にして人間的なキャラクターたち……とにかくキャラクターの立て方が本当にうまい、っていうところだと思います。ナチスの人たちもですね、誰ひとりとして非人間的な怪物として描かれてはいないわけですね。思い込みが激しかったりとか、あるいは嫌々その組織に従ってたりはするけども……とかね。決して怪物的に描いているわけではない。

で、やっぱりその魅力的なキャラクターの最たるものは、アカデミー賞でもノミネーションがありましたけども、スカーレット・ヨハンソン演じるお母さん。まずあの衣装とか、たたずまいのかっこよさ、っていうのもありますし。このお母さんのくだりはやっぱり特に、『この世界の片隅に』を僕は強く連想したところでした。お母さんとのね、最後のあの美しい日々であった、あの自転車で漕ぎだすところで、ロイ・オービソンの『Mama』という曲のドイツ語版が流れるという、その絶妙な選曲も含めてですね、こういう悲惨な時代の中にも、美しいその瞬間がある、というようなくだり。

あと、脇で言うと、やっぱり主人公のお友達のヨーキーくんですね。彼を演じるアーチー・イェーツくん。本当に『カールじいさんの空飛ぶ家』のあの子! だと思ってください(笑)。あの子の具現化というか。この子、『ホーム・アローン』のリメイク版への主演が決まっているらしいんですけどもね。彼とのやり取りのキュートなところもら本当に魅力的だし。まあシーンごとに言ってもですね、たとえば中盤。ゲシュタポが家宅捜索しに来る。あそこでまずね、そのもう果てしない「ハイル、ヒトラー」天丼ギャグ(笑)。もう何回言うんだよ!っていうその「ハイル、ヒトラー」天丼ギャグも面白いし。同時にここは当然、ナチス物の定番である「バレるの? バレないの?」サスペンスとしても、非常に盛り上がりますよね。

しかも、それだけではなくて、その「バレるの? バレないの?」サスペンスの緊張感が、頂点に達したところで、ジョジョのその、ユダヤ人の女の子に対する恋心が、そこであからさまになってしまう、っていう。ギャグもあればサスペンスもあれば、そしてその彼の内面っていうのかな、それが露わになってしまう、まあちょっと青春物語、ちょっとしたラブストーリーとしての緊張感が高まる場面として、何重にも面白みが重なっている。ここ、本当に名場面だという風に思いますね。

■ホロコースト物でこんなに「割り切れる」後味でいいのかな……? とは思ってしまう

まあ後半ですね、とあるきっかけがあって、さらにジョジョくんが孤独というか、追い込まれた状態になったところの描写が、本来なら『火垂るの墓』化していってもおかしくないところが、非常にあっさりととですね、わりとあっさりと、きれいに生き残っていく感じとか……あとはやっぱりですね、とはいえ仮にもナチスを題材に扱って、ここまで「割り切れる」、すっきりした後味でいいのかな? みたいなことは、ちょっと思わなくもないんだけど……というぐらいですね、やっぱり幕切れの切れ味とかが、抜群にやっぱり素晴らしくてですね。「ああ、いい映画を見た!」っていう切れ味になっているわけですね。

まあそのいくつかの分断をね、主人公のジョジョくんと、エルサというそのユダヤ人の女の子が、いくつかの分断を乗り越え……「ユダヤ人とドイツ人」っていう分断。「ナチスとユダヤ人」という分断。「男と女」という分断。「歳の差」という分断。それらをいくつか乗り越えて、もしくは乗り越えようとしているこの2人、まずは何をやるべきか?という時に、ここで流れ出す曲の、選曲込みで……だから要はね、うますぎる!っていうことだと思います。なので、この映画単体としての完成度とか、たぶん否定的なメールでも、そこを否定している人はいなかったです。

映画としての質の高さ、完成度の高さ。これは間違いないと思います。ただ、やっぱりどうしてもそのナチス物、ホロコーストを扱っていて、ここまでこんなに「割り切れる」感じでいいのかな?って思ったりとか、あと、あの事態の後に、子供たちがあそこで何のお咎めもなくいるって、あるのかな? とか。だって一旦、家宅捜索までされてるのに……とか。いろいろちょっと引っかかるなって思うところが、僕はなくはなかったです。はい。

でも非常に魅力的なディテール、演技であったりとか美術であったりとか、そしてもちろんメッセージも、非常に重要なことを言ってると思います。質の高い作品であるのは間違いないと思います。ぜひぜひ今、アカデミー賞の脚色賞を……でも、この脚色賞こそがタイカ・ワイティティさんの才能、ということで。彼の才能を改めて日本人が知る意味でもですね、今、劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は37セカンズ』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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「ロック、ポップ、ヒップホップをまたにかける現行最重要アーティスト、テーム・インパラの気持ちよさにやられちまいな!」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/02/21)

「ロック、ポップ、ヒップホップをまたにかける現行最重要アーティスト、テーム・インパラの気持ちよさにやられちまいな!」

The Slow Rush

高橋:本日はこんなテーマでお届けします! 「ロック、ポップ、ヒップホップをまたにかける現行最重要アーティスト、テーム・インパラの気持ちよさにやられちまいな!」特集。

スー:ちゃんと言ったね。「やられちまいな!」って絶対に言わないと思ったのに(笑)。

高橋:フフフフフ、自分で考えたのでそこはちゃんとやりますよ。それはともかく先週14日(金)、通算4枚目になるニューアルバム『The Slow Rush』をリリースしたテーム・インパラの特集です。テーム・インパラはオーストラリア出身のミュージシャン、ケヴィン・パーカーのソロプロジェクト。日本だとまだ一般レベルに名前が浸透するまでには至っていないかもしれませんが、海外ではもうビッグネームの仲間入りを果たしていると言っていいでしょうね。

テーム・インパラのステータスを表すわかりやすいトピックとしては、毎年4月にアメリカはロサンゼルスで開催されている『Coachella Festival』という音楽フェスがあるんですよ。その年の音楽シーンの動向にも大きな影響を与える世界最大規模の音楽フェスで。この『Coachella Festival』では毎年ヘッドライナー/トリが3アーティスト選ばれるんですけど、去年のラインナップは現状のポップクイーン的存在といえるアリアナ・グランデ、それから昨年のグラミー賞で最優秀レコード賞を受賞したラッパーのチャイルディッシュ・ガンビーノ、そしてこのテーム・インパラという顔ぶれだったんです。

スー:おおー、そうだったんだ!

高橋:そんな流れもあって今回の新作は非常に高く注目されていたんですけど、これがもう期待を裏切らない素晴らしい仕上がりになっています。では、まずはそのニューアルバムの先行シングル第一弾としてリリースされた曲を聴いてみましょうか。これは個人的に2019年のベストシングルのひとつに挙げたいですね。

M1 Patience / Tame Impala

スー:聴きながらちょっと寝てしまいました(笑)。

高橋:なんかスタジオ内みんなポワーンとしちゃって(笑)。

スー:日曜日に公園とかに行ってポワーンとくつろいでる感じというか。

高橋:ハウスミュージック的な恍惚感や陶酔感があるんですよ。

スー:しかし全員一言も口を聞かないでポワーンってしながら聴いてたね。

高橋:本当に「気持ちよさにやられちまう」でしょ?

スー:これはやられちまうね。これが「やられ」か!

高橋:ただ、テーム・インパラがもともとこういう音楽性だったかというとちょっと違っていて。テーム・インパラのアルバムデビューは2010年なんですけど、そのころはビートルズや1970年代初期のロックからの影響を強く感じさせるサイケデリックロックを打ち出していたんですよ。いまの「Patience」にも当時のサイケデリックな酩酊感の名残はあるんですけどね。

テーム・インパラがダンスミュージックやAOR的な方向にシフトしていったのは、2015年リリースのサードアルバム『Currents』から。この『Currents』によってテーム・インパラは本格ブレイクすることになるんですけど、決め手になった曲がアメリカでミリオンヒットになった「The Less I Know The Better」。これは折からのディスコミュージックのリバイバルに反応したようなダンサブルなサウンドになっています。

M2 The Less I Know The Better / Tame Impala

高橋:ここ数年のポップミュージックはもはやジャンルの壁が崩壊しつつありますが、テーム・インパラはそんな状況を象徴するアーティストなんですよ。特にヒップホップやR&Bなどブラックミュージックシーンからの人気がめちゃくちゃ高いのが特徴で。テーム・インパラ/ケヴィン・パーカーとコラボしたラッパーを挙げていくと、ケンドリック・ラマー、カニエ ・ウェスト、トラヴィス・スコット……。

スー:いまをときめく、飛ぶ鳥を落とす勢いの人たちばかりだ!

高橋:そうなんですよ。あとはR&Bでもリアーナが最新アルバムの『Anti』でテーム・インパラの曲をカバーしていたりして。他ではレディー・ガガのプロデュースも手掛けているし、グラミー賞最優秀レコード賞を受賞したブルーノ・マーズの「Uptown Funk」が収録されているマーク・ロンソンのアルバム『Uptown Special』にも3曲でフィーチャーされていたりします。

では、そんなブラックミュージック周辺で引っ張り凧なテーム・インパラのプロデュース作品から一曲紹介しましょう。女性R&Bシンガーのカリ・ウチスの2018年のアルバム『Isolation』から「Tomorrow」を。この流れで聴くとテーム・インパラ/ケヴィン・パーカーの個性や作家性みたいなものがだいぶわかってくると思いますよ。

M3 Tomorrow / Kali Uchis

スー:これも気持ちいいね。今日の天気にぴったり。

高橋:最後は先週リリースされたばかりの新作『The Slow Rush』からの曲で締めくくりたいと思います。ちなみに、ケヴィン・パーカーはこのアルバムで全曲のプロデュース、ソングライティング、ミキシング、演奏、ボーカル、もうなにからなにまでひとりでこなしているんですよ。しかもゲストアーティストも一切ナシという徹底ぶりで。

ここではそんなアルバム『The Slow Rush』から「Breathe Deeper」を紹介します。これもサイケデリックロック的な酩酊感のあるディスコ/ファンクサウンドなんですけど、AORやシティポップが好きなリスナーにも受け入れられそうな心地よさがあると思います。

M4 Breathe Deeper / Tame Impala

高橋:このふわふわした気持ちよさ、まさに白昼夢という感じですね。というわけで14日にリリースされたばかりのテーム・インパラのニューアルバム『The Slow Rush』、2020年屈指の傑作になると思うのでぜひ皆さんチェックしてみてください!

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

2月17日(月)

(11:03) Steal Away / Robbie Dupree
(11:21) Sherry / Robert John
(11:35) Real Love / The Doobie Brothers
(12:13) How Can We Go On / Nicolette Larson
(12:23) The Light Is On / Christopher Cross
(12:48) Morning Glory /竹内まりや

2月18日(火)

(11:02) Perfect / Fairground Attraction
(11:22) Velasquez and I / Would-Be-Goods
(11:36) Breaking Away / Friends
(12:16) Friend of the Family / Devine & Statton
(12:51) 皆笑った / Pizzicato Five

2月19日(水)

(11:04) I Just Want to Touch You〜抱きしめたいぜ〜 / Utopia
(11:27) Feel a Whole Lot Better / The Flamin’ Groovies
(11:37) That’s What The Little Girls Do / The Knack
(12:14) Tell it to Carrie / The Romantics
(12:50) サンシャインラブ / 杉真理

2月20日(木)

(11:05) Perfidia / Phyllis Dillon
(11:24) Once Upon a Time / Delroy Wilson
(11:34) Joy in the Morning / The Gaylads
(12:19) Lady with the Starlight / Ken Boothe
(12:51) Party Time / The Heptones

2月21日(金)

(11:04) Be Thankful for What You Got / William DeVaughn
(11:26) Move Me No Mountain / Dionne Warwick
(11:36) Do it to My Mind / Johnny Bristol
(12:14) I Can’t Let Him Down / Love Unlimited

宇多丸、『37seconds』を語る!【映画評書き起こし 2020.2.21放送】

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  TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『37セカンズ』2020年2月7日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……37セカンズ』。出生時に37秒間呼吸ができなかったために身体に障害を負った女性の、成長と自立を描いた人間ドラマ。主人公のユマを演じる佳山明さんは、役柄と同じ理由で脳性麻痺を抱えながらも……これ、要するに佳山さんをオーディションでキャスティングしてから、この設定に脚本が書き換えられた、ってことなんですね。

脳性麻痺を抱えながらも社会福祉士として活動していたところ、オーディションで見出され、主演に抜擢された、という方です。その他の出演は神野三鈴さん、大東駿介さん、渡辺真起子さん、奥野瑛太くん、尾美としのりさん、板谷由夏さんなど。監督・脚本は、ロサンゼルスを拠点に活動し、本作が長編デビュー作となるHIKARIさん、ということになっております。

ということで、この『37セカンズ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」です。意外とね、東京だとたとえば新宿ピカデリーとかでドンとやっていたり、意外と見やすいというのもあるのかもしれませんが。そして賛否の比率は、「褒め」が8割以上。映画の性格上、障害を持っている方、周りに障害を持った方がいるという方からの感想も多かったです。

褒めてる人の主な意見は、「とにかく泣かされた。母子の物語としてグッと来た」「障害者のことをここまでまっすぐ描いた作品を初めて」「主役の佳山明さんの体当たり演技が素晴らしい」などがございました。一方、主な否定的な意見は、「前半はいいが、後半に失速。展開が唐突すぎるし無理がある」とか、「ユマをサポートする周りの人たちが親切すぎる」とか、「主人公が原稿を持ち込みに行った青年コミック雑誌の描き方が最悪。偏見を無くすための作品のはずなのに成年コミックへの偏見を助長しているのでは?」というような意見もございました。

■「障がい者を扱う上で今作のアプローチはとても誠実だったと思います」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「ダーデン二郎」さん。「本作が非常に好きです。主人公ユマちゃんとは違いますが、私も生まれつき足に障害があり、主人公と同様に障がい者です。小学生の頃に手術をしたことがあります。車椅子に乗る生活を半年ほどしたことがあります。街中の何気ない段差につまづくシーンは痛いほど胸に刺されました。障がい者を扱う上で今作のアプローチはとても誠実だったと思います。何気ない日常に不自由があるだけで普通の人となんら変わらない人間なのです。普通に恋もするし、仕事もするし、友人と酒を飲んで騒いだりするごく普通の人間なのです」。

それでいろいろとあって……「ある人との別れのシーンで『怖かった』と言われて返す言葉(『もう怖くないですか?』)、このシークエンスに全てが詰まっていたと思います。障がいが原因でできないことを周りの方に手助けしてもらう必要がありますが、その点を除けばどこにでもいるような人間なのです。街の描写や主人公が成長して自分が描きたい作品を作ることで、周りに認められる最高のカタルシス、たまらなかったです。本作やアトロクの視覚障害者の方の特集、ビヨンド・ザ・パラスポーツなどの知らない世界を広める活動、素晴らしいと思います。大好きです」。いやいやいや、それは恐縮です。ありがとうございます。という方でした。

一方、ダメだったよという方。「たくや・かんだ」さん。「『37セカンズ』、見てきました。主人公とユマと母親の関係はとてもリアルに見えて所々でドキュメンタリー映像かと錯覚するほどでした。ユマを演じた佳山明さんは良かったですが、全体的に見て私は否定的な印象を持ちました。ユマが出版社に原稿を持ち込んだ時に編集長から『性経験がないといい漫画が描けない』と言われます。このセリフで物語が大きく動き出すのですが、あまりに問題のあるセリフだと思います。こういうセリフを言わせないでストーリーを動かせるかどうかというところに力量が問われるのではないでしょうか? 表現やクリエイターについて、あまりにも浅はかな見方だと感じました。

また前半の面白さに比べて後半部分は急にリアリティがなく退屈になってしまいました。障がい者=天使という図式からはたしかに抜け出しているかもしれませんが、細部の杜撰さのせいで最終的には結局は障がい者を主人公としてお涙頂戴な映画になってしまったと思います」という厳しめの意見もございました。はい。

 

■世界的な評価を得てきたHIKARI監督、満を持しての長編作品が『37セカンズ』

といったあたりで皆さん、メールありがとうございます。私も『37セカンズ』、新宿ピカデリーで2回、見てまいりました。平日昼の回だったんですけどね、ほぼ満席だったですね。めちゃめちゃ入ってました。ということで先週、リスナー推薦枠で史上最多級のメールをいただき、見事ガチャが当たった本作です。ベルリン国際映画祭のパノラマ部門で観客賞……そのパノラマ部門の最高賞にあたるようなやつと、国際アートシアター連盟賞とのダブル受賞というのを、ベルリン映画祭史上初めて成し遂げたということで。すでに世界でも非常に高く評価をされつつあるという作品です。

今週水曜日に番組にお越しいただいた元映画秘宝の編集長・岩田和明さんも大絶賛をしていて、僕へのお土産として、先にNHKで放送された74分のテレビ編集版というのがあるんですね。劇場版は115分なんですけど、74分版。これ、要はあのイ・チャンドン監督の『バーニング』。これ、2019215日に評しましたが、あれに近いパターンで。要はアメリカのサンダンス映画祭とNHKがやっている脚本ワークショップの日本代表作品ということで、元々NHKがサポートしている作品だったということで、国際共同制作バリバラドラマという枠で、昨年12月にNHKで放送されたバージョン。

今回の劇場版とどう違うかは後ほど、時間があれば少し触れると思いますが。まあそれの録画したやつを岩田さんからいただいたりとか。あと宣伝会社さんのご厚意で、本作の製作・脚本・監督を務められましたHIKARIさん。これが長編第一作で、当然、僕も今回初めて作品を拝見したわけですけど。そのHIKARIさんがこれまで撮られて、やはり世界的に高く評価されてきた短編も、いくつか拝見することができました。このHIKARIさん、そっちの短編ではご本名なんですかね。MIYAZAKI MITSUKOさんという風にクレジットされていましたが。とにかく大阪の方で。

10代でアメリカに留学されて、途中ですね、名だたるヒップホップアーティストのカメラマンなどもやっていた、というね。これ、それはそれで別個にお話をうかがいたいな、というぐらいの感じですけども。とにかくアメリカでいろいろやって、最終的にUSC(南カリフォルニア大学)……まあジョージ・ルーカスとかが出た学校として有名ですけど、そこで映画を学ばれて。ちなみにその時のUSCの教えの話もこれ、映画秘宝2月号のインタビューで出ていて、これがまためちゃくちゃ面白いんですけど。

で、その卒業制作として作った短編、2011年の『TSUYAKO』という作品。戦後間もない日本で、非常に抑圧された生き方を強いられている女性が、かつて恋愛関係にあった同性の友人と再会し……というような話。これとか、2015年、やはり、これも時代のせいで成就できなかった人種間恋愛を、これはセリフなし、バレエ的ダンスのみで語り切っていくという、『Where We Begin』という作品とかもそうなんですけども、要はその時代その場所では日陰に追いやられてしまっている存在の想いに、寄り添うような視線という。今回の『37セカンズ』にも完全に連なっていくようなスタンスだと思いますし。

あるいはですね、『A Better Tomorrow』。これは2013年の短編で、車のレクサスの宣伝用の短編みたいですけど、実写からアニメーションに飛躍していくような表現であるとか。あるいは、これは2014年の『キャンとスロちゃん』という、これは自動販売機に恋するインドから来た人っていう話なんだけど、日本の都市の風景そのものを、旅人的な、外からの視点で擬人化して捉えて見せるような視点とか。そういうファンタジックでポップな語り口というのも、持ち味として今回の『37セカンズ』、しっかり入ってます。あのね、ユマちゃんが、街のあのビルの灯りが人の顔に見える、っていうのを、こう実際に絵で見せてみせる、というあたりね。ああいうような感じも元からもあったりすると。

で、まとあにかくですね、そんなキャリアを歩んできたHIKARIさんが、満を持しての長編作品として作り上げたのが、この『37セカンズ』という作品。順を追って話していきますけど。

佳山さん自身のご経験というものを元に、この『37セカンズ』というタイトルをつけた、

まず冒頭ね、なんかこう、お化粧をしている女性のアップ。まあ、これがどんな場面なのかは後ほど明らかになるので、(この時点ではまだ)よくわかんないんですけど。とにかく、まあなんか緊張感と共に、何者かが招き入れられるらというところで、それでタイトルバックになるんですけど。そこで東京の景色が映し出されるんですけど、なんか、すごく撮り方……レンズの選び方とか、そういうことなんですかね? すごくなんかミニチュアみたいに見えるように、箱庭、ミニチュアみたいにとれるように見せていて。まずここで、ちょっとハッとさせられる。

で、そのせせこましい街並み、人ごみの中、電車に乗っている主人公のユマさん。これ、この映画全体に、カメラは彼女の視点に近い、低い位置にやっぱり置かれている。先週のね、『ジョジョ・ラビット』も、ジョジョくんの視点で、って言いましたけども、あれにも近い感じ。ずっと低い視点に置かれているので、この電車の中だと、たとえば周囲の人たちの身体が、やっぱりまるで壁のように彼女を圧迫しているように見えるわけですね。まあこの低い位置のカメラワーク、っていうのは全編に通じてるわけですけど。

で、この時点では彼女自身も、帽子を目深にかぶって、服もなんていうか、ボーイッシュっていうか……まあ性別もちょっと曖昧にしたような感じで。あえて存在感を希薄に、まさしく「世を忍んで」いるかのような風に見える佇まい。で、ホームに出たところで、彼女が車椅子に座っているだよっていうことが、初めて示されるわけですね。まあこれを演じている佳山明さん。まず非常に、声とかしゃべり方がすごい特徴的で。ものすごくか細く、控えめにしゃべる。声自体、声質とかもすごくかわいらしくて。とにかくまあすごく愛らしい感じのしゃべり方をするんだけど、やはりその感じが、世の中で見ると、ちょっと弱々しげ、はかなげに見えて。なんかこう、「大丈夫かな?」って感じに見える、という効果もある。

とにかくですね、この佳山明さんのキャスティングと、そしてその彼女にずっとちゃんと演出をつけたという、ここがまず本作の、何と言っても圧倒的な魅力の部分ですよね。オーディションで選ばれて……で、そのオーディションの様子っていうのも、NHKで別個のドキュメンタリーになっていて。オーディションを受けられた他の車椅子の女性の皆さんも、実は一瞬だけ、今回の『37セカンズ』、よく見てると……ドキュメンタリーを見てから見ると、「あっ、あの人だ!」みたいな。一瞬見えたりするんですけど。とにかくね、この佳山明さんの存在感、キュートさ、イノセンスな存在感みたいなところで、HIKARIさん自身も脚本を書き換えて、設定とかも書き換えて……佳山さん自身のご経験というものを元に、この『37セカンズ』というタイトルをつけた、という経緯があったりしますけども。

「この作品、甘い映画じゃねえぞ」と引き込む序盤の入浴シーン

まあでもとにかくですね、ホームの中というか街中で、彼女が1人ポツンといるとやっぱり、まあカメラもそういう時はやっぱりあえてガッと引いていたりして、とても心細く見えるわけです。で、そんな心細さを見越したかのように、まあ改札に、お母さんが迎えに来ている。これ、神野三鈴さんがですね、娘を思うがゆえのある種の過剰さ、神経質さみたいなのを、本当に見事に、丁寧に演じられてると思いますけど。それで、一緒に帰っていくわけですけども、多くの観客がまずここでギョッとさせられるであろう、作品序盤でグッと引き付けられずにはいられない……「この作品、ヤバい。これはちょっと甘い映画じゃねえぞ」って襟を正さざるをえない場面。

お母さんがですね、帰宅後にこのユマさんを、入浴させる。一緒にお風呂に入るシーンがある。で、そのお母さん、服を脱がせてあげるんだけど、これが本当にですね、まあユマさんを四つんばいにさせて、本当に小さい子にするようにグイグイグイグイ、どんどんどん脱がしていくわけですね。もちろんこれ、2人きりの空間という設定だからそれは気にしなくていいっちゃいいんだけども、やっぱり娘側、ユマさん側も、本当にそれが習慣化しているんでしょうね、まあ、四つんばいになって、されるがままになって、全裸にさせられるわけです。

で、やっぱりこう見てると、「あれ? あっ、ここまで……」って。まず「わっ、裸を見せちゃうんだ」っていう感じと、「親とはいえ、ここまで全てを他の人に委ねなければ生活できないのか」という、要するに軽いショックがある画なわけです。ここは、演技自体が初挑戦だというこの主演の佳山明さんにとっては、なかなかハードな撮影だったに違いないと思うんですが、やはりここ、お母さん側の「この子には自分の庇護が絶対に必要なんだ、心配なんだ」という、もちろん愛情ゆえからではあるんだけど、ちょっと支配欲にも似た思いというのを、観客にもある程度共有させる。

「ああ、やっぱりこれだけ面倒を見なきゃいけないのか」っていう感じがある。それを共有させつつ、「しかしこれ、こうやってかなきゃ生活できないという側はたまったもんじゃないよな」っていう、ユマさん側の、後にお話を動かしていくことになる心情っていうのもすごく、痛いほどわかる、という意味で、非常に有効な、必要なシーンだったという風に思います。

あとはその後で、お母さんと食事してるんだけど、その食事のところで、お母さんがシェイクスピアの読み聞かせをしてあげてるんだけど、読みながら、ハンバーグをわざわざ細かく切ってあげてるわけですよ。「そこはできるだろ?」っていうことまでやってあげてるあたりが、やっぱり、「ああ、ちょっと過剰なんだな」っていうのを、セリフではなく示す。でもユマさんも、それに黙って従っている、というあたり。その親子の関係が、物を言わずに示されている。

そんな感じでHIKARI監督、さすがUSC仕込みというべきか、まず序盤で、非常に的確、簡潔にしてニュアンス豊かに、ユマさんが、要するに脳性麻痺当事者として日本社会の中でどんな立場で、どんな思いを抱えながら生きているかというのを、ポンポンポンと、テンポよく描き出していく。お母さんとの関係を含め。たとえば、親友は親友なんだろうけど……っていうことですよね、サヤカさんっていう、要はたぶん中学、高校とかでまあ実際に彼女のことをちゃんと面倒見てあげたりとか、本当に友達だったのは間違いないと思うんですが、現状は事実上、ユマさんの能力を一方的に搾取しているとしか言いようがない、人気マンガ家にしてYouTuber、というそのサヤカさん。これを演じられてる萩原みのりさん、絶妙に「いそう~!」な感じで、見事に演じられてましたけど。

■「お前は家で大人しくしてろ」という社会の中で、ただひとり「外に出てもっといろいろ経験してこい」と言い放つ

あるいはそのサヤカさんの編集者、宇野祥平さん演じる編集者たちの、結局のところやっぱり、障害者というだけで一線を引いて接している感じ、ニュアンスであるとか。そのね、サヤカさんのサイン会が開かれた時に、ユマさんが要するに思い切って行こうとするくだり。まずお母さんとの、あのワンピースを着る、着ない問答、その帰結ですね。あれもセリフじゃなく、「ワンピース着たいならついて行くけど?」っていうところで、じゃあ彼女がどうするのか、というあたりで、まあ彼女が本当には何を望んでいるのか?っていうのが、物を言わずして示されるし。

あとメールにもありました、路上のちょっとした段差。これは、僕はたった1日、しかもいろんな人にチヤホヤされながらでしたけど、車椅子体験しただけでも、「うわあ、東京の街中、大変だな」っていうあの、路上のちょっとした段差まで……とにかく彼女を取り巻く社会のすべてが、「お前は家でおとなしくしてろ」と言わんばかり、なわけですね。で、まあHIKARI監督のインタビューによれば、要するに東京を舞台にしたのも、人の心のあり方を含めて、バリアフリーが行き届いてない、優しくない社会だから、というようなことをおっしゃっていて。これは正直、東京にこうやって住む我々としては「トホホ……」というかね、「すいません……」っていうあたりなんですけども。そのとおりだと思います、っていう。

ただそんな中、板谷由夏さんが、これまたその微妙に感じ悪くなる手前すれすれの、絶妙な突き放し感と人情味のバランスで演じる、エロ漫画誌の編集長……まあこの編集部にね、ユマさんが電話をかけてきた時の保留音声、からの、あの「はい、藤本です」って変わる時の、あのタイミングのおかしさとか。あと、そのユマさんの脳内で広がる創作世界を、アニメーションで……しかもそのアニメーションで広がる脳内世界というのが、どうやらお父さんからもらったハガキ、お父さんへの想いとこの創作意欲っていうのが繋がっているんだ、というくだりをサラッと示す、本当に語り口のポップさ、そしてスマートさ、というあたりだと思いますけども。

ここあたり、本当にHIKARI監督のたしかな腕を感じるな、というあたりですけども。とにかくそのエロ漫画誌編集長だけが……これね、セリフとしてはたしかに乱暴ですよ。もうこれ、男が言ったら……まあ、あんなこと言ってましたよね、『ブラック・スワン』でね(笑)。「セックスしてこい!」なんて。まあ、乱暴な一言なんだけど。要するに、この言葉そのものがいい言葉かどうかは置いておいて、でも彼女だけがユマさんに、「外に出てもっといろいろ経験してこい」って……彼女だけです。他の人はみんな、「家でおとなしくしろ」って、社会全体がそう言っているのに、この人だけは、「もっといろいろ経験してくりゃいいじゃん」っていう風に、非常にぞんざいに言い放つ。

で、「セックスしてこい」っていう。ただ、これは本当に僕は大事なことだと思っていて。性的なことっていうのは、親の監視、庇護を離れて、自らの行動と責任で学んだり経験するしかない、という意味で、人間が成長、自立していく上で非常に重要な通過儀礼だと、僕自身の考えとしても思ってるので。あるいは、まあお酒というドラッグとどう付き合うのか、みたいなこともそうですけどね。ただ逆に言うとそれは、そのユマのお母さんのように、「娘には自分の庇護は絶対必要だ」と考えるような……それはそれでもちろん理解もできるんだけど、という、いわゆる親心とは、大変に折り合いが悪い件でもあって。

で、まあとにかくユマちゃんは、当然のようにお母さんには内緒で、その世間という大海原へと大冒険に乗り出していく、というあたりになります。ただ、とはいえその性的イニシエーション、僕は非常に大事だって言いましたけど、それすらもすんなりと行かせてくれない、もらえないのがやっぱりその、障害を持つ身である、という、残酷な現実というのもあって。出会い系サイトで次々と男性たちに会うシークエンス、ユーモラスではあるんだけど、特にやっぱり最後の、一見、偏見のない好青年との会話。彼だってきっと、悪い人じゃない。

たぶんあそこで話してる時は本当にそう思ってたんだけど、「いざ……」ってなるとちょっと腰が引けちゃったのかな、ぐらいだと思うんですけど。彼との会話ね、彼とユマさんの切り返しの画面の位置が、彼は真ん中にいて、「うんうん、偏見なんかないよ」って言うんだけど、ユマさんの位置は横にズレていて。なんか「ああ、やっぱりここは噛み合ってないな」っていう風に、画面の……要するに映画的にそれを示すあたりも、やっぱりHIKARI監督、さすが堅実な手腕があるな、という風に思ったします。

■家に帰っておとなしくしていた方がよかったのか?って誰もが思いかけた瞬間……「こんな生き方も普通にあるんだよ」と背中を押すように現れるふたり

で、そこから、必死のおしゃれも虚しくすっぽかされてしまった彼女が、新宿歌舞伎町(と、放送では言ってしまいましたが、実際のロケ地はたぶん新橋ですかね?)のディープゾーンに、どんどんどんどん足を踏み入れていくあたり。このあたりも、もうドキドキハラハラ。正直僕らは、親心ですよ。「えっ、大丈夫かな?」って。ただそこで最初、「どこ行くの~?」「どこに行ったらいいんでしょう?」「それはあなた次第よ~!」って、ある意味ユマさんの背中をさらに押すというのがあの、ドラァグクイーンのね、お三方というのもすごいいいし。あと、あれですね。渋川清彦さんが本当に……あの、要するに「本当にフラットに商売してるだけ」感が逆に渋く好ましい、あの呼び込みのおじさんとか。

そして何より、ここで登場。我らがマイティこと、奥野瑛太演じる男性デリヘル……まあ男娼と言いましょうかね。あの感じ。「ヒデでーす」っていうね。その彼がラブホにやってくるという。まあ、これが要するに冒頭のところだったわけですけど、彼のその、ビジネスライクではあるけど、決して悪い人ではないし、むしろユマに優しく接しようともしているんだけども……というこのくだり。単純にね、夜の都会の裏側を垣間見るドキドキも観客としてはありますし。まあユマさんに100%感情移入してますから、「おい、大丈夫か? 大丈夫か?」と思って見てるからこその、本当に胃がちぎれそうな緊張と気まずさ、っていうね。

あと、またあのラブホテルがちょっとね、古い……鏡があったり、シャワーのガラス張りのところになんか変な浮世絵風の絵が書いてあったり。なんか古いラブホなのがまた、なんともこう、場末感というか、これもまたね、たまんないあたり。奥野くんの名演も相まって、ここ、本当にすさまじいシーンになってると思います。で、そこからさらに、まさに泣きっ面に蜂、的な追い込まれ方をしていくユマさん。もう勘弁してくれ!っていう。それで観客としては、「これ、お母さんの言う通り、やっぱり家でおとなしくしてた方がよかったのか?」とさえ思い始めてしまう、その絶望の淵まで追い込むわけです、HIKARI監督はね。こうやって追い込むわけです。

まさにその時……もうダメだ、家に帰っておとなしくしていた方がよかったのか?っていうその瞬間に、闇になった廊下の奥から、思いもかけなかったカタチの2人が、当たり前のような顔で、やってくる。つまり、「こんな生き方も普通にあるんだよ。だから平気だよ」と、その存在自体でユマさんの背中を押すような、そして観客の背中も押すような2人が、スルスルスルスルッとこういう風にやってくる……ここまでがある意味、現実の厳しさを突きつけるゾーンで。僕の解釈ではここから先は、こういう生き方、こういう社会のあり方、こういう現実のあり方という、「可能性の提示」が、ここから先だと思います。この構成、演出、キャスティングの妙。

■我々全てに「37セカンズ」はある。これは「障害者の映画」ではなかったんだ!

今回の企画のきっかけとなったというそのクマさんこと熊篠慶彦さんの、飄々とした、すっとぼけた、洒脱なたたずまいもいいですし。そして渡辺真起子さん演じる、本当に涙が出るほどの頼りがいと誠実さを感じさせる、あの障害者対応のセックスワーカー役。そしてさらに、大東駿介さんがこれまた絶妙な温度感、距離感で、ごくごく自然に横にいる、寄り添う、というスタンスを体現してみせる、あの介護士の俊哉くん役。

これ、さっき言ったテレビ版では、そちら側の人々の描写の比重が大きかったんです。彼らのバックストーリーがむしろ多めに割かれていたりするんですが、この映画版はあくまで、そのユマさんの視点に絞って。ユマさんが彼らの存在を知るという、それ自体によって、彼女が世間、世界にどんどん踏み出していくし、世界の可能性を信じていく。その変化と成長のプロセスというものを、シンプルに描き出している。ここまでが全体の、それでも1/3くらいなんですね。

で、当然その結果、お母さんの過保護主義との対決は避けられないようになってゆき……からの、ミニマルながらスリリングな、スリル満点な脱出劇ありの、テレビ版にはない、自分とは何かを改めて知るための、ロードムービーへと発展してくわけですね。あのお父さんを訪ねていくが……のところで出てくるベテラン俳優、尾美としのりさんの意外な存在感とかもいいですし。まあ、とにかくここから先は、ちょっと時間もないのでぜひご自分の目でたしかめていただきたいんですが。

旅の終わりに、彼女が語り始める37秒」……37セカンズ』の意味。それはもちろん彼女に障害をもたらした原因なわけだけど、そこで彼女が最後に言う一言。これはつまり、『37セカンズ』っていうのは、「自分が自分である」理由、「自分」になったこと、そのものの話であって、つまり我々全てにそれぞれの『37セカンズ』はある、あとは自分がどう生きるかなんだという、そういうおそろしく普遍的なメッセージを語っていた話で……これは「障害者の映画」ではなかったんだ、ということが、そこでついに、ガンと突きつけられるわけです。

とにかく……あえて言えば僕、あのサヤカさん。彼女を搾取していたサヤカさんとの決着。要するに現状だとあのサヤカさんが、単なる悪役になっちゃっているのがちょっと、もうひと押しできたのでは?っていうのは、小骨のようには刺さっていますが。

まあ、なんにせよHIKARIさん、これからマイケル・マン製作のテレビシリーズとか、いろんなオファーが決まっているようですし、世界的に活躍されることは間違いないでしょう。そして佳山明さん。今年の主演女優賞決定でしょう! これはもう間違いなく、本当に。はい。脚本、演出、画作りなども見事でしたし、メッセージと、そしてその伝えるべき飛躍とか、そういうところでも本当に見事な一作でございまして。私は文句なしにノックアウトされた一作でした。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『チャーリーズ・エンジェル』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャ回しパートにて)はい。『37セカンズ』。それこそ「見ると社会の見え方がちょっと変わる」、かも……という意味でも、絶対に見る価値はある作品なので、ぜひ劇場に行っていただきたいと思います。

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「音楽業界の常識を覆す最強ファンクバンド、ヴルフペック特集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/02/28)

「音楽業界の常識を覆す最強ファンクバンド、ヴルフペック特集」

音楽業界の常識を覆す最強ファンクバンド、ヴルフペック特集http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200228123308

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします! 「音楽業界の常識を覆す最強ファンクバンド、ヴルフペック特集」。いまグッドミュージック好きに絶大な支持を誇るロサンゼルスに拠点を置くファンクバンド、ヴルフペックの特集です。ヴルフペックはデトロイトで結成されて2011年にデビューした4人組。この番組では以前KIRINJIの堀込高樹さんがゲストに来られたときに高樹さんのお気に入りとして紹介したことがありますね。あとは彼らの出世作になった2016年リリースのアルバム『The Beautiful Game』を僕がスーさんの誕生日にプレゼントしたことでもおなじみのバンドです。

スー:ケイトラナダ?

高橋:フフフフフ、ケイトラナダの『99.9%』の翌年にプレゼントしたアルバムですね。ではまずはそのヴルフペックがどんな音楽性のバンドなのか、2018年リリースの目下最新アルバムになる『Hill Climber』から一曲聴いてもらいましょう

M1 Darwin Derby feat. Theo Katzman & Antwaun Stanley / VULFPECK

高橋:もう最高にご機嫌なファンクミュージック!

スー:そうですね。プリンスとか好きな人にはぴったりな感じ。

高橋:まさにまさに。このヴルフペックは自分たちで「Vulf Records」というインディペンデントレーベルを運営しているんですけど、そんな彼らのビジネスモデルがいまアメリカで注目を集めているんです。というのもヴルフペック、去年9月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで公演を行なってソールドアウトにしているんですけど、彼らはこのコンサートをマネージャーなし、大手レーベルとの契約なし、シングルヒットなし、この条件で実現した初めてのアーティストなんですよ。

スー:すごい! ワオッ!

高橋:ちなみにマジソン・スクエア・ガーデンのキャパシティは約2万人。日本武道館とさいたまスーパーアリーナの中間ぐらいかな? それはともかく、ここでコンサートを行うことは世界に誇れる一流ミュージシャンの証になるようなところがあるんです。

つまりヴルフペックは、いまのこの時代だったら良質な音楽を作り続けて地道にファンベースを築いていけば、業界のコネクションやメジャーレーベルの後ろ盾や大きなヒット曲がなくてもマジソン・スクエア・ガーデンを埋めることができると証明してみせたわけです。これによって、ヴルフペックは音楽業界の常識を打ち破ったストリーミング時代のヒーローになりました。

もともとヴルフペックは知能犯的なところがあって、音楽配信サービスにまつわるちょっとした伝説を残しているんですよ。彼らがまだ本格ブレイクする前の2014年、ツアー資金を捻出するためにメンバーが考えた作戦がケッサクで。まず、演奏時間30秒ぐらいの無音の曲を10曲収録したアルバムを作って音楽配信サービスのSpotifyにアップしたんですよ。

スー:無音の?

高橋:そう、30秒ぐらいの無音の曲が10曲入ったアルバムです。そして、それをファンに向けて寝てる間にずっと再生してほしいと呼びかけたんですね。さらに、その無音アルバムがいちばん再生された地域で無料コンサートを行うことを発表して。

スー:はいはい! うわっ、逆手に取ってるね!

高橋:フフフフフ、もうわかりますよね。Spotifyでは曲が一回再生されるごとにアーティストに支払われるロイヤリティはだいたい0.4円ぐらいなんですね。インディペンデントのアーティストはこれではとてもじゃないけど満足な収入を得られない。でも、10曲入りトータル5分の無音アルバムをファンが寝てる間に競うようにして再生した「チリツモ作戦」によって、結果ヴルフペックは200万円稼いだんですよ。

スー:すごい! すごーい!

高橋:ちなみに、ヴルフペックがSpotifyにアップしてファンに寝てる間に再生してほしいと呼び掛けたアルバムのタイトルは『Sleepify』(笑)。もう痛快すぎるでしょ!

スー:えっ、それっていまだにあるのかな?

高橋:いや、削除されました。最初はSpotifyも自分たちのプロモーションになると考えたのか『Sleepify』を容認していたんですけど、さすがに真似されたらたまらないということなんでしょうか、その後バンドに削除要請をしています。世紀の名盤『Sleepify』(笑)。

スー:あの名盤『Sleepify』。誰もが寝てしまうという(笑)。

高橋:当時はレディオヘッドやテイラー・スウィフトがSpotifyのロイヤリティをめぐって自分たちの音源を取り下げたりしていたから、『Sleepify』の登場は結果的に音楽配信サービスの在り方についての問題提起にもなったんじゃないかと思います。

では、ヴルフペックが「マネージャーなし、大手レーベルとの契約なし、シングルヒットなし」でソールドアウトにした歴史的なマディソン・スクエア・ガーデン公演の模様を収めたライブアルバム『Live at Madison Square Garden』から一曲紹介しましょう。

M2 Animal Spirits(Live) / VULFPECK

※こちらはマディソン・スクエア・ガーデン公演のフル映像。「Animal Spirits」はコンサートの一曲目になります

高橋:このマディソン・スクエア・ガーデン公演の模様はYouTubeのヴルフペック公式アカウントに全編アップされていますのでぜひチェックしてみてください。

スー:楽しい感じがいいですね。

高橋:音楽を心底エンジョイしてる感じがいいですよね。このヴルフペック、ここ最近はメンバーや周辺ミュージシャンのソロ活動が活発化してきているので、ここからはその一部を紹介していきたいと思います。

まずはヴルフペックの中心メンバーでボーカル、ギター、ドラムなどを担当しているテオ・カッツマン。これまで聴いてもらった2曲も彼がボーカルを務めているんですけど、そのテオが今年1月10日にリリースしたソロアルバム『Modern Johnny Sings: Songs in the Age of Vibe』から「You Could Be President」を聴いてもらいたいと思います。ヴルフペックほどファンキーではないんですけど、これがまた非常に良質なポップソングで。ヴルフペック作品がそうであるように、自然と笑顔になってしまうような楽しい曲に仕上がっています。

M3 You Could Be President / Theo Katzman

高橋:続いてはヴルフペックのツアーメンバー/準メンバーでありながらもはやバンドに欠かせない存在になっているギタリストのコリー・ウォン。彼が1月10日にリリースしたソロアルバム『Elevator Music for an Elevated Mood』から「Golden feat. Cody Fry」を紹介します。このコリー・ウォンはファンクギターと言いますか、リズムギター/ギターカッティングの名手としていま急速に評価を高めているんですよ。日本のギター雑誌でも彼の特集が組まれていたりするほどで。

さっきスーさんからプリンスの話が出ましたけど、コリー・ウォンは一時期ミネアポリスを活動の拠点にしていて、プリンスのバッキングを務めていたミュージシャンとバンドを組んでステージに立っていたことがあるんですよ。だからスーさんの指摘はすごく鋭くて、彼はプリンスの影響がものすごく強いんですよ。しかもこれからかける曲を聴いてもらえばわかると思いますけど、コリーはポップセンスにもめちゃくちゃ長けていて。ギタリストとしてのタイプはまったく異なりますけど、トム・ミッシュに続く人気者/ギターヒーローになれる可能性もあるんじゃないかと思っています。

M4 Golden feat. Cody Fry / Cory Wong

スー:みんなで集まっているときに流しているとテンションが上がって楽しくなりそう(笑)。

堀井:いまちょっと会話が楽しかったよね(笑)。

スー:うん、曲がかかってるあいだすごい盛り上がってた(笑)。

高橋:やっぱり自ずと笑顔になってしまうような音楽なんですよね。いまヴルフペック界隈はサイドプロジェクトやソロ活動も活発化してきていて、ぐっと広がりが出てきているので追っかけてみると相当楽しいと思います。まずはフィアレス・フライヤーズ(The Fearless Flyers)やジョーイ・ドーシック(Joey Dosik)あたりをチェックしてみてください!

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

2月24日(月)

(11:08) It’s the Falling in Love / Dionne Warwick
(11:28) You Made Me a Believer / Lamont Dozier
(11:44) He’s So Shy / Pointer Sisters
(12:17) What You Won’t Do for Love / Natalie Cole & Peabo Bryson
(12:24) Gimmie What You Got / Al Jarreau

2月25日(火)

(11:05) Here’s One That Got Away / The Style Council
(11:24) Wildflower / The Blow Monkeys
(11:36) Thank You / Tracie
(12:12) Blue Hat for a Blue Day / Nick Heyward
(12:48) タンタンの冒険 /大貫妙子

2月26日(水)

(11:04) Rock This Town / Stray Cats
(11:25) Make a Circuit with Me / The Polecats
(11:36) Ice Cold / Restless
(12:11) One Hand Loose / The Bop Cats
(12:25) This Ole House / Shakin’ Stevens
(12:50) Friend or Foe 〜敵か味方か〜 / Adam Ant

2月27日(木)

(11:07) It’s a Lovely Day Today / Astrud Gilberto & Walter Wanderley
(11:36) Jazz ‘n’ Samba / Wanda Sa
(12:16) Voce / Quarteto Em Cy
(12:52) Brasileiro / Marcos Valle

2月28日(金)

(11:06) Upside Down / Diana Ross
(11:25) Let’s Get Serious / Jermain Jackson
(11:38) A Lover’s Holiday / Change
(12:11) Real People / Chic

宇多丸、『チャーリーズ・エンジェル』を語る!【映画評書き起こし 2020.2.28放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『チャーリーズ・エンジェル』(2020年2月21日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評「ムービーウォッチメン」。今夜扱うのはこの作品。『チャーリーズ・エンジェル』

(曲が流れる)

アリアナ・グランデがね、初の本格的な映画音楽というかね、主題歌とかも含めて参加してるんですよね。1976〜81年にテレビドラマとして人気を博し、2000年と2003年にはキャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リュー主演で映画化もされました、『チャーリーズ・エンジェル』。今回が三度目の映画化ということになります。

国際機密企業チャーリー・タウンゼント社に所属する……まあ元々はね、探偵社っていうことでしたけども、今回の設定ではかなりデカくなってる、という設定です。チャーリー・タウンゼント社に所属する女性エージェント、通称「エンジェル」たちが、新エネルギー開発の裏に潜む陰謀に迫る。新たなエンジェルを演じるのは、『トワイライト』シリーズなどのクリステン・スチュワート、実写版『アラジン』のナオミ・スコット、本作が本格的映画デビューとなるエラ・バリンスカさん。『ピッチ・パーフェクト2』などで監督も務めた俳優のエリザベス・バンクスが本作の監督も務め、出演もしている、ということです。

ということで、この『チャーリーズ・エンジェル』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「かなり少なめ」。まあコロナウイルスの影響もあるのかわかりませんけど、はっきり言ってシネマハスラー時代から数えても最少ぐらいの……本当、ADの山添くんに「おい、(来ているメールは)全部打ち出せよ」「あっ、これで全部です」「マジか……」っていう。それぐらいの量だったというね。

賛否の比率は「褒め」が6割、「否」が4割、ということでございます。主な褒める意見としては、「最高のガールズ・エンパワーメント映画。新エンジェルたちが皆、美しい。彼女たちを見ているだけで満足」「過去シリーズにリスペクトを払いつつ、世界観やテーマを現代風にアップデートしていて見事」「旧シリーズのキャストや思わぬスターのキャメオ出演も嬉しかった」などがございました。否定的な意見としては、「テンポの悪い構成。突っ込みどころ満載の脚本。平凡なアクションと、全体的に物足りなさが残る出来。前回のマックG監督版にあった抜けのよさがない」「作品のテーマをセリフで説明しすぎ」などがございました。

■「最近のガールズ・エンパワーメント映画の中でも群を抜いて最高でした」(byリスナー)

代表的なところをご紹介しましょう。まず褒めてる方。ラジオネーム「カメ」さん。「最近のガールズ・エンパワーメント映画の中でも群を抜いて最高でした。こんな映画を待ってました。正直、鑑賞前は旧シリーズのあの感じ……女性が男性にフックアップされ、その庇護の下で活動する。お色気シーン多め。は、今の価値観に合わないんじゃないかと思い、見るのをためらっていたのですが、思いっきりちゃぶ台をひっくり返されました。

冒頭のシーンからこの映画の伝えたいメッセージがセリフのやり取りで提示されます。私はクリステン・スチュワート演じるサビーナのセリフを聞いてはっとさせられました。女性は自分のやりたいことを自分の意思で選んでいいのです。男性に許される必要は無いんです。何よりも感動したのは、男性目線のセクシーショットがなかったことです。女性は自分がどう見られるか、自分たちでコントロールできるんだと気づかせてくれました。スパイ映画としての強度という点では、さすがにそれはないだろと突っ込みたくなるシーンももちろんあります。

でもそれ以上にあそこまで女性が男性を、文字通り全ての男性をやり込める映画を見れて、とても嬉しくなりました。今までさんざん男性のための男性が喜ぶ映画がつくられてきたのだから、こんな映画があってもいいんじゃないでしょうか。男性に女性を性的に消費させない『チャーリーズ・エンジェル』のような映画がこれからもつくられ続けますように」というカメさんでございました。

一方、ダメだったという方。「シムシム」さん。「残念ながらこれはいまいちと結論付けざるをえないでしょう。テンポの悪い脚本と編集。鈍重なアクションシーンとダラダラ続く会話劇。そして何よりシリーズに貢献してきたあのキャラクターの、ああいう使い方。クリステン・スチュワートやエラ・バリンスカのかっこよさに見惚れたのもつかの間、残念ながら本国での評価──」。まあ、非常に評価が低かったんですよね。

「本国での評価もむべなるかなと感じてしまいました。そしてナオミ・スコットが訓練をするエンディングを見て感じたのですが、強い女性像をあそこまで画一的に描く必要があるのでしょうか? 強い女性像が求められるのは良いとしても、その『強い』とは何を意味するのかについて、もうちょっと踏み込んでほしかったです。ナオミ・スコットの役柄は劇中で『MITで主席となるほどの秀才』として紹介されます。とすれば、わざわざ肉体的な強さを求めずとも、エンジェルとして活躍できる資格や強みは十分にあるはずです。

『私もエンジェルになりたい』と思って劇場に足を運んだ女の子たちが『自分には自分のよさがあって、それでエンジェルになれるんだ』とした方が断然、現代的なメッセージ性を帯びるのではないでしょうか? 時代的な流れは間違いなく『チャーリーズ・エンジェル』シリーズの方にあったはずなのに、それを生かすことができなかったのはもったいないとしか言いようがありません。(大コケしたため)続編は難しいかもしれませんが、折に触れてその時々の強い女性像が見える娯楽作として、今後も続いていってほしいシリーズだなと思います」というシムシムさんでございました。

■ その時代その時代に女性たちをエンパワーメントする役割を果たしてきたとも言える『チャリエン』フランチャイズ

はい、ということで『チャーリーズ・エンジェル』。私もTOHOシネマズ六本木とTOHOシネマズ日本橋で2回、見てまいりました。どちらもちょっとシアターとしては小さめでしたが、そこそこ入っていったかな、という感じがします。

まあ僕ぐらいの世代、歳でギリ、オリジナルのドラマシリーズ『地上最強の美女たち! チャーリーズ・エンジェル』をテレビで見たことがある世代かな、っていう感じがしますね。ちょうど『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』とか、そういうのとも重なる時期で。要は当時の女性解放運動、ウーマン・リブ運動も、そこはかとなく反映してるようなところもある、感じだと思いますけど。

特にまあ、オリジナルドラマシリーズはやっぱり、ファラ・フォーセットが大ブレイクするきっかけとなった作品としても有名ですね。で、さらにこのフランチャイズが今も多くの人の記憶に強く残っているのは、やはり2000年代初頭の、ドリュー・バリモアがね、出演だけでなく製作も兼ねた映画シリーズ二作の功績は、やっぱり大きいわけですよね。

監督マックGの、とにかくコメディ的なバカバカしさ、ケレン味を押し出した、味の濃ゆい演出がですね、たとえば一作目は97年かな、『オースティン・パワーズ』とか、あとは『オーシャンズ』シリーズとかも入れてもいいかもしれません、あのへんなどとも通じる、ちょっとレトロ風味……音楽の使い方とかも含めた、レトロ風味な時代的トレンド感ともちょうどフィットしていた、という。

あるいは『マトリックス』以降の、ワイヤーを多用した、いわゆる現実離れしたアクションの流行などとも、ちょうどその『チャーリーズ・エンジェル』は、テイストが合って。要はすごく「2000年代初頭感」あふれる二作でしたね。まあ大変に見ていて楽しい作品になっていた、という風に私は思います。あとまあ、ルーシー・リューのキャスティングで、そのエンジェルたちの人種バランスが、時代の進歩と共にアップデートされていた、というのも大きなポイントじゃないでしょうか。

ちなみに、2011年にも1回、新たなテレビシリーズ『新チャーリーズ・エンジェル』っていうのが始まっているんですが、視聴率がめちゃめちゃ低迷して、もう即打ち切りになっちゃった、ということがございました。これはちょっと僕、すいません、現状では見られていないんですが。日本でも一瞬、テレビでやっていたりしたんですけどね。ということで、今回の2019年版。エリザベス・バンクスが、初の女性版ボスレー役と製作・脚本・監督を兼ねるという、まさに2000年版のドリュー・バリモアのさらに上を行くような、大車輪の活躍ぶりで。

実際そのエリザベス・バンクスさんは、俳優としてのみならず、特にあの『ピッチ・パーフェクト』シリーズを、プロデューサーとか監督として成功に導いた実績もありますから。まあ特に昨今、フェミニズム的なメッセージがブロックバスター的なエンターテインメント大作にもガンガン盛り込まれるようになりつつあるこの時代に、そもそもその時代その時代に女性たちをエンパワーメントするような役割を果たしてきたとも言える『チャリエン』フランチャイズのですね、その最新アップデート版を担う人物として、エリザベス・バンクスさんというのは、まさに打ってつけだった、ということは言えると思います。

■最初から最後までフェミニズム的メッセージが前面に押し出された作り、そこをもってオールOK!となってもいいんだけど……

まあ実際、今回の『チャーリーズ・エンジェル』……ちなみに今回はリブートではなくて、前の映画二作や、なんならオリジナルテレビシリーズとも一応連続した世界ですよ、ということになっている作品なんですけど、とにかくその今回の『チャリエン』。これこそやっぱり、エリザベス・バンクスさんがやりたかったことなんでしょうね。本当に冒頭から最後まで、文字通り全編にわたって、フェミニズム、ガールズ・エンパワーメントなメッセージが、ちょっと露骨なぐらい前面に押し出されたつくりになっています。

なので、先ほどのメールにもあった通り、そこをもってまずはオールOK!という方がいるのも、もちろんそうかもしれないなと思います。

たとえばオープニング、クリステン・スチュワート演じるサビーナというキャラクターが、クリス・パンという方が演じている東洋系の金持ち男……僕は勝手にマックス松浦似だと思っちゃいましたけども、金持ち男と対峙しているという、最初から始まる会話が、すでにもう完全に、要は「お前ら、女なめんなよな」っていう内容ですよね。で、実際にまんまと、女性だからと油断しきっていた男性陣を、さっき言ったクリステン・スチュワートのサビーナ、そして今回、大抜擢されましたエラ・バリンスカさん演じるジェーンなど、要はエンジェルたちが、バッタバッタと、事もなげになぎ倒していく。

で、そこからサビーナが、ものすごく荒唐無稽な感じでこう、ヘリコプターに乗っかりつつ、投げキッスをして……で、そこにおなじみのテーマが流れている、という。このぐらいまでは、なるほどこれは新時代の『チャリエン』、ガールズ・エンパワーメントな時代の『チャーリーズ・エンジェル』だ、というワクワクも、ちゃんとしっかりある。「ああ、このバカバカしさはすごい『チャリエン』っぽいし、いいな!」っていう感じがしたんですね。

ただですね、まず今回、例の、『チャーリーズ・エンジェル』と言えばこれでしょう!的な……要するに『007』と言えばあのシルエット・オープニングでしょう!的な、そのチャーリーの声によるメンバー紹介オープニング、「テーレレー♪」っていうあれ(テーマ曲)が流れてくる、これをですね、やってくれないんですよね。

で、その代わりに、さっき言ったそのヘリコプターに乗っかっていくシーンの後に続くのは、これは実際の、ドキュメンタリーチックな映像というか、世界中の少女たちが生き生きとやってます!みたいな感じの、まあ非常にこのガールズ・エンパワーメントっていうのを、ものすごく分かりやすく……悪く言えば非常に説明的に表現したモンタージュが、しかもすごく唐突に、いきなりこれが始まるわけですね。はい。

「How It’s Done」っていう曲に乗せて、そのモンタージュが流れるんですけども。それで、そこからタイトルが出る、という。もちろんね、そのメッセージとしての正しさ、というところに僕は疑義を挟んでいるわけではないんですけども。それにしても、ちょっといきなりそういうメッセージ性を、あまりにも説明的に表現した映像が、しかも非常に唐突に出てくる、というところで僕は、それはメッセージの伝え方としては、いくらなんでも安易なんじゃないか?っていう風に、正直ちょっと鼻白んでしまったんですね。その段階で。

あと、そのおなじみのオープニングをやらなかった、というのもですね、今回はある意味「エピソードゼロ」でもあるので、最後にとってあるのかな?とも思ったんです。だからずっと見てたんですけども、「ああ、やっぱないんだ」っていう感じで……もちろん、先ほどのメールにもあった通り、ひょっとしたらそもそもこの『チャーリーズ・エンジェル』という設定が持っている、「チャーリーという力を持った男性の、結局はそのしもべたちである」というその構造を、嫌ったのかもしれない。で、一応今回の『チャーリーズ・エンジェル』は、最後の方でこのチャーリーという存在に対して、一ひねりを一応、提示してはいるんですけども。

でも僕は、「だとしたら、そもそも『チャーリーズ・エンジェル』なんかやらなきゃいいじゃん」っていう風に、ちょっと思わざるをえないし。

■志は立派だし、主演の3人も魅力的。だが、もろもろが中途半端

あと、だったら最初からそのチャーリーを、「今回はもうチャーリーも女性です!」って、シレッと提示すればいい話じゃないですか、別に。だから何て言うのかな、『チャーリーズ・エンジェル』をやる意味もなければ、なんかそのひねった設定も、「えっ、じゃあなんでそんなことしてるの?」って感じにもなっちゃって……っていう感じで。とにかくこれは、『007』のシルエットオープニングがない、みたいなもんで、少なくとも『チャーリーズ・エンジェル』としては、誰だってがっかりしてしまいますよ。これはツボを外してる。

だから要するに、「フェミニズム的なメッセージと(『チャーリーズ・エンジェル』本来の設定やお約束を)両立させる」っていうことを、工夫するべきですよ。そうした上でやるべきだし。だから、「(お約束のオープニングが)ないのかよ?」っていう感じで、大変がっかりした。たぶんそういう人は、世界中に多いと思うんですね。で、事程左様にですね、今回の『チャーリーズ・エンジェル』は、そのフェミニズム的、ガールズ・エンパワーメント的メッセージを込める、というその志は立派だし、主演の3人もそれぞれに個性的ですごい魅力的。すごくいいんです。

特にやっぱり、クリステン・スチュワートが非常にワイルドに演じるサビーナ。キャラクターとして、最高に立っている。クリステン・スチュワートがまあたぶん、いろんなアドリブとかもあるのかな、すごくいろいろ工夫していて。ファッションの着こなしとかも含めて工夫してやっていて、彼女が出てくるだけで楽しい、っていう部分はたしかにあるし。あと今回抜擢された、エラ・バリンスカさん。非常に手足が長くて、しなやかな体躯を持っている。それを生かしたアクション、非常に美しいし。

あとね、『パワーレンジャー』とか『アラジン』でも非常に好演していました、ナオミ・スコットも、少なくとも今回のエレーナという役には……彼女のあの、驚き・戸惑い顔がすごくいいんですよ。目を見開いて驚いたり、戸惑っている顔が大変キュートな方なので、合っていると思うし(※追記:放送時には触れ忘れてしまいましたが、発表会の直前、RUN DMC『It’s Tricky』の一節をラップして緊張をほぐす、という本筋とは関係ないくだりなども、個人的には楽しいディテールでした)。なので、要はアップデートされたメッセージ、その志やよし。だし、主演の3人もすごくいいんです。なのに……っていう感じで。

まずその、『チャーリーズ・エンジェル』ならではの楽しさ、たとえばあれやこれやのコスプレをして職業擬装をするという、そのバカバカしい楽しさの部分だとか、あるいはやっぱり『チャーリーズ・エンジェル』ならではのケレン、荒唐無稽な、振り切った、カラッとした愉快さ、みたいな方向では、あんまりツボを押さえてくれないんですね。コスプレもあんまりしない、っていう感じだし。

あとちなみに今回の『チャーリーズ・エンジェル』、銃をガンガン撃つんです。なんなら銃で撃ち殺しもしているんですね。これは正直、すごく『チャーリーズ・エンジェル』っぽくないです。銃は撃たない、マーシャルアーツ、自分たちの身ひとつで戦う、っていうところが『チャーリーズ・エンジェル』なんだ、という風に、たしかドリュー・バリモアもそこをこだわって作った、って言ってたはずなんですけども。そこも「ぽくない」あたりだったりしますけど。

かと言って……じゃあ、いい。今までの『チャーリーズ・エンジェル』らしさは捨てても、それとは違う最新型女性アクションとして何か突出したものがあるか?っていうと、そっちとしてもかなりヌルい仕上がり、と言わざるをえない。やたらとグラグラするカメラに、せわしない編集で、とにかくすぐにカットを割ってしまう。アクションをひとつながりの流れとして見せないから、アクションとしてのすごさ、みたいなものも伝わってこないし。

あと、ところによってはなんか、編集が上手くないのか、つながりがよくわかんない流れがあって。「あれ? この人、なんでいつの間に車に乗っているの?」とか、「いつの間にここにいるの?」みたいな、つながりがよくわからない流れも多かったりして。アクションシーンがとにかく、かなりヌルい仕上がり。少なくとも女性アクションとして、『アトミック・ブロンド』や韓国映画『悪女/AKUJO』があれだけの水準を示して以降、このレベルではとてもとても……という感じになっちゃってると思います。

■見せ場に新鮮味がなく話運びもガタガタ

そして何より、各見せ場に新鮮味が全くない上に、お話運びがグダグダ、ガタガタで。「なに、結局今までの大騒ぎは何だったの?」っていう風に、見ているこちらも何だかよく分からなくなってくるような、ピントが著しくボケた内容になってしまっている、という。だからつまり、『チャーリーズ・エンジェル』的でもなければ、だからといって違う方向でも面白くはなっていない、という、非常に中途半端な内容になっちゃっている。

たとえばですね、本作におけるまさに「マクガフィン」、要するにみんなが奪い合うお宝である、「カリスト」という装置が出てくるわけです。で、それを盗み出すために、3人とも変装して会社に潜入する。まあ、とても『チャーリーズ・エンジェル』らしい見せ場になっておかしくないくだりですよね。でもまず、その潜入の手口が、単に関係ないおじさんからIDを盗んでピッとするだけ、なんですよ。前の『チャーリーズ・エンジェル』だったらたぶん、おじさんに変装する、ぐらいの感じだと思うんだけど。ねえ。LL・クール・Jに変装までしてたんだから。

それが、IDを盗んでピッとするだけ。で、盗み出すくだりも、何のサスペンスも盛り上がりもない。ただ単に、みんなが見ていない時にこうやって持ち出すだけで、単にこの会社の警備がザルなだけ、にしか見えないわけですね。で、これはちなみに、クライマックスでもそうで。部屋に閉じ込められたキャラクターがどう救出されるのか?っていうくだりで、単に敵が、その場をお留守にしているうちに、鍵をスリ取られて、ガチャッて開けるっていう……単純にこの段取り全体がつまんねえよ!(笑)っていうことになっちゃっている。

で、まあとにかくその、会社に潜入するシークエンス。結局1個だけ手に入れたその大事なカリストという装置。まあ、これを取るために入ったわけですね。それをどうするか?っていうと、単に「シャッターを開けるためだけ」に、使い捨ててしまうんですよ。「じゃあ今までの騒ぎって何だったの? これを取りに入ったのに、それを今、使い捨てちゃうってどういうことなの?」っていう。しかも、シャッターが開くだけ、なんですよ。そして、がっかりな着地なだけではなく、ここの場面は、特に罪もない人の命を奪う結果にもなってしまっている。

もちろんね、人の死をギャグにするタイプのエンターテイメント映画っていうのはありますよ。僕も好きですよ。たとえばロジャー・ムーア時代の『007』とか、あとシュワルツェネッガーはだいたい、99%がそういう映画ですよ(笑)。だけどこの『チャーリーズ・エンジェル』の、このシーンでの人の死はですね、その後もやたらと「その人を死なせてしまった」っていうことを話題にするわりに、ギャグにしたいのか何なのか、単に後味がふんわり悪い、というだけにしかなってなくて、全く意図が不明な感じです。後味が本当に悪い。

■とにかくピントがボケすぎてて……ただし最終勝利のロジックやエンドロールはメッセージ性とケレンが合致していたりもする

あるいはですね、中盤の見せ場ですね、イスタンブールの競馬場に潜入する、という、やっぱりこれも『チャーリーズ・エンジェル』らしい、コスプレとか荒唐無稽な展開が期待できるシチュエーションですよね。ちなみにその前、エレーナが、「あなたは死んだことになってるんだからバレないようにおとなしくしてろ」とか言われるのもですね、なんかよくわかんない。「えっ、どこで死んだってことにされてたんだっけ? 車が水没したくだり? でもその後、会社に潜入とかしてるしな……」って。

まあ、よくわかんないんですよ。とにかく一事が万事この調子なんで、全部に突っ込んでいるとキリがないんですけども。とにかくその競馬場。差し当たっての悪役が、カタールの王子と一緒にいる、なんてことを言うんですね。そうすると、そのエラ・バリンスカさん演じるジェーンがですね、麻酔銃で狙撃……まあ、急に狙撃しだすのもよくわかんないんだけど、麻酔銃で狙撃をしようとするんですけど、「普通に失敗する」んですよ。別にアクシデントが起こったわけでもなく、「普通に外す」んですよ。なんだそりゃっていう感じなんだけども。

まあとにかく悪役たちを乗せた車が出発しちゃった、ということで、慌ててサビーナが馬で追いかけるわけ。まあ、馬も当然出てくるでしょう。「これは馬vs車の、『ジョン・ウィック3』ばりのチェイスが始まるのか?」と思いきや……特にそれはなく。追跡のための、なんか信号装置みたいなのを投げて、ペチーンって貼り付けて終わり、なんですよ。馬を使うの、ここだけなんですよね。なんかがっかり……って感じだし。それでまあ、追跡装置を付けたんですよ。

じゃあ、その追跡装置のピコンピコンってなってるレーダーとかを追うのか、って思うじゃないですか。でも、普通に車で頑張って追跡しているんですよ。「いや、追跡装置、付けたんでしょう? 頑張らなくていいじゃん!」っていう感じなんだけどさ(笑)。追いかけている。それで行き着く先が、いかにも悪党が取引等に使いそう、そして銃撃戦とかが始まり、石を砕くベルト上で格闘とかが起こりそうな……で、実際にそうなる、っていう採石場に行くんですね。つまり、非常に陳腐なロケーションで、そこを実際に陳腐化した使い方しかしない、っていう。

で、この時点で、さっき言ってたカタールの王子云々は、どっかに消えています! だからもう、本当によくわからない。で、その後も、とあるキャラクターがその場から突然姿を消して、後に疑惑の的になる、というくだりがあるんだけど、後からいろいろと真相なるものを説明するくだりがあるんだけど……「いや、お前がその場を去ったことの説明には一切なってないから!」っていうことだったりする。で、またその採石場で、またですよ、まーたシャッターを開けるの開けないので、ゴチャゴチャとやっているんですよ!(笑)

あと、せっかく麻酔銃を使ってるっていうはずなのに、人死にばかり出て、何の成果もない、っていうことになって。だからとにかくピントがボケまくってて、ちょっと理解に苦しむ、イライラさせられる。「今のくだり、何だったの?」っていう……そのくせ起伏にも乏しい、という展開が延々と続く。で、まあ辛うじてね、そのクライマックス。パーティー会場に乗り込んできたサビーナとジェーンがね、やおらそこで、ステップをビシッと決める!という。そこはまあすごく『チャーリーズ・エンジェル』らしいケレンが一瞬あって……でもまあ、そんぐらいなんですね。こういうのをもっと全面展開すればいいのに、っていう感じなんです。

それで後はもう、さっき言ったように、その監禁から解放が、全く盛り上がらない!っていう。鍵をただスって、ガチャッと開けるだけ。あと、悪漢たちが、エレーナに金の首輪をつけるんですね。これは分かります。「女性を従属的な存在におとしめようとしている」というのを記号的に、メタファーとして使っている、というのはわかりますが、物語上の必然性が全く示されない……なにせ、その金の首輪に鎖がついているんですけど、その鎖を、途中ではもう、誰も持ってないんですよ。持ってないまま部屋に放置されて……だって、この女の人がこの機械をプログラミングしたんでしょう? それを置いていっちゃうんですよ。なんかいろいろ油断しすぎじゃないか?っていう。

とにかく、よくわからない。まあ、最終的なそのチャーリーズ・エンジェル側の勝利のロジックとか、あとエンドロールで、歴代エンジェルであるとか、あるいはさまざまなジャンルで活躍する女性たちが出て来くるくだりとか、まあそのエンパワーメントというメッセージと『チャーリーズ・エンジェル』的なケレンっていうのが、一応一致してる感じもするところも、なくはなくて。もっとこのテンションで全体をやればいいのにな、という風には、エンディングに至って思った次第です。

■次があるならもっと良くなる可能性も秘めていたのに……もったいない

まあエリザベス・バンクスさんですね、アメリカの『SUN』という新聞のインタビューに答えて、「もしこの映画がヒットしなければ、ハリウッドで『男性は女性のアクション物を見に行かない』というそのステレオタイプ(偏見)を助長してしまうよ」なんてことを言っていたんですけど……ただ、今回のその『チャーリーズ・エンジェル』、興行的にも大コケしましたし、そしてその評価的にも大不評なんですけど、僕はそういう問題じゃないと思うんですよね、これ。

端的に、まずその『チャーリーズ・エンジェル』という題材のツボを外してしまってる、ということと、後は各見せ場の質がぶっちゃけ中途半端で著しく低いから、ということに尽きるという……つまり、メッセージとしての正しさは、作品としての良さを全面的に担保するわけではないですからね、っていうことに尽きると思うんだよな。ただ、全部が悪いわけではない。見ていて楽しいとこもあるし、っていうところで僕、この微妙なバランスは、『エージェント:ライアン』とかを思い出しました(笑)。ケネス・ブラナー(監督)のね。あれも一作で終わっちゃいましたけども。

ということで、主人公、主演の3人は、大変魅力的にキャラクターも立ってたし、まあ「エピソードゼロ」的なところもあるので、ぶっちゃけ次があるなら、もっと良くなる可能性はある作品でもあると思います。その可能性は全然秘めている作品だと思うんです。ただ、あまりにもやっぱりコケてしまいましたし、それもむべなるかな、な出来なので。まあ、次はないということでしょうね。

なので、ちょっとこれはもったいないかな、志はいいと思うだけに……っていう感じだと、僕は結論づけざるをえない感じです。ただ、僕が言っているような、「またシャッター?」みたいな感じで(笑)、いろいろと突っ込んで見るのは楽しいかもしれません。ということで、コロナウィルスの影響とかいろいろあるとは思いますが、落ち着いたあたりでもいいですからね、皆さんぜひぜひ劇場、もしくはいろんな形で、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『1917 命をかけた伝令』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(以下、ガチャパートにて)ちなみに今日、『チャーリーズ・エンジェル』が期待されていたオープニングを流さなかったという……これは、今日の放送でオープニング曲『After 6』をかけなかったじゃないですか。あれ、『チャーリーズ・エンジェル』のオマージュです!

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