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「いま最も信頼のおけるロックバンド、THE 1975入門〜80年代オマージュ編」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/05/22)

「いま最も信頼のおけるロックバンド、THE 1975入門〜80年代オマージュ編」

いま最も信頼のおけるロックバンド、THE 1975入門〜80年代オマージュ編http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200522123746

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

高橋:今日はこんなテーマでお届けいたします! 「本日新作リリース! いま最も信頼のおけるロックバンド、THE 1975入門〜80年代オマージュ編」。

今日、日付が変わったのと同時に通算4枚目のニューアルバム『Notes on a Conditional Form』をリリースしたロックバンド、The 1975を紹介したいと思います。The 1975は2013年にアルバムデビューしたイギリスはマンチェスターに拠点を置く4人組ロックバンド。世代的には1988年~1990年生まれ、アラサーのメンバーで構成されているんですけど、いまを生きるロックバンドとしてひとつの理想像を体現しているバンドと言っていいと思います。

スーさんはご存知だと思いますが、もうここ数年アメリカの音楽作品の売り上げはヒップホップがロックを上回って最大ジャンルになっています。今週の全米シングルチャートも上位10曲すべてヒップホップやR&Bで占められていて。そんなロック不遇と言われる時代に、The 1975はロックバンドの矜恃や美意識を保ちながら現代の新しいサウンドや新しい社会の価値観を見事に血肉化している、いま最も信頼できるロックバンドといえるでしょう。

スー:ほう!

高橋:今回のニューアルバムにしても、オープニングはスウェーデンの活動家グレタ・トゥーンベリさんの環境問題についてのスポークンワードで始まって、そこから「これからは俺たち若い世代が新しい価値観で世界を変えていくんだ」と宣言する「People」へと流れていく構成になっているんですよ。このオープンニングが血が滾るようなとんでもないかっこよさで。

スー:本当にそうなってほしい! お願いします!

高橋:The 1975はこうした環境問題のほかにも、たとえばジェンダーイクオリティ(男女平等)を強く訴えていて。最近ではジェンダーバランス(男女比率)が不均衡な音楽フェスには出演しないと表明したことが話題になりました。

そうした環境問題や男女平等に加えて、今回の新作ではLGBTQやデジタルデトックス(インターネット依存)なども題材にしているんですけど、彼らはそういったメッセージを多種多様なサウンドに乗せて表現していくんですよ。パンク、フォーク、テクノ、ハウス、ヒップホップ、ファンクなど、カメレオンのように曲によってスタイルを変えていって。でも、それがちゃんと「ロックバンド:The 1975」として一貫性を維持しているんです。本当にすごいバンドなんですよ。

そんなThe 1975なんですけど、サウンド自体は基本的にめちゃくちゃポップで。特に80年代ポップスの要素を取り入れたキラキラした甘酸っぱいサウンドが彼らの大きな魅力になっているんですね。今回のニューアルバムも含めたこれまでの4枚のアルバムにも、必ず一曲はスピッツみたいな胸キュンソングが収録されているんです。

今日はアラフォー/アラフィフのリスナーの皆さんにもThe 1975に親近感を抱いて欲しいということで、彼らが80年代サウンドを取り入れた楽曲から選りすぐりの4曲聴いてもらいたいと思います。

スー:お願いします!

高橋:まずはニューアルバムから一曲聴いてもらいましょう。

M1 If You’re Too Shy (Let Me Know) / The 1975

高橋:ちょっとティアーズ・フォー・フィアーズ風というかね。

スー:俗に言う「懐メロの新譜」ですね。

高橋:フフフフフ、本当に。ジョン・ヒューズが監督した青春映画のサウンドトラックに入っていそうな曲ですよね。

スー:完全に入ってる!(笑)

高橋:この「If You’re Too Shy (Let Me Know)」はアルバムの先行シングルとして4月23日にリリースされているんですけど、偶然なのか狙ったのか、ポストコロナのラブソングになっているんですよ。歌い出しの「I see her online」(彼女と会うのはオンライン上)からわかると思うんですけど、オンラインデート/リモートデートを題材にしたラブソングで。このあたりの感覚がまた絶妙なんですよね。

次は2018年リリースの前作『A Brief Inquiry into Online Relationship』より、「It’s Not Living (If It’s Not With You)」。この曲、ミュージックビデオはトーキング・ヘッズの映画『ストップ・メイキング・センス』のパロディ仕立て、そして曲のメロディはベリンダ・カーライルの「Heaven Is a Place On Earth」似という。

スー:フフフフフ。

高橋:これだけだとわけがわからないと思いますが(笑)、そこにきてタイトルは「君がいないなら生きている意味がない」。「これはめちゃくちゃ甘酸っぱい曲だ!」と思いきや、ここで歌っている「君」は実はドラッグのメタファーなんですよ。まあ、それを踏まえたうえであれば甘いラブソングとして聴いてもいいんじゃないかと思います(笑)。

M2 It’s Not Living (If It’s Not With You) / The 1975

スー:甘酸っぱいね。でもドラッグの歌なんだよね(笑)。

高橋:そう、初めて洋楽を聴いたころの気持ちが甦ってくるような曲なんだけどドラッグの歌(笑)。

次、3曲目は2016年のセカンドアルバム『I Like it When You Sleep, for You Are So Beautiful Yet So Unaware of It』より「UGH!」。これもラブソングを装ったドラッグの曲、ラリった状態を歌った曲なんですけど、曲調としてはもろにスクリッティ・ポリッティの「Perfect Way」を参照したようなキラキラしたシンセファンクになっています。

M3 UGH! / The 1975

高橋:最後はふたたびニューアルバムから「Me & You Together Song」を。この曲は「ずっと彼女に恋してるんだけどうまくいきそうにない」とぼやく片思いソング。でもメソメソしてない明るい片思いソングですね。曲調的にはもはやスピッツ。スピッツをシューゲイザー的というかネオアコ的というか、UKギターポップ風味にアレンジしたような曲で。どちらかというと90年代的なところもありますが、もうめちゃくちゃ甘酸っぱいです。

M4 Me & You Together Song / THE 1975

高橋:これは胸キュンでしょ?

スー:すごい! 胸キュンで炭酸シュワシュワ!

高橋:この曲、ミュージックビデオが『クルーレス』や『エンパイア・レコード』あたりをモチーフにした90年代の青春映画風で。こちらも最高なので併せてお楽しみください。

というわけで計4曲紹介してきましたが、これはThe 1975というバンドの一側面にスポットを当てたにすぎないんですよ。興味を持たれた方はぜひ各サブスクリプションサービスにある入門用プレイリストを聴いてバンドの全貌をつかんでいただきたいです。

スー:かしこまりました。堀井さんも胸キュンしました?

堀井:はい、三宿の『チーズケーキファクトリー』に行きたくなりました。

スー:アハハハハ! 正しい!

高橋:本日リリースのニューアルバム『Notes on a Conditional Form』もぜひチェックしてくださいね。まちがいなく2020年の最重要アルバムです!
Notes On A Conditional Form (Standard CD) Notes On A Conditional Form (Standard CD)
生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

5月18日(月)

(11:06) Sun Song / Stuff
(11:36) Alone Too Long / Daryl Hall & John Oates
(12:13) Doctor Wu / Steely Dan
(12:47) 砂の女 / 鈴木茂

5月19日(火)

(11:04) Someday Man / The Monkees
(11:24) Bitter Honey / The Holy Mackerel
(11:36) Always You / The Sundowners
(12:12) Kinda Wasted Without You / Roger Nichols & The Small Circle of Friends
(12:23) Let’s Ride / Royalty
(12:47) The Drifter / The Sandpipers

5月20日(水)

(11:04) Culture Club / Time(Clock of the Heart)
(11:22) Duran Duran / Save a Prayer
(11:35) Kajagoogoo / Hang On Now
(12:17) Spandau Ballet / She Loved Like Diamond
(12:23) The Drifter / The Sandpipers
(12:49) 米米CLUB / リッスン

5月21日(木)

(11:04) Chega de Saudade / Joao Gilberto
(11:35) Discussao / Sylvia Telles
(12:19) Tem do de Mim / Carlos Lyra
(12:51) Voce e Eu / Maysa

5月22日(金)

(11:04) Cherish What Is Dear to You / Freda Payne
(11:20) Don’t Count Your Chickens (Before They Hutch) / Honey Cone
(11:32) Working on a Building of Love / Chairmen of the Board
(12:14) Women’s Love Rights / Laura Lee


宇多丸、『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』を語る!【映画評書き起こし 2020.5.22放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、T-34 レジェンド・オブ・ウォー』20191025日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン改め、最新映画ソフトを評論する新作DVDBlu-rayウォッチメン。今夜扱うのは、429日にDVDBlu-rayが発売されたばかりのこの作品です。T-34 レジェンド・オブ・ウォー』

(曲が流れる)

第二次世界大戦時、ナチスの捕虜となったソ連兵が、たった4人の味方と1台の戦車で無謀な脱出作戦に挑む、ロシア製戦争アクション。主人公のソ連の士官ニコライ・イヴシュキンを演じるのは、『魔界探偵ゴーゴリ』シリーズなどに出演するロシアの人気俳優アレクサンドル・ペトロフ。イヴシュキンを追うナチス・ドイツの大佐イェーガーを演じるのは、『ジェイソン・ボーン』などに出演しているヴィンツェンツ・キーファーさん。監督・脚本を務めたのはアレクセイ・シドロフさん。製作として、『太陽に灼かれて』などの名匠、ニキータ・ミハルコフが参加している、ということでございます。

ということで、この『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』を見たよというリスナーの皆さま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。去年ね、公開時のタイミングで非常に多くの方からリスナー推薦メールもすでにいただいておりまして。公開時に見たという方もいっぱいいらっしゃるかと思いますが。ということで、来ているメールの量は普通なんですが、賛否の比率は7割が「褒め」。

主な褒める意見は、「エンタメに振り切った作りで分かりやすく、面白い。これはこれで大いに有り」「戦車戦の緊張感で手に汗握った。砲撃や被弾した時の音もすごい!」「主人公やその仲間たちもよいが、ライバルのイェーガー大佐が最高!」などなどがございました。一方、批判的意見としては、「バトルは面白いがドラマパートがベタすぎていまいち」「敵も味方も間抜けすぎでは?」「戦車といえばタイガー(ティガー)戦車だろう!」っていうね。でも、パンターが出るのがまたミソだったりするんじゃないですかね……などの声がありました。

B級大味大作なイメージを良い意味で裏切らない。テンションぶち上がり!¥」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「ぺぺラッツ」さん。「こんにちは。20代の女です。『T-34』、今年のお正月に映画はじめとして劇場で見た作品です。帰省し、暇を持て余していた際、地元の劇場で前情報ゼロなのにポスターだけでこの作品を選んだ自分を褒めてやりたい。映画館で見て本当に良かった」。この感じがいいね。前情報を入れずに、あんまり期待せずに行ったら……ぐらいが一番いいかもしれないですね。

……壁をブチ破る戦車の圧倒的な重量感。噴き上がる炎。爆音。あの巨体の内部で繰り広げられる繊細な計算と策略とチームワーク。ゆっくりとしか動かない砲台の緊張感。ケレン味たっぷりのド迫力戦車バトルがあまりもかっこよすぎて、私の脳のキャパシティーを超え、ぶっちゃけストーリーをあんまり覚えていません。

主人公のソ連兵たちも男前でしたが、悪役であるはずのドイツ軍将校イェーガー大佐がとんでもなく魅力的でした。計算高く冷酷。最後の最後までカッコいい。頬の傷も相まって、なんとなくジョーカーを演じるヒース・レジャーに面影を重ねたりしました。ポスタービジュアルから受け取るB級大味大作なイメージを良い意味で裏切らず、最高にテンションぶち上がりな1本でした。ダイナミック完全版も気になる!」という方です。

一方、いまいちだったという方。ラジオネーム「ひとみってぃカンク」さん。「『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』、見ました。この作品を一言で言うと『そんなアホな!』映画。薄い物語です。見世物としては面白かったのですが、あまりにも演出が素人っぽくてダサいのと、恋愛やら友情やらを短期間のはずなのにたくさん詰め込みすぎて、深みもないし散漫になってしまって何を言いたいかよく分からず、『ただ監督のやりたいことをいろいろとやってみました映画』的な映画に仕上がっていると思いました。ツッコミながら鑑賞する分にはよろしいでしょう」とかね。いろいろと突っ込みどころがあるよという。「ということで、よほど戦車が大好きという方以外は見なくてよいかと思います」というようなご意見もございました。

スクープ。ロシアでテレビ放送された3時間版、日本でもや公開決定!

ということで『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』、私も劇場公開タイミングでね、本当に見逃しちゃっていて。Blu-rayを予約して、このガチャが当たる前にもう見ているんですけれども。インターナショナル版、いわゆるその最初の公開版113分版と、ダイナミック完全版、139分版の違いを比べたりしながら見たりしました。行ってみましょう。ロシア本国で記録的大ヒットとさっきも言いましたけど、日本でも、昨年10月に劇場公開されて、本当に熱狂的な支持が広がって……というね。で、26分長いそのダイナミック完全版もすぐ公開になったりということで。このコーナーにも熱烈な推薦メールが、何週にも渡って大量に届いていたりとか、とにかくめちゃくちゃ熱いファン層がすでにがっつりいる感じの作品になっている、『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』です。

で、僕も遅まきながらようやく見てですね……なるほどこれは本当に、先ほどメールにあった通り、そのジャンル映画的なある種の型、枠組みの中で、「ああでも、たまにやっぱりこれ級のに当たるから、映画を見るのはやめらんねえよな!」っていうか、ちょっと嬉しくなっちゃうタイプの面白さにあふれた、娯楽映画の本当に快作だな、という風に思いました。

ということで、僕なりに本作の面白さ、その魅力の本質みたいな部分を、かみ砕いてお話していきたいと思うんですけど。ちなみに本国ロシアではですね、対ドイツ戦勝記念日にあたる今年の59日に、3時間のエクステンデッドバージョンがテレビ放映されたそうで。

さすがに今回僕はそれ、見られていなくてですね。5月にテレビでやったばかりなんで、申し訳ないなと思っていたところですね……な・な・なんとこれ、配給会社の方からのちょっとエクスクルーシブな情報としてですね、コロナウイルス感染拡大状況の推移にもよるとは思いますが、3時間版の日本劇場公開が、すでに予定されている!ということで。これ、実はこの配給会社さんに許可いただいた、スクープ情報となっております! この場で初出し情報です。3時間版、日本でもやるそうです!

ということでまあ、どれだけ人気なんだ『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』!っていうことですけども。

■近年のロシア映画界はちょっとした戦車映画ブーム

まず、近年のロシア映画、ちょっと軽い戦車映画ブームみたいのがあって。2012年の、言ってみれば戦車版『激突!』というか『ジョーズ』というか『白鯨』というか……な、『ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火』という作品あたりから、戦車物が徐々に流行ってきていて。たとえば、三宅隆太さんが昨年のベストに入れてらっしゃった、2018年の『タンク・ソルジャー 重戦車KV-1』という、このT-34よりもさらに重戦車なKV-1をメインにした作品。これも配信で見たらすごく面白かったし。

あと、今回のそのタイトルにもなってるT-34……言ってみればソ連、ロシアの国民的戦車ですね。日本で言うゼロ戦的なものというかね。それが開発直後に試験走行したっていう史実を膨らませた、一応本当にあった話をベースにしている『T-34 ナチスが恐れた最強戦車』というね……これは『映画秘宝』の座談会で青井邦夫さんが「『超高速! 参勤交代』みたいだ」って言っていて(笑)、これがすごい納得して笑っちゃったんですけども、これもすごい面白かったですし。という感じで、とにかく戦車物が盛り上がってて、なかなかどれも充実している、という近年のロシア映画なんですけども。その中で特にこの『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』は、やっぱり突出して「エンターテイメントとしての精度が高い」一作ということが言えるかと思います。

脚本・監督のアレクセイ・シドロフさん。いろんな作品の脚本・監督で、要するにロシアの娯楽映画を担ってきたような作り手の方なんですけど。この方の脚本・監督作品、他には僕、唯一ですね、後に『3』までシリーズ化される、英語タイトルで『Shadowboxing』シリーズっていうね、2005年の一作目、日本語タイトルは『アルティメットウェポン』という、ものすごいどうでもいいタイトルがついている(笑)、これしかちょっと見られていなくて。

これ、ちなみに『アンカット・ダイヤモンド』にも出ていたジョン・エイモスとかが箔づけでちょっと出演しているようなやつで。なんかボクシング物かと思いきや、行きあたりばったり的にどんどんとちょい地味クライムアクションになだれ込んでいくみたいな、ものすごいギクシャクした変な映画だなって思ったんですけども。でもアレクセイ・シドロフさん、2005年の作品ですから、ずっとそれでね、映画作りに関わってきて、非常に腕を上げてこられたのかもしれませんね。

まあ本作、この『T-34』の着想というのは、パンフレットに載ってる発言とか、あるいはですね、『月刊PANZER』というね、もう戦車専門誌! こちらのインタビューなどによればですね、独ソ戦争中に、ドイツ軍がソ連の戦車兵を使って本当に実戦演習をしていた、本当に戦車兵を乗っけて実戦演習をしていたという、その証拠が発見されたんですね。で、その事実を元に、まず戯曲が書かれてて、それの映画化作品も作られた。本作『レジェンド・オブ・ウォー』の元ネタ的によく名前が出される、1965年のソ連映画『鬼戦車T-34』っていう……これは昨年度のベスト企画の時にも高橋洋二さんがこの『T-34』の話をしてる時に、『鬼戦車T-34』の話もしてましたよね。

原題は『Жаворонок(ヒバリ)』という、この『鬼戦車T-34』という作品自体は、わりとアート映画的な作りでもあったりするんですけど。その『鬼戦車T-34』の、ハッピーエンド版というか、エンターテイメント版というか……みたいなものをこのアレクセイ・シドロフさんは作りたかった、というような、大雑把に言えばそういう意図ですね。なので、実際にこの『鬼戦車T-34』と見比べてみると、たしかに基本設定は、元にした史実が同じだから当然似ているし、T-34でですね、街中に侵入して、ビールをゲットする、というあのくだりとかははっきりこれ、『鬼戦車T-34』のオマージュと言っていい部分なんだけども、全体のトーンや展開は、まるで似ていない。

■戦争映画の重さを極力廃し、ミリオタ的なディテールやゲーム性、サスペンスに特化

むしろ本作『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』はですね、その『鬼戦車』その他のロシア製の戦争映画、他には必ずわりとあるような、悲壮感であるとか悲劇性であるとか、あるいは戦争というものの悲惨さ、残酷さ、虚しさといった、要は重たい要素っていうのを、ばっさりと取っ払って。はっきりと意図的に取っ払って、入れないようにしているということ。さっき言ったように、エンターテイメントとしての精度をひたすら高める、娯楽映画、ジャンル映画としての楽しさに徹している、っていうところにその特色がある作品になっているというのは、明らかかと思います。

たとえばですね、現代映画ならではの「リアル」面の追求というようなものもですね、たとえば、本物のT-34の車体を使って撮影してますよっていうね……これはちなみに『映画秘宝』の監督インタビューによれば、ロシアには走行可能なT-34の実物が今でもゴロゴロある(笑)、っていうことらしいですね。ものすごいいっぱい台数作られた戦車なので、たくさんあるということで。まあT-34の本当の車体を使って、たとえば車内のシーンまで本物を使ってると。なので、セットじゃないんです。だからスタッフが入れないので、俳優の皆さんが、自分でメイクしたりカチンコを鳴らしたりしてた、っていうね、そういう撮り方をしてるぐらいらしいんですね。

あるいは、たとえば非常に戦車映画の描写として「ああ、これはなかなかフレッシュ!」っていう、要するに見たことないっていう、かつリアルな描写として、被弾の衝撃で車内がゴーン!ってなって、乗員が気絶したり、意識が朦朧としたりする、っていう描写とかがある。そういういわばミリタリーオタク、ミリオタ的なディテールの「リアル」追求はすごいしてるわけです。なんだけども、当然もう一方で実際にはあるはずの、死体であるとか負傷であるとかっていう、ゴア的なリアルっていうのは、あえてほとんど全く見せない、というバランスで作っているっていうことですね。

で、むしろ強調されているのは、戦車同士の駆け引き、言わばその戦車戦ならではのチェス的なゲーム性……つまり戦車っていうのは、一度にやれることが限られてる分、映画的な時間の引き延ばし、サスペンス性の、ロジカルな構築に向いているわけですよ。一気に勝負がついてしまわないところ。まあ、潜水艦物もそうですけどね。こうやって相手の位置をたしかめて、さあ、どう出る?ってところに、駆け引きの面白みがある。引き延ばされた時間の中に、面白みが作れる。つまり映画的な面白みが作れる、っていうことなんですけど。

そんな風に、戦争が持つ生々しい無残さ、残酷さみたいなもの、あるいは、たとえばナチスの悪逆非道ぶりとかね、そういうのも含めて、そういう重さみたいな、後味の悪くなりかねない要素みたいなのを、できるだけ作品内には入れず……本当はあるんだけど、作品内では描かず、あくまでミリオタ的なディテールと、駆け引きのゲーム性、ロジカルなサスペンスの組み立て、その楽しさに集中してみせている、という点。その点においてですね、これは当然のことながらアレクセイ・シドロフさんは「日本に来たらインタビューで全員このことを聞くんだけど、私は見ていない」っていう風に言ってるんだけど(笑)、やはりあの、『ガールズ&パンツァー』シリーズですね。

■異なるゲーム性やアイデアが盛り込まれた戦車戦の数々

僕も2015125日にですね、劇場版をこのコーナーで評しましたけど。たしかに『ガールズ&パンツァー』シリーズと、楽しさの質がかなり近いものがある、という風に思いました。とにかく対戦車戦がいくつか見せ場として用意されてるわけですけど、それが各々異なる空間配置から来る、異なる戦術ロジック、要は異なるゲーム性、アイデアが豊富に仕込まれていて、という。あるいは、たとえば忘れちゃいけない、ちょっと遊びの部分ですけど、『白鳥の湖』に乗せた「戦車バレエ」とかすごい楽しいシークエンスが設けられてたり。しかもそこに、たとえばそのT-34の、当時はすごく先進的だった傾斜装甲というね、斜めを向いてる装甲に砲弾がバーンとかすって……っていう。そういうのを、『マトリックス』的なVFXで、分かりやすくケレン味たっぷりに見せていく。

あるいは、その(描写をVFXで)引き延ばすことによって、「何がどうなったのか」の説明をするような描写になっていたりする、というあたりとか。あるいは、ドイツ側は、当時最新の、赤外線暗視装置を備えている!とか。そういうミリタリー的にグッとくるガジェット描写みたいなものも、ふんだんに盛り込まれてたりして。しかもですね、これももちろんというべきか、アレクセイ・シドロフさん、脚本の組み立てとか、個々の位置関係、これがこう動くとこうなる的な空間アクションの、観客への飲み込ませ方が非常に上手いので。僕を含めて、特にそこまで戦車、兵器などに詳しくなくても、物語上必要な理屈はちゃんと理解できる、誰でもすんなりと楽しめるようにちゃんと作ってあるっていう。ここはまあすごい偉いなと思いますね。

たとえば冒頭、アレクサンドル・ペトロフさん演じる主人公のニコライが、食料運搬車に乗っていて、坂道を登っている。その坂道の向う側に敵戦車が出てくる。その攻撃をかわしていくというシーン。まず彼がここで使う、その弾を除けるロジックとテクニックが、クライマックスの一騎打ちでも、やっぱり再び生かされるわけですよね。そういう構成とかも実に王道的ですね。主人公が最初に見せたテクニックが、クライマックスでもまた生かされる。非常に王道的ですし。

あるいは、戦車戦のその初戦。彼にとっての初陣でもありますけどね。主人公が乗るT-34の、初期型T-34/76というね、これは後半で活躍する、要するに改良型のT-34/85との違いも、これは獄中にいてその新型を知らなかった登場人物たちの驚きのセリフを通じて、さりげなく一般の観客たちにも、ちゃんと説明してるわけです。T-34に見えるけど、デカいし……なんだ、これは?」「いや、これは新型で砲塔が85になっているんだ」みたいな説明があるということで。これもまあ非常にすんなりと飲み込ませてくれる。

まあとにかくその、最初の初陣の段階、T-34のその初期型と、ドイツの3号戦車との戦いは、村ごとそのセットを作ったというね、あの村の中で、陽光の下、明るい中での戦い。その中で、たとえば本当は村にいたりするはずの、巻き添えになるはずの一般人の姿とかは一切なかった。まあ演習をする用ということもあるんでしょうけども、一般人が巻き込まれたりする、悲惨な描写がない、排除されている、というのも今回の特徴ですよね。

で、この場面は、言っちゃえば西部劇的でもあったりとか。あるいは、建物を挟んで、並行して走りながら撃ち合うっていうのは、ジョン・ウー的と言っていいと思うんですけど。そういうケレン味もあったりなんかして。一方ですね、同じ戦車戦でも、たとえば後半、そのT-34の改良型である、T-34/85 vs パンター戦車ですね。パンター戦車、ドイツ軍が最後に投入した、性能そのものはすごくいいんだけど……というパンター戦車との戦い。その、対戦車としての、戦力差はすごいある、という戦いなわけですけど。

入り組んだ街路地を利用した、しかも夜間戦ということで。見え方としてかなりやっぱり変化がありますし。ここは本当に、まさにチェス的な駆け引き……要するに、「敵があそこにいるからこう動くと、ここががら空きになるからこうなって……という、そのロジックの積み重ねが最高に堪能できる。本当にチェス的ですね。楽しいシーン、シークエンスですし。基本、限られた狭い空間でお互いに居場所が分からない状態、というセッティングだからこそ可能になった……本来ね、その戦車戦っていうのは、ある程度、もちろん距離を取って戦うものですよね。戦車っていうのは。

なんだけど、戦車同士がお互いに居場所がわかんないまま狭いところで戦ってるから、一瞬にしてそれが実はゼロ距離!っていうことに気づくっていう……それで「うわっ!」っていうような、超スリリングな状況が一気に現出するという、これは非常によく考えたセッティングだな、という風に思ったりとかね。いちいちこれ、うれしくなっちゃいます。「うわっ、またこんなサービスしてくれた! ありがとう! ありがとうね!」って僕なんか思っちゃう、っていうね。

■本作の大きな魅力は“片想いキャラ”ライバル役イェーガー大佐!

まあ、事程左様にですね、先週の『EXIT イグジット』もそうでしたけど、伝統的な、既に手垢がつきまくってると言えるジャンル映画の枠組みを使って、豊富なアイデアと現代的な密度、スピード感で、改めて新鮮にパッケージングしてみせるという、まさに娯楽映画っていうのはこうあるべきだよね!っていう、ひとつの理想がここにあると言ってもいいぐらいかなと思います。加えてですね、本作『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』、大きな魅力となっているのは、わかりやすく色分けされた、古典的とも言えるキャラクター造型、ゆえの単純明快さ……わけてもですね、これやっぱりメールで書いてる方が多かったです、敵役の、ヴィンツェンツ・キーファーさん演じるナチス・ドイツ軍イェーガー大佐の、これです。「徹底した片想いキャラ」っぷり!ですね。

この彼の片想いぶりっていうのが、実は物語の一番根幹をなしてる。ここが面白いですね。主人公のニコライは、わりと最初から最後まで動じないタイプの、完全無欠型ヒーローなわけです。基本、負けない、折れない、ブレないキャラクターで、どちらかと言うと彼を慕う周囲の人物によって、感情的な肉付けっていうのをされていくという作りなわけですよ。たとえば、その初陣からの古女房的な、ヒゲのね、ステパンさん。ちょっとフレディ・マーキュリー似のステパンさんとか、最初は反抗的だったけど……みたいな、あのヴォルチョクっていうキャラクターとか、周りのキャラクターによって肉付けをするタイプの作りなんだけど。

その「主人公を慕う周囲の人物」の極みが、実はまさにこの宿敵、イェーガー大佐なわけです。彼が一番、ニコライに恋焦がれてるわけですよ。こういう、主人公とライバルが、ほとんど恋愛関係に見えるような、特別な執着をお互いに抱き続けてる、っていうパターンというのは結構あって。たとえば、それこそ『あしたのジョー』のね、力石とジョーでもいいですし。『ヒート』のデ・ニーロとパチーノでもいいですし。いろんな名カップリングがあるんですけど。特に敵側の片想い色が強いところで言うと、たとえば『椿三十郎』の室戸半兵衛……特にですね、2007年の森田芳光版の、豊川悦司さん演じる室戸半兵衛の片想いっぷりはハンパねえ!とかですね。あとは『コマンドー』のベネットとか。

とにかく、そういう片想い色が強い敵役っていうのもちょいちょいいるんだけども。それにしても本作の、イェーガー大佐の一方的な片想い感は、過去の諸作と比べても、群を抜いていると思います。特に注目すべきはですね、演習の打ち合わせを兼ねて、自分の部屋にニコライを招くシーンですね。そこでですね、イェーガーはウキウキと、まるでデートの計画を練るようにですね、大はしゃぎしている。なんだけど、主人公ニコライはハナから彼は眼中になく、ヒロインのアーニャに熱い視線を送るばかり……という。

で、あまつさえ、せっかく好意を持ってね、「君の健康に乾杯!」とかって乾杯してるのに、ニコライの返事ときたら……しかも、イェーガー自身は嫌われてることにすら気づいていない、というこの切なさ。で、この場面に関してはですね、そのダイナミック完全版の方が、さらに重要なディテールを足していて。このニコライという名前と、自分のクラウスという名前の縁を、本当にうれしそ~に語るわけです。「ニコライっていうのかお前! じゃあつまり、(元になっているのは自分のクラウスと同じ)ニコラウスなんだから、俺と同じ名前ってことじゃね?」なんつって。その描写があればこそ、クライマックスの一騎打ち直前にですね、ニコライから呼びかける、「ニコラウス!」って呼び替える、そこにようやく意味が出るわけですね。

なのでここ、インターナショナル版とダイナミック版で、字幕が付け替え、修正されてますけど、インターナショナル版単体では意味不明な描写が残っちゃっている状態なのには変わりはないわけです。他では、初戦でのあの、アコーディオンとかもそうですね。ダイナミック版を見ないと意味がわかんない描写がある。ということで、ダイナミック版は他にも、あのアーニャの地図盗み出しにもう一サスペンスが入っていたりとか。あの演習中の逆襲シーンで、司令塔に砲弾を打ち込むという、『マトリックス』的な、ややコミカルなVFXショットがあったりとか。

あるいは、ガソリンスタンドのナチスおじさんとかね。あとはステパンの歌とか、もちろんエンドロールの後日譚映像とか、印象に残るパーツが多数含まれますし。何よりやはり、前述のこの「完全版」な要素……特にイェーガー大佐の名前のエピソード。これ絶対僕、なきゃダメだと思うので。わりと僕ははっきり、ダイナミック版を見てください、という風に、こっちをおすすめしたいです。

■ジャンル映画に新鮮味をプラスした、娯楽映画の快作!

ということでですね、とにかくそのイェーガー大佐のね、片想い。これが本当に味わい深いっていうことですね。要するに、ドイツ軍が、ものすごい隙がありすぎなわけですよね。「お前、ここを見張っておけよ!」っていうところを見張っていなかったりするんだけど……惚れた弱みなんだよ、それは!

とかね。あと、作劇バランスとして、このイェーガーの「悪さ」っていうのは実はあんまり描かれていない、っていうあたりのバランスというのもやっぱり、そのイェーガーの悲恋ぶりというのを非常に際立てますし。僕ね、今作に関して、あえて言えば、主人公がヒロインといきなり恋仲になるのは、正直、あんまり好きな流れじゃないんです。僕があのメンバーだったら、士気、下がるわ! と思うんだけど。これも、対イェーガー的に考えると、イェーガーのかませ犬感が増してより切ない、という意味では、プラスのディテールと言えるかもしれない(笑)。

ということで、非常に豊富なアイデアと、的確な語り口。現代ならではのディテールアップと、VFXのケレン。さらには、シンプル、明快でありながら、しっかり印象を残すキャラクターたち。特に敵役、キュートとも言ってもいいような、この敵役の魅力、片想い物としての切なさ。などなど含めて、ジャンル映画に、ちゃんと新鮮な味を加えてみせた。僕はこれ、娯楽映画としては本当に、申し分ない快作だという風に思います。ぜひぜひ……このダイナミック完全版の方を見てから元のやつに戻ると、ちょっとこれ足りないな、と思ったくらいなので、ダイナミック完全版の方、そして3時間版の公開も楽しみにしつつ、ぜひぜひいろんな形で、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画はAI崩壊』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

「最新版! 海外で注目を集める日本のシティポップ特集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/05/29)

「最新版! 海外で注目を集める日本のシティポップ特集」

最新版! 海外で注目を集める日本のシティポップ特集http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200529123545

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします! 「最新版!海外で注目を集める日本のシティポップ特集」。

ちょうど一年前、去年の5月にこのコーナーでアメリカの再発レーベル「Light in the Attic」が編集した日本のシティポップのコンピレーション『Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie』を紹介しましたが、先週5月29日にその第2弾が発売になりました。

スー:ほう。好評だったのね。

高橋:そんなわけで、この機会にこれまでもちょくちょく取り上げてきた海外における日本のシティポップ再評価の最新の動きをお伝えしたいと思います。まずはこの『Pacific Breeze』から一曲聴いてもらいましょうか。今回の選曲は1972年から1988年の音源で構成されていて、ブレッド&バターの「Pink Shadow」や大瀧詠一さんの「指切り」のような日本でも人気の高い曲から、意外なところでは菊池桃子さんの「Blind Curve」などもピックアップされています。

スー:海外でラ・ムーの再評価がすごいんだよね!

高橋:そう、以前に同じような海外編集のシティポップのコンピレーション『Tokyo Nights: Female J-Pop Boogie Funk 1981 to 1988』からラ・ムーの「愛は心の仕事です」をかけたことがありましたね(2018年1月26日放送「海外のDJが選曲した80年代和物ディスコを聴いてみよう!」)。

今日はそんな『Pacific Breeze』のなかから、杏里さんの「Last Summer Whisper」を聴いていただきたいと思います。これは1982年リリースのアルバム、杏里さんの夏のイメージを決定づけた『Heaven Beach』の収録曲ですね。作詞/作曲を手掛けているのが角松敏生さん。

スー:わーお!

高橋:これが当時のブラックコンテンポラリーのモードを見事に昇華した素晴らしいミディアムなんです。

M1 Last Summer Whisper / 杏里


スー:アーバンですなー!

堀井:アーバン!

高橋:これ最高ですよねー。

スー:堀井さんが「80年代のアニメのエンディングテーマみたい」って。確かに、当時のアニメ番組の主題歌はこういうアーバンなものが多かったんですよ。

堀井:うんうん。『美味しんぼ』もそうらしいですね。

高橋:でね、これが偶然の一致なのかどうかわからないんですけど、この杏里さんの「Last Summer Whisper」を大胆にサンプリングしたR&Bの曲が3月25日にリリースされているんですよ。

スー:ええーっ? ついこないだじゃないですか!

高橋:そうなんですよ。マイアミ生まれ、ロサンゼルスを拠点に活動する22歳の女性R&Bシンガー、ジェネヴィヴの「Baby Powder」という曲。おそらく今年デビューしたばかりで、まだこれがセカンドシングルになるのかな? しかもこれが90年代のR&Bを夢中になって聴いていたような方には悶絶級の極上のメロウR&Bに仕上がっていて。ひょっとしたらするするっとヒットしちゃうかも?というぐらいに出来がいいんですよ。

M2 Baby Powder / Jenevieve

スー:まあ素敵!

堀井:アーバン!

高橋:めちゃくちゃいいでしょ? ミュージックビデオのジェネヴィヴのファッションも完全に狙ってきてるけど、90年代R&Bの良さをいまに再現している感じで。

スー:グルーヴ・セオリーの新譜かと思いました(笑)。

高橋:フフフフフ、かつてそういう素晴らしいグループがいたんですよね。

そして、次に紹介するのはいまインターネットで軽くバズりかけているインドネシアのYouTuber、Rainychさん。彼女は日本のカルチャーが好きなようで、自身のYouTubeチャンネルにアニソンやJ-POPを日本語でカバーした動画をたくさんアップしているんですよ。ヒジャブを巻いたインドネシアの女性が日本語でJ-POPを歌っている姿がなかなかインパクトあるんですけど、またこれが透明感のあるめちゃくちゃかわいらしい歌声で。

スー:うん、かわいいコだね。

高橋:このRainychさんが5月7日に竹内まりやさんの「Plastic Love」、日本のシティポップが海外で注目を集める起爆剤になった曲ですけど、あの「Plastic Love」を日本語で歌った音源を公開したんです。

M3 Plastic Love / Rainych


スー:すごくかわいい声!

高橋:でしょ? 発音もきれいだから説明がなければ普通に日本人の方が歌っていると思っちゃいますよね。このRainychさんが注目を集めたのにはちょっとしたきっかけがあって、先日全米チャートで1位になったドジャ・キャットの「Say So」を彼女が日本語でカバーしたんですね。

スー:ええっ!

高橋:それにドジャ・キャット本人がリアクションしたことがSNSで大きな話題になったんですよ。そのときのインスタライブの模様はYouTubeでも確認することができるのでぜひ見てもらいたいんですけど、ドジャ・キャットが「彼女やばいね!」みたいな感じでめちゃくちゃ興奮していて。実際、出来がめちゃくちゃいいんですよ。ではRainychさんのカバーを紹介する前に、まずはドジャ・キャットのオリジナルから聴いてもらいましょうか。

M4 Say So / Doja Cat

高橋:いまどき全米チャートでこんな曲が1位になるんだっていうぐらいにストレートなディスコソングですね。

スー:「自分がかわいい女の子だと勘違いする曲・第1位」ですね。聴いているだけで自分がかわいくなった気がするという。

高橋:フフフフフ、めっちゃキュートな曲ですよね。この「Say So」を先ほど竹内まりやさん「Plastic Love」のカバーを歌っていたRainychさんが日本語でカバーしているんです。これが完全にシティポップ感覚で楽しめる仕上がりになっていて。

堀井:日本語でカバーしているんですか?

高橋:そうなんですよ。

スー:でももともと英語の曲でしょ? 日本語の歌詞はついてないじゃん。

高橋:そこなんですけど、おそらく歌詞は英語詞をモチーフにしてご自身で作詞をしているんじゃないかと思います。

スー:へー、すごい!

高橋:しかもこれがラップ入りなんですよ。

スー:おおっ、気になる!

M5 Say So (Japanese Version) / Rainych

スー:かわいい!

堀井:かわいい!

スー:いまYouTubeの動画と併せて聴いていたんだけど、ツヤツヤの餅みたいな肌をした女の子がずっとマイクだけを見つめて歌っているんだよね。かわいい!

堀井:曲を聴いてるあいだ「たまらんわ!」って(笑)。本当にかわいい!

高橋:これはひょっとしたら日本でも人気が出ちゃうかもしれないですよね。

スー:ホントホント。しかしよくこれだけきれいな発音で歌えるね。すごい!

高橋:ラップパートにしてもちゃんと流行のフロウを駆使してますからね。

スー:かわいいかわいい。あとでYouTubeチャンネル見に行っちゃお。

高橋:うん、彼女のYouTubeチャンネルはかなりおもしろいのでぜひのぞいてみてください。

スー:必ず見ます!

高橋:そうそう、最初に紹介したコンピレーション『Pacific Breeze』の第2弾もなかなか興味深い選曲になっているのでこちらのチェックもお忘れなく!

Pacific Breeze 2: Japanese City Pop AOR & Boogie 1972-1986 / Various Pacific Breeze 2: Japanese City Pop AOR & Boogie 1972-1986 / Various 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

5月25日(月)

(11:07) Tokyo Joe / Bryan Ferry
(11:23) Dreams / Fleetwood Mac
(11:36) Baker Street / Gerry Rafferty
(12:11) Love Comes to Everyone / George Harrison
(12:24) Where Can it Go? / Robert Palmer
(12:51) 世界で一番いけない男 / 近田春夫

5月26日(火)

(11:05) Weldon Irvine / I Love You
(11:37) Roy Ayers Ubiquity / Time and Space
(12:13) James Mason / Dreams
(12:48) Gary Bartz / Gentle Smiles

5月27日(水)

(11:05) Don’t You Want Me〜愛の残り火〜 / The Human League
(11:30) Just Can’t Get Enough / Depeche Mode
(11:38) Tainted Love / Soft Cell
(12:10) Message / Orchestral Manoeuvres in the Dark
(12:24) Gentlemen Take Polaroids〜孤独な影〜 / Japan

5月28日(木)

(11:03) You Are The Sunshine of My Life / The Singers Unlimited
(11:26) Jeannine / Eddie Jefferson
(11:36) I’ll Bet You Thought I’d Never Find You / Jon Hendricks
(12:11) Wheelers and Dealers / Irene Kral
(12:21) Send in the Clowns / Lorez Alexandra

5月29日(金)

(11:05) Can’t Let Go / Earth Wind & Fire
(11:26) If You Feel Like Dancin’ / Kool & The Gang
(11:36) I Don’t Know If It’s Right / Evelyn Champagne King
(12:09) Do it Good / A Taste of Honey

宇多丸、『AI崩壊』を語る!【映画評書き起こし 2020.5.29放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、AI崩壊』2020131日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン改め、最新映画ソフトを評論する新作DVDBlu-rayウォッチメン。今夜扱うのは、520日にDVDBlu-rayが発売されたばかりのこの作品です。AI崩壊』

(曲が流れる)

SR サイタマノラッパー』シリーズや『22年目の告白私が殺人犯です』などの入江悠監督がオリジナル脚本を映画化したSFサスペンス。2030年、科学者が開発し、全国民の個人情報の健康を管理している医療AI「のぞみ」が、突如暴走を開始。AI暴走の犯人に疑われた主人公・桐生が自らの無実を晴らすため、そして「のぞみ」の暴走を止めるため、真実に迫っていく。主人公の桐生を演じるのは大沢たかおさん。その他の出演は広瀬アリスさんとか三浦友和さんとか松嶋菜々子さんとか、いろいろ豪華メンツが揃っている。あと、ちょっとした役でMEGUMIさんが出てきたりとか、非常に豪華ですよね。

ということで、この『AI崩壊』を見たよというリスナーの皆さま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「少なめ」という感じにはなっておりますが。

131日にね、一旦劇場公開されて、そのタイミングで見た方もいらっしゃるかと思いますが。賛否の比率は「賛と否がほぼ半々」。主な褒める意見は、「日本映画でここまでスケール感のあるエンタメSFが見られて嬉しい」とか「近未来、医療AIが普及し、それが暴走していく描写にわくわくした。美術やアクションのレベルも高い」「三浦友和と広瀬アリスが演じる凸凹刑事コンビがよかった」などがありました。

一方、批判的な意見としては、「行き当たりばったりの主人公とそれをみすみす逃してばかりの警察。どちらも行動がお粗末すぎる」とか「AIというテーマを表層的になぞるだけ。タイトルに偽りありでは?」とか「真犯人の正体も動機も陳腐すぎる」などの声がありました。

90年代から00年代のアクション大作洋画感」(byリスナー)

代表的なところをご紹介しましょう。「ヤッター」さん。「面白かったというよりも、楽しかった。そんな作品でした。数々のサスペンスドラマの定石がこれでもかという感じで出てくるので、先が読める展開ではあるのですが、それによって逆に安心感を持って楽しむことができました。90年代から00年代のアクション大作洋画感があるなとも思いました。

22年目の告白』でも見られたオープニングでの手際の良い世界観説明と主人公・桐生が被疑者と断定され、その場から逃げ出すまでの一大アクションは一見の価値ありだと思っています。邦画でここまでのものを見せてくれるなんて嬉しい! 近未来という世界観を再現するための工夫も良かったと思います。スーパーカー的な(ガルウィングの)ドア開きをするSUV、あれはどこから見つけてきたんだろう?」。あの、最初に乗っていたのはたぶんテスラですよね。でもまあ、たしかにSF感はありますよね。

……あの車と2代目プリウスが併走してるだけで、地域間の格差が視覚的に伝わってきました。肝心のAIもさすがにあそこまでのインフラをひとつのシステムが掌握してるというのはどうかと思うけど、サービスの内容は絶妙な『ありそう』感がありました」ということございます。

あと、一方でダメだったという方。ラジオネーム「しむしむ」さん。「今週のムービーウォッチメンの課題作『AI崩壊』について感想を送ります。どこかで見たことがあるようなストーリー。どこかで見たことがあるようなキャラクター設定。そしてどこかで見たことがあるようなアクションにメッセージ。残念ながら何とも煮え切らない作品だなという感想です。2時間超えの上映時間が長く感じられてしまいました。宇多丸さんはこれまでもハッカー何でもできちゃう問題を取り上げてこられましたが、本作におけるAIの描写はまさに『何でもできちゃう』を地でいくような感じです。

それゆえにAI周りで展開がどう転んでも『まあ、そういうもんかな』という感じがしてしまい、なかなか映画に没入することができないのです。そして本作で私が一番イマイチだなと思ったのはキャラクター設定です。『はい、これがITに精通したエリート警察官』『はい、これが反骨的な記者さん』というように、いかにもな型に当てはめたキャラクターと、それに基づく演技が延々と続く様子は見ていて正直なところ、かなり苦しかったです。そんな中でも三浦友和さんの演技は地に足がついていてさすがだなと感心してしまいました」という。

だからまあ、ある種のジャンル映画ですから。型っていうことそのものよりは……っていうことでしょうね。「……ご都合主義的な展開も目立ち、『SR サイタマノラッパー』シリーズや『22年目の告白』も鑑賞し続けてきた自分としては、『入江監督、どうしちゃったの?』という思いです。次回作に期待しています」というご意見でございました。

「世界で通用するエンタメを」との思いでつくられたオリジナル脚本作

ということで、いってみましょう。私も『AI崩壊』、このタイミングで……あのね、やっぱり岩田さん、ガンちゃん人気なのか、ちょっとソフトが品薄だったので、アマゾンプライムの配信を購入して数回、拝見いたしました。『AI崩壊』です。ということで、脚本・監督は入江悠さん、今のところの最新作で、今年の131日に公開されて。一応、動員ランキングでは初登場1位を取ったり、一応きっちりヒットはした作品です。入江作品、僕のこの映画時評コーナーでは、もちろん『SR サイタマノラッパー』以来のご縁もありますが。

しばらくなかなかガチャが当たらずでして、2017624日に放送しました『22年目の告白私が殺人犯です』評以来なんですけどね。詳しくは例によって、公式書き起こしがあるので、そちらを読んでいただきたいんですけど。2012年の韓国映画、これをリメイクをしていながら、日本版として全面的にアレンジ。これ、平田研也さんとの共同脚本、これが非常に練り込まれていたっていうのもすごく良かったですし。

特に、多様な映像フォーマットを駆使した表現……あの作品ではホラー的な表現というのが見事な効果を上げていた、という一作で。僕は、入江悠監督としてもですね、もちろんインディー映画界では活躍されてきた方なわけですけど、ここに来てメジャー資本のエンターテインメント大作で、ようやく文句なしの成果を残した、記念碑的な一作となったと言えるのではないかと思ってます。『22年目の告白』。で、実際かなり大ヒットとなったこの『22年目の告白』を受けて、そのプロデューサーである北島直明さんという方、この方は日テレの映画のプロデューサーということで。

あの『ちはやふる』シリーズであるとかを手がけてるんですけども。『22年目の告白』の評の中でも言いましたけど、『藁の楯』という、これは僕が20136月に評した作品……これ、いろいろと皆さん、批判的なご意見もある作品なのは存じてますが、僕はすごく好きというか評価している『藁の楯』というのがあって、これも手がけられていたりなんかして。ということで今回の『AI崩壊』も、大沢たかおさん、松嶋菜々子さんというね、『藁の楯』キャスティングでもあるわけですよね。

まあ、パンフによれば、そのカンヌ映画祭に『藁の楯』で行った時に、やっぱり「世界で通用するエンタメを作りたい」という思いを強くした、というようなことらしいんですが。で、とにかくその北島さんが、『22年目の告白』の大ヒットを受けて、再度入江悠さんと、「今度は入江さんのオリジナルストーリーで」ということで作られたのが、今回の『AI崩壊』、ということなんですね。

■近未来ディストピアSFと入江悠監督の得意の「どん詰まりの日本の地方都市を舞台にしたノワール」

ちなみに、この間の3年間に入江悠さんが作って公開された長編映画2……2017年の『ビジランテ』、これはもう入江さんのオリジナル作品、あとは2018年の『ギャングース』、これは漫画が原作ですけど、どちらも興行的には残念ながらなかなか苦戦したようですが。そしてこのコーナーでもなかなかガチャが当たらずで、これ、申し訳なかったんですが。

本来はですね、やっぱりどちらかと言うとこの2本の方が、入江悠さん本来の得意としてきた領域というか、僕の表現で言う「村としての日本」「村人としての日本人」「オラこんな村嫌だ! でも我々はここで生きていくしかないのだから……という、入江作品に通底するメインテーマが、前面に出た二作だった。もちろん、今回の『AI崩壊』や『22年目の告白』にも、その問題意識ははっきりと刻み込まれてはいるんだけども、やはりより明瞭に、そして生き生きと入江悠作品らしさが炸裂しているのは、やっぱりこのね、どん詰まりの日本の地方都市を舞台にしたノワールっていう、これがもう、一番入江さんが生き生きしますから。この二作、『ビジランテ』と『ギャングース』……特に『ビジランテ』は、本当に僕は素晴らしかったなと。大好きな一作ですね。

なので、今回の『AI崩壊』とあわせてぜひ、この間の二作もウォッチしていただきたいと思うわけですね。とはいえ、今回の『AI崩壊』、じゃあこれまでの入江悠さんのフィルモグラフィーからすると浮いている作品なのかっていうと、そういうことでもない。もちろんオリジナル企画・脚本なんで、そんなはずもなくて。前からご自身、あちこちのインタビューで発言をされている通り、元々90年代に10代だった映画ファンとして、近未来SF、ディストピア物っていうのは、まあ彼が一番やりたいジャンルだった、ということをおっしゃっている。

だからこそ、『SR サイタマノラッパー』でブレイクする前の長編デビュー作、2006年の『ジャポニカ・ウイルス』であるとか、あるいは2016年、劇団イキウメの戯曲を映画化した『太陽』という作品、これも私、評しましたけども、これもやはり、さっき言ったような入江悠さん的なテーマを元にしつつも、まさに近未来ディストピアSFだったわけですよね。なので、『22年目の告白』のヒットを受けての今回のオリジナル企画として、とはいえこれまではインディペンデント体制ゆえの……要するに現実的制約で、お金がないとかで不可能だった規模のアイデアを含む近未来SF物で、ここで勝負!っていうこの流れは、まあ入江さんのキャリアをその線で見てると、より納得度が……「まあまあ、でしょうね。ここでこういうのやりたいとか、わかります」っていう感じはします。

■日本映画のスケールを超える「のぞみ」の巨大サーバールーム

加えて言うなら、おそらくですが、さっきも言ったように『22年目の告白』で非常に効果を上げていた、多様な映像フォーマットを横断的に駆使する、というその表現、ノウハウがですね、今回の『AI崩壊』では、たとえば中盤の大きな見せ場となる、その監視カメラのみならず、スマホやドライブレコーダーなどなど、カメラが付いたデバイス全てが「目」となってですね、集めてくる映像データの集積、とかね。みたいなあたりで、あの『22年目の告白』でやったその多様な映像フォーマット表現というのが、今回、さらに進化、複雑化した形で見せられる、という勝算も、おそらく作り手の皆さんの中にあったのではないかなと。だからこそこの題材を選んだ、というところもあるんじゃないかな、という風に僕は見たりしますが。

加えてですね、入江さんにとっては今回最大の挑戦だったであろう、大掛かりなセットとかロケ、VFXアクション撮影みたいなものも、それこそさっき言った『藁の楯』とかですね、あとは『キングダム』なんかも手がけていらっしゃいますけどね、北島直明プロデューサーには、それなりのやっぱり蓄積というのがあるわけで。まあオリジナルのエンターテインメント大作、しかも近未来SF物という、まあ日本映画としては悔しいかな、かなりハードルが高いことは明らかに間違いないこの企画に、それでも「ここが賭けどころなんだ、日本映画界全体がワンランク上に成長するチャンスなんだ」という、この作り手の皆さん一同の志や気合、もちろん全面的に応援したいですし。

実際、大変な力作であること、これはもう本当、疑いようもないですし。「よくぞここまで!」と唸らされるような、あるいは普通に「ああ、これはナイスアイデアですね!」っていうところでわくわくさせるようなところも、たくさんある作品です。

まずはやっぱりですね、メインの舞台となる場所のひとつ、医療AI「のぞみ」っていうのの、巨大なサーバールームがあるわけです。これの光景は、素直に驚かされますよね。「えっ、これ、全部本当に作ったの?」っていう。

実際はですね、これはデカい物流倉庫を借り切ってセットを組んで、で、全体の規模感はCG2.5倍だかにしてる、っていうことらしいんですけど。でもまあ「のぞみ」のオブジェ……一見、貝殻的であり二重螺旋的なAI「のぞみ」のオブジェから、出入り口までを、役者の皆さんが実際に移動していったりするあの距離感というのは、本物の空間ならではのものだし。あと、周囲のCG処理もすごく上手くできているのか、僕は初見では、全部実際の空間にしか見えなかったですね。

だから「すげえ!」って普通に思っちゃった。で、ここがきっちりショボくない、どころか、ハリウッド超大作などを見慣れた目にもそれなりの驚きを持って映るクオリティに持っていってるっていうのは、これは本作においてすごく大きな部分だと思います。というのは、「国民の生活の隅々まで入り込んだAI」っていうのは、要は全体像として示すことが、イメージ映像以外ではできないものですよね。なので、この「のぞみ」サーバルームのビジュアル化こそが、この物語全体のスケール感を決定付けるところなので、ここに成功してるっていうのはこれ、特に日本映画としては、かなり大きな成果と言えるんじゃないかと思います。

「日本映画、やればできるじゃん!」な第二幕の逃走劇

あとですね、お話そのものは、サスペンス映画の、もちろんド定番ですね。汚名を着せられた主人公が、逃走しつつ、真相解明……つまり名誉回復を目指していくという。まあ『北北西に進路を取れ』でもいいですし、今回の『AI崩壊』でもね、わりとはっきり似た場面が出てくる、あの『逃亡者』でもいいですし。あるいは、元々はそのシステム側の人間だった主人公が追われる身に……という構造などは、『マイノリティ・リポート』にも近いものがあるし。あと、日本映画では2010年の二宮くん主演の『プラチナデータ』、かなり近いムードがありますよね。

とにかく、サスペンス映画のド定番中のド定番なわけです。そのお話の基本的な骨格を使いつつ、さっきも言ったような、我々の生活に、それこそ今も浸透しきっているそのカメラ付きデバイス全般が、これまで映画で描かれてきた逃走、追跡劇と比べてもかなり早いスピード、あっという間のスピードと精度で、逃走者、主人公を追い詰めていくくだり。これは現実味もかなり強く感じさせていて、ストレートに面白いですね。「ああ、たしかに、こういう風に使われ得るよね」っていう感じがすごくする。で、それによって「じゃあ、こんなの日本中のどこに行ったって逃げ場なんかないってことじゃん!」という厳しい縛りを踏まえた上での、そこから先の逃走劇であるとか。

まさにその「どこにいたって……」っていう、それを逆手にとった後半の主人公の逆襲手段も、しっかり考え抜かれているんだなっていう感じがありますし。特にその逆襲のアイデアは、さっきから言ってるような複数の映像視点っていうのの集積、ならではの高揚感……ここでも逆襲! ここでも逆襲!っていう高揚感の加速が上手くいっていて。非常にマジ最高!っていう場面だったと思います。またですね、たとえば主人公が最初に特殊部隊に捕捉されて取り囲まれる、高速道路上の……あれは本当に道路を封鎖して撮っているんですね。しかもそこに、やはり本当の車を使った、なかなかに派手なクラッシュシーンなども盛り込んだ撮影であるとか。

やはりその実際の地下道を使った撮影であるとか、実際の貨物船を借り切って使った撮影であるとか、とにかくそのロケ撮影全体。特に後者、貨物船の場面は、狭い船内の廊下を駆け抜けていく主人公の背中をずっと追っていく、非常にスピーディーなワンショットであるとか、「ああ、日本映画、やればできるじゃん!」っていう、まあ画的なわくわくとか驚きにあふれた部分も多数あったりして。

なので、特に第二幕、主人公があらぬ疑いをかけられ逃走するという、まあサスペンス映画としてド定番な展開パートは……まあたしかにね、展開は読めますよ。あと、どこかで見たような場面はたしかに多いんだけど、手堅さの中にも、さっき言った主人この逆襲方法であるとか、そのカメラの監視システムの使い方であるとか、なかなか新鮮なアイデアであるとか、今の日本映画としては大きな挑戦ともなるようなそういう見せ場も含めてですね、概ねきっちり楽しませてくれる、申し分ないクオリティーと言えると思います。二幕目。だから要するに、映画の大半は結構いいんですよね。

■なんでこんなに脚本のネジが緩いまま出すのか

なんだけど……すいませんね。ここまで言っておいて何ですが、僕はこの作品、これだけ頑張って、上手く行ってるところが多々あるにも関わらず、トータルでは、残念ながらそうした美点よりも、たとえば飲み込みづらさであるとか、あとはノイズになっちゃっうような引っかかりであるとか、あるいは悪い意味で「ああ、今やっぱり日本映画ってこういうところあるよな……」っていうような、たとえば演出とかの段取りくささ、あるいは展開の「ああ、なんか情緒だけに頼った展開だな」みたいな、そういうマイナスポイントの方がはっきり目立ってしまっている作品という風に、正直、僕は結論せずにはいられなかったんですね。残念ながら。

たとえば、序盤ですね、主人公の娘が、さっき言ったサーバールームに閉じ込められる、っていうことになってしまうわけです。そのきっかけっていうのが、あまりにもですね……単なる偶然っていうか、要はその登場人物の、「ただの不注意」でしかない。で、「そんなわけはないだろう……ただの不注意で話が進むっていうことはないだろう」と思ってたら、本当にただの不注意だけだったんで、逆に驚いちゃったんですけど。

これね、当然「時間内に娘を救わなければいけない」という主人公の動機づけ、タイムリミットを設けることによるお話の推進力、これを高めるというその意図はもちろん分かりますけど、その「そういう設定を作りたい」っていう意図だけが先行してしまっていて、そこに持っていくための工夫みたいなのが一切ない、っていう。全然考えてない、練り込み抜かれてない感じが露骨に出ちゃっている。ただ「落とし物」って、そんなバカな話、ある?

こういうところのネジを、脚本段階でできる限り、極限まで締め直す、というかね。たとえば複数の批判的視点などをちゃんと入れて、ブラッシュアップしていく。「ここ、おかしくないですか?」「ここは甘くないですか?」っていうので、ブラッシュアップしていく。そういうことこそが、特に日本のエンターテイメント映画……予算とか関係なくできることですよね、その脚本のブラッシュアップは。まずはやるべきこと、特にエンタメ映画はそこは厳しくやらなきゃダメなのに、なんでここをこんなネジの緩いまま出すのか? 僕はもう、そこでまずはイラッとしてしまいましてね。他でもこういう安直さが、お話の一番肝心なところに顔を出すのが本当に大問題で。

たとえばですね、クライマックス。ついに真犯人、その企みが明らかになる、というくだり。一応ね、その真犯人がですね、「カメラを切れ」的なことは言ってるんですけど……「いやいやいやいや、周りにまだまだ第三者がいる状況でお前、ベラベラと自分の悪事を話しすぎだろう?」っていう。たしかにね、こういう逆転劇はよくあるんだけど、こういうその「お前の言ったことは全部筒抜けだぞ」的なことはですね、主人公たちしかいない、しかも、もうその先は永遠に口を封じれるとか、そういうセッティングで初めて成り立つ逆転劇なのに、周りに人が全然いる状態でやっている。本作のそれは明らかに、そういうありがちなシーンのなぞり、それを不完全な形でやってるだけ、っていうことになっちゃっている。

「何をもってゴールなのか」がこちらにはよく分からない、ゆえの空回り感

あるいはですね、この場面とか、中盤、主人公と刑事たちが船の上で対峙するっていうくだりがある。まさに『逃亡者』的なくだりなんですけど、登場人物がですね、そのセリフを言うために、立ち止って、距離を取って……っていう。露骨に「段取りを踏んでいる」ようにしか見えないっていうね。これも非常にいただけない。まあ、ソーシャルディスタンスかな?っていう感じもしますけど(笑)。なんで立ち止まって、こんな距離を取って話してるんだ? とっ捕まえればいいじゃん、これ?っていうような。

で、「段取り感」という意味ではですね、たとえばその娘の救出、一刻を争う! という時に、主人公が、ゆったりと真犯人に説教をしている(笑)とかですね。あと、細かい話ですけど、その後ろで銃、ライフルを構えている特殊部隊の皆さん、ライフルをぐらぐら揺らしすぎです、とか。そういうところでも、ゆるいなっていう感じがしちゃう。あるいは、たとえばある人物が疑いをかけられる、というくだりで、これは本作に限らないんですけど、こういう場面で――全般に思うんですけどね――「もうちょっとはっきり釈明をしろよ!」って。

「いや、オレじゃない。なぜならこうだ」って、この時間があれば言えるじゃん? なのに「いや……こ、これは……」とかなんとか言っているから(笑)、あらぬ疑いを……要するに「ミスリードしたい」っていう作者、作り手の意図だけが先に立っちゃっている、っていう場面になっちゃってるわけですね。あとですね、もちろん定番的な要素というのが悪いわけじゃないわけです。先週の『T-34』とか先々週の『EXIT』でも明らかですね。ジャンル映画ですから、別に定番的な要素は定番的な要素でいいんですけど。

本作の場合、これはメールにもありましたけど、その「ベテラン刑事と新米刑事のバディ」であるとか、「主人公を追う辛口ジャーナリスト」であるとかですね、たしかに、これはもちろん類型的ではあるけど魅力的にもなり得るキャラクターたちがですね、ただ残念ながら、そのお話そのものにあんまり深く関わってこない。記号的に出しただけになっちゃっている。特にあの刑事コンビとか、別に何の役にも立ってないじゃないですか。なので、厳しい言い方をすれば記号的に出しただけ、になっちゃっている。

また、AI……つまりコンピューター、テクノロジーの暴走というテーマそのものも、もちろんこれ、目新しさはない分、これはですね、結論、着地、解決のロジックにこそ最大級フレッシュなアイデアを投入しないと、この企画そのものが面白くならないのに、残念ながらこれもですね、たとえば「コンピューター自身が改心する」って、これはまあ『ウォー・ゲーム』とかでもやってることですし、ものすごくそれが、さらにふんわりとした情緒に流れただけ、ということになっちゃっている。

しかもその手前、そのAIの「のぞみ」に新たなプログラムを読み込ませる、というくだりも、たしかにさっき言ったサーバールームの空間とか距離を利用した見せ場で、面白くなりそうなんだけど、そもそも観客にはですね、「何をもって正解・ゴールなのか」っていうことが……さっきのメールにもあった通り、ことがAIだし、どうやったらプログラムを読ませれるか?っていうのがこちらにはよく分かってない状況なので、「こうだ!」「ああだ!」なんてことをやって、「ダメだ!」とか言ってるんだけど、全部が空回りしてしまっていて。それがまた、最終解決の「何じゃそりゃ?」感を増してしまっている、というのがあると思います。

■映画の大半を締める逃走劇は成功。しかしその手前と着地に難あり

個人的にはですね、優生学的な選別っていうのは、劇中でも描かれていたように、非常に人間の支配者層側の発想、願望であって、もし十分に発達してお利口になった人工知能みたいなものがあるとしたら、そうしたらね、むしろ、「生物というのは多様性を持ってる方が強いんだ」という、まさに科学的結論に達するんじゃないか?っていうのが僕の考え方で。その方が今っぽい話にもなるじゃないですか、という。しかも、そもそも本作で起こるディザスターは、テロによるインフラ破壊であって、別にAIが題材じゃなくてもいくらでも起こる話なんですよね。「一元的に何かを仕切るシステムはダメだよね、フェイルセーフがないのはダメだよね」っていうだけの話であって、AI問題でも何でもない。

なのに、またそれにもっともらしい警鐘みたいなのが最後につくのも、ちょっとイラッとしてしまったりとかですね。そんなこんなでですね、決して全てがダメな作品ではない。どころか、大半を占める第二幕の逃走劇はしっかり楽しい。試みも成功してるところはいっぱいある。なのに、その手前のセッティングパート、およびやっぱり着地、風呂敷の畳み方、などなどの難が目立つ作品になっちゃっている、というようなあたりだと思います。

ということで、志やよし、達成もよしということで、応援したい気持ちは山々ながら、こういうことを言うのは本当に苦渋の評でございました。これを踏まえて、日本のエンタメ大作の、そしてもちろん入江監督のさらなる飛躍、進化を願いつつ……ということで。皆さんもぜひぜひ、あなたの目でウォッチして考えてみてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ボーダー 二つの世界』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

「黒人差別と警官の暴力に抗議する社会運動『Black Lives Matter』を知るうえで聴いてほしいプロテストソング4選」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/06/05)

「黒人差別と警官の暴力に抗議する社会運動『Black Lives Matter』を知るうえで聴いてほしいプロテストソング4選」

高橋:本日はこんな特集をお届けいたします。「黒人差別と警官の暴力に抗議する社会運動『Black Lives Matter』を知るうえで聴いてほしいプロテストソング4選」。

5月25日にアメリカはミネソタ州ミネアポリスで無抵抗の黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官によって窒息死させられた事件を受けて、いまアメリカ全土で「Black Lives Matter」と呼ばれる黒人差別と警官の暴力に抗議する社会運動が拡大しています。「Black Lives Matter」は「黒人の命を軽んじるな」「黒人の命を軽視するな」という意味。これは2013年、フロリダ州サンフォードで黒人少年トレイヴォン・マーティンさんが丸腰であったにも関わらず白人警官に射殺された事件に抗議する目的から生まれた運動になります。今日はその「Black Lives Matter」運動を知るうえで皆さんに聴いてほしい曲を4曲選んでみました。

まずはR&Bシンガーのディアンジェロが2014年12月にリリースしたアルバム『Black Messiah』より「The Charade」。このアルバム『Black Messiah』は当時「Black Lives Matter」の運動が注目を集めるなか、そのムーブメントを後押しするように当初の予定より前倒しでリリースされたという経緯があります。有名アーティストが「Black Lives Matter」運動に呼応した作品としては比較的早かったもののひとつですね。

『Black Messiah』のジャケットには群衆が拳を掲げているモノトーンの写真が使われていますが、これに示唆されているようにタイトルの『Black Messiah』(黒い救世主)はディアンジェロ自身のことではなく、「我慢し難い状況に対して変化を求めるべく決起しているすべての人々」を意味しています。

これから聴いてもらう「The Charade」はそんなアルバムを象徴する曲で、警官の暴行によって黒人男性が犠牲になった一連の事件にインスパイアされた曲になります。サビの歌詞を紹介しましょう。

「欲しかったのは話し合う機会だけだった。でも、その代わりに手に入れたのはチョークで引かれた死体の跡。俺たちは足が血まみれになるほどに遠い道のりを歩いてきた。いつか、ある一日の終わりに必ずこの茶番劇を暴き出す。目を覆うベールを剥がして、真実に目を向けよう。そして行進を始めるんだ。決して長い時間はかからないはずだから」

M1 The Charade / D’Angelo and The Vanguard

高橋:2曲目は大御所ヒップホッププロデューサーのドクター・ドレーが2015年にリリースしたアルバム『Compton』より、グラミー賞の最優秀新人賞にノミネートされたこともあるシンガー/ラッパーのアンダーソン・パークをフィーチャーした「Animals」。

今回のジョージ・フロイドさん殺害事件に伴う抗議運動を報じるメディアに対してたびたび指摘されているのは、警官とデモ隊が衝突する模様だったり、一部の暴徒が店舗を破壊して商品を略奪する様子だったり、そういう過激な映像ばかり流して平和的なデモにはあまりスポットが当てられていないことです。

抗議運動に参加した歌手のアリアナ・グランデもSNSを通じてこんなことを訴えていました。「何時間も何マイルもかけて平和的な抗議が行われていたのに、そのほとんどが報道されていない。私たちが歩いたビバリーヒルズとウェストハリウッドは、人々の情熱と大きな声、そして愛にあふれていた。こうしたデモもしっかり報道してほしい」

これから聴いてもらう「Animals」はそういうメディアの報道姿勢を糾弾した歌です。アンダーソン・パークは「メディアが俺たちにスポットを当てるのはきまってなにか悪いことが起こっているときなんだ」と主張しています。サビの歌詞はこんな内容です。「こんなときだけ俺たちの周りにやってきて、自分たちのことを動物の集まりのように扱うのはやめてくれ。メディアが黒人にカメラを向けるのは、俺たちにネガティブなことが起こっているときばかりなんだ」

M2 Animals feat. Anderson Paak / Dr. Dre

3曲目はブルース・スプリングスティーンの「American Skin (41 Shots)」。この曲はもともと2001年にライブバージョンとして発表したものになりますが、2014年になってスタジオ録音の新バージョンがつくられました。おそらく「Black Lives Matter」の動きに応じて再レコーディングしたのでしょう。

ブルース・スプリングスティーンは新型コロナウィルス感染を受けていま自宅から定期的にラジオ番組を放送していますが、ちょうど昨日の放送ではオープニングで今回亡くなったジョージ・フロイドさんへの追悼としてこの「American Skin (41 Shots)」を演奏して「現在アメリカで起こっていることは新しい公民権運動だ」とコメントしました。

この「Amercian Skin」は1999年2月にニューヨークで起きた事件からインスピレーションを得ています。丸腰だったギニア移民のアマドゥ・ディアロさんが4人の警官によって誤って41発もの銃弾を打ち込まれて射殺された事件です。

スプリングスティーンはこの曲を歌ったことによって、ニューヨークのマディソンスクエアガーデンでコンサートを開催したときにニューヨーク市警より警備をボイコットされました。そして多くのこうしたケースの事件がそうであるように、アマドゥさんを射殺した4人の警官は無罪になっています。

この曲のサビはアマドゥさんが上着のポケットから財布を取ろうとしたところで銃撃されたことに基づいています。歌詞はこんな内容です。「ポケットにあったものは、銃なのか、ナイフなのか、それとも財布なのか、いや、君の命だったんだ。それは決して隠し持っていたものじゃない。隠す必要などないものだ。ここでは、ただアメリカ人として生きているだけで殺されてしまうんだ」

そのほか、曲中では黒人の母親が息子を学校に送り出すときのやり取りを描いた歌詞もあります。「ママに約束して。おまわりさんに呼び止められたときは絶対に逃げ出したらダメ。必ず両手を隠さないようにするんだよ」。まさに日常的に命を脅かされている状況にある、ただアメリカ人として生きているだけで殺されてしまう、そんな黒人を取り巻く理不尽な現実を歌っている曲です。

M3 American Skin (41 Shots) / Bruce Springsteen


*映像はライブバージョンになります

高橋:最後はグラミー賞で最優秀プロデューサー賞を受賞しているファレル・ウィリアムス率いるグループ、N.E.R.D.の「Don’t Don’t Do It!」。2017年のアルバム『No One Ever Really Die』の収録曲です。

この曲のタイトル「Don’t Don’t Do It!」は「やめてくれ、撃たないでくれ」という意味になりますがが、これもまた実際の事件を題材にしている曲です。2016年9月、ノースカロライナで丸腰の黒人男性キース・ラモン・スコットさんが白人警官に射殺された事件を受けてつくられています。

この事件の一部始終は今回のジョージ・フロイドさんの一件と同様に映像に残されています。キースさんを取り囲んだ警官に対して、彼の妻が必死に「撃たないで! Don’t Do It!」と繰り返し訴えてるなかで警官が発砲するさまが克明に記録されているんです。この曲のタイトルは、そのキースさんの妻の「撃たないで!」という叫びに由来しているわけです。

M4 Don’t Don’t Do It! / N.E.R.D. feat. Kendrick Lamar

高橋:今日は5年前に「Black Lives Matter」運動が盛り上がったときの曲を中心に取り上げましたが、今回のジョージ・フロイドさんが殺害された事件にインスパイアされた曲も徐々にリリースされ始めています。機会があればこのコーナーや同じTBSラジオの『アフター6ジャンクション』で毎月企画している新譜情報などで紹介できたらと思っています。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

6月1日(月)

(11:05) It’s Going to Take Some Time(小さな愛の願い) / Carpenters
(11:26) Disney Girls / The Beach Boys
(11:37) Guitar Man / Bread
(12:15) Muskrat Love / America
(12:50) 雨の日暮れ / 赤い鳥

6月2日(火)

(11:06) Ask / The Smiths
(11:27) Get Up Off Our Knees / The Housemartins
(11:36) Sensitive Touch / Max Eider
(12:16) Skankin Queens / The Bodines
(12:49) Happy Like a Honeybee / Flipper’s Guitar

6月3日(水)

(11:05) Make Her Mine / The Hipster Image
(11:38) Get On the Right Track Baby / Georgie Fame
(12:15) Fool Killer / The Brian Auger & the Trinity
(12:49) Who Can I Turn To / The Peddlers
Elza Soares – Tristeza (1967)

6月4日(木)

(11:05) Tristeza / Elza Soares
(12:15) Clara / Claudette Soares
(12:23) Se Voce Quiser Saber / Nara Leao
(12:50) Amor de Carnaval / Jorge Ben

6月5日(金)

(11:06) He’s The Greatest Dancer / Sister Sledge
(11:25) My Forbidden Lover / Chic
(11:36) More Than One Way to Love aWoman / Raydio
(12:11) Stay Free / Ashford & Simpson

「レンタル開始! 映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』をより楽しむための音楽ガイド」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/06/12)

「レンタル開始! 映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』をより楽しむための音楽ガイド」

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします。「レンタル開始! 映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』をより楽しむための音楽ガイド」。

恒例の映画の劇中で使われている音楽を解説するシリーズ、今回は10日からレンタル開始したDCコミックス映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』を取り上げたいと思います。もともとは3月20日の劇場公開に合わせて扱う予定だったのですが、ちょうど新型コロナウイルス感染拡大防止のための外出自粛要請が出たタイミングだったため、こうしてレンタルのスタートを待った次第です。見たくても見られなかったという方、きっと多かったのではないでしょうか。

まずは映画の概要を紹介しますね。「2016年公開の映画『スーサイド・スクワッド』でマーゴット・ロビーが演じて注目を集めたDCコミックスの人気ヴィラン、ハーレイ・クインが主人公のアクションムービー。恋人だった悪のカリスマ、ジョーカーと別れて束縛から解放されたハーレイは、ワケありの女性たちと異色のチームを結成して街を牛耳る巨悪ブラックマスクと戦う。監督を務めるのは、中国生まれの新鋭女性監督キャシー・ヤン。敵役ブラックマスクをユアン・マクレガーが演じる」。スーさんはご覧になったんですよね?

スー:見ました。私、昔の『バットマン』とかはともかく最近のDC映画はこれが初めてかも。だからぜんぜん予備知識がないなかで見たんですけど、まあ後半からのぶち上がりぶりが最高でした。前に番組で「Say So」を紹介したドージャ・キャットの「Boss B*tch」がかかったりして。

高橋:そう、サウンドトラックはヒップホップやR&Bが中心なんですけど、劇中でメインに使われているのはハードロックやファンクなんですよ。

内容的にはよく言われているように手法や構成など『デッドプール』との共通点が多くて、全体の雰囲気も似ているところがありましたね。主演のマーゴット・ロビーは製作にも携わっているんですけど、彼女曰く「ポップでカラフルでバカバカしい映画」。今年は2月にリブート版の『チャーリーズ・エンジェル』が公開になりましたが、マック・Gが監督した旧『チャーリーズ・エンジェル』のノリを継承しているのは案外こっちかもしれないですね。

スー:うんうん、そう思った。

高橋:それから、主人公がきつい失恋を経験したあと女友達との交流を通して立ち直って自立する、というストーリーがとてもいまっぽいと思いました。ここ数年、ポップミュージックの世界でも女性シンガーによる「元気が出る失恋ソング」がトレンドになっているじゃないですか。デュア・リパの「New Rules」だったり、アリアナ・グランデの「thank u, next」だったり、リゾの「Truth Hurts」だったり。そういう潮流を意識させる「#MeToo」ムーブメント以降のエンパワメントムービーといった印象を受けました。

スー:あとさ、プロデューサーも監督も脚本も女性でしょ? それでこういうバカバカしくてちょっとバイオレンスもある映画というのがまたよかったな。

高橋:今年は『ワンダーウーマン 1984』とか『ブラック・ウィドウ』とか、女性が監督を務める女性のスーパーヒーロー映画が続々と公開になりますからね。『ハーレイ・クイン』はそのへんも含めて注目の一本でしょう。

映画は冒頭からジョーカーとの恋に破れた傷心のハーレイ・クインの姿が描かれているんですけど、そこにオーバーラップしてくる曲がジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの「I Hate Myself for Loving You」。1988年のヒット曲です。歌詞の大意を紹介しましょう。「あんたに夢中の自分にうんざり。あんたのやることなすことからどうしても逃れられない。歩いて去っていくつもりが、またあんたのところに駆け寄ってしまう。あんたに夢中の自分にホントうんざりするよ」。これが未練タラタラながらも、なんとかこの状況を抜け出そうとするハーレイ・クインのもどかしさを完璧に代弁しているわけです。

M1 I Hate Myself for Loving You / Joan Jett & The Blackhearts

スー:タイトルは「あんたのことが大好きな自分なんて大嫌い!」。こういうふうに思ったことがある方は少なくないでしょうね。

高橋:ハーレイ・クインは元カレのジョーカーから虐待を受けていたこともあって彼とは従属的な恋愛関係になっていたんですけど、彼女に限らず劇中に登場するハーレイ・クインの仲間たちの女性4人はみんな男もしくは男社会からの抑圧を受けていて。その支配からなんとかして抜け出そうともがいているんですね。それが音楽と共に非常に明快に打ち出されているのが、ジャーニー・スモレット・ベル演じるブラックキャナリーが登場するシーン。彼女は敵役のブラックマスクに囲われてる歌手なんですけど、ブラックマスクが経営しているナイトクラブのステージで彼女がどんな曲を歌っているかというと、この曲なんですよ。

BGM It’s a Man’s Man’s Man’s World / James Brown

ジェームズ・ブラウンの1966年のヒット曲「It’s a Man’s Man’s Man’s World」。これは「この世界は男で回ってる。でも女がいなくちゃダメなんだ」という内容の歌だからすごく皮肉が効いているんですよ。ブラックキャナリーはステージから歌を通じてブラックマスクに反発しているということです。

そしてこのJBの「It’s a Man’s Man’s Man’s World」を歌ったブラックキャナリーが仕事を終えて家路に着こうとするとき、彼女は男社会からの支配に対するフラストレーションを爆発させるようにある行動に出ます。それを契機にしてブラックキャナリーが覚醒するんですけど、そんな彼女の解放のテーマとして流れるのがジェイムズ・ブラウン・ファミリーのマーヴァ・ホイットニーが歌う「Unwind Yourself」。1968年の作品です。

これは見事な選曲だと唸ったんですけど、要はジェームズ・ブラウンの「It’s a Man’s Man’s Man’s World」を歌っていたブラックキャナリーを解放に導く曲が、ジェームズ・ブラウン・ファミリー、JBの支配下で歌っていた女性シンガーの歌という鮮やかな流れで。実際、この曲のタイトル「Unwind Yourself」はまさに「束縛からの解放」という意味になります。

M2 Unwind Yourself / Marva Whitney

スー:かっこいいね!

高橋:うん、めちゃくちゃファンキー。この「Unwind Yourself」と共にもうひとつ素晴らしい選曲だと思ったのが、ケシャの「Woman」。これは2018年の作品です。マーゴット・ロビーがこの映画は「#MeToo」運動の影響を受けているとインタビューで話していたんですけど、まさにケシャは音楽業界における「#MeToo」運動の基盤を作った存在で。彼女は18歳のころからプロデューサーに性的暴行を受けていて、多くの女性アーティストからの支援を受けて訴訟を起こしたんです。

この「Woman」はその訴訟を経て作った曲で、まさにハーレイ・クインとその仲間たちのテーマ曲になるような女性賛歌になっています。歌詞は「私は自分のものは自分で買うし請求書も自分で払う。私は超イカした女。強く抱きしめてくれる男なんて必要ない。今夜はレディースたちと楽しむんだから」という内容。つまり女性の自立やシスターフッドを歌った曲なんですけど、恋愛で失った自己肯定感を埋めるのは別にまた他の恋愛じゃなくてもいいということもほのめかしているのではないかと。この映画のコンセプトそのものを歌ったような曲ともいえると思います。

M3 Woman / Kesha feat. The Dap-King Horns

高橋:そしてこの映画のいちばんの山場で流れるのが、アンとナンシーのウィルソン姉妹を中心とするハートの「Barracuda」。1977年の作品です。これはジェーン・スーさんが大好きな曲ですね。

スー:大好き!

高橋:この曲はマック・G版の『チャーリーズ・エンジェル』でも使われていましたが、同じマーゴット・ロビー主演の『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』でも流れていて。

スー:ああー、そうか。女性たちのアンセムなんだね。

高橋:そうそう。ちなみに『キャプテン・マーベル』ではハートの別の曲「Crazy On You」がかかるんですけど、主演のブリー・ラーソンがハートのTシャツを着ているシーンがあったりします。

なぜハートの「Barracuda」が女性を鼓舞する曲、戦う女性を後押しする曲として映画で使われる機会が多いのかというと、それにはれっきとした理由があって。この曲は自分たちに舐めた態度をとったレコード会社に対するウィルソン姉妹の逆襲の歌なんですよ。信じられないようなひどい話なんですけど、当時ハートが所属していたマッシュルームレコードが話題作りのためにウィルソン姉妹がレズビアンであることをほのめかすような広告を出したんですね。こちら、プリントして持ってきました。

スー:ああ、当時の広告だ。

高橋:ハートがプラチナムディスクを獲得したことを伝える広告に姉妹が仲良さげに写ってる、ともすれば裸に見えるような写真を使って、そこに「ウィルソン姉妹が告白:私たちそれが初めてだったの」という下衆なキャプションをつけたんです。これに激怒してウィルソン姉妹が作ったのが「Barracuda」なんですけど、その制作経緯がまたすごくて。コンサートが終わった後に例の広告を見て姉妹の関係を詮索してきたプロモーターにふたりがぶち切れて、その足でホテルの部屋に戻って一気に完成させたんですって。

スー:かっこいい!

高橋:「Barracuda」のあのアグレッシブなテンションはそんな背景に起因しているんですよ。ちなみにタイトルのバラクーダは鋭い歯を持ったカマス属の凶暴な魚のことで。サビの歌詞は「草むらの中で低く身構えてるあんた。私たちに襲いかかろうとしてるんでしょ。私たちを支配しようとしてるんだね。バラクーダみたいながめつい野郎だな」という内容になっています。

M4 Barracuda / Heart

スー:この曲は「やってやるぞ!」という気になりますよね。でもね、「#MeToo」的なことも経てのこういう映画だというのもよくわかるんですけど、やっぱりこっち側の人間としては性別が女だというところでいろいろと思い出しちゃうんですよ。別にトラウマティックな映画ではぜんぜんないんだけど、結構それはしんどい部分もあって。「あー、こういうふうに扱われたこともあったよな」って普段忘れていたようなことを引っ張り出されるからいちいち体力をとられるというか。でも「ないことにしていたけどやっぱりちがうよな」と思って、そのたびに「Barracuda」を聴いて「よーし、戦うぞ!」となるわけです。「なかったことにしちゃダメだ!」って。大げさなようですけど、このあとも人類は続いていきますからね。

高橋:ロージー・ペレスが演じる刑事役のレニーの職場での待遇なんかは本当にひどいものがありましたよね。というわけで、さっきもお伝えしたように今年はこの『ハーレイ・クイン』を皮切りに、『ワンダーウーマン 1984』や『ブラック・ウィドウ』など女性監督による女性のスーパーヒーロー映画が立て続けに公開されます。その先陣を切る一本として、『ハーレイ・クイン』は最高の仕上がりになっているのでぜひチェックしてみてください。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

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当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

6月8日(月)

(11:05) Where Is The Love / Roberta Flack & Donny Hathaway
(11:22) We Got to Have Peace / Curtis Mayfield
(11:33) What’s Happening Brother / Marvin Gaye
(12:13) The Needle’s Eye / Gil Scott-Heron
(12:23) You Caught Me / Sly & The Family Stone
(12:48) Lay Away / The Isley Brothers

6月9日(火)

(11:04) Joni Mitchell / Free Man in Paris
(11:38) Steely Dan / Bad Sneakers
(12:15) Phoebe Snow / Fat Change
(12:23) Paul Simon / Have a Good Time
(12:50) センチメンタル・シティ・ロマンス / ロスアンジェルス大橋Uターン

6月10日(水)

(11:05) Go All the Way / Raspberries
(11:24) Know One Knows〜誰も知らない〜 / Badfinger
(11:36) O My Soul / Big Star
(12:14) Just a Smile / Pilot
(12:24) Waysid / Artful Dodger

6月11日(木)

(11:06) Latin Goes Ska / The Skatalites
(11:25) Fever / The Maytals
(12:35) Life / Laurel Aitken
(12:14) I’m So in Love with You / The Techniques
(12:24) Come Down / Lord Tanamo
(12:51) Girls Town Ska / Baba Brooks Band

6月12日(金)

(11:04) Forget Me Nots / Patrice Rushen
(11:27) Love Come Down / Evelyn Champagne King
(11:36) Feelin’ Lucky Lately (Single Version) / High Fashion
(12:15) It Should Have Been You / Gwen Guthrie

宇多丸、『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』を語る!【映画評書き起こし 2020.6.12放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』20191220日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは「週刊映画時評ムービーウォッチメン」改め、最新映画ソフトを評論する「新作DVDBlu-rayウォッチメン」。おそらく来週あたりまではこのモードで行かせていただく感じになるかと思います。今夜扱うのは、63日にDVDBlu-rayが発売されたばかりのこの作品です……『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』

(曲が流れる)

世界的ベストセラーの児童文学をアニメ映画化した『ヒックとドラゴン』シリーズ第三作……というか、三部作完結編、っていう感じですね。バイキングの少年ヒックとドラゴンのトゥースは、かつては敵対していたドラゴンと人間の架け橋となり、両者が共存する島で平和に暮らしていた。しかし、島を離れることになった彼らは、新天地を目指して旅に出る……ということです。

声の出演は、ジェイ・バルチェルさん、アメリカ・フェレーラさん、ケイト・ブランシェット、ジェラルド・バトラーなど。非常に豪華となっております。監督・脚本は前2作同様、『リロ・アンド・スティッチ』などのディーン・デュボアさんが単独で……一作目はクリス・サンダースさんとの共同でしたが、要は三作通じて、ということでいいと思います、ディーン・デュボアさんが務められました。第92回アカデミー賞では長編アニメーション賞にノミネートされた作品でございます。

ということで、この『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』を見たよというリスナーの皆さま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、最初は普通ぐらいかなと思っていたら、今、ドドドッと放送中に駆け込みで、メールがものすごい数、届き出したということらしいんですよね。僕、今リモートなので、リモートで僕もそれを知ったという感じなんですけども。

しかも、その後から来たやつは絶賛が多い。最初はね、褒める意見が7割でダメだったと意見が3割強、という感じだったのが、後からその絶賛メールがガガガッと来たせいで、絶賛が多くなった。しかもメールの総量は、新作DVDBlu-rayウォッチメンになってから最多、ということになったので。やっぱり『ヒックとドラゴン 』シリーズ、さすが熱狂的ファンが多い、という感じじゃないでしょうかね。

主な褒める意見は、「一作目からの大ファンとして大満足の締めくくり。このシリーズのファンで本当によかった」「異なる種族同士がどう共存するのか? そんな難しい問題にとても誠実に回答している」「映像が美しくアニメーションとしても見ごたえ十分。音楽も素晴らしかった」などがございました。一方、批判的な意見としては、「一作目のアクションの良さだったアイデアと機転を駆使して巨大な敵を倒すという部分がなくなり、凡庸になった」「主人公たちの成長という意味では前作がピーク。今回は惰性の三作目という気がする」「ラストで導き出した結論にがっかり」などの声がありました。

■「『信頼や愛に近い依存からの脱却』を美しく描いた作品」(byリスナー)

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「パディントン」さん。あ、ちなみに今回、三作目の概ねのストーリーの方向みたいなのは、まあネタバレっていうか、ものすごくはっきりと「そっちの方に進んでいる」作品なので、ネタバレもクソもっていうか……まあ、ストーリーの概要についてかなり触れながら話すことになる、ということをご了承ください。全く知りたくないという方はね……っていうか、「全く知りたくない」っていう人はリアルタイムでこのコーナーを聞いちゃダメね(笑)。いろんな番組、ありますからね。はい。

ラジオネーム「パディントン」さん。「今回、ついに『ヒックとドラゴン』がムービーウォッチメンに取り上げられると聞いて、いても立ってもいられずメールしました。『ヒクドラ』シリーズは私を映画好きの道に向かわせたきっかけの映画でもあり、人生オールタイムベスト!ひいてはいつか子供ができた時、子供に夜遅くまで見ていても怒らない映画ベストファイブに入る作品です。今回の『3』の公開署名活動にも署名しました。公開になった時は本当に嬉しかったです。

今回の3、『聖地への冒険』ですが、シリーズ物として最高の出来です。脚本、アニメーション力、音楽。そして物語の各所に散りばめられる過去作品からのオマージュや過去作とは対照的なシーン。大団円ということでファンサービス多めだったとは思いますが、物語の必然性に沿っているシーン……トゥースの額に手を当てるシーンなどもあり、このあたりも非常によくできてると思います。物語としても三作品としての1本の筋が通っていて大変に見事だなと思いました。私はこの作品を『信頼や愛に近い依存からの脱却』を美しく描いた作品だと思っています。『大好きだから』という理由はずっと一緒にいる理由にはならない。『大好きだからずっとそばに』という純粋な気持ちが大切な物や人を知らず知らずのうちに縛ってしまう。そんな私たちの気持ちのあり方を今一度、思い返すきっかけをくれる作品だと思っています。

そして、特に嬉しかったのは、映画の終盤で第四の壁をぶち破られたこと。これで『ヒクドラ』シリーズが終わってしまうのかとしょぼくれてた時……」。第四の壁というか、要するにこちらの、現実世界に働きかける部分がある、ってことですかね。「……現実の私たちにも通じるセリフ。原題『How to Train Your Dragon』の『Your』にもつながり、喜びの涙が止まりませんでした。『バーク島は場所じゃない』ということで、これからもトゥースのいる世界線がこの世であると信じて生きていきます」ということでございます。

一方、ダメだったという方もご紹介しましょう。批判的な意見。ラジオネーム「愛がなくても」さん。「『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』。劇場で一度。さらに今回、ガチャが当たったことでもう一度、DVDでウォッチしました。まず僕は、シネマハスラー時代に宇多丸さんの『ヒックとドラゴン』第一作の絶賛評をリアルタイムで拝聴し、DVDがレンタルされてから見てみて結果、生涯ベスト級に大好きな1本となりました。二作目も大好きな作品です。

なので今回の完結編が日本でも劇場公開されるということで、あふれる期待を胸に鑑賞しました。ですが結果として、最初に抱いた感想は『あれ? いい話のはずなのに何か乗れない……』でした。このシリーズはヒックという少年の成長を描く物語だと思っています。一作目は、気弱だけど優しい少年が自分なりにこの世界との触れ合い方を見つけ、周りの人間にも変化をもたらしていく。二作目は青年となったヒックが自分とは何かを探していく話だったのに対し、本作はヒックの成長を描いていったでしょうか?

ひたすら受動的なように感じ、過去作に比べ映画の最初と最後でヒックの精神面にそこまでの変化が生じたとは思いませんでした。あと、僕が感じるこのシリーズのたまらない魅力のひとつがクライマックスのアクションそのもの、つまり敵にどうやって戦いを挑み、いかにして倒すかという過程の中にテーマが集約されていたというものでした。

ですが本作のラストのアクションシーンにはそのようなカタルシスはなかったように感じます。攻め入ってきた敵をただ退治するだけであり、一番燃えるはずの終盤のアクションが何もストーリーをテリングしておらず、全く興奮しませんでした」という。それから「敵役の扱いも不満だ」みたいなことを書いていただいて。あと、やっぱり「着地も非常に不満だ」ということでございます。

■今見てもただごとじゃない完成度、の1作目

ということで、いってみましょう、『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』。私もですね、このタイミングで、Blu-ray 4K  Ultra HD2回、鑑賞しつつ、もう1回、監督たちの音声解説……これ英語で、日本語字幕は入ってないんですけど、頑張って英語の字幕を出しながら、こちらも見てみました。ということで、『ヒックとドラゴン』シリーズ、(原題は)『How to Train Your Dragon』、劇場用長編映画三部作の、完結編ですね。これがまた、わりときっちり本当に三部作というか、もちろん本作……この三作目からいきなり見ても、諸々は分かるようにちゃんと配慮された作りにはなっているんですけど。

やはり、この三作を通じての、主人公ヒック……元の英語だとHiccup」っていう、つまり「しゃっくり」という名前なので、まあ「ヒック」っていう日本語の訳し方は悪くないと思うんですけど。とにかく主人公ヒックの、まさに劇的な成長……最初は本当に子供みたいでしたからね。劇的な成長と、それゆえの選択と行動、というのを踏まえてこそ、感動が増す作りなのは間違いないので。まだ前二作を見たことないという方は、ぜひこれね、この三作目を見る前に、そこらへんをね、しっかり鑑賞しておいていただければと思います。

まずやっぱり、10年前に公開された一作目ですよね。僕は前の番組時代、2010925日に評して、絶賛いたしましたけど。やはり今回、改めて見直しても思いましたが、やっぱこれ、一作目が、ただごとじゃない完成度ですね。クレシッダ・コーウェルさんという方による児童文学が原作で……なんですけど、元は主人公がもっと幼かったり、あとはドラゴンたちも普通に人間語を話していたりとかですね、もっとわりと児童向けというか、はっきり子ども向けな感じの作品で。

それで、ドリームワークスがずっとその映画化企画を温めていたんだけど、うまくいかなかった、というところで、まあそのジェフリー・カッツェンバーグがですね、ディズニーの『リロ・アンド・スティッチ』という作品を作ったクリス・サンダースとディーン・デュボアさんのコンビを呼んできて、「残り16ヶ月で何とかしろ!」っていう風に言って……で、この2人は原作から、現状のよりシリアスでリアルなトーンに大幅アレンジをして。

あるいは、試写を見たドリームワークスのスティーブン・スピルバーグの指摘に従って……ドリームワークス作品って、わりと今どき風の、ポップカルチャーのパロディ要素みたいのがいっぱい入ってくる、っていうのが基本的なカラーとしてあると思うんですけど、この『ヒックとドラゴン』に関しては、スピルバーグの指摘で「これはない方がいいよ」ということで、完全にそれを廃して。いわゆる普遍的な、ウェルメイドな完成度を高める方向に仕上げた、という。

で、その結果、オープニング成績こそいまいちだったものの、口コミでじわじわとアメリカで評判を呼んで、成績を伸ばして、最終的に大ヒット!という、異例のパターンを記録したわけですね。で、すぐに続編も製作が決定して、テレビシリーズも何シーズンか作られて……話的には『2』の手前までぐらいですけどね。いずれもやはり大ヒットを記録、ということで。今やアメリカの3DCGアニメの中でも、トップクラスの人気と、あとは玄人筋を含めの高い評価を誇るシリーズとなったと言えると思います。アカデミー賞も常連ですね。

ただ日本ではね、『2』が結局一般劇場公開されないままだったりして、ちょっと冷遇気味だというのが、実に残念で。熱心なファンの方がね、署名運動したなんて、先ほどのメールにもあった通りで。そんなこともありました。じゃあ、どこがそんなに優れたシリーズなのか? もちろん、すごいところはいろいろあるんですね。

■映像表現の素晴らしさ、モンスター映画としての楽しさ、テーマに対する誠実なアプローチが1作目の良さ

たとえば、映像のすごさと言うかね、実写映画の名撮影監督ロジャー・ディーキンスを、ビジュアルコンサルタントとして迎えて。これ、要するに当時、2010年の時に、僕は「ロジャー・ディーキンスがコンサルタントに入ってるって、面白いことをするな」って……当時は珍しかったんですね。実写監督をコンサルタントに入れるって。それで(ロジャー・ディーキンスを)迎えての、本当に見事というほかない、美しくリアルな映像表現。特に、光と影の際立たせ方とかですね、日に日にその精緻さを増す3DCG作品の中でも群を抜いた素晴らしさですね。光と影の使い方。あと、物体の質感表現の細やかさとか、自然描写の丁寧さ。本当にうっとりするレベルで素晴らしい、というね。まず『ヒックとドラゴン』、映像表現の素晴らしさがある。

あるいはですね、そういうリアルさの一方で、多種多様なドラゴンたちが、時にスペクタクルに、時にコミカルに跋扈する、というですね、一種のこの怪獣映画、モンスター映画としての楽しさにも、満ちていたりもするし。いろいろあるんですよ、いいところはね。すごいところがあるんですけど。

一番肝心なのは、やはりですね、ともすれば害をなしあったり、敵対しあったりしかねない、「他者」同士ですね。他者同士が、いかに互いを尊重して、共存し得るのか、というストーリー。その普遍的かつ、非常に今日的でもある切実さ。非常に重大なテーマ、いまだに解決を見ているわけではない、「他者とどう共存するか?」というテーマに対する、誠実なアプローチ。ここがやっぱり、『ヒックとドラゴン』のすごくいいところですよね。という風に思います。

で、ここから先は、どうしても『1』『2』のおさらいが多めになりますので。そのストーリーのネタバレを含む、という点もご容赦くださいませ。もう10年間経っているストーリーなので。一作目はですね、ドラゴンたち、最初は、害獣として狩られるのが当然、という伝統があるというこのバーク島という島の中で、でも、その伝統の中にいまいちハマりきれないというか、そのドラゴンを殺しまくるという文化の中では、役立たずとされていた主人公ヒックがですね、そのToothless」っていう……日本名では「トゥース」という風に訳されていますけども。

これ、一作目の公開時に、オードリー春日さんを宣伝に使った名残り、という風に言ってもいいかと思いますが。まあ元は「Toothless」ですので、今日は「トゥースレス」で統一しますけども。トゥースレスというドラゴンと直接交流していく中で、実は彼ら、ドラゴンというのは、コミュニケート可能な、愛すべき存在なんだ、ってことに気づいて。自分が所属するコミュニティのその攻撃的な伝統を、根本から改革していく、という……非常に困難な、しかし絶対に立ち向かわなければならない試練に立ち向かっていく、という話ですね。

で、要は、最初は弱虫の役立たずだと思われていた彼のその資質こそが、より良い世界を切り開くための「ライトスタッフ」、正しい資質だったということが分かる、というお話でしたよね。まあ非常にだから、身につまされる話でもありますよね。その自分の所属しているコミュニティが「あいつら、全員ぶっ殺しちまえ!」って言ってる中で、「いや、ダメだ。仲良くしなきゃダメなんだ!」って1人で言うってこれ、なかなか大変なことですけど、それを成し遂げる、という非常に切実な話。

で、この段階だとね、でも人間とドラゴンの関係っていうのは、まあほぼペット的なそれみたいな感じですよね。実際そのセリフでもですね、冒頭で「この島のペスト(害獣)はドラゴンなんだ」っていうのと対をなす感じで、「この島のペットはドラゴンなんだ」というセリフで(両者の関係性が)示されます。一作目では、人間とドラゴンの関係はペット的なそれだったんですけど。

このシリーズの「ドラゴン」は人間という存在の映し鏡

2』では、主人公ヒックの能力と対をなす、いわば「悪いドラゴン使い」というのが登場して、ドラゴンたちのその動物的習性を悪用しだすという、そういう話なんですね。で、それに対して、そのドラゴンであるトゥースレスはですね、ここは本当にその『2』の感動的なポイントですけど、自らの意志で……ヒックとの友情というのを糧に、自らの意志で、動物的本能、動物的習性を乗り越えてみせる。

で、まさにシン・ライオンキングならぬシン・ドラゴンキングとなる、という話。つまり、ここではっきり人間とドラゴン……ドラゴン側も明確な意思を持って人間と連携している、ということで、ここで「対等なパートナー」という風に、次のフェーズに行く、という話なんですね。パートナーになった、という風に考えざるを得ないというフェーズに入っていく。

で、要はですね、この本シリーズにおけるドラゴンというのは、人間というものの、映し鏡なんですね。人間側の意識、人間側の他者というものに対する意識の進歩、もしくは後退っていうのが、如実に反映される存在であると言えるわけです、今作におけるドラゴンというのは。そういう象徴だと言えるわけです。ということで、今回の『聖地への冒険』、三部作のこの完結編はですね、主人公ヒックが押し進めてきたドラゴンとの共存社会というのがですね、その理想とは裏腹に、明らかな現実的限界を迎えつつある、という状況から始まるというね、こういう三部作なんですね。

■3作目で行き着いたのは、「人間はドラゴンと共存するまで至っていないのでは?」という問いかけ

もちろんたとえばね、冒頭、ドラゴン解放ミッションをするというシークエンス。ヒックたちのまとう、あの耐火スーツ。恐らくは前作のね、あのドラゴという敵役の持っていたテクノロジーを利用してる感じですけどね。その耐火スーツなどの、ヒーローものっぽいガジェットのかっこよさ。こういうところで、物の質感というのを表すこの技術が、すごく生きる。そんなガジェットのかっこよさ、面白さもありますし。

あとはやはり、実は非常に人手が必要だったという、非常に長めの、3DCGアニメとしてはかなり長めのワンショットの中で、おなじみのキャラクターたちが、次々に、連鎖的にアクションを繋いでいく。それによって端的にキャラクターの描き分けをしていく、というあのくだりとか。それの技術的なすごさであるとか。

あるいは技術的なことで言うと、暗闇、なおかつ霧が立ち込める中、火が灯っていて、それが煙にも映っていて……という、いかにも難易度が高そうなその自然表現、シチュエーション表現を含めですね、やはり圧巻の……もうオープニングからしてやっぱり『ヒックとドラゴン』、格が違う。さらに技術が上がっていてすごいことになっているな、っていう。もう圧巻の面白さですし。

そこからドラゴンたちを連れ帰った、バーク島の現状。明らかに過密状態なわけですね。その過密状態っていうのを見せる意味で、無数の人間やドラゴンたちが、もう画面いっぱいに、もうあちこちで動き回っているという……今回、新たに開発されたというレンダラー、「ムーンレイ」という3DCG描画ソフトですね、ムーンレイというその新たな技術の開発をして、それがあってこそ描けたすさまじい画、というね。ちなみに一作目だと、ドラゴンは同時に8匹描くのが限界だった、ということなんですから。いかにムーンレイがすさまじいか?ってことですよね。

で、とにかくその10年前の一作目からすると、技術力、スタッフワークも、主人公たちと同様、飛躍的に成長している、というのが今回の三作目、これも感動的なあたりだと思います。「ここまで技術が来たか!」というのが感動でもある。で、とにかく人間とドラゴンの共存社会ね、物理的にも限界だし、ドラゴンハンターたち、要はドラゴンを兵器として利用する人間たちっていうのもいまだに後を絶たない、ということで、ドラゴンを集めておくということは、むしろ彼らとの争いを余計に招くことにもなっている、ということですけどね。はい。

で、ここで現れてくるのが、その前作のドラゴ以上に、非常に怖い手段でドラゴンを支配している今回のヴィラン、グリメルというね。非常に徹底してクールな搾取ぶり、なかなか格好いいんですけど。ということになります。つまり、さっき言ったように、ドラゴンとの関係が人間の意識の反映とするならば、ドラゴンという他者との共存を完全に達成するところまで、まだ人間側、人間社会側が至っていない、ということではないか? 「共存」というのも所詮、人間側のエゴなんじゃないか?

というところで、そのドラゴンという他者への理解と尊重が、ついにこういう考えに至るところまで来ている、というのが、この『3』の話なんですよね。つまり、相手を大事に思うからこそ、道を分かつことを選ぶ。先ほどのメールにあった通りですね。そういうレベルにまで到達していると。

■新ドラゴン「ライトフューリー」やドラゴンの聖地の登場で、ヒックと観客たちは親心を刺激される

で、これ実は、さっき言ったようにですね、作品そのもののトーンとかお話としての展開は全然違うんだけど、そのクレシッダ・コーウェルさんの原作の、上下巻になっている最終巻、『最後の決闘』というこれ、2015年に出ているんですけども。これの着地と実は、非常にシンクロしてる展開なんです。この『3』の、特に着地は。

監督のディーン・デュボアさん自身ですね、一作目の製作をしてる最中にクレシッダ・コーウェルさんと話した時に、クレシッダ・コーウェルさんが語っていたラストの構想……要するに、「なぜドラゴンが今のこの我々の世界にはいないのか? その理由を描こうと思う」っていう。この言葉からこの三部作のアイデアを思いついた、という風にディーン・デュボアさんは仰ってるぐらいなので。ということです。

ともあれ、その『1』『2』を通じてですね、そのヒックとまさに一心同体の相棒となったトゥースレスがですね、彼が本来いるべき場所、ドラゴンの世界に回帰していく、という。その大きなきっかけとして、今回の三作目では、同族との出会いっていうのが描かれる。人間側にはその「ライトフューリー」と名付けられたね、見た目はちょっとミュウツー風と言いましょうか、白いドラゴンが出てくるわけです。初めて同類と出会って、今まで感じたことのないような興奮と親しみを覚える、という。トゥースレスは。

自分の影にキスしたりして、完全に発情している!っていうあたりとか、ちょっと何か「えっ?」ていう感じの描写もありましたけど(笑)。で、このプロセス。先週の『ボーダー 二つ世界』と、完全に重なるものですよね。どちらも北欧、伝説の存在ものでもある、ということでね。同族に惹かれてしまう、というこのくだり。で、このトゥースレスとライトフューリーが、距離を縮めていく、というこの過程。

ここは特に、セリフなし、動きや表情だけで細やかに描き出されていくんですけど、このくだり、明らかに一作目の『ヒックとドラゴン』、そのヒックとナイトフューリーことトゥースレスが、不器用にその距離を縮めていく、あの一連のシークエンスと、対をなすように構成されている、というのがわかる。これがまた涙腺を刺激するわけですね。

過去作を踏まえた描写といえば、ヒックがトゥースレスにあつらえてあげる、あの単独飛行できる尾翼の補助装置。これはですね、テレビシリーズの、『ドラゴンの贈り物』という2011年のホリデースペシャルエピソードと呼応するものだったりもする、という。要はその時は、ヒックから独り立ちするのを、トゥースレスが拒んだんですね。なんだけど、今回は嬉々としてそれを身につけて、飛んでいっちゃうわけじゃないですか。

なので、そうやってね、トゥースレスが入っていったドラゴンたちの聖地に侵入した、そのヒックとアスティ……ここ、ドラゴンたちの聖地の、本当にサイケデリックですらある色彩と動きの、まさに前述したムーンレイ、新技術あってこその、圧倒的な豊かさ、鮮やかさ。本当にクラクラするほどすごい。あとなんか、ちょっとあのね、(人間社会から隔絶した)ドラゴンたちの世界があって、というあたりはちょっと、『ナウシカ』を連想するようなところもありますけども。

とにかく、ドラゴンたちだけのそのサンクチュアリ、聖域の中でですね、まさに『ライオンキング』的に、ついに本当に自分の居場所を見つけた!という感じで生き生きとしているトゥースレスの姿を、物陰から目撃するあの切なさ。しかもそこからね、そのヒックたちを救出して、人間界に一旦戻ってきたトゥースレスの、明らかなしょんぼり感を含めですね、要は子離れしなきゃいけない、子供を旅立たせなきゃいけない、送り出さなきゃいけない親心、っていうところに、ヒックと、そして観客の心情が行くわけですね。

■テーマ的な着地も含め、しっかり完結した幸福な三部作

ということで、まあ『ヒックとドラゴン』シリーズ、生き物との交流物、という側面も強いシリーズなわけですけど、その意味で今回の完結編は、『野生のエルザ』……これは監督もね、『野生のエルザ』的であるってことをインタビューでも言ってますし。あるいは、『ドラえもん のび太の恐竜』的、といったところですかね。はい。といったあたり。「元いたところにお帰り……(泣)」という話ですね。思えば、一作目、二作目と、何かしら重大な、大事なものを失うことと引き換えに、その都度大きく成長するキャラクターだった主人公ヒック。

そう考えると、彼にとって今回のその最大の喪失というのはですね、メールにもあった通りだと思います、本当の意味で独り立ちする、大人になるという、完結編にふさわしい成長をもたらした、という風に僕は思いますね。要するに別々の道に……僕はこれはもう、必然的なラストだという風に思います。『ドラえもん』の(真の意味での)ラストが、『さようなら、ドラえもん』であるように。

ラストはですね、原作のその歳を取ったヒックの述懐とも重ねて、ドラゴンがいなくなった世界……まあ人間がまだそのレベルに、要するに他者との完全に平和な共存にはまだ至ってない、という非常に苦い結論なんだけど。ただ、次世代につなぐ、かすかな希望も残して、ということですから。僕はこれ非常に、家族で見る映画としてもですね、エンターテイメント映画の着地としても、甘すぎない、ちょっとビターなんだけどもちゃんと希望も残す、という、僕は完璧な着地バランスだなと思います。

エンドロール、ヒックとトゥースレスのこれまでを振り返る、名場面ダイジェスト。思えば遠くへ来たもんだ感ね。これはもう、ヨンシーさんのあの曲と合わせて、本当にまたさらに涙腺を刺激しますし。さらに見逃さないでほしいのは、スタッフクレジット、延々と続くところ。すごく楽しいおまけアニメが各仕事の様子を説明してくれる、というおまけもついていて、これもめちゃめちゃ楽しいんで、見逃さないようにしてください。

あえて言えばね、あの住み慣れた土地を出て、まさに「出エジプト」よろしくですね、民族大移動する、というところ。ちょっと論理的な飛躍がありすぎな気もします。僕、今『アンセスターズ 人類の旅』をプレイしてるんで、元から住んでるところを出るのはマジで危ねえ!っていう気持ちが特に強いのもありますし(笑)。あと、クライマックス。たしかにアクションとしては、若干ですね、何て言うかな、ちょっとアクションの見せ場としては小ぶりになっているとか、たしかにある気もしますけどね。

とはいえ、まあそのテーマ的な着地も含め、三部作がしっかり終わった、幸福なケースと言えるんじゃないでしょうか。この三部作、三作ができたこと、ちゃんとした三作目になったことをもって、名作として残るものになったんじゃないでしょうか。キャラクターたちが、顔つき、体格、あるいは服装などとともに、しっかり大人になっていく……アニメでありながら、ちゃんと人間として、体格とかも含めて変化していくシリーズでもあるので、ぜひ三作を通して味わっていただきたい、ということで。三部作揃って文句なし、私は万人におすすめの一作となったと思います。ぜひぜひいろんな形で、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREYです)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

「スパイク・リー最新作! 映画『ザ・ファイブ・ブラッズ』をより楽しむための音楽ガイド」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/06/19)

「スパイク・リー最新作!映画『ザ・ファイブ・ブラッズ』をより楽しむための音楽ガイド」

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします。「スパイク・リー最新作! 映画『ザ・ファイブ・ブラッズ』をより楽しむための音楽ガイド」。

映画の劇中で使われている音楽を解説するシリーズ、今回は先週12日からNetflixで配信がスタートしたスパイク・リー監督の映画『ザ・ファイブ・ブラッズ』を取り上げたいと思います。

スー:すごい話題になってますよね。

高橋:ご覧になられました?

スー:まだ見てない。堀井さんも首を横に振っています。

堀井:いま目が寄っていました(笑)。

高橋:フフフフフ、では映画の概要を紹介しますね。「ベトナム戦争からほぼ半世紀を経た現在。共に戦った4人の黒人退役軍人が、戦死した仲間の遺骨と埋められた金塊を探し出すためにかつての戦場へと舞い戻る」というお話。監督は2018年の『ブラック・クランズマン』でアカデミー賞監督賞にノミネートされたスパイク・リー。出演は『ブラック・パンサー』のティ・チャラことチャドウィック・ボーズマンなど。

内容としてはベトナムを舞台にした戦争映画であり、チームで一獲千金を目論むケイパームービーの要素もあるんですけど、柱になっているのはアメリカの最大の暗部といえるベトナム戦争と黒人差別。この題材をあのスパイク・リーが2時間35分かけて描くわけですから、当然とんでもなく骨太な一本に仕上がっています。

スー:ベトナム戦争とアフリカ系アメリカ人というと、最前線に送られたのはいったい誰だったのか、必ずそういう話になってきますよね。

高橋:まさにそこを深く掘り下げていく映画でもあるんですよ。前作の『ブラック・クランズマン』がそうであったように、差別問題の過去と現在を見事にシームレスにつなげてくる。しかも、いまのこのタイミングじゃないですか。

スー:ねえ!

高橋:うん。ジョージ・フロイドさん殺害事件を受けて全米/全世界に「Black Lives Matter」運動が拡大しているいまだから、ただでさえヘヴィなテーマが余計に重くのしかかってくるんですよ。

スー:ご覧になった方は皆さん衝撃受けているようですね。

高橋:この公開タイミングがこの映画をより強力なものにしているところは確実にあると思います。もう映画のど頭からいきなり引き込まれるんですよ。オープニングは1960年代後半から1970年代前半のアメリカ、ベトナム戦争と公民権運動に揺れるアメリカを当時の映像や写真をコラージュにして見せていくんですけど、もう本質的にはいまニュースで流れているアメリカとそうたいして変わらないんです。その映像にオーバーラップしてくるのが、まさに当時の混迷するアメリカの社会情勢にインスパイアされてつくられたマーヴィン・ゲイの1971年リリースの名盤『What’s Going On』収録の「Inner City Blues」です。歌詞の大意を紹介しますね。

ぜんぜんいまでも有効な歌ですよね。このタイミングだからこそそう受け止めてしまうところもあるのかもしれませんが、50年前の映像と音楽を使っているにも関わらず、アメリカがいまもなお同じような問題を抱え続けていることを示唆したオープニングになっています。

M1 Inner City Blues (Make Me Wanna Holler) / Marvin Gaye

高橋:この映画、実は脚本の段階では主人公は白人だったんですって。でも脚本を気に入ったスパイク・リーが「大勢の黒人がベトナム戦争に従軍していたのに彼らに焦点を当てた映画がほとんど存在しないのはおかしい」と考えて黒人の主人公に変更したという経緯があります。

スー:なるほど。

高橋:実際、当時のアメリカの人口のうち黒人の占める割合は11%だったのに対してベトナムに従軍した兵士の32%が黒人だったそうで。この実態を考えると、確かにスパイク・リーが問題提起しているように黒人兵を主人公とするベトナム戦争の映画はもっとあってもいいと思うし、事実その一方でベトナム戦争を題材にしたソウルミュージックはたくさんつくられているんですね。

これがその裏付けになると思うんですけど、イギリスのレコードレーベル「エース」からベトナム戦争をテーマにした60年代/70年代のソウルミュージックの反戦歌を集めたコンピレーションシリーズがリリースされているんですよ。タイトルは『Vietnam Through The Eyes of Black America』。「黒いアメリカを通して見るベトナム戦争」みたいな意味になるでしょうか。

A Soldier's Sad Story: Vietnam Through the Eyes of Black America 1966-73 by Various Artists (2003-11-25) A Soldier's Sad Story: Vietnam Through the Eyes of Black America 1966-73 by Various Artists (2003-11-25)
Does Anybody Know I'm Here: Vietnam Thro Does Anybody Know I'm Here: Vietnam Thro

次の曲は映画の挿入歌で、かつこのベトナム戦争反戦歌のコンピレーションにも収録されている曲を紹介したいと思います。フレッダ・ペインの「Bring The Boys Home」。1971年の作品です。タイトルは直訳すると「少年たちを家に返して」という意味になりますが、歌詞はこんな内容です。「大切な息子たちが無意味な戦争で無駄死にしていく。これ以上死者や負傷者を出したくない。いますぐ武器を置いて船を引き返させてくれ」。曲調からくる印象はちがった、切実なプロテストソングです。

M2 Bring the Boys Home / Freda Payne

高橋:この映画には熱心なソウルミュージックファンであれば気がつくかもしれないある仕掛けが施されていて。主役の4人の黒人帰還兵の役名が、ポール、オーティス、エディ、メルヴィン。彼らに動向することになるポールの息子の名前がデヴィッド。これは1964年から1968年の黄金期のテンプテーションズのメンバーの名前と同じなんですよ。

そして、そんな彼らの精神的支柱だった戦死した兵士、これはチャドウィック・ボーズマンが演じているんですけど、彼の名前はノーマンで。おそらくこれは、テンプテーションズのメインプロデューサーだったノーマン・ホイットフィールドから取られたのではないかと思います。

これはスパイク・リーのちょっとした遊び心だと思うんですけど、金塊を求めてベトナムのジャングルを誘惑(テンプテーション)と格闘しながらさまよう5人の名前がテンプテーションズから取られていて、彼らを導く男がテンプテーションズのプロデューサーと同名のノーマンというのがおもしろいですよね。

これからかけるのは劇中では流れない曲ですが、この映画のキャストの設定に応じて、ノーマン・ホイットフィールドがプロデュースを務めたテンプテーションズの名曲、ポール、オーティス、エディ、メルヴィン、デヴィッドからなる黄金期のテンプスの名曲を一曲聴いてもらいたいと思います。雨模様な今日の天気に合わせて選んでみました。1967年のヒット曲です。

M3 I Wish It Would Rain / The Temptations

高橋:このように『ザ・ファイブ・ブラッズ』はたくさんの音楽や音楽ネタが仕込まれている映画なんですけど、劇中で大々的にフィーチャーされているのは冒頭でも紹介したマーヴィン・ゲイの1971年の名盤『What’s Going On』です。劇中のところどころにさまざまなかたちでアルバムからトータルで6曲も使われているから実質この映画のサウンドトラックといってもいいと思うんですけど、一貫しているのは『What’s Going On』の大きな音楽的な魅力になっている甘さ、メロウさ、心地よさには一切ひたらせない使い方をしています。

今日はそんななかから「What’s Happening Brother」を選んでみました。この曲はベトナムからの帰還兵が母国アメリカの混乱ぶりに「俺たちの国はいったいどうなっちまったんだ? いったいこの国になにが起こっているのか教えてくれ!」と困惑している様子を歌った歌詞になっています。

この映画で特に印象的だったのが、ベトナム戦争当時に現地のラジオのプロパガンダ放送を通じてアメリカ軍兵士に反戦メッセージを送っていた実在のアナウンサー、ハノイ・ハンナが登場するシーンで。彼女が戦地の黒人兵にピンポイントでたびたび訴えかけるんですよ。「いまアメリカではマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が白人に暗殺されて、それを受けて皆さんのソウルブラザー/ソウルシスターが全米各地で抗議の声をあげて戦っている。なのにあなたたちは異国の地でいったい誰と戦っているのだ。本当の敵は誰なんだ」と。これは兵士たちの厭戦感情を煽ること、戦意を喪失させることを目的としている放送なんですけどね。

そのハノイ・ハンナの問い掛けに対する黒人兵たちの葛藤を、マーヴィン・ゲイの「What’s Happening Brother」が代弁しているようなところがあって。当然、これは「Black Lives Matter」運動が広がるトランプ政権下のいまのアメリカにも向いてくるメッセージでもあるわけです。

M4 What’s Happening Brother / Marvin Gaye

高橋:肝心の「What’s Going On」がどういうタイミングでどうやってかかるのかはここではあえて伏せておきますね。

というわけで『ザ・ファイブ・ブラッズ』にちなんだ音楽を4曲紹介してきましたが、いまこうして話してきたのはこの映画のある一側面にすぎません。ベトナム戦争を題材にした過去の映画のオマージュもふんだんに盛り込まれていますし、重層的な構造をもったすさまじい情報量の映画です。なおかつエンターテインメント性もばっちりあるんですよ。まちがいなくいま見てなんぼの一本だと思うので、お時間ある方はこの週末にぜひチェックしてみてください。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

6月15日(月)

(11:06) Where・Did・You・Come・From / Larry・Carlton
(11:24) Every・Little・Step・I・Take / George・Duke
(11:36) What’s・On・Your・Mind / George・Benson
(12:15) Is・It・You? / Lee・Ritenour

6月16日(火)

(11:03) Thompson Twins / Hold Me Now
(11:38) The Psychedelic Furs / The Ghost in You
(12:13) Orchestral Manoeuvres in the Dark / So in Love
(12:24) A B C / Be Near Me
(12:50) 米米CLUB / トラブル・フィッシュ

6月17日(水)

(11:05) Wild Wild Life / Talking Heads
(11:26) Let’s Work / Mick Jagger
(11:38) Big Time / Peter Gabriel
(12:12) We’ll Be Together / Sting
(12:24) I Didn’t Mean to Turn You On / Robert Palmer
(12:50) ふりむけばカエル / 矢野顕子

6月18日(木)

(11:04) Triste / Joao Gilberto
(11:16) Love City / Sergio Mendes & The New Brasil ’77
(12:16) Love, Love, Love / Quarteto Em Cy
(12:51) 蜃気楼の街 / 大貫妙子

6月19日(金)

(11:03) Oops Here I Go Again / Edna Wright
(11:25) I Think I’m Falling in Love / Leroy Hutson
(11:36) When a Little Love Began to Die / The Friends of Distinction
(12:14) Journey Into You / Leon Ware


宇多丸、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』を語る!【映画評書き起こし 2020.6.19放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY(2020年3月20日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン改め、最新映画ソフトを評論する新作DVD&Blu-rayウォッチメン。今夜扱うのは、6月10日にDVDやBlu-rayが発売されたこの作品です……『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』

(曲が流れる)

DCコミックスのヴィラン、まあ悪役ですね……が終結した、2016年の『スーサイド・スクワッド』に登場したハーレイ・クインが、スピンオフとして主役になったアクション・エンターテイメント。ジョーカーと破局したハーレイ・クインはゴッサム・シティの悪党たちに命を狙われるようになった。そんな中、大物犯罪者ブラックマスクに目を付けられたハーレイ・クインは、女性だけのチームを結成し対決を挑む。

ハーレイ・クイン役は『スーサイド・スクワッド』に引き続きマーゴット・ロビー。敵役のブラックマスクを演じたのはユアン・マクレガー。監督を務めたのは中国生まれの女性監督キャシー・ヤンさん。アジア系女性映画監督がスーパーヒーロー映画の監督をしたのは史上初、ということでございます。

さあ、ということで『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』。劇場でもね、公開はされておりましたが。この作品をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多め」。やっぱり注目作でしたからね。コロナ禍も過ぎてもね、非常に注目が多かった。賛否の比率は、褒める意見が6割強。反対にダメだというという意見も3割ほどございました。

主な褒める意見は、「痛快な娯楽エンタメ。ガールズ・エンパワーメント映画としても申し分なく、それでいてほどほどに軽いのがいい」「意外なほど本格的な格闘アクションシーンにしびれた」「男社会でそれぞれ片隅に追いやられた女たちがチームを組んでいく流れに胸アツ」などがございました。一方、批判的な意見としては、「やりたいことはわかるが、ストーリーがあまりに弱い。敵に魅力がないので最後まで盛り上がらない」「ハーレイ・クインのぶっとんだキャラが活かれていない」「前半の時系列をシャッフルした演出、いる?」とか、いろんな声がありました。

■「『あんたたち、今、少女時代のかつての自分自身を救っているんやな!』」(byリスナー)

ということで代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「九蓮天和」さん。「『BIRDS OF PREY』、3月公開当時、スクリーンで鑑賞してきました。ただ、その場を切り抜けるために悪か善か、敵か味方かの立ち位置をぐるぐる変えながら行動するハーレイちゃんに自分は『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのジャック・スパロウが重なり、『女性主人公でこういうタイプって今まで知らなかったな』と思いつつ、我が道を行く彼女をいきいきと演じてるマーゴット・ロビー、最高となりました。他のキャラクターもみんなひとりひとり違う魅力があっていい」と。

まあ、いろいろ書いていただいて……「最後の遊園地アトラクション内でのアクションシーン。ギミックを利用した戦闘演出も楽しいし、あと髪ゴムを渡すところ……」。これはブラックキャナリーが戦ってるところで、髪をまとめるゴムをハーレイ・クインが渡して、それで本当にまとめて戦うっていうね。「わかってる!」っていう、やっぱり女性なのではな視点ね。「何よりも少女カサンドラを守るために戦っている4人の大人たちを見て、『あんたたち、今、少女時代のかつての自分自身を救っているんやな!』と勝手に熱くなり、ローラースケートカーアクションも『ヒューッ! こういうの、子供の頃やってみたかった! 最高!』と楽しませてもらいました。

マジとコメディの境目が絶妙というか、重くなりすぎずに楽しめつつ、ちゃんとシスターフッドも見せてくれる作品では。ラストのハーレイ・ウインクに『ありがとう! かわいいよ! 大好き!』とガッツポーズしたくなる映画です」という九蓮天和さんでした。

一方ですね、いまいちだったという方もご紹介いたしましょう。「ミスターホワイト」さん。「コロナ禍の前、公開時に鑑賞しました」。皆さん、素晴らしいですね。劇場で。「結論から言えば、2000年半からの二大コミック、マーベルとDC時代の中でも一番興味を引かない作品です。決して出来が悪いということではなく、作りはしっかりしています。

フェミニズム的なメッセージ性も過不足ないです。でも映画としてのカタルシスや見せ場の画が薄いのです。理由は2つあり、ひとつは守るべき存在と、その障害であるヴィラン(悪役)に魅力がないことです。2人のヴィラン、これがどちらも弱く、脅威として役不足です」というご意見。

「あと、2つ目はアクション。87elevenのアクションデザインはいつも通りすごいのですが、作品に気持ちが入り込めていないと『すごい』だけでカタルシスは発生しないのです。一番の見せ場である警察へのカチコミも憎い敵がいるわけでもないですし……」。

まあ、だからこそね、不殺生というかね、殺さずに行くわけなんだなとも思いますけどね。「後半、急にスーパーパワーが出てくるのも作品の統一感がなかったです」というようなご意見でございました。

■「DCエクステンデッドユニバース」の中では最も狙いがうまく行っている一作

はい、皆さんメールありがとうございます。ということで私もですね、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』、今回私はちょっと劇場は間に合っておりませんで、ようやくこのタイミングでBlu-rayソフトを買いまして、4KウルトラHD、字幕と吹き替えとあと、Blu-rayについているいわゆるムービーツアーっていうね、解説が逐一出てくる仕様がありますけども、ムービーツアーでも見て、計3周ぐらいはしてる感じでございます。

ということで、日本公開は3月20日、劇場公開。アメリカでは今年2月7日ということで、興行的にはですね、コロナウイルス感染拡大のあおりをモロに受けてしまった超大作、ということは間違いないと思いますね。しかし、出来的にはですね、明らかに僕は、一連のいわゆるDCエクステンデッドユニバース作品の中では、明らかに最も狙いがうまく行っている一作、という風に言えるかなと思います。

DCエクステンデッドユニバース、身も蓋もない言い方をしてしまえばDCコミックス版のマーベルシネマティックユニバース、的な一連のシリーズ。その中で、先ほどもありましたけど、2016年の『スーサイド・スクワッド』という作品がありまして。僕は2016年9月24日に評したんですけども、とにかくその『スーサイド・スクワッド』がですね、細かい理由についてはその僕の評……公式書き起こしが今でも読めますんで、ちょっとぜひ読んでいただきたい。私も久しぶりに読み返して、自分でも笑ってしまいましたが。

「ヘリコプターが3回落ちる頃には目が死んでいる」とか、自分の評に笑ってしまいましたけど。非常に面白くなりそうな企画だったし、ちゃんとヒットもしたんだけど……それでいいところもあるんだけど、諸々がうまく噛み合ってないところが目立つ、全体の出来としてはまあ、決して褒められたもんじゃないという一作だったわけですね。ただその中で、唯一高評価というか、高い人気を集めたのが、マーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインというキャラクター。要は劇中でジャレッド・レトが演じていたジョーカーの彼女、という役柄ですね。

これ、元は1992年、アニメシリーズ版の『バットマン』で初めて登場して、コミック版には後から登場したキャラクターですね、ハーレイ・クイン。で、一応念のために言っておくと、ホアキン・フェニックスが演じて昨年大ヒットした『ジョーカー』のあれ、あのジョーカーとか、あとはヒース・レジャーが演じたあの伝説的な『ダークナイト』のあのジョーカーとかとは、完全に別の世界線。まあジャレッド・レトのジョーカー世界線、みたいなので、ちょっとややこしいんですけどね。

ともあれ、そのホアキン・フェニックスだ、ヒース・レジャーだといったジョーカーと比べると、何と言いましょうか、ヤンキーカップル的と言いましょうかね、「暴力的に共依存してるヤンキーカップル」的な趣だった『スーサイド・スクワッド』のジョーカーとハーレイ・クインカップルでしたけども。分けてもそのマーゴット・ロビーが演じたハーレイ・クイン、明らかに作中でも、群を抜いてキュートに際立って、光っていたという。

で、実際にその年のハロウィーンでもハーレイ・クインのコスプレが大量発生したというぐらい、本当に人気を集めたりキャラクターで。恐らく演じたマーゴット・ロビー自身も……マーゴット・ロビー自身は実は、『スーサイド・スクワッド』に出るまでは、アメコミヒーロー物とかあんまり興味ない、みたいなことを公言してた人なんですが。マーゴット・ロビー自身が、演じてみたら、まあ手応えがあった。

あるいはDCやワーナーといったその製作陣の中にも、『スーサイド・スクワッド』の製作中にすでに、大きな手応えがあったのでしょう。2015年の時点で、すでにマーゴット・ロビーのハーレイ・クインを中心とした女性ヒーローチーム物。それもR-指定……つまり、バイオレンス描写も含めた大人向け作品としての女性ヒーローチーム物、というスピンオフ企画が、マーゴット・ロビーから提案されて。そして2016年、『スーサイド・スクワッド』公開前にはすでにそれが、製作決定が承認されているという。そのぐらいもうね、「ああ、このハーレイ・クインというキャラクターは行けますね!」っていう風に、みんな手応えを掴んでいたっていうことなんですね。

■「新時代の女性チーム物」企画が続々進行していた時期にスタート

折しも、この2015年、2016年というあたりは、2016年のあの『ゴーストバスターズ』リブートであるとか、あるいは2018年の『オーシャンズ8』とか、あるいは2019年、去年の『チャーリーズ・エンジェル』の続編といった、要は「新時代の女性チーム物」企画というのが次々進行していたという、こういう流れというのもあって、ということだと思いますね。

で、このハーレイ・クインもですね、もちろん何しろ主演のマーゴット・ロビー自身が、企画発案者にしてプロデューサーとして、全体を引っ張る立場とも言えますし。あと、共同プロデューサー、そのマーゴット・ロビーともう1人……3人のうちのもう1人、スー・クロールさんという方も女性だし。あとはその、脚本のクリスティーナ・ホドソンさん。

この方はたとえば『バンブルビー』とかも書いてるような人ですけど。メイキングなんかを見る限り、この人のね、ワイルドなキャラクター、持ち味、好みみたいなものが、今回の『ハーレイ・クイン』にはかなり反映されてるっぽい感じがするんですけども。ともあれ、このクリスティーナ・ホドソンさんも、もちろん女性ですし。

監督として、まさしく大抜擢された中国系アメリカ人のキャシー・ヤンさん。この方の、なんと長編はこれがまだ、二作目なんですね。一作目、長編デビュー作は、2018年、英語タイトルが『Dead Pigs』という作品があって。これは、2013年に起きた、上海の黄浦江という川で、不法投棄された豚の死骸が1万匹以上発見されたという事件があって、これを元にしたダークコメディ、っていうことなんですけど。僕ね、申し訳ないですけど、このタイミングでは予告しか見られてなくて。ちょっと本編は全部見られていないんですが。

ただ、予告を見るだにもう、ちょっと「ああ、これはかなり水準が高そうですぞ」と、各地映画祭等で本当に軒並み高評価というのもうなづける、ちょっと……わかりませんよ。その本編を見れてないけど予告を見るだに、『ほえる犬は噛まない』で注目された頃のポン・ジュノすら連想するような、ちょっと才気走った感じというかですね。あと、色彩の使い方……独特の、ちょっと毒々しぐらいの色彩の使い方。今回のね、『ハーレイ・クイン』にも活かされてましたけど。そんなのも含めてですね、ちょっとこれはたしかに才能だなっていうのが、ビンビンに伝わってくる感じなんですね。予告を見るだに。

で、とはいえその、それほどの大作というわけでもないであろうその『Dead Pigs』から、いきなり超ビッグバジェット大作であるこの『ハーレイ・クイン』に引っ張ってくるという、これがまず非常に企画として大胆、英断ですし。あと、そこでまた堂々とね、この企画をここまで仕上げきるっていう……ねえ。今までそこまで大きい作品じゃないのを1個撮っただけ、っていう監督が、いきなりこれをここまで仕上げきるっていう。だからキャシー・ヤンさん、かなり人間としても大物じゃないか?っていうね。メイキングで答えてるのなんかを見ても、かなり堂々とした方、という感じがしますけどね。

■見どころのアクションシーンは「87eleven Action Design」の仕事

ということで、とにかくそんな感じでですね、まあ活きのいい女性クリエイターたちがグイグイと主導して作られた一作、ということなんですけども。その一方でですね、一種遊戯的に、コメディ的に工夫が凝らされたアクションの数々が全編に散りばめられている、っていうことも大きな魅力となっている本作。

荒唐無稽なケレン味にあふれながらも、同時にフィジカルな……要するに、生の肉体のパフォーマンス力っていうのもしっかり見せる、という。いわば2000年代アクションのアップデート版的なこのバランス、非常にお見事!という感じだったんですけど。これはまあ、それもそのはず。この「2000年代アクションのアップデート版」といえば、この人たちですね。スタントコーディネイトを手がけたのは、もうこのコーナーのリスナーであればすでにおなじみでしょう、あの「87eleven Action Design」。要するにデヴィッド・リーチさん、チャド・スタエルスキさん。

チャド・スタエルスキさんは私もインタビューしました。こちらが設立した、要は今、アクション映画の最先端を走っているこのチームですね。もうアクション映画、アクションを革新し続けているこのチームからですね、今回はジョナサン・エウゼビオさんという方。この方、もちろん『ジョン・ウィック』シリーズ、あるいは『デッドプール2』、あるいは『ワイルド・スピード ICE BREAK』だとかね。あとはたとえばMCU、『アベンジャーズ』『ブラックパンサー』などにも関わってきたような方ですけども。

今回の『ハーレイ・クイン』でも、スタントコーディネーターとして、そして第2班監督として入られて、アクションシーンの質、豊かさに非常に貢献されているという。まあ、とにかく87elevenが入っているなら、そりゃあすごいに決まってる、って感じですよね。

■共依存関係的なジョーカー&ハーレイ・クインを否定するところから話は始まる

ということで、この『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』。原題も『Birds of Prey (and the Fantabulous Emancipation of One Harley Quinn)』という、要はあえての長ったらしいタイトル、それが元々付いてるわけですけど。

要はこれ、60年代とか70年代初頭の小粋なアクションコメディ風、というかね。その感じ。もっと言えば、その60年代、70年代の小粋なアクションコメディーのサンプリング的な感覚っていうことですね。で、この構造自体がやっぱり、2000年代のアメリカ・アクションエンターテイメントっぽい、って言うかね。さっき言ったアクションのトーンを含め、全体に「2000年代のアメリカ・アクションエンターテイメントのアップデート版」っていうバランスが非常に強い一作だな、という風に思いました。

それこそタランティーノ感というかね。特に『キル・ビル』風、とは言えますしね。あとはドリュー・バリモア製作版の『チャーリーズ・エンジェル』的でももちろんありますし。近年の作品で言うとですね、やっぱりあの、観客に第4の壁を破って語りかける作りだとか、あとはひっきりなしに前後する時制などですね、あえてのせわしない、ガチャガチャとした語り口っていうのはやっぱり、『デッドプール』が一番近いかなと思います。まあ『デッドプール』を連想していただけば一番いいんじゃないでしょうか。

冒頭、まずいきなりかわいいアニメでですね、そのハーレイ・クインのこれまでの半生というのをポンポンと説明していくという、この作りからして、いかにも『デッドプール』なり何なりっていうね。アニメが出てくる感じ。『キル・ビル』でもいいですけどね。そういう感じがすると思うんですけど。あと、字幕が面白おかしく出てきたりとかね。いかにもそういう作りだと思うんですけど。ただ本作が面白いのはですね、やっぱりそこから始まるストーリー。

そこから始まる物語がですね、はっきりその、スピンオフの元になった前作、『スーサイド・スクワッド』における、ジョーカーとハーレイ・クインのカップル……さっき言ったように「暴力的に共依存してるヤンキーカップル」的な関係性。要はそのジョーカーは、結構ハーレイ・クインさんにひどいことをしてるわけですね。なんだけど、まあ魅入られたようにというかな、その共依存関係みたいなことになってるというカップルで。で、その暴力的に共依存してるヤンキーカップル的な関係性を、今回の『ハーレイ・クイン』は、全面的に批判することから形づくられている話というか。そこが面白いですよね。

本作冒頭で、ハーレイ・クインは、唐突にジョーカーに捨てられて……要は「パワーを持った男の庇護下」でこそ得られていた安全とか、もっと言えばアイデンティティを、まずは根こそぎ失うことになる。そこから始まるわけですね。で、ただこれはでもね、現実でも実際によく起こってることなわけですよ、これは。要するに、「○○の彼女」とか「○○の奥さん」という形でしか社会的な立場を与えられられてこなかった女性が、そこを剥ぎ取られてしまった途端、宙ぶらりんに、孤立した立場になってしまう、というような構図。これ、現実にありますよね。

つまりこの話は、そういう現実のメタファーでもあるわけです。そういう立場に……男性とセットになる形でしかアイデンティティを与えられてこなかった女性、というもののメタファーでもあるわけですね。

軽薄なハーレイ・クインのキャラクター、語り口も明るくてポップ

ただ、ここがですね、やっぱりマーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインというこのキャラクターが映画的な魅力を放っている所以でもあるんですけど。

一応、泣いたり悩んだりもするんですけど、このキャラクターは、常にやっぱり行動が先、というかね。動いて、「アクション」してから考える、という、キャラクターのそのヌケの良さというのもありまして、基本全くウジウジしていないというか、先ほどスタッフみんなで話していて、やっぱりこの表現がぴったりですね……基本、非常に軽薄なわけです(笑)。まあ、それを表現するのがやっぱり、表情をコロッと変えるっていうかね。表情をコロッと変えた瞬間、目の焦点があさっての方を向いている(笑)っていう、ああいう時のマーゴット・ロビーのふざけきった、「てめえ、ナメてんだろ?」っていうあの顔とか、本当に絶品なんですけど。

で、それとは対照的にですね、そもそも本作におけるジョーカーというのは……前作でそのジャレッド・レトがですね、彼なりに熱演したそれというのは、ほぼ完全に「なかったこと」になっている。これはちょっと若干、ジャレッド・レトには僕は同情してしまいますが。あくまでアニメとか、あるいはその下手くそに描かれた絵。あるいは「ミスターJ」「プリンちゃん」といった、要するにハーレイ・クイン流の愛称などによってですね、言ってみれば極度に抽象化された存在……ほとんどですね、要は「力を持った男」っていうものの象徴、概念としてしか扱われていないわけです、今回のジョーカーは。

つまりですね、この話にとって肝心なのは、男に振られたことそのものではなく、「恋愛」という美名のもとに依存できる対象を見つけることが人生において大事なんじゃない、あくまでも自分のための人生を見つけ直すこと、そういう話なんだ、というテンションで、最初から最後まで一貫しているわけです、この映画は。

なので、全体のトーンとしては、話し運びのテンポの良さもあって、いい意味でパッと見、軽い。ひたすらポップなわけですね。さっき言ったようなその87elevenによるアクション演出もですね、はっきり遊戯的、コメディ的な方向に振り切っている。結構バイオレントな場面もあったりしますけど、それすらももう、行きすぎていて笑っちゃう。足を折られる描写とか、ひどすぎる! みたいな感じで、笑っちゃう感じになっている。

これ、僕は『フロントロウ』というネット上の記事で見ましたけど、「ジャッキー・チェン風を目指した」という風にね、はっきりおっしゃってたりなんかもしますけども。

■軽薄な上辺の底で鳴る「感じ悪い」通奏低音

ただですね、もちろんパッと見、ひたすら軽くてポップ、軽薄!っていうね(笑)。これ、いい意味で軽薄!っていう感じが続くんですけど、ただ同時にですね、ここも本作の実はとても魅力的なところなんですけど、たとえばですね、プロダクションデザイナーのK・K・バレットさんという方。この方はですね、スパイク・ジョーンズの作品とかですごくいっぱい仕事してる方ですね。

K・K・バレットさんが手掛けた、美術の不穏さ。たとえばですね、ユアン・マクレガーが、ものすごく感じ悪く――僕、これは褒めてますけど――演じているヴィラン、ブラックマスク。ブラックマスクはたしかに、強さという意味では物足りないかもしれないけど、あの、ただ単にいやがらせのためだけにあの女の人を脅すところとか、あとは顔はぎとか相当なもんだしね……非常に感じ悪く演じている、そのブラックマスクこと、ローマン・シオニスという人。

この人が経営しているクラブのね、あの美術。ちょっと『時計じかけのオレンジ』のコロヴァ・ミルク・バー風というのかな、あれとか。あるいは自宅のインテリアであるとかですね。あるいは、クライマックスの舞台となるファンハウスであるとか。あるいは、さらにその後に出てくる、霧の中の桟橋であるとか……などなどに散りばめられた不、気味な意匠。もっと言えばですね、特にあのファンハウスの背景なんかそうですけど。

要はこれまで、さまざまな形で抑圧されてきた女性たち、あるいはさまざまな形の男性による権力構造、みたいなのを暗示するような細部が、この美術とかで、場面、画面を、全体に静かに支配してる感じがあるわけです。語り口のポップさと裏腹に、そのグロテスクな真実というのが、全編にうっすらと通底してるような感じが……この美術の何か「感じ悪い」感じ、よく見るとそういう女性たちの抑圧というのが表現されているような、そういう美術とかが、実は画面には大きく映っていたりするんで。

実は非常に不気味だったりグロテスクだったり不穏だったりする細部っていうのが、通底している。これが実は本作の大きな魅力にもなってるかな、という風に思います。要はですね、作品全体に広い意味での「デザイン」が、しっかり行き届いてるっていう感じですね。なので、話の軽さ……言ってみれば薄さっていうのはたしかにあるんだけど、そこには実は、その底に重低音が響いてる、という。なので高音も効く、という作りにはなってると思うんですね、音楽的なたとえで言うならば。

そういう不穏な細部で、僕が個人的に一番頭にこびりついたのはですね、中盤、ハーレイ・クインがブラックマスクに殴られたところで唐突に挟み込まれる、あのハワード・ホークス『紳士は金髪がお好き』、1953年の作品の中で、マリリン・モンローが「ダイヤモンドは女の親友」という非常に有名な曲を歌う場面。あのマドンナの「Material Girl」の元ネタですね。それの不気味なパロディーがね、急に挟み込まれる。

もちろんその、ハリウッド映画の性差別的な描写、物語の歴史に対する批判的な批評であり、もちろん現実の社会構造のメタファーでもあり、っていう、こういうディテールが突然ぶち込まれたりする、というスリリングさ。あれは物語的に説明されないので、余計不気味に頭にこびりつく。こういうのがまた、本作の独特の味わいにも繋がってるなと思います。

シスターフッド物としても熱く、ウェットにも行きすぎない。デザインが的確にハマった快作!

ポップカルチャーとかポップミュージックの引用、他で言うとたとえば、ブラックキャナリーことダイナ・ランスを演じるジャーニー・スモレット=ベルさんが、見事な自前の美声を響かせる、そしてそれがクライマックスのいわゆる「Canary Cry」への伏線ともなっている、ジェームス・ブラウンの「It’s A Man’s Man’s Man’s World」の皮肉な歌唱なども、非常に印象的ですし。

あと、クライマックスの伏線という意味ではですね、序盤にハーレイ・クインがローラーゲームをやってますね。選手になってる。これ、コミックにもあるくだりが、ちゃんとクライマックスでも生きてくる、というあたり。普通にやっぱり「待ってました!」「来たーっ!」っていう感じがして、非常にカタルシスがあったりすると思います。

マーゴット・ロビー、『アイ,トーニャ』の後ですから、もちろんスケートはお手のもの、といったあたりでございます。個人的には、ロージー・ペレスが久々に大活躍してるのとか、本当に嬉しかったですけどね。ということで、石井隆の『GONIN2』よろしく、社会からドロップアウトした女性たちが、暴力的な男たちに立ち向かうためにチーム化していくという、いわゆるそのシスターフッド物としての熱さはもちろんある。ただ一方で、それがウェットに行きすぎないバランスにとどめているのも好ましい。

主人公ハーレイ・クインがですね、とはいえこれは誰かにとっての善きことじゃなくて、あくまで自分のため、自分の人生、自分の欲望、自分の喜び、自分のアイデンティティのために戦ったんだ、ってことを高らかに……というよりはシレッと宣言してみせる、あのラスト。シレッとしたラストというかね。このシレッとしたラストの「ちがうよーん! ベーッ! 私、いい人じゃないよ、ベーッ!」っていうあの感じは、図らずもというか、ホアキン・フェニックス版『ジョーカー』ラストの突き放しとも、ちょっとシンクロするものがあるかな、と思ったりしてね。ここも見事だなという風に思いました。

ということで、実はなかなか独特のバランスの一作ではあると思いますが、それも含めて非常に、狙いそのもの、デザインが的確にハマった快作と言っていいんじゃないでしょうか。僕はDCエクステンデッドユニバースの中では一番、狙いとできたものが一致している作品だ、という風に思います。

そしてキャシー・ヤンさんというこの女性監督、恐るべし、新人監督恐るべし、っていうのもありますし。あと、やっぱりマーゴット・ロビー、なかなか大物化しつつある、シャーリーズ・セロンに匹敵する、女優でありプロデューサーとして優れたところに来ているな、っていうのも含めて、私は納得の一作でございました。ぜひぜひ、様々な形でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

 

「めちゃくちゃ甘酸っぱい最新韓国インディーポップ特集〜女性シンガーソングライター編」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/06/26)

「めちゃくちゃ甘酸っぱい最新韓国インディーポップ特集〜女性シンガーソングライター編」

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします! 「めちゃくちゃ甘酸っぱい最新韓国インディーポップ特集〜女性シンガーソングライター編」。

韓国インディーポップのおすすめ新譜を紹介するシリーズ、今年3月13日以来、3ヶ月ぶりにお届けいたします。今日は計4曲、すべて女性シンガーソングライターの作品で統一してみました。ここのところ社会情勢を反映したシリアスな内容のものが多かった反動もあって全曲ぶりぶりにかわいい曲を厳選したので好事家の皆さんはご期待ください。

一曲目はBOL4の「Hug」。5月25日にリリースしたEP『Puberty Book II Pum』の収録曲になります(日本盤はキングレコードより『思春期集 II 花を見た蝶』のタイトルでリリース)。BOL4は2016年にデビュー。もともと「Bolbbalgan4」(ボルパルガンサチュンギ)の名前で女性デュオとして活動していたのですが、今年4月に片割れのウ・ジユンが脱退。現在はアン・ジヨンのソロプロジェクトとなっています。

スー:まあ。紫色の髪の毛のかわいい女の子。

高橋:このBOL4、ちょうど一年ぐらい前に「赤頬思春期」の名前で日本デビューを果たして日本語の曲もつくっているんですよ。日本の公式ツイッターもすでに1万4000人を超えるフォロワーがいるので人気アーティストといっていいでしょうね。「赤頬思春期」の名前に偽りなしのキュートな曲です。

M1 Hug / BOL4

スー:フゥーッ! 曲を聴きながらおじさんとおばさんがいろいろ昔のことを思い出しちゃってもう大変!

堀井:チョコクランチを食べながらね(笑)。

高橋:堀井さん、かわいこぶっちゃって(笑)。

スー:四捨五入で50歳です(笑)。

高橋:二曲目はCheezeの「Today’s Mode」。5月18日にリリースされたEP『I Can’t Tell You Everything』の収録曲です。Cheezeは2011年のデビュー。もともとは4人組バンドでしたが、次々とメンバーが抜けていって現在はダルチョンのソロプロジェクトになっています。これはグルーヴィーなシティポップという感じでしょうかね。

スー:かわいい?

高橋:かわいいよー!

スー:かわいいかー。よし、がんばるぞ!

高橋:がんばるぞ? なんで?(笑)

スー:いきなりかわいいのが来たらぶっ倒れちゃうからね。

M2 Today’s Mood / Cheeze

高橋:めちゃくちゃかわいいでしょ?

スー:やっぱり韓国語でメロディーに言葉を乗せていったときに英語とはまた違うポップさが生まれるんだよね。そういう韓国語ならではの魅力がすごく効いている気はします。

高橋:確かに、同じシンガーでも英語詞の曲ではこのかわいさには届いていなかったりするんですよ。

スー:なるほどね。

高橋:三曲目はStella Jangの「Recipe」。こちらは3月1日リリースのシングル、4月7日には初のフルアルバム『Stella I』も出ていますが今日はあえてこちらを紹介したいと思います。このStella Jangは去年4月の韓国インディー特集でも取り上げました。韓国生まれフランス育ちのシンガーソングライターで2013年にデビュー。先ほど紹介したCheezeと「CSVC」なるプロジェクトを組んでいたりもします。これは王道シティポップですね。

M3 Recipe / Stella Jang

スー:ちょうど曲のかわいいところまで引っ張ったね!

高橋:最後はyourbeagleの「Nice to Meet You」。5月10日にリリースされたEP『Spring Camp』の収録曲です。yourbeagleは2018年にデビューした現在21歳のキム・ミジョンによるソロプロジェクト。いままでの3人はギターポップ/シティポップ系でしたが、彼女はちょっとR&B寄りでラップも披露します。彼女は自分のYouTubeチャンネルに22万人フォロワーがいてメイクアップ動画をあげていたりするからきっとYouTuberでもあるのでしょう。そしてこのyourbeagleのミュージックビデオ、たぶん予算がないからだと思うんですけど基本的にすべてパソコンの前で座って歌っているだけの映像なんですよ。

スー:ああ、本当だ。ただパソコンの前で座って歌ってるだけ。これでオリジナルソングを歌っているんだ? へー!

高橋:これがまたなんてことない映像なんですけど、めちゃくちゃかわいいんですねよね。

M4 Nice to Meet You / yourbeagle

高橋:このyourbeagleも含め、今日紹介した曲はどれも基本的にミュージックビデオもかわいいものばかりなのでぜひ併せてチェックしてみてください!

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

6月22日(月)

(11:08) One Way or the Other / The Fifth Avenue Band
(11:27) Love’ll Get You High / Jo Mama
(11:37) Bitter with the Sweet(喜びは悲しみの後に) / Carole King
(12:13) For Sentimental Reasons / Danny Kortchmar
(12:23) I Can See Where I’m Going / Lesley Duncan
(12:50) 今日はなんだか / SUGAR BABE

6月23日(火)

(11:08) 59th Street Bridge Song (Feelin’ Groovy) / Harpers Bizarre
(11:27) Happiness Is / The Association
(11:36) Only Me / The First Edition
(12:11) It Could Be We’re in Love / The Cryan’ Shames
(12:21) No Easy Way Down / The American Breed

6月24日(水)

(11:06) C’est La Vie / Robbie Nevil
(11:23) Monkey / George Michael
(11:36) If You Let Me Stay / Terence Trent D’Arby
(12:13) Missed Opportunity / Daryl Hall & John Oates
(12:50) 思い出に間にあいたくて / 松任谷由実

6月25日(木)

(11:10) Monkey Man / The Maytals
(11:37) Give Me Your Love / Alton Ellisl
(12:13) A Thing of the Past / Phyllis Dillon
(12:23) Dancing Mood / Delroy Wilson
(12:51) シニカル / 山口百恵

6月26日(金)

(11:04) Hit and Run / Loleatta Holloway
(11:29) My Love Is Free / Double Exposure
(11:38) Let No Man Put Asunder / First Choice
(12:13) Law and Order / Love Committee

宇多丸、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』を語る!【映画評書き起こし 2020.6.26放送】

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 TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』2020612日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜から、劇場公開されている最新作を扱うという通常スタイルに戻りまして、本格復活です。一発目に扱うのは、612日に日本で公開されたこの作品……『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』

(曲が流れる)

『レディ・バード』のグレタ・ガーウィグ監督が、1868年に発表されたルイザ・メイ・オルコットの名作小説『若草物語』……Little Women』ですね。それを新たな視点で映画化。19世紀のマサチューセッツ州を舞台に、力強く生きる四姉妹の姿を描く。出演はシアーシャ・ローナン、エマ・ワトソン、フローレンス・ピュー、ティモシー・シャラメ、ローラ・ダーン、メリル・ストリープなど豪華色キャストが集結、ということございます。第92回アカデミー賞では作品賞をはじめ計6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞いたしました。

ということで、この『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「とても多い」。久しぶりのね、最新映画ウォッチメンというのもありますし。あと前評判が非常に高い。まあ水曜パートナーの日比麻音子さんもね、「生涯ベスト映画になってしまった」なんてことを早くから言ってたこともあってか、注目度が高く大量、ということでございます。賛否の比率は絶賛が9割。やはり女性からの投稿が多かったということです。

主な褒める意見は「女性としてどんな人生も否定しない描き方に涙した。オールタイムベスト!」「ラスト、青春時代の終わりと孤独を噛みしめながら、ある行動に打ち込むジョーの姿に震えた」「150年前の原作を今に蘇らせたグレタ・ガーウィグ監督、おそるべし」「俳優たちが全員よい。画面も見とれるほど美しい」などがございました。「劇場で久しぶりに見た映画がこれでよかった」という声も多かった。

一方、批判的な意見としては「前半の時系列シャッフルのせいで誰が何をしてるのかがわかりづらく、映画の中に入っていけなかった」という。あと、原作について非常にお詳しい方というか、原作について思い入れが強い方に、その改変に関するご意見が強かったというか。非常に、それはそれで説得力のあるご意見が多かった、というのも印象的でございました。

■「仕事も恋愛も家族も、私なりの“マイストーリー”で生きていいじゃないかと背中を押してくれた」(byリスナー)

代表的なところをね、ちょっと時間の関係もあって。皆さん、すごく長く熱く書いていただいてるんで、若干端折り気味でお送りしますが。ラジオネーム「滝川ながれ」さん。「アラサー女にドストライクなキャスティング。(色合いが違う)カラーグレーディングの手法により、時系列も分かりやすく、一気に物語に引き込まれました。また本作でオリジナルで付け加えられたラスト付近のワンシーン。これによって『結婚も女の幸せだけど、結婚だけが女の幸せでもないよね』というメッセージが強まりました。

アラサー独身女、親類にも『結婚しろ』と迫られ肩身が狭いものですが、かと言って仕事だけでは寂しい……」というようなご自身の環境とも重ね合わせつつ。「仕事も恋愛も家族も私なりのマイストーリーで生きていいじゃないかと背中を押してくれた作品です。自粛中、先の見えない孤独に潰されそうな時に鑑賞できて本当によかった。オールタイムベストになりそうな一作です」などのご意見もありましたし。

あとはいろいろね、いろんな立場から絶賛メールもあったんですが。あとね、たとえば褒める意見。ラジオネーム「雅哉」さん。こちら、男性。「中学生の時に読んだオルコットの小説『若草物語』が大好きで、映画などこれまでのいろんなバージョンの映像化作品を見てきました。そんな中、今回の最新版が最高の出来でした。文句なしです」ということでございます。

「今回のグレタ・ガーウィグ版で目を見張ったのは脚色の上手さです」ということで。後ほど私がね、言う解説とも重なりますのでここは端折らせていただきますが。「グレタにはぜひ今後、劇中でも言及されるブロンテ姉妹の『嵐が丘』や『ジェーン・エア』の再映画化にも取り組んでほしいと思います」というようなご意見でございます。

一方ですね、原作とその以前の映画化とか、いろんなものに思い入れがある方に若干批判的な意見もありました。ちょっとこれも省略させてください。皆さん、熱く書いていただいて本当にね、勉強にもなりました。ラジオネーム「バカ野郎」さんですかね。「物心ついた時から原作の『若草物語』が大好きで、数えきれないほどある映像化作品も可能な限り、見ています。今回の映画もとても楽しみにしていました。しかし残念ながら、どうも何かが違う。おかしい。なぜこうなった? という感想でした」ということでございます。

「原作や過去作では切られがちだった末っ子のエイミーを準主役に持ってくるという新しいチャレンジをしていますが、これが結果的には失敗だったと思います。エイミー役のフローレンス・ピュー。どう見ても三女ベス役のエリザ・スカンレンより年下には見えません」。それはたしかにあったかもね。「正直言って彼女が熱演するほど違和感が出てしまいました」という。「あと、エイミーのキャラクターの描き方も不満だ」ということを書いていただきつつ。

「あと、エイミーにスポットを当てすぎたせいでメグとベスが相当脇に追いやられたのも不満です」という。で、いろいろと書いていただいている。「ベスに関しては過去の映像化作品、今なお世界中のファンを魅了してやまない49年のマーガレット・オブライエンの圧倒的な名演があり、それがあるのが難しいのは分かるが……」というご意見でございます。

ということで、グレタ・ガーウィグのアレンジにちょっとがっかりしてしまったというこの「バカ野郎」さんのご意見。あるいはですね、ラジオネーム「みどりでフワフワの鳥」さん。この方も「私は『若草物語』原作原理主義者です」ということで。それで「グレタ・ガーウィグが駄作を撮るわけがないのはわかってるけども、グレタ・ガーウィグとの解釈違いが起きていたらどうしようという不安を抱えながら見た」というその結果、この方の結論は「今作の『ストーリー・オブ・マイライフ』は残念ながら私の理想の実写『若草物語』ではありませんでした。というのも、あまりにも改変された要素が『若草物語』的ではなく、オリジナルというにはあまりにその全てが『若草物語』だったためです」というね。

「でも決して酷評したいわけではなく、素晴らしい映画だと思っています。素晴らしい映画を見たからこその複雑な思いをどうか聞いていただきたい」ということで。まず、褒めてる点で言うと「恐ろしいまでの原作の再現性」ということ。いろいろとですね、書いていただいて。このあたりは原作至上主義者も大納得という感じみたいなんですけど。で、だから原作と違いすぎる2点。この方はそれぞれ評価できる点と評価できない点というところに分けて書いていただいて。「原作『若草物語』を映画に用いるにあたってはっきりと改悪だったと思う点、それに関してはジョー、ローリー、エイミーの関係性について。もっと詳しく言えば、ジョーがローリーに対して恋愛感情を抱くというところです」という。

まあ、これはちょっと解釈によって僕は分かれるところもあるかなと思います。要するにあの、「やっぱりプロポーズを受けておけばよかった」って後悔するくだりのことを指されてるんだと思いますが。まあこの方の解釈というか、もちろんそういう恋愛感情を抱いてるという風に取れなくもない。「それによって映画のテーマ性というのが本来であればさまざまな愛の形が描かれている原作『若草物語』に対し、映画『ストーリー・オブ・マイライフ』では愛は全て『恋愛』というひとつの形に均されてしまっているのではないか? この映画の世界は『友愛』というものが存在しない、ジョーが一番嫌がったはずの恋愛至上主義、結婚至上主義の世界のままになってしまっているのではないか?」という批判的ご指摘でした。

一方で評価をしているのはジョーの結婚というか、ラスト周りの改変について書いていただいていて。これは評価していただいております。「この作品は初めから出版社にいるオルコットの分身としてのジョーが主人公の映画で、私たちが見ていた『若草物語』の部分はその映画の長い劇中劇として登場する「自伝的小説『若草物語』」という重箱構造だったのではないでしょうか?」という。メタフィクションというかね、そういうことを指摘していただいています。

ということで、映画『ストーリー・オブ・マイライフ』は『若草物語』そのものではない、ひとつの独立な作品であり、オルコットという素晴らしい作家の残した物語をグレタが現代娯楽として蘇らせた映画として、これからを生きる誰かの大切な一作になることを感じさせるあたたかい作品でした」ということで。原作からの改編にはちょっといろいろとね、思いがありつつ……というアンビバレントな感想。でも非常に勉強になるメールでもございました。皆さんありがとうございました。

■25年前に一度『若草物語』を映画化した製作チーム+グレタ・ガーウィグ監督という組み合わせ

ということで『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語(Little Women)』ですね、私もTOHOシネマズ六本木、TOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。どちらも平日昼の回。コロナ対策で間隔を空けるモードではありましたが、特に後者、TOHOシネマズ日比谷の方はですね、女性を中心にかなり埋まっていて。まあこれは間隔空けモードじゃなければさらに入っていっただろうな、という風に思わせる劇場の雰囲気でした。

ということで『若草物語』の最新映画化版ということですけども。何度となく映像化作品も出ているルイザ・メイ・オルコットの小説が原作で。これ、本物のオルコットさんのご家族……まあ非常に敬虔なピューリタンにして、当時としてはかなり進歩的、革新的な思想を持ったご両親で。この番組の関連で言うと、今週火曜日、作家の池澤夏樹さんが、娘さんの春菜さんの推薦図書である『ザリガニの鳴くところ』という小説に追加の解説として、ヘンリー・デイヴィッド・ソローのね、皆さんご存知の方も多いでしょう、『ウォールデン 森の生活』に連なる「ネイチャー・ライティング」の系譜でもある、なんてことを仰ってましたよね。

で、このオルコットのご両親はですね、このソローとか、あるいはエマーソンとかホーソーンとかですね、マーガレット・フラーとかとも、「超越主義」というですね、当時の進歩的な思想運動を通じて、非常に深い親交を持っていて。そのさっき言った『森の生活』の舞台となるまさにそのウォールデン池っていうのも、マサチューセッツ州コンコード、今回の映画でも実際に現地で多くロケをしているということなんですけど、そのコンコードにあるオルコット家から、わずか数キロというご近所さん。

というか、もうみんな、ソローだのなんだの、みんなご近所に住んでいる、というような感じだったということみたいですね。ということでまあ、非常に進歩的な考え方を持ったご家庭ということの反映もあって、この『若草物語』ですね、過去にも繰り返し繰り返し映像化作品が……要するに、その時代その時代の女性の生き方を問うような作品として、毎回語り直されてきたわけなんですけども。

面白いのは今回の最新『若草物語』、製作に名前を連ねているエイミー・パスカルさん、ロビン・スウィコードさん、デニース・ディ・ノビさんというこの3人は、1994年の、ウィノナ・ライダーがジョーを演じている1994年版の方でも、それぞれソニーピクチャーズの重役、脚本、製作として関わっていたという。つまり、前に一度『若草物語』の映画化をしているチームが、25年後に「いや、もっと違う、今にふさわしい語り方がこの作品、原作からできるんじゃないか?」という風に考えて動き出したのが、今回の『ストーリー・オブ・マイライフ』という日本題のこの作品でもあるわけですけど。

ということで、2015年にそのエイミー・パスカルさんがソニーの共同会長の座から降りて、パスカル・ピクチャーズというのを設立後、すぐに着手したのがこの企画という。で、さっき言ったそのデニース・ディ・ノビさんというプロデューサーの方が、グレタ・ガーウィグ……かつてはマンブルコア・ムーブメントのミューズとして非常に出てきた人ですけど、グレタ・ガーウィグの、特にあの『フランシス・ハ』というね、ノア・バームバックの作品がありますけど、『フランシス・ハ』の脚本を読んでピンと来て。

で、実際にグレタ・ガーウィグ自身に会ってみたら、原作小説の大ファンで、映画用の脚色にも、恐らく今回のできあがったこれ(に近いもの)でしょうね、非常に明確なビジョンを持っていたので、まずはその脚本をグレタ・ガーウィグが書くことになり。そして、そうこうするうちにグレタ・ガーウィグ、同時に脚本・監督を務めた『レディ・バード』、2017年のこれも本当にすごい作品でしたけど、これで非常に高い評価を得たことで、「じゃあ、監督もよろしく」ということでグレタ・ガーウィグがやることになった、という。

■「『若草物語』をいま作り直すなら、グレタ・ガーウィグ以外考えられないでしょう!」

実際、『フランシス・ハ』でも『レディ・バード』でも描かれていたのはですね、アーティスティックな情熱を抱えつつ、何者かになろうともがく若い女性、という。この原型こそが、まさに『若草物語』のジョー、とも言えるわけですし。特に『レディ・バード』でのね、その家族や異性との関係性描写のユニークな鋭さなんていうのも、あの『若草物語』を現代的に語り直すっていうその人としては、本当にうってつけ、という感じだと思いますし。

さらに言えば、グレタ・ガーウィグの脚本・監督作品となったことで、特にやっぱりその主演のシアーシャ・ローナン、そして今回ね、ローリー役を演じておりますティモシー・シャラメ、というですね、『レディ・バード』から引き続きの、気心が知れたコンビが醸し出す、自然な親密さ、そこで起こるマジック。要するにあの2人のじゃれ合いは、本当に仲がいい感じがするじゃないですか。つつきあったりして。

そういうものもやっぱりしっかり起きていて、このキャスティングも、グレタ・ガーウィグが脚本・監督になったからこそ、ということもあって。今となってはやっぱり、『若草物語』をいま作り直すなら、グレタ・ガーウィグ以外ちょっと考えられないでしょう!っていうぐらい、最良・最適の人選だったと言えるんじゃないかなという風に思いますが。

で、ですね、そのグレタ・ガーウィグがじゃあ、どのようにして『若草物語』という、古典ですね。古典を、今にふさわしく語り直したのか、ということですけど。

もちろん原作に忠実なところは忠実。起こってることそのもの、展開など自体も、割とこう、まあ同じだったりもする。あと、まあみんなが「『若草物語』といえば、ここ!」みたいな有名な場面もいっぱい出てきたりするんですけど……それぞれの場面の、解釈の角度とかをちょっと変えるだけで、新たな、というよりは、原作が恐らく元々持っていたポテンシャルっていうのを引き出して、鮮やかにフレッシュな、その今、作られて、見られるべきテーマ、メッセージっていうのを、くっきりと浮き上がらせて見せるという手際。

僕はこの感じはですね……やってること、話そのものをそんなに変えているわけじゃないのに、メッセージとして新しいものを引き出している、ポテンシャルを引き出している、っていう意味で、僕が個人的に連想したのは、高畑勲監督のあの超弩級の一作、『かぐや姫の物語』だったりしますけどね。ということで、今回の『若草物語』。まずですね、構成が独特というか、技あり!なところですね。

■「原作者は『若草物語』にどんなメッセージを込めようとしていたのか?」に対するグレタ・ガーウィグ監督の明確な解釈

これまでの映像化作品っていうのが、原作小説の一作目というかね、それを中心に、冒頭のそのクリスマスのエピソードから順に、最後は主人公のジョーがいろいろあってお相手を見つける、というね、『続若草物語』のオチに着地するという。基本的にストレートにお話をなぞっていく流れ、そしてジョーがお相手を見つけるというところに着地していく、という作りが多かったのに対して、今回の『ストーリー・オブ・マイライフ』、基本となる「今」の時制、要するに劇中の今という時制はですね、姉妹たちが既に家を出たりして、バラバラになった状態。原作で言うと『続』の途中ぐらいからの話。これが劇中における一応の「現在」の時制っていうことになっている。

で、そうしたその姉妹たちの、既にその牧歌的な子供時代はもう終わり……要するに1巻目の時代は終わって、それぞれに厳しい現実と直面しつつある「今」の地点から、これは単純な回想というよりは、後にジョーによって書かれることになる——つまりオルコットによって書かれることになる——『若草物語』1巻目、その元となるその7年前の家族のエピソードが、「現在」との対比で、その都度連想に導かれるように、並行して語られていく、という。

まあ、あたかもそのジョーによる過去の「物語化」というか、過去にあったことをジョーがその脳内で物語化していくプロセスとして見ていく感じ。要は「今」、『続 若草物語』のパートと、7年前、一作目の『若草物語』パートが交互に進行していく、という作り。で、この2つの時制は、先ほどのメールにもあった通り、現在が厳しい現実を表すかのように冷たい、ちょっと青みがかったような色調なのに対して、7年前、温かな子供時代は、色合いも暖色が強め、ノスタルジックな画調、という風になっていると。

これ、オリヴィエ・アサヤス作品などをいっぱい手掛けているヨリック・ル・ソーさんという撮影監督の手による、非常に美しいフィルム撮影もあって、見事に描き分けられていく、という感じですね。で、さらにその本作のその二重の構成が曲者なのは、さっき言ったように、その劇中のジョーというのは、即ちその原作者オルコットの投影でもあるわけですね。という点をさらに掘り下げて、なぜこの『若草物語』という小説が書かれるに至ったのか? 最終的には文字通りそれが「本」となっていくまでのプロセス込みで、言ってみればメタ的な視点、我々が知る『若草物語』っていうのができるまでのプロセスというのの、メタ的な視点を実は大胆に織り込んでもいる、と。

これが最終的に、非常にそのスリリングな、現代的な問いかけを投げかけてくる作りにもなっている、というところに、今回の『若草物語』、明らかに最大のポイントがあるわけですね。つまり原作者オルコットはですね、「本当には」どんなメッセージをこの物語に込めようとしたのか?っていう、グレタ・ガーウィグの解釈が入っている。まずグレタ・ガーウィグは、『若草物語』を……これはDU BOOKSから出てる『グレタ・ガーウィグの世界』という今回のメイキング本に書かれている言葉ですけど、明確にグレタ・ガーウィグ、この『若草物語』は、「お金に関する話」、「女性がお金を稼ぐのはなぜこれほど難しいのか、という本」という風に、明確に定義してみせています。そう解釈してみせています。

女性の生き方が制限、抑圧されているというのは、そもそも職業選択の幅を含め、経済的な可能性が閉ざされているからだ、そこと直結しているんだ、ということを言っている。だから、できればその経済力がある男性との結婚というのが、唯一にして最良のゴール、ということになってしまうのだ、と。つまり、女性にはそれしか選択肢が許されない、というか、そういう風に思い込まされているからだ、というような世界認識ですね。

で、ぶっちゃけこれ、2020年現在の世界、もしくは日本社会でも、まあ情けない話ですが、全然ちょっと通じてしまっている問題でもあると。で、本作におけるその主人公ジョーは、冒頭から、その不愉快な現実に直面し、戦い続けている、ということですね。まあ出版社のドアを前に、これからその向こうの世界……まあ男性がワーッといる世界と戦うんだ、という気負いと緊張をみなぎらせたそのジョーの背中を捉えた、このファーストショット。このファーストショットがいいですね。これから舞台に上がる、という手前のような背中。グッと来てしまう。

で、その出版社の中に入ると、ダッシュウッド氏というその出版社の編集長というか社長というか……これ、(演じている)トレイシー・レッツさん、最近だと『フォードvsフェラーリ』のフォード社長役ですけども、彼が「アドバイス」をする。「女性のキャラクターを出すなら、ラストは結婚するか死ぬかしかない」っていう……ジョーも思わず「えっ?」と聞き返すようなことを言ってくる。

まあそういう、女性にとっては抑圧的・差別的であることが今以上に当たり前の常識であった19世紀後半、っていうことなんですけど。とにかくそんな感じで、シアーシャ・ローナンが素晴らしく快活に演じるこの主人公ジョーがですね、ニューヨークでそういう、いろんな壁とか偏見とかと向かい合いつつ、作家修行中。で、その頃、フローレンス・ピュー演じる四女のエイミーはですね……これ、ちなみにエイミーと、メリル・ストリープ演じるマーチおばさん。このマーチおばさんのメリル・ストリープが演じるバランスは、僕、素晴らしいと思ってて。同役史上、最も厚みのある人物として僕は演じられてると思う。

つまり、「金持ち男と結婚するのが女性の唯一にして最良の幸せ」っていう彼女の持論、信念みたいなのも、さっき言ったようなその社会の現実、不公正に対する、ある種の諦観として行き着かざるをえないものだった、というバランスで今回、メリル・ストリープは演じてると僕は思うんですよね。同様にエイミーも、過去作とは違って、要するに彼女なりに現実の中で自分の生き方、もしくは幸せを見つけようと、彼女なりにもがいてる人っていうか、この条件の中でベストを尽くそうとしている人、っていう風なバランスになってて。僕はこの2者のバランスはすごく、過去最高に現代的というか、好ましい、という風に思ってるんですけど。

■「グレタ・ガーウィグ監督はティモシー・シャラメのベストな角度を知っている」(by日比麻音子アナウンサー)

とにかくそのおばさんとですね、絵の修行中という名目の婚活中に、幼なじみのローリーとばったり再会するエイミー。で、これを演じてるのはもちろん、ティモシー・シャラメ! というね。まあ日比さんならずともヨダレ必至、たしかにグレタ・ガーウィグがティモシー・シャラメのベストな角度を捉える名手である、というのは間違いない。特に、シアーシャ・ローナン演じるジョーとの、さっきも言いましたけど、本当に気心が知れてる者同士しか出せないヴァイブス、じゃれ合い感。

これは『若草物語』、特にまあその7年前パート、要するに少年・少女時代の2人、ジョーとローリーのですね……まあ要はジョーとローリーというのは男女が入れ替わった愛称でもあるわけですけど、この2人の正しくソウルメイトっぷり、「対」ぶりというかね、というのを非常に、過去最高に際立てている。この2人を見てるだけで何かこう、いい感じになるという。ベストを交換してたりとかね。

あと、あの出会いとなる舞踏会での、あのね、柱の影をふっとこう、ゲーム的によけて踊るダンスという、非常に映画的な見せ場にしてるところも、いいアレンジだという風に思いましたし。まあ彼らのそのいいヴァイブスが出てるからこそ、彼らが後に、その道を分かつことになるその場面が……というね。まあすでに彼らが別れることは、冒頭から、さっきの構造上明らかにされてるので。まさにその無邪気な少年時代の完全な終わり、っていうのを突きつけられるようで、非常に悲しい、という感じじゃないかと思います。

まあ要するに、今回のジョーは、そういうその少年・少女時代、子供時代との完全な決別っていうところをまず恐れて……それを実際に本を書いて総括するまでは、それがなかなかできずにいる、というバランス。だから僕は、ローリーに対する未練も、恋愛というよりは、子供時代的なるものへの未練、という風に僕は解釈した感じもあるんですが。で、一方、エマ・ワトソン演じる長女のメグさん。最もリアルな結婚の現実……つまりその、貧困というのに直面したりもするということですよね。はい。これもね、その過去との対比が本当に切なかったりもしますし。

■邦題『わたしの若草物語』は言い得て妙。なかなかすごいレベルの最新『若草物語』!

そして、三女のベスがですね、ローレンス氏との交流がすごくね、切ない!みたいなのは元々ある話ですけど、今回で言えば、たとえばジョーの視点から見た……「ベスがベッドにいない!」ってなって、階下に降りてみると、その「現在」と7年前の、映画的な「画で見せる」落差。その物語の語り口みたいなのが、グレタ・ガーウィグ、本当に映画的に、すごく見事にできてると思いますし。

あとはもちろん、ローラ・ダーンのお母さん役がすごくいい。その怒りの制御をめぐる対話と、その後、ある視線を交わす瞬間とかもすごくよかったりしますが。一番アレンジされてるのは、ニューヨークでジョーと親しくなるフレデリック・ベア教授。元々はドイツ系のおっさんという設定だったのが、今回、普通に二枚目フランス人。元々このキャラクター、オルコットが人に送った手紙の中で、ジョーは結婚しないでいるべきだ、というところ(オルコット本来の意図)に対して、そのファンからの要望が強くて、結婚をさせる(ことにはしたけれども)、そこであえてミスマッチなキャラクターを持ってくる、という。要するにオルコットの、一種の抵抗の跡でもあったわけです。このキャラクターは。

で、オルコット本人は生涯独身を貫いていたので、何をよしとしていたか?っていうのは明快なわけですね。なので、それを本作では、グレタ・ガーウィグ曰く、要するにティモシー・シャラメのローリーに対してあまりにも見劣りするような人であってほしくない、ということからのキャスティング、ということもあったりする一方で、同時に、さっき言ったように、女性の生き方を制限するような恋愛~結婚至上主義、それを裏付けている社会のシステムに対してですね、今作では、実際に書かれ出版された『若草物語』とその物語、そしてオルコットがそのためにどう戦ったのか?っていうメタ構造で、痛烈な、現代のフェミニズム視点での批評を加えてみせる、ということです。

なので終盤、現在と過去、現実とフィクションがトリッキーに行き来しつつ、それが本当に「本」として……つまり世界に向けたメッセージとして結実していく、その一点に向けて、そのフィクションと現実、過去と現在が、一点に集約されていく、という作り。ここが本当にスリリングだったりします。あとはね、彼女が開く学校が共学にされていたりというブラッシュアップがありつつ……冒頭に出るクレジット、「現実がつらいから私は楽しい話を書く」というオルコットの言葉と、最後に世界へのメッセージたる本を抱えながら、ちょっと厳しい目線で窓の外の世界を見つめる、あのジョーの視線。これは完全に対になっている。

それは、グレタ・ガーウィグをはじめ、世界中の女性クリエイターたちの原点となるその姿勢であり、目線である、という。そういう着地でもあるわけです。なので、これ日本のタイトル、たしかに言い得て妙。『わたしの若草物語』っていう。先ほどのね、原作が好きだという方のメール、批判も分かりますが、このグレタ・ガーウィグのその現代的再解釈という意味では、これは見事な作り、といったところじゃないでしょうか。

もちろん美術、衣装が目に美しいらみたいな話もありますが……すいません。時間が来てしまいました。語り尽くせないところもありますが、もういろんな面から語り甲斐のある、これはなかなかのすごいレベルの最新『若草物語』ではないでしょうか。ぜひぜひ、劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『グッド・ボーイズ』です)

宇多丸「アハハ、なんだよ! いや、すごいよね。『Little Women』に続くのが『グッド・ボーイズ』っていうね。うまいんだかなんだかわからないけども」

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

「映画『カセットテープ・ダイアリーズ』をより楽しむための音楽ガイド」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/07/03)

「本日公開! 映画『カセットテープ・ダイアリーズ』をより楽しむための音楽ガイド」

高橋:今日はこんなテーマでお送りいたします。「本日公開! 映画『カセットテープ・ダイアリーズ』をより楽しむための音楽ガイド」。

映画の劇中で使われている音楽を解説するシリーズ、今回取り上げるのは本日公開のイギリス映画『カセットテープ・ダイアリーズ』です。

スー:これ、気になってました! 1987年の話なんだね。

高橋:そうなんですよ。さっそく映画の概要を紹介しましょう。1987年、閉塞感が高まるサッチャー政権下のイギリスを舞台に、保守的な家庭で育ったパキスタン移民の少年ジャベドがブルース・スプリングスティーンの音楽に影響を受けながら成長していく姿を爽やかに描いた青春音楽ドラマ。パキスタンに生まれイギリスでジャーナリストとして活躍するサルフランズ・マンズールの回顧録が原作。監督は『ベッカムに恋して』などで知られるロンドン生まれインド系の女性監督グリンダ・チャーダ。

これはもう王道の青春映画ですね。特に十代のころ、将来への不安を抱えて鬱屈とした日々を過ごしていたとき音楽に救われた経験がある人……音楽に限らず、映画や漫画、なんでもいいのかもしれませんが、そういう経験がある人であれば確実に楽しめる映画だと思います。

ただ、王道な青春映画の魅力をもちながらもこの映画が独特なのが、映画全編にわたってブルース・スプリングスティーンの音楽が使われていること。かつ、ブルース・スプリングスティーンの音楽を使ったミュージカル調の演出を随所に取り入れていることです。そうそう、ブルース・スプリングスティーンといえば堀井さんが大好きな浜田省吾さんのルーツとして知られていますよね。ルーツオブ浜省。

堀井:そうですよね、はい。

高橋:主人公のジャベドはブルース・スプリングスティーンの音楽に導かれて先が見えなかった人生に希望を見出していくんですけど、結果的にこの映画は1984年のアメリカ大統領選でロナルド・レーガンがスプリングスティーンの「Born in The U.S.A.」を愛国精神高揚のプロパガンダとして選挙キャンペーンに使用したことで広まった誤解、スプリングスティーンの実像と大きく掛け離れたマッチョな愛国者的なパブリックイメージを払拭する絶好の機会になると思います。

スー:やりがちな選挙キャンペーンの音楽選曲ミスだよね。

高橋:いまもトランプ大統領がローリング・ストーンズの楽曲をバンドに無断で使用して大問題になっていますよね。

そんなブルース・スプリングスティーンの正しい姿を伝えている映画であるということを踏まえて、まず一曲目に聴いてもらいたいのがスプリングスティーンの名盤『Born to Run』のタイトル曲でロック史上最も偉大な曲のひとつ「Born to Run」です。1975年の作品。

当然この曲が流れるシーンは映画のハイライトになっています。「Born to Run」はサビの「俺たち行き場を失った根無し草は走り続ける運命に生まれてきたんだ」という歌詞が有名ですが、まさに主人公のジャベドはこの歌に自分を重ね合わせてなんの希望ももてない街から出ていくことを決意します。

この「Born to Run」にわかりやすいと思うんですけど、ブルース・スプリングスティーンは一貫して庶民に寄り添ったロックを歌い続けているアーティストなんですよ。

スー:労働者の歌ですよね。

高橋:まさにまさに。劇中にも「スプリングスティーンは現実離れした歌は歌わない。みんながよく知ってる事柄を歌うライフサイズの男なんだ」というセリフがあるんですけど、本当にその通りで。だからこそ、ロンドン郊外の小さな街で暮らすパキスタン移民の少年でも遠く離れたニュージャージー生まれのスプリングスティーンの歌に自分を見い出すことができるんです。彼がどんづまりの人生に光を見せてくれる歌を歌い続けていたことが、この映画を見ればよくわかると思います。

M1 Born to Run / Bruce Springsteen

高橋:この『カセットテープ・ダイアリーズ』、王道な青春映画でありながら特異な点がブルース・スプリングスティーンの音楽を大々的に使用していることに加えてもうひとつあります。それは1980年代当時、サッチャー政権下のイギリスで不況の煽りから台頭していた移民排斥運動や排外主義が物語に大きな影を落としていることです。人種差別を結構生々しく描いている映画なんですよ。

そういった『カセットテープ・ダイアリーズ』の時代背景は、ちょうど4月に日本公開された音楽ドキュメンタリー映画『白い暴動』を見ると理解が深まると思います。

スー:時代背景としてより立体的に見られるっていうことですね。

高橋:そうなんです。この『白い暴動』は『カセットテープ・ダイアリーズ』の時代設定から約10年前、1978年のサッチャー政権誕生直前のイギリスを舞台にした音楽ドキュメンタリーです。移民排斥を打ち出していた極右政党「ナショナルフロント」と、そのカウンターとして登場した音楽を通して人種差別撤廃を訴えるムーブメント「ロック・アゲインスト・レイシズム」との戦いを描いています。このナショナルフロントは『カセットテープ・ダイアリーズ』の劇中にも出てくるんですけど、なんでも監督のグリンダ・チャーダは当時ロック・アゲインスト・レイシズムのデモに参加したことがあるそうなんです。

そして、このドキュメンタリー『白い暴動』のタイトルはロック・アゲインスト・レイシズムの活動を支持していた当時デビュー間もないパンクバンド、ザ・クラッシュの最初のシングル「White Riot」からきています。

BGM: White Riot / The Clash

この「White Riot」は1976年にイギリスのノッティングヒルで起こった暴動にインスパイされてつくられた曲です。歌詞は「黒人の仲間たちは社会の不公正や不平等と戦っている。俺たち不満を抱えた白人も抗議の声を上げようじゃないか」という内容で。つまり「White Riot」というのはその名の通り「白人による暴動」ということですね。

スー:『白い暴動』の資料に書いてあるんですけど、1976年から1978年ごろにかけての日本がどういう状況だったかというと、ロッキード事件や成田空港の管制塔占拠事件があった時期で。いろいろと激動の時代だったんですね。

高橋:イギリスもそれはまったく同様で。この『白い暴動』でショッキングなのは、そんな当時の世相を受けてエリック・クラプトンやデヴィッド・ボウイ、ロッド・スチュワートといった大物ロックスターがこぞって排外主義を煽るような発言をしているんですよ。反ファシズムを打ち出していたザ・クラッシュはまさにそのカウンター的存在だったわけです。

スー:デヴィッド・ボウイはそうした発言を後悔してのちにいろいろな動きをしていましたよね。

高橋:黒人アーティストの楽曲を積極的にオンエアしようとしないMTVに抗議したりしていましたね。

そして非常に興味深いのが、このザ・クラッシュの中心メンバーだったジョー・ストラマーは先ほどかけたブルース・スプリングスティーンの『Born to Run』のワールドツアーのロンドン公演を見に行っているんですよ。彼はそのライブに触発されて、実際にスプリングスティーンのようなライブを目指すようになるんです。ジョーはスプリングスティーンの影響をすごく受けているんですよ。「彼は本物のミュージシャンだ」なんてコメントもしていたほどで。

一方のブルース・スプリングスティーンも「ジョーは最高のロッカーのひとりだった」と語っていて。2003年の第45回グラミー賞では、その前年に亡くなったジョー・ストラマーの追悼としてザ・クラッシュの代表曲「London Calling」をエルヴィス・コステロやデイヴ・グロールらと共にパフォームしています。自分のライブでもその「London Calling」や「Clamptown」といったザ・クラッシュの楽曲をセットリストに組み込んでいたこともありました。

こうしてブルース・スプリングスティーンとザ・クラッシュ/ジョー・ストラマーが共鳴し合っていたのは、この両方のアーティストのことが好きだったらめちゃくちゃ合点がいくと思うんですよ。お互い常に労働者階級の側に立ち続けたという点でも共通するし、ぐっとくるポイントも似ていると思います。

そんなわけで2曲目はまだザ・クラッシュとしてデビューする前のジョー・ストラマーが客席にいるはずのスプリングスティーンの1975年のロンドン公演のライブアルバム『Hammersmith Odeon, London ’75』から選曲してみました。『カセットテープ・ダイアリーズ』の劇中でも大きくフィーチャーされている曲です。

M2 Thunder Road (Live at the Hammersmith Odeon, London ’75) / Bruce Springsteen

高橋:堀井さん、曲を聴き入っていましたが……この「Thunder Road」に通じる魅力の楽曲が浜省にあるとのことで。

堀井:これは浜省の曲でいくと「家路」ですね。

高橋:なるほど、さすがですね。たいへん参考になりました。では最後、3曲目はこの映画のタイトルにちなんでブルース・スプリングスティーンが1973年にリリースしたデビュー曲「Blinded By The Light」を紹介したいと思います。『カセットテープ・ダイアリーズ』の原題はずばり『Blinded By The Light』なんですけど、この曲と曲名が映画のなかでどういう意味をもっているのか、ネタバレにならない程度に説明しておきますね。

この「Blinded By The Light」はタイトルをそのまま訳したような「光で目もくらみ」という日本語タイトルがついているんですけど、劇中に主人公のジャベドの「この曲の本当の歌詞の意味を理解していなかった」というセリフがあるように、ちょっと難解な歌詞になっているんですね。

「Blinded By The Light」でブルース・スプリングスティーンがなにを歌っているのかというと、歌詞にこんな一節があります。「ママはいつも言うんだ。太陽を直接見てはだめだよって。でもね、ママ。そこがいいんだ」。そして、そのあとにこんなサビのフレーズが続きます。「光で目がくらんで、夜の闇のなかをどこに向かっているかもわからずに駆け回っている」と。

これはあくまで自分の考えですが、この歌詞の「光」は「夢」のメタファーなのだと思います。つまり、「Blinded By The Light」は夢を追いかけてがむしゃらに突き進んでいる若者の歌なのではないかと。そう考えるとこの歌は、保守的な父親の反対を振り切って家族や故郷を省みずに可能性を求めて街を出て行こうとする主人公のジャベドそのものなんですよね。

ただ、ジャベドはその光のまぶしさ/夢の大きさゆえにとても大切なことを見落としていた事実に「Blinded By The Light」を改めて聴き返すことによって気がつくんです。はたしてジャベドは「光で目がくらんで」なにが見えなくなっていたのか、そして彼が発見するブルース・スプリングスティーンのメッセージの本質とはなんなのか、その答えはぜひ劇場で確認していただきたいと思います。

M3 Blinded By The Light / Bruce Springsteen

高橋:排外主義が台頭していた1987年のイギリスを舞台にしたこの映画、当然監督としてはここ数年世界各国で問題になっている人種差別や経済格差を意識していると思います。実際、劇中にはブレグジットやトランプ政権を連想させるセリフもあるんですね。そういう現在の世界情勢と重なる部分を描いているあたりはいま見てこその映画という気もします。

そしてなにより、ブルース・スプリングスティーンを知らなくても十分楽しむことができる映画です。主人公も最初はスプリングスティーンのことをまったく知らなかったわけですからね。本当に素晴らしい青春映画なのでぜひチェックしてみてください。

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当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

6月29日(月)

(11:06) Whatcha’ Gonna Do for Me / Average White Band
(11:24) Let This River Flow / Googie & Tom Coppola
(11:36) Let The Love On Through / FCC
(12:12) You’re Young / Mackey Feary Band
(12:22) All I’ve Got to Give / Lemuria
(12:49) My Secret Beach / 高中正義

6月30日(火)

(11:05) Smile / The Peddlers
(11:25) Sunny / Dusty Springfield
(11:36) Big City / Shirley Horn
(12:17) The Sidewinder / Herbie Mann & Tamiko Jones

7月1日(水)

(11:06) More Than This〜夜に抱かれて〜 / Roxy Music
(11:28) Without You / David Bowie
(11:38) Turn Your Back On Me / Kajagoogoo
(12:12) My Own Way / Duran Duran
(12:24) Only When You Leave〜ふたりの絆〜 / Spandau Ballet
(12:50) アフリカン・ナイツ / 一風堂

7月2日(木)

(11:05) A Parlba Nao e Chicago / Marcos Valle
(11:37) Nossa Imaginacao / Don Beto
(12:19) Chega Mais / Banda Black Rio
(12:51) Never More feat. Sonia Rosa / 大野雄二

7月3日(金)

(11:07) Rock Steady / Aretha Franklin
(11:36) You Said a Bad Word / Joe Tex
(12:15) The Breakdown / Rufus Thomas

「黒人差別と警官の暴力に抗議する社会運動『Black Lives Matter』を知るうえで聴いてほしいプロテストソング:最新版」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/07/10)

「黒人差別と警官の暴力に抗議する社会運動『Black Lives Matter』を知るうえで聴いてほしいプロテストソング:最新版」

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします。「黒人差別と警官の暴力に抗議する社会運動『Black Lives Matter』を知るうえで聴いてほしいプロテストソング:最新版」。

5月25日にアメリカはミネソタ州ミネアポリスで無抵抗の黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官によって窒息死させられた事件を受けて、アメリカ全土〜世界各地で「Black Lives Matter」(黒人の命を軽視するな)と呼ばれる黒人差別と警官の暴力に抗議する社会運動が拡大しています。先月6月5日のこのコーナーではそんな「Black Lives Matter」運動の関連曲を取り上げましたが、そのときはこのムーブメントが生まれた2013年~2015年当時のちょっと前の曲を聴いてもらいました。

あれから一ヶ月が経ちましたが、ジョージ・フロイドさんの一件にインスパイアされた新しいプロテストソングがたくさんリリースされています。ちょうど6月19日が奴隷解放記念日だったこともあって、そこに合わせてきたアーティストが多かったようですね。5年前に「Black Lives Matter」運動が台頭したときと比較して、今回はふだん社会的/政治的メッセージソングとは縁遠いラッパーやR&Bシンガーも積極的に抗議の声をあげている印象を受けます。そんな状況がまた事態の深刻さを物語っていると思いますが、今日はそれらのなかからR&Bの作品を中心に4曲紹介しましょう。

まずは2014年にデビューしてすでに三度のグラミー賞受賞経験を持つラッパー/シンガーのアンダーソン・パーク。彼が6月19日に発表したシングル「Lockdown」を聴いてもらいたいと思います。この曲はサビで「ダウンタウンに行くべきだ。人々は立ち上がった。ロックダウンだと思っていたのに、奴らは発砲して弾丸が飛び交った。ロックダウンだなんて誰が言った? 冗談じゃない」と歌われているように街で抗議活動を行っているプロテスターの視点から歌われています。歌詞の一部を紹介しますね。

「俺たちが抗議活動をしていたら突然炎が上がったんだ。群衆のなかに紛れたスパイを探し出せ。秩序の崩壊だなんて言っていたわりにはよく寝ていたみたいじゃないか。殴り倒されてる人々の悲鳴を聞きたくないからか? 黒人が殺されたときは黙っているくせに、暴動を起きたら特権で守られた場所からでかい声で意見する。ジョージ・フロイドをコンクリートに押しつけたあの行為はコロナウイルスよりも病んでいる。そういえばコロナウイルスはどうなった? 略奪が起こってるって? 本当はなにが起こってるのか教えてくれよ。知らないのかって? 黒人の命をペーパータオル同然に使い捨てる奴らに言われたくない。失業率が4000万人を超えたらしいじゃないか。白昼堂々と殺人を犯しても裁判にかかることすらない。昔の南部の奴隷たちのように、俺たちはただ鎖を断ち切りたいだけなんだ」

スー:かなりストレートですね。

高橋:そうですね。これもまた5年前のプロテストソングと変わってきているところで、現場の最前線からのレポートのような生々しさと切実さがあります。この曲はミュージックビデオを見ると曲に対する理解がより深まると思うんですけど、監督はビリー・アイリッシュの「bad guy」やテイラー・スウィフトの「ME!」、ケンドリック・ラマーの「Humble」などを手掛けているデイヴ・メイヤーズ。こちらも併せて見ていただきたいですね。

M1 Lockdown / Anderson .Paak

高橋:続いては去年今年と2年連続でグラミー賞5部門ノミネートの快挙を達成したR&Bシンガー、H.E.R.の「I Can’t Breathe」。これも6月19日にリリースされたシングルです。「I Can’t Breathe」は「息ができない」という意味になりますが、これは「Black Lives Matter」運動のプラカードなどにもよく使われている言葉ですね。

このフレーズがなにに由来しているかというと、2014年のスタテン島のエリック・ガーナーさん、そしてこの5月のミネアポリスのジョージ・フロイドさん、ふたりとも警官に首を押さえつけられたり締めつけられたりして何度も「I can’t breathe」と訴えながら亡くなっていったんですね。そういうなかで「I can’t breathe」という言葉がアメリカ社会の閉塞感や息苦しさを表す言葉として使われるようになっていった背景があるようです。では、ちょっと長いですが曲の後半のポエトリーリーディングのパートが強烈なので大意を紹介します。

「いつだって試練を味わっている。心と体と人権の破壊。血統を剥奪され、鞭で打たれ、牢屋に閉じ込められる。これがアメリカの誇り。大量虐殺を正当化している。略奪と流血を美化することで自由の国アメリカは創られた。自由の地で生まれた黒人の命を奪い、公民権のための非暴力の戦いに銃口を向ける。罪のない命を奪うトリガーを引くのに鈍感なのは、そもそもそうやって私たちがここに連れてこられたから。この傷は弾丸よりも深く体に刺さる。特権を持つ立場から差し出された手は、世代から世代へと受け継がれてきたこの痛み、恐怖、不安に届くのだろうか。平等とは直感を働かせる必要なく歩けること。我々を守ってくれるはずの者たちが殺人者と同じユニフォームを着ている以上、革命はテレビに映らない。私たちの信心深さに感謝すべきだ。求めているのは復讐ではなくて正義。もう恐怖は乗り越えた。『私には黒人の友達がいます』みたいなたわごとはもううんざり。その高い意識とやらを検証して差別を消し去りたい。こんな不快な話を金が詰まったポケットに突っ込むのはむずかしいだろう。私の家系図にぶら下がっている奇妙な果実を飲み込むのと同じように。すべての人々は神の目のもとに平等に造られていると厚かましく言うけれど、そのくせ肌の色を理由に人を侮辱する。色が見えないなんて言わせない。私たちを見るときは肌の色ではなく私たち自身を見て。もう息がつまりそう」

このように、ギル・スコット・ヘロンの「The Revolution Will Not Be Televised」やビリー・ホリデイの「Strange Fruit」といった古いプロテストソングのタイトルも織り込んだ痛烈な歌詞になっています。

スー:歌詞に「私の家系図にぶら下がっている奇妙な果実」という一節がありましたが、この「奇妙な果実」は「Strange Fruit」で検索してもらえばわかると思います。奴隷制時代にリンチを受けて殺された黒人が木に吊るされて見世物にされたんですけど、その情景を「奇妙な果実」と歌ったのがビリー・ホリデイの「Strange Fruit」で。

高橋:そう。だから歌詞の「My family tree」はダブルミーニングなんですよ。「家系図」の意味もあれば黒人が吊るされた「私の家の木」でもあるわけです。

スー:奴隷制時代の黒人は財産として帳簿に記載されていたから家系図をたどることができるという話もあって。そういういろいろな意味が含まれた非常に重い歌詞ですね。

M2 I Can’t Breathe / H.E.R.

高橋:3曲目は、12歳のゴスペルシンガー、キードロン・ブライアントの「I Just Wanna Live」。こちらも6月19日にリリースされた彼のデビューシングルです。

スー:ああ、あの話題の男の子ですね。

高橋:そうそう。これはジョージ・フロイドさんが亡くなった翌日の5月26日、キードロンの母親が書いた詩を彼がアカペラで歌ってその動画をInstagramにアップしたところ、たいへんな評判になりまして。バラク・オバマ前大統領やバスケットボール選手のレブロン・ジェイムズ、さらには歌手のジャネット・ジャクソンや音楽プロデューサーのドクター・ドレーらが絶賛して動画をシェアしました。そこからあれよあれよという間にワーナーとのメジャー契約が成立して、例のアカペラにビートを加えて改めてリリースしたのがこのシングルになります。歌詞の一部を紹介しましょう。

「僕は黒人の若者。一人前になるためにできる限りのことをしている。でも周りを見渡してみると、仲間たちがどんな目にあっているかがわかる。毎日のように、まるで狩りの獲物のように追われている。別にトラブルを起こしたいわけじゃない。もう十分に苦労を重ねてきた。僕はただ生きたいだけ。神様、どうか僕を守ってください」

12歳の少年がこんな歌を歌わなくてはいけない厳しい現実があるわけです。

M3 I Just Wanna Live / Keedron Bryant

高橋:最後はR&B界のスーパースター、全世界で作品の総売り上げが1億枚を超えるアッシャーの「I Cry」。これは6月26日にリリースされたシングルです。このアッシャーは基本セクシーなラブソングを歌ってきたセックスシンボル的な存在ですが、今回こうしてプロテストソングをリリースしたことで話題になっています。歌詞はこんな内容です。

*「もう抑えることができない。普段は感情を表に出すタイプではないけれど、事態が一向に良くならないから。これだけ目をしっかり見開いていれば、もう見て見ぬ振りはできない。困難や痛みが見える。その先に生まれた混乱が見える。もはや変えようがないものまで見えてしまった。これを言葉にするのは心が痛む。泣いている。父親のいない息子のために、彼らの母親が内に抱えた深い痛みのために。戦おう。私たちがつくる未来のために。向き合えばきっと変わるはず。そうしなければこの涙が乾かないから。語られない真実のため、破られた約束のため、あなたのそばにいる。戦おう。夢を見なくなったひとたちのために。そしてもう信じることができなくなったひとたち、あなたは決してひとりじゃない。あなたの痛みを感じている」

M4 I Cry / Usher

スー:「Black Lives Matter」の件に関してちょっと言いたいことがあって。「黒人を優遇しろ」みたいな話ではないことは皆さんすでに理解されていると思うんですよ。でも「じゃあ犯罪を犯さなければいいじゃないか」とか「ふだんからいい子にしていればいいじゃないか」なんて言うひともいるようですけど、そういうことではなくて。同じことが起こったときに肌の色や性別で扱いが変わったり、その結果として命を落とすようなことになるのはさすがにやりすぎだろうという話なんです。やっぱり殺されるところまでいってしまうことがアメリカでもずっと問題になっているんですよね。ただ、ゆるやかな話としては決してこれは他人事ではないというか、他の国の話ということでは済まされないというか。これは日本でもあることですから。こうしたプロテストソングも我がこととして聴いていけるようになりたいですね。

高橋:今日紹介した曲はすべてミュージックビデオを見ることによってより深くメッセージを理解できると思いますのでぜひ併せてチェックしてみてください。また新しいプロテストソングがリリースされたら折を見て紹介したいと思います。

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当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

7月6日(月)

(11:09) Michael Franks / Eggplant
(11:28) Blossom Dearie / Killing Me Softly With His Song
(11:37) Sergio Mendes & The New Brasil ’77 / Life
(12:11) Meta Roos & Nippe Sylwens Band / Just The Way You Are
(12:23) Jaye P. Morgan / Closet Man
(12:51) 南佳孝 / 日付変更線 duet with 大貫妙子

7月7日(火)

(11:04) Michael Jackson / Got to Be There
(11:36) The Isley Brothers / Lay Lady Lay
(12:16) Diana Ross / Something On My Mind
(12:49) The Main Ingredient / Another Day Has Come

7月8日(水)

(11:04) Family Reunion / The O’Jays
(11:27) Hope That We Can Be Together Soon / Harold Melvin & The Blue Notes
(11:37) Hooked On Your Love / Aretha Franklin
(12:15) L-O-V-E / Al Green

7月9日(木)

(11:06) Soulful Strut / Sound Dimension
(11:37) Grandfather’s Clock / Ernest Ranglin
(12:18) Liquidator / Harry J All Stars

7月10日(金)

(11:03) P.Y.T. (Pretty Young Thing) / Michael Jackson
(11:35) Lady Cab Driver / Prince
(12:11) I’ll Never Fall in Love Again / DeBarge

宇多丸、『はちどり』を語る!【映画評書き起こし 2020.7.10放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『はちどり』2020620日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週、扱うのは620日に公開されたこの作品、『はちどり』。

(曲が流れる)

音楽もすごい良かったですね。不穏さとか美しさのバランスが素晴らしかったですね。

本作が長編デビューとなる、韓国で今最も注目の監督のひとり、キム・ボラ監督が、自身の少女時代の体験をもとに描いた人間ドラマ。ベルリン国際映画祭をはじめ、数々の映画祭で50を超える賞を受賞した。

舞台は1994年、経済成長期の韓国。ソウルで暮らす14歳の少女ウニは、自分に構ってくれない大人や上手くいかない友人関係に悩み、孤独な思いを抱えていた。しかし、ウニの通う塾にやってきた女性教師ヨンジとの出会いが、ウニの心にささやかな変化を起こしていく……。主人公のウニを演じるのはオーディションで選ばれたというパク・ジフさん。女性教師ヨンジを演じるのはキム・セビョクさんでございます。

ということで、この『はちどり』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。なんですが、賛否の比率は「褒め」の意見が9割以上。テンションの差はあれど、好意的な意見がほとんどでございました。

主な褒める意見は「様々な差別、抑圧、暴力の中で生きていく少女を繊細かつ抑制の効いたタッチで描いていく。男性を一方的に断罪しないバランスもよい」。これね、監督もインタビューでこんなことを仰ってましたよね。「演出や撮影、演技など、どれをとってもハイレベル。初監督のキム・ボラ監督にはすごい才能を感じた」とか「主人公ウニを演じるパク・ジフもすごい」などなどもございました。

一方、批判的な意見としては「時代背景や登場人物の心情がよく分からず、あまり理解できなかった」とか「やや冗長で退屈だった」などがございました。まあ2時間20分ありますからね。

■「ヨンジ先生がくれた白紙のスケッチブックは、これからいかようにも描いていける」(byリスナー)

というところで褒める意見、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「おれにゃん」さん。「『はちどり』、TOHOシネマズ日比谷にて鑑賞しました。月曜にも関わらず、思った以上に混んでいて驚きました。

本作で描かれる出来事はひとつを除いて小さなありふれたものばかりですが、主人公が暴力や学歴社会、女性ゆえの抑圧という壁に囲まれる息苦しさに、見ている自分も辛くなりました。殴る兄、怒鳴る父。主人公の気持ちより手術後の傷跡ばかり気にする男性たちには鑑賞中、本当に腹が立ちました。しかし、(クライマックスの)あの事件の後、号泣する兄に彼もまた壁の中で窒息寸前なのだと気づきました。

そして主人公にとって唯一の風穴となるヨンジ先生。ヨンジ先生がくれた白紙のスケッチブックは主人公の未来で、これからいかようにも描いていける。このことが何よりの救いと思いました。私は現在51歳の女性で、子供はいないけど、自分の行動、言動が誰かにとっての小さな風穴になるなら、自分も次の世代にバトンを渡したと言えるのではないか。エンドロールを見ながらそんなことを考えました。『はちどり』見て良かったです」というお褒めの意見でございます。

一方ですね、ちょっとダメだったという方のものもご紹介しましょう。「前田直紀」さん。「何がいいのか分からなかった」と。で、いろいろ書いていただいて。「……鑑賞していて私の感性が鈍いのか、ウニに共感できず、他の登場人物も描写が深くないので理解に苦しみ退屈になっていきました。ストーリーも戸惑いが多く、置いてきぼりをくらった感じでした」ということです。「94年当時の韓国を知らないので空気感が全く分からないし、知っていて当然な基礎的なことが分からないのが一因かとも思います」というようなご意見でございました。

■これが長編映画デビュー作、脚本・監督のキム・ボラさん

はい。ということで非常に話題沸騰の『はちどり』、私もですね、TOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。両方、平日の昼にも関わらず、2回ともめちゃめちゃ混んでいて。特に2回目はレディースデーということもあって、もう完全に満席でございました。非常に高い評判、熱い支持の広がりを感じるところでしたね。

ちなみにこのね、劇場パンフレットに載ってるハン・トンヒョンさんによる監督インタビュー、あるいはこのイ・ヨンチェさんという、大学の教授の方による韓国社会情勢とリンクさせたコラムであるとか、あるいは『ユリイカ』5月号、韓国映画特集ですけども、桑畑優香さんの監督インタビューとコラムとか、あとはやはり、さっき言ったハン・トンヒョンさんによる、『スウィング・キッズ』とも絡めた音楽にまつわる文章とか、とにかくですね、この『はちどり』に関しては、既にですね、非常に優れた参照テキストが多数ありまして。

もう本当に、私のこれからの駄話なんか聴くより、そちらをぜひ読んでいただきたい。本当に優れた……私も当然、そちらを参考にさせていただきましたし。優れたテキストがありますので、ぜひご鑑賞された際は、私もこれからしゃべることも頑張ってしゃべりますけど、ぜひそちらの優れたテキストを参照していただければ、と思う次第でございます。

脚本・監督のキム・ボラさん。これが長編映画デビュー作、というね。まあ韓国の東国大学というところとか、あとはアメリカのコロンビア大学院で映画を学ばれたという方で。特に2011年に撮られた短編『リコーダーのテスト』という……これ、僕はまた例によってこのタイミングでは予告しか見られてなくて申し訳ないんですけど、これがまさにですね、今回の『はちどり』と同じウニという主人公で、お父さんも同じチョン・インギさんが演じていたりとかして、要は『はちどり』の主人公や家族の、前日譚的な作品なんですね。この『リコーダーのテスト(The Recorder Exam)』っていう作品は。

で、今回の映画が1994年というのに対して、その『リコーダーのテスト』は1988年、まさにソウルオリンピックの年。主人公のウニさんは9歳という設定。今回は14歳、中2……まさにエイス・グレード!っていうね。だから、『エイス・グレード』と見比べると面白いかもしれないですけどね。

で、この『リコーダーのテスト』がまず、各国の映画祭で高い評価を得て。で、さらに長編でこのウニというキャラクターの成長した姿を描こうと……おそらくはこのキム・ボラさんご自身の自画像というか、そこも反映されているんでしょう、成長した姿を描こうと、大学で教えたりしながらやっていて。脚本に着手したのが2013年。まあ、後に専念をされてということらしいですけど。

ただですね、分かりやすく派手な見せ場があったりするような作品ではないですね。非常にやっぱり観客側の能動的な読み取りが必要なタイプの、一見地味に見える作品ではありますので、その資金集めには大変苦労されたようで。韓国には豊富にある公的機関の助成金を少しずつ集めて、ようやく2018年に完成したという、まさに渾身の一作。

一作目にして、文句のつけようのないレベルに達している

で、ですね、これが長編一作目となる作り手による、まあごくごくこぢんまりしたインディペンデント映画ではあるんですけども……これですね、実際に私、見てみて、ちょっと愕然といたしまして。「何だ、この完成度は!?っていう。いきなりなんか、もうなんて言うか「名監督!」っていうか。「いきなりなに、これ?」って感じで、ちょっと度肝を抜かれました。

たとえばですね、やはり淡々としているようで実は非常に緻密に構成され尽くした脚本の妙であるとか。あるいはですね、ドアとか窓、あるいは自然空間、外の空間の、公園のちょっと曲がった道とか、そういう空間の奥行きなどが非常に効果的に(使われている)……あるいは屋上から見た景色とかですね、いろんな空間を非常に効果的に利用しつつ、人物たちを的確に配置、あるいは出入りさせてみせる、非常に美しく、そして見事に映画的な、隙のない画づくり、演出であるとかですね。

はたまた、主人公ウニを演じるパク・ジフさんや、彼女の精神的メンターとなっていく塾講師ヨンジ役のキム・セビョクさんをはじめ、全キャラクターが見せる、非常に抑制は効いているんだけど、奥深く豊かな演技、存在感であるとかですね。もしくはその、画面の外側にも想像力を非常に喚起させる、音使いであるとか。あるいは、非常に考え抜かれた編集の妙であるとか。そして最終的には、ごくごく日常的な、小さな出来事の積み重ねの果てにうっすらと浮かび上がってくる、韓国社会、ひいてはこの世界全体に繋がるような、普遍的なテーマ、メッセージ……というような感じで。

とにかく全てがですね、既に一作目にして、文句のつけようのないレベルに達している。恐らくこの一作で、キム・ボラさんは、並みいるアジアの巨匠たちと並ぶ存在になっていくのではないか、と言っても、たぶんこれは本当に大げさじゃないと思います。というレベルで、本当にぶっ飛びました。すごい人が来ました。「すごい人が来ました」とはよく言いますけど、その中でも非常にスケールがデカいすごさが来た、という感じがいたします。

■不穏なオープニングが示すのは、家族に感じている疎外感、違和感

オープニングからしてすでにね、なにかもう、ただことではない空気が漂っている、垂れこめているわけですけども。マンションのドアの前にですね、家に帰ってきたその少女……この時点では顔が見えなくて、黄色いTシャツの背中だけが見える。この「黄色」っていうのは、全編を通じてこの主人公ウニさんの、ちょっとテーマカラー的なね。ベネトンのリュックを背負って……なんてやってますけど。

黄色いTシャツを着たその少女の背中だけ見えて。で、その少女が、一生懸命チャイムを鳴らしてるんだけど、誰も出ない。「お母さん、お母さん!」とドアを叩くんだけど、誰も出ない。で、こう見ると、ドア番号が「922」と出ている。で、見上げた彼女。なんかこうフッと、別に表情とかは変えずに、とぼとぼと階段を登っていくと、さっきとは右左逆の構図のドアがある。で、そこのチャイムを鳴らすと、今度は中からお母さんが出てくる、っていうことなんですけど。

で、まあ、その部屋、1022号室から、グーッと、このドアのところからカメラが引いていくと、同じようなドアがたくさん並んでいる。そこで、タイトル『はちどり』って出る、というオープニングなんですけど。これ、もちろんですね、単に部屋を間違っていたというだけのことではなく、主人公の少女ウニがですね、家族に感じている疎外感、違和感……たとえば中盤で、もう一度、出てくるわけです。「お母さん、お母さん!」って何度も呼びかけても反応が返ってこないという、ちょっと怖さを感じさせるような展開が、中盤でまた出てくるんですけど。

要はこれ、「親が他人のように見える瞬間」というか、自分の親としてではない、1人の他者としての親を垣間見てしまったような、その中盤に出てくる展開と合わせて、要はその主人公ウニがですね、母親をはじめ家族から、きちんと向き合われていない、彼女が呼びかけても返ってこない……お母さん、もちろん会話はしますけども、なんかたとえば一瞥をくれるだけだったりして。お母さんはすぐこっちの……たとえばテレビを見ちゃうとか、あるいはずっと寝ているとかね。なんかふてくされたように寝ている姿。これが非常に印象的ですけどね。

そんな感じで、その主人公ウニが感じている孤独感、あるいは焦燥感、なんなら恐怖といったものまで含めたものが、このオープニングの不穏なところで、通奏低音のように流れ始める、という感じですね。しかもそれはですね、この家、この家族だけの話ではなく……という暗示すら示しているわけです。そのオープニングでね。で、その主人公ウニが感じている疎外感とか抑圧感っていうのの源泉はなにかと言うと、序盤から積み重ねられていく11個のさりげない描写によって、次第に「ああ、これか……」と。

つまり、はっきり言って男尊女卑的な、家父長制ですね。家父長制による社会のあり方、システムというのがどうやら根本にある、ということが次第に浮き彫りになっていく。

■「目線の交わしあい」が雄弁にいろんなことを物語る

たとえばそのお母さん。深夜、酔ってなのか突然、そのお母さんのお兄さん、主人公にとっての伯父さんというのが訪ねてくる。で、その伯父さんが言う言葉によって、お母さんというのはどうやら、本来は大学に進学できるような学力、能力があったにも関わらず、男の子供を優先させて出世させていこうという、まあ正直ね、日本だってまだまだ、場所や家族によってはあるといえばあるんじゃないの?っていう思想ゆえに、それを諦めたらしい、ということがうっすらわかってくる。

そして、その男の子供の進学・出世を何より優先させるというイズム、まさにそれが今、そのウニさんの家族でもやっぱり、繰り返されようとしているわけですよね。しかもその陰で……要するに男の子供というのが特にありがたがられる、彼の立身出世ということが重視される陰で、たとえばその男の妹……兄による妹への家庭内暴力というのが、ウニの家だけではなく、なんとなく全般に黙認されている社会、というようなことが暗示される。竹刀もなかなかですけど、ゴルフクラブはないだろう?っていう。ひどいことになってたりするという。

またですね、その「お兄さんに殴られた」っていうことを両親に訴えても、そこでその両親はお兄さんを怒るどころか、「喧嘩しないでよ!」っていうことで、妹の方を怒ったりするという。で、その理不尽さにちょっと「えっ?」ってなっていると、そこの向かいにいるお姉さんが……たぶんお姉さんも同じ思いをしたことがあるのか知らないけども、なんかものすごく、なんていうかヒリヒリした視線でこっちを(見ている)——この作品はこんな感じで、物言わぬヒリヒリした、もしくは温かいでもいいですけど、この「目線の交わしあい」が非常に雄弁にいろんなことを語っている作品なんですけども——そんな感じ。

ということで、つまりですね、先ほどから言っている「ウニの呼びかけにお母さんが応えてくれない」というその展開というのはですね、これは僕の解釈でもありますが。ウニにとってこのお母さんというのがですね、「こういう大人になっていきたいな」というロールモデルたりえなくなっている、ということのメタファーでもあるように思えるわけです。

■キャラクターや設定から見られるフェミニズム的な問題意識

時代は1994年。軍事政権時代も終わって、1988年のソウルオリンピックも経て、現代韓国、我々が知るような現代韓国へと生まれ変わろうとしている、まさにその端境期なわけですね。

まあお父さんに代表されるような古い家父長制、古い韓国の社会……ただ、そのお父さんやお兄さん、あるいはそのさっき言った伯父さんなどもですね、伯父さんなんか明らかにね、その妹を犠牲にしてまでいろいろやった人生のはずなのに、明らかにその伯父さんはなんかいいことになっていない。というか、その当事者たる男たちも誰一人、幸せそうには見えない、ただただ辛そうに見えるっていう、ここもミソだったりしますけど。

とにかくそういう、古い体質と新たな時代の狭間、というこの時代設定、これが非常に絶妙なわけですね。これ、もちろん韓国の社会に対する知識があった方が当然、もちろんこれは理解できますけど、そうでなくても、日本でも同じような時代というのは当然あったわけで、「まあ、こういうことだろうな」っていうのは、見ていてもわかってくると思います。そうした時代の転換期を象徴するかのようにですね、そのウニの通学路の途中に、「この土地売りません」というような垂れ幕の横で、序盤ではまだその農家の人が、畑を耕していたりするわけですね。

まあ、そこもまた後半で変わってくるという、その変化というのもまた、ひとつの語り口になっているわけですけど。ちなみにそう考えると、ウニ家の家業が餅屋、つまりその「米を加工した商品を出す仕事」というのも、ちょっとシンボリックだったりするかな、という風に深読みをしたくなってきたりします。

で、後半にかけて、この映画は実は「手のひらを見る」というアクションが大変意味を持ってくるわけなんですけど、ウニが最初に手のひらを見るのは、この家業を手伝う……その餅屋さんの作業を手伝う、というシーンの後ではじめて、手を見る。これがやっぱり意味深長ですよね。つまりやはりウニは、「このまま親の敷いたレールの上を行って、私もお母さんのようになっていくのかな?」というところに、納得できない思いを抱え始めている、というのが、まず最初の手を見るところに表わされてたりするということですね。もちろんこれ、世代感から言っても、『82年生まれ、キム・ジヨン』、非常に話題にもなりましたが、それとも重なる、そのフェミニズム的な問題意識、当然ここには非常に込められてるわけですね。

で、そこで、この今の彼女にとっての最良のメンター、ロールモデルとなり得る人物として登場するのが、先ほども言いました、キム・セビョクさん演じる塾講師のヨンジというキャラクター。彼女はですね、窓から外を見ながらなんかボーッとタバコを吸っていたり、後半ではちょっとこう、窓の外を見ながらなんか思い耽りながら、ちょっと自分をこう、何かに耐えるかのように、自分を抱きしめるような仕草を1人でしていたり。

ちょっとこう、知的でありながらもどこかこう、世捨て人めいた雰囲気もまとった女性。まあ長年、大学を休学していて、職も転々としているとか、年代とかその年齢とかから考えて、おそらくは彼女は、その韓国の民主化運動に何らかの形で参加し、そして何らかの挫折、もしくは喪失を経験してきた人なのではないか、と推測されるわけですね。パンフの監督インタビューによれば、途中で彼女が歌う歌、あれは「切れた指」という歌らしいんですけども、あれは有名な労働運動ソングでもあるらしくて。まあ、間違いなくその学生運動に参加していたんだろうと。で、挫折をしたんであろうと。

で、まあとにかく、たとえばその塾の経営者の女性のように、旧世代からは「変な人」という風にカテゴライズされてしまうような彼女、ヨンジだけがしかし、大人では唯一、主人公のウニに正面から向き合って……つまり、しっかり彼女を「見て」くれるし、前述したような男尊女卑的な社会、不条理に対しても、「あなたの世代は黙って我慢をしないで声をあげてね」という感じで、ユニの背中を押す。あるいはその、他者を決めつけないものの見方というのを教えてくれたりもする、という感じになっていく。

■『はちどり』というタイトルに込められた意味とは

で、まあ、そうこうするうちにですね、まるでそのウニの、世界に対して抱えている違和感が実体化したかのように、そのウニの耳の後ろのしこりというのが、どんどんどんどん大事になっていったりとか。あるいはその、彼氏との幼い交際が、いろいろ残念なことになっていったり。あるいはね、あの親友とのもめごと……あれの「えっ!?」っていう、「わりとその早めのチクり、なに?」っていう(笑)。「えっ!?」っていうあれとかもね、まあ面白い場面でもありましたね。

あるいはその、年下の女の子に恋されたり……あの年下の女の子はあれですね、『わたしたち』に出てきたソル・ヘインさんだと思うんですけども。とにかくまあ、いろんなことが14歳の日々に降りかかってくるわけです。しかもそれが非常に、説明的ではなく、わりとポンポンポンポンと、省略話法を非常に効果的に使った展開でやっていくので、実は、2時間20分ありますけど、テンポは決して遅くはない、という感じだと思います。

ということで、そうした様々な出来事、人々がいるわけですけど、それを画面の中心でまっすぐに見つめ続け、捉え続け、おそらくは思考を続けているのであろう主人公ウニを演じる、パク・ジフさんのまず、この透き通った瞳と存在感が、なにしろ素晴らしいですね。彼女がこう、スッといる。で、我々観客は、彼女の背中越し、あるいは肩越しに……たとえばですね、この映画はすごくドアとかがいっぱい出てくるわけですね。さまざまなドア、扉の向こうにいる人。あるいはそのドア、扉の向こうに広がっている世界と、その都度彼女を通して、対峙していくことになる。

このドアとか窓、あるいはその公園の、たとえばちょっとクネクネした道であるとか、あるいは病院のカーテンといった、空間の使い方、そこでの人物の配し方、出し入れの仕方で、全てを語る。あるいはさっき言った通り、目線でいろいろ語っていく、というその手際。もはやこれは名匠級、と言ったところだという風に思いますね。本当に「堂々たる」としか言いようがない、隙がない。本当に、欠点がない、という感じだと思います。

また、2回出てくる、トランポリンのシーン。これも印象的でしたね。少女たちはぴょんぴょんぴょんぴょん跳ねながら、無邪気に、しかし切実に、大人たち、つまり社会への不満を口に出しているわけですけども。その周囲には、安全対策用の網が、360度張られているわけですね。ということで、その構図はやはり、タイトルと合わせて考えると、どうしてもその、「籠の中の鳥」的なことを連想させますよね。

タイトルの『はちどり』。ちっちゃい体で、ものすごいスピードで羽ばたきながら、ホバリングする、っていう鳥ですよね。つまり、すごく頑張って羽ばたきながら、その場に今は留まり続けている、という。逆に言えば、留まっているように見えるけど、実はそうではなくて、ものすごく動いてるし、いずれは飛び立つんだっていう動物とも言える、というタイトル。それを、まさにその主人公のもがき、あるいはその韓国社会のもがき、脱皮、というところに重ねたのかな、というところではないでしょうか。

■第三幕でいきなり明示される「19941021日」

90年代韓国、14歳少女のもがきを示す名シーンとして、これはおそらくはお父さんの浮気の証拠でもあるんであろう、あのポンチャック風歌謡曲、ものすごい安っぽい歌謡曲に乗せながら、まさしく「もう! もうっ!」って感じで(笑)、ぶつけどころのないフラストレーションを、文字通り地団駄を踏んで表わすという……これ、青春映画史上、意外とありそうでなかった、しかしおそらくこの年頃の子が、我々も含めて、かならずやる「あれ」を捉えた、非常に貴重なシーンであるとか。

あるいはその病院で、あのね、スーッとカーテンを引くと、おばちゃんたちがね、「あらあら、かわいいわね」なんて(笑)。そこかしこにちゃんとユーモアもあったりする、というあたりも非常に好ましいと思います。ちなみにボーイフレンドにプレゼントする曲、あのマロニエの『カクテル・ラブ』という94年のヒット曲は、この番組、韓国シティポップ特集でも流したので、「あっ!」と思ったリスナーの方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

ということでね、そのウニの耳の下のしこりの手術、親友やボーイフレンド、そして年下彼女との関係性の変化……この年代ならではの、本当に寄る辺ない移り変わり。このあたり、たしかにね、『わたしたち』という、あのイ・チャンドンプロデュースの映画がありましたけども、あれもたしかに彷彿とさせるところがありました。あるいは、その家族とかね、ヨンジとの関係の変化……というか、見方の変化というかね、などが、巧みな構成で並行して語られていくという感じ。

という流れの中で、第三幕に入っていきなり、1994……これまで「1994年」っていうざっくりした設定だったのが、いきなり19941021日」っていう字幕が出て、ドーンっていう不穏な音楽が流れる。まあ韓国の歴史に詳しくない我々日本の観客にも、明らかに、これから何か不吉なことが起こる予感が明確に……通学路の様子も、農家の垂れ幕が完全に破れていて。つまり、「ああ、時代がもう変わった」という感じがすごくするという。

で、何が起こるかは、ぜひ皆さん、ご自分で見ていただきたいんですが。とにかくキム・ボラさんはここ、19941021日の事件に、韓国社会、ひとつの大きな節目っていうのを重ねて見せてるわけですよね。

■なんという監督、なんという作品が出てきてしまったのか!

ということで、1人の少女の目を通した、ごくごくミニマムな規模の話、まさに「この世界の片隅」から、最終的には大きな社会とか時代とか、あるいはさっきから言ってるようなですね、性差別的なシステムの問題、フェミニズム的なメッセージ……これはつまり、もちろん今の世界、そしてこの日本社会にも、残念ながらゴリゴリに当てはまってしまうようなメッセージ、というところまで照射してみせるという。

しかし、それをあくまで純映画的な語り口で、鮮やかに照射してみせる。全くもって、お見事! というほかない手際じゃないでしょうかね。特にそのお母さん、ということをひとつ取ってみてもですね、お母さんに呼びかけても返してくれない、お母さんが振り向いてくれない、他人のようなお母さん、という描写が重なり合ったところで、最後、そのお母さんが焼いてくれた……最初は冷めたチヂミを自分で食べてるだけでしたけど、お母さん焼き立てのホカホカのチヂミを食べているウニさんを、最後、お母さん、ここだけはお母さんの視点です。

ここだけはお母さんの視点で、おそらくは「あなたの世代はひょっとしたら……」という目線じゃないでしょうかねあれはね。(母が子をついに)見返す。ここで僕はまた、なんという周到な構成、そして見事な演出、もうちょっと、震え上がりました。なんという監督が出てきてしまったのか。本当はショットのひとつひとつ、場面構成のひとつひとつ、音使いのひとつひとつを、じっくり分析して味わい尽くしたい。

というか、これはたぶんその余地がいくらでもある作品だと思います。おそろしい作家が出てきました、キム・ボラさん。そして作品が出てきてしまいました、『はちどり』。めちゃめちゃ人が入ってるのも当たり前というか、日本でも入ってるのは大変喜ばしいことだと思います。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『透明人間』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

宇多丸、『グッド・ボーイズ』を語る!【映画評書き起こし 2020.7.3放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『グッド・ボーイズ』2020612日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週、扱うのは612日に公開されたこの作品、『グッド・ボーイズ』

(曲が流れる)

『スーパーバッド 童貞ウォーズ』や『ソーセージ・パーティー』などなど、数々のコメディ映画をヒットさせているセス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグが製作を務めた大人向けコメディ。小学6年生……っていうか、「6年生」ですね。先ほど言いましたけど、学年制が日本とは違うので。実際には向こうの中学に……イリノイの中学に入った段階、中学1年でもあるマックスは、友人から初キス・パーティーに誘われるが、キスの仕方がわからない。そこで親友のルーカス、ソーと一緒にキスの仕方を勉強しようとするが、思いもよらぬ事態に展開していく……

そうか、ストーリーを整理するとこんなにかわいい話なのか(笑)。あれ? 主演は『ルーム』や『ザ・プレデター』などなどのジェイコブ・トレンブレイくん。監督は本作が長編デビュー作となるジーン・スタプニツキーさん、ということです。ちなみに後ほど言いますけども、これは実は共同監督なんですけどね。実際は。

ということで、この『グッド・ボーイズ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「ちょい少なめ」。ああ、そうですか。ちょっとあれかな? 作品タイトルとしてちょっと知名度が……みたいなのもあったんですかね? ですが、賛否の比率は「褒め」の意見が8割以上。大好評です。

主な褒める意見は「めちゃくちゃ笑った。それでいて実はジュヴナイル物としても真っ当で、最後には感動してしまった」「低レベルな下ネタ連発ながら実はきちんとポリティカルコレクトネス的な配慮があり、アップデートされている」「『スーパーバッド 童貞ウォーズ』を思い出した」などなどがございました。一方、批判的な意見としては「ところどころ、ギャグにしても突拍子もない場面があり、リアリティーラインの設定にブレを感じだ」「過剰な下ネタにはさすが辟易した。特に子役にこれをさせるのはちょっと……」などの意見がございました。

■「下ネタ、薬物ネタ、音楽、なにを取っても最高!」(byリスナー)

ということで代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「ザッキーロード」さん。18歳。「初めてメールを送らせていただきます。アダム・サンドラーやウィル・フェレル、セス・ローゲンなどアメリカ産バカコメディ大好き人間として見逃せない1本だったので、『感染しても知らないから』という親の反対を押し切り、『グッド・ボーイズ』をウォッチしてきました。結論としては、本当に最高でした。まず自分は大学1年生で、高校を卒業して数ヶ月、コロナによってオンライン授業になっていた大学も対面授業が始まり、友達もでき始めました。

大学も楽しいですが、やっぱり高校の頃の男だけでアホなことばかりやってきたあの時間が恋しいですし、そんな高校のあいつらも大学では彼女ができたりするだろうし。何かいろいろ変わってしまうのかな……と考えていたりした頃の鑑賞で、『みんな少しずつ大人になるし、男だけの楽しい時間も減ってるけど、大事な時にはかならず集まろう。それに会えばすぐ昔に戻れるじゃん』というメッセージが胸に突き刺さり、思わず号泣」。まあね、これはすごいね。タイミング的にね。

……あの後半の展開は自分的には同じセス・ローゲンブランドの『スーパーバッド 童貞ウォーズ』の切ないラストに通ずる、いや、その先を見せてくれていると思いました。とにかく下ネタ、薬物ネタ、音楽、なにを取っても最高! 帰りは『Walking on Sunshine』を聞きながら帰宅しました。ありがとう、『グッド・ボーイズ』!」っていうね。途中ね、あの子供たちが歌う曲がね、「Walking on Sunshine」。ありました。

一方、ちょっとじゃあ批判的な方のご意見もご紹介しましょう。ラジオネーム「しんぷそん」さん。「面白くて笑うところもあるが、それを超える疑問点もあり、手放しで最高とはおすすめできない作品でした。6年生のリアリティに大人になった自分がついていけないということも多少はあると思いますが、ハイウェイを渡る件など、なんか笑えず冷めてしまいました。あと1歩という感じ。残念でした」。もちろんね、中で行われていることの正しくなさ……特に「子供にこれをやらせるかな?」っていうことに対して、引いてしまったり批判的な視点というのもこれ、当然あってもおかしくない作品ではあると思います。

■映画館でみんな声をあげて笑っている。素晴らしい鑑賞体験!

ということでですね、『グッド・ボーイズ』、私も見てまいりました。TOHOシネマズ六本木、あと、輸入Blu-rayがすでにね、出ておりまして、そちらで見たり。あと(Blu-rayの特典として)音声解説があったりするので、そちらで繰り返し見たりしてまいりました。行ってみよう! ちなみにね、劇場に関して言えば、先ほどオープニングでも話しましたけどね、平日昼で、入りそのものはぼちぼちという感じでしたけど、とにかく僕も含めて、みんなはっきり声をあげて笑っている、笑ってしまっている、という感じで。

アメリカン・コメディで、日本で、という意味では……しかも六本木という場所柄とはいえ、そこまで外国の方と言うのかな、英語圏の方が多いという雰囲気でもない中、これだけみんな本当に「声を出して笑っている」っていうのは珍しかったし、その雰囲気込みで本当に更に楽しくなる、まさにこれぞ映画館で見る醍醐味、コメディを見るならやはりこうでないと! という感じの、素晴らしい、個人的には鑑賞体験をさせていただきました。

ということで『グッド・ボーイズ』。アメリカでは去年の夏に公開されて、もう予想を超える大ヒットをした作品ですね。僕もWOWOWの『ハリウッド・エクスプレス』でですね、これが大ヒットしてると知って。12歳の男の子たちが主人公なのに、レーティングはR-指定、つまり17歳未満は保護者同伴が必要、ということで。なので、たとえば主演の子たちは完成した作品を見られていない、というような説明にですね、「なにそれ?」って。とにかく面白そう!ということで、非常に期待していたわけですが。

脚本・監督を手がけたのは、ジーン・スタプニツキーさんという方と、リー・アイゼンバーグさんという、コンビなんですね。ジーン・スタプニツキーさんはこれ、ウクライナ・キエフ出身なんでね、ちょっとすいません、これ、読み方が拙くて申し訳ない。このコンビなんですけど、クレジット上はジーン・スタプニツキーさんが単独で監督になっていますけど、インターネット・ムービー・データベースによればですね、実質はこのリー・アイゼンバーグさんと、脚本と監督も共同でやった、ということみたいです。

アメリカではよくありますね。一応、便宜上監督を1人だけにするという。このコンビはですね、主にテレビシリーズの脚本・製作で活躍されてきた方たちで。まずはね、スティーヴ・カレルの出世作として知られるテレビシリーズ『The Office』という。これ、元はイギリスのドラマのリメイクですけど、ここから2人が出会って、キャリアを始めてですね。テレビシリーズ、たとえば『Trophy Wife』とかね、『Hello Ladies』とか。あとは、映画の方の脚本も手がけた『バッド・ティーチャー』っていうのの、テレビシリーズ版とかを手がけられていてですね。

映画だと、今言ったその『バッド・ティーチャー』、2011年のキャメロン・ディアス主演のやつとか。あとは2009年、映画の脚本デビューは2009年の『紀元1年が、こんなんだったら!?』っていう、まあ旧約聖書ネタのやつですね。ハロルド・ライミス監督のコメディ作品の脚本。あるいはですね、これもインターネット・ムービー・データベース情報ですけども、クレジットはされていないんだけども、ポール・フェイグ監督の……僕はポール・フェイグ監督の最高傑作だという風に思って非常に高く評価している、『デンジャラス・バディ』2013年の作品の、脚本の修正をしていたりとか。

あるいは同様にですね、『セントラル・インテリジェンス』っていう、2016年になるのかな、ドウェイン・ジョンソンとケヴィン・ハートのアクションコメディの、やはり脚本のリライトをしていたりとか、っていうことで。まあ要は、近年のアメリカコメディ界の、縁の下の力持ち的なね、クレジットはしないけどリライトを任せたりとかっていうようなところで活躍されてきたお二人。そんな2人がですね、ずっと温めてきたというこの、さっきから言っているように、「子供が主人公のR-指定コメディ」っていうね。

■『グッド・ボーイズ』=「Stand by me with anal beads」

演じている子供たち自身が見られない、大人向けコメディという企画。これ、ちなみに劇中でリリー役を演じているミドリ・フランシスさんの表現で言うと、今回の『グッド・ボーイズ』は、Stand by me with anal beadsっていうね(笑)。「アナルビーズが出てくる『スタンド・バイ・ミー』」、オトナのオモチャが出てくる『スタンド・バイ・ミー』っていう、いい表現の仕方をしている(笑)。あるいは、「『サウスパーク』の実写版だ」なんていう言い方をする方もいますよね。いろんな言い方ができる、要は非常に「攻めた」企画なわけですけども。

で、この企画を引き受けた製作会社は、セス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグさん率いる、Point Grey Picturesという会社だったわけですね。で、ちなみに今回、本編前に出てくるこのPoint Grey Picturesのロゴ映像。学校の机の上にいろんな落書きが彫られていく、という映像なんだけど、よく見ると、『グッド・ボーイズ』のその後の本編で描かれていくエピソードにちなんだものが、ちょいちょい描かれているんで。二度目を見る方は、ぜひそこも注目してください。

で、とにかくそのセス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグのコンビですね。映画で言うと、『スモーキング・ハイ』とか、『ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日』とか。あとは『ソーセージ・パーティー』。あれもすごいね、下ネタの中でも、映画史上、下ネタという意味では一番ひどいんじゃないかな?(笑)っていうぐらいの『ソーセージ・パーティー』とか。とにかく、エグい下ネタ、ドラッグネタ、特にマリファナネタ、不謹慎な笑いがてんこ盛り、っていう作品で知られてますね。

あるいはまあ、『ザ・インタビュー』。非常に物議を醸しましたね。要するに時事ネタ、時勢に切り込んでいくことで物議を醸したりとか。要はやっぱり非常に「攻めた」姿勢のコメディで成功、評価を収めてきたという、今のアメリカコメディ界を代表するコンビでもあります。で、中でもですね、先ほどから何度も名前が出てます、2007……もしご覧になったことがない方がいたら、もう今からでもぜひ見てください。歴史的傑作と断言していいと思います。『スーパーバッド 童貞ウォーズ』。

■『スーパーバッド』との最大の違いは主人公たちの年齢設定

やはり下ネタ、ドラッグネタ、不謹慎な笑いに満たされていると同時に、親友同士の男の子が、大人になっていくプロセスで、違う道を歩んでいくことになる、その最後のひと時。少年時代の終わりの瞬間をとらえた、恐ろしく感動的な青春映画でもある、という点で、たしかにこれは本当に指摘される方が多い通り、今回の『グッド・ボーイズ』にかなり通じる一作とも言えると思います。推薦メールがね、そもそもそういうことを書いてありましたね。「『スーパーバッド』に匹敵する」っていうようなことが書いてありました。

ともあれそういう意味で、そりゃあ相性がいいに決まってるでしょう、っていう制作布陣で出来上がったのがこの『グッド・ボーイズ』っていう映画なんですけども。キモはやっぱりですね、主人公のこのずっこけ三人組の、年齢設定ですね。『スーパーバッド』が高校卒業というタイミングなのに対してですね、劇中でもしきりに、「もう6年生なんだから」っていうことを言うわけです。これはもちろん、日本でいう小学6年生、11歳から12歳の年頃、ということなんですけど……この番組では202054日にやった『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』評の時にも触れたように、アメリカの学年制度は、日本とは違いますし、州によっても、あるいは学区とかによっても、結構まちまちで。

今作で主人公たちが通ってる学校は、設定上、イリノイ州ジョンアダムス中学、略称JAMSということなわけです。ちなみにこのJAMSはですね、さっき言った『バッド・ティーチャー』と実は同じ学校、という設定です。イリノイ州ジョンアダムス中学。で、なおかつ、ロケ地は、なななんと主演の、主人公マックスを演じるジェイコブ・トレンブレイくんが、本当に通っている学校!というね。ジェイコブ・トレンブレイくんね、もちろん最初は『ルーム』で登場して。

その後、『ワンダー 君は太陽』『ザ・プレデター』など。この番組で取り上げた中で言うとそんな作品がありますけども、いずれもまさにね、本当に天才子役ぶりをいかんなく発揮していたジェイコブ・トレンブレイくん。彼が本当に通ってる学校でロケした、ということらしいですね。ということで、つまり劇中で語られる「もう6年生なんだから」っていうのは、イリノイ州、なかなか学年制度とかが統一されていないらしいですが、おそらく学区的に学年制度が534制、小学校が5年・中学が3年・高校が4年というシステムで……なので、「もう6年生」っていうのは、「もう中学生」っていうニュアンスも込められている、ということですね。

■「子供が主人公の大人向けR-指定コメディ」という構造でしか表現できない何か

まあ『エイス・グレード』、あの作品がちょうど高校に上がるっていうタイミングだったのと同様、ということです。ということで、日本で言えばまだ小学生の、それも男子……つまり女子よりもはるかに幼いわけですね。ガキですよ! ガキどもが、でも中学生的に頑張って背伸びしようとする……しかも、今時のアメリカの少年、2020年のアメリカの少年ですから、もちろんその彼らの周りにはですね、性に関することであるとか、あるいはドラッグ、もちろんインターネットもありますからね。

あるいはドローン、とかね(笑)。誘惑がいっぱい。大人向けの情報とかブツとかがですね、いっぱいある。しかも、それももちろんある程度、年齢的なゾーニングがかかった状態で……つまり、彼らにとってはものすごく興味ある! 興味津々!っていうような情報が、大量に、でもおぼろげにある、という状態なわけですね。なので、つまり観客である……基本、子供は見れない映画ですからね。

つまり観客である大人には分かる、大人向けの話……たとえば、「アナルビーズとは何か?」っていう(笑)。『スタンド・バイ・ミー with アナルビーズ』っていうね、この場合のアナルビーズとは何か? あるいは、「この人形は何に使う人形なのか?」(笑)などなど、主人公の彼らは本当には分かっていないのに、分かったようなふりをしていきがる、という。なので、すごくませているように見えて、やっぱり子供。でも、その彼らなりに本気で、必死に考えて、頑張って背伸びをしようとしている、という。この構造がめちゃくちゃ面白い作品なわけです。

なのでやっぱりこれは、「子供が主人公の大人向けR-指定コメディ」という形でしか表現し得ない何か、なのは間違いないってことですね。ちなみにですね、ここもさすがアメリカと言うべきか、撮影時、主演の3人、もちろん保護者同伴です。で、3人の少年たちはですね、セリフの意味などをよく分かってないまま演じている、ということ。で、彼らがやっぱり、当然子供ですから、無邪気に質問をしてきてしまうんですね。「この人形、なに?」みたいなことを聞いてきたりするんですけども。本当に劇中さながらで。

「いや、これはあの、あれですよ。その、大学で医者になりたい人がね、勉強する用のあれですよ」とか(笑)。後はもうね、必殺ワードとして、「お母さんに聞きなさい」っていうね、こういうワードでかわしていた、ということです(笑)。ということで、さっきから言ってるように、性的な案件、あるいはドラッグなどについて、11歳から12歳の男の子が、「背伸びして分かったふりをする」面白さなわけですね。

■英語表現のギャグも日本語字幕、頑張ってる

で、英語表現込みの面白さの部分も多いので……日本語字幕、なかなか頑張って置き換えてると思います。非常に頑張っている。たとえば、最初に3人が自転車に乗りながらする、ある会話。「ハンドジョブ」をめぐる会話をしている。「ベビーシッターが『もう6年になったらみんなハンドジョブよ』なんてことを言ってる」ってことを言うと、日本語字幕ではズバリ「手コキ」って出る。で、その手コキに対して、「コキる」っていう(笑)存在しない動詞表現を、これは日本語字幕用に創作して。上手く日本人も、「コキるってなんだよ?」っていう風に笑えるようになってるんですけど。

これね、元はそのブレイディ・ヌーンくん演じるソーくんという、一番ある意味マッチョにいきがっている人が、「えっ、ハンドジョブってなに?」って真面目なルーカスくんに聞かれて、「それはあれだよ。女の子が俺たちをクームするんだよ」「クーム?」「いや、だからC-U-Mだよ。クームだよ」っていう(笑)。要するに「カム」を「クーム」と間違えて覚えて読んでいる、みたいな。こういうネタだったり。

すいませんね。これ自体、何のことやら?っていう方もいるかもしれませんがね。お母さんに聞いてみよう!」。あるいはですね、モリー・ゴードンさん演じるハンナ、ミドリ・フランシスさん演じるリリーの女子高生コンビにですね、主人公たちが詰められるところで、日本語訳でも出てくる、ジェイコブ・トレンブレイくん演じるマックスが、「僕はマッサージなんかしてないよ……」ってしょんぼりしながら答える。あれはその前にですね、本当は「あなた、ミソジニスト(女性嫌悪主義者)ね」ってことを言われて。

「ミソジニスト(Misogynist)」っていうことを言われて、「ミソジニー(Misogyny)」っていう言葉を知らないから、「ミソジニストね」って言われても、「いや、マッサージなんかしてないよ」っていう風に答えてしまう、というネタだったり。これは字幕では端折られてる部分だったりしましたけどね。ここね、「あんたたち、あれね。女性に対してリスペクトがないわよ!」って言われて、キース・L・ウィリアムズくん演じる一番真面目な、真面目すぎてすぐに全てを白状してしまうルーカスくんがですね、「僕は女性をリスペクトしているよ! ママは僕の親友だ!」っていうね(笑)。これも本当にかわいいし。それに対して横にいるソーくんが「えっ、俺は親友じゃないの?」っていう……かわいい!っていうことがありますね。

意識のアップデートが作品のクオリティーを上げることに直結している

で、このあたりなんかまさにそうですけども、本作『グッド・ボーイズ』は、主人公の男子たちがあまりにも幼いということはもちろん大きいんだけど、過去の童貞男子コメディの系譜……もちろん、古くはいろいろありますよね。『ポーキーズ』とかいろいろありますけど。男の子がヤリたくてヤリたくてしょうがない、というタイプのコメディ、ありますけど。それらと比べると、女の子、女性との接し方、あるいは捉え方というのが、格段にポリティカリーコレクトネスに沿ってアップデートされている。時代にふさわしくアップデートされている。これも非常に好ましいあたりだと思います。

これまでの似たような作品に対して、進歩、進化をしっかりしている、というあたりが本当に素晴らしいと思います。たとえばですね、その高級ダッチワイフ相手にね……彼らはその高級ダッチワイフを心肺蘇生練習用の人形だという風に思っている、ということなんですけども、まあキスの練習をするというくだり。オチは本当にしょうもないです。本当にしょうもないオチ、一言で終わるんですけど。

ガクッ!っていう一言で終わるんだけど、そこで「キスの練習しましょう」っていうところで、ちゃんとさっきの真面目なルーカスくん、マックスくんがこうキスをしようとすると、「おい待て、馬鹿野郎! 学校でちゃんと教わっただろう? キスをしようとする前に、ちゃんと相手の同意を得ろ!」とかですね。しかもそれは、ちゃんとクライマックスのすごく感動的な一展開の、伏線に実はちゃんとなっていたりすると。

他にもですね、このルーカスくん……主にこのルーカスくんが、真面目ですから主導して、「女性に『スカンク』という表現は本当に許せない!」とかですね。そういう感じで、ルーカスくんは最もマッチョ的な考え方に毒されていない子なので、彼が主導することでしっかりと、ちゃんと女性を……要するに、性に興味津々な子たちの話であっても、ちゃんと女性を尊重しなければダメだってことも、作品の中に込められているし。

あるいはですね、これは本作に限らずですが、たとえば学年のイケてるチームの中にもですね、それこそアジア人の、背丈は小さい男の子が……まあ、たぶんセンスでなんでしょうね。あとは金持ちだったりするってことなのかな。ソーレンくんっていうね、アジア人の背丈が小さい男の子が、その中でもトップだったりして。キャラクターたちの人種構成、配置が、着実にやっぱりですね、まあおそらくアメリカの現実の社会状況、実際の学校がああなっているってこともあると思うんだけど、それも踏まえて、非常に変化してるって感じも印象的でした。

で、さらにはですね、先ほどのその童貞男子物としての女性の扱い、捉え方の進歩、という点とも表裏一体なんですけど、主人公たちを呪縛している……特にやっぱりこれはアメリカ的ではあると言っていいでしょう、「男らしさアピール」。そのためにもう、無理してでも粋がる。体を張ってでも粋がる文化、風習というのを、最終的にやっぱり主人公たちが脱却して、「本当に自分がやりたいこと、なりたい自分を目指せばいいんだよ」というメッセージ(に着地してゆく)。その着地はですね、非常に今日的な意識の進歩、その反映が、作品のもののクオリティを上げることに直結しているという、非常に理想的な一例、と言ってもいいんじゃないかと思います。

先週の『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』もそうですけど、意識のアップデートが、作品のクオリティーを上げることにもちゃんと直結してるじゃないか、っていう。意識を進歩させることで、ちゃんといい話、いい作品にもなっていくっていう。全然違う作品ですけども、『グッド・ボーイズ』にもそれが言えるんじゃないかと思います。と、言っても皆さん、勘違いしてはいけません。『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』とは違います!(笑)

■メッセージは正しいが、全編を締めているのはムチャクチャ不適切ギャグのオンパレード

以上述べてきたような「正しい」メッセージというのはあくまで、最終的に作り手の恐るべきバランス感覚によって、全く教条主義的ではなく、粋に浮かび上がるものであって。全編を占めているのはむしろ、最初から言ってるように、エグめの下ネタ、ドラッグ、そしてなんならバイオレンス……つまり、本来なら特に子供にやらせるには大変問題がある、不適切そのものな、むちゃくちゃのオンパレードです。はい。覚悟してください。だから、「いい映画」を見ようと思っちゃいけません(笑)。

たとえばですね、子供同士のビール回し飲み、なんてのは序の口です。ただし、そのビール回し飲み、今のところ記録は3口です(笑)。とかね、あるいは、「モリー」ことMDMAを、あの女子高生に命令されて、大学生から買い付けて来させられるっていうね。その大学生の部屋に行って……「ブーッ、ブーッ」って、上からあのね、なんかクラクションみたいなのが鳴るじゃないですか。それでビクッ!とするっていう。あれはね、『ブギーナイツ』のあの花火のところ、爆竹を急に鳴らされる場面を意識したっていう風に仰ってましたけどね、音声解説でね。

とか、あとは、見様見真似の骨つぎ行為(笑)。医療行為、これは本当にいけません。ここ、ちなみにルーカスくんがですね、まあ大変なことになるんです。ルーカスくんが「あんなこと」になるきっかけ。彼が自転車を引っかけてしまうベンチ。よく見てください。もし2度目、もしくはソフトが出る機会があったら、よーく見てください。彼が引っかかるベンチは、何の広告でしょうか? それは彼が今、目下人生でひどく傷付いている、ある1件があって。それとちゃんと周到に引っかけてあるんですね。彼を傷つけるものに、傷つけられているわけなんです。

あるいは、ビールの万引き……未遂には終わりますけどね。やり方が最低すぎる! とかですね(笑)。下ネタがやっぱり入ります。あるいはですね、これは本当に最悪です。車がビュンビュンと行き交う高速道路を、走って横断。絶対ダメ!っていうね。まあ僕は正直、たしかにさっきのメールもあった通り、ここはもう一工夫があってもいいのかな、っていうね。ちょっとここは荒唐無稽すぎるかな?っていう感じもありましたけどね。まあでもとにかく、次から次へと不適切・不謹慎な冒険のつるべ打ち。そのすべてが、最初に言ったように思わず声を上げて笑ってしまうおかしさとか、あるいはちょっと予想の斜め上を行く事態っていうかね、予想の斜め上を行く展開、アイデアに満ちていて、最高に楽しい!ということですね。

まあもちろん、ここで引いてしまう、っていう人が一定量いるのも、仕方ないかなとも思います。でも、それでいて、最後にはついに、そのソーくんというのが……要するにずっとマッチョっていうのに、マッチョな文化っていうのに毒されていて、「歌なんかかっこ悪い」っていう風に言っていたのが、ついに天賦の才、歌を解放する。再び歌に向きあうソーくん。ここでの選曲の妙! まさかこんなベタベタな曲に号泣させられてしまうとは……というこの選曲の妙も含めて、その彼が歌いだすとですね、要はそれぞれの道を歩みだした彼ら、その姿を描いていくモンタージュになるわけですね。

見た目よりはスケールとか射程がちゃんと大きい、広い、長い、深い傑作だと思いました。

運命の相手とついに結ばれた!……はずのマックスくん。あるいは一方ではですね、新たなカードゲームの仲間——「アセンション」というカードゲームをやってますけどね——を見つけたルーカスくん。それぞれの道を歩んでいく、そのクライマックスのモンタージュ。大人になっていくことの痛みですね。特にあのマックスくん、「ああ、そうだよな……」って……痛み、元トモの切なさ、これが加わって。ちょっとね、それまでやっていたしょうもないギャグとかからは想像もつかない、深い深い感動が用意されている。

にも関わらず、まずですね……すごく深く感動するんです。俺、ちょっと震えるぐらい感動したんですよ。なんだけど、「あっ、小6ぐらいの時間感覚……それ?」っていう。そこも笑っちゃうし。「えっ、それしか経ってないの?」っていう(笑)。あとですね、やっぱりオチは、本当に下の下のところ、一番しょうもないところに着地して終わるっていう。でも、これこそ俺、品の良さだと思う。非常に品のいい着地、しょうもなさに着地させるという品の良さも含めて、信頼しかない、という状態だと思います。

音楽の使い方も素晴らしい。アバンタイトルの「Jungle Fever」から、オープニングのね、「Multi Millionaire」、やっぱり今っぽいヒップホップが1回かかったりとか、あのDJシャドウの「Nobody Speak」っていう曲もありましたね。あと、さっきも言ったクライマックスのあの曲に至るまで、気の利いた選曲の数々も楽しい。ということで、僕はこれ、見た目以上に本当にすごい……たしかに「『スーパーバッド』に匹敵する」という言い方も大げさではないかもという、見た目よりはスケールとか射程がちゃんと大きい、広い、長い、深い傑作だと思いました。

まあちょっとね、不謹慎さ、不適切さというところで引いてしまう方は確実にいる、ということは踏まえつつ……そこは覚悟をしていただいた上で、そこがむしろ楽しめる方たちには、文句なしにおすすめでございます。ちなみに僕は、あの年頃には、70年代千駄木の小学生は、もうちょっとませてたけどな! という勝ち誇った気持ちも含みつつ(笑)。ぜひぜひ劇場で、いろんな形でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『はちどり』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。


「憂鬱な梅雨時に聴きたいジャジーでメロウな最新韓国インディポップ特集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/07/17)

「憂鬱な梅雨時に聴きたいジャジーでメロウな最新韓国インディポップ特集」

憂鬱な梅雨時に聴きたいジャジーでメロウな最新韓国インディポップ特集http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200717123435

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

高橋:本日はこんなテーマでお送りします! 「憂鬱な梅雨時に聴きたいジャジーでメロウな最新韓国インディポップ特集」。

毎回ご好評いただいている韓国のインディーポップ特集。いままでだいたい3ヶ月おきぐらいに企画していたんですけど、あまりに評判がいいのでマンスリーにしようかと考えていて。実際、月一ペースでやっても十分クオリティが維持できるほど続々と素晴らしい作品がリリースされているんですよ。

今回はそんな最近の韓国インディーポップ作品から、梅雨時の憂鬱な気分に寄り添ってくれるちょっと気だるくも優しい曲をご用意いたしました。フフフフフ、堀井さんはすでに思いっきり頬杖ついてすっかりカフェにいるみたいな体勢で。

スー:聴く気満々だ!

堀井:メロウに待機しています(笑)。

スー:じゃあ私はジャジーに待機します(笑)。

高橋:お届けするのは計4曲。前半2曲がジャジー編、後半2曲がR&B調のメロウ編。すべて今月7月のリリースになります。

ジャジー編の一曲目は、ソヌジョンア(SUNWOOJUNGA)の「Idle Idle (Piano Trio Version)」。7月6日にリリースされたシングル『As Spring of Idle Idle Passes By』の収録曲です。タイトルの「Idle」はアイドル歌手のアイドルではなく「怠惰な」「ぼんやりした」などの意味の「Idle」ですね。

ソヌジョンアは2006年にデビューしたシンガーソングライター/プロデューサー。2013年にはアルバム『It’s Okay Dear』が韓国版グラミー賞と言われる韓国大衆音楽賞で最優秀ポップアルバム賞など2部門を受賞しています。そういったアーティスト活動の一方では2NE1やリナ・パークといったK-POPの人気アーティストの楽曲制作に携わっているほか、いまをときめくBLACKPINKのボーカルトレーナーを務めたこともある実力派で。

スー:おー、インディーといえどもすごい経歴ですね。

高橋:そうなんですよ。この「Idle Idle (Piano Trio Version)」は5月にリリースした「Idle Idle」を文字通りピアノトリオ編成でセルフリメイクした新バージョン。オリジナルはアンビエントなR&B調でそちらも悪くないんですけど、この季節であれば断然こちらをおすすめしたいですね。ボーカルがところどころでラップ調になるあたりがまたかっこいいんですよ。

M1 Idle Idle (Piano Trio Version) / Sunwoojunga

高橋:まさかスーさん、この素敵な曲をバックに腕立て伏せを始めるとは思いませんでした。

スー:ごめんごめん。今日は天気も悪いし運動しておこうかなって。うん、かわいかったですよ。

高橋:堀井さんもさきいかみたいなのを食べながら聴いていて。

スー:違う違う、さけるチーズ!

堀井:うん、かわいかった!

高橋:素敵でしょ?

スー:自分がかわいくなったような錯覚をしますね。

堀井:そう、なんか目が寄っちゃう(笑)。

高橋:ではジャジー編の二曲目、チョ・ソジョン(Jo SoJeong)の「Good Night」。こちらは7月9日にリリースされたEP『Scene』の収録曲です。

チョ・ソジョンは2014年から活動しているシンガーソングライター。2018年にアルバム『Nine Stars』でデビューしています。去年の年末に出したEP『A Diary for Me』もかなり良かったんですけど、今回のこのEPが現状ベストといえるのではないかと。きっと今後頭角を表してくるアーティストだと思います。

M2 Good Night / Jo SoJoeng

スー:きゃわいい。いい曲だねえ。

堀井:40歳ぐらい若返りました。(笑)。

スー:40歳も若返ったらあなた8歳だよ?

堀井:ちょうどいま、街が雨で煙ってきて。

スー:そうなんですよ。煙った街を見ながらコーヒー片手にちょっとけだるい感じで聴いています。

高橋:ここからはメロウ編。メロウ編の一曲目は、スラン(SURAN)の「Relax Moment (with Relax Beer)」。7月9日にリリースされた最新シングルです。

スランは2014年にソロデビュー。2018年にはBTSのラッパー、SUGAがプロデュースを手掛けたシングル「If I Get Drunk Today」が配信サイトのチャートで1位になるヒットを記録しています。

この「Relax Moment」は副題に「with Relax Beer」と付いているように韓国の大手クラフトビールメーカー「KABREW」とのコラボ企画。これはぜひ超絶かわいいミュージックビデオと併せて楽しんでいただきたいですね。

M3 Relax Moment (with Relax Beer) / SURAN

スー:いまミュージックビデオを見ていたんだけど、これもかわいいねー。映像全体がラベンダーの色に整えられていて。

高橋:ちょっと90年代のR&Bっぽい曲調もいい感じですよね。では最後、メロウ編の二曲目はレムシ(LambC)の「December」。7月2日にリリースされたEP『Songs from a Bed』の収録曲です。

レムシはバークリー音楽大学出身のシンガーソングライター/プロデューサー、ラム・キム(Lam Kim)のソロプロジェクト。デビューは2015年です。

レムシは2018年4月の韓国インディ特集でディアンジェロ風の「Lady」を取り上げたことがあるんですけど、ここではもう完全に独自のスタイルを築き上げていて。この甘いメロウさは欧米のR&Bではなかなか味わえない、韓国インディならではという気がしますね。

M4 December / LambC

高橋:憂鬱な梅雨時に聴きたい最新韓国インディポップ、今回はジャジーでメロウな曲を4曲紹介いたしました。冒頭で触れた通り韓国インディ特集は本当に月一ペースでやっていけたらと思っていて。実はすでに「夏の夕暮れに聴きたい最新韓国インディポップ特集」が控えています(笑)。

堀井:素敵!

スー:アハハハハ! なるほどね、もうそういう季節だもんね。

高橋:梅雨が明け次第投入したいと考えています。どうぞご期待ください!

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

7月13日(月)

(11:08) Say You Love Me / Patti Austin
(11:29) Changes / Nancy Wilson
(11:37) Rhythm of Love / Marlena Shaw
(12:14) We Got the Love / Chaka Khan & George Benson
(12:51) 少しだけまわり道 / ハイ・ファイ・セット

7月14日(火)

(11:06) Sade / Kiss of Life
(11:26) Cleveland Watkiss / Be Thankful for What You Got
(11:37) Lisa Stansfield / A Little More Love
(12:15) Ephraim Lewis / Drowning in Your Eyes
(12:50) 小泉今日子 / いつかきっと

7月15日(水)

(11:06) Arrow Through Me / Wings
(11:37) Night Owl / Gerry Rafferty
(12:10) Blow Away / George Harrison
(12:21) Little Jeannie / Elton John
(12:50) 罪なレディ / 近田春夫

7月16日(木)

(11:05) The Face I Love / Astrud Gilberto
(11:27) I’m All Smiles / Joanie Sommers
(11:50) Dear Heart / Nancy Wilson
(12:17) Wonderful Life / Irene Kral

7月17日(金)

(11:03) Could it Be I’m Falling in Love / The Spinners
(11:26) Look Me Up / Blue Magic
(11:36) I Didn’t Know / The Three Degrees
(12:10) Closer Together / Bloodstone

宇多丸、『透明人間』を語る!【映画評書き起こし 2020.7.17放送】

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  TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『透明人間』2020710日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週、扱うのは710日に公開されたこの作品、『透明人間』

(曲が流れる)

ユニバーサル映画のクラシックキャラクター、透明人間を、現代的な解釈で新たに映画化。富豪の天才科学者エイドリアンに束縛されていたセシリアは、彼の下から逃亡。それにショックを受けたエイドリアンは自殺してしまう。それ以降、セシリアの周囲で不可解な出来事が次々と起こり始める……ということです。

主人公のセシリアを演じるのは、テレビドラマ『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』……あと、映画だとあのジョーダン・ピールの『アス』の、白人家族の方なんかをやってましたね、エリザベス・モスさんです。監督・脚本は、『ソウ』シリーズの脚本や製作などを手がけられました、最近は監督業にも進出されてます、リー・ワネルさんです。

ということで、この『透明人間』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」ということです。賛否の比率は「褒め」の意見が8割ということで、非常に褒めの方が多かった。

主な褒める意見は、「手垢のついた作品を、主役となる人物をずらすだけでここまで現代的に蘇らせたアイデアがすごい」「中盤までのサイコホラーとしての恐怖感もすごいし、終盤の展開も熱い」「フェミニズム映画としても見応えがある。文句なしに面白い。エリザベス・モスの演技が見事」などがございました。一方、批判的意見としては「これって『透明人間』じゃなくない?」とか「大きな音でびっくりさせる演出、やめれ!」などがございました。まあそれはね、ちょいちょいホラー映画……アメリカホラー映画は、特にやるあたりですけどもね。

■「『透明人間』が格調高いスリラーになって、本当に嬉しい驚き」(byリスナー)

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「八王子のはにわ」さん。

「今回の『透明人間』は事前の予想のはるか上をいく怖さと面白さで大満足」。当初、いろいろ『透明人間』をやるということで予想していた範囲があったんだけど、「『たまむすび』で町山さんがこの映画をいわゆるガスライト映画だと紹介されていて驚き、ますます興味が湧いたところでした」。

この「ガスライト映画」って――1938年、イングリット・バーグマンの『ガス燈』という映画があって、要するに、精神的に主人公が追い詰められていくというか、精神的に嫌がらせをすることを英語でGaslightingっていう感じで動詞化したりとかしている、という話でしたけどね。ガスライト映画。

……実際に鑑賞してみると、この映画は最初から最後まで『そう来るのか!』の連続。たとえば冒頭、主人公の親友が家の中で高い脚立がガタつくことに文句を言うシーンがあります。私はすぐに『ああ、この脚立を、透明になった悪いヤツが倒して、この親友のナイスガイが顎の骨とか折っちゃったりするのね』などと短絡的に思ったのですが、実際にはこの脚立、そんな予想のはるか上を行くショック演出で使われていてビックリ」。そうでしたね!

「『透明人間』という荒唐無稽なお話をこんなにも格調高いスリラーとして見ててくれるなんて本当に嬉しい驚きです。また主人公を演じたエリザベス・モスの繊細な演技とメイクが素晴らしかった。冒頭の怯えた表情、徐々に追い詰められて疲弊していく様子。自分で自分の正気を疑い出し、絶望する様。そしていざ、覚悟を決めた時の息を呑むような美しさ、最高です。他のキャストも親友の刑事役の俳優さん以外、あまりお顔を拝見したことがない方が多く、簡単には各登場人物の善悪が想像しづらいのも効果的でした」。

たしかにね、はい。「私の地元の映画館はガラガラでしたが、もっとみんなに見てほしいと切に思った映画でした。なによりもゼウス、ワンコちゃんがちゃんとフォローされていてよかった。ここ、大事です」というあたり。

一方、ちょっと批判的なメールもご紹介しておこうかな。「ヤーブルス」さん。「これは『透明人間』……なのかな? そこに現れないのにそこにいる。もしくはいるように感じることこそが『透明人間』の本質であり、そのことによって主人公が壊れていく様子こそが恐怖だと思うのですが、そういう観点からすれば、猜疑心が増幅していく終盤まではかなり『透明人間』していたと思うのですが、主人公以外(観客含め)が透明人間を可視化してしまったら、それはもはや透明人間ではなく、ライク・ア・『攻殻機動隊』なわけで」……要するにね、ちょっと今回の『透明人間』の仕掛けに関わってきます。

「まさに憑き物が取れてすっきりとした表情で颯爽と去りゆく主人公と対照的に、モヤモヤとした表情で劇場を後にする私なのでした」。ただ、「最初の邸宅からの脱出ミッションはすごく良かったです」とようなことを仰っています。ということで『透明人間』、私もTOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。平日昼にしてはまあまあ入っている感じでしたかね?

■1933年、ユニバーサル映画でイメージが(ちょい地味な存在感も含めて)確定した「透明人間」

ということで、改めて言っておくならば、大もとは皆さんご存知の通り、HG・ウェルズが1897年に発表したSF小説ですね。しかし、イメージ的にね、たとえばその我々が『透明人間』って言った時に思い浮かべる、サングラス、あと包帯がぐるぐる巻きで、その包帯がスルスルと取れて……みたいなああいうイメージは、やはり1933年の、ユニバーサルの最初の映画版、というのがあるわけですね。

で、これはその後もね、何度となくその映像化、パロディ化……もう元の原作からは離れて、「透明人間」っていうそのアイデアそのものが繰り返し繰り返しいろんなところに使われて、なんていうのかな、もうポップアイコンっていうか、一般的存在というか、そういう感じだと思うんですけどね。

ただですね、実体が見えないだけに、ちょっと地味目な存在……そのユニバーサルモンスターのいろんな、フランケンシュタインとかドラキュラとかに比べると、ちょい地味ではある、という。あと、映像テクノロジー、特撮テクノロジーの進化に伴う、本来見えない存在をいかに映画的に「見せる」かという、作品ごとの工夫……実はその透明人間映画っていうのはこれまで、いかに「見せる」か、の部分が実は肝だったわけですね。そこにどうやって「いる」と感じさせる視覚的効果を……見えないものを「見せる」という工夫が実は、これまでの工夫の部分だったんですけど。

ご存知、2000年のポール・バーホーベン監督、ケヴィン・ベーコン主演版、日本タイトル『インビジブル』で、とりあえず行くところまでそれを……要するに「見せる」方向の透明人間物というのは、行くところまで行った感もあって、ということで。まあ個人的にはですね、姿さえ見えなければ人はどこまでもゲス化しうるという、この『インビジブル』で特に際立っていた、この『透明人間』という題材が本質的に持ってるテーマ性、これ、インターネット普及後の現代にふさわしい、掘り下げがいがあるテーマだな、という風に『インビジブル』を見た時にすごく思って。

実は2000年、自分自身がインターネットをやりたての時で、「ああ、なんかインターネットのメタファーみたいだな」っていう風に(思っていました)。まあポール・バーホーベンにそういう意図があったかどうかはちょっとわかんないですけど。なので、そういう意味では現代的なテーマを内包している題材ではあるなとは思ってたんですが、とはいえ『インビジブル』でその若干の打ち止め感があった中でですね、20年間経って、ついに再び作られた本格透明人間映画、ということですね、今回ね。

■ユニバーサルモンスター総出演の「ダーク・ユニバース」が頓挫してそれぞれ単体リブートに

まあこの間も、デヴィッド・S・ゴイヤーさんが2000年代後半にやろうとして頓挫したりとか、あとはですね、さっき言った、そのユニバーサルモンスターの、ユニバース化計画。これ、2010年代半ばぐらいですね。「ダーク・ユニバース」という、まあ身も蓋もない言い方をすれば、マーベル・シネマティック・ユニバースのユニバーサルモンスターズ版、みたいな企画。これが立ち上がる中で、「ジョニー・デップが透明人間をやるよ」というアナウンスがされて、その他の主演候補たちとビシッとした集合写真まで撮って。わりとこう、大がかりに宣伝されてたわけですね。

なんですけど、そのダーク・ユニバース企画第一弾、トム・クルーズ主演の『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』。これ、私は201785日に評しました。まあ例によって書き起こしが残ってますので読んでいただきたいんですけど、とにかくその初っ端の『ザ・マミー』がですね、いろんな意味ではっきり失敗に終わったことでですね、このダーク・ユニバース構想が、いきなりチャラになりまして。ユニバーサルもですね、今後はユニバーサルモンスター、もちろんユニバーサルの財産ですから、「ユニバーサルモンスター物はやっぱり、それぞれ単体の作品としてリブートしていくことにします」なんて風に、方向転換したわけですね。

で、改めて、低予算で大ヒットを連発する、現代アメリカホラー映画の間違いなくトッププロデューサー、ジェイソン・ブラムさん、これの仕切りで作られたのが今回の『透明人間』、ってことですね。もうジェイソン・ブラムが作るんだったらまあ、一定の面白さがあるだろう、って感じがするんですけど。

脚本・監督を手がけたのは、『インシディアス』シリーズなどでジェイソン・ブラムとも何度も仕事をしてきたリー・ワネルさん。このリー・ワネルさん、一番有名なのはやっぱり、『ソウ』シリーズですね。『ソウ』シリーズの脚本。あるいは、今言った『インシディアス』シリーズの脚本。あと、俳優さんとしてね、『ソウ』シリーズや『インシディアス』シリーズにも出てたりする、っていう感じですけど。

同じくオーストラリア出身の盟友、ジェームズ・ワンさんとの仕事が特に有名なリー・ワネルさんなんですけども。で、監督業にも、『インシディアス』の三作目、『インシディアス 序章』という2015年の作品から乗り出していて。特にですね、監督二作目、今回の『透明人間』の前作にあたる、2018年の『アップグレード』という作品があって。これ、蓑和田くんはすごい好きなはずですよ! 今、ディレクターの蓑和田くんに話しかけてますけど(笑)。『マトリックス』と『ヴェノム』と『インセプション』と『ターミネーター』とか、いろんなそのへんのを、混ぜたような作品。

腕の中に埋め込んだ銃とか、そういうちょっとなんか『ヴィデオドローム』風というか、クローネングバーグ風なガジェットも楽しい、ちょっと変わったSFアクションヒーロー物、みたいな感じで。カメラワークとかもね、なかなか面白いことをいろいろ盛り込んでたりして、監督としてもなかなか腕があるじゃん!っていう感じだったんですね。リー・ワネルさんね。

あと、今回の『透明人間』とのつながりで言うと、主人公が就職しようとするあの建築事務所の社長役を演じている、ベネディクト・ハーディさん。これ、前回のその『アップグレード』では強烈な悪役を演じていて。『アップグレード』を見た人だと、「うわっ、こいつ! こいつ、なんか悪いことをするんじゃないか?」って思ったりするあたりなんですけどね(笑)。

ちなみにですね、このリー・ワネルさん、出世作の『ソウ』シリーズ、あと、そのさっきから言ってる『アップグレード』、そして今回の『透明人間』と、実は一貫する話でもあるな、と思っていて。要は1から10まで全部計画通り、お見通し系のスーパーサイコパス」の話というかね。まあ作家性とまで言っていいかはわからないですけど、はっきり共通するものがあるかなと思います。

■「透明人間をいかに“見せるか”」から、「見えなさの強調」へ

ということで、そんなリー・ワネルさんが脚本・監督を手がけた今回の『透明人間』。これまでの『透明人間』作品とは180度アプローチを変えた、非常に斬新な、そして大変に現代的、今にふさわしい『透明人間』になっている、っていうことですね。端的に言ってしまえばですね、透明人間技術を開発し、自ら使う……まあ、概ね悪用する科学者というね、従来の作品では中心に据えられていた視点っていうのを、完全に廃して。透明人間側の視点を完全に廃して、100パーセント、その透明人間に脅かされる側の立場から描く作品になっていると。

しかもそれはですね、まさに透明人間ならではの脅威、他のモンスターでは表現しえない脅威。つまり、直接的暴力……もちろん、直接的暴力も振るうんですけど、直接的暴力以上に、第三者、社会は感知できない、認識すらしていない存在だからこそ、主人公だけが苦しむことになる、精神的圧迫。そここそが、これでもかとばかりに、ネチネチネチネチと陰湿に陰湿に描かれていく、という。それが今回の作りなんですね。

なので、さっき言ったようにその2000年のポール・バーホーベン『インビジブル』までは、実はいかにその存在を「見せる」か、というのがこの『透明人間』の技術的、作品的キモだったわけですよ。たとえばその、何かを噴きかけられて姿が見えるとか、ポール・バーホーベンの『インビジブル』だったら、だんだん徐々に、血管がニョイーンってなったりして、徐々に徐々に姿を現す、もしくは徐々に姿が消えていくという、そういうビジュアル的に、実は「見せる」部分がキモだった今までの透明人間作品に対して、今回は、一見そこには誰もいない、何もないように見える、誰もいないように見えるという、「見えない」ということそのものを、強調した作りになっている。

だから実際のところ、カメラの前には何も映ってない、っていうことが多いわけですね。これは、リー・ワネルやジェイソン・ブラムが手がけてきた、特に『インシディアス』のような心霊物、幽霊物の手法が、そのまま使えるわけです。特に前半部は、ほとんど幽霊物と全く同じ怖がらせ方、撮り方をしてると思います。で、それゆえに、アメリカメジャー映画としてはかなりの低予算、700万ドルというバジェットで……これを最大限効果的に生かす、という作りとも言えるわけですね。実際、要するに特に大掛かりな仕掛けとかしなくても、何もないところを映すだけで怖い、みたいなことなんで。

■カメラがパンしてもそこには何も映っていない……だからこそ! の怖さ

順を追って行きますけども。まず冒頭からですね、この冒頭のところ、「印象的だった」と挙げられる方が多いですけども、非常に怖いっていうか、盛り上がりますね。激しく波が打ちつける岸壁がある。そこに浮かび上がるタイトルクレジット。それもなんか、フッとすぐに消えちゃうのでよく見えない、っていうタイトルクレジット。

で、カメラがこう、上に向く。上にティルトすると、そこには何かモダンなデザインの豪邸が建っている。まあこの、岸壁のところに、波が激しく打ちつける岸壁の脇に建っている豪邸……つまり、これがですね、伝統的なユニバーサルモンスター物とか、怪奇映画ですね、当時は怪奇映画って呼ばれてましたけども、そういったものにおける、たとえばその狂った主人、マッドサイエンティストが住んでいる孤城。今回の孤城は、それの現代版として、あのグリフィンの家が建っているわけです。あれは孤城なわけです。

だから、あそこで全てが始まるし、全てが決着するという、この作りが非常に正しいわけですけど。で、その豪邸が映る。そうしたら、その中にいる、ベッドで夫と寝ているらしい、エリザベス・モス演じる今回の主人公セシリアが映し出される。ちなみにこのセシリア、愛称が「シー」と言われてますね。愛称が「SEE=見る」という言葉と同じ(発音)。これも非常にこう、シンボリックになってるわけですけど。

とにかく彼女がですね、恐ろしく慎重に……「恐ろしく慎重に」ということはつまり、明らかにひどく怯えながら、その邸宅から脱出していく様子っていうのが、まあここは本当に脱獄物ですね、脱獄物さながらの緊迫感で描かれていて。だからこの映画、すごくいろんなジャンル映画の面白みがいっぱい入ってるんですけども。ここの冒頭は、脱獄物。

「なぜ?」っていうところはこの時点ではわからないんですけど、はっきりとは言われませんけど、彼女が恐れているのは、カメラワークなどから明示される通り……はっきりと、今は寝ている男を恐れている、というのがわかるカメラワークなので。恐らくは彼の、まあ睡眠薬でも飲ませない限りは解かれることのなかったその支配、間違いなく暴力的であったろうそれから、逃れようとしているんだろうな、っていうのは察しがつくわけです。とにかく異常に怯えているので。

で、その逃げる過程で、彼が何やら、ハイテクかつ何か不気味な研究をしていることであるとか、あるいは細かいところで言うと、彼女が着ているパーカー、「CAL POLY」って書いてあるんですけど、あれは要するにカリフォルニア州立工科大学のパーカーですよね。だから、彼女の出身校とするならば、彼女自身も……まあ後にね、建築家でもあったみたいなことがわかるので、彼女自身も、本当はそれなりのキャリア、学歴があったらしい人、というのがそこで示されたりとか。

とにかく、セリフによる説明ではなく、必要な情報が、あくまで視覚的に、あるいは演出によって配されていく手際。全くもってムダなくシャープで、本当に見事。惚れ惚れするようなオープニングですね。で、最初はですね、敢えて音楽を付けず、寄せては返す波の音だけが、異様な、ちょっと音量も大きいですし、異様な緊張感、圧迫感を醸す、というこの音使いも非常に見事ですし。

なによりですね、これは全編に渡って大変効果的に使われる手法なので、ぜひ皆さん、ここに注目していただきたいんですけど、この映画、とにかくカメラの……カメラワークの「パン」、分かりますか? 横方向に、左右に振れるカメラワーク。まあ三脚に立ててカメラを左右に振る、パンですね。カメラがパンするだけで……というか、カメラがパンするだけ、だからこそ!っていう怖さを演出してくる。

普通、カメラがパンして、別の場所にカメラが向いたら、そこには映し出されるべき何かがあったり、人がいて当然なわけですけど。この映画ではですね、何ヶ所か、カメラがパンしても、その先には別に、特に特筆すべきものがない。ただの空間、あるいはただのがらんとしたその場所、だったりする。あるいはこの冒頭の場面だと、ただ真っ暗な廊下の奥。主人公がこうやって身支度を静かにしている。カメラがパンする。別に何も映らない。で、戻る、みたいな、こういうことをするわけです。

■1961年『回転』〜Jホラー経由で伝わった心霊ホラー表現の応用

あるいは他の部分。これはパン以外で言いますと、不自然に空間が余ったようなショット構成をしていたりする。あるいは不自然に、ほぼ何も起こっていないところをなぜか、「何でこの尺で撮る?」っていう風に映し続けるショットがあったりする。というのが、要所に置かれている。言うまでもなくこれは、我々観客をですね、そこに本当は何かいるんじゃないか、誰かいるんじゃないか、って……あるいは、じっと見ていると何か起こるんじゃないか、という風に、不安をかき立てるカメラワーク。

つまり、映画を見慣れている観客ほど、映画の文法に慣れている観客ほど……我々のような、すれた観客ね(笑)。「どうせこうなるんでしょう?」って、ジャンル映画を見に来る人なんか、超すれてますよ。「どうせこうなるんでしょう?」って思ってる人ほど、「えっ?」ってなるカメラワークをする。で、これはまさにですね、1961年の『回転』あたりから始まって、もちろんJホラー経由で、『インシディアス』などアメリカホラーにも定着した、まさにその心霊ホラー表現の、見事な応用と言えますね。これね。

要するに、何もないところをじっと映してるだけで、何かいるように見えてくる、という。まさに『回転』の、Jホラーの手法ですね。ということで、まだ何も起こってないうちから、しっかり怖い、ハラハラするこのオープニング。あるきっかけ、とあるきっかけで、警報が盛大に鳴り響き始めてしまって、セシリアがダッシュで逃走を始める。そこでベンジャミン・ウォルフィッシュさんの音楽が、満を持してガーン! と鳴り響いて。坂を駆け下りていくセシリアさんのシルエット。

そしてその行く先には森があって、グッとカメラが上がると、遠くの方に街の灯りが見える、というこの流れ。非常になんというか、ゴージャスというか、音楽が鳴り出すことで、「うわっ、これは一級品の映画だ!」って感じがする。なんかちょっとヒッチコック風だな、っていう感じもしてたんですけども、シネマトゥデイの監督のインタビューによれば、たしかにこれ全編、この音楽も含めて、ヒッチコックをすごく意識したという。まあサンフランシスコが舞台というのも、どうしても『めまい』というものを連想させますしね。

■中盤以降、世界中の女性が置かれている普遍的な問題をえぐり出す

ということで、とにかくこのオープニングからしてですね、これはちょっとただごとじゃない傑作じゃないか?っていう予感が、ビンビンにする。そしてその予感は、最後まできっちり裏切られない、どころか、なんなら予想を上回る満足を与えてくる! と私、断言したいと思います。まあ怪物的な夫の、身体的、精神的支配から何とか脱出したその主人公セシリア。すると夫は、なんと自殺をしてしまったという知らせがやってくる。で、法を犯さないことと心神喪失状態でないこと、という、この時点では全く問題がないように思えた条件付きで、莫大な資産を相続するという。ここがミソですね。

「お金、あげますよ。ただし、犯罪を犯さない。あと心神喪失じゃないなら……」っていう。ここが嫌がらせのキモになっているわけです。しかし、彼女には夫がまだ生きていて、そこにいるとしか思えない怪現象が、次々と起こる。このあたりは、さっきから言ってるように心霊ホラー的な演出ですね。怖さ、面白さ。

なんだけど、やがてその精神的、物理的な嫌がらせ、暴力が、今度は彼女の周囲の人間に振るわれるようになってくる。するとその全てが、他の人にはそこには彼女だけしかいないようにしか見えないので、彼女が生前の彼から受けたいろんな行為のPTSDなのかな?っていう感じで、ちょっとおかしくなってしまったためにしでかしてしまったこと、みたいな風にされていってしまう、という。

ただしこの時点では、「透明人間化した夫の仕業」という明白な証拠は観客にも示されないので、「ひょっとしたら彼女が本当におかしくなってしまっただけなのかも?」とも充分に思える余地を残してるあたりがミソで。まあ、これがいわゆるそのニューロティック・ホラー、神経症的ホラー、まあ『ガス燈』から始まるそのガスライト映画でもいいですけど、後は『反撥』とかね、『ローズマリーの赤ちゃん』でも何でもいいですけど、そういうモードに今度はなっていく。

しかも、そこでの主人公の追い込み方が、本当にただごとじゃない! これぜひ皆さん、映画館で実際に見てください。さっき(番組全体のオープニングトークで)言ったように、「はっ?」とあっけにとられているうちに、もう事態は最低最悪の、「もう無理じゃん……っていうことになってくる。「もうこれ、自殺でもするしかないんじゃないか?」っていう感じになってくる。で、ここで生きてくるのが、なにしろ主演のエリザベス・モスの演技力で。男たちにひどい目にあって憔悴していく女性、という意味で、『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』での主演の実績も当然あってのキャスティングでしょうけども。

傍目には、正気を失いつつあるようにしか見えないのも無理ないな、という感じと、しかし彼女にとってはこうなってしまうのも当然だよな、という、その感情移入のバランスを完璧に体現しているし。それこそですね、性被害や不公平、不公正について訴えても、まともに聞いてもらえない、という現実の……まあ残念ながら普遍的に言える、世界の女性の問題っていうのもえぐり出すような、まさに名演を見せていたりする。これ、ジャンル差別されなければ、本当にアカデミー賞レベルと言っていいんじゃないかという風に思います。

■ジャンル映画としても最高レベルな、見事な現代版『透明人間』。一言で言えば、めちゃくちゃ面白い!

で、一方、さっきから言ってるように、基本徹底して「見えない」存在であることこそがそのミソな今回の『透明人間』ですけど、やはり当然、あるポイントで、その存在が「本当にそこにいる」ということを視覚化する瞬間、「見せる」瞬間というがやってくるわけですね。そこの、思わず声を上げてしまうような間合いの絶妙さ。やはり心霊ホラー的でもあるわけですが、さすが……「本当にいた!」って分かる瞬間ね。さすがホラーの手練たち、という感じですし。あと、そのついに明らかになる透明化の真相。今、『透明人間』をやるなら、なるほどこれだろうな、という納得感もある。

今までの透明人間物に、僕は感じずにはいらなかったいろんな疑問……「寒くない?」とか(笑)、そういうのも、ひと通りクリアするアイデアでもありますし。個人的にはですね、たとえば『羊たちの沈黙』クライマックスのバッファロー・ビルの、あの暗視装置とかにも通じる、「一方的な窃視者」のおぞましさ、気持ち悪さ。つまり、自分は見られていない前提で、一方的に何かを見る、いやらしい……特に男の視線のキモさっていう。その実像のキモさ、それを強く感じさせる造形だと思いました。

つまり「無数の目」っていうことだから。気持ち悪い!って感じがする。無論、自らね、姿や正体を見せないまま弱者を攻撃する邪悪な魂、というのは、2000年の『インビジブル』以上に、本当に今日的なテーマですよね。今回は特に、本当に実態が見えないまま襲ってくる脅威なので、よりそこはですね、本当に今日的な……つまりインターネット上に漂う悪意たち、っていうのも、すごく嫌な感じで重なるテーマ取りだとも思います。そこも見事。

ということで、テーマ的にも本当に、見事に現代的にアップデートされた『透明人間』たる本作。心霊ホラーであり、ニューロティックホラー的であり、序盤であれば脱獄物であり、というようなその諸段階を経て(宇多丸追記:放送では触れ忘れてしまいましたが、診療所廊下での、それはそれは見事なワンカットのアクション見せ場も、大変効果的でしたよね)、ついに訪れるクライマックス。もはや多くは語りませんが、「だいたいこのぐらいに落ち着くんだろうな」って見切ったつもりの観客の、予想のしっかり斜め上を行くアイデアが用意されている。本当に、最終的な納得度、満足度は半端じゃないので、ぜひ……タイトルを上げるだけでネタバレになるので伏せますが、女性側の逆襲という意味で僕は、『ゴ○○・○○○』を連想する方も多いかな、という風には思いました。

それぐらいの切れ味だということです。ということで、一言で言えばめちゃくちゃ面白い! し、めちゃくちゃよくできています! ジャンル映画としても本当に最高レベルの出来栄えですし、さっきから言っているように、現代フェミニズム的な問題意識もちゃんと織り込んで、ちゃんとその作品の根幹に入ってますし、それを見事な演技、見事の演出、的確な演出で示して。考え抜かれたアイデアも込められてますし、たとえば美術とか撮影も、本当に隙がないレベルの高さで。

リー・ワネル監督としても当然、最高傑作ということでしょうし、本当に大ホームラン。ジャンル映画というか、こういう映画を観る喜び。あと、デカい音響とか怖い音響効果とかも非常に意味がある映画なので。これは絶対に映画館に行った方がいいです。あと、暗闇表現もありますから。絶対映画館で! もう本当に万人に……ああ、怖いのが苦手な人以外ね。万人におすすめです。めっちゃ面白いよ!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画はWAVES/ウェイブス』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

「2020年の夏を彩るおすすめ新作アルバム〜R&B編」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/07/24)

「2020年の夏を彩るおすすめ新作アルバム〜R&B編」

2020年の夏を彩るおすすめ新作アルバム〜R&B編http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200724123450

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

高橋:本日はこんなテーマでお送りいたします! 「2020年の夏を彩るおすすめ新作アルバム〜R&B編」。これから何回かに分けて夏のおすすめのアルバムをここ数ヶ月の新譜から紹介していきたいと思っています。その第一回となる今回はR&B編。

スー:ヨシくんさ、伊東さんとは今日初めて会うんでしょ?

高橋:そうですね。よろしくお願いします!

伊東:はじめまして!

スー:伊東さんといえば、TBSのホームページのプロフィール欄に「好きな音楽:洋楽」と書いてあって。

伊東:アハハハハ!

高橋:そうなんですよ。さらに伊東さんが立教大学在学中に出場したミスコンのプロフィールを見ると……。

伊東:そんなもの見つけてきたんですね……これ、結構前ですよ?

高橋:ここで伊東さん、好きな歌手にNe-Yoとニッキー・ミナージュをあげていて。これを見て今日はR&Bでいこうと決めました。

伊東:ええっ、やった! R&B、大好きなんですよ。

高橋:おー、ばっちりきちゃったこれ! ちなみにこのシリーズ、ポイントとしてはアルバムとしてじっくり聴き込めるものを選んでいます。なのでこれから紹介する曲が気に入ったらぜひアルバムまるごとチェックしていただきたいですね。例年であれば夏らしい解放感があるものを選ぶところなんですけど、今年はこんな状況なのでメロウなもの中心のセレクションになっています。

スー:そもそもいまのR&Bはメロウめだしね。

高橋:じゃあさっそくいってみましょう。一曲目はジェネイ・アイコの「Summer 2020」。こちらは先週17日にリリースされたばかりのアルバム『Chilombo』のデラックス版収録曲です。これは3月に発売されたアルバムに新曲を加えて出し直したもの。タイトルはジェネイ・アイコのミドルネームで、アフリカの言葉で「野生の獣」を意味するそうです。

Chilombo (Deluxe) [Explicit] Chilombo (Deluxe) [Explicit]

このジェネイ・アイコは2011年にデビューしたロサンゼルス出身のシンガー。その名前の通り日本人の血を引いています。お父さんがアフリカンアメリカン、お母さんが日本人ですね。非常に透明感のある繊細な歌声が持ち味で、ジャネット・ジャクソンやアリーヤの系譜を継ぐ歌い手といっていいと思います。この「Summer 2020」はヒップホップの曲でよく引用されるクール&ザ・ギャングの「Summer Madness」をサンプリング。これが実に効果的で夏の湿度と倦怠感が見事に表現されています。

M1 Summer 2020 / Jhene Aiko

高橋:伊東さん、いかがですか?

伊東:素敵です。買います!

高橋:やった! 伊東さんはサブスク派じゃなくてダウンロード派みたいですね。

伊東:そうですね。気に入った音楽をお金で買っています。

高橋:フフフフフ、お金で買う!

スー:みんなお金で買ってるよ!

高橋:物々交換の人はなかなかいない(笑)。

スー:「その音楽とこの芋を換えてくれ」みたいな?。

伊東:たしかに(笑)。

高橋:二曲目はジョン・レジェンドの「Remember Us」。ゲストとして女性ラッパーのラプソディが参加しています。こちらは6月19日にリリースされたアルバム『Bigger Love』の収録曲です。

Bigger Love Bigger Love

ジョン・レジェンドは2004年にデビューしたオハイオ出身のシンガー。彼は完璧なエンターテイナーの証である「EGOT」を達成しているんですよ。エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞、このすべてを受賞した最年少アーティストにして初めての黒人男性という。

スー:おそろしい! すごい才能をもってるのね!

高橋:「初めての黒人男性」ということは先にどなたか女性が達成しているわけですが……誰だかわかります?

伊東:誰だろう?

スー:4つぜんぶ取ってるんでしょ?

高橋:正解はウーピー・ゴールドバーグです。

スー:ああー、なるほどね!

高橋:話を戻すと、この曲はタイトルの「Remember Us」からも察しがつくかもしれませんが亡くなった故人を偲ぶ内容。ラプソディのラップパートでは今年亡くなったNBA選手のコービー・ブライアント、それからラッパーのニプシー・ハッスルやノトーリアスB.I.G.などの名前が登場します。そんな歌詞なのでお盆に聴く曲としてもいいのではないかと。

スー:フフフフフ、すごい無理矢理もってきたね!

高橋:あと、夏の終わりの得体の知れない喪失感にも寄り添ってくれる曲でもあると思います。曲調としてはソウルミュージックのレジェンド、アル・グリーンのオマージュですね。

M2 Remember Us feat. Rapsody / John Legend

伊東:いやー、最高ですね!

高橋:ああ、よかった!

スー:伊東さん、いま両手をグーにして胸の前あたりぐるぐるで回しているんですけど……それは?

伊東:フフフフフ、これは踊りです。ビートを刻んでいました。

スー:知恵の輪を外そうとしている人みたいな動き(笑)。

高橋:初めて見るタイプの踊りですね(笑)。

スー:あとで動画を撮っておきましょう。

伊東:それはつらい……(笑)。

高橋:三曲目はディナー・パーティーの「Sleepless Night」。7月10日にリリースされたアルバム『Dinner Party』の収録曲です。

Dinner Party Dinner Party

このディナー・パーティーはプロジェクト名で、構成員はテラス・マーティン、ロバート・グラスパー、カマシ・ワシントンといったジャズミュージシャン。3人ともピューリッツア賞受賞ラッパーのケンドリック・ラマーのアルバム『To Pimp a Butterfly』に参加していたことでもおなじみですね。この3人にヒップホッププロデューサーの9thワンダー、先ほどのジョン・レジェンドの「Remeber Us」に参加していたラプソディを見出した人なんですけど、彼を含めた4人からなるプロジェクトです。

このアルバムはシカゴ出身のフェニックスというR&Bシンガーを迎えたソウル色の強い内容になっているんですけど、Netflixのミシェル・オバマさんのドキュメンタリー『マイ・ストーリー』の音楽も担当していたカマシ・ワシントンのサックスがめちゃくちゃ素晴らしくて。

スー:これホントめちゃめちゃいいよね!

高橋:うん。夏の夕暮れにバルコニーで聴きたい感じ。

スー:わかる! バルコニーないけど!

高橋:フフフフフ、心のバルコニーでね。

スー:心のバルコニーでミントアイスティーを飲みながら聴いてくれ!

M3 Sleepless Nights feat. Phoelix / Dinner Party

スー:アイスミントティー、美味しかったね。

伊東:これも素敵ですねー。

高橋:伊東さんはどんなシチュエーションで聴きたいですか?

伊東:私はサンセットビーチで聴きたい。

スー:ああ、ビーチね! 次にビーチに行けるのはいつになるんだろう……みんな頭のなかのビーチに集合だ!

高橋:最後はリアン・ラ・ハヴァスの「Seven Times」。これも先週17日にリリースされたばかりのアルバム、セルフタイトルの『Lianne La Havas』の収録曲です。

Lianne La Havas Lianne La Havas

リアン・ラ・ハヴァスは2012年にデビューしたロンドン出身のシンガーソングライター。90年代に活躍したデズリーや日本でも人気の高いコリーヌ・ベイリー・レイといったイギリスのアコースティック感を魅力とする女性ソウルシンガーの流れを汲む音楽性で。

スー:コリーヌ・ベイリー・レイはみんな好きだよね。私も好きだけどさ。

高橋:彼女が今回の新作の影響源としてあげているアーティストは、ミルトン・ナシメント、ジョニ・ミッチェル、ジャコ・パストリアス、アル・グリーンなど。アルバムにはレディオヘッドの「Weird Fishes」のカバーもあったりするんですけど、これから聴いてもらう曲はそのなかでもミルトン・ナシメント、つまりブラジル音楽の影響を強く感じさせる夏草の薫り漂う仕上がりです。

スー:ほう。サマーだね!

高橋:伊東さん。絵を描きながらうしろで流しておく音楽としては最適だと思いますよ。

M4 Seven Times / Lianne La Havas

伊東:かっこいいです!

スー:ちょっと乾いた感じがいいんだよなー。

高橋:これはどういうシチュエーションに合いますかね?

伊東:私はジャングルを想像していました。ジャングルの絵を描きたいなって。

高橋:ああ、熱帯雨林な感じ。僕は夏草をイメージしていたのですがはるか上をいかれました(笑)。

スー:「なーつくさがー♪」(と、CHEMISTRY「Point of No Return」を歌い出す)。

高橋:やりたいようにやってるな(笑)。というわけで「2020年の夏を彩るおすすめ新作アルバム〜R&B編」をお届けしましたが、気が変わらなければ近々にロック/ポップス編をお送りしたいと思っています。どうぞご期待ください!

スー:というわけでヨシくん、今週もありがとうございました!

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

7月20日(月)

(11:04) It’s a Laugh / Daryl Hall & John Oates
(11:23) Sinking in an Ocean of Tears / Stephen Bishop
(11:35) Keepin’ it to Myself / Jaye P. Morgan
(12:14) The Way I Want to Touch You / Lonette McKee
(12:51) 朝は君に / 吉田美奈子

7月21日(火)

(11:05) Hey Hey Hey, She’s O.K. / Also & Udine
(11:37) I’m Gonna Make You Love Me / Nick De Caro & Orchestra
(12:14) I Just Want to Be Your Friend / The Millennium
(12:49) 連載小説 / Pizzicato Five

7月22日(水)

(11:03) King for a Day / XTC
(11:28) …This Town / Elvis Costello
(11:38) This One / Paul McCartney
(12:11) Baby’s Coming Back / Jellyfish
(12:23) If It’s Love / Squeeze

7月23日(木)

(11:03) Only a Smile / The Paragons
(11:24) Last Train to Ecstasy / The Melodians
(11:36) Long Time No See You Girl / The Sensations
(12:21) My Conversation / The Uniques
(12:49) Midnight Love Call / 南佳孝

7月24日(金)

(11:05) You Got To Be The One / Maryann Farra & Satin Soul
(11:30) Me and You / Touch
(11:39) I Always Wanted to Be in the Band / Step by Step
(12:12) We Need Love / The Directions
(12:20) When Temptation Comes / The Chi-Lites

宇多丸、『WAVES/ウェイブス』を語る!【映画評書き起こし 2020.7.24放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、WAVES/ウェイブス』2020710日公開)です。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週扱うのは、710日に公開されたこの作品、WAVES/ウェイブス』

(曲が流れる)

数々の話題作を手がけるスタジオ、A24最新作。今の音楽シーンをリードする豪華アーティストたちの曲が劇中を彩る青春ドラマ……「プレイリストムービー」なんて言い方をしてますけどね。フロリダで暮らす高校生タイラーは、成績優秀でレスリング部のスター選手だったが、ある夜、取り返しのつかない悲劇を起こしてしまう。その悲劇は、タイラーの妹エミリーや家族の運命を大きく変えていくことになる。

タイラーを演じたのはケルヴィン・ハリソン・Jr。妹のエミリーを演じたのはテイラー・ラッセル。2人の父親をスターリング・K・ブラウンが演じる。監督・脚本を手がけたのは、『クリシャ』——これは日本公開されてませんけど——あと『イット・カムズ・アット・ナイト』などのトレイ・エドワード・シュルツさん、ということでございます。

ということで、この『WAVES/ウェイブス』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。そうですか。まあちょっとね、話題になり方が難しいタイミングでもあったんですけどね。賛否の比率は、褒める意見が7割。主な褒める意見は、「洋楽に疎いので見る前は心配していたが、歌詞の対訳が字幕で出たりしてかなり理解できた」。たしかに、あの「歌詞の内容とリンクする」という演出は他の映画でもありますけど、そこを比較的丁寧にフォローしてくれてる作りでありましたね、日本語訳もね。

「計算された色彩や斬新なカメラワーク。前半・後半で分かれる構成など、どれもが美しくて巧み。悲劇と再生を描いたドラマとしてとても感動した」などがありました。一方、批判的な意見としては「音楽や映像表現はすごいと思うが、それがドラマとうまく結び付いてるとは思えない」とか「悪くはないがやや冗長とか」ですね。「歌詞の字幕が出ていても、それが登場人物とどう結びつくかがよく分からなかった」などがありました。まあたしかにね、訳は省略もしてますしね、ダイレクトというのとはまたちょっと違ったりするかもしれない。

「演出、撮影、音楽、ストーリー、全てが見事に計算され尽くした素晴らしい作品」byリスナー

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「娘の名前はレイチェル」さん。「僕にとって『WAVES/ウェイブス』は見る前のイメージを良い意味で大きく覆してくれた、本当に素晴らしい今年ベスト級の一作でした。巷ではプレイリストムービーなどと言われていますが……」。まあ、監督本人もね、その意図で作っているというのは高橋芳朗さんのインタビューでも言われていましたが。

「円満な家族にある日、突然訪れる悲劇と、そこからの再生をとても静かなトーンで叙情的に描いたオーソドックスなドラマにまず感動。特に序盤では不快にも思えた、回るカメラの演出が、後半再度映し出された時には『ああ、前はあんなに幸せだったのに……』と涙が止まりませんでした。登場人物の心情の変化とスクリーンサイズの変化を連動させる斬新な作りや、ここぞというところでの泣かせのレディオヘッドの使い方など」……クライマックスのところでのね、あのモンタージュね。「演出、撮影、音楽、ストーリー、全てが見事に計算され尽くした素晴らしい作品だと思います」とかですね。

あとね、ラジオネーム「カメレオンヘッド」さんは、「自分は好きなポップミュージックを劇場の音量で聞ければいいや的な軽い気持ちで見てきたのですが、思ったよりも自分にとって大事な1本になってしまいました。日本の片田舎で趣味が合う人間もいない中、海外のポップミュージックを趣味としてきた自分は、劇中で流れてくる曲のひとつひとつに対して思い出される、当時どんな背景を持って発表されたかや、その曲がアーティストにとってどんな意味を持つのかといった情報が劇中のタイラーやエミリーの立ち位置や感情を読み解く補助線となり、ストーリーから受け取る感情を一層ドライブさせることができました」。

これ、カメレオンヘッドさんはある意味理想的な『WAVES/ウェイブス』の観客ということかもしれませんね。「この映画体験のおかげで、周りに自分が聞くような音楽を聞く人間がいない中、疎外感を感じていた自分は、『自分がタイラー・ザ・クリエイターやカニエ・ウェストを追っていたのはムダじゃなかったんだ』という気持ちになることができました。

しかし日本においてクローゼットなセクシャルマイノリティとして生きる自分が、劇中のフランク・オーシャンの使い方のように青春のサウンドトラックとしてフランク・オーシャンを使っていたことや、現実において自分の兄と良好な関係を築けていないことなど、自分の実人生と映画がマッチしすぎたことによって過度に思い入れすぎている面も当然あるとは思います」という。まあまあまあまあ、その実人生と重なってジャストミートした、っていうのは、映画体験の非常に重要な部分ですからね。素晴らしいことだと思います。

一方ですね、ちょっとそれとは裏表の関係だと思いますが。批判的なメールもご紹介しておきましょう。「Drop Da Bomb」さん。「いやー、『WAVES/ウェイブス』というその名の通り、寄せては返すゴージャスな音楽とキラキラした映像にひたすら身を任せた2時間余り。満腹感はあるものの、最近気になって仕方がなかった問題に直面させられて素直に心満たされなかった感じかな。映画におけるポップミュージックの比重が、これほど大きくなったのはいつごろからなのか? 正直、音楽の力に頼りすぎじゃないかと思ったりする」という。

で、ですね、「今の時代はこういう描かれ方をするしかないところもある」というのはいろいろ考察していただきつつ、「これだけ映画がインターナショナルなものになり、本当に世界の各地の作品を楽しめる環境がある中、一見ラッセンの絵みたいに誰が見てもキレイだねという作品観を作りつつ、実はフランク・オーシャンという非常に面倒くさいアーティストの信者および、彼の素晴らしさを劇場で理解できる人が真のターゲットであるという、極めてローカルでプライベートな作品じゃないかな、この『WAVES/ウェイブス』という作品は」というドロップ・ダ・ボムさんのご意見でございます。

あとですね、「ユーフォニア・ノビリッシマ」さん。これ、ちょっと時間がないので省略させていただきますが。私、後ほど、先々週評しました韓国映画『はちどり』との関連についてもちょっと触れようと思うんですが、ユーフォニア・ノビリッシマさんにいただいたメールにもそのことが書いてありました、という件であるとかですね。あとですね、ラジオネーム「固まる胡椒」さんの、「うまくいった『ヘレディタリー』(家族目線)」っていう、アリ・アスターとの共通点というあたり、このあたりもちょっと触れるかもしれませんので。ということで、行ってみましょう。皆さん、メールありがとうございました。

■「実はかなりクセの強い人」トレイ・エドワード・シュルツ監督

WAVES/ウェイブス』、私もTOHOシネマズ日本橋で2回、見てまいりました。あとまあ、高橋芳朗さんの(トレイ・エドワード・シュルツさんへの)インタビュー、あれを録ったのが4月だったので、その前に1回、実は拝見していたのですが。

ということで、アメリカでは昨年11月公開されて、日本では今年4月に公開される予定だったのがコロナ延期となり、ようやく劇場にかかることになった『WAVES/ウェイブス』、ということです。

音楽に関する話はね、高橋芳朗さんによる監督インタビューを76日にオンエアーしましたので、ぜひそちらを参照していただきたいのと、あと、劇場で売られてるパンフレットで、監督自らがですね、全曲の解説を載せてるんですね。これ、本当に映画に対する最高のサブテキストですね。監督本人が解説をしているんで。これ、ぜひパンフレットを買っていただくと……パンフ、ちょっと一部、俳優さんの名前が載るべきところに載っていなかったり、気になる部分もある作りではあるんだけど、この資料はすごくいいです。

で、音楽だけじゃなくてこの作品、後ほども言いますけども、メールにもありましたけどね、画面比率、画面のアスペクト比、スクリーンサイズが段階的に変わるという、実はトレイ・エドワード・シュルツさんがこれまでの長編三作全てでやっている手法が使われてもいる、という。で、それらに関しても、その俳優陣に送られた脚本に、その音楽……プレイリストっていうね、「ここでこういう曲が流れます」というのと同じく、「画面がここで変わります、比率が変わります」っていうのも全部、脚本に書かれていた、っていうことなんで。

要は、最初から頭の中にやりたいことのビジョンがはっきり出来上がってるタイプの作り手と言えるわけですね、トレイ・エドワード・シュルツさん。実際にこの『WAVES/ウェイブス』を含め、トレイ・エドワード・シュルツさん、実は非常にこの人、クセが強いというか、本当に明確な作家性を持っている人で。今回の『WAVES/ウェイブス』だけ見るとちょっとわかんないかもしれませんけど、すごい、かなりクセが強い人です、この人。

さっき言ったようなですね、画面のアスペクト比を変えるという作りなど、手法的な部分っていうのもそうですし。あとはその、内部から自壊していくホームドラマ、特に親との軋轢、親と子の断絶っていうのを、しかも限りなく自伝的要素込みで描く、というテーマ的な部分……たとえばそのトレイ・エドワード・シュルツさんのご自身の体験や、何なら本当にその「本人」の出演込みで、たとえばデビュー作となる『クリシャ』っていうのは、実際にそのクリシャおばさんという本当に自分の親類を出してる、っていうようなところとか。

つまり、手法もテーマも、少なくともこれまでの長編三作に関して言えば、はっきりと共通する、ある意味、毎回同じように自分と自分の家族の話を共通するタッチで描いている人、とも言えるっていう。そのぐらい結構極端な人なんですね。さっき言ったように、『クリシャ』、最初は2014年の短編、で、それを長編化したのが2015年の『クリシャ』っていう作品で。僕は今回、輸入DVDをですね、実はこんなこともあろうかと思って(笑)、早めに取り寄せて見ておいてよかった!っていう感じですけど。

これ、本当に自分のこのクリシャおばさんというおばさんが出演していて。で、自分も出演しているし、あと、自分の親族も出演しているし、っていうことで。で、その自分たちの実体験を映画化して、っていうことで、ほとんど自伝的な作りというかね。それでなおかつ、舞台となる家があるんですけど、これ、家は実際は違う家を使っているんだけども、今回の『WAVES/ウェイブス』で出てくる、舞台となる家と、家の作り……この入口があって、玄関があって、回っていく階段があって、2階があって、とか。

なんかね、構造があえて似たものを、要するに『クリシャ』と似た感じの家を……これ、監督ご自身が仰ってることなんだけど、あえて『クリシャ』と同じように見える家を使っているっていうんですよ。とかですね、後は二作目、2017年の『イット・カムズ・アット・ナイト』。これ、広い意味で言うパンデミック物なんだけども、これもやっぱり今回の『WAVES/ウェイブス』と通じる、そのマッチョなお父さんが、マッチョなお父さんゆえに、いろいろ家族を守ろうとするんだけど、結果としてそれが、何て言うか、子供のことはちゃんと見ていないってことになってしまうというか、そういうようなことを描いている作品でもあって、ということで。

とにかくですね、毎回ある意味同じように、自分と自分の家族の話をやっている。しかも、手法も重なっている。ということで、まさにこれが「作家性」ですよね。そんな強烈な個性というのがあったりする、ということで。まずは非常に興味深い方なんですね、トレイ・エドワード・シュルツさんという方が。映画監督として。

■作品の中に私小説的と言っていいほど実人生を色濃く反省させている

で、今回の『WAVES/ウェイブス』も、トレイ・エドワード・シュルツさんご自身の高校時代……たとえばね、レスリングで肩をケガして挫折した、今までずっと練習を積んできたのがムダになっちゃった、とかですね。

あとはその、恋人との思い出。旅行をした、ロードトリップの思い出だとか、あとはその恋人とモメた後に、自分の部屋を暴れて壊しちゃった、とか。あとは、たとえば長年会っていなかったという父親……それも、やはり非常にマッチョで、これはあの『WAVES/ウェイブス』の劇中にある通り、一緒にウエイトトレーニングとかをしていたようなお父さん。で、長年会っていなかったお父さんが、ガンで亡くなるまでを看取った経験とか。

だから要するに、今回の『WAVES/ウェイブス』の劇中で、2人出てくるお父さん。あれは要するに、両方ともそのご自身のお父さん像の反映でもある、というね。しかもですね、これは「Fan’ Voice」というところのインタビューによればですね、その時の様子……要するにお父さんを実際に看取った様子を撮った動画を、俳優陣に送って参考にさせた、っていうんですよ。っていう……なかなかですよね、これね?

ということで、実はものすごく、ほとんど私小説的と言っていいほど、シュルツさん自身の実人生要素が色濃い作品なんですね。で、そのご自身の家族との実人生、あるいはその恋人との思い出のトラウマを作品に塗り込める、という意味では、同じA24組、アリ・アスターさんと、たしかにちょっと近いところはあるぞ、と。映像タッチはちょっとバリー・ジェンキンス風なんだけど、本質はアリ・アスター的、っていうところがあるという。

■ポップでカラフルな序盤を見て、「なんでこんなリア充が調子こいているところを見せられなきゃいけないわけ?」

で、ですね、今回の『WAVES/ウェイブス』。お話としては、特にやはり1980年のロバート・レッドフォード監督『普通の人々』的な感じですね。あれを想起させるような、要するに裕福な上流中産家庭というか、それが内部から自壊していく。特に親と子の断絶、あるいはその夫婦間の断絶によって、内部から自壊していく、機能不全に陥っていく、というタイプのホームドラマ。で、それを今回の『WAVES/ウェイブス』は、徹底してその子供側、子供から見た世界、子供側の主観で描いていく、というタイプの作品だと思ってください。

ただですね、序盤は……さっきから言ってるように、プレイリストムービーと言っているぐらいで、まあ豪華ポップミュージックが流れまくるわけですね。非常にポップでカラフルなタッチ。舞台がフロリダっていうのもありますしね。陽光あふれる中で。で、あとはその、美術なども含めてですね……たとえばあのタイラーくんの家のカーテンが、すごくきれいなカーテンの色だったりとかして、画面のあちこちに、やっぱりレインボーカラー的なものが配されて。

時にはショットの合間にですね、これはたぶんポール・トーマス・アンダーソンの『パンチドランク・ラブ』のオマージュというか、あれを参考にしてる感じだと思うんですけど、登場人物の心情的テンションを表すかのように、色のグラデーションが、非常に抽象的な感じで、ショットとショットの間に映し出されたりもする、という感じで。しかもそれが、エンドクレジットでは、最後はいろんな色のグラデーションが全面展開される。つまり、いろんな人が、いろんなことを思いながら織りなしているこの世界、というものを示すような感じの演出になっている。非常にシンボリックな演出になっていたり、という感じで。

まあとにかく、特に序盤はポップでカラフルだし、この時点でのその主人公タイラーくんの日々はですね、まあとにかくイケイケ! 彼の自信と生活の充実ぶりというものを示すかのように、カメラワークも、ものすごいスピード感なんですね。ガーッとカメラが走っていったり、ガーッとパンしたりとか、非常にカメラワークもスピーディーで、まさしく……もう俺、最初に見た時は、「こんな、本当に『リア充』ってこのことだよね! なんでこんなリア充が調子こいているところを見せられなきゃいけないわけ?」って最初は思っちゃったぐらい、何ひとつ欠けるものがない人生のように見える、という。少なくとも表面的には、っていうね。

たとえばその、アニマル・コレクティヴっていうねグループの「FloriDada」という曲に乗せて、美しい恋人を助手席に乗せながらノリノリでドライブする姿を、先ほどのメールにもあった通り、360度グルグル回るカメラで、非常にハイテンションで見せたりしていくわけです。ちなみにその車内をぐるっと360度見回すカメラワーク……しかもですね、この最初の部分では、「FloriDada」という曲のまさに「ブリッジ」部分の歌詞ともシンクロをするかのように、「橋を渡っている」んですけど。

そのシチュエーションは、先ほどのメールにもあった通り、映画後半、というか、第三幕目にちょうど入るところで、再び、違う人物、違うシチュエーション、違う場所で繰り返される、っていうのがあるんですけど。

■ウォン・カーウァイ監督『恋する惑星』の構成を借用した前後半のシンメトリー構成

事程左様にですね、この『WAVES/ウェイブス』という作品は、今言ったところとかもそうですし、あとは「車の窓から顔を出す」とか、あとはお風呂に向かい合って入る、っていうのもあるし……1人で入るっていうのもあるんだけど、そのお風呂に入るとか、その横顔であるとか。

あるいは、高橋芳朗さんも指摘されていたように、ダイナ・ワシントンの「What Difference A Day Makesという、邦題は「縁は異なもの」というものがついてたりもしますが、あの曲が、前半と後半で2回流れて、そのニュアンスが対照的に響く。これ、ヨシくんも言ってましたけどね。ちなみにこの「縁は異なもの」が使われた過去の映画といえば、ウォン・カーウァイの、あの1994年の『恋する惑星』っていうのがすごい有名なんですね。トニー・レオンが途中で、飛行機(のオモチャ)でワーッとやるところで流れるんですけど。

トレイ・エドワード・シュルツさん、案の定というべきか、『恋する惑星』がすごい好きで、この選曲のみならず、映画全体の構成も、はっきりもう『恋する惑星』のある種引用というか、まあその、構成を借用していますよね。とにかくこの『WAVES/ウェイブス』、今言ったように、その『恋する惑星』同様ですね、ちょっとこれはネタバレチックになりますが、実は二部構成なんですね。で、その上映時間のちょうど真ん中あたり、そこあたりを中心にして、割とキツいポイントを中心とした、シンメトリーな構造になっている、ということなんですね。

■他人に弱みを見せられないタイラーくん。やがて遭遇した悲劇のとき、父親の表情は……

とにかくその、さっきから言ってるように序盤のタイラーくん、およびその一家も、リア充そのものに見えるわけです。ただしですね、特にやはりそのタイラーくん自身がですね、その外ヅラのパーフェクトさを自分にも求めてるし、求められている、という、この時代、この世代ならではのプレッシャー。あのね、イケてる写真を撮ってSNSに上げるとか、これだってあれだって、楽じゃねえだろうな、って思って見ているし。

特にやはりお父さん……これ、スターリング・K・ブラウン。『THIS IS US』とかね、あとはやはり『ブラックパンサー』のエリック・キルモンガーのお父さん役も印象的でした、スターリング・K・ブラウンが演じる、全てをマッチョにコントロール、支配しようとするその教育方針……ただ、このお父さんがこれだけマッチョに突っ張ってるのも、彼が途中で言う会話から察するに、アフリカ系アメリカ人として何世代もかけてこの裕福な環境っていうのを作ってきたんだから、気を抜くなよ、っていう、やっぱりアフリカ系アメリカ人として、常に気を張っていないとっていう、その立場もあるんだ、っていうことなんですよね。

だから、ちょっと人種問題も多少はここに入ってきてるわけですけど。で、そういう非常にマッチョな教育方針に対して、タイラーくんも全面的に従い、影響されている様子というのが、やはりちょっと若干、息苦しいし、危うさも感じさせる。タイラーくんのその、染めた金髪であるとか、あるいは演じるケルヴィン・ハリソン・Jrさん、これ、『イット・カムズ・アット・ナイト』から引き続いての出演ですけど、彼自身のオリジナルだという、あのピアノ演奏とかがありますよね。それはどこか、やっぱりその父親のわかりやすいマッチョ性とは異なる、「本当の自分は違うんだけどな……っていう、その繊細な内面の表れであるようにも見えたりもするという感じなんですね。

で、途中でいろいろあって、MRI「ガッガッガッ!」っていう。この番組でこの前、オープニングでも話しました、あの独特のリズミカルなノイズ音を、エイサップ・ロッキー「LVL」のあのイントロと重ねるという、非常に鮮烈な演出を挟んで、タイラーくん、先ほど言ったようにトレイ・エドワード・シュルツさんの若き日の実体験を元にした、彼の立場からすると本当に「世界の終わりだ!」っていうぐらいの、要するにレスリング選手としての生命の危機を告げられる、という。

で、ここで満を持して……これまでは既存のポップミュージックがすごくポップに流れてたんだけど、満を持して、トレント・レズナーとアッティカス・ロスさんコンビの不穏な劇伴が流れだす、という非常に周到な演出をしている。で、そこから、先ほどから言ってるようにスクリーンサイズの、画面アスペクト比が変わるわけです。上下がちょっと狭くなる。それまでは1.851のアメリカンビスタだったのが、上下が縮まって、たぶん2.351のシネスコサイズになって。ちょっと縮まるわけですね。

しかし、もうケガしちゃってるわけなんですけど、さっきから言っているように、全てにおいてコントロールされた、完璧を要求するという主に父親のプレッシャーがある中、両親を含めて、要は他の人に弱みを見せることをよしとしない、それがうまくできないっていう……まあ、これは多かれ少なかれ、僕を含めた大半の男性が、世界的に抱えている問題でもあるわけですけど。僕もやっぱり、弱みを見せるのが上手い方じゃないな、って自分でも思いますけど。

まあ、そのタイラーくん、弱みを見せられない彼は、肩の致命的な損傷を、クスリと酒でごまかしながら、試合に臨んでしまう。で、当然これは、決定的に肩をダメにしてしまう、ということになる。それで救急車に乗せられるわけですけど、それを見守るお父さん……お母さんはしかもね、義理のお母さんだったりして、なかなかここも複雑なんですが、要はお父さんがですね、いたわりとか、「気付いてあげられなくてごめんね」っていうような後悔の念が感じられるような目線ではなく、ただただ物事が思い通りにならなかった苛立ち、失望だけがうかがえるような表情をしてるわけです。

で、それを見たタイラーくんのこの表情っていうのが、一番痛ましくて。「その顔が見たくなかったから言えなかったのに……っていう。これね、ケルヴィン・ハリソン・Jrさんの泣き顔が絶品なんですけど。ここでのもう、絶望の号泣が本当に痛ましいんですけど。で、その後ね、彼は、さらに恋人の妊娠が分かって……これは多分にお父さん譲りの、マッチョな「俺の言うことを聞いとけ」体質ゆえに、ちょっと彼、彼女は彼女で大変なのに、彼女こそ大変なのに、ひどく利己的な対応しかできなかった、ということで。

後半では、「主要男性キャラクターたちが泣く」ことで自己開示、相互理解、許し合いへと向かっていく

これもね、特に高橋芳朗さんが指摘されていました、H.E.R.の「Focus」という曲、場面の始まりと終わりで、曲のニュアンスが180度違って聞こえる、というね。すさまじい場面でしたけども。完全に破局してしまい、気づけば序盤で手にしていた全てを失ってしまったように見えるタイラーくん。それで唯一、彼が人前で泣く、弱み、心情心情を吐露する相手が、後半の主人公エミリー……こんな感じで、その後半の主人公、妹のエミリー、彼女の前で、「主要男性キャラクターたちが泣く」っていうのが、特に後半、大きなポイントとなっていく作品なんですね。

ということで、自暴自棄となったタイラーくんが、みるみる奈落の底へと落ちていき、結果最悪の事態が起こる。そこから画面は、正方形に近い、いわゆるスタンダードサイズ、1.331になってですね、恐らくここは16ミリフィルム、もしくはその質感を模した感じで、ザラッとした感じになって。だいぶくすんだ感じになっていく。画面の感じも変わっていく。ということで、強くあろうとした父親がね、それゆえに息子のことをちゃんと見ていなかったことによる悲劇、というのは、『イット・カムズ・アット・ナイト』と同じテーマとも言えるし、僕は、日本の『葛城事件』を強く連想したりもしたくだりでしたけど。

しかしこの『WAVES/ウェイブス』は、さらにその先……後半、妹エミリーの視点に移ってから、つまりそうしたマッチョな男たち、家父長制的支配のプレッシャーで自らをも縛ってきた男たちが、いかに自分の弱さをさらし、自己開示し、そのことによって他者の弱さを受け入れ、許すことを知っていくかという、要は支配、対立、憎しみを超えて、自己開示、相互理解、許し合いへと向かっていくかっていう、そういうプロセスを、声高にではなく、静かに粛々と描くことになっていく。

で、エミリーの心が開かれていくに従って、アスペクト比も再び、1.331から2.351、そして1.851へと開かれて、元に戻っていく。で、そこでのですね、いわば触媒的な役割を果たす、あのルーカス・ヘッジズ演じるルークさんね……役名が本人の本名とだいたい一致してるところもやっぱりね、このシュルツさんの作風っぽいですけどね。全くマッチョ的なところがない男、不器用だけど誠実、っていうところも本当に素敵ですね。あのベッドシーンの、ものすごい本当っぽいやり取りとか、笑っちゃいましたけどね。

あとはそのクライマックスね。やはり先ほどのメールにもあった通り、レディオヘッド「True Love Waits」の、非常に感動的なモンタージュ。ここで初めて視点が、エミリーとかタイラーから離れて、「みんな」の視点になる、それぞれの視点になる、というところもすごく……視点がちょっとフッと上に上がるところ、ここも非常に巧みだったと思います。

見た目のチャラさに対して、なかなか深くて重い映画

と、いうことでですね。家父長制的な、マッチョな社会構造の中で、男たちも幸せになれない、弱みを見せられない、幸せじゃない。そんな男たちが、「人前で泣く」瞬間が印象的に配される。そこに男性たちの救いも垣間見せている、という点で、やっぱり僕は『はちどり』とも通じるテーマを扱っているとも思いました。はい。ということで、この後半部分は、監督にとっては一種、セラピー的な作品、ということになってるんじゃないでしょうか。

ということで今後ね、トレイ・エドワード・シュルツさんがどういう作品を作っていくのか?っていうのも非常に興味深いですし。色、音、スクリーンサイズ諸々を、「体感」してナンボなので。見た目のチャラさに対して、なかなか深い、重い映画です。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『アルプススタンドのはしの方』……を、まさかの山本アナがチェンジ! 結果、『悪人伝』に決まりました)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャパートにて)

山本匠晃:ありがとうございます。今、メダルを入れました。よいしょ、コンコロリーン! ええと、『アルプススタンドのはしの方』。もう一度、回します(あっさり)。

宇多丸:おお、マジか!? 今日はなんでそんなあっさりなんだ!? おいおい!

山本匠晃:はい……(ガチャを回し直して出たカプセルを見て)悪人伝』行ってみよう!

宇多丸:ああ、いいね。ああ、そっち? わかりました(笑)。

山本匠晃:マ・ドンソク!

 

「2020年の夏を彩るおすすめ新作アルバム〜AOR/シティポップ編」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム(2020/07/31)

「2020年の夏を彩るおすすめ新作アルバム〜AOR/シティポップ編」

2020年の夏を彩るおすすめ新作アルバム〜AOR/シティポップ編http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200731123752

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

高橋:本日のテーマはこちら! 「2020年の夏を彩るおすすめ新作アルバム〜AOR/シティポップ編」。夏のリスニングにおすすめのアルバムをここ最近の新譜から紹介していくシリーズ、先週のR&B編に続いて今週はAOR/シティポップ編をお届けしたいと思います。すべてアルバムとしてじっくり聴き込めるものを選んでいるので、もしこれからかける曲が気に入ったらぜひアルバムまるごとチェックしていただきたいですね。

では、さっそくいってみましょう。一曲目はHONNEの「loving you is so easy」。7月3日にリリースされたニューアルバム『no song without you』の収録曲です。HONNEは2015年にデビューしたロンドン出身の男性デュオ。彼らは大の親日家でユニット名の「HONNE」は日本語の「本音」からきています。

スー:すごい! まさかと思っていたら本当にそうなんだ!

高橋:うん。ちなみに自分たちで主宰しているレーベルの名前は「Tatemae Recordings」です。つまり本音と建て前(笑)。

スー:アハハハハ、最高!

高橋:彼らはアートワークにも日本語を使っていたりするんですよ。音楽的にはかつてのAORサウンド/シティポップサウンドを現代のエレクトロミュージックを通して表現していて。毎回甘いメロディのグッドミュージックを届けてくれるんですけど、今回のアルバムも安定の素晴らしさです。

M1 loving you is so easy / HONNE

スー:かわいい曲だね!

高橋:アニメ仕立てのミュージックビデオもすごくかわいいのでぜひ併せてチェックしてみてください。二曲目はヤング・ガン・シルヴァー・フォックスの「Kids」。こちらは3月にリリースされたニューアルバム『Canyons』の収録曲です。ヤング・ガン・シルヴァー・フォックスは2015年にデビューしたイギリス人とアメリカ人の男性デュオ。往年のAORサウンドを忠実に再現した音楽性でその筋から厚い信頼を得ているアーティストなんですけど、今回のアルバムもパッと聴きはほとんどドゥービー・ブラザーズやスティーリー・ダンの未発表アルバムみたいで。

スー:アハハハハ! そこまで言う?

高橋:スーさん言うところの「懐メロの新譜」ですよ。

スー:なるほどね。わかったわかった。

高橋:70年代西海岸サウンドの驚異的な再現度の高さ、じっくりご堪能ください。

M2 Kids / Young Gun Silver Fox

スー:フフフフフ、すごいねこれ!

高橋:うん。AORに詳しい人だったら元ネタを考えながら聴いてみるのも楽しいと思います。

スー:もう曲が始まってから最初の3音ぐらいで「これは懐メロの新譜だ!」ってなるもんね。

高橋:続いて三曲目。これもまたおもしろいアーティストなんですけど、トニー・ベネットならぬドニー・ベネットの「Girl of My Dreams」。5月22日にリリースされたニューアルバム『Mr. Experience』の収録曲です。ドニー・ベネットは2011年にデビューしたオーストラリア出身のシンガーソングライターにしてマルチプレイヤー。80年代のAORやディスコを深い愛情とある種の諧謔精神をもっていまに伝えるアーティストで。そのあたりはサウンドのみならずアートワークやミュージックビデオも確認していただければよくわかると思うんだけど……ジャケットもインパクトあるでしょ?

スー:この人、何歳ぐらいなんだろう?

高橋:それが年齢不詳なんですよ。ただ、悪ふざけしつつも曲自体はめちゃくちゃよくて。これから聴いてもらう曲も口笛入りメロウAORの傑作といっていいでしょう。ボーカルも決してうまくはないんだど、聴くほどに癖になる不思議な魅力があるんですよ。シュールなミュージックビデオと併せてお楽しみください。

M3 Girl Of My Dreams / Donny Benet

スー:ちょっと心もとない歌い方が最高に好き!

高橋:ドニー・ベネットにはこの機会に人気者になってほしいのでもう一曲さわりだけ聴いてもらいたいんですけど、2018年に「Konichiwa」なんてタイトルの曲を出しているんですよ。

スー:あっ、かっこいい!

高橋:そう。バッキングはおそらくマクファデン&ホワイトヘッドの「Ain’t No Stoppin’ Us Now」あたりをモチーフにしていると思うんですけど、いきなり歌い出しから甘い声で「コンニチワ〜」って(笑)。ただこの曲、いまをときめくザ・ウィークエンドが最新アルバム『After Hours』のインスパイア源のひとつとして挙げていて。

スー:ええーっ?

高橋:さっきの「Girl of My Dreams」同様、これもミュージックビデオがなかなかの怪作になっているのでご一緒にぜひ。ドニー・ベネットはほかの曲も一聴の価値アリです。

スー:うん、これはちょっとチェックします!

高橋:最後はクロスケの「Moscato」。こちらは3月に日本盤がリリースされたアルバム『The Tales of Rose & Wine』の収録曲です。クロスケは2018年にデビューしたインドネシア出身のミュージシャン、クリスチャン・アリオ・ウィボウォのソロプロジェクト。インドネシア発のシティポップとしては以前にこのコーナーでも取り上げたイックバルが日本でも人気ですよね。

スー:うん、覚えてる覚えてる。

高橋:この曲はそのイックバルの一連の傑作にも肩を並べるキラーチューンに仕上がっています。

M4 Moscato / Kurosuke

スー:本当に今日は「懐メロの新譜」が目白押しでしたね。

高橋:フフフフフ。冒頭でも触れた通りすべてアルバムトータルで聴き込めるものばかりなので気に入った曲があったらぜひアルバムごとチェックしてみてください。

生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選- 生活が踊る歌 -TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』音楽コラム傑作選-

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当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

7月27日(月)

(11:10) Whatever Happened / Dane Donohue
(11:29) Here I Go Fallin’ in Love / Franne Golde
(11:37) Under the Jamaican Moon / Leah Kunkel
(12:13) Da Doo Rendezvous / Valerie Carter
(12:49) City Lights by the Moonlight / 惣領智子

7月28日(火)

(11:04) Emitt Rhodes / Somebody Made for Me
(11:27) Nilsson / Good Old Desk
(11:37) Roy Wood / Nancy Sing Me a Song
(12:09) Todd Rundgren / It Takes Two to Tango
(12:22) Billy Joel / You Can Make Me Free
(12:48) 杉真理 / サンシャインラブ

7月29日(水)

(11:03) Tired of Waiting for You / The Kinks
(11:28) Don’t Look Away / The Who
(11:37) Sorry She’s Mine / Small Faces
(12:15) Tell Me to My Face / The Hollies

7月30日(木)

(11:05) Twisted / Lambert, Hendricks & Ross
(11:24) My Little Grass Shack in Kealakekua, Hawaii / The Hi-Lo’s
(11:37) Let’s Fall in Love / The Four Aces
(12:14) Sometimes I’m Happy / The Four Freshmen
(12:52) All of You / The Four Lads

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