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宇多丸、『若おかみは小学生!』を語る!【映画評書き起こし 2018.10.26放送】

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宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸が前の週にランダムに決まった最新映画を自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を約20分間に渡って語り下ろすという週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこの作品、『若おかみは小学生!』

(藤原さくら『また明日』が流れる)

これ、最後に流れる藤原さくらさんの『また明日』という曲なんですけども。これ、編曲はmabanuaですからね。私ども、RHYMESTERの『Future Is Born』でもおなじみです。

累計発行部数300万部を誇る人気児童文学シリーズを映画化。交通事故で両親を亡くした小学6年生の女の子「おっこ」は祖母の経営する旅館「春の屋」に引き取られ、若おかみの修行を始めることに。修行の中で、宿に住み着く幽霊やライバル旅館の跡取り娘や……これ、まさに(当日のライブコーナーゲストの)水樹奈々さんが声を演じられていますが、宿を訪れるお客との出会いを通して、おっこは少しずつ成長していく……。

監督はスタジオジブリ作品で作画監督を務め、『茄子 アンダルシアの夏』以来15年ぶり……その続編の『茄子 スーツケースの渡り鳥』もあったけど。とにかく久しぶりに長編劇場アニメを手がけた高坂希太郎さん。脚本は、『けいおん!』『ガールズ&パンツァー』『夜明け告げるルーのうた』などなどのヒット作を数多く担当する吉田玲子さんでございます。声の担当は小林星蘭、水樹奈々さん、そして山寺宏一さんなど、となっております。

そしてリスナーのみなさん、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「多め」。ああ、そうですか。決して公開規模も大きくないという感じですけども、口コミとね、やっぱり熱量がすごいですね。毎週リスナーメール、リクエストをいっぱいいただきましたから。そして全体にメールが長いというか黒いというか、熱量がすごいメールが多かった。賛否の比率は、賛(褒める意見)が9割、否(否体的な意見)が1割。

主な褒める意見としては、「ナメていたアニメが大傑作だった」「子供から大人まで劇場ではすすり泣き&大喝采」「大切な人との別れ、大人になること、残酷な現実と向き合い方など、人生の普遍的なテーマを説教臭くなく描いた演出が見事」「生き生きとしたキャラクターの動きや表情の変化など、アニメーションとしても見ていて心地よい」といったご意見ございました。否定的な意見としては「泣いた、というより泣かされたというだけで感動はできなかった」とかですね、「小学生のおっこがあまりにも物語に都合よく物事を飲み込んでく様に違和感を覚えた」というようなご意見がございました。

■「子供だましなどの小細工はせず、真剣に子供たちに向けてつくられている」(リスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「アズ」さん。「『若おかみは小学生!』、拝見いたしました。劇場4回、テレビシリーズ1周、原作はまだ未読です。結論から言って大傑作でした、お仕事物としても人情物としても非常によくできていました。また、この作品の最も素晴らしいと思う点は、徹頭徹尾子供向けに作られているところだと感じました。『子供向け』というのは『子供だましなどの小細工はせずに、真剣に子供たちに向けて作られているもの』という意味です。そうした子供向けという体裁を持ちながら描かれる仕事観や死生観にとても胸を打たれました。

特に死生観については非常に絶妙なバランスで描かれており、この作品に通底するテーマを見事に表現していました。この死の匂いと生の希望というテーマは高坂監督の過去作『茄子 スーツケースの渡り鳥』でも描かれていました。こうした作り手の姿勢は作画にも影響があるように思えます。この作品を見た方で少しでもアニメに興味がある方なら、作画のきめ細やかさに舌を巻くことでしょう」。これ、後ほど私もこの件について言いますけどね。「……兎にも角にも、そうそうたる実力派の人たちが集まり、一切の手を抜かずに細部に至るまで気を配られた作品がしっかりと子供向けに作られていることにいたく感動いたしました」というご意見でございます。

一方ダメだったという方。「ツキナミ」さん。「『若おかみは小学生!』、はじめは全く興味がなかったのですが、嵐のように絶賛されてるのが気になり鑑賞しました。そして『泣き腫らした』という感想の多い中、僕は全く泣けませんでした。これが絶賛されていることに恐怖すら感じました。冒頭、車内での両親のやり取りを見ていると、舞台となる旅館にそこまで思い入れも接点もなかったおっこが最終的には旅館の掲げる理念まで語るようになる姿に強い違和感を覚えました。物語を創作する上で、また人が成長する上で語られるべき悩みや迷い、葛藤が描かれないまま、とにかく美辞麗句を並べただけの内容に感じました」とか、まあいろいろ書いていただいております。

「……そして幼いおっこには大人の都合良い理想を押しつけて、それでひたむきに盲目的にがんばるおっこを見て感動するのはなんだか違うなと思いました。物体が反射したところまで丁寧に描きこんだ映像にはこだわりを感じただけに、とても残念です」というようなご意見でございました。

■『茄子 アンダルシアの夏』ファンとして見たかった一作

はい。ということで『若おかみは小学生!』、私もバルト9で2回……まあ、どちらも深夜回だったんですけどね。深夜回で、この規模の映画にしては、ちょっとシアターがデカすぎじゃないかな?って思うぐらいで。まあ深夜回、決して人は多いとは言えなかったですし。あと、子供向けという体裁でもちろんやってるんだけど、来ているのは基本的に、申し訳ない、おじさんが多かったですけどね。

といったあたりで、8月21日ですかね。この番組の6時半台「カルチャートーク」で、アニメ評論家の藤津亮太さんが、「これから公開される劇場アニメのオススメ作品」という中で、最後の方でチラッと触れていたという作品ですね。で、その時点では僕も、「あの高坂希太郎さんの久々の監督作ならすごい見たいです」という風に言っていたし、思っていたんですけども。

というのも、もちろんアニメーター、作画監督としての高坂さんの歴史的仕事の数々、まあジブリの名作の数々、それもさることながら、その高坂さんの劇場長編監督作『茄子 アンダルシアの夏』。これ、2003年の作品。それとその続編『茄子 スーツケースの渡り鳥』。これは2007年ですね。だから「15年ぶり」ではないんじゃないかな?(※宇多丸註:この件、後ほどのガチャ回しパート前に、補足というかフォローが入ります)

茄子 アンダルシアの夏 茄子 アンダルシアの夏 茄子 スーツケースの渡り鳥 茄子 スーツケースの渡り鳥

特にやはりですね、一作目の『茄子 アンダルシアの夏』がですね、僕はもうすごく好きで。その作品自体をどう評しているか?っていうのは、『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』っていう僕が出している単行本の、「自転車」っていう項目でちょっとだけ書いているので、興味がある方はそちらをぜひ参照していただくとして。ただ今回の『若おかみは小学生!』はですね、まあ公開後も各所からね、大変な熱量の高評価みたいなのは伝わってきたんだけど……まあ原作が女児向けの児童文学ということもあって、パッと見の絵面的に、正直僕、個人的な好みの方向としては、ちょっととっつきづらいというか、ちょっと食指が動きづらいところは正直、あったんですね。

ライムスター宇多丸の映画カウンセリング ライムスター宇多丸の映画カウンセリング

実は高坂希太郎さん自身、最初はなじみのない女児向け児童文学ということで抵抗があった、という風にあちこちのインタビューでおっしゃられているという。ちなみに、火曜パートナーの宇垣美里アナはリアルタイム読者世代だったという。「懐かしい!」なんてことを言ってましたけども。まあともあれ、今回ですね、ガチャが当たる前に1回すでに、先週見に行っていたんですけども。その後、令丈ヒロ子さんの原作小説20巻+スピンオフ4巻、全巻購入いたしまして。さすがに全部を熟読するところまではいかず、今回の映画版と関係ありそうなところだけピックアップして読んでいく、という感じにはなってしまいましたけども。

若おかみは小学生! 花の湯温泉ストーリー(1) (講談社青い鳥文庫) 若おかみは小学生! 花の湯温泉ストーリー(1) (講談社青い鳥文庫) 小説 若おかみは小学生! 劇場版 (講談社文庫) 小説 若おかみは小学生! 劇場版 (講談社文庫)

あと、この4月から9月までテレ東系で放映されていたテレビアニメ版、全24話も、主に映画版と重なるところを後追いでピックアップして見て。なおかつ劇場版のノベライズ小説を読み、同じく吉田玲子さん脚本で、本年度劇場アニメでやはりとても非常に評価の高かった『リズと青い鳥』も、この機会に再上映を見に行って……からの、さらにもう1回本編を見直して、という。その現段階で言える私の結論はというと……まあこれはね、悔しいかな、みんなが褒めてる中でこれを言うのは悔しいけど、やっぱり、食わず嫌いせずに見てよかった!

■長い原作を映画用に再構成した脚本がまずお見事

なるほどこれは、まるでね、まさにその劇中の旅館・春の屋さんのおもてなしのように、一見地味なようで、細部まで丁寧に丁寧に気を遣って作り上げられた……そして、大変に抑制のきいた、非常に品よく抑えられた演出。だからこそ、見るものの感情、そして涙腺を、もう深い部分で刺激せずにはおかない、という。まあ、文句なしの傑作じゃないですかね。これね。ちょっと文句がつけづらいぐらいの傑作じゃないか、という風に私、断言していいかと思います。

まずですね、20巻+4冊ある原作小説から、その賞味90分間の長編映画用に、高坂希太郎監督自身がキモとなるエッセンスを抽出して、整理して再解釈、そして再構成してまとめた基本プロットがあって。それを、さらに脚本化した吉田玲子さん……まず、このお二方の、映画化に向けてお話を組み立てるこの手際がまず、何しろ本当に素晴らしいですね。原作を読ん後だとさらに感じますね。原作はですね、巻を追うごとに、どんどんどんどん荒唐無稽度というか、ちょっとファンタジー要素が、ガンガン大きくなっていくんですね。で、そういう言ってみればライトなテイストの方は、放送時間帯からして完全に児童向けの、テレビシリーズの方に託している。まあ、テレビシリーズの方が原作に忠実といえば忠実、ということ。

まあ、ちなみにテレビシリーズの方は、話としてはまだ完結、終わりきっていないところ、みたいな感じの24話なんですけども。今回の映画版では、そういうファンタジックな要素っていうのは、本当に最小限度に抑えられてます。で、その一方で、両親を交通事故で亡くしたっていう、まあその重く悲しい主人公おっこちゃんの現実が……今回の劇場用に付け足された、なかなかに過酷な、もう観客の感情をもキリキリと締め上げてくるような鬼クライマックス、鬼エピソード。もう、「うわっ! 勘弁してくれ……」っていうね、ちょっとハードなクライマックスが加えられていて。まあ、それとも相まって、より大きな比重を持って扱われているわけですね。

で、それによってですね、でもある意味、結局は原作小説の終盤の展開、その本質を忠実に継承しているとも言える……要は、「悲しみを飲み込んで気丈に振る舞ってきたおっこが、ついにその溜め込んだ感情を表に吐き出す」、それによってひとつ、何か引っかかりを抜けるというか、段階を抜ける、というその着地がですね、より胸に迫る感動的なものにもなっている、という風に思いますね。これ、僕がいちばん連想したのはですね、『海街diary』。元はもちろん吉田秋生先生の漫画ですけど、『海街diary』、それも特に是枝裕和監督映画版の方のすずちゃん……まさに広瀬すずさんが演じているあのすずちゃんという役柄。これをものすごく連想します。

海街diary 海街diary

あれもやっぱり、親を亡くした少女が、親類のところに身を寄せて。で、一見気丈に振る舞っているんだけど、最後についに、はじめて、ずーっと飲み込んできた悲しみをバーン!って吐き出す、っていうのが、ささやかながら感動的なクライマックスになっている。特に映画版はその構造でできてる、という作品でしたね。だから『若おかみは小学生!』に感動された方は是非、『海街diary』もご覧いただけるといいかなと思います。で、ここでまた今回の『若おかみ』が上手いのはですね、いま言ったような物語の主軸……主人公のおっこちゃんが、抑えていた感情を表に出す。悲しすぎる、重すぎる現実をついに認めざるを得なくなる。その上で、その全てを受け入れた上で、前に進もうとする……というその成長プロセスが、とっても考え抜かれた、ロジカルな構成で描かれていくところ。上手いな!という風に思いました。

■3つのエピソードに託された「過去・現在・未来」のおっこ

まずね、映画全体が、あの神楽と神楽――もちろん神楽そのものは架空の神楽、神社も架空なんだけど――神楽と神楽で挟まれている。オープニングとエンディングが対になる、これ自体が非常にきれいな構成ですし。その間に、春夏秋冬、季節感の経過が描かれていく、というようなつくりなんですけど。これね、パンフレットに載っている高坂希太郎監督ご自身の説明が、なにより全てを……もう完璧な解説なんですよ、監督の言葉が。なので、もうイージーにも……自分で説明するのを放棄して、イージーにもこれを完全に引用してしまいますけども(笑)。これが本当に、説明がよくできすぎているので。

要はですね、春夏秋冬というこの季節が巡る中で、3人のお客さんに象徴される、大きく言って三つのエピソードっていうのがオムニバス的に展開される、という感じなんですけども。まず、春。最初におっこが自ら招いてくるお客さん。あかねくんという少年がいますね。まあ美少年なんだけど、ちょっとひねた感じの、あかねくん。おっこと同い年で……これは監督曰く、「現在のおっこ」を表している。現在のおっこと同じ悩みの中にいるキャラクターだ、という。まあ、要は親を急に亡くしてしまった、その現実を受け入れられないでいるという。

で、続いて夏。2人目におっこが接するお客さん。占い師のグローリー水領さんという、これはですね、「未来のおっこ」。おっこが成長したら、ああなるかも……というイメージ。未来のおっこというものをイメージしているキャラクター。そして冬になって、3番目のお客さん。3人連れ家族の子供、翔太くんっていうのは、「過去のおっこ」。これは要するに、何の心配もなく両親に甘えていられた頃の、つまりただ子供でいればよかった頃のおっこ、っていうののシンボルでもあるという。

つまり、こういう構造になっている。最初のエピソードでは、おっこが、いまの自分と似たような境遇にいる「現在のおっこ」の背中を押す。だからあれは「がんばれ、私!」とも言っているわけですよね。そして二つ目のエピソードでは、未来の大人になったおっこが、いまのおっこを……だから「がんばれ、私!」ってやったその次は、「がんばりすぎなくてもいい。あなたは子供のままでいてもいいのよ」っていう風に、「未来のおっこ」が子供のおっこを抱きしめてあげる。そして今度は、それを経たおっこ。いまのおっこが、今度は「過去のおっこ」を、自分のその過去もろとも抱きしめて……悲しいこともあった過去もろとも抱きしめて、受け入れてあげる、という。

クライマックスの場面はだから、その全てが交差して、集約されるわけですね。おっこが、そのあるショックなことが終わって、ワーッて表に行くと、グローリーさん、「未来のおっこ」がいて、おっこを抱きとめてあげて、その悲しみの全てを、ついに今度は受け止めてあげる。そしたらこっち側には、その「過去のおっこ」を象徴する、どうしても思い出してしまう悲しい過去を象徴するものがあるんだけど、おっこはそれを抱きしめて受け止め、さらにあっち側にある、要はこれから自分が現在を過ごしていくしかない春の屋側に行って、「私はこうやって生きていく」という風に宣言する、という。そういう見事な流れになっている。

そういう風に、おっこの成長と感情の解放のプロセスを構成しているという……何度も言いますけども、これはパンフレットに載っている、高坂監督自身の完璧すぎる解説を引き写しているだけなんですけども(笑)。とにかくこうして、改めて作り手自らが解説をしていただいたそういうものを聞いても、見事という他ない周到さ、的確さで構成がされてるという。で、当然その過程での、細かい描写……たとえばわかりやすいところで言うと、トカゲを見たおっこがどう反応するか? その違いでまあ、サラッと彼女の成長・変化を描く、とかも非常にきめ細かいあたりだし。もちろん、さすが高坂希太郎作品と言うべきか、全編に渡って、目にも楽しい、まさにアニメならではのカタルシス。これが溢れているわけですよね。

■両親を思い出す夢がシームレスに描かれることで生まれる緊迫感

それこそ、温泉旅館のお仕事を地道にこなす様子だけでも、なんだか「画として気持ちいい」。これはもう『アンダルシア』とかもそうです。自転車を漕いでる、画としてだけでも気持ちいい。地道にこう、雑巾がけをしているというその様子だけでも、気持ちいい。これはまさにアニメの強みですよね。だし、食べ物がひたすら美味そうに描かれるというのも、これもジブリイズムの直系といったところじゃないですか。そしてもちろん、フード演出。ご飯をちゃんと美味しく食べてもらえばわかってもらえる、という演出。さらにクライマックスは、美味しく食べてもらった上での「あれ」だから、余計にショッキングなわけですけどね。

あと、これもパンフに載っていた情報ですけども、先ほどのメールにもあった通り、卵焼きを切る包丁に、卵焼きのその断面の反射を描きこむことで、より卵焼きが実在感を持って見える、というような、そこはちょっと今回は挑戦した表現ですなんていう、そんな細かいところまでやっていたりする。あと、空中をグルグル、フワフワフワフワ回っているこのウリ坊、その動き自体もすごい気持ちいいですし……そのウリ坊越しに、部屋にいる他の人物たちを俯瞰で捉えたりとか。で、そのウリ坊がずっと回ってたりとか。何気に複雑なレイアウトの画面があったりとか。

あと、非常にメリハリのきいた明暗使いですね。暗がりをフッと入れたりとか、そういうのがすごく上手くて。ややもすると地味めになりがちな、室内というかね、温泉だけで展開する話っていうのを、飽きさせない作りにちゃんとなっていたりする。僕が印象的だったのはですね、おっこにとっては現実とシームレスに現れる、亡き両親の生き生きとした姿。これが、要はお母さんとお父さんとああやって生き生きと話していて、パッと……そこで「はっ、夢か……」みたいな描写がないまま、ないまま進むのが非常に新鮮でもあり、同時にこれはさっきも言った『海街diary』的に、「大丈夫か、おっこちゃん?」っていう不穏さ。これがひとつの物語推進力にもなっている、というような演出。これは非常にフレッシュでしたけども。

特にあの、「布団の中を潜り込んでいくと、両親2人がこっちを優しく見てて、手を伸ばしてくる」というあの主観ショット。これ、最初のほう、序盤で出てきて……後半のクライマックス、あの鬼のような展開の最中に、再びそれがスッと出てくる時の、催涙効果! まさに殺人的、泣き死にさせる気か!(笑)っていうショットですよね。あと、それとやっぱりね、あの、両親を亡くしても気丈に振る舞っていた、若おかみとして早く成長しなければ!っていう風にずーっと気を張っていた、がんばり続けていたそのおっこさんが、初めて、その1人の小学6年生女子に返って、気持ちを解放させる、というあのグローリーさんとのドライブ、そしてショッピングシーン。

ここでね、『ジンカンバンジージャンプ!』っていう、おっこさんを演じている小林星蘭さんが歌っているあの曲の、その開放感、シーンとしての軽快さと裏腹にある、そのシーンの向こうにある切なさ、重さ……というのがやはり、涙腺を激しく刺激する名シークエンス。「ああ、おっこちゃん、今日だけは子供時代を満喫してくれーっ!」(泣)っていう。と、同時に、早くから亡くなってしまったあの幽霊2人も、なんていうか、長いこと味わえなかった夏休みの遊び感を味わって……「初めて海を見た!」なんていうね。で、そこから、さっきから言っているね、胃がちぎれそうになる鬼クライマックス、このへんの凄まじさは言うまでもなく。ぜひみなさん、ご自分で見ていただきたいんですが。

■淡々と気丈に振る舞うおっこの姿がサスペンスとなっている

他にも、これもかなり終わりに近い場面ですね。あの水樹奈々さんが見事に演じられている真月さんというね、金持ち旅館の娘さんがですね、非常にクールで、それこそずーっと気丈に振る舞ってる人なんだけど、亡き姉への思い……そして実はおっこともちゃんと通じて、要は実はやっぱり、気丈に振舞っている非常に聡明な子だけども、やっぱり1人の少女として、がんばって気を張って無理をしている瞬間もあったんだ、という心情をフッと吐露する。その瞬間の、フッと虚をつかれるような、一瞬のさりげない「愛の表現」というのにもう……泣かし死にさせる気かよ!(笑)っていうぐらいでしたね。

そしてラスト。オープニングと対になったその神楽。神社で踊る。ここは、ロトスコープではないんだけど、実際の人間の動きを元にした、すごいしっかりしたリアルな作画がされていて。要するに、その踊りのこの動き自体が大変、さっきから言っているように「画として気持ちいい」っていうのとも相まって、要は悲しい別れ……本当はここ、すごくウェットな場面に演出されてもおかしくないところなのに、多幸感に溢れた、まさに「この瞬間がずっと続けばいいのに!」っていう、本当になかなか稀有なバランスで成立している、多幸感と切なさといろいろ全部がないまぜになった、でもトータルでは非常にハッピーな、ちゃんと「別れっていうのは前に進む段階なんだ」っていうのを示すような、見事な別れのシーンになっている。

ここ、踊り、神楽が、パンッ!って終わった瞬間に、本当に拍手したくなるような……見事な、そこでポンッ!って終わる潔さもいいですね。みたいな感じで、本当にちょっとなかなか文句のつけようもないぐらいによくできた、見事な一作じゃないかと思います。僕は、たとえば前半、たしかに比較的地味めな話が続くし、お話上の推進力がどこにあるかっていうのが見えづらくて、それでなんとなくおっこが全てを……「なんかこの子、できすぎじゃない?」みたいに感じられる方がいるかもしれませんけど。これは本当に、まさに『海街diary』と同じで、そのおっこの気丈さこそが不穏さであり、サスペンスになっている。

最初にドーン!って事故が起こったっていうのを見せてから、おっこがそのガランとした誰もいないマンションを「行ってきまーす」って……もうそのガランとしたマンションと「行ってきまーす」だけでキューッ!っていう感じですけども。そこから、その「さして落ち込みきった様子も見せていない」というところこそが、前半のサスペンスというか、不穏さなわけですよ。だから、グローリーさんとの買い物のところで過呼吸になるっていう、あそこに至るまでは、(おっこの振る舞いが)普通であること自体が──よくできた子でありすぎること自体が、サスペンスになっている。これは本当に『海街diary』と同じ構造になっていると思います。

■アニメーションの枠ではなく、日本映画として今年トップクラス!

そんなこんなも踏まえて、二度、三度と見るほどに評価が上がってくというか……僕も確実に、二度目の方が評価が上がりました。ちなみにですね、こんな感じで想像上の人物、想像上の友達が自分を癒してくれる、一種のセラピー映画、セルフセラピー映画みたいなものは、洋邦を問わず、そして大人・子供向け映画を問わず、本当に多くなっているな、というのが興味津々でもあります。それこそさっきね、6時台に触れました『ボス・ベイビー』とかもそうですし。大人向けだったら『タリーと私の秘密の時間』もそうですし。先週の『プーと大人になった僕』もそうですし。非常に興味深いなと思います。

ボス・ベイビー(字幕版) ボス・ベイビー(字幕版)

とにかく本当に、たしかにもっともっと多くの人に見られてほしい。一見地味めに見えるかもしれませんし、この手の絵柄にちょっと抵抗を感じる人がいるのもわかりますが、絶対に見た方がいい、間違いなく今年トップクラスの……アニメーションっていう括りじゃなくても、今年、日本映画の中でも、間違いなくトップクラスの良作、ということじゃないでしょうか。ぜひぜひ劇場で、見られるうちにウォッチしてください!

 

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『デス・ウィッシュ』に決定!)以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<ガチャ回しパート>
ちょっと先ほどの『若おかみ』のところで、ひとつだけ補足というか、訂正。高坂監督の『茄子 アンダルシアの夏』、2003年。それの続編の2007年『茄子 スーツケースの渡り鳥』。この『茄子 スーツケースの渡り鳥』は、オリジナルビデオアニメーションとして販売されたものなので、「劇場用長編作品としては15年ぶり」という、そういう説明になっていたようでございます。フォローさせていただきました。

 

 


宇多丸、『デス・ウィッシュ』を語る!【映画評書き起こし 2018.11.2放送】

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宇多丸:

さあ、(今日は話す分量が多いと予想されるので)テーマ曲を省いて時間を使えるようにしました。ここからは私、宇多丸が前の週にランダムに決まった最新映画を自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を約20分間に渡って語り下ろすという週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこの作品、『デス・ウィッシュ』

(AC/DC『Back In Black』が流れる)

フフフ……このAC/DCの『Back In Black』が非常に印象的に使われておりますね。チャールズ・ブロンソン主演で1974年に映画化されたブライアン・ガーフィールドの同名小説を、『ダイ・ハード』のブルース・ウィリス主演、『ホステル』や『グリーン・インフェルノ』などのイーライ・ロス監督でリメイク、再映画化したアクション映画でございます。

シカゴで外科医として働くポール・カージーはある日、妻子を襲われたことから自ら銃を取り、犯人抹殺のために街へとくり出す……。主な出演はブルース・ウィリスの他、ビンセント・ドノフリオ、エリザベス・シューなどということございます。

ということで、この『デス・ウィッシュ』をもう見たよというリスナーのみなさん、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「普通」。賛否の比率は、賛(褒める意見)が6割、否(否体的な意見)が4割。割れているということですね。主な褒める意見としては「1974年版の魂は受け継ぎながら、SNSや動画配信サイトを上手に使い、現代版にちゃんとアップデートされていて良し」「1974年版よりもストレートな復讐物になっていて爽快感抜群」とかですね。「医師という設定を生かした拷問シーンが怖すぎて最高」などがございました。

否定的な意見としては、「現実世界での銃犯罪が問題なっているいま、リメイクするのに相応しい映画だったのか? と疑問を感じてしまう映画だった」。これ、まさにこういう理由でアメリカでも公開時、かなり叩かれちゃったという作品ではありますね。「予想を越えない展開。目を見張るもののないアクションと正直、期待外れだった」ということでございます。

 

■「リベンジ適性職業1位は医者!」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。「館内機器」さん。「『デス・ウィッシュ』、見てきました。最高でした。『狼よさらば』のリメイクと聞いていたのですが、良い意味で裏切られました。特に犯人との直接対決があることが良かったです。殺し方、死に様もいちいち気が利いていて、最終対決シーンは笑ってしまいました。そして医者という設定がこれでもかというほど生かされており、気持ちよかったです。リベンジ適性職業1位は医者なのではないかと思います」というご意見でございます。

一方、「タクヤカンダ」さん。これはダメだったという方。「個人的には全く評価できない映画でした。チャールズ・ブロンソンの『狼よさらば』のリメイクということですが、『狼よさらば』が自警団として悪人を殺していくのに比べ、『デス・ウィッシュ』はあくまで愛する家族のための復讐。自警団的活動と復讐は言うまでもなく全く違うもので、『狼よさらば』で考えさせた社会的テーマをほとんど感じられませんでした」。たしかに今回、モードが変わっているっていうのはありますよね。

 

■1974年のオリジナル『狼よさらば』はいま見返しても変わった作品

はい。ということでみなさん、メールありがとうございます。私も『デス・ウィッシュ』、実は公開のちょっと前にとあるツテでいち早く拝見させていただいた後、今週TOHOシネマズ日比谷に行ってまいりました。昨日だったんだけど、ファーストデイ割引効果か、ほぼ満席でした。日比谷で『デス・ウィッシュ』満席! しかも結構年配の方が多めで。だからまあ、『狼よさらば』世代なのかな?っていう感じもしましたけどね。ということで『デス・ウィッシュ』。いま言いました『狼よさらば』という1974年、マイケル・ウィナー監督、チャールズ・ブロンソンの代表作のひとつにして、いわゆるビジランテ・ムービー、自警団物というジャンルの原型を作り、多くのフォロワーを生んだ一作でございます。

狼よさらば (字幕版)                狼よさらば (字幕版)               

原作はブライアン・ガーフィールドという作家が1972年に発表した小説で、いま日本語翻訳版は絶版になっていて。僕は、全部読みこなせているわけじゃないんだけど、Kindleで元の英語版をもう1回読んでみたりしたんですけど。もともとはシドニー・ルメット監督、ジャック・レモン主演で、社会派ドラマとして映画化が進んでいたわけですね。で、ブライアン・ガーフィールドさんご自身もそっちを望んでいたんだけど、それは中止になって……という。このあたりの経緯については、映画評論家の町山智浩さんが書かれた『狼たちは天使の匂い: 我が偏愛のアクション映画1964~1980』という評論集に詳しいので、こちらを読んでいただきたいのですが。

狼たちは天使の匂い 我が偏愛のアクション映画1964~1980① (我が偏愛のアクション映画1964~1980 1) 狼たちは天使の匂い 我が偏愛のアクション映画1964~1980① (我が偏愛のアクション映画1964~1980 1)

で、代わりにですね、1972年の『メカニック』とか、1973年の『シンジケート』と、続けて組んできたマイケル・ウィナー監督、チャールズ・ブロンソン主演のシフトに変わったという。実はチャールズ・ブロンソン自身が当初は、企画・脚本を渡されて、「これは本来、ダスティン・ホフマンのような男が演じるべき役なんじゃないか?」と戸惑っていた……これは要は、「気弱なインテリ男が暴力にまみれて、決定的に変質していく」という話(という意味で)、1971年、サム・ペキンパー『わらの犬』のイメージを踏まえた発言だと思うんですけど。とにかく、ブロンソン自身が戸惑っていた、というのも非常に有名なエピソードでございます。

とにかく、ブロンソンとマイケル・ウィナーのコンビになった時点で、よりエンターテイメント色、ジャンル色の強い……要するに批評性みたいなもの、社会的メッセージみたいなものは下がって。エンターテインメント映画、バイオレンス映画……要するに、「悪党を殺してスカッとしようぜ!」方向に振れまくるのは、必然だったといえると思います。ただ、それでもですね、一作目のこの『狼よさらば』という映画はですね、この頃のブロンソンとマイケル・ウィナーコンビ作、たとえば『メカニック』とかが本当にそうなんですけど、なんかね、異様にひんやりした、すごい突き放したタッチの……いま見返しても、かなり変わった感じがする映画なんですよね。

 

■「やられたらやりかえす」暗い欲望を満たすビジランテムービー

街のチンピラに妻を殺され、娘をレイプされ……ちなみにこの街のチンピラ、若き日のジェフ・ゴールドブラムを含むメンバーなんですけども。まさに「ケダモノ」という表現が相応しい無軌道ぶりというか、ド外道ぶりなんですけど。特にそのレイプの場面で、あの、お尻にスプレーをかけるっていう最低の描写がね……もう本当に気分が悪くなる描写があるんですけども。まあ、そんなひどい目にあってるのに、警察も全く頼りにならない。

そういう風に悟ったその主人公のポール・カージーは、それまで非常に平和主義者のインテリだったんだけど、次第に夜な夜な――まあ、チャールズ・ブロンソンが平和主義者のインテリに見えるかどうかっていうのはまた別問題として(笑)――次第に夜な夜な、わざと危なそうな地域をうろついては、寄ってくるゴロツキたちを問答無用で射殺して回るという、自警団、ビジランテ活動と言えば聞こえはいいけど、要は無差別殺人に、どんどん、まさに麻薬的にハマっていってしまう、という話なんですけどね。

で、もちろん道義的・社会的には全く許されない、正しくはないこの行為なんだけど、そこにたしかに一種のカタルシスがある、というのが、まさにビジランテムービーというジャンルの、身も蓋もない言い方をすれば「大人向けヒーロー物」としての……まあヒーローっていうのは基本的に、本質的に自警団なわけですけども、そのエンターテイメントとしてのキモの部分ではあるわけですね。なぜかといえば当然ながら、もちろん我々の現実の人生では満たされない、暗い欲求……要するに、暴力とかで何かやり返せるわけでもないし。理不尽な目にあっても、基本的には泣き寝入りするしかないのが基本、というような我々の実際の人生っていうのに対して、「なんかやり返してやりてえな、本当は」っていうその黒い、暗い欲望っていうのを満たしてくれるから、っていうことですね。これは言うまでもなく。

 

■『狼よさらば』への批判精神を込めた続編『Death Sentence』/『狼の死刑宣告』

で、この『狼よさらば』の場合、恐ろしいのは、このブロンソン演じるポール・カージーは、結局――先ほどのメールでもちょっと触れていましたけど――結局、妻殺しの実行犯とは、直接対峙しないんですね。無関係な連中を殺しまくるだけの映画なんですよ。なので、ラスト、ポール・カージーがですね、今回の映画とは逆に、もともとはニューヨークからシカゴに引っ越す、っていうところで終わるんですけど……要するに、そのニューヨークとシカゴ犯罪率がいまでは逆転しちゃっている、っていうのがあるんですよね。いま、シカゴがいちばん犯罪率が高いということなんですけど。(1974年版では、最後に主人公が)シカゴに行って、「おとなしくします」なんつって。シカゴに移住してきたポール・カージーが、結局でもやっぱり、全く懲りてない!ということを示す……「また殺るぞぉーっ!」っていう感じの、ポール・カージー・ポーズ(笑)で終わるエンディングは、大変不気味な……もう、ほとんどサイコホラー的と言っていいような、怖い印象を残すエンディングなんですね。

なので、その意味で、当時からしてこの『狼よさらば』自体も、「タカ派的だ」とか「暴力賛美だ」っていう風に批難を浴びた作品なんですね。なんだけど、やっぱり原作の批判精神は、僕は一応この一作目までは、はっきりと表現されてるじゃないか、という風には思います。要するに、エンターテイメントとして溜飲が下がるところもあるけど、でもやっぱり、「これは異常だよ、この話は」っていう風にちゃんと終わってる、と思うんですね。

で、原作者のブライアン・ガーフィールドさん自身、本来の意図を超えて主人公が英雄視されるという世の中の傾向に危機感を覚えて。このあたり、まさにそのビジランテムービーの変種といえる、1976年の『タクシードライバー』の、観客の反応を見て……要するに主人公のトラヴィスに拍手喝采をしてるという観客の反応を見て、監督のマーティン・スコセッシがショックを受けた、という話とも完全に重なるあたりですけども。

タクシードライバー (字幕版) タクシードライバー (字幕版)

で、そのブライアン・ガーフィールドさん。「これじゃイカン」ということで、続編の『Death Sentence』っていうのを書くわけですね。で、これは主人公の自警団行為の模倣犯が次々と出てきてしまい……というような展開。で、この内容は、今回のリメイク版『デス・ウィッシュ』の中でも、オマージュ的に取り込まれてますよね。で、ちなみにその『Death Sentence』の映画化こそが、ジェームズ・ワン監督、ケビン・ベーコン主演の、これまたビジランテ物の大傑作だと思っています、『狼の死刑宣告』。2007年。これね、シネマハスラーの初期に取り上げました。

狼の死刑宣告(字幕版) 狼の死刑宣告(字幕版)

 

■『狼よさらば』の続編企画が紆余曲折を経てイーライ・ロスのもとに

ストーリーは原作小説とは全く違っている、変わっているんだけども、主人公が、自らの自警団行為、個人的復讐行為のしっぺ返しを食らう……そして、よりひどい事態を招いてしまうという、まあ批評的、批判精神の部分は、やっぱりしっかりと表現されていたな、という風に思う作品でした。で、ともあれそのチャールズ・ブロンソン主演……『狼よさらば』の大ヒットを受けて、チャールズ・ブロンソン主演の『デス・ウィッシュ』シリーズっていうのがシリーズ化していく。これは全部日本題ですけども、82年の『ロサンゼルス』、85年の『スーパー・マグナム』、これはウィルディマグナムっていうオートマチックのマグナムを使うという。そして87年『バトルガンM‐16』、そして94年『狼よさらば 地獄のリベンジャー』、と全5作品が作られて。

当然のごとく、シリーズ化がどんどん進んでいくに従って、荒唐無稽にスケールアップして、その原作小説の精神からは遠く離れた、大味アクション映画化していく、というね。まあ、これはこれで楽しい作品群なんだけどね。で、その一方で、『狼よさらば』以降、ビジランテ物っていうのは映画の中の一大ジャンルとなって、玉石混淆ではあるけども、多くの作品を生み出してきたという。このあたりは、この間、ギンティ小林さんをお迎えしてやった「ナメてた相手が殺人マシンでした映画」特集なんかでも触れたあたりでございます。

で、当然『狼よさらば』自体のリメイク企画も、随分前から何度も上がっていて。10年以上前には、スタローンが自ら主演・監督でやると発表したこともあったし。あとその後、『ザ・グレイ』とか『特攻野郎Aチーム』とか、あとは『NARC ナーク』とか、主に男臭い作風で知られるジョー・カーナハンが、『ザ・グレイ』と同じくリーアム・ニーソン主演で映画化を進めていた。リーアム・ニーソンはかなりハマり役だと思いますね。なんだけど、まあすったもんだがあって降板して。で、今回の出来上がった『デス・ウィッシュ』にも、一応脚本としてジョー・カーナハンさんはクレジットが残っていますけど、実際には何人ものライターの手を経て、ほとんど痕跡をとどめていないそうです。

で、今回出来上がったやつの最終稿は、クレジットはされてないけどディーン・ジョーガリスさんという、『ペイチェック』とかの脚本をやっている人と、監督のイーライ・ロスが全面リライトしたものが最終稿になっているらしいんですけど。これはまあ、インターネット・ムービー・データベース情報でございます。とにかく、最終的にこの企画を引き取ったのは、我らがイーライ・ロス! というね。イーライ・ロスは、プロデュース、脚本、出演の『アフターショック』という作品、これを2013年11月21日に僕、前の番組で取り上げましたけども。イーライ・ロス監督作は、ちゃんとやるの、はじめてなんですよ!

 

■「映画の語り」を使いこなすイーライ・ロス監督

代表作『ホステル』シリーズのイメージで、とかく「残酷、悪趣味」という表面的イメージばかりで語られがちな監督ですけども、実は……これは僕の評価ですけど、今時珍しいほど堅実な、奇をてらわない、正攻法な「映画の語り」。人間ドラマの部分を含めて、非常に正攻法な「映画の語り」ができる人。その上で、これまた映画ならではのケレンとか飛躍、あるいは社会に対する鋭い批評性などもサラリと盛り込める、非常に腕のある、本当に信頼できる映画監督だ、という風に僕は、前から最大限に高く評価してきた大好きな監督なんですけども。

で、特にこのところのフィルモグラフィー。『食人族』をはじめとする「食人物ジャンル」を現代にアップデートして見せた『グリーン・インフェルノ』(2015年)。あとは、言ってみれば理不尽・不条理嫌がらせホラーのカルト的傑作『メイク・アップ』というね、終わり方がすさまじい1977年の怪作を、まさかのキアヌ・リーブス主演で現代にリメイクした、『ノック・ノック』。これも楽しい映画でしたね! そして今回の『デス・ウィッシュ』。これはだから、ビジランテムービー・ジャンルのパイオニアの今日的リメイク、ということで。要は、1970年代から80年代にかけて流行った、いまとなっては俗悪という風に切り捨てられて終わりがち、埋もれがちなジャンルとか作品を、「俺がもう一度もり立てる!」という気概が、ビンビンにあふれたラインナップになっているわけですね、ここのところのフィルモグラフィーは。さすがタランティーノの盟友というか、そんな感じですけども。

グリーン・インフェルノ(字幕版) グリーン・インフェルノ(字幕版) ノック、ノック(字幕版) ノック、ノック(字幕版)

その意味では、いま日本では同時に劇場でかかっているという……イーライ・ロスの映画が同時にシネコンでかかっている!という奇跡的事態がいま、起こっているんですけども。『ルイスと不思議の時計』というね、児童向けファンタジー作品ですけども、これも、ティム・バートンが自分の趣味性を全開にした時にも通じるような、クラシックモンスター映画、クラシックホラー映画ジャンルへの愛があふれる、そしてちゃんとバッドテイストもふんだんに盛り込まれているという、非常に愉快な作品で。実は、フィルモグラフィーとしては全くブレてない、という風に言えると思います。ということで、まあ面白くならないわけがないイーライ・ロス版『狼よさらば』、というわけなんですけども。

 

■堅実な手腕で不穏さを盛り立てるイーライ・ロス

まず今回、素晴らしいのはですね、あのカージー一家が襲われることになるまでの、不穏なテンションの、徐々に徐々に……の高め方ですね。今回は「医者」という、要するに人の命を無条件で助けるべき立場のポール・カージー、という設定になっている。悪人の延命にも力を尽くす人だったはずが……っていう、それをまずド頭で示しつつ。あそこは面白いですね。あと、娘のサッカーの試合を応援してるところで、横にいた、非常に粗野な……カタギじゃないんでしょうね、その父親と、一瞬、ポール・カージーとの間に緊張が走る、という。これは一見、本筋とは関係ないくだりなんだけど。ただ、こういうところでの、やっぱりたしかなドラマ演出力、みたいなのもちゃんとね、イーライ・ロス作品はわかるあたりですけども。

要は、「世界は本質的には暴力的だし、いつこっちに向かって牙をむいてくるとも限らない」。でも、そういうサイクルからはしっかり、冷静に距離を取って生きてきた人たち、だったはずなのに……ということを示す場面が入る。これを挟み込むあたりも、見事なものだと思いますし。あと、問題の襲撃シーン。行為自体の暴力性という意味では、実はその74年の『狼よさらば』よりは、だいぶソフトな範囲にとどめられてはいるんです。今回は計画犯だしね。前みたいにただ無軌道に暴れているだけじゃないんだけど、にもかかわらず、エリザベス・シュー演じる奥さんが家の中の異変に気づいて……「本のページが、あれ? めくれてる……」っていうところから異変に気づいて。実際に強盗たちが姿を現すまでの、プロセス。ここはさすがホラーの名手。本当にここだけでもう、めちゃくちゃ怖いですし。

あとポイントは、実際に強盗たちが姿を現してみると、マスクをかぶっているんですけど、あのマスクが……「どこでこんなマスクを探してきたの?」っていう気持ち悪さ。人の顔がプリントされたマスクをかぶっているんですかね? すっごい気持ち悪いマスクをかぶっている、というあたり。このあたりもやっぱりイーライ・ロス、さすがこういう風に、嫌な感じをさせてくれる!という感じですね。あと、不穏なテンションといえば、弟のフランクという役を演じているビンセント・ドノフリオがですね、ぶっちゃけキャラクターとして必要とされる範囲以上に、不穏な空気を無駄に発散しまくっていて(笑)。これも楽しい。「なんかこいつ、怪しいな。なんかこいつが悪いんじゃないかな?」って見ていると……っていう。実は必要以上に不穏な空気、っていう、これも楽しいあたり。

 

■ネット時代の自意識を持ったポール・カージー像

で、『ブレイキング・バッド』でもおなじみディーン・ノリスさん演じる刑事。刑事は同情的ではあるんだけど……というあたり。ここで今回のリメイク版オリジナル描写。警察のオフィスの中にある、事件についての情報をボードに貼っているクリップボードがあるんですけど。このボードで、視覚的に、「ああ、これ警察はダメだ」という感じを、もちろんポール・カージーにも我々にも、視覚的に突きつけてくる、という演出。これも、さりげなくも非常にリアルで上手いですし。これはイーライ・ロスが、実際にシカゴの警察とかを取材して、いろいろと得た知見からこうやったらしいですけども。

あとはこれも今回オリジナルの描写ですけども。奥さんのお父さんが、生粋のテキサス人なわけですね。で、非常にリベラルな人間であるポール・カージーに対して、このお父さんは生粋のテキサス人だから、自分の敷地内に侵入者、密猟者が入ってきたってなったら、全く躊躇せずに、ライフルをガチャーン!って取ってボーン!って、普通にぶっ放す。で、その横で見ていたカージーが唖然とするっていう(笑)、価値観を揺さぶられる、というくだり。これも、ストーリー的な必然と同時に、いかにもイーライ・ロスらしい批評的ユーモアですよね。「こいつ、テキサスの人だからさ! 余裕でぶっ放すわけよ!」みたいな。ユーモアとストーリー的必然が同居しているシーンで、非常にこれも、とってもいいですし。

で、ひょんなことからグロッグ17、銃を入手してしまったポール・カージーさん。これはもう『アンブレイカブル』よろしく、フードをかぶって……これはもう本当に、「ヒーローに変身する」わけですね。「フードで変身、ブルース・ウィリス!」っていうね(笑)。で、ネットで勉強して銃の扱いに慣れていく、というね、このあたりの今風感もいいんですけど。やはりですね、実戦では銃の持ち方が上手くなくて。うっかりスライドで手を怪我してしまうという。これ、いままでアクション映画で見たことがない……素人が撃つとこういう怪我をすることがあり得るよ、という、非常にアップデートされたリアルな銃描写。これもすごくフレッシュでしたし。で、彼がそうやって「悪党を成敗する」シーンっていうのが、SNSで拡散され……これが非常に今っぽいところ、ってみなさんが評価されていた部分ですけど。

で、僕はここが今回の『デス・ウィッシュ』、いちばんのキモだと思うんだけど、そのSNSとか、あとはメディアで取り上げられて、自分が時の人になっている、というのをポール・カージーが見て……明らかに彼が悦に入っているわけですね。彼が完全にホクホクしちゃっている、という様子を描いているわけですよ。これが今回のキモだと思います。要するに、非常に現代的な、いかにもネット時代的な自意識を持ったポール・カージー像、いかにも現代的な自意識を持ったビジランテ像、っていうのを描いている。ここがすごくキモだと思います。要するに、見られて喜んでいるっていうか、その感じね。

 

■批評性抑えめ、エンタメ性高めの今作

で、また終盤。そのビジランテとしての彼のアジトであると同時に、彼の心の深淵のメタファーでもある、地下室。要するに、彼が元々、上(の階)で暮らしてたところから、生活の中心がその地下になってしまう、という地下室。その地下室の変貌ぶりに、弟のフランクが愕然とする。つまり、はっきりこのポール・カージーというキャラクターは、狂ってるんだ、っていうことを示すショット……なども含めて、やっぱり今回の『デス・ウィッシュ』も、原作の批判精神、批評性をちゃんと受け継いだつくりにはなっている、という風に思います。まあ公開当時ね、銃乱射事件が直前にあったりして、非常に……あと、トランプ政権のやっていることとかも含めてシンクロしちゃって、非常に多くの批判を集めた作品ではあるけど。僕はちゃんと批評性は入っている、という風に思います。

ただ、今回のポール・カージー。たしかに、ただ単に、前の『狼よさらば』のように無差別にチンピラを殺して回る、というわけではなくて。割とピンポイントで、「はっきりと悪いやつ」を狙って狩っていくわけですね。例えばあの、アイスクリーム屋ことドラッグディーラーを襲撃するくだり。あそこ、カットを割らないまま、ドーン!と来るのがすごくショッキングでしたね。向こうから普通に歩いてくるなと思ったら……こっちも、要するにアイスクリーム屋というかドラッグディーラー同様、超油断している状態で。なのに全く間を開けずに、ドーン!っていう。「俺がお前の最後の客だ(ドーン!)」っていう(笑)。あれなんかすごくショッキング、かつユーモラスなところでしたけども。

で、ピンポイントで狙っていくという作りになっている。さらに言えば、1974年の『狼よさらば』と違って、メールでの指摘も多かったですけども、要は実際に自分の家を襲撃してきた犯人一人ひとりに、しっかりと復讐を遂げていく、という話になっている。特にその車工場の場面。みなさん、挙げている方も多かったです。彼が医師であるというこの設定変更が、イヤ~な……これは褒めてますけど、生かされ方をする。ここのみ、一瞬だけ強烈なゴア描写も入ったりして、まあまさにイーライ・ロスの真骨頂という場面ですけども。とにかく、今回のポール・カージーはキャラクターとしての感情移入度が高めな作りになっている。

つまり、エンターテイメント性は高め。で、一作目の『狼よさらば』よりもやっぱり、批評性はちょっと抑え目な作りになってるというのはたしかだと思います。それゆえ、「じゃあやっぱり暴力賛美をしているじゃないか!」っていう風に責められやすかったのかもしれないですけどね。ただまあ、ジャンルムービーなのでね。そんなこんなで、さっき言ったように原作小説の続編である『Death Sentence』オマージュでもあろう、「その模倣犯が出てくる」というくだりがあったり。つまり、悪漢側から再び、その主人公が「見つかり直す」という展開。これは先ほど挙げた『狼の死刑宣告』風でもあるし。

 

■「世界よ! こんぐらいが映画だ!」

で、クライマックス。ある意味ビジランテ物の源流である、西部劇的な……多人数で襲ってくる敵に対して、主人公は、自分のホームで待ち構えて対決をするっていう、西部劇的な対決のクライマックスを経て、ついに最後、ラスボスをどう倒すのか? というあたり。さっきメールにもあったけど、ラスボスの倒し方が、いかにもイーライ・ロスらしいユーモア、皮肉の効いた伏線回収。これはもう本当にお見事!って。劇場で笑っちゃいましたもんね。「アハハハハハッ! そこで回収するんだ!」っていう(笑)。

で、ラストショットはもちろん、ブロンソンゆずりのポール・カージー・ポーズでキメっ!っていうね。で、AC/DC『Back In Black』がドーン!ってかかるという。さすがイーライ・ロス、要はここのところの何本かと同じく、「アップデートされたジャンル映画というもののあり方」、現代にそのジャンル映画を復興するんだ、っていうのをきっちりと、過不足なくやってらっしゃる、という。で、また期待を裏切らない出来だった。まあ、こんな感じですよね。「世界よ! こんぐらいが映画だ!」(笑)。映画は本来、こんぐらいなんだよっていうね。それを高らかに謳い上げるような。

あとは音楽。ルートヴィッヒ・ヨーランソンさん。『クリード』とか『ブラックパンサー』、そして今年は『ヴェノム』『クリード2』と。もう大活躍のルートヴィッヒ・ヨーランソンさんの、音楽も素晴らしかったですね。ということで、いまなら『ルイスと不思議の時計』とセットで見れるという、非常に稀有な状況が日本の劇場で起こっておりますので。ぜひこの機会に、イーライ・ロスの作家としての腕、引き出しの広さ。そして、志の「低みある高さ」というか。そのあたりを味わっていただければ、イーライ・ロスファンの私としては、これに勝る喜びはございません。ぜひ劇場でいま、ウォッチしてください!

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(来週の課題映画は『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』に決定!)

<以下、ガチャ回しパートで>

宇多丸:本当はもっとね、山本さん好みのイーライ・ロスの作品論というか。我々のこの安穏と生きているこの暮らしも、1枚めくるとそこは地獄なんだ、っていうことを……。

TBSアナウンサー山本匠晃:宇多丸さん、それなんですよ! それ、好きなんだー!

宇多丸:絶対に好きでしょう?

山本:なんか『クリーピー 偽りの隣人』とかも好きだし。ああいう感じの……。

宇多丸:あとでイーライ・ロス、いろいろとおすすめしますよ。

 

宇多丸、『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』を語る!【映画評書き起こし 2018.11.9放送】

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宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸が前の週にランダムに決まった最新映画を自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を約20分間に渡って語り下ろすという週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこの作品、『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』

(曲が流れる)

2014年に中国で実際に起きた大規模なカンニング事件をモチーフにしたタイ映画……まあ、アイデアの元にした、という感じですかね。中国、香港などアジア各国でタイ映画史上最大のヒットを記録。天才的な頭脳を持つ女子高生リンは学校のテストの際、友人を助けたことをきっかけにカンニングビジネスを始める。それは次第にエスカレートしていき、やがて国をまたぐ巨大なミッションになっていく……。本作が映画初出演となるチュティモン・ジョンジャルーンスックジンさんなど、タイの若手俳優が多数出演。監督は本作が長編二作目となるタイ映画の新鋭、ナタウット・プーンピリヤさんでございます。

といったあたりで、この『バッド・ジーニアス』をもう見たよ、というリスナーのみなさん、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、やや少なめ。あら、そうですか。公開規模が小さいからかしらね? 賛否の比率は、褒めの意見が9割。評判はかなり良い。主な褒める意見としては「とにかく面白い。一種のケイパー物(チーム強奪物)として見応え十分」「カンニングシーンの緊張感は胃が痛くなるほど」「見終わった後に残るビターな余韻。青春映画の傑作であり、社会派映画としても秀逸」などなどがございました。否定的な意見としては「カンニングの計画が杜撰で萎える」「天才が金持ちのバカに利用されてるだけの話。胸糞悪い」。まあ、それもそうなんですけどね(笑)。などがございました。

あとはいつもよりも若い人から……要するに「テスト」っていうのがまだ生々しい、もしくはリアルタイムであるような若い方からの投稿も多かったです。

■「現代に語られるべき若者たちの物語」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「タジキ」さん。19歳。「初メールです。『バッド・ジーニアス』、最高でした。暫定今年ベストです。マークシートを塗りつぶす描写すらかっこいい、スタイリッシュな映像。緊張感と爽快のほとばしるストーリー展開はまさに一流のクライムサスペンス。でも僕にとって、この作品は究極に熱い青春映画です。高校生たちがカンニングで世間を出し抜く痛快な物語でありながら、日本においても他人事ではない学歴至上主義という社会問題をえぐりつつ、ラストにはしっとりとした余韻を残す、エンターテイメントとしての一種の完成形と言っても過言ではないと切実に思います。

ルックスも完璧で金持ちなグレースとパットとは違い、持たざる者であるリンとバンク。彼女たちにとって最大の敵は賄賂や不正の横行する学校社会。いわば、結局金や権力を持っているやつらが勝つシステム。そういった権威への反逆を描いた映画として、現代に語られるべき若者たちの物語であると感じました」という。総じてやっぱり、「テスト」というのが本当にリアルタイムの体験として切実に近かったり、リアルタイムにいままさにテストを受けるような立場である人のメールが面白くって(笑)。やっぱりね、ああいう目に実際にあっているっていうか。「時間、ない! できない!」みたいなね。

あと、ちょっとダメだったという方。「片耳ヘッドホン リモ吉」さん。この方も初メール。ありがとうございます。「『クライマックスのカンニングシーンが圧巻』みたいな煽りに出来のよいケイパー物のような面白さを期待したのですが、見事に裏切られました。クライマックスのカンニングのトリックは新鮮味に乏しく、また計画自体も杜撰すぎると感じました」というね。要するに、これじゃあ怪しまれるのも当然だというようなことを書いていただいて。あと、主人公が最後に改心するのがちょっと偽善的な展開に感じるというようなご指摘もありつつ。

「……総じて言えば、全編を通じてケイパー物特有の騙しのテクニックの面白さもなく、ラストではカンニングをテーマにした言い訳のように、ごくごく常識的な倫理観でお茶を濁した後味の悪い凡作だと思いました」。まあ、この方の指摘しているポイントもね、言われてみればそれ自体は「そうかもなあ」という風にうなずけるところも多いメールでございました。みなさん、ありがとうございます。

ということで『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』、私もね、実はちょっと公開前に見させていただく機会があって。あとはT・ジョイPRINCE品川でも1回、計2回見てまいりました。ということで、8月13日の6時台カルチャートークのコーナーで、加藤るみさん、非常に映画にお詳しい彼女のプレゼンでおすすめされた東南アジア映画。その何本か挙げていただいた中で、タイ映画としては『すれ違いのダイアリーズ』という作品と並んで選ばれていたのが、まだ当時は日本公開前だったこの『バッド・ジーニアス』という作品でございました。その時点で既に、その加藤さんの説明+超スタイリッシュな予告映像を見るだけで、「なに、これ? 絶対に面白いやつじゃん!」っていう感じで、期待のハードルがかなり上がっていた訳なんですけど。

で、実際に見てみたらですね、やっぱりその期待の、さらに斜め上を行くと言うか、そんな出来でした。ちょっと思ってたのと違う方向で優れているな、という風に思うような作品でございました。先に結論から言っちゃいますけど、少なくともサスペンスシーンの演出としては、ここ最近見た中では僕、いちばんハラハラさせられましたね、間違いなく。何箇所か、本当に声を出しちゃいました。「は、はわわ、はわわわ……っ! は~……どうすんの~?」みたいな。「は~」って声を上げちゃったぐらいですね。あとはまあ、美術とか撮影など、総合的なレベルの高さ。

特にですね、さすがこれ、ナタウット・プーンピリヤさん。CMディレクター出身監督と言うべきか、編集のリズム感、構図のスタイリッシュさにも非常に感服させられました。この編集のリズム感は、やっぱりこの方、マーティン・スコセッシの『グッドフェローズ』がすごい好きで映画監督を志した、なんておっしゃっている方なんで。スコセッシゆずり、みたいなところはあると思います。ナタウット・プーンピリヤさん、これが長編二作目で、一作目は『Countdown』っていう、これちょっと全編は見られなくて。僕、予告しか見られていないんだけど。まあ、ちょっとコメディー風味も入ってるけど、金持ちのタイの留学生がニューヨークで調子こいてるうちに、ちょっとひどい目にあうという。まあ、非常にバイオレンス風味もたっぷりなホラーコメディー、みたいな感じの作品かなと思いましたけど。

あとは短編の『The Library』っていう、これはなんかちょっとロマンチックな話。図書館員が一目惚れして……みたいな話。あと、『Present Perfect』っていう、お姉さんの娘を預かったパリピの女の子が……っていう、この2本の短編を見たんですけど。繊細な感情描写みたいなところにだんだんと寄ってきていて、それが今回の『バッド・ジーニアス』、長編二作目にも結実しているかな、と思ったりなんかしたんですが。ということで、監督のナタウット・プーンピリヤさん。非常にいい。

あと、役者陣も、主人公のリンっていうのを演じているチュティモン・ジョンジャルーンスックジンさんの……モデル出身だけあって、異常にスタイルがいいんですよ。めちゃめちゃスタイルがいい+不敵な面構えっていう。これが放つ、非常に知的なカリスマ性。演技が上手いとか下手っていうよりも、その存在感自体の知的なカリスマ性を筆頭に、本当に役者陣がみんな魅力的だし。さっきも言ったように超ハラハラドキドキ楽しめる娯楽作でありながら、同時に、非常に複雑な心理の揺れ動きとか、あとは現代タイの社会構造への批評的な視線とか。まあ、倫理的な問いかけとかまでバランスよく……エンターテイメント性を損なわない範囲でバランスよく織り込まれた、まあ非常に評判なのも納得の、見事な一作だという風に思いました。

■学園コメディではなくスパイ映画マナーで撮られたケイパー物

僕の世代でね、カンニング物といえば、さっきもコンバットRECがそこで打ち合わせ中に「なに? 安室ちゃんの『That’s カンニング!』みたいな感じなの~?」とか言ってましたけど(笑)。「んなわけねえだろ!」っていうね。もちろん、安室ちゃん主演の1996年、『That’s カンニング! 史上最大の作戦?』とかですね。あと、まあ僕らの世代でカンニング物と言えばやはり、『ザ・カンニング IQ=0』という、1982年に日本でも公開されて大ヒットした、1980年のフランスのコメディー映画。まあ、よく言えばゆるくておおらかな、悪く言えばかなり雑で杜撰なコメディーがまず頭に浮かぶんですけど。

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そういうユルユルな先行作品群、カンニングをモチーフにした作品群と、この『バッド・ジーニアス』が根本的に違うのはですね。まあ学生たちが主人公で、時にユーモラスな場面があったりもするんですけれど、学園コメディーではなくて、基本、さっきも言ったようにサスペンスフルに進んでいく……もっと言えば、これはメールでも書いている方が多かったですけど、「ケイパー物」。チーム強奪物とか、あとはスパイ映画ですよね。スパイ映画のトーンで作られている、っていうところが独自性というかね、面白いあたり。要は、チームで犯罪的な計画を立てて、実行する。そしてその作戦の進行中に、思わぬアクシデントが起きて、「バレちゃうかも、捕まっちゃうかも」の危機的状況にどんどんなっていく。まあそういう、ケイパー物の醍醐味と、スパイ映画の醍醐味みたいなのが入っている、ということですよね。

で、そこでまたこのナタウット・プーンピリヤ監督、さっき言ったような巧みなその構図取りとか編集のセンスで、非常にミニマムなシチュエーション、要するに、実際に起こっていること自体はごくごく小さな、なんならありふれた出来事のはずなのに……あと、それこそカンニングのテクニックも、先ほどの否定的なメールにもありましたけど、カンニングのテクニックそのものはかなり原始的というか、他愛のない感じのやつだったりするんだけど、そんな感じで、わりと起こっていること自体はミニマムなのに、それを最大限サスペンスフルに拡大して見せる手腕、っていうのが本当に上手い!という風に思いますね。

■驚くべき手際のよさを感じさせる脚本力

たとえばですね、映画全体が大きく3つのテストシーン――すなわちカンニングシーン――っていうのが見せ場になっているんですけども。まずひとつ目のテストのところね。最初は本当に友達を助けたいという思いから、出来心的にそのカンニング行為に加担してしまう、というところ。まず、そもそもそこに至るまでのですね、いろんな描写の丁寧な積み重ねが、この見せ場に非常に効いてるんですね。これが上手い。まずオープニング。クライマックスの舞台となるSTIC、架空の国際共通試験で不正がありましたっていう報道の音声が流れるわけですね。

からの、どうやらそのカンニング、不正がバレた後、尋問を受けているらしい、というくだり。まあ、ここは1個ミスリードも入っているんですけども……「らしい」というくだり。ここ、まず合わせ鏡で、無数に分裂して見えるわけです、主人公のリンが。この後も2回ほど、違う場面でも同じように合わせ鏡で無数に分裂してる、っていう主人公リンの姿、この画が出てくるわけですけど。これによって、要は彼女が心理的、そして倫理的に引き裂かれていく話ですよ、っていうことがまず、暗示されるわけですね。こういうの、すごくスマートですし。で、タイトルが出て、いったん時間が遡って、高校入学の面接時まで遡っていって……という。

で、この面接のシーンでですね、一気に、この主人公リンの、もちろん天才的頭脳を持ってるというところ。そして、子煩悩なお父さんとの関係性というところ。そして、物語の根幹に関わる、学歴とカネ、学歴と経済格差の問題、っていうのが、非常にこのワンシーンに、驚くべき手際のよさで、ポンポンポンポンと、さり気なく示されていく。このあたり、これはそれぞれ得意技が違う脚本家が3人がかりで、開発に1年半かけたという脚本の完成度がよく出てるあたりだと思います。非常に短い間に手際よく情報が提示される。この製作・配給のGDH559っていうタイの会社は、すごく脚本に力を入れていて、脚本開発期間として1年半というのは、この会社の作品としては長くない方だ、ということらしいんですけど。とにかく、よくできた脚本だということが、この場面だけでも非常に出ている。

■目を疑うようなイッサヤー・ホースワンのキュートさ

で、高校に入って、最初に友達になってくれるグレースっていう女の子が、フーッと駆け寄ってきた。学生証の写真を撮る時に駆け寄ってくる、というところ。結果的には、彼女と親しくなったことこそが全てのトラブルの発端、とも言えるんだけど……このグレースを演じているイッサヤー・ホースワンさんという方がですね、本当に、あまりにも、文字通り輝くようにかわいすぎるので。あのね、若い時の後藤久美子と広瀬すずを足したような感じっていうか。僕がここ最近スクリーンで見た人の中で、いちばんかわいいです。「なんだ、これ!?」っていうかわいさですね。

で、彼女のそのかわいさっていうのがまた、本当に嫌味がない。根っからの陽性感。要するに、本気で悪気ゼロ感っていうか。実際にイッサヤー・ホースワンさんもそういうお人柄らしいんだけど……そういうところを買って監督もキャスティングしたらしいんだけど。彼女のその根っからの陽性感があればこそ、そしてむちゃくちゃかわいい!っていうことがあればこそ、主人公のリンが彼女をつい助けたくなる、っていうのがやっぱりわかる。あんな感じで、あんなかわいい子に、ものすごい無邪気に「ねえ、助けてよ〜」って言われたら、そりゃ助けるわ!っていう感じが、すごく、そのキャスティング自体でも説得力を増しているし。

■「シチュエーションは極小、劇的効果は極大」なサスペンスシーン

で、ついにそのカンニングを初めて働いてしまう、というテストシーンになってくるわけですけども。やっていること自体は、消しゴムに解答を書いて渡すっていう、本当にもう言っちゃえば他愛もない、超原始的な、工夫もクソもないカンニング術なんですけど……ここでの、ご覧になった方はお分かりの通り、靴、ローファーを使ったサスペンス/アクション演出、そのスペクタクル性ですよね。靴をこうやって滑らせるだけなのに、ものすごいサスペンスと、なんならスペクタクル性まであるという。この、「シチュエーションとしては極小なのに、劇的効果は極大」っていう意味で、僕が思い出したのは、ポン・ジュノ『母なる証明』での、ジンテっていうあのキャラクターの家をお母さんが脱出するシークエンス。あれに匹敵するぐらい、やってることは超セコいのに、むちゃむちゃ劇的効果はデカい、っていう。

とにかく、アイデアとか見せ方、ともに秀逸であるだけではなくですね、そこまでに、さっきの面接シーンとかで、主人公リンにとってこの学校に在籍できていること自体の重みとか責任、っていうのを事前にちゃんと提示してるから、その彼女がカンニングに加担してしまう行為の重みとか切実さっていうサスペンス性が、より切迫したものとして高まる。「絶対にバレたらマズい」っていう感じに高まるっていうのも、本当に丁寧なあたりですよね。本当に全てが丁寧。

で、やがて、日本以上の苛烈な学歴社会であるらしい、と同時に、経済格差、そして不正の横行など、要はタイ社会の不公正、公平さの一端っていうのを、主人公が目の当たりにすることになるんですね。もちろん我々もそこで「ああ、そういうことなのか」ってわかる。それによって、そのカンニングという、本来は当然不正な行為なんですけど、それも主人公にとっては、より大きなその社会システム自体の不公正さ、公平さに対する、ささやかなカウンターでもある、という。そういう風に位置づけてるあたりも、これは要するにエンターテインメントとしても倫理的バランスを取っている作り、っていうことだと思うんですね。まあ、そこを言い訳がましく感じる人もいるかもしれないけど。僕は、「これはなかなかいいバランスの取り方だな」って思いましたけどね。

■主人公のライバルでありバディ「バンク」の絶妙さ

あと、またそのさっき言ったグレースの彼氏で、まさに『クレイジー・リッチ・エイジアンズ』側の、パットというキャラクターを演じるティーラドン・スパパンピンヨーさんという方。小ズルさと無邪気さを兼ね備えた、まあトータルではやっぱりチャーミングさが勝っている金持ちボンボン役っていうのを、非常にナイスなバランスの演じ方をされていますし。一方、主人公のリンとちょうど鏡像関係的な……ライバルでありバディ(相方)でもある。仲間であり、でも敵でもある。友達でもあり、ちょっとだけ淡い恋情めいたものも交差する、バンクというキャラクター。これはチャーノン・サンティナトーンクンさんという方が演じていますけども。

ちょっと二宮(和也)くん風な感じの人ですけども。彼の家業が貧しいクリーニング屋、っていう設定なのがまた僕、よくできてるなと思って。つまり、彼の清廉潔白な人格、キャラクター。本来の人格そのものを表していると同時に、後に彼がお金を得て、最後の方ではクリーニング屋をグレードアップしてるわけですけども。その頃には、そのクリーニング屋っていう稼業がむしろ、マネーロンダリング的な、「罪を洗い流す、隠蔽する」「罪を気にしないようにしている人」っていうニュアンスに変化してるあたり。同じクリーニングっていう場所なのに、全然正反対のニュアンスに見えるようになっているあたりも、「これは上手いですぞ!」と。うなりながら見ていました。

ともあれ、そのテストシーン。3つあるうちの最初のひとつは、靴を使った面白い見せ場。さらに規模を拡大しての2つ目のテストのカンニングシーンでは、ピアノの指運び、運指を使った暗号伝達という……とても映画的なアイデアですよね。要するに、音楽を重ねるっていう映画的な演出もできますし、非常に映画的アイデア。主人公リンのキャラクターとも合っていて、とても楽しい。リンの天才性と同時に、知的教養レベルの高さみたいなものも示していて、非常に上手いし楽しいし、というあたり。さらにクライマックス、シドニーでの28分間にわたるテストシーンからの逃走劇、というあたり。いま言ったピアノの運指が、今度は違う……今度は「暗記」に使われるというあたり、ちょっと超現実的な見せ方が出てきたりとか。

■映画的なテクニックを重ねていく圧巻の上手さ

あるいはチーム内で、突如として……非常に切羽詰まったタイムリミットが迫っているのに、突如として駆け引きが始まったりとか。まあ、そのバンクくんが駆け引きを始めるのも無理からぬ……彼は本当にひどい目にあっていますから。それが始まって、「おい、どうするんだ?」っていうことになったりとか。あと、思わずこちらもえづきそうになる、非常にハードな……これは「バイオレントな」と言っていいでしょうね、自傷行為にも近いある場面があったりとかですね。とにかく、様々な予期せぬトラブルとか障壁が起きて、アイデアだけではなく、つまりそのカンニングテクニックそのもの云々というよりは、それをどう見せるかの映画的テクニックが非常に優れた……セリフにあまり頼らず、非常に映画的なテクニックを重ねて見せていく、見せ場のつるべ打ちで。僕はまさに映画として圧巻だ、という風に思いました。「この監督、本当に引き出しも多いし、上手いな!」という風に思いましたね。

で、ここでまさに主人公たちの若さ、ゆえの未熟さっていうのが、天才的な人がガンガンテストを解いていくだけじゃなくて、若さゆえの未熟さみたいなものがここで浮上してくる、っていうあたりも、青春物としても非常に……学生たちが主人公であるということが、非常にサスペンスとしても功を奏していたり。ここも上手いあたりだという風に思いました。とにかくこの、クライマックス28分間のテストシーン、からの逃走劇。僕は今年のサスペンスシーンの中で、最高のひとつじゃないかなという風に思いましたね。

あと、追っ手のおじさんが怖すぎる(笑)。ああいう時、やっぱりアジア人の若い子に対して、白人って怖えな!っていう(笑)。「白人、怖えよ!」っていう。なんかキャスティング的には監督は、昔の70年代スパイ映画の、ソ連側のスパイ風な感じでキャスティングした、という風に言っていましたね。で、そのサスペンスシーンが非常に盛り上がる、そこから、終盤に向けて主人公リンが、非常に倫理的に揺れ動く。そういう倫理的な問いかけに入る、という終盤は、お話のテンポ的にはちょっと鈍る、というところはあると思いますが。最終的には、その腐った世の中でですね、まあその主人公リンと対照的な、最初は非常に清廉潔白な人格だったバンク、という鏡像関係の2人。一瞬は心が通じかけた2人の悲しいすれ違い、というのを通して、たとえこの世の中が腐っていても……その中で、まさに「君たちはどう生きるか」っていう問いかけで、きれいに、まさに幕を引く。パタンとドアが閉まって終わる。「上手いな、きれいだな!」という風に思いましたね。

■タイ映画のイメージを覆されるハイレベルな一作。お金を払ってぜひ!

ということで、非常に僕は考え抜かれた、そして映画としての見せ方の引き出しも非常に豊富な、びっくりするような作品だと思いました。この監督、ナタウット・プーンピリヤさん。一作目はちょっと見れていないですけど、一作目のその評価とかと比較するに、もう飛躍的な進歩を遂げた、という感じだと思いますし。あと僕自身、やはりもっと大きな話で言えば、これまで無知ゆえのタイ映画への偏ったイメージ……もちろんね、『マッハ!!!!!!!!』とかさ、そういうのはありましたけど。そのイメージがちょっと覆されるような、びっくりするようなレベルの高さ、っていうのを本当に見せつけられた感じがいたします。

大ヒットしているのもこれは当然でしょうし、ますます公開館が広がりつつあるようなんで。ぜひぜひ、見に行かれたらどうですかね。エンターテイメント性とメッセージ性とか、社会的な問題のバランスも非常に取れた、お金出して映画館に見に行くならぜひ、こういうのを見に行きたいものだ、というような見事な1本でございました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ヴェノム』に決定!)

 

 

宇多丸、『ヴェノム』を語る!【映画評書き起こし 2018.11.16放送】

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宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸が前の週にランダムに決まった最新映画を自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を約20分間に渡って語り下ろすという週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこの作品、『ヴェノム』

(曲が流れる)

マーベルコミックスの人気キャラクター、ヴェノムを単独映画化。ジャーナリストのエディ・ブロックは、怪しい噂が流れるライフ財団を調べる中で、地球外生命体シンビオートに寄生されてしまう。その生命体は「ヴェノム」と名乗り、エディの体を蝕んでゆくが……。監督は『ゾンビランド』などのルーベン・フライシャー。出演は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のトム・ハーディや『ゲティ家の身代金』のミシェル・ウィリアムズ。また、先日亡くなったスタン・リーもおなじみのカメオ出演をしている、ということでございます。

といったあたりでこの『ヴェノム』をもう見たよというリスナーのみなさん、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「多め」。ああ、そうですか。やはり大きく公開もされてますしね。賛否の比率は褒め(賛)が4割、否が4割。「良いところも悪いところもある」という両論併記が残り2割。賛否両論、ぱっくりと別れている形でございます。

主な褒める意見としては、「負け犬たちのワンス・アゲイン展開で燃えた」「とにかくヴェノムがかわいい」「バディムービーとして萌えた」という関係性萌え。否定的な意見としては「ヴェノムが全然悪くないし、残虐シーンもなし。宣伝に偽りありでは?」「ヴェノムがエディに味方する理由が単純すぎる、もしくは納得できない」とか。「画面が暗くて分かりづらいし、フレッシュさのかけらも無いアクションシーンも退屈」といった感じございます。「先日亡くなったスタン・リーの姿を見て思わず涙」という方も多数。まあ、ここは本当にここ数日の話でしょうけどね。

■「そんなに萌えは安くないぞ!」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介していきましょう。褒めている方。「テンホー母」さん。「『ヴェノム』、見終わったらもうニッコニコです。大好きです。パンフで監督も言っていましたが、本当にある種の関係性萌えを持つ人間には刺さりまくると思います。とにかくエディとヴェノム、2人の掛け合いが楽しく、なんか知らんがエディのことを気に入っちゃったヴェノムがかっこよくてかわいくてたまりません。中盤のドローン追跡&バイクチェイスシーンも『ヴェノムさん、次はどんな超絶回避を見せてくれるのか?』とワクワクしました。

正直、『なんでヴェノム、気が変わったの?』とか、『そんなカジュアルに寄生乗り換えちゃって体は大丈夫?』とかいろいろツッコミどころはあるのですが、作品の説明不足を脳内補完する楽しみをくれるキャラクターたちだと思うのです」。たしかにこれ本当に、完成度がビシッとできた作品よりも、ちょっと隙があって、ツッコミどころがあったりとか、ファンが脳内補完したり、遊びどころがある作品の方がカルト的な愛され方というのをしやすい、っていうのも、それはそれこそ『ロッキー・ホラー・ショー』の時代からある傾向ではあって。今回の『ヴェノム』好き派もそういうことなのかな?っていうところはあるかもしれませんね。

一方、ダメだったという方。「ゾゾ」さん。「正直、私には全てが平均点以下の稚拙な作品としか感じられず、終始感情を動かされることがなく、真顔で視聴を終え、長過ぎるスタッフロールの壮大な音楽の中でじわじわと腹が立ったほどです」という。まあ、非常にいろいろと凡庸だったりとか、全部セリフで説明してしまう脚本も上手くないということで。「どれもちゃんと映像で描けば物語の血肉となるエピソードのはずなのに、先に言葉で説明されてしまうので、『はあ、そうですか』と興ざめです。ブロマンス要素についてですが、エディの人間性もヴェノムの過去もよく分からないまま、仲良しぶりだけ急に見せられても『そんなに萌えは安くないぞ!』と言いたいです。ただ、トム・ハーディの好演のおかげで主人公はなんとなく愛されるキャラクターに仕上がっていたと思います」といったあたりでございます。

■映画化までに紆余曲折あった『ヴェノム』

さあ、みなさん、ありがとうございました。私も『ヴェノム』バルト9で字幕2D、あとはT・ジョイPRINCE品川でIMAX 3D・字幕でも見てまいりました。バルト9の方なんかね、日曜深夜回なのに、イケイケ感のある若者を中心に結構入ってましたね。ということでまあ、スタン・リーが亡くなったこのタイミングでの『ヴェノム』。改めて説明するならば、もともとはスパイダーマンに対する悪役(ヴィラン)として登場した、マーベル・コミックス史上でも屈指の人気キャラクターにして、映画化ということに関しては、長年のすったもんだの果てにようやく……しかもちょっと、若干ねじれた形で実現、っていうのが今回の1本でもあるわけですね。

まず、スクリーン初登場となるのは2007年、みなさんご存知、サム・ライミ版『スパイダーマン3』なんですけど。これが、その三部作を監督したサム・ライミの趣味に反して、スタジオの意向で後からねじ込まれた要素だったりしたというのもあって……ヴェノムが誕生する経緯そのものや、あとは「スパイダーマンのダークサイド」という、オリジンとしての位置付けみたいなのは原作コミックをある程度忠実に押さえてはいるんだけど、ファンが見たかったヴェノムのツボ、みたいなのをちょいちょい外してしまった挙句、やっぱり作品内での扱いも結局中途半端、複数いるヴィランの中の1人でしかなかったり、映画全体としても明らかに詰め込みすぎになっちゃってたりして、結局「誰得?」っていう結果になっちゃったっていうのが、『スパイダーマン3』でのヴェノムの扱われ方だったと思います。

その後ですね、単独でスピンオフが作られるとか、あとはアンドリュー・ガーフィールド主演の『アメイジング・スパイダーマン』シリーズに登場するとか、いろんな話が何度も浮上しては、その都度いろんな理由で頓挫してきたという、こと映画化に関しては、ちょっと呪われた存在でもあった、っていうのがヴェノムなわけですね。

で、結局ソニー傘下、『スパイダーマン』シリーズの再リブートである『スパイダーマン:ホームカミング』、要するにトム・ホランド主演の方がディズニー傘下のマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)と合流することになったという今、今回の『ヴェノム』はどういう位置づけになってるか?って言うと……まず「MCUは関係ない」っていう風に、MCU側は言っています。「今回のヴェノムは関係ありません」っていう風に言っている。

さらには、「今回、スパイダーマンは登場しない」。それどころか、「ヴェノムの誕生にもスパイダーマンは全く関わっていない」という。つまり、独立した世界観、独立したユニバースを形成していく作品シリーズ、ということになっているということなんだけど……ただ、ここがちょっとまたねじれが残っているところで、ソニー側の製作陣は、さっき言ったトム・ホランド主演の現行『スパイダーマン』シリーズとの将来的なクロスオーバーの可能性を、完全には捨てたくない、っていうのがあるみたいで。今回の劇中でも、主人公のエディ・ブロックが、舞台はサンフランシスコなんですけど、そこで「元々ニューヨークのデイリー・グローブ社で働いてたんだけど、なんらかのやらかしをして、いられなくなってサンフランシスコに移ってきた」なんてことを言わせてる。デイリー・グローブ社っていうのは当然、デイリー・ビューグルという、ピーター・パーカー(=スパイダーマン)が勤めている会社のライバル会社なわけですよね。という過去がチラリと語られていたりするのは、だからまあ、「いずれクロスオーバーなんか、気が向いたらいかがですか? これが大成功したら、いかがですか?」みたいな(笑)。なんか、そういう可能性を残すディテールもあったりするという。

ともあれ、とにかく今回の『ヴェノム』は、原作コミックの特に『リーサル・プロテクター』という、要はヴェノムが単なるヴィラン(悪役)からちょっとダークヒーロー的な立場にはっきり転向して、単独シリーズが始まったという、その『リーサル・プロテクター』っていうのをベースにしつつも、基本的にはスパイダーマンとは関係ない、これ単体で完全に独立した1本として楽しめる、というような命題で作られてるということですね。だから、いきなりここから見ても一応大丈夫なようにはなってるという。

ヴェノム:リーサル・プロテクター (ShoPro Books) ヴェノム:リーサル・プロテクター (ShoPro Books)

で、これまたですね、紆余曲折を経て最終的に今回の監督として白羽の矢が立ったルーベン・フライシャーさんというのは、まず監督デビュー作『ゾンビランド』とか、その次の『ピザボーイ 史上最凶のご注文』っていうやつとかもですね、要はバイオレントな描写を含む、エクストリームでダークなコメディ センスっていうのがあって。まさに『ヴェノム』向きな人材なんですよ。あとは、その次に撮った『L.A. ギャング ストーリー』という、2013年のやつ。これは、いい意味でものすごく表面的なスタイリッシュさで、『アンタッチャブル』をいまの感覚でポップに作り直してみちゃいました!みたいな感じで。それも僕、すごい好きだったりして。

とにかく、バイオレンス含むいまどきのエクストリームな表現というのを、いい意味でライトにポップにこなすことができる、っていう人材。そういう意味でルーベン・フライシャーさん、本当に『ヴェノム』という素材にとても合っている、と言える監督人選だと思うんですね……本来は。

■レーティングを引き下げた結果、フライシャー監督の「ポップさ」だけが残った

実際に――出典元付きのWiki調べですいませんけど――監督自身が、その原作キャラクター、原作のヴェノムの暴力性を尊重することが重要、という風に語っていたという。そして、今回のヴェノム単独映画化が実際に動き出したのも、『デッドプール』とか『LOGAN/ローガン』といった、要するにバイオレンス描写などなどをソフトに緩めず、あえて少し高めのレーティングでね、ちゃんと公開したという作品が、興行的にも成功したっていう、それを受けて動き出した。にもかかわらず……っていうね。

これもね、原典付きのWiki調べで申し訳ございませんけど、ソニーの首脳陣側的には、さっき言ったように将来的にスパイダーマンとか、あわよくばMCUともクロスオーバーするということになった時に、その”高いレーティング”っていうキャラクターになってると支障が出る、っていう風に考えて。最終的には暴力描写を大幅にトーンダウンして、PG13として公開することになった、という経緯を経ているわけです。

さあ、その結果がどうなったかって言うと……さっき言ったようなルーベン・フライシャーさんの持ち味、本当はだからすごく、バイオレンス描写含むダークでエクストリームなコメディセンスはある方なんだけど、さっき言ったルーベン・フライシャーさんのテイストの中での、「ライトな、ポップな手際」っていうところだけが残った、という。で、まさにそのことによってこの作品、そこが魅力というか、「だから見やすいんだ。安心してファミリームービー的に見れる。そこがいいんじゃない!」っていう方が少なからずいる。これもまあ、わかるんですけども。

■寄生型モンスター映画のお約束をなぞりつつも、どこか薄口

全体にですね、やはりすべてがかなり薄口。はっきり言えば「ぬるい」仕上がりになっていることは間違いない、という風に思います。まず、トム・ハーディ演じる主人公エディ・ブロックと、その地球外生物であるシンビオートの中の一個体であるヴェノムが、完全に一体化するまでのところね。前半部はこれ、監督のルーベン・フライシャーさんがインタビューなどでもしきりとおっしゃっている通り、たとえばジョン・カーペンターの『遊星からの物体X』。最近ね、デジタル・リマスター版が上映されたりしていましたけども。あのオープニング、宇宙の彼方から宇宙船が、遠くからフーッとやってきて、燃えながら大気圏突入していく、っていうあのオープニングからしてもう、完全に『遊星からの物体X』的ですし。

もちろんですね、生物から生物への寄生というか、寄生して同化、擬態を繰り返していく、というその生き物、モンスターとしての生態っていうのはまさに『遊星からの物体X』だし。あとは、もっと言えばそういう地球外生物モンスター物で言うと、『ヒドゥン』とかもね、要するに人間から人間へと乗り移っていって、なおかつ、「宇宙人とのバディ物」っていう要素も、『ヒドゥン』にはありますからね。『ヒドゥン』とか、あと近年だとやっぱり、『ライフ』っていうホラー映画に出てきた……ライフ財団っていう今回の劇中に出てくるあれもあるから、「『ライフ』が『ヴェノム』の前日譚なんじゃないか?」っていう噂が一時期流れたぐらいなんだけど。まあ、『ライフ』で出てきたあの地球外生命体とか、そういう寄生型の異生物・モンスター物のジャンルを、今回の『ヴェノム』前半では、ある種お約束的になぞっているわけですね。

あるいは、これも監督自ら名前を挙げている通り、デヴィッド・クローネンバーグ監督の、特にやっぱり『ヴィデオドローム』とか『ザ・フライ』のように、要は人間の肉体、そしていずれは精神が「内側から次第に変容していく恐怖」的なのものも、まあやはりあくまでライトにではあるけども、一応描かれていく。たとえば彼女に「俺、なにかに感染しちゃったかもしれない。ヤバいんだよ、助けてくれよ。俺、死んじゃうのかな?」みたいに泣きつくっていう……なんだけど、ドン引きの奇行に走ってしまう、みたいなあのくだりは、特にやっぱり『ザ・フライ』っぽいな、みたいに思ったりしました。

あのあたり、前半部は、トム・ハーディのダメ感の表現みたいなのがすごくかわいらしくて。そこで「エディ・ブロック、かわいい!」ってなるのもまあ、わかる気がします。特に、首周りが汗じみっていうか、なんか常に濡れてるパーカー?(笑) あのなんか小汚い感じとか、かわいらしいですよね。あと、これも監督がタイトルを挙げていますけども、ジョン・ランディス監督の『狼男アメリカン』なんかも挙げていますね。これも肉体の変容、内側から変容してしまうっていう恐怖と、あとは人ならぬもの、この世ならぬものとバディ化していくっていう、それの会話劇でもあるという部分。これもまあ、たしかに通じるところはあるかな、と思います。

■ホラー的な恐怖、不気味さ、グロさは一切ナシ

といったあたりで、いま挙げたようなタイトル、僕もめちゃめちゃ好みのラインですし、おそらくルーベン・フライシャーさんもそういうところをちゃんと狙ってるわけなんですけども……ただ、さっき言ったようにこの『ヴェノム』、全編に渡って、さっき言ったようにレーティングを下げるために暴力描写みたいなものが大幅にトーンダウンした一環として、どれだけバイオレントっぽい事態が起きようとも、血の一滴も流れないんですね。なにが起ころうとも、その場はきれいさっぱり……ちょっと違和感があるくらい、きれいさっぱり、になっているわけです。

といった、この違和感というか、あまりにも何が起ころうともきれいさっぱり、跡形もなく何もないので、何が起こったのかよくわかんない場面さえある、っていうぐらいなんですけど。これは後ほど言いますね。加えてですね、シンビオートの寄生描写も、大変おとなしいです。それこそ『ライフ』に出てきたあれみたいに、グニグニグニグニ、スライム状のやつがグニグニモジョモジョ……要は、せっかく気持ち悪い触手めいたボチョボチョがたくさん突起している、っていう形をしているわけですよ。で、「うわっ、気持ち悪い!」なんて言うわけですよ。なんだけど……こうやって人に取り憑く時、たとえば口からとか、耳、目からとか、ケツの穴からとか、とにかく体の穴から入り込むっていう、そういう生理的な嫌悪感をもよおすような描写などが一切なく、ただものすごくスムーズに「染み込んでいく」んですね。染み込むような。

あと、逆に体の中にいるシンビオートが外に姿を表す、で、ヴェノムにガッとなる時も、服とかを通り越して、ものすごくスムーズに……もう「変身!」みたいな感じで、「染み出る」感じになっているんですね。といったあたりで、結局のところ、「デヴィッド・クローネンバーグを参考にした」とか言っているんだけど、あとは「ジョン・カーペンターを参考にした」とか言っているんだけど、肉体破壊とか肉体の変容感……要はやっぱりホラー的な怖さ、ホラー感、ダークさみたいなものは、実はほとんどない作りなわけですね。これは当然、さっき言ったレーティングを下げた、トーンダウンの結果でもあるでしょう。

ただ、たとえば今回の悪役、カールトン・ドレイクというね、大富豪を演じるリズ・アーメッドさん。この方がですね、まるで『ナイトクローラー』でのジェイク・ギレンホールのあいつから邪悪さが、文字通りヴェノム的に乗り移ってしまったかのように、なんか痩せ型にデカい目を生かしたサイコパス演技が、非常に見事で。人体実験のくだり……直接的な描写以上の怖さを醸し出しているのはやっぱり、これはリズ・アーメッドさんの演技力がすごくあるからだと思います。ここはすごくよかったですけどね。ただ、あれも本当はやっぱり、ビジュアル的にも恐ろしいともっとよかったですけどね。

■一種のバディものとしての楽しさはある

で、じゃあそういうホラー感とかはあんまりない。ダークさもあんまりない。その代わり、ということで、実はこここそが本作のキモであり、まあ喜んでいる人も多いあたりなんですけど、ヴェノムが主人公のエディ・ブロックに話しかけだしてから……内なる声が話しかけだしてからは、まあ二重人格的なとこで言うとやっぱり『ジキル博士とハイド氏』みたいところがルーツだとは思いますけども、話しかけだしてからは、多くの方がすでに指摘する通り、まさしく『ど根性ガエル』……もっとそのものズバリで言えば『寄生獣』的な。あと、まあそれこそこの番組的な文脈で言うならば『うしおととら』とかね。『うしおととら』は完全に一体化しているわけじゃないけど、まあでもほぼほぼ一体化したような存在、みたいな『うしおととら』。

要は、それぞれ本来は独立した意思を持った2者が合体して……時には反発し合いながらひとつの目的に向かってゆくという、一種のバディ物としての側面がどんどんどんどん前面に出てくる、という。で、ここに関係性萌えを感じて喜んでらっしゃる方はたくさんいるようだし、それももちろんわかります。そういう面白さがあるというのはとってもわかります。実際、意思に反してビヨーン、ビヨーン!って体が動かされてしまうあたりは本当に『ど根性ガエル』っぽいし、あとはそこから始まる室内格闘。実際、今回の映画ですごくいいなと思うのは、フィジカルな、たとえば爆発とか格闘とか、実際に撮っているものとCGの混ぜ合わせ、みたいなのがすごく上手くて。

そこから始まる室内格闘から、わかりやすくサンフランシスコの地形を生かした、ちょっと懐かしい感じのカーチェイス、バイクチェイス。実際に、モロにカーチェイスの革命的映画『ブリット』に出てきた「ブリットヒル」っていう……要するにものすごい勢いで坂をボーン!って上がると、車体もボーン!って上がっちゃう、っていうブリットヒルでのジャンプシーンみたいなのが出てきたりして。要は、あえてちょっとレトロな感じの、懐かしい感じのカーチェイス、みたいなのもやってみせたりしてるという。まあ楽しいは楽しいんですけどもね。そのあたりも。

■対立なき共存関係、ゆえにカタルシスも低め

ただ、元にあった「スパイダーマンへの逆恨み」という、要はエディ・ブロックとヴェノムの共通点っていうものが、今回はないわけですね。で、一応ヴェノムが「同じ負け犬同士、シンパシーを感じたんだ」的なことは口で言うんですけど、何にせよ「お前、気に入った!」くらいのかなりハードル低めな動機だけしか……しかも、やっぱり先ほどの否定的なメールにもあった通り、セリフ上の説明しかないんですよ。つまり、本来は侵略者である、そして問答無用の捕食者でもあるはずの地球外生物と普通の地球人っていうのが、それほどはっきりとした立場的な対立や軋轢、それを経た和解なり合意、というプロセスを経ないまま……例えば『寄生獣』で主人公とミギーがまさにそうやって順繰りに経てきたようなそういうプロセス、「対立と和解」「軋轢と合意」みたいな、そういうプロセスを経ないまま、わりとあっさり無条件で、共存関係になってしまう。

つまりそれによって、バディ物としても、つくりがぬるい分、カタルシスが薄くなっちゃっている、というのも僕、間違いないと思いますね。あと、まあメールでも指摘している人が多かったですけど、他の生き物や人間にも平気で……「あの人」にも寄生して、その人も全然健康なまま乗り移れちゃうんだったら、要するにエディ・ブロックという個体でなきゃいけない理由がいよいよ、「お前、気に入った」以外になくなっちゃう、っていうことですね。共依存性っていうのが非常に弱い関係になっちゃっている。なぜ、エディ・ブロックじゃなきゃダメなのか? そしてエディ・ブロックも、なぜヴェノムを追い出したままにしちゃダメなのか?っていう、そこの説明が大変に弱い話になっちゃっている。

で、結果、さっき言った極度のバイオレンス描写のソフト化っていうのも相まって、なんだかヴェノムが、ものすごーく、「単に聞き分けのいいコ」でしかなくなっている。これちょっと、『スーサイド・スクワッド』のメンバーが「普通の人よりもいい人にしか見えないんですけど?」っていう、あれにも通じる感じになっちゃっている。まあ、「そこがかわいいんじゃない!」とか「そこがいいんじゃない!」っていう人がいるのも分かるし、まあだったらそれはそれでいいんですけど……って感じなんですけど。個人的にはですね、この「負け犬同士」っていうキーワードを使うんだったら、もっとこれは生かせたはずだと思っていて。はい。こっから先ですね、「ぼくの考えた、もっと『ヴェノム』を良くする方法」です(笑)。

■ヴェノムがエディを主体的に選ぶ場面があれば燃えた/萌えたのに……!

ええと、一応ですね、高い理想を掲げている、成功者であるドレイクという人と、地を這うような目線でしか生きられない、社会的敗者であるエディっていうのはですね、ちょうど『ウォッチメン』で言う、オジマンディアスとロールシャッハの関係なわけです。だから、その「人類全体のことを考えてやってるんだよ!」って偉そうなこと言うドレイクに対して、「勝手なことを言ってんじゃねーぞ!」っていう……まさにその、大きい理想を持ってやってんだよ!っていう人に対して、地の下からの、地を這うような視点からの反論という、アンチヒーロー、ダークヒーローならではの思想的対比、っていうのが、もっと効果的に立てられたはずだし。

それこそ、たとえばドレイクさんと最終的に合体した、シンビオートの親分である、ヴェノムの上司ライオットが、「こっちのドレイクっていう奴の方が、人間として……つまり“乗り物”として優れた存在なんだから、お前もそっち側のその劣った人間なんか捨てて、こっちと同化しろよ。こっちに来いよ!」っていうのに対して、それまでは一応シンビオート側の論理でずっと進んでいたヴェノムが、はっきりと拒絶して、エディを主体的に選ぶ!っていう場面を、クライマックス、もしくはクライマックス手前に持って来れば……これ、めちゃめちゃアガりませんか?

で、バーッ!って、「俺はこっちを取る!」って戦いだしてから、エディが「えっ、でもお前、あいつめちゃめちゃ強いって言ってたけど……」「そうなんすよ、勝ち目、ないんすよ……」みたいな感じで(笑)。それで戦いだすとかさ……これ、アガりません? という、みたいな感じだと思いますね。

で、まあとにかくでも、諸々がそういう薄いことになっちゃっていてですね。予告でも出てくる、悪党をこうやってヴェノムが捕まえてて、頭を食う、っていうくだりが出てくるんですけど……とにかくその、頭を食いました。でも、その後が、血も出なければ……その後もなにも、死体ひとつ残っていないですよね。床にもなにもないんですよ。跡形もなくきれいになりすぎてて。まあ丸呑みしちゃったのかなんか知らないけど、ちょっと何が起きたのかわからないレベルになっちゃってるところも、ちょいちょい出てきたりして。なんかちょっとぬるい出来になっちゃってる。

ただね、いろいろと言ってますけど、MCUがハードルを上げる前の、「そんなに良くないかもね」っていうぐらいのアメコミ映画が多かった時代のことを、ちょっと思いだす感じはあったかもしれません。ただまあ、そのルーベン・フライシャーさんも、多分これはちょっと「これで満足」っていうわけではないんじゃないかなと思います。インタビューなどでも、「あのウルヴァリンも最終的には『LOGAN/ローガン』みたいなところに育っていったように、これから! これからですよ……!」みたいなことを言っていたりするんで(笑)。

まあ、よくも悪くも安心して見れちゃうファミリームービー的なところに収まってしまったのかな、っていうのはありますね。あと、エンドロールでね、おまけ映像がつく。1個目はまあ続編で、コミックにも出てくるある有名なキャラクターを、あの人が演じますと。「ある有名なヴィランを、あの人が演じますよ」っていうのが出てくる。これはまあ、よくあるやつで、お約束としていいでしょう。なんだけど、もう1個付くんだよね。もう1個付くそれが、要は先ほどから言っているソニーサイドのですね、「あわよくばスパイダーマンの世界とつなげたい。まあ直接は関係ないんだけど……」っていう、その欲がなんかまたねじれた形で……要するに今回の『ヴェノム』と一切関係ない作品の映像が、結構長い尺を使って出てくるんですよ。

「どうかな、そういうの?」っていう感じが正直、しちゃいましたね。はい。ただですね、やはりこのタイミングでこそ、最後の方でですね、スタン・リーがカメオ出演しております。スタン・リーが声をかけてくる、というおなじみのくだり。やっぱり、スタン・リーの血脈の上に出てきた、長く愛されるなりの魅力はちゃんとたたえたキャラクターでもあったんだな、っていうのが、いまこのタイミングだからやっぱり切実に熱く感じられる、というあたりっていうのを実感する意味でも、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

 

宇多丸、『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』を語る!【映画評書き起こし 2018.11.23放送】

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宇多丸:

さあ、長尺を取るということで時間短縮バージョン形式でお送りさせていただきます。ここからは私、宇多丸が前の週にランダムに決まった最新映画を自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を約20分間に渡って語り下ろすという週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこの作品、『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』

(曲が流れる)

「ドゥーン……♪」っていう、この「The Beast」というテーマ曲。アメリカとメキシコの国境地帯で繰り広げられる麻薬戦争をリアルに描き、アカデミー賞3部門にノミネートされた『ボーダーライン』の続編。CIA特別捜査官マットと、麻薬カルテルに家族を殺された過去を持つ暗殺者アレハンドロは麻薬王の娘を誘拐し、メキシコ国境地帯を仕切る麻薬カルテル同士を争わせようとするのだが……。主な出演は前作に引き続きベニチオ・デル・トロとジョシュ・ブローリン。脚本は前作でアカデミー脚本賞にノミネートされたテイラー・シェリダンが続投。監督はドゥニ・ヴィルヌーブに代わり、イタリア人監督のステファノ・ソッリマが務めたということでございます。

というところで、もう見たよというリスナーのみなさん、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「多め」。ああ、そうですか! よかった。公開規模に対しては多め。賛否の比率は褒めが9割、残りが1割。

主な褒める意見としては「マイナス点がない。今年ベスト級」「悪夢のような冒頭から絶えることのない緊張感。先の読めない展開。容赦ないバイオレンスが続き、最後まで飽きなかった」「前作以上に現実社会が抱える闇、残酷性を描きつつ、エンターテインメントとして成立させている脚本が見事。テイラー・シェリダン作品にやはり外れなし」「ベニチオ・デル・トロ演じるアレハンドロの斬新かつショッキングな拳銃を使った処刑シーンだけで5億点。切れ味抜群のラストシーンも最高」といったところでございます。

否定的な意見としては「意味深なラストシーンを含め、結局大きな問題が解決したのかどうかはっきりせず、不完全燃焼。前作では冷酷無比な殺人マシーンだったアレハンドロとマットが今作では急に人間臭いキャラクターになっており、冷めてしまった」「アレハンドロと誘拐したカルテルのボスの娘が心を通わせる説得力が足りない」というようなあたりでございました。

■「噛めば噛むほど味の出る、複雑で美味しい映画でした」(byリスナー)

というところで、代表的なところをご紹介しましょう。ちょっと端折りながら行くかもしれませんけどね。まずはこちら、匿名の方。「『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』、ウォッチしてまいりました。正直言いますと、私は前作に乗れなかったのですが今作はバッチリ好きになりました。今作『ソルジャーズ・デイ』のもっとも良い点を結論から言ってしまうと、嫌なフェアさが全編に貫かれている点です。

あらゆる人間が『自分は優位に立っている。うまくこなせている』と思いきや、それが揺るがされ、覆されていく。そのほとんどが因果応報や自業自得と言ったわかりやすい物語的ルール、わかりやすい善悪の基準に沿わない、より理不尽ななにかによって押し流された結果である。これこそが混沌とした現実世界そのものと言えます。私が前作に乗り切れなかった理由がエミリー・ブラント演じるケイトの主観での語りによりベニチオ・デル・トロ演じるアレハンドロたちが圧倒的優位として映ってしまい、さもメキシコの現状について彼らはよくわかってるんだと一方的な上から目線で見下されてているような腑に落ちなさを覚えたからでした。

しかし、今作ではその点すらも踏まえて揺るがしに来たところが見事です。まして、その重要なポイントでトランプ大統領への剛速球な皮肉を叩きつけてくるあたり、アメリカとメキシコの国境をめぐる話という今作の題材に対してフェアさを確保しています」という。あとは子供の描き方も非常にいいとかですね。細かい部分でも非常にいい、「噛めば噛むほど味の出る、複雑で美味しい映画でした」というご意見でございます。

一方、ダメだったという方。「大神源太80キロ」さん。「一作目『ボーダーライン』と『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』の二本立てで鑑賞しました。結論から言うと、二本立てで見たのは失敗でした」と。まあ、一作目がすごく良くて、一作目にすごくグッと来た中で、それと比較して二作目はあまりちょっと、劣って感じられてしまった、というようなことをいろいろと書いていただいています。ただしこの方も、「もし『ソルジャーズ・デイ』を単独で鑑賞していたら、たぶんこんな感想にはならなかったでしょう」という。二本立てで見たからこういう風になってしまった、というようなご意見でございました。

ちなみにまあ、割と批評筋とかでもちょっと割れめ気味ではあるのかな? 賛寄りの賛否割れめ気味、みたいなムードだと思いますけどね。はい。

■強烈な印象を残した前作『ボーダーライン』

ということで『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』、私も実はちょっと早めに見ることができて、その後に今週角川シネマ有楽町でも見てまいりました。ただ角川シネマ有楽町、日曜夕方の回にしてはもうちょっと入っててもいいかな、というような感じではありましたけどね。

さあ、ということで2016年『ボーダーライン』、原題は『Sicario』。ヒットマン、暗殺者という意味ですね。『Sicario』の続編ですね。その一作目『ボーダーライン』、僕は前の土曜の番組の時代、2016年4月16日に評しました。いまでも公式書き起こし、残っていますからね。ぜひ読んでいただきたいですが。とにかくその一作目の『ボーダーライン』は、お話の構造がちょっと変わったつくり、っていうのがポイントでしたよね。エミリー・ブラント演じる一応の主人公、FBI捜査官ケイトは、実は終始、事態の真相・核心からは、常に蚊帳の外に置かれたまんま。

このくらい徹底して最初から最後まで蚊帳の外、事態に対して基本的に無力、受け身でいるしかない主人公、っていうのも珍しいぐらい。そんな感じでしたね。でもまさにその、「為す術もなく、地獄のような真実の一端を垣間見る程度しかできない」っていうこの視点こそが、『悪の法則』とか『ノーカントリー』などと同様、やはりそのメキシコ麻薬戦争という、もはや誰の手にもおえないような現実というものの切り取り方として、一種誠実な、ふさわしい語り口でもある……といったあたりが一作目『ボーダーライン』、まずは特徴的なところでございました。

そしてなにより、そこからさらにクライマックスで、ストーリーテリングのシフト、視点が、ガシャンと切り替わってですね、それまではとにかく、信用できない感、ゲス野郎感ビンビンのジョシュ・ブローリン演じるマットというキャラクターと並んで、それまではひたすらの謎の男、という感じでしかなかったベニチオ・デル・トロ演じるアレハンドロというのが、彼の真の動機……彼こそがある意味で真の主人公だった、ということが終盤で一気に明らかになるという、もうかなり変則的な構造。これもまた前作『ボーダーライン』、非常に強烈な印象を残すあたりだったと思います。

もちろんね、監督のドゥニ・ヴィルヌーヴと撮影監督のロジャー・ディーキンスならではの、非常にミニマルでアーティスティックな画作りとか、あとは今年2月に亡くなってしまったヨハン・ヨハンソンさんによる、不気味なこの低音が静かな恐怖を演出する音楽……先ほどもね、ちょっとかかっていましたけども。その音楽とか、とにかく映画を構成する各要素が、非常に高密度、高品質という感じの一作だったのは間違いないと思います。

■現在もっとも注目すべき脚本家、テイリー・シェリダンの手腕

なんですが、特にこの『ボーダーライン』一作目で名を上げた人といえばやはりですね、先ほども名前が出ました、ちょっとイレギュラーな、意表を突くつくりとか、題材に相応しい硬質な語り口っていうのを、なんと映画脚本一作目にして見事にものにしてしまった、テイラー・シェリダンさん。もともとは俳優の方ですけども。脚本一作目で、いきなりアカデミー賞にノミネートされちゃうという、すごい人ですけどね。

この番組でも8月17日、ちょうど下北沢の公開放送の時に、彼の脚本・監督作『ウィンド・リバー』っていうのを評したばかり。その時も「テイラー・シェリダンさん、この人の名前、覚えて帰ってね」って言ったので、まあ覚えている人もいると思いますけども。とにかくその『ボーダーライン』、そしてアカデミー賞などでも高く評価されたNetflixオリジナル作品『最後の追跡』、そしてその次の『ウィンド・リバー』っていうこの「フロンティア三部作」……この場合の「フロンティア」っていうのは、「むき出しになった過酷な世界」っていうことでいいと思いますけどね。

「フロンティア三部作という位置づけだ」という風にテイラー・シェリダンさんも言っていますけども。そんな感じで、かなり社会派スリラー~ノワールの要素も色濃いんですけど、基本的にはやっぱり、現代版、現在進行系型西部劇の作り手。つまりその、アメリカ映画のひとつの伝統っていうのをいまに受け継ぐ担い手として、今後も間違いなく非常に注目される作家なわけですね、テイラー・シェリダンさん。『ウィンド・リバー』評でも触れた、ケビン・コスナー主演のテレビドラマ『Yellowstone』っていうの、早く日本で見れるようにならないかな?って思ってますけども。これもまあ、現代版の西部劇っていう感じですけどね。

■『アウトレイジ』に通じる権謀術数とパワーゲーム、情け容赦ない「ハシゴ外し」

ということで、そのテイラー・シェリダンさんが引き続き脚本を手がけたこの『ボーダーライン』の続編が、今回の『ソルジャーズ・デイ』。『Sicario: Day of the Soldado』っていう原題ですけどね。で、今回はですね、前作でそのエミリー・ブラントが演じたケイトっていうのは登場しない。で、ベニチオ・デル・トロのアレハンドロと、ジョシュ・ブローリンのマット。あとはそのマットのチームメンバーである、スティーヴ・フォーシングっていうキャラクター……これ、演じているのはジェフリー・ドノヴァンさん。『バーン・ノーティス』とかの人ですね。それが、絶妙な「プロ的な心なさ」を醸し出してるところが(笑)、本当にジェフリー・ドノヴァンさん、最高ですけど。

まあとにかく、だからアレハンドロとマットとスティーヴ・フォーシングっていうこの3人のみが続投で、今度は彼らの話になっていく、というような作り。先ほど話したような前作『ボーダーライン』という作品の特性をちゃんと理解してる人なら、つまり主人公ケイトはもう基本的には蚊帳の外、何もわかっていない……最後に「私は何もわからない、ということがわかる」っていう主人公、ということをちゃんと理解してる人なら、「まあ、続編作るならケイトは出てこないのは当然でしょう」っていう、納得の作りだと思いますけどね。

で、前作でのアレハンドロのラストの方のセリフを踏まえるなら、今回は完全に「狼」たちサイドの話なんですね。ケイトにアレハンドロが、「君は狼じゃないんだから、こんなところにいちゃダメだ」っていう。今回はもう、『アウトレイジ』じゃないけど、「全員、狼」っていうね。で、実際今回の『ソルジャーズ・デイ』は、『アウトレイジ』と非常に通じる、陰湿に暴力的な権謀術数と、パワーゲーム。そして、その駒となる兵隊にとっては非常に非情な、情け容赦ない「ハシゴ外し」ですね。そんな話でもあるというあたり、『アウトレイジ』と非常に通じる構図があると思いますけども。

■傑作の続編を手がけるのはイタリアの新鋭ステファノ・ソッリマ監督

とにかくテイラー・シェリダンさん、『ボーダーライン』をそもそも三部作として構想していたということで。まあ、三作目が作られるかどうかはこの二作目の成否如何、ということなので、ぜひともみなさんにこれは行っていただかないといけないわけですけども。ちなみに今回、ドゥニ・ヴィルヌーヴさんは外れまして、代わりに監督として白羽の矢が立ったのがですね、イタリアの方なんですが、ステファノ・ソッリマさん。この方、お父さんがセルジオ・ソッリマさんっていう、チャールズ・ブロンソンの『狼の挽歌』とかの監督さんなんですね。

で、このステファノ・ソッリマさん、これまではテレビシリーズ版の『ゴモラ』っていうね、ナポリのギャングの話……あと、映画だと、実はちょうど今週、「のむコレ2018」っていう流れの中の1本として東京でも上映されてた、『バスターズ』……原題が『A.C.A.B.: All Cops Are Bastards』っていう。これ、僕もこの機会に早起きして見に行ってきたんですけど、その『A.C.A.B.』とか、あとはもうちょい見やすいやつで言うと、2015年の『暗黒街』っていう作品を手がけてこられた方なんですね。

パンフの文によるとこの方、ステファノ・ソッリマさんは、なんと『コール オブ デューティ』の映画化の監督として非常に有力視されている、ということらしいんですけどね。まあ、いずれにしても過去作に共通してるのは、バイオレントでハードな群像劇、っていうことですね。で、血も涙もないような現実っていうのを容赦なく、本当に真正面から捉えつつも、そんなその現実のダーティーさ、「正しくなさ」にまみれきった……まあ、人としては間違いなくド下衆の部類に入る登場人物たちに、それでもかろうじて残る一片の魂、人間らしさ、熱さのようなものを、しっかりとすくい取る、っていう。こういう語り口に長けているわけです。

で、これは結果的にですね、一作目『ボーダーライン』の、さっき言ったように非常に突き放したストーリーのあり方っていうのが、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のひたすらクールなタッチっていうのに非常に合っていたのと同じくですね、今回の二作目の『ソルジャーズ・デイ』は、やってることは前作以上にハードで非情、情け容赦ない非情な世界で、かつ、非常に重層的な現実、っていうのを扱っているんだけど、実は最終的に、前作では見えなかった登場人物たちの人間性、ハートとかソウルとか、もっと言えば弱さみたいなものまで浮かび上がらせる、また違ったテイストのパート2なんですね……という、このパート2の話のテイストと、ステファノ・ソッリマさん(の持ち味)は、非常に相性がいい。最適な人選である、という風に言えると思います。

■ぶっきらぼうなまでの淡泊さで世界の暴力の連鎖が描かれる

ステファノ・ソッリマさん、もちろん前作のクールでドライなタッチっていうのは基本的に継承しつつも、(つまり同じく)あまり余計なことをベラベラベラベラとセリフで話すような感じじゃないんだけど、ドゥニ・ヴィルヌーヴが「間接描写で、感じさせる」っていうやり方を得意としてるのとは対照的に、ステファノ・ソッリマさんは、時折ギョッとするような、非常に直接的ショック描写を、それを素っ気ないまでの無造作さで放り込んで来る、という。また違ったスタイルのクールさ、ドライさっていうか……で、自分の持ち味というのをしっかりと提示している、という感じだと思います。

まず、冒頭ですね、そのメインキャラクター、実質上の主人公であるアレハンドロが登場するまでのオープニングシーン、このたたみかけからしてもう、圧巻ですね。今回、メキシコ麻薬戦争って言ってますけど、もう国境を越えて不法にアメリカに持ち込まれるブツっていうのは、すでに「ヤク」よりも「人」になっている、っていうね。人の方がコストがかかんない、っていう時代になっている。で、しかも移民の流入に対して厳しくアメリカが当たれば当たるほど、メキシコの犯罪カルテルによる闇ビジネスは潤う……そして、弱者たちがカモとして苦しむ一方、っていう、非常にさらにタイムリーな題材、という風になっているんですね。

で、そこにさらに、たとえばISISによる爆弾テロリズムであるとかですね、ソマリアの海賊が出てきたりですね、そんな感じの、世界全体にまたがる暴力と恐怖の連鎖っていうところまで、どんどんどんどん話が、さっき言ったようにそのギョッとするようなショッキング描写の無雑作な放り込みとともに、本当にぶっきらぼうなまでに、淡々と淡々と、次々と……だから、メキシコのすごい現状が映し出されたと思ったら、アメリカ国内のそういうISISによるテロリズムが映されて、その次にはソマリアの場面になって。どんどんどんどんと、ぶっきらぼうなまでの淡々さで、そういう世界の暴力の連鎖っていうものが、場面を変えて映し出されていく。

■前作以上の極悪野郎を見せつけるジュシュ・ブローリン

ここに至るまで、たよりになりそうな主要キャラクターすらまだ登場しない状態。この冒頭の、このたたみかけからしてもう……こういう感じだと思いますね。「僕たちは、どこに連れて行かれてしまうんだ?」っていう感じ。現実の世界を覆う不安そのままの……とにかくやたらと暴力的なのに、つかみどころがない感じ。「敵が見えない」怖さ。いまの世界を覆う恐怖そのものですよね。敵が見えない怖さの感じ。それを、超見事に表現しているオープニングだと思います。

で、ようやくですね、その見る側の物語上のたよりになりそうな主要キャラクターである、ジョシュ・ブローリン演じるマットがですね、前作から引き続き……もう足のアップから入りますから。要するにマットは、最初ね、前作覚えてますかね? 最初に、「サンダルを履いてやがる」っていう。その「サンダルを履いている」っていうのが、なめくさったゲス野郎感っていうのを演出しているわけですよ。で、今回もサンダルのアップから始まる。これはもちろん……マットの、なめきった胡散臭さ感ビンビンの、サンダル履き。これで登場するわけです。で、したのはいいんだけど、このマットが、いつの間にか前作以上の極悪野郎に成り下がり果てている、っていう。

実際、このマットと、ベニチオ・デル・トロ演じるアレハンドロというキャラクター、この2人が実質主人公であるにもかかわらず……その「麻薬カルテル殲滅」という大義のもと、実はアメリカ政府が裏で糸を引いている、ブラックオペレーションと言われる表に出ない作戦で、要するに「内戦を勃発させる」工作を主導していく、という。つまり、前作以上にマットとアレハンドロの立ち位置は、スーパーダーティーなところから始まるわけですよ。こんなことをやる人たち、普通100%悪役ですよ! 最初にジョシュ・ブローリンがやることとか、普通に悪役ですよね。っていうキャラクターなわけです。

■初めて見る銃の撃ち方「パンプ・ファイアー」

で、まずはその、敵対組織の襲撃に見せかけた陽動作戦……っていうか「陽動虐殺」が、白昼堂々行われる。白昼堂々の銃撃。しかも同時にこれは、アレハンドロというこのキャラクターにとっては、至極個人的な復讐も兼ねている。だからこそなのか、これはメールでも書いてらっしゃる方も多かったですけど、ここで彼が見せるベレッタの撃ち方、銃の撃ち方が、ちょっと僕はスクリーンで初めて見た撃ち方なんですけど。言わばオートマチックのファニング……ファニングっていうのは、西部劇でよくやる、ハンマー(撃鉄)をパンパンパンッ!って叩く早撃ち・連続撃ちの方法ですけども。まあ、擬似的なフルオートっていうか。これをオートマチックでやる。

「パンプ・ファイアー」っていう実際にある撃ち方だそうなんですけども。これはガジェット通信というWEBメディアでの、石井健夫さんという方のコメントで、僕もはじめて知りました。パンプ・ファイアーっていうんだそうだけど。とにかくその擬似的なフルオートで、カルテルの残虐な手口に見せかけると同時に、アレハンドロ個人の、個人的なその憎悪っていうのが合わさった……もうなんていうか、「ファッ!」ってなるような描写。映画で初めて見る撃ち方の描写が1個入っているだけで、もうこの時点で5億点! (というリスナーメールの感想に)僕も同意です。

あとですね、その後にイザベルというカルテルのボスの娘を誘拐する、というくだり。これを演じているイザベラ・モナーさん。もうすでに若くしてジェニファー・ロペス的なというか、すでに将来のスター感ビンビンのオーラ。すごいですよね。彼女、絶対にスターになるんじゃないかなと思いますけども。彼女を誘拐するシーン。車内からのワンカットで、まず前方で車が爆発してボーン!ってひっくり返る。で、カメラがグーッと後ろを向いたら、後方から車がやってきてドーン!って衝突するっていうのを捉える、さりげなくもショッキングな、ワンカットのカメラワーク。これ、似たようなワンカットのカメラワークは、終盤でも1ヶ所、非常に効果的に出てきますから。これ、注意して見ていただきたいですけども。

そんなあたりとか、とにかく、僕がいま言っているのはまだ序盤も序盤のところですけど、フレッシュかつスリリングな見せ場とか、ハッとするような描写とかディテールが、本当にもう、ここに至るまで非常に豊富に出てくる。で、そこからとにかく話は、二転三転ですね。さっき言ったように『アウトレイジ』的なパワーゲームとハシゴ外し、っていうのがある。一方では、「えっ、これがどうクロスするんだろう?」っていうサイドストーリーが、「ああっ、ここで重なっちゃうか……」っていうところでクロスするという。

■外道たちにも僅かに残った「魂」を見せる熱い後半

まさしく先が読めない展開がどんどん続いてきつつ、途中、70年代ロードムービー的な、本当にしみじみした味わいのある逃避行を経て……ここでの、「手話」を通じてアレハンドロの過去と、イザベルとのねじれた悲しい因縁、っていうのが明らかになっていくあたりも、非常にオーソドックスな語り口なんだけど、本当に素敵っていうか、渋く沁みるあたりですし。ここであんまり……僕はあの2人が、あんまりなんか過剰にベタベタ仲良くなりすぎないところがいいな、と思いましたけどね。

で、いろいろとあった果てに、冒頭から見せられていたメキシコからの不法移民、彼らの、つまり犯罪組織のそれも下っ端の代理人たちにたよらざるを得ない彼らの寄る辺ない立場っていうのを、アレハンドロとイザベルの視点を通して、我々観客も追体験させられる、っていう……彼らがいかに怖い、そして心細い思いをして国境を渡ってくるのか?っていうのを体感させられるつくりも、上手いし、非常に誠実なつくりだな、という風にも思います。それでもって、ここから先も、ちょっととても……思わず声を上げてしまう驚愕の展開があったりもするんですけど、これ以上もうネタバレしたくないので、言いません。ぜひ、ご自分の目で見ていただきたいんですが。

とにかくひとつ言えるのは、さっき言ったように、起こる事態そのものは前作以上にハードでバイオレント、もう本当に情け容赦ない、血も涙もないんだけども、その向こう側に、「極道・外道どもなりの、一分の魂があるんだぞ!」っていうのを見せてくれる、というこの1点において、本作は、実はしっかりと「熱い」一作にもなっている。少なくともストレートなエンターテイメント性は、前作よりもグッと上がっているのは間違いない。で、これはどっちが偉いとかどっちが下っていうもんじゃない。これはまた別の良さ、っていうだけですから。

むしろ、前作のテイストを基本的には引き継ぎつつ、「また別の良さ」っていうのをしっかりと打ち出せている二作目……ってこれ、完璧じゃないですか? 最高じゃないですか? はっきり言って、一作目と同じようなことを拡大再生産しようとして、単なる薄い焼き直しにしかなっていないものが多い中、これは立派だと思います。だからとにかく……『フレンチ・コネクション』と『フレンチ・コネクション2』のどっちが偉いとか、そういう話は止めい!っていうことです(笑)。どっちもいいんだ!っていうことですね。僕はやっぱり、こういう『2』も大好きでございます。

■最底辺の世界でちょっとした輝きを見せる。こういのが一番好き!

あと、ちなみに音楽。今回はヨハン・ヨハンソンさんが亡くなっちゃって、ヒドゥル・グドナドッティルさんという方、女性なんですけども。この方はヨハン・ヨハンソンさんの弟子。その方が今回、音楽を手がけているんですね。ヨハン・ヨハンソンさんが、もうすでに今回の音楽を作曲できない状態、っていうのがあって。それでそのヒデゥルさんに、「君がやりなさい」って振ったのもヨハン・ヨハンソンさんだし、一応その作った曲も全曲、彼がチェックして……というような状態だったそうです。

で、もちろんこのヒデゥルさんの音楽、前作からは、さっきから言っているようにストーリー的にメロウな、非常に感情的な要素が強まっている分、音楽も、メロディックな要素、センチメンタルな要素が当然多めにはなってはいるんです。ですけどね、最後ね、あの、緑色の車が、路肩にゴトーン……って停まって。それこそ『ドライヴ』のラストもちょっと思い出しますけども。「あっ、これでもう終わりなのかな」と思ったら、そこからまたその車が動き出して……からの、これですよ!

(曲が流れる)

もともとヨハン・ヨハンソンさん作曲の、まさにこの『Sicario』という作品のテーマ曲と言っていいでしょう、『The Beast』という……結構この曲のヨハン・ヨハンソンさんの感じ、後のいろんな映画にパクられている、って思っているぐらいですけど。この曲が「グォーッ」と流れ出し……まさに『Sicario』(暗殺者)のテーマですから。最後ね、ある不吉な……でもやっぱりどこかちょっと熱くもあるですね、まさに「サガ・コンティニュー」感っていうか、それがあってからの、僕はこの、「ドアが閉まるエンディング」、先々週の『バッド・ジーニアス』もそうですけど、ドア閉まるエンディング。『ゴッドファーザー』とかもそうですけども、ドア閉まるエンディングって、いいじゃん?

その、とにかくドアが閉まって、サガ・コンティニュー……で、タイトル! 『Sicario: Day of the Soldado』ってドーン!って出るという。もう、サイコーッ!っていう(笑)。しびれるぅ~!っていう感じですよね。僕はやっぱり、本当に大好物。こういう映画が本当にいちばんの好物だなって、自分でも改めて再確認する感じでした。とにかく、血も涙もないバイオレンス。むき出しの、世界のリアルを見せる。

そういう世界、もう本当に恐ろしい世界を見せる、というのを描きながら、でもそこにはやっぱり、一片の人間性とか一片の魂とかがあるんじゃないですか?っていう……このもう、地を這うようなドブの中から、ちょっとした輝きが! みたいな。こういうのが僕は、いちばん好きです! ということを再確認する一作でした。三作目も絶対に見たいので、日本のみなさんも絶対に劇場でいま、『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』をウォッチしてね!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ボヘミアン・ラプソディ』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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宇多丸、『ヘレディタリー/継承』を語る!【映画評書き起こし 2018.12.7放送】

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宇多丸:

ということで、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこちらの作品! 『ヘレディタリー/継承』

(曲が流れる)

だからー! もう本当に気分が悪くなるから、この感じだけで(笑)。『ルーム ROOM』『ムーンライト』『レディ・バード』などの話題作を次々と作り出すスタジオA24の最新ホラー。家長である祖母を亡くしたグラハム家の4人は、力を合わせ悲しみを乗り越えようとするが、祖母は忌まわしい「何か」を家族に残していった……。主な出演は『リトル・ミス・サンシャイン』などのトニ・コレット、『ユージュアル・サスペクツ』などのガブリエル・バーン、『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』のアレックス・ウルフ、そして新人のミリー・シャピロ。監督・脚本は本作が長編監督デビューとなるアリ・アスター、ということでございます。

ということで、もうこの映画を見たよというリスナーのみなさまからの感想メール、いただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」。そうですか。この番組でもね、三宅隆太さんに一押しなんかもしていただきましたからね。そして賛否の比率は「賛が7割」。残りが3割。

主な褒める意見としては、「見終わった後、本当に嫌な気分になる。最悪の映画。※褒めてます」「予想できないストーリー、考え抜かれた画面構成、緊張感と恐怖を煽る音と、欠点がない。映画のことを思い出したり、感想をまとめている時まで怖い気分になるのは初めて」「ホラー映画でありながら、崩壊していく家族ドラマとしても秀逸。家族という呪い映画の新たな傑作」「トニ・コレットの顔がいちばん怖い」ということでございます。

否定的な意見としては、「不気味な映画ではあったが、正直怖くなかった」「全ての謎が明らかになっても、わからないことだらけで消化不良」「どこがフレッシュなのか、よくわからなかった」「キャストはがんばっていたが、ストーリーが脆弱」といった意見をいただきました。

 

■「リアルタイムで追いかけたくなる監督がまたひとり」(byリスナー)

まず、褒めている方。「メザシのゆうじ」さん。「『ヘレディタリー/継承』、見てきました。本当に怖かったのですが、同時にこれほど先の展開が読めずに物語に翻弄される感覚を久しぶりに味わいました。この映画の怖いところは解決すべき問題から目をそらし続けることで、最悪の状況になっていくことではないでしょうか。兄のピーターが起こすある事件をきっかけに、登場人物たちがお互いの本心がわからなくなっていくという家族の崩壊が描いた人間ドラマであると同時に、暗闇の中に何かがいるとか、謎の光の演出等、見る人の想像力に訴えるホラー演出で恐怖を増長させていたと思います」。

あと、音楽がね、いま(BGMで)こうやって盛り上がっているだけで、なんで勝手におれ、怖くなってんだ? もう、怖いから!っていう。「……今作が長編デビュー作のアリ・アスター監督は次回作もホラーらしいですが、リアルタイムで追いかけたくなる監督がまたひとり現れた。今年ベスト級の1本です」という大絶賛メールでございます。

一方、ダメだったという方。「HO」さん。「単純に怖くありませんでした。怖さを求めて見に行って、まったく怖くない。なので『否』です。三宅さんの言っていた『今世紀最高に怖い』を期待したのですが、まったく勃ちませんでした。自分が不感症なのか? 感性が死んでしまったのか? と不安になるぐらいまったく怖くない。童話でも見てる気分でした。ルックもホラーというよりはファンタジーの印象で、登場人物も悪くなる状況に抗うことなく、ただ振り回され流されていくだけ。ゴールに向かって粛々と進むストーリー、そんな印象です」という。まあでも、おっしゃっていることは、印象としては間違ってないんですけどもね。ということで、みなさん、ありがとうございました。

 

■「怖いホームドラマ」の系譜に連なる一本

さあ、ということで私も『ヘレディタリー/継承』、三宅隆太さんおすすめ回の時も言いましたけど、事前に1回拝見することができていて、その後にTOHOシネマズ日比谷でもちゃんと見てまいりました。さあ、このコーナーでも、たまにね、ホラー映画というジャンル、ガチャが当たって取り上げることがちょいちょいありますけども……今回のこれは、それらとはちょっとケタが違う、という風に思っております。怖さの質が全然違うというかね。

たとえばその、モンスター的な存在から生き延びたりとか、なんなら撃退したりして、一件落着!……とはいかない。もう完全に取り返しがつかないというか、観客の我々も、もう世界をかつてと同じようには見られなくなってしまう、というような、そういうレベルのホラーというのが、何年かに一度、出てくるんですね。まあそういうレベルで、おそらく今後も古典・クラシックとして歴史的に位置付けられるような、そういう一作になってくんじゃないか……というぐらいになると、この『ヘレディタリー/継承』については思ってます。

ただ本作ですね、ちょっと厄介なのは、先週脚本家/スクリプトドクター/映画監督の三宅隆太さんにご紹介いただいた時もおっしゃってましたけど、できるだけその予備知識を入れずに、「いったい何を見せられているんだ?」「いったい我々はどこに連れて行かれてしまうんだ?」という初見時ならではの感覚を、ぜひみなさんにも味わっていただきたいので。先ほどのメールにもありましたね。これだけちょっとどこに連れていかれるかもわかんない映画もないと。コンバットRECも本当に、「これだけどこに進んでいるのかわからない映画なのに惹きつけられる。これは相当な演出力だ」とも言っていましたけども。はい。

なので、まあ北島康介ばりに「なんも言えねえ」ということなので……ここから先はですね、もちろんできるだけ決定的な部分とか展開に関してはネタバレしないように話してはいきますが。本当にまったく見る前には何も聞きたくない! という方はですね……20分後ぐらいですかね? またお会いしましょう!っていうね(笑)。

まず、言えるのは、ある家族がもともと抱えていた問題、因子によって、次第にその内側から家族が崩壊していってしまう、というような、言ってみれば「家族という呪い」「家族という地獄」、「血族という呪い」であってもいいんですけど、そういうものを描いた……あるいは、「家庭という逃げ場のない、閉ざされた牢獄」と言ってもいいかな、そういうものを描いたような、要は「怖いホームドラマ」の系譜というか、ダークなホームドラマの系譜ってのが、古今東西を問わず、連綿とあるわけですね。

近年で言えば、僕はパッと思いつくのはやっぱり日本映画の『葛城事件』とかね。あとはまあ、『ラブレス』とかもそうですよね。今回もちょっと『ラブレス』を思わせるような、聞いちゃいけないものを聞く、みたいな、そういうところがありますけど。とにかく枚挙にいとまがなくあるわけですけども。その「家族という地獄」「血族という呪い」「イエや家庭という、逃げ場がない閉ざされた牢獄」っていう言い方を僕、しましたけども、これはあくまでもホームドラマにおいては、その地獄とか呪いとか牢獄っていうのは、比喩なんだけど……それを文字通りの「地獄」「呪い」「閉ざされた魔の空間」として……つまりホラー映画というジャンル的文法、ジャンル的語り口で見せる。

要はやっぱりこれも、「怖いホームドラマ」の変種でもある、というのが、今回の『ヘレディタリー』ということですね。だから、ホームドラマとしても見れる、ということですね。

 

■過去作もエグ過ぎる驚異の新人、アリ・アスター監督

脚本・監督、これがまさかの長編デビューとなる──本当に驚異の新人ですね──アリ・アスターさんという方。彼の過去の短編、『The Strange Thing About the Johnsons』……「ジョンソン家の奇妙な話」っていう感じかな。それとあと、『Munchausen』っていう、これは2013年の短編。この2本を、僕はこのタイミングで、まあYouTubeとかで見れるんで見たんですけど。どっちもまさにですね、「家族という地獄」を描いた、本当にエグい作品で。ちょっとここで詳しく説明するのは憚られるようなやつなんですけど。

特に前者、その『The Strange Thing About the Johnsons』は、母と子の最終対決っていうくだりがあったり、あとは「呪われた書的なものを暖炉で焼こうとする」っていうくだりがあったりなんかで、『ヘレディタリー』ともちょっと通じるところが散見されるような作品でありました。あとその『Munchausen』っていうやつとかも、まあ母親の支配的抑圧というのかな、そういうものを描いている、というような作品でございました。ということで、しかもこの『ヘレディタリー』、アリ・アスターさんは、インタビューなどによれば、ご自身の家族に起こった不幸があり、で、家族が崩壊しかけちゃった大変な時期があって……っていう。

(宇多丸のスマホのメール着信音が鳴る)

あ、「チーン」って。すいません(笑)。携帯が鳴る音、怖いよー。あ、今サイレントにしました。全てが怖い(笑)。そういう不幸が発想のもとになっている、ということなんで。町山智浩さんが監督にインタビューして、そこはあまり詳しく語ってくれなかった、なんていうことを言っていますけども。つまり、要はダークなトラウマホームドラマ、という部分こそが、やはりこのアリ・アスターさん、そしてこの『ヘレディタリー』という作品の核心であるのは間違いない、ということですね。

で、加えて、それをさっき言ったように、ホラー映画というジャンル的な語り口で見せる手際の豊富さ、的確さ、そしてフレッシュさ、というのがなにより素晴らしいところでもあって。要は、ストーリーと脚本だけ読んでも、これがどう怖くなるのか?っていうのが、ちょっとわかんないタイプの作品だと思うんですね。なので、これをやっぱりGOサインを出して制作をさせた、A24という会社。後ほど、最後に言おうと思うけど、A24ヤバし!っていうことですね。そこがまず偉いな、っていうこともあると思います。

 

■タダ事じゃないムード満載のオープニング

で、まず、ネタバレしないようにしますけど、ここだけは説明させてください。まず、誰もが「私はいったい何を見せられようとしているんだ?」っていう、クラックラするような感覚に襲われること間違いなしの、あの鮮烈なオープニングからしてですね、「もうただごとじゃないのが来た!」っていう感じですね。要はですね、トニ・コレットさん演じる一家のお母さん、アニー・グラハムという人が、細部までものすごく精巧に作られたドールハウス、ミニチュアの家とかの、ジオラマを作るアーティストである、という設定なわけですね。

これ、ミニチュアを作っているのは、スティーブ・ニューバーンさんっていう、特殊効果なんかであちこちで活躍されている方ですけど。まあ、そういう設定なんですが、まずこの冒頭で示される、だまし絵的な入れ子構造ですね。最初に……まるでだまし絵ですよね。こう(カメラがミニチュアの家に)グーッと寄っていったら、「あれあれあれ……どうするの? どうなっているんだ? えっ!?」っていう感じで映画が始まりますけども。この物語世界全体がまるでこのドールハウスのように、外側の世界から見つめられ、コントロールされている、閉じた空間のように感じられる。そういう入れ子構造をなんとなく最初に示している。その不気味な閉塞感。そしてずーっと持続する不安感、不吉感、っていう感じですね。

実際に、話が進んでいく、つまりお話の悲劇性が高まっていくに従って……普通の、家の中の場面なんですよ。最初の方では、普通の家の中で、わりと常識的なサイズで人物を撮ったり会話を撮ったりしている場面が多いんですけど、だんだんその……普通の家の中の場面のはずなのに、たとえば、ありえない位置までカメラが引いている。で、フィックスであることによって、まるでそのドールハウスの中を見ているように見える。ドールハウスの断面を見ているように見えるショットであったりとか。あまつさえ、現実では絶対にありえない、部屋と部屋とをまたいだ……ちょっと引いた位置から、グーッとドリーショットで、カメラがずーっと横に移動していく。現実には絶対にありえないカメラワーク、みたいなものがあったりして。

要は、だんだんだんだんそのミニチュアの……現実までがミニチュアのドールハウスのように見える画がどんどん増えてくる、っていう。もう完全に意図的な演出をしてたりするわけですね。しかもこのお母さん、まあ作家としてギャラリーに納品したりするぐらいの人なんだけども、作ってるジオラマっていうのが、どうも実はどれも、ご自分の人生に起こった、実際に起こった、それもちょっと悲劇的なニュアンス、もしくはトラウマ的なニュアンスがあるような場面ばかり作ってる、という。

それこそ彼女自身は、これによってセラピー的な効果、つまり人生を自分でコントロールしてるっていう感覚を取り戻そうとしてるから、こういう作品を作ってしまうのかもしれないけど……そもそも危ういですよね、この感じね。はい。

 

■ウディ・アレンがベルイマン監督にオマージュを捧げた『インテリア』を思わせるところも

ちなみにこのお母さんがミニチュアアーティストで……っていうあたり。これは町山さんがこの間いらした時におっしゃっていて、「あっ」って思っていたんですけど、ウディ・アレンがですね、ベルイマン・オマージュ全開で作った『インテリア』っていう映画があるんですけども。

これはやっぱりお母さん、非常に抑圧的・支配的なお母さんが有名なインテリアデザイナーで……っていう。で、まあ本当によく似た、きれいなインテリアでかたどられた、まるでミニチュアの、それこそドールハウスのようにきれいに作られた部屋の、ちょっと引いたショット、っていうのも印象的な映画なんですけども。「『インテリア』が元ネタだ」みたいなことを町山さんがおっしゃっていて、「ああ、なるほど」と。

前に三宅さんとの話の中でも僕、「ベルイマンっぽいですよね。ベルイマンの家族が崩壊していくような一連の話とかですよね」みたいに言いましたけど。実際にそのアリ・アスターさんは、ベルイマンが大好きで。町山さん曰く、次回作はだから、ベルイマンが好きすぎてスウェーデンの話、みたいなことらしいですけども。で、まあとにかくそんな感じで、そもそも何か拭い去りがたい危うさっていうものをはらんだ、その家族。まだ何も実質起こってはいない段階でも、そういうのを感じさせる。

 

■全てのセリフ、全ての要素が緻密に計算され尽くしていて無駄がない

たとえばそれを演出するのは、バリトンサックス・プレーヤーのコリン・ステットソンさん(ゴトン……と、稗田ディレクターがマイクにぶつかって音を立てる)。だから、やめて! その「ゴトン」とか!(笑) 怖いから。そのコリン・ステットソンさんの、不吉極まりない音楽。音楽、もう1回出そうか。あの「ブオォォォォ~……」っていう、バリトンサックスなんですかね? 音のあれもそうだけど……全編に、聞こえるか聞こえないかのギリギリぐらいの音量で、低音がずっとうねっている。「ウォン、ウォン、ウォン……」って。そんなのがうねっていたり。あとは「トコトコトコトコ……」って、追い立てられるようなビートがずーっと神経を逆なでしてきたりとか。とにかく……(曲が流れる)……はいはい。このコリン・ステットソンさんの音楽だけで、まあすっかり嫌な気分(笑)。

あとですね、さらにはそのミリー・シャピロさん。本当にこの人以外はありえない、っていう存在感の、妹チャーリー役を演じている。そのミリー・シャピロさんの、さっきからやっている「コッ、コッ……」ってこう、舌で上顎を鳴らす、これ。みなさん、子供の時にやったと思いますけども。あれの不気味さ。これがどう怖いのか?っていうのは、たぶん映画を見ていない人にはわからないと思いますけども。後半、特にそれが……この「コッ」っていう音が、また絶妙なタイミングで。「怖い音が鳴っているな」って思ったら、急に「コッ!」って鳴って、音がビシッと止まって、「うおっ!」ってなるみたいな。音だけでも十分に効果的な演出というのが、特に後半に出てきたりしますけど。

あるいは、ふわふわした光の反射を利用したような、なにか霊的なものを表現する演出だったりとか。たとえばその序盤で、アレックス・ウルフさん、『ジュマンジ』のリメイクとかに出ていましたよね、アレックス・ウルフさん演じるお兄さん、ピーターが受けている授業の、暗示的な内容。こんなことを言ってますよ。授業で。「彼に対して示されるすべての兆候を認めるのを拒んでいた」んだけど、実は「避けられない運命」「絶望的な仕組みの中の駒でしかない」、というようなことを、授業で、ヘラクレスの話をしてるんですけども。これ、完全に、後にピーターが歩む道筋そのものなわけですね。そんなことだったりとか。

とにかく、全てのセリフなども、しっかり後で生きてくるような意味が込められたりしてですね、全部の要素が緻密に計算され尽くしていて、無駄がない。だから、一見長いシーンとか長めのショットに見えるところも、単にもったいぶってたり、こけおどしだけだったりするところがなくて。ちゃんと全てに何か意味が込められている、という。これ、二度見ると余計にわかります。で、本当に序盤、まだ何も起こっていないところ。僕、いま説明しているところ、まだ何も起こっていないところですからね……でさえ、こんな感じなんですけどね。

 

■中盤で起こる、見た人全員トラウマ級のある惨劇

で、やがて途中、あるポイントで……ここでは絶対に言いませんけども、ある、本当に筆舌に尽くしがたい、見た人全員の心に一定のトラウマは絶対に残す、傷跡を絶対に残す、あるとんでもない惨劇が、ドーン!と起こるわけですけども。その手前の部分でも……やっていることや話していることは、なんなら普通の、それこそいまどきのティーンムービーと同じようなことをやっているんですよ。たとえばね、その、友人宅でハウスパーティーが開かれる。ちょっと背伸びしたハメ外しもしたいし、なんなら同級生の女の子にこのタイミングで接近したいっていうのがあるから、ちょっとお母さんに嘘ついて、出かけたい。

そしたらお母さんは、それをなんとなくわかっているのか、牽制するかのように、「妹も連れてきなさいよ、あんた!」。「ええーっ? 妹も連れて行くの?」みたいな。これだけ取り出したら、本当にただのティーンムービーみたいなことですよね。本当にね。ただその、普通だったらティーンムービーみたいなやり取りのところにすでに、さっき言った「ウォン、ウォン、ウォン、ウォン……」っていうのが、もう鳴っているわけですよ。

つまり、もうこの時点ですでに、呪いはかかってるんだぞと。いま、このやり取りがもうすでに呪いなんだぞ、っていうことを言っているわけですよ。で、また「ブオォォォォー……♪」みたいなのが鳴り出して、いよいよ不吉なことが起こる(予感が漂い始める)。で、パーティー会場に向けてそのピーターくんが運転する、行きの車。右から左に移動する、ブーンっていう車をカメラが追って、右から左にパンして……そのまま追いかけるかな?って思ったら、なぜかカメラが、真ん中でピタッと止まるわけですね。その真ん中にあるものは何か? というね。後々の惨劇を予告するかのようなその「何か」のところで(右から左にパンしていたカメラが)ピタッと止まるとか、そういうのがある。

そして、ここで起こる惨劇。ある超有名な、ホラー映画クラシック中のクラシック、そのオマージュな場面。タイトルを言うだけでネタバレになってしまうので、言わない。『ホニャラのホニャラララ』(笑)。ホラー映画のクラシック。これのオマージュなことが起こって……後半でもこの(同じ映画の)オマージュが出てきますけど。とにかくとんでもないことが起こるんですけど、それそのものの恐ろしさ、禍々しさっていうのももちろん、ショッキングなんですけど、この映画で恐ろしいのは、その恐ろしいことが起こった「後」の、登場人物たちのリアクション。「ああ、きっとここまでの事態を前にしたら、人間はこうなってしまうのだろう」と思わざるをえないような、リアクションこそが……僕はこここそが、まさにこの世に現出してしまった地獄そのもの(だと思う)。まさに「生き地獄」っていうのが現出するわけです。暗黒ホームドラマとしても本当にすさまじい、っていうことですね。

 

■ラストに向けて「魔」が加速していく暗黒演出

たとえばその、すっかり心がバラバラになってしまった家族、それ自体がもう地獄だと。たとえば、ある惨劇が起こってしまった。でも、誰もその惨劇と自分の責任に向き合うことができないでいる、という状態。だから、家に一瞬でも一緒にいたくないっていう状態になってるのを示す、ある母親の行動があるわけです。その母親のその行動のところにまた、不吉な「ブオォォォォーン……」って……つまりそういう、家族として向き合おうとしていないこの行動、ひとつひとつが後の破壊的なことを生むんだ、ということを、ちゃんと予告しているし、音楽が暗示している。

そして、家族の完全崩壊があらわになる、あの最悪の食卓シーンみたいなのがあって……とにかくホームドラマとしても、かなりヘビーな出来になってくる。で、そんな家族の心の崩れにつけ込むかのように、その日常生活の中に、そして人生の中に、「魔」がどんどん入り込んでくる。魔が入り込む度合い、色合いが、次第に増してくる。たとえば、あちこちで、聞こえるはずのない舌を鳴らす音が聞こえたり。あるいはですね、ピーターが夜中、パッと目を覚ますと、向かいのロッジがあるんですけども。上に吊られたロッジの中で、赤い火が照らされている。あれは、お母さんが中にいて暖房を焚いているから赤いんだけど、その赤い光が、ピーターの目に赤く反射することで何か……何か、悪魔的な何かに見える、みたいなこととかね。

で、だんだん部屋の中の暗がりとか影などが、「何か」に見える、何かの存在を感じさせる、という演出。これはあの、Jホラー表現の祖先でもあります、『回転』というホラー映画のクラシックを思わせるようなホラー演出も、見事にものにしつつ……っていう感じですね。あと、Jホラーでいえば、『女優霊』的な表現、クライマックス近くに一点、出てきたりしました。まあ、とにかくこんな感じでやがて、救いを求めるつもりが、地獄の扉を、比喩的な意味ではなく開いてしまったグラハム家の人々……しかしそれは、はるか前から決まっていた運命のようでもある、という展開になっていく。

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■あまつさえラストでは妙な祝祭感まで漂いだす

さっき言ったミニチュア風ショットもだんだん増えてきますし、あとはだんだんジャンプカット、同一画角のジャンプカット……人物とか建物が同じ位置にあるままバッと時間や空間が飛ぶ、というジャンプカットとかが出てきて。どんどん時間感覚もおかしなことになっていく。しかもクライマックス手前、パッと夜になった時。さあ、このグラハム家の家の周り、どんなことになってるか? よくスクリーンで見てくださいね。

それまでは、基本的には静的な、静かな感じで……そしてあくまで、「これはでも心理的な歪みの顕れとも解釈出来る」という範囲をギリギリのラインでキープ、絶妙に揺れながらもキープしながら進んできたこの『ヘレディタリー』という映画。それだけに……この、クライマックスから怒涛のようにたたみかけられる異常事態の連続に、本当にもう、「勘弁してくれーっ!」となること必至だと思います。僕、本当にここらあたりで、「これは俳優が演じている映画なんだ! この光も照明で、カメラマンさんがここにいる映画なんだっ!」って思いながら見るので精一杯でした(笑)。

特に、ゆっくりある方向を向くと……というようなね、恐怖演出の使い方のバリエーション、本当に豊かで。毎回、本当にビクついてしまいますし。で、ところがこの映画、さらにすごいのはですね、その怒涛のように恐ろしいクライマックスの先に、「『エクソシスト』のその先」とでも言うべきエンディングで、奇妙な祝祭感まで漂いだす。ヘンデルの『司祭ザドク』という曲が流れ出す。これは『ジョージ2世の戴冠式アンセム』っていう作品の第1曲目なんですけども。ここではじゃあ何の「戴冠式」か?っていうことなんですけども。奇妙な祝祭感さえ漂う。

なんならこれ、ファミリーリユニオンの場でもあるしね!っていうことなのか、妙な祝祭感まで、アゲ感まで漂いだす、みたいな感じ。あるいは、映画が終わりました。そうすると、血を思わせる赤い字が一文字ずつ、脈々と、文字通り「継承」されていくエンドロールで、こんな曲が流れる。ジョニ・ミッチェル作曲、ジュディ・コリンズさんの『Both Sides, Now』という曲。『青春の光と影』っていう邦題がついてますけども。これのやはり、気持ち悪い余韻。

これ、歌っていることはこういうことです。「世界は、私が思っていたのとは違う面を持っていた。私は何もわかっていなかった」っていう歌詞なんですけど。はい。ということで、とにかくこれ、たとえばキリスト教信仰的な恐怖心のあり方とかがなくても……たとえば家族、家系からは、誰も逃げられませんよね。生まれは選べませんよね。つまり、その生まれは選べない、この自分の生の意味。自分では選べない。自分の人生の意味っていうのを選べないとしたら……という。つまり「生」というもの自体にまつわる普遍的な恐怖とか気持ち悪さ、っていうものが込められているから、やっぱり我々が見ても、しっかり嫌な気持ちになる。トラウマになる。

 

■「世界を本当にちゃんと呪ってる人のホラー映画」。はっきり言ってレベルが違う

そしてですね、ベルイマン、キューブリック、あるいはミヒャエル・ハネケ、あとはギャスパー・ノエのテイストもあるかもしれない。そして『エクソシスト』『ローズマリーの赤ちゃん』、さっき言った『ホニャラのホニャラララ』とか(笑)。あとはマイク・リーの一連の作品とか、あとは『普通の人々』でもいいですけど、ダークホームドラマの系譜。そして、『回転』からJホラーに至る現代ホラー表現の数々。果ては新藤兼人の『鬼婆』に至るまで、豊富な映画的語彙……特にホラー映画的な語彙を、完全に自分のものとしてフレッシュに消化して、なおかつ本当に、自分の実人生の痛みを焼き付けるホームドラマにもしてる。

つまり、こういう言い方をさせてください。「世界を本当にちゃんと呪ってる人のホラー映画」。「この映画で世界に呪いをかけてやる! お前ら全員、呪ってやる!」っていう気合いが本当に込められたホラー映画、っていうことです。ということで、消費できるタイプの「面白い」怖さではないです。だからこれを見て、面白いと感じない、面白くないと感じる人もいるかもしれません。でも、これはちょっと本当にそういう意味で、ちょっとレベルが違うタイプのホラー映画だと思ってください。

年末に向けて、ちょっと年間ベスト級の映画がドシャドシャドシャドシャ来ちゃって、私は嬉しい悲鳴です。A24という制作会社の作品、本当に今年はヤバすぎて。『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』からね……ああっ、時間がない! ということで、ぜひぜひ劇場で。これ、絶対に劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『来る』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

 

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宇多丸、『斬、』を語る!【映画評書き起こし 2018.12.21放送】

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宇多丸:

ここからは私、宇多丸がランダムに決めた映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこの作品です。『斬、』

(曲が流れる)

漢字で「斬る」と書いて『斬、』。しかもこの音楽を担当されている石川忠さんは、この作品の完成前に亡くなられてしまって。で、ずっと塚本晋也作品の音楽を担当されてきたんですけど、その親交の深さもあって、塚本さんが石川さんの元々作られていた作品のいろんなデータとかを編集して、この作品に当てて……っていう。作りかけのデータとかも含めて完成させて、見事シッチェス・カタロニア国際映画祭で音楽賞を受賞した、ということなんですよね。そんな経緯もあるという作品でございます。

『鉄男』や『野火』など世界中で評価を集める塚本晋也が、監督・脚本・撮影・編集・制作・出演を務めた初の時代劇。開国か否かで揺れ動く江戸時代末期。剣の才能はあるが人を斬ったことがない浪人・杢之進は、江戸近郊の農村で穏やかな日々を過ごしていたが、腕の立つ剣豪・澤村と出会ったことで生と死の世界に踏み込んでいく。主演は池松壮亮、蒼井優、そしてまた塚本晋也さんご自身といったあたりでございます。

ということで、もうこの『斬、』を見たよ、というリスナーのみなさま<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。多からず少なからずということなんですけど、都内の上映館がユーロスペース1館だけということを考えると、これはかなり多い方だと言っていいんじゃないでしょうか。賛否の比率は「賛が9割」。その他が1割。

主な褒める意見としては「年末にこんな傑作に出会えるとは。今年ベスト!」「時代劇でありながら、暴力による負の連鎖、正義のための暴力は許されるのか? などの普遍的テーマが盛り込まれ、現代にこそ見るべき映画」「オープニングから全編に響く刀が生み出す音の迫力に圧倒された」。なんかこう、「キキーン、ピキーン、キーン!」とか、ずーっとみなぎっている……刀そのものに「圧」がみなぎっているような表現が劇中でありますよね。「何者でもない若者が何かになろうとあがく青春物語としても見どころあり」「余韻を残すラストも素晴らしい」などがありました。

否定的な意見としては「シンプルすぎる物語、盛り上がらないクライマックスで退屈だった。映像面もカメラの動きが激しかったり、暗い場面が多かったりと、見づらいだけで斬新さが感じられなかった。モヤモヤばかりが残る映画だった」といったあたりでございます。まあ、モヤモヤが残るっていうのは意図的な部分もあるでしょうけどね。ということで、代表的なところをご紹介しましょう。

 

■「殺人として殺陣を描き、その悲惨さを観客に叩きつけてくる」(byリスナー)

「キハチロー」さん。「日頃から時代劇に親しんでいますが、殺陣の場面を楽しみつつも、『本当は血が噴き出し正視できない光景なんだろうな』と一歩引いて考えることが多くあります。前作『野火』同様、塚本監督は一切のヒロイズムを廃し、『殺人』として殺陣の場面を描き、その悲惨さを観客に叩きつけてきます。刀の重さ、鞘から取り出される時の鋭い音など『これが人に当たればどういうことが起こるか?』と想像させられ、身の毛がよだつようでした。直接的な暴力描写が中盤まではないこともあり、いつ暴力が噴出するのかと恐怖が高められました」。まあ、暴力描写は序盤に1個あって、この1個の軽さがまた上手い、っていう話も後ほどしますけどもね。

「何よりも怖いのは、塚本監督扮する剣客・澤村。人を殺すことをためらう主人公・都築杢之進に対し、人を斬ることが当たり前である澤村の圧倒的な『他者感』。まるで軍隊の論理の中で生きる者のようであり、一度でも他者に暴力をふるった者がどう変質してしまうのか? 都築もまた、彼のようになるのでは? と嫌悪感さえ覚えるほど恐ろしかったです。都築、澤村、そして蒼井優さん演じる女性、ゆうが彷徨う山中の場面は夢幻かつ地獄のように美しく、この道中がいつまでも続いてほしい、つまり解決に至らないでほしいとさえ思いました。時代劇というジャンルに誠実に向き合いつつ、どこを切り取っても塚本印が刻印されている見事な一作と思います」ということでした。

一方、「トマト娘」さん。こちらは、ダメだったという方。「結論から言えば、残念ながら今年はワースト級の1本でした。冒頭の殺陣のシーン、そのへんの田舎で素人が撮ったようなチープなルックに閉口。いかにもデジタルな陰影のない安っぽい画。いまの時代にやたらとカメラを揺らして緊張感を煽ろうとする撮影法に初っ端からげんなり。以降も殺陣のシーンのたびにカメラを揺らし、何が起こってるのかすらよく分かりませんでした。

チープなルックも『野火』ではギリギリ許容範囲でしたが、いかんせん時代劇とは相性が悪く、そもそも私には時代劇にすら見えませんでした。あと、塚本監督はなぜ俳優として出たがるのでしょうか? はっきり言って演技は上手いとも思えないし、とても剣豪には見えませんでした。『カメラを止めるな!』が大好きな私であっても、こういう作風に対してはDIY精神とかインディペンデント精神という言葉をもって評価する気は起こらないです」という、非常に厳しいご意見でございました。

 

■急激に変容する肉体と精神を通じ、人間性を成り立たせる一線を浮かび上がらせる

といったあたりで『斬、』。私は『週刊文春エンタ!』という雑誌の、10本映画を見て点数を付けるという企画で、一足お先に拝見していて。その後今週、ユーロスペースで見てまいりました。山本匠晃アナウンサーもユーロスペースに見に行ったということで。まあ1館のみというのもあるんでしょうが、昼の回から結構入っていたという感じですかね。

週刊文春エンタ! (文春ムック) 週刊文春エンタ! (文春ムック)

ということで、塚本晋也監督作品。前作が大岡昇平の名作小説の2度目の映画化、2015年の『野火』でございました。僕は前の土曜日の番組『ウィークエンド・シャッフル』時代、2015年8月13日に評しました。あのこれ、いまは公式で書き起こしやってもらってるみやーんさんによる、当時はまだオフィシャルじゃない頃の全文書き起こしがいまでも読めるので(笑)……僕自身も、そのみやーんさんのサイトに行って自分の評を参照しましたので。みなさん興味のある方は見ていただきたいんですけども。

で、その中で僕は塚本晋也作品の、それこそ劇場映画デビュー作『鉄男』。1989年の作品以来一貫しているテーマとして、こんなことを言っています……「何らかのきっかけで急激に変容していく人間の肉体と精神。塚本作品においてはこの肉体と精神は完全に不可分、というよりも『一体化したモノ』なんですけども。とにかく、その急激に変容していく肉体と意識、精神の有り様を通して、人間とか人間性というものを成り立たせている、そのギリギリの一線とは何か?」(を問いかけてくる)

さっき、刀が「キキーン、ピキーン、キーン!」って音がするって言いましたけども、そんな感じで、文字通りギリギリギリギリ……と強烈な圧をかけてくるような作風で、人間性を成り立たせているギリギリの一線とは何か?っていうのを突き詰めていく。本当に絞り込むように突き詰めていく。で、その人間性、人間を成り立たせている一線を、「超えてしまう恐怖」を描くのか、あるいは「超えてしまう快感」を描くのか。もしくはその一線を越えた先から、改めて人間性というものを振り返って照射し返すのか。まあ、そういう作品ごと、もしくは時期によって違いはあるんだけど、大きく言えばやっぱり塚本晋也さんの映画は、常にこういうことを言っている。その、急激に変容していく肉体と精神を通じて、人間とか人間性を成り立たせているギリギリの一線を突き詰める、という。こういうモチーフを描いてきたといえる。これ、『野火』評で言ったことですけども。

 

■前作『野火』以上にシンプルに削ぎ落とされた『斬、』

で、『野火』の場合は、さらにそこに加えて、塚本晋也さんご自身の、いまの日本社会が向っている方向に対する強い危機感、問題意識が込められている、という。非常に戦争しやすい国に向かってるんじゃないか? 我々全体がそこに流されているんじゃないか?っていう危機感が込められているのに加えて、『野火』の場合は、先ほどのメールにもありましたけども、かなりの低予算で制作をしているんだけども、そのかなりの低予算で制作しなければならなかったことこそが、結果として作品をソリッドに絞り上げて、最終的には塚本晋也さんのフィルモグラフィーをまた一段上のレベルに押し上げるような、新たな大傑作・代表作となった……というのが『野火』でございました。

その意味で今回の『斬、』は、完全にその『野火』の延長線上で、というか『野火』以上に、塚本晋也作品のエッセンスがソリッドに……それこそ冒頭でまず映し出される、刀鍛冶の場面、光景が映し出されますけども。ひたすらに叩き上げ、鍛え上げ、鋭利に磨き上げたかのように、本当に必要最小限度、究極的にシンプルな形で提示される、ということですね。

たとえばですね、人間にその一線を超えさせる暴力的装置。その一種、究極的象徴、暴力的装置の根源として「刀」、刃物っていうものがある。しかも、それがわかりやすくファルス的なもの、男根的なもの、性的なメタファーとしても描かれる。これ、まさに『鉄男』ですよね。『鉄男』的な描かれ方をする。刀を非常にフェティッシュに映したりとか、もしくはさっきから言っているように「キーン! キリキリキリッ!」っていう、刀そのものが圧を持って外側に力を発しているようなモノ……まさに「モノ」ですよね。モノとして描かれるという。

と、同時に、これは旧来的なエンターテイメントとか時代劇に対する批評であり、暴力的な、マチズモ的ヒロイズム批判にもなっているという。そしてそれらが、『野火』以上に切迫した、いまの日本社会、時代への危機感としてこちら側に投げかけられる、という感じの作品となっている。今回の『斬、』は。

 

■最初のイメージは「1本の刀を過剰に見つめる若い浪人」

まあ、お話自体は本当にシンプルなんですよ。めちゃめちゃシンプル。具体的なストーリーが決まる前、「1本の刀を過剰に見つめる若い浪人」という、20年前から塚本さんが抱いていたというイメージに、ぴったりハマったという池松壮亮さん。彼が演じる若い浪人は、ストーリーのあらすじ説明にもありましたけど、幕末についに動き始めた時代の中で、「いずれは自分もなんかしなきゃいけないんだろうな。侍として、侍の本分をいつかは果たさなきゃいけないんだろうな」くらいには思いつつも、まあ農村で……で、農民からすれば、半ば用心棒的な期待も込みで彼を置いているわけですよ。ここがちょっと、後ほども言いますけど、ちょっと『七人の侍』批評的な部分ですよね。

そこで、オーディションで選ばれたという前田隆成さん演じる、本当に典型的な「血気盛んな若者」、市助というのに得意の剣術というものを教えている。ただ、剣術と言うけども、これも先ほどのあらすじにもありましたけど、この都築杢之進という侍自体は、もちろん平安な江戸の時代に生きてきましたから、どうやら本当の斬り合いの経験はないという。そしておそらく童貞であろう、というような人だと。で、とにかくその彼が、蒼井優さんが本当に文句なしの色っぽさで演じるその若者のお姉さんと、ツンデレな距離の詰め合いなんかもしつつ、まあ農村で農家の仕事を手伝ったりなんかしながら、のんびり平和に暮らしているわけです。

まあ、これはある意味現代の我々とも通じる、普通の人々、普通の暮らしですね。平穏な暮らしという。だけど、なんか時代が動いてきたし、なんか本当はやらなきゃいけないのかな?っていう気持ちぐらいはある、そんな「普通」の状態だと思ってください。と、そのある日、彼らは、塚本晋也さん自ら演じる……先ほどの2個目のメールと僕は意見を異にしていて。やっぱり、スコセッシ『沈黙 -サイレンス-』での名演といい、俳優としてもはや世界レベル、超一流の部類に入ってきてると、逆に僕は塚本さん、俳優としてそう思うんですけども。

 

■刀のおそろしさが伝わる緊張感溢れる間合い、具体的にイメージしやすい痛み

その塚本さん自ら演じる、剣豪めいたですね、浪人・澤村というのと、別の浪人との果し合い。つまり「本当の殺し合い」を目撃するんですね。で、ここの超緊張感あふれる間合いの詰め方……僕、ここも全くチープと思わなかった。こっち側の、ずっと、森の下ごしに見ている、要は池松さんたちの見ている視点で。最初は塚本さんの背中が現れて。グーッとゆっくり間合いを詰めて……つまり、とにかく刀を抜いて斬りかかったら、そこで終わりですから。もう抜くまでだって、なかなかお互いに抜かない、っていう。緊張感あふれる間合いの詰め方。まさにこれが本当の殺し合いなんだ、ということをビシビシと感じさせるような、そういう作り。

非常にもうこの、お互いが一定の距離を保ちながら前後するだけで、「ああ、お互いに怖いんだ」っていうのがすごくよくわかる。非常にその恐ろしさが伝わってくるし。ここでその、澤村さんが取る戦法の情け容赦なさ……つまりあれば、たぶん剣道気分でやっていると油断しがちなところを突いているんですよね。フッとこう、下からね。要するに、剣道だったらそこは籠手とかをしているし、あんまり気にしないところを、フッとこう、絶対に避けられない角度からすごいスピードで突いてくる、という。これは、全体に殺陣をつけてらっしゃる辻井啓伺さん、これがすごくやっぱり、塚本さんと息の合ったあたりを見せていますし。塚本さん自身も殺陣の訓練をびっちりされたんでしょう。もうビシッとした佇まいを見せている、と思いますけども。

とにかくその、澤村が取る戦法の情け容赦なさも相まって、その刀というのが、やっぱり刃物なんだと。そもそも人の肉体を切り刻むために作られた、そしてそれが本来の用途である非情かつ非道な道具なんだ、っていうその本質を、我々観客にもですね――ここが大事――実感しやすいレベルの「具体的な痛み」として、まず序盤に見せられるわけですよ。ピッ!てこうね、我々も、「ああっ、これは痛い!」っていう……要するにさ、首をポーンと斬られるとか、お腹をバサーッて斬られるっていきなり見せられても、荒唐無稽に思っちゃうけど、「ああっ、そこをそう斬られたら痛い!」っていう感じで見せる。これが非常に上手いし。

それゆえに、その後の、やっぱり刀、つまり暴力を行使すべきか否かの重み、その結果の痛みっていうのが、より切実に伝わってくるような作りになってるということですね。これ、非常に上手いなと思うあたりですし。

 

■一見頼りがいのあるメンターが、美辞麗句のもとに若者たちを暴力の世界に世界に引きずりこむ

またこの、塚本晋也監督自身が演じる澤村という剣の達人。いかにも頼りになる初老の浪人っていう感じ。これ、映画秘宝の監督インタビュー記事の、キャプションとしてついてる言葉がこれまさに!っていう感じだったんですけど。『七人の侍』……もう文句なしの時代劇の傑作、名作ですよ。世界映画史に残る。そんな黒澤明の『七人の侍』の、「志村喬と宮口精二を合わせたような佇まい」っていう(キャプション)。志村喬の、あのすごく頼りがいのあるお父さん的な感じと、宮口精二の剣豪の感じを、合わせた感じ。まさに言い得て妙。

これ、実際にこの間、春日太一さんが、忠臣蔵特集をやっていただいた後に、スタジオで帰り際にポロッとおっしゃってましたけど、この『斬、』という映画、ある種『七人の侍』に対する塚本晋也さんなりの批評的アンサーとも読める作品でもあって……ということですね。とにかくこの澤村という剣豪、激動する時代の波に乗り遅れまいと、まあ腕利きをスカウトして組を結成して、江戸から京都に出て「御公儀のお役に立ちたい」、なんていうことを言っている。

つまり、要は新撰組みたいなことがやりたい人なわけですけども。一見、常に正しいことを言う、そして正しい判断を常にしてくれそうな、マスター的な人物に見えるわけですよ。たしかにエンターテイメント作品だとこういうキャラクター、よく出てきますよね。例えば、結構似ているなと思うのは、『スター・ウォーズ エピソード4』のベン・ケノービことオビ=ワン・ケノービですよ。若者を焚きつけて誘うわけですよね。「一緒に行こうよ」って誘う。で、いろいろと教えてくれる。剣も教えてくれる。でも実際のところ彼がやってることっていうのは、若者たちの血気盛んさにつけこむように、「大きな目的」とか、もっと言えば「男らしさ」とか「侍の本分」みたいな、そういう美名というか大義を掲げてみせては、彼らを暴力的な領域に引きずり込み……っていうことですね。

一線を越えさせて、暴力的な領域に引きずり込み、結果、より巨大な暴力的事態を招いていく、ということをこのキャラクターはやっているわけですよ。そういう「よく考えたらこいつ、いちばん問題じゃないか?」っていう存在として置いているわけです。

 

■農民たちもまた暴力の行使を支持していた

かたや、村の近くにたむろするようになる浪人集団。これ、『野火』に引き続き元BLANKEY JET CITYの中村達也さんが、ごろつき軍団のボスを、本当にもう一目瞭然のカリスマ性で演じられてますけども。とにかく、これまでのエンターテイメント、それこそ『七人の侍』的なものだったら、「問答無用で退治されるべき悪」として描かれるような、このごろつき集団。

そしてこの『斬、』の劇中でも……ここが重要なんですけど、農民たちはそう願っているんです。「問答無用で殺しちゃってくれ」って思われている彼らなんだけど。池松壮亮演じる主人公の都築杢之進は、一貫して彼らと平和的に交渉・交流することを主張しているし、実際にそれを実践してみせるわけです。で、彼らの言葉を信用するなら、「悪いやつにしか悪いことをしねえよ」っていう、アウトローなりの矜持もあるようだし……彼らの言うことを信用するならば、ですけども。で、その村の若者・市助っていうのがボコられたっていう件に関しても、彼の血気盛んさが、マックスまで焚き付けられた結果……これもやっぱり、澤村さえいなければ、ここまで血気盛んになってなかったであろう結果でもあり、その割にボコられただけで済んでいるのだから、やっぱりあそこでさらにやり返しさえしなければ、そして杢之進が村にとどまっている限りは、あれ以上悪いことは起こらなかった可能性が高い、っていう状況なわけですよ。なんだけど、結局その澤村が「悪党退治」の美名のもとに、過剰な復讐、つまり複数の殺人を決行したために、事態は修復不能な領域にまで入ってしまうわけですよね。

ここでやっぱり塚本晋也さんの作劇が巧みかつフェアなのは、さっき言ったように、「農民たちもまた暴力の行使を支持していた」っていうことなんですよ。これ、現代の我々に置き換えても、平和を望む、もしくは平和を望むあまり生まれた恐怖心こそが、たとえば軍事力だったり警察力の強化・行使を望むようになっていく、という。で、その結果、より暴力的な事態の連鎖、拡大を招いていきかねない、というようなこと……このパラドキシカルな構造は、現代の我々に置き換えても、非常に実感できるあたりだと思いますし。

 

あとは、一貫して非暴力なスタンスを取っているかのように見える池松壮亮さん演じる主人公の杢之進も、実はやっぱり内心では、「男らしさ」とか「侍の本分」っていう大義名分との間で激しく葛藤を……なんなら、自分もさっさとその一線を超えて、躊躇なく暴力的になれる「男らしい男」「侍らしい侍」になってしまいたいという願望、コンプレックスも、めちゃめちゃ抱えてるわけです。で、かように暴力性と「男らしさ」が……その、杢之進のような非暴力的なスタンスを実践してるような男の中でさえ、深く結びついちゃっている。暴力性と「男らしさ」というものが結びついちゃっている、っていうあたりが、実におぞましいし、我々男性観客には実に気まずいあたり、っていうことなんですよね。

で、塚本晋也監督は、そこからやっぱり目を背けさせてはくれない、っていうことなんですよね。ラスト、女性の声の慟哭で終わるっていうのも、もちろん必然、という作劇じゃないでしょうかね。で、先ほど言った序盤の果たし合いですら、あの痛みですから。後半、洞窟内での一大殺戮。その凄まじさはですね、本当に、刀というものの本質を示す……これ、刀というものの、その本質的な非道さ、非情さというのを示す上で、本当に不可欠のゴア描写。これもさることながら、ここでやっぱり、要は澤村という一見頼りになる、間違ったことはしなさそうなその澤村の活躍=大殺戮なんですけども。その澤村の「活躍」に象徴される「ヒーロー性、ヒロイズム」っていうものが、やっぱり別の視点から見ると、やっぱりちょっと異常、一種のサディズムというのを伴っているようにも見える。

彼がですね、ここで「人を殺して捨てゼリフ」をやるわけです。人を殺して捨てゼリフ、僕らはね、シュワルツェネッガー映画とかだとゲラゲラ笑って見れるけど、その人を殺して捨てゼリフを、立派な感じで、立派な人間風に言うと、こんなにも残酷なものに見えるのか、という一連のくだり。やっぱりこれ、塚本晋也監督のたしかな視点というか語り口、というのを感じたりしますね。

非マッチョ、非暴力的な男が、でもいろいろとそのさっき言った「俺も本当は“男らしい男”に負けたくない」っていう、性的なコンプレックスなど諸々を込みで、ついに暴力性の一線を越えてしまう、という、そういう意味でのバイオレンス論映画、暴力論映画。バイオレンス映画じゃなくて「バイオレンス論映画」。暴力映画じゃなくて「暴力論映画」っていう意味で、サム・ペキンパーの『わらの犬』とも近い構造を持つ、非常にソリッドな作品じゃないでしょうかね。

 

塚本晋也監督、またフィルモグラフィーを更新したというか、またちょっと新たな領域に、さらに先に到達した、というような作品じゃないでしょうか。ストーリーが極めてシンプルな分、『野火』よりは見やすい映画だという風に言えるとも思いますし、ある意味塚本晋也作品のエッセンスがこれ以上ないほどシンプルに詰まっているので、塚本晋也作品の入門編としても最適だ、ということで。

もちろん、たとえばデジタル撮影ゆえの、「ええっ、時代劇でこれ?(映像の質感など)」っていうのはあるかもしれませんけど、僕はやっぱりこれ、要は「『時代劇だから昔の話』っていうことじゃないんだよ」っていう……これは『野火』とも通じる話ですけども、塚本監督の、そこも込みでのメッセージ。だって、そうじゃなく重々しく撮ることも、いくらでもできるんですもん。『野火』の、自然を「詩的」に撮らなかったのと同じように、時代劇の光景を、どっしりとした、叙情性のあるなにか、みたいな感じで描かなかったこと。それ自体も塚本さんのメッセージなんじゃないか、っていう風に私は思います。

まさしくいま、劇場で見るべき一作ではないでしょうか。ウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『暁に祈れ』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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宇多丸、『暁に祈れ』を語る!【映画評書き起こし 2018.12.28放送】

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宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこの作品『暁に祈れ』

(曲が流れる)

タイで麻薬中毒になったイギリス人ボクサーのビリー・ムーアが逮捕され、地獄のような刑務所で過ごす中、ムエタイに再び打ち込み、のし上がっていく姿を描く。原作はビリー・ムーアの自伝小説。主人公ビリーを演じるのは『グリーンルーム』などなどのジョー・コール。監督は『ジョニー・マッド・ドッグ』などのジャン=ステファーヌ・ソベールさんでございます。

ということで、もうこの作品を見たよ、というリスナーのみなさま<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、残念ながら「少なめ」。まあでも公開規模といい、ちょっと時間たっちゃってるのもあるのかな。あと、非常にハードな内容であるというのもあるかもしれませんが。なんですが、賛否の比率は、なんと褒めの意見が9割以上。まあ、少なめな分、わざわざ見に行って感想を送るような人はやっぱり好きな人だった、ということもあるかもしれません。

主な褒める意見としては、「他の囚人や、顔にタトゥーが入った雑居房の長が怖すぎる」「こんな刑務所、絶対に入りたくねえ!」「ある種のモンド映画としても秀逸」「最後まで緊張感が途切れず引き込まれた」などがありました。一方、否定的な意見はほぼ見られず、わずかに「想像していた熱いスポ根映画じゃ全然なかった」という声があったくらいでございます。

 

■「天寿を全うするまで1分1秒も関わりたくないレベルの超絶ビジュアルな囚人たち」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「五目そば」さん、32歳男性。「『暁に祈れ』、シネマート新宿にて鑑賞してまいりました。とても満足しました。テラスハウス地獄編と言っても過言ではない愉快なルームメイト a.k.a 囚人たち。どいつもこいつも頭からつま先までタトゥーだらけ。ガチの元囚人怖すぎ! 特に房長さん……」。あの、顔までもう全部タトゥーが入ってる人。「……YOUは何して刑務所へ? なんて思わざるを得ない、天寿を全うするまで、たったの1分1秒も関わりたくないレベルの超絶ビジュアル。とにかくルームメイトたちが圧巻で、見てるだけで愉快で飽きませんでしたが、『スクリーン越しの世界でよかった。でもこの世界は確実に存在するんだよな』と恐怖と安心の入り混じった不思議な心境で。そんな気持ちのゆらぎ具合も画面のアップ、揺れ具合と、あえてのタイ語字幕カット。あと、リング上ですら喫煙するコーチにいい感じにアゲていただきました」。あのコーチが、喫煙しながらキックをね、パーン、パーン!って。タバコ吸ってんのかい!っていうね(笑)。あれ、すごかったですよね。という感じですかね。

 

■2018年最後にして超重量級の一本

では、行ってみましょう、『暁に祈れ』。みなさんメールありがとうございます。私もヒューマントラストシネマ渋谷で2回、見てまいりました。先週、これ『暁に祈れ』がガチャに当たった時、「今年最後にしてはちょっと地味かもしれませんが……」なんてことをですね、見てもいないうちから口走ってしまったんですが、これは大変申し訳ございませんでした。それどころか、「今年最後にして、またまたドスンと腹にくる、超重量級の1本が来てしまいました!」と言うべき作品、話でございました。

まあ大筋で言うとね、「欧米人が、“後進国”の野蛮で劣悪な刑務所に放り込まれて地獄を見る」という、まあ、刑務所ものプラス、先ほども言いましたけども、モンド映画的な風味。世界のいろんな奇習とか奇妙な習慣とか、そういうものを、ちょっと客観的に見るというか、見世物小屋的に見る、モンド映画的な作品。そういう「刑務所もの+モンド映画」的な作品というと、映画ファンならたとえば、オリバー・ストーン脚本、アラン・パーカー監督の、1978年『ミッドナイト・エクスプレス』。これも常にね、批判の多い作品ですけども。『ミッドナイト・エクスプレス』とか、ある種『ミッドナイト・エクスプレス』の女性版的な、『ブロークダウン・パレス』という1999年の、クレア・デーンズとかが出ている作品。こういう先行作をすぐに連想することと思うんですけども。

今回の『暁に祈れ』というこの作品、『A Prayer Before Dawn』という原題ですけども、それらとは完全に一線を画す1本、と言えると思います。まずこのビリー・ムーアさん、実体験をもとにした原作というのがあるんですね。リバプールの貧しい育ちで、父親からずっと虐待を受けていて。まあ、そういうのもあって若くしてドラッグに染まったりとか、刑務所に出たり入ったりを繰り返していたりとかして。で、いったんはリハビリを受けて麻薬を絶って。で、ボクサー・スタントマンとしてやっていこうと2005年にタイに渡った、っていう風にパンフに書いてありますけども。なんとあの、2007年『ランボー/最後の戦場』に、スタントマンとして参加してたりするわけですね。あれ、タイでロケをして。

なんですけど、結局麻薬や犯罪に再び手を染める様になり、チェンマイの刑務所に入れられて。まあ、その体験をもとにして……所内のムエタイチームに入って、っていうところまで、彼の実人生がそもそも、なかなかすさまじい感じなんですけど。とにかく、その体験をもとに書かれた原作が、ベストセラーになって、という。

 

■残虐行為を行った本人たちに実演させる圧倒的リアル、そしてフェアネス

で、それをですね、さっき言った『ミッドナイト・エクスプレス』とか『ブロークダウン・パレス』みたいに、わかりやすく、ある種の欧米的視点で、エンターテイメント的な作劇に落とし込んでいく――その分、ちょっと差別的な視点っていうのは残るわけですけど――ことも当然できたわけですね。そういう選択肢も当然あったわけですけど。なにしろこれ、監督のジャン=ステファーヌ・ソベールさん。2007年『ジョニー・マッド・ドッグ』という作品を撮りました。

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これでもですね、実際にかつてリベリア内戦で、兵士として駆り出され、戦闘行為、もっと言えば残虐行為をやってきた――まあ「やらされてきた」と言ってもいいんだけど――元少年兵たち自身を、1年間一緒に生活して信頼関係を築いて、なおかつ彼らのそのメンタルケアみたいなものもちゃんとしっかりしながら、その元少年兵たち本人をキャスティングして、彼らがかつてリベリア内戦で本当にやった残虐行為みたいなものを、演技として再現させる。

メイキングなんかを見ると、しかもそれがすごく、彼らにとってのセラピー的効果を持っている。自分のやった行為を、ただ傷として抱え込むんじゃなくて、いったん客体化するという経験で、少年たちがそれによって完全に人間的に癒やされていくんですけど。そういう効果を持った作品。だからつまり、圧倒的リアリズムですよね。当然、本人たちを役者に使って。しかも、そのリアリズムっていうのがまた……少年兵たちが、とんでもない格好をしているんですよ。略奪した格好をしているから、普通にかわいらしい羽根をつけてやっていたりとか。なんか花嫁衣装を着てやっていたりとか。めちゃめちゃポップな、かわいい、ふざけた仮装みたいな格好をしながら、残虐行為を働くっていう。まあ、実際にあったことなんですけど。

まあ、圧倒的リアルさと、そしてそのフェアな視点ですね。やっぱり本人たちをキャストして、実際にあったことというのを本人たちに再現させる、というところでのフェアな視点を貫いてみせた、このジャン=ステファーヌ・ソベールさんですから。この『暁に祈れ』も、原作の素材を前にして、やっぱり通り一遍の作りにするわけがない、という感じなんですね。

 

■主要キャスト数人以外は本物の元受刑者たち

今回の『暁に祈れ』でもですね、主人王ビリー・ムーアを演じているのは、ジョー・コールさんという俳優さんです。『グリーンルーム』とか、あとは『ピーキー・ブラインダーズ』っていうテレビシリーズとかに出ていますけどね。あとは、刑務所の所長役を演じているビタヤ・パンスリンガムさん。これはたとえば、ニコラス・ウィンディング・レフンの『オンリー・ゴッド』という作品で、最強の男を……まさにゴッドな、神な、最強の男を演じていた方。この方ももちろん俳優だし。

あと、劇中のムエタイでコーチをする、ソムラック・カムシンさんというこの方は、1996年のアトランタオリンピックで、ボクシングフェザー級の金メダルを取ったという方で。あとは、『七人のマッハ!!!!!!!』とかに俳優としても出ていたりするという、そういう方。ただ、この3人ぐらいですね。プロの役者というか、そういうある程度、本来スクリーンに映っていておかしくない、というような人は。

で、それ以外、刑務所内でですね、主人公を文字通り取り囲んでいる、全身……まあ人によっては顔面までタトゥーだらけの囚人たち。彼らの大半が、本物の元受刑者たち。このへん、完全にやっぱり『ジョニー・マッド・ドッグ』と同じ手法ですね。本物の元受刑者たち。で、劇中で語られる犯歴とかも、だいたいが本当のことだったりするという。「3人殺してきました」みたいな話も本当のことだったりするという。しかも、そんな本物たちの中に、1人異物として、ポツンと放り込まれた主人公のビリー・ムーア。

実際にその囚人たち。肌は浅黒い上に、タトゥーがびっしり入っているタイ人の囚人たちの中で、そのジョー・コールさん演じるビリー・ムーアは、ボクサーらしく筋肉ムキムキではあるけども、決して大柄ではないし、やっぱり肌がツルンと白いわけですね。で、その身体がいかにも弱々しく、一際目立つ、ということになるわけですけども。

ちなみにこのムショですね、まだご覧になってない方に言いますけども、やっぱり暑いからっていうことなんでしょうね基本、囚人のみなさんですね、パンイチ状態ですね。基本、全員半裸です。でもって、明らかに収容人数が多すぎるんでしょう。ゆえに寝る時も、ほとんど折り重なるようにして寝なきゃならない。要は、パンイチのほとんど半裸のおじさんたちが、こうやって折り重なるようにして生きていかなきゃいけない。これだけでも十分、つらみ、地獄み濃厚なわけですけど。とにかくそんな中に、タイ語もよく話せないままに放り込まれた主人公ビリー。つまり彼は、この時点ではタイという国や人々を、やはり欧米的なと言うべきか、ちょっと外部的なスタンスから捉えているわけですね。

 

■何を言われているか分からない、何が起こっているか分からない状況に観客も放り込まれる

なんですけど、本作はそのビリーの視点、いわば彼の一人称視点を、ひたすら徹底してみせるわけですね。つまり、彼自身が分かってないこと、理解できてないこと、見えていないことに関する客観的な「説明」というのはですね、セリフ的にであれ、映像的にであれ、一切なされない、というのがあるわけです。たとえば、ダビド・ウンガロさんという方による撮影ですけども、カメラは基本、そのジョー・コールさん演じるビリー・ムーアさんの身体に、極度に寄っているわけですね。それは彼が、実はいろんなことに耳を塞ぎ、目をつぶり、ドラッグに逃避などしては殻に閉じこもっているという人物だから、という。要するに、「自分のところだけ」っていうのを表現している感じ。周りの世界があまり見えてない、っていうのも示しているし。

あるいは、マルク・ブクロさんという方による編集。たとえば序盤、ビリー・ムーアが逮捕されるわけです。しかもその逮捕の理由みたいなものが、言語的にもちゃんとビリーはわかっていないですから。説明されないまま、どんどん逮捕されて。まさしく本当に文字通り、あれよあれよという間に……ポンポンポンポンッと場面が切り替わっていくうちに、もう気づいたらムショ行きになっている、みたいな感じなんですよね。これも、彼自身が事態をあまりちゃんと理解・把握できていない、タイ語がわかんない、何を言っているのかわからないって言いながらも、どんどん決められちゃって。気がついたらもうムショに行くバスの中、みたいな。そういう編集テンポになっている。

そして、そんな彼の一人称的な視点。本作で最も鮮烈に現れているのは、これはこの映画を見た人がたぶんいちばん印象に残るところだと思うんですけども、劇中で話されるそのタイ語……特に前半、彼がそのタイ語を全く理解できていない段階では、字幕翻訳が一切入らない、という演出なわけですね。特に最初、刑務所に入れられてすぐ、雑居房に入れられて。本当に全身にタトゥーが入った、もう明らかに極悪なことをやってきたであろう男たちが、ニヤニヤ笑いながら、もしくはゲラゲラ笑ったりとか、時にはすごみながら、「オイッ!」って、なんかいろんなことを、「○※△×!」って、なんか「やれ!」って言っているとか。なんか「座れ!」って言われて、なんかいきなり腕立て伏せさせられたりとか。

とにかく、何を言われているのかわからない。ということはつまり、何を求められてるのかがわからないし。……そして、この場では何をすべきで、もしくは何をすべきでないのか、もわからない状態。もう非常に不安と恐怖心がMAXになる、という場面なわけですよ。言葉がわかんないから。そして、その上でその夜、主人公ビリーが目の当たりにさせられる、まさにこの世の地獄的な事態。それのつるべ打ちになるという。本当にもう、ビリーならずとも、「勘弁してくれ!」っていうことになる。そんな事態になっていく。

 

■地獄には地獄なりのルールがあると徐々に理解出来ていく

で、だんだん後半になって、なんとかそのビリーも、周囲とうっすらだけどもコミュニケーションが取れるようになってきてからも……それでもまだ片言レベルというか、やっぱりジェスチャーなどの非言語的なやり取りが非常に多いのには変わりはないわけです。後半になると、ちょっとしたやり取りには、字幕で意味が――つまりビリーが理解できていることに関しては――字幕がついたりするんだけど。でもやっぱり、基本的にはジェスチャーとかが多い。

こんな感じで、セリフなどによる言語的な説明を極力排することで、ジャン=ステファーヌ・ソベール監督、もちろんさっき言ったように、不安や恐怖を煽るという効果も存分に出しつつ……まあ本当にモンド映画的なことですね。ものすごい蛮族の中に放り込まれた、っていうような感覚、これを煽っている。これも間違いないんだけど。同時に、描かれるもの、映し出されるものに対して……要は、セリフ的な説明を入れる。客観的な説明を入れるっていうのは、一段上から、俯瞰的な視点からジャッジを下す、っていうことになるわけだけど。それはしない、っていうことですね。ジャッジをしない。一方的に価値判断を下さない。そういうフェアさを保つための演出、でもあるわけです。

だからあの(囚人たちが)「ワーッ!」ってなっているけど、この人(主人公ビリー)だけが(周囲の人々が)どういう行動原理で動いてるかがわからないからそう見えるだけで、それがいいとも悪いとも言ってない、っていうことなんですよね。あとはまあ、そのニコラス・ベッカーさんという方の音楽もですね、劇的なメロディー感は当然、極力排して。「音響」と呼ぶ方がむしろふさわしいようなミニマルさ、っていうのを保っていくわけです。そんなわけで、それこそ今週木曜日の第九特集のね、小室(敬幸)さんの説明に倣うならば、エンターテイメント的な、受動的な見方に慣れきった観客には、ちょっと不親切な、感情移入しづらいタッチ、とは言えると思うんですけども。まさにそここそがこの作り手側の狙いであり、本作の特色でもある、っていうことですね。

それこそですね、フラットな目で見進めていくと、最初は本当にもう、あれほど野蛮極まりない、理解不能な地獄、っていうことにしか見えなかったこの刑務所世界っていうのが……もちろん、超劣悪な環境であることには変わりないんです。まあ、地獄は地獄なんですよ。地獄は地獄に変わりないんだけど、ただ「地獄には地獄なりのルールがあるんだな」とか、「地獄には地獄なりの抜け道があるんだな」とか。あるいは、「地獄の住人には住人なりの知恵とかユーモア、なんなら人間らしさもやっぱり当然あるんだな」っていうことが、基本その殻に閉じこもりがちなこの主人公ビリーの目にも……つまり我々観客の目にも、次第にそれが見えてくる、っていうことですね。

 

■主人公の真の問題は、同じ過ちを繰り返す「自分自身」

まあ、このあたり、だんだんと、最初はすごい怖い地獄、で、周り全員が敵に見えたその刑務所が、だんだんルールがわかってくるにつれて、生き延びていけるようになる、という。いわゆる刑務所ものっていうジャンルの面白み、みたいなものも入っていたりする、というところですけど。ただ、そうやってですね、その世界の中での生き残り方っていうのが、半端に分かってきたら分かってきたらで、今度はその、シャバにいた時と同様、自分が抱える真の問題……まあ、それはどうやら親族、特に父親との関係らしい、っていうのが、先ほどね、自伝とかでは父親に虐待されていたっていうのがちゃんと語られているけど、今回の映画の劇中では、あくまでもおぼろげながら、どうも父親との関係っていうのがいちばんの問題らしいっていうのがほのめかされる、程度に留められてるんだけど。

でも、自分が本当に抱えてる真の問題。ドラッグに走ってしまったり、なんか暴力的になってしまったりっていう……まあ、逆に言うとすごく寂しがり屋っていうか、欠落をものすごい抱えてる人なわけですけど。その、真の問題には目を背け、まあドラッグ……劇中では「ヤーバー」っていうね。覚醒剤のことをタイ語でヤーバーっていうの、覚えてしまいましたけどね(笑)。ヤーバーにまたも逃避してしまう、っていうのがこの主人公ビリーさんという人でもあるわけですね。

だから、世界のルールが分かってくると、結局シャバと同じことを繰り返してしまいがちな人でもあるわけです。なんだけど、結局やっぱりビリーさん、これはもう外側の問題じゃなくて、自分自身を叩き直す以外に解決策はないな、っていうことが、やっぱり無意識的にであれ、わかっているわけですね、ビリーさんは。なので、ストレス発散とか待遇向上とかありますけど、なによりもやっぱり、生きる目的を再び見出すために……所内にその、ムエタイジムがあるわけですね。ムエタイボクシングのジムの門を叩く、ということになるわけですけど。

 

■タッチはアート的ながら、きちんとスポ根的エンターテイメントな盛り上げも

ここでやっぱり、その門戸を開いてもらうために……このコーチ役の人とかは、基本的にはいい人っていう設定なんだけど、門戸を開いてもらうにもやっぱり、賄賂が必要っていう。やっぱりタバコを1パックぐらいは持っていかないといけない、っていうあたりが、やっぱりタイ的暗部の部分なのかもしれませんね。その、非常に賄賂的なものが横行しているっていうのは、それこそ『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』でも描かれている話ではありました。全然階層が違っても、そういうことはやっぱりある、ということですね。

とにかくそこからは、いったん道を踏み外しそうになるっていう、そういう危ういくだりも含めて、割とスポ根的な展開になっていくわけですね。もちろんタッチはアート映画的なミニマルさなんだけど、お話的には結構スポ根的な展開になっていく。それこそ、わかりやすく劇的に盛り上げはしないけど、ちゃんとクライマックス、決勝の試合のところ。その勝負を決める一撃は、ちゃんとしっかり伏線も張られた一撃になっているわけです。「あっ、ああっ! 出た、あれ、出た!」みたいなことにちゃんとなっていたりするし。

あとビリーが、決勝の試合だけは、パンチを食らうたびにこっちも、「あっ、ああっ! はーっ!」って、余計にハラハラするような前振りもちゃんとしてあったりして。実はちゃんとスポ根的なエンターテインメントのカタルシスも、しっかり実は入ってたりする。そこまで露骨じゃないけど、ちゃんと入っていたりはする、っていうことですね。ただ、なによりもやっぱりこの『暁に祈れ』という作品の、特に後半の彼が、ムエタイを通じてだんだんいいことになっていく、というくだりでいちばん感動的なのは、やっぱり、序盤ではあれほど得体の知れない存在たちにしか見えなかった、タイの囚人たち。

たとえば、入れ墨がびっしり入っていたりとか、もちろん言葉もわからないし、みたいな。本当に得体の知れない他者だった。で、主人公もそこに恐怖も感じるし、壁も作っていた。そして観客も当然「怖い」としか思わなかったそのタイの囚人たちの中に、いつしか主人公ビリーが、仲間として受け入れられていく。で、主人公ビリーも心を開いていく。すなわち、我々観客の視点も変わっていく、我々の心も開いていく、っていう。ここがやっぱり感動的なところだなと思いますね。

まあ、ただそれでもなお……これがやっぱりね、普通のエンターテインメントだったら、「その囚人たちにも、もはやビリーは仲間として受け入れられています。オールOK!」ってしてくれるのに、この映画の場合はそれでもなお、近年僕が映画の中で見てきた中でも、いちばん嫌な感じのする脅し、っていうのを受けるわけです。これはどういう脅しかっていうのはぜひ、見ていただきたいのですが。「こんな脅しは嫌だ!」っていう脅しを受けるわけなんですけど。

まあ、またそこがね、それでも……ある程度(その世界のルールが)わかった上で、やっぱり地獄は地獄だ、っていうのがあるところがやっぱり怖いんだけど。ただ、その僕が言っている終盤、後半の方で出てくる、非常に怖い、嫌な感じのする脅しも、あれとて言語的コミュニケーションが取れていてこその脅し、って考えると、やっぱり序盤のですね。その蛮族を見る怖さみたいな、そういう恐怖とはやっぱり質が異なるものにちゃんと進歩してるっていうか、恐怖のあり方もちゃんと進歩している、という風には言えると思います。

 

■究極の逃避チャンスを前に、主人公が取る行動とは

まあ、ともあれそのムエタイの成功体験を通じて、だんだんだんだんですね、自分を取り戻してくっていうか、しっかりしていくビリーさん。まあこれまでは、もうとにかく人生の全てから、逃避し続けてきた人なんです。で、逃避し続けて逃避し続けて、ついには異国の刑務所まで来てしまった。しかも異国の刑務所の中でもさらに、そのドラッグに逃避してしまったがゆえ、さらに自分を貶めてしまう。彼がいちばん落ち込むくだりっていうのは、ドラッグがほしいがゆえに、振るいたくもない暴力を振るいたくもない人に振るう、っていう、いちばんおぞましいことをしてしまう。そこでもう彼は、「ううう~……」ってなってしまうわけですよね。

で、絶望した挙句、ついには、生きることからも逃避しようとしかけるわけです。つまり、もう全てから逃避して……異国に行って、刑務所に行って、そこでも自分を貶めて、生きることからも逃避をしかけてしまった彼が、そのムエタイの成功体験を通じて成長して。最後に彼が、究極の逃避のチャンスを前にするわけです。最後に、いちばんの逃避のチャンス……ずーっと逃げ続けてきた人ですから。彼の行動原理から言えば、当然逃避する。そのチャンスを前に、彼が取る選択とはどういうことか?っていうことですね。そして、その選択の先に、ラストのラスト。彼が、ある人物と向き合うことになるわけです。それをまた、向き合ってる人物を、本物のビリー・ムーア本人が演じてるんですね。自身が演じている。

つまりこれ、このビリー・ムーア自身が演じている人が、ビリー・ムーアの人生に実際には何をした人か?っていうことを考えると、まさにそのビリー・ムーアという人にとって、この映画というもの、そしてそのラストシーンが、二重、三重に「自分の人生に向き合う」っていう構造になっているわけです。そう思って見ると、あのラストシーンはものすごいグッと来るっていうか。「うわっ、なんかこれすごい映画だな!」っていうのがラストのラストにあって。さらに一段また映画のランクが、1個グッと上がるというか。そんな作品じゃないかと思います。

 

■タイ〜東南アジアの映画シーンを面白みを感じるためにも、ぜひ!

ということで、刑務所物+モンド映画+スポ根みたいな、そういうちょっとジャンル映画的な要素っていうのを多く含みつつも、それを、圧倒的本物志向と、フェアな視点、そしてアート映画的なミニマルなタッチで、本当に独自に語りきってみせた、大変にドスンと見応えある一作でございまして。非常にハードなシーンもあります。ちょっと見通すのが苦痛になる人もいると思うんですが、これはちょっとぜひ、この年末年始に劇場で……一生のうちに見るべきか見ないべきかで言えば、絶対に見るべき1本だと思います。そしてやはりですね、『バッド・ジーニアス』とか……まあ、今回は監督とかはフランス人ですけど、やっぱりその、タイとか東南アジアシーンの、またこれはちょっと違った方向からですけども、面白みがある1年だったな、という風に総括する意味でも、ぜひぜひこの年末、劇場で『暁に祈れ』をウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『アリー/スター誕生』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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「新年の穏やかな時間のなかで聴きたい最新ブラジリアンミュージック〜シンガーソングライター編」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム

「新年の穏やかな時間のなかで聴きたい最新ブラジリアンミュージック〜シンガーソングライター編」

【高橋芳朗】
新年一発目はこんなテーマでお送りします! 「新年の穏やかな時間のなかで聴きたい最新ブラジリアンミュージック〜シンガーソングライター編」。本日は1月4日……きっと今日から仕事始めという方が多いんですよね?

【ジェーン・スー】
でもまだ挨拶回りとかその程度なんじゃない?

【高橋芳朗】
そうだよね。電車もガラガラだったし、まだまだ世間は正月気分でしょう。そんなわけで、2019年最初の洋楽コラムは普段よりも落ち着いた選曲でお届けしたいと思います。

で、去年のこのコーナーではブラジル物の新譜をあまり紹介できなかったこともあるので、ここでは昨年リリースされたブラジルのシンガーソングライター作品から新年の穏やかな気分にフィットするものを4曲選んでみました。2018年のブラジリアンポップスのベストセレクション的にも楽しんでもらえるかと思います。

まず1曲目はレオナルド・マルケスの「I’ve Been Waiting」。日本では去年の12月19日にリリースされたばかりのアルバム『Early Bird』の収録曲です。本日紹介する4曲のなかでは唯一の英語詞ですね。この曲はまさに新年のムードにふさわしい、夢うつつというか、まどろみのなかを漂っているような感覚があるかと。ちょっとトロピカル要素のあるジョン・レノンって感じかな?

【ジェーン・スー】
わからないからさっそく聴いてみよう!

M1 I’ve Been Waiting / Leonardo Marques

【ジェーン・スー】
すごいね、もう始まって20秒ぐらいで「トロピカル要素のあるジョン・レノン」っていうのがよくわかった。

【高橋芳朗】
うん。『ジョンの魂』や『Imagine』のころのジョン・レノン作品のイメージですね。

【ジェーン・スー】
でも昨年のリリースということはここ最近レコーディングされたものということですよね?

【高橋芳朗】
もちろん。ほぼ全編ビンテージの機材を使った宅録レコーディングだから、それでこういう質感になっているんだと思います。

それでは2曲目、続いてはシルヴァの「Nada Sera Mais Como Era Antes」。これも日本では去年の12月26日に発売になったばかりのアルバム『Brasileiro』の収録曲です。この曲も新年の静謐な雰囲気にしっくりくる、空間を活かしたサウンドがとても心地よくて。アメリカの現行のR&Bやソウルミュージックの影響がうかがえます。

M2 Nada Sera Mais Como Era Antes / Silva

【高橋芳朗】
3曲目はセザール・ラセルダの「Isso Tambem Vai Passar」。こちらはアルバム『Tudo Tudo Tudo Tudo』の収録曲になります。この曲はボサノバ調のリズム、アコースティックなサウンド、ソフトなボーカル、美しいメロディーと4拍子そろっていて、わりと一般的なブラジル音楽のイメージに忠実なサウンドになっています。これも空間を活かした立体感のある音の配置がいまっぽいかと。

M3 Isso Tambem Vai Passar / Cesar Lacerda

【ジェーン・スー】
これ、オーソドックスで好きですわ。

【高橋芳朗】
曲がかかっているあいだ「カモミールティーを飲みながら聴きたい」と。

【ジェーン・スー】
そう。カモミールティーにミルクを入れるという蛮行に出たいね。

【高橋芳朗】
フフフフフ。では最後はフーベルの「Mantra」。こちらはアルバム『Casas』の収録曲でゲストにブラジルの人気ラッパー、エミシーダが参加しています。このアルバムはサンバだったりボサノバだったりソウルだったりフォークだったりソフトロックだったり、すごくバラエティーに富んだ内容で。この曲に関してはヒップホップの要素が強かったりするんだけど、でもものすごくエレガントでスケール感のあるサウンドにまとめられています。これはなかなかないバランス感覚だと思いますね。

M4 Mantra feat. Emicida / Rubel


【ジェーン・スー】
ちょっと懐かしい感じもあるよね。

【高橋芳朗】
そうね。ビートはヒップホップなんだけど、旅情をそそるというか郷愁感があるというか。

【ジェーン・スー】
なんか眠くなってきちゃったよ。

【高橋芳朗】
まだ1月4日だしね。音楽的にはこのぐらいの塩梅がちょうどいいんじゃないでしょうか。

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

12/31(月)

(11:08) God Only Knows / The Beach Boys
(11:25) Go Where You Wanna Go / The Mamas & The Papas
(11:37) Portrait of My Love / The Tokens
(11:45) She / The Monkees
(12:13) Happy Together / The Turtles
(12:24) Happiness Is / The Association
(12:42) Silence is Golden / The Tremeloes
(12:50) I’ve Got You Under My Skin / The Four Seasons

1/2(火)

(11:13) Lovely Day / Bill Withers
(11:27) Could It Be I’m in Love / Minnie Riperton
(11:45) Cause You Love Me Baby / Deniece Williams
(12:15) Mind Blowing Decisions / Heatwave
(12:25) Blues Away / The Jacksons
(12:50) Gettin’ Ready for Love / Diana Ross

1/3(水)

※平成元年にリリースされた曲縛り!
(11:05) Sowing the Seeds of Love / Tears for Fears
(11:20) We Didn’t Start the Fire / Billy Joel
(11:33) Roam / The B-52’s
(11:39) Cherish / Madonna
(11:43) King for a Day / XTC
(12:14) Here Comes Your Man / Pixies
(12:22) Mr. Cab Driver / Lenny Kravitz
(12:50) Coffeemilk Crazy / Flipper’s Guitar

1/4(金)

(11:03) Boogie Wonderland / Earth Wind & Fire
(11:24) Wear It Out / Stargard
(11:45) Do You Love What You Feel / Rufus & Chaka
(12:18) Raise a Blaze / Heatwave

宇多丸、『アリー/スター誕生』を語る!【映画評書き起こし 2019.1.4放送】

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宇多丸:

ここからは私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこちらの作品です。『アリー/スター誕生』。

(曲が流れる)

プロのシンガーになることを夢見ながら、ウェイトレスとして働いていたアリーが、ロックスターのジャクソンに見出され、スターダムへと駆け上がってく様子を、2人の歌とともに描いていく。アリーを演じるのは、これが映画初主演となるレディー・ガガ。ジャクソンを演じるのは、本作が監督デビュー作となる俳優のブラッドリー・クーパー、ということでございます。だいぶ前からね、予告もやってたりとか、話題になっている作品で。いまも劇場にもかなり人が入ってる感じございましたけど。

ということで、もうこの『アリー/スター誕生』を見たよ、というリスナーの皆さま<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、いつもより「ちょっと少なめ」。まあ、ちょっと年末年始で皆さんね、いろいろ感想を書いている場合じゃないとかあったのかもしれない。あと、ランキングが終わった直後で、ちょっとテンションが下がっているとかもあるかもしれませんけどね。

なんですが、賛否の比率は、褒めの意見が7割以上。非常に好評です。主な褒める意見としては、「曲よし、歌よし、演技よし。ブラッドリー・クーパーとレディー・ガガ、これが初監督と初主演って凄すぎない?」「アリーというよりもジャックの物語として見た。そして泣いた」「『ボヘミアン・ラプソディ』よりもこっちの方が好き」などなどありました。一方、否定的な意見は「前半はいいが後半から失速。演出や話が散漫になるし、ラストの展開を受け入れられない」とか「途中からアリーがただのレディー・ガガにしか見えなかった」。たしかに、音楽性がどんどん(レディー・ガガ本人のそれに)寄っていく、っていうのがあってね。でも、ある意味ちょっと、「レディー・ガガができていく過程」を見れる、というところもありましたけどね。ダンスレッスンなんか、なかなか見れないからね。

ただ、賛否どちらのサイドからも、ブラッドリー・クーパーの監督としての力量と、あとはその歌唱とか演技、演奏とかそのあたり……それからレディー・ガガの演技と歌については、絶賛の声しかなかった、ということでございます。

 

■「よくできすぎているのが欠点なほど、よくできている」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。「ぽいずみとりかぶこ」さん。「『アリー/スター誕生』、見ました。四度目のリメイクの意義を与える現代的なチューニングがしっかりなされている。レディー・ガガの話題性に準じず、本懐の歌唱力一発で持っていける地肩の強さは想定内でしょう。何に驚いたかと申せば、ブラッドリー・クーパーのミュージシャン上がりの俳優としか思えない、デ・ニーロもかくやの姿。書き下ろした曲もねっとり骨太。彼の兄貴サム・エリオットの好演も光り、大変に画面が締まる」。

で、いろいろと書いていただいて、「……よくできすぎているのが欠点なほど、よくできている。ワンカットも捨てカットがない。冴えわたる才気。曲がその後の物語に一抹の影を落とすのも好ましかった」。全ての曲の歌詞が、その時その時の物語の展開にちゃんとリンクしている。この、いまかかってる曲とかも、ブラッドリー・クーパーは自分で書いているわけですから。作っているわけですからね。何を考えてるんだ!っていうね(笑)。曲を作れるところまで持っていくって! 「個人的には似たテーマを扱う『ボヘミアン・ラプソディ』よりも断然こちら派です」という。どちらもね、ぜんぜん違う映画だとは思いますけども。

一方、ダメだったという方。ラジオネーム「スナッチ」さん。「すいません、正直イマイチでした。というより後半がダメでした。100点満点で言うと前半で90点出ていたものの、後半で50点ぐらいの作品になり、トータルでは60点になってしまったという印象です。まずアリー。自分に自信が持てない地方のウエイトレスである彼女がサクセスしていく様に共感していたのに、アリーは途中から完全に圧倒的なカリスマ、レディー・ガガ以外の何者でもなくなってしまい、その激しい落差に気持ちが置いてけぼりにされたようでした。

光と闇を対比させないといけないのに、あんな唯一無二のところに行かれたら、全然『スター誕生』っていう気持ちにはなれませんよ。同じようにジャックの凋落ぶりも極端すぎます。ラストの強い展開に至るためにはそれだけの強い説得力、丁寧な心理描写が必要だったと思います。また後半は撮り方や脚本にも明らかにムダが多かったような気がします」というようなご意見でございました。

 

■オリジナル含む過去四作の中でも今回が最高傑作!

ということで皆さん、メールありがとうございました。『アリー/スター誕生』、私もバルト9のファーストデー、1月1日の深夜と、TOHOシネマズ日比谷で見てまいりました。どちらも、特に日比谷なんかは正月ということもあってか、外国人の方も含めてかなりのお客がいました。はっきり言ってかなり混んでましたね。

で、先にちょっとまず『アリー/スター誕生』、結論っぽいことから言ってしまおうかと思うんですが……先ほどからも言ってますね、映画ファンならご存知の方も多い通り、『スター誕生』という話の、これで四作目となるリメイクであるこの『アリー』。その過去の三作や、後ほど詳しく言いますが諸々の関連する先行作というのがあるんですが、それらの文脈を踏まえ、敬意を払った上で……この、明らかに古典的と言える物語的な枠組み、そこに独自の解釈や掘り下げ、ブラッシュアップなどを加えて。結果、見事にアップデートして、新たな価値を創造してみせたという、まさにリメイクの鑑的な一作であり、少なくとも僕は――これは僕の個人的な意見ですが――これまであった『スター誕生』四作の中では、これが最高傑作だと思います。

同時に、やっぱりブラッドリー・クーパー主演兼監督の第一作目としても、真に感服するしかない……「ああ、これはたしかにクリント・イーストウッドの後継者と目されるのも当然だな」と思えるほどに、まあ堂々たる出来だ、という風に言えるんじゃないでしょうかね。どういうことなのか?っていうのを、改めて順繰りに話していきたいと思うんですけど。

まずその1937年、ウィリアム・A・ウェルマン監督、ジャネット・ゲイナー主演の、最初の『スタア誕生』。これはアカデミー賞第10回で原案賞というのを取っているんですけども。1937年のその一作目の前に、さらにその元ネタとして、後にその1954年版の『スタア誕生』リメイクを手掛けるジョージ・キューカー監督の、1932年の『栄光のハリウッド』っていう作品があって。ちょっとややこしいですけどね。もっと言えば、さらにその源流には、皆さんご存知の方も多い通り、ジョージ・バーナード・ショーの、1913年に初演された戯曲『ピグマリオン』というのがあるわけですね。

要は、「権力を持った年配の男が、若くて才能ある女性を見出して開花させ、その結果追い抜かれてしまう」というような、そういう構造のお話ということですね。で、まあその1937年版の『スタア誕生』、そして1954年のジュディ・ガーランド版……僕、これをリバイバルで見たのが『スタア誕生』ははじめてでしたけども。それと、1976年のバーブラ・ストライサンド、クリス・クリストファーソン主演版……要はミュージシャン版というかね。ここではじめてミュージシャン、という風な話になりました。1976年版の『スター誕生』。

それ以外にも、さっきから言っている『ピグマリオン』構造のお話っていうと、それこそその『ピグマリオン』を原作に持つ、やっぱりこれもジョージ・キューカー監督ですね、1964年の『マイ・フェア・レディ』と、あとはその現代版、ご存知『プリティ・ウーマン』、1990年。言うまでもなく、今回の『アリー』の劇中、グラミー賞のシーンの中で、ロイ・オービソンのね、『Oh, Pretty Woman』のトリビュートシーンっていうのがありますけども。これはもちろん、同じく『ピグマリオン』型ストーリーの先行有名作、『プリティ・ウーマン』への目配せ、っていうことなんですね。

 

■名作『クレイジー・ハート』超えを目指した? ブラッドリー・クーパーの挑戦

あとはたとえば、皆さん覚えてますかね? 2011年、その年のアカデミー賞の作品賞を取りました、『アーティスト』というね。あれはもうモロに、まんま『スター誕生』オマージュの話でしたよね。とかですね、あとこれは、男側が権力者っていうわけではないところでちょっと違うかもしんないけど、ただあの『ラ・ラ・ランド』も、女性が才能を開花させて男を追い抜いていく、という構造では同じですよね。なので、とにかくその「『ピグマリオン』発『スター誕生』経由」的なお話っていうのは、近年に至るまで、繰り返しいろんな形で作られ続けている。変奏され続けている。そしてそこには、その時代その時代の、特にやっぱり社会における女性の地位の変化っていうのが反映されてもきている、っていうことなんですよね。

そしてもちろん、当然ながらそれぞれの、その時代その時代の作品の良さがある、ということなんですけども。加えて今回の『アリー』に関してはですね、主演・監督のブラッドリー・クーパー……まあ、実はこの『スター誕生』のリメイクって話は、ずいぶん前からあって。で、いろんな監督……それこそ、クリント・イーストウッド監督っていうのもありましたし、あとはビヨンセ主演でやるなんていう話もありました。ちなみにビヨンセ主演といえば、『ドリームガールズ』も、才能を開花させた女性が男を追い越す、っていう構造がやっぱり入っていたりしますよね。

まあいろんな経緯があってからの、主演・監督ブラッドリー・クーパーなんですけど。まあ自らがカントリーロック歌手を演じる。というよりも、リアルに「体現」してみせるというのにあたって……やっぱりいまどきの映画は、ちょっと嘘っぽいとすぐにバレちゃいますから。ちゃんと歌える人が自分でやる、みたいなのが結構最近のデフォルトになりつつありますけど、それにあたって、たぶんこれが念頭にあったんじゃないか? 2009年、ジェフ・ブリッジスが、やっぱり似たような感じ、つまり「アルコール依存症のカントリー歌手」を見事に体現しきって高く評価されました、『クレイジー・ハート』。あれはいい映画でしたね。

あの『クレイジー・ハート』のアプローチっていうのは間違いなく、先行作としてブラッドリー・クーパーの念頭にはあったんじゃないかな、と思います。何なら、「『クレイジー・ハート』のジェフ・ブリッジスを超えるんだ!」っていう意思があったと思うんですよね。だからこそ、今回のブラッドリー・クーパーは、それまで人前でギター弾いたり歌ったりっていうことをそんなにやってきた人じゃないらしいんだけど、ルーカス・ネルソンっていうウィリー・ネルソンの息子さんと演奏・歌唱の訓練を重ねて、まあ実際に演奏・歌唱をそのルーカス・ネルソン&プロミス・オブ・ザ・リアルと一緒にしてみせる。

そしてなおかつ、本当のフェスの会場……それこそコーチェラとか、その本当のフェス会場の、本当にそこにいるオーディエンスの前で演奏して歌って、それを撮影してみせる、ということもやっている。

で、いちばんすごいと思うのは、最初の方でも言いましたけど、そのルーカス・ネルソンとかレディー・ガガの手助けを得ながら、要するに「“ミュージシャン”ジャクソン」として、自分で曲作りをする、というところまで役作りというものを高めている、っていうことなんですよ。

そんなことをした話は聞いたことない。だから、ついに……要は『クレイジー・ハート』のジェフ・ブリッジス超えっていうか、自分で曲を作るところまで持っていった、っていうことですよね。まあでも、とにかくそんな感じで、脈々と連なるそういう文化史的というか映画史的流れの延長線上で作られてることは間違いない、この『アリー』。作り手も、たとえばその『スター誕生』ほか諸々の過去作へのオマージュをちょいちょい挟み込んでいたり。そのへんは明らかに意識的なわけですね。たとえば、『スター誕生』に限らないんだけども……あの超かっこいいオープニング。今回、タイトルが出るところ、めっちゃかっこいいですよね。『A Star Is Born』っていうところ。

あそこ、バイト先でアリーがゴミを捨てました。で、手袋を取って投げ捨てました。そのアリーを、ずーっとカメラが右から左へ追っていく。すると、アリーがその廊下の奥の方へと歩いていくショット。あれは要は、『オズの魔法使い』オマージュ、っていうことらしいんですよね。鼻歌で歌っているのも『Somewhere over the Rainbow』だったりして。ということで当然、『オズの魔法使い』といえばジュディ・ガーランド、なわけで。1954年版へのオマージュであり、同時にその、「魔法使い」と憧れていた男はそうではなくて……とかね。結局その女性がいずれ自立していく話として捉えるならば、そういう話の、構造上のオマージュとも取れる。そういうのが周到に入っていたりするというね。あのオープニング、めちゃめちゃかっこいいですよね。

まあそんな感じで、その過去作へのオマージュを、非常にある意味優等生的に、要所要所に配している作品ではあるんだけども。同時に、やはり今回の『アリー』。同じ物語的な枠組みを使ったどの先行作とも違う、非常にオリジナルな解釈と語り口に到達してる、という風に僕は考えています。

 

■スターである前に生身の人間、ということを伝える演出とキャスティング

まず、ご覧になった方は非常に印象に残ると思うんですけど、やっぱり撮影、カメラですね。これね、非常に人物に近い、極端な「寄り」のショットが多い作品だな、っていう風な印象を持たれた方は多いんじゃないかと思います。これ、偶然にも、先週扱った『暁に祈れ』とも、実はとっても近いアプローチなんですね。

要は主人公たちの、一人称的というか、主観的視点というんですかね。「彼とか彼女たちに見えている」範囲で、ずっと映像が進んでいく、っていうことですね。しかも、『暁に祈れ』との共通点で言うと、主人公が家族、特に父親との関係、そこでの育ち方をトラウマとして抱えていて。それゆえ、ドラッグに逃避しがち、っていうところも、『暁に祈れ』とすごく、偶然ですけども共通してる、っていうところはあると思います。で、まあとにかくこの『アリー』でもですね、たとえばいちばんド派手なはずのライブステージのシーンでも、彼らのパフォーマンスを、客席側からの引きとか、俯瞰の広い画で撮ったりとかはしない。とにかく彼ら側の……彼らが見て、彼らが感じる範囲の、生々しい寄りの画でずっと見せるわけです。

で、客観的な、客席側から見たような画は、たとえばモニター内の画であるとか、ネット動画の中であるとか、そういうなにかメディアを通した、ちょっと間接的なものとしてしか出さないという。もっとも華々しい、派手なはずのライブシーンでさえこう感じるぐらいなので……とにかくこういうことですね。スターっていう、とかく我々一般人には、人ではない「アイコン」として扱われがちな……たとえば(劇中に出てくる描写で言えば)、「何で有名人になるとフルネームで呼ぶんだよ?」とかね(笑)。あとはやっぱり、いきなり写真をバシャッて撮られたり。いろんな不躾な大衆の反応っていうのも描かれますよね。序盤でね。

とかく「人ではない」みたいな扱い。アイコンとして、記号的に扱ってしまわれがちなスターという存在の、要は生身さですよね。生身の人間、1人の苦悩する人間なんだっていう、その温度感が感じられる、非常に「親密な距離感」の目線ですよね。それをずーっと、カメラを通じて……「スターも、人間なんだ」っていう親密な目線を、この作品は貫いてみせる。これはまさにレディー・ガガ自身がそう(現実にスター)だし、ブラッドリー・クーパー自身がそうだから、っていうのは当然、ありますよね。

だからこそ、「いや、俺たちは人間なんだ!」っていう叫び……で、ここでやっぱりレディー・ガガっていうチョイスが絶妙で。どちらかといえばレディー・ガガって、作り込みぬいたビジュアルイメージ、みたいなのが強いアーティストじゃないですか。それを、やっぱり彼女に(ブラッドリー・クーパーが)会った時に、彼女の中にある、芯にあるその素顔の輝き、みたいなものを見抜いたブラッドリー・クーパーが、メイク落としを持参してまで……会った時に「はい、メイク取ってみて」って(笑)。あえてノーメイクで、素の姿を晒させること。それはレディー・ガガにとっては、ひとつの恐怖なんでしょうけども。あんだけビジュアルを作り込んでいる人にとっては。しかしその、やっぱり芯にある輝きっていうのを改めて際立てて見せる、っていうブラッドリー・クーパーの、演出家としてのたしかな眼力ですね。だって映画会社は、レディー・ガガの起用をずっと反対をしていた、っていうんだから。彼がそれを押し通した、ということだから、本当に感服するしかないあたりですね。

で、ですね、この非常に親密な目線ゆえに、要は極めて個人的な話、っていう印象が強まっていると思うんですね、この『アリー』は。本来はスターの、はるか上空で繰り広げられる華やかな話であるはずなのに、非常に個人的な、「小さな」お話である、っていう風な印象を、みなさん見終わった後には持たれるんじゃないかと思うんですね。

 

■今回の主役ふたりは「“歌”を通じた<対話>で、唯一理解し合える関係」

そんなこの『アリー』なんですけど、その語り口と不可分に……この今回の『アリー』は、『スター誕生』という古典的な物語の枠組みに、ある特徴的な解釈を加えている、という風に僕は思っています。そして、こここそが本作最大の魅力でもある、と思っているんですけど。

それはですね……これはもう僕の解釈であり、僕の表現なんですけど。アリーとジャクソン……これ、過去作では「エスターとノーマン」という風になっていましたが。とにかくその、主人公の男女2人の関係が、今作では何よりも……こういうことですね、「“歌”を通じた<対話>で、唯一理解し合える2人」。だからこそ……この2人は、歌で<対話>ができる。それ以外の人には理解されない2人が、歌を通じてのみ、この2人だけは、理解し合える。だからこそ、この2人は決定的に惹かれあっているし、そしてその歌を通じた<対話>ができなくなった時に、すれ違いもする、という風に描かれている。

つまり、これまでもアーティスト同士のカップル、という設定はありましたけど、アーティスト同士のカップルであるという意味を、過去作以上に、より深く掘り下げているわけです。なんでこの2人はこんなに深く結びついているのか? なぜならこの2人は、お互いの表現を通じてのみ、理解し合えた、という感覚を得られる2人だから、っていうことなんですよね。で、なおかつそれが、映画的な表現、映画的なカタルシスにも昇華されている、というところ。こここそが、今回の『アリー』のもっとも素晴らしいところだ、という風に僕は思います。たとえば、序盤。アリーとジャクソンの距離が縮まっていくプロセスの、それはそれは丁寧な描写の積み重ね。

ちなみに皆さん、ジャクソンがアリーがいるバーを見つける直前……彼はリムジンの中にいますね。そこで、後の展開を暗示するような非常に不吉なものが、さりげなく、しかししっかりと画面の中に映り込んでるのに気付かれましたでしょうか? つまりここで……僕は二度目に鑑賞した時に思ったのは、ここからのアリーとの出会いは、彼の人生にとって何だったんだろう?ってこと。そういうことを改めて考えると、僕はもう二度目は、ここですでに落涙。まだ店に到達する前にもう泣いている、っていう状態になっていましたけども。

で、まあいろいろあって、あのガランとした深夜のスーパーの駐車場。名シーンですよね。ここに至る、という。

 

■“歌”を通じて<対話>し理解し合えたふたり。そしてその<対話>が出来なくなると……

ここ、ジャクソンがスーパーでお菓子を買ってるその意図が、さりげなく、セリフではなく示されるところ。これだけで彼の人となり、人柄がよく伝わる。これも非常に見事な演出。こんな感じで、セリフじゃない、非セリフ的な演出が、とても粋に、さりげなくも効果的にあちこちに散りばめられてるあたりも、本当にブラッドリー・クーパーは、演出家としてめちゃめちゃ上手い、と思うんですけど。あとね、その流れで言うと、ちょっと前後しちゃいますけど、セリフとか展開そのものは過去作でも印象的に、決め的に使われていた、「君の顔をもう1回見たくって」っていう、あのセリフね。

今回の『アリー』だと、そこにもうワンアクション、そのアリーが返すもうワンアクションが入ることで、いままでの過去作よりさらに、100倍泣ける仕掛けになってたりする、というあたり。これも見事だったですよね。本当に上手い。

で、ちょっと話は戻りますけど、その深夜の駐車場のシーン。アリーは、そのスターであるジャクソンの人知れぬ孤独に、彼女だけは気づいて。で、咄嗟にそれを“歌”という表現にして……要するに、「<対話>しましょうよ」という感じで、投げかけてみせる。それは彼にとっては、「はじめて、真の意味で<対話>できる人間が、ようやく見つかった!」ということでもあるわけです。

本当はジャクソンは、お兄さんとそれ(音楽を通した<対話>)をすべきだったのかもしれないけど、いろいろ感情的なすれ違いがあって、できなかった。誰とも<対話>できないまま何十年も過ごしていたジャクソンが、ついに、<対話>できる相手を見つけた。そこでのジャクソンの表情ですよね。アリーは後ろに……なんてことはないスーパーの電飾ですけどね。蛍光灯っぽい光を背負ったアリー。それを見上げるジャクソンの表情。この、世界の片隅で起こったもっとも美しい瞬間、みたいなこと。僕はやっぱり、『愛しのアイリーン』のキスシーンとかも連想するような……本当に、「ああ、なんて美しいシーンなんだ!」と思って、またここで落涙してしまう。

で、それを受け止めたからこそ、彼もまた彼女が抱えるものを、歌という<対話>を通して、投げ返してみせる。予告編などでもよく流れていたあの『Shallow』という曲のデュエットシーンが、本編で見るとより感動的なのはつまり、アリーの才能が世に出た、というそのカタルシスもさることながら、二つの、他の人には理解されなかった孤独な魂同士が、歌を、音楽を通じて、ついに対話し理解し合えた!という瞬間だからこそ、もうドカーンと感動が来るわけです。個人的、内面的な願望というかその成就と、世俗的な成功というのが、この一瞬に幸福に一致している、という……まあ『ボヘミアン・ラプソディ』のクライマックスで言う「人生最高の瞬間」が、あの『Shallow』の歌の場面に凝縮されている。

ちなみに、パンフレットに松任谷正隆さんのコラムが載っていて、このシーンがいかに現実には音楽的にありえないかを身も蓋もなく書いていて、これはこれでめちゃめちゃ面白いんですけど(笑)。ということで、歌で、音楽でこそ対話し、唯一理解し合える2人、という風に、この『アリー』では主人公カップルを描いてる、と僕は思うんですね。だから、過去の『スター誕生』のように、のちに2人がすれ違って、その男側がダメになっていくメインの理由が、いままでの過去作では「女性の成功とか才能に対して嫉妬しているから」っていう風に描かれていたんだけど、今回は、実はあんまりそういう感じでもなくて。今回はむしろ、「歌で、音楽で、<対話>することができなくなってしまった……と、ジャクソンが感じた」っていうことなんですよね。

要するに、彼はそうなるともう、誰とも上手くコミュニケートできなくなってしまう人間なので。途端に、孤独で不安な状態に陥ってしまう。しかも、ジャクソンのその不安定性っていうのの根本には、実は生い立ちをめぐる、おそらく劇中で語られていることを超える何かが本当はありそうでもある。そんなトラウマを抱えている……というキャラクター的掘り下げも、今回の『アリー』は、過去作とは段違いでしていると思いますし。そうしたジャクソンとちょうど対照的に、レディー・ガガ自身の父との関係も反映されているという、アリー側の家族像、っていうのが配されているのも面白いですよね。

で、対照的に配されているといえば、もちろん最初に『Shallow』を歌う一連のくだりと、後半、逆の構図で今度はアリーが『Shallow』を歌いましょうよ、って誘うが……っていうくだりも、構成がきれいにされていますよね。あと、「晴れ舞台での失態」っていうのも、もう過去作のどのシーンよりも、容赦ない失態になっていて。これも本当に見事なもんだと思います。

 

■ラストで示されるこの話の本質、そこから分かるブラッドリー・クーパー監督の恐るべき力量

で、『スター誕生』の各作品の特徴が、いちばん如実に現れるあたりはやはり、ラストなんですね。ある悲劇が起こってからの、ラスト。主人公の女性がどうするか? 一作目、二作目は、最後に「ノーマン・メイン夫人です」って言って、要は「夫を立てる(拍手)」っていう。まあ、時代ですね、っていう感じの終わり方をしているんですけども。

で、三作目は、「バーブラ・ストライサンドがひたすら熱唱する」。それをずっとアップで撮る、という。まあ70年代フェミニズム的なというべきか、自立した女性像、独立独歩の女性像、という感じですかね。なんだけど、ただ同時に、バーブラ・ストライサンド自身のアーティストとしてのナルシシズムが全開!っていう感じもしちゃう終わり方でもあるんですけど。で、今回の『アリー』はじゃあどうか?っていうと……その第三作と一見、近いんですよね。『I’ll Never Love Again』というこの曲を熱唱する姿を、ひたすら長回しでずーっと撮る。三作目のバーブラ・ストライサンドのラストと、非常に近い感じがする。

と、思いきや……ですよね。なるほどここでひとしきり歌って、その盛り上がりで泣かせるんだな、と思っていたら……虚をつかれるような、まさに「映画ならでは」の、もうひとひねりが最後にある。で、ここでですよ、同じ歌が「反転」する……歌い手が変わることで、同じ歌が反転して<対話>になる。これも前半の『Shallow』と同じ構造を持っていますし。そして、ここに至って改めて……やっぱりこういうことですよ。このカップルは、やっぱり歌でこそ<対話>してきた。そしてこの歌でこその<対話>によって、この2人にしか理解しえないものを共有してきたんだ、っていう。文字通り、唯一無二の「対」だったんだ、っていうこと。

つまり、終わりになってみて、これはとても個人的な、小さな恋の物語だったんだっていうことが、おそらくアリーだけには……そして観客だけにはそっと伝わる、というこの着地。この見事な締め方、落とし方。この切れ味。もう「ブラッドリー・クーパー、すげえ!」って。この終わり方に唸らされました。

もちろん、ブラッドリー・クーパー自身の歌唱・演奏・作曲までやってこなすすごさもそうですし、レディー・ガガの、特に前半、あの恐れ混じりの初々しさ。あれも本当にすごいですね。完全に演技なわけですから。もちろんあと、超一流作家陣が揃っての、まさに歴史的名曲の数々を含め、これはさすがに褒めないのは難しい、っていうぐらい、僕は大変に堂々たる傑作だと思いました。ぜひ、このお正月に、劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は、宇多丸プチ正月休みのため未定!

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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「気分爽快! ロボ声ファンク特集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム

「気分爽快! ロボ声ファンク特集」

気分爽快! ロボ声ファンク特集http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=201901120111123340

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りいたします! 「気分爽快! ロボ声ファンク特集」。トークボックス、ボコーダー、オートチューンなど、いろいろな機材を使ってボーカルをロボットのように加工した、いわゆる「ロボ声」を取り入れたファンクやディスコミュージックの特集です。

【ジェーン・スー】
ロジャーだね!

【高橋芳朗】
うん。いまスーさんが言った「ロジャー」というのはロジャー・トラウトマンのこと。もう1999年に亡くなってしまったんですけど、主に1970年代後半から1980年代にかけて活躍したザップというファンクバンドのリーダーです。彼はトークボックスという機材を使ってロボ声を広めた、いわば「ロボ声師匠」ですね。

【ジェーン・スー】
ロボ声師匠です。ロジャーが広めたロボ声が現在も脈々と受け継がれていますよね。

【高橋芳朗】
はい。ロボ声のファンクやディスコが流行したのは70年代後半から80年代前半ぐらいになるんですけど、去年のグラミー賞で最優秀レコード賞を受賞したブルーノ・マーズの「24K Magic」。

【ジェーン・スー】
ああーっ! 「Tonight♪」だ!

【高橋芳朗】
そうそう。「24K Magic」には冒頭にロボ声が入っていましたが、あれなんかは完全にザップ/ロジャー・トラウトマンの影響を受けたものといえるでしょうね。そんなわけで今回はロボ声のファンク/ディスコを4曲、去年リリースされた比較的新しい作品から紹介したいと思います。まずはいま話にも出たロボ声ファンクのパイオニア、ザップが現行のディスコユニットのタキシードと共演した「Shy」。

【ジェーン・スー】
へー!

【高橋芳朗】
これは去年の秋にリリースされたザップの実に15年ぶりのアルバム『Zapp VII: Roger & Friends』の収録曲です。

M1 Shy feat. Tuxedo / Zapp

【ジェーン・スー】
昨年のリリースとは思えないですね。

【高橋芳朗】
もう変わらないものだよね。続いて2曲目はブランドン・コールマンの「Live for Today」。こちらも去年の秋にリリースされたアルバム『Resistance』の収録曲です。ブランドン・コールマンはロサンゼルスに活動の拠点を置くジャズミュージシャン/キーボード奏者。彼も確実にザップの影響を受けていると思いますが、この曲は70年代後半に同じジャズミュージシャンのハービー・ハンコックがやっていたロボ声ディスコのオマージュですね。

M2 Live for Today / Brandon Coleman

【ジェーン・スー】
ちょっとキリンジ感もありますね。後期キリンジのスムーズな感じ。

【高橋芳朗】
なるほどなるほど。スムーズで爽やかだよね。

【ジェーン・スー】
でも「これいつの録音なの?」って感じだね。

【高橋芳朗】
確かに、人によっては「70年代の未発表音源です」と紹介しても通用するかもしれない(笑)。では3曲目、3曲目はメキシコの男女デュオ、シロ・シュワルツの「Power of Love」。シロ・シュワルツの「Shiro」は日本語の「白」なんですよ。

【ジェーン・スー】
ええっ?

【高橋芳朗】
そして「Schwarz」はドイツ語で「黒」。だからこのユニット名は「白黒」ということになるんですけど、別に黒人と白人のユニットというわけではございません。この「Power of Love」は昨年の夏にリリースされたシングル。いままでの2曲に比べるとぐっとモラトリアム感があるというか。男女ふたりのへなちょこボーカルがめちゃくちゃキュートで。

【ジェーン・スー】
あー、モラトリアムってそういうことか。覚悟した!

【高橋芳朗】
うん。とっても可愛らしいロボ声ファンクです。

M3 Power of Love / Shiro Schwarz

【高橋芳朗】
最後はJ-POPから、Charaさんの「Pink Cadillac」。こちらは去年の12月19日にリリースされた彼女のニューアルバム『Baby Bump』の収録曲になります。これがまさにブルーノ・マーズの「24K Magic」の流れをくむようなブリブリのロボ声ファンクなんですよ。

【ジェーン・スー】
ふーん!

【高橋芳朗】
スーさん、Charaさんというとどんな声ですかね?

【ジェーン・スー】
(物真似で)「なけない女のやさしい気持ちを♪」……怒られる怒られる!

【高橋芳朗】
アハハハハ! あなた本当に物真似スキル高いよね。

【ジェーン・スー】
物真似大好き! ひとりっこだからね。友達がいなかった!

【高橋芳朗】
ここではそういうCharaさんのコケティッシュなウィスパーボイスとロボ声ファンクとの取り合わせの妙を楽しんでいただきたい。

【ジェーン・スー】
えー、ぜんぜん想像つかない!

【高橋芳朗】
わかるわかる。でもこれがめちゃくちゃかっこいいんですよ。

M4 Pink Cadillac / Chara

Pink Cadillac

【ジェーン・スー】
いままでのChara感とはぜんぜん違うんだけど、浮遊感があってグルーヴィーで新しい感じ。

【高橋芳朗】
この「Pink Cadillac」に限らずCharaさんのニューアルバム『Baby Bump』はダンスミュージック寄りの作りになっていて、これがたいへん素晴らしいのでぜひ皆さんチェックしてみてください。というわけでロボ声ファンク、こうしたスムーズでキラキラした曲が多いので今日みたいな青空の日のBGMにばっちりかと!

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

1/7(月)

(11:08) I Saw The Light / Todd Rundgren
(11:34) Where Were You When I Needed You / Al Kooper
(12:16) My Old School / Steely Dan
(12:51) ソバカスのある少女 / ティン・パン・アレー

1/8(火)

(11:07) Walk Out to Winter / Aztec Camera
(11:24) Milk Film / Haircut 100
(11:35) Flesh of My Flesh / Orange Juice
(12:12) On Box Hill /Ben Watt
(12:22) Longshot for Your Love / The Pale Fountains
(12:49) 青空のマリー / ムーンライダーズ

1/9(水)

(11:05) A Hazy Shade of Winter〜冬の散歩道〜 / Simon & Garfunkel
(11:23) I’ll Be Back Up On My Feet / The Monkees
(11:35) Dismal Day~灰色の朝~ / Bread
(12:12) Nowadays Clancy Can’t Even Sing〜 歌うのをやめた私〜 / Carpenters
(12:22) Time and Love / Laura Nyro
(12:50) Simon Smith and the Amazing Dancing Bear / Nilsson

1/10(木)

(11:04) I Wish I Knew How it Would Feel to Be Free / Nina Simone
(11:34) Don’t Let Me Lose This Dream / Aretha Franklin
(11:12) I Can’t Wait Until I See My Baby’s Face / Dusty Springfield
(12:23) Wear It On Face / The Dells
(12:51) It Must Be Love / Shirley Ellis

1/11(金)

(11:03) The Sound of Music / Dayton
(11:23) Let Somebody Love You / Keni Burke
(12:13) Never Say Never / Melba Moore

「星野源『Nothing』と一緒に聴きたいメロウなソウルミュージック特集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム

「星野源『Nothing』と一緒に聴きたいメロウなソウルミュージック特集」

星野源『Nothing』と一緒に聴きたいメロウなソウルミュージック特集http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20161010040000

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りします! 「星野源さん『Nothing』と一緒に聴きたいメロウなソウルミュージック特集」。昨年12月19日にリリースされた星野源さんのニューアルバム『POP VIRUS』。発売から現在まで、オリコン週間アルバムランキングで4週連続1位を記録しています。これ、男性ソロアーティストとしては8年8ヶ月ぶりの快挙なんですって。

【ジェーン・スー】
ほう!

【高橋芳朗】
星野さんはこれまで「ソウルミュージックやR&Bといったブラックミュージックを日本人の生理で表現する」ことに取り組んできたんですけど、今回のこの『POP VIRUS』でも音楽面でのひとつのテーマとして「ソウルミュージックの部分をしっかりアルバム一枚に満たしていく」ことを挙げているんです。本日は『POP VIRUS』に収録されている「Nothing」という曲を通して、その一端を紹介できたらと思っています。

今日これからする話は、ざっくり言うとTR-808を使ったメロウなソウルミュージックの系譜について。TR-808とはなにかというと、ローランドが1980年に発売したリズムマシーン/ドラムマシーンですね。通称「ヤオヤ」。ポップミュージック、特にダンスミュージックに絶大な影響を及ぼした名機として知られています。今日は実機は用意できなかったんですけど、TR-808のプリセット音源を用意しました。

このTR-808は非常に独特な音色をもったリズムマシーンで、皆さんがなじみがあるものとしてはこのハンドクラップ。それからカウベルになりますかね。堀井さん、このカウベル聴き覚えないですか?(と、カウベルを連打)

【堀井美香】
ええーっ?

【ジェーン・スー】
(カウベルに合わせて)「I have a pen, I have an apple♪」

【高橋芳朗】
そう、ピコ太郎の「PPAP」です。あのビートはTR-808の音源なんですよ。
ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP) (Long ver.)

【堀井美香】
へー!

【高橋芳朗】
星野さんの「Nothing」のビートは基本的にこのTR-808のサウンドで構成されています。これから実際に曲を聴いてもらいますが、比較的聴き取りやすいのはリムショット、ロータム。ハイタム、そしてクローズハット。あとこれはちょっと定かではないんですが、メインの軸になるビートはクラップとスネアを足して加工したような音色になっています。

この「Nothing」、いまの人肌恋しい季節にめちゃくちゃ染みる本当に素晴らしい曲なんですよ。なので「TR-808とかよくわかんないよ!」という方は普通に曲を聴いてうっとりしていただけたらと思います。

M1 Nothing / 星野源

POP VIRUS (CD+Blu-ray+特製ブックレット)(初回限定盤A)(特典なし)
【ジェーン・スー】
なるほど、これは楽しいね!(ひたすらTR-808の音源を連打)

【高橋芳朗】
星野さんはこの「Nothing」について「70年代末から80年代初頭のスイートなソウルミュージック」にインスパイアされていると。そして「TR-808の音に乗せて個人的な感覚を歌いたいと思った」とコメントしているんですけど、熱心なソウルミュージックのリスナーであれば「TR-808」と「80年代初頭のスイートなソウルミュージック」というキーワードでピンとくるんじゃないかと思います。ソウルミュージックには、TR-808のサウンドに乗せて甘いメロウなラブソングを歌うスタイルがあって。

【ジェーン・スー】
うん、あったあった!

【高橋芳朗】
そう。それは現在まで脈々と受け継がれているんですね。で、そのスタイルを確立したのが伝説的ソウルシンガー、マーヴィン・ゲイの1982年の大ヒット曲「Sexual Healing」。

【ジェーン・スー】
「Sexual Healing」というと……これ?(と、カウベルを鳴らす)

【高橋芳朗】
いや、「Sexual Healing」で特徴的なのはハンドクラップだね。ポップスでいち早くTR-808を取り入れたのはYELLOW MAGIC ORCHESTRAが1981年にリリースした「千のナイフ」とされているんだけど、TR-808の魅力と存在を爆発的に広めたということではマーヴィン・ゲイの「Sexual Healing」がエポックな曲と言っていいと思います。「Sexual Healing」のわかりやすいTR-808音源としては、さっきも言ったクラップ。あとはスネアやハットも使ってるけど、まあクラップでしょうね。

M2 Sexual Healing / Marvin Gaye

Midnight Love
【高橋芳朗】
マーヴィン・ゲイの「Sexual Healing」の大ヒットを受けてソウルミュージックではTR-808を導入した曲がたくさんつくられるようになるんですけど、こうしたメロウなサウンドを打ち出したアーティストとしては、のちにジャネット・ジャクソンのプロデュースをすることになるジミー・ジャム&テリー・ルイスが手掛けた……。

【ジェーン・スー】
おおっ、ミネアポリス!

【高橋芳朗】
うん。ジミー・ジャム&テリー・ルイスが手掛けたS.O.S.バンドがその代表格ですね。そんなわけで3曲目に紹介するのはS.O.S.バンドの「Tell Me If You Still Care」。これは1983年の作品、たくさんのアーティストにカバーされている名曲です。この曲で使われているTR-808のサウンドとしては、なんといってもクラップ。それから星野さんの「Nothing」でも紹介したいムショット。これを使ったイントロ部分に注目して聴いてみてください。

M3 Tell Me If You Still Care / The S.O.S. Band

ライズ+4
【ジェーン・スー】
名曲、最高!

【高橋芳朗】
TR-808の音源、堀井さんも叩いてみますか?

【堀井美香】
じゃあ……(と、恐る恐るTR-808の音源を鳴らす)

【ジェーン・スー】
……なんか不整脈みたい。

【高橋芳朗】
フフフフフ、ありがとうございます。こういうTR-808を駆使したメロウなソウルミュージック/R&Bは80年代初頭に確立されて以降の世代に受け継がれてくことになるんですけど、実は去年、2018年にもこのTR-808を使った素晴らしいR&Bヒットが生まれています。イギリス人女性シンガー、エラ・メイの「Boo’d Up」。この曲は来月開催される第61回グラミー賞の最優秀楽曲賞にノミネートされています。

【ジェーン・スー】
すごいね!

【高橋芳朗】
この曲のTR-808サウンドとしては、ちょっと加工してあるのかもしれないけどまずはクラップ。あとはカウベルとハットでしょうか。

M4 Boo’d Up / Ella Mai

エラ・メイ
【ジェーン・スー】
エラ・メイ、好きだよ!

【高橋芳朗】
最高だよね! というわけで本日は星野源さんが「Nothing」で見事にJ-POPに落とし込んでみせたTR-808を使ったソウルミュージックのサウンドの系譜を紹介してきました。

オリコンで4週連続1位、CDも50万枚以上出荷されているアルバムに、こういうサウンドが打ち出されていることにはいちソウルミュージックファンとしては非常にわくわくするというか。まさにこれがポップウィルスとして拡散、浸透していけばより楽しいことになるんじゃないかなと思います。

そして、こういうソウルミュージックやブラックミュージックに強い影響を受けている星野さんの音楽的側面、もうちょっと知られてもいいんじゃないかなって気もします。「SUN」も「恋」も「Family Song」も「ドラえもん」も、みんなベースにはブラックミュージックがあると思いますので。

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

1/14(月)

(11:08) What Cha’ Gonna Do For Me / Chaka Khan
(11:25) Sparkle / Earth Wind & Fire
(11:35) Help Is On The Way / Average White Band
(11:46) Baby Hold On / The Isley Brothers
(12:13) Got To Be Together / Commodores
(12:23) This Kind of Lovin’ / The Whispers
(12:51) タワー・サイド・メモリー / 松任谷由実

1/15(火)

(11:03) Golden Lady / Stevie Wonder
(11:21) Don’t You Worry ‘Bout a Thing / The Main Ingredient
(11:34) Love Oh Love /Leroy Hutson
(12:15) Closer Together / Bloodstone

1/16(水)

(11:05) What Is Life 〜美しき人生〜 / George Harrison
(11:19) My Baby Loves Lovin’ 〜恋に恋して〜 / White Plains
(11:26) Love Grows (Where My Rosemary Goes) 〜恋のほのお〜 / Edison Lighthouse
(11:36) With My Face On The Floor / Emitt Rhodes
(12:13) It Don’t Come Easy〜明日への願い〜 / Ringo Starr
(11:49) Come and Get It / Bad Finger

1/17(木)

(11:03) Look for the Silver Lining / Chet Baker
(11:13) Just You, Just Me / Nat King Cole
(11:23) I Got Rhythm / Chris Connor

1/18(金)

(11:04) You’re The First, The Last, My Everything / Barry White
(11:23) Swearin’ to God / Frankie Valli
(11:38) Take it from Me / Dionne Warwick
(12:08) Ask Me / Ecstasy, Passion & Pain

「宇多田ヒカルの新曲『Face My Fears』と一緒に聴きたいダンスミュージック特集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム

「宇多田ヒカルの新曲『Face My Fears』と一緒に聴きたいダンスミュージック特集」

宇多田ヒカルの新曲『Face My Fears』と一緒に聴きたいダンスミュージック特集http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20190125123629

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りします! 「宇多田ヒカルさんの新曲『Face My Fears』と一緒に聴きたいダンスミュージック特集」。先週金曜日、1月18日にリリースされた宇多田ヒカルさんのニューシングル「Face My Fears」。本日発売になった人気ゲームソフト『キングダムハーツIII』のテーマソングですね。今回はグラミー賞を受賞したこともあるアメリカのプロデューサー、スクリレックスとのコラボが話題を集めていますが、その影響もあるのかiTunesのチャートでは24の国と地域で1位を獲得しています。

【ジェーン・スー】
おー、すごい! 文字通りの世界進出ですね。

【高橋芳朗】
そうなんですよ。リリースの前後には海外の音楽メディアでも結構大きく取り上げられていましたが、その際に曲の音楽性を形容するフレーズとしてよく使われていたのが「フューチャーベース」です。今日はそのフューチャーベースというダンスミュージックについて簡単に紹介していきたいと思います。

【ジェーン・スー】
よろしくお願いします。

【高橋芳朗】

フューチャーベースはここ10年ぐらい主流になっているダンスミュージック、EDM(エレクトロニックダンスミュージック)のバリエーションとして2014年ごろから台頭してきました。この番組ではほとんどかかることがない、イマドキなダンスミュージックですね。

【ジェーン・スー】
パーティーピープルと呼ばれる人たち、いわゆる「パリピ」を紹介するときのBGMとしてかかる音楽ですね。あとはジムのランニングマシーンのあたりでよく流れてるイメージ。エクササイズに向いてるらしいですよ。

【高橋芳朗】
EDMというとどうしてもパリピ的なというか、イメージとしてウェイウェイ感がつきまといますよね。それでも、まさに宇多田さんがそうであるように最近はEDMなサウンドで内省を歌うアーティストが世界的に増えてきています。

フューチャーベースの特徴や魅力を言葉でわかりやすく説明するのはちょっと難しいんですけど、まずはざっくりとした曲の構成を覚えてもらえたらと思います。これはフューチャーベースに限らずEDM以降のダンスミュージックに特徴的な構成になりますが、まずはビルドアップ(築き上げる)。

【ジェーン・スー】
ビルドアップ。

【高橋芳朗】
そう。そしてビルドアップからのドロップ(落とす)。

【ジェーン・スー】

ドロップね。

【高橋芳朗】
曲は始まると、まずはサビに向けてじわじわとテンションを上げていきます。つまり、ビルドアップしていく。そして最高潮にまでテンションを高めたところで、ドロップ。ガクーンと落とす、転調するわけです。これはジェットコースターをイメージしてもらうとわかりやすいかもしれないですね。最初はカンカンカンカンとゆっくりレールを上がっていって、ほどよいところまできたらスコーンと落っことすみたいな。このビルドアップからドロップに至る流れがフューチャーベースの気持ちよさですね。

そして、ドロップというのは言わばサビになります。でもサビなんだけど多くの場合歌らしい歌はなくて、シンセサイザーのリフだったりボーカルのコラージュや切り刻んだものがあてがわれるケースが大半です。

このへんを踏まえて宇多田さんの「Face My Fears」を聴いてもらいたいと思いますが、この曲の場合は1分あたりまでがビルドアップ。1分かけてじわじわと盛り上げていって、そこからドロップ/サビ。この流れを意識して聴いてみてください。

M1 Face My Fears / 宇多田ヒカル & Skrillex


【高橋芳朗】
フューチャーベースの構成を理解してもらうために立て続けにもう1曲。これは今回宇多田さんとコラボしたスクリレックスが同じくダンスミュージックのスーパープロデューサー、ディプロと組んだジャック・Uというプロジェクトの「To U」です。ゲストにアルーナジョージが参加しています。

この曲は女性ボーカルであることも含めて、いま聴いてもらった宇多田さんの「Face My Fears」と大まかなつくりが似ているんですね。なので、これでビルドアップからドロップに至る流れをほぼつかんでもらえるんじゃないかなと。だいたい48秒ぐらいまでがビルドアップ、そのあとがドロップ/サビという構成。「Face My Fears」同様、ドロップに歌は入っていません。1分ほど聴いてみてください。

M2 To U feat. AlunaGeorge / Jack U (Skrillex and Diplo)


【高橋芳朗】
いかがでしょうか? こうして続けて聴くとフューチャーベースの基本構成がよくわかると思うんですけど、ここ数年J-POPでもこのフューチャーベースの手法を取り入れるアーティストが増えているんですよ。基本的にサビに歌がないから、このスタイルを導入するのはなかなかチャレンジングなことではあるんですけどね。

そんななかでいち早く大々的にフューチャーベースを取り入れたのがPerfumeです。これから聴いてもらうのは2017年にリリースされたシングル「If you wanna」。昨年に出たアルバム『Future Pop』の収録曲ですね。

この曲に関しては、Perfumeの皆さんがフューチャーベースを取り入れたことを公言しています。これもビルドアップからドロップの流れを意識して聴いてほしいんですけど、だいたい50秒あたりまでがビルドアップ。ドロップ/サビにはかろうじて歌が入ってるんですけど、あくまでタイトルを連呼するレベルにとどまっています。従来のPerfumeのシングルに比べると圧倒的にシンプルなサビですね。

M3 If you wanna / Perfume


【高橋芳朗】
このPerfume、今年はアメリカ最大規模のフェスティバルコンサート、コーチェラへの出演が決定しています。

【ジェーン・スー】
ねえ!

【高橋芳朗】
このへんのフューチャーベースを取り入れた曲は向こうでも結構盛り上がるんじゃないでしょうか。

最後はフューチャーベースの応用編として、三浦大知さんの「飛行船」を聴いてもらいましょう。これは去年リリースされたアルバム『球体』の収録曲です。「飛行船」は6分近くある長い曲なんですが、前半部分はフューチャーベース的というか、フューチャーベースにインスパイアされたと思われる構成になっています。ビルドアップとドロップの構成で言うと、1分40秒あたりまでがビルドアップ。三浦さんの歌でじっくりテンションを高めていって、その後にドロップ。ドロップ部分は尺八のような音色の楽器とピアノで構成をされています。いままで聴いてもらった曲のようにドラムの連打などでわかりやすくビルドアップしてく構成ではないからわかりにくいところもあるかもしれませんが、三浦さんの歌の感情の流れを追っていけばこれもフューチャーベース的な構成を踏襲していることが聴き取れると思います。

M4 飛行船 / 三浦大知

球体(CD+DVD)(スマプラ対応)
【高橋芳朗】
この「飛行船」はちょっと前衛的なところすらある曲ですが、フューチャーベースやEDMをネクストレベルに押し上げる画期的な曲だと思います。

こうした流れでいくと、フューチャーベースの要素を取り入れたJ-POPはこれからさらに増えてくるのではないでしょうか。今回取り上げたフューチャーベースやEDMのようにダンスミュージックにはひとつのセオリーみたいなものがあるので。それを意識して聴いてみるとまた楽しみ方が変わってくるんじゃないかと思います。

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

1/21(月)

(11:08) It’s The Falling in Love / Michael Jackson
(11:22) Biggest Part of Me / Ambrosia
(11:33) All Dressed Up With Nowhere to Go / Michael Franks
(12:15) That’s the Way Love Should Feel / Dee Dee Bridgewater
(12:23) Love Is Real / Al Jarreau
(12:52) Two In The Party / ハイ・ファイ・セット

1/22(火)

(11:05) My Ever Changing Moods / The Style Council
(11:24) When All’s Well / Everything But The Girl
(11:34) The Boy with the Thorn in His Side / The Smiths
(12:16) Still On Fire / Aztec Camera

1/23(水)

(11:05) Train In Vain / The Clash
(11:24) When All’s Well / Elvis Costello & The Attractions
(11:35) Kid〜愛しのキッズ〜 / The Pretenders
(12:14) Is She Really Going Out With Him? / Joe Jackson
(12:24) That’s Entertainment / The Jam
(12:50) You May Dream / シーナ&ザ・ロケッツ

1/24(木)

(11:03) Dance to the Music / Sly & The Family Stone
(11:35) People Got to Be Free / The Rascals
(12:13) Blowing Away / The 5th Dimension

1/25(金)

(11:03) A Night to Remember / Shalamar
(11:23) Let’s Celebrate / Skyy
(11:36) Keep On / D Train
(12:10) It Should Have Been You / Gwen Guthrie

宇多丸、『蜘蛛の巣を払う女』を語る!【映画評書き起こし 2019.1.25放送】

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宇多丸:

さあ、ここからは私、ランダムに決めた最新の映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこちらの作品です。『蜘蛛の巣を払う女』

(曲が流れる)

今回のムービーウォッチメン用にノートを作成するために何度も「蜘蛛」という字を漢字で書いていたら、完全に「蜘蛛」という字を書けるようになりました、という大収穫がございました(笑)。ベストセラーのミステリー小説『ミレニアム』シリーズの第四作を映画化。アメリカ国家安全保障局から、とある危険なプログラムを取り戻すよう依頼された天才ハッカー・リスベットの前に、16年前に別れた双子の妹カミラが現れる。

主人公のリスベット演じるのは、『ファースト・マン』の公開も控えるクレア・フォイ。本当に大活躍ですね。『ザ・クラウン』での大評価以降ね。映画の鍵を握るリスベットの妹カミラを演じるのは『ブレードランナー2049』のシルビア・フークス。監督は『ドント・ブリーズ』で注目されたフェデ・アルバレス、ということでございます。

ということで、今回の『蜘蛛の巣を払う女』をもう見たよ、というリスナーのみなさま<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、普通。まあ、そうかな。そういう感じか。賛否の比率は、褒めの意見が5割以上なんですが、「まあまあ」と「ダメ」が残りの5割あって、わりと賛否両論分かれてる感じでございます。これはまあ、アメリカとかでもね、興行的にもちょっと伸び悩んで、評価も結構割れてるというか……っていう感じですかね。

主な褒める意見としては、「過去のシリーズ作とは全然違うが、それもまた良し」「シンプルなクライムアクション映画として十分な出来」などございました。一方、否定的な意見は「主役のリスベットを筆頭に、これまでのシリーズと比べて物足りない」「脇役・敵役どれにも魅力がなく、印象に残らない」などありました。

 

■「映画的な楽しさを堅実に追求。フィンチャー版よりも好き」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。まず「ふんどしゆで太郎」さん。男性の方。「『蜘蛛の巣を払う女』、見てきました。デビッド・フィンチャー、ルーニー・マーラ、ダニエル・クレイグの布陣での『ドラゴン・タトゥーの女』がまだ記憶に新しい……」って言ってもね、2011年ですから結構前ではあるんだけどね。「その続編がキャストも監督も全部リニューアルされているのは一体どういうことなんだろうと思いながらも、見てきました。実際見てみると、潔くジャンル映画的な、間違いなく楽しめるクライムアクション映画に仕上がっていて、とても好印象を抱きました。

賞レースに引っかかるような作品ではないと思いますが、映画的な楽しさを堅実に追求してるなと思い、フィンチャー版よりも私は好きです。まず冒頭の、女の人に暴力を振るう最低男へリスベットが下す世直しジャスティスが爽快で容赦なくて、気分が上がります。ここでググッと映画に引き込まれます。リスベット、最高! とテンションが上がります。ストックホルムでの雪景色。そこでのアクション描写がこれまたとても良かったです。

氷の上をリスベットがバイクで駆け抜けていくところなど最高でした。黒のコーディネートで統一したリスベット役のクレア・フォイの佇まいがまた何とも良かったです。アンニュイでいて、どこかイノセントな顔つき。怒った時のキレ顔のキマり具合。まさにクライムアクションに向いている見た目の俳優だと思いました」という、ふんどしゆで太郎さんのご意見でございました。

一方、ダメだったという方。「たくみん」さん。「見てきました。ダメでした。原作既読。前作のフィンチャー版『ドラゴン・タトゥーの女』も見ています。話題になっていないので期待せずに行ったら、期待はずれどころか大外れでした。テンポはわりとよいけど話運びに起伏がなく、なにより主要キャラクターの造形があまりにもなさすぎて乗ることができませんでした。

前作のルーニー・マーラが素晴らしすぎたということを抜きにしても、リスベットという特異な能力と複雑なパーソナリティーを持つ異形なキャラクターが全く表現できていなく、ただハッキング能力を駆使して悪い男をやっつける、多少強いやつくらいにしか見えませんでした。敵役のカミラの怨恨の背景も薄っぺらく、リズベットとの姉妹間における軋轢や葛藤も最後は薄っぺらいセンチメンタルな雰囲気で終わらせてしまい、なんだか火曜サスペンスを見ているような気さえもしました」。まあ、崖の上で終わるっちゃあ終わるからね(笑)。「……企画をただただ無難に仕上げようとして失敗したように思えます」という、非常にちょっと辛口な意見でございました。

 

■これまで二度に亘って映画化されている『ミレニアム』シリーズ

はい。ということで『蜘蛛の巣を払う女』、私TOHOシネマズ六本木で公開週、初週に見に行って、その後にTOHOシネマズ日比谷で、これは昼の回だったんですけど。こっちの日比谷は結構人が入ってましたね。年配のお客を中心にね。多分なんかこう、いまのシネコンでかかってるので年配の方が行けるなら……っていうのが限られているのかもしれない。そういうことなのかな、という気もしましたけど。

ということで、原作小説『ミレニアム』シリーズ、5本目の映画化っていうことですね。最初は本国スウェーデンで、『ミレニアム』3部作として、一作目『ドラゴン・タトゥーの女』。そして二作目、三作目……は、最初テレビドラマとしてのみ制作される予定だったんだけど、一作目があまりにも評判良くてということで。二作目の『火と戯れる女』、三作目の『眠れる女と狂卓の騎士』というのが、全て2009年、1年の間に公開された、っていうことですね。

まあ二作目と三作目は、とは言ってもやっぱりテレビドラマの再編集版だな、っていう感じがちょっとする感じの出来ではありますけども。で、ここからまあ、リスベット・サランデルを演じたノオミ・ラパスと、ミカエル・ブルムクヴィストを演じたミカエル・ニクヴィスト……これ、ちょっとややこしくてすいません、どちらも「ミカエル」で。それがまあ、世界的に活躍するようになったことでも知られてますね、これね。

ちなみにミカエル・ニクヴィストさんは、『ジョン・ウィック』の敵役とかさ、いろいろ活躍していたのに、2017年に亡くなってしまいましたね。というのもありましたけども。で、おそらくいちばん、みなさんご覧になった方が多いのは、2011年デビッド・フィンチャー監督で再映画化された、ハリウッド版の『ドラゴン・タトゥーの女』ではないかと思います。こちらはリスベットを、先ほどのメールにもあった通りルーニー・マーラ、ミカエルをダニエル・クレイグが演じているという。

もし、『ミレニアム』シリーズの映像化作品を1本も見たことがないという方がいるんだったら、まずはやっぱり、このデビッド・フィンチャー版か、やはり最初の1本目、いずれにしても『ドラゴン・タトゥーの女』という、小説でいう一作目がやっぱり話としても面白いし……特に最後、犯人がわかるんですけど。こいつの最低最悪ぶりが、記録と記憶に残るレベルで最低最悪なので。まあ、普通にストーリーとして印象的で面白いっていうのもありますし。

リスベットというその特異なダークヒロインの登場編、つまり、そのキャラクターの説明編でもあるし、そのミカエルという雑誌の記者、ジャーナリストとの、友情以上恋未満……というより、「恋愛を超えた友情」的な独特の関係性みたいのも、この一作目で描かれているので、是非ここからどうぞ、っていう感じなんですけども。特にフィンチャー版のエンディングとか、ちょっと乙女チックな切なさっていうか……リスベットが「あっ、乙女!」っていう感じの、ちょっと切ない感じのエンディングだったりしましたけど。

 

■急逝した「ミレニアム」作者の構想を引き継いだ原作小説

何にせよこの『ミレニアム』シリーズ、ミステリーであり、謎解きではあるんですけど、ひとつ強烈な特徴があるとすればやっぱりここで……それはつまり、「男たちによる性暴力にあふれたこの世界のおぞましさ」「それによって傷つけられた、もしくは傷つけられている、リスベットを含む女性たちの悲しみと怒り」っていうのがまあ、全編に通底するテーマっていうところが、やっぱりこの『ミレニアム』シリーズの鍵ですね。性暴力っていうのがやっぱり大きなテーマになっている。

で、その性差別に対する問題提起と意識変化が急速に進んだ……とまあ言ってよかろういまの方が、より広く受けられやすいタイミング、ということでの再映画化なのかな?っていうことは言えるかもしれませんけど。ただ、今回のその『蜘蛛の巣を払う女』の映画化ですけど、シリーズとしての位置づけが、ちょっとややこしくもありまして。まず、原作小説自体、オリジナル三部作を書いたスティーグ・ラーソンさん自身が……僕もこれ、あまり知らなかったんですけども、『ミレニアム』の一作目が刊行される前に亡くなってしまったんですね。だから、自分の小説が大成功を収めるのを見ないまま世を去ってしまって。

ただその一方で、彼はこのシリーズを10部作として構想していて、第4部の執筆の途中までしていた、という状態で亡くなったんですね。ただ結局、その残した遺稿はあったんですけど、それとは関係なく、ダヴィド・ラーゲルクランツさんという、それまではノンフィクションで活躍されていた作家さんがその後を引き継ぐことになって、とりあえず三作書く、ということになって。で、2015年にまず、そのダヴィドさんが受け継いでの一作目っていうことで出たのが、この『蜘蛛の巣を払う女』だったということですね。

 

■監督は『ドント・ブリーズ』のフェデ・アルバレス

スウェーデン語の原題は、『我々を殺さないもの(Det som inte dödar oss)』っていう、ちょっと不思議なタイトルがついていますけども。まあ、読むとわかるんですけど。ということで、この原作小説が元々、その人気シリーズの仕切り直しであり、それゆえに、非常に毀誉褒貶激しい作品だったんですね。やっぱりね。「変わっちゃってダメになった」みたいなのも非常に、元の小説自体が非常に強かった作品でもあるんですね。そこに加えて、今回の映画化はさらにですね、脚本・監督のフェデ・アルバレスさん。デビッド・フィンチャーからバトンタッチされたフェデ・アルバレスさん。ウルグアイ出身、2016年『ドント・ブリーズ』を大ヒットさせて一躍名を上げた方ですね。

僕、この『ドント・ブリーズ』。『ウィークエンド・シャッフル』時代の2016年12月24日、ちょうどその年のシネマランキング発表当日に評して、まあ大いに気に入ってですね。そのランキング当日に評したっていう勢いも相まって、堂々の6位にブチ込ましていただいたというね。すごい、当日評したばかり!っていう感じの順位ではちょっとあるとは思いますけども。

で、その評の中でも言いましたけど、フェデ・アルバレスさん。元は2009年に英語題『Panic Attack!』っていう5分の短編をYouTubeにアップして、それがかのサム・ライミの目に留まり、2013年に『死霊のはらわた』のリメイクを任されるっていう、まさにシンデレラボーイなんですね。YouTubeからいきなり長編映画、っていうことなんですけど。なんだけど、この『死霊のはらわた』リメイク、やっぱり旧作ファンからは、総スカンを食らった作品なんですね。僕はこれは、明らかにちょっと過小評価されてる作品だと思うんですけど。

で、その経験から学び、非難されたポイントを意識的にカバーして「勝ちに行った」のが、さっき言った『ドント・ブリーズ』で。その狙いが見事に当たったっていうことですね。と、同時に、その『死霊のはらわた』も『ドント・ブリーズ』も、そして今回の『蜘蛛の巣を払う女』も共通して、その家族とのわだかまりとかを抱えて非常に内面は傷ついてる女性が、それでもその残酷な運命に立ち向かおうとする、というような話ということで共通していると思うんですけども。

 

■『007 スカイフォール』や『ミッション:インポッシブル』風味のリスベットシリーズ

で、とにかくフェデ・アルバレスさん、パンフレットに載っているインタビューで、こんなことを言っていて。これが原作小説の二作目、三作目の映画化だったとしたら……要するに、元々三部作で話もかなり直接的につながってる二作目、三作目だし、当然のようにデビッド・フィンチャーの2011年版を踏襲したスタイルで作らなきゃならなかったであろう、と。ただ、それには僕は興味なかった、だったら断っていた、っていうことを言っているわけですね。

一方でその原作の四作目『蜘蛛の巣を払う女』は、経緯上一旦仕切り直しの作品なので、自分のスタイルの映画を作る余地があった、みたいなこともインタビューで言っているわけです。さらにはね、フェデ・アルバレスさん、こんなことも言っている。「四作目を僕はより大衆的な映画にすることに興味があった」「四作目はおとぎ話のような雰囲気がある」、そして「(前三作に比べて)雪景色や森や都市など背景が変化する」、そういうとこが味だ、と。そして「家や衣装とかもずっと象徴的な意味が込められている」……そういう映画を僕は作りたかった、っていうようなことを言っていて。

今回の『蜘蛛の巣を払う女』、ご覧になった方は、この監督の言葉通りの映画になってる!っていうことがよく分かるんじゃないかと思いますね。まずその、『蜘蛛の巣を払う女』なら自分のスタイルの映画が作れる、という部分ですけど。フェデ・アルバレスさんが書いた脚本、脚本から書いているわけですけども、元々その三部作から、さっきから言っているように著者も変わり、仕切り直しであった原作小説から、さらに大幅なアレンジ……というか、かなり根本的なレベルで大改変を施していて。ぶっちゃけ、原作小説とはほぼ別物です。言い切っていいと思います。

多くの展開やキャラクターが、監督がおっしゃる通り、「より大衆的な」方向に変えられているということももちろんそうですね。まあ、身も蓋もない言い方をしてしまえば、特に近年の『007』シリーズとか、近年の『ミッション:インポッシブル』シリーズっぽい感じがある。たとえばですね、「自らのルーツとトラウマに立ち返る」話であるという点。あとはその、「自らのルーツとトラウマに立ち返る話」というこの全体のストーリーを、シンボリックに暗示するオープニングクレジットへ、本編からシューッと……フェードイン的に「滑り込んでいく」感じ。

あるいは、「空間を挟んだ高所」……わかりますかね? 広い空間を挟んだ高い場所で、ある人物同士が邂逅するという、ちょっとドラマティック、ロマンティックなニュアンスをはらんだ邂逅シーン。今回の映画だと。ビルのエレベーター同士で目を交わすとか、橋の向こうとこっちで目を交わすとか、そういう展開。そして、「顔」を使ったショッキング演出。こういうところまで含めて、多くの点で僕は、『007 スカイフォール』を非常に連想させる作品だっていうのは間違いない……おそらく参照作品のひとつとしてあっただろうと。『スカイフォール』みたいな『ミレニアム』、『スカイフォール』みたいなリスベット・シリーズを作ろうっていう意図が、ちょっとあったんじゃないかな、という風に思わざるを得ないような作りでもあるし。

あと、特にやっぱりクライマックスに発揮されるチームプレー感は、はっきりやっぱり『ミッション:インポッシブル』の、特に近作……『ミッション:インポッシブル』三作目以降ですかね、以降の感じに、非常に近いカタルシスがありますよね。

 

■ジャンル映画的なテイストに振りながらも高い志を失わず

で、まあそんな感じでですね、大衆的な、そのジャンル映画的な方向に大きく振られた作りだ、っていうのはもちろんあるわけです。ただ、それ以上にですね、私がさっきも言ったように「原作小説とは完全に別物」って言い切っちゃっていいと思うのは、今回そのリスベットと対峙することになる、双子の妹カミラ……これ、「双子がいるよ」っていうことは以前の三部作の中でもちょいちょい言及はされてたんですけど。そのカミラの描かれ方と、そこから浮かび上がる根本的なテーマっていうか、それ自体が原作小説と全然違う、っていうところですね。

原作のカミラはですね、たしかにそのリスベットと一緒にお父さんから……まああんまり良くない環境に置かれている。で、リスベットはその父の元を離れ、カミラは残る。ここは同じなんですけど、原作のカミラは、もっとずっと根っから邪悪な存在。その美貌を利用して人を利用しまくる、というですね、非常に根っから邪悪な存在として描かれていて。リスベットとはもう、幼い頃から完全に敵対関係。絶対に相容れない仲。お互い憎み合ってる、っていう仲なんですけど。

それに対して今回の映画版。ご覧になった方はお分かりだと思うんですけど、もちろん双子の妹カミラは最強の敵として登場するんですけど……なんだけど、同時に彼女もまた、幼い頃からの性暴力の被害者であることには変わりなく、そしてリスベットも、彼女に対してある種の負い目を感じ続けている、という描き方になってるというところ。全然違う、っていうことですね。で、そこでキーになるのがやっぱり、オープニングの、アバンタイトルシーン。タイトルが出る前のシーンですね。

彼女たちが育ったらしい屋敷の中。影が強い感じで。その闇と──お父さんもいるんだけど、お父さんの顔は見えない、っていう感じで──ドアを開けた外の、真っ白な雪景色。そして、妹のカミラが纏う、真っ赤な服。まさにこの、黒、白、赤の鮮烈な対比という。これはフェデ・アルバレス監督が言う通り、象徴的な意味が込められた……どこかおとぎ話のような雰囲気を醸し出す色の対比、っていうのが全編に渡って展開されている。ちなみに、特に雪景色の白と赤い衣装の女性、そのビビットかつシュールなコンビネーションっていうところで言うと、あの内藤瑛亮監督の『ミスミソウ』の絵面を……これは偶然だと思うんですけども、シンクロニシティを非常に感じました。

で、とにかくその、育った屋敷からですね、文字通り決死の脱出をするリスベットと、その暗闇側、地獄側に取り残されるカミラ、という構図を、このね、ふわぁっと下に……「落ちた!」と思ったら、ファーッと滑り落ちていく。で、そのままオープニングタイトルに、まさに文字通り「滑り込んで」いく。非常にグラフィカルに、そしてシンボリックに切り取ってみせるこのオープニングのシークエンス。これに非常に顕著なようにですね……たしかにいかにもジャンル映画的な、派手な見せ場を多数盛り込んだ作品ではあるんです。なんだけど、同時にそれらを、非常にグラフィカルに、デザイン的に、非常に作り込んだ感じ、象徴的な図像として提示してみせる、という。

ゆえにですね、ミステリー要素はたしかに、大きく後退しています。要するに、理屈の部分ですね。言葉的な理屈、言語的な理屈の部分というのは大きく後退しているんだけど、その分、あくまで映像とか画で全てを語ってみせようとする。そういう作りになっているわけです。そういうあたりに僕は、その映画作家としてのフェデ・アルバレスさんの、実はやっぱり高い志と、侮れない腕、っていうのを感じるわけですね。やっぱり小説と映画は違うというところで、徹底して映画的な語り口っていうところにに……もう理屈とかはいい!っていう感じで、ボンとそこは飛ばしちゃう、というあたりにむしろ、僕はフェデ・アルバレスの侮れなさを感じます。

 

■『ミレニアム』シリーズとしては予想外の爽快感!

たとえば、「部屋の中がドーンと大爆発して、間一髪、水に飛び込んで炎を逃れる」っていう、まあ『コラテラル・ダメージ』とか他のアクション映画でもあったような、展開そのものはジャンル映画にありがちな、見たことあるような展開なんだけど、そこでやっぱりフェデ・アルバレスは、ドーンってなりましたっていうところで一旦、視点をちょっと引いて。遠くからの見た目で、バーンっていう爆発に反応して、周囲の車の警報がブー! ブー! ブー!って連続して鳴りだすっていう、この緩急の付け方の上手さ。そして、離れた画の向こうに炎が見えて、プップッてライトがつく様の美しさと。

あとは、リスベットがお風呂の中に逃げ込んで難を逃れるわけですけど、そのリスベットの顔の後ろに、炎がバーッ!って広がる画の、非常にグラフィカルな美しさと、やっぱりその象徴性。リスベットという人は……一作目をご覧の方はお分かりの通り、「リスベットと火」というのは、ものすごく象徴的な意味を持っているので。言っちゃえば、彼女の中でなにか火がついてしまう瞬間でもあるわけです。ボウッ!ていう。という感じでちゃんと、要するに「爆発を逃れる」っていうだけのありがちなシーンの中にも、いくつもの作家的な工夫が凝らされている。通り一遍のものにならないようにちゃんとしている、っていうのがあると思います。

あるいは、すぐその後のバイク逃走シーン。これ、メールにもあった通りですね。このバイク逃走シーンそのものはね、なんか『ミッション:インポッシブル』みたい、とか揶揄されがちなあたりかもしれないけど。そのシーケンスのオチというか着地ですね、やっぱりね。さっきのメールにもありましたけど、スウェーデン、北欧ならではの、「スウェーデンなら……これはありか!」っていうフレッシュさ。そして、展開のフレッシュさもさることながら、要は思わぬ方向に……「そっちは行っちゃダメだ」って思い込んでた方向に、空間と運動が広がっていく。純映画的なカタルシスがあの場面にはあると思うんですよ。

「おおう、こっちに行ける!」というね。やっぱり非常にきっちり、新鮮なひと味を加えてくれるな、という風にも思いましたし。もちろん、予告に登場した映画オリジナルのあの拷問ですね。ビジュアル的にも非常に美しいし、同時に恐ろしい、というね。シューッていう拷問がございましたし。あと、いくらなんでも荒唐無稽すぎないかっていう意見もちょいちょい聞く、クライマックスの逆襲展開があるわけですね。これはヒントとしてはあれですね。最近流れている『マイゲーム・マイライフ』の番宣ですね(笑)。

僕はむしろやっぱり、「ああ、そう来たか!」っていう。やっぱり、その手前のところの絶望との落差で、「ざまあ!」っていう、わりとストレートな爽快感……たしかに『ミレニアム』シリーズで味わうとは予想してなかったけど、この手の爽快感を。その心地よいサプライズとして、僕は楽しみましたし。

 

■一見センチメンタルに見えるエンディングだが……

ということですね。まあ、たしかにミステリー要素を大幅に簡略化したことで、若干ストーリー的なバカっぽさとかですね、あとはやっぱりその、「ハッカーって無敵なわけ?」っていう感が、気になる方が多くなるのは分かります。非常にストーリー上、バカっぽくはなってます。

あとは、結局終盤、あれだけ劇中でおどされまくってた、「怖いやつらですよ、怖いやつらですよ」って言っていた敵チームが、まあ意外と……「意外とアレだな」っていう感じの肩透かし感。たしかになくはないと思います。ただ、先ほど否定的なメールで言われていた「火曜サスペンス劇場みたい」っていう、たしかに崖の上のクライマックス。あれを「センチメント」と取るっていうのもわかりますけども、僕はあれを……もちろん原作にない展開なんですけども。あそこで結局、そのカミラ側が取る行動……リスベットが最後に、捨てゼリフ的にあることを彼女に言ってしまう。それでカミラがある行動を取るんですけど。

あれがですね、僕はすごい胸が痛いっていうか。これによってリスベットは、もう永久に解けない呪いをかけられちゃったようなもんだよなっていうか。リスベットとしては、「だってわたしにどうしようがあったのよ?」っていうことかもしれないけど、やっぱりそのカミラ側の訴えに対して、あの言葉しか返せなかったリスベットっていうのが……で、カミラはそこで絶望をしたかのように。「ああ、そう言う? そういうことを言います?」っていう感じで。

あそこはむしろですね、今回のテーマに対して、ものすごい容赦ない、逃げ場ゼロのエンディングのような気がして。センチメントっていうよりは、「ええっ? これって救いゼロじゃないですか?」っていうような感じがして。あそこはむしろ胸に刺さったあたりですけどね。あとは、さっき言った非常に鮮烈なオープニング。非常に素晴らしいオープニングなんですけども、『ドラゴン・タトゥーの女』などで語られていた、リスベットとお父さんの顛末っていうのがあるわけですね。リスベットが12歳でお父さんにある逆襲をした、という有名なエピソードがあるんだけど。

「あれ?……っていうことは、ん? あの逆襲はこの後? んんっ?」っていう、若干これまでの『ドラゴン・タトゥーの女』の流れと整合性的にどう考えていいのかわかんなくなるところが、あのオープニングにはあったりしてですね。はい。ということで、シリーズ的にちょっと置き方が、どう受け取っていいか難しくなっちゃった仕切り直し、ではあるとは思うんですけど。

 

■エンターテイメント性と軽さとおぞましさと、きっちり盛り込んで

ただ、かと言って「今回は完全に別物です」と言うには、リスベットというキャラクターはクセが強くて。特にミカエルとの関係とかは、明らかに何かの続き感も強かったりもして。という、まあ若干のチグハグさ、若干の帯に短し襷に長し感はあるんだけど。ノオミ・ラパス版、ルーニー・マーラ版よりはかなり親しみやすくなったクレア・フォイのリスベット。今回のトーンには合ってるし。あと、スベリル・グドナソン。今回のミカエルを演じている人。これ、ミカエルというキャラクター本来の強くなさ、非マッチョ感っていうのに、俺はダニエル・クレイグよりはこっちの方がミカエル役としては合っていると思いますし。

あと、『ゲット・アウト』のレイキース・スタンフィールドさん。この人はNSAのスペシャリスト役。非常にいい味で出てきたりとか。僕はこれ、エンターテイメント性、軽さと、そのフェデ・アルバレスさんの作家性、アート性。そしてやはり『ミレニアム』ならではの不吉さ、おぞましさっていうのもきっちり盛り込んでいて。僕はこの今回の仕切り直し、これはこれで全然ありなバランスの、大満足な1本でございました。

年間ベストっていうんじゃないですよ。ただみなさんに、言っておきたい。年間ベストみたいな作品ばっかり選んで見てると、バカになりますから!(笑) これ、高橋洋二さんがおっしゃってた、まさに「エンタメなめんな!」という言葉が鳴り響くような一作でございました。ぜひぜひこういうのも劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ミスター・ガラス』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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「ボサノバ誕生60周年記念企画第2弾! 最新洋楽から聴くボサノバの遺伝子たち」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム

「ボサノバ誕生60周年記念企画第2弾! 最新洋楽から聴くボサノバの遺伝子たち」

ボサノバ誕生60周年記念企画第2弾! 最新洋楽から聴くボサノバの遺伝子たちhttp://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20181026123734

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

【高橋芳朗】
本日のテーマはこちらです! 「ボサノバ誕生60周年記念企画第2弾! 最新洋楽から聴くボサノバの遺伝子たち」。

【ジェーン・スー】
前回の第1弾ときにびっくりしたんですよ。ボサノバが生まれてからまだ60年しかたっていないんだって。

【高橋芳朗】

そうですね。同じブラジル音楽でもたとえばサンバなんかはすごく古い歴史があるんですけど、ボサノバは比較的新しいジャンルかもしれないですね。ボサノバの最初のレコードとされているジョアン・ジルベルトの「Chega de Saudade」のリリースから今年でちょうど60年になります。それを記念してのボサノバ特集、8月31日放送の第1弾では「夏の終わりに聴きたいロックなボサノバ特集」をやりました。

【ジェーン・スー】
ビーチ・ボーイズなどをかけましたね。

【高橋芳朗】
そうそう。で、今回はここ数ヶ月でリリースされた洋楽新譜からボサノバの影響が聴き取れるものを厳選しました。ロック編、R&B編、ヒップホップ編、そしてあのおなじみの曲がボサノバに変身するカバー編、計4曲紹介いたします。

【ジェーン・スー】
よろしくお願いします。

【高橋芳朗】
まずはロック編として、レモン・ツイッグスの「The Bully」。この曲はボサノバの穏やかな魅力や可愛らしさが楽しめると思います。レモン・ツイッグスはニューヨーク出身の兄弟デュオで、まだ兄が21歳、弟が19歳。

【ジェーン・スー】
若い!

【高橋芳朗】
うん。2016年にアルバムデビューした直後からエルトン・ジョンだとかヒップホップバンドのザ・ルーツだとかジャンルを越えてさまざまなアーティストから絶賛された早熟の天才兄弟です。この8月にリリースされたばかりのセカンドアルバムにはトッド・ラングレンが参加しているんですけど、まさにそのトッド・ラングレンやXTC、それからエレクトリック・ライト・オーケストラみたいなちょっとひねりの効いたポップスを身上としているコンビですね。

これから紹介する「The Bully」は彼らがアストラッド・ジルベルトを聴いているときにアイデアを思いついたそうなんですけど、ただの可愛いボサノバでは終わらない、ちょっとしたツイストが効いています。クイーンを彷彿とさせるところもあるかもしれません。

M1 The Bully / The Lemon Twigs

The Bully
【ジェーン・スー】
いろいろと詰め込んでるねー。

【高橋芳朗】
おもしろいでしょ? このレモン・ツイッグス、来月11月には来日公演が決まっていますので興味のある方はぜひ。

【ジェーン・スー】
ああ、そうなんだ!

【高橋芳朗】
続いてはR&B編として、今月頭に来日していたジェイミー・アイザックの「Wings」。この曲はボサノバの気怠さやクールさが打ち出されている曲ですね。ジェイミー・アイザックはロンドン出身の24歳。十代のときにチェット・ベイカーを聴いてシンガーを志すようになったそうで、アデルやエイミー・ワインハウスを輩出したアートスクール「BRIT School」の出身者です。アルバムデビューは2016年ですね。

で、この6月にリリースされた最新アルバムのタイトルは『(04:30) Idler』。直訳すると「午前4時半の怠け者」みたいな感じになると思うんですけど、まさにそのタイトル通り深夜のリスニングにぴったりな、夜の孤独にそっと寄り添ってくれるような音楽です。ジェイミー本人曰く、この「Wings」はボサノバの名盤中の名盤、スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトの共演アルバムにインスパイアされてつくったということです。

M2 Wings / Jamie Isaac


【ジェーン・スー】
これはストレートなボサノバとはまたちょっと違う感じだね。

【高橋芳朗】
うん、ボサノバのリズムを取り入れた曲ですね。では3曲目、ヒップホップ編としてバス(Bas)の「Tribe」。この曲ではボサノバの気持ちよさが堪能できるのではないかと。バスはフランス生まれニューヨーク育ちのラッパーで現在31歳。硬派な社会派ラッパーとしてはケンドリック・ラマーと並ぶ存在といえるJ・コールのレーベルから2014年にデビューしました。この8月には最新作となる3枚目のアルバムを出したばかりです。

これからかける「Tribe」はエドゥ・ロボの「Zum-Zum」という古いボサノバの曲をサンプリングしています。1970年の作品。いまうしろで流れていますが、この曲のイントロのギターのフレーズを延々とループしているんですよ。

【ジェーン・スー】

あー、すごくヒップホップっぽい。クルー(Cru)の「Just Another Case」みたいだね。

【高橋芳朗】
そうだね、でもそのたとえちょっとわかりにくい(笑)。

【ジェーン・スー】
フフフフフ、ごめんごめん(笑)。

【高橋芳朗】
同じボサノバをサンプリングしたヒップホップの有名曲としてはファーサイトの「Runnin’」なんかに通じるところもあるかな? ヒップホップやラップというと構えてしまう方もいるかもしれませんが、まずはこのギターのループの心地よさに意識を向けて聴いてもらえばきっと楽しめると思います。

M3 Tribe feat. J. Cole / Bas


【高橋芳朗】
それでは最後、最後はボサノバへの劇的な変貌ぶりが楽しいカバー編ですね。こちらはレバノン出身でロンドン在住のシンガー、日本でも非常に人気が高いミーカによる椎名林檎さんの1999年作「シドと白昼夢」のカバーを紹介したいと思います。堀井さんはこの曲ご存知です? デビューアルバムの『無罪モラトリアム』に収録されていた曲です。

【堀井美香】

えっ、私? 私はちょっと存じ上げませんが……。

【高橋芳朗】
「なんで私にそんな質問をするんだ!」みたいな顔をしないでください(笑)。

【ジェーン・スー】
椎名林檎は堀井さんにとって新しすぎるんだよ。

【堀井美香】
白昼夢を見ることはよくありますけど。

【ジェーン・スー】
フフフフフ、いままさに白昼夢だ。

【高橋芳朗】
これは5月に出た椎名林檎さんのトリビュートアルバム『アダムとイヴの林檎』に収録されていた曲で、めちゃくちゃおしゃれなボサノバ調にアレンジされているうえフランス語でカバーしているんですよ。だからぼんやり聴いていると「シドと白昼夢」だとは気づかないかもしれません。

M4 シドと白昼夢 / Mika

【ジェーン・スー】
これはすごいね!

【高橋芳朗】
うん、素晴らしい仕上がりですね。そんなわけでボサノバ60周年企画の第2弾として「最新洋楽から聴くボサノバの遺伝子たち」をお届けしましたが、実はまだ本家のボサノバをやっていないというね。

【ジェーン・スー】
そうなんだよね。私としては「まずはこれを押さえておけ!」みたいなベーシックなものを聴きたいかな?

【堀井美香】
うん、小野リサでお願いします。

【高橋芳朗】
なるほど、承りました!

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

10/22(月)

(11:06) Nothin’ You Can Do About It / Airplay
(11:21) 99 / TOTO
(11:34) It’s Over / Bobby Caldwell
(12:11) Dance With Me / Livingston Taylor
(12:23) Amazing Love / Eddie Rabbitt
(12:51) バイバイ・ジュエル / しばたはつみ

10/23(火)

(11:07) Love The One You’re With / The Isley Brothers
(11:36) I Will Find a Way / Jackson 5
(11:22) No Thing On Me / Curtis Mayfield
(12:13) Fly Baby Fly / The Main Ingredient
(12:24) I’m On The Sideline / Eddie Kendricks
(12:52) ベイビー、勇気をだして /堺正章

10/24(水)

(11:04) I Feel the Earth Move 〜空が落ちてくる〜 / Carole King
(11:36) All I Want / Joni Mitchell
(12:14) Blackpatch / Laura Nyro
(12:25) Enchanted Sky Machines / Judee Sill
(12:51) あなたから遠くへ / 金延幸子

10/25(木)

(11:04) Tell Her No / The Zombies
(11:25) You Still Want Me / The Kinks
(11:39) La-La-La-Lies / The Who
(12:09) Enchanted Sky Machines / Judee Sill
(12:09) Don’t You Know / The Hollies
(12:51) Like Dreamers Do / The Applejacks

10/26(金)

(11:04) Let’s Groove / Earth Wind & Fire
(11:20) Lady (You Bring Me Up) / Commodores
(11:37) Inside You Pt. 1 (Single Version) / The Isley Brothers
(12:12) Shake / GQ



「秋に聴きたい最新AOR/シティポップ特集」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム

「秋に聴きたい最新AOR/シティポップ特集」

秋に聴きたい最新AOR/シティポップ特集http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20181103123813

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りします! 「秋に聴きたい最新AOR/シティポップ特集」。現在世界的にリバイバルしているAOR/シティポップ。このコーナーでもたびたび特集を組んでいますが、今回は計4曲、すべて新譜で統一してみました。さっそく曲を聴いていきましょう。

【ジェーン・スー】
よろしくお願いします。

【高橋芳朗】
まずは今回の特集のきっかけにもなりましたオランダのシンガーソングライター、ベニー・シングスのニューアルバム『City Melody』から「Late at Night」を。9月に来日した際にはTBSラジオ『アフター6ジャンクション』でスタジオライブを披露してくれました。あれは素晴らしかったなー。

【ジェーン・スー】
ねえ。ベニー・シングスがスタジオライブやるなんてびっくりしたよ。

【高橋芳朗】
そのときは僕もベニー・シングスの魅力を紹介するガイド役として番組に出演したんですけど、彼のパフォーマンスを目の当たりにして「これはぜひ『生活は踊る』でも紹介したい!」と思っていたら……早いもので2ヶ月が経過しました。

【ジェーン・スー】
フフフフフ……早いね。

【高橋芳朗】
このベニー・シングス、『アフター6ジャンクション』出演時にも触れましたが日本のミュージシャンのあいだでも非常に人気が高い人なんですね。これまでに共演したミュージシャンは、安藤裕子さん、土岐麻子さん、スキマスイッチ、cero、コーネリアスなど多数。まさに日本人が考える理想的なAOR/シティポップ像を体現するアーティストと言っていいんじゃないかと思います。

M1 Late at Night / Benny Sings
LATE AT NIGHT

【高橋芳朗】
うん、めっちゃ爽やか。

【ジェーン・スー】
なんと親しみの持てる曲なんだ……初めて聴いたとは思えない!

【高橋芳朗】
フフフフフ、曲がかかっているあいだにそんな話をしていました。では2曲目、2曲目はカイナルの「Folds Like Origami」。直訳すると「折り紙のように折る」というちょっと変わったタイトルの曲です。このアーティスト名の「カイナル」はハワイ語で「波」を意味するそうですが、その名の通りハワイ生まれハワイ育ちのシンガーソングライター、トレント・プラルのソロプロジェクトになります。まさにハワイのそよ風を運んでくれるような爽やかなアップテンポなんですが……これがもうね、まだまだ世の中捨てたもんじゃないってぐらいにいい曲(笑)。

【ジェーン・スー】
フフフフフ、じゃあ聴くよ!

M2 Folds Like Origami / Kainalu

【高橋芳朗】
続いて3曲目にいってみましょう。3曲目はロンドン出身の4人組バンド、PREPの「I Can’t Answer That」。これは11月9日にリリースされる彼らの新しいEP『Line by Line』の収録曲なんですけど、なんとこれが世界初オンエア。レーベルの方にお願いして現地スタッフにかけあっていただきました。

【ジェーン・スー】
おー!

【高橋芳朗】
このPREPはロンドン出身ながら非常に日本のシティポップに近い感覚を持ち合わせていて、実際に日本のシティポップを結構聴き込んでいたらしいんですね。そんな音楽性もあって、まだEPを2タイトルしか出していないにも関わらず日本でもすごく人気が高いんです。実際、5月には早くも来日公演を行ってるんですよ。

【ジェーン・スー】
なるほど、注目ですね。

M3 I Can’t Answer That / PREP
Line By Line(ボーナス・トラック3曲・解説・歌詞・対訳付き)[ARTPL-108]

【ジェーン・スー】
これは好きな人たくさんいるんじゃない? すごくポップだね!

【高橋芳朗】
じゃあ最後、最後は日本のシティポップから選んでみました。10月24日にリリースされた高橋ユキヒロさんのアルバム『Saravah Saravah!』より「La Rosa」。これは40年前の1978年、当時26歳でまだYMO結成前の高橋ユキヒロさんがリリースしたソロデビューアルバムにして名盤『Saravah!』のボーカルパートを全編レコーディングし直して、新たにマスタリングを施した新装盤になります。要は、オケは40年前のまま。坂本龍一さん、細野晴臣さん、山下達郎さん、高中正義さん、吉田美奈子さん、加藤和彦さんなど、錚々たるミュージシャンがつくり上げた40年前のオケに、いまのユキヒロさんの歌が乗っかっているという、そういうアルバム。それでね、これがもう本っ当に素晴らしい!

【ジェーン・スー】
はい、正座して聴こう!

【高橋芳朗】
もしかしたらこっちの新装盤の方がいいんじゃないかってぐらいに素晴らしくて。26歳のときに歌ったそのままのバッキングでいまの60歳になった自分が新たにボーカルを歌い直すなんて、ものすごくロマンティックな行為じゃないですか? そのロマンティックなコンセプト自体がこのアルバムの粋な魅力に拍車をかけているところがあるんですよね。オリジナルと聴き比べると、ちょっとウルッときちゃうぐらい。

M4 La Rosa / 高橋ユキヒロ
LA ROSA

【高橋芳朗】
というわけで、新装版『Saravah Saravah!』より加藤和彦さんとの共作による「La Rosa」を聴いてもらいました。

【ジェーン・スー】
いやー、シティポップっていうのはもう何十年も前からこうして根付いていたんですね。

【高橋芳朗】
そうだね、しかもまったく色褪せていないという。40年前、26歳のユキヒロさんのちょっと青さが残る『Saravah!』もすごく素敵なんだけど、少し枯れ始めてきたいまの歌のほうがこのアルバムの音楽性にはフィットするのかもしれないね。確実に新しい良さが引き出されていますよ。

【ジェーン・スー】
これは堀井さんも好きそうですよね。

【高橋芳朗】
あー、この『Saravah Saravah!』を聴きながらドライブなんていいんじゃないですか?

【堀井美香】
(現在の高橋ユキヒロさんの写真を見て)ああ、いいですね。私の好きな写真集に出てきそう。

【高橋芳朗】
そっか、堀井さんはロマンスグレー好きの老け専だもんね。

【ジェーン・スー】
堀井さん、いま完全に高橋ユキヒロさんを容姿で判断しています……ルッキズムです!

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

10/29(月)

(11:07) All Right / Christopher Cross
(11:22) Don’t Talk / Larry Lee
(11:32) Danger / Sharon O’Neill
(11:40) Huggin’ / Dara Sedaka
(12:15) I Gotta Try / Kenny Loggins
(12:25) No Such Luck / Michael McDonald
(12:52) Angela / 尾崎亜美

10/30(火)

(11:05) Rock Steady / Aretha Franklin
(11:23) Use Me / Bill Withers
(11:36) She’s Not Just Another Woman / 8th Day
(12:13) What Goes Around Comes Around / Michael Jackson
(12:23) One Monkey Don’t Stop No Show / Honey Cone
(12:51) ハレルヤ・デイ / フィンガー5

10/31(水)

(11:07) Spooky / Dusty Springfield
(11:24) Who Can I Turn To / The Peddlers
(11:36) Tennessee Waltz / Manfred Mann
(12:13) See Saw / Georgie Fame & The Blue Flames
(12:51) I’m a Man / The Spencer Davis Group

11/1(木)

(11:04) Think Happy / Steve Lawrence & Eydie Gorme
(11:24) Zazueira / Elis Regina
(11:39) Por Quem Morreu De Amor / Claudette Soares
(12:14) Today It’s You / Triste Janero
(12:50) Whatch What Happens / Chris Montez

11/2(金)

(11:04) I’m Every Woman / Chaka Khan
(11:38) Under Your Spell / Phyllis Hyman
(12:16) It Seems to Hang On / Ashfrod & Simpson


「映画『ボヘミアン・ラプソディ』公開記念! いまこそ聴いておきたいクイーンの隠れ名曲たち〜ソウル&ラテン編」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム

「映画『ボヘミアン・ラプソディ』公開記念! いまこそ聴いておきたいクイーンの隠れ名曲たち〜ソウル&ラテン編」

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお送りします! 「映画『ボヘミアン・ラプソディ』公開記念! いまこそ聴いておきたいクイーンの隠れ名曲たち〜ソウル&ラテン編」。

【ジェーン・スー】
おー、意外なとこきたね!

【高橋芳朗】
はい、本日より公開になりましたイギリスの伝説的ロックバンド、クイーンのボーカルのフレディ・マーキュリーの生涯にフォーカスした伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』に合わせてのクイーン特集ですが、今日の番組でもそうだし、おなじみのあんな曲こんな曲はもうそこらじゅうでたっぷり流れてるじゃないですか。

【ジェーン・スー】
うん、今日は番組の選曲ぜんぶクイーンだったからね。

【高橋芳朗】
そんなわけで、今日は映画の劇中では流れない、そしてベストアルバムにも入っていない、クイーンの隠れ名曲を4曲紹介したいと思います。はじめに今回の選曲のタネ明かしをしちゃいますと、本日かける4曲はすべてバンドのベーシスト、ジョン・ディーコンが書いた曲になります。堀井さん、ジョン・ディーコンは久米宏さん似のイケメンなんですよ。

【堀井美香】
あっ、本当だ! 若かりしころの久米さんかと思いました。

【高橋芳朗】
で、クイーンは4人のメンバー全員が曲を書くんですね。ボーカルのフレディ・マーキュリー、ギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラー、そしてベースのジョン・ディーコン。

【ジェーン・スー】
(映画のパンフレットを見ながら)確かに、こうやってクイーンのメンバー全員見たときにジョン・ディーコンだけよく知らないかもしれない。他のメンバーはなんやかんや出てくるじゃない?

【高橋芳朗】
うん。ジョン・ディーコン以外の3人はロックスター然としてるんだけど、ジョンはちょっと地味なところがあるから余計に影が薄くなってるところはあるかもね。話を戻すと、クイーンはメンバー全員が曲を書くと。そしてここが彼らのすごいところなんだけど、メンバー全員が曲を書くうえ、そのメンバー全員が皆さんご存知の大きなヒット曲を送り出しているんですよ。

【ジェーン・スー】
それはすごいね!

【高橋芳朗】
たとえば「Bohemian Rhapsody」はフレディ・マーキュリーがつくった曲だし、「We Will Rock You」はブライアン・メイ、さっき番組で流れた「Radio Ga Ga」はロジャー・テイラー。

【ジェーン・スー】
すごい! すごいね!

【高橋芳朗】
だからクイーンは優れたコンポーザーの集まりなんですよ。ジョン・ディーコンがそんななかでどんな曲を提供していたかというと、ちょっとクイーンの様式や王道からは外れた曲になります。ジョン・ディーコンが書いた曲でいちばんよく知られているのがこちら。

(クイーン「Another One Bites the Dust」が流れる)

【ジェーン・スー】
ああーっ!

【高橋芳朗】
先ほども番組でかかった1980年の大ヒット曲「Another One Bites the Dust」、これはジョンが書いた曲になります。この曲はシックの「Good Times」にインスパイアされたと思われるディスコソングなんですけど、まずジョンがクイーンに持ち込んだ要素としてはブラックミュージックがあります。

【ジェーン・スー】
あー、ベースの人って感じだね。

【高橋芳朗】
そして、こちらの曲もジョンがつくったヒット曲です。

(クイーン「I Want to Break Free」が流れる)

メンバーが女装しているミュージックビデオでもおなじみ、1984年のヒット曲「I Want To Break Free」。これもジョンが書いた曲ですね。この曲のリズムを聴いてもらえばわかると思うんですけど、ジョンがブラックミュージックと共にクイーンに持ち込んだもうひとつの要素はラテンミュージックです。

【ジェーン・スー】
ふーん、おもしろい!

【高橋芳朗】
映画を見ればわかる通り、ジョン・ディーコンはクイーンに最後に加入したメンバーで、唯一ソロアルバムを出していない、唯一歌わないメンバーなんですよ。そんなこともあってクイーンではいちばん地味で物静かで他の3人と対照的なキャラクターで。これは余談ですが、そんなジョンも夜は物静かじゃなかったらしいんですけどね。夜は「Rock You」していたらしいんですけど(笑)。

【ジェーン・スー】
へー、そうなんだ。

【高橋芳朗】
そんな感じでグループのなかではいまいち目立たないジョン・ディーコンなんですけど、彼こそがクイーンの音楽性に多様な魅力をもたらしていた張本人と言っていいと思います。特にさっき流した「Another One Bites the Dust」がなかったら、80年代以降のクイーンの運命は大きく変わっていたんじゃないでしょうか。今回はそんなジョンが書いたクイーンの隠れ名曲をソウル編2曲ラテン編2曲、計4曲紹介したいと思います。

【ジェーン・スー】
はい!

【高橋芳朗】
まずはソウル編の1曲目として、1982年のアルバム『Hot Space』より「Cool Cat」。これはジョン・ディーコンとフレディ・マーキュリーの共作で、もともとはデビッド・ボウイがバックコーラスで参加していたんですけどリリース直前に本人の意向でカットされてしまったという経緯があります。この「Cool Cat」は言ってみればクイーン流AOR、もしくはクイーン流のブラコンみたいな感じでしょうか。フレディ・マーキュリーがスモーキー・ロビンソンばりの甘いファルセットボーカルで歌っているのに加えて、めずらしくブライアン・メイが小気味よいカッティングギターを弾いています、クイーンにしてはかなりめずらしいタイプの曲なんですけど、個人的にはこの路線でアルバム一枚つくってほしかったですね。

M1 Cool Cat / Queen

【ジェーン・スー】
びっくりした! 全然クイーンっぽくない!

【高橋芳朗】
「街で流れてきたらクイーンの曲だとは思わないだろうね」って話してたけど、確かにそうかもね。ちなみに、この曲が入ったアルバム『Hot Space』にはやっぱりジョン・ディーコンが書いた「Back Chat」というディスコ調の曲が収録されているんですけど。これを田原俊彦さんの「シャワーな気分」と聴き比べるとおもしろいと思います。興味のある方はぜひチェックしてみてください。

【ジェーン・スー】
なるほど!

【堀井美香】
「シャワーしたいね♪ 素直な気持ちでさ♪」

【高橋芳朗】
「シャワーな気分」がすんなり歌えるあたり、さすがですね(笑)。ではソウル編2曲目、次は1986年のアルバム『A Kind of Magic』から「Pain Is So Close To Pleasure」。これもジョン・ディーコンとフレディ・マーキュリーの共作になるんですが、この曲はクイーン流のモータウン・オマージュ、もっと言えばクイーン流のシュープリームス・オマージュですね。曲調はもちろんなんですけど歌詞のライミング、「imagination」だとか「reaction」だとか「-tion」で韻を踏んでいく歌詞もある意味シュープリームス的と言えると思います。ブライアン・メイ自身「自分たちにとってこれはかなりめずらしいタイプの曲だ」とコメントしていますね。

【ジェーン・スー】
あー、当人も認めているんですね。

M2 Pain Is So Close To Pleasure / Queen

【ジェーン・スー】
いやー、これもクイーンらしからぬ感じで。

【高橋芳朗】
うん。それでもコーラスとギターはちゃんとクイーン印になってるんだけどね。

【ジェーン・スー】
昔、クイーンを聴いたときにすごく困惑したのを覚えてるの。アルバムを聴いていて「こういう音楽をやる人たちなんだ」って思ったら、次の曲になると「あれ? 前の曲とちょっとちがう」、また次の曲になったら「これもぜんぜんちがう!」って。そんなこともあって最初はいまいちハマれなかったんだよね。「なんのジャンルなんだかよくわからん!」って。でも、いまにして思えばすべてのジャンルを自分たちの味付けにしている人たちなんだから、さっさと好きになれば良かったなって。

【高橋芳朗】
フフフフフ、クイーンはメンバー全員が曲を書くわけだから当然多様性が持ち込まれるよね。ではジョン・ディーコンが書いたクイーンの隠れ名曲、続いてはラテン編にいってみたいと思います。ラテン編の1曲目は、1977年のアルバム『News Of The World』から。「We Will Rock You」や「We Are the Champions」が入っていることでおなじみのアルバムですね。この『News Of The World』から「Who Needs You」。これはジョン・ディーコンが単独で書いた曲で、カリプソ調のリラックスした曲になります。ジョン自ら弾いてるアコースティックギターにも注目してください。

M3 Who Needs You / Queen

【ジェーン・スー】
これがクイーンの曲とは信じられないね。

【高橋芳朗】
これが「ドンドン、パン!」の「We Will Rock You」と同じアルバムに入ってるというね。

【ジェーン・スー】
そりゃあ混乱しますわな。

【堀井美香】
ドンパン節と同じアルバムに?

【ジェーン・スー】
そう。「ええっ!?」ってなるよね。

【高橋芳朗】
ではラテン編の2曲目、最後の曲ですね。最後は1974年のアルバム『Sheer Heart Attack』から。これは「Killer Queen」が入っていることで有名なアルバムですが、そこから「Misfire」を。これはジョンが書いた最初の曲になります。さっきの「Who Needs You」ほどあからさまではないんですけど、これもカリブ音楽の影響をうかがわせる曲ですね。ちょっと小沢健二さんの「愛し愛されて生きるのさ」に似た爽やかで軽快な曲です。

M4 Misfire / Queen

【高橋芳朗】
うーん、気持ちいい!

【ジェーン・スー】
これもぜんぜんちがうね。今日かけた「Cool Cat」、「Pain is Close to Pleasure」、「Who Needs You」、「Misfire」……これぜんぶ別のアルバムに入っていて、しかもそのアルバムごとにみんなが知ってるヒット曲が入っているわけでしょ? もう大混乱だよ!

【高橋芳朗】
アハハハハハ! それだけクイーンの作品は掘り下げ甲斐があるということでございますよ。

【ジェーン・スー】
クイーンには勉強が必要だね! 事前の勉強があると映画の楽しみ方もぜんぜんちがってくると思います。

【高橋芳朗】
いまはストリーミングサービスがありますからね。登録されている方は全アルバム聴き放題なわけですから、この機会にぜひ。

【ジェーン・スー】
そうですね。聴いてみます!

【高橋芳朗】
そうそう、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を一足早く見てきましたよ。

【ジェーン・スー】
おー、どうだった?

【高橋芳朗】
まあね、あれは泣くよね(笑)。

【ジェーン・スー】
なんかみんな「めちゃめちゃいい!」って言うよね。

【高橋芳朗】
クイーンのマニアの方だったらいろいろ突っ込みたいところはあると思いますけど、最後の20分は音楽の力、歌の力に完全にねじ伏せられますね。ぜひ音響設備のいい映画館での鑑賞をおすすめします。

【ジェーン・スー】
なるほど、かしこまりました!

【高橋芳朗】
あと最後にちょっと付け加えておくと、この映画『ボヘミアン・ラプソディ』、ブライアン・メイとロジャー・テイラーは音楽監修で参加しているんだけど、ジョン・ディーコンは関与していないんですよ。そもそも、ジョンはフレディ・マーキューリーが亡くなったあと、別のボーカリストを迎えたクイーンの活動には一切関わっていないんです。これは別にブライアンやロジャーをどうこう言うつもりではないんですけど、今回はそんなジョンのストイックな姿勢に敬意を表してこの企画を組んだところもありました。ジョンはクイーンのなかでいちばん目立たないメンバーだけど、グループへの貢献度も高くてグループ愛もすごく強いんですよね。

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

11/5(月)

(11:07) Say It Isn’t So / Daryl Hall & John Oates
(11:24) First Time / Michael Sembello
(12:11) Got You Where I Want You / Dionne Warwick & Johnny Mathis
(12:23) Once You Give In / Bobby Caldwell
(12:50) アイリーン / 安部恭弘

11/6(火)

(11:06) Mayor of Simpleton /XTC
(11:23) The King of Rock ‘N’ Roll /Prefab Sprout
(11:35) Tell Me Why /Nick Heyward
(12:13) Adivce for the Young at Heart/ Tears for Fears
(12:25) If It’s Love / Squeeze

11/7(水)

(11:05) 59th Street Bridge Song (Feelin’ Groovy) 〜恋の59号通り〜 / Harpers Bizarre
(11:23) Kites Are Fun (Single Version) / The Free Design
(11:36) Like to Get to Know You / Spanky & Our Gang
(12:15) Aren’t You Glad / The Beach Boys
(12:50) Tiem for Livin’ / The Association

11/8(木)

(11:08) Why Can’t We Be Friends / War
(11:24) Happy Feelin’ / Earth Wind & Fire
(11:34) Hope You Feel Better Love / The Isley Brothers
(11:39) You Ought to Be Havin’ Fun / Tower of Power
(12:16) Gift of Love / Kool & The Gang
(12:16) 遊びっこ / センチメンタル・シティ・ロマンス

11/9(金)

(11:06) Don’t Stop Me Now / Queen
(11:23) Another One Bites the Dust / Queen
(11:39) Under Pressure / Queen & David Bowie
(12:12) Radio Ga Ga / Queen


「追悼フランシス・レイ〜映画音楽のマエストロが日本のポップスに与えた影響を聴いてみよう」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム

「追悼フランシス・レイ〜映画音楽のマエストロが日本のポップスに与えた影響を聴いてみよう」

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお届けいたします。「追悼フランシス・レイ〜映画音楽のマエストロが日本のポップスに与えた影響を聴いてみよう」。

(映画『男と女』主題歌、ピエール・バルー&ニコール・クロワジーユ「Un homme et une femme」が流れる)

フランスの作曲家、フランシス・レイが亡くなったことが11月7日に報じられました。86歳でした。フランシス・レイは1932年生まれ、フランスはニース出身。シャンソンの作曲家としてキャリアを始め、エディット・ピアフやイブ・モンタンの伴奏者として活躍。その後、クロード・ルルーシュ監督とのコンビでいまうしろで流れている『男と女』や『白い恋人たち』など数々の映画音楽を作曲。1970年のアメリカ映画『ある愛の詩』ではアカデミー賞作曲賞を受賞しています。堀井さんもスーさんも当然フランシス・レイはご存知ですよね?

【ジェーン・スー】
うん。フランシス・レイ自体のことはよく知らなくてもフランシス・レイがつくった曲はもううなるほど知ってるよね。

【高橋芳朗】
うんうん、そういう感じだと思います。リアルタイムでフランシス・レイの人気を体験しているのはきっと60〜70代ぐらいの方になると思うんですけど、それでも世代問わず彼の音楽が日本人が抱くフランスのパブリックイメージを決定づけたようなところがあるんじゃないでしょうか。本日はそんなフランシス・レイがいかに日本で愛されていたのか、この機会に再確認すべくフランシス・レイ作品を歌った日本人シンガーの曲を集めてみました。というわけで計4曲、今回はすべて邦楽でいきます。本来であればクロード・ルルーシュ監督とのコラボで生み出した素晴らしいスコアの数々を聴いていくのが筋だとは思うんですけどね。番組のカラーなどを踏まえて、今回はこういうかたちを取らせていただきます。

【ジェーン・スー
なるほど、楽しみ!

【高橋芳朗】
まずは最近の作品から聴いてみたいと思います。元ピチカート・ファイヴの野宮真貴さんとクレイジーケンバンドの横山剣さんとのデュエットによる映画『男と女』の主題歌のカバー。これは2016年にリリースされた野宮さんのアルバム『男と女〜野宮真貴、フレンチ渋谷系を歌う。』に収録されていた曲です。1990年代の初頭、まさにピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターが中心になって盛り上がった渋谷系という音楽ムーブメントがありましたが、あのときのフレンチポップスの再評価を通じてフランシス・レイに魅了された方もきっと多いと思います。僕自身もまさにそんな感じなんですけど、ここではそんな背景も踏まえてこの渋谷系をテーマにした野宮さんのカバーを選んでみました。で、この野宮さん版の「男と女」は日本語カバーなんだけど歌詞は小西康陽さんが書いているんですよ。

【ジェーン・スー】
ほう、なるほど。

【高橋芳朗】
「男と女」の日本語のカバーって結構あるんですけど、小西さんの日本語詞が大胆なのは「男と女」という曲の象徴。ある意味フランシス・レイのアイコンとも言っていい「ダバダバダダバダバダ」のスキャットに日本語を当てているんですよ。

【ジェーン・スー】
へー、じゃあ「ダバダバダ」じゃないんだ!

【高橋芳朗】
そう、あの「ダバダバダ」がない「男と女」なんです。

M1 男と女 / 野宮真貴 en duo avec 横山剣

男と女 ~野宮真貴、フレンチ渋谷系を歌う。
【ジェーン・スー】
「ささやいて、ささやいて♪」。おしゃれですねー。

【高橋芳朗】
うん、「ダバダバダ」がなくても曲のエレガンスが見事に保たれた名カバーでした。では次、続いてはフランシス・レイの人気が絶頂期を迎えていたころ、1971年の作品を聴いてもらいましょう。1971年はフランシス・レイが『ある愛の詩』でアカデミー賞の作曲賞を受賞した年でもあるし、この年の2月には来日して武道館公演を行っています。フランシス・レイ唯一の来日公演ですね。

【ジェーン・スー】
へー!

【高橋芳朗】
映画作曲家が武道館でコンサートを行うこと自体がすごいよね。そして、そんな1971年には日本人シンガーによるフランシス・レイのカバー作品がたくさんリリースされているんですよ。ここから先はそのなかから3曲紹介しますね。ソフトロックファンは必聴です。まずは双子デュオのザ・ピーナッツのアルバム『華麗なるフランシス・レイ・サウンド! ザ・ピーナッツ最新映画主題歌を歌う』より、1967年の映画『パリのめぐり逢い』のテーマ曲のカバーを。

(映画『パリのめぐり逢い』主題歌、フランシス・レイ「Vivre pour vibre」が流れる)

このアルバムはタイトルに反して収録されているすべての曲がフランシス・レイ作品というわけではないんですよ。それでも『華麗なるフランシス・レイ・サウンド!』なんてタイトルがついているあたりに当時のフランシス・レイ人気がうかがえるんじゃないかと思います。このザ・ピーナッツ版「パリのめぐり逢い」はふたりのスキャットが冴える、ドライブ感のあるボサノバ調のアレンジになっております。キラーチューンと言っていい素晴らしい仕上がりですよ。編曲はピーナッツ育ての親、宮川泰さんです。

M2 パリのめぐり逢い / ザ・ピーナッツ

華麗なるフランシス・レイ・サウンド!~ザ・ピーナッツ最新映画主題歌を歌う(紙ジャケット仕様)
【高橋芳朗】
続いては、こちらも1971年。日本が誇るコーラスグループ、ダークダックスによる1970年の映画『流れ者』のテーマ曲を聴いてもらいましょう。

(映画『流れ者』主題歌、フランシス・レイ「Le Voyou」が流れる)

ダークダックス版の「流れ者」はシングルのカップリング曲としてリリースされたんですけど、このレコードがすごいのは表題曲の「愛のメルヘン」がなんとフランシス・レイの書き下ろし。しかもこの「愛のメルヘン」とこれからかける「流れ者」、両方ともパリ録音なんですよ。

【ジェーン・スー】
お金があったんだね。

【高橋芳朗】
さらにバックを務めるのはフランシス・レイ楽団という豪華さですよ。なお、歌詞は日本語詞。手掛けているのは加山雄三さん「お嫁においで」や郷ひろみさん「男の子女の子」などで名高い岩谷時子さんです。

M3 流れ者 / ダークダックス

ダークダックス大全
【高橋芳朗】
堀井さんが頬杖つきながら目をつぶってうっとりしております。

【堀井美香】
声がよく伸びるねー。

【高橋芳朗】
フフフフフ、それでは最後の曲にいってみましょう。こちらも1971年リリース、由紀さおりさんのアルバム『男のこころ〜由紀さおり フランシス・レイを歌う』から。

【ジェーン・スー】
アハハハハ、みんなどんだけフランシス・レイを歌うんだよ!

【高橋芳朗】
当時の人気ぶりがよくわかるよね。そんな由紀さおりさんのアルバムから、これもフランシス・レイの書き下ろしによる「恋におちないように」。このアルバムはタイトル通り全曲がフランシス・レイ作品のカバーで、タイトル曲の「男のこころ」とこれからかける「恋におちないように」、この2曲が書き下ろしになっています。歌詞はやっぱり日本語詞で、小柳ルミ子さん「瀬戸の花嫁」やアグネス・チャン「ひなげしの花」などでおなじみ山上路夫さんの作詞。編曲は山口百恵さん「いい日旅立ち」「しなやかに歌って」などで知られる川口真さんとなっています。で、この当時由紀さおりさんは22歳。

【ジェーン・スー】
若い!

【高橋芳朗】
22歳の由紀さんの可憐なボーカルとフランシス・レイの優雅なメロディーに悶絶してください。

M4 恋におちないように / 由紀さおり

恋におちないように
【高橋芳朗】
素晴らしいですねー。堀井さん、この歌唱で22歳ですよ。

【堀井美香】
びっくり! 22歳でこんな声の出し方ってあります?

【ジェーン・スー】
酸いも甘いも咀嚼しまくって第二の胃から戻ってきたぐらいの勢いだよ。

【高橋芳朗】
ということでちょっと変化球なフランシス・レイのトリビュートではありましたが、彼の曲が持つエレガンスは今回紹介したカバー曲からも十分伝わったのではないかと思います。

【ジェーン・スー】
フランシス・レイがいかに日本のミュージシャンから愛されていたのか、よくわかりました。ありがとうございます!

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

11/12(月)

(11:04) Josie / Steely Dan
(11:19) Still Falling for You / Boz Scaggs
(11:32) How Do the Fools Survive? / The Doobie Brothers
(11:40) Vagabond from Heaven / Stephen Bishop
(12:09) So Beautiful It Hurts / Rupert Holmes
(12:22) Living of the Love / Erik Tagg
(12:51) あの日のように微笑んで / やまがたすみこ

11/13(火)

(11:04) I’m Ready for Love / Martha & The Vandellas
(11:21) Ain’t That Peculiar / Marvin Gaye
(11:37) Nothing But Heartaches / The Supremes
(12:12) Love a Go Go / Stevie Wonder
(12:50) Do I Love You / Chris Clark

11/14(水)

(11:05) Handle with Care / The Traveling Wilburys
(11:24) Cheer Down / George Harrison
(11:36) You Got It / Roy Orbison
(12:14) I Won’t Back Down / Tom Petty
(12:50) I LIKE YOU / RCサクセション

11/15(木)

(11:05) Autumn Leaves / Tony Bennett
(11:36) Hello Dolly! / Frank Sinatra
(12:09) I Get Ideas / Bing Crosby & Rosemary Clooney
(12:50) Lover, Come Back to Me / 美空ひばり

11/16(金)

(11:04) Don’t Stop ‘Til You Get Enough / Michael Jackson
(11:20) Can’t Let Go / Earth Wind & Fire
(11:37) I’ve Got the Next Dance (Single Mix) / Deniece Williams
(12:16) One Night Tan (Single Version)  / Heatwave


「祝・リリース50周年〜ビートルズ『ホワイトアルバム』傑作カバー選」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム

「祝・リリース50周年〜ビートルズ『ホワイトアルバム』傑作カバー選」

祝・リリース50周年〜ビートルズ『ホワイトアルバム』傑作カバー選http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20181123123439

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

The Beatles (White Album / Super Deluxe)

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお届けします。「祝・リリース50周年〜ビートルズ『ホワイトアルバム』傑作カバー選」。今年でリリースから50年を迎えたビートルズの10枚目のアルバム『The Beatles』。ジャケットが真っ白であることから通称「ホワイトアルバム」と呼ばれています。イギリスではちょうど50年前の昨日、1968年11月22日にリリースされてるんですね。

その「ホワイトアルバム」、先日には50周年記念で未発表音源を大量に追加したスペシャルエディションが発売になりまして、これがたいへん大きな話題を集めています。本日はそんな「ホワイトアルバム」に収められている曲を取り上げた素晴らしいカバーの数々を聴いてもらいましょう。

【ジェーン・スー】
よろしくお願いします。

【高橋芳朗】
実際に曲を聴いてもらう前に「ホワイトアルバム」について簡単に説明しますと、1968年の発売当初はアナログ2枚組でリリースされています。そんなわけで収録曲は30曲、収録時間も90分を超えるボリュームになっているんですけど、ビートルズのメンバー4人、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、それぞれのメンバーのソロ作品の集合体のような構成になっているのが大きな特徴ですね。そこからもうかがえると思いますが、非常にバラエティに富んだアルバムです。

今回はそんな「ホワイトアルバム」の特性も踏まえて、各メンバーがリードボーカルを取る曲から一曲ずつカバー曲を選んでみましたジョン・レノンが歌う曲から一曲、ポールから一曲、ジョージから一曲、リンゴから一曲、計4曲お届けしますね。

まずはポール・マッカトニーからいってみましょうか。「ホワイトアルバム」のポールの曲としては「Back in the U.S.S.R.」や「Ob-La-Di,Ob-La-Da」などがありますが、ここでは「Blackbird」のカバーを聴いてみたいと思います。

(ビートルズ「Blackbird」が流れる)

「Blackbird」はポール・マッカトニーが当時盛り上がっていた公民権運動にインスパイアされてつくった曲で、タイトルは黒人女性のメタファーになっています。サビでは「ブラックバードよ、暗い闇のなかに差し込む光を目指して飛んでいけ」と歌っていますが、これは黒人女性の解放について歌っているわけですね。

そして今回紹介する「Blackbird」のカバーは、いまは亡くなってしまったアメリカのシンガーソングライター、ケニー・ランキンのバージョン。これはポール・マッカトニー自身が非常に気に入っていて、当時ポールがケニー・ランキンに直接「君のカバーがいちばん素晴らしい」とメッセージを送ったそうです。オリジナルは1974年のアルバム『Silver Morning』に収録されていますが、本日は1990年のライブバージョンを選んでみました。

M1 Blackbird (Live) / Kenny Rankin

The Bottom Line Archive Series
【ジェーン・スー】
素晴らしいですね。心がハイドパークに飛んでいきました。

【高橋芳朗】
2曲目はジョン・レノンの曲にいってみたいと思います。「ホワイトアルバム」のジョン・レノンの曲としては「Happiness Is a Warm Gun」や「Dear Prudence」が人気ですが、ここは「Sexy Sadie」を。

(ビートルズ「Sexy Sadie」が流れる)

この「Sexy Sadie」は当時ビートルズのメンバーが心酔していたヒンドゥー教の指導者マハリシ・マヘシ・ヨギにちなんだ曲で、マハリシが彼を師事する女性に手を出したことに失望したジョンが怒りを込めてつくったのがこの「Sexy Sadie」になります。

【ジェーン・スー】
ええーっ!?

【高橋芳朗】
「とんだ俗物じゃねえか!」っていうね。マハリシ側にも言い分があるようなんですけど、曲の冒頭でジョンが「セクシー・セディー、なんてことをしてくれたんだ。お前は俺たちみんなをコケにした」と歌っているのはつまりそういうことなんですね。

で、今回紹介する「Sexy Sadie」のカバーはロサンゼルスを拠点に活動するプロデューサーのクッシュ・モディが2014年にリリースしたバージョン。こちら、ボーカルを最近ニューアルバムを発表したばかりの注目のシンガー/ラッパーのアンダーソン・パークが務めています。これはネオ・ソウル調というか、ディアンジェロを彷彿とさせるファンキーなアレンジでリメイクされているのがおもしろいですね。

M2 Sexy Sadie feat. Anderson .Paak / Kush Mody

Sexy Sadie (feat. Anderson Paak) [Explicit]
【ジェーン・スー】
90年代半ばぐらいにR&Bを聴いていた人間にとっては非常に馴染みやすいカバーですね。

【高橋芳朗】
では、3曲目はリンゴ・スターでいってみますか。リンゴが「ホワイトアルバム」でボーカルをとっている曲は「Don’t Pass Me By」と「Good Night」の2曲のみになりますが、ここでは「Good Night」のカバーを聴いてみたいと思います。

(The Beatles「Good Night」が流れる)

「Good Night」はリンゴが歌っていますがソングライターはジョン・レノンとポール・マッカトニー。実質的にはジョン・レノンがつくった曲で彼が息子のジュリアンの子守唄として書いたという経緯がありますが、自分が歌うのは照れくさいということでリンゴに歌ってもらったみたいですね。

で、「Good Night」のカバーは日本のアーティストから細野晴臣さんによるバージョンを選んでみました。これは2006年にリリースされたビートルズのカバーアルバム『りんごの子守唄(青盤)』に収録されていたものになります。優雅なオーケストラをバックにしたリンゴのバージョンに対して、細野さんのバージョンはピアノの伴奏がメインのグッとシンプルなアレンジ。子守唄としての実用性は細野さんバージョンの方が高いかもしれませんね。

M3 Good Night / 細野晴臣

Apple of his eye りんごの子守唄(青盤)
【ジェーン・スー】
ヨシくん、シーッ! ほら、堀井さんが寝ちゃったから……。

【高橋芳朗】
曲が始まって5秒で寝てましたね。のび太ばりのスピードで。

【堀井美香】
なんだか母の羊水のなかにいるようです……。

【高橋芳朗】
フフフフフ、ふざけてるようで結構いい感想を言っていますね。それでは最後、最後を締めくくるのはジョージ・ハリスンの曲です。「ホワイトアルバム」でジョージの曲といえばこれで決まりですね、「While My Guitar Gently Weeps」のカバーでいってみましょう。

(ビートルズ「While My Guitar Gently Weeps」が流れる)

この曲のタイトルの意味は「僕のギターが静かにすすり泣く」。そんなわけで実際に曲中ではギターにすすり泣いてもらわなくてはいけないわけですが、そこでジョージが白羽の矢を立てたのが友人のエリック・クラプトン。彼がゲストとしてギターソロを弾いています。

【ジェーン・スー】
ズルい!

【高橋芳朗】

ただ、当初クラプトンは相当尻込みしていたみたいですね。「いやいや、ビートルズはちょっと困ります!」って。

【ジェーン・スー】
そりゃそうだよね。「いやいや、友達だけれども……」みたいな。

【高橋芳朗】
「ビートルズの曲でギター弾くのはさすがにキツいっす!」ってね。それでもご存知の通り、クラプトンはプレッシャーを跳ね除けて素晴らしいソロを披露しています。

そんな「While My Guitar Gently Weeps」のカバーで選んだのは、ロシア出身でニューヨークを拠点に活動するシンガーソングライターのレジーナ・スペクターによる2016年のバージョンです。

【ジェーン・スー】
私の大好きなNetflixドラマ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』のオープニング曲「You’ve Got Time」を歌ってる人ですね。

【高橋芳朗】
これは江戸時代風の日本を舞台にしたアメリカ制作のストップモーションアニメーション映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』の主題歌としてレコーディングされたものになります。主人公のクボが魔法の三味線を操るという設定にならって、三味線を大々的にフィーチャーした和風なアレンジのなカバーになっているんですよ。

そんな大胆なアレンジもあって、このカバーの出来には賛否両論あるようですね。映画を見たか見ないかで評価に温度差が出てくるところもあるかもしれません。でも実際に映画を見た立場としては、魔法の三味線を弾く少年が主人公の物語で「While My Guitar Gently Weeps」を主題歌に選曲するというそのセンスに脱帽ですね。映画のトーンにもばっちりハマっていると思います。

M4 While My Guitar Gently Weeps / Regina Spektor

【ジェーン・スー】
なるほどー。もうリリースから半世紀にもなるといろんなカバーが出ているんですね。

【高橋芳朗】
そうですね。この機会にいろいろなカバーバージョンを聴き比べてみるのも楽しいかと思います!

 

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

11/19(月)

(11:09) Sparkle / Greenwood
(11:35) Touch / Earth Wind & Fire
(12:10) Easier Said Than Done / Average White Band
(12:23) Hello People / Brenda Russell
(12:50) VITAMINE E.P.O. / EPO

11/20(火)

(11:04) Harvest for the World / The Isley Brothers
(11:26) Girl, I Think the World About You / Commodores
(11:38) It’s So Nice / Tower Of Power
(12:12) Smile / Cameo
(12:50) 中央フリーウェイ /荒井由実

11/21(水)

(11:07) Crazy Little Thing Called Love 〜愛という名の欲望〜 / Queen
(11:26) You Can’t Hurry Love 〜恋はあせらず〜 / Stray Cats
(11:39) Make a Circuit with Me / Polecats
(12:12) I.O.U. / Roman Holliday
(12:25) Rockebella / The Ace Cats

11/22(木)

(11:05) Good Thing Going / Sugar Minott
(11:24) Confession Hurts / Brown Sugar
(11:37) Feel No Way / Janet Kay
(12:14) More Than I Can Say / June Lodge
(12:50) Time Trip / 坂本龍一 & カクトウギセッション

11/23(金・祝)

(11:06) I Wanna Be Your Lover / Prince
(11:24) Rescue Me / A Taste Of Honey
(11:43) Give Me Your Love / Sylvia Striplin
(12:11) Square Biz / Teena Marie
(12:19) Gonna Get Over You / France Joli

「2019年で音楽活動50周年〜細野晴臣、海外で高まる再評価の動き」(高橋芳朗の洋楽コラム)

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音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんによる洋楽コラム

「2019年で音楽活動50周年〜細野晴臣、海外で高まる再評価の動き」

2019年で音楽活動50周年〜細野晴臣、海外で高まる再評価の動きhttp://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20181130123723

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

【高橋芳朗】
本日はこんなテーマでお届けします! 「2019年で音楽活動50周年〜細野晴臣、海外で高まる再評価の動き」。実はいま、海外で細野晴臣さんの再評価の機運が高まってきているんです。それと並行して、来年で音楽活動50周年を迎える細野さんの音楽活動も俄然おもしろくなってきています。本日は、そんなここ2年ぐらいの動きを曲を聴きながら時系列に沿って紹介していきたいと思います。

【ジェーン・スー】
はっぴいえんど、ティン・パン・アレー、YELLOW MAGIC ORCHESTRA……もう「時代をつくった」と言われるところにはかならずヤツがいるって感じだもんね。

【高橋芳朗】
まさにまさに……いま細野さんを「ヤツ」って言いましたね?

【ジェーン・スー】
すみません、敬称略です。

【高橋芳朗】
フフフフフ、ではさっそく本題に入ります。まず近年の海外における細野さん再評価の目立った動きとしては、去年の3月にイギリスで企画された70年代〜80年代の日本のファンクやディスコミュージックを集めたコンピレーション『Lovin’ Mighty Fire: Nippon Funk Soul Disco 1973-1983』。これに細野さんの「薔薇と野獣」が収録されました。このコンピレーションはリリース当時番組でも紹介したので覚えている方もいるんじゃないかと思います。
LOVIN' MIGHTY FIRE: NIPPON FUNK * SOUL * DISCO 1973-1983

「薔薇と野獣」は細野さんが1973年にリリースしたソロデビューアルバム『HOSONO HOUSE』の収録曲になります。『HOSONO HOUSE』は細野さんが当時住んでいた埼玉県狭山市の自宅でレコーディングした、日本における宅録アルバムの先駆けと言われるエポックな作品ですね。

細野さんの『HOSONO HOUSE』レコーディング当時の回想録を読むと、本当にいろいろな音楽にインスパイアされながらアルバムの制作を進めていたことがよくわかります。アメリカの1920年代のノスタルジックな音楽やルーツ音楽、カントリーミュージックやシンガーソングライター物。「ロックのビートが嫌になっていた」なんて発言もあったりして。そして、そういうなかで細野さんが強く刺激を受けたのがスライ&ザ・ファミリーストーンやビリー・プレストンのような当時のソウル/ファンクだったそうです。

細野さんは「彼らは飛び抜けて新しい音楽をやっていた」と話していますが、そういう影響を『HOSONO HOUSE』のアルバム中で最もわかりやすく体現しているのがこのイギリスのコンピレーションでピックアップされた「薔薇と野獣」なんじゃないかと思います。この曲の折衷感覚はすごくいまっぽいし、このタイミングで再びスポットを当てるのにふさわしい曲だと思います。

M1 薔薇と野獣 / 細野晴臣

薔薇と野獣

【高橋芳朗】
この「薔薇と野獣」を収録したイギリス制作のコンピレーションが出たのが去年の3月。その後、これも以前に番組で取り上げましたが、10月にはアメリカ企画の日本のロック黎明期のコンピレーション『Even a Tree Can Shed Tears: Japanese Folk & Rock 1969-1973』に細野さん関連の楽曲が2曲も収録されます。ひとつははっぴいえんどの1971年のアルバム『風街ろまん』から「夏なんです」。もうひとつは『HOSONO HOUSE』から「僕は一寸」。ここでもやっぱり『HOSONO HOUSE』がクローズアップされているんですね。

Even a Tree Can Shed..

【高橋芳朗】
そして年が変わって2018年に入ると、5月に劇伴を手掛けた映画『万引き家族』がカンヌ国際映画祭でパルムドール受賞。6月にはイギリスでコンサートを開催。ロンドンとブライトンで2公演行っています。

【ジェーン・スー】
才能がある人っていうのはすごいね!

【高橋芳朗】
ロンドン公演では坂本龍一さんと高橋幸宏さんが飛び入りしたことが話題になりましたね。

【ジェーン・スー】
YMOだ!

【高橋芳朗】
そしてそして、8月から9月にかけては細野さんのソロアルバム5タイトルがアメリカで再発されることになります。これはCDとアナログでリリースされています。

【ジェーン・スー】
へー!

【高橋芳朗】
ラインナップは、1989年の『オムニ・サイト・シーイング』、1982年の『フィルハーモニー』、1979年の『コチンの月』、同じく1978年の『はらいそ』、そして1973年の『HOSONO HOUSE』。このソロアルバムの再発に伴って、アメリカの音楽メディアでは結構細野さんの特集記事やインタビュー記事が組まれていましたね。ある記事では「日本のブライアン・ウィルソン」なんて紹介されていました。

そういう動きのなかで決定的だったのが、ついに海外のアーティストによる細野さん作品のカバーが登場します。8月にカナダのシンガーソングライター、マック・デマルコが細野さんの1975年のソロアルバム『トロピカル・ダンディー』収録の「HONEY MOON」をカバーしたんですよ。しかも、これがなんと日本語カバーという。

マック・デマルコは日本ではまだまだ知名度は低いんですけど、欧米ではアルバムを出せば確実にその年の年間ベスト選に食い込んでくるような人気アーティスト。彼が細野さんの曲をカバーしたことはとても大きな意味と影響があるんじゃないかと思います。ちなみにこのマック・デマルコ、現在28歳。

【ジェーン・スー】
まだ若いんだ。

【高橋芳朗】
そう。彼は細野さんから受けた影響について「僕が19歳から音楽をつくり続けている大きな理由が細野なんだ。彼は多作で、しかもいろいろなタイプの曲をつくっている。聴いても聴いても新しいものが出てくるんだ」と話しています。そうやって細野さんの作品を聴き込んだ成果なのかもしれないですけど、このマック・デマルコの「HONEY MOON」のカバー、めちゃくちゃ日本語が上手いんですよ。ぼんやり聴いていたらとてもカナダの人が歌っているとは思えないぐらい(笑)。ちょっとサイケデリックな味付けも施されたナイスカバーなんですけどね。

M2 HONEY MOON / Mac DeMarco

【ジェーン・スー】
へー、高橋幸宏さんがカバーしたみたいになってるね(笑)。

【高橋芳朗】
確かに幸宏さんに似てるかも(笑)。ものすごく日本語上手いんだけど、よく聴くとさすがにところどころで発音がよれてるね。そこがまたこの曲をチャーミングにしてる。

【ジェーン・スー】
うんうん。でもカナダのシンガーが歌ってるなんて言われないとわからないよ。

【高橋芳朗】
こうして海外で細野さん再評価の機運が高まる中、細野さんは来年1月にニューアルバムをリリースすることを発表しています。先週の11月21日にはそれに先駆けて新曲が発表になったんですけど、これがなんと最初にかけた「薔薇と野獣」のニューバージョンなんですよ。

【ジェーン・スー】
おおっ、再録?

【高橋芳朗】
しかも、歌、演奏、プログラミング、アレンジ、レコーディング、ミックス、すべて細野さんひとりで手掛けています。

【ジェーン・スー】
すごい!

【高橋芳朗】
まだニューアルバムの詳細は公式発表されていないんですけど、細野さんは以前からインタビューでたびたび「『HOSONO HOUSE』をつくり直したい」と話していて。それを踏まえると、ここで「薔薇と野獣」のニューバージョンを出してきたということはひょっとしたらひょっとするんじゃないかと。いままで話してきたように海外では細野さんのソロアルバムのなかでも特に『HOSONO HOUSE』の評価が高いようだから、このタイミングで新録版が出たらかなり話題になると思いますね。

しかもまたこの「薔薇と野獣」のニューバージョンが本当に素晴らしくて。先ほどオリジナルの「薔薇と野獣」ではスライ&ザ・ファミリー・ストーンやビリー・プレストンといった当時のソウルやファンクにインスパイアされたという話をしましたが、ここではその部分がネオソウル的というか、いまのブラックミュージックのグルーブにアップデートされているんですよ。つまり、オリジナルバージョンの意義やコンセプトを継承した新録になっているんです。高橋幸宏さんと組んだSketch Showで試みていたようなミニマルなファンクに通じるところもあると思います。

M3 薔薇と野獣(new ver.) / 細野晴臣

薔薇と野獣(new ver.)

【高橋芳朗】
というわけで細野さんの2019年の活動に注目していきたいんですけど、海外の動きとしては来年2月にアメリカでリリース予定の日本の環境音楽のコンピレーション『Kankyo Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』に細野さんが無印良品の店内BGMとして提供した「Original BGM」が収録されるそうです。


Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990

【ジェーン・スー】
なるほど、そういうのもあるんだ。

【高橋芳朗】
細野さんとアンビエントといえば、この番組で毎日細野さんの曲がかかっているのってご存知でした? こちらの曲を聴いてみてください。

(細野晴臣「Roochoo Divine」が流れる)
細野晴臣アーカイヴス Vol.1
【ジェーン・スー】
そうそう、そうなんだよね!

【堀井美香】
ええーっ! 『水音スケッチ』?

【高橋芳朗】
フフフフフ、まさに。『水音スケッチ』のテーマ曲として流れているこの曲、細野さんが琉球王朝をテーマにした音楽劇『万国津梁』に提供した「Roochoo Divine」のセルフリメイクなんですよ。このあと、もっと聴いていくと細野さんのボーカルも入ってきます。

【堀井美香】
もっと早く言って! 『水音スケッチ』、もう5年もやってるのに……。

【ジェーン・スー】
アハハハハ!

【高橋芳朗】

『生活は踊る』も細野さん再評価の波に乗っかっていたっていうね。そういうことなんですよ、堀井さん。

【堀井美香】
ありがとうございます、細野さん。

―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ―― ◇ ――
当ラジオ番組では「日々の生活に音楽を」をコンセプトに、音楽ジャーナリスト・高橋芳朗さんによる洋楽選曲を毎日オンエア。最新1週間のリストは以下です。

11/26(月)

(11:06) Georgy Porgy / TOTO
(11:22) Keep On Movin’ / Pages
(11:33) Who Said the World Was Fair / Daryl Hall & John Oates
(11:40) Double Love / Crackin’
(12:10) Sweet Friction / Ned Doheny
(12:22) Survival / Marc Jordan
(12:50) 愛の炎 / 吉田美奈子

11/27(火)

(11:05) I Say a Little Prayer / Martha Reeves & The Vandellas
(11:25) Walk On By / The Four King Cousins
(11:36) Do You Know The Way to San Jose / The Anita Kerr Singers
(12:14) The Look of Love / Barbara Acklin
(12:50) Walk On, Walk On By /松任谷由実

11/28(水)

(11:04) You and I / Queen
(11:36) Rock Show / Wings
(12:13) So Fine / Electic Light Orchestra
(12:25) Good Morning Judge / 10cc
(12:50) パーティー・パーティー / 近田春夫&ハルヲフォン

11/29(木)

(11:04) The Last Time / The Rolling Stones
(11:21) Don’t Look Away / The Who
(11:32) It’s You / The Hollies
(12:15) Whenever You’re Ready / The Zombies

11/30(金)

(11:05) Never Give Up On a Good Thing / George Benson
(11:22) I Can Make it Better / The Whispers
(11:39) Friends / Shalamar
(12:12) Dancin’ Free / Brothers Johnson

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