TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
今週評論した映画は、『ミッドウェイ』(2020年9月11日公開)です。
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宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今週、扱うのは9月11日に公開されたこの作品、『ミッドウェイ』。
(曲が流れる)
……いかにも第二次大戦(の時代を描く)アメリカ戦争映画、っていう感じですね(笑)、この音楽ね。『インデペンデンス・デイ』とか『2012』などのローランド・エメリッヒ監督が、アジア太平洋戦争のターニングポイントとなったミッドウェイ海戦を、20年におよぶリサーチを経て、日米双方の視点から描いた戦争ドラマ。アメリカ軍の太平洋艦隊司令官チェスター・ニミッツ役のウディ・ハレルソンをはじめ、パトリック・ウィルソン、アーロン・エッカート、デニス・クエイドなど実力派キャストが終結。また、日本からも、連合艦隊司令長官・山本五十六役の豊川悦司さんや浅野忠信、國村隼が出演、ということでございます。
ということで、この『ミッドウェイ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「ちょい少なめ」。ああ、そうですか。あら、まあ。賛否の比率は、賛否両論。褒める意見が約半分。1割の人が全然ダメという意見。残りが「いいところもあるが、悪いところもある」という両論併記でございました。
主な褒める意見は「戦闘機対戦艦の迫力がすごい」「エメリッヒ監督なのに大味じゃない」「日本を一方的な悪として描かず、日米両軍をフラットに描く姿勢に好感を持った」などがございました。一方、批判的な意見としては、「フラットな視点はいいが、映画として盛り上がらず途中で飽きてしまった」「戦闘シーンはいいが、ドラマパートが退屈。まるで歴史の再現ドラマを見ているよう」とか「CGがしょぼい」とかがございました。
■「戦記物として良作の部類に入る」byリスナー
代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「前田直紀」さん。「ローランド・エメリッヒ監督は大味の作品を作るイメージがありました。特に前作の『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』は非常にがっかりだったので、今回もマイケル・ベイ監督の『パール・ハーバー』のように変な日本感が出てくる作品かなと思いました。しかし冒頭の1937年の日本のシーンから『期待が持てる』と思い、序盤の真珠湾攻撃シーンは爆撃のすさまじさは言うまでもなく、その後の日本側の詰めの甘さ(二次攻撃をしなかったこと)まで描いてるので『しっかりしてる』と感心しました」。
あと、あれですよね。要するに真珠湾攻撃に至るというか、開戦に至る一応の動機みたいなのを、その手前のところで豊川悦司さん演じる山本五十六に語らせてたりとか。そういう視点も含めて、日本側の立場も一応あったよ、っていうことを最初に言うっていうあたりも、まあフラットな視点と言えるかもしれないですね。それで……「日本側の三提督はそれぞれ持ち味を活かし、豊川悦司さんの山本五十六の貫禄、浅野忠信さんの山口多聞の冷静な判断力、國村隼さんの南雲忠一のダメさ加減がうまくはまっていました。
ミッドウェイ海戦は米軍の戦略が功を奏し、ダメな日本軍に完勝したばかりと思っていましたが、ギリギリに勝ったということを知りました。中国資本にしては日本叩きに終止しないところもよかったと思います。戦記物としては良作の部類に入ると思います」という前田直紀さんでございました。
一方、よくなかったという方をご紹介しましょう。「タクヤ・カンダ」さん。「『ミッドウェイ』、見てきました。『日米双方の視点から描いた』という触れ込みの本作。たしかに日本人を自分たちと変わらない人間として描こうとしていたとは思います。しかし、その描き方がどうしても浅い感じがしてしまった。あくまで欧米人の視点からの当時の日本人、という感じで、2020年現在に見てなにか衝撃を受けるような描写ではなかったと思います」。まあ、逆にやっぱり、当時の欧米人の一般は、もっとひどい見方をしていたと思いますけどね。もちろん戦争時のプロパガンダというものも含めて、相当ひどかったと思いますけどね。まあいいや。
たくや・かんださん。「登場人物が多く、群像劇としてストーリーが続くのですが、この時代に通じてない観客としては話の流れをうまく追えず、それ以上に感情移入ができませんでした。アメリカ側の1人1人の人物の活躍が単なる情報として過ぎていってしまった感じです。多くの時間が割かれている戦闘シーン、たしかに迫力はあったのですけど、時間的に多く、似たようなシーンもあって途中で飽きてしまいました。見終わった後の感想が全体的に感傷的な感じがして凡庸だったということ。ローランド・エメリッヒはミッドウェイという史実を描いても相変わらずだなという感じでした」ということでございます。皆さん、メールありがとうございました。
■エメリッヒ監督が手がけるミッドウェイ海戦物、全然悪くない。ていうか、かなりよく出来てる。
ということで『ミッドウェイ』、TOHOシネマズ日比谷、平日昼に行きましたけど、昼にしては皆さん、おじさんを中心に、なかなか入ってる感じだったんじゃないですかね。あとは、もうすでにブルーレイが向こうでは発売されていて。なので、輸入ブルーレイを取り寄せまして、観てます。ちなみにですね、その輸入ブルーレイを観てみたら、日本で現在劇場公開されているバージョンとの、ほんのわずかな違い、つまり、日本公開版から現状カットされている……時間にすればごくごく短い描写なんですが、その存在を確認しましたので、それについては最後に触れたいと思います。
とにかくまあ、ローランド・エメリッヒが手がけるミッドウェイ海戦物、ということですね。ちなみにミッドウェイ海戦、本当はこれ、歴史的背景とか、もちろん知ってた方が当然面白いわけなんですけど、詳しく説明する時間はないので。ちょっと今回僕がね、参考図書として一番おすすめしたいのは、今回の映画の、日米双方の立場をわりとフラットに、両方……しかも新たな資料込みでフェアに整理しつくしている、という意味で、これは文春文庫から上下巻で出ている、イアン・トールさんというわりと若い研究者の方が書かれた、『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』。文春文庫の上下巻。これがすごく、今回の映画の参考図書として、めちゃめちゃ面白かったです。今回描かれているものが、さらに厚みを増すような、というか。実際にはこのバランスだった、みたいなことがわかったりして。おすすめでございます。
で、ミッドウェイ海戦。過去にもね、何度か映画化されてきた題材ではあって。1976年のハリウッド版の『ミッドウェイ』とか、日本でもいろいろありまして、1960年の東宝映画『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦太平洋の嵐』というやつであるとか。直近でもね、今回の『ミッドウェイ』の公開に合わせて作られた、わりと低予算作品で、『ミッドウェイ~運命の海~』とかね。いろんなのがあったりするわけですけど、それらの先行作品と比べても、とりあえずの結論的なことを先に言っておくならば……。
まあ新たにミッドウェイ物を作るんだったら当然そうあるべきでもあるんだけど、今回の『ミッドウェイ』は、史実に対する各描写のバランスっていうのは、やはり一番いいし。あと、138分という、この題材に対しては決して長いとは言えない尺の中に、肝となるもろもろのエピソード……要はお互いの、日米双方の、本当に(互いの存在が)見えない中での、手探りの駆け引きであるとか。あるいはその、いろんな、本当にわずかな運が(その先の趨勢を)決定していく様であるとか、っていうあたりも、それなりにしっかりと散りばめて、比較的見やすく仕上げていて。結論から言えば、全然悪くない……っていうか、かなりよくできてる方だと思いますよ、っていう感じだと思いますね。
■超大作風味ながら、実はエメリッヒ監督のインディペンデント映画
ミッドウェイ海戦について、特にその詳しく知らない観客には、新鮮な知識がいろいろと埋まってると思うんですよね。たとえば、僕も改めて思ったけど、アメリカってこの時点では、少なくとも海上の戦力っていう意味では、(日本海軍に)劣っている、圧倒的に劣勢である、という認識だったんだ、と。結構、もう崖っぷちの状況で、本当に勝つか負けるか……今となってはね、「いや、(アメリカの軍事力に)勝てるわけないでしょ?」って、今の後付けの感覚では思うけど。結構そういう感じだったんだ、とかね。
あともちろん、そのミッドウェイ海戦と言えば、情報分析部、ハイポと呼ばれる、あのハワイにある情報分析部の、ジョセフ・ロシュフォートさんという方が暗号を読み解いていく、という、ミッドウェイ海戦ならではのそういうエピソードであるとか……みたいなものが、過不足なく入っていて。まあ全然悪くない、という風に思うんですね。だし、そのミッドウェイ海戦について知らない人は、すごくフレッシュに見れるっていうかね。「ああ、そうなんだ。こうだったんだ、こうだったんだ」って。その意味ではすごく、ミッドウェイ海戦入門編として、観る価値は絶対にある、っていうレベルには達してると思います。これはね。
で、面白いのは本作、これだけのスターが出ていて、CGIによる壮麗なスペクタクル映像が展開される、超大作風味、ではありながらですね、実はこれ、ローランド・エメリッヒが、長年こつこつと脚本開発をしつつ、独自で各所から資金調達……CGとかもね、CGの会社が、「いやー、もうエメリッヒさんには昔、ペーペーの時から使ってもらってて、本当に御恩がありますんで! 今回は格安で、とびっきりの仕事しますよ!」みたいな感じで、予算以上のクオリティをCGIも確保したとか、わりとそういう感じ。
あと、ついでに言うなら、日本での配給もなかなかね、大手が手が上がらなかったみたいで。今回も結果的にはその、木下工務店さんのキノフィルムズっていう……非常にキノフィルムズは文化事業として、いろんな貢献、大きな貢献をしてると思いますけど、キノフィルムズが配給になったりとか、ってことで。要は、たしかにそれなりの予算を使ったビッグバジェット大作ではあるんだけど、実質インディペンデント映画、っていうことなんですね。実はね、これは。インディペンデント作品なんですよ、これは。ここまで大きいけど。
もっと言えば、ローランド・エメリッヒのキャリア自体がですね、2011年の『もうひとりのシェイクスピア』という作品、あと2015年の『ストーンウォール』という作品、このぐらいから、脱ディザスター超大作路線というか、よりインディペンデントな、作家性が強いものっていうのかな、そういう作家性というものを打ち出した作品へと、少しずつこうシフトチェンジしてる、という面があるわけですね。
まあ、「ディザスタームービーはもうやりたくない」と言った後の、2009年の『2012』っていうあの映画とか、「続編とかやりたくない」って言った後の、あの『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』とか……まあ私ね、2016年8月20日に評してますけども。むしろ、要するに自分が本当に撮りたい、そういうインディペンデントな企画の実現のため、いろいろお金とかも必要で受けた仕事なんじゃないか、っていう風に見えてくるぐらい、っていうことですね。
■エメリッヒ監督の「ほとんど事務的なまでの類型表現」という悪癖。さて、今回は……?
ただしですね、その『リサージェンス』評の時も言いましたけど、僕がエメリッヒ作品にいつも感じてきた、僕の表現で言うところの、「ほとんど事務的なまでの類型表現」っていう(笑)、その類型的表現を配してくるクセはですね、そうしたその作家的な作品の中でも、やっぱり残っていて。だから、商業的成功の代わりに作家的な方向に振れたら、じゃあ評価が高まったか?っていうと、そういうことも別にない、っていう。その『もうひとりのシェイクスピア』っていう作品もそうでしたし、特に『ストーンウォール』という作品はですね、製作費の一部を自己負担してまで作った、渾身の一作だったわけです。
要するに、ローランド・エメリッヒ自身がゲイであることを公表してて、そのゲイの解放運動の大きなきっかけとなった事件、ストーンウォール事件を映画化しているっていうことで、非常に気合が入った一作……にも関わらず、そのゲイ解放運動史上非常に重要な事件を扱うにあたって、架空の白人青年の、ありがちな成長譚に落とし込んでしまった、ということで。あるいは、その他の実在の重要な人物たちを、わりと、まさに「類型化した」キャラクターとして配置してしまったことで、かえって強い批判を集めてしまったわけです。せっかく作ったのに。
まあもちろん、その白人キャラクターを置いたのも、本人もそう語っていますけども、「いや、オレは白人のゲイだから、自分を投影する役を中心に置きたかったんだよね」って言っていて。まあ、それはそうかもしれないけど……っていうことなんですよね。で、その意味では今回の『ミッドウェイ』もですね、一見するとやはり、全体にかなり、類型的なキャラクター造型をしている作品には見えます。たとえば、エド・スクライン演じるディック・ベストという戦闘機パイロット。これ、ちなみに今回は、76年版のチャールトン・ヘストンが演じた役のような、要するに「全局面に絡んでくる架空のヒーロー」みたいな役柄はいないです。
このディック・ベストさんも実在の人物。全て実在の人物ですけど。このディック・ベスト、戦闘機パイロットね。さっき言った『リサージェンス』評でも指摘した通りの、「型破りな主人公ヒーロー」っていうね。もう何億回こういうキャラクターを見たんだよ?っていうような感じで登場はするわけです。最初は。で、あとはその主人公の、「銃後を支える気丈な奥さん」みたいな、そういう女性の描かれ方とか。あとはもう今回、ものの見事にアメリカ軍、ほぼ白人しかいないように見えたりとかね。
もちろんその、時代の実態がそうだったという……奥さんのあり方とかも、実際にそうだったから、っていう部分もあるにはせよ、全く古色蒼然たる意識で作られた、時代遅れな作品、という言い方も全然できてしまう部分はあるわけです。あとは、やっぱりそのエメリッヒらしいところで言いますと、序盤の真珠湾攻撃シーン、パール・ハーバーのシーンの、炎上する戦艦アリゾナから隣の船に綱渡りで渡るっていう……要はその、ものすごい大きな状況が起きている中で、エメリッヒ的な、「事務的なサービス感をもって作られる見せ場」っていうか。そういうのが出てきたりとかね。「ああ、エメリッヒっぽいな!」っていう。
ただこれ、僕は「うわあ、エメリッヒっぽい! また余計な、事務的な見せ場を盛って!」って思っていたら、これ、輸入ブルーレイについている音声解説を聞いたら、この場面は、実際にこういう風にアリゾナから綱渡りで渡った、というのはあったらしいんですね。まあ、それにしても、見せ場の作り方がなんかすごくやっぱり、エメリッヒ的な「取って付けたような感」(笑)、っていうのがあるのも否めないんですけど。
■奇妙に低体温な語り口、それが今回のテーマと合っている
ただ、僕はですね、本作、この『ミッドウェイ』は、単にその類型、今までのエメリッヒっぽいところだけの、類型感というところにはとどまらない……むしろ、そういうエメリッヒ的な類型描写に、後からわざわざ水を差すようなディテールを付け加えていることで、実はちゃんとバランスを取ろうとはしている、今までのエメリッヒ的類型から抜け出せそうとはしている。そしてそれが本作独特の、奇妙に低体温な、クールな味わいっていうか……妙に温度が低いんですよ、全体に。なんかホットにならない感じ。そこが僕は、独特の味わいになっていて、好ましいと思っているんですけども、その感じを醸し出してるように思いますね。
たとえば、さっき言ったディック・ベストというパイロット。当初は大変に威勢がいい、さっきから言っている「あえて無茶をやる」主人公ヒーロー、というタイプとして登場するわけですけど。彼が、その勢いで行動し続けてきた結果、途中ですね、とある事故が起きて。取り返しのつかない犠牲者を出してしまうわけです。彼のその、そういう無茶な振る舞いのせいで……「いや、大丈夫だよ! 行けるんだよ!」っていう振る舞いのせいで、犠牲者が出たように見える。
で、そこから先、彼のキャラクターから、楽天性のようなものがはっきり消えるわけですね。これね、やっぱりね、演じてるエド・スクラインがすごくよくて。見るからに変化していくわけです。で、体調も非常に悪くなっていくこともあって、要するに、どれだけ活躍、成果を挙げたような場面でも、要は「ヒャッホーッ!」みたいな爽快感がない。そういうテンションになっていかない。なんかしょんぼりしたキャラクターになっていく。そういうバランスになっているわけです。
で、これはエメリッヒ自身の意図的なものでもあったようで。各種インタビューでもですね、要は「やったぜ!的な描写を入れないようにした」って言っているわけです。要するに「結局、戦争には敗者しかいない」という発想で作られている、そういう認識で作られてる作品なので、たとえ成果を挙げたとしても、「やったー!」みたいなことをできるだけ入れないようにした、という。だから、たとえば他の部分でも、アーロン・エッカート演じるジミー・ドゥーリトル中佐。東京への最初の空襲をやったという。
で、東京の最初の空襲を成功させ、中国に着陸して、それで匿われる、というところでも、日本軍による報復の犠牲者というのを見てですね、ここで要は「うわっ、ジャップめ、許さん!」みたいな感じになってもおかしくない場面なのに、そこでこの作品はわざわざ、「我々が事態を悪化させてしまった……」っていう、自己反省をさせるわけです。つまりヒーロー的な類型、そういう活躍に、あえて水を差すような描写を、わざわざ後から付け加えている。
またですね、今回特に気を遣って描いていることは間違いない、日本側の描写も然りで。豊川悦司さんがたとえば……豊川悦司さんが本当に、意外なほどの貫禄で演じ切った山本五十六。たとえばそのドゥーリトルの東京空襲を受けて、「ああ、自分がその真珠湾攻撃を成功させたのはいいけれども、それが空襲を招いて、天皇陛下を危機にさらしてしまった」なんていう風に、自己反省をしているわけです。
ということで、とにかく各局面でのその軍事的な選択とか行動が、個人の人間の思惑を超えて、たとえばよかれと思ってやったことがこうなってしまったとか、あるいは意図せざる……ここは失敗に見えたけれども、実は後のこれに繋がっていくとか、次の事態へと連鎖していく、その連鎖の集積の先に、ミッドウェイ海戦の成り行きがある。でも、その要所要所にはやっぱり、個人の頑張りがあって、それが大局を変えることもある、というような。そういう視点で本作は基本、語られていて。それは実際に、この題材、ミッドウェイというものの語り口として、僕はとても的確だと思います。
■ミッドウェイ海戦は「見えない」戦い。全体を俯瞰して見ている者はいない
実際にミッドウェイ海戦というのは、敵同士の顔が、お互いに「見えない」戦いですよね。それこそ、艦隊同士は離れたところにいて、対峙とかはしていない。直接対峙はしていなかったりするし。もっと言えば、先ほど言ったその1976年版のチャールトン・ヘストンの演じた架空の役のように、全体像を同時に見渡せる視点を持ってる人、ってのはいないわけです。全ての場面に絡んでる人なんていないわけです。なので、要するに局地的な事の成否というのがあったとしても、それがたとえば「勝った!」的な、全面的なカタルシスには、そもそも繋がらないタイプの戦いなわけです、ミッドウェイは。
なので、だからその、全体を見渡せるキャラクターがいないから、レイトンというあのキャラクターを、わざわざディック・ベストに会わせるという、ちょっと物語的な「盛り」を作ったり。あとは、山本五十六と面識があったっていうのは、あれは事実だったりするんで。まあレイトンを、かろうじて各局面を見てる人にはしてるけども、そのレイトンでさえ、実際のところは、戦地にいるわけではないので……ということでございます。なのでラストも、戦闘で勝ったという、アメリカ側が完全に勝った場面なのに、それをどう描くかというと、通信が伝わって、人づてに伝わって、人づてに伝わって、ようやく、戦地とは全然関係ない場所、会議室で、「どうやら、うちら、勝った……みたいね?」ぐらいの温度感、ということです。
で、それはおそらくやっぱり、ミッドウェイ海戦というものの、実態に即したものでもあるわけですね。ミッドウェイというものを描く時に、僕はこの節度ある温度感というものは、非常に作品的にも好ましく感じます。誠実な描き方をしてるな、という風に思いますね。あとは、基本やっぱりそのセットとグリーンバック……戦闘などは本当にオールCGIで作ってます。ということから来る……まあものすごく壮麗で、絵画的な美しささえ感じさせるような、スペクタクル映像がすごかったりするし。
あるいは、何度か繰り返される、あの急降下爆撃シーン。あれ、あの編集のリズムの変化で、どんどんどんどんその急降下爆撃機が、「芯を食った一撃」に近づいていく感じ、っていうのを、うまく表現していて。これとかもすごく、やっぱり気持ちよかったりするんですけど。ただ、やっぱりその画として、ある種の「軽さ」がずっと全体に漂ってるっていうのも、ちょっと否めないかな、という気もします。ただですね、じゃあ作品全体が軽いかというと、ちゃんと題材にふさわしい重厚感はあるんですね。で、これは何から醸し出されるかっていうと、これはぶっちゃけ、俳優陣の顔なんですね、顔。
■俳優の顔力で増した重厚感と色気。日本俳優陣も良かった
戦闘機とか戦艦よりも、俳優の顔のが重い、っていうね(笑)。戦争映画、特に昔の、まさに「戦(いくさ)」を描く作品はですね、顔が重要ですね。顔力。その意味でウディ・ハレルソンとかデニス・クエイドの、リアルな軍歴さえ感じさせるような重み。これ、まさにやっぱり名優だな、という風に思いますし。さっき言ったエド・スクラインのね、好戦的ヒーローとして登場したにも関わらず、徐々に弱々しく痩せ細っていって、ちょっと死相すら浮かんでくる感じ。
僕は往年のクリストファー・ウォーケンすら、個人的には連想したぐらいですし。あとはあの、レイトンというのを演じるパトリック・ウィルソン……ちなみに、エメリッヒは、「学者(的なキャラクター)が好き」っていうね(笑)。「エメリッヒは学者が好き」の法則、これがあるわけですけども、(それを体現するかのような)パトリック・ウィルソンの非常に上品な色気。あるいはマクラスキー少佐を演じるルーク・エヴァンスの、成熟した色気というか、成熟した男の色気、豹っぽい色気。そのセクシーさとかも、素晴らしかったですし。
対する日本勢も、皆さんよかったです。トヨエツもよかったし、浅野忠信さんの、「現代的な」解釈の山口多聞も、僕はありだと思ったし。あとは、いろいろ損な役回りを常にやらされる南雲忠一中将を演じる、國村隼さん。これを國村隼さんが演じることで、一定の人間的な厚みが出てたように思います。
あえて言えばですね、やっぱりこれはアメリカ側の視点がね、どうしたって主になる作品で、これはないものねだりというものかもしれませんが……やっぱりミッドウェイ海戦の、その決定的勝敗を決める大きなファクターは、要は日本側の対応の混乱、というところ。そこから来るサスペンス描写。
これ、さっき言った東宝の『太平洋の嵐』とかだと当然、そこが盛り上がるポイントとして描かれてるんだけど。そこがやっぱりちょっと、描写が薄いため、そこのロジカルな面白みがあんまり見られない、っていうね。もっと言えば、作戦自体が元々はらんでいた矛盾、といった部分を、新たに作るミッドウェイ物であれば、入れ込めたんじゃないかな、と思います。それこそ今回も、メールにもありましたけど、あの南雲中将1人に失敗の責任をかぶせるようなバランスに、結局はなっちゃってるわけですね。
で、これはやっぱり、違う描き方が今ならできたんじゃないかな、と思います。そこはひょっとしたら、やはりエメリッヒの類型的語り口という、資質的限界がやっぱり出てるところなのかな、という気もしなくはない。それはちょっと高望みしすぎなのかもしれませんが……という気もしますが。ないものねだりかもしれませんが。
■見て、調べて、それも含めて戦記物の醍醐味。ミッドウェイ海戦入門にぜひ!
で、ですね、最後に、その輸入ブルーレイを観ていて確認した、その日本公開版からはカットされてる部分。時間にすると1分ない部分ですけど。最後の最後、あの登場人物たちがストップモーションになって、実際の写真が次々に出るところ。
山本五十六の後、ドゥーリトルの前に、実はですね、ドゥーリトルが中国で助けられるというシーンで、通訳を買って出たあの若い男の教師、いましたね。彼がなんか、牢屋に入れられていて。殴られた跡みたいなのがあって。そこに、逆光で日本兵が入ってきて。「お前の息子がこれを隠し持っていたぞ」っていう風に差し出したのは……つまり、これもある意味、ドゥーリトルの親切が裏目に出た、というね、そういう描写でもあるわけですけど。そこに字幕で、「日本軍はドゥーリトルに協力した報復として、中国の軍人、民間人、推定25万人を殺害した」という字幕がかぶるわけです。
これ、まあ要するに、いわゆる浙贛作戦という、要はドゥーリトルが着陸しようとした中国の飛行場を破壊する作戦。その過程で、日本軍がかなり多くの人たちを殺した。これは恐らく事実なわけですね。25万人というのは、当時のクレア・リー・シェンノートという将軍が報告していた数字に基づくもので、アメリカではこの数字が定説化しているっぽいんですけど。とにかく、僕の考えとしては、日本軍がその後ね、浙贛作戦で多くの人を殺した、というのも事実ではあるわけで。
僕の考えとしては、仮に日本では物議を醸すようなものが含まれていたとしても、黙ってカットするのではなく、ちゃんと説明をつけてでもいいから、やっぱりそこは公開しないと、なんか隠蔽っぽくなっちゃうっていうか。むしろ、やっぱりこの作品を見て、「実際はどうなのか?」って調べたりするところに、こういう戦記物の醍醐味とかがあったりするので。そういう意味ではこの『ミッドウェイ』、ここを入り口にいろいろと調べたくなるという、本当に入門編としては最適だと思いますし。
あと、最後はやっぱり、「この映画をミッドウェイで戦ったアメリカと日本の海兵たちに捧げる」っていう(言葉が出るが)、これはやっぱりね、アメリカ中心の作品として……パール・ハーバーまで描かれてる作品で、ここでやっぱり日本の海兵まで含む、というのは、かなりなフェア意識だと思います。ということで、ぜひぜひこれ、劇場で見て、いろんなここから先、ミッドウェイを……先ほどの私のおすすめ図書なんかも含めて、ここから調べるもよし、単純にこれを見てミッドウェイ海戦を知るという、入門編としてもよし、ということで。マネージャー小山内さんいわく、「こんなもん、映画館で観ないでどこで観るの?」という(笑)。たしかに、けだし名言。ぜひぜひ劇場で、ウォッチしてください!
(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『mid90s ミッドナインティーズ』です)
以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!◆TBSラジオ『アフター6ジャンクション』は毎週月-金の18:00~21:00の生放送。