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【映画評書き起こし】宇多丸、『バーフバリ 王の凱旋』を語る!(2018.1.13放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
「映画館ではいまも新作映画が公開されている。いったい誰が映画を見張るのか? いったい誰が映画をウォッチするのか? 映画ウォッチ“シヴァ神”、シネマンディアス宇多丸がいま立ち上がる。その名も週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

いや、本当に二部作を見終わるとね、「マジ、シヴァ神リスペクトっす!」っていうかね(笑)。本当に「ヒンドゥー教、ちょっと入っちゃおうかな?」ぐらいの、そんぐらいの心が沸いてくるぐらいでしたよね……もういきなり結論を言っているじゃないか(笑)。

毎週土曜、夜10時からTBSラジオをキーステーションに生放送している『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』、ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その“監視結果”を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『バーフバリ 王の凱旋』

(曲が流れる)

ヤバいなー、アガるなー! インド国内の歴代興行成績を塗り替えたアクションエンターテイメント超大作の後編です。インドの架空の古代王国を舞台に伝説の戦士「バーフバリ」を巡る三世代の愛と復讐の物語を壮大なスケールのアクションで描く。前編『伝説誕生』に引き続き監督を務めたのは、ハエが主人公という斬新なアイデアで日本でも話題になった『マッキー』の監督S・S・ラージャマウリさん。主人公のシヴドゥとその父バーフバリを演じたのはインドの国民的人気俳優プラバースさんということでございます(※宇多丸補足::後から説明する理由も含めて、少なくともこの作品以前は決してインド全土で知名度がある方というわけではなかったそうです)。

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■「見た人が『バーフバリ! バーフバリ!』ばかり口にしている」(byリスナー)

ということで、この『バーフバリ』。以前から日本でも非常に一部で話題になっておりましたが、もう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多め! 多めですか。なるほど。賛否の比率は絶賛が8割。

「血湧き肉躍る最高の映画体験」「完全にナーメテーター」「娯楽映画として完璧」「人生ベスト級」などのテンション高いメールのほか、「バーフバリ! バーフバリ!」と、あの民衆がこうやって称えるわけですけども……という風に書き連ねている人も続出。なにも書いていないというね(笑)。(『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の)「V8! V8!」に続く感じかもしれないですね。「イモーターン!」に続くね。あまりの衝撃に「娯楽映画ってなんだろう?」と考え込む人も少なからずいた。なるほど。

批判意見は「自分には合わない」「脚本がダメだった」など苦言を呈する人がわずかにいた程度ということでございます。ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。「もちこ」さん。「『バーフバリ 王の凱旋』を見てきました。見た人が『バーフバリ! バーフバリ!』ばかり口にするのでなんとなく縁起がよさそうだと思い、新年一発目の映画鑑賞でした」。縁起はいいやね。これはね。

「……見てみると、やはり私も『バーフバリ! バーフバリ!』と王を讃えるしかなく、王のぶっ飛び戦術(文字通りだいたい飛んでいる)の数々が脳に直撃するばかりで、『エンターテイメントとはなんだろう?』とぼんやり考えさせられました。その答えは出ませんが、セクハラ対応はあれぐらいでいいと思います」。ああ、はい。途中でセクハラ対応ね。「それじゃ足りない!」っていうところがトーン!ってありますけどね。

一方、ラジオネーム「オト」さん。「個人的にはいまいちでした」と。前編はご覧になってそれなりに楽しんだ感じみたいですね。なんだけども、「……脚本には正直がっかりです。前編を振りにした意外な展開もあるものの、結末が決まった長い回想を見せられただけに思えてしまいました」という。まあ非常に回想というか、前に戻る話が長い。「……期待していたラストでもなんの裏切りもなく、ただ一面的なおとぎ話で終わってしまい、前編・後編と長い時間見てきたことを後悔しました。周りの意見が絶賛の嵐のため、自分がおかしいのだろうか? と不安になってしまいました」。

まあ、後ほど言いますけども、非常に定型的なお約束の話を本当にやっているだけ、とも言えるっちゃあ言えるので。こういったご意見があるのも……海外の評とかでも、そういうひねりとかが全く無いので結末が見えていて、というようなご意見は当然あるようですからね。それもおかしくないんじゃないですかね。はい。ということで『バーフバリ 王の凱旋』を私も新宿ピカデリーで2回、見てまいりました。満席でしたね。めちゃめちゃ混んでいた。

■インド映画にとっての『七人の侍』

最初にちょっと訂正というかお詫びなんですけども、先週ガチャが当たった時に私、うっかりインド映画と言えば、という浅薄な思い込みから「ボリウッドの」みたいなことをうっかり口走ってしまいましたが、これは実は非常に恥ずかしい間違いで。「ボリウッド作品」というのは、ムンバイで製作されるヒンディー語映画群のことで(宇多丸註:放送では「ヒンズー語」とか言っちゃってました、重ねて申し訳ありません!)。まあ、これがいちばんインドの中では最もメジャーな映画群で、インドのハリウッドということでボリウッドなんて言われているんですけども。『バーフバリ』二部作はですね、ハイデラバードでつくられるテルグ語映画の括りなので、通称は「トリウッド映画」ということなんですね。

さらに、チェンナイでつくられる「コリウッド」っていう、この三大映画拠点がある。本当にインドは年間にめちゃくちゃいっぱい映画もつくられていますし、非常に質も高い映画王国であることはみなさん、ご存知だと思います。コリウッドはタミル語映画、ということらしいですけどね。まあとにかく、そういう初歩的な知識も先週までロクになかった程度には私、正直申し訳ございません、インド映画、ほぼほぼ門外漢でございます。なんだけど、そんな私でもはっきりとわかるのは……これは明らかにケタ違いでしょう! いろいろとインド映画がある中でも……もちろん、二部作あわせて映画大国インド映画史上でもぶっちぎりの製作費であるとか……まあ、つっても73.5億円ということなんで。で、実際に多分73.5億円かけても、これよりも全然ダメな映画になっちゃう例とかいくらでもあると思うんですけど。

とか、もちろんそのインド国内の歴代興行収入でもぶっちぎりの1位だとか、そういう結果を出している作品なんだけど、実際に映画を見てみれば全て、そういう「歴代1位」みたいなのは、「そりゃあそうでしょうね」って納得しかない、っていう感じなんですよね。ちょっと大げさな言い方かもしれないけど、僕、この『バーフバリ』二部作は、きっとインド映画にとっての『七人の侍』みたいな一本になっていくんじゃないかなっていう風に、大きく言えばそういう風に思ったぐらいです。っていうのはどういうことか?っていうと、つまり非常に強烈に、その国ならではのお国柄が刻印された作品なのは間違いないわけです。

■「何なんだこの無茶苦茶な面白さは?」

『七人の侍』も、チャンバラ映画、時代劇っていう、日本ならではの、戦国時代を舞台にした……っていうのはあるんだけど、同時に、世界中の誰がいつ見ても、圧倒的に面白い! と感じるに違いない、ものすごく普遍的な面白さ、普遍的な意味、価値を持つ、「これぞ映画だ!」っていう感じの一大娯楽作として、やがてこれは映画史に、「インド映画といえば『バーフバリ』」みたいな感じで、はっきりと名前を残すことになるんじゃないかな、と思うぐらい……非常に金がかかっているとか、大ヒットしたとか以上に、「大きな」存在感を持つ作品なんじゃないかな、という風に私は正直、思いました。

とにかく見ている間中ですね、「何なんだこの無茶苦茶な面白さは?」っていうね。無類の面白さ、至福の高揚感に包まれていましたし。見終わった後は、先ほどのメールにあった感じと同じで、「娯楽映画にとって『面白さ』って何なんだ?」っていうね、すごい本質論を考え始めてしまったぐらいですね。逆に言うと、いまちょっと大抵の、いわゆる娯楽超大作はもう、『バーフバリ』と比べると見劣りしちゃって。ちょっと分が悪い状態になっている感じかと思いますね。で、ですね、まずは前編『バーフバリ 伝説誕生』というのが、インド本国では2015年、日本では昨年、2017年4月に公開されて。こちら、すでにソフトも発売済みなんですね。

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で、続いてこの後編が、2016年の本当は夏に公開予定だったのが大幅に遅れて、2017年4月にインドでは公開されて、日本では去年の暮れに公開されて……というこの流れになるわけですけども。なのでインド本国では、前編から約2年も……あの前編の、非常にクリフハンガー的な、「どうなるんだ!?」って、あの前編のラストから、2年も待たされた。だからこそですね、先ほど僕は古川(耕)さんに教えて見せてもらった、今回の『王の凱旋』の最初に予告映像が流された……あれは何かのイベントなんでしょうね? 上から紙吹雪みたいなのがひっきりなしに落っこちてくるんですけども。そこでの観客の熱狂が、いまだかつてこんなに熱狂し続けている人たちは見たことがない(笑)っていう映像なんですけども。ぜひ、ちょっとネットとかで見れると思うんで。

ただ、それも納得です。これで2年待たされてあの映像を見せられたら、「ファーッ! アアアーッ!」ってなりますよね。で、もちろんこの前編の『伝説誕生』、そして後編の今回の『王の凱旋』の、2本でセットの作品なので、今日も概ね二部作トータルでの話になっていくとは思います。ですし、今回は劇場での上映前に、ちゃんと一応『伝説誕生』のとてもわかりやすいあらすじ、ダイジェスト解説がちゃんと付いてくる親切設計なので、もちろん『王の凱旋』からいきなり見に行っても、最低限お話は今回から見てもちゃんとわかるようにはなっています。

■「面白さ」に向けて非常に周到に精緻に構築された作品

なっているんだけど……実はやっぱりこの二部作、伏線の張り方とか、後ほどもちょっと言いますけども、細部が非常に繊細に呼応し合う作りとか、実はとても周到に、精緻に作られた、「面白さ」に向けて非常に周到に精緻に構築された作品でもある。だからこそ、ここまで無類に面白くなっているわけなんですけども。要するに、ただ豪快に、荒唐無稽なアクションを釣瓶撃ちするだけじゃなくて、ちゃんと周到にそれを積み重ねる作りが……作りが丁寧なんですよね。

なので、たとえばそれこそラストのラストのラスト。本当に文字通り最後の最後に映し出される「ある物」があるんですけど、これは前作をちゃんと見ていないと意味がわからない。逆に言うと、前作をちゃんと見ていれば、もう鳥肌が立つような……思わず立ち上がって拍手したくなるような感動を覚えることが必至の、あるものがありますので。そんなこんなも含めて、やっぱりできれば前作を見ておいた方が絶対にいい、ということは断言させていただきます。まあ、ソフトも出ていますので、ぜひ予習してから行っていただきたいんですが。

でね、そのラストのラストの仕掛け。実は前編『伝説誕生』のいちばん最初。オープニング部分ともしっかり呼応していて。最初、舞台となるこの架空の古代のインドの国々の、その地図が映し出される。まあ、『ロード・オブ・ザ・リング』とかでもあるようなやつですよね。最初に地図が映し出される。マヒシュマティ王国っていうのがいちばん地図の上の方にあって……要するに舞台の、この世界の空間感覚でいうと、いちばん奥にマヒシュマティ王国があって。その手前にクンタラ王国というちょっと小さな王国があって、その手前にもいろいろなものがあって、で、滝があって……っていうのを、要は川をどんどん下ってくる形で、まずド頭で地図を見せるわけです。

で、もちろんその時点では観客は誰一人、なんのことやらわからないんですね。もちろん架空の地図ですし、「○○国」って言われてもピンと来ないんだけど……っていうか、この前編『伝説誕生』の二幕目いっぱい、つまり全体の2/3以上までは、観客はその主人公のシヴドゥと同じく、概ねなんのことやらよくわからないまま冒険に出ている。なんのことかわからないまま、でもなんかワクワクする冒険に出ているという、そういう状態で来ているわけですよね。いちばんわかりやすいと思うので、これをたとえに出しますけども、『スター・ウォーズ』で言うと、前編の最初の2/3と後編のラスト1/3が『新たなる希望』で、前編の後ろ1/3と後編の頭の2/3がプリクエルになっている。だからプリクエルと『新たなる希望』が一緒に、ニコイチになっている。そういう構成だという風に思ってください。

■お話そのものはコッテコテで古典的

まあとにかくでもね、その最初の川を下る、というその地図の見せ方。要するに基本物語は、地図上で下ったこの川を、ずーっと、今度は遡っていく形で進んでいくわけです。で、さっきから言っているラストのラストで、カメラは再びもう1回、川下へ川下へ戻っていって……という。こういう川を軸にした世界の位置関係というのが、映画を見終わる頃には観客にしっかりと叩き込まれている。これは要するに、映画的な世界観みたいなのがビシッと最終的には出来上がっているというか。僕はこれ、すごく映画的な空間感覚だと思うんですよね。だって現実には全く存在しないんですよ。その奥に王国があって、川があって……って。なのに、僕らの頭にはもうその地図が出来上がるわけですね。

で、その「川を遡っていく」というこのお話の基本構造もそうなんですけど、世界三大叙事詩のひとつと言われる、インドの叙事詩『マハーバーラタ』からの影響はもちろんのこと……これはパンフレットに載っている、亜細亜大学教授の前川輝光さんという方の解説がとてもわかりやすい。『マハーバーラタ』からの影響……たとえば、とある悪役的なキャラクターが、最後、ケロッとした顔で残っている(笑)あたりも、実は『マハーバーラタ』イズムらしいんですよね。そういう話とかも非常に面白いんですけど。

そういう『マハーバーラタ』イズム。あるいは、『十戒』でも『プリンス・オブ・エジプト』でも『エクソダス 神と王』でもいいですけど、とにかくモーゼとラムセスのあの関係……一緒に育った王族の兄弟同士の関係を彷彿とさせるあたりとか、要するに「ザ・貴種流離譚っていうんですかね。「川を遡っていく」という物語の原型みたいな骨格もそうですし、話そのものも、ザ・貴種流離譚。世界中で大昔から、それこそ普遍的に、繰り返し繰り返し語り継がれてきた、神話的ストーリー。『スター・ウォーズ』だってもちろんそうですよね。最も古いヒーロー物の形、と言ってもいいかもしれませんけども。とにかくお話そのものは、本当にコッテコテに古典的です。いまどき珍しいぐらい、明白な勧善懲悪ですしね。

とはいえ、その悪役側の行動の動機というか、心理的動機みたいなものの描き方はすごくちゃんとやるので……要は、(今風のバランス感覚としての)「悪役側にも言い分があるぜ」とかじゃなくて、ちゃんと動機を描く。そうすると、勧善懲悪も全然成り立つ、っていうね、こういうあたりをやっているんですけども。まあ、とにかくお話は、コッテコテに古典的。「世代を超えた復讐」とか、あるいは「忠義に殉じる家臣」とかね。そして「控えおろう!」もありますし。あと、「姑と嫁の確執」とか(笑)、そういう昔から日本人が好んできたような……まあ、アジア人好みなのかな? わかんないけども。汎アジア的なというのかな? わからないけども、そういう要素も多いし。

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■これでもか!と投入されている映画的面白さのためのアイデア

ただし、封建的な身分制度――もちろんインドはカースト制がありますけども――封建的な身分制度や女性の扱いなど、ちゃんと現代の国際基準というか、現代の人権意識とかそういうコモンセンス、常識を意識したチューニングもちゃんとされているんです。これも後ほど、言いますけども。とにかくそういう古典的、神話的、つまるところ普遍的な物語構造の中に、古今東西の映画エンターテイメント……それこそバスター・キートンから香港武侠映画、『マッドマックス』から『300』、もちろん『ベン・ハー』とか、そしてその『ベン・ハー』的な馬で引っ張る戦車に、グルグル回る首チョンパマシンが付いているんだけど、あれなんか『カリギュラ』か?っていうぐらい、そのあたりまで含んだ、とにかく「映画における面白さとは何か?」っていうのを研究し尽し、考え尽くしたのであろう、要は映画的面白さのための仕掛け、アイデアが、これでもか! とばかりの質と量で投入されているわけです。

結果、「原始の映画であり、未来の映画」みたいな感じになっているのは、僕にとってはやっぱり、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』や、『アポカリプト』を連想するような作品でした。とにかく名場面、名ゼリフ、名ポーズが絶え間なく連発されていくんだけど……全部は言い切れないんだけど、たとえば夜、お屋敷というか、城の中の廊下。お姫様がいると、そこに敵軍の襲撃者たちがやって来ます。で、お姫様は、廊下を後ろにまっすぐ下がりながら、矢を射続ける。お姫様……本作に出てくる主要女性キャラクターは、1人残らず、自分で戦ってもちゃんと強いキャラクターですね。なんだけど、こうやってピュンピュンピュンピュン矢を射るんだけど、ついに廊下の終わりが背中に近づいてくる。すると、その後ろからヒュッと、姫の頬をかすめて、3本の矢がフーッと行く。そこに主人公のバーフバリが、ビョーンと決めポーズで登場する。

そしてですね、姫の背後の敵に、ちょっとその弓の角度を変えてポーンと放つと、3本の矢が姫の顔をフッとかすめるんですけど、その時に、姫のイヤリングをチリーンと鳴らす。それによって、姫の恋のときめき、いま、恋に落ちた!というのをピーンと表現しつつ……そしてここは事前にしっかり伏線が張ってあるのが本当に効いているところなんですけども、姫にですね、「複数の矢を放つ時の射方」をレクチャーしながらの、2人のコンビネーションでの戦い。つまり、ストーリー、感情とアクション、そして廊下という狭い縦の空間という舞台立て、そのすべてが完全に一致する名場面。この、「ストーリー、感情と、その空間の舞台立てと、アクションが一致する」ってこれ、「映画的面白さ」のキモですよね。それがすべて入っている、ということですよね。

これ、ラージャマウリ監督は、たとえば『マッキー』のクライマックスでも、やっぱりそういう舞台立ての活かし方が本当に上手い監督だな、という風に思いましたけどね。事程左様に、ひとつのシーン、ひとつの見せ場にも、何個も何個も、「その場ならでは」のアイデアが投入されている。たとえば雪山が舞台だったら、雪山ならではの戦い方とか、雪山ならではのアクションシーン。たとえば戦いの場面でも、コンビのうち片方が心ここにあらずだった場合は? とか。とにかく、同じようなアクションシーンはひとつもない。あるいは、誰かの首をはねるっていうところでも、首をはねられた人間の身体がその後……とか。かならず「もっと面白く、もっとかっこよくなる」1アイデアが加わっている、ということでございますね。

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■前の場面のリフレインのさせ方がめちゃめちゃうまい

しかもその直後、ブワーッて斬りかかろうとした相手の正体を、斬りかかろうとした瞬間に気づいた男……カッタッパという老剣士、これはいいキャラクターですよね。老剣士カッタッパがそこで取る、一度見たら忘れられない決めポーズ!とかですね(笑)。まあ、歌舞伎的とも言えるような、決めポーズのケレン味とかも最高ですし。そして、たとえば『王の凱旋』。今回の序盤の大見せ場。火鉢を頭に乗せてお参りに行く、という儀式のシーン。これ自体がもう本当に痛快無比、であると同時に、とっても工夫とアイデアが凝らされた、超絶楽しい見せ場なんですけども。超アガる場面なんだけど、これ、三幕目のクライマックスで、ちゃんとこの火の儀式がリフレインされるわけです。ここでまた来るか!っていう。

このようにですね、前の場面のリフレイン、呼応させ方もすごく上手くて。たとえば、「胸を刺す」っていう、後の恋人同士の駆け引きっていうね。この「胸を刺す」というアクション。あるいは、橋が落ちた状態で、ある同じ女性キャラクターが、どうやってそこを渡るか? で出る対比。自らその橋を渡る女性のもとに傅く真の王と、金ピカのハリボテでえばっている偽物の王の、この対比とかですね。そんな感じで、要は言うまでもなく、「前にあったこと、前にやったこと、前に見たことと、似ているけど違う」あるいは「違うけど似ている」というこのリフレイン、これもまた「映画的面白さ」の大きなキモで。この使い方がめちゃめちゃ上手い、とかですね。

あと、映画的面白さ、楽しさという意味では、インド映画の特徴としてしばしば語られる、ミュージカルの要素。これもいっぱい入っているわけです。ただ、この『バーフバリ』の場合は、歌のシーンはすべて、「手際よく物語を先に進めるため」か、もしくは「登場人物の心理を、説明のための説明ではなく、楽しく面白く説明するため」に使われている。とにかく、ミュージカルシーンなんだけどストーリーが止まらない……どころか、ストーリーをよりテンポよく前に進めるための機能を果たしていたりする。なので、インド映画的でありながら、よりユニバーサルな観客に受けやすいつくりにもなっている、ということだと思うんですよね。

■巨大なセット、膨大なエキストラ。圧巻のスケール!

ちなみにそのね、たとえば野に下ったバーフバリが、やっぱり真の王っぷりを証明してしまう下りを、ミュージカルというか歌劇スタイル、歌に乗せて見せていくんだけど、ここなんかね、尊敬される為政者・リーダーというのはどうあるべきか?っていうのを、これ以上ないほどのシンプルさで、しかも本質を表現しきっていて、本当に感動する。なので、王政の話なんだけど、ちゃんと現代的な民主主義とか人権意識を見据えたメッセージまで、全体に含んでいるわけですよ。これも本当に見事なあたりですしね。はい。

あと、とにかくあのね、「(言わずと知れた映画史上最大級の超巨編)『イントレランス』かよ!」って言いたくなるぐらいの、巨大なセット、膨大なエキストラなど、単純にスペクタクルとして圧巻のスケール、というのもまずありますし。一方、それを補完するCGとかVFXは……もちろんインドは世界的に、CG、VFXは非常に(技術的に優れているのが知られていて)、工房としてハリウッドの依頼を受けてやっているくらいなので、もう技術は十分にあるわけですけど、これはインド映画の特徴でもあるらしいんだけど、リアリティーというよりは、ケレン味を強調する表現として、特化して使っているわけです。

なので、特に今回の『バーフバリ』みたいに、リアリティーラインに終始ブレがない……最初から超人的な人物が登場する、ちょっと現実から浮いているような、神話的なリアリティーである作品。この作品二作に(そのリアリティーの基準が)一貫しているので、どんだけ荒唐無稽なことが起こっても、まったく問題がないようにちゃんと見せているし、ちゃんと楽しいっていうかね。「ああ、映画ってやっぱり、こんぐらい大風呂敷を広げてくれてもいいよね」っていうものにちゃんとなっている。ここがね、リアリティーラインがブレるとダサくなるんだけどね。

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■いまやっているどの映画よりも「面白い」!!

あえて日本人的感性との違和感で言えば、主人公の父子二代とも女性への接近の仕方が、超ストーカーチックっていう(笑)。特に息子の方、マヘンドラ・バーフバリさんの、「勝手にタトゥーを描く」は、結構キてると思うんですけど(笑)。でもまあ、それもある種ちょっと、神話的な無茶さ感という風にちゃんと取れる物語でもありますし。あるいはまあ、ひょっとしたら南インドの方の、ある種の気風っていうかね、やっぱり男がある種、積極的に行くべき、という気風があるのかもしれないですけどね。まあこれは全然楽しめる。それよりも、『バーフバリ』のこの二部作、決定的な欠点がひとつあります……短い!(笑) ねえ。

特に我々がいま見ている、国際編集版ですかね? 日本で公開されている国際編集版は、元のテルグ語版、オリジナル版が171分あるのに対して、30分近く短いわけですけど。ぶっちゃけ見ていると途中、変なところでブツッと切れるような編集が何ヶ所かあって。ご覧になれば違和感を抱くであろうところが、何ヶ所かあると思うんです。171分、もう僕らは全然長いとは感じないんで(笑)、よろしくお願いします。フルで! 「えっ? っていうか、他のフッテージがあるなら全然見たいんですけど」っていう、そういう状態になっていると思います。

S・S・ラージャマウリ監督作、過去作も本当にすごく面白かったですし。僕、全然明るくなかったけど、やっぱりインド映画、これからちゃんと押さえなきゃダメだな、と思ったのと同時に、ただまだ見ていない方、やっぱりそのインド映画的な……たとえば『ムトゥ踊るマハラジャ』とかを我々が最初に見た時、もちろん面白いし驚いたけど、ああいうちょっとキッチュなもの、「ちょっとしたチープさとかそういうのも含んでの、キッチュなものとしての面白さなんでしょう?」っていう風に思っている人がいたら……。

あと、「逆に」。「『逆に』こういうのもいいよね」みたいな……いや、「逆に」の逆だから! もうこんなストレートに面白く、血湧き肉躍る、ストレートなエンターテイメントをちゃんと……そう、「ちゃんと」つくっているんです。もう細かいところまで。そこなんです。

なので、偏見ある方はぜひそれを捨てて、いますぐに映画館に走ってください。間違いなく、いまやっているどの映画よりも「面白い」です! これは保証します。まずは前編から必ずね、見ていただきたいと思います。最後に言います。昨年のシネマランキング、やりましたけどね。昨年度で言うとどこに行くかというとね……1位でーす!(笑) はい。ということでぜひぜひ劇場に行ってください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『勝手にふるえてろ』 に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート>

シネマランキング1位『ドリーム』。で、心の1位が『ムーンライト』。で、チャンピオンが『バーフバリ』二部作!(笑)っていう感じですね。だから(2016年のランキングの)『クリード』枠だと思ってください。チャンピオンです。チャンピオン枠『バーフバリ』!

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!


【映画評書き起こし】宇多丸、『勝手にふるえてろ』を語る!(2018.1.20放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『勝手にふるえてろ』

(黒猫チェルシー『ベイビーユー』が流れる)

終わった瞬間にね、「ニ(に)」を演じている渡辺大知さんがボーカルの、この黒猫チェルシーの曲が流れ出して。ちょっとニ側の、男側の心情の歌詞っぽい感じで終わるのもなんか、そこで(本編から視点が)反転するのも、ちょっといいなと思いましたけどね。

ということで、芥川賞作家、綿矢りささんの同名小説を実写映画化。恋愛経験のないOL「ヨシカ」が10年間脳内恋愛を続けている中学時代の同級生「イチ」と、突然告白してきた職場の同僚、通称「ニ」ね──これね、ちゃんと名前がある人なんですよ!っていうあたりも最後に出てきますけどね──の間で悩み、暴走するさまを描くラブコメディー。

主人公のヨシカを演じるのは、今作が初主演作となる松岡茉優。イチを演じるのは若手俳優・北村匠海さん。そしてニを、ロックバンド黒猫チェルシーのボーカル、渡辺大知が演じている。監督は松岡茉優とは三度目のタッグとなる……いろいろと、オムニバスのやつとか、TUBEのミュージックビデオとか諸々でタッグを組んで。で、今回の作品が三度目のタッグとなる、大九明子さんでございます。

勝手にふるえてろ (文春文庫) 勝手にふるえてろ (文春文庫)

 

■「これは私だ!(顔面を除いて)」(byリスナー)

ということで、この『勝手にふるえてろ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)を、メールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多い! 先週の『バーフバリ』に引き続き、大量に到着しております。非常にハマッている人がめちゃめちゃ多い作品ということは聞いておりましたが、多い。

そして賛否の比率は、もちろん「賛」が9割。熱気があるということですね。

「これは、私だ! 顔面を除いて、ほぼ完全に私だ!」(ラジオネーム「マルバ」さん)というように、主人公ヨシカに自分を重ね、「これは私の映画だ!」とそのまま自分語りを始める長文メールが多数到着。「お前の話じゃねえか!」っていうね(笑)。まあ、それがいいんですけどね。そういうのね。

また、「松岡茉優をずっと眺めていられるのは幸せ。しかし、体験としては地獄」(ラジオネーム「イタ」さん)など、そのイタさ……ヨシカさんというキャラクターが、いろいろとイタい言動を取るという、そのイタさに悶絶している人も多かった。女性からの投稿が目立ったが、しかし男性からの共感メールも多数、ということでございます。一方、否定的意見は「キャラクターが嫌い」「前半と後半のギャップがなくてつまらない」などがちらほらございました。代表的なところをご紹介いたしましょう。

東京都の30代女性から。「やっと出てきた。よくいる普通の女性がちゃんと描けている邦画。こういう作品をずっと待っていたんです。最高の“ボンクラ処女”映画でした。イチへの感情や突発的な行動の数々は全く理解できないものの、愛好するものに対して果てしない執着を見せたり、上司に『フレディ』とあだ名をつけたり……」。あそこでね、ドンドンターン!ってね(クイーン『We Will Rock You』の有名なビートパターンをヨシカが机で叩いてみせる)。あそこ、笑っちゃいますけどね。

「……腹が立った時に『ファック! ファック! ファック!』と絶叫したり。『タモリ倶楽部があるから飲み会に行きたくない』とか、同性の女の子をかわいいと思う気持ちとか。これ! 私たちの日常、まさにこれ! 非リア充のオタ女子とくくられがちなヨシカというキャラクターですが、友達が多くても、彼氏と上手く行っていても、普通の女の人ってだいたいこんな感じなので血肉の通った人間がちゃんと描かれていると感動しました。いままで邦画を見てきて、せめて1人ぐらいリアリティーのある普通の女性キャラがいてもいいのにな……と不満に思っていたストレス全てを吹き飛ばしてくれました。大九監督も松岡さんもすごい! ありがとう! こういう映画が見たかったよ!」という感想でございます。

では、ちょっとダメだったという方。「ねこまた」さん。「『勝手にふるえてろ』を見てきました。正直、退屈に感じてしまいました。妄想と現実を行き来する話なのでそれが爆発してすごいものが見れるのでは? と期待したのですが、それがなかったのが残念です。たしかに松岡茉優さんの演技にハッとさせられる瞬間もあったのですが、正直テンポが悪いのでだんだんどうでもよくなってしまいました」というご意見でございました。ありがとうございます。

■「松岡茉優最強なんじゃねえか?」説

『勝手にふるえてろ』、私もヒューマントラストシネマ渋谷で2回、見てまいりました。非常に入っていましたね。これまで当コーナーでも、たとえば2016年5月14日に評しました『ちはやふる-下の句-』での大好演……これね、2016年度のこの番組のシネマランキングの途中でやる「ゴールデンタマデミー賞」のベストガール部門、こちらを勝手に捧げさせていただきましたし。そこから改めてさかのぼっての、2012年9月15日に評しました『桐島、部活やめるってよ』。大名作ですけども、あの『桐島、部活やめるってよ』全体のクオリティーアップ……あの緊張感ね。ちょっとイヤな感じが、ずーっと、ピーンと張っているという緊張感。あの全体のクオリティーアップにも、大きく貢献していたのではないか? という……とにかく松岡茉優さんはすごい! というのは、ちょいちょいこの番組でも言及してまいりました。

しかもそんな、若手実力派女優ナンバーワン!的な立場でありながら、同時に、ハードコアなモーニング娘。のファンであったり、バラエティー的なしゃべりのセンスも異常にバツグンだったり。そういう意味でも我々的にはもう、「松岡茉優最強なんじゃねえか?」説が定説となりつつあったのが昨今……と、言わねばならぬのが現状。こういう感じだったんですけど。そんな中での、満を持しての初主演映画という。まあ、意外にもと言うべきか、やっぱりちょっと脇を固める感じでいままでは(彼女もキャリアを重ねてきたので)……それでもすごく強烈に印象を残す、という感じでやってこられた松岡茉優さん。意外にも初主演映画。

■「宇多丸、マジ神!」って言ってほしい

そしてそれがまさに松岡茉優さんの実力と魅力全開! な、逆に言うともはや彼女主演以外はちょっと考えられない一本にしっかりなっている、というあたり。非常に素晴らしい初主演映画なんじゃないでしょうか。実際にね、主人公のヨシカというキャラクターはこれ、下手な人がキャスティングされていたら、まあそのこじらせ感とかイケてない感とか、そういうオタクな女の子感みたいなのを強調しようとするあまり、たとえばあざとさばかりが目立ってしまったり、あるいは本当にただ地味で共感しづらいだけのキャラクターになってしまったり、っていうことになってしまいかねないところを……これはやっぱり松岡茉優さんならではの、たとえばああいうさ、「は!?」「はあ?」みたいなさ、会話の中ににじみ出る絶妙に険悪な感じとか、とにかくちょっとしたセリフ回しの間とか表情で、豊かなニュアンスを表現できてしまう、あの技量とセンス。

と、同時に、やはり見るものを引きつけてやまない圧倒的なチャーム。まあ、要はストレートにしっかりかわいくもある、みたいな。それを両立させているという。まさに「今」の松岡茉優という優れた女優さんがいてこそのマジックが、今回の主人公ヨシカさんにはかかっているんじゃないか。だからこそ、強く観客の記憶に残る、本当に名キャラクターになっているんじゃないか、という風に思います。これ、元の綿矢りささんの原作小説……ちなみに綿矢りささんはね、この作中で「『タモリ倶楽部』、見るから」ってね(ヨシカが言うけども)。僕、奇しくも綿矢りささんと『タモリ倶楽部』の収録ではじめてお会いしているというね。同じ早稲田出身同士ということでね。そこにちょっとなんとなく勝手な、俺は個人的な因縁を感じてしまいますね。「オレ、『タモリ倶楽部』出てるけど!」みたいな。劇中のヨシカに自慢してみたくなってしまいましたけどね。「宇多丸、マジ神!」って言ってほしい、っていうね(笑)。

■ヨシカは「普通のいびつさ」を抱えた「普通の女性」

綿矢りささんのその原作小説の方は、基本は主人公の内面の独白でずっと進んでいくつくりなわけですね。で、ずっと主人公の内面で、思っていることが地の文で続いてくつくりだとよりはっきりするんですけど、この主人公のヨシカさん、たしかに自意識過剰で、いろいろとこじらせていて、物語の後半では、わりと言い訳不能の、まあちょっとした暴走っていうのをしてしまったりもするんですけど、僕は彼女を……これはさっきの30代女性の方のメールと同じで、僕も、別にそこまで変な人、極端に変な人っていうわけじゃなくて、ある意味誰でもこのぐらいの鬱屈や屈折、いびつさは抱えているものでもある、特に20代半ばぐらいならこれぐらいの右往左往、七転八倒はしていて当然、という風に思いました。だから「いや、これは普通の女性ですよ」っていう風に僕は思った。

むしろ先ほどのメールにもあった通りだけど、そういう「普通にいびつ」ぐらいの女性というか、「普通ぐらいのいびつさを抱えた普通の女性」みたいなものこそ、エンターテイメントの中で、特に日本映画の中ではなかなか描かれる機会がなかった、ということは、本当に確かにそうかもしれません。で、それをエンターテイメントに落とし込むことこそが難しいのかもしれませんけどね。まあとにかく、わりと実はヨシカさんは普通の人だという風に僕は思う。

ただ、今回の映画版では、脚本・監督の大九明子さんという方が、さっき言った原作小説の内面の独白というのを、映画でそのまま……たとえば、普通に内面のモノローグをナレーションで流す、そういうやり方も当然ありますよね。(ただそういう風に)思っていることをナレーションで流す、みたいにやってもオイシくない、それだと綿矢りささんの小説だと活きる言葉のキレみたいなのがちょっと軽くなる、安くなっちゃうんじゃないか、みたいに(大九さんは)判断して。それでどうしたかっていうと、小説でやっている内面の独白を、まとめてヨシカさんが……特に映画前半部における、「ヨシカが街の人たちにひっきりなしに話しかける会話」というのに置き換えているわけです。

で、さらに中盤には、あるどんでん返し的な仕掛けがあって。で、そこから始まる、やはりかなり大胆な映画的演出が用意されていたりして。要は、このヨシカさんというキャラクターが、原作よりも若干エキセントリックな人に見える、ということを含め、映画的にかなりハジけた、ポップなアレンジを施している、ということだと思います。そして、それによって後半、彼女が後生大事に守り続けてきた内面と、現実っていうのの否応なしの軋轢というのが、より痛々しく際立つような感じになっているという。僕はこれはやっぱり大九明子さん、その原作小説の見事な「映画化」、まさにアダプテーションの仕方として、見事に成し遂げているなという風に思いました。

■大九明子にとってぶれいくするーとなる一本

この大九さんの作品、僕は過去作すべてを拝見してるわけじゃないんですけども……ガッキーの『恋するマドリ』とかを撮ったりしていますけども、このタイミングで遅まきながらいくつか拝見した中では特に、長編映画としてはこの前作にあたる『でーれーガールズ』。2015年の作品『でーれーガールズ』っていうのが、言っちゃえばこれ、見てみたら完全に日本版『サニー 永遠の仲間たち』だなって思いました。『サニー 永遠の仲間たち』はこの番組では2012年7月7日に評させていただきましたけど、そんな話だった。まあ、過去の自分と現在の自分。で、その現在の自分が過去の、特に非常に仲がよかった友人との思い出にある意味、ケリをつけていくという。それが並行して語られていくという話。

あとですね、その「妄想に逃避してきた少女が、現実の異性とはじめて対峙することになって……」とか、その日常と妄想がシームレスに映像的に表現されている感じとか、あとはもちろん女の子同士のちょっとヒリヒリした友情のあり方とか、いろんな意味で今回の『勝手にふるえてろ』と、非常に通底するものが多く感じられる『でーれーガールズ』。非常に胸にしみる良作でございました。これ、機会があったらぜひ見ていただきたいと思います。この機会に見れてとてもよかったです。

ただ、今回の『勝手にふるえてろ』はですね、大九明子さんの監督デビュー作『意外と死なない』という1999年の作品。これ、ソフト化もされていなくて、僕、申し訳ない、すごく見たかったんだけど、見れてないんです。不勉強で申し訳ない。劇中、セリフでもね、「意外と死なない」ってセルフ引用的に出てきましたけど。その『意外と死なない』にも通じるものがある、とご本人がおっしゃっているぐらいなんですけどね。

ともかく、これまでのフィルモグラフィーの中でも本当に、いままでの商業作品の中でも好き放題、いきいきと暴れまわってる感が明らかで。本当に一皮むけた、ブレイクスルー的な一本になっているんじゃないでしょうか。なのでまあ、これだけいろいろと評判を呼んでいるんじゃないかと。

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■ステレオタイプに陥っていないスタイリング演出

いろいろと語り口、切り口はある作品なんでしょうけども、僕がすごく印象に残って、素晴らしいなと思った部分。たとえばこの主人公のヨシカさんが着ている服ひとつを見ても……要はヨシカさんは、ちゃんとおしゃれでかわいくて。つまり、こじらせ女子、オタクっぽい女子だからって、「投げた人」ではない。わかります? 僕の表現で言う「投げた人」。格好に気を使ってないとか、そういう人ではなくて。要はちゃんと自分の世界、価値観を持っている人で、っていうのが描かれている。「オタク女子だからこういう感じでしょ?」っていう感じじゃなくて、ちゃんとかわいい、おしゃれとかもちゃんとしている人として描いている。これは好ましいと思ったし。

ただ同時に、たとえばそのヨシカさん、おしゃれはしているんですよ。しているんだけど、足元が何度か映されるんだけど、基本やる気ない時は、やっぱりちょっと靴をね、汚く、だらしなく履いている。このあたり……やっぱりそういうところで、おしゃれもしているし、投げているわけじゃないけど、なんか根本のところでゆるい、なにか自分に甘い感じがする、とかね。自分を律しきれてない感じのあたりとか。あと、そんな彼女がついに、さっきまでモカシンをだらしなくボヨーンと履いていた人が、ついにピカピカのパンプスをまさに「装備」して。意気揚々と出かけていく局面。それがついにだから、キターッ! と。ピカピカのパンプス……彼女にとっての、やっぱりお姫様なんでしょうね。ピシッとして出かけていく局面がキターッ! というその高揚感。

それをその靴の対比で示しているし。と同時に、なおかつ、あのピカピカのパンプスを履いて出かけて行ったその日。帰ってきた時の彼女の痛々しいこと……。あんなに意気揚々と出かけて行ったのに、っていうあたり。これ、でも誰でもあると思うんですよね。出かける時は「今日は人生の最良の1日になるぞ!」って出かけた日に、ドヨ~ンとして帰ってくる、とかね。

■ディテール全体を通した演出が非常にフレッシュ!

あともうひとつ、さっきの「そんなに異常だとは思わない」っていうのは、中学の時とかにさ、好きだった子をずーっと10年間想い続けて……それはもちろん褒められた精神状態じゃないんだけど……オレなんかあれですよ、中高6年間男子校だったから、小学校の時に好きだった子の、その(記憶にある)瞬間とかしかねえんだから! あと、予備校でちょっとすれ違った子に、プリントを渡した瞬間にニコッと……ニヤリかもしんねえけど。笑ったその瞬間(の記憶)を、膨らますしかねえんだから! しょうがねえだろ! だから、すごい分かるんですよ。

で、まあとにかくさ、そういうあたりとか。あと、デートなんだけど、「お前、部屋着の上にコートを羽織っただけだよな?」とか(笑)、そういう感じ。やる気がない時との差がすごい激しい感じとか……とにかくヨシカさんの、その着る服とか履く靴とか、そういうディテール全体、セリフとかストーリーだけじゃなくて、ディテール全体を通した演出が、とにかく細やかだし、楽しい。たとえば、ある文房具を使った、非常にフレッシュな心理描写であるとか。それもよかったですね。で、そういう周りの演出がきっちりできているからこそ、これはおそらく大九明子さん、もともとは人力舎でお笑いをプロとしてやられていた方なだけに、やはりセリフの応酬……ちょっとした間とか、ニュアンス豊かなセリフの応酬の醍醐味。これがやっぱりすごく生きてくるあたりですよね。

■笑える会話の応酬の中にテーマとリンクした仕掛けも

もちろん松岡茉優さん、さっき言った通り、言ってみればバラエティー、お笑い的なセンス、スキルもバツグンだから。ちょっとしたセリフ回しだけで、爆笑の名ゼリフが満載ですよね。「はい、出た。正直~!」(笑)。でも「はい、出た。正直~!」で爆笑しながら、「私、それ大嫌い!」っていう叫びに、なんか笑いながらも「あっ、イタい……わかるわかる」っていう感じもあって、たまらないあたりですけども。こんな感じで、実はそういう笑えるセリフの1個1個にも、ちゃんとお話と、もっと言えば作品のテーマとリンクした重みが1個1個仕掛けられているあたり。非常に見事な脚色だと思いますし。

たとえば最後の言い合いのシーン。言い合い a.k.a 「はじめての真正面からのコミュニケーション」シーンとかね。要は、二という、彼女がまあ、好かれてはいるけど、見下げてきた男が言う、意外と真っ当なコミュニケーション倫理の話とか。実はとっても大事な、いい話をしているっていう感じだと思うんですよね。で、ここから次第に浮き上がってくる、その「自分と話しているみたい」だから好き、っていう好きになり方と、「わからないことだらけ」だから好き、っていう好きになり方。この「好き」の2つの対比っていうのも、非常に鮮やかに、ここでまた浮かび上がってくるし。

で、ちゃんとね、ここに来てしっかりそれなりに(二が)かっこよく見え始める。それまでは、「悪いやつじゃないんだろうけど、まあね、好きじゃないものは無理ですよ」っていう感じが、ものすごい説得力で体現できている黒猫チェルシーのボーカルの渡辺大知さん。これ、本当にこれ以上ないほど、つまり「二」感っていうかね。「悪い人じゃないし、この人から好かれていることそのものはありがたく思いますが、でも恋愛はできない」っていう感じ。でも最後にちゃんと、非常に真っ当に向き合うことで、「あっ、こいつなら心の玄関に一歩入れても……?」って。しかもね、家に絶対に(他人を)入れなかった人が、家に人を入れることで「心の結界が崩れる」感覚。私ね、詳しくは言いませんけどもね、そういう感覚を味わったことありますから。まあ、主にピエール瀧さんに無理やり入られた(笑)っていうことなんですけども(※宇多丸註:『小島慶子キラキラ』時代に起こった“宇多丸邸襲撃事件”のこと。詳しくはWEBで!)。という感じですよね。

■過去を振り返って見てはじめて分かる「見え方のズレ」

まあ、あえて言えば、この二にまつわる描写で僕が1個だけ気になったのは、エレベーターに無理やり乗ってきちゃうところ。あそこだけは、彼がちょっと、現実離れしすぎちゃったコミカルさっていうか……たしかにでもね、あそこはイチと二とヨシカさんが唯一一堂に会する3ショットのところだから、ぜひその3ショットの面白さを見せたかった、っていうのもあるだろうから、わかるんだけど……っていうのはありますけどね。まあでも、シーンとしては爆笑でしたね。やおらリップクリームを塗りだすくだりとか、本当に最高なんですけど。そのね、イチくんを演じる北村匠海くんの、本当にミステリアスな感じ……なんだけど、そこからの残酷な逆転感とかも(良かった)。ちなみに彼のあの学生時代の感じ、僕はBase Ball Bearの小出祐介くんそっくりだ、という風に思いましたけどね。

だから小出くんみたいに、自意識としてはどっちかと言うとそういうこじらせ系の人も、こっちから見れば王子に見えるかもしれない。だからその、要は人それぞれ、人の見方っていうのがズレがあるというあたりね。「俺、だって学生時代、いじめられてたじゃん?」。そのあたりもすごいね、過去振り返りあるあるっていうか、過去を振り返ることによって、わからなかった何かが浮かび上がってくるとかの(描写)も、すごく見事だなという風に思いました。これは、やっぱり綿矢さんの小説にある部分ですけどもね。

■見終わった後、登場人物たちの人生を語り合いたくなる映画

あと、映画的な部分で言うと、女子社員たちが、昼食をとった後なんですかね? 仮眠を取る場面っていうのが2回ぐらい出てきますよね。その場面の、これは原作にも出てくる場面なんだけど、大九明子さんは、眠る女性社員たちっていうのをとても愛おしく、きれいに……会社という、言っちゃえば男社会だったりするんでしょうかね、そんな社会の中で、ちゃんとがんばっている女の子たちが、いっとき息を抜いて眠っている。静かな、静寂が訪れて。でもそこでそれぞれのスマホの目覚ましがブ~ン……ッて鳴り出して、起き上がって、また立ち上がって外に出ていく、っていう。あそこをすごく愛おしく撮っている感じとかが、とっても大九明子さんの、『でーれーガールズ』とかにも感じた、女性映画というか、女の子映画の撮り手としての素晴らしい目線というのを感じましたね。

いろいろとね、ヨシカの言動に言いたいことが出てくるところも含めて、最高。俺に言わせれば、「そんなお前、10年会ってないんだったらこのぐらいは覚悟しておけよ! チャンスじゃねえか! こっから積み上げていけばいいじゃないか!」とか文句を言いたくなる(※宇多丸補足:もちろん、ヨシカにとってイチはやはりあくまで理想のなかで輝いていてほしかった存在なのであって、実際には当然他のみんなと同じく、そういう現実的なコミュニケーションの積み重ねが必要な対象だった、というのが判明してしまったこと自体が、ヨシカにとっては文字通りの“幻滅”だったのでしょう……というようなフォローを入れる時間が放送中はなかったので、この場を借りて)。

(そうやって)見終わった後に、「あそこさ……」「いやいや、でもそこは……」とかいろいろと言いたくなる感じも含めて、本当に見終わった後に、実際の人物の人生を語り合うように語りたくなるような、たしかに「これは私の話だ!」といって大切な作品となる人がいっぱいいるのもわかる、大変に素晴らしい作品でした。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ガーディアンズ』 に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート 起こし>

『勝手にふるえてろ』ね、あの音響のすごい繊細な演出……たとえばピンポンの音の使い方とか、音響が繊細なあたりとか、いろいろと触れることもしたかったんですけども。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

【映画評書き起こし】宇多丸、『ガーディアンズ』を語る!(2018.1.27放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:

ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『ガーディアンズ』

(曲が流れる)

「謎多き大国ロシア生まれの」……って、これはギャガさんの宣伝文句に入っていて。ちょっと失礼だろ?っていう気もするんだけども(笑)。そんな「謎多き大国ロシア生まれの」SFアクションエンターテイメント。冷戦下のソビエトで遺伝子操作によって特殊な能力を身につけた4人の超人が、50年後、ロシア崩壊を企むマッド・サイエンティストの野望に立ち向かう。監督はヘイデン・クリステンセンとエイドリアン・ブロディ主演で『セントルイス銀行強盗』をリメイクした『クライム・スピード』という作品を撮った、サリク・アンドレアシアンという方でございます。

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■「終始ツッコミを入れたくなるような映画」(byリスナー)

ということで、この『ガーディアンズ』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。

メールの量は、「普通」。でもなんか、そんなに公開規模が大きくないのにね。それで「普通」は、結構健闘している方じゃないですかね? で、賛否の比率ですが……残念! 普通、もしくは否定的感想が8割ということでございます。「どこかで見たような設定とキャラクターばかり。それ以上のものがない」「ストーリーも設定もツッコミどころ満載」などが主な意見。ごくわずかに「わかりやすい。なにも考えずに見られてよかった」などポジティブな感想もございました。ただ、まあそんなに激怒してたりする人もあまりいないということですけどね。

代表的なところ。ラジオネーム「ゴリランド」さん。「新しいロシアの映画という感じがしてとてもよかったです。背景にソ連があり、主人公たちもロシアらしい多様さ。炎上するモスクワの風景。惜しみない戦車の行進。隠れロシア好きとしてはこれでもか! という“らしさ”の詰め込みに大変満足して楽しませてもらいました。なによりわかりやすいのがいい。これなら子供でも、誰にでもわかると少し興奮してしまいました」ということでございます。ねえ。僕はちょっと逆に難解に感じたぐらいなんですけどね(笑)。

あと、この方。「ケイマル」さん。20代男性。「この映画は終始ツッコミを入れたくなるような映画でした。恵まれた能力から繰り出されるクソみたいな戦術の数々。ラストに近づくにつれて不思議と心を開きだすメンバーたち。その他、強引な展開。ラストに関しては逆に大爆笑でした。そんな感じで最後までリアリティラインのハードルが幼いとさえ感じさせるほど低く、この幼さは長編ドラえもん映画や戦隊ヒーロー物の特撮に匹敵します。子供の目しか騙せないだろうと思いました。ロシア版『アベンジャーズ』とか言われていたから期待していたんですけど、思い切り肩すかしを食らった気分です」。「幼い」っていうのはたしかにちょっと言い得て妙かもしれませんね。

■ロシアのエンターテイメント大作が見られのはありがたいことだけど……

はい。ということでさっそく行きましょう。『ガーディアンズ』。私も池袋シネマ・ロサで2回、見てまいりました。まあロシア製のエンターテイメント映画というと、当コーナーでは去年の4月27日に評しました、あれはアメリカとロシアの合作ですけども、『ハードコア(Hardcore Henry)』がありました。あれは創意工夫が凝らされた、なかなか楽しい作品だったわけです。まあ、ロシア製エンターテイメントはなかなか侮れないんじゃないか? なんて思っていたんですけど。今回のロシア産スーパーヒーローチーム物『ガーディアンズ』はどうか? と言いますと……これ、「総製作費3億ルーブル」っていうんですけど。まあ、もちろん向こう、ロシアの方の物価差とかあるでしょうから単純に比較はできないんでしょうけど、3億ルーブル、日本円にすると6億円弱なんですよ。別にそんなバカ高い製作費でつくられたっていうわけじゃないっていうね。

まあ、ロシア本国では興行収入が初登場1位ということなんですけども……結論からサクッと言ってしまいます。もちろんこういうね、ロシアのエンターテイメント大作を見られる機会があるということは、とってもありがたいことでございます。なので、せっかく配給してくれたギャガさんにはすいません、大変申し訳ないんですが……僕は正直、見終わった後、「誰だよ、これ! ムービーウォッチメンの枠に入れたのよおっ!」ってちょっとなってしまったぐらい、久々にこれ、文句なしのポンコツ映画!(笑) 文句なしのポンコツ映画が来ちゃいました、っていう感じだと思いますね。これに比べれば、2017年7月29日に評しました『パワーレンジャー』とかは、結構な傑作だった!と思えてくるぐらいですね。

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■ロシアのヒットメイカー、サリク・アンドレアシアン監督

監督のサリク・アンドレアシアンさんという方。これ、パンフにもほとんどあんまり情報が載っていないような方なんですが。まあ、アルメニア出身の1988年生まれ。結構まだお若い。まだ30才ぐらい。20代前半から、主にコメディー映画でずっとヒットを飛ばしてきて、若くしてロシア映画界の本当にトップのヒットメーカーになった、成功を収めてきた方なんですね。なんだけど、日本ではソフトになっているような作品があまり多くなくて。僕もこのタイミングで過去作は3本しか見られていないんですけど。その中では、『グラウンドブレイク 都市壊滅』という邦題がついている、英語タイトルはシンプルに『Earthquake(地震)』っていうね、2016年の作品があるんですけど、これはよかった。

これ、彼の出身地であるアルメニアでまさに1988年。つまり彼が生まれた年、1988年12月7日に起こった超巨大地震で、すごく被害がいっぱい出たんですけど。その地震と、その後の数日を描いた作品で。なので、やっぱりサリク・アンドレアシアンさん、さすがに思い入れとか気合いが違うということなのか、非常にこれは力作になっております。特にですね、地震描写のところ。要はアルメニアで、古い建物が多いせいか、わりとすぐに建物が次々と全倒壊していっちゃうというような描写があって。都市部でさ、超高層ビルでガラスがバリーン! とかは結構ディザスター・ムービーで見たことがあると思いますけども、アルメニアならではの、地震の被害が深刻化してしまうような感じが、結構映画の中の地震描写としても、なかなか見たことがないショッキングさがあって、非常に見応えがありました。

一応このね、『Earthquake(邦題:グラウンドブレイク)』は、アカデミー賞外国語映画賞の候補として、アルメニア代表として提出されたというぐらいで。サリク・アンドレアシアンさんのフィルモグラフィーの中では、結構例外的に批評的な評価も高い、という作品だということらしいです。ただですね、このサリク・アンドレアシアンさんという方は、ちょっと演出がところどころ……よく言えば淡白。悪く言えば、「えっ、そこはそんな感じでサラッと流しちゃうんだ?」「えっ、そこはちゃんと見せないんだ?」みたいな感じで……時折「ん? いまなにが起こったの?」レベルで、本来ならしっかり見せるべきところをちゃんと見せていなかったり、あるいは異様にフワーッとした感じで軽く流してしまったりとか、そういうちょっと、先ほどのメールにもありましたけど、肩透かしを食らわしてくるような癖がちょいちょいある人なんですよ、このサリクさんは。

で、それはですね、先ほど言った『グラウンドブレイク』でも実はちょいちょい出てくるところですし。あとはアメリカで、さっき言ったヘイデン・クリステンセン、エイドリアン・ブロディ、あと『ワイルド・スピード』シリーズでおなじみジョーダナ・ブリュースター主演で撮った邦題『クライム・スピード』、2014年の作品。原題は『American Heist』という作品でも、やっぱりこの癖はちょっとあってですね。はっきり言えば、決して「上手い」人とは言いがたいかな、という感じ。そういうところが多い監督なんですよね。

ひょっとすると、VFX、CGとかの絡め方などに通じている、みたいなところで、ことロシア映画界では、重宝されているところがひょっとしたらあるかもしれない。『グラウンドブレイク』とかでは、それがよく出た方だと思うんだけど。ただ、このタリクさんは、それにしては画的なケレン味、パッとキメ画で見せるみたいな、そういう押しの強さにもいまいち欠けるところがあって……少なくとも僕が見た範囲では、そんな感じのサリク・アンドレアシアン監督作。で、これでさらに脚本がよくないと、当然のごとく、本当に目も当てられないことになってしまいがち、ということなんですよ。演出、そんなに上手くない。脚本、ひどい。よくなるわけがない!っていうことなんですけども。「うーん!」ってやつですね。

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■明らかにポンコツな脚本

で、残念ながら今回の『ガーディアンズ』。このサリク・アンドレアシアン監督、さっきも言った『グラウンドブレイク』という作品と同じ2016年……結構この人、特に最近はすごく作品を作るペースが上がっていて、2017年ももう1個、たぶんアートワークを見ると恋愛映画風の作品だと思いますけども、そういうのも撮られていて。2016年は2本撮っていて、さっきの『グラウンドブレイク』ともう1本、邦題『キル・オア・ダイ 究極のデス・ゲーム』っていう。これは英題は『Mafia』っていうタイトルがついているんですけど……これ、要するに死のゲームを放送するテレビ番組があるディストピアSF。『バトルランナー』とか『デス・レース2000』とか、まあなんでもいいですけど、まあまあ、よくあるような感じのディストピアSFなんですけど。

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その『キル・オア・ダイ』と同じアンドレイ・ガブリーロフさんという方が、今回の『ガーディアンズ』も脚本を手掛けているんですけども……まずこのアンドレイさんの脚本が、すいません。明らかにポンコツすぎる!っていうことですね。この人の脚本がまず悪い。『キル・オア・ダイ』っていうね、その作品なんかは本当に全編それなんですけど。たとえばとにかく、ハナから無理くりな設定をね……まずそもそも設定に若干無理くりがあるのに、それをさらに無理くりな理屈の後出しジャンケン的セリフで、ひたすらクドクドクドクド説明を続けるという、そういう場面が多いんですよ。

というだけなので、要はもともと無理くりな設定を、 無理くりな理屈の後出しジャンケン的説明セリフで、ずーっと説明されるから……「1から10まで全く飲み込めねえよ! 説得力ゼロだよ!」みたいな(笑)。その一方では、「そこはそんなにあっさり済ますのかよ!」っていう……要は、「雑な急展開で、かろうじて話が前に進んでいく」(笑)みたいな感じなんですよね。たとえば今回の『ガーディアンズ』はどうか? 順を追っていきますけども。まず最初にさ、AIで動く迎撃マシンみたいなの、出るじゃないですか。で、それが勝手に暴走しだして軍側の人をバーン!ってやっちゃうっていうんだけど。あれもさ、どのポイントから暴走して、どれが無人の乗り物で……とかすごいわかりづらい。やっぱり、あっさりしてるんですよ。

そこでさ、「いや、こんなはずは!」「ワーッ!」みたいなのがなくて、なんか「おい、いまなんかしたか?」「してません。(ドーン!)」みたいな感じだから。なんかね、よくわかんない。ぼんやりした感じになっちゃっているし。で、まあ超人チームを集めますと。まず、その超人チームができた経緯っていうのの説明を、非常に退屈な間延びした絵面でずーっと延々……イスに座って話しているおじさんの顔を、右とか左にカメラを振りながら、ずーっと説明が続くんですよ。俺、なんかゆりかごで揺られているみたいになって、だんだん眠くなってきちゃって(笑)。

■テンポも異常に悪いです

まず、その説明だけの絵面で見せるのはあんまり上手くないし。じゃあそいつらを探して集めましょう、っていうことになる。ここで、「ところで彼らのチーム名は?」っつって、タイトルがドーン! みたいに出るんですね。かっこいいつもりなんだろうけど、タイミングとか間とか諸々、あと「なんでここで出す?」とかも含めて、めっちゃかっこ悪い(笑)。たまらないものがある。っていうね。で、まあ「 まずは情報収集だ!」って言うんだけど、そこで「とにかく怪しい情報も集めて!」って言うんだけど、本当に都市伝説めいた与太話とかも……「○○で△△が目撃されたそうです!」みたいなさ、そういうのもフラットに伝えたりしてやっているのも、なんか笑っちゃうんだけど。

で、まあ各地に散らばった超人に再招集をかけにいく。これ、普通だったら、チーム集めのところだから、盛り上がるところじゃないですか。で、たとえばここで出てくる中で、ハンっていうキャラクター……している格好は『キャプテン・アメリカ』のバッキー風ですよね。バッキー風のルックスに、能力はフラッシュとかクイックシルバー的な「速く動く」というのに加えて、まあ『ルパン三世』の石川五エ門的な、なんでも斬っちゃう的な、そういうキャラクター。そのハン以外は、このメンバー集めのところ、「各人の特殊能力発揮に……なっているの、これ?」っていうような見せ方、微妙極まりない見せ方しかしてくれないわけです。

たとえば、クセニアっていう透明になる女性が、あれはサーカスなの? それともマジックショーなの? わかんないけどさ。バーン!って水に飛び込んで透明になりました、っていうんだけど、「これ透明(になる能力)となんの関係が……?」っていう。で、上からなんか金色のヒラヒラが飛んできて、身体について姿が見えだして、パチパチ~(拍手)とかやっているんだけど。その金色のヒラヒラの量が、すげー中途半端!(笑) なんか体にゴミがついちゃったぐらいの感じになっていて。何がやりたいの? みたいな。非常に微妙なことになっている。

で、そうやって能力発揮の描写としても微妙な上に、チーム加入にこの全員が、超絶あっさりOKを出しちゃう。「きっと私のためになると思う……OK!」みたいな感じで(笑)、全く盛り上がらないという。そのくせ、その各メンバーの過去へのわだかまりみたいなのを、これまたひたすら説明的なセリフで、感傷的なムードで語りだすくだりがいちいち挟み込まれたりして、はっきり言ってテンポ自体は、異常に悪いです。その語る場面とかも、カットカットとかの、いちいちカット尻が、「長えな、このカット!」みたいな。いちいち間延びしていたりする。

しかも、そこで語られたことが後のストーリーに有機的に絡んできたりはしないので、ただ単に過去を本当に「説明」しただけになっちゃって……僕はこういうのは「キャラクター描写」とは言わないと思います。で、その後もですね、チームとして最初の出動! かと思いきや、いきなり囚われの身になっちゃったり、返り討ちにあってしまったり……まあこれは百歩譲ってありにしましょう。これ、でもおかしいよね。囚われの身になって、さっきの透明になった女性を(かばおうとして)……「お前、なにを考えている? 魂胆は知らないがクセニアを巻き込むな! 記憶がないんだから!」っていうんだけど、いや、巻き込んだのはお前だよね?っていうね(笑)。まあ、そういう風にいちいちセリフがおかしなのがあります。

■敵も味方も互いの基地に出入り自由すぎ

で、まあいいんだけど、その囚われている場所がね、もう瞬時に特定された上に、「あそこに決まっている!」みたいなことを言って、行ったら本当にいて。で、結構スタスタと簡単に入り込めちゃう(笑)。で、牢屋にバリアが張ってあるんだけど、これは一応ギャグ扱いしてるけど、それにしてもいくらなんでも、これ以上ないぐらい簡単にそこが開いてしまう、という。一方その頃、味方の博士がいるラボがあるわけですけど、そこにも敵のクラトフというボスキャラが、やっぱりね、スタスタと入ってきちゃう(笑)。スタスタとこうやって入ってきて。要は、敵も味方も出入り自由すぎる!(笑)っていうね。そういう感じ。

で、そのクラトフっていう敵のボスが来て、装置をボカーン! と壊す。そこでもう、味方の博士も殺しちゃうのかな?って思ったら、装置をボカーン!って壊して煙がモクモク出てきて。で、その味方の博士はゲホゲホ言いながら、すごいゆっくりと床に寝転がりだす(笑)っていうね。画としても間抜けだし……何?っていう。あとね、最初に返り討ちされて半殺しの目にあうレアというキャラクター。いちばん頼り甲斐ある風のキャラクターなんですけど。で、ある意味瀕死の状態から、復活! 死にかけたと思ったら、復活!っていう場面のはずなんだけど、なんかこのレアさんね、いつの間にかその集団の後ろの方にね、あんまりピントも合わない状態で、いつの間にか後ろの方にいるっていう。で、こうやってなんか覗き込んでいたりね。全然盛り上がらない!(笑)

■この監督、スーパーヒーロー物に向いてなくね?

とにかく全てが淡白。あっさりしすぎ。そのくせクドクドクドクド説明セリフは長い。なのに、その説明があんまり上手くないから頭に入ってこない(笑)っていうね、もう恐ろしい事態になっているというね。で、このクラトフという敵のボスキャラ。付けている装置はウィップラッシュ風っていうのかな? しかも、レアが使う武器もウィップラッシュ風ですよね。まあ、それはいいんだけど。まあとにかくさ、ボスキャラがクローン兵士をいっぱいつくっちゃって。「こんなのがいっぱいつくられたら大変だ!」って思いきや、その兵士たちが普通に最弱の雑魚キャラで(笑)。もう存在感ゼロに限りなく近いっていうね。

で、まあ巨大なアンテナ塔をわざわざ運んで……って、ロシア軍はたぶんあのヘリコプターを攻撃すれば済む話じゃないか?っていう気がするんだけど(笑)。まあ運んで、なんで運ぶかっていうと、これを説明するセリフによれば、「衛星を操る高度を確保するために、別の高いタワーと組み合わせて使う」っていう言い方をしていましたよね? ところが、そこはさすがサリク・アンドレアシアンさん、さっきから言っているように、画としてまったく見せてくれないので、正直なんだかよくわからないんですよ。その「タワーを組み合わせて使う」っていうのがよくわからない。

とにかく、アンドレアシアンさんはちょっと、絵的なケレンっていうのに監督として決定的に欠けている人で。それって、アメコミっていうか、スーパーヒーロー物にはそもそも向いてなくね?っていう感じなんですよね。あと、市民が全然出てこない、とかね。まあ、予算の関係もあるんでしょうけど。とにかく、例によって敵がなんか天に向かってボーン!って発射したら世界はおしまいだ! みたいな、まあそんな話。よくあるやつです。ただ、ここにタイムリミットとかがまったく設定されないので、途中で主人公たちがやおら新装備の訓練とかを始めだすくだりとか、「ええと……いまどのぐらい切迫した事態なのかな?」っていうのがね(笑)、すごく気がそがれることこの上ないっていうね。

■「力を合わせて戦う」って、そういうこと?

まあとにかく、そこに乗り込んでいって阻止をするという、そういうクライマックスですよ。なんだけどここね、アルススさんという、要はハルクロケット・ラクーンを足したようなキャラクターだと思ってください。熊ちゃんです。で、これが半人半獣だったのが、ついに完全に熊化! ここはね、ロシア版スーパーヒーローらしさ、という意味ではいちばんアガるところ。の、はずなんですけど……たとえばね、完全に獣化してしまって制御不能、その前のところでその懸念をセリフで言っているわけですよ。「俺が完全に獣化してしまったらどうしよう?」とか言っているんだけど……姿は熊ちゃん化してウワーッ!ってなるんだけど、別にそんなハルク的な「制御不能です! 味方も大変だ!」みたいなのが、何もないんですよ。さっきのクドクド言っていたセリフ、なんだったの? みたいな。

しかもですね、この熊ちゃん。熊ちゃんになる瞬間、ズボンがビビビッ!って破ける。まあ、これはいいとしましょう。ところがまた半人半獣になった時、またズボンをはいているんですよ。替えのズボンを持っていたっていうことなんですかね? で、またビビビッ!って破けて、(後で半人半獣に戻ったら)また穿いているんですよ。脱いだり穿いたり、脱いだり穿いたり(笑)。こういう設定を、つまりしっかり描く気がないっていうか。どうでもいいところかもしれないけど、こういうところの理屈をちゃんとつけてくれないと、スーパーヒーローはダメじゃないですか。なんでズボンが脱げて……もう毎回裸になっちゃう、とかでもいいんだけどさ。ちゃんとやっていない。

で、結局各々の力を適材適所で活かしたチームワークでの戦い方も、ちょっとしかしてくれない。あえて言えば、透明女クセニアがレアという人の手を握ってあげて、透明にしてあげてバン!っていうのは……ただ、「触ったものも透明になる」ってどういうご都合主義的新機能だよ?っていうのもありますけどね。で、たしかにチームワークでの戦い方。最後、クライマックス。たしかに力を合わせて戦うは戦うんですけど……本当にここだけ急に唐突に、「元気玉」みたいな技を出すんですよ。急に「オラに力をくれ!」みたいなことをやりだして。急にですよ? ここだけ、急になんですよ。だから、「力を合わせるって、そういうこと!?」みたいな。ねえ。敵もやられたっていうんだけど、あれは単に物理的に落っこちただけにしか見えないんですけど、っていうことになっちゃっている。

で、『アベンジャーズ』のエンディング風の、まあ橋の上かなんかに立っていて三々五々解散していくという、『アベンジャーズ』エンディング周りのパクりのエンディング。からの、今後の新展開をちょっと示唆するような場面がある。なんだけど、これさ、マーベルとかDCと違うのは、原作コミックとかがあるわけじゃあないから。新たな固有名詞を出されても……「○○が指示を出しているらしい」とかやっているんだけど、新たな固有名詞を出されても、全員が「えっ、誰?」っていうね(笑)、ことにしかならないということだと思います。

■唯一の長所は……「短い!」

まあいろいろね、苦言を呈してきましたけど、この作品は1個、長所があります。短い!っていうことですね。89分。ただ、僕はそれでも結構苦痛に感じました。みなさんは「わかりやすい、わかりやすい」って言っていますけど、あまりにもポンコツな脚本すぎて、僕には難解でした(笑)。「あれっ? なんでこの人がいまここに来ているんだ?」みたいなね。キャラクター、アイデアともに新鮮味は特にないし、見せ方、語り口も上手くない。あえていえば熊ちゃんがかわいい、とは言えるかもしれないけど。マーベル、DC映画と比べるよりも、ずーっと実写版『ガッチャマン』に近いところにいる作品だと思います。

ただまあ、その幼い、拙い感じがかわいい、っていう風に見れる心の広さがあればいいのかな……なんか今回はみなさん、メールを読んでいても「ああ、みんななんか優しいんだな」っていう風に思いました。えー、今年のワースト候補でーす(笑)。ぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画はキャスリン・ビグロー監督の最新作『デトロイト』 に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

【映画評書き起こし】宇多丸、『デトロイト』を語る!(2018.2.3放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『デトロイト』

(曲が流れる)

1967年、ミシガン州デトロイトで起こった暴動と、その最中に発生した白人警官による黒人たちへの不当な尋問や殺人の模様を緊張感あふれるタッチで描いた社会派ドラマ。監督は『ハート・ロッカー』『ゼロ・ダーク・サーティ』のキャスリン・ビグロー。出演は『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』などのジョン・ボイエガ、『リトル・ランボーズ』のウィル・ポールター、『ストレイト・アウタ・コンプトン』でイージー・E役を演じたジェイソン・ミッチェルなど、ということでございます。

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■「いきなり今年ベスト候補が来た!」

ということで、この『デトロイト』をもう見たというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多め。非常に評価も高いし、注目作ということなんでしょうかね。多めでございます。賛否の比率は「賛」(褒めている人)が9割以上。非常に高評価です。「辛い、怖い、後味悪い。でも、決して目をそらしてはいけない傑作」「黒人差別が描かれているが、しかし決していまの日本でも無縁ではない普遍的なテーマを描いた作品」と評価する声。「今年ナンバーワン候補」との声が多い。ごくわずかながら、「あまりにも淡々と始まるので盛り上がらず」「黒人青年たちは警察に尋問されながら、なぜ真相を言わなかったのか? そこが疑問で話に入り込めなかった」という声もありました。

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「いーちゃん」さん。「『デトロイト』、見てきました。噂に違わず凄まじい映画でした。終始動きまくるカメラと当時の映像が挟まれることで、当時の本物の暴動を見ているような気分を味わいました。そしてそれによってえぐり出されるのは黒人への差別問題もそうですが、圧倒的マジョリティーが力のないマイノリティーを暴力で押さえつけるという、いまでも繰り返されているものでした。ジョン・ボイエガは映画秘宝のインタビューで、『いまの時代は当時と何も変わっていない』と語っていました。たしかにその通りですね。年間ベスト級です」という。本当に実際にね、丸腰の黒人の青年を警察が撃ち殺しちゃって、それで無罪になっちゃうって、全然いまでも、いまだに散々繰り返されていることですからね。

イマイチだったという方。「ユニバーサル・ソルジャー」さん。「『デトロイト』をウォッチしてきました。なんだか悲しいのですが、微妙でした。というのは、なにかが起こりそう、怖いという、いわゆる“予感の描写”が物足りなかったように感じたからです。ゼロだったとは言いませんが、その描写が十分になされることはなく事態が悪化していくので、映画的になにか事件が起こる必然みたいなものを感じることができませんでした。一応当時の社会情勢は説明はされるのですが……」というようなことですかね。はい。

ということで『デトロイト』、私も実は週刊文春の別冊ムック、『週刊文春エンタ!』というので星取表をやっていまして。それで結構いち早く拝見しておりました。そしてさらにTOHOシネマズ日比谷シャンテで、このタイミングで見て。計3回ぐらいは見ていますね。いきなりもう結論から言えば……先週『ガーディアンズ』評の締めで、「今年のワースト候補、来ちゃいました」なんてちょっとおちゃらけて言っちゃいましたけど、その翌週に、今度はいきなり今年ベスト候補が来た!っていう感じだと思いますね。キャスリン・ビグロー監督、これまでも……僕の表現で言うならば、「極限状況下の、異常な緊張状態の中、いつの間にか一線を越えてしまう者たち」。自分でも気づかぬうちに一線を越えてしまう者たちっていうのを、キャスリン・ビグロー、これを一貫して描いてきたと思うんですけど。

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■“豪腕監督”キャスリン・ビグローの文句なしの最高傑作!

豪腕監督キャスリン・ビグロー。特に、今回も脚本・製作を手掛けているマーク・ボールさんと組んでの、『ハート・ロッカー』(2008年)――この番組でも散々因縁はございますが(笑)――『ハート・ロッカー』(2008年)。そして、この番組では結局ガチャは当たらなかったんですけど、『ゼロ・ダーク・サーティ』(2012年)。これ、素晴らしかったですね。『ハート・ロッカー』よりもさらに素晴らしくなっていた『ゼロ・ダーク・サーティ』と、とにかく観客の神経を逆なでするような、ヒリヒリしたテンションの社会派路線。マーク・ボールさんと組んでの路線で、なにかひとつキャスリン・ビグロー、完全に掴んだ感じっていうか、このところ、本当にグイグイと作品クオリティーを上げてきた、という感じなんですけども。

まあ、その延長線上ですね。『ハート・ロッカー』『ゼロ・ダーク・サーティ』と、どんどんよくなっているその延長線上で、ついに圧倒的な、文句なしの最高傑作をキャスリン・ビグローが叩き出してきた、という感じだと思います。キャスリン・ビグローの、間違いなく最高傑作だと思います。さっそく、順を追って本題の方に行きたいんで。みなさんにこの作品の凄まじさ、そして奥深さを僕なりにお伝えできればなと思いますが。

まずこの映画、ちょっと構成が変わっているんですよね。本題、メインの、いちばん重量が置かれている話は、1967年、アメリカ史上最大級と言われるデトロイト暴動、その最中に起こって、結局歴史の闇に埋もれてしまっていた「アルジェ・モーテル事件」という……これ、どんだけ埋もれていたか?っていうと、キャスリン・ビグロー自身もこの映画の脚本を持ち込まれるまでは知らなかった、というぐらい。そのアルジェ・モーテル事件がメインで。

■断片的な描写の積み重ねでデトロイト暴動を俯瞰的に語る

で、これ、今回の映画の宣伝コピーにも「衝撃の40分を目撃せよ」なんてある通り、そのアルジェ・モーテルの中、つまり非常に閉鎖的な空間の中でネチネチと繰り広げられる、「尋問」という名の拷問や嫌がらせ、そして殺人……ちなみにこの尋問描写っていうのはやっぱり、『ゼロ・ダーク・サーティ』の前半部で、本当に磨き上げられた尋問描写っていうのがあるんですけどね。まあ尋問という名の拷問や嫌がらせ、そして殺人。その地獄のような一夜を、延々と描く40分間。これが144分あるこの本作のメインとなる、本題の部分なわけですね。ただ、この『デトロイト』という映画は、その核心部分にいきなり入っていかない。要は、時代の状況説明だけサッとすまして、いきなりアルジェ・モーテルのところから始めて、後日、裁判でこういうことになりました、ってあっさりと済ますこともできるんだけど、そうではなくて。

結構まず、出だしにたっぷりと尺を取って。まずはその、巨大な暴動が起きるに至った経緯、さらにそれが収拾がつかない事態へとどんどん泥沼化していってしまう様っていうのを……まず最初にアニメーションで、一通りの、言ってみれば海外の観客向けっていうのもあるかもしれないですけどね、何もわかっていない人にも、アメリカの黒人が都市部でどのような扱いを受けてきたのか、っていう歴史をまず、大前提のところをアニメで見せて。そこから、実際のニュース映像や記録映像などとほとんどシームレスに……要は、ニュース映像や記録映像とあんまり質感的に差がないような感じで、シームレスに(新たに撮った映像と現実の画が)お互い挟み込まれるというか、交互に見せられるような、要はものすごくドキュメンタリー的な、徹底したリアリズムで(暴動が泥沼化してゆく過程が)描かれる。

しかも、視点を固定しない。つまり、「この人が主役で、この人の視点で進みますよ」っていうようなところが、序盤は固定されない。言い換えると「非物語的」な、物語的ではない、ぶつ切りの、断片的な情景の積み重ねで、このデトロイト暴動という状況全体を、俯瞰的に描き出していく、という感じですね。で、このあたり、ケン・ローチとかポール・グリーングラス監督作、あとは『ハート・ロッカー』もそうですけども、などで知られる撮影監督バリー・アクロイドさん。この撮影監督十八番のドキュメンタリックなタッチと、これ編集のウィリアム・ゴールデンバーグさん。これがいい仕事しましたね。この2人の見事な仕事ぶりが、まず最初に光るあたりなんですけども。

 

■俯瞰的な前半から限定空間の後半へ

で、とにかくそうやって、序盤は特定の主人公の視点……つまり物語的な流れっていうのが、少なくとも観客にははっきり見えないまま、しかしデトロイト暴動っていうのがリアルタイムで進行しているまさにその時代、その場所にいるかのような、圧倒的に生々しい空気感、それをまずはたっぷりと観客は体感させられるわけですね。で、その物語的な流れがあると、やっぱり僕らは「ああ、お話だな。フィクションだな」って思って見ちゃいますけど、現実ね、いろいろとあちこちでなんか不穏な事態がどんどん起こって、デカくなっている時っていうのは、そういう「流れ」とかないじゃないですか。断片的にニュースが入ってきて、「こうなりました、こうなりました」って。で、いつの間にかちょっとなんか取り返しがつかないんだけど……っていう感じになっていくという、その現実の感じを体感させられる。

で、その断片的なエピソードの積み重ねの中から、次第に、何人か主要な登場人物らしきものが固定されてゆき、それがあるポイントから一気に、メインの舞台となるアルジェ・モーテルというその一点に……だから、全体を俯瞰的に、固定しない視点でずーっと広く撮っている、事態全体を俯瞰する視点から、だんだん次第に一点の、ものすごい限定的な空間に集約されていくという、そういう構成になっているわけです。で、観客はそこに至るまでに、すでにたっぷりと1967年デトロイトの「空気」。この「空気」っていうのは、もちろん空気感っていうのもそうだし、「磁場」「力学」って言ってもいいかもしれない。つまり、1967年のデトロイトでは警察っていうのはこういうものなんだとか、そういうものを我々は散々、その「空気」を吸わされた後なので、その事件の当事者たち各人の立場とか心情が、まるでその場にいるかのように生々しく理解できる、ということだと思います。

だから、こういう事態の中でこういう考え方をする警官なら、こういう行動はたしかに取りかねない、とか、そういう状況の中で生きている黒人のこういう立場の青年だったら、こういうリアクションを取りかねない、っていうのが、やっぱり生々しく理解できる、ということになっているわけです。で、とにかく序盤。どの方向に話が向かっているのか、観客にはよくわからないままの時間が結構続くという。オープニング近く、序盤の、結構これは大胆な、リスキーな構成とも言えると思うんですけども。(実際にこの作品を)見れば、これが大変な効果を上げているということ、みなさんもよくわかるんじゃないかと思います。

■無造作に見える序盤にも、実は……

さらに、非常に上手いなと思うのは、先ほどから「序盤は断片的、非物語的な情景・エピソードの積み重ね」って言ってますけど、実はその中にも、後にアルジェ・モーテル事件で行われる、異常な、非道な行為っていうのに重なるというか、連なっていくような……本質としてはやっぱり同じことがあちこちで起こっているんじゃないか? というような、後の事件を予告するような描写が、巧みに織り込まれているあたり。ここが本当に上手い。ただのドキュメンタリックな、散文的なものじゃないんですよね。

たとえば冒頭。暴動のきっかけとなってしまう、非合法酒場にガサ入れが入るわけですけど、そのガサ入れのシーンでも、もうすでに後のアルジェ・モーテルで行われることを彷彿とさせる、ちょっと卑劣な脅しのテクニック……「こうやってビビらせてやるんだ」っていう脅しのテクニックが出てきますし。そもそも警察側にも、「とはいえこれは、あんまり大っぴらにやっちゃマズいことだよな」っていう意識があった上での強権行使っていう……事の本質に関わる描写ですよね。要するに、「いや、表でやるとちょっと見られちゃうんで……」って。見られちゃマズいことを警察がやっている、っていうことなんですよね。これ、事の本質に関わるところが、しっかり冒頭でまず出てきます。

あるいは、「治安維持」という名の下に起こる……実は統治する側も恐怖に駆られているからこその、見境のない暴力行使。そしてその結果として、罪なき被害者が出てしまうというこの構図。これがそれこそ、本当に瓦礫でいっぱいの街の中で、こうやって戦車が一緒にガーッて走っていって、で、ちょっと子供が窓から覗いたら、「狙撃だ!(バババババーンッ!)」……これ、それこそイラク戦争から何から、あちこちの「戦場」……これはアメリカ国内の「戦場」が舞台ですけど、世界中の戦場だったり紛争地帯、なんでもいいですけど、あちこちで繰り返され続けてきた、そして繰り返されているそういう情景として(我々観客の目に映る)。しかもこれが、ショッキングなまでの素っ気なさで挟み込まれているわけです。あそこで「ダダダーンッ!」ってやって、見ている側は「うわっ、ひどい!」ってなる。でも、その件がどうなったとかは、何もなしで過ぎていっちゃう。

ということで、とにかく一見無造作に見える序盤のドキュメンタリックなパートにも、実は作品全体につながるテーマとか問題提起が巧みに織り込まれている、というあたり。非常に上手いですよね。ということで、たっぷりかけてセッティングを……ヒリヒリした空気と、ちょっと不安な気持ちで見ていて、「いったいこの話はどこに向かっているんだろう?」って思っているうちに、気がつくと、主要登場人物たちが実はそのアルジェ・モーテルで一堂に会していて。でも、それこそ淡々と進んでいますから。そこで惨劇が起こるとはよもや思っていないような状態の中で、(しかし実は主要登場人物たちが)一堂に会したところで、あるポイントから、その「衝撃の40分」的なものが始まってくるわけですけども。

 

■キャスリン・ビグロー監督の鬼演出が生み出した「げっそり感」

ここからはですね……まさにその(恐ろしい事態が)始まる直前。先ほどの紹介でも言いました、『ストレイト・アウタ・コンプトン』のイージー・E役でも本当に素晴らしかったジェイソン・ミッチェル演じる、カールというまあチンピラが、とっても彼がわかりやすく演じてみせ、説明してくれていた通りに……彼が要するに、白人の女の子が「なんで黒人はそんな暴力に訴えるのよ?」って言ったのに対して、「なんでかって?」ということで説明してみせるあたり。要は、「アメリカで黒人として生きるということの恐怖」。ひいては、こういうことですね。「権力から常に銃を突きつけられ、疑われ監視され、管理される側の恐怖」というものを……彼はそれをちょっとふざけて演じてみせるわけですけども。彼が、「こうやって警官は脅すんだ。こうやってやられたら、どういう気持ちがすると思うんだ?」って。それがまさに繰り返されるわけです。その後でね。観客の我々も、まさにその場にいる当事者のように味わされることになるわけです。本当にいたたまれない40分が起こる。

これ、本当にホラー的と言ってもいいような描写も優れていて。たとえば、途中ね、音楽グループ、ドラマティックスに関わっている2人の若者が、ちょっと混乱に乗じて逃げようとする。で、逃げようとするんだけど、こっちに行っても人が入ってきちゃう、こっちに行って、こうやってドアに行こうとしたら、そっちにも人が来る……ここ、ワンカットでずーっと見せるわけですけど、このワンカットのホラー描写としての秀逸さとか、超一級の演出が堪能できるわけですけどね。で、まあ廊下に並ばされた容疑者というか、まあ全然本人たちは悪くない人たちが並べられて。で、さっきも言ったように、尋問という名の拷問、嫌がらせを受けるわけですけど。

このあたり、『ハート・ロッカー』以降のキャスリン・ビグロー演出は全部こうらしいんですけど、複数のカメラを同時に回して……今回の『デトロイト』という作品だと、このアルジェ・モーテルのセット内全部に照明を隙なく当てて、要はやたらとカットを割らずに、俳優たちに持続的に、ずーっと自由に演技を続けさせて、リアルで、そして濃密な空気感というのを演出していく、というスタイルらしいんですけど。これ、当然演者にはものすごい大きな心理的、そして肉体的負担がかかる演出ですよね。ただまあ、本作のような、要するに見る側もげっそりさせるような心理的負担を醸し出すべき作品としては、これは非常に、明らかにプラスな演出。鬼演出ですけどね、プラスになっているんじゃないかと思います。

 

■キャストも全員最高!

特に、最大の憎まれ役であることは間違いない、「クラウス」という白人警官を演じるウィル・ポールターさん。これ、イギリス人の方で、『リトル・ランボーズ』のね、あの少年ですね。『リトル・ランボーズ』とか、『メイズ・ランナー』シリーズとか。あと『レヴェナント』でもちょっと小憎らしい男を演じていましたけど、わりと悪役で人気が出つつあるウィル・ポールターさん。この人なんか、だから役を演じ続けるのが辛くなりすぎて、途中で泣き崩れてしまったっていうことがあるぐらい。ただ、そのウィル・ポールターさん、苦労の甲斐あって、これは完全に彼、助演男優賞を結構とるんじゃないかな?っていうぐらいの、本当に最低最悪の卑劣なレイシスト(人種差別主義者)っていうのを、見事に好演していると思います。

あの顔立ちの幼さ、そしてそこに宿るある種の……要するに本人はなんか使命感みたいなのに駆られてるっぽいっていうか、ある種の純粋さと、それと裏腹な狡猾さ、そして人の話を聞かない狭量さというのかな、みたいなものを完全に体現しきっている。そういう人にしか見えない、というね、ちょっとウィル・ポールターさん、恨みを買わないか心配になるぐらいの見事な悪役ぶりでしたけども。警官チーム、どれも本当に素晴らしかったですね。フリンという、前髪がピョロンと垂れてたあのベン・オトゥールの、白人のあの女の子たちにちょっと言い寄る場面のキモさとか。あとデメンズという、これを演じているジャック・レイナー。これは『シング・ストリート』のお兄ちゃん役ですね。ジャック・レイナーの気弱そうな感じとか。

あと、警察サイドと言っていいかわかりませんけど、オースティン・エベールさんという方が演じている州兵の、あの日和見主義者感。この映画では、日和見主義であることは完全に同罪だぞ、という風に喝破しているわけですけども。あの感じとかも本当に素晴らしかったです。この悪役と言うか、そっちチーム……というか、キャスト全員が本当に最高で。特に、アルジー・スミスさんという方。僕、(ドラマティックスにこういう過去があったことを)全然知らなかったですけど、ドラマティックスの元メンバー、ラリーさんという方(を演じている)。このアルジー・スミスさんはいま、『The New Edition Story』という、ニュー・エディションの伝記テレビドラマで、ラルフ・トレスヴァント役で人気が爆発しつつあって。たぶんこの人、この後にスターになっていくんじゃないかと思いますけども。アルジー・スミスさん演じるラリー。

そして今回はあえて歌わない役でしたけど、ジェイコブ・ラティモアさんっていうR&Bシンガー演じるこのフレッド(と前述ラリー)を中心とした、ドラマティックス、後にスタックス(レコーズ)を中心にいろいろな大ヒットとか、素晴らしい名曲の数々を残すドラマティックスの秘話。これは知らなかったし、非常に苦い青春映画、音楽映画としても、すごく素敵なものがありますよね。ドラマティックスが、デトロイト出身なのに、なんで(最終的な契約レーベルが)モータウンじゃなかったんだろう?っていうあたりでなんとなく、その(事件の余波の)一片を見た気がしますけどもね。あと、白人少女の2人。ハンナ・マリーさんとケイトリン・デバーさん。特にあのハンナ・マリーさん演じるジュリーの、最初は単に遊び倒している少女かな?って思いきや、わりと結構ひどいことになっても自分の尊厳を失うまいと、ちゃんと落ち着こうとして正論を言うあたりとかも、非常にグッと来ましたしね。

 

■こんなにいい役者だったか、ジョン・ボイエガ!

そしてなんと言っても、ジョン・ボイエガですね。ディスミュークスという非常に重要な役を演じるジョン・ボイエガ。こんなにいい役者ですか、ジョン・ボイエガ! 常に理性的に、白人とか体制側を不必要に刺激しないよう、ことを荒立てないように、非常に理性的に振る舞ってきた人ですよね、彼は。まあ、好青年ではありますよ。ただ、彼がいくらことを荒立てないために、たとえばコーヒーを持っていってあげるとか、なにか白人側の気持ちを落ち着かせるためにちょっとへりくだったことをすると、やっぱりそこで要所要所の白人側の態度がめちゃめちゃ失礼というか、完全にレイシストのそれなんですよね。無意識のレイシスト。

コーヒーを持っていってるのに、「なに? 砂糖ないの?」とかさ。メイドじゃねえぞ!っていうね。とか、「なに? ニグロたちはいつ落ち着くわけ?」って……なに? サル山のサル扱い?(怒) みたいな。そういうところが端々に出てくる。でも、それを彼は、ムッとした顔をしながらも、グッと飲み込んでいる。なんだけど、そのずっと飲み込んで、平穏を保とうとしてきた彼が、最終的に受ける仕打ち、そして屈辱……やっぱり彼は、アメリカを生きる黒人として、ある屈辱と仕打ちを受ける。彼が最後の方で図らずも尋問を受けるシーンの……まず部屋に1人で残されて、隣に手錠をかけるあのパイプがあって。これを見ているところ。そしてやってきたあの尋問官の……ぜひ見てください。もう、すげー嫌だ! さすがキャスリン・ビグロー、尋問シーン、一級品です。

で、その絶望感が本当に凄まじい。終盤、ジョン・ボイエガが思わず吐くところがあるんですけど、吐く時に、誰に何を言われて吐くのか?っていうところ。これ、非常に重たい問いを含む描写です。つまり、彼は黒人と白人の間に立って、理性的に振る舞おうとしてきた人。それに対して、彼が、誰に何を言われるのか? 何を言われて吐いてしまうのか。非常に重要なあたり。ぜひ注目してください。とか、あと他のバランスで言うと、もちろん白人側にもいい人もいる。助けてくれる人もいる。でも、「いい人もいる」っていうことは、本質的な問題の解決には何ひとつなっていない、とか。もちろんその事態を悪化させてしまう黒人側の、たとえばカールという人の軽はずみな行為……でも、殺されるほどのことだったのか? とかね。

 

■暴力による統治システムが本質的に抱えている危うさ

いろんな、絶妙なバランスの取り方が、本当に素晴らしいと思いますね。で、最終的に下される結論は、「出口なし……悪夢!」っていうことですよね。しかもその悪夢は、いまも続いている悪夢なわけですから。先ほどね、「音楽映画としても」って言いましたけども。「1967年のデトロイトの空気」を表現する上で、モータウン、欠かせないあたりで。特にあのマーサ&ザ・ヴァンデラスっていうね、劇中で「Nowhere to Run」という曲を舞台上で歌っているところが出ますけども。あれは本当は、劇中でもちょろっと流れる「Jimmy Mac」という曲を歌っている時に、暴動だ!って中止をさせられたらしいんだけど。これがあえて「Nowhere to Run」に変えられている意味。「逃げ場所はない」というものに変えられている意味。これも粋な選曲ですし。

あと、オリジナル曲。さっきのアルジー・スミスさんが歌っているオリジナル曲で、「Grow」という曲のこの歌詞とか、あるいはエンディングで流れるザ・ルーツの「It Ain’t Fair」という曲の、もう叩きつけるような……でも、あの叩きつけるようなルーツのラップのパワーで、ちょっと溜飲が下がりますけどね。「ふざけんな!」っていう感じがしてくるあたり。音楽劇としても本当に素晴らしいです。

何度も言いますけども、言うまでもなくいまも続いている事態。アメリカでもそうです、続いているし。人種差別だけではなく、暴力による統治システムというものが、普遍的・本質的に抱えている危うさというものを問題提起した作品です。本当に他人事じゃないです。要は、「治安維持のため」「秩序のため」というこの言い草が、どれだけ非人間的な行為を許容していくか、ということ。

これ、いずれ……たとえば、大震災の時に何が起こったか? とか、いろいろと考えれば全く他人事ではない。社会派ディストピアものであり、ホラーであり、非常に重層的な問題提起を含んだ、本当に優れた作品だと思います。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。ベスト候補!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『羊の木』 に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

Detroit Detroit

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【映画評書き起こし】宇多丸、『羊の木』を語る!(2018.2.10放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『羊の木』

(曲が流れる)

そうね。本編の中で主に流れるのはこの、なんともしれん感じの音楽でしたね。山上たつひこ原作、いがらしみきお作画の同名コミックを実写映画化したミステリー。さびれた港町に移住してきた、元殺人犯の6人の男女。港で起きた死亡事故をきっかけに街の住人たちと6人の運命が交錯し始める。監督は、『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』『美しい星』などの吉田大八監督。死刑囚を迎え入れる市役所職員・月末(つきすえ)を錦戸亮。その同級生を木村文乃。6人の元殺人犯を松田龍平、北村一輝、優香、市川実日子、MC TOMこと水澤紳吾、田中泯らが演じている、ということでございます。

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■「役者が全員いい。特に優香がすごい」(byリスナー)

ということで、この『羊の木』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多め。やはりね、吉田大八監督最新作となれば、これは基本的にはみんな行きますよ。賛否の比率は「褒め」が7割。「イマイチ」「ダメだった」という意見が3割ということでございます。「設定が面白い」「不穏なムードに終始ひきつけられた」「人を受け入れることの難しさを感じた」「役者が全員いい。特に優香がすごい」などの褒める意見が目立った。

一方、「受刑者6人の描き込みが浅くて消化不良」「ストーリーも演出も淡白で盛り上がらない」など、「食い足りない」という意見もありました。代表的なところをご紹介しましょう。「キハチロー」さん。「『羊の木』、いがらしみきおの漫画は『ぼのぼの』しか読んでおらず原作は未読です。的外れかもしれませんが、いがらし漫画のタッチを思わせる、”のろろ”の造形とのろろ祭りの丁寧な描写に引き込まれました。学生の頃、民俗学を専攻し、山形・秋田県境の街でフィールドワークをしていました。祭礼時の空気や、いまにして思うと作り物めいた祭礼の情景を否応なく連想させられました」。のろろ祭りっていうのは劇中に出てくる架空の祭りだけど、やっぱりこういうのはあるだろうなって感じはありますよね。奇祭というかね。

「……本作の白眉は松田龍平扮する元受刑者にあると思います。かつて罪に服した者に偏見を持って接してはならないという良識を揺さぶる圧倒的な異物感。彼を信じたいという主人公と一致する観客の思いと、その背後にある不信。そんな人間の葛藤を超越して暗躍する松田の姿に人ならぬ者の狂気を感じ、震えました。外部からの来訪者を受け入れるという大義と、そこに生じる葛藤を体現する主人公・錦戸亮のまとめ役としての抑えた演技もあって、松田の凄みが引き立てられていたように思います」という褒めメールでございます。

 

■『魚深はいいところですよ。人はいいし、魚も美味いし』

一方、ちょっとダメだったという方。「天ぷら坊や」さん。「こんにちは。はじめてメールします。映画『羊の木』を鑑賞。まあまあ楽しめました。役者さんの演技が思ったよりもよくて、見ごたえがありました。だけど、どこか消化不良で『もうちょっと行けたのでは?』というのが正直なところです。のろろ様の存在をいまいち全体の推進力に生かせていないような気がしました。良いところもたくさんあるだけに、惜しい、もったいないといった感じです。ちなみに私は以前、本作のロケ地である富山県魚津市の会社で働いていたことがあります」と。(作中では)魚深市という架空の街なんだけども、ロケは富山県魚津市でやっているという。「……主人公の錦戸亮さんが物語の序盤で『魚深はいいところですよ。人はいいし、魚も美味いし』という、同じことを何度も何度も言うくだり。これ、魚津の人は本当にこれしか言わないので、妙なリアリティーがありました」という。アハハハハッ! いいですねー。ということでございました。

■原作漫画はレジェンダリーな漫画家2人、奇跡のタッグ

ということで、みなさんメールありがとうございます。『羊の木』、私も今回はT・ジョイPRINCE品川で2回、見てまいりました。吉田大八監督作品、このコーナーでは前作の『美しい星』をですね、2017年の6月10日に評したばかりですから、1年たっていないということで。結構短めなスパンでの新作ということで。ただし、今回は脚本が……吉田大八監督の2009年の作品『クヒオ大佐』でも組まれていた、香川まさひとさんとの脚本を練り上げていく作業自体は、2年かかって、結構難航したということなんで。話自体は前からやっていた、っていうことらしいんですけどね。

で、その2年も難航した結果はどうなのかというあたりですけど。山上たつひこ原作、いがらしみきお作画。まずこれがすごいですよね。両者ともに、ギャグ漫画の世界でももちろん頂点を極め、なおかつわりとダークなストーリー漫画も描けるというか、そっちでもすごい、超クセのある、伝説的な漫画家というか、レジェンダリーな漫画家2人のコンビ。奇跡のタッグというか。こちらのその原作漫画、そこからは、ベースとなる設定……要するに、元受刑者がある村に秘密裏に住みますよ、と。そして、そこから起こる問題提起。そのベースとなる部分はもちろん原作から引き継ぎつつも、ほぼ映画オリジナルと言っていいような、大幅な改変が施された一作となっております。

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■吉田大八監督の新境地でありながら、しっかりと作家性に引き寄せてもいる

まあ、吉田大八監督の原作映画化作品はだいたいいつもそうだとも言えるんですけども……登場人物たちを結構大胆に整理・統合したりして、よりシンプルにお話の本質を浮かび上がらせるような作りにしつつ、純映画的な見せ方、見せ場をしっかり盛り込んで、なおかつ最終的にはやっぱり、原作のテーマにちゃんと沿いながらも、最終的には吉田大八監督作に一貫する、明確な作家性……これは後ほど詳しく言いますけども、その方にグーッと引き寄せてみせる、というような感じ。ただ、特に今回の『羊の木』の場合は、ちょっと吉田大八監督、今回は新境地だなっていう要素も、たしかに多い作品ではあるんですよね。

まあ、基本的なお話として、普通の人である主人公が異常な事態に巻き込まれていくという、言ってみればわりとストレートなサスペンス構造っていう。これは吉田大八監督作には意外となかったものだと言えると思いますし。主人公自身が異常な行動をしてしまうとか、主人公自身が異常な精神状態になってしまったりっていうのはあるけど、主人公は普通なままで、その目を通して異常な事態に巻き込まれる、というのは意外となかったなと思いますし。あと、後ほど詳しく言いますけども、これまで僕が吉田監督作を評するたびに言ってきた、一貫したテーマ性のようなものとも、今回の『羊の木』は、やはりそこはその原作にそもそも込められた主張が非常に強烈である部分というのもあって、だからまあ、今までとは一線を画するものかな?っていう風に思いながら、最初は見ていたんですけど……。

ただ、結論を言えば、実はそれでもやっぱり本作もまた、吉田大八作品に一貫したテーマ、作品性の方に……要は、「(たとえそれが幻想だと)わかっていても、夢でも見ていないと、夢でも信じていないと、この世はやってられない」「そして時には、その夢がこの世の現実の方を食い破ってしまうこともある」というのを、「映画的な飛躍」とともに見せる、というような、そういう吉田大八監督の作家性の方に、しっかりと引き寄せた1本に結局なっているな、という風に私は思いました。

 

■絶妙なロケ地のチョイス=富山県

まあ、順を追って行きますけどね。まず舞台。これは架空の都市、魚深市というところなんですけども。原作だと、九州の方の都市という設定なんだけど、これ、ロケ地をいろいろと探した結果、富山県の魚津市に……富山県っていうところがこれ、ねえ。この番組でも『富山県特集』とかやっていますけども(笑)、やっぱり絶妙なあたりですよね。

要は日本である意味いちばん保守的な……「平和な」というところも含めて、穏やかな、まあ古い日本のあり方みたいなのをいちばん残していて。なんだけど、過疎化とかも進んでいたりして、いよいよ変化していかなきゃならない、というようなそういう土地として、富山というチョイスはまずすごく絶妙で。富山はすごくフィルム・コミッションが充実していて、映画を撮るのにやりやすい環境だというのもあったみたいですけども。後ほど言いますけども、やっぱりロケとかがすごい活きている作品なので。で、原作では元受刑者11人っていうのを、6人に大幅に整理して、この元受刑者たちが出てくる。まあ、これは2時間尺の映画にするのには賢明な判断ですよね。6人に整理して。とにかくこの6者6様、それぞれに一筋縄ではいかない過去と癖がある、その元受刑者たちという。

 

「普通の男スター」というジャンルに新星現る

それを主人公である市役所職員の、月末という彼が出迎える。これがオープニングなわけですね。で、この月末を演じているのが言わずと知れた関ジャニ∞の錦戸亮さん。これ、吉田監督も各インタビューで絶賛されている通り、この錦戸さんが、ごく普通の平凡な青年として本当に自然に……なんなら、若干のイケてない感まで込みで。たとえば、木村文乃さん演じる元同級生・文(あや)っていう女の子が、主人公・月末はちょっと惚れているんだけど、文側は全く相手にしていないっていう感じも、「まあ、こいつならしょうがねえな」っていう感じで、こっちも自然に納得させられちゃう程度には、若干のイケてない感まで込みで、本当にスッと自然に……「演じる」というよりは自然な感じで存在しつつ、主人公としてちゃんと観客の目を引きつける華もあるし。

あるいは、周りの個性が強い、今回であれば受刑者たちの癖が強い存在感を「受ける」芝居。受けの芝居の表現力や引き出しも非常に豊かという、実はなかなか、特に日本では結構得難いタイプの……要は、「普通の男スター」っていうか。これは吉田監督がインタビューで言っていたけど、だからトム・ハンクスが普通の男をいくら演じていてもトム・ハンクスを見てしまうように、スターなんだけど普通の男、なんだけどスター! っていうね。これ、なかなかいないし。この錦戸くんの力量をもってすれば、いろんな映画が作れちゃうんじゃないかな?って。たとえば、こういう人がいると、サスペンス映画とかめちゃめちゃ作りやすいよね、みたいに思って見ました。すごく私も感心しました。

で、彼の受けの芝居が本当に上手いので、さっき言った6者6様の元受刑者たちの強い癖も、先ほどのメールにもありましたけどね、逆に際立つ、ということになっていると思います。たとえば、さっき言った「いいところですよ。人はいいし、魚は美味いし」って、同じことを繰り返すんだけど、それの6者6様のリアクションが違って、それに対して錦戸くんがまた困ったリアクションを返したりするという、これによってそれぞれのキャラクターの違いを描いていくあたり。セリフや説明ではなく描いていくあたり、本当に上手いですし。

 

■それぞれの登場人物が実は全く異なる世界の見方をしている、その不穏さ

たとえばですね、最初にやってくる、(『SR サイタマノラッパー』シリーズでの役名)MC TOMこと、水澤紳吾さんが演じる福元という男がいるんですけども。ちなみに水澤紳吾さん、「普段は消え入りそうなぐらいおとなしいのに、酒が入るとタチが悪くなる」っていうのがこの福元っていうキャラクターなんですけど、これ、(同じく『SR サイタマノラッパー』シリーズでの役名)MC IKKUこと名優・駒木根(隆介)に話を聞いた水澤さん像そのままです(笑「あて書きなのか?」っていう感じなんですけど(笑)。まあ、その水澤さん演じる福元の、ラーメン、チャーハンのむさぼり方。それのちょっと異様さであるとか。あるいは、これ本当に、彼女のこんな使い方があったのか! と唸らされる、本当に見事なキャスティング……優香さん演じる太田という女性の、明らかにある種の危うさをはらんだ、モロ出しの色気(笑)。はっきり危険性をはらんだ色気っていうか。あのあたりとか、見事なもんでしたし。

とにかく、それぞれの受刑者たちの言動が醸す、なにか普通じゃない、「あれ? なんかカタギじゃないのか?」っていうような違和感から、だんだんと「ああ、みんなムショ帰りなんだ」っていうことをだんだん浮かび上がらせていく、この導入部。まず非常に、とてもワクワクさせられますよね。「これからどういうことになっていくんだろう?」ってワクワクさせられる。で、これはまさに僕がいつも言っている吉田監督の十八番の部分。「それぞれの登場人物が実は全く異なる世界の見方をしていて、その微妙な、イヤな感じ……その、見ている世界が実は違うということが醸し出す微妙なズレが、次第に不穏な緊張感を高めていく」というこれ、吉田大八監督作のもう、十八番の語り口そのもの、でもありますよね。

 

■絶えず観客の思考に揺さぶりをかけてくる

で、今回はその、「実はこの人、我々とは全く相容れないものの見方、考え方をしているんじゃないか?」という疑心暗鬼。これそのものが今回の作品のテーマでもありますよね。具体的にはここでは元受刑者、殺人犯たちということですけど、監督もインタビューなどで言っている通り、これは、社会を形成し維持していく上で嫌でも共存していかねばならない、「他者」全般のメタファーでもあるわけですよ。「他者」。とにかく、なにを考えているのか、なにをしでかすかわからない「他者」。なんだけど、社会の中にはいなければならない「他者」という。現代社会はこれを内包せざるを得ないわけですけども。それによって……要するに「『なにをしでかすかわらない者を内包せざるを得ない』ということによって生じるリスクや不安と、我々はどう折り合いをつけていけるのか?」という問いが、言っちゃえばこの作品のテーマなわけですね。それでお話が進んでいくわけですけども。

なので、この映画自体も、あの手この手で、観客の思考に揺さぶりをかけてくるわけです。で、これが楽しいわけですよ。揺さぶりをかけられるのが。「どう考えてもこいつ、ヤバいでしょう? またすぐになにか、どうせやらかすんじゃないのか?」っていう風にしか思えない……というようなバランスである人物を描いておいて、我々も当然、そういう風に見ているんだけど、(後から)そういうこちらの決めつけ思考をたしなめるような、思わずホロリとさせられるようないい話が、ヒュッと放り込まれてきたりする。そういうところで言えばたとえば、元受刑者たちを受け入れる、異物・他者たちを受け入れるコミュニティ側の反応、というのを演じる、中村有志さんだったり安藤玉恵さんだったりっていう芸達者たちの、本当に絶品の上手さ。これが際立つあたり。安藤玉恵さんのところとかちょっとね、本当に泣いちゃいましたけどね、僕ね。

なんだけど、かと思いきや……要するに、「こういう決めつけはよくない」っていう風に揺さぶりをかけられたと思いきや、そういう「元受刑者だからって色眼鏡で見るのはよくない!」「彼らにも、社会には居場所が必要じゃないか!」っていう、それ自体は文句なしの正論、だけに着地をさせて安心させてくれることもしない。もちろんそういうね、元受刑者が社会に居場所を見つけていく、というような「いい話」、そういう話も別にあったっていい。そういう映画だってぜひ作られるべきでしょう。でも、そういうところで安心させてもくれないんですよね、この作品は。「とはいえ、やっぱりヤバいやつはヤバいんじゃないか? 市民社会とは決して相容れない、絶対的な“悪”みたいなものはやっぱりあるんじゃないか?」と、そっち方向にもやっぱり揺さぶりを絶えずかけてくる。

 

■この世の邪悪さを体現する役者たち、それと共存してきた社会の象徴としての「のろろ様」

特にやっぱりね、メールにもあった通り、「日常の中の異物」っていうのを本当にまんま体現する役者と言ってよかろう、松田龍平。異物なんだけど、なんかね、「コワかわいい」んですよ。怖いんだけど、かわいいんだよね。もう松田龍平は常に「日常の中の異物」ですよね(笑)。まあ、その松田龍平が演じる宮腰というキャラクター。そして、これぞ本当に彼の本領発揮と言えるでしょう、要は根っからのワルっていうのを当たり前のように……もう笑顔一発で、「ああ、こいつはワルい、矯正不能!」っていうのを体現してしまう、北村一輝さん。このあたりがいるわけです。

とにかくそういう、世界にかならず存在する「邪悪さ」……なんなら、一般の生活をしている我々にはちょっと理解しがたいレベルまで行っている邪悪さ。言ってみれば、人智を超えたというか、社会からはみ出た邪悪さと、社会が共存していくための古くからの知恵……その象徴として、劇中に出てくる「のろろ」っていう神様と、のろろを祀る奇祭「のろろ祭り」っていうがあるわけです。あれはだから、この世にある邪悪さと社会が、共存してきたんだっていうことの象徴なわけですよね。で、こののろろ様の造形。原作よりも、縄文時代チックな呪術性、時代を超えた普遍性……つまり、「はるか昔からこういうものはあったんだ」というような感じがする造形に、また見事なバランスになっていて、これも素晴らしいですし。

 

■原作以上に攻めてくる「揺さぶり」

あと、のろろ祭りのその描写、その夜。おそらくこれは道路を全面封鎖して撮影しているんでしょう、かなり大がかりな……もちろんね、日本のとある地方、魚津市の普通の大通りで撮影をしているんだけど、なんかものすごい非日常性というか、ある種、この世ならぬスケール感をちゃんと感じさせるショットになっていて。これは本当に、実はすごいロケ撮影だな、という風に思ったりしましたけども。で、まあとにかくそういう「他者、異物と共存できるか?」という問いに、絶え間なく揺さぶりをかけてくるこの『羊の木』という作品。

で、映画オリジナルの展開、原作漫画にはない展開としてさらに、「その他者・異物との“友情”というのは成り立つのか?」という、もう1個さらに厄介な揺さぶりをかけてくるわけです。これ、主人公たちが趣味でやっているバンド活動……まあ監督はすごく音楽が好きで、インタビューによると、「(ジョン・ライドンの)P.I.L(パブリック・イメージ・リミテッド)みたいな感じで……」みたいに言っていましたけども。そういう監督のいろんな音楽志向(を反映したような)……わりと渋い感じの、ずっとミニマムな演奏が続いて、そこにノイジーなギターが絡んでっていう、すごいかっこいい演奏をしているんですけども。そこに松田龍平演じる宮腰が、なんか無邪気にくっついて、スッとそこにいちゃう感じとかも含めてね。だんだん友情めいたものが成立しかけるんだけど……というあたりで、どんどん揺さぶりをかけてくる。非常に厄介ですよね。

で、特にクライマックス。通常の娯楽映画であれば、まあとある決定的な描写があって、「こいつはやっぱり正真正銘のサイコパスだった! いいやつだったと思った瞬間もあるけど、やっぱり正真正銘のサイコパスだった。ダメだ、逃げろ!」っていう風に、完全に白黒ついたものとして描かれるであろうキャラクターにですね、この映画ではそれでも、主人公・月末との友情という人間的、社会的感情と、その自らの内にずーっと根深く巣食っている絶対的な邪悪という間で、できれば前者に勝利してほしい、と願わせてみせるわけですよ。どちらが勝つか、賭けてみたい、という風に願わせてみせるわけですよ。非常に複雑なキャラクターですよね。普通だったら「こいつ、アウト! 死んでお終い!」っていうところなのに、まだそのキャラクターの中の逡巡まで描こうとしている、という。

 

■最後の最後で浮上する吉田大八監督的テーマ。「キレッキレですね!」

つまり、ここに至って、僕が吉田大八監督作の一大テーマと言ってきた、「客観的にはどれだけ非合理に見えても、人はある種の夢を見ながらじゃないと生きられない。そうじゃないと、この世には救いがなさすぎる」。その「夢」に……ここではつまり、「他者・異物と共存しあう社会」「邪悪を飲み込んで、それでも維持されていく社会」、そういう「夢」。ひょっとしたらそれは幻想かもしれないけど、その夢とか幻想に、それでも賭けてみたいじゃないか、賭けてみるしかないじゃないかっていう、まさに吉田大八監督作品的なテーマに向かって、この『羊の木』という物語が、文字通り映画的に「飛躍」するわけですよ。ピョーンと。本当に文字通り「飛躍」していく。

そしてその飛躍に伴って、それまで劇中あんまり……さっきの(冒頭でBGMとして流した劇伴のように)「ポコン、ポコーン」っていう感じで、あんまり劇中では主張してこなかった音楽が、「ギャギャーン!」って鳴り響いて。ものすごく劇的に主張をし始めるこの音楽。ここがまた、飛躍をさらに際立てて。ここに……なんて言うんですかね? 「なんなんだ、これは?」という感動がワーッと湧いてくる。本当に吉田大八監督映画ならではの、「なんなんだ、これは?」という感動がワーッと湧いてくる。で、あまつさえ、その「夢」なり、「物語」……人が生きるために必要な物語、ここではたとえばそういった神話的な言い伝えっていうのが、現実を、世俗的社会を、一瞬食い破る。虚と実の劇的な反転という、まさに吉田大八映画のクライマックス的な、もう一飛躍までここではあるじゃないですか。

なのでもう、ここで畳み掛けるように、「うわっ、一気に来たな! キてますねー! キレッキレですねー!」って。『美しい星』の海辺のシーンに続いて、「キレッキレですね、吉田大八監督!」って。あれも金沢ですから、だいぶ北陸づいてますね(笑)。吉田大八監督ね。で、ここね、崖の上から見た水面を、最初に浮かんできた人……で、ある展開があって、海の上に立ったでっかい波紋、から、2人目に浮かんでくる人、というのを、同一画角でね、押さえてみせたショットなんか、めちゃめちゃかっこよかったりとかして。これも含めて、全体に撮影の芦澤明子さん……黒沢清作品とか、矢口史靖監督の『WOOD JOB!』などの撮影監督ですけども。その芦澤さんによる、非常に暗闇が鮮烈に……黒が非常に際立った画作りが印象的でしたね。非常に鮮烈だったと思いますね。

 

■吉田監督、また「変な映画」、撮りましたね!

とにかく、いろいろと言ってきましたけど。解釈そのものは万人に開かれた、各自各々が考えるべき物語であり作品なのは間違いないんですけども……たとえばこの『羊の木』という謎めいたタイトル。いろんな解釈の仕方があると思うんですけど、少なくともこの吉田大八監督による映画版では、僕はこういうことだと思う。

他者・異物と共存しあい……それが社会に根付き、いずれ実りをもたらす。要は、いくつかの実は枯れてしまったとしても……あの市川実日子さんが(劇中で)拾うあのお皿の(絵の)中で、羊の実がなっているところと、枯れてしまっているところとありますけども。いくつかは枯れてしまうとしても、どれかは実をなすという、そういう、監督の言葉を借りれば「ある希望の可能性」。その象徴としての「羊の木」、ということだという風に私は受け取りましたけどね。

ということで、とにかくもちろん、笑えてハラハラできて先が読めない、エンターテイメントとしても非常に楽しい作品であると同時に、見終われば、たとえばその羊の木という解釈であるとか、のろろ様の解釈も、私がさっき言ったのもひとつの私の解釈ですから、そういう諸々の解釈も含めて、話し合いたくなること必至。非常に含蓄に富んだ、さすが吉田大八と言うしかない……これは褒めてますよ……「変な映画」! フフフ(笑)。吉田さん、また変な映画、撮りましたね! キレッキレのね。めちゃめちゃ見ごたえがありました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『スリー・ビルボード』 に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

【映画評書き起こし】宇多丸、『スリー・ビルボード』を語る!(2018.2.17放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『スリー・ビルボード』

(曲が流れる)

このちょっと西部劇風の感じの曲がまたいいですよね。この3月に発表される第90回アカデミー賞で6部門にノミネート。アメリカ・ミズーリ州の片田舎の(架空の)街で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、犯人を捕まえられない警察に業を煮やし、町外れの看板に抗議のメッセージを掲げる。そこから警察や住民、そしてミルドレッドの間に諍いが始まり、やがて事態は思わぬ方向へと転がっていく……。娘のために孤独に奮闘する母親ミルドレッドをフランシス・マクマーンド(※宇多丸お詫び:放送中、一回もまともに言えてないと多くの方からお叱りをいただきました。正確にはこちらです。申し訳あるっせんした!)が熱演。共演はウディ・ハレルソン、サム・ロックウェルら。監督は『セブン・サイコパス』『ヒットマンズ・レクイエム』などなど……映画ではね。の、マーティン・マクドナーさんということでございます。

■「圧倒的な大傑作です。ここ数年で最高かもしれません」(byリスナー)

ということで、この『スリー・ビルボード』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、やはりさすが話題作。「多い」ということでございます。そして、賛否の比率は8割以上が絶賛ということです。「傑作!」「今年ナンバーワン」「最後まで展開が読めない。引きずり込まれた」「ヒリヒリしているが、ラストにはあたたかいものを感じた」などの賛辞の声が多く並んだ。一方、ごくわずかながら「キャラが立っていない」「誰にも感情移入できない」「脚本をわざと複雑にしすぎでは?」との声もあったということでございます。後ほど言いますけどね、マクドナーさんのいままでのに比べると、かなり整理している方なんですけどね。

ラジオネーム「白いドア」さん。この方は褒めている方。「結論から申します。『スリー・ビルボード』は圧倒的な大傑作です。ここ数年で最高かもしれません。まず、脚本が素晴らしい。細部の細部まで緻密に練り上げて作られたストーリーは、登場人物たちを一定の型にはめることなく変化させ、心地よい混乱に導いてくれます。映画表現としても見事なセンスを感じました。たとえばミルドレッドが大事な会話をする時、彼女はブランコに乗って話をします。ウィロビー署長ともディクソンとも。ブランコは宙吊りです。人物自体をサスペンテッド(宙吊り)にして見せながら、物語を前進させていました。

そしてラストでは誰もいないブランコのカットが映るのです。私には『お客さん、今度はあなたがこのブランコに乗る番ですよ』と語りかけられた気がしました。そして、物語は宙吊りにされて終わるのです。お見事!」という。ああ、なるほど。いいですね、このブランコの見立て。いいですねぇ。「……他にも語りたい場面が満載でした。ディクソンのペットの亀は彼そのものの象徴(のろまだけどいつも前進してる)でしたし、殺された娘の部屋のポスター、(ニルヴァーナ)『In Utero』のアルバムには『Rape Me』という曲が入っていたり。場面場面に仕掛けがいっぱいで何度でも見たくなる映画です」。そういうの、いっぱいあるんだろうな! 「……そして見終われば、きっと誰かと話したくなる映画でした。全くしびれました。最高です!」という大絶賛メールでございます。白いドアさん。

一方、ちょっとダメだったという方。「なるへそ」さん。「感想を一言でいうと、『乗れなかった』というのが正直なところです。この映画は3枚の看板が主な主人公のキャラクターを象徴し、映画が進むにつれて看板の裏側・キャラクターの別の面が見えてくるという話だと思いました。しかしながら、映画を通してミルドレッドには全く変化がなく、ようやくラストで変化の兆しが見えるくらいです。結局看板の表しか描いてないのではないでしょうか? 加えて、ストーリーも展開も読めないとのことですが、意外性を出すためだけの展開で、それ以上のものを監督が描いているとは思えません。これが優れたストーリーと言えるのでしょうか?」というようなご意見でございました。

■できれば初見は事前情報なしで観て欲しい!

ということで『スリー・ビルボード』、私もガチャが当たる前にTOHOシネマズ六本木。そしてTOHOシネマズシャンテで今週2回、見てまいりました。ただし、3回目は僕、ちょっとお腹が痛くなっちゃって、結構長い間トイレに籠っていたので、まあ2回半ということですね。ただ、評判の高さと実際の作品の質から見ても、もうちょっと客が入っていてもいいんじゃないかな?っていう風に思う感じだったけど。まあアカデミー賞が発表されればまた流れも変わってくるかもしれませんけどね。というぐらい、結論から言ってしまいますけども、これはもう普通に、超おすすめです! 『スリー・ビルボード』。原題は『ミズーリ州エディング町はずれの3枚の看板(Three Billboards Outside Ebbing, Missouri)』っていう感じでしょうかね。

まあ「誰が見ても」とは言わないけど……だって、『桐島、部活やめるってよ』だってさ、「で、結局桐島は誰だったの?」とか言う人だっているわけだから(笑)。別にこれもね、「えっ? じゃあ、犯人は誰だったの?」って言う人も出てきかねないけど……「誰が見ても」とは言わないけど、少なくとも「映画好き」と言っているような人なら、かなり高い確率で――全員とは言わないけどね――かなり高い確率で、「これは面白い」と感じるはずだと思います。つまり、フレッシュで気が利いていて、タイムリーかつ普遍的なテーマ性と感動がある、という風に感じるのではないか? という風に思いました。

で、しかもこれ、初見ではできれば、あんまり事前に、特にお話に関する情報を仕入れずに見に行ってもらった方がいいと思うんですよね、僕ね。実際に僕も1回目に見た時は、誰がつくったどんな話かっていうのをほとんど知らない状態で見に行って。毎回、できるだけそうするようにはしているんですけども、見に行って。途中で何度も「ええーっ! そう来る?」「えっ? さっきのあれが、こう活かされる?」みたいな感じで、あっと驚く展開に本当に翻弄されまくった挙句、最終的に「なんと、こんなところに着地する話だったとは……」という、心底感心&感動しながらエンドクレジットを見ていた、という感じなので。というわけで、今夜もできる限り、それほど決定的なネタバレはしないようにするつもりではありますが。

■まず唸らされる脚本の凄まじさ

とにかくみなさん、予定表みたいなのがあるなら、それを開いて、明日の日曜を含め、今週映画館に行ける時間帯をチェックしてください。空けておいてください。そしてこの『スリー・ビルボード』、ぜひすぐに行ってください。可能なら、暴力的、差別的な警官が出てくる話、タイムリーかつ普遍的な話という意味で、先々週に取り上げた『デトロイト』とセットで、流れで見ていただくのもよろしいんじゃないでしょうか、という感じでございます。ということで『スリー・ビルボード』。ほとんど予備知識なしでまずは私、見て。なによりもまず、役者陣の圧倒的な演技もさることながら、まずは「なんだ、この脚本のすさまじさは!?」っていうところ。まず脚本の新鮮さ、そして完成度にうならされました。

それもそのはずと言うべきか、監督・脚本・製作のマーティン・マクドナーさん……これ、でも本当にすいません、僕は不勉強で、実はこれまで全く存じ上げないままここに来てしまったんですが。まずは、実は劇作家として、主にアイルランドを舞台にした数々の戯曲で……まあ、ロンドンで育たれた方なんだけど、ご両親がアイルランドの方ということで。アイルランドを舞台にした数々の戯曲で、もうすでにね、圧倒的な評価を確立されている巨匠なんですよ。劇作家界では、マーティン・マクドナーさんは。

で、その舞台がどういうものなのか? そしてどのように偉大なのか? ということについては、たとえば劇場パンフレットに載っている――これ、劇場パンフレットは毎回、FOXサーチライト作品はいつも非常に充実した内容でいいなと思っているんですけども――パンフレットに載っている、長塚圭史さん……長塚圭史さんはマーティン・マクドナーの戯曲を過去に3本演出されているということで、長塚さんが書かれているコラムなんかを参照していただいて。僕もここはまったくノーチェックで、比較とかがちゃんとできなくて本当に申し訳ございません。

■マーティン・マクドナー監督、三作目にして決定打となる本作

でも、とにかくすでに演劇界では確固たる名声を得ていたマーティン・マクドナーさんが、2004年に映画の短編『Six Shooter』というのを撮ってから、本格的に映画製作に乗り出していくという。『Six Shooter』はこれ、簡単にネットでも見られます。で、これでいきなりアカデミー短編映画賞をとってしまう。ただ、その長塚さんの文章とかを読む限り、この『Six Shooter』とかはまだかなり戯曲の方のテイストを残しているんだな、という感じはしましたけどね。で、そこから初長編、『ヒットマンズ・レクイエム』という日本タイトルがついていますけども、日本では劇場未公開の2008年の作品、原題は『In Bruges』という、ベルギーのブルージュという街があるけど、「ブルージュにて」という作品で。これでまたいきなりアカデミー脚本賞のノミネート。さらに2012年に『セブン・サイコパス』という作品があったりしてからの、長編三作目が今回の『スリー・ビルボード』なんですけども。

はっきり言って、この三作目で、少なくとも映画作家としては、マーティン・マクドナーさん、完全に一段上にあがった。一見して、いままでの過去作と比べるともう格が違うところに行った、というのは明らかだと思います。もちろん、テーマとか共通項は……もちろんすでに劇作家として名をなしている人ですし、共通項は過去作も非常に多いんです。まずやっぱり、メインテーマが「罪と贖い」「贖罪」という……アイリッシュというご自分の出自も大きく関係しているのでしょう、非常にキリスト教圏的なメインテーマというのが毎回ある。罪と贖い。

なんだけど、それは平たく言い換えればこういうことですよね。「人は変われるのか?」と。過去に、たとえば非常に重大な過ちを犯してしまった人間が、その埋め合わせを……たとえば自己犠牲的な「善き」行動によって、その過ちの埋め合わせを人生の中でしようとしたりとか、そういうような「救い」のようなものは、この世にあり得るのか? ないのか?っていう、そういうような問い。大変に普遍的な、当然私たちの人生にも普通にあるようなそういう問いっていうのがメインテーマだ、という風に思ってください。今回の『スリー・ビルボード』もまさにそうだと思いますけども。

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■人の多面性を描くゆえ、作品のジャンルも曖昧になる

で、マーティン・マクドナーさんの作品では、そのお話の語り口やキャラクターの描き方が、このテーマ性と非常に密接に関わり合っているわけです。つまり、「人は変われるのか?」っていうね。「こういうことをしでかした人が……じゃあ悪人はずっと悪人のままなのか? そうじゃないんじゃないのか?」というようなことを問いかける作品なので。一言でいえば、非常に多面的・多層的なお話の語り口、そしてキャラクターの描き方をする。こうだと思っていた人が、実はそうではない一面を持っていて……というような展開が重なっていくわけです。ゆえに、いわゆるひとつの「先が読めない展開」っていうのが多くなってくるわけですけど。

だったりとか、ひとつのシーン内にも、たとえばこの上なくシリアスな場面の中に、それでもつい笑っちゃう世界の間抜けさとか、つい笑っちゃう人間らしさ、みたいなのが込められていたりとか。逆に、すごく笑えるシーンとかセリフのように見えるけど、実はその背後には、もうゾッとするような悲劇性や、惨劇の記憶とか予感っていうのが濃厚に流れていたりとか、っていう感じで。ひいては、映画全体も、ジャンル分けするとなるとコメディーなのか、ヒューマン・ドラマなのか、スリラーなのか、喜劇なのか悲劇なのか、明確な線引きがしづらい、非常に不思議なバランスの作品になっていく、という傾向が、過去作にもあるわけです。

■テーマの志と語り口の風格が完全に一致している

こういうようなファクターが、最初の『Six Shooter』から今回の『スリー・ビルボード』まで、一貫としてマーティン・マクドナーさんの作品には脈々とある。おそらくそして、すいません、本当に不勉強で申し訳ないんだけど、たぶん舞台を見てもきっとそれはあると思うんですよ……(マーティン・マクドナーの)作家性と言えるでしょうし。あと、もっと表面的なレベルでも、何人かの常連役者とか常連スタッフがいるような、ファミリー体制で作っていますよ、というのもあるし。あと毎作、「ウサギ」がお約束として出てくるっていう。まあ共通項としてそういう目配せがあったりとか。

あるいは、『ヒットマンズ・レクイエム』という作品の中で、ニコラス・ローグの『赤い影』、この作品の話題が出てくるわけです。とある映画撮影の現場でそれが出てくるんですけど、今回の『スリー・ビルボード』でも、途中、サム・ロックウェル演じるディクソンという男と母親が家で見ている映画……画面は直接映されませんけど、明らかに『赤い影』の話をしているし、『赤い影』の音が聞こえるわけですね。なんだけど、実際に今回は、たとえば「娘の死というのを、罪の意識とともに引きずっている親の話」という点であったりとか、他のいろんな面も含めて、より本質的に『赤い影』と重なる部分が非常に多かったりとか。まあとにかくマーティン・マクドナー監督作は、メインテーマだとか語り口だとか、そういう本質の部分と、あと表面的ないろんな部分とかも含めて、非常に一貫した作家性があるのは間違いないわけです。

ただ、これは私の見方ですけども、これまでの、特に映画作品では、わりと「奇想に奇想を重ねる」というか、突拍子もない設定に突拍子もない展開をかけ合わせて、さらに語り口も……たとえば、『セブン・サイコパス』。これ、映画としては僕は好きなんです。特に劇中劇があるんですけど、クリストファー・ウォーケンの役柄が劇中劇に対して考えてあげるあるオチがあって、これとかすごい感動的で好きなんですけど。その『セブン・サイコパス』でのたとえば、タランティーノ「風味」なね、やっぱりちょっと突拍子もない語り口みたいなところが……要するに突拍子もないものがガンガンガンガンかけ合わさっているんで、そういうのが目立っていて、正直、バランスがいいとは言いがたい。そしてもちろん、万人向けとは言いがたいバランスだったと思います。映画に関しては、過去作は。

しかし、今回の『スリー・ビルボード』では、さっきから言っているような人間の多面性、そして世界の多様性……この世界の多様性っていうのは、「可能性」と言い換えてもいいかもしれませんけども。それゆえの、「先の読めない意外な展開」の連続。からの、人は変われるのか? この世に僅かな、そういうところに救いはないのか? というマクドナー的なテーマへの着地というのがですね、過去作のように、たとえばアイデアの方が先走ってしまって、なんか奇をてらった感じの、「ためにする」ツイストのように見えて終わってしまっていたところから、1個、進化して。基本的な語り口はどっしりと、抑さえるところは抑さえた、非常に抑制のきいたクラシカルな語り口。

なんなら、部分的には西部劇的に見えるようなどっしりとした語り口で……しかしたとえば、中盤で出てくる、異様な緊迫感をたたえたワンショット。これ、カメラマンのベン・デイビスさん、非常にがんばったんじゃないでしょうか。ここぞというところでは、ケレン味の効いた今風のワザも、さり気なく投入していたり……途中、ワンカット(長回し)のところがあるわけです。しかもこのワンカットは、単に長回しだから偉いという場面ではなくて、ちゃんとこの、向かい合った2つの建物、この空間感覚込みで、我々をその空間の中に叩き込むような撮り方をしているから、非常に優れた場面になっている。という見事な場面、そういうのも……落ち着いたクラシカルな語り口なんだけど、今風ならではの長回しみたいなのもボン!って入れてきたりとか、非常に演出が的確になっていて。とにかく、テーマの志と語り口の風格が、ここに来て完全に一致した、という感じだと思います。

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■西部劇に寄せた舞台立て、演出、音楽

まず、最初。モヤがかかった野っ原に、朽ち果てた3つのビルボード(看板)が立っているのを、いろんな角度からとらえた一連のオープニングのショットの流れからして、「これはただ者じゃないですぞ」と、もうわかりますよね。後ほどわかる、「最後に貼られた看板は、1986年のオムツの看板だ」という話。だから、子供の絵が朽ち果ててあるところですでに、「子供と死」の香りみたいなものがただよい始めているところなんか、本当にただ者じゃない感じ。で、映画が始まって、タイトルがついて。同じ場所、今度は普通に昼間で、そこを通りかかるフランシス・マクドーマンド演じるミルドレッドさん。

で、そのミルドレッドさんが、この最初に、その看板を立てることを思いつく前まで、車を運転しているこの時点では、髪をおろして、割と普通の女性っぽい格好をしているんですけど。看板をやろうということを思いついて、広告社に乗り込んでいくところから、ここはあえてスローモーションで、そして音楽もちょっと西部劇調になって、ブルーのつなぎにバンダナ……つまり「戦闘服」(に変身している)。彼女は最後までこの戦闘服をとりませんけども。実際にフランシス・マクドーマンドさん、この役柄を「ジョン・ウェイン風の佇まいで演じた」という風におっしゃっているようですけどね。音楽もちょっとセルジオ・レオーネ風というかね、ちょっと西部劇風だったりする。

実際、アメリカの田舎の小さな街で、ゴロツキや、あるいは権力の抑圧と1人で対峙する、誇り高き、自立して戦う主人公……公権力に頼るのじゃなく、「自分で」戦う主人公。しかもそれは、「法と無法の境界線」上のバトル、というようなあたり……そして、その街の通りの見せ方。こっち側に人が集まる……バッと(ドアを)開くと、サロン的に、なんか男たちがダラーンといるような、ガラ悪く座っている(場所がある)……実際は警察署なんだけど。(一方では)向かいの建物があって……というこの通りの見せ方とかを含めて、はっきりと西部劇的に寄せている、という見せ方をしているわけですけど。

■ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル……見事な役者陣

あるいは、アメリカの架空の田舎町を舞台に、凄惨な凶悪犯罪の顛末が、オフビートな笑いとともに、しかもフランシス・マクドーマンド主演で、なんとも言えない苦く優しい余韻とともに語られていく……というあたり。これはもう、コーエン兄弟がネクストレベルに行った一作と言えるであろう1996年の大傑作、『ファーゴ』を連想される方も多かろうという風に思います。僕も非常に似たテイストを覚える部分、いっぱいありました。

で、まあね、そのミルドレッドさん。彼女が出した警察に対する抗議の看板が、この小さな街に波紋を広げていく、というような話なんですけども。ここでね、序盤、やっぱり説明セリフと気づかせない説明で、ここまでどういうことがあったのか? というあらまし、そして、キャラクター側にはどういう背景があるのか? というのを、観客に順繰りに、非常に手際よく飲み込ませていく語り口。これはまず本当にお見事ですし。あと、やっぱり今回は、役者陣が本当に文句なしに素晴らしい。たとえば今回、劇中でいちばんの善人……今回はね、善人ですけども。要はやっぱりこういうことだと思う。「粗野な集団のカリスマ的ボス」をやらせると本当に十八番のウディ・ハレルソン演じる、ウィロビー署長。

そしてなにしろ本作で最も重要な人物でしょうね。要は、人種差別に性差別、それでいて自分の内側にもある、非常に抑圧された内面というか、秘密を抱えてもいるという……で、むちゃくちゃ愚かでもありながら、そこも含めて最高に人間的で、だからこそ、物語上最も大切な役割を担っているとも言える、いちばん「伸び代」がある人物であり、それこそ彼の存在を通してこそ、この小さな街の物語、小さな街の問題が、「いま」の「世界」の問題へとつながっていく、重なっていく、という重要な役柄。ディクソンという役柄を演じる、サム・ロックウェル。サム・ロックウェル、彼ははじめてのアカデミー賞ノミネートになりましたけども。

あと、広告会社のレッドという青年役を演じるケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。たとえばこのレッドという役柄が後半、病室にいるんですけど、この病室でとる、ある行動……特に、「ストローの向きを変えてあげる」という、この動きだけで泣かせる!というこの演出・演技の細やかさ。これも素晴らしいですし。あとね、ピーター・ディンクレイジとか、マクドナーさん作品の常連であるジェリコ・イバネクさんっていう、サム・ロックウェルと一緒に掛け合い的なのをやる警察の同僚役。ジェリコ・イバネクさんとか。

あとは、ちょっとおバカな女の子役みたいな役柄なんだけど、これをすごく嫌味なく演じているサマラ・ウィービングさん。19才の、動物園で働いている女の子の、「この子には悪気がない」っていう感じを、(グラスを)テーブルに置いてストローでチューチュー吸って、というこの感じ一発だけで表現するあたりとか。とにかく役者さんたち、演技ひとつひとつが、さっき言ったテーマの厚み……人間の多様性みたいなものを、本当に、厚みをもって体現してみせる見事な感じですし。

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■笑わせて、震え上がらせ、現実を突きつける

それでいてたとえば、そういう過程の中で、「太った歯医者」っていう何気ないワードの、後での活かし方。非常に映画的ですよね。「ああーっ、(これがさっき劇中で言っていた)『太った歯医者』だ!」って。そしてその「太った歯医者」のシーンの、この嫌な緊迫感からの、笑えるけど怖くて、そして痛い!っていうシーン……そして、さらにその後もう1個、麻酔ネタの爆笑ギャグが、もう1個仕込まれていたりとか。あるいは、嫌がらせしてきた少年たちに主人公が逆襲するくだりで、「男の股間を蹴り上げる」っていうのはよく映画でありますけども、「えっ? “そっち”も躊躇なく行く?」みたいなところとか……とにかく、1個1個のディテールとかに、映画をより面白く、スリリングにするための新鮮なアイデア、それがすごく豊かにブチ込まれている、ということですよね。新鮮なアイデアがブチ込まれている。

で、こんな感じでいろいろとストーリーが転がっていく中で、誰もが要は怒りと悲しみの渦に巻き込まれ、故に冷静さを失って、強い思い込みなどから、さらに大きな悲劇を招いてしまう、ということになっていく。なんだけど、その最中にも、たとえば非常にシリアスな場面の最中にも……たとえばこの言葉。映画を見た人ならわかると思いますけども、「なあ。もう気絶するなよ」とかね(笑)。やっぱり思わず「プッ!」って(笑)。「気絶したのかい!」ってプッと笑っちゃったりとか、っていう感じだったと思いますね。

あとね、最後のほうの、「ある場所だ。ヒントを出してやろう。砂っぽい場所だ……」って言って、絶妙な間があって、「全然絞り込めない……」みたいなね(笑)。「バカか!?」みたいに思って笑っちゃうんだけど、同時にその「ある場所」……我々は、具体的なある戦場を思い浮かべて、そして実際に米軍がやったある凄惨な事件のことも思い出して、「うわっ、最悪!」っていう。やっぱり、悲惨な世界の現実っていうのを、そこで思い浮かべさせる。笑わせながら、でも震え上がらせて、世界の現実にも目を向けさせる。見事な脚本だと思いますね。で、その怒りが怒りを呼んで、ボタンの掛け違いがさらに大きな悲劇を生み、という……ただ、そこでもちゃんと、たとえば主人公がある暴挙に出てしまう時、ちゃんと主人公は慎重に、やっぱり人を傷つけないように気は遣っている。なんだけど、ボタンをかけ違っちゃって……っていうあたり、ちゃんと丁寧にやっているんで。主人公の暴挙も、そんなにむちゃくちゃだという風に見えないように、バランスが取られていたりするのも素晴らしいですし。

■何気ない一言にメッセージを集約させる見事な脚本・演技・演出

で、そのボタンの掛け違いの悲劇が極に達したところで、そこから「罪と贖い」、そしてさっきから言っている「人は変われるのか?」、あるいは「救いはあるのか?」っていう大きな展開に……いちばんの悲劇のところが、いちばんの救いへと転換するきっかけとなっていく、というこの構成の妙、素晴らしいですし。そして、最後にまた3つの看板が、また最初と同じように映るんだけど、オープニングのニュアンスとはまったく違う……要するに、すでに観客からも「世界が違って見える」。(その象徴として)3つの看板の醸すニュアンスが変わっている、という。

そして、オチの大人なバランスですよね。最後、フワッとしているようで、メッセージはものすごくはっきりとしています。「道々考えればいいわよ」っていう……すごくシンプルな言葉ですよ。「道々考えればいいわよ」。でも、そこにこそ人の希望はあるんじゃないか?っていう。この、ものすごく重たく、普遍的で、そして「いま」に響くメッセージを、こんな何気ない一言に落とし込んで……あたたかくも苦い余韻を残すという、見事な脚本。そして、それを見事に体現する演技と、的確な演出。これは……傑作でしょうね、悔しいかな。ということで、ぜひぜひ、明日にでもすぐに『スリー・ビルボード』を見に行ってください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『犬猿』 に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

【映画評書き起こし】宇多丸、『犬猿』を語る!(2018.2.24放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『犬猿』

(ACIDMAN『空白の鳥』が流れる)

ああ、今かかってるこれ、最後に流れるACIDMANの曲なんですけど。『空白の鳥』っていうのは、十二支の申(サル)と戌(イヌ)の間にある、空白の「酉(トリ)」。インタビューを読むと、「申と戌の間」っていうことらしいですね。気が利いていますよね。

ということで、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』『ヒメアノ~ル』の吉田恵輔監督による人間ドラマ。刑務所から出所したばかりの兄と真面目な弟、家業を切り盛りする姉と能天気な妹の対立がエスカレートしていく様を描いていく。兄弟を演じるのは窪田正孝と新井浩文、姉妹を演じるのはお笑いコンビ「ニッチェ」の江上敬子さんと女優の筧美和子さん、ということでございます。

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■「『ダメだ、そのラインを越えたらダメだ!』」(byリスナーの心の声)

ということで、この映画をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、普通。でも公開規模はそんなに大きくないですからね。結構健闘している方じゃないですかね。賛否の比率は9割が「賛」(褒め)。残り1割が否定的な意見。間の「普通」みたいな意見はあまりなかった。「今年ベスト級」「(『葛城事件』など)“家族という名の地獄”映画の新たな傑作」「キャスティングが素晴らしい」「全編に詰め込まれた兄弟あるあるに共感と悲鳴が止まらなかった(褒めています)」など賛辞の声が多く並んだ。中には、「映画は面白かったが、兄弟がいなくてよかった」というひとりっ子からの声も。私もひとりっ子ですからね。

一方、否定的な意見としては、「期待値が高かった分、がっかりした」「中盤まではよかったのだが、後半の展開で冷めてしまった」「大事なことをセリフで説明しすぎ」の声が多かったということでございます。代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「頭巾」さん。「『犬猿』、ウォッチしました。恐ろしい映画でした。終わることのない兄弟、姉妹同士の熾烈ないがみ合い&マウンティング。見ながら思わずクスクスと笑いながらも、全く他人事に思えずゾッと背筋が凍りました。会話をしているとみるみるうちに地獄の様相を帯びていく会話劇がとにかく巧妙で、心の中で何度『ダメだ、そのラインを越えたらダメだ!』と叫んだことか。

思い当たる節がありまくる膨大な量の“兄弟あるある”も、それをただの“あるあるネタ”に終わらせず、ストーリーにバランスよく落とし込み、必然性を持たせていてさすがとしか言いようがない脚本だったと思います。ある意味では非常に意地悪な作品ではありますが、ひっきりなしにお互いを口撃する4人を見つめるその視線にはたしかに優しさを感じます。さんざん観客を殴っておきながら、やさしく抱きしめるような回想シーンには正直、『こんなもんで泣いてたまるか』と思いましたが、次の瞬間には兄と姉のあるセリフに号泣してしまいました。悔しいけどお見事です。『犬猿』は『勝手にふるえてろ』に続く、胃が痛くなるぐらい克明に現実を突きつけながらも、人間の面白さと愚かさをたたえてみせる傑作だと思います。めちゃくちゃ面白かったです」というご意見。

一方、「アクトル」さん。「今週の課題映画である『犬猿』、見てきました。賛否で言うと否です。兄弟・姉妹という生まれながらに比較を避けられない相手への愛憎、コンプレックスの話という大好物な内容で中盤までは本当にワクワクしながら見ていました。しかし、わりと意外性のない展開とクドい演出で徐々に乗れなくなってしまいました。極めつけはラストの思っていたことを全て口にしてしまうシーンとわざわざ入れる必要のない子供時代の回想」。だから、先ほどの頭巾さんが泣いてしまったというまさにそのところ。「……これらのシーンに限らず、全体的に説明的なセリフが多いのですが、ここは致命的でゲンナリしました」というね、対照的な意見でございました。

■「きょうだい」というものの「厄介さ」=「面白さ」がテーマ

ということで『犬猿』を私も、実はガチャが当たる前にもうすでに一足早く拝見していて。あと、丸の内TOEIで2回見てまいりました。ということで、吉田恵輔脚本・監督。2013年の『麦子さんと』以来ひさびさのオリジナルストーリー、っていうことなんだけど、ただまあ前作の『ヒメアノ~ル』も……もちろん古谷実さんの原作漫画があるんだけど。詳しくは私の『ヒメアノ~ル』評、2016年6月11日に評した映画評が、番組公式サイトにみやーんさんの起こしで載っておりますのでそちらを参照していただきたいですが、映画版の方はかなり、もう「原案」っていうクレジットの方が相応しいんじゃないか?っていうぐらい、かなりオリジナルな解釈が入った、ほとんど別物だったと言っていいと思うので。

まあ、基本的には毎回、原作が仮にあったとしても、ご自分で脚本も手がけられていますし、相当はっきりした作家性がある方ですよね、吉田恵輔さんは。平たく言えば、表面上おだやかに見えていたありふれた日常が、ふとした拍子で、ものすごく残酷だったり無情だったりっていう、その本質を露わにする話、ということで。特に、みんな誰もが、普段はなんとか取り繕って表に出さないようにしている「つもり」の、人間の醜い部分。嫉妬とか妬みとか、相手を下に見るようなマウンティング、差別意識であるとか、あるいは、手前勝手な欲望などなどが、たとえば日常的な会話で――基本的には会話劇的なところなんですけど――日常的な会話などのちょっとしたほつれとかこじれから、メリメリメリッと現実の本質が顔を出してくるような、そういう、見ている方も胃がキリキリと痛くなってくるような、超意地悪なコメディーっていうことですよね。非常に鋭い人間観察眼をうかがわせるような作品、っていうことですけども。

で、コメディーなんだけど、その、世界がメリメリメリッと本当の顔を見せる、というそのポイントから先は、作品そのもののトーンもガラッと変わって、ホラー的だったりサスペンス的だったり、っていうところに転がっていったりすることも多いという。まあ、ざっくり言うと、吉田恵輔さんはそういう作風の作り手さんです。で、今回……これまた大傑作だった2010年の『さんかく』という作品がございますけども、『さんかく』でも重要なファクターになっていた、対照的な人間性の姉・妹というのが描かれていましたけども。要は、もっとも近くにずっといて、誰よりも相手のことを私がいちばんわかっている、いちばんよく理解している”つもり”。だからこそ、でもやっぱり「他者」という、その本質的な他者性が、根の深いこじれを生みやすい。しかも、いくらこじれても、そう簡単には縁を切ったり距離を置くこともなかなかできないという、そういう兄弟というもの特有の厄介さ。

まあ、「家族という呪い」ということでもあるけど、親だったらまださ、たとえば親から受けた恩があったりとか、親は親で「育てなきゃ」っていう気持ちもあるけども、兄弟はさ、ぶっちゃけ、「知らねえよ! なんでこいつと?」っていう人じゃない?(笑) もう強制的に一緒に置かれるような人たちだから、その厄介さ。まあ、「厄介さ」っていうのは言い換えると……吉田恵輔作品的には「面白さ」っていう部分に焦点を絞って。兄弟と姉妹、それぞれの犬猿の仲っぷりっていうのを交差させていく、という、こうして言葉にしてみれば非常に明快なコンセプトの、ダークコメディーですね。はい。

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■「ひっくり返すよ、俺は!」宣言としてのツカミ

まず、冒頭の掴みからして……吉田恵輔さんは本当に意地悪ですね(笑)。冒頭に、あるショッキングなというか、「あれっ? ちょっと違う映画を見に来ちゃったかな? あれっ、なんか映写事故?」って思うような、強烈なツカミがあります。悪意に満ちた(笑)。これは(ネタバレになるような具体的なことについては)言いませんけども。楽しみにしてください。まあ、要はでもね、こういうこと。「善きこと”げ”」な……「世の中で良しとされる、『これは感動しますよ』みたいなそういうものを、俺はひっくり返すタイプですよ」っていう、これは最初の宣言でもあり。で、これは最後の方の感じともやんわり対になっている、ということだと思いますね。「ひっくり返すよ、俺は!」っていうね。

で、ですね。さすが吉田恵輔作品、僕が秀逸だなという風にうなったのは、メインの舞台のチョイスが、街の小さな印刷工場。その舞台のチョイスと描き込み方。街の小さな印刷工場を舞台にしようという、ここがやっぱりなかなか思いつかないし、いい目の付け所だなと思いましたね。要は、どうやらもともとその社長だったお父さんが、たぶん脳梗塞かなんかで寝たきりになっちゃって。で、お笑いコンビ・ニッチェの江上敬子さんが演じるしっかり者の長女、犬猿姉妹の姉の方がそれを継いだ、ということらしいんだけど。で、そこに、代理店というか、印刷営業マンの窪田正孝さん演じる犬猿兄弟・弟。和成っていう人が仕事を持ってくるという。要するに、印刷工場があって、そこを仕切っているお姉さんと、そこに仕事を持ってくる営業マンの弟という、この構図が、基本的な話の中心にある構図なんですけど。

■ニッチェ江上敬子さんの「喜劇女優」振りを際立たせる「声」

で、とにかくその印刷所がメインの舞台なんですけど、仕事の描写であるとか、あとクライアントと下請けの、わりとえげつない力関係の構図であるとか、諸々がとってもやっぱりリアリティーがあって、非常に興味深いなと思いました。とにかくその兄弟・姉妹の4人それぞれが、それぞれに……それぞれの言い分とか立場があって。要は、それぞれが「自分は間違っていない」っていう風に思っているんだけど、客観的に見ると、それぞれが違った方向のバカさとか醜さとかセコさ、ズルさを持っているという。ゆえに火種が常に――まあ、人間誰しもそうなんですよね――トラブルの火種がある。まず何しろ、本作を見た人がおそらくもっとも印象に残るのは、ニッチェ江上敬子さんの、幾野由利亜さんというお姉さん。若い頃の藤山直美風とも評される、本当に堂々たる「喜劇女優」っていう感じね。僕はやっぱり今回の江上さんの佇まいは、お笑いの人がよく映画に進出した時の感じの中でも、特に「喜劇女優」としての佇まいがすごくばっちりあるなという風に思いました。

体格もさることながら、僕は江上さんね、ちょっとハスキーな声がいい。声がとってもいい。なにか不器用な真面目さみたいなものを感じさせるあのハスキーな声。要は、なんか朴訥というか、不器用な感じじゃないですか、あのハスキーさは。それを感じさせて、とてもいいし……と同時に、真面目で純真なキャラクターなんだけど、実は途中で、立場を利用した、要はパワハラ的ニュアンスを含んでいると言えなくもないある行為を重ねて行ってしまって。こじれのベースを作ってしまう、というようなことをするこのキャラクター。この江上敬子さん、約2ヶ所、あっと驚くタイミングで用意されている、豪快な「吹き出し芸」とかもよかったですし。

あと、僕はちょっとここはやりすぎな気もしなくもなかったけど、鍵がかかった自分の部屋で1人きりでいたらまあ、こういう時もあるかな?っていうような、「テンションが上っちゃった瞬間」のリアルさもちゃんとある「ダンス」シーンとかですね。とにかく、喜劇的スキルの高さというか、それをしっかりと発揮していると思います。これから女優として、息長く活動できちゃうんじゃないかな? という風に思いました。対する妹の筧美和子さんも、役柄的に……僕は劇中、モラル的な一線をいちばん最初に越えてしまったのは、彼女だと思っている。つまり、はっきりと悪意を持って、お姉さんに修復不可能なレベルの精神的ダメージを与えている。

で、それの結果、破壊的な事態に至る直接の引き金を引いてしまった。要は、かなりひどいことをする役柄なんですよね。あるところで、「えっ、なにかまずかった?」って聞くところの、「うわっ、こいつ!(怒)」っていう(嫌な感じなどが印象的なのですが)……でも、非常に感じの悪い役柄なんだけど、それをちゃんと一定のチャームを持って……つまり、とは言え根っこが本当の本当に邪悪というわけでもない、というようなぐらいのバランスで、絶妙に体現している。たぶん、筧さん自身がいいお嬢さんなんでしょう、というか。あと、「微妙に先が見えたグラビアアイドル」っていう、筧さんの立場的に結構なかなか際どい役でありながら、それを堂々とやりきっていて。僕はとっても、筧さんにも好感を持ちました。好感、好感です! 「好感、好感の嵐です!」(笑)。これ、見ればわかりますけどね。

■芸達者同士の兄弟サイド。新井浩文演じる「デリカシーのない兄」

で、一方の兄弟サイド。これはもう、芸達者対決!っていう感じですよね。まず新井浩文さん。もう日本のバイプレーヤーとして欠かせない存在ですよね。『葛城事件』では、ああいう固い真面目な役、この映画で言うとお姉さんみたいな、ああいう真面目すぎて苦しんじゃうような役も見事に演じていて、びっくりしましたけど。今回は、クズ・チンピラ方向。いちばん得意なあたりですよね。普通にしていても怖いですっていう新井浩文さんなんだけど、十八番のラインなんだけど、今回のその兄・卓司のクズ・チンピラ演技のキモは……たとえば、「後輩からとても煙たがれているであろう偉そうな先輩」っていうこの点においては、『さんかく』の高岡蒼甫演じる男、実は後輩からめちゃめちゃ煙たがれているっていうのがあるんだけど、あれを数倍悪質にしたような、粗暴なキャラクターなんですね、今回の卓司は。

なんだけど、ポイントはここ。たとえば出所後すぐ、キャバクラっていうかクラブに行って、ホステスさんにしょうもないセクハラをしつこく繰り返す、という場面。あそこのホステスさんがまた、諦めて、死んだ目で乳をいじらせているところ(笑)。で、こうやって会話しながら、卓司の方もさ、関係ない会話をしながら、乳をいじくり倒していて(笑)。お互いに誰得なの? この時間、誰得?っていうあの瞬間とか、めっちゃおかしいですけど。とにかく発言の端々に出る、「迷いのないデリカシーのなさ」。これが、この卓司という今回のキャラクターの、クズ感の特徴。「デリカシーがない」。特にやはり、「ダイエット薬を輸入するんだよ」っていう時に、「えっ、私もほしい!」って筧美和子さん、妹が言ったら、「どっちかって言うと、姉ちゃんの方が必要じゃね?」って、サラリと迷いなく(笑)。「デリカシー、ない!」っていう。あまりにも迷いがなさすぎて、責める気にもならん、っていう感じとか。

あとね、「ああ、俺もブス嫌だわー」ってね(笑)。「ブスですいませんね!」っていうあのくだりとかね。あと、「俺、チェンジなしの卓司って言われてんだぜ」っていうね(笑)。とにかくあの、悪気すら感じさせない、一貫したゼロデリカシースタンス。もう気持ちいいぐらいの。要は、この卓司という男は、非常に粗暴で半グレみたいな感じなのね。タトゥーの入れ方とかもすごい半端な感じなんだけど、要は、単に無邪気、単に「子供っぽい男」という面をさり気なく、このデリカシーなし男の感じで出している。

なので、単に無邪気で子供っぽい男ということで、かわいげっていうか……たとえば後半に出てくる「親孝行の強要」(笑)とか、弟にあるプレゼントをするんだけど、拒絶されて本当にしょんぼり帰っていくところとか、やっぱり彼なりに考えていることが、空回りしているだけなのかも……っていうようなバランスが、今回の新井浩文さんのクズ・チンピラ方向のですね、いい味付けになっている。さすが上手いですね。バランスがね、ちょっとしたバランスだけで、そのキャラクターの深みを出す。

■一番の曲者・弟を演じるのは窪田正孝

でも、この四者四様いる中で、僕は実はいちばん曲者なのは、窪田正孝演じる弟の和成というね。要は、劇中でいちばんおとなしく見える人なんだけど……まあ『ヒメアノ~ル』以降の吉田恵輔作品というのは、途中までいくらコメディーで進んでいても、「惨劇が起こるんじゃね? 途中から超怖くなるんじゃね?」って、こっちはもう覚悟して見ているけど、今回はやっぱり、いちばん不吉な殺気をたたえているのは、この窪田正孝演じる一見おとなしいキャラクターなわけですね。で、実はこの和成さん、おとなしくて、真面目に働いていて、「俺たちみたいに地道に働いている人間はさ」とか言うんだけど……劇中でそこまで明言はされていないけど、ものすごーく、ズルい人ですよね、この人。実はね。そこの、自意識としては真面目だし、真面目に振る舞っているけど、なんて言うのかな? 揚げ足を取りづらいズルさっていうのが、本当にズルいっていうか。

まあ、弟イズムなのかもしれないですよね。ダメなお兄ちゃんから学んでいるっていうか。たとえば、そのニッチェの江上さん演じるお姉さんの方から、好意を寄せられているわけですね。で、こっちはそんなに乗り気じゃないっていうのはまあ、たとえば遊園地のシーンの表情とかでも……しかもね、その遊園地でデートしたところで、こっちの江上さんは「ワーッ!」ってはしゃいでいるのに、パッとカットが変わってその窪田くんのカットになると、暗がりでタバコをいきなり吸い出していて。「あ、お前、タバコ吸い出したんだ」「うん。なんか全部どうでもよくなって……」っていう(笑)。どんどんタバコを吸う場所が、車の中にも広がっていく、というあたりで彼に荒みっぷりが表現されているんだけど。

とにかく、お姉さんからの好意っていうのを、「お姉ちゃん、和成くんのこと好きだから」「えっ、好きじゃないでしょ?」「またまた~」って、やっぱりちゃんとそこ(和成側も姉が寄せる好意を知った上で利用していること)は妹さんは見抜いているけど、とにかく気づいていないわけがないのに、完全に「自然に」すっとぼけた上で、ちゃんとその好意を利用する。とかですね、俺はこのキャラクター、実は二度目に見て気づいたんですけど、序盤、阿部亮平さん演じるチンピラに絡まれる場面……これはちなみに、阿部亮平さんと窪田正孝さんが絡むということは、「達磨一家 vs RUDE BOYS」か?っていうね(笑)。ハイロー世界のね。そういう感じがするんですけど。まあ、今回はキャラクター違いますけどね。

とにかく、チンピラに絡まれた件を、「卓司さんに言わないでくださいね」って言われていたのを、結局、「ああ、シレッと言っちゃっていたんだ」って思うじゃないですか。何気なく言ったのかな? で、「仕返しなんかしなくていいよ! たのんでないじゃん、兄ちゃん!」って怒るじゃないですか。でもね、その怒る場面の直前で、みなさん、何が起こっているかわかりますか? 会社で、送られたメールを見てニヤついているのを、同僚に指摘されるんですよ。「彼女からのメールですか? なんかニヤニヤして」って。その後に、メールに送られてきたチンピラが殴られている写真を見せて、「こんなことたのんでないじゃないか!」って怒ったポーズをしてみせるという……なんと悪質な!っていうことに気づいたりするわけですね。

■「きょうだいがいなくてよかった〜!」と思いつつ、でも……

ということで、実はこの和成さん、おとなしく見える弟の秘めたダークネス、というのを通奏低音として、その四者のこじれ……特にお姉さん、ニッチェの江上さん演じる由利亜の病みというのがどんどん加速していき、あるポイントでカタストロフを迎える、という感じになっていくんですけど。ただ、そのあるポイントでカタストロフを迎え、ついにむき出しになった兄弟姉妹の確執、衝突というのを、やはり吉田恵輔監督は、明らかにただネガティブなものとしては捉えていない。むしろ、ここまでさらけ出しあってなお壊れようもない関係性、というものを、やっぱりやんわりと肯定しようとしている、という風に明らかに見える見せ方をしていますよね。

まあ、ひとりっ子としては正直……まったくうらやましくはなりませんでしたけど(笑)。「(兄弟姉妹が)いなくてよかった~!」って心底思いつつも、ただ同時に、兄弟がいる感じってこういう感じなのかな?っていう気持ちが、ちょっとわかった気がします。僕にとってはたぶん、RHYMESTERのメンバーが、いちばん兄弟……この映画に描かれるような、愛憎入り交じるとか、でも切っても切れない、みたいな。で、「俺がいちばんあいつのことをわかっている」みたいな……そういう感じも含めて(RHYMESTERメンバーとの関係が兄弟に)近いかな?っていう風に思いますね。だから、僕は厳密にはひとりっ子じゃないです。3人兄弟です(笑)。はい。

とかね、あと僕の奥さんが昔、付き合いたての頃に、「私、もうお姉ちゃんと縁を切ったから!」みたいなことを言っていて。俺が「えっ、ええっ? そ、それはちょっと大変だ……ああ、そう……大変だったね……」みたいな感じで聞いていたら、ケロッと翌日「もしもし~?」なんて電話していて。「あれっ? 縁……」って(笑)。まあ、そんぐらいの感じでございました。

■言いたいこともなくはないが……結果オーライ!

ただし、このクライマックスのあたり。僕は実は、先ほどの2通目に読んだメールの方と意見を同じくするところがありまして。クライマックス周辺、まず兄弟と姉妹っていうのが、クロスカッティングで交互に対比される、というところに至って、ちょっとその対比という図式が、あまりにもわかりやすすぎるのが続くというか……こっちを映して、こっちを映して。こっちを映して、こっちを映して……っていうのがなんか、もう構造が明確になってからだと、「わかったよ、もう対比なのはわかった」って。でも、ずーっと(同じ構造の対比が)続くので、ちょっとそこが、あまりにも図式が単純すぎるのが続くかな?っていう感じだったのと、先ほどのメールにもあったように、僕も特に子供時代の回想……8ミリフィルム風の、あったかみのある映像で、しかもセリフで「あんた、かわいいからタレントになれるよ」とか、「俺になんでも言え」っていうような、要は劇中の元になるような少年少女時代の回想というのを、あまつさえセリフでまではっきりと入れ込んじゃっていて。これははっきりと説明過多、そして情緒過多に足を突っ込んでいる領域かな、という風に思いました。

ただ、その上で、冒頭のツカミ同様、やっぱり吉田恵輔作品らしい、「“善きこと”には終わらせねえぞ!」っていう意思表示をもって、バン!って終わるので。結果オーライ! (直前までのやや過剰にも思えるウェットなタッチは)前フリだったっていうかね、ミスリードだったとも取れるので、結果オーライかな、という風にも思います。この、重すぎないというか。結果軽いタッチの喜劇に見えるぐらいのところに落とし込む、こういう感じもやっぱり大事だなと。要は、「大名作!」みたいなツラをしていない作品っていうかさ。それも大事かなと思います。やっぱり、さすが吉田恵輔監督作品。めちゃめちゃ面白かったです。そして結論としてはやっぱり、「ひとりっ子最強~!」(笑)、という結論でございました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『15時17分、パリ行き』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

【映画評書き起こし】宇多丸、『15時17分、パリ行き』を語る!(2018.3.3放送)

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宇多丸:

ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『15時17分、パリ行き』

(曲が流れる)

はい。サントラがないので、音楽はこれ、映画とは関係ないですけども。クリント・イーストウッド監督が2015年8月、オランダのアムステルダムからフランスのパリへ向かうタリスという鉄道で起きた、実際の無差別テロ事件を映画化。列車に乗り合わせていた3人のアメリカ人青年がテロリストに立ち向かう姿を描く。主演3人を演じるのは実際の事件の当事者である3人。また当時、列車に居合わせていた乗客も集められ、撮影も実際に事件が起きたタリスの車両を使って行われたということでございます。

■「これはいったい何なんでしょうか?」(byリスナー)

ということで、この映画をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、やや少なめ。ああ、そうですか。でも、公開から日がそんなにないということが大きいのかな? たしかにね、木曜日公開ですからね。まだ3日しかたっていない。賛否の比率は、9割方が褒め。「シンプルな演出とストーリー。だが、たしかな名人芸」「実際の事件を実際の人物たちに演じされるというアイデアと、それを実現させたことがなによりすごい」などの意見が多かった。一方、「いい映画だったのかどうか、よくわからない」「本人出演の再現VTR以上のものは感じなかった」という声もありました。

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「マーボーガイ」さん。「これはいったい何なんでしょうか? 映画としてはかなり奇妙です。露骨に物語的、構図的に描かれた成長(少年期)パート。異常なリラックスを見せる旅行パート。生々しい恐怖と痛みを再現した事件パート。そして、ラストの記録映像パート。事実ベースの映画で最後に本人の映像を用いる手法はイーストウッドの前作『ハドソン川の奇跡』や、(イーストウッド監督作ではないが)『最強のふたり』などでしばしば見られましたが、映画という虚が実に入れ替わっていく過程を映し出した映画は他に見たことはありません。これは必然か、偶然か。歴史か、事実か。物語という安定に帰結してしまう『映画』という表現を突破して、世界という不安定との付き合い方を示し続けるイーストウッド。とても人間業とは思えません。傑作です!」という褒めメールでございました。

一方、「トムトム」さん。「『15時17分、パリ行き』、正直言って期待はずれでした。撮影もほぼワンテイクで終わらせ、照明も使わず早撮りで有名なイーストウッド監督は近年、実話物ばかりを撮っており、映画には虚構のストーリーすらいらないという境地に至っているのか、今作ではさらに俳優すら削り当事者を使うという。その挑戦的な姿勢は非常に好感が持てました。フィクションであると『ご都合主義』と言われてしまうような終盤の奇跡的な展開に向けて、主人公3人の人生を丹念に描いていっているのですが、これがいまいち面白くありませんでした。映画から無駄なものを削ぎに削いだ結果、残ったイーストウッドの演出力だけで持っているようで、いわば超絶演出力で撮られた観光ビデオや『奇跡体験アンビリーバボー』を見ているようでした」ということでございます。

■イーストウッド監督作の中でも現状ぶっちぎりの変な映画

ということで『15時17分、パリ行き』、私も木曜日の公開時から合わせて3回予約して、3回連続でTOHOシネマズ六本木で見てまいりました。どの回も結構、お客は入っていたんですけども、正直、今回の『15時17分、パリ行き』、終わった後の映画館の場内の雰囲気が、はっきり……「キョトーン」っていう感じの雰囲気が流れるのが、ちょっと面白かったんですけどね(笑)、でも、まあそれも無理もないなという風に納得しちゃう程度には、今回の『15時17分、パリ行き』、先ほどのメールにもあった通り、非常に変わった映画。イーストウッドはもともとかなり変わった映画が多いですよね。実はね。なんだけど、イーストウッド監督作の中でも、現状ぶっちぎりの変な映画、異色作だと思います。ほとんど「実験的」と言っていいような試みをしている作品ということですね。

と、同時にでも、作品自体が伝えてくるものは、特にイーストウッドの近作の中では異例なほど、シンプルでまっすぐ、というところもあると思いますね。前作の『ハドソン川の奇跡』、この番組では2016年10月15日に評しました『ハドソン川の奇跡』の、96分というイーストウッド映画史上最短のランニングタイムをさらに更新しての、94分というこのタイトな尺も、最終的に帰結するメッセージのストレートさ、シンプルさにふさわしい、ということかもしれませんけどね。で、まず何がそこまで実験的か?っていうと、先ほどの説明でも言った通り、実際に2015年8月21日に起きたタリス銃乱射事件――「タリス」っていうのは列車の名前ですけども――というのを元にして。その詳しい経緯は、ハヤカワ・ノンフィクション文庫というところから出ている、一応この映画の原作という風になっている同タイトルのノンフィクション本があって、そちらの方に詳しいですけども。

■前作『ハドソン川の奇跡』で手応えがあった? 本人起用の試み

監督としてのイーストウッド、2006年の『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』の二部作以降は……ちなみに『硫黄島からの手紙』のポスターが、事実上の主人公であるスペンサーくんの少年時代の部屋でね、要はボンクラ感あふれるミリヲタとして過ごしている(笑)少年時代に、ポスターが貼ってありましたけどね。まあ、とにかく2006年の『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』二部作以降、俳優としてのキャリアに大きな一区切りをつけた不滅の名作『グラン・トリノ』(2008年)以外というか、『グラン・トリノ』を例外として、基本、実話ベース物ばかり作っている。特に、前作『ハドソン川の奇跡』で、本当にハドソン川でロケをしただけでなく、実際に事故があった時に救助に関わった人たちを本人役で多数起用するということを実は、すでにもうやっているわけです。脇役ですけども。

で、イーストウッド的にはおそらく、その手応えが結構大きかったのかもしれません。要は、「本人たちに演じてもらうの、全然ありだな!」っていう風に手応えを感じたのかもしれない。ということで、この『15時17分、パリ行き』。今回はもう主人公の3人の若者たち。あとは、そのテロリストに撃たれてしまった人とその奥さんとか、テロリストを拘束するのを手伝ったような人とかも含めて、とにかく本人たちをキャスティング。で、本当にタリスの車両を走らせながら撮影するという、要は限りなく本当にあったことを再現するというスタイルでやっている。要は、「本物っぽい」とか「リアル」っていう……たとえば実際にあったことを映画化する映画で褒め言葉としてある、「本物みたい」とか、「リアル」っていうのを超えて、「本物そのもの」をまんま提示する、というような試みですね。

しかも、さっき言ったように『ハドソン川の奇跡』でも本物性の追求というのはしていたんだけど、とは言え、あの『ハドソン川の奇跡』という映画は同時に、やっぱりトム・ハンクス主演という紛れもないスター映画であり、そしてALEXA IMAX 65mmというカメラを使った本当にスペクタクル映画でもあり。あとは詳しくは評の中でも言いました……これ、みやーんさんの公式書き起こしがホームページにありますので、そちらを参照していただきたいんですが、事故そのものは5分で終わる話を長編劇映画として成り立たせるための、作劇上、ドラマ的な工夫が非常にきっちりと、周到にされた一作で。ゆえに僕も、「『ハドソン川の奇跡』は、イーストウッドの近作の中ではもっとも万人向けかもしれない」という風に評したわけですけどもね。

たとえば『アメリカン・スナイパー』の主人公の、非常に多面性があるような、複雑な描き方みたいなのからすると、非常に万人向け、みたいな言い方をしていたんですけども……今回の『15時17分、パリ行き』は、主人公が事件と遭遇するまでの、本当にただの普通の若者たちとしての半生、っていうのがあるわけですね。まあ、少年期のパートというのがあって、そこは子役を使って演出しているので、先ほどのメールにもあった通り、そこは限りなく正統派の、イーストウッド版『スタンド・バイ・ミー』みたいな、非常に優れたジュヴナイルの匂いのするような作劇なんだけど。

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■起伏なく、ただ彼らのヨーロッパ旅行の道中が描写されていく

要するに、本人たちが演じる青年期の場面になってからは、本当にただの普通の若者たちとしての半生に、今回は、これみよがしなドラマ的起伏をくっつけたりはしていない。要は、お話をエンタメ的に盛り上げるための創作エピソードとか、そういうのは全くなくて。本当に、さっき言った原作のノンフィクションに書かれたまんまの彼等の半生。そして、結果的には大事にはなるけども、そこに至るまでは本当になんてことない、普通のヨーロッパ旅行の道中……途中でする、たとえば実際の列車に乗る手前でさ、「俺のさりげない写真を撮ってくれ」っつってさ、「頼んだらさりげなくねえだろ!」っていう(笑)、横を向いて撮る本当にボンクラなくだりとか、あるじゃないですか。あれとか本当にしている会話なんだけど。

とにかく全てが……本当にただただ普通のことが、普通に描かれていく。しかもそれぞれは一見、断片的なエピソードとして、断片的に描かれる。なので、たとえば若者のうちの1人、アレクさんという方がアフガンに駐留しているわけですよ。そしたら、『アメリカン・スナイパー』とかの流れで見ている僕らは当然、「このアフガンで、なにか恐ろしい出来事が起こったりとか、PTSDを負ってしまうなにかが起こったりするのか? 後の事件につながるような何かがあるのか?」って見ていると……なにも起きない(笑)、っていうね。リュックをちょっとなくしちゃったぐらい。しかも、自分の名前を書いた帽子だけがなくなっていたという話もあれ、本当の話なんだけど。本当になにもなかった、みたいなことなんですよね。というようなことが続く。

なので、たとえばヨーロッパ旅行のくだり。ボンクラ男子たちが、バカ話をしながらヘラヘラヘラヘラ観光しているだけのところを、延々と見せられるわけです。結構な尺を使って。これ、本当に思わずですね、「マンブルコアか?」って突っ込みたくなった。「マンブルコア」っていうのは、モゴモゴモゴモゴ、仲間内の日常会話をずーっと撮っているだけみたいな、アメリカのインディー映画のひとつの潮流があって。「マンブルコア」っていうね。「えっ、これなに? イーストウッド流のマンブルコア?」みたいな。「『マンブルコア、やってみました』みたいなこと?」ってちょっと突っ込みたくなるぐらい。見ながらさ、アムステルダムのクラブで、「ホエーッ!」とかってポールダンスをついついやっちゃっているところとか、そういうのを見せられるに至って、「いったい、僕たちは何を見せられているんでしょう?」っていう気持ちになる人がたくさんいるのも(笑)、これは当然だと思います。特にヨーロッパ旅行のくだりはね。

■断片的なひとつひとつのエピソードがある偉業の実現へと結実する

ただ、この徹底した「普通さ」「なんてことなさ」こそ、実はこれ、本作のテーマ、メッセージと深く関わっている部分でもある。この作りにはちゃんと作品としての必然がある、ということですよね。というのは、たとえばいま言ったヨーロッパ旅行の行程。「この国に行って、この国に行って……(知らないおっさんが)『アムス行け』って言っているからアムスに行って……フランスは、どうしようかな?」みたいな、行程のひとつひとつとか。あるいは、事実上の主人公と言っていいスペンサーがですね、念願かなって……幼いころからの純粋な思い+ボンクラミリヲタ体質が相まって、念願かなって軍に入ったのはいいけど、本当に『アメリカン・スナイパー』のクリス・カイルさん、亡くなってしまいましたけども、クリス・カイルさんのエリート軍人ぶりとは本当に全く対照的に、このスペンサーさん、まずパラシュート部隊は身体能力的にダメ。で、サバイバル専門になろうとするんだけど、それも寝坊したりしてダメ(笑)。

あの寝坊のくだりでさ、こうガバッと起きて、走っている……予告で見ると、走っているショットが、なにか緊迫した事態が起こっている場面なのかな?って予想をしていたのに、寝坊して遅刻して教室に走っているところ、っていうね(笑)。寝坊してダメとかね。で、仕方なくそれで救護兵になっていくという、要は、軍隊の中ではあんまり優秀とは言えない人なわけです。でも、そういう1個1個のボンクラなというか、ぼんやりした断片的エピソード。そういうひとつひとつ、どうってことのない、なんならひたすら冴えない感じの、ある若者の人生の場面場面が、実は全て……後に彼らが大量無差別殺人を阻止し、死にかけていた負傷者の命をも救うことになるという、そのために、その1個1個の断片的に見えた、普通の、「なんだ、これ? なにを見せられているのかな?」っていうその1個1個が、全部必要なことだった!ということが、クライマックスに至って一気にわかる、という、そういう作りになっているわけですよ。

■たったひとつ、なにかが違っていたらテロ阻止はなされなかった

本当に1個、なにかが違っていただけで、数十人、数百人の死者が出ていてもおかしくなかったような状況なわけです。たとえば、もしスペンサーら若者たちが、電車に乗ったのはいいんだけど、「この車両、Wi-Fi入んねえな」って一等車に移動していなければ……ここ、「Wi-Fiが入らねえ」って一等車に移動するところで、観客は事前にテロがスタートする位置というのを、前の方のカットバックで見せられているので、「Wi-Fi入ります」っていう文字がドアに書いてあるのが見えた時点で、「あっ、ここだ!」っていうので、一気に戦慄が走る、というかね。そして、「ここに彼らが(いま来たということは)……じゃあ、最初は違う車両にいたのかよ!(ゾーッ!)」っていう感じがある。だから実は非常に、構成は何気に周到に作られている。人物の車両ごとの位置関係の示し方とか、実は……最初は無造作に見えていたものが、実はものすごく周到にできている、というのがわかる。

だし、もしスペンサーさんが、軍人としてはあまり優秀とは言えなくて、希望のところからどんどんどんどん外されて、不本意ながら救護兵の訓練をしているんだけど、その救護兵の知識と技術がなければ。あるいは、ポルトガル駐留時に、趣味として身につけていた柔術。その心得がなければ……みたいなこととかですね。そもそも、彼らがヨーロッパ旅行の途中で、みんなから「パリはやめておけ。パリはやめておけ」って言われている。なのに、「やっぱりパリも行こうか」って、そのパリ行きの特急タリスに乗っていなかったら……とか。いや、もっとそもそもの話をすれば、そのスペンサーくんが、決してできる子として人生を送ってきたわけではないこのボンクラ青年が、しかしそれでも「人の役に立ちたい」という使命感を、少年のころから抱き続けて。しかもそれが、「いざというその瞬間」に発揮できる、本当に、真に勇気ある人物だった、ということがなかったら……という。

そしてその、まさに同じ瞬間、まず故障なんかないアサルトライフルAK-47。その最初の一発。しかも、その最初の一発に、たまたま込められた弾に生じた、あるアクシデント……これはノンフィクションの本の方により明確に描かれていますけども。要は、弾に雷管を打った跡はあるんです。カーンと打ってはいたんだけど、弾のなにかその雷管に不具合があって、打ったんだけど、火薬の方にボン!っていかなかった。弾が発射されるところまでいかなかった。たまたまその一発が……という、その1個の、文字通り奇跡的な偶然が最後に1個加わることも含めて、とにかくなんてことのない普通の若者の人生のように、そしてそれが断片的にただ連なっているだけのように、我々観客にも見えていたその全てが、実はこのテロ阻止ということに関しては、無駄ではなかった。全部必要なプロセスだった、ということが、クライマックスに至って一気に理解できる、という作りなわけです。

■今回、イーストウッドのシンプルな問いかけは「いざという時に、あなたは動けますか?」

つまり、パズルが一気にガン!ってはまるというような。いままで無意味に思えたパズルが、全部はまったら、「あっ!」っていう風になる。なので、そこに至るまで延々と普通の人生、普通の旅というのが描かれる描写は……しかも、振り返ってみれば、でもそれらはほぼ全部が、クライマックスへの伏線だらけだった、とも言えるわけで。テーマ的に、要するに必要なものだった、ということだと思うんですね。「いざという時に、なすべきことをなせるか?」っていうのは、実はやっぱりとてもイーストウッド的な問いの立て方だ、という風にも思います。ずーっと関係ない話同士が並行して進んでいて、「これ、なんの話なんだろう?」っていう(風に観客には見えていた)のが、出会うべき人たちがついに最後出会って、役割を……その、自分の人生の役割っていうのが見つけられなかった主人公が、ついに自分の役割というのを見つけて、果たすという。そういう意味では、話としては、2011年3月5日に(この番組では映画評を)やった、イーストウッド作品の『ヒア アフター』にいちばん近いものがあるな、という風に思います。『ヒア アフター』も十分に変わった映画でしたけども。という感じ。

ただ、今回の『15時17分、パリ行き』ほど、「いざという時に、なすべきことを君はなせるのか?」……「いざという時に、なすべきことをなせなかった悔いを持っている」、もしくはやっちゃったことが正しかったのかどうかを悩む、みたいなのもイーストウッド的な主人公だったりするんだけど、今作ほどストレートに、「なすべきことを、なせたんだ!」っていう風に、ポジティブにこのテーマが語られることも、あまりなかったんじゃないかなという風に思いますね。ちなみに、さっき言った原作となったノンフィクション本では、アメリカ人若者たち3人の半生。今回の映画で描かれている半生、旅路というのと並行して、テロを実行しようとした、アイユーブという、テロ実行犯の青年側の半生と足取りも、同時にちょっとずつ掘り下げていくという作りなんですね。

その中でたとえば、そのイスラム系移民が、ヨーロッパ社会でやはり冷遇、敵視されて、それがまた犯罪やテロに彼らを走らせていく元凶になっているという、そういう構造がちゃんと指摘されたりもしているんです。なんだけど、今回の映画版では、そっちサイドの話は本当に完全に、バッサリとオミットされてますよね。正直僕は、その対照的な、明暗を分けた青春のあり方というのを並行して語る、そっち方向の作りの作品も、正直見てみたかったという気はたしかにあります。ただ、おそらくイーストウッドは、少なくとも本作では……つまり、「少なくとも本作では」っていうのは、他の作品ではむしろそういう両面的なアプローチをしてる。たとえば、『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』っていう、視点を完全に裏返して描く、というこの作品なんかはまさにそうですし。

『アメリカン・スナイパー』もやっぱり、そんな単純な軍人礼賛映画ではなくて、自分の鏡像関係のようなスナイパーと対峙して。最終的には自分のマッチョ性がどんどんどんどん揺らいでいって、最後はメソメソ泣いて。父の教えを忘れて、ライフルを捨てて逃げ帰るというさ。普段、他の作品ではそういう多面的なアプローチ、視点というのは全然やっているイーストウッドなんだけど、少なくともこの『15時17分、パリ行き』のこの物語では、そういう世界の問題の複雑さというのよりも、「いざという時に、あなたは動けますか?」というシンプルな問い。しかもそれを、このどこにでもいるような、本当に普通の若者たち……これがだから俳優が演じてさえもいないから、本当に普通の若者たちが、それを実際に成し遂げたんですよ! ということとか。

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■青春映画として、ロードムービーとしてもチャーミング

あるいは、必然としか思えないほど奇跡的偶然の連なり、というのが本当にあったんですよ!という、そのシンプルな感動というか。シンプルに「すげえな、この話」っていう部分。とにかくそのシンプルさの方に、今回は賭けたかった、ということなんじゃないでしょうかね。いろんな企画が連続してポシャッちゃって、サクッとやりたい企画だった、というのもきっとあると思います。イーストウッドは基本的にサクッとやりたい人なので(笑)。なので、スペンサーが本当にバッと……「いざという時に、あなたは動けますか?」というその一点にかけているから、やっぱりバッと駆け出した瞬間に、僕は、「あっ、ああっ!」っていう。「ああ、あの子が! やっぱり、お前は動ける子だったよ、スペンサー!」って。そして最後、ホームで、少年時代にしていた祈りの言葉を、もう1回繰り返す。この祈りの言葉だけは、ノンフィクションのその本には入っていない。こここそ実は1ヶ所だけある、映画的アレンジなんですね。というあたりも非常にグッときますし。

先ほど言いましたけど、イーストウッド版『スタンド・バイ・ミー』的と言っていい少年期の描写。ここは割と正統派なジュヴナイル物として、非常にいいあたりですし。お母さん役のジュディ・グリアさん。『ファミリー・ツリー』とかに出てきた女優さんですけども、(長年イーストウッドのパートナーだった)ソンドラ・ロックにすごい似ていて。「これはイーストウッド好みの顔してるな」なんて思いながら見ていましたけどね(笑)。あと、やっぱり、人生ままならなかったボンクラ青年が、旅の果てに何事かを成し遂げる、という青春映画。もしくはロードムービーとしても、僕は非常にチャーミングな一作だなと思います。

■イーストウッドはどんな題材でも映画に出来ちゃうんじゃないか? という領域へ

とにかく、主役の3人本人たちが、とってもいい味を出していて。「あいつらと一緒に人生を歩んできた」感じがちゃんとするというか。だからこそ、「お前、本当にやったじゃん!」「これをお前がやったのか、本当に!?」っていう感じと、最後に勲章をもらうところ……フランソワ・オランド元フランス大統領に、勲章をもらうところ。あそこ、本当に不思議な場面なんですよ。ビデオで撮った、実際の、本物のフランソワ・オランド元フランス大統領の(ショットと交互に)、後ろから、たぶん背格好が似た人を使って撮っている劇映画(的なショットが入ってくる)……要するに、虚と実がカットごとに入れ替わる、という、めちゃめちゃ変な画なんだけど。やっぱりそこが、もうずっと人生を一緒に歩んできた気がしているから、「お母さんたち、自慢の息子さんですね! いやー、いろいろと学校の頃は心配とかしたけど、よかったじゃないですか。あなたたち、間違ってなかったですよ!」って肩もんであげたくなるような(笑)、そんな気持ちになる、という感じだと思います。

まあね、いわゆる普通の、「ストレートに面白い」映画を見たいんだったら、『スリー・ビルボード』とかね、それより優先順位的には後でいいけど。変な映画だし、途中は「なんなんだ?」っていう風に感じる人が多くなるのもわかりますが。むしろその『スリー・ビルボード』とかも含めて、「普通に面白い映画」っていうのの、お約束性とか慣習性とか、そういうところに飽きてきたりとか、ちょっと懐疑的な気持ちを抱いたことのある人にこそ、イーストウッドがまだまだ「映画」というものを問い直している、というこの一作。見応えが実際、あるんじゃないでしょうかね。もうイーストウッドは、どんな題材、どんな形でも映画にできちゃうんじゃないか?っていう、恐ろしい領域に入ってきたなと思います。僕は絶対に嫌いになれない! ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ブラックパンサー』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下ガチャ回しパート>

『15時17分、パリ行き』、ヴェネツィアでたまたま途中で一緒になる、あのリサという女の子。あの子、めちゃめちゃかわいいなと思ってね。「この子は本物かな?」って思ったんですけど、調べたら女優さんでした。はい。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!


2018.3.6 火曜日18:03 放送ログ 音声あり 【映画評書き起こし】宇多丸、『ブラックパンサー』を語る!(2018.3.10放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『ブラックパンサー』

(The Weeknd, Kendrick Lamar『Pray For Me』が流れる)

『アイアンマン』『アベンジャーズ』などのマーベル・シネマティック・ユニバースの第18作目。すでに『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で顔見せしていたヒーローの初単独映画化。アフリカにある超文明国ワカンダの国王だった父を失ったブラックパンサーが、国の秘密を守るために世界中の敵と戦う。監督は『クリード チャンプを継ぐ男』などのライアン・クーグラー。主演はチャドウィック・ボーズマン、『それでも夜は明ける』のルピタ・ニョンゴ、『クリード』のマイケル・B・ジョーダンなど、ということでございます。

ということで、この映画をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」! そりゃそうでしょうね。賛否の比率は7割が「賛」。普通が2割。残り1割が否定的な意見ということでございます。褒めている人の意見では、「伝統的な面と科学の進んだ面を併せ持つワカンダの世界観を見ているだけで楽しい」「差別問題、社会問題に対しても非常にバランスの取れた描き方をしているのでは」「主人公を取り囲む女性キャラクターたちが魅力的」などなど。さらに多くの人が、今回の悪役キルモンガーをMCU最高の悪役として高く評価している。

一方、否定的な意見としては、「アクションシーンがわかりづらく、新鮮さに欠ける」「主人公に魅力が足りない。脇役ばかりに目が行ってしまう」「同じ王族アクション物の『バーフバリ』と比べてみると見劣りしてしまう」……もう、そういうこと言うなよっていう(笑)。「キルモンガーの肌が気持ち悪い」。これはスカリフィケーションっていう身体装飾をしているわけですね。肌の上にボツボツをやるというね。ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。

■「彼こそが王の中の王、ヒーローの中のヒーロー!」(byリスナー)

「ふたりはオルゾフ」さん。「『ブラックパンサー』を鑑賞してまいりました。結論からいえば、めちゃめちゃ面白かったです。極彩色のアフリカ民族衣装と、未来的SFの融合したガジェットデザイン。とにかくワカンダの世界観が魅力的で、これだけで料金分の元を取った感じがします。ワカンダに移住したい。それがかなわないなら、ティ・チャラ陛下を称えたい! ヒーローとヴィラン、2人の生い立ちがそのままアフリカとアメリカの黒人の歴史に重ね合わせられ、極悪人であることには違いないはずのヴィランの境遇にも、それはそれで共感をさせられてしまう。脚本の巧みさとヴィランを演じたマイケル・B・ジョーダンの新境地だと思いました。

一方で、ヒーローであるティ・チャラ陛下の葛藤も共感できるものでした。自分が生まれるよりもはるか前からずっと先送りされてきた問題に対し、自らが落とし前をつけなければならなくなってしまった世代の苦悩とでも言うか。先祖たちが先送りしてきた決断も、父親の過ちも、そして自分の影の存在であるヴィランの想いも、全てを受け入れた上で未来に向けて前向きな覚悟を決める。彼こそが王の中の王、ヒーローの中のヒーローです。ワカンダ・フォーエバー!」ということですね。

一方、ダメだったという方。「福岡出身埼玉育ち」さん。「『ブラックパンサー』、監視してきました。出てくるガジェットやアクションシーンは楽しめました。アクションシーンが暗いシーンが多かったのは残念でしたが。ただ、やっぱりMCUのいままでの流れを見ていると、この作品には不満があります。『シビル・ウォー』で問われたこと、『ヒーローをどう管理するのか? ヒーローの超人的な能力をどう管理するのか?』という問いに対して、今回の『ブラックパンサー』は全く無視をしているように思えました。

『専制君主制の国だからそんなことを言っても仕方ないじゃん』と言われればそうなんですが、ティ・チャラが国王になり、返り咲くプロセスが、要はより強い力を示せればいいだけであって、その正統性が示されていないのでは? と思ってしまいました。最後のある演説も、『各国の意向も関係なく、力で介入するぜ』という風に聞こえ、要は『倫理的・政治的に正しければ力で押し切っても問題ない』と躊躇なく言っているように聞こえます」ということでございました。

■品川のフルサイズIMAX 3Dで見ると評価がさらに何割か増し

ということで、『ブラックパンサー』。行きましょう。私も言いたいことがいろいろございます。TOHOシネマズ六本木で字幕2D、T・ジョイPRINCE品川でIMAX字幕2D、TOHOシネマズ錦糸町で吹き替え2D、そしてユナイテッド・シネマ アクアシティお台場で「スクリーンX」字幕2Dという4方式で見てきたんですけども。このスクリーンXっていうのは韓国発の上映方式で、正面のスクリーンと両脇の……スクリーンというか実際には壁なんだけど、三面に投影するという――まあ、場面は限られているんだけど――三面に投影するという、ちょっと往年のシネラマを彷彿とさせるというか、シネラマ簡易版みたいな感じの上映システム。まあ、一度は体験してみるのも乙ではないでしょうかね。ちなみに、あんまり前に座ると全く意味がないというのを私、身をもって体験しました(笑)。「よし、これは没入感だ!」と思って前に座ったら、前面のスクリーンしか見えなくて。「これじゃあダメだ!」っていうんでね、後ろに移らせてもらいましたけどね。

ただまあ、やはりというか、いつも同じことばかり言って申し訳ないですけども、僕が見比べた中ではやっぱりですね、品川のIMAXが段違い。最高! 評価がさらに何割か上がる勢いで、最高でした。特に今回の『ブラックパンサー』はですね、たとえば最初に乗り物でワカンダ国に空からワーッと入っていくところとか、あと滝のところでの王位継承の儀式。で、人がワーッと周りの崖の上に立っているショットとか。クライマックスもそうですけど、とにかくドーン! と広い空間ありきで見せる場面が多いので、非常にこのIMAXが、より効果的でした。なので、ぜひ機会があったら品川のフルサイズIMAXで3Dでご覧ください、っていう感じなんですけども。

■ライアン・クーグラー監督にとっての「リッキー・コンラン戦」が本作

ということで、まあとにかく、もはやここの説明は飛ばしてもいいでしょう……マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の最新作。にして、僕的にはなによりも、あの大・大・大傑作、『クリード チャンプを継ぐ男』のライアン・クーグラー脚本・監督最新作でもある、ということですね。僕が『クリード』をどれだけ高く評価しているのか?っていうのは、これもあちこちで言っているので省きますが。僕はとにかくこの『ブラックパンサー』、アメコミ映画史観とかMCU史観以上に、「ライアン・クーグラー史観」「クリード史観」で見てしまう、というのがございましてね(笑)。まあ、ライアン・クーグラーさん。長編デビュー作は2013年の『フルートベール駅で』という、これはもう完全に低予算。モロにインディペンデント作品なわけですよね。

で、その前から温めていて、スタローンにも持ちかけていたその『ロッキー』のスピンオフ企画というのを、熱意で口説き落として。『フルートベール駅で』を撮ってからもう1回、口説いて……当たり前ですよね。長編を1本も撮ったことがないやつがなんで『ロッキー』のスピンオフを撮るんだ?って、当たり前なんだけど(笑)。『フルートベール駅で』を「こんなの、撮りました」って持っていって、口説き落として撮った『クリード』で、要は一気に桁が違うような大試合に出て。で、見事に大成功を収めた。と、思ったら、そこに1本の電話が……「もしもし? 君、世界チャンピオン戦、やってみないかい?」と。それでMCU最新作。

つまり、ライアン・クーグラーにとってこの『ブラックパンサー』はですね、アドニス・クリードにとっての、リッキー・コンラン戦なわけですよーっ! わかりますか?(笑) これ、『クリード』は見ておいてくださいね。要は映画『クリード』の中で3回、試合が描かれているじゃないですか。メキシコでの試合と、中盤でのレオとの試合、そしてコンラン戦。だから、レオとの試合が『クリード』だと思ってください。で、アドニスはその次にいきなり世界トップと戦うことになるわけじゃないですか。それと同じで、もう才能があるのはわかっているとはいえ、まだ長編三作目なんですよ。この人は。なのに……もちろん大がかりなVFXとかも使ったことがあるわけがない若手に舞い込んだ、一世一代の大舞台ということなんですよね。

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■ホップ・ステップ・ジャンプに成功。ライアン・クーグラー史観で言うと文句なし!

しかも、最近この手の、もちろんインディー作家の気の利いた人をフックアップして大作を任せる、というのはいっぱいあるけど、かならずしもいい結果ばかりを生んでいるわけじゃない、っていう例もあるじゃないですか。たとえばそれこそ、今回も出ているマイケル・B・ジョーダンが出演している、『クロニクル』のジョシュ・トランクがフックアップされた、『ファンタスティック・フォー』。マイケル・B・ジョーダンも出ていますよ。そしたらもう、大変な……製作時のドタバタも含めて、非常に悲惨なことになっちゃった。そういう例もあるだけに、僕は、いいですか? もう完全にライアン・クーグラーとアドニス・クリードを重ねて見ていますから。もう本当に、アドニスvsコンラン戦のように、「結果勝とうが負けようが、俺はどこまでもお前の味方だぜ! 仮に今回失敗だとしても、俺は絶対に悪く言うやつは許さねえ!」ぐらいな気持ちで勝手にいたわけですよ(笑)。日本にそういう、この熱意でいる人って……たぶんライアン・クーグラーは絶対に知らないし、知ったら引くと思うんですけど(笑)。

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で、実際に出来上がった『ブラックパンサー』は、というと……まるでアドニス・クリードの苦悩を、善と悪、陰と陽の2つに分けたかのように……つまり、どちらにも深く思い入れずにはいられないようなヒーローとヴィランを始め、全てのキャラクターに、ちゃんと血が通っている。その、たしかな人間ドラマ演出力と……音楽のルドウィグ・ゴランソンさんや、編集のマイケル・P・ショーバーさん、あと、撮影監督、今回は『フルートベール駅で』のレイチェル・モリソンさんに戻ったりとかして、要はMCUなんだけど、結構馴染みのチームをきっちり呼んできて、その馴染みのチームが生み出す、映画としての若々しいリズム、パワフルさ、っていうことですよね。要するに、非常に的確かつ深い人間ドラマ描写力、演出力と、映画としての若々しいリズム、パワフルさ。このあたりは『クリード』で非常に証明済みな部分ですよね。

で、そこに加えて今回の『ブラックパンサー』は、一作目の『フルートベール駅で』……さっきも言いましたけど、非常にインディー作品です。非常に低予算の、まさしく「Black Lives Matter」運動ドンピシャな、社会派インディー作品ですよね。なんですけど、この『フルートベール駅で』にあった強いメッセージ性、社会へのアクチュアルな問いかけまでも、今度はこれ以上にないほどのビッグバジェット、ブロックバスター、ファミリー向け超大作であるこの1本に……要するに『クリード』と『フルートベール駅で』の2本を、三作目の超大作に昇華してみせた、という感じです。ということで、ライアン・クーグラーさんの長編三作目として、理想的なホップ・ステップ・ジャンプを、見事に決めてくれた。ライアン・クーグラー史観で言うと、まさしく僕は文句なし!の一作ですし。MCUおよびアメコミ映画史、ひいてはアメリカのエンターテイメント映画史においても、非常に大きな意味を持つことに後々もなっていくであろう一本に、堂々と仕上げてみせたということで。もうお見事! デキる子だとは思っていたけど、予想を超えてお見事! だったという感じですね。

■舞台は1992年オークランド。となればトゥー・ショート以外ありえない

まあ、順を追っていきますけどね。冒頭、おとぎ話風にワカンダ王国の歴史をおさらいするという……砂粒が立体的に変化して、というテクノロジー表現って、たとえば『マン・オブ・スティール』のクリプトン文明のあれとか、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVol.2』でカート・ラッセルが事の経緯を語る場面とか、あのへんにもちょっと通じるような感じで、これ自体はそこまでフレッシュというわけではないんだけど。

だし、冒頭でおとぎ話風にこれまでの昔話、ここまでの経緯を語る、これはよくある出だしっちゃあ、出だしじゃないですか。なんだけど、この『ブラックパンサー』の場合は、そのおとぎ話を――これはあえて言いませんけども――「誰が誰に語り聞かせていたおとぎ話だったか?」っていうのが、中盤以降に明らかになると、後追い的に「ああっ! じゃあ最初のあれは、この人がこの人に言っていたのか!」って。そう思うと、ちょっと後追いで涙が出てくるというか、ドラマ的伏線にもなっているという、非常に周到な作りになっております。で、そこから続いて、まだまだタイトルが出る前のアバンタイトルシーン……っていうか、タイトルは最後に出るんだけど、マーベルの会社のマークが出る前のシーンが続く。

1992年、オークランド。で、1992年のオークランドっていうことで、当然のようにトゥー・ショート「In The Trunk」という、要するに90年代オークランドといえば、それはもうトゥー・ショート以外あり得ない!っていう感じで鳴り響きだす。ここはさすがライアン・クーグラー。前作『クリード』でもさすがのヒップホップIQあふれる選曲をしていたというのもありますし。しかもライアン・クーグラーはオークランドが地元で、そこで育っていたということもあるらしいんですけどね。なのでだから、ひょっとしたらあそこにいる少年たちに、ライアン・クーグラーは幼き日の自分の思いも重ねているということかもしれないですね。

■「ワカンダよいとこ、一度はおいで」

で、そのプロジェクト(低所得者向け住宅)的な貧しいアパートの部屋には、ちょっとギャングスターのグールー似の、ウンジョブという主人公のおじさんにあたる人がいて。彼の急進的プロ・ブラック思想を象徴するかのように、今度はパブリック・エネミーのポスターが貼ってあったりとか。あるいは、テレビからはおそらく1992年ということを考えれば、ロサンゼルス暴動の報道的なものが流れていたりとか。作品全体のテーマと関わるようなモチーフが、すでにさりげなくあちこちに配置されつつ……実はこのアバンタイトルシーン全体も、中盤に明らかになるある展開の伏線であり、そしてラスト、着地点ともしっかりと対をなしている、という。やっぱり構成が非常に丹精なんですよね。

そこから一幕目に入っていくわけですけど、まずヒーローとしてのブラックパンサー自体は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』ですでにお披露目済み、ということもあって、要は、「なんでこういうヒーローがいるのか?」とか、そういう説明は抜きで、割とサクッと登場、サクッと活躍してくれる、という感じだと思います。と、同時に、そこの活躍するシーンは、やっぱり現実にあるアフリカの、たとえば誘拐した女性を奴隷化しているとか、誘拐した少年を少年兵にしてしまうとか、そういう現実の問題もちゃんと押さえつつ。なおかつ、『シビル・ウォー』の時のティ・チャラ王子様の、ちょっとカタブツな感じから若干、親しみやすいボンクラ感込みのキャラクターに、早い段階で上手くチューニングをして。しかもそこで、オコエという親衛隊長との、カッタッパとバーフバリ的な関係性みたいなものもきっちり見せつつ……みたいな感じで。非常に端的に、キャラクターも描くし、社会背景も描くし、ということをポンポンポンっとやっていく。

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で、そこから、なによりも今回の『ブラックパンサー』という映画の、大きな魅力のひとつでもある部分。これ、メールでも書いてらっしゃる方、多かったと思います。明らかにこれが今回の『ブラックパンサー』の、大きく言って2つある魅力のうちのひとつ。要は、ワカンダ王国というこの架空の国の、風習というか風俗が……実際のアフリカの様々な部族の習俗を本当に研究しまくってミックスした、ということらしいですけども……伝統的風習が超高度なテクノロジー文明と一体化した感じの国で、その描写が、一種観光映画的に、とっても楽しい。で、まあ、『バーフバリ』と比較する人もわかりますよ。「ワカンダ、フォーエバー!」って(劇中のポーズ付きで)こうやりたくなるという感じ、それはわかりますけどね。「ワカンダよいとこ、一度はおいで」っていう感じの、観光映画としても非常に楽しい。

■孤立主義で栄えるワカンダ王国に突きつける疑問

特に僕はやっぱり、あのオールスキンヘッドの女性親衛隊、ドーラ・ミラージュという軍団が本当に最高で。彼女たちが戦う場面になると、音楽がちょっとケチャ風になって、場面のアクションの温度がちょっとだけ上がるところとかも、本当に好きなんですけども。ダナイ・グリラさん演じる隊長オコエの、完全に『バーフバリ』における「カッタッパ感」が半端ない。後半で彼女がする苦悩のあり方も、非常にカッタッパと近いですよね。「忠誠か? それとも正義か?」みたいなところですよね。で、その一幕目。言ってみればワカンダ王国のブライトサイド(明るい面)、ポジティブな面というのを描いておいて……二幕目の前半では釜山での、予告でもいっぱい出てくるアクションシーンがありまして。これは非常に楽しいシーンですけども。

二幕目半ば、つまり映画の真ん中あたりで、それを一気に反転させてみせる。要するに「ワカンダはいいところ、楽園のような国だ」っていう風になるんだけど、実は、「ワカンダが楽園のような国だっていうことは……」って反転してみせる。要はワカンダというのは、極端な孤立主義の国であると。で、豊かさをシェアしない。他国を助けたりもしてこなかった、ということですね。要は、内部で自己完結しているから、たしかに「幸せ」で「豊か」なんだけど、っていう。しかし、現実の、外側の世界には、たとえばアフリカ系の人々が世界中で味わっているようないろんな苦しみ、ありとあらゆる意味での格差、人種差別から性差別から、とにかく取り返しのつかないほどいろんな歪みが、溜まりに溜まっているわけじゃないですか。

だとしたら、その孤立主義で成立するワカンダの「幸せ」とか「豊かさ」は、欺瞞と不正に目をつぶるということで成り立つ、まやかしなんじゃないか?っていうですね。どえらくハードな、なんなら正論でもある問いを突きつけてくるのが、今回の悪役。まさにアフリカ系民族がずーっと受けてきた苦しみと、そこから生じる怒り。さっき言った「世界の取り返しのつかないほどの歪み」というのを、一身に体現するかのような今回のヴィラン、エリック・キルモンガー! ということですね。そして今回のこの『ブラックパンサー』という映画の魅力。先ほど「ワカンダよいとこ、一度はおいで」、この楽しさが魅力の1個だと言いましたけど、もう1個は間違いなく、それと裏表の関係にあるこのエリック・キルモンガーというキャラクターの、圧倒的魅力にある、と言い切ってしまっていいと思います。

■本作の魅力のひとつ、マイケル・B・ジョーダン扮する「エリック・キルモンガー」

MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)はわりとヴィランの存在感が薄め……まあ、(『マイティ・ソー』シリーズの)ロキぐらいですかね。あとは全体にヴィランはなんか、ただのやられ役みたいな感じだったんだけど、ここに来てついに、非常に存在感があるのが出てきた。演じているのはマイケル・B・ジョーダン。『クロニクル』にせよ『クリード』にせよ、『ファンタスティック・フォー』だってそうですけど、どっちかって言うと頭のいい、育ちのいい、「イイ子感」という雰囲気の人なので、ちょっとヴィラン(悪役)は大丈夫かな?っていう風に僕、事前には思っていたんですけど……まさにそのマイケル・B・ジョーダンの、「根はイイ子」感こそが、エリック・キルモンガーという今回の悪役キャラクターに、忘れがたい厚みを与えている、ということだと思いますね。

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これ、さっきも言ったけど、アドニス・クリードがもし、アポロの奥さんに引き取られないで、ずっとあそこの養護施設みたいなところで生涯孤独のままいて、グレていたら……「アドニスがもしグレていたら、こうなっていたかも」って思うだけでもう、もうダメです、僕は。もう、「ううう……(泣)」っていう。さっきも言いましたけど、アドニス・クリードの、「チャンプを継ぐ男」としての重責とか、その不安とか。あるいは、かつてと違う、自分のレガシーを作るんだ!っていうその意気込みとかは、チャドウィック・ボーズマン演じるティ・チャラ。主人公、ブラックパンサーの方に託されて。一方で、これもアドニス・クリードの苦悩。つまり、「オレは“過ち”なんかじゃない!」っていう、なかなか認められてこなかった子供としての孤独。絶対孤独ですよ。孤独、そして悲しみ、怒りは、完全にこのエリック・キルモンガーの方に行っている、ということで。本当にアドニス・クリードを、陰と陽の2つに分けるとこのキャラクターになる、という感じですよね。

なので、エリック・キルモンガーはもちろん冷酷な殺人マシーンなんだけど、たとえば体にボツボツがついている、あれはスカリフィケーションっていう、自分で身体に痕をつけていくというやつですけども……アフリカの風習を悪い方に曲解した、というようなニュアンスも込めているということらしいんですけども……とにかくあれって、「これだけ殺してやったぜ」っていうワル自慢にも見えるけど、同時に、1人1人の死にちゃんと実は痛みを感じているっていうことなんじゃないか?っていう風に深読みをしたくなるぐらい、やっぱり彼、エリック側の心情が噴き出してしまう、途中の場面。これは完全に、アドニス・クリードが留置場にブチ込まれて、ロッキーの前で思わず涙を見せる場面と、本当に重なる場面ですね。

■内面が分裂したアンチヒーロー、キルモンガーは極めて「ラッパー的」キャラクター

ずーっと「タフさ」という鎧をまとっていた男の、その鎧がポロッと取れて。あのタフな男が、ポロッと泣いてしまう。つい、涙がこぼれてしまう、というあたり。もう、「マイケル・B・ジョーダンの強がりながらのベソ」は絶品ですね! もう、ご飯を何杯でもいけますね! 思い出すだけでもう、泣けてきてしまいましたね。ちなみに僕は、このエリック・キルモンガーのホットトイズから出るフィギュア、予約しました。届くのはなんと「2019年7月31日」という、気が遠くなりそうな日程なんですけどもね(笑)。とにかく、速攻で注文してしまったぐらいでございます。

とにかくこの、高い理想とか内面の繊細さを持ちながら、同時に、要は「ハードな現実を生き抜くためにはオレはいつだって手も汚すぜ!」という、ちょっと内面が分裂したアンチ・ヒーロー、というようなキャラクター。これね、僕は思うんだけど、すごくラッパー的なキャラクターっていうか、ラッパー好みのキャラクターなんですよ。たとえば、2パックしかり、あるいはケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』の中で描かれた、内面の葛藤からのポジティブな昇華もしかり。そのケンドリック・ラマーが2パックに心酔しているという、その流れもあるし。あるいはエミネムの、オルター・エゴがいくつにも分かれている感じもそうだし。

トゥ・ピンプ・ア・バタフライ トゥ・ピンプ・ア・バタフライ

とにかく、内面はすごく高い理想を持って、ポジティブに生きたいと思っているし、そうしようとも思っているけど、同時に、「ハードな現実に染まってこうなっているオレ」「現実がオレをこうしたんだ!」っていう分裂した感じは、すごくラッパー的なんですよ。なので、すごく今っぽいヴィランであり、アンチ・ヒーローだと思うんで。とにかくこのエリック・キルモンガーが、本作の魅力を決定づけていることは間違いないと思いますね。見事な造形だと思います。

■本作を見て育った子どもたちにとって大きな意味を持つ一作

ということで、とにかくヒーロー側にせよ、悪役側が提起してくる問いにせよ、全体にはっきりと、特にやっぱりアフリカ系アメリカ人であることの現実、負わざるをえない苦悩の部分と、それと同時に、その苦悩に飲み込まれずに、なんとか持つべき誇りとか希望を描く、っていうのがはっきりとテーマ、メッセージとして打ち出されていて。しかもそれが、まあ我々日本人とかいろんな国の人が見ても、要するにユニバーサルに届くエンターテインメントとしてパッケージングされているという、この画期性、ということですよね。だから、本格黒人主役ヒーローっていう意味では、たとえば『ブレイド』とかだって全然ね……ウェズリー・スナイプスはずっと『ブラックパンサー』をやりたがっていたんですけども……なんだけど、こういう、作品全体がちゃんとアフリカン・アメリカンによる、アフリカン・アメリカン発のメッセージになっている、というところがすごく画期的で。

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ということで、特に後年、これを見て育った子供たち世代にこそ、非常に大きな意味を持つんじゃないか。これは人種、国籍関係なく。つまり、これを見て育ったいろんな人種、国籍の人は、たとえば「黒人だからダメだ」とか、たとえば「アフリカは後進国で」みたいな先入観を持たないんじゃないですか? もちろんワカンダは架空の国だけど、そういう先入観を持たない世代を生むためにも、大きな意味を持ってくるんじゃないですかね。なので、たとえばラスト。かつてのエリックを思わせる少年に、オークランドでティ・チャラが最後、微笑みとともに与えようとしているものはなにか?っていうのがエンドロール。この曲がドン! と流れて。

(Kendrick Lamar, SZA『All The Stars』が流れる)

ケンドリック・ラマー feat. SZA「All The Stars」という曲で、ドーン!とエモーショナルに爆発するということですね。この曲、先行で聞いた時には、どういうテーマの曲かがちょっとわかりづらかったんですけど、この流れで見ると「ああ、なるほど」と。平たくいえば、「醜くてキツい現実に負けずに、ちゃんと夢を現実にする力の方を信じよう」というような……まあ、平たくいえばそういうことですよね。という、この流れで見ると、「ああ、この少年たちに対するメッセージなんだ」っていう風にとると、めちゃめちゃこの曲が感動的に響く、ということですね。ケンドリック・ラマーのこのアルバムがまた、映画の中で流れる曲ばかりじゃないのに、ほとんど『ブラックパンサー』というコンセプトアルバムとして別個の完成度を持っていたりしてすごいんで、またぜひこれも聞いていただきたいんですが。

ブラックパンサー・ザ・アルバム ブラックパンサー・ザ・アルバム

で、さらにその後、エンドロール中に、国連で演説をするという場面があって。ここもはっきりとメッセージを……はっきりと「反トランプ」と言っていいと思いますけども、そういうメッセージもあったりするので、ぜひ見逃さないようにしていただきたいということですね。もう時間がないんでね、韓国カジノでの乱闘シーンでの、ライアン・クーグラー得意の長回しワンショット使い……まあ、今回は擬似的なワンショットですが、ワンショット使いとか。あと、ブラックパンサーそのものの、ある意味ガジェット的なかっこよさとか、いろいろと語りたいところはあるんです。

■『クリード チャンプを継ぐ男』も併せてチェックして!

あえて言えば、VFXをいっぱい駆使したような大がかりなアクションに関しては、ルッソ兄弟級に個性を打ち出すところまではまだ行っていない、という感じはします。ただ、だからと言って別にアクションとして悪いというわけではないので。これは小さな部分です。

MCU歴代でも僕はトップ……少なくともトップ5には余裕で入る。トップ3かな? ぐらいには入る出来だと思います。っていうか、MCU云々は別にして……MCUはいま、クロスオーバーが行きすぎて、ちょっと飽和状態になっているじゃないですか。でもこの『ブラックパンサー』に関しては、単体でも全然イケる。MCU絡み要素を減らしてきたのも、とっても賢明だと思いますし。もちろん、アメコミ映画ヒーロー史でも非常に重要な作品になるでしょう。

ぜひぜひ、リアルタイムでウォッチして、そしてもし万が一『クリード チャンプを継ぐ男』を見ていない人がいたら、今回のを気に入ったのなら絶対に気に入るから! エリック・キルモンガーがグレていないバージョン、『クリード チャンプを継ぐ男』と併せて、ぜひぜひチェックしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『シェイプ・オブ・ウォーター』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

【映画評書き起こし】宇多丸、『シェイプ・オブ・ウォーター』を語る!(2018.3.17放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『シェイプ・オブ・ウォーター』

(曲が流れる)

『ヘルボーイ』シリーズ、『パシフィック・リム』、『クリムゾン・ピーク』などを手がけるギレルモ・デル・トロ監督が監督・脚本・製作を手がけ、ヴェネツィア映画祭の金獅子賞、そして第90回アカデミー賞の作品賞などを受賞したファンタジーラブストーリー。1962年、冷戦下のアメリカ政府で働く女性イライザと、水の中で生きる謎の生物との恋を描く。主演は『パディントン』シリーズや『ブルージャスミン』のサリー・ホーキンス。その他、オクタヴィア・スペンサーやリチャード・ジェンキンス、マイケル・シャノンなどといったところでございます。

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■「最高の“怪獣映画”」(byリスナー)

ということで、この映画をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多め! やはり、まずそもそもうちの番組のこのコーナー、みんなギレルモ・デル・トロ大好きですから。ギレルモ・デル・トロ作品といえば見に行くでしょうし、なおかつアカデミー作品賞ということで、メールの量は多めでございます。ありがとうございます。

賛否の比率は、褒める意見が8割。否定的意見が残り2割でした。褒める人の主な意見は「色や美術の美しさ、スイートな音楽。最高のおとぎ話」「様々な社会問題が織り込まれてていて、でもロマンチックなラブストーリーでもある」「ギレルモ・デル・トロ監督、ありがとう。そして、おめでとう!」という意見が多かった。かたや否定的意見としては、主に「主人公イライザが謎の生物に惹かれていく過程が描かれていない」といったところに集中していたということでございます。

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「わいえむ」さん。「素晴らしくロマンチックな恋愛物として素晴らしい本作ですが、私はやはりこれは最高の怪獣映画なのだと思いました。それは半魚人が出てくるからというだけでなく、(マイケル・シャノン演じる悪役の)ストリックランドというアメリカ的成功を追い求める人物が次第に怪物味を帯びていく様子がとても丁寧に描写されているからです。手話で意思疎通するイライザとは対照的にストリックランドの手は暴力を行使し、そのために指を食いちぎられてしまう」。あるいはね、奥さんに「黙れ、黙れ、黙れ!」って口を押さえたり。そういうために使う。「……半魚人がイライザと愛を交わし、人に近づいていくのと対照的に、ストリックランドは人間性を失っていき、自分の指をちぎり捨て、周囲の人間を遠ざけていきます。その果てに最後の水門でのごく短い対決があります」と。まあ、ここから先はネタバレになるので省略しますが。

「……怪獣対怪獣の対決の時、どちらが倒れても切なさを感じる、そんな気持ちとよく似ていました。怪獣というのは、そういう風にしか生きられない不器用な生き物だからだと思います」。なるほどね。ストリックランドもたしかにね。彼は彼でね、がんばって生きていたのかもしれない。「……やっぱりギレルモ・デル・トロ監督の好きな怪獣映画というのは、ただ凝ったモンスターが登場して動き回るというものではなく、怪獣というフィクショナルな生き物を通して、人の中にある人間性や怪物性があぶり出されるものなのでは、と思いました。監督にはこれからもずっと怪獣映画を撮り続けてほしいです」という。非常にギレルモ・デル・トロ論としても素敵なメールじゃないですかね。

一方、ちょっと否定的な意見。「ユイ」さん。「『シェイプ・オブ・ウォーター』を見てきました。一言では言えない複雑な感想を持ったのですが、あえて賛否で言えば『否』の方にカウントしてください。美術がとても私好みで、どこを切り取っても画になる美しいシーンの連続だし、キャストの演技も素晴らしくて胸をえぐられるような瞬間が何度もありました。それでもこの映画を好きになれなかったのは、声を奪われた女性がグロテスクな外見でマッチョの世界から疎外されている、実は神のような秘められた力を持つ彼に惹かれ、愛し、無限に受容し、守り、彼のために全てを捨てるという設定に『オタクの理想』的な嫌なものを感じ、どうしても乗り切れなかったからです。

主人公を男性にして、彼を彼女に変えたらこういう風に美しいラブストーリーとしては受け入れられなかったのではないか? つまり、ここで賛美されている愛は性別を逆転しただけで成立しなくなる程度のいびつで欺瞞的なものでしかないと思えてなりません。監督が幼少時に見た映画の半魚人と美女が結ばれたらいいのに、という考えが元になっていると聞いて、さもありなんと思いました。子供の考えた話を才能あふれる大人たちが寄ってたかって外側を塗り固めて仕上げた結果、美しいけどいびつで芯の弱い映画になったという印象です」という。まあでもこれ、最後の「そっちの世界に行っちゃうのを彼と彼女に変える」ってこれ、『スプラッシュ』ですけどね。要するに、人魚姫の物語をひっくり返すというのは、まあやっている作品もありますけどね、ということです。

ちなみに、ラジオネーム「いせもん」さんからいただいたものだと、シネマサンシャイン衣山というところで見ていたら、スプリンクラーが壊れ場内水浸し。上映はそのまま中止になった、という最高の『シェイプ・オブ・ウォーター』体験(笑)。本当に、まさに劇中の映画館そのままの体験をしたというメールもいただきました。みなさん、ありがとうございます!

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■デル・トロ監督による『大アマゾンの半魚人』の二次創作作品

ということで『シェイプ・オブ・ウォーター』、私もT・ジョイPRINCE品川でアカデミー賞の発表直後に見に行って。その時はすっげー空いていたんですけど、その後に今週、TOHOシネマズ新宿で……これはレディースデーだったこともあって、今回はほぼ満席でございました。プラス、もう輸入ブルーレイが実は発売されておりまして。それでも見直したりしました。

ということで、本作によってついにエンターテイメント映画界の頂点に登り詰めたギレルモ・デル・トロ。今回は原案、脚本、製作、監督を務めております。まさに全世界のオタクたちの希望の星! つっても彼の場合、その博覧強記ぶり、そして蒐集家としてのレベルがケタ違いなので……というあたりは、たとえば日本ではDU BOOKSから刊行されている『ギレルモ・デル・トロ 創作ノート 驚異の部屋』という本とかね、あるいは『ギレルモ・デル・トロの怪物の館 映画・創作ノート・コレクションの内なる世界』。こんなような本などで垣間見れる、彼の仕事場「荒涼館」……(チャールズ・)ディケンズの小説から(名前が)ついている、荒涼館という仕事場があって。これの様子からも、ギレルモ・デル・トロが半端じゃないっていうのが明らかになる。これ、デル・トロ作品を味わうにはぜひね、荒涼館の様子は絶対に一度見てほしいんですけどね。

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とにかく常に、異形の存在への愛を……味気なく残酷な「こっち」の現実の世界よりも、「あっち」の、空想で作った世界の方がずっといいや!っていうような心の叫びと、異常なまでに細部にまで徹底されたフェティシズムで描き続けてきた、デル・トロ作品。で、その中でも今回の『シェイプ・オブ・ウォーター』は、先ほどのメールにもありましたね。デル・トロが6才の時にテレビで見た、『大アマゾンの半魚人』……1954年の、言わずとしれたユニバーサルモンスター映画の古典。まあ、誰もが「半魚人」といって思い浮かべるあの形……今回の『シェイプ・オブ・ウォーター』も含めて、イメージの原型となった『大アマゾンの半魚人』。そこから受けたショックと感動。そして、物語に感じた違和感とか不満。

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要は、「なんで半魚人(ギルマン)がヒロインに受け入れられずに、殺されて終わりなんだ? なんてひどい話なんだ!」っていうね。これ、パンフレットに載っている町山智浩さんのデル・トロへのインタビューによれば、あまりにもその結末に納得がいかなかったので、幼き日のデル・トロは、半魚人とヒロインが幸せにすごしているという絵を描いたという。「二次創作」っていうことですよね(笑)。という、とにかくその幼き時の諸々に端を発した、いわば彼のクリエイター魂、創作衝動の、原点中の原点。根本のところに立ち返ったような、非常に実は、個人的な一作と言えるということですね。

なので実際に、フォックス・サーチライト製作で、比較的低予算というね。たとえば、先ほどから何度も名前が出ていますマイケル・シャノン演じるストリックランドというね、悪役のオフィスのシーンは、デル・トロがプロデュースしている『ストレイン』というテレビシリーズのセットを、まんま流用していたりするわけです。

ただまあ、もちろんその一方で、後ほど詳しく言いますが、ちょっとどうかしているんじゃないか?っていうレベルで、画面に映らないところまでの細部の細部に至るフェティッシュなこだわりという、これもあるんですが。とにかく、比較的低予算で。見た方ならまあ、場面とか舞台が非常に実は限定的だ、ということに気づかれたと思いますが。非常に低予算。要は、完全に自分の好きなようにコントロールした状態でつくれる体制でつくりたい1本だった、ということですね。なんだけど、それが結果として、デル・トロのフィルモグラフィー上でも、おそらく最も「広く」受け入れられる……つまり、ジャンル映画ファンとかだけではなく、広く受け入れられる一作になったという。まあ、その異形のものへの愛という、ギレルモ・デル・トロがずっと描いてきたメインテーマが、この時代、たとえばマイノリティーへの視線の問い直しみたいな、そういう問い直しがいろいろと著しいこの近年のエンタメ界の潮流というのと、完全に一致したという。これもまた非常に大きいわけですけども。

まあとにかくこれ、映画監督のキャリアというものの面白いところですよね。非常に個人的な1本を作ったら、それがいちばん普遍的に評価される1本になる、みたいなのがね、面白いところだと思いますけども。で、実際にこの『シェイプ・オブ・ウォーター』、お話の骨格そのものは、僕の表現で言う「このコは悪くないのに!」物というか(笑)、わりと定番的な展開で。まあ誰にでも大変にわかりやすい話。ある意味、何度も見たような話、というね。それこそ『E.T.』的、と言っていいと思いますけども。主人公の日常に異物、異形の者が紛れ込んできて、オトナ社会……もっと言えば男性的オトナ社会は、それを「実利として」追いかけてくる。つまり、冷酷に追いかけてくるんだけども。でも、その異物と交流を深めた主人公たちは、なんとかそれを無事に逃がそうとする。で、なんなら元いた場所に返そうとする、というような。これまでも何百本、何千本と作られてきたような、ある種の型というか、ジャンルと言っていいと思います。「このコは悪くないのに!」物というね。

■デル・トロ監督の「モンスターのままでなんで悪いとや!?」魂炸裂

それこそ『E.T.』……「実は人を癒やす超常的能力がありました」なんてね、完全に『E,T.』的と言っていいと思うんですけども。ただ、この『シェイプ・オブ・ウォーター』の場合、他のそういった類似ストーリーが踏み込もうとしなかった領域に、いまあえて踏み込んで、その一点に勝負をかけている、という作品でもあって……「その一点」というのはもちろん、すでにあちこちでも語られていることなんで、ここでももう話しちゃいますけども、人間である主人公とその異形の者が、その異形の姿のまま……つまり、たとえばジョン・カーペンターの『スターマン』みたいに宇宙人が人間の姿に擬態とかして、の状態じゃなくて、モンスターならモンスターの姿のまま、人間たる主人公と恋に落ち、さらにはその帰結として、具体的な性行為に至る、というね。

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つまり、異種間恋愛、そして、その一環としてのセックス、というものを描いているというこの一点。で、これは、倫理観とか、それこそ宗教観などによっては、強い心理的、そして生理的嫌悪感を催しかねない展開なわけですけど。しかし、これこそがさっき言ったギレルモ・デル・トロの、つくり手としての動機の根本。一言でいえば、「モンスターのままでなんで悪いとや!?」(笑)っていうことですよね。そこに関わる部分であって……逆に言えばこの『シェイプ・オブ・ウォーター』という作品は、「人間の主人公とモンスターが恋に落ちても、そしてその当然の帰結として性的な交わりを持ったとしても、全然いいじゃないか!」っていう風に、つまりデル・トロと同じように観客にも思ってもらうということ、その一点に向けて、全ての細部が機能するようにつくられている1本だ、と言い切っていいと思うんですね。

なので、もちろんそのまま単体で見ても大変わかりやすく、面白く、感動的な作品なんですけども、もしみなさん万が一、さっきから言っている『大アマゾンの半魚人(Creature From The Black Lagoon)』をちゃんと見たことがないのなら、いまブルーレイで3D版付き出ていますから、ぜひ見ていただきたい。そうすると……さっき言ったように、そもそもこの『シェイプ・オブ・ウォーター』は、『大アマゾンの半魚人』の、言ってみれば二次創作的な作品なんですよ。そもそも『シェイプ・オブ・ウォーター』が、その二次創作的な発想から出発しているというところ。併せて見るとより、この『シェイプ・オブ・ウォーター』という作品を作ったギレルモ・デル・トロの気持ち……「とにかくモンスターとヒロインの恋愛を、真正面から成就させたい」という根本の動機の部分が、より正確に理解できるのは間違いないと思いますので、ぜひセットで見るのを……あまりにも基本的なことすぎて、(『大アマゾン〜』を改めてチェックし直したりは)していない人がいるかもしれませんけども。絶対にこれ、おすすめですね。

実際にこの『大アマゾンの半魚人』に出てくるギルマンって、これは本当に切なくてですね。特に、半端じゃなく美しい水中撮影。水面を、気づかずに泳いでいるヒロインの真下を、並行してひそかにギルマンが泳いで。で、ヒロインの足にこうやって触れようとして、フッと手を引っ込めるという場面。その本当に名場面があるんですけど。これはもう、明らかに『シェイプ・オブ・ウォーター』の原型というか、ここから発想してつくった映画なんだ、というのが明らかにわかる名場面なのでね。本当に映画史的名場面なんで、ぜひ見ていただきたいと思いますが。

ということで、とにかく観客に… …ヒロインとモンスターの、情交ですよね。性交も含め、情交というのを受け入れさせる。自然に納得をさせる。「これもあり」というより、「少なくとも彼らはこうあるべきだ!」とまで思わせる。その一点に向けて、全てのディテール、全ての工夫がされている、と言っても過言ではないこの本作。

もちろん、いちばんの勝負の分かれ目は、モンスターの造形ですよね。半魚人の造形、描き方ですよね。デザインの完成まで、本当に3年かかっている。これは、クリーチャーのデザインとしては最長じゃないか?ってデル・トロは言っていますけども。しかも、3年かかった挙げ句、その後も、カメラテストの結果、色を塗り直したりいろんなことをやっている。コスチューム担当のマイク・ヒルさんはこれ、「『色を塗り直せ』というその命令は、私の人生を破壊しようとしているんですけど、あなたそれをわかっていますか?」ってデル・トロに詰め寄ったぐらい。いろいろとこだわって、当然のように最もこだわり抜いて、現状のバランスに行き着いているという。

で、結果、ぶっちゃけ僕はですね、今回の小説だと「ギル神」って書かれていますけども、半魚人、「普通に超イケメンじゃん!」って思いますけどね(笑)。ただまさにその、「モンスターだけど、普通にイケメンじゃん」っていう風に観客に思わせるようなバランスを目指してつくられている、ということなんですよね。中に入って演じているのはもちろん、デル・トロの盟友、ダグ・ジョーンズですね。スーツ、マスクを着て……特にあの、頭の小ささ。非常に頭が小さくなるように、そういうつくりを目指しているとはいえ、あの頭の小ささですよ、マスクをかぶって。プラス、その造形が素晴らしいのと、スーツを着ながらの水中撮影が多数、という、非常に身体的、精神的負担の大きさ、諸々を考えれば、やっぱりこれはダグ・ジョーンズがいなければ絶対に成り立っていない役ですよね。CGでこれをやっていたら、絶対にこの感じは出ないですからね。

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で、一方の主人公。サリー・ホーキンス演じるイライザのキャラクター造形も、とにかくさっきから言っている、「この美しい半魚人となら恋に落ちるのも当然!」というこの一点に向けて、キャラクター造形がされているわけです。要は普通の「このコは悪くないのに!」物だったら、たとえば最初は怖いと思ったけど、とか、最初はヒロインもちょっと怯えていたけど、いろいろとやるうちにいい人だとわかってきて……みたいな、そういう序盤の、何段階かの接近のプロセスの描写があるはずなんですけど。これはまさに不満のメールでもあった通りですね。今作はそこを、思っくそスッ飛ばします。イライザは、最初からいきなり半魚人に、グイグイです(笑)。グイグイっす! 1回も引いた顔をする瞬間はないぐらいのね。

■「水の人」イライザは最初から異形の相手にグイグイいく

まあ、「ギャーッ!」って言った瞬間に一瞬ワッと引くけど、怖がるというよりかは、「いや、大丈夫、大丈夫。うん、大丈夫」って。もうグイグイ。「やろう、やろう、やろう。止める? いける、いける、いける! いけるじゃん、ほら!」みたいに、グイグイ行くわけです。で、そこを唐突に感じる人も少なくはない。これも理解はできるんですが……そもそも彼女は、この映画だと最初から一貫して、彼女もまた「水の人」として描かれているわけですよ。まず、あのアレクサンドル・デスプラの曲。非常に美しい、さっきも流れていましたけど、あの曲とのマッチングも美しい、あのオープニング。海の中の部屋に、すーっとカメラが寄っていくという、あの美しいオープニング。あれ、実はどうやって撮っていると思います? あれ、CGじゃないですからね。エフェクトをCGで足してはいるけど、全体は照明と、あとは家具とか人の体とかをワイヤーで吊って撮っているというね、場面なんですけども。まあその、(擬似的に)水中感を表現している。

ちなみに、ラストのあの2人のツーショット……半魚人はCGなんだけど、あそこにいるイライザも、実物を吊っているわけです。オープニングとラストは、同じ撮り方をして。逆に中盤の水中ラブシーンは、リアルにセットの中に水を溜めて、本当に水中撮影をして撮っているというね、対照的な撮り方をしているんですけど。とにかく、そんなこんなでそもそもオープニングからして、水中生活を夢の中でも夢見ているような女性。で、その彼女が住んでいる部屋というのも、作品全体がもちろん青と緑、そして時々ちょっと情熱を示す赤……たとえば、一夜明けて彼女は、いままで青い服ばっかり着ていたのが、赤いヘアバンドをしたなと思ったら、さらに一夜明けたら、今度は全身赤っぽくなっているとかね。まあとにかく、全体は青と緑で統一された本作の中でも、特にこのイライザの部屋の中は、そもそも水の中風に演出をされているわけです。

■「シェイプ・オブ・ウォーター(水の形)」は「愛のメタファー」

で、事実、どういう風な仕掛けで水の中風にしているか?っていうと、壁には……これは見ただけでは絶対に気づかない部分です。葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』という有名な、波がドバーンと立っている浮世絵。これ、デル・トロ曰く、「もっとも著名なシェイプ・オブ・ウォーター(水の形)を描いた絵だ」っていうんですよ。それが、実は壁に、まずいったん北斎の絵を拡大したものを、北斎の色のまま全部描いて。その上から壁を塗り込めて——サブリミナル的にというんですかね?——という風になっているという。画面を見ているだけじゃあ絶対にわからないっていうか、どんな凝り方なんだよデル・トロ!?っていうね(笑)。このあたり、またまたDU BOOKSから出ている『ギレルモ・デル・トロのシェイプ・オブ・ウォーター 混沌の時代に贈るおとぎ話』というメイキング本に詳しく出ているので、これはぜひ写真を見ていただきたいんですが。

ギレルモ・デル・トロのシェイプ・オブ・ウォーター 混沌の時代に贈るおとぎ話 ギレルモ・デル・トロのシェイプ・オブ・ウォーター 混沌の時代に贈るおとぎ話

まあ、そんなことまでやっている。ちなみに『シェイプ・オブ・ウォーター』というタイトルそのもの。「水の形」。これはデル・トロ曰く、あっ!って僕は思ったんですけども、「愛の在り方そのもののメタファー」ということですね。愛には決まった形はない。でも、その人のことを優しく包み込んで……さらにうがった見方をすればね、水は怖いものでもあるじゃないですか。愛で窒息することもある、っていうことですよね。まさに、「シェイプ・オブ・ウォーター=愛」っていうことなんですけども。まあ、とにかくそういう、「水の人」としての描写がある。あるいは、主人公イライザ。幼少時の悲惨極まりない生育環境の証であるはずの、首に残った3本の傷。そして、声が出ないということ。これも全ては、この半魚人……「半魚神」ですよね。半魚神との出会いのためにあったのかも、とさえ思えるこのラスト。

■デル・トロ監督「だって普通にモンスター、良くないっスか!?」(想像)

このラストはまさに、僕が先ほど言いましたけど、人魚姫の裏返しである『スプラッシュ』のラスト。『スプラッシュ』というロン・ハワード監督の作品。トム・ハンクスが、ドーンと人魚のことを追いかけて海の中に入りました、というあのラスト。2人はこれからどうなるのか? 人間だから息ができないんじゃないか?って思うあのラストに、(『シェイプ・オブ・ウォーター』は)非常に即物的な理屈をつけた(笑)というラストにもなっていますね。ちなみにでも、この『シェイプ・オブ・ウォーター』のラストは、非常に美しいハッピーエンドなんだけど、同時にこの後、イライザがどういう風にメタモルフォーゼしていくのかっていうことを考えると、もちろん美しいしハッピーエンドなんだけど、同時にちょっとだけ恐ろしさも感じるようなラストでもありますよね。

とにかくこんな感じで、彼女もまた半魚人と同じく徹頭徹尾、「水の人」であって……という風に描かれていて。最初から半魚人に、警戒心、恐怖心を抱くどころか、ハナから「同類」を見る目で見ている人、として描かれているわけです。つまり、これはこういうことだと思う。

ギレルモ・デル・トロ的には、やっぱりさっきから言っているように『大アマゾンの半魚人』的な、そういうモンスターの描かれ方に対するアンチテーゼ二次創作としてやっているので、「今回の作品では、一瞬たりともヒロインがモンスターを色眼鏡で見るような場面は作りたくない!」「だって普通にモンスター、良くないっスか!? 一瞬でも怖がるようなやつとモンスター、付き合ってほしくないんすけど!」(笑)みたいな感じ。「『一瞬怖がらせる』? はぁ? 出た、モンスター差別。出た〜!」みたいな(笑)、そういう感じで、全てにおいて、ここに関してはポジティブなことしか描きたくないという、そういう一点だったんじゃないのかなと思います。まさにこれこそが本作で言いたいことだったのではないか、というあたりだと思いますね。

ということで、そのモンスターを異端視したり迫害する役割というのは、もっぱら先ほどから何度も名前が出ております、マイケル・シャノン演じるストリックランドという男性。これに託されているわけですね。このストリックランドという人は、昔ながらの男らしさ、もっと言えば昔ながらのアメリカ的男らしさ、マチズモにとらわれた……というか、それ以外の価値観、生き方を知らずにここまで来てしまったこの悪役の造形っていうのが、実は、ヒロインと同じぐらい丁寧にやられているからこそ……僕は個人的に非常に興味深かった。特に途中でね、彼が「いつまで“まともな男”というのを証明し続けなければ、”Decent man”でいなきゃいけないんですか!」って訴えるあの場面。本当に泣ける場面でしたね。

■ストーリー的に言いたいこともあるが、デル・トロの新たな代表作なのは間違いない

デル・トロとダニエル・クラウスの——ダニエル・クラウスさんはもともとの(掃除係が半魚人を救うという話の)原案を出した人ですが——そのノベライズ版では、彼の哀れさがより強調された内容になっておりますので、こちらもぜひ読んでいただきたいと思います。あと、パイ屋の兄ちゃん。一瞬前まで魅力的に見えていた人の、愚かなというか、醜い本質が見えてしまった時の(※宇多丸補足:ここ、念のため確認しておくと、彼は、実は同性愛者でなかったどころか、そこに理解や寛容さを示すようなタイプでもまったくなく、さらには人種差別主義者でもあったということが一気にわかってしまう=ジャイルズが彼に抱いていた幻想が一気に崩壊してしまう、という場面であって、ゆえにジャイルズの口の拭い方もあんなにイヤーな感じなわけです)、いろいろと悲しい感じとか諸々……ちょっとね(あえて苦言的なことを言っておくならば)、オクタビア・スペンサーと旦那の絡みのところに、もうひとひねりないとアレじゃないかな? とか(宇多丸補足:これは知人からの指摘で改めて気づかされたことでもあるのですが、要は『画面には登場しない人物の愚痴を延々言っている』のだとしたら、その人物が実際に登場した際には、『実は話と実物は違っていた』とか、とにかくなんらかの逆転なりが起こらないとつまらないだろうという……作劇として詰めの甘さがあるんじゃないかという話ですね)、イライザの遅刻癖とかが全く伏線として活かされていないとか、いろいろストーリー的には言いたいことはあるんだけど。

とにかく、さっき言った「この一点」に向けて、言いたいこと全てのディテールがつくられていますので。それを味わい尽くす、ということにおいて、まさにデル・トロ的1本。ギレルモ・デル・トロの新たな代表作の1本になったんじゃないでしょうか。私は非常に好きな作品となりました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『ちはやふる -結び-』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート>

あ、『シェイプ・オブ・ウォーター』でちょっと1個言い忘れたのは、デル・トロもインタビューとかでずっと言っているんですけど、カメラがずーっと優雅に動き続けている映画でもあって。途中でミュージカルシーンみたいなのも出てきますけども、全体がこう、本当にずーっと音楽に乗って踊っているような、優雅なカメラワークで来るような映画でもあって。全体が心地よく見続けられるというか、そういうリズム感にあふれた作品でございました。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

【映画評書き起こし】宇多丸、『ちはやふる -結び-』を語る!(2018.3.24放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『ちはやふる -結び-』

(曲が流れる)

このね、横山克さんの音楽も、シリーズを通じて本当に素晴らしいですよね。ということで、同名の大ヒットコミックを広瀬すず主演で実写映画化した『ちはやふる 上の句』『ちはやふる 下の句』の続編。瑞沢高校競技かるた部の1年生、綾瀬千早は3年生になり、個性派揃いの新入生たちに振り回されながら、高校生活最後の全国大会に向けて動き出す。監督の小泉徳宏、広瀬すず、野村周平、真剣佑さんは名字がついて、新田真剣佑(あらたまっけんゆう)……しかもこの作品の役名の「新(あらた)」からつけての、新田真剣佑という……そして上白石萌音など、前作のスタッフ、キャストが再集結した、ということでございます。

ちはやふる-上の句- ちはやふる-上の句- ちはやふる-下の句- ちはやふる-下の句-

ということで、『ちはやふる -結び-』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多め! ありがとうございます。賛否の比率は褒める意見が7割。否定的意見が残り3割で完全否定は1割ほどでした。主な褒める意見は「伏線の回収がとにかく見事」「勝負のロジックも完璧でスポ根映画、青春映画として完璧」「俳優もいい。新キャラも全員魅力的だった」など。方や否定的意見としては「設定にリアリティーがない」「消化不良」「原作からの改変が気に食わない」といったところに集中していたということでございます。

■「伏線とその回収がとてつもない領域に」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「切れ目はない」さん。「結論から言って今年暫定ベストです。しかも、かなりぶっちぎりで。もうなにからなにまで素晴らしくて、それこそ映像、演技、演出、音響、シーンからカットの意味付け、新旧問わずのキャラ立ち、エンドロールに至るまで褒めだしたらキリがないので割愛しますが……とにかく今作が秀逸なのは伏線と回収、シーンとシーンの呼応です。その要素と要素が結ばれることは『結び』というタイトルとも通じるわけですし、もう完璧ですね」という。これね、たしかにいろんなね、全部は挙げていられないぐらいなんだけど。

「……今作『ちはやふる -結び-』の伏線はあくまでもその時点で単体としてきちんと機能したことが、あとに思い起こされ効果を発揮するという高度で品のいいものが張り巡らされています。これは『上の句』『下の句』でも多分に見られましたが、今作ではさらにそれがブラッシュアップされて、なんだかとてつもない領域に突入しています。これぞまさに映画的快楽。映画を見ているんだ!という風に思いました」と。

僕、いま評の中でメモに書き忘れたのを思い出したけど、たとえば『上の句』の最初の方で、千早が屋上にドーンと出てくるくだり。それ自体は、その場面で太一が屋上に閉じ込められちゃって、ドアノブがついていなくて……っていう。その件が今回の『結び』で、ちゃんと意味を持ってというか、ものすごいメッセージ的な意味と絡めてもう1回出てくるところとか。『上の句』『下の句』の振りがちゃんと今回、さらにまたもっと大きな意味での伏線になっていたり、っていうところもすごかったですよね。

ダメだったという方。「フキボー」さん。「『ちはやふる -結び-』、ウォッチしました。完結編にはどうしてもつきものなウェットさが目に余りました。加えてかるた部の最後の大会よりも、その後の人生の方に重きが置かれているので、いかんせん盛り上がりに欠ける。いわゆる文芸作品であれば話は別だが、『ちはやふる』なのだ。イジイジ悩んでシャーペンの芯が折れるのを見たいわけじゃない」という。なるほどね。これはたしかにでも、『結び』がかるた部の話を越えて……っていうところになっているところをどう取るか? ということでしょうね。

■「自分で観る映画を選べない」システム、ありがとう!

はい。行ってみましょう。『ちはやふる -結び-』。私も神戸に行った時にOSシネマズ 神戸ハーバーランドというところ、そしてTOHOシネマズ新宿で2回、見てまいりました。どちらも中高生たちを中心に、本当にめちゃくちゃいっぱい入っていまいた。神戸のハーバーランドで見た時は、終わった後、男子女子を含めて中高生たちがいっぱいなんだけど、男のトイレの方に、男子中学生がですね、Perfume『無限未来』を朗々とした口笛で吹きながらですね(笑)。もうすごい朗々とした口笛を吹きながらトイレに入ってきた中学生、っていうのが最高でしたけどね。

ということで、そんだけ人が入っているんですけど、この実写版映画『ちはやふる』シリーズ、当コーナーでは2016年4月2日に『上の句』、5月16日に『下の句』を評しましたが、特にやっぱり彼らの世代にとって、すでに間違いないブランドとなっていることを感じました。で、僕自身の評も、『下の句』には若干苦言めいたことも付け加えてしまいましたが、それでも「二作トータルで、日本のティーンエージャームービー、あるいは『がんばれ!ベアーズ』型スポーツ映画というジャンルの中でも、近年では明らかに突出した傑作と言い切っていいだろう。たぶん長く愛されるシリーズになっていくだろう」という風に、概ね大絶賛いたしました。詳しくは番組ホームページの公式書き起こしがアーカイブされておりますのでご参照ください。

要は僕自身、心底大好きなシリーズになってしまったわけです。これ、このコーナーの、「シネマハスラー」からのシステム。「自分で見る映画を選べない」というシステムが、明らかにプラスになったという、まさに好例ですね。僕はやっぱり、ぶっちゃけこういう、日本のこの手の映画は、自分で選んで見てはこなかったので。見たらやっぱりいいものもあるじゃないか、というのはよかったです。ちなみにこの間……『下の句』から今回の『結び』に至る間に、同じく広瀬すず主演、そして真剣佑も出ている「がんばれ!ベアーズ』型スポ根物として、『チア☆ダン(〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話〜)』という作品も去年、ありましたね。チアダンスの実話をベースにした話。

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で、これね、ぜひみなさんね、同じようなキャスト。で、同じようなジャンルで。ある意味プロットというか……たとえば着地がね、「主人公が後にはこうなって」みたいな着地も似たところがあるこの『チア☆ダン』と『ちはやふる』を比べるとですね、映画にとって「良さ」というものを生じさせるものは何か?っていうのが、めちゃめちゃよく見えてくるので。比較対象としてぜひご覧ください。僕はちょっと軽くショックを受ける勢いでしたけども。こんなに落差があるのか、っていう。それはもう1個1個の、たとえば画面ごとのちょっとした積み重ねだったりするんですけどね。

■前2作の美点と欠点を踏まえてつくられた最終作

ということで、『上の句』『下の句』が最初から二部構成で企画されていた作品なのと違って、今回の『結び』は、『上の句』公開直後に製作が正式決定した。つまり、前二部作の出来のよさ、評判のよさっていうものがありきで作られた、まさに正真正銘の続編であり、そして真の完結編。「出演者たちの年齢もあるので、これで最後にします」と宣言されての完結編、ということですね。前二作でも、末次由紀さんの原作漫画、これは現在も連載が続いておりますが、そこから重要なエッセンスを抽出して長編映画用に再構成してみせた見事な脚色、これを手がけている監督の小泉徳宏さん。非常に優れた再構成をしているんだけど、同時にこれね、たとえば「大人んサー」というネットのインタビュー記事で、こんなことを言っているんですけども。

「映画のストーリーを前後編に分ける難しさが、顕著に現れたのが『下の句』だった」「普通の映画なら存在する冒頭のドライブ感がどうしても作れませんでした」みたいな。だから、僕が『下の句』にいろいろと言ったりしていることを、承知の上で作っている。「物語としてはそれで間違っていなくても、映画本来の構造・構成として前後編というものはあまり乱発すべきでない」って、もう言い切ってます。なので今回の『結び』は、多少尺が長くなっても一本でまとめる、という風に宣言して始めてらっしゃいます。ということで、事程左様にですね、前の二部作の、もちろんよかったところ、だけではなく、上手くいかなかったところまでもを造り手たちがしっかりと把握した上で、最後に『ちはやふる』実写版の決定版をバシッと作り上げてやる! という気概のもとに完成した今回の『結び』、ということなんですけども。

■「青春映画」のくくりを越えて、2010年代の日本映画を代表する古典に

僕なりの結論を言わせてもらえば……『上の句』『下の句』セットで、僕は、「日本青春映画の新たなクラシックが生まれた」なんてことを言いましたけど。改めて今回の『結び』を含む三部作となったことで、『ちはやふる』は、もう青春映画というくくりをもはや越えて、2010年代の日本映画を代表するクラシック、真の古典になった、という風にまずは断言したいです。大傑作だと思っています。いろいろとちょっと言いたいことはあるにしても、大傑作だと思っています。順を追って整理していきますけども、まず『上の句』と『下の句』、それぞれよかったところというのがまず、あるわけですよ。

まあ『上の句』は何より、競技かるたという題材に対する誠実なアプローチをした結果、たとえば試合の進行であるとか勝敗のロジックもしっかり描かれた……要はスポーツ映画として、まずちゃんとしている。スポーツ映画として非常に質が高い。『がんばれ!ベアーズ』型のスポ根物って言うけど、全然そのスポーツそのものをちゃんと描いていない、あるいは勝敗のロジックを描いていないものが多い中で、ちゃんと正面から「スポーツ映画としてのかるた」をやっている。これが『上の句』のいいところ。

一方『下の句』は、スポーツ映画としての面白さというのはあえて大きく後退させておいて、「かるたを取る」ということ自体の精神性、「情熱の伝播」というテーマ性をポエティックに浮かび上がらせて、二部作全体の格調を上げる、というような、これが『下の句』のよさだったわけです。で、その『上の句』『下の句』のそれぞれの美点という……加えてもちろん、新進気鋭の俳優陣が織りなす、演技アンサンブルの妙ですね。それこそクレジットにもある通り、平田オリザさんの演技ワークショップに通わせたりとか、あるいは実際にちゃんとかるた選手としての訓練をさせたり。みんな集めて訓練をさせたりとか。

要は、これは本来だったら、この『ちはやふる』っていう題材をやるのであれば、もしくは演技経験が浅い俳優たちを集めてやるなら、当然これは映画作り、クオリティーを上げるために、本来はやるべき準備なんだけど……日本の映画界というかエンタメ界、芸能界のサイクルの中では、なかなかここをきっちりやっているところは少ない、という現状の中で、それをとにかくちゃんとやった。積み重ねた。その真っ当な積み重ねが生む、このメンツならではの化学反応みたいな部分。とにかくそういった諸々の美点……『上の句』『下の句』それぞれの美点、そして、(両作に)共通するその俳優たちのアンサンブルというよさ。それをしっかり前ニ部作から今回の『結び』は引き継いで、さらにそれらをブラッシュアップしていっている、ということですね。

■アニメ的演出も、スポーツ映画的ロジックの中で嫌味なく機能

たとえば、試合としてのかるたシーンに凝らされた数々の工夫、ということですね。おなじみの、特に『下の句』でも多用されていましたけども、超スローモーションの絵面はもちろんのこと、他の映画でも出てくるGoProっていうさ、主観ショットの映像とかをよく撮るのに使われるGoProを手につけて、そのかるたを取る「手の目線」のショットみたいなのを入れてきたりとか。あるいは途中で、カメラが外から会場に入って、試合の流れの移り変わりみたいなのをずーっと、様々な角度から捉えて回る、長回しのショットであるとか。あるいは、主人公の千早。かるたに関しては非常に天才的であるとされている主人公の千早が、実際にリアルタイムでどのように読み手の読みに対して反応して札を選んでいるのか? というのを、非常にわかりやすく示してみせるそのくだりとかね。

これは(個人的な希望として)、シリーズが完結するならどこかで、「天才である千早の見ている世界」みたいなものを見せるところは必要なんじゃないか?と思っていたら、見事に今回やってくれたんだけど。とにかく、スポーツ映画としての精度、『上の句』がよかったところというのがさらに、その様々なアイデアが投入されて、磨きがかかっている、ということですね。と、同時に、『下の句』的なポエティックさ。要は、心の中の声が決めゼリフ的に機能する、みたいな。これは言っちゃえば、日本型アニメ的なカタルシス演出だと思うんですよね。すごくアニメっぽい演出だと思うんだけど。

でも、日本アニメ的であれ、そういう気持ちよさを醸すようなカタルシス演出、心の声が決めゼリフとして機能するようなそういう演出が、特に今回の『結び』では、さっき言ったスポーツ映画的なロジックと、とても上手くハマっていて、いいと思います。要するに、それ単体だと「ああ、なんかアニメっぽい演出を実写でやっているな」ってことになっちゃうんだけど、ちゃんとスポーツ映画としてのロジックと一致することで、嫌味なくカタルシスを発揮することができている、というのがあると思います。

■本作を一段上に引き上げた「継承」というテーマ

その上で、さらに今回の『結び』では、『上の句』『下の句』の、青春映画、ティーンムービーという枠組みから一段成長して、もっと大きな、もっと長い射程を捉えたテーマ性、視座を獲得しているという。一言でいえば、それは「継承」っていうことなんですけども。受け継いでいく。たとえばさ、すごいちょっとしたセリフでもね……その大会の運営の係を、かるたの先輩の人がやっている。で、「これはいいんだよ。こういうものは回ってくるものだからさ。卒業したら、今度はお前らがやってくれよな」みたいなのを、とっても軽い会話としてやる。でも、その軽い会話の後に、千早は、「周り(の他校など)もそうやって受け継いでいっているんだ」っていうことに気づいて、自分も後輩に(自分が部活を通じて)受け取ってきたものを渡そうとする。それがその、さり気ない会話の中から行くところとか、本当に見事なんですけども。

「継承」というテーマ、それをキャラクター的に、役柄として体現する、今回初登場の新キャラクター……つまり新キャスト陣が、今回軒並み素晴らしいっていうのも、『結び』の勝因じゃないでしょうかね。特に、シリーズを通して結果、事実上の主人公と言っていいであろう、野村周平さん演じる真島太一という男……これ、今回の『結び』は、最終的なお話の決着の部分を、たとえばクイーン戦をクライマックスにして千早VS若宮詩暢っていうこの戦い、つまり、天才同士のトップの戦い、これをクライマックスに置くっていうのは、まあ普通じゃないですか。でも、そこにクライマックスを置くんじゃなくて、本質的には「持たざる者」である太一の話。太一が、真に自分を、アイデンティティーを確立するまでの成長物語、というところに、原作の流れから大胆に改変してまで、物語の着地をそこに持っていった小泉徳宏監督の脚色。その判断がまず、本当に僕は素晴らしいと思う。

もちろんだから、原作からの改変とか、「かるた部の話ですらないじゃないか!」っていうところに(一部ファンなどが)苛立つのはわかるんだけど、僕はお話としては、これはめちゃめちゃ正しいと思う。たしかにそれによって、たとえば今回、松岡茉優さん演じる若宮詩暢――前回『下の句』では全部を持っていってましたけども――詩暢ちゃんが、今回はコメディーリリーフ的なところにとどまっているとか、そういうことはもちろんあるんだけど。ただ、コメディーリリーフなんだけど、やっぱり松岡茉優さんが、すでにこの間にスターになっているから。その、コメディーリリーフ的なところでもきっちりと重みを残す、みたいなところも含めて、それはそれでよかったんだと思うんだけど。とにかく、改変して太一の話にしている。

■ここぞという時に用いられる映画的表現

で、その太一を成長に導くメンター、指導者となる、非常に変人の名人・周防というキャラクター。原作でも人気のキャラクターがいるんですけど、これを演じている賀来賢人さん。ともするとこの周防というキャラクターは、要はデフォルメ一方っていうか、なんかありえない感じっていうか、下手すればコミカルな感じとかになりがちな極端な役柄というのを、ちゃんとこの賀来賢人さんが、生身の人間として体現する、という方向に心がけてらっしゃって。本当に素晴らしいなと思います。

太一が、この周防さん、普段はボソボソ喋って、何を考えているのかわからない人なんだけど、「感じが悪い」なんて言われてますけども、彼の後を、こっそりとつけて行くと……その天才として、非人間的な風に見られがちな彼の、人間的な痛みというのを、文字通り「目撃」するという場面。こことか本当に素晴らしくて。ここを思い出すだけで涙が出てくる。ちなみに僕は、こういう周防さんのような、『がんばれ元気』で言う三島さんみたいな、こういうメンター役みたいなのには、弱いんです。もう、周防さんのことを考えるだけで泣きそうになる、っていうぐらいなんですけども。

で、その周防さんであるとか、瑞沢かるた部の新人2名。優希美青さん、佐野勇斗さん演じるかるた部新人2名のエピソードも、さっき言った「継承」というメインテーマを伝える、ある意味もっとも重要な部分なんだけど、そこの部分に関しては特に、たとえばさっき、「心の中の言葉が決めゼリフ的に機能する、アニメ的カタルシス演出が多い」とは言いましたけど、この「継承」よいういちばんある意味重要なポイントの演出に関しては、たとえば、「無言で受け身を取り始める」、そうすると、「もうひとつ受け身の音が重なり始める」とかですね。あるいは、「ちゃんと爪が切ってありますよ」とか。あるいは、「同じタイミングで耳をふさぐ」……この「同じタイミングで耳をふさぐ」っていう動きだけで、「あっ!」って来るような感じ。

とにかくそういう、極めて「映画的」と言うほかない、セリフに頼らない、ある意味純粋にアクションと表情で何かを伝える、という映画的演出、表現を、ここぞというところできっちりと取っているというあたり。やはり小泉監督、とてもわかってらっしゃる作り手だなと思います。あとやっぱり、無音の使い方ですね。三部作を通じて、本当に無音の使い方、特に今回の『結び』は冴え渡っているので、ぜひこれは映画館で見るしかない! というのはディレクターの小荒井さんも言っていました。映画館でこそ……本当の無音状態を、観客全員が息を詰めて見ている、というこの状態は、やっぱり映画館でこそ味わってほしい。

■キャストの成長まで含めた「瞬間」の輝きをとらえる

新キャラで言えば、小泉監督が原作のいくつかのキャラをひとつに統合した上で、清原果耶さんですか、その女優さん用にほぼ当て書きしたという、我妻伊織という新キャラクター。これの、今回から創作したキャラクターなのに、『ちはやふる』世界への自然な馴染みっぷり。これは小泉さんの、『ちはやふる』という作品への理解の深さを本当にうかがわせるなと思います。この伊織というキャラクターと新田真剣佑演じる新との、「告白からの断り」ギャグ。そしてそれに対する突っ込みも、ちゃんとかるたネタだとかさ。とても楽しいし、非常にテンポいいなという。

正直、最初の方は、この千早・新・太一の三角関係を、ずーっとウジウジウジウジやられたらかなわねえな、と思って見ていたんですけど……やっぱり肝心なのは、ティーンエイジャーの恋が成就するかどうかではなく、そこから生じる自分への迷いから、いかに何かを見つけ、いかに成長していくかだ、という風に、しっかりそっちの方に舵を切ってみせたということで。もはや小泉監督には、信頼しかありません!っていう感じですね。成長といえば、『下の句』で僕が苦言を呈したような……「とはいえ仲間内、内向きにしか目が向いてない話のようにも見えてしまっているよ、この『下の句』は」みたいな苦言を言いましたけども、今回の『結び』には、ちゃんとその他校の人たち、「他者」にもちゃんとそれぞれの物語がある、ということを、前二作から2年分成長した主人公たちの目を通して、ちゃんと示しているし。

しかも、それが同時に、この2年間で現実に成長したキャストたち、というドキュメント性を含んでいるという。だから、さらにそれがまた素晴らしさ、感動を生むというね。オリジナル・キャストたちの素晴らしさについてはもはや、ここで時間をかけて言っている時間がないので……言うまでもなく、本当に全員、スターのオーラを発しているぐらいだと思います。(まさにそのドキュメント性が示しているように)いま、この瞬間を燃焼し尽くすこと。つまり、青春を思い切り謳歌することっていうのは、もちろんその場限りの刹那的な輝きなんだけど、同時にそれは、次の世代へ波及し、ひいては時を超えた永遠にもつながっていくんだ、という……周防さんの言葉どおり、「一瞬を永遠にする力が、人間にはあるんだ」っていうね。そういう視点まで見据える着地。ここまで持ってきたことで、僕は『ちはやふる』シリーズは、一段上の普遍性、古典性を獲得した、という風に思っています。

■三部作全体を持ち上げた傑作!

まあ正直ね、太一が周防さんから具体的に何を教わって、自分なりの戦い方……「守りがるたが得意なんだ」ってこれ、原作にもあるくだりですけども、(具体的にどうやって)それを見つけたのか?っていうのはぶっちゃけ、ちょっと雰囲気で持っていっちゃってるところはありますけども。そんなことは気にならないぐらい……特に決勝戦からの流れには、本当にぶっちゃけ涙が止まらなかったです。「ああ、これで終わっちゃう……」っていうことも含めてですけどね。試合の流れ、勝敗のロジック、見せ方。音楽と無音、スローとスピードの使い分け。そして『上の句』『下の句』も合わせた上での、さっきのメールにもあった通り、「呼応」ですよね。伏線の回収の仕方。役者たちの演技と、そしてその演技と(若手役者自身の)リアルがシンクロする感じ。全てがこの、『ちはやふる -結び-』という一作でしかなし得ないマジックに向けて集約されている、という……素晴らしい作品ですよね。

あと、ロトスコープ的なアニメの使い方とかも、最後にフワッとこうね、リアルの次元から……要するにもっと長い射程の視点というものを示すのに、あそこでアニメをフッと使うのも上手いですし。最後に流れるPerfume『無限未来』の歌詞のシンクロも完璧!といったところ。あえてひとつだけ、小泉さん! あえてひとつだけ苦言、言わせてください。『下の句』の時に言ったことでもあるんですけど……久しぶりの、2年ぶりの続編なんでしょう? 頭に、やっぱり前に『下の句』につけようよと言った、あの(前二部作の)ダイジェスト・モンタージュ(※宇多丸補足:誤解されている方も多いようなので『下の句』評で言ったことを繰り返しますが、僕が言っているのは“これまでのあらすじ解説”などではなく、『スーパーマンⅡ 冒険編』のタイトルロールに付いているようなアレ、のことなので念のため)。いままでのストーリーを……どんな形でもいいです。

たとえば、『バーフバリ 王の凱旋』での、あれは砂の塊みたいな感じで見せるとかでしたけど、なんでもいいから、いままでの名場面を頭のところでリフレインするようなのを見せてから本編に……アバンタイトルがあってからの、クイーン戦があって、新の告白があって、そのダイジェストがあってからの、本編、なら……本当に5000億点!だったんですけど。これをなんでやってくれないのかな?っていうのが……その冒頭のドライブ感っていうのが、ある意味僕は今回の『結び』も、そこはまだちょっと弱い気がしたんで。そこさえやってくれていればね、もう、もう、もう、永久トップ!ぐらいの感じだったんですけどね。なんて、いちゃもんをつけているぐらいでございます。

もう締めなくちゃいけない。いろんなことが語り足りない。Huluでやっている、(『下の句』と『結び』の)間の、それこそまさに『繋ぐ』っていう特別ドラマの、それについているメイキングとかがまた素晴らしくて。キャストそれぞれのドキュメンタリー、それ自体が青春映画のような輝きを放っていて、素晴らしかった。とにかく一人ひとりの……机くんがああだこうだとか、肉まんくんがああだこうだとか、一人ひとり語り尽くしたい!っていう感じでした。とにかく私は、『ちはやふる』完結作として一段上の傑作に、この三部作を持ち上げた大傑作だと思っております。ぜひぜひ劇場で、いまの劇場のこの雰囲気の中で、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は、2万円支払っても同じカプセルが3回出たため、泣く泣く『リメンバー・ミー』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート>

「誰がつまらん大人だ!」「言ってません」っていうあのくだりとかも本当におかしかったですけどね(笑)。『ちはやふる -結び-』、ぜひご覧ください。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

【映画評書き起こし】宇多丸、『リメンバー・ミー』を語る!(2018.3.31放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。ということで、この番組は最終回ですが、このコーナーだけはそのまま、来週から金曜日の夕方6時半にそのままお引越しいたします。

土曜の夜の最後を飾るのは先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して……1回まわしてコロンと出て。で、1万円払えばもう1回まわせるシステムを最後にもう1回やろう、と思って払ってポロンとまた出て。もう1回1万円払ってまわして、結局3回連続でこれが出てしまった。ちなみに、ガチャのカプセルの数はそんな偏りとかはないのに、実際にそうだったという。ある意味、運命なんでしょうかね? やっぱり最終回にふさわしいこの映画……『リメンバー・ミー』

(『Remember Me』が流れる)

1年に一度だけ他界した家族と再会できるというメキシコの祝日「死者の日」を題材にしたディズニー・ピクサーによる長編3DCGアニメ映画。監督は『トイ・ストーリー3』でアカデミー賞を受賞したリー・アンクリッチ監督と、共同監督としてエイドリアン・モリーナさんでございます。劇中歌『Remember Me』の作詞作曲は、『アナと雪の女王』の、あの有名な『Let It Go』(レリゴー)を手がけた、クリステン・アンダーソン=ロペス&ロバート・ロペス夫妻。第90回アカデミー賞長編アニメーション賞および主題歌賞を受賞。同時上映は『アナと雪の女王/家族の思い出』ということでございます。

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ということで、『リメンバー・ミー』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多い! まあね、『リメンバー・ミー』。ピクサー最新作ともなれば、ある意味全方位的にみんな見に行くっていうのはありますからね。映画自体の注目度に加え、「(タマフルの)最終回にこのタイトルの映画だから」という理由で送ってくれた方が多かったです。賛否の比率は、7割が褒め。普通および否定的意見が3割程度。

主な褒める意見は「ストーリーがとにかく泣けた」という声がもっとも多かった。また、「自分の家族を思い出して泣けて仕方なかった」という声も多かった。「最近親戚を亡くした」という方や「娘と一緒に見た」「子供がそろそろ生まれる」といった方からのメールも多数いただきました。かたや否定的意見としては、「主人公の夢を禁じた家族たちがひどく、その後の話の展開に乗れない」「悪役の扱いがいくらなんでもあんまり」という声があった。また「宇多丸さんが2回もカプセルを回避したのに3回連続でカプセルが出たのは運命的」という声も多かったです。

■「全子供が見るべき、全大人が見るべき映画」(byリスナーの声)

しましょう。ラジオネーム「ふんどしゆで太郎」さん。「とんでもない名作に出会ってしまいました。今年の暫定ベストどころか生涯ベスト級の作品です。(劇中の)音楽は家族にとって呪いであり、家族を引き裂いたものでありながら、その家族をひとつにして呪いを解くのも音楽。そしてその中心になるのが『Remember Me』という歌であり、言葉であり、ヘクターが、(主人公)ミゲルが、その家族がそれぞれの思いを込めてその歌を歌い言葉を放つ様に、なんでこんなに感動するのかわからないぐらい感動してしまいました。

死後の世界を描いた映画でこんなにも切実にまだ生きている人、残された人に希望や前向きさを与える作品があったでしょうか? 人はいつかかならず死んでしまう。そのことを考えると怖い。目を背けたくなる。しかし、それと向き合い、誠実にひたむきに生きる希望や勇気が、その人のことを覚えていることの大切さを投げかけるこの作品を見ることで開けるように思いました。全子供が見るべき、全大人が見るべき映画だと思います。月並みですが、大切な人のお墓参りはこれから絶対に行こうと思いました」というふんどしゆで太郎さんでございました。この名前に似合わぬ(笑)、ちゃんとしたメール。

一方、ダメだったという方。「JJJ」さん。「結論から言うと『否』です。もちろんピクサーのアニメなのでアニメーションの技術やクオリティーは文句のつけようがないのですが、今回はお話的に全く乗れませんでした。家族によって音楽を禁止されたミゲルが、それでも音楽への情熱が止められないというのは共感できるのですが、そもそもその家族が音楽をそこまで拒絶する理由があまりにも浅すぎるのではないかと思いました。いちばん激しく音楽を敵視するおばあちゃんなんて、直接別に被害を被ったわけでもないのに何なんでしょう? ただ頭が固いとしか思えません。それがあるからラストの感動的なオチも全然泣けませんでした。

また何よりも悪役の描き方がいちばん納得いきません。いままでもピクサー唯一の欠点であると言っていい悪役の描き方。今回は本当にひどいと思いました。別に他のことを犠牲にしてまで成功を求めることが一概に悪いとは言えないと思うし、そこであの人に全て悪役的役割を背負わせるのってなんだかなという感じがして。クライマックスのコンサートでのシーンはひたすら不愉快でしかありませんでした」という。まあ、ピクサーは結構、意外と悪役の描き方が容赦ない、っていうのは共通項としてあるかなっていうのは、僕も今回見ていて思いましたけどね。

といったあたりで『リメンバー・ミー』、私もTOHOシネマズ六本木で字幕版、TOHOシネマズ日本橋で吹き替え版、両方見てまいりました。ということでね、ここんところ人気シリーズの続編っていうのがだいぶ増えてきたピクサー、久々の……2015年の『アーロと少年』、これはガチャ当たっていないですけど、それ以来の、完全オリジナル作品ということで。で、まず僕はやっぱり何よりもピクサー作品といえば――みなさんもたぶんこれを認めない人はいないとは思いますけども――ピクサー作品はもちろん、通常の「イイ映画」「よくできた映画」よりも、グッと上のレベルを常にキープした上で、その中でいいとか悪いとかっていう作品群である、というのが基本なわけですけども。

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その中でもたとえば、当コーナーでは2015年8月15日に扱いましたあの超絶傑作、『インサイド・ヘッド』とかですね……脳と心のメカニズムっていうのを、万人向けエンターテイメントに落とし込むという、改めて考えてみても結構とんでもない試みを見事クリアしてみせていたように、全世界のファミリー向けビッグバジェット超大作として、「そこ、普通攻める?」っていうような挑戦的な題材とか手法。たとえば、『ウォーリー』の前半がほぼ完全にサイレント映画の手法で進むとか……そもそも「3DCGアニメで長編劇映画」を作るということ自体が、『トイ・ストーリー』の大成功以前はもうありえない、蛮勇そのものだったわけですよね。

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とにかくそういう、「えっ、そこを攻める?」っていうような挑戦的な題材や手法に、あえてトライし続ける姿勢にこそ、僕は本来のピクサーらしさ、ディズニー単独ブランド作品とは違う……いまはジョン・ラセターが本当にディズニーのクリエイティブのトップにも立って、だいぶそのピクサーらしさ/ディズニーらしさの垣根っていのは曖昧になってきてはいるけど……それでもやっぱり「ピクサーらしさ」というものがあるとしたら、その挑戦的な題材であるというか、そこに魅力がある、という風に僕は思っています。その意味で今回の『リメンバー・ミー』も、題材の部分。メキシコの有名な祝日「死者の日」というのを題材に、死後の世界を描く、というその目のつけどころがまず、僕は最初に「『死者の日』で、死後の世界をやる」って聞いた時点で、「おおっ、さすがそう来たか、ピクサー!」って、ちょっと膝を打ってしまいました。

■メキシコの風習を題材にしたことで浮き上がった、意図せざる政治的メッセージ

しかもまあ、これは決してそれを意図してこの映画が作られたわけではないにせよ――この映画は7年前、2010年から進んでいるプロジェクトですから――それを意図してこの題材にしたわけではないにせよ、結果として非常にタイムリーなというか。要はメキシコとメキシコの人々をポジティブに描くということが、現状はやっぱり、トランプ(アメリカ合衆国大統領)が、いろいろとメキシコという国や人に対してめちゃめちゃ失礼なことを言いまくっているこのご時世に対する、この作品そのものがある種、これは図らずもですけども、カウンターになっている、というようなこともありますけどね。

で、死者の日。精神性的には日本のお盆ともちょっと通じますよね。先祖が帰ってくるっていう。お盆を扱ったアメリカのアニメーション作品といえば、2017年12月2日に扱いました『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』という、素晴らしい大傑作がありましたけどもね。あれとの共通項も僕はすごく感じたんですね。主人公の男の子が楽器を奏でることで何かマジックを起こすとか。あと、お父さんとお母さんの関係性が、旅をしていく途中で変化をしていくところとか。ちょっと……これはあくまでもシンクロニシティだと思いますけども、今回の『リメンバー・ミー』との共通項を多く感じました。で、まあ死者の日ね。最近の映画だと、『007 スペクター』のオープニング、アバンタイトル・シークエンスで、死者の日というのが出てきましたよね。

ただまあ僕、個人的にはじめてこの死者の日という祝祭を知って……死者の日というか、メキシコ文化のガイコツ推しっていうのを知って、「なに? メキシコ、マジ面白いんだけど」って最初に思ったのは、これは映画絡みですよ。日本では1980年、岩波ホールで公開された、『戦艦ポチョムキン』の(セルゲイ・)エイゼンシュテインの、『メキシコ万歳』っていう作品。これは1930年代に撮られていたんだけど、いろいろあって……このいろいろあった話もめちゃめちゃ面白いんだけど、いろいろあって製作中止で、ずーっとフィルムがお蔵入りしていたのが、1979年に、その時に助監督だったグレゴリー・アレクサンドロフさん。

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1930年の時に一緒に撮影していた助監督グレゴリー・アレクサンドロフさんの編集で、1979年にソ連作品としてようやく完成して、1980年に日本では岩波ホールで公開されたエイゼンシュテインの『メキシコ万歳』。僕、さすがにこれは本編は見に行ってないんだけど、もう映画がすごい好きになっていて、エイゼンシュテインの何たるかぐらいは知っていて、予告かなんかを見て、「うわっ、なんかメキシコ、すげーな。ガイコツ推しかよ!」みたいな。そんな言葉は使っていないですけどもね(笑)。すごいショックを受けたのを覚えています。

■普遍的な共感を呼ぶ「人々に忘れ去られた時が、本当の死」という死生観

で、まあとにかくそんな感じ。全世界ファミリー向けエンタメ大作で、死者の日、「死」をテーマにするという、その挑戦的姿勢ということ。加えてそこに今回の『リメンバー・ミー』は……これね、大元の出典が何だったかっていうのはちょっとわからないんだけど、ネットで検索をすると、まず永六輔さんの名言として出てくる。あと『ワンピース』の名ゼリフとして出てくる。あとフランスの現代美術家クリスチャン・ボルタンスキーさんの言葉として出てくる、みたいな感じ。でも本当に本当の原典はちょっと僕は確認できていないんだけど、それぐらい、でも割と普遍的な実感としてみんな語りがちな言葉、考え方として劇中に出てくる、つまり要は──「肉体的な死の後に、人々に忘れ去られた時が、本当の死なんだ」というような考え方。

これはたしかに、国籍とか宗教を問わず、なんて言うのかな? 「世から去る」というイメージとして、普遍的に我々が実感しやすいですよね。完全に忘れ去られた時が世から去る時だっていうのは、なんか実感しやすい話でもある。で、そこをメインテーマに置いている、ということですよね。その点が……要は死がテーマであり、なおかつ誰もがイメージをする「この世を去ることとは何か?」っていう、この言っちゃえば本来はハードなというかヘビーなテーマをメインテーマに置いているあたりが、今回の『リメンバー・ミー』、僕はトライしている点として非常に感心しているところでございます。

■映画の軸となった名曲「Remember Me」

原案・監督のリー・アンクリッチさん。監督としての前作……脚本・監督を手がけた『トイ・ストーリー3』、当番組ではまだシネマハスラー時代ですよ、2010年7月18日に評しました。大絶賛しましたけど、そこから実に7年近くかかってこの『リメンバー・ミー(原題:Coco)』に取りかかってきた、というわけなんですけども。たぶんピクサー史上最長の制作期間ですね、これ、7年間。なんだけど、といっても7年間のあいだ、これはピクサー作品の例によってその大半、4年半は、ストーリー作りとメキシコへの取材、そしてメキシコ文化研究に費やされた、ということなんですね。もう、ここですよね。やっぱりね。で、先ほどから言っている通り、『Let It Go』でおなじみクリステン・アンダーソン=ロペス&ロバート・ロペス夫妻が、今回もやはり一度聞いたら耳から離れない……。

……だけではなく、アレンジや歌い方、つまるところ映画の中でのその歌の置かれ方によって、同じ歌なのにニュアンスが全く変わる、という非常に懐の広さを持った、まあこれ、新しい曲だけどやっぱりなんだこの、「名曲感」? この、「いきなり古典感」はなんだ?っていう名曲、『Remember Me』を書いたのもこれ、4年以上前ということなので。だから、まだまだストーリーの練り上げ中にこの曲ができたということなんだけど。実際にこの今回の『Remember Me』。映画を見た方ならわかると思いますけども、今回の『リメンバー・ミー』という映画ほど、歌とストーリーとテーマが、密接に、全部リンクし合った作品っていうのもなかなかないわけで。要は、たぶん『Remember Me』というこの曲ができたことで、ストーリーもできたんだろう、っていう風にまあ、思いますよね。

非常にそのストーリーの練り上げ、苦労をしていたみたいなんですけども。たぶんこの曲がボンとできたことで、軸ができたというか、オチも決まった、という感じだと思うんですけどね。と、同時に、思えばリー・アンクリッチさん。前作にあたる『トイ・ストーリー3』も、まああれもはっきりとテーマは「死」ですよね。死と、言ってみれば、「ライフ・アフター・ライフ」っていうのかな? もともと生きていた時代の後も、人というか、その<存在>は生きることができるとしたら、どういうことなのか? それはだから、また誰かに愛され続けることなのかっていうことで、やっぱり非常に近しいテーマ性を持った作品ではあるなという風に思います。と同時に、怖さもある作品というかね。だと思いますね。

■ストーリーは「収まるべきところに、収まるべきものが収まっていく」良さを重視

ということで、まさにピクサー魂という感じだと思いますけども、題材・テーマ的には非常にチャレンジングなところに挑んでいるこの『リメンバー・ミー』という作品。ただですね、やっぱりその、死というテーマを扱う難しさに対して、たぶんバランスを取った結果なんだろうと僕は思いますが、テーマ的にチャレンジングな分、ぶっちゃけ最初に、映画前半いっぱいをかけて死者の国のルール、設定の部分。要するに、こういう風にすると本当に人というのは……「死んだらここに行ってその後にこうなりますよ。こういうルールですよ」という設定の部分が、前半いっぱいかけて説明される。で、その説明が終わった時点で、そこからじゃあどうなる?っていう話に、要するに二幕目中盤以降が始まっていくんだけど。

そこから先のストーリー、要するに二幕目から先。設定から先のストーリーは、ぶっちゃけ、どんでん返し的な仕掛けも含めて、まあある程度映画とか見慣れている人だったら、かなり早い段階でほとんど全ての展開が……細かい1個1個も含めて、「たぶんこれはこうなるだろう。たぶんこうなるだろう」って、ほとんど全ての展開が「読めて」しまうという。そういう方、これは少なくないんじゃないかな?っていう風に思いますね。たとえばですね、後半。主人公たちが、上の方に大きな穴がぽっかり空いた、洞窟っぽいところに閉じ込められてしまう、っていうか置き去りにされてしまうという展開があるわけです。

で、もちろんこのままでは上の穴には届きませんから。鍾乳洞みたいになっていて、そこから登ることもできないということで、そのままでは脱出できない、という場なんですけども……もうこの空間の設定からしてさ。「上に穴が空いていて、このままでは脱出できない」っていう設定を見た瞬間、どう考えてもあの穴のところから、さっき出てきた「アイツ」が――これは劇中を見てください――さっき出てきたアイツが、バッサバッサと舞い降りて助けに来てくれるんだろう、という。で、実際にそうなるわけですよね。舞台設定がもう、それをやりますよっていう舞台設定になっているし。

ちなみにその「どうせアイツがバッサバッサと助けに来てくれるんだろう」っていう展開が、実はこの後、クライマックスの時に、もう1個重なるんですよ、この『リメンバー・ミー』。僕、そこはわりとはっきり「あっ、上手くない」って思ったところですね。今回の『リメンバー・ミー』……ただ、全体としては『リメンバー・ミー』の良さはむしろ、そのストーリー的には「本来収まるべきところに、収まるべきものが収まっていく」という、その気持ちよさにあるのかなと思います。期待を裏切っていくというよりは、収まるべきところに戻っていく。ある意味、主人公たちも戻るべきところに戻る、っていう話になっていくので。これはこれでこれの良さがあるのかな、という風に思っています。

■「映画的に」ガツンと泣かされてしまう圧倒的表現力

で、その意味では、ストーリー的には要するに、ある意味定番的な展開が続いていくというか、確実にカタルシスをもたらす展開が続いていくという話なので、本当に、隙がない。その隙のなさっていうのはたとえば、細かい部分は本当に言い切れませんけども、メキシコ文化、習俗……それっていうのはたとえば古い習俗だけではなくて、メキシコ映画の伝統であるとか。あるいは、もちろんルチャ・リブレとかね。サントが出てきますから。映画なんかがいっぱい作られたサントという伝説のルチャ・リブレ・レスラーが出てきます。それとかも含めて、メキシコ文化・習俗の、本当に周到な織り込み方とか。あるいは、これはもうピクサークオリティ!としか言いようがない、ギターの指運び……だけではなく、爪弾いた弦の震え方。ミゲルがギターを弾くところのアニメーターは、できるだけ自分でもギターを弾ける人に任せた、ということですよね。

とか、やはりこれはピクサー、特にリー・アンクリッチさんは、『トイ・ストーリー3』でもそうでしたけど、照明・色彩演出が非常に繊細で上手い、ということも含め、本当にピクサーですから当然って言えば当然なんですけども、表現力の圧倒的な高さ、豊かさ。これは単に技術力じゃないです。圧倒的なセンスと追求力ですね。やっぱりね。何がストーリーテリングに必要か?っていうところを追求していく、というあたりを含めて、本当に隙がないなという風に僕は思います。特にやはり、ストーリー、テーマ。そしてさっきから言っている『Remember Me』という神曲。加えて、たとえば照明演出ですよ。窓から差し込む朝日の光。だんだんと……要するに、まだちょっと薄暗かった部屋が、少しずつ明るくなっていくという、その朝日の明かりの演出。そして、老女の肌のツヤ感、質感とか、表情の微細な変化などを含めた、超優れたアニメーション表現力……ストーリー、テーマ、曲の良さと懐の深さ、そしてそのアニメーションの表現力の高さ。全てが一点に集約されて、ガッとエモーショナルに盛り上がる、あのクライマックスというか、最後の泣かせどころですよね。

非常にまあ、僕は先ほどのメールと対照的に、先祖のお墓参りとか、まずロクに行ったことがない罰当たり人間なんですけども(笑)、家族主義的なのがかなり薄めな僕でさえ、やっぱり「映画的に」ガツンと泣かされてしまうし。やっぱりたとえば、なかなか子供に「死」を納得させるって難しいじゃないですか。親御さんが、たとえばおばあちゃん、おじいちゃんが亡くなった、死んだってどういうこと?っていうのを子供に飲み込ませていく時に、「亡くなっちゃったけど、ちゃんと思ってあげればいいんだよ」とかって教えるのは、全く真っ当なルートかなという風にも思いました。

ただ、すごい単純にもういわゆる「宇多丸の重箱の隅ツッコミ」的な感じで言うとね、クライマックスの泣かせどころで、こうやって、まあ一緒に歌いだす、みたいな瞬間に、「おいおい! オマエ! そんな急にまた音楽好きみたいなことを言っているけど、オマエがちゃんとその感じを出してりゃミゲルはこんな苦労することなかっただろ? オマエ、なに急に手のひら返してんだよ!?」みたいな(笑)。まあ、あれもいろいろと認知症的なあれとかが重なって、そういう素直な気持ちが出ちゃったっていう(こともあるんでしょうけど)。だからそれまではきっと厳しく……あいつもたぶん、だから厳しく言っていたんですよね。「ふざけんな、音楽!」みたいなことを言っていた可能性もあるなと思ったらね、「おい、なんじゃい! いまさらかい、ボケ!」みたいな(笑)。後からですよ、突っ込んだりもしちゃいましたけどね。

■孤独な死にも尊厳を認める「隙」のなさ

ただですね、僕はやっぱり、というような宇多丸個人が、個人的に本作『リメンバー・ミー』でいちばんグッと来たのは、クライマックスのところとかもそうですし、もちろん家族がリユニオンした瞬間も素晴らしいとは思いましたけど、いちばんグッと来たのは、やっぱり前半ですね。主人公ミゲルとヘクターがギターを借りに行く、身寄りのないおっさんガイコツがいるわけですね。で、まさに身寄りがないため、さっき言った「生者に忘れ去られた時が本当の死」という設定が、おっさんの死によって示される、という場面なんですけど、このおっさんの本当の死に際。そうやってね、「ああ、生きている人に完全に忘れられてしまった」っていう一応悲しい場面として演出されているんですけど、僕はあの場面がいちばんグッと来ましたし、このおっさんの死は全然悪くないじゃんって。

っていうか俺はむしろこうありたいぐらいかも……みたいな。友人にお気に入りの曲を弾いてもらって……しかも「最後に聞きたい」というお気に入りの曲は、やや軽いというか、ちょっとくだらなめの、もともとは下ネタが入っていたであろう……たぶん「おっぱいが地につく」みたいなそういう歌詞なんでしょうけども。っていう歌であるのとかも、なんかすごいそこの、軽さのバランスも良くて。で、フーッと消えていくというその彼の死の描写を、この『リメンバー・ミー』という作品は、ちゃんとここはバランスを取っていて。ちゃんと彼の死も尊厳を持って描いているところが、僕はやっぱり隙がないなと思いました。つまり「なんだよ。家族に看取ってもらえない人生、忘れられちゃう人生は不幸せっていうことですか?」っていうのに対して、「いや、そんなことはない」と。そのおっさんもちゃんと尊厳を持って描いているし、その後にヘクターに「人は誰でもいずれはこうなるんだから」っていうことを言わせていたりして、非常にだからそこのバランスは取れているな、と思いました。

願わくばもう1個フォローがあれば……っていう気もしましたけどね。要は、「彼は彼で全然いいんだ。俺は(生者の世界に)戻りたいけど、別にこれはこれでいいじゃないか」っていうことを、もうちょっと一押ししてもよかったかな、と思いました。家族っていうのはね、人によっては呪いでもあるわけで。死後まで家族に縛られなきゃいけないのか?っていう風に感じるような家族とのあり方だって……たとえばね、『葛城事件』のみなさんがね(笑)。葛城清はどう思うのか? みたいなこともあるし。

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あと、すいませんね。これも完全にこの映画、こういう風に死後の世界ツッコミ、あの死後の世界の設定に突っ込んで遊ぶのは、この映画の醍醐味だと思って……これは完全に遊びの部分です。忘れられなければずっと死後の世界では命が続くんだとしたら、つまり悪いやつだって残れるっていうことになっているわけですから、ヒトラーは、人類文明が続く限り永遠の命を得たようなもんですよね。あの世ではね。でも、「ん? 待てよ。っていうことはあの世にはホロコーストで死んだ人がいっぱいいて。ということはヒトラーはどうなるのか? でも、その周りには当時のナチスのやつらとかもいっぱいいて……っていうか、歴史上ずーっといたそういう人種差別主義者とかもいっぱいいて。ん? どうなる、どうなる?」っていうね。たぶんあの世で大戦争が起きている可能性が……フフフ(笑)。とかね、いろいろと考え出しちゃう。

でも、これもこの作品『リメンバー・ミー』の、また楽し、の部分だと思います。これは全然ツッコミというよりは、「だったらこれはどうなる? どうなる?」というような、楽しみの部分だという風に思います。今回、同時上映がピクサーの短編じゃなくて『アナ雪』のスピンオフが付いているという件。このスピンオフ自体がクリスマス・スペシャルみたいな内容なんですよ。はっきり言ってクリスマス・スペシャルの、ファン向けムービーみたいな感じなんで、はっきり言ってこの時期に、本編前に22分も見るのは辛いです。まあ、それもあってアメリカでは途中でそれがオミットされたんですけども。やっぱりピクサー短編とのセットでピクサー作品感っていうのはあると思っているんで、ちょっとそこは非常に残念でした。

ただし、今回の『リメンバー・ミー』に関しては、題材のピクサー的チャレンジングさに対して、最終的な落とし込みの、なんて言うのかな? 穏当さというかソフトさみたいなところ、ユニバーサル感みたいなところが、よりディズニー寄りなバランスにもなっていたので。まあ『アナ雪』と……テーマ的にもね、「家族の伝統を探す」みたいなところもあれなので、まあこれはこれでいいのかな? という風に思いました。

吹き替え版。あるセリフが、ちょっとだけ吹き替え版の方がソフトになっていて。僕は吹き替え版のこの部分は……もちろん元のちゃんとスペイン語を話すというか、そのあたりもちゃんといいんですけども、あるセリフ「○○の子孫じゃなくてよかったよ」という――これは ネタバレになるんで言いませんけども――「○○の子孫じゃなくてよかったよ」っていうセリフが、吹き替え版の方では、「嘘つきの子孫じゃなくてよかった」という風に、若干ソフト化されていて。僕はこのぐらいにしておいた方が……だって、ねえ。子孫が悪いわけじゃないんだからとか、いろいろあったりするということでございます。ということで土曜日最後の作品。もちろんピクサー作品なりの超クオリティーでございます。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『トレイン・ミッション』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート 起こし>

ということでTBSラジオをキーステーションにお送りしている『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』、評の前にも言いましたが、来週からこのムービーウォッチメンは『アフター6ジャンクション』内の金曜日夕方6時半に引っ越ししてお送りします。

ということで新番組『アフター6ジャンクション』1回目に評論する作品のウォッチ候補6作品の発表をいたします……

(中略)

……さあ、ということで一発目。レッツ、ガチャターイム! あの、すいません。『リメンバー・ミー』。忘れなければ生きているという感じは本当にね、MAKI THE MAGICのこととかをいつも、そうなんですよ。ずーっとMAKI THE MAGICのダメ話とかしていますからね。そうするとやっぱり生きている感じがする、っていうのはやっぱりありますよね。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

宇多丸、『トレイン・ミッション』を語る!【映画評書き起こし 2018.4.6放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ああ、なんかすっごい変な感じする(笑)。すっごく不思議な気分になりますけどね(※宇多丸補足:新番組のなかでこのパートだけ旧番組のフォーマットそのままなので、曜日や時間感覚が狂う感じだったのです)。ここからは、『ウィークエンド・シャッフル』から金曜夕方にお引越ししてきた、週刊映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーは、前の週にランダムに決まった映画を、私・宇多丸が自腹で映画館で鑑賞し、その感想を20分に渡って語り下ろす、という映画評論コーナーです。それでは、金曜の夕方に引っ越しして一発目に評論する映画は、こちら! 『トレイン・ミッション』

(曲が流れる)

10年間勤めた会社を突如リストラされた主人公のマイケルは、帰りの電車内で見知らぬ女性から多額の報酬と引き換えにある依頼をされる。家族を人質に取られていることを知ったマイケルはその依頼を受けるのだが……主人公のマイケルを演じるのは、最強のおっさんアクション俳優リーアム・ニーソン。監督は『アンノウン』『フライト・ゲーム』『ラン・オールナイト』に続きリーアム・ニーソンとは四度目のタッグとなるジャウマ・コレット=セラさんでございます。

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■「リーアム・ニーソンの困り顔が堪能できて満足」(byリスナー)

ということで、この『トレイン・ミッション』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。ただしメールの量は、少ないというね。ちょっと残念ですけどもね。賛否の比率は6割が褒め。普通という人が3割。残り1割が否定的。全体を通して多かったのは「見ている時は楽しめた」という意見。鑑賞後に細かいところが気になったかどうかが評価の分かれ目というところでございます。

褒める意見として多かったのは「リーアム・ニーソンとジャウマ・コレット=セラのコンビに外れなし」「同じく乗り物サスペンスの『フライト・ゲーム』よりも進化している」「主人公の日常をテンポよく見せるオープニングから一気に引き込まれた」。後ほど言いますけども、オープニングがすごい特徴的で。「中盤の、とある楽器を使ったアクションやクライマックスの大スペクタクルシーンとアクション面にも抜かりなし」というような意見。いちばん多かった意見は「最初から最後までリーアム・ニーソンの困り顔が堪能できて満足」というようなご意見でした。一方、否定的な意見としては「作中張り巡らされた仕掛けや罠の数々がとにかく回りくどくて飲み込みづらい」「ミステリーというよりただ説明不足なだけ」「前半のサスペンスパートはよかったが、それを台無しにするクライマックスの展開に冷めた」などなどがございました。

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「坂Q」さん。「取り上げられなければ見に行かなかった作品でした。本当はこっちを見たかった『ペンタゴン・ペーパーズ』や『レッド・スパロー』を横目に見つつ、宇多丸ちゃんへの敬意を表さなきゃとチケット購入。その感想は『あーら、面白い。見てよかった』。電車通勤するリーアム・ニーソン。60才で息子の教育資金に行き詰まるリーアム・ニーソン。靴と時計でヤングエグゼクティブに値踏みされるリーアム・ニーソン。そんな姿のリーアム・ニーソンにアラ還の私は共感し、ストーリーに引き込まれました」。そうか。だいたい同じぐらいの年齢っていう感じですかね。リーアム・ニーソンはいま65だから、アラ還ってことはもうちょい下かもしれませんね。

「鍼師アミバ」さん。この方はダメだったという方。「リーアム・ニーソン主演。個人的に大好きな『エスター』の監督となれば期待したのですが、とんだC級作品でした。ストーリーだけ聞くととても面白そうなのですが、実際に見てみると不満だらけ。というか、不満しかありません。格闘シーンを正当化するための取って付けたような元警官という設定。そしてそれを正当化するための終盤の展開。ただの説明不足によってミステリー感を出すというもっともイラつく手法。全く予想を裏切らない展開。特にラストはひどい」というようなご意見でございました。

■「なんなら俺の方がおかしいのか?」が醍醐味の「ニューロティック・スリラー」

ということで私も『トレイン・ミッション』、バルト9で2回見てまいりました。深夜回にしてはまあ、そこそこ入っている方で。やっぱりリーアム・ニーソン主演アクション物っていうのは、ひとつの安定的ブランドになっている感じ、ちょっと感じましたけどね。『トレイン・ミッション』、原題は『The Commuter(通勤者)』ということで。リーアム・ニーソン、改めて言うなら、特にやはり2008年の『96時間(原題:Taken)』という作品以降、完全におっさんアクションスターとしての存在感の方が強くなってきた、という方ですけども。現在65才。ただ、たとえば一昨日この番組でも特集をしたシュワルツェネッガーとか、あるいはスティーブン・セガール、チャック・ノリスみたいな、「最強おっさんアクション俳優」たちと比べると、リーアム・ニーソンの場合、やっぱりみなさんもおっしゃっている通り……眉毛の角度ですね。眉毛の角度が八の字、それが非常に象徴的なように、やっぱり常に内面にはナイーブさ、弱さ、もっと言えば危うさをはらんだ、複雑な厚みのあるキャラクターを演じきる、たしかな演技力というのも当然……もともと「名優」っていう感じですから、当然あってですね。

それこそが、リーアム・ニーソン主演のアクション作品の特徴となっている、ということですよね。そして、まさにそのリーアム・ニーソンの「強いけど危うい」というキャラクター性を生かした、いわゆる「ニューロティック・スリラー」というジャンルがございます。ひらたく言えば、大変な事態に巻き込まれているのに……巻き込まれ型サスペンスの中でも、「誰もわかってくれない」「周りに味方が誰もいない」「周りのみんな敵に見える」、あるいは「なんなら俺の方がおかしいのか?」っていう気がしてきちゃうような、そんな「ニューロティック・スリラー(神経症的スリラー)」というようなジャンル。これを連発しているのが今回、リーアム・ニーソンとは四度目のタッグとなる、スペイン出身のジャウマ・コレット=セラ監督ということですよね。

先ほど『エスター』という出世作のタイトルも出ましたけど、『エスター』自体も、あちらはニューロティック・ホラーというか、要は「誰もわかってくれない」「“おかしいのはこっち”扱いされちゃう」みたいなホラー。素晴らしい傑作でしたけども。僕のこの映画時評としては、2014年9月13日に、『フライト・ゲーム』という作品……原題は『Non-Stop』というね、とても英語圏の人がつけたタイトルとは思えない(笑)『Non-Stop』という作品とか。2015年5月30日に扱いました、『ラン・オールナイト』という作品。これ、ガチャ当たって評しましたけども。ただこの『ラン・オールナイト』という作品だけは、ちょっと毛色が違って。実はどちらかと言うと、70年代風味の渋いクライムアクション、という感じでしたという。これは評の中で言いました。僕は大好物でしたけどね。

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■超定番・ヒッチコック流の列車内スリラー

で、ジャウマ・コレット=セラ監督はその後、『ゴシップガール』とかのブレイク・ライヴリー主演の、身も蓋もない説明の仕方をしてしまえば『オープン・ウォーター』(2003年)型の「海に取り残されサバイバルスリラー」、『ロスト・バケーション』という作品をつくって。これもきっちり大ヒットさせている、ということですね。で、そこからまたまたリーアム・ニーソンと組んでの今回の……まあ、完全に誰がどう見ても『フライト・ゲーム』型ですよね。今回はね。っていうか、かなり『フライト・ゲーム』そっくり、と言ってもいいと思います。ニューロティック・スリラーでございます。

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実際、3人クレジットされている脚本家のうち、原案としてもクレジットされてもいるバイロン・ウィリンガーさんという方とフィリップ・デ・ブラシさんというこの2人は、インターネット・ムービー・データベースでもこの『トレイン・ミッション』しか出てこないぐらい、まあ新人の方なんだけど。おそらくその彼ら、新人のアイデアを、現状のレベルまでまとめ上げる役割を果たしたと思われる、ライアン・イングルさんというもう1人の脚本の方はこれ、思いっきり『フライト・ゲーム』の脚本家。しかも『フライト・ゲーム』も同じで、原案・脚本でクレジットされている2人がいて、要はライアン・イングルさんがたぶん最後にこれをまとめる仕事をしているんだと思いますけどもね。

というか、ジャウマ・コレット=セラ監督自身が、このパンフレットのインタビューで、「本作は『フライト・ゲーム』の精神的続編だ」なんてことをはっきりと言っちゃっているぐらいでして。ということで、もちろん言うまでもなくと言うべきか、設定とかストーリー展開に、ぶっちゃけ新鮮味はないです! ジャンル映画ってそういうものですから。そもそも、列車内スリラーというこれ自体、それこそ『フライト・ゲーム』評の時にも名前を出しましたヒッチコックの『バルカン超特急』(1938年)を始め、本当に挙げていたらキリがないくらい、星の数ほどつくられ尽くしてきた、定番中の定番ジャンルですからね。

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あるいは、その定番中の定番ジャンル……先ほどヒッチコックの『バルカン超特急』を挙げましたけど、今回の『トレイン・ミッション』なんかもまさにそうですけど、話の核に「陰謀」っていうのがあるんだけど、その話の核にある陰謀の、どうでもよさ感、適当感(笑)。「“権力者”が、“陰謀”の様子が収められた“何か”を追っている」って、これはまさにヒッチコックとかのサスペンス論とかでもよく出てくる、「マクガフィン」っていうやつですよね。それ自体はどうでもいいやつ、っていうことで。まあヒッチコック的と言えると思います。ジャウマ・コレット=セラ監督自身が今回は「ヒッチコック的、ヒッチコック的」っていう言葉を何度も使っているぐらい。とにかくヒッチコックの頃からずーっとつくられ尽くしている、定番ジャンルなわけですよ。

■話がシフトチェンジしてからが長い。30分長い。

加えてこれ、『フライト・ゲーム』評の時にもこれ、言ったことですけども。そのニューロティック・スリラーという、周りがみんな敵に見える、みたいなこういう形の神経症的スリラーの、ある種構造的弱点として……つまりこれは『トレイン・ミッション』だけの弱点じゃないんだけど、後半から終盤にかけて、謎解きがいったん済んでしまうと、それまであれほど不気味で恐ろしく思えていた、映画の中で描かれている「世界」が、一気に矮小化してしまいがち、っていうことですよね。「あ、ああ〜……そうっすか……。わかりましたー」以上の、何の感慨も持てなくなってしまう、っていうことは本当にありますよね。

なおかつ、その謎解きがいざされてしまうと……これもメールに書いている方もいっぱいいましたよね。「だとしたら、さっきのあれとか、おかしくね?」「っていうか、その計画、無理ありすぎじゃね?」っていうようなツッコミどころが、後から噴出しがちという、そういう傾向もございます。そして、それが正直、この本作『トレイン・ミッション』でも、全く例外ではない、ということですね。

しかも、この『トレイン・ミッション』という本作の場合、その謎解きの完了まで……『フライト・ゲーム』という作品は、その謎解きの完了まで、つまりニューロティック・スリラーというジャンルの楽しいところを、引っ張って引っ張って。で、謎解き後の決着は、一種西部劇的な「一瞬で決着がつく」という潔さで、スパッと終わらせてみせたのとは対照的に……今回の『トレイン・ミッション』は、それこそ『フライト・ゲーム』と差別化しようとした結果かもしれないけど、謎解きの後が長い! クドい!っていうのがあって。

まあね、これはジャウマ・コレット=セラとリーアム・ニーソンのコンビ作らしく、ジワジワジワジワと緊張を高めていくニューロティック・スリラーの面白さでずーっと引っ張ったのが、途中で一気にパニック・スペクタクル映画的なと言うか……パニック・スペクタクル映画に、若干ジャンルのシフトチェンジがあるという。これはまあ、そういうクライマックスがあるんですけど、サービス満点感として、うれしいですし。今回の『トレイン・ミッション』で言えば、みなさんご期待の通りですよね。『新幹線大爆破』とか『アンストッパブル』系譜の、列車パニックアクション的な見せ場がきっちり用意されていて。これはまあ、間違いなく嬉しいあたりなんだけども……そこでドカーン!ってシフトチェンジがあって、「ああ、サービス満点だ!」って思った、その後が正直、本作は長すぎる! そう思わせる程度には、大して盛り上がりもしない、ていう問題はちょっとあると思う。上映時間105分ですが、僕ははっきり、30分長いと思います。

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■定番の展開をフレッシュに語る映像手腕と語り口

と、ちょっと苦言多めなところからつい始めてしまいましたが、じゃあこの『トレイン・ミッション』、つまんないのか? 見る価値がないのか?っていうと……これがきっちり面白い!っていうあたりがやっぱりね、映画、わけてもジャンル映画というものの、楽しさの部分だと思いますね。「展開がわかりきっている」とか、ジャンル映画で言うのは野暮っていうもんですよ、それは。もちろん、それを超えて面白かったり立派だったりする作品はあるにしても、ジャンル映画はまあ、その間違いないところの中で何をするか?っていうのが勝負のエンターテイメントなんでね。

でね、ここはさすがジャウマ・コレット=セラと言うべき部分。この監督は、ありふれた、さっきから言っている手垢のつきまくったような展開とかシーンを、なんだか不思議な撮り方とか見せ方をすることで、「シーンとしてはよくありがちなのに、なんか意外とこういう感じ、見たことないかも」っていうぐらいのバランスに仕上げてみせるのが、上手いんですよ。まず、オープニングからしてこのジャウマ・コレット=セラさん、一風変わった見せ方をしていきます、今回の作品『トレイン・ミッション』。

主人公が朝起きて、身支度をして、最初にラジオを……ラジオがアラーム代わりにつきはじめる。で、家族とあれやこれやと会話して、奥さんの車で駅まで送ってもらって、毎日同じようなメンツと同じ列車に乗り、息子と交換日記的にやり取りしているらしい読書をしつつ、勤め先の保険会社に向かっていく、というまさに原題『The Commuter(通勤者)』という、その生活サイクルというのをオープニングで見せるんだけど。おそらく、最初は見ていてちょっと混乱する方も少なくない……僕も最初見ていて「ん、ん、ん?」って。要は、会話シーンとかで男の子、息子と話しているんですけど、その息子の服とか髪型とか、話している内容が、違っているので。「あれっ? 子供ふたりいるのか?」って最初は一瞬思っちゃうような、混乱するような見せ方をしているんだけど。それは実は、見ていくうちに「ああ、こういう意図か」という。その通勤者の繰り返しの生活サイクルというのを、非常にトリッキーな編集スタイルで見せていく。

あるいは、突然主人公のマイケル・マコーリーさんが、リストラを告げられるわけですね。で、要はその主人公の、いきなり突然社会から隔絶したというか、社会から取り残されてしまった、というような心境を、端的に映像的に示す……会社からマイケルさんが出てきます。で、人々が歩いているんですけど、グーッとカメラが、マイケルさんの頭のほうに上がっていく。(その周囲を)人がこうやって歩いていく(のを映し出すショット)、そうすると図らずもフッと……という瞬間が訪れるという。主人公が、完全に社会から取り残された、という心境であるということを、言葉ではなく、映像で示す。非常にグラフィカルに計算され尽くしたショットとか。とにかく、同じことを語るにしても、ちゃんと映像的だったりとか、そして他の人がやっていないような語り口とかでちゃんとやっていて、いちいちハッとさせられるというか、新鮮なんですね。

■日常空間の極みから、いつの間にか異常な空間へと引きずり込まれていく

で、ですね、そんな感じで毎日毎日変わりない繰り返し、揺るがないはずだった主人公の日常っていうのが、足元からさっそく崩れ去る。解雇されちゃって、たぶん足許フワッフワで。奥さんに電話で嘘をつきながら帰って。そんなこんなで携帯もなんかなくなっちゃうし、なんなんだ!っていう、足元がフワッフワの状態。自分の生活の足元が崩れ落ちつつある、という描写が積み重なったまさにその矢先に、ベラ・ファーミガさんという方……これはジャウマ・コレット=セラさんの作品だと『エスター』主演の方ですね。まあ、後に『死霊館』シリーズとかでも今回のパトリック・ウィルソンと共演していますけども、要はこのベラ・ファーミガさん、顔がホラー顔なんすよね。もうそのままで楳図かずおの漫画に出てくるような顔しているわけですよ(笑)。怖いんですよね。そんなベラ・ファーミガ演じる謎の女が、向かいの席に座ると。

で、ですね、そこから主人公。通勤列車っていう日常空間の極みみたいなその空間。周りに人もいるにもかかわらず、向かいに座って話しかける。そこから、まともじゃない、カタギじゃない、正気じゃない、異常な領域、世界へと、彼女が引きずり込んでいくような会話を……最初はすごい何気ない感じで始めるわけですけどね。ここの、「なんてことのない世間話をしていたつもりが、いつの間にか悪魔との契約書にハンコを押させられていた」みたいな、で、一瞬現実感覚を失ってしまうような、クラクラするような感じ。これはまさにニューロティック・スリラー。本作の白眉、と言ってもいいようなところだと思いますけどね。

とにかくこの、謎の女が話しかけてくる場面。しっかり見ていただければ、彼女がいよいよ、要は悪魔の契約を持ちかける、異常な世界に引きずり始めるという……最初は世間話みたいなのをしているんだけど、「じゃあ……」って身を乗り出して話しかけるところで、これはまさに「ヒッチコック的」と言っていいと思います。ヒッチコック的、正統派スリラー演出とでも言うべき、ある演出がなされている。なにか? というと、ちょっと注目していただきたいのはやっぱり、照明と色の演出ですね。

電車がずーっと外の景色を……ガーッと外の、夕方ですからまだ明るいですよ。明るい景色の中を走っているんですけど、そのところで、パッとトンネルみたいなところに入って。で、これもヒッチコック的演出です。赤が……フワーッて通り過ぎる赤いシグナル的なのが、赤がフワーッ、フワーッて点滅しながら、そこで今回の悪魔の契約的な話を持ちかけられる、というね。そして、会話の音も、周りの自然音みたいなのがいつの間にか静かに消えていて、2人だけの声になっている、という……非常に律儀なまでの、正攻法スリラー演出が堪能できると思いますので、ぜひこちらもしっかり見ていただきたいと思いますね。

■主人公の追い詰められっぷりが超楽しい!

で、そこからどんどん主人公が、『フライト・ゲーム』同様に、なまじ推理力とか行動力に優れている分、グイグイグイグイ自分で動いては、どんどんどんどん自らドツボにはまっていく、というこのくだり。まさしくこの、ニューロティック・スリラーの醍醐味ですね。「えっ、えっ? 俺が、俺が悪いの!?」みたいな(笑)。「俺が間違っている!?」みたいな感じになっていくというね。ぶっちゃけこのへんはね、要はミスリードし放題なわけですよ。全員怪しく見せることなんて、いくらでもできるわけだから。なので、全ての描写が本当に怖いし気持ち悪くて、めっちゃ楽しいです。

たとえば、電車がカーブを曲がっていく時に、向こう側の車両でそれまで顔が見えなかった人の顔が、曲がっていく時にフーッ……て見えて、目が一瞬合う、とかの気持ち悪い描写とか。あとはこれ、『フライト・ゲーム』とかでもやっていたけど、それまでは普通に親しい人として話していた人物の顔を、その人物がしゃべっているのに、変なところで画面を切って顔を見せないっていう。このカットがもたらす、生理的不安感。「なんかこの人、怖い」っていう感じをさせるとか。すごくこういうのはジャウマ・コレット=セラさん、得意技ですね。上手いですね。で、とにかくこれは『フライト・ゲーム』もそうだったけど、最初の死者が出てしまってからの主人公の追い詰められっぷり、ひどい目に遭いっぷり。今作で言えば、「列車が舞台ならでは」の悪夢のような事態。もう超楽しいので。本当にギャグすれすれの(笑)超楽しい事態がありますので、これはぜひ見ていただきたい。

■結論「ジャンル映画らしいジャンル映画。これもまたよし!」

あと、いくつか格闘シーンがあるんですけど、後半に出てくる、ジャウマ・コレット=セラ監督十八番の擬似的な長回しワンショットでの、車両全体を使っての一大取っ組み合いシーンがあるんですけど。ここで非常にね、奇妙な感覚をもたらす早回し……まあ、ヒッチコックがたまにやる早回しアクションとか、そういう感じかな? だいたい「ヒッチコック的」っていう中には、「不自然」っていうのが1個、入っているんですけどね……とにかく、ちょっと奇妙な感覚をもたらす早回し使いをはじめ、この格闘シーン。さっき言ったような「設定、展開としてはありふれているのに、なんか見たことがない」感じ、すごくフレッシュなバランスになっている。これ、格闘シーン、名シーンだと思います。このシーンだけでも十分に元は取れている、という感じがしますね。

で、さっき言ったようにスペクタクル的見せ場があって……ここはまあ、サービスなんで。めちゃめちゃドサービスですよ。ドカーン、ドカーンってなって。ただ、その後の謎解きが長すぎ、っていうのはたしかにありますし。事後のツッコミどころ多すぎ感も、正直、まあ『フライト・ゲーム』とかに比べても、ちょっと高めですよね。まあまず、この手の陰謀っていうか、巻き込まれ型サスペンスにありがちですけども、「こんな手の込んだリスクの高い陰謀、必要ある?」っていう(笑)。この手のジャンル物あるある、っていうのは、これはまあ置いておいて。

それは別にしても、たとえば、キーとなるあるキャラクターがいるわけですね。要は、重要な情報を持っている、という。で、そのキャラクターを当てるのが前半のミステリーというか、引っ張りなんですけども。これだけ……いろんな情報があるわけですよ。こんな名前で呼ばれている、カバンの中にはこんなのを持っていて、何時の電車に乗る。ここまでわかっているのに……性別すらわからない!っていう設定の不自然さもあるし。なによりも、そいつはそいつである程度危険な立場、危険な道……危ないからニューヨークの中心地を離れろって言われて電車に乗っているんだから、(命の危険がある状況なのは)わかっているはずなのに……イヤホンをしていて、あれだけ周りがドッタンバッタン大騒ぎしてるのに、気づかない! で、しかもそれでね、「お前だろ?」ってなったら、イヤホンをこうやって取って、やおら不安げな顔を見せ始めるっていうね(笑)。なんかこのへんとかも、本当にツッコミどころでもありますけども。

ただ、リーアム・ニーソン自身がこんなことを言っています。「スリラーというのは、よく考えると無理のある展開がありがちだよね」「家に帰ったら『あそこ、おかしいだろ?』って思い出したりするよね」「でも、見ている間は楽しい。それがスリラー映画っていうもんだろ?」っていう風に言っているわけです。ということで、まあ非常にジャンル映画らしいジャンル映画。十分に楽しいし、僕は本当に好きですね。脇を固める役者さんたちがすごく良くて。僕が大好きなパトリック・ウィルソンとかですね、あとは『ブレイキング・バッド』でおなじみジョナサン・バンクスとか。あと、奥さん役がエリザベス・マクガヴァンっていうね、古くは『普通の人々』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』などの……みたいな。脇を固める人もしっかりしていて、まあ見応えがきっちりありますし。こういうジャンル映画のよさも、ぜひぜひ定期的に映画館で、ウォッチしていただきたいと思います!

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

宇多丸、『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』を語る!【映画評書き起こし 2018.4.13放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:

さあ、ここからは土曜の夜から金曜夕方にお引越ししてきた週間映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーでは前の週にランダムに決まった映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。私、昨日も深夜、行ってまいりました。それでは今夜評論する映画は、こちら! 『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』

Guns N’ RosesWelcome To The Jungle』が流れる)

このガンズ・アンド・ローゼズの「Welcome To The Jungle」が(映画の)最後に流れて。この、日本題になると冠詞を略すのが逆に(言いづらいところもあって)……Welcome To The Jungle」って言い慣れちゃっているからあれなんだけど。(なので、今日の評のなかでも)ひょっとしたら「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」って言っちゃうかもしれないですけども。1995年の映画『ジュマンジ』の続編で、『ワイルド・スピード』シリーズのドウェイン・ジョンソンが主演を務めるアドベンチャーアクション。ふとしたことから『ジュマンジ』という古いゲームソフトの中に入り込んでしまった4人の高校生たちが、ゲームの中から脱出するため冒険の旅を繰り広げる。共演にジャック・ブラック、カレン・ギラン、ケビン・ハートら。監督は『バッド・ティーチャー』などのジェイク・カスダンでございます。

■「姿形を変えてでも、人から忘れ去られないために必死に生きながらえようとする作品の生存本能」(byリスナー)

ということで、この『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。メールの量は「普通」ということです。結構大々的に公開はされておりますが。賛否の比率は、褒めが8割。普通が1割。否定的な人が1割。主な褒める意見は、「突っ込みどころがあるのは認めるが、そこが気にならないくらい面白いのでOK」「アドベンチャー映画としてだけでなく、2010年代版『ブレックファスト・クラブ』とでも言うべき、主人公たちが成長していく青春映画としても良作」。後ほど『ブレックファスト・クラブ』の話、しますけどね。あとは、「ドウェイン・ジョンソン、ジャック・ブラックなどゲーム内のアバターたちのボンクラ演技っぷりが最高!」ということでございます。

一方、否定的な意見としては「舞台がゲームの中になってしまったことで、『ジュマンジ』というゲームの怖さが薄まってしまった」。前作の設定がひっくり返っているのでね。「ゲームの中という設定なのに、映像的にそれが上手く表現されておらず、世界観に入り込めなかった」というご意見でございます。

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「西山コタツ」さん。「僕は前作『ジュマンジ』が好きすぎるあまり、高校時代には全学年の全生徒を体育館に集め、クソ高いフィルムと映写機を生徒会の権限を使って借り、強制的に『ジュマンジ』を見せて、『なあ、面白いだろ?』と友人に迫りまくるという好きのカツアゲ行為を繰り返してきました」。これ、素敵ですね。いいなー! これ、グッと来ちゃう。「……そんな『ジュマンジ』の新作が作られたと聞き、予告からは全く『ジュマンジ』らしさを感じねえ……とさんざん愚痴をもらしていましたが、いざ映画本編を見たら全ての不満が吹き飛びました。なんてったって、ファーストカットの海辺のシーンから明らかに作り手の愛を感じるのです。正真正銘の続編なのです」。まあ、一作目のね……一作目のケツはでも、女の子がちょっとフランス語みたいなのをしゃべっていたから、あれはフランスなんじゃないの?っていう気もするんだけど。まあいいや。

……僕は『ジュマンジ』が『人間が生存するためには娯楽は不可欠である』という最も根源的な表現をすることの意義を扱っている作品だと思っていました。それが今作では、人間から見放された娯楽が実際にどういった末路をたどるのか? という残酷な面まで掘り下げてくれましたし、かつ、この作品自体はしっかりと人間に寄り添う娯楽になっていることがもう、神業に思えてなりません。映画の続編ばかり作られることを嘆く方も多いですが、僕は姿形を変えてでも、人から忘れ去られないために必死に生きながらえようとする作品の生存本能のような見えない力に感動してしまい、僕はこれからもこの世に生まれた娯楽作品に人生の全てを費やして生命を与え続けていこうと決意を新たにしました。『ジュマンジ』、ありがとう!」。ある意味、この『ジュマンジ』という映画シリーズそのものが、『ジュマンジ』の生命力というかね、それにも重なるという見方ですかね。素晴らしいですね。もう、これでいいんじゃないか、評論(笑)。

一方、ダメだったという方。「イソッチ」さん。「物語の骨子である若者の成長や友情の物語としてはとてもよかったと思います。ただしこの映画、アクション映画なのにアクションがいまひとつ面白くないのがやはり見過ごせません。ノンプレイヤーキャラクターが同じ言葉をオウム返しで繰り返すとか、変なところだけゲームに寄せて笑いを取ろうとしているけど、そのためにこの世界自体が実は安っぽい作り物だと感じられてしまったため、この世界を救うことの意義や、ひいてはこの世界を牛耳ろうとしている悪役に対しても全く重みを感じられなくなってしまったと思います。要はこの世界設定、ゲームと現実の悪いところ取りになってしまったと思います」というね。まあ全体にね、軽い感じっていうのがこの作品の持ち味かもしれませんけどね。

■アメリカでは予測を超える大ヒット

といったあたりでみなさん、メールありがとうございます。私も『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』、見てまいりました。T・ジョイPRINCE品川でIMAX字幕3Dと、昨夜バルト9で字幕2D2回見てまいりました。吹き替えとの見比べみたいなのがちょっと、この番組を始めてしづらくなっちゃったっていうのはあるかもしれないですけどもね……ということで、これ『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』、日本はともかく世界中では本当に、事前の予測を大きく超える、もう特大メガヒットとなっております。まあ、『スターウォーズ/最後のジェダイ』を超える大ヒットとなって。ソニー・ピクチャーズ史上でも、『スパイダーマン』シリーズを超えて歴代トップ。

あと、ロック様ことドウェイン・ジョンソン主演作の中でも、『ワイルド・スピード』シリーズを超えてヒットしているとか。これはちょっとね、とてつもないことですよ。まあ『ジュマンジ』、1995年の作品の、続編なわけですね。95年といえば、1993年の『ジュラシック・パーク』登場の2年後。映画における特殊効果というのが、それまでのアナログな「特撮」という世界から、CG中心へと移行していく、まさにその過渡期的な時期の作品なわけ。まあ、いまから見れば過渡期的な作品。なので、CGとかは、いまの目で見ると非常に初期CGCGCGしたCGと、あとはちゃんとジョー・ジョンストンが監督でもありますから、いわゆるアナログな特殊技術が、共存している感じ。

この時代のハリウッドでしか味わえない映像的感触っていうのかな。いまだったら全部CGでやっちゃうところに、ちゃんとアナログなものも混ざっていて。で、そのCGのちょっと拙い感じとか、これはこれでひとつの味になっている、そんな時代の作品なんですけどね。ちなみに『ジュマンジ』、続編の『ザスーラ』という2005年の作品がありまして。これの監督はジョン・ファヴロー。後にマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)第一作目『アイアンマン』、2008年の作品の、製作総指揮・監督を任される人ですよね。そして『ジュマンジ』の監督は、さっき言ったようにジョー・ジョンストン。つまり、やはりMCUフェーズワン、『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』、2011年の作品の監督に起用されている方なわけ。つまり、「『ジュマンジ』から『ザスーラ』っていうこの流れが、現在に至るMCU帝国の素地となった」という見方が、できなくもない、というような感じですかね。

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■意外とダークでヘビーだった一作目

ともあれ、その1995年の『ジュマンジ』という作品。1982年に出版された絵本が元になっていますけどね。テレビとかでもすごいやっている作品ですし、人気作。いまだに人気がありますから、一度はどこかでご覧になった方も多いと思われるので、見た方はみなさん、お分かりだと思いますけども……『ジュマンジ』という作品は、ファミリー向けコメディーアドベンチャー的なパッケージングはされていますけども、実際に見ると、意外とダークで、ヘビーなテイストが持ち味の作品なんですね。

こういうことじゃないですか。「大昔から生き残り、受け継がれてきたパンドラの箱的なブツを、若者がうっかり起動させてしまったばっかりに、怪異な現象が起こりはじめ……それは日常を破壊しつくし、ついには主人公たちも飲み込まれてしまうまで、決して止まらない」という。これ要は、話の骨格は完全にホラーですよね。『ヘル・レイザー』とか『死霊のはらわた』と、やっていることは同じなわけですよ。だからはっきり言って、怖いわけです。で、またこれね、主演の……2014年に亡くなってしまいました、ロビン・ウィリアムズ演じるアラン・パリッシュというキャラクター。今回の『ウェルカム・トゥ・ジャングル』にも名前が出てきますけども。このアラン・パリッシュというキャラクターの、あまりにも悲惨な人生と、そのあまりにも悲惨な人生の果てにただよう、まさにこれはロビン・ウィリアムズの十八番ですよね、狂気じみた危うさみたいなものがあったりとか。

まあ、主人公の姉と弟も……これ、お姉さんの方は、まだあどけないキルステン・ダンストがお下げ髪でやっていますけども。これも、両親を事故で亡くしているという、悲劇性を背負っていたりとか。とにかく、この『ジュマンジ』というゲームが与える試練をなんとかクリアして、人生を取り戻さなきゃ!っていう切実さが、結構重たくのしかかってくる話でもあるんですよ、一作目の『ジュマンジ』。極めつけは、劇中の最大の悪役であるヴァン・ペルトっていうハンター。しつこく追いかけてくるハンターが悪役なんですけど、これは、ロビン・ウィリアムズ演じるアラン・パリッシュっていうキャラクターのお父さんと同じ役者さん、ジョナサン・ハイドっていう役者さんが二役で演じている。お父さんの役と悪役を、二役で演じているわけです。

つまり、これが示しているところは明らかですよね。『ジュマンジ』が起こす怪現象っていうのは、実はプレイヤー当人の潜在意識の具現化なのかもしれない、っていう匂わせもあるわけですよ。厳格で常に強さを求めるお父さんっていうのが、そのアラン少年にとっては、常に恐怖であり、敵でもあった。なんだけど、そのお父さんに対するコンプレックスを克服することが、そのまま『ジュマンジ』というゲームをコンプリートすることにもつながって。そしてついに、永遠のピーターパンだったロビン・ウィリアムズ……まさに1991年に『フック』でピーターパン役を演じているロビン・ウィリアムズは、ついに本当の意味で、お父さんを克服して、大人になるっていう。そういう話なわけですよ。

■うって変わってカラッとコメディー方向に振り切った続編

そんな感じで、意外と深い含みもありつつ……でもラストは、ちょっと藤子・F・不二雄風な、ライトなSF的なオチもついて、爽やかに幕を引くという。と、思いきや、さっき言いましたよね? 海岸に流れ着いた『ジュマンジ』のゲームが、また不気味なドラム音を響かせ始めて……っていうね。やっぱりホラーだろ、この終わり方!っていう感じなんですけどね。その意味では、22年ぶりの続編となる今回の『ウェルカム・トゥ・ジャングル』。前作のオマージュ的なディテールは本当に抜かりなく散りばめつつも、前作の持ち味だったダークさとか重さみたいなものは、ほぼカットされて。割とはっきりコメディー方向に振り切った、カラッとしたつくりになっている。同じ藤子・F・不二雄でも、完全に『劇場版ドラえもん』っていうか。ジャイアンとのび太とスネ夫が一緒に大活躍みたいな、そんな感じになっているわけですね。

で、もちろんコメディー方向に振り切ったカラッとしたつくりだからこそ、ここまでのメガヒットになったというのはあると思いますけども。ただ同時にですね、この作品のこういうキモの部分。「『ジュマンジ』というゲームを通じて主人公たちが成長し、実人生の葛藤を乗り越える」という話。前作ではそれがお父さんだったのが、ねえ。これがイマっぽいところですよね。前作では乗り越えるべき対象がお父さんだったのが、今回は、自分のコンプレックスとかエゴとか、あとはなんなら人間関係……SNS時代というかね、すごくイマっぽい乗り越えるべき葛藤に置き換えられているけども。その主人公たちが『ジュマンジ』を通して成長するという、で、実人生の葛藤を乗り越えるという、このキモの部分。

あともうひとつ、「『ジュマンジ』にとらわれて人生が止まってしまった人、もしくは人たちに、救いをもたらす」という、この2つの、要するに物語の根幹をなすテーマのキモの部分は、しっかりと今回の『ウェルカム・トゥ・ジャングル』も押さえているわけです。なので見終わるとやっぱり、「ああ、やっぱりこれはなるほど、『ジュマンジ』だったな」っていう風に、ちゃんとそういう印象もしっかり残るという感じで。僕はこれはやっぱり、まずはストーリー、脚本を手がけた、クリス・マッケーナさんという方が率いるチームがいて。これは『スパイダーマン:ホームカミング』とか、その『スパイダーマン』の次の新作と、あと非常に評判の高かった『レゴバットマン ザ・ムービー』。どっちも2017年の作品ですけども。

ともに実にいい仕事をしていた、クリス・マッケーナさんの脚本チームと、あとこれまではジャド・アパトー一派として、割と大人向けコメディーみたいなのを手がけることが多かったんだけど、今回はあえてちょっとコメディーの感じを、抑えた調子にして……それにしても、下ネタとかはちょいちょい入ってくるんだけど(笑)、またそれが功を奏しているという感じの、監督のジェイク・カスダンさん。この方、なんとローレンス・カスダンさんの息子というね。びっくりしてしまいますけどもね。ジェイク・カスダンさん。彼らの、要はもともとコメディーを非常に得意としているチームが、ファミリー超大作に合わせて、なおかつ『ジュマンジ』の本質を押さえながらも、自分たちのテイストも入れて……ファミリー大作に落とし込んだ彼らのテイストが、職人的に「ちょうどいい」塩梅にハマった、っていうのが成功の要因じゃないかなという風に思いますね。

特に、昨年2017729日に僕が評しました『パワーレンジャー』実写版と同じく、先ほどのメールにもあった通り、1985年ジョン・ヒューズ監督不朽の名作『ブレックファスト・クラブ』的な……『ブレックファスト・クラブ』オマージュはいま、流行っているのかもしれませんね。まあ、要は異なる学園内階層、いわゆるスクールカーストに属する複数の若者たちが、偶然居残りで一緒にさせられて。で、その居残りという場が、一種通過儀礼的なきっかけとなって、それぞれが内に抱えているコンプレックスやエゴ、そしてここですね……自分のことだけじゃなくて、「他者」と向き合うことによって成長していく、という、まさに『ブレックファスト・クラブ』的構造を今回のメインに置いた点。ここがまず、非常に優れている点だし。

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そして何より今回はね、ゲームの中に入ってしまうという話なんだけど、この発想そのものはそれこそ1982年の『トロン』とかもそうですし、特に珍しいものじゃないし、(ゲームが)現実を侵食してくるという前作『ジュマンジ』のスリリングな部分っていうのは、むしろ後退したとも言える。だからメールで「こんなの、『ジュマンジ』の面白い部分がないじゃないか」っていうのはこれはひとつ、理があるんだけど……まあ、ゲームの中に入っちゃうっていう設定そのものにはそんなに新しみはないんだけど、そこで主人公たちが、現実世界の人物像とはある種正反対のキャラクター、アバターの外見になってしまうというこのアイデア。つまり、そのことがまさにさっき言った、それぞれが……要するに外見とか、そもそも日常で自分が「演じている」キャラクターじゃなくて、図らずも違うキャラクターの中に入ってしまうことで、もともと内に抱えている、芯にあるコンプレックスとか、エゴの問題だとか。

そしてやっぱり「他者」ですよね。(アバターの外見になってしまった状態では)自分そのものが他者なわけだからさ。たとえば女子高生がおじさんになっちゃうとか……(そこから)「他者と向き合う」ということを学んでいく。つまり、(現実の自分とは)違うアバターになっちゃうっていうことそのものが、主人公たちの成長のプロセスの一部になっている、ということ。なおかつ、その設定で、ドウェイン・ジョンソンがヘタレ童貞オタク男子の中身であるとか、あとはジャック・ブラックの中身がイケイケ女子高生とか……『転校生』とかね、まあ『君の名は。』でもいいですけど、そういう「入れ替わりもの」的な楽しさっていうのも当然、醸し出せるし。特にドウェイン・ジョンソン、ロック様は、全体が「ロック様批評」っていうか、メタ視点ギャグにもなっていて、めちゃめちゃ楽しいわけですね。全体が非常に楽しい。

とにかくこの三点。①『ブレックファスト・クラブ』的な構造をメインにして、②主人公たちの外見が変わってしまうという設定をテーマ性ともリンクさせた上で、③「入れ替わりもの」的な楽しさ ……ドウェイン・ジョンソン、ケビン・ハート、ジャック・ブラック、あるいはネビュラちゃんことカレン・ギラン、あるいは元ジョナス・ブラザーズのニック・ジョナスとかも出ていますけども、とにかく芸達者たちが喜々として、(中身の)入れ替わりを楽しく演じてみせるという、この三点が、上手いバランスでハマったことが、非常に成功した要因なのかなという風に思いますね。ドウェイン・ジョンソン、ケビン・ハートは、『セントラル・インテリジェンス』っていう2016年の作品でコンビを組んで……これ俺ね、見れていないんです。不勉強にも。これ、ちょっとすぐに見ます。めちゃめちゃ面白そうなんで。

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■本作でいちばん楽しいのは、芸達者な役者たちによる生身の体技

で、その前の『ジュマンジ』は、さっき言ったように視覚効果の、いまからすれば過渡期的な作品だったので、やっぱり当時のリアルタイムでのビジュアルインパクト……「えっ、こんなことできちゃうんだ!」みたいなインパクトをいま再現するのは、はっきり言って困難というか、そんなところに挑戦するのはハナから無駄だっていう風に、たぶんつくり手は判断したがゆえに、「現実に侵食してくる」っていう設定は止めにして……今回の『ウェルカム・トゥ・ジャングル』の、ゲームの中に入っちゃうっていうVFXは、もうリアリティー(の追求)では別にない。動物がブワーッて出てくるのも、別に本当っぽく見せるというのはもうハナから投げていて。逆にそのバーチャル世界ならではの……しかも設定上若干古めのゲームという設定でもあるわけだから、若干人工感とか嘘っぽさ感を含む、ケレン味のために使われている。

これね、『バーフバリ』におけるCGの使い方にも通じるものだと思う。CGは、リアルさの追求ではなく)ケレン味の方のために使っている、っていう。で、それ以外の部分は、意外とアナログなライブアクションを多用している。たとえばバイクアクションとかはライブでやっているし、格闘も自分でやっていますから。カレン・ギランとかもね。なので、非常にクレバーなバランスでつくられているな、という風に私は思いました。なにしろ、やっぱり本作でいちばん楽しいのは、さっき言った芸達者たちによる、生身の体技の部分。だからもうVFXが見せ場じゃない。生身の演技の部分の方が面白いんだと。ジャック・ブラックがカレン・ギランに……おじさんが、かわいい女の子に、「かわいい女の子のセクシーな仕草」指南をして、しかもそれを実践させるくだりとか、本当にバカすぎて最高!っていうね。カレン・ギランの不器用にやってみせるところとかも、本当に面白かったですし。

あとドウェイン・ジョンソンも、まず登場した瞬間に、いきなりあの表情。もう、「ザ・ロック!」っていう表情をいきなりして、いきなりそこで爆笑を取っていくという。そんな感じで、さっき言ったように全編が、ザ・ロック、ドウェイン・ジョンソンという存在に対する批評的パロディー、みたいにもなっているわけですよ。なので、本作は何よりも、その二重性ですよね。劇中の人物……しかも劇中の人物は、屈強なキャラクターでありながらその中身は童貞のオタクであり、しかもそれ全体がロック様というものの批評的、メタ的なギャグになっており、っていう二重性みたいなものを、見事な自然さ、力の抜け具合で、(一見)なんてことなく演じきっているドウェイン・ジョンソンというスターの、すさまじい懐の深さと、上手さ。上手いですよ、やっぱりこの人。そしてやっぱり、圧倒的なチャーミングさ。これを愛でる作品っていうことは、もう間違いないと思いますね。

最大の爆笑ポイントは、このドウェイン・ジョンソンとカレン・ギランの、世にもみっともない「ファーストキス」のシーンですね。よくこんな顔をスクリーンに大映しにするな、と(笑)。俺、IMAXで見ながら……IMAXで映された画の中で、いちばんバカバカしいと思うよこれ(笑)、っていう感じだったと思いますけどね。で、まあそういうわかりやすいところ以外にもね、たとえばある作戦が上手くいって、「やったー!」ってなって。で、他のキャラはみんな自然にハグし合っているんだけど、ドウェイン・ジョンソンとカレン・ギラン……中身は奥手な男の子と女の子同士だけは、こうやってハグしようとするんだけど、なんかね、腰の位置がズレていて。なんかギクシャクしている、みたいなのを、特にアップにするでもなく、画面の結構隅の方で、それをサラッとやっているんだけど。それとかがまたおかしいし、かわいいしでね。ぜひ、このあたりをみなさん、見逃さないでいただきたいと思いますね。

■重ためな作品が多い中で求められていたカラッとしたファミリーエンターテイメント

あと、ここはさすが、普段はもっと毒気強めなコメディーを撮っているチームなだけあって、たとえばジャック・ブラックが最初に『ジュマンジ』空間に入って、川の前でブーたれていると……とか。ケビン・ハートが、「ケーキが弱点ってさ、ケーキがやめられねえってことじゃねえの?」とか言って、ガハハハッとか笑っていたら……っていうところとか。割と不謹慎めな笑いが、ちゃんと不意に挟み込まれたりして。このへんも楽しいあたりだと思います。まあ全体に、たしかに試練とか葛藤の乗り越えはあっさりめです。サクサク全てが解決していっちゃう感じっていうのは、たしかにあります。

ただ、こういう軽めの作品っていうのはあってもいいんじゃないかな?っていうか。はっきり言って最近、全世界的に、エンターテイメントがちょっとウェットだったり重たい方向に寄りがちっていう傾向があって。たぶん観客もそこは、ちょっとだけ辟易している空気があったから、こういうやっぱりカラッとしたファミリーエンターテイメントがヒットした、っていうのはあったりするんじゃないですかね。

それでいて終盤、前作『ジュマンジ』以上にエモい、ある再会シーンがあるんですよ。俺、この場面の感動は、前作を完全に超えていると思うんだけど。最も厄介だったキャラクターの、ちょっと苦さも含む成長っていうかね……大きく言えば、他者と関わっていく人生の豊かさ。ただ自分の欲望を満たすんじゃなくて、たとえば恋愛を成就させるとかじゃなくて、他者と関わって、他者にも奉仕していく人生の豊かさを知るっていうことが、説明的にもウェットになりすぎもせず、スマートな着地になっていて、とっても素敵なエンディングになっていると思いましたね。これ、この場面は前作を完全に超えていると思いました。私、ここはホロリとしてしまいました。落涙しました。

個人的にはね、ただひとつ大きな文句を言えば、これは絶対に僕、必要だったと思うところが、足りていないと思うんだけど。要は「居残りを命じられた」、これが成長をするきっかけじゃないですか。(ならば)居残りを命じた校長なり何なりが、彼らの居残りの後の変化とか成長を、なんにせよ見て驚くっていうくだりは、絶対に僕、このテーマ的には必要だった、という風に思いますけどね。でね、また最後に『ジュマンジ』らしい終わり方… …要は「まだ『ジュマンジ』は終わっていないのか?」っていうさっき言ったホラー的な終わり方かと思いきや、まあ膝カックンなラストになって。で、そっからボンッ!っと……

Guns N’ RosesWelcome To The Jungle』が流れる)

……これが流れ出してっていうね。ガンズ・アンド・ローゼズ『Welcome To The Jungle』が流れ出して。この明快なバカっぽさ。だってさ、ガンズのこの曲って、別に「ジャングル」のことを歌っているわけじゃないんですけど(笑)。あの、街のことだと思うんですけど。このストレートなバカっぽさも含めて、なんかスカッと抜けがよくて。僕はこれも好ましいなと思いました。まあ、文字通り本当に気軽に楽しめて、でもちょっとだけしっかり感動もさせられて、でもウェットにも行きすぎず、っていう感じで。この軽さ、あっさりさも込みで、本当に全方位的というか。非常に楽しい作品なのは間違いないと思います。IMAX 3Dとかも本当にね、とにかく大映しで見られる世にもアホらしいキスシーン(笑)とか諸々、とにかく絶対に見ておいた方がいい場面満載です。非常に楽しかったです。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『クソ野郎と美しき世界』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

宇多丸、『クソ野郎と美しき世界』を語る!【映画評書き起こし 2018.4.20放送)

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
さあ、ここからは土曜の夜から金曜夕方にお引越ししてきた週間映画時評「ムービーウォッチメン」。このコーナーでは前の週にランダムに決まった映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。それでは今夜評論する映画は、こちら! 『クソ野郎と美しき世界 』

(曲が流れる)

稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾が出演するオムニバス映画。監督・脚本には『愛のむきだし』などで知られる園子温さん、舞台『トロワグロ』で岸田國士戯曲賞を受賞した山内ケンジさん、そして爆笑問題の太田光さん。椎名林檎やPerfumeのミュージックビデオなど、CMの世界で活躍する映像ディレクター・児玉裕一さんの4名ということでございます。ということで、これはリスナーメールでもいっぱい来ていたやつですからね。公開は今日で終わってしまいましたが、非常に要望が多かったのと、太田さんが「ぜひに、ぜひに」と。「忖度しろ!」っていうのがありましたからね(笑)。スタジオまで来て言ってくださったので、まああえて入れたら当たってしまった、ということでございます。

■「香取慎吾さんが笑顔で歌うシーンには涙が止まらなかった」(byリスナー)

ということで、この映画をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多め。賛否の比率は「賛」「普通」「否」でそれぞれ三等分する形に。もうパッコリ3つに分かれた感じ。主な褒める意見は「メインキャストの3人の生き生きした姿が見られて感動した」「3つのエピソードも登場人物が集うクライマックス、特に香取慎吾さんが笑顔で歌うシーンには涙が止まらなかった」など、もともとの3人のファン以外の人も、3人の姿を大スクリーンで見られたことに感動した模様。

一方、否定的な意見としては「オムニバスにもかかわらず、3つのエピソードが単体作品として成立していない。かといって、全エピソードがつながるクライマックスの種明かしも上手くない」とか。まあ、ファンムービーの域を出ていない、というようなご意見がございました。

代表的なところをご紹介いたしましょう。「警備員射抜く」さん。男性。「僕にとってSMAPという存在は小さい頃から当たり前にあるものでした。その当たり前だったものが突然なくなってしまう悲しさを、自分を含めて多くの人が味わったと思います。映画の中でもそのあたりがわかりやすく描かれていますが、やはりそのへんで傷ついていた自分にとっては、クライマックスの香取くんを見るや、涙腺のダムが音を立てて崩れ、まんまと大号泣させられてしまいました」というね。

あと、これはダメだったという方。「サガワ」さん。こちらも男性の方ですね。「これは僕、全然ダメでした。キャストとスタッフに金だけかけた意欲的な自主製作映画を見せられたようで、鑑賞中はまだ微笑ましく見よう、見ようとがんばれたんですが、終わってからは腹が立って仕方がありませんでした。クドかったり薄味だったりわかりきった展開だったり。まるでどこを褒めていいのかわかりません。太田監督パートは小説での太田光氏の世界観をかすかに感じましたが、だったら小説で読みたかった。あとこれ、オムニバスと銘打ってますけど、オムニバスと呼んでいいんでしょうか? 最後で3エピソードがつながるカタルシスより、各パート単体で成立しない違和感の方が強くて。この映画が手放しで褒められるようなら、もう知りません」ということでございます。

■「志は、わかる!」だが……

ということでね、いっぱいメールいただいていて申し訳ないです。もっといっぱい読みたいんですが、私の(評の)中身もいっぱいやりたいんで申し訳ない。あと、いつもよりもちょっと早口でしゃべらないと絶対に入り切らないんで。聞き取りづらい人は後で公式の書き起こしを見て、みたいな。フフフ(笑)。ラジオにあるまじきことを言って申し訳ありません。ということで、私もTOHOシネマズ六本木で2回、見てまいりました。まあ、非常に入っていてね。売り切れの回も続出していたりしますけどね。それだけ新しい地図のお三方というか、SMAPのファンの熱心さがうかがえるという感じなんですけども。

まあ、そんなプレッシャーを強く感じながらの今回の評。まず、最初にいきなり、僕なりの結論的なことからざっくりと話してしまおうかなと。で、各論的なことは後から言おうかなと思っておりますが……一応、言っておきます。ぶっちゃけ、熱狂的な新しい地図ファンのみなさま、もしくは今回の映画『クソ野郎と美しき世界』を文句なく楽しんだという方。そしてもちろん、作り手のみなさん方には、決して耳障りがよくない言葉も、これから多々出てくると思われますので。まあ、劇場にかけるっていうことはそういうことなんだということなんですけど。なので、スペシャルウィークにちょっとあるまじき発言ですが、耳障りの悪い言葉を聞きたくない人は、なにか他の、もっと穏当なコンテンツに移動されるのがおすすめかも……ということです。

ということで、始めさせていただきますが。まずは僕なりの結論。まず……「志は、わかる!」。新しい地図。先ほどのメールにもあった通り、国民的に愛されていた、掛け値なしのスーパースターグループSMAPが、紆余曲折あって2016年に解散という、悲しくなっちゃうような経緯というのがまずあって。そこからの、まさに「Once Again」イズムを体現するような再スタート……むしろ、これまでできなかったようなこととか、やれなかったこと。あとは行けなかったような領域にまで行けちゃうんじゃないか、というような、むしろワクワク感さえ湛えたようなリブート(再始動)でもあるような、という、この新しい地図。稲垣吾郎さん、香取慎吾さん、草なぎ剛さん。お三方の再出発、という現在の、現実のいまの状況っていうのがあって。

で、その一環として、3人それぞれの個性を存分に生かすような……今回の3つのそれぞれのソロエピソードでいえば、稲垣さんはやっぱりエキセントリックで、ちょっと浮世離れしたような二枚目キャラクター。だからちょっとギャグっぽくさえ見えるような、浮世離れした二枚目キャラクター。で、香取さんは、常に自然体、本質としてはアーティスト気質な部分であるとか。で、草なぎさんは本格演技派、みたいな……そういう、それぞれの個性を存分に生かすようなショートストーリーを、最終的に、現実の彼らの新たな船出をセレブレイトするような大団円に落とし込むオムニバス映画として、気鋭のアーティストたちに任せて作らせたと。

つまり、どのエピソードも、現在の新しい地図のお三方の現実がちょっと透けて見えるような、メタファーにもなっているというような、そんな作りになっている。で、最後は大団円……というのを、気鋭のアーティストたちに任せて作らせてみるというこの狙い、志そのものは理解できるし、面白そう、とも思います。それにその、ある程度キャリアを積んだ人が、一旦それをご破産にして新しい何かに乗り出す……まさにこの番組『アトロク』自体も、そういう立場ですから。そこにシンクロして共感する部分も、いっぱいあります。ただしですね――これは私の見方ですよ――実際に出来上がった作品はというと……光る部分はあります。ハッとさせられるところ、クスッとさせられるところも多々あります。そういうレベルでは、評価できる作品、という言い方もできなくはないですけど。

■ファンムービーに終始してしまったのが残念

これだけのね、一流の作り手のみなさんが関わってますから、そりゃあいいところがなきゃおかしいんだけど。特に、これは本人から直接プレッシャーをかけられたからとか、忖度したから言っているんじゃなくて、マジでマジでこれはマジな話、今回の4つあるパートの中では、言わずと知れた爆笑問題・太田光さんが27年ぶりに映画監督をした3パート目が、マジで今回の『クソ野郎と美しき世界』の中では、もっとも「映画的に温度が上がる」部分っていうのが多かったパートで。それこそ、27年前に太田さんが初監督された『バカヤロー! 4』のね、『泊まったら最後』っていう1991年の作品があるんですけど。それの出来と比べたら、もう飛躍的! 名作!っていう感じになるぐらい……まあ、そんぐらい前のがすごかったんですけど(笑)。みなさん、機会があったらね。配信とかでも見れますので。感動的な成長ぶりと言っていいと思う。本当に素晴らしいと思います。まあ、細かいことは後ほど言いますけど、その太田さんパートをはじめ、光る部分はちょいちょいなくはないです。それはね、もちろん。

バカヤロー!4 YOU!お前のことだよ バカヤロー!4 YOU!お前のことだよ

しかし、やはりですね。全体にその、製作時間のなさゆえなのか……まあ、このタイミングではむしろスピード感、ちょっと乱暴なぐらいのスピーディーさ、そっちを優先させたという、それもコンセプトのうちなのかもしれない。それもわからなくもないけど……やっぱりなんか製作の時間がなかったのかな? そして、あんまりお金がなかったのかな? としか思えないような、「ネジがゆるい」つくりがやっぱり全体に目立つんですね。

はっきり言って僕は、どうせ劇場映画をつくるんだったら、もうちょっと脚本を含めて、しっかり練り上げてご準備なさっては? という感じ、ネジのゆるさがどうしても目立つな、と思ってしまいました。そしてその結果……ここが僕、いちばん残念なところでしたけど。せっかくね、2週間とはいえ一般劇場公開までしたのに、これはやっぱり、さっき言ったような、現実の新しい地図のみなさんの状況を作品から積極的に読み取ってあげる、まさしく「忖度」してあげるようなスタンスの観客……つまり、やっぱり「ファン」ですね。ファン向けの作品。要するにファンムービーに終始してしまったように僕は思います。そういう方、メールでも多かったんですけども。正直僕は、それ以上のものを本気で期待して見に行ったからなんですね。なので、「ああ、やっぱりファンムービーはファンムービーだな」と。なのでこれからちょっと、たとえばこれ、配信などでより広い層に見られるようになったら、僕なんてもんじゃない厳しい言葉が、間違いなくたぶん飛び交うことになると思うんですけども。

■アマチュアゆえのスタンスが、見ごたえがあるものが出来たのでは?

そもそもこの作品、多田琢さん、山崎隆明さん、権八成裕さんという、SMAPとも非常に重要な仕事をいくつもしてきたCMプランナー、ディレクターのみなさんが企画して、まず大まかな話を作って、それを各監督がそれぞれの個性を生かして脚本化して作品に仕上げていくという、この順番の流れで作られているわけです。

なので、たとえば2パート目。これはオフィシャルブックの多田琢さんのインタビューによれば、2パート目の山内(ケンジ)監督なんかは、「歌喰い」っていうキャラクターが出てくるわけですけど、歌喰いというキャラクターにリアリティーがないことに最初、納得がいかないということで、数週間保留していた、とかですね。あるいは、これもパンフレットにも載っているインタビューですけど、1パート目の園子温監督も、時間がないので最初は無理だと断ろうと思った、なんておっしゃっている。実際に映画を見ると、「まあ、そうでしょうね……」っていうような感じがあるということですよね。

つまり、各監督とも、与えられたお題と素材に、できる範囲で「寄せる」という方向で今回の作品がつくられているわけですよ。ある種やっぱりCM的な構造というかね。素材があって、クライアントがあって、それに寄せる、というつくり方をしている。で、そこに悪い意味でのぬるさ、ゆるさが生じやすい余地があったんじゃないか。そして、唯一プロの映像作家、映画監督ではない太田光さんのパートがいちばん見ごたえがあるのも、要はその構造と無縁ではない。太田さんは、そういう寄せるとか、そういう職人的なことができないわけだから。ほぼアマチュア的なあれでやっているんだから。ゆえに、やりたいことをある程度やりきる、というスタンスでやったため、いちばん見ごたえがあるものになったんじゃないか?っていうのが僕の仮説なんですけども。まあ、順を追って各パートについて、ちょっと大急ぎになりますが、触れていきますけども。

■「こんなもんじゃないはず!」という稲垣吾郎×園子温

まず、ド頭。僕、普通に映画館で見ていて、アップルとかグーグルのCMが始まったのかな?って思うぐらい、それぐらい非常にクオリティーが高い映像が付く。これは要するに、新しい地図のメッセージ映像的なものが最初に付くわけです。これはさっき言った多田さん、山崎さん、権八さんが手がけられたということなんですけども。エンディング映像とこのオープニングのところ。で、世界中の様々な人が、様々なシチュエーションで、前に進む、歩いていくその背中を、数珠つなぎにモンタージュしてつなげていく映像に、しかもよく見るとどの画面にも……世界中で明らかに撮ったと思しきその映像のどの画面にも、新しい地図のマークが、どこかしらにデザイン的にというか、入っているというね。で、コピーが付いて……っていう。

とにかく、完全にCMのつくり。全く映画的ではない部分なんだけども、純粋にクオリティーっていうことだけで言うなら、この部分がやはりというべきか、ぶっちぎり、段違いでこの『クソ野郎と美しき世界』という作品の中で、いちばんレベルが高いところですね。ここは、やっぱりいわゆる本当の「世界レベル」っていうやつだと思いますけどね。なんだけど、ここはあんまり本編とは関係がなくて。で、そこから園子温監督・稲垣吾郎さん主演、最初のパート『ピアニストを撃つな!』っていう、まあトリュフォーオマージュなタイトルが付いていますけども、そのパートが始まる。

で、ここは良くも悪くも、「園子温さんならこれぐらいは朝メシ前」感が半端じゃないわけです。まあ、オムニバス一発目、勢いのあるエピソードで掴む、という構成は順当ではあるし、あとやっぱりずーっと走り続ける話ということで、空間移動のダイナミズムというのがやっぱり映画的というもののキモですから、そこはやっぱり、この4つの中で園さんだけが大幅な空間の移動というのをメインに持ってきていて、そこはさすが映画監督・園子温っていう感じなんだけど。ただ、さっき言ったように条件が限られているせいもあるのか、その「朝メシ前感」のまま終わってしまうっていうか。朝メシ前で本当に終わってしまっている。

園さん作品は……今回のもわりとそういう、露悪的な、悪ふざけ調なテイストなんだけど、たとえその露悪的な悪ふざけがあっても、その向こうに実は、むしろ泥臭いくらいの、青臭いぐらいの純粋さ、熱さが、その芯、核にはあるからこそ、園子温作品は観客の心を掴んできたんだと思うんだけど。今回はその手前、もしくは表面までしか行っていない感じなんですよね。特に、大きな意味での「愛」に向かって突っ走る、暴走するキャラクター、主人公たちっていう、それ自体は非常に園子温的なモチーフなんだけど、今回たとえばその愛というもののその人にとっての切実さとか、あるいは突っ走る、走り姿の真摯さであるとか……これは他の園子温作品では出てくるものなんですよ。

たとえば、パンチラを見て、そこから始まった愛だって、本人にとっては切実だっていうのを真剣に描くとか(※宇多丸補足:園子温監督の代表作のひとつ『愛のむきだし』のことを言っています)。走る姿の真摯さ。それこそ『ちゃんと伝える』のAKIRAさんの走り姿。『希望の国』の二階堂ふみの走り姿。それらは真摯なんだけど……今回は、そのいちばんきっちりやらなきゃいけないところを、ちゃんと撮っていないように思う、っていう感じですね。あと、浅野忠信さん演じるマッドドッグという、まあイモータン・ジョー風というか、そのギャングのマスク。「マスクを取った顔は誰も見たことがない」っていうナレーションが入った直後に、サラッと取って。で、結構取ったままずっと行動し続けちゃうので。要は、鼻が異常に利く、ききすぎてキツいからマスクをしていたっていう設定が、あまり生かされず。あんまりおいしくない、とかですね。

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満島真之介さん演じるジョーっていうこのキャラクターとかは、それだけでスピンオフを1本作れそうなぐらい面白そうではあるんだけど……とにかくその、稲垣吾郎さんと園子温さんの組み合わせという本当の化学反応は、こんなもんじゃないはず!っていう。期待値が高めだった分、ちょっとここは僕は残念なあたりでしたね。

■オフビートな会話シーンとドキュメンタリー的スリルがある香取慎吾×山内ケンジ

続くパート。山内ケンジさん脚本・担当の『慎吾ちゃんと歌喰いの巻』という。で、山内さんはもちろん、元は演劇で活躍されて、CMも多数撮られていますけども。僕は、『トロワグロ』という代表作を映画化した『At the terrace テラスにて」という作品だけを拝見していますけども……今回のその『慎吾ちゃんと歌喰いの巻』だと、実は意外と多いメインキャラクター以外の、ちょっとオフビートな、ユーモアがきいた会話シーンにこそ、この山内ケンジさんの本来の作品の面白みみたいなものが凝縮されているな、という風に思いますね。

警官の会話であるとか、あとはシンガーソングライターの女の子の、歌がなくなっちゃって戸惑うあの様子だとか。あるいは、古舘寛治さんが尾崎紀世彦風の歌手で……あれはたぶんアドリブで(古舘さんが言った)、「ムキムキの料理人にもらった(ピストル)」っていうのを、(劇中で)使いますけども。そしたらその後に、ちゃんと「ムキムキの料理人」が出てきたり、ああいう感じ。なんか、そのへんの遊び感っていうのが、山内ケンジさんの、この会話のオフビートな感じというか、リアルな感じというかね。そこが持ち味だと思うんだけど。なので、そこはすごく面白いは面白いですけどね。で、香取さんの役は、もっとも本人に近いというか、ほぼ本人そのものな設定ですよね。で、まあ歌を奪われ、それでも表現欲求は尽きず……という立場。完全にまあ、現実の新しい地図誕生のストーリーを彷彿とさせるし。

ちょっとドキュメンタリー的なスリリングさも、積極的に読み込む姿勢があれば、あるはあると言えると思います。ただ、その歌喰いという、歌を食べちゃう、取っちゃうというファンタジックな存在。その特殊な設定のわりに……あんまり僕、これは寓意として活きていないな、という風に思います。歌を食べてそれをウンコで出す。で、そのウンコを食べると元に戻る、っていうんだけど……やっぱり、食べてウンコっていう流れだと、その間に何かが消化されて、不純物が取れるのかなんなのかわかりませんけども、とにかく、食べた状態とウンコの状態の間に、なにか差がないと。食べてウンコで出すという、わざわざこんな設定にした意味が、あんまり僕、ないなと思っていて。まあ、そこはさっき言ったようにね、山内さんの責任じゃない部分かもしれませんけども。

■役者としての上手さと存在感が圧倒的な草なぎ剛×太田光

そして……もうバンバン行きますよ。問題の太田光さん監督、『光へ、航る』という3パート目。ここはなにしろ、ここに尽きます。「草なぎ剛さんの、役者としての上手さと存在感が、圧倒的!」。最初の草なぎさんの、顔のアップのカットの凄みと色気とか、もう半端ない。あの1カットだけで、相当この映画、グッと価値が上がったと思いますけどね。もちろん『任侠ヘルパー』で、草なぎさん、強面もいけるというのは証明済みではあるけども。本作のこの工藤修という役柄。ここはさすがやっぱりね、太田さんの持ち味でもあるんですけど、自然なユーモアまじりの汚れ感っていうか、自然なユーモアまじりのやさぐれ感というのが、とても魅力的なキャラクターになっていて。それを本当に、非常に映画的に成立させている、という感じだと思います。

で、まあそんな工藤修というキャラクターの、ちょっと複雑な、重層的なキャラクター性が、シーンを通して……まさに草なぎさんと尾野真千子さんの芸達者さがお互いにドライブしていくように明らかになっていく、最初の、ホテルの中の美人局シーン。ここは本当に、70年代のATG映画風っていうんですかね? うらぶれ感、匂いも含めて 、ここはとっても映画的にいいところですね。 「ああ、これはいいぞ! 太田さん、マジでいいじゃん!」っていう風に 、思って見始めたあたり。ただ、惜しむらくはこの美人局のシーンは、その後のロードムービー展開とあんまり有機的にリンクしているように見えないというか、正直、全体からはちょっと浮いている、という風に思います。

太田さん流のアレンジと、もともとあったお話とのすり合わせが、まだ十分じゃないままつくっちゃっている感じがして……やっぱりここも、ネジがゆるいんじゃないか?っていう部分なんですよね。ということで、草なぎさんと尾野さんのやり取り。これは十分に楽しめます。さすが、セリフのやり取りで笑わせたり聞かせるっていうのは、やっぱり太田さん、本業でもありますから。ただ、映画としてこういう見せ方をすると、垢抜けないんだけどな……みたいなところも、少なくない。回想でキャッチボールするところで、周りをソフトにぼかした感じで撮るのとか、「うわっ、これはダサいだろ」とかですね。

あと、いちばんこれはどうかと思ったのは、「腕を移植する」っていうなかなか実感としてリアルに感じづらいその設定を、はっきりつぎはぎの痕と、あとは色がそこから違うっていう、はっきり言ってフランケンシュタインの怪物みたいな手として見せちゃったことで、ちょっと感動げなシーンに見せているのに、ギャグとしてしか見れない。で、結果として、最初はすごく70年代ATG風の匂いがある、すごくリアルなシーンとして始まった映画が、なんかこう、リアルな感情が流れているとは全く思えないところに着地していっちゃうっていうのが、本当にもったいないなという風に思いましたね。あと、他にもいっぱいあるんですけど、あとはもう太田さんに直接会った時に言います。はい。「あそこはどうかと思う」とか。

■真に「風通しがいい」作品とは、もっと<外側>に向かうための何かを高めたもの

最後ね、児玉裕一さんのパート。僕もお仕事したことがありますけども。ここははっきり言って、もう完全にミュージックビデオのつくりなので、映画としてどうこうとかではないんですけど(※宇多丸補足:ただ、これは放送では言い忘れてしまった部分で……池田成志さん演じる劇場支配人?的な、要は狂言回し的な役割のキャラクターが最初に歌うところ、ここの歌詞は一聴して、後のほうで本人も出てくるサイプレス上野が書いたものだと少なくともラップ好きならすぐわかる感じなんですが、だったらこの役そのものに上野をキャスティングしたほうが、歌唱のクオリティも確実に上がるわけだし絶対良かったのでは、という気が個人的にはしてなりません。また、それは置いておくとしても、ここだけ歌詞を字幕でも出しているのが、まぁ日本語ラップが出てくる映画にはありがちな演出ではあるんですけど、ラッパーの端くれとしては“あぁ、やっぱそれやっちゃいますか”感が、どうしても強かったです)。メールにもいっぱいあった通り、たしかに香取慎吾さんが歌を……しかも新しい歌を取り戻す、というその様は、本当に現実とリンクして非常にカタルシスを生むという。これはたしかに僕もSMAPファン、そして新しい地図ファンとしては、すごくわかります。ただですね、各パートが一堂に会してパズルがはまる大団円っていうのを目指すにしては、このパズルが全くちゃんとつくられていないので、全くカタルシスがないと思います。

たとえばですね、草なぎさん演じる工藤がですね、実は連絡していたのがかつての仲間、浅野忠信さん演じるマッドドッグだった、というところでパートがつながるっていうんだけど。最初の一番目のパートで、工藤からの電話を受け取っていたのは、満島真之介さんが受け取って、「ああ、工藤さん」ってやっているわけですよ。だから諸々のシチュエーションが……そこのところの場面を見て、「ああ、あの場面で電話していたんだ」ってなるんだったら、「パズルがはまった」と言えるけど、実際にはこの4パート目で工藤とマッドドッグが会話する場面は、1パート目には全く出てこない場面なんですよね。なので、そこのすり合わせが上手く行っていないっていうか、そもそもこれ、すり合わせをしていないんでしょう?っていう感じで。なので、別に全く上手くパズルがはまるとか、そういう快感も全くないっていう。

まあね、(前の3つのエピソードをまとめる役割としての最終エピソードを作るにあたって)児玉さんとしてはこういう風に処理するしかなかったんだろうな、っていう感じだと思いますね。あと、ここは3人揃って歌わないんだ……とかもね、ちょっと思ってしまいましたけども。それよりも、エンドロールで流れる小西康陽さんの『地球最後の日』っていうこの曲が流れて。で、キャラクターたちのその後っていうその映像が流れて。ここがやっぱりエンディングとしてはとてもきれいで、グッと来ました。ただ、これも限りなくCM的ではある、という感じ。だからやっぱり、CM畑の人が作ったCM的な良さはたしかにある。で、その中で太田さんだけがものすごく青臭く映画っぽいことを目指していて、時々光る部分がある、みたいな、そういう感じだと思いますね。

ということで、「風通しの良さ」みたいなことをオープニングのメッセージ映像でおっしゃっていて、とてもそれには同意なんですが、真に「風通しがいい」作品っていうのは、もっと普遍的な、完成度とか強度とかサービス精神とか、なにかしら外側に向かう何かを高めたものだろうと僕は思いますし。一言でいえば、どうせ映画をつくるなら、もうちょっとちゃんとやった方がよかったのでは……という感じが僕はしましたね。新しい地図でこそできること、というのに可能性を感じるからこそ、ちょっと辛口になってしまいましたが。これはしょうがないんです。映画館で、横で『ペンタゴン・ペーパーズ』がやっていたりする中でやるっていうのは、そういうことなので。

機会があればもちろん、新しい地図、その企画のフットワークの良さとか、どんどん冒険していく感じとかは本当に好ましいと思うので。また別の映画を劇場で見たい。あと、太田さんはこのまま、映画はしばらくやってみてもいいと思います。だいぶ、なんか見えたと思いますんで。ということで、新しい地図。また次のなにか、今度こその作品を、劇場でウォッチしたいと思います!

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート>

TBSラジオをキーステーションにお送りしている『アフター6ジャンクション』、すいませんでしたね。(新しい地図の)ファンのみなさんね。本当にね。ここからは来週評論する作品を決める時間なんですが、実は来週、あるスペシャルゲストを招いてインタビューをお送りするため、ムービーウォッチメンはお休みとさせていただきます。これは異常事態ですよ。よっぽど。誰かといいますと、来週お招きするそのスペシャルゲストとは……映画『バーフバリ』の、S・S・ラージャマウリ監督です!

フォーーーッ! バーフバリ! バーフバリ!

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!


『バーフバリ』のS・S・ラージャマウリ監督との対談中、ライムスター宇多丸がまさかの生ラップを披露! その顛末は?

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:

TBSラジオをキーステーションにお送りしているカルチャーキュレーションプログラム、『アフター6ジャンクション』。

TBS山本匠晃アナウンサー:

いつもこの時間はカルチャー最新レポートの時間なんですけども、今日はお休みということで、ラジオ独占のスペシャルインタビューをお送りするということですね。

宇多丸:

ということでもうね、実はあちらのサブにスタンバイしていただいております。先ほど、ちょっとにこやかなお顔で、一瞬ガラス越しに挨拶をさせていただきましたが。インド生まれの傑作娯楽超大作『バーフバリ』二部作の生みの親、つまり「創造神」! SS・ラージャマウリ監督をお呼びしております。ということで、映画『バーフバリ』について簡単に紹介いたします。

インド国内の歴代興行成績を塗り替えたアクションエンターテイメント超大作。インドの架空の古代王国を舞台に、伝説の戦士バーフバリを巡る、三世代に渡る愛と復讐の物語を、壮大なスケールのアクションで描く。日本では、昨年4月に前編『バーフバリ 伝説誕生』、そして12月には後編の『バーフバリ 王の凱旋』が公開され、口コミを中心に評判となり、カルト的な大ヒットを記録。現在も、DVDソフトはすでに発売されているにもかかわらず、絶叫上映──声を出してワーッと一緒に「バーフバリ! バーフバリ!」って盛り上がる上映とか──オールナイト上映など、イベント上映をするたびに全ての回が完売してしまうという、驚異のロングラン作品となっております。

そして私、宇多丸は、今年の1月に、土曜の夜『ウィークエンド・シャッフル』でやっていたムービーウォッチメンで、後編の『王の凱旋』を評論させていただきました。もう最大級の絶賛でした。「世界中の誰がいつ見ても圧倒的に面白いと感じるに違いない、これぞ映画だ!という感じの、一大娯楽作」「日本映画にとっての『七人の侍』のように、インド映画にとっての『バーフバリ』、こういうような立ち位置になるんじゃないか」「映画における面白さとは何かを、本当に考えつくし、研究しつくし、工夫しつくし……映画の面白さの(真髄を見るかのような)仕掛け、アイデアが満載されている」「間違いなく、いま日本でやっているどの映画よりも面白いんだから、行きなさい!」などなど。シネマランキング2017年の(一位のさらに上の)「チャンピオン」!という風に語らせていただきました。

一応ね、私ごときのあれですけども、その評論以降、観客動員がV字回復したなんていう話もね、聞きますんでね。

山本:

おおーっ! いや、見ればみなさんハマりますから。絶対に。

宇多丸:

ということで、ついにその『バーフバリ』、日本での熱狂的人気を受けてラージャマウリ監督が来日をされているということで、さっそくインタビューを申し込み、本日このスタジオにお越しいただくことになりました。それでは入っていただきましょうか。どうぞ! いらっしゃいませー! どうも、ナマスカール。

山本:

ナマスカール。こんにちは。よろしくお願いします。

宇多丸:

Nice to meet you.

SS・ラージャマウリ監督:

Very nice to meet you.

宇多丸:

My name is Utamaru. よろしくお願いいたします。

山本:

My name is Takaki.

宇多丸:

ありがとうございます。いらっしゃいませ。よろしくお願いします。ということで、早速インタビューを始めさせていただきたいと思います。まず『バーフバリ』、本当に素晴らしかったです。もう本当に素晴らしい作品、ありがとうございます! ダンニャバード!……これ、合ってますか?

ラージャマウリ監督:

パーフェクトです。

宇多丸:

ありがとうございます。本当に素晴らしい作品だと思います。で、『バーフバリ』。この作品が日本で熱狂的に支持されているという話を最初に聞いた時、率直にどう思われましたか? 日本で人気っていう話は?

ラージャマウリ監督:

そうですね。そのニュースを聞いた時はまさにシュールな、信じられないというのが正直なところです。まず一週目。それが四週、五週と週を重ねて、もう100日超えでロングラン上映をしているということ。そしてビデオで絶叫上映の様子も見ました。で、ファンアート……みなさんが似顔絵などを描いてくださっている。それもとても信じられない。加えて、文化的にとても異なるところでこれだけ映画が愛され、みなさんの本当に愛情をビシビシと感じる。その映画愛というものが見てとれました。

宇多丸:

実際に日本に来られて、『バーフバリ』を見ている日本の観客の様子などもご覧になられたと思いますけども。いかがでしたか?

ラージャマウリ監督:

みなさん、本当にコスプレをして、インドの国旗を持って、テルグ語のプラカードを掲げて、本当に愛情を体いっぱいに示してくださったんですね。私、今回のプロデューサー、そして私たち2人の家族と一緒に来日をしていまして、本当にみんな涙が出てきました。

宇多丸:

いやいや、こちらもそのお言葉自体がありがたいことですけども。インド本国でももちろん人気の作品ですし、他国……他の国の観客の反応との違いってあるんでしょうか? たとえばインド本国と日本の観客との熱狂の仕方の差というものはあるんでしょうか?

ラージャマウリ監督:

もちろんインド国内でもおかげさまで映画は人気を博しています。それ以外にもアメリカ、イギリス、中東、シンガポール、マレーシア、オーストラリア……こういった国々でも公開されて人気なんですけども、それはやはりインド人人口がかなりいる地域であって、そういった人口に頼るところが大きいと思うんですね。はじめて、本当に地元のインド人人口に頼らずに人気を集めたというのが日本ですね。ですから、そういった文化的に離れた人たち、日本のみなさんにアピールできたということはとても誇らしく思います。

宇多丸:

日本の観客の様子をご覧になってわかったと思いますけども、女性のファンも非常に多くて。それはおそらく、『バーフバリ』というこの作品の中での、女性キャラクターの力強さ。キャラクターの現代性というか、現代の女性も共感できる部分。これが大きく影響をしているんじゃないかという風に僕は思うんですけども。特にデーヴァセーナ姫ですね。国家や家族制度の抑圧とかに対して、個人の尊厳を貫いて戦ったこのデーヴァセーナ姫とかに、日本の女性も感情移入をできたがゆえに熱狂をしているんじゃないかと思うんですが。そういう風に、『バーフバリ』の中の女性キャラクターの描き方について留意されたことなど、ありますでしょうか?

ラージャマウリ監督:

私がドラマに何を求めるか。ドラマとして成り立つ際、私にアピールするのは強いキャラクターですね。それは男女を問わずです。特に今回は主役の男性、バーフバリが非常に強いキャラクターを持っていますよね。であったら、女性も同じく、あるいはそれを上回る強さがないと釣り合わない。話として成立しないというところがあります。そして「強い」と言った場合、それは身体的な強さではなくて、心理的な強さが特に重要ですね。アマレンドラがデーヴァセーナに母の命で「捕虜として国に連れてくるように」と言われたあの場面。そこで彼女、デーヴァセーナが答えるセリフ。このセリフの精神というか核となるところは、「あなたは私の……」。

宇多丸:

すいません、いったんここでCMに行かなければならないので。後編、またこのお答えから質問に移らせていただきたいと思います。申し訳ございません。ラージャマウリ監督インタビュー、引き続きお送りさせてください。私、めちゃめちゃ緊張しております。申し訳ございません。

CM

宇多丸:

TBSラジオをキーステーションにお送りしているカルチャーキュレーションプログラム『アフター6ジャンクション』。

山本:

金曜日のこの時間は宇多丸さんの映画評をお送りしていますが、今夜は特別企画につきお休みなんです。

宇多丸:

本日はインド生まれの傑作娯楽超大作『バーフバリ』の生みの親、SS・ラージャマウリ監督をお招きし、スタジオ生インタビューをお送りしております。先ほど、一旦ちょっと中断してしまいました。申し訳ございません。監督、失礼いたしました。よろしくお願いします。ということで、先ほどの質問。『バーフバリ』の女性キャラクターが非常に力強く、それが女性ファンの心も掴んでいるのではないか? という質問へのお答えをいただいている途中でした。ということで、ちょっと若干巻き戻しになりますが、よろしくお願いします。

ラージャマウリ監督:

なぜ、強い女性キャラクターが必要かというと、それはバーフバリがとても強いキャラクターを持っていますよね。ですから、この映画にとって、彼に相当する、あるいはそれよりも強いキャラクターでないと、話として成り立たないという、ドラマ的な理由があります。そして身体的ではなく、心理的に強いこと。(国母シヴァガミの命令で)「捕虜として国に連れて行く」という風に言われたデーヴァセーナは言います。「あなたは私の心を勝ち取ったけども、私はあなたのために死ぬ用意はできているけども、あなたのために生きるつもりはない」と言います。つまり、「私は自分の主体性や考えを曲げてまで、あなたについていくことはしない」と。これを聞いてバーフバリはひれ伏すわけですね。本当にこんな自分よりも優れた人がいたということで。という、ドラマ的に盛り上げる、そういう要素があって、女性はこのような描かれ方をされているんです。

宇多丸:

はい。女性ファンを狙ってというわけでなく、ということですね。で、ですね、これは僕、『バーフバリ』というこの作品に本当に感服する部分は、『バーフバリ』のみならず監督の過去の作品……『マッキー』であるとか、あと、これは日本語タイトル『あなたがいてこそ』というタイトルになっておりますが、過去の作品も拝見していると全て、アクションとストーリーやテーマ、あるいはその場面の空間設計。その場面にどういう空間があるのかみたいな……アクションとストーリー、テーマ、そしてその空間設計が全部見事に一致していて、それが観客により大きな、映画を見ている楽しさ、映画的カタルシスを与える、という作りになっているところが、僕は本当に素晴らしいと思うんですが。『バーフバリ』の中にも様々なアクションシーンがいっぱいありますけども、こういうシーンごとのアイデアはどのように思いつかれ、考えられていくのでしょうか?

ラージャマウリ監督:

アクション映画がもう大好きなんです。子供の頃からブルース・リーの映画が好きでした。他にも作品でいうと『ベン・ハー』『ブレイブハート』。こういった作品を見て本当にワクワクしていた子供時代だったんです。ただ、こういった作品に直接影響を受けたというよりは、やはりどれだけ感情がそのアクションに伴っているか?っていうことが大事ですね。あとは見せる、芸術的な見せ方ということに興味があります。バーフバリとデーヴァセーナが2人で矢を放つシーンがありますよね。これはすごく複雑なシーンなんです。なぜかというと、国が攻められて危機に瀕していますね。それがひとつ。先ほどまで愚鈍だと思っていた人がいきなり3本の弓矢を放って、彼女に(放ち方を)教えだした。そして同時に恋にも落ちている。そして、迫り来る敵をどんどん矢で射っていかなければならない。それをダンスのように舞いながら行うということ。そういった重層的な、多面的なシーンにわざわざして、自分の生き方を面倒くさくしているんですね、私は(笑)。と、同時にいろいろとクルーにも面倒をかけているんです。

宇多丸:

フフフ、複雑な……「レイヤー」とおっしゃっていましたけども、いろんな意味が重なっているというあたりで。まさにでも、僕はいまおっしゃったシーンが『バーフバリ』という映画がどれだけ面白いのかを人に説明する時に、これだけ重層的な意味が重なっている場面なんだというのを説明する時に、まさに使っている場面を(例として)挙げられたので。僕的には2本の親指が立った状態でございます。他にも、場面ごとのアクションシーン……たとえば格闘をするにもしても、雪山で格闘をする時はこういう場面っていう、アイデアがものすごく豊富ですよね。同じような場面、アクションが1個もないという。それはやはり、場面ごとにこういう新たな工夫をこらそうというのは、いつも考えられているわけですね?

ラージャマウリ監督:

おっしゃる通りですね。いまの観客はみなさん、娯楽における選択肢にはいろいろなものがありますよね。だから、ある意味いろいろな側面を用意しないと。もう360度方位で考えなければいけないわけですね。注目を集めてもらうためには何が必要か? そのためにはやはり、複雑なこういったレイヤーというものを要するということですね。

宇多丸:

なるほど。あと、『バーフバリ』を見ていて「うわっ、これは面白い!」と思うのはですね、前後編。12を通じて、たとえば場面と場面。前にあった場面と場面。あるいは前にある登場人物がした動きと動きが呼応しあう。リフレインのように響き合って、構成がものすごく巧みにできている。映画的な伏線の張り方がものすごく巧みにできている、というところだと思うんですけど。こういう映画の構成、前に起こったことを後ろでもう1回リフレインする。動きもリフレインする。こういう構成に関してはものすごく考えられて作り上げられていくんでしょうか?

ラージャマウリ監督:

その複雑さ、多様性、多面的な面というのはデザインにあるんですね。このキャラクターをどういう風に造形したのか? たとえばバーフバリに関して言うと、彼が245才の頃がだいたいフィーチャーされていますね。ただ、実際には彼が生まれてから子供時代、なにが好き/嫌いだったか。どんなカレーを食べたのか。どんな哲学を持っているのか。そういったことも実は全部用意して書いてあるんです。そして、Q&Aセッションというのを行いました。演じる役者各人にそのキャラクターに関する500ぐらいの質問を浴びせて、それを知っておいてもらう。そうすることによって平面的ではない、肉付けされた人物というものができあがってきますよね。ですから、バックストーリーがあって、過去もあれば未来もあるんです。そういったことを作ったがゆえに、非常にキャラクターが生き生きとして見えていくるわけですね。

宇多丸:

なるほど。いやー、すごいですね! 500ものね、あれがあってね。では、ちょっと『バーフバリ』、ご覧になってすでにファンになっている方も聞いていると思うので、具体的な作品の中身についてもうかがいたいんですけども。老剣士カッタッパ。私と同じ髪型のカッタッパが(笑)、シブドゥとはじめて対面した時、あるいは、幼いバーフバリの足を自らの額に乗せる、非常に強烈に印象に残るポーズがありますよね? これ、日本人の観客からすると非常にインパクトがある仕草なんですけども。あれは、無知で申し訳ありませんが、インドの伝統的な敬意の示し方なのか、それとも監督の創作ポーズなのか?っていう……

ラージャマウリ監督:

非常に影響を受けていて、感銘を受けて……「ウッタッパ」と呼ばれていることも存じ上げております。

宇多丸:

いやいや(笑)。なんか一部のファンがそう呼んでいるようですけども。

ラージャマウリ監督:

足を額に頭に置くというのは、インドの伝統ではないんですね。ただ、私が何を示したかったかというと、カッタッパ。彼は非常に身分の低い出であり、奴隷として一生を送ってきました。いつも下に見られてきたんですね。ところが、デーヴァセーナが妊娠をしたということがわかった時に「私の赤ん坊を抱いてもらえますか?」、それはつまり王の父として、ということを言われて、いままでそんなに高い地位の人のような扱いを受けたことがないカッタッパは、心を動かされるわけですね。

宇多丸:

「名付け親になってくれ」っていうことでね。

ラージャマウリ監督:

そうして、その赤ん坊シブドゥが王になるということがわかった時、またこれも気持ちが高まって。「一生守ります」という意味で、赤ちゃんの足を自分の頭の上に置くわけです。しかしながら、その赤ん坊の父親を殺すということに至ったわけですけども。でも、もうすでにこの子供には「一生仕えます」という風に彼は決めましたよね。で、25年たってその子供が成長して戻ってきました。そこでさらに気持ちが高まって、そこでまた足を頭に思わず置いてしまう。本当に私もこのドラマチックな場面がとても好きで。自分でもとてもこのアクションは好きですね。

宇多丸:

自信のある場面という。またちょっとね、具体的な……時間が迫ってきてしまったんですけどね。これはちょっと、見てない人には若干ネタバレになる部分なんですけども。監督に直接お聞きする機会もなかなかないのであえて聞いてしまいますが。エンディング、シブドゥの戴冠式で、物語上ではかなりの悪役と言っていいビッジャラデーヴァさんが、わりとシレッと生き延びて参列していますよね? 悪役、他の人だったら殺されてもおかしくないぐらい悪い人なのに、普通に戴冠式にいるのがなかなかユーモラスでありつつ、不思議な気持ちもしたのですが。あれはなぜ、彼はいるのでしょうか?

ラージャマウリ監督:

なぜ彼がいるのかというと、最大の罰を彼に与えたいからですね。彼の人生……ビッジャラデーヴァは息子を王にするという、もう息子が全ての人生でしたよね。その愛する息子が、目の前で生きたまま焼かれるということを見た。その痛みですよね。ビッジャラデーヴァを殺すのはたやすいことです。ただ、これから生きていく瞬間が常に拷問であるように、ということです。

宇多丸:

なるほど。より強烈な、あれだったんですね。

山本:

あえて生かして、という。

宇多丸:

あの、「マハーバーラタ」の物語展開のオマージュじゃないか? というような論も読んだんですけども。

ラージャマウリ監督:

想像の源というか、大海のような、莫大な量の、全てのインスピレーションの源ですね、「マハーバーラタ」は。

宇多丸:

なるほど。あっという間に時間が来てしまいまして、まとめに入らなければいけないんですけども……

ラージャマウリ監督:

終わる前にラップを聞けると思っているんですけども。フフフ(笑)。

宇多丸:

ええ、そうですか(一瞬躊躇ったのち)……(ラップ)「数はともかく心は少数派 俺たちだけに聞こえる特殊な電波/よく見ときな 最後にはどちらの勝ちか 天の邪鬼たちの価値観/なにせ行く手はえらく遠距離 足跡からも学ぶぜ謙虚に/あえて時には手も汚そう 愛なき時代の最中にようこそ」……みたいな感じの歌を歌っています。

ラージャマウリ監督:

Thank you! Thank you! Thank you very much!

宇多丸:

「ウッタッパ」です!

ラージャマウリ監督:

アハハハハハッ!

宇多丸:

『バーフバリ 王の凱旋』のテルグ語完全版がこの度、日本でも公開されますけども。簡単にインターナショナルバージョンとどう違うのかというあたりだけ、最後にお聞かせください。

ラージャマウリ監督:

いままでみなさんがご覧になっていた『王の凱旋』インターナショナルバージョンは、まるでジェットコースターに乗っているように、とても早い展開でいろいろなことを経験してみるということなんですね。今度公開されるフルバージョンはそれぞれのシーンや感情が少し長く、余韻を残していて。浸って……それが笑いであれなんであれ、浸る時間を用意しました。

宇多丸:

より感情が長く、余韻がある……あの、ウッタッパならぬカッタッパさんが、ビッジャラデーヴァさんと、決戦の最中に2人の因縁の決着がつくあたりが、僕的にはこのテルグ語完全版でめちゃめちゃグッと来たあたりですね。

ラージャマウリ監督:

私もあそこはいちばん好きなシーンのひとつですね。

宇多丸:

ということで、監督が登壇する上映が明日、川崎チネチッタであるということで。チケットがまだほんの少しだけ残っているそうなので、監督の話、まだまだうかがいたいことがあるファンの方もいらっしゃるでしょうから。ぜひそちらに興味のある方は行ってください。さらに61日から『バーフバリ 王の凱旋』完全版が日本でも公開されるということでございます。はい、ということであっという間にお時間に……ちょっとまだ聞きたいことがいっぱいあったんですけどね。テルグ語撮影のいわゆるトリウッド映画と、メジャーな市場を持つ北インドのボリウッド映画との違いというか特徴とか、そんなお話とかもいろいろとうかがいたいこともあったんですが。

ラージャマウリ監督:

実は私、北と南でインド、文化的・言語的な違いはあるけども、内容的にはほとんど違いはないという風に感じています。

宇多丸:

なるほど。まあ「映画は映画だ」っていうことですよね。

ラージャマウリ監督:

その通りです。

宇多丸:

ということで本当に短い時間でしたが、忙しい来日のお時間を割いていただいて本当にありがとうございます。我々2人の下々の者から、この言葉を贈らせていただきます。

宇多丸・山本:

「王を称えよ!」

山本:

『バーフバリ』のSS・ラージャマウリ監督でした。ありがとうございました!

宇多丸:

ありがとうございました!

ラージャマウリ監督:

Thank you very much. Namaskar. コンバンワ。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

宇多丸『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を語る!【映画評書き起こし 2018.5.11放送】

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宇多丸:
さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーでは先週にランダムに決まった映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。それでは今夜評論する映画は、こちら! 『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』!(曲が流れる)

『アイアンマン』『キャプテン・アメリカ』『マイティ・ソー』などマーベル・コミックのヒーローが集結するアクション大作『アベンジャーズ』シリーズの第三作。おなじみのヒーローたちに加え、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』『ドクター・ストレンジ』『スパイダーマン:ホームカミング』『ブラックパンサー』からも主要ヒーローが参戦。宇宙最強の敵サノスに立ち向かっていく。監督は『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』などを手がけたアンソニー&ジョー・ルッソ兄弟ということでございます。

ということで、この超話題作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を見たというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。メールの量は、多い! 新番組『アトロク』になって最多、ということでございます。やはりさすがにね、みなさん大好きMCUにして超大作というか、話題作ですからね。賛否の比率は褒めのメールが9割。それ以外が1割。圧倒的にみんな褒めているんだ? へー。主な褒めている意見は「シリーズ最多のキャラクター数ながらも、それぞれの見せ場、役割、世界観がちゃんと描かれていて、ルッソ兄弟の交通整理力が半端ない」「ヒーローの活躍も見どころだが、今回の真の主役はやはり悪役のサノス。やっていることは大虐殺だが、信念を持って行動する姿にかっこよささえ覚えた」。

もともとMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)が好きな人からのメールが多い中、MCUファンじゃない人も「細かいことはわからないが何かすごい映画を見た」と圧倒された模様。一方、否定的な意見としては「映像の迫力やスケールの大きさにストーリーがついていっていない」「18作かけて積み重ねてきたヒーローの個性がサノスという大きすぎる悪役に文字通り潰されてしまっている」というようなご意見もございました。

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「頭巾」さん。「『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』、IMAX3Dでウォッチしました。大傑作です。ここまで徹底的にやりきってくれるとは思いませんでした。10年の歴史を積み重ねてきたシリーズのひとつの到達点として、ヒーロー映画として、アンサンブル映画として見事としか言いようがありません。(次作の)『アベンジャーズ4』次第では、いや、これ単体の功績だけでも映画史に残るレベルなのではないでしょうか? やはり悪役のサノスにつきます。ただただ最低最悪。ひたすらに極悪非道。そんな彼を緻密に多面的に人間臭く描き出すことで、作品にこれ以上ない説得力が生まれていたように思えます。『ブラックパンサー』のキルモンガーに続く最高のヴィランだと思います」。

MCUはちょっとヴィランが弱いっていうのはありましたけど、ここに来て立て続けに人気ヴィランがいっぱい登場した。「……いまはただ、MCUの黙示録を作り上げるという偉業を成し遂げたルッソ兄弟、マーベル、関わったすべての人々、そしてサノスに拍手したいです。最高でした。『アベンジャーズ4』が待ち遠しいです」という頭巾さんでした。一方、ダメだったという方。「いがぐりガンゾウ」さん。「結論から申し上げますと、(MCU全作品を見ているけれども)この作品を『アベンジャーズ』と認めることができませんでした。『アベンジャーズ』という映画の本質はそれまでに別々の作品で主役を務めたヒーローたちが一堂に会することで生まれるのだと理解しています。前二作にはそれがあった。一方でこの映画にはそれがない」という。

ただまあ、(次作で語られるはずの)後半もありますからね。そのへんはね。「……この映画の主役はサノスなんだと思います。そういう意味ではむしろ『サノス/インフィニティ・ウォー』や『サノスくんの冒険』というタイトルをつけるべきだったのではないでしょうか?」という。まあ、サノスが中心すぎるんじゃないか?っていう。まあ、言っていることはある種同じかもしれませんけども。はい、ということで『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』、私もT・ジョイPRINCE品川でIMAX字幕3D、TOHOシネマズ錦糸町で吹き替え2D、そしてバルト9で字幕2Dと、3回見てまいりました。

■10年間、「布石」を置き続けてきたMCUの大計画

ということで紛れもなく、マーベル・シネマティック・ユニバース、この10年間の集大成ですね。なにしろマーベル・コミック最強の悪役であるサノスが、この映画シリーズ、MCUでもラスボスで。それぞれのお話で奪い合っている、単体の作品の中ではよくあるマクガフィン……「それ自体に意味はないお宝」として奪い合っていたあのお宝の石が、最終的にはひとところに集まっての、サノスとの最終決戦になっていきますよ、という布石を、本当にこの10年間、ずーっと置き続けてきたわけですからね。ということで、そう考えると長年、まさに「布石」を着々と置き続けてきた……。

そして、置き続けてきたことで、以前は不可能と思えた大計画……そもそもこの、アメコミ映画の大興隆自体が(MCUの成功以前は)ここまでは考えられなかったし、『アベンジャーズ』みたいなクロスオーバー作品も考えられなかったわけで。それを、布石を置いていって成し遂げたケビン・ファイギさん。「MCUのいちばん偉い人」っていう感じで覚えておいてください。製作のケビン・ファイギこそが、サノス的存在というね。ただまあ現実には、そのケビン・ファイギの先に、もっと「本当のサノス」とかいるんだと思いますけどね(笑)。はい。ということで、「ケビン・ファイギ、偉い!」っていうことですね。

この究極の大舞台を任されたのは、監督のアンソニー&ジョー・ルッソ兄弟、そして脚本はクリストファー・マルクス&スティーブン・マクフィーリーさんという、要は『キャプテン・アメリカ』の、特に大傑作『ウィンター・ソルジャー』、そして『シビル・ウォー』……これは僕が2016年6月4日にやった評が公式書き起こしで読めますので参照していただきたいですが、その『ウィンター・ソルジャー』『シビル・ウォー』のチーム、ということですね。先ほどのメールにもあった通り、『アベンジャーズ』成功の立役者であるジョス・ウェドンに負けず劣らずの交通整理力……。

何人ものキャラクターを、「こういうのを見たいな」っていうファン的な希望にも的確に応えつつ、それぞれしっかり立てて、しかも無理・無駄なくストーリーをテリングしていくという交通整理力に加えて、これはまさにルッソ兄弟ならではの「映画力」……動きと空間をダイナミックに連ねていくアクション演出。しかも、複数のキャラクターが入り乱れても観客を決して混乱させない、僕の造語で言う「映像的論点」「映像的争点」が非常に明確な、非常に優れたアクションシーン演出などなど……が買われての、このチームの起用ということで。もちろんこれは全MCUファン、納得しかない人選ですよね。もう彼らに任すなら間違いない、っていう感じだと思いますけども。

■ヴィラン(悪役)「サノス」を主軸としたシンプルなストーリー

とは言え、『シビル・ウォー』の時点ですでに、僕はその評の中でも言いましたけど、主要登場人物の数的に、そろそろちょっと臨界点なんじゃないか?っていう風に、もう『シビル・ウォー』の時点で思えた、クロスオーバー路線。下手すりゃ『インフィニティ・ウォー』、今回の規模になると、収拾がつかないことになりかねない。普通だったら絶対になっているところなんですけども、さあ今回の『インフィニティ・ウォー』はどうだったか? 一応、先ほども言いましたが、隠されていることじゃないんで言いますけども、この後にさらにこの話の続きにして完結編の、仮のタイトルでみんな『アベンジャーズ4』と呼んでいますけども、まだ正式タイトルはついてませんが、それが2019年に控えているので。今回はまだ、話は途中です。終わっていません。

真の評価は、次作が公開された後に確定する部分もあるとは思いますが、とにかく今回の『インフィニティ・ウォー』、普通だったら収拾がつかない、クロスオーバー路線もかなり限界まで来ているんじゃないか?っていうさらにその先、に行っているわけですけども。今回、どうしたか?っていうと、割と大胆にヴィラン側、悪役側の、サノスの物語をはっきりとメインに置くことで……メールでもみなさんがおっしゃっている通りです。事実上、今回の主役はサノスと言っていいぐらい。本当に『サノス/インフィニティ・ウォー』でいいぐらい、メインになっている。なので、それゆえに、たとえば『シビル・ウォー』……ヒーロー同士の思想的対立、行き違いからの仲間割れっていう話だった『シビル・ウォー』と比べると、ストーリー自体はすごくシンプルになっている、ということですね。対立構造がめちゃめちゃシンプルなんで。

■コミック版に忠実なサノスの性格設計

まあ、オープニング……ネタバレにならないようにしましょうね。『マイティ・ソー/バトルロイヤル』のエンディングからの続きで、「これまでのMCUのお約束が、今回は通用しない」っていう、今回のルール設定を的確に提示する。たとえば、サノスの戦い方が、単に力ずくじゃない。ちゃんとフットワークを使って、ハルクの格闘スタイルに合わせて、しかも的確にパンチを、膝を叩き込んでいくあのファイティングスタイルで、「あ、コイツ……!?」っていう。見た目のバカっぽさに対して(笑)、実はその感じじゃない、みたいなのも含めて、序盤でまずそういうの(今回の作品のルール設定)を的確に提示しつつ……基本、そのサノスっていう悪役がいろんなところに行っては、全部集めると全能になるという、インフィニティ・ストーンという石を6個集める。

それを、要はあちこちに行っては、脅し取るわけです。「渡さないとこいつを殺すぞ!」「ギャー!」「待てーっ!」っていうこのくだり。基本、この構造が繰り返されるんですけども。で、その過程で彼、サノス側の動機……まあ、超過激な環境保護主義というか、あるいは『ウォッチメン』で言うオジマンディアス的な、「上から目線管理者イズム」というか、が明らかになっていく、意外なほど人間的な、というかウェットですらあるドラマが描かれていく、っていうことですね。そう考えると、改めて『ウォッチメン』という作品の、アラン・ムーアの圧倒的先進性に驚かされてしまいますが。

で、この最強最悪、完全に狂っているんだけど、実はむしろ人一倍エモい、というこの感じは、たしかに元のコミック……たとえば『インフィニティ・ガントレット』、元ネタになっているコミックをちゃんと踏まえたもので。サノスっていうのは、もともとそういうキャラクターだったという。そして、なるほどこのドラマ性をしっかり表現するためにこそ、見た目はこれ以上ないほどコミック的フィクション性が高いキャラクター──『エイジ・オブ・ウルトロン』で、ヴィジョンっていうキャラクターを完全実写化した時点で、僕は一線を超えたと思いますが──非常にコミック的フィクション性が高いキャラクターに、あえてジョシュ・ブローリンなんていうド渋なキャスティングをするあたり、これが必要だったんだな、っていうことを改めて納得させられるような、今回非常に、いわゆる「重厚な熱演」を見せていますよね。

 

■監督・ルッソ兄弟の手腕が堪能できるスコットランド・エディンバラの場面

ということで、人間ドラマ的な要素はサノスを中心に進めつつ。じゃあ肝心のアベンジャーズたち、ヒーローたちはというと、今回の『インフィニティ・ウォー』という映画では、ヒーローたちの見せ方は、主に2点に絞っているわけです。まず「ヨッ! 待ってました!」的な、登場場面のケレン。あと、「あのヒーローとぉ、あのヒーローがぁ……ウーン! こんなに合うなんて〜!」的な(笑)、まさに『アベンジャーズ』らしい、クロスオーバーの楽しさを醸すような会話とかアクション。もうこの2点。出てきた瞬間のケレンと、組み合わせの妙というこの2点に、ほぼ見せ場が絞られていて。で、入り組んだドラマみたいなものは、完全に背景というか、後景化しているわけです。

その分、むしろMCUビギナーも雰囲気だけで乗れる……要するに、これまでの経緯とかっていうのは後ろになっちゃっているので、雰囲気だけで乗れる、わかる、っていう作りにはなっているかもしれません。あと、クロスオーバーになる『アベンジャーズ』シリーズはいつもその傾向があるんだけど、単体作品よりも、それぞれのキャラクターが実はやや単純化、ややわかりやすくデフォルメされているっていうチューニングが、どのキャラクターも微妙にされているんですよ。なので、よりわかりやすくなっている、というのはあると思います。

で、たとえば、いかにもルッソ兄弟らしい見事なアクション演出と、さっき言った「ヨッ! 待ってました!」っていう登場のかっこよさが堪能できるシーンとして……僕はここがやっぱり名シーンだと思いますね。エリザベス・オルセン演じるスカーレット・ウィッチと、人間コスプレをしたポール・ベタニー演じるヴィジョンが、潜伏っていうか、アツアツ密会旅行している(笑)スコットランドのエディンバラのシーン。で、そこに、サノスの配下であるブラック・オーダーっていうのが襲撃をかけてくるわけですけども。

本当にこれはルッソ兄弟的……特徴的な空間を次々に移動しつつ、位置関係がこんがらがらない。たとえば、ヴィジョンは高い位置にして、スカーレット・ウィッチはその下の地面で戦っているんだけど、途中でヴィジョンの黄色い光線が、ビーッてこっちのスカーレット・ウィッチのいる側に射すことで、その位置関係とか距離感っていうのが、改めて観客にも確認できる、というような。まさにルッソ兄弟的な、空間の特徴、位置関係を生かした映画的アクション演出、これがあるわけです。そしてそこで、追い詰められたと思われたスカーレット・ウィッチの、その後ろ側を横切る列車……と、その向こうに見える影……からの、キャプテン・アメリカ登場!っていうところ。

しかも、キャプテン・アメリカがヒゲを生やしていて、お尋ね者の身になって長いんだろうなっていう、だからこそのちょっと汚れ感。これもまた、要はビジュアルですでにドラマ性を帯びさせつつ……そこに間髪入れずアンソニー・マッキー演じるファルコンが来て。さらにグッと来るのは特にこれですね。スカーレット・ヨハンソン演じるブラック・ウィドウとキャプテン・アメリカの、まさに阿吽の呼吸の、連携プレー。槍をポンポンってタッチしあって……これがですね、「ああ、茨の道、逃亡者の道を、共に歩んできたこの数年間で、さらに同志感が高まっている!」っていう感じが、要はアクションだけで、歴史性とかドラマ性とかを一種表現しきっちゃっているというあたり。これぞMCUだし、これぞルッソ兄弟、そしてこれぞ映画!っていう場面で、本当にもう、ここは名場面だと思います。あとは画面の色合いを抑えたトーンなど、いちばんルッソ兄弟らしい場面は、このエディンバラのシーンだと思います。

■『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『ブラックパンサー』との合流もスムーズ

また、個人的には実は非常に大きな懸念事項だった、みんな大好き我らが『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』組との合流ですね。正直、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はスペースオペラだし、キャップがやっている『ウィンター・ソルジャー』みたいな、そういうポリティカルサスペンスの世界とかと合うわけがねえだろ?って……まあ、今回も(そこの乖離に関しては)合っているのかどうかはちょっとわからないですけども(笑)。とにかくそこをいちばん心配していたんだけど、途中に『マイティ・ソー/バトルロイヤル(ラグナロク)』という去年の作品……完全に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』的な、ポップなスペースオペラ、あるいはポップなコメディ方向に舵を切ったその一作を挟んでいるということもあって、意外なほどスムースに着地している。

サノスメインの話なので、当然ガーディアンズ・チームが絡んでくる余地がいちばん高いんですね。結構『ガーディアンズ3』級にガーディアンズの余地は高いと思うんだけど、『ガーディアンズ』本来のクリエイターであるジェームズ・ガン的な、オフビートな会話ギャグ感みたいな……そしてそのオフビートなギャグ感、照れ隠しの向こうにあるエモーション、みたいなものを完全にトレースしているのが、なかなかよく考えると、「これ、ルッソ兄弟が撮っていると考えると結構すげーな!」みたいな。本当にジェームズ・ガンが撮っているみたいに見えるあたりも、結構すごいことだと思うし。

あと、これもクロスオーバーの部分で、同様に「キターッ!」感がね、いちばん直近のメガヒット作なだけに半端ない……いきなりあの「タタター、タタター、タタター、タタター♪」ってテーマ曲とともに、ワカンダ王国がドーン!って出るというね、『ブラックパンサー』のくだり。これ、3月18日に評しましたので、その書き起こしを読んでいただきたいんですが。そこの『ブラックパンサー』チームとの合流もこれ、『ブラックパンサー』の作品が完成する前に、ある意味同時進行的に撮っているので、どんな作品になるかは知らないままルッソ兄弟は撮っているはずなんだけど、これもやっぱりちゃんと、(『ブラック・パンサー』監督である)ライアン・クーグラーとのすり合わせが実にスムース。

ちょっとスムースすぎてか知らないけど、クライマックスでの野っ原の大合戦シーン、『ブラックパンサー』のクライマックスと画的に……つい最近見た感じが、つい最近も似たような棒倒しっぽい感じのを見た気がするな(笑)、っていう気がするんだけど。ともあれ、特にドーラミラージュという、あの王についているスキンヘッドのアマゾネス軍団の隊長オコエがしっかり、要はティ・チャラ王子級の重要キャラというか……超人じゃないんだけどさ。オコエもちゃんと、重要キャラとして前に出てきて。あまつさえ、オコエがアベンジャーズの女性組としっかり共闘して女性ヴィランを倒す、という見せ場も抜かりなく用意されているあたり。いやー、MCUは隙がない、抜かりがないなと、改めて思い知らされるあたりですよね。

また、さっき言ったその野っ原での大合戦は『ブラックパンサー』でも見た感じかもしれないけど、その後に、ちゃんとその野っ原の裏っていう空間・位置関係を客にもわからせた上で……肝心のサノス登場のくだりは、その野っ原の裏手の、木立に囲まれた、基本一本道な空間、だから「一人ひとり倒していく」という(流れが自然な)空間の中に、改めて仕切り直して。要はストーリーテリングをビジュアル的にもタイトにまとめている、というあたり。これはやはりルッソ兄弟ならではの映画的舞台だてのセンス。さすがですね。やっぱり一枚上手だなっていう感じがしますね、ルッソ兄弟ね。

あとはもちろん序盤。たとえばニューヨークで、トニー・スタークとドクター・ストレンジたちが異変を感じて表に出てみると、ブワーッと風が吹いていて。そこからずーっと路地を曲がるところまでワンカットで行くところの、非常にリアルな流れ、怖さの感じ。これも非常にすごかったですし。みたいな感じで、とにかく最終的には……これは言いませんけど、まさに「衝撃の展開」になっていくというあたり。まあ、どうなっていくかはぜひご自分の目で目撃していただくとして。本当に、まさかこの男の、この表情のアップで暗転、エンドクレジットだなんて、想像もしていなかった。ただこの終わり方は、お話の着地としてはぜんぜん違うんだけど、先ほどから言っている原作コミック『インフィニティ・ガントレット』のラストの余韻の感じの再現だな、っていう風には思いました。

■好みとしては「ウェットすぎるし、やや鈍重」

ただ正直、これは僕のあくまでも個人的な好みです。それからすると……この『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』という作品、大変よくできているのはわかります。ただ——僕の好みで(言えば)ですよ——ちょっと、いくらなんでも全体のトーンが、ウェットすぎる、というのは気になりますし。あと、これは『シビル・ウォー』ぐらいの時にもちょっと言った苦言ですけど、やっぱり、見せ場を盛りすぎて、鈍重になっているところもあるとは思う。たとえばソーが武器を作るくだりとかに、あんなに尺を割く必要はあるのかな? とかね。

あとはさっき言った、「こいつ、殺しちゃうぞ」「ギャー!」「待てーっ!」っていうくだりが、3回繰り返されるのとかはちょっと正直、「あ、またそんな似たようなことやるの?」みたいに思ったりもしたんですけども。ただですね、「こいつ、殺しちゃうぞ」「ギャー!」っていう……脅して、「待て!」って言って、石を渡しちゃう、ていうこのくだりの3度目。あの人が、あの石を渡しちゃうくだり。「えっ、渡しちゃうんだ?」って思ったんだけど、それこそが、明らかに次作『アベンジャーズ4』以降、「1400万分の1」の可能性でアベンジャーズたちが勝てるのか?っていう、まさにそのポイントでもあろうから、ひょっとしたらこの繰り返し、繰り返しも意味があるのかな? とかね。

まあもう製作陣は、ずっとたぶんいま『アベンジャーズ4』を製作していると思いますけども、次作の完結編は全くトーンが異なる……要するに、それぞれトーンが違う独立した作品だから(二作に)分けたんだっていう(風に、製作陣がインタビューなどで)言っているんで。なので、ひょっとしたら次の作品を見れば、さかのぼって本作のウェットさとか重さみたいなものも、「ああ、あれはあれで1個手前としてはありだった」っていう風になる可能性が、むしろ高いと思います。そんなことは百も承知で作っている可能性が高いと思っている。

■来年公開の『アベンジャーズ4』に期待すのは、「ヒーローならではの正しさゆえに、勝つ」姿

ただこれは、完全にここから先は『アベンジャーズ4』に向けた、1ファンとしての、1ヒーロー映画ファンとしての願望ですが。願わくば、サノスというキャラクターの、圧倒的なその力の論理。要は、「強けりゃなんでもいいんだ」っていう。強さでどんどんねじ伏せていくわけですから。その圧倒的な力の論理。プラス、さっき言った上から目線の管理者論理ですね。「だってオレがなんとかしてやんなきゃ、お前ら自滅すんじゃん?」っていう、まさにオジマンディアス的な、上から目線の管理者論理。そういう、要はヴィランなりのロジックというものに対して、僕は願わくば『アベンジャーズ4』では、ヒーローたちが単により強い力を手に入れてやり返すとか、たまたま幸運が味方して勝てるとか……まあ大抵のアクション映画とかは、実はこれで終わっちゃっているんですね。「より強い」か「たまたま勝っている」か、このどちらかなんだけど。

そうじゃなくて、そういうのを超えて、「ヒーローならではの正しさ、ゆえに勝つ」っていう物語的なロジックが、しっかりある着地であってほしい。サノスという(悪役が)、それなりに筋も通っていて強くてっていうのに対して、ヒーロー側が、「いや、そうじゃなくて、ヒーローはこうだからヒーローであって、だから強い。そして、だから存在意義があるのだ」という、ロジック的にもちゃんと着地した物語であってほしいという。これは、かなーりハードルが高い願いではありますが。まあMCUならぶっちゃけ、その程度のことは考えた上で、2008年の『アイアンマン』から始めている可能性はあるぞ、ぐらいに思っております。

あと、これはもう完全にファンならではの、「おめー、うるせえな!」っていう要望ね(笑)。ちょっとさ、最近アイアンマンスーツとかさ、あとスパイダーマンの今回の新しいスーツもそうだけど……まあ、ブラックパンサーのこの間の映画の(結末で描かれたように)、(世界中が)ワカンダのテクノロジーを手に入れたからかもしれないけど、こうやってシューッてさ、勝手に「変身! シューッ!」って(スーツが)くっついちゃう感じ。自然装着型になっていて、メカっぽさとか、言っちゃえばリアルっぽさみたいなのが、もはや全くなくなっていて。僕、正直あんまりあれ……アイアンマンはもうちょっとメカっぽい方が好きかな、とかね。これ、すいません! ただの好みです。すいませんね。

ということで、とにかくこれ、はっきりとしているのは、こんなのを10年間……『アイアンマン』一作目からずーっと僕も並走して見てきて、継続して楽しめて。その結果、こんだけ素晴らしい大舞台でクライマックスが用意されて。その全てをリアルタイムで楽しめるなんて! やっぱりこれは、MCUが盛り上がっている時代に生きててよかったな、っていう。ましてたとえば、初期の頃はまだ10代前半とか子供だった人が、大人になって、いま『インフィニティ・ウォー』と出会って……なんて幸福な流れなんでしょう!っていう。MCUがあってくれて本当によかったと思います。本当に、『アベンジャーズ4』をやったらさらに(評価を)上方修正するかもしれません。ぜひいま見るべき、エンターテインメントの最前線です!

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

来週の映画は『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』です。

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◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!

宇多丸『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』を語る!【映画評書き起こし 2018.5.11放送】

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宇多丸:
さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーでは先週にランダムに決まった映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。それでは今夜評論する映画は、こちら! 『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』

(ZZ Top『Sleeping Bag』が流れる)

いまかかっているのは、最初の大会のシーンかな? これは実際にトーニャ・ハーディングさんが(その大会で)流した、ZZトップの『Sleeping Bag』という曲でございます。五輪代表に選ばれながらも、ライバル選手への襲撃事件など、スキャンダルを起こしたフィギュアスケーター、トーニャ・ハーディングの生き様を描いた伝記ドラマ。監督は『ラースと、その彼女』などのクレイグ・ギレスピー。『スーサイド・スクワッド』などなどのマーゴット・ロビー、『キャプテン・アメリカ』シリーズのセバスチャン・スタンらが出演。第75回ゴールデングローブ賞作品賞にノミネートされた他、様々な映画賞で評価された、ということでございます。

ということで、もうこの作品を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多め! 非常に評判も高くて、注目度も高かったんですかね。賛否の比率はなんとこれ、すごいです。褒めのメールが99%。否定的なメールは2通のみ、というかなり極端な結果が出ております。

主な褒める意見は「あの名作『フォックスキャッチャー』に並ぶ実録スポーツ映画の新たな傑作」「主演のマーゴット・ロビーをはじめ、キャスト全員がはまり役。特に今回の事態を悪化させるアイツ(ショーン)が最悪で最高!」「トーニャが劇中で見せる自分の辛い人生を乗り越えるための悲しい笑顔に感動」「観客に語りかける演出など、映像的な工夫や絶妙なタイミングで挟み込まれるユーモアで全く退屈しなかった」というのが褒めのご意見でした。一方で否定的な意見としては「今年ワースト候補」みたいな結構極端な意見があったりしますね。

■「人の中にある複雑さや矛盾を感じることができる映画」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「ケン」さん。「僕は映画を見るまでトーニャ・ハーディングというスケーターがいたことも、こういうスキャンダルがあったことも知らなかったのですが……」。ちなみに、世代的にそうみたいで。実はマーゴット・ロビーもこれ、脚本を読んだ時点で実話とは知らなかったっていうぐらいね、やっぱり世代で分かれるというね。「……映画は実際にあった出来事に対して事実の正確性ではなく、各々の中にある真実にアプローチする作りで、一本の作品としてとても面白かったです。比較的誰が撮ってもそれなりに面白くなりそうな出来事ではありますが、決して物語を単純化せず、映画全体がいわゆる信用できない語り部に徹することで現実に起きたことに対する一定のフェアさと映画としての面白さの両方を担保する構成がとても上手いと感じました。

冒頭から役者の演じているインタビュー映像で始まりますが、初っ端から大変胡散臭くてすでに面白い。実際にドラマパートに移ったら、『言っていることと全然違うじゃねえか!』っていうことばかりで終始、各々の証言の信用性を皮肉る構造を取っています。ただ、そういうインタビューパートとドラマパートのギャップが最後まで見ると彼女たちの中にある真実めいたものが浮かび上がる。彼女たちが建前や自己弁護の裏側でギリギリ守っている尊厳やアイデンティティーに少しだけ触れるような人間くさい余韻があります。あとから自分の都合のいいように物事を脚色して人に話したりするのは誰でもやることで、笑いつつも身につまされる部分も多いです」ということでございます。

「……宇多丸さんは『フォックスキャッチャー』評の中で、『アメリカの大富豪やオリンピックの金メダリストという自分とは全然違う立場の人の気持ちがなぜかわかる。それが映画を見る理由のひとつだ』とおっしゃっていましたが、本作もまさに人の中にある複雑さや矛盾を感じることができる映画です。一方で滑稽でひどい話だと笑える作品でもあります。とても映画的な面白さで大変堪能しました」というお便りでございました。

一方ダメだったという方。「あなんすみし」さん。「いまのところ今年のワースト候補。ダメな時の三谷幸喜作品を見ているよう。『はい、ここで笑ってください!』的な演出に白けるのです。『ラースと、その彼女』の監督ということで、ああいうオフビート演出の方がよかったのかも。あと日本側がつけた『史上最大のスキャンダル』という邦題、大げさなんですよ。本人が襲撃したわけでもないのに……」ということでね、否定的な意見も一部ございましたが、基本的には非常に大絶賛が多かったという『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』。ということで私も評、行ってみましょう!

■監督、撮影、編集、衣装、美術・キャスト。全員がキレッキレ!

私もTOHOシネマズ新宿で2回、見てまいりました。1994年、リレハンメル冬季オリンピックの直前に起こった、いわゆるナンシー・ケリガン襲撃事件。当時、日本のワイドショーなどでもちょいちょい取り上げられていましたが、正直僕自身も、この『アイ、トーニャ』という映画の中でも言及されているような、要は事件に対してぼんやりした、そしてやっぱり微妙にというか決定的に間違ったイメージしかこれまで持っていなかったかもしれないな、という……さすがにまあ、劇中で出てくる間違ったイメージのように、トーニャ・ハーディング自身が直接ライバルであるナンシー・ケリガンを襲ったという風には思っていなかったけども(笑)。「なんか結構、積極的にけしかけたんでしょう?」っていうぐらいなイメージを持っていたんですけどね。

まあとにかく、この事件によって、アメリカ人女子選手としてはじめて公式大会でトリプルアクセルを決めたというその偉業は吹き飛んでしまい、限りなくマイナスなイメージだけを背負ったまま、スケート界から排除され、次第に表舞台から消えていった人なわけですね、トーニャ・ハーディングは。そんな彼女に関する、EPSNというアメリカのスポーツチャンネルで2014年にやったドキュメンタリーを見た脚本家のスティーブン・ロジャースさん。この方、これまではわりと、『ニューヨークの恋人』とか、僕の前にやっていた番組『ウィークエンド・シャッフル』の「シネマハスラー」時代初期に取り上げた『P.S.アイラヴユー』とか、ロマンティック・コメディー中心に書いてこられた、スティーブン・ロジャースという脚本家の方。

もちろん、ノンフィクション物を手がけたことはなかった方なんですが、そのトーニャ・ハーディングのドキュメンタリーを見て、映画化権を獲得し、トーニャ・ハーディングとその元夫のジェフ・ギルーリーさんにしたインタビューを元に……ここが重要ですが、先ほどのメールにもあった通り、2人の言うことの「食い違いまで含めて」脚本化。なおかつ、非常に強烈な母親役というのに、もともと旧知の仲だったアリソン・ジャネイさんを当て書きして。その当て書きが見事にハマって、アカデミー助演女優賞を獲得しましたけどね。で、やったのがその脚本であると。

で、その脚本を読んだマーゴット・ロビーさん。彼女は非常に実力派美人女優というか、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』、『スーサイド・スクワッド』、あとは『マネー・ショート』でのカメオ出演とかも非常に印象的ですけど。まあ、彼女が自ら主演だけではなく、初のプロデュースも買って出たという。要はその、単なる美人女優の殻というのを破ろう、という意欲があったんじゃないですかね。で、監督として白羽の矢が立ったのが、クレイグ・ギレスピーさん。これ、「ガレスピー(Gillespie)」っていうのが正しい発音だというのもあるらしいですけど、一応今日は「ギレスピー」で通しますね。クレイグ・ギレスピーさん。

『ラースと、その彼女』というね、ライアン・ゴズリングがいわゆるラブドールを恋人、生きた人間だと思い込んで……という話。非常にあれも素晴らしかったですけども。今回の起用はどっちかと言うと、2014年の『ミリオンダラー・アーム』というね、インドのクリケット選手を大リーグに呼んでこようっていう、これも実話ベース。あるいは、2016年の『ザ・ブリザード』という作品とか、立て続けに撮ったその実話ベース物の手腕が買われた、ということじゃないかと思いますけども。ただ、それにしても今回の『アイ、トーニャ』でのこのクレイグ・ギレスピーさんの演出は、明らかにこれまでの作品とは一段違う、キレッキレぶりというか……っていうか、監督の彼だけではなく、撮影、編集、衣装、美術に至るまで、そしてキャストの全員が、これまでの作品にないほどキレッキレな一作!ということだと思います。

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■マーティン・スコセッシ監督直系の「フィギュアスケート版『グッドフェローズ』」

結論を言っちゃいますけど、これは僕はやっぱり、ものすっごく面白い!と思っていますね。ものすごく面白い作品だと思います。全体のタッチは完全に、これはもうある程度の映画ファンだったらわかると思いますけども、完全に『グッドフェローズ』ですね。1990年、これは何度も僕が映画評の中で言っていることですけども、90年代以降の映画技法、映画文法を決定づけた歴史的大傑作『グッドフェローズ』と、それをマーティン・スコセッシ監督自らがアップデートしてみせた2013年の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』。これはマーゴット・ロビーさんも出ていますけど。まあ、完全にこのスタイルです。

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要は、非常に印象的なボイスオーバー。ナレーションというか語りが重なる、このボイスオーバー使いや、あるいは第四の壁を破る語りかけ。画面の向こう側から登場人物がこっちに語りかけてくるという、そういうものが入り混じったりとか。あるいは、非常にそっけないセミドキュメンタリータッチとか、あるいはテレビの映像を通したメディア映像とか、かと思えば、非常にダイナミックな、ザ・映画的!なカメラワークとか、とにかくありとあらゆる映像技法を駆使して、とんでもない情報量が……しかもほとんど切れ目なくかかり続けるポップミュージックの数々とともに、すさまじいスピードで詰め込まれていく編集スタイル、というね。

で、それによって先ほどのメールにもあった通り、真実というものの多面性、多層性というのが浮かび上がってくるような作り、というね。ちなみにこの『アイ、トーニャ』、まさにその編集スタイルによって、アカデミー賞編集賞にもノミネートされていますけども。タチアナ・S・リーゲルさんという方がノミネートされていますが。とにかく、フィギュアスケート版『グッドフェローズ』、という風にアメリカで評されたこともあるようですが、それもまさに当然、というあたりだと思いますね。

■魂レベルでスコセッシイズムを継承。そして、それとは別の面白さ=「低み」

ただ、この『アイ、トーニャ』、僕が真に感動したのは、もちろんそういった表面的な『グッドフェローズ』スタイル、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』スタイルのみならず——それもすごく良くできているんですけど——表面的なスタイルのみならず、最終的には精神面というか作品の核、作品の魂のレベルでも、スコセッシイズムを継承しているというか、それこそ『レイジング・ブル』などと完全に通底する熱さに到達しているところですね。この『アイ、トーニャ』の、たとえば鏡の前で1人、非常にもう追い込まれた状態で、鏡の前で自分をなんとかギリギリ鼓舞するというあの場面。『レイジング・ブル』を連想される方も多いと思いますが。

スコセッシの魂的なところ……2017年1月28日に、僕の前の番組『ウィークエンド・シャッフル』で、スコセッシ監督作の『沈黙 -サイレンス-』という遠藤周作原作の作品を評した時、最後の方で僕は、こんなことを言いました。スコセッシイズム。「負けたけど、世間から見下げ果てられた存在になってしまったけど、でも実は、魂の奥底には、芯が1本通った何かがあった」「もしくは、折れないように踏ん張ろうとしていたんだ、この人は」というね。まあ、世間から後ろ指をさされるような、まさに「クズ」と呼ばれるような存在にも、たしかに五分の魂はあるんだ、人にどう言われようと、その人の中では折れない何かがあったんだ、折れないように立とうとしていたんだ、っていう……「その人の中では」っていうのが大事なんだけど。

そういうスコセッシ的な反骨精神、メッセージが、しっかりこの『アイ、トーニャ』にもあるからこそ、本作は、単なるゴシップ的興味や露悪性を超えて、胸に響く一作になっているんじゃないかなという風に思います。

ただまあ、もちろん一方でたしかにこの『アイ、トーニャ』が突出しているのは、まさにその「クズ」描写ですね。アメリカ北西部、オレゴン州ポートランドに住んでいる、白人貧困層……いわゆる「ホワイトトラッシュ」というものの描写ですよね。そのクズ描写の説得力と、まあ語弊はあるだろうけどそれでもやっぱり明らかな「面白さ」っていう。(本作の突出した魅力は)この部分にある、というのも間違いないあたり。とにかく、これは僕の前の番組『ウィークエンド・シャッフル』でやっていたコーナーにつなげるなら、こういうことですね。もう「低み」の博覧会ですね! とにかくどいつもこいつも低すぎる!っていうね(笑)。コーエン兄弟の『ファーゴ』とかにも通じるようなテイストがありますけどね。とにかくみんな、低い連中の博覧会。

■真実の多様性、フェアネスを担保する絶妙さ

まず、際立つのはやはりこれ、アカデミー賞を取りました、アリソン・ジャネイ演じる母親の、言ってみれば実の娘を含む全ての人間をモノのように見ているかのような、あの背筋も凍る目つきですね。あの目。こんな目した人間、いる?っていう目。まあもちろん、メガネとレンズのチョイスなどが完璧なのだと思いますけどもね。で、こう、インタビューに答えるところで横の肩にインコを乗っけて……これ、エンドロールで流れる本人映像で、本当にインコ乗っけてるよ!っていうね(笑)。これも驚愕のあたりでしたけどね。まず、このお母さんがすさまじい。

この、娘を含めて全ての人間をモノのように見ているこの背筋も凍る目つきが、終盤のある展開で、一箇所だけ彼女、変わって。「あれっ? いつもの目つきじゃない。あったかい目をしている……」っていう場面があるんですけど。ここの、さらに背筋の凍る顛末。このあたりもぜひ堪能していただきたいので。本当にひどい話なんですけどね。あと、マーベル・シネマティック・ユニバース『キャプテン・アメリカ』シリーズで言う「バッキー」こと、セバスチャン・スタン。非常に美青年ですけども。そのセバスチャン・スタン演じる典型的なDV男。この夫も、すぐにカッとなって暴力をふるった後に、「ごめんねー」なんつってすぐセックス、っていう(笑)。

このアリソン・ジャネイ演じるお母さんもね、これは字幕では簡略化されいましたけど、こんなことを言っていましたね。「バカとファックしてもいいけど、バカと結婚してどうする?」っていうね(笑)。こういうことを言ってましたけどね。まあ、そういうDV男っぷりも素晴らしいですけども、それもさることながら、やはりここですね。マーゴット・ロビー演じる、主人公トーニャ・ハーディング。さっきのメールにもありましたけど、セリフ上で言っている主張とは裏腹に……要するに、「暴力をふるわれて本当に大変だったのよ!」って言いながら、結構わりと即座に、過剰防衛バリバリの反撃、ガーン!っつってね。「本当に暴力をふるわれて大変だった!(肘打ち、ガーン!)」とかですね。

で、そのDV男のセバスチャン・スタン側の(主張)、「いやー、あいつの方がよっぽど怖かったんすけど。ショットガンとかぶっ放すし……」って。そうするとマーゴット・ロビーが、バーン!ってショットガンをぶっ放す絵面で、「ショットガンなんか撃ってないですから!(ガチャッ!)」ってこう、弾を(装填するアクションを取る)……つまりここで、言っていることの食い違いとか、なにが真実なのか、「信用できない語り手」っていうので、その真実の多層性というか、そういうもののフェアさを担保しているという、こういう作りになっているわけですね。

まあ、そのトーニャ・ハーディングのたくましさっていうのも相当なものだし。つまり、要はトーニャ・ハーディング、もちろんお母さんの絶え間ない、虐待にもかなり近いようなしごき、というものも当然あるし、DVの夫っていうのもあるけども。だけども、一方でトーニャ・ハーディング自身も、単純な犠牲者とも描いていないっていう。この、絶妙なバランスを保って描いているわけですね。問題のナンシー・ケリガン襲撃事件に関しても、やっぱりトーニャ・ハーディング自身が、直接もちろん暴力をふるったわけではない。直接けしかけたわけでもないけども、「結構お前、この時点でこのテンションだったら……」っていう、かなーり濃いグレーのバランスっていうので、絶妙に描いているという感じだと思いますね。

■「おもしろうてやがて悲しい」大人のダークコメディー

もちろん、実際に下った判決とかも踏まえて、ということだと思いますけどね。で、このクズ博覧会、低み博覧会の極めつけはやはり、印象に残っている方は多いと思います。ポール・ウォルター・ハウザーさんが演じる、ショーンという、まあトーニャ・ハーディングのボディーガード……と言えば聞こえはいいですけども、まあ要するに夫側の腐れ縁の友達ですね。そのショーンと仲間たちの、まさに底なしのバカっぷり、クズっぷり(笑)。これは本当にすさまじい。で、ナンシー・ケリガンの襲撃のくだりっていうのも、もちろんサスペンスフルでもあるんだけど、不謹慎ながらやっぱり、あまりの事の顛末のマヌケっぷりに、つい吹き出してしまう。

本当に、その行き当たりばったりっぷり……会場の表に逃げようとして出てきてからの、あの、通行人のおじさんに覆いかぶさっちゃうくだりの、目も当てられない(笑)っていう感じとか、本当にすごいし。これが実話だなんて、本当にすごい話ですよね。事実は本当に小説より奇なり、っていう感じですけども。その一方で、この物語の最低最悪の悪役である、さっき言ったポール・ウォルター・ハウザーさん演じるショーンという人も……最低最悪なんです。本当に最悪の男なんだけど、要は、何の希望も見出しようもない自分の実人生、そこからの逃避としての、あのビッグマウス・スタイル。

で、彼がただのビッグマウス・スタイルから、それを本当の暴力的な犯罪っていうのにつなげていってしまうきっかけっていうのはやっぱり、自分の実人生の救われなさを、逃げ場のない感じで突きつけられたからこそ、彼は(本物の犯罪に)走ってしまう、という。その切なさというのも、「おもしろうてやがて悲しい」感じっていうか……やはりこういうのがあるから、単に露悪的だったり覗き見的なだけではない、ちょっと大人な厚みがたしかにあるダークコメディー、人間ドラマにもなっている、ということだと思いますね。

あとはこう、主人公たちよりも上の社会階層を体現する、コーチ役。ジュリアンヌ・ニコルソンさんの醸す冷たいユーモア感みたいなものも、何気に僕は素晴らしいという風に思いますね。

■ちょっとダサめの80年代ロックのチョイスが「時代に取り残された感」を醸し出す

あと、音楽の使い方も非常に絶妙ですね。先ほど言った『グッドフェローズ』スタイル。当然、時代感を醸す表現として、ポップミュージックの数々がボンボンボンボンと、ほとんど切れ目なくかかっていく『グッドフェローズ』スタイルの音楽使い、っていうのもあるわけですけど。この『アイ、トーニャ』に関しては、時代感の表現としては、リアルタイム、90年代前後の選曲としては、実はちょっと古いわけですね。

ちょっと前の、ちょいダサ80年代ロック、ポップスがチョイスされていて……それこそがまさに、さっき言った主人公たちの、いわゆるホワイトトラッシュと呼ばれているような白人貧困層の、社会から取り残された立場、感覚っていうのを、しかしでも同時にポップにも表現しきっていて、非常に見事だ、ということだと思います。実際にさっき、最初の大会のシーンで流れたZZトップの『Sleeping Bag』とか、彼女の実際の選曲でもあるわけですし。あと、たとえばハートの『Barracuda』という、この曲が流れる。

これを流しながら、まさに『ロッキー4』ばりの……『ロッキー4』的な訓練シーンとか、本当に笑っちゃうあたりですし。あと、さっき言った超底なしのバカっぷり、クズっぷりを発揮するマヌケな襲撃者チームが、ローラ・ブラニガンの『Gloria』を聞きながら歌っている、というあたりのマヌケっぷりとかも本当に素晴らしいですしね。あと、個人的には、結婚式のシーンとラストの2箇所で流れる、ドリス・デイの『わたしを夢見て(Dream a Little Dream of Me)』というね。このラストのボクシングシーンっていうのが、非常に『フォックスキャッチャー』のラストにも通じるあたりですけども。

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ドリス・デイの『わたしを夢見て』という美しいスタンダードナンバー、からのラスト、こちら! スージー&ザ・バンシーズの『The Passenger』という、このイギー・ポップのカバーの曲。これが流れ出す、このラストの切れ味。要は最後に、「クソくらえ!」っていうかね。人に何を言われようが、クソくらえ!っていう。まあ『グッドフェローズ』的な幕切れでもありますけどね。この幕切れの選曲の、切れ味の良さ。これも本当に見事な感じだと思いますね。これ、歌詞も合わせて聞くと本当にいいですね。要は、「流れ流れて旅をしているんだけど、この全ての満天の星は私のためにある」っていうようなこの感じが、実にグッとくる選曲になっているんじゃないですかね。

スポーツ技術そのものの尊さが、たしかに刻印されている

で、特にこのエンディング周辺で際立ってくるのはですね。これは実はオープニングでもはっきりセリフで宣言されていることでもあるんですが……要するに最初と最後で、はっきりとテーマとして宣言されていることでもありますけども。トーニャ・ハーディングの生い立ちと、成功と没落の物語は、昨日の特集でかけたチャイルディッシュ・ガンビーノの曲じゃないですけども、まさに『This Is America』な、現代アメリカ社会構造を全て象徴するようなストーリーとして、少なくともこの映画は提示しているわけですね。

と、同時にですね、トリプルアクセルをできるスケーター、それでなおかつ映画でスタントしてくれるスケーターなどはいないから、当然特殊効果は多用していますが、猛特訓の甲斐あってどのカットでも完璧に、トップスケーター役として本当に様になっているマーゴット・ロビーによる、スケートシーンの迫力、美しさ。そしてエンドロール。実際にそのトーニャ・ハーディングがトリプルアクセルを決めた、その大会の映像。そこにはたしかに、周囲のゴタゴタとか、なんなら本人の人格とも関係ない、スケートそのもの、スポーツの技術そのものの尊さ、輝きが、たしかに刻印されていて。その落差にまた、深い感慨がわいてくるという。

本当に、リスペクトと客観性、笑いと悲しみ、コメディーと悲劇、ジャーナリズムとフィクション、みたいな……この全てが、非常に大人な多層性と、絶妙なバランスを持ってキープされた、非常によくできた、そしてなおかつ結構誰が見ても——この99%の絶賛もわかるぐらい——結構誰が見ても「面白い」と思えるんじゃないか、っていうぐらい、久々に文句なしに、どなたにもおすすめできる一作です。ぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

宇多丸『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』を語る!【映画評書き起こし 2018.5.26放送】

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宇多丸:
さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーでは先週にランダムに決まった映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。それでは今夜評論する映画は、こちら! 『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』

(Kool & The Gang『Celebration』が流れる)

はい。これはオープニングで流れるクール・アンド・ザ・ギャングの『Celebration』という曲ですけどね。このちょっと明るい、オールハッピーな感じと裏腹に……という部分もあるという。ちょっと皮肉のこもった選曲、というあたりですかね。全編iPhoneで撮影した映画『タンジェリン』で注目を浴びた、ショーン・ベイカー監督による人間ドラマ。フロリダの安モーテルでその日暮らしの毎日を送る女性ヘイリーと6才の娘ムーニーの身に起こる出来事を、パステルカラーの映像で映し出す。親子を見守るモーテルの管理人をウィレム・デフォーが演じる、ということでございます。

ということで、もうこの『フロリダ・プロジェクト』を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、普通。そうですか。あんまり公開規模が大きくないのもあるのかな。ところが賛否の比率は、先週の『アイ、トーニャ』も非常に賛が多かったですけども、今回も褒めのメールが99%。否定的なメールは3通のみ、というかなり極端な結果が出ました。

主な褒める意見は「今年ベストを更新」「軽快なオープニング、色鮮やかな映像、無邪気に遊ぶ子供たちの姿など明るい画面とは裏腹にじりじりと追い詰められていく厳しい現実。2つのギャップにやられた」「貧困層の人々の暮らしを過剰に同情を誘う描き方をしていない点に好感が持てた」「素人とは思えない子供たちの演技が素晴らしい」「モーテルの管理人を演じるベテラン俳優ウィレム・デフォーの繊細な演技が見事」「希望と絶望が同居するラストシーンに胸が締め付けられた」という絶賛の声が並んでおります。

一方、否定的な意見としては「全体的に物足りない印象」「母親のヘイリーのキャラクターを受け入れられなかった」。まあもちろんね、決して褒められたもんじゃない人ですからね。「モヤモヤするラストシーンに乗れなかった」といったところでございます。

■「苦しみが感じられて胸が痛くなりました」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「わくわくカルビ帝国」さん。「なんというポスター詐欺! もちろん、いい意味で。色鮮やかな景色とシングルマザーの母と娘を容赦なく追い込む現実の対比がすさまじい。」

「正直、この母親は最低です。低みの域を超えた迷惑行為のオンパレードに『これを物語としてどうやって収拾をつけるんだ?』と思いながら見ていました。しかし、最後に向かうにつれて『なぜこの母親はこうなってしまったのだろう?』と考えさせられました。娘ムーニーの入浴シーンが何度か挟まれるんですが、最初は母も一緒に入っていたのに途中から娘だけになり、何かを隠すように大きな音量で音楽が流れていて……それが何を意味しているのか気づいた時のなんとも言えない気持ち。」

「他にもムーニーの『大人が泣く時の気配がわかる』という発言。倒れても育っている木など直接的ではない細かい部分で母親のこれまでの苦しみが感じ取れて胸が痛くなりました。モーテルの管理人はとてもよい人ですが、その存在が逆に優しい人が近くにいるというだけではどうにもならない現実のリアルさが際立っていたような気がします」というね。で、「ラストも行き着く先で安易に救いを与えられることがないということを叩きつけられてエンドロールの間はただただ放心しました。私の中では間違いなく今年ベストの作品になりました」という、大変な高評価。わくわくカルビ帝国さん。

一方ダメだったという方。「『フロリダ・プロジェクト』、見ました。平日なのに結構混んでいて、見る前にパンフを買おうとしましたが売り切れで。期待して見ましたが個人的にはイマイチでした。前評判どおり子役たちはよかったです。『嫌なガキだな』という最初の印象から話が進むにつれ、尻上がりに子供たちへ感情移入してしまう見せ方はよかったと思いました。ただ、それとは対照的に母親はところどころは優しいシーンはあるものの、一切の成長を感じさせず、『まあそうなるよな』というような結末で物足りなさが多く積もる作品でした」ということでございます。

ショーン・ベイカーさんという作り手の名前、覚えてね!

みなさん、ありがとうございます。ということで、私もこの『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』、バルト9で2回見てまいりました。たしかにめちゃめちゃ入っていて、パンフも……僕、2日目に行ったのに、もうパンフが売り切れていましたからね。ひょっとしたらいっぱい作っていなかったのかもしれないですけど。ということで、今回はとにかく、この本作『フロリダ・プロジェクト』の監督、脚本、編集、製作を務めて、世界中で本当に映画賞をとりまくっておりますショーン・ベイカーさん……1971年生まれ、アメリカの方ですけども、このショーン・ベイカーさんという作り手の名前だけでも、覚えて帰ってね〜、という感じですね。ショーン・ベイカーさん。

僕もね、偉そうに言っていますけども、とはいえ遅まきながら、このタイミングで彼の作品をはじめてちゃんと見ました。日本でソフトが出ている過去作2本を含め、3本しか見ていないんですけども。2012年の『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』という、まあ原題はシンプルに『Starlet』というタイトルですけども。あと、2015年の前作『タンジェリン』。先ほどの説明にもありました、iPhoneだけで撮った作品『タンジェリン』。さかのぼってようやく拝見しましたが、やっぱりアメリカのインディペンデント映画界って本当に人材がすごい、まだまだすごい人がいるもんだなと、改めて思い知らされた次第です。

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このショーン・ベイカーさん、作風はかなり一貫しておりまして。要は、なかなかスポットを当てられることのない、社会の片隅で生きる、社会的弱者と言っていいような立場の人々を、大上段のテーマを振りかざして同情的に、もしくは批判的に描くのではなく、あくまでもその人々の目線から、ものすごく生き生きと……つまり、半端じゃなくリアルなんですけど、「リアル」っていうのは、厳しい現実というのはたしかにそこにあるんだけど、殊更にそこで深刻な顔をすることなく。要するに「テーマのための題材」っていう感じがあんまりしないっていうのかな。「こういうメッセージが言いたいから、この題材を扱っている」っていう感じがあまりしなくて。

たとえば貧乏だったりとかいろいろあっても、そういう人生の中にも当然あふれている、喜びとか輝きとか。そういうのも含めて、なんて言うか僕、こういう感じを受けました。「人、もしくは人の生き方を、ジャッジしない視線」っていうか。だから今回の母親とかも、決して褒められたもんじゃないんだけど、その母親の生き方も含めてら決してジャッジをしない。人をジャッジしない視線というか。そういう、まあ本当の意味で優しいスタンスというか。で、あくまでも軽やかに、社会の片隅で生きる人々を描き出していく。

で、そのものすごく生き生きとした、本当にその人がそこでそうやって生きているとしか思えないような描写の数々。そのベースには、演技未経験者を大胆にキャスティングして、そこに実は何人か常連役者を含む……今回の『フロリダ・プロジェクト』も実は何人か常連役者が混ざっていますけども、プロ俳優を巧みに要所に配しつつ、要は素人俳優と手練とで上手くアンサンブルを作り上げていく、という、非常に高度な演技・演出。演出力というのがあるんですね。

アメリカ・インディペンデント映画界の才人が放ったホームラン

あとは、これは共同脚本と製作をここ三作手がけているクリス・バーゴッチさんという方。この人の力も大きいのかもしれませんけども。非常に綿密なリサーチを重ねて、時間をかけて練り上げられた脚本。これ、脚本も実は大変骨格がしっかりしているなという風に思います。さっき言ったようにとってもリアルな、自然主義的な演出、演技なんですね。なので、それぞれのシーンとかエピソードは、見ているだけだと一見、散文的というか。本当に現実そのままに、とりとめもなく起こる出来事たちを無造作に捉えて並べているように一見、見えるんだけど。実はですね、どの段階でどの情報をどれだけ観客に知らせておくか、っていう計算が、すごく周到になされていて。映画をずーっと見進めていくとだんだん、実は明確なストーリーとかドラマ性と、それに向けた伏線が、非常に巧みに組み上げられていたんだという(ことがわかってくる)。

「あっ、さっきのあれ、何気ない会話だと思ったら、全然伏線じゃん!」みたいなのがあったりとか、ということです。要は非常にインディペンデント映画ならではの、肩の力の抜けた自然さみたいなところと、たしかなストーリーテリング力、というのを兼ね備えている。加えて、たとえばさっき言った『タンジェリン』。全編iPhone5sにアナモレンズを付けて撮影したという。で、その手法ならではの躍動感あふれるビジュアルというのを、作品としての魅力に昇華している、みたいな感じで。要は、絵的な構築力というか、絵的なセンスもすごい長けている方なんですよね。だから、演技演出も上手い。ストーリーテリングもしっかりしている。絵的なセンスも長けている、という。アメリカン・インディペンデント映画界、こんな才人がまだまだいるのか、というショーン・ベイカーさんなんですけども。

で、その意味でですね、今回の『フロリダ・プロジェクト』……この「プロジェクト」というのは、たとえばニューヨークのクイーンズブリッジ・プロジェクトみたいな、貧しい人用の公営団地みたいなものを、一般的には「プロジェクト」って言いますけども。ちょっと皮肉に満ちた……今回の「フロリダ・プロジェクト」と言われているのは安モーテルで、貧しい人が勝手に住み込んじゃっているわけですから。要するに公のプロジェクト的なものですらないっていう状況も含めた、ちょっと皮肉なタイトル。『フロリダ・プロジェクト』は、そんないままで言ってきたようなショーン・ベイカーさんの資質が、いまのところ最大限に生かされた、まさに決定打的な、ついにホームランを打った的な一作と言っていいんじゃないかと思いますね。

■厳しい現実も見方によっては美しさを湛えている。それを示す画的な美しさ

まず今回は、さっき言った前作の『タンジェリン』という作品とは対照的に、オールドスクールな、35ミリフィルムでの撮影というのが99%以上を占めているという。当然、世界的に高まってきた評価に応じて、ちょっとこれまでの作品とはケタ違いの予算があったからこそ35ミリで撮れた、っていうのはあると思いますけども。とにかく99%以上……「99%」っていう言い方をしているっていうことは、残りの1%弱は何か、っていうことで。これはまた後で言いますけども。とにかくその35ミリフィルム撮影で、要はカメラワークがグッと落ち着いたんですね。前はiPhoneで撮っているというのもあって、非常に躍動感があってワーッと走り回ったりするようなカメラだったんですけど、そのカメラワークもグッと落ち着いたことで、フィックスの画もだいぶ増えたことで、このショーン・ベイカーさんの本来持っていた、言ってみれば写真家的なビジュアルセンスが全開になったな、と思います。

映画監督の中には、写真家的な絵作りのセンスに長けている人っていうのが一定量いて。ショーン・ベイカーさんは、どっちかって言うとそのタイプなんだっていうのが改めてわかる感じでしたね。フロリダの燦々とした陽光の下、カラフルに輝く建物とか洋服……この洋服も、ちゃんと色彩計算がきっちりされた、洋服の数々などもすごくデザインとして決まった、グラフィカルな構図で美しく切り取ってみせる、というセンス。で、もちろんその背景には、抜け出し難い貧困のサイクルとか広がる格差とか、現実の現代アメリカ社会の問題っていうのが重たく横たわってはいるんだけど。ちょうどあの『ムーンライト』……。

去年のアカデミー作品賞をとりました『ムーンライト』が……僕の前の番組で2017年4月22日に評した公式書き起こしが読めますので、ぜひ読んでいただきたいんですが。あの『ムーンライト』がやはり、社会とか人間関係の悲しい現実みたいなものを描きながら、画そのものは非常に鮮やかな色彩設計で。要は、厳しい現実はあっても、それでも、主人公の内面がそうであるのと同様、世界の本質というのには美しさがあるはずだというね。それを絵的に表現していたのとも、ちょっと通じる感じで。

この『フロリダ・プロジェクト』というのは、特に子供たちから見た世界っていうのが……何度も念を押しますけども、厳しい現実というのがたしかにあるんですよ。子供たちはその厳しい現実の、ある意味いちばんの被害者であるかもしれない。見方によっては彼/彼女たちはかわいそうな子たち。なんだけど、その子供の目から見た世界は、驚くほど豊かで楽しい、美しいっていうのを、まずは圧倒的な画の力として提示してくるわけですね、この『フロリダ・プロジェクト』は。たとえばあと、その景色も非常にカラフルなのが、ディズニーリゾート近辺なわけですね。ディズニーリゾート近辺のモーテルに……アメリカがこの10年で、リーマンショック以降、非常に経済格差、貧困層が広がっちゃって、もうほとんど隠れホームレスと言われるような人たちが住んでいる、というその状況。

そしてその周りをまたさらに、彼らから見ればお金を持っている人たちなんだけど、とはいえそこまで金持ちでもないアメリカ人の観光客、世界中の観光客が(来るような)、インチキくさーい、パチもんディズニーお土産屋みたいなのがあって、そういうのが広がっていて。そういう景色の、インチキ安っぽ面白い感じとかもね、ちょっと楽しめるんですけどね。で、まあそんな景色の中で繰り広げられる人間模様。これのまあ、なんとおかしく切なく愛おしいことかというね。まあ本当に、社会派貧乏長屋人情物というか。基本的にはそんな感じで楽しめます。

一見無造作に撮っているように見えるが、実は非常にうまい作り

たとえばね、貧困、悲惨な状況を生き抜く子供たち、っていう作品の系譜で言うと、いろいろとあるわけです。たとえばそれこそロッセリーニの『ドイツ零年』とかね。ブニュエルの『忘れられた人々』とか、ちょっとドキュメンタリックなタッチも含めて、そういう系譜もあるし。もちろん、ショーン・ベイカーさんも今回当然参考にしたという、是枝裕和監督の『誰も知らない』とかまで、まあ貧困を生き抜く子供たち、という作品の系譜もあるし。あるいは、たとえば親もしくは親的な存在と、貧しくても楽しく暮らしていたのが、やむなく引き離される子供、みたいな。それこそチャップリンの『キッド』とか……『砂の器』の泣かせどころだって要はそういうことですから。貧しいけど楽しく暮らしていた幼年期。で、親から引き離されて……という、そういう一連の流れというのもありますけども。

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ショーン・ベイカーさんはもちろん、それらのものも参考にしているんでしょうけど、全体としては、ハル・ローチという1920年から30年にかけて短編がいっぱい作られた『Our Gang(ちびっこギャング)』シリーズみたいな感じで、子供たちがキャッキャキャッキャいたずらをして楽しいっていう、そこをまず描きたかったという。その心底楽しそうな夏休みの感じっていうのが、まずは前半、あえて楽天的なトーンで、この『フロリダ・プロジェクト』は描かれるわけですね。まずそこはすごい楽しいわけですよ、やっぱり。あんまりダークサイドは、序盤はまだ描かれていないし。「なんかこの子たちはこの子たちで、いまどき珍しい大らかな感じで育っていていいな」みたいなぐらいに思うわけです。

で、子供たちの演技も、もう「自然」とかそういう言葉のレベルを超えて、もうそのまんまそこにいる子たちの言動を映しているだけにも見えるぐらいなんですけど。これ、是枝さんのアプローチとは違って、実はちゃんと演技の基礎訓練を受けさせて、セリフもちゃんと覚えさせた上でアドリブも許した、っていう撮り方をしているというね。割と正攻法の手順を踏んだらしいんですけど。とにかく極めて自然主義的、ドキュメンタリックに切り取られた子供たちのじゃれ合い、というのがある。

なんだけど、これが上手いのは、たとえばソフトクリーム屋で、観光客親子……この親子の、あっちはあっちで同じような年頃の子供がいるのがまたちょっと切ないんだけど。とにかく、観光客相手に小銭をねだるくだりっていうのがありますよね。で、ここではじめて仲間に加わったジャンシーちゃんっていう女の子がいて、そこで、小銭をねだっているところで、彼女の表情をメインに抜くわけですよ。で、その彼女が正直、「マジか!?」って顔をしているわけですよ。小銭をこうやってせびっているところで。それによって、つまり客観視点、ツッコミのカットを入れることで、一見無造作に撮っているけど、ちゃんと笑いを増幅させる作りにしているわけですね。こことか、ちゃんとジャンシーの顔を抜くところが上手い、っていう感じがしますし。

もちろん、その何気ない会話とか遊びの端々が、実は、後々の何事かにつながっていったりとか、何気にストーリーもしっかりテリングしている、というこの自然な子供たちの演技。一方で、ストーリーを主に進めていく目線は、観客にいちばん近い目線を持った人物。つまり、子供たちとかその親たちを、「なんか危なっかしいなー」っていう感じで思いつつ、内心あたたかく見守っている……同時に言えば、見守るしかできない。この「見守るしかできない」っていうのは、映画の観客そのものですから。映画の観客と完全に一致する視点を持つ、モーテル管理人、ウィレム・デフォーね。これも高評価も納得の、本当に抑えに抑えた名演技。彼の目線でメインのお話を進めていくっていうのも、非常に上手い作りですね。

■お母さんのストーリーに悲劇的な結末の予感が陰る

彼が子供たちのいたずらに手を焼くくだりとか、もう全て楽しい。なんか幸福感にあふれていて、素敵だなと思うし。あと、さりげないところだと、夕暮れ時。彼が1人でタバコにプッと火をつけると、その火をつけた瞬間に、ちょうどモーテルの周りにポッと明かりがついて。そして画面の外側で、花火の音がポンポンッてするという。つまり、「ああ、すぐ近くにディズニーリゾートがあるんだな。なのに……」っていうその距離感と、しかもその時には画面には映っていないディズニーリゾートの花火が、後半のあるものに、ちゃんと伏線になっているというこの見せ方。上手いですね。

あるいはね、彼がそのモーテルの住人たち、そして子供たちの、さりげない守護者であることを示す……と同時に、やっぱり世界というものに実はあふれているおぞましさを、ちょっと垣間見させるような、とある場面。ここも非常にドキドキとしますね。ここもやっぱり、このウィレム・デフォーの目線でいったん(ショットが)引くから、最初は「あれっ? これはなんか微笑ましい、子供とおじいさんの交流かな?」って思うと、ウィレム・デフォーの目線で引くと、「ヤバい!」っていう感じがちゃんとする目線になっていて。カットでちゃんとそのヤバさを表現しているあたり。これも見事ですしね。

で、そこからさらにストーリーの重心が、お母さん。これを演じているブリア・ビネイトさんという方、この方はもともと普通にファッションデザイナーかなにかをやられていた、まあ演技素人なはずなんですよ。ちょっと若い時のコートニー・ラブっぽい雰囲気を持っている感じの人ですよね。とにかくこの、要は社会からちょっとはみ出してしまっている、で、生活力もなさそうな、良識的に見れば母親失格のレッテルを貼られてもちょっとしょうがないかもっていうような、若いお母さん。

もうひっきりなしにトラップを聞いているというね(笑)、お母さんがですね、どうやって食いつないで、そのモーテルの家賃も払っているのか?っていうあたりにだんだんと話の重心が移っていくに従って、お話は次第に、ある悲劇的な結末への予感を帯びていく。この不吉な影の落とし方。その順番とか塩梅も、非常に上手いというね。そこでやっぱり、そのお母さんの生き方というのを決して批判したりジャッジしたりしないショーン・ベイカーの視線、演出のフラットさというのが、非常に効いていますよね。その不吉な影の落とし方……たとえばメールにあった通り、1人でお風呂に入っている画がなんか増えたなと思ったら……というあたり。特に、子供側も薄々事態の異常性、深刻さを感じてしまっているのだろう、とわかってくるくだりですよね。

映画というものに求める大きな要素がいくつもちゃんと入っている

序盤でムーニーちゃんという女の子が、「大人が泣く時がわかる」って言う。つまり、「子供は(大人を)見ているんだよ」っていうことをちゃんと言っているからこそ、だんだん「彼女はやっぱり(実際の状況を)わかっているじゃん!」っていうのがわかってくるくだりが、ちょっと辛くなってくる。で、それが極に達した時に、その(ムーニー役を演じている)ブルックリン・キンバリーさんが……本当に驚くべき、1個1個の仕草、発言のキュートさ、クレバーさ、本当に魅力的なあの子役がついに……要は、とにかくずっと楽しそうだったムーニーちゃん。というよりは、彼女はひょっとしたら、楽しい面だけを見ようとしていて、彼女なりに突っ張ってきたんじゃないか?って思わせるぐらい、堰を切ったように感情の渦が、ドーンと洪水になって現れ出てきてしまうその瞬間。

それはつまり、彼女にとってあまりにも早すぎる子供時代の終わりっていうのを、彼女がいま確信して……「ああ、私の子供時代、ちょっと早いけどもう終わるみたい」っていうことがわかってしまう。で、もうもちろんここまでですでに、我々大人の観客はダラッダラに号泣させられてしまっているわけですけど。そこでさらに、ラストのラストのラスト、もう1個、映画的な飛躍というのが用意されているわけですね。最初の方で言ったショーン・ベイカーさんのフィルモグラフィーから見ても、非常に納得の手法。今回は、そこで「それ」が出てくるか!っていうね。で、これが面白いのは、物語的には、現実を飛び越えるジャンプが最後に起こる、ちょっと現実から浮遊するラストが用意されている。

にもかかわらずこれ、映像的には、この部分が本作でいちばん生々しい、「現実的」な映像手法が取られている。つまり、現実の向こう側に物語的には飛び移っていくんだけど、映像的には現実側に飛び込んでくる、という……このちょっと不思議な逆転構造を持つような飛躍が用意されているというね。しかもその、「向こう側」にいる現実の幸せそうな家族たちっていうのがいっぱいいるんだけど、むしろそっちの方がなんか嘘っぽい作り物に見えてくる、というこのバランスとかですね、見事なもんだと思いますね。

ということでですね、現実にいたらダメな人たちの、人生とか言い分とか視点に、なぜか肩入れをしてしまったりとか、あと作品としてちゃんと一飛躍が用意されていたりとか……やっぱり、映画というものに僕が求める大きな要素が、いくつもちゃんと入っている。実はめちゃめちゃ周到によくできた、そしてちゃんと最後に1個驚かせてもくれたりとか……見事な一作です。アメリカ・インディペンデント映画界の、本当に底力を知るような一作。ぜひ劇場で。めちゃめちゃおすすめです、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画はウェス・アンダーソン監督最新作、『犬ヶ島』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

 

宇多丸『犬が島』を語る!【映画評書き起こし 2018.6.1放送】

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宇多丸:
さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーでは前の週にランダムに決まった映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。それでは今夜評論する映画は、こちら! 『犬ヶ島』

(曲が流れる)

この(和太鼓を打つ)オープニングとエンディングがすごい好きなんだよな(笑)。はい、『グランド・ブダペスト・ホテル』などで知られるウェス・アンダーソン監督の最新作。日本を舞台に、「犬インフルエンザ」の蔓延によって離島に隔離された愛犬を探す少年と犬たちが繰り広げる冒険を描いたストップモーション・アニメ。声優陣にはビル・マーレイ、エドワード・ノートン、スカーレット・ヨハンソン、オノ・ヨーコなどなど、挙げきれないぐらいの豪華メンバーが集結。また、日本のクリエイターの野村訓市さんが原案や声優として参加している、ということでございます。ブライアン・クランストンも参加しておりますね。

ということで、このウェス・アンダーソン最新作をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、やや多め。まあ、ウェス・アンダーソンの新作をやるとなれば、何にせよみなさん見に行くというのはあると思います。賛否の比率は褒めのメールが9割、否定的なメールが1割。最近、こういうのが多いですね。

主な褒める意見は、「ウェス・アンダーソン監督の脳内日本の世界観やキャラクターを見ているだけで楽しい」「日本をモチーフにしていながらも、日本では作られないであろう独特の日本描写の想像力に脱帽」「名作邦画へのリスペクト満載の小ネタひとつひとつに愛が感じられた」「犬を描いたストップモーション・アニメの最高傑作」などなどございました。一方、否定的な意見としては「画面とセリフ、両方の情報量が多すぎて追いつかなかった」「映像がすごいのは認めるが、ストーリーは追いついていない」「細かく差し込まれる日本語ネタがノイズになって映画に集中ができなかった」。ある意味日本を舞台にしたことで生じる我々ならではのノイズ、というのもあったのかもしれませんね。

■「犬ヶ島』は2018年の日本を描いた正しい人形アニメーション」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「枯れるぜ万太郎」さん。「立川シネマ・ワンにて『犬ヶ島』を見てまいりました。結論から申しますと、面白かった。この『犬ヶ島』は外国から見た日本のはらわたを取り出してグツグツと煮込み、戯画化し、デフォルメして作り上げた作品だと思いました。私、個人的に、映画を作るのに『なぜこの脚本はアニメなのか? 実写でいいんじゃないのか?』というのは常に問うべきだと思っています。そうなると、なぜ『犬ヶ島』は人形(パペット)アニメーションで作られなければならなかったのか? 普通のドローイングアニメーションやピクサーやディズニーのような3DCGアニメーションではダメなのか? と考える必要がある。

昨今の3DCGアニメーションは技術も上がり、表現の幅も広がり、予算も安く抑えることができる。いいことずくめのはずなのだけども……しかし『犬ヶ島』は両親と腎臓を失った12才の日本人少年が頭にボルトが刺さったまま、血を流しながら連れ去られた友(犬)を助けに汚染されたゴミの島に行くという、これを実写映画で生々しく見せられても、3DCGで豊かな感情表現で謳い上げられても、困ると思います。外国人がステレオタイプの日本人を表すのに、『顔の表情がなく感情が分かりづらい』というものがあります。日常生活においてオーバーアクションをする日本人は僕らにとっても微妙な感じになります。

その日本人を描くのにパペット(人形)アニメーションが最も適していると選択したのは外国人制作、外国人監督がある意味本質を理解しているからだと思います。キャラクターが画面に向かって真正面から映るカットの、人形だからこそ表情の乏しい感じ。犬たちの目が表情豊かな3DCGキャラよりも何倍も感情を激しく観客に訴えかけるのだと思います」という。表情もあえてそんなにポンポンポンポン動かさずにやって。しばらく静止させてからの……みたいなのも多かったですね。少年を前に兄弟犬のインカムの受け渡しがあるんですけどね。バトンタッチというか。「『犬ヶ島』は2018年の日本を描いた正しい人形アニメーションでした」というご意見。

一方、ラジオネーム「イソッチ」さん。いろいろと感想を書いていただいて。この方、イソッチさんも非常に質が高い作品である、演出がすごく面白いとかそういうのも認めつつ、「面白い映像が見られるという点においては、個人的に本作は今年見た映画の中ではダントツでトップなのではありますが、残念ながら物語自体はちっとも面白くなかったです。誰一人として全く感情移入できませんでした。あえてテンポ的なズレを狙ったにもしても、ちょっと話の流れが見えづらく感情移入しづらく感じる場所が多かった。この画面構成やビジュアルといった手段自体がこの映画の目的になっているような感じは拭えません。もうちょっと作家性が面白さにつながればいいなと今回も感じました。とにかくビジュアルは今回も大変楽しませてもらいました。100点満点で70点です」ということなので、かなり高く評価した上での苦言でございました。

でもたしかに、ビジュアル先行型作家の作品に対しての、ひとつの問題提起ではありますよね。「スタイル先行すぎないか?」みたいなのはね。

■勇気の要る表現=「ウェス・アンダーソン監督の作品は『死ぬほどオシャレでカワイイ!』」

ということで『犬ヶ島』、私もTOHOシネマズ六本木、そしてバルト9で2回、見てまいりました。ウェス・アンダーソン作品、このコーナーでは土曜日の『ウィークエンド・シャッフル』時代、2014年6月28日に、前作にあたる――これも大傑作でしたね――『グランド・ブダペスト・ホテル』を評させていただきましたが。とにかくほんの一場面でも見れば、「ああ、これはウェス・アンダーソンの作品でしょう?」ってわかる。あるいは、全く映画に詳しくない人でも、ウェス・アンダーソンの映画をいくつか見せれば、そこに明らかに共通するいくつかの要素を、容易に指摘することができる、というぐらい、現行の、世界的に名を知られた映画監督の中でも、ウェス・アンダーソンは突出して強烈な作家性を持つ作り手である、ということは間違いないと思いますね。

グランド・ブダペスト・ホテル (字幕版) グランド・ブダペスト・ホテル (字幕版)
ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル Popular Edition ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル Popular Edition

まあ、まずはなんと言っても、あらゆる細部まで徹底してこだわり抜いた画面作り。特にやっぱり、誰が見ても明白ですけども、左右対称、シンメトリックな構図。長編劇映画としてはちょっと度を超した多さですよね。そんなシンメトリックな絵作り、その徹底ぶり、ということですね。そして、作品ごとのスクリーンサイズによって、縦なのか横なのか、もしくは前後なのか、方向性は変わるんだけど……たとえば『グランド・ブダペスト・ホテル』は、限りなく真四角に近い画面だったので、前後の奥行き。奥に奥に進んだり、手前に手前に来たり、という動きが多用されている。今回は割と横、横、横という、横スクロール画面が多かったですけどね。

とにかく、シンメトリカルな構図を映画的に生かした、幾何学的なカメラワークやアクション、というのが特徴でもある。さらには、もちろん色合いから質感に至るまで、彼の好みで統一された、凝りに凝った美術、衣装などが、本当に画面いっぱいに配置されて……ということで。つまり、画面全体が凝っている。一言でいえば……ウェス・アンダーソンの映画の魅力をもっとも端的に表す言葉でありながら、なかなかこれを使うのには勇気がいる表現を、前作の評に引き続きあえて勇気をもって使わせていただくならば……ウェス・アンダーソンの映画の魅力は、とにかく常に全てが、「死ぬほどオシャレでカワイイ!」っていうね(笑)。「ウェス・アンダーソン映画の魅力とは?」「オシャレでカワイイ!」。これ、『ユリイカ』のウェス・アンダーソン特集では決して使われない表現です(笑)。ただ、どう考えてもそこは外せない本質だろ?っていう。「オシャレでカワイイ」っていうのを外したら……それはないだろう。ウェス・アンダーソン。「だってオシャレでカワイイじゃねえか! それだからみんな好きなんじゃねえか!」っていうね。はい。まあ、だからここで終わっていいぐらいなんですけども。

ご本人はテキサス州ヒューストンという、あまりおしゃれ感のない土地の出身で、テキサスの私立校に行った、ということですから。おそらくは、常に「ここではないどこか」への憧れを抱きながら、自分の中での美意識、理想を完成させていったというような人。だからこそ、たとえば本作『犬ヶ島』の日本っていうことであったりとか、『グランド・ブダペスト・ホテル』の東ヨーロッパであったりとか、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の東海岸上流家庭であるとか、『ダージリン急行』のインドであるとか、とにかく全て「俺の考えた超イケてる○○」「俺の考えたいい感じの○○」……コンバットREC流に言うなら「俺の自慢されたい○○」として、映画やアートなどの大量の引用、オマージュを含めて、彼の中で完全に消化され、そして再構築……で、自己完結したような、オリジナルとしか言いようがない世界ができあがる、ということなんですね。

■徹底的にアナログにこだわるウェス・アンダーソン監督のストップモーションアニメ観

一方、ストーリーにもね、ゆるい一貫性のようなものが明らかにあって。今回の『犬ヶ島』もまさにそうですけど、たとえば我の強い、自由すぎる、勝手すぎる人生を歩んできたようなおっさんがですね、なんらかの責任を受け入れていく。たとえば父親的な立場、責任を受け入れていくとか。一方で、利発さがちょっとエキセントリックの域に達しているような、真っ直ぐな少年、若者が、父もしくはその父的な存在を含む大人たちに影響を与えていく、みたいなのがあって。で、彼らがやがて、疑似的なものも含めて、大きな意味での「家族」を構成していく。あるいは、壊れていた家族がまた違う形でつながりを取り戻していく、みたいな。まあ概ねこういうような話を、毎回毎回繰り返しているわけです。ひょっとしたらそれはそれこそ、一昨日の三宅隆太監督提唱の「脚本療法」というような意味合いが、ウェス・アンダーソンにとっては、物語を作るっていう意味が……だからこそ、これだけ繰り返し繰り返し(同じような物語を)語るのかもしれませんけどね。

まあ、ということで、絵的にも話的にも強い一貫性を持つ作家であるウェス・アンダーソン。なので、好きな人は全作好き。ピンと来ない人はピンと来なくてもしょうがないな、というタイプの人です。加えて本作『犬ヶ島』は、2009年のこれまた大名作『ファンタスティックMr.FOX』に続く、ストップモーションアニメ作品ということですね。そういう文脈も当然あって。劇場用長編ストップモーションアニメの世界で言うと、最近はね、ライカというスタジオが本当にもっとも調子が良くて。僕も2017年12月2日に評させていただきました『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』っていうのが、本当にちょうど同じく、日本を舞台にしたストップモーションアニメ、ということですよね。で、これまた大傑作だったというのがありますけど。

ファンタスティック Mr.FOX(字幕版) ファンタスティック Mr.FOX(字幕版)
KUBO/クボ 二本の弦の秘密(字幕版) KUBO/クボ 二本の弦の秘密(字幕版)

ただ、はっきり言って非常に対照的です。このライカという会社が、3Dプリンターとか、時にはCGによる特殊効果なども使って、いわば最新技術によるストップモーションアニメの表現の追求、新しい表現の追求みたいなことをしているのとは対照的に、ウェス・アンダーソンは、徹底して全て手作り、アナログということにこだわっている。なんなら昔ながらのストップモーションアニメならではの、ちょっとカクカクした動きみたいなのさえにもあえてこだわったような、独自の……なんて言うのかな、ミニチュア感のかわいさ、みたいな。たとえばそういう……ほら、フィギュアでさ、すごーく精巧にできているんだけど、ボタンの塩梅がちょっとだけ実物より大きいバランス、とかあるじゃん? あのかわいさ、あるじゃん? ああいうような方向性というのを突き進んでいると。

■映画を覆う日本語情報が全部頭に流れてくる! という贅沢な悩み

ただ、今回の『犬ヶ島』でも、僕が今回の作品中もっともクレイジーな場面だと思っている寿司作りのところとか(笑)、あそこは実はスタジオライカのブラッド・シフさんという方が……要するに技術的に作るのがすごく難しくて。で、ウェス・アンダーソンに呼ばれてきて、そのブラッド・シフさん、ライカの人がアドバイスをしてあのシーンができた、みたいなのもあるらしいですけどね。で、まあ特に今回のその『犬ヶ島』というのは、『ファンタスティックMr.FOX』はロアルド・ダールの原作があったわけですけども、それとは違って、完全にオリジナル企画ですから。その分、まあよくこんなこと考えるなっていう、ウェス・アンダーソンの「奇想」ですね。奇想がとにかく、全編全カット、隅々に至るまで大炸裂!していると思いますね。

加えてその、アニメーションとしてのレベル。たとえば犬の表現。毛がフサフサしていて、風になびいていて、っていう、これをストップモーションアニメでやるっていうことを考えると、結構嫌ですよね、毛って。なんだけど、ちゃんと毛の表現があって。汚れているんだけどキュートな感じとか。あと、犬っぽさはあるけど、絶妙な擬人感も入っていたりとか。これ、明らかにストップモーションアニメだからその、動きそのものになにかアイキャンディな快楽が生まれる、みたいなことだと思うんですけど。そういう基本的なレベルの高さが、半端じゃないですし。

これ、メールにもあった通り、よくも悪くも今回、画面ごとの情報量があまりにも多すぎるため……特に我々日本の観客は、英語圏のみなさんであれば雰囲気的・デザイン的に流せるであろう日本語情報――視覚的にも聴覚的にも――もしくは、浮世絵をベースにした絵であるとか、あるいは60年代日本映画に出てくるような様々なディテールなど、とにかく日本文化由来のディテールが全て、英語の本筋の情報と同等に、頭に流れ込んできてしまうわけですね。我々日本人の観客には。要するに英語圏の人は雰囲気で流しているところを、俺たちは全部情報として入ってきちゃうから。しかもそれらが、ウェス・アンダーソンさんの友人であり、『グランド・ブダペスト・ホテル』にもカメオ出演されていました野村訓市さんという方の監修を経ていることもあってか、割とそれぞれ、日本的なディテールもちゃんとしているんですよ。

つまり「これはハリウッドの適当な日本描写だから、ここはどうでもいいや」っていうんじゃなくて、「ああ、ちゃんとしている! 細かいところもちゃんとしている!」みたいな感じで、ちゃんとしているので、いちいちこっちの琴線を刺激してくるわけですよ。なので、全画面・全音が、情報の奔流となって来てしまう。これはやっぱり、日本の観客特有の事情ですね。希釈がされていない(笑)。ということで、間違いなく一度二度見たぐらいじゃあ、とても脳が咀嚼しきれない、ということですね。僕もだから、二度しか見ていないので全然咀嚼しきれていないです。まあクラックラするような感覚を世界のどの国の観客よりも味わえるという、本作ならではの特権があると思いますね。

で、しかも今回は……『グランド・ブダペスト・ホテル』はウェス・アンダーソンの作品の中でも、比較的直線的なストーリーを持つ活劇だったですよね。ウェス・アンダーソンが「僕の映画には基本的にあんまり筋がないんだけど、今回は筋がある!」っていうね、当時のインタビューで自信を持って言っていましたけども(笑)。で、そういう直線的ストーリーの活劇だった『グランド・ブダペスト・ホテル』とはうって変わって、今回は、アクション性はかなり後退して。で、これぞウェス・アンダーソンの考える日本観っていうことを含むのかもしれませんけど、彼のフィルモグラフィーの中でも、かなり抽象度……もっと言えば様式度・様式化が高い作りで。ストーリーも、直線的に進むんじゃなくて、それぞれの枝葉にどんどんどんどん脱線していく方向ですね、今回は。

なので、これはウェス・アンダーソンの映画あるあるだと思うんですけど、面白いんだけど、話そのものは途中でちょっと面白いのかどうかよくわかんなくなってくることは多々ある、というね(笑)。その感じはたしかにあると思います。オープニングのタイトルバックね、先ほど最初のところでも流れていましたけど、和太鼓でグイグイグイグイ上がっていくところからして、まあ非常に僕はアガっておりました。叩いている3人が、なぜかぽっちゃり気味の少年で、メガネをかけていたりして、顔とかがすでにユーモラス。実は、後半に出てくる学生たちによる舞台に出てくる太鼓の子たちだ、っていうのは後からわかるんですけど。とにかくもう出だしから、なんかわからんがとにかくアガるし面白い!っていうね。今回は「おしゃれ」以上に、「アガるし面白い」が結構あるんですけども。

で、全体にその犬チーム側のエピソードの雰囲気は、荒っぽい男チーム同士の言い合い、そこに非常にクールで強いヒロインが絡んでくるっていう感じ、その面白さを含めて、全体に西部劇っぽいですね。蓮實重彦さんなんかも「ハワード・ホークス風だ」って言っていますけども。今回は、やり取りのポンポンポンっていうスピード感も含めて西部劇っぽい、特にハワード・ホークスっぽい感じ、あると思います。一方で人間たちのエピソード、要するに日本人側のエピソードですけども、当然黒澤明オマージュ……パッと見てわかるところで、たとえば『酔いどれ天使』の音楽、歌のインストが流れているなとか、あとは『七人の侍』のテーマ曲とかがモロに流れ出したりしますので。

あとこれ、インタビューでは出てきていないタイトルですけど、僕は個人的には、黒澤明だとやっぱり、『どですかでん』を思いましたね。色彩の使い方とか……あれ、スラム街が舞台でそういうような感じだったりしてね。で、その人間たちのエピソードは、60年代日本映画……特にやっぱり、60年代特撮映画の匂いがするかな。そういうムードの、SF風刺劇っていう感じですね。「メガ崎市」っていうネーミングがすごく僕、秀逸だと思うんですけどね。

どですかでん どですかでん

■図らずも政治的メッセージを含んでしまうのは前作同様、ギャグの切れ味は過去最高

で、「SF風刺劇」って言いましたけど、それが……おそらく、もともと社会的メッセージを伝えるためにこれを作る、っていうタイプの人ではウェス・アンダーソンはないんだけど、結果的にだとは思うけど、やっぱり現実の、たとえばいまのアメリカとか、いまの世界。もちろん日本のいまの現状を含む世界っていうのの、ある意味カリカチュアにもどうしても結果的に見えてきてしまう、というあたりは……要するに一種、図らずも政治的メッセージをかなり強く含んでいるように見えるというのは、『グランド・ブダペスト・ホテル』に引き続き、という感じだと思います。

特に今回、たとえば政治的不正に対して、大人たちはその空気に乗っちゃっている中で立ち上がるのが、利発な学生たちっていうあたりとか。僕はやっぱり、日本の昨今の現実を連想せざるを得ないなという風に思って見ていましたけどもね。まあ、偶然かもしれませんが。とはいえ、シリアスな話ではなくて、架空のディストピアが舞台ゆえに、オフビートな笑いの切れ味っていうのは僕、過去最高潮だと思います。ギャグの切れ味は最高潮だと思います。これ、全ていちいち挙げていくわけにはいかないんですけども……つまり、微細な表情とか間で笑かすのがすごく多いんで。あと、たとえばパペットで全体を動かしているんだけど、3D的なというか、立体物で動かしているんだけど、それがテレビに映る時には、二次元アニメーションで映されているという、この位相の差・違いが生む、なんとも知れんおかしみとか。そういうところだったりするんですけど。

■「なんのために!?」と笑った精密な寿司シーン

で、白眉。僕が今回の『犬ヶ島』でいちばん頭がおかしいなと思って笑っちゃったのは、寿司を作る過程を、明らかに度を越した精密さで、ストップモーションアニメで再現する。「……なんのために!?」っていう(笑)。もうそれ自体がモダンアート的でもあり、それ自体が黒い笑いを醸し出すような感じ。これがすごく面白かったですし。あと、格闘シーンの、文字通り漫画的表現の……いや、「漫画的表現」って言うけど、モロに「漫画的」すぎるだろ!っていうこの振り切り方とか(笑)、本当におかしいですし。あと、個人的にいちばん笑ったのは、伝令役の黒フクロウがいるんですけど、黒フクロウちゃんが、クーって飛んできて止まって、ある重大なことを伝えようとしているんですけど……黒フクロウ、むっちゃ疲れてる!っていう(笑)。で、ヨボヨボと水を飲んでいるところとか、本当におかしくて。声を出して笑っちゃったところですけどね。

あと本作は、日本語と、その日本語を英語に訳す通訳っていう、この位相の差というのがまた、微妙なユーモアというか、おかしみを醸し出しているんですけど……野村訓市さんという方が、メイン以外の日本人の声はそれぞれiPhoneで録ってきて、それをそのまま使っていたりしているらしいですけど。で、そこの中の日本語的なユーモアで言うと僕、終わりの方で出てくる腎臓の手術シーンがあるんですけども、まず、俯瞰ショットで手術シーンをやるんだけど、あそこまでリアルに……これは寿司作りシーンと同じで、あそこまでリアルに臓器を作り込んで手術を見せるっていうこと自体が、なにか黒いユーモアを醸し出しているし。

そこで医師と助手が会話をしているんですけど……これ、たぶん英語圏の人はわからない感じだと思うんですけども、日本語として、日本の医療ドラマでもあまり聞かないレベルのリアルさなんですよ、ここは。「はい、切りまーす」「はい、ああ、よかったですね。腎臓、そんなに大きくなくて」「はい、閉じまーす」みたいな会話が、異常にリアルで。なんでそこだけ?(笑)みたいなのとかが、微妙にやっぱりおかしみがあったりする。

■とてもじゃないが一度や二度じゃ追い切れない情報量。ソフトも抑えたい!

個人的には、あえて言えば、活劇方向に……『グランド・ブダペスト・ホテル』がそっちの極に達したんで、今回は違うことをやりたかったのかもしれないけど。クライマックスはやっぱり、ちょっと拍子抜けするぐらいあっさりしていて。そこでやっぱり僕は、個人的には、そっから一気に、さらにもう1回、アクション的な広がりがあったりすれば、より満点だったかな。個人的にはね。まあ、『グランド・ブダペスト・ホテル』で、「あ、こんなストレートに血湧き肉躍る活劇、できるんじゃん!」っていうのを知ってしまっただけに、今回もちょっとだけ活劇要素を期待してしまったところがあります。ただまあ、今回はやはり、お話そのものというよりは、この架空日本の世界観、設定の奇妙な面白さと、それを具現化する画そのものの情報量と快楽とユーモア……そこに関しては本当に、過去最高値だと思うんで。まあ、そこがメインディッシュの一作かな、という風には思いますが。

ただ僕も二度だけ見ているだけなので、たとえばまだまだお話の寓意とか読み切れていないところもあると思いますし。これはとてもじゃないが一度や二度じゃ……もうかならずソフトも押さえたくなることは間違いなし。舐めるように味わい尽くしたい。間違いないウェス・アンダーソン・クオリティ。ぜひぜひ劇場で、そりゃあウォッチするでしょう。ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『デッドプール2』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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