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宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今週扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『ありがとう、トニ・エルドマン』!
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悪ふざけが好きで自由に生きる父と、故郷のドイツを離れ、ルーマニアのブカレストで仕事一筋に生きる娘。そんな娘を気遣う父がルーマニアを訪れたことから起こる、おかしくも心温まる心の交流を──そんな生易しいもんじゃないんですけどね──静かなコミカルタッチで描き出していく。監督・脚本は『恋愛社会学のススメ』のマーレン・アデ。第69回カンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。結構、パルムドールが期待されていた級らしいんですけど。非常に人気も高かった。第89回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた作品でございます。
ということで、『ありがとう、トニ・エルドマン』を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、いつもよりちょっと少なめ。ねえ。こういうミニシアター系は……まあ、しょうがないんですけどね。(公開)規模が小さいからしょうがないって言えばしょうがないんだけど。でも、ミニシアター系というか、ぶっちゃけ「大人向け映画」になると減るという傾向、いかがなものか?っていうね。これ、だって送っているのは大人の人たちなんだからね、とは思いますが。
賛否の比率は8割の人が「賛」。「映画館であんなに爆笑したのは久しぶり」「全体的なトーンはシリアスなドキュメンタリー調なのが意外だった」「背景にはちゃんとシリアスな社会情勢も描き込まれていた」などなどの声があった。一方、「父親が仕掛けてくるイタズラに本当にイライラしてしまった」。それはもう同意。「禿同」でございます。「上映時間162分は長い」といった苦言もチラホラ。これ、ちなみに長さに関して言えば、とにかく120時間分ぐらい素材があって。それを1年半かけて編集して。で、マーレン・アデ監督も当然、コメディーというかコミカルな話だし、もうちょっとコンパクトにしたバージョンの編集も作ったみたいなんだけど……そうするとやっぱりこの映画のある大事なテイストが失われるという感じで、現在の162分にしたというようなことらしいですけどね。
ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。「山本彩」さんからのメールでございます。「今週評論される『ありがとう、トニ・エルドマン』、私は去年の9月にパリの映画館でフランス語字幕、本編ドイツ語・英語でどの言語もわからないまま見たのですが、ドカンドカン受ける観客と一緒に笑いながら見て、エンドロールになったところで立ち上がれないほど泣いてしまい、場内が明るくなっても涙が止まらずとても思い入れの深い作品となりました。私はいま32才ですが、一人っ子の一人娘で、この映画の(中の娘である)イネスの、お父さんが娘の前でおどけるウザさ、でも自分のことを大切に思ってくれていることもよくわかっている、という気持ちがあまりにもよくわかってしまい、これは全世界の一人娘がウザさに震えたり、うっかり泣いてしまう映画だと本当に思いました」。ウザいと思って、でも突き放しきれもせず、みたいなね。こっちだって大事に思っているんだよ、みたいなね。で、いろいろと書いていただいて……。
「……私がこの映画のいちばん好きなところは、イネスが仕事を辞めないところです。転職先も(マッキンゼーなど同じような業種で)。イネスにはイネスの大切な仕事があり……」。要するに、「仕事仕事でギスギスしちゃっているんじゃないの?」っていうのがお父さんから受けるメッセージなんだけど、それに対して仕事を辞めることはない。「……イネスには大切な仕事があり、パパは心配はしつつも、イネスの心や価値観や人生を縛りはしていないところ。ヴィンフリートは誕生日を祝いたいだけで、娘に安心して眠ってほしいだけで、ご飯を食べているかを気にかけて。結婚や子供といったことは口にしません。もし、そこまで言及してしまっていたらこの映画を全く好きになれなくなっていたと思います」。たしかに! そうだよね。「お前、結婚しないのか?」だの何だの、そんなことは言っていない。
「……そういう部分をセリフにはしすぎず、けれど大人同士になった父娘の間にある気まずさ、存在しても言葉にしない愛情を間の演出で描いている素晴らしい映画だと思いました。もうトニ・エルドマンには会えないのかもと思いながらパリで爆泣きしていたので、日本公開が本当にうれしかったです」ということでございます。非常に貴重な機会に見たんじゃないですかね。
一方、ちょっとダメだったという方。「ワイルド子分」さん。「前評判がすごい高い映画だったので、期待して行きました。結果としては、今年いちばんガッカリしました。ガッカリどころか、大嫌いです。今回のテーマは『ユーモア』だと思うのですが、そもそもこのテーマが複雑なものであると思います。ユーモアは人によって感じ方が違います。私の中でのユーモアはTPOを踏まえて、適材適所で行ってはじめて意味があるものだと思っています」と。で、とにかくユーモアの感覚が合わなかった。「……この映画のトニ・エルドマンは、私にはユーモアの押しつけにしか見えませんでした」と。いや、それ全然間違っていないですよ。全然間違っていないですよ。「……娘が仕事で悩んでいるから励ましたいというのはわかりますが、親父の行動を見ていて面白さよりも苛立ちの方が勝ってしまいました」というね。いや、僕はでも、そこで苛立つのは全然間違った反応じゃないと思いますよ。
ということで、『ありがとう、トニ・エルドマン』。私もシネスイッチ銀座……結構久しぶりに行きましたが、シネスイッチ銀座で2度、見てまいりました。非常に高い前評判……あと先週、結果ガチャが当たったリスナーメールにもあったように、この番組の単行本になったコーナー「ババァ、ノックしろよ!」ならぬ、「ジジィ、ノックしろよ!」物件だと。あと、コミカルなんだけど、現代の世界の社会情勢みたいなのも織り込まれているという、非常に重層的な作品ですよという、そのようなことがメールに書いてあったんですけども。その程度の前情報だけで初見時、1回目は割とまっさらな状態で僕も見に行ったんですね。なので途中、何度か本気で驚いて。劇場で「あっ」って思わず本気で、結構大きな声を出してしまったというぐらい(笑)、本当に驚いてしまったという場面が何度かありました。

脚本・監督のマーレン・アデさんという方。この『ありがとう、トニ・エルドマン』は長編映画三作目で、過去作で日本で劇場公開されてソフト化みされているのは、この前の作品にあたる『恋愛社会学のススメ』という2011年の作品だけなんですけども。これもベルリンで二冠をとっていたりして、非常に評価されていて。言ってみれば、倦怠カップル物というか。「私たち、理想の仲良しカップルよね」ということを常に大げさに振る舞って、ある意味それを演じることで円満を保っているカップルが、より自分らから見て理想的に見える、非常にコンプレックスを刺激されるカップルを前にした時に、その自分たちの演技によって取り繕っていた部分が、ちょっと浮かび上がっちゃうみたいな、すごく意地悪かつ、めちゃめちゃ面白い作品でございましたが。『恋愛社会学のススメ』。
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で、少なくとも僕が現状見られている二作に関しては、共通するタッチというのがあってですね。基本、先ほど(リスナーメールに)「ドキュメンタリー調」ってありましたけども、とてもリアリズム志向というか。終始手持ちカメラで、それも割と自然な手持ちカメラ、あんまり動かしすぎない手持ちカメラで。作中の現実音として流れる以外の音楽……要は、感情を修飾するため、ドラマを盛り上げるためのいわゆる劇伴は流れないというような。で、役者たちの演技も限りなく自然主義的なというか、自然な方向で……本当にその場で起こっていることをそのまま映し取っているような、ほとんどドキュメンタリックでもあるようなという、そういう自然主義的な、リアルなタッチで基本進む。つまり、わかりやすく戯画化されたコメディっていうか……たとえば、アメリカン・コメディとかのそういう、要するに親切にエンタメ化されたコメディではなく、ということですね。
なので、さっきの「お父さんの振る舞いが直接的には笑えない」っていうのは全然僕、間違っていないと思うんですよね。そういう風に作ってある映画だと思います。まあ、そんな感じでリアルタッチで基本は進むんだけど、たとえば前作の『恋愛社会学のススメ』でも、ずーっとリアルなタッチで進むんだけど、クライマックスで思わず……本当、それこそ「あっ」って思わず見ていて声をあげてしまうような……。さっきから言っている、リアルな日常性みたいなものから、文字通りちょっと「飛躍」するような行動を登場人物が取る。それもあくまでリアルなタッチの物語の枠組み内で、その飛躍的な行動とか出来事が起こるので、余計にショッキングというか。本当にそういうショッキングなことが起こったように見えて、「あっ」ってなるという感じですね。
で、その飛躍するような行動を登場人物が取ったことで、それまでのリアルな日常性の水面下に、うっすら見え隠れしていたような、たとえば人間関係のある種の欺瞞だとか、軋轢だとかみたいなものが、その飛躍する行動によって、一気に新たな動きを――「打開」と言っていいかはわかりませんけども――新たな動きに向かっていくというような、そういうような作りになっている。で、その『恋愛社会学のススメ』の次作にあたる今回の『ありがとう、トニ・エルドマン』もまさにこういう感じの、いま僕が言った通りの作品ですよね。手持ちカメラ。劇伴はない。音楽は流れない。ただし、作中で流れる現実音としての音楽は、これ『恋愛社会学のススメ』もそうだったんだけど、実はその選曲の仕方とかが物語上非常に大きな意味を持っていたりもするというのがあるんだけど。まあでも、要はフィクションとして流れる音楽は流れない。
で、尋常じゃない回数のテイクを重ねる。非常にテイクを重ねる人らしいんですね、マーレン・アデさんは。ものすごい何回も何回もテイクを重ねて、要は自然な深みを持つ演技を引き出して……という。なので要するにとにかく、基本リアリズムで進む方向なんだけど、そこに、ほとんどもうシュールでさえある日常性からの飛躍。そういう日常性から飛躍するような、突拍子もない出来事が起こるということで。ただまあ、今回の『トニ・エルドマン』はですね、その前作の『恋愛社会学のススメ』からさらに、その起こる飛躍がですね、わりと派手めというか、かなりぶっ飛んでいてですね。なおかつ、特に終盤に向けて、グイグイとそれが加速していくというか。
要は、普通だったらこの、ある飛躍があったら、それがクライマックスのピーク……普通の映画だったら、ここらへんがピークなのに、さらにそれを上回る飛躍が、何段階も用意されている。だから何段階も「あっ」「ああっ」って……俺、だから何回も「あっ」「ああっ」って、何回も声を出しちゃったっていうね(笑)。そういう日常性からのジャンプポイントが何個も、しかもどんどんどんどんド派手になっていくのが用意されているという。なので、できれば初見時はこれ、僕と同じ思いをみなさんにもしていただきたい。できるだけまっさらな状態で、本当に「あっ」って声をあげていただきたいし。そのためにはできることなら、ポスターとかパンフレットのアートワークとかも見ないように行った方が……少なくとも、見ないのは無理としても、あんまりそこに映っているものとか書いてあるものが何なのか、気にしないように(笑)。「知らない知らない知らない!」っていう感じで(笑)見に行っていただきたいぐらいなんですよね。そうした方が、やっぱりクライマックスがより新鮮に驚けると思うので。
ということで、これから先もできるだけちょっとね、決定的なことは言わないように気をつけて話していきますが。まずこの映画、本当に先ほどのメールにもあった通り、さり気ないリアルな会話の端々とか、ちょっとした行動、あるいはかすかな表情とか目線の変化とか、そういうところから多くを物語るというのが、本当に上手いですね。直接的な説明セリフとかじゃなく、いろんなことがわかってくるし、いろんなことが見えてくるし。それはたとえば、登場人物たちが置かれている状況、これまでの人生みたいな、そういうシチュエーションももちろんそうですし……簡単には割り切れない人間関係。たとえば父と娘のね、先ほどのメールにもあった通り、これはやっぱり、それなりの年齢になった……僕がもし一人娘だったら、より親身に感じるところもあるんでしょうけどね。そういうちょっと、簡単には割り切れない人間関係であるとか。
あるいは、世代論的なこと。このお父さんはいわゆる1968年世代という、要するに反体制的な動き、カウンターカルチャーが華やかなりし……だからああいうちょっと、世の中から外れた価値観というものをいまだに通しているというか、ちょっと理想主義的なところが残っているお父さん。全然人間性は違いますけど、だから日本でいう団塊の世代だって考えると、あの『葛城事件』の葛城清にもしあれだけの、トニ・エルドマン級のユーモアがあれば(笑)、ウザくても、もうちょっと何とかなっていたかも……そういう話かもな、なんて思ったりしましたけど。そういう世代論も見えてきたりとか。
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あるいは、これですね。やっぱり権力構造。たとえば、仕事関係の間で少しずつ浮かび上がる、「ああ、ヨーロッパでもやっぱりこういうところは根深くあるんだな」というような、性差別的な構造であるとか。ひいてはやっぱりいまの世界情勢。たとえば、グローバル社会、グローバル資本主義が世界を席巻している状態の社会であるとか。あるいは、「ルーマニアという国はいま、こうなっているんだ。あのチャウシェスクの……」っていう、ルーマニア(の現在の状況)とか、そういうことまでが本当に普通の会話シーンの中から、本当に自然に立ち上ってくるという作りになっていて。非常に実は、脚本も演技も、注意深く練られているなというのがわかりますよね。
たとえば、娘のイネス。事実上の主人公イネスが、バリバリ仕事をこなしながらも絶えず感じている、溜めこんでいるストレス。そしてそのストレスの、おそらくこれが源であろうという部分が、直接的な説明セリフではなく、これはサンドラ・フラーさんという女優さん……非常に複雑極まりない感情が去来するキャラクターを、見事に体現というか。本当に「単色じゃない」んですよね。彼女がいま感じていることでさえ、単に悲しい、単に腹立たしいだけじゃない、そういうのを見事に演じている、その名演。こちらにもキリキリするような切実さをもって伝わってくる、というのもありますし。
途中彼女が、これは細かくは言いませんけど、いろいろと散々なことがあった挙句、ついに……でもね、カメラには背を向けた状態なんですよね。要するに、彼女がついに泣くんだけど、そこを大げさに盛り上げているわけじゃない分……カメラに背を向けて、ついに、ちょっと耐えられないという感じで、むせび泣いているところとか。その抑えたタッチも相まって、本気で背中に手を当ててあげたくなるような、そんな切実さを持っている。
と、同時にですね、クライマックスで、さっきから言っているある飛躍が来るわけですけども。その飛躍をちょっと予感させるような、「やっぱりこの父にしてこの娘ありだな」っていうような、ちょっとぶっ飛んだ資質があるぞという……この父とこの娘は本当はちょっとは似ているのかも、っていうところも実は予感させながら、みたいなバランスもね、上手く伝えていたりとかですね。まあ、一方のお父さん。このペーター・ジモニスチェクさん演じる、ヴィンフリートというお父さんね。これはマーレン・アデ監督のお父さんが結構、入れ歯をつけたり外したりするギャグを得意としていたらしくて(笑)。完全にお父さんがモデルらしいんですけど。
まあ、冒頭の登場シーンからして、もうウザ面倒くささ全開の……はっきり言って、さっきのメールで「腹が立った」っていうのももちろんで、特に現実にこんな人がいたら、絶対に嫌ですよね。はい。ウザ面倒くささ全開のキャラクターなんだけど。その彼が要は、入れ歯をつけたり外したりするっていうくだりだけで、ウザいしあれなんだけど。「もう汚えな! なんなんだよ、その入れ歯!」、しかも、「いまつけたばっかりだろ? もう取るのかよ!」っていう(笑)。で、ポケットにこうやって入れて……っていう、この動きを繰り返すだけで、まあおかしいんだけど。ただね、このキャラクター、いくらでもわかりやすくコミカルに、「いかにもコメディ」調にデフォルメして描くことも、いくらでもできたはずのキャラクターですよね。で、その結果ありがちなエンタメっていうか、わかりやすいコメディ映画、エンタメ作品に落ち着いてしまいそうにもなるところを、やっぱりこの映画『ありがとう、トニ・エルドマン』では、リアルな存在感、心情にあくまでも根ざしたところっていう、そこだけはブレないで描いていると。
たとえば、要はトニ・エルドマンというオルター・エゴになって、本当にはた迷惑な感じで、娘からすれば、「私の一生をめちゃくちゃにする気? キャリアをめちゃくちゃにする気?」っていう感じであちこちに図々しく現れて、娘を混乱させるお父さんなんだけど、ある夜。やっぱり娘の荒れた心情っていうのを、結構直接的に目の当たりにしてしまったその夜に、お父さんはお父さんでちょっとショックを受けているという。で、暗い部屋の中でしょんぼりしている、みたいなそのくだりとか、要はどれだけこのお父さんが奇矯な行動を取っていても、その根幹には娘を思うリアルな親心、心情があるんだっていう視点も、しっかりブレずに、常にそれを持っていたりするので。だから、さっきから言うように、極端な話、そのトニ・エルドマンのおどけそのものは笑えなくても、全然構わない。むしろ彼は、彼が意図していない、気まずいコメディ構造のところでおかしいのであって、彼のギャグそのものはおかしくも何ともないですよ。
あとですね、いろんな微妙なところを伝えるのが上手いという意味で言うと、そのイネスが勤めているコンサルタント会社の上司とか同僚、あるいは仕事相手である大手石油企業の人々というのは、たしかにさり気なく、でもやっぱり露骨に、たとえば性差別的だったりとか、あとはグローバル資本主義の非情なというか、非人間的な論理を振りかざしてきたりとか。そういう、ちょっと嫌なものの象徴ではあるんだけど。ただ、それが……英語・ドイツ語交互に飛び交う会話の塩梅なんかもね、わりと「いまのヨーロッパ」映画っていう感じで、すごく面白い。その英語とドイツ語の塩梅も非常に興味深い。だけど、ただその会社の人たちとかも、必ずしも単純化した、つまり「単色の悪」として一緒くたに描くこともしていないわけです。そういう、わかりやすい図式化を巧みに避けているところに、非常に大人を感じる作品でもありました。「大人だな~」っていうね。
逆に言えば、ハリウッド的な、親切な話法、要するに「この人はこういう色、この人はこういう色」っていうのがはっきりしている親切な話法に比べると、ある程度集中して画面を、そしてキャラクターの行動とか心情とか表情とかを読み取ることを……まあ、集中することがある程度要求される作品ですので、そこんところはそのつもりで行かないと、なんの話をしているのかよくわかんないって思っちゃう人が出ても、おかしくはないかなと思いましたけど。(こういう語り口に)慣れていないとね。ということで、非常に心に残る、記憶に残る名場面がたくさんある映画なんだけど、そここそがいちばんヤバいネタバレポイントだったりするので(笑)、これ以上どう踏み込もうか私も悩みながら話していますけども……。
たとえば、やっぱりお父さんのオルター・エゴであるトニ・エルドマンというね。これはアンディ・カウフマンという、アメリカの亡くなってしまったコメディアンの(演じたオルターエゴである)トニー・クリフトンというキャラクター。これ、『マン・オン・ザ・ムーン』という映画で、ジム・キャリーが非常にわかりやすく演じているので、これぜひ見ていただきたい。僕、アンディ・カウフマン大好きなんですけど。アンディ・カウフマンにおけるトニー・クリフトンにインスパイアされたという、トニ・エルドマン。それが映画中盤で、本格的に登場するわけです。冒頭でもね、「トニ!」とかって出てきますけども。(中盤の)本格登場するシーン。
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ここ、僕が最初に「あっ!」って言っちゃったところなんですけども(笑)。本当に絶妙な角度から……たしかに後ろに何かモゾモゾしている人はいるんだけど、ちょっと予期せぬ距離の詰め方で、ガッと来るので、「あっ!」ってなってしまうという。で、ひとしきり気まずすぎる会話を交わした後で、画面の奥の方でまだ、机とかをガタガタ、ギーギーやっていたりするのとか(笑)、もう本当にリアルないたたまれなさで。本当に笑える場面だしね。あと、やっぱり勇気を出してちょっとだけ踏み込んで言及しますが、さっきも言った、日常性からの飛躍ポイント。本作で言えば、娘イネスの心が解放されるポイントが、終盤に向けて何段階か用意されている。クライマックスがもう、三段構えぐらいで用意されているんですけど。
つまり、サービス満点な映画でもあるんですよね。もう三段階で盛り上げてくれる。まず、その第一段階として……これはまさにこのコーナーでもちょっと前に扱いました、非常に絶賛しました、『SING/シング』にも近い、「歌の力」というシーンですよね。ここでの選曲の妙というか、ハマり方。特にやっぱりその、元々のあの名曲……もう、「あの名曲」ですよ。僕、あの曲が本当に、たしかに大好きで。特に歌詞が素晴らしいって前から思っていたけど、あの曲自体の良さを本当に際立たせる、物語・心情とその歌詞の完全なシンクロね。しかも、その様子が……お父さんは音楽教師だったわけですね。しかも、音楽教師で、おそらく最後の教え子にも去られた直後の音楽教師。そのお父さんとイネスは、かつてはこうやって、少女の頃は、この歌をまさに歌って、それが家族の団欒だったんだろう、っていうことまで浮かび上がってきて。ここだけでもう、涙腺決壊の場面ですよね。「ウウーッ!」ってなる。
で、普通ならもうここで十分にクライマックスなんですよ。もう全然ここで切り上げたっていいのに、この後にこの『ありがとう、トニ・エルドマン』は、さらにさらにぶっ飛んだ飛躍、クライマックスが二段構えでやってくる。上司や同僚、友人らを招いて誕生パーティーの準備をしている娘、イネス。だけど、ちょっとなんか、わかりますよね? いろんなことが上手くいかなくて、だんだんイラつきが累積していく。それを背中で……手に取るようにわかる。背中でもう、イライラが溜まっていく様がわかるなと。で、それがある一線、ついにある閾値を超えた瞬間、誰もが口あんぐりの、ある爆笑展開が待っている。トーンもタッチもテーマも全然違うけど、僕はヨーロッパ人……普段は取り繕っている近代人としてのヨーロッパ人が逆ギレする、というあるひとつのスタイルとして、パゾリーニの『テオレマ』っていう映画があるんですけど、『テオレマ』の――これもちょっとネタバレになっちゃいますけどね――を、ちょっと連想しましたけどね。はい。
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ここで要は、社会におけるロールを演じるっていう、いわば役をいったん取り払うという……ずっと彼女は「演じて」きたわけですね。その演技を全部捨てるという。なんだけど、振る舞いは普通っていうところがおかしいんだけど……そのイネスの試みによって、それまではよく見えていなかった周囲の人間の、まさしく単色ではない本質。だから、すごく嫌な人だと思っていたけど、そうとばかりも言えない。もしくは、こいつはやっぱり本当の友達じゃなかったとか。あるいは、あんまり彼女が気にも留めていなかったある人の、とってもいいところっていうか。「彼女はあなたのことをよく見ていたんだよ」っていうようなことが浮かび上がったりとか。とっても面白いし、感動的だし。ここだけでももう十分以上にクライマックスなのに、さらにそこから想像を遥かに超える、「あるモノ」が現れる。
ここもびっくりして笑えるんだけど、やっぱりちょっと悲しい、胸に迫る場面へとだんだん……要するに、同じ一連のシーンなんです。このパーティーのシーンは。同じひとつながりのシーンなのに、少しずつ醸す情感が変わっていくという。ここも見事なあたりですし。特にその「モノ」の後をですね、イネスが……モノが去っていって、そのモノの後を追いかけていく。そこで、非常にドキュメンタリックな撮り方をしているので、一見偶然に映り込んだように見えるんだけど、そのモノの後ろを、少女が興味ありげに追っかけていくわけですよ。これ、明らかにドキュメンタリックで偶然に見えるけど、もちろんこれはおそらく計算済みの演出でしょう。要するに、かつてイネスもこの少女のように、お父さんのおどけとかおふざけに、キャッキャとなついていた時期があるんだと。その記憶と気持ちが一緒に、一気に戻ってきたかのように、その少女が追っかけているところからの、イネスがその少女を追い越して……という。もうね、もうこれは「席から立てないほど泣く」というのももちろんわかります。
でも、ちゃんとその後に、間抜けそのものなオチもつくという(笑)、見事なもんでございます。そこからさらにね、ラストシーン。実は僕はここがいちばんグッと来た。最後の最後、イネスが、娘がある表情をする。父と完全にわかり合えた。なのに、ちょっと悲しげでもある。これ、僕の解釈なんで……非常にオープンなラストなので、これはあくまでも僕の解釈だということで聞いてほしいんだけど……まあ父の言う通り、「過ぎ去ってから人生の大切な瞬間というのは価値がわかる」というね。まさにそのことそのもので。要するに、お父さんのことを完全に理解しきる「大人になった」自分。つまり、彼のおどけに付き合って、なんなら彼を喜ばせる行動を取ってあげている自分。つまり、「お父さん、ウザい!」の極地に思えた、あのルーマニアでの数日こそ、最後の「子供と親」の日々だったという。
「ジジィ、ノックしろよ!」「ババァ、ノックしろよ!」と言えているうちは、実はまだ子供の時代で。それがもう過ぎ去ってから、ああ、あのルーマニアの日々はもう二度と戻ってこないんだ、っていう。つまり、成長しきった自分の……それはいいことなんだけど、ちょっと悲しさも残る、というような、そんな余韻。あのラストの終わり方が、本当に僕、好きですね。この作品ね。ということで、リアルだけどシュール、コミカルだけどシリアス、ホームドラマだけど社会派というね。非常に豊かな味わい。たしかにメールにあった通り、いろんな多層な味わいを持ちつつ、でもこれがすごい。「誰でもコミットできる面白さ」にも満ちた……そりゃあこれ、評価されますよね。高評価だし大ヒット大人気になるのも当然の……「あ、なんだ傑作か」(笑)っていう作品でございました。ネタバレできずに辛い(笑)。またまたこういう評になってしまいましたが、ぜひぜひ劇場で。おすすめでございます。ウォッチしてください!
(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ライフ』に決定!)
以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
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