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宇多丸、『SNS -少女たちの10日間-』を語る!【映画評書き起こし 2021.5.7放送】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

さあここからは、私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、423日から劇場公開されているこの作品、SNS 少女たちの10日間』。

(曲が流れる)

成人女性が、未成年という設定、「12歳の少女」という設定のもと、SNSに登録するとどういったことが起こるかを検証した、チェコのドキュメンタリー作品です。18歳以上の3人の女優……女優というか、オーディションで集められた女性、プロじゃないですね。オーディションで集められた女性が、「12歳の少女」という設定で、SNSで友達募集をする。その結果コンタクトを取ってきたのは、2458人もの成人男性……だけじゃなくて、340人は女性もいたということみたいですけどね。

彼らの未成年に対する欲望の行動は徐々に……徐々にか? いきなり!っていう感じもあるけど、エスカレートしていく。監督は、ドキュメンタリー作家のヴィート・クルサークさんとバーラ・ハルポバーさんでございます。チェコでは大ヒットを記録するだけではなく、児童への性的搾取の実態を捉えた証拠として警察を動かし、あるいは、一部の行政機関が動いて、このリテラシー教育みたいなところに力を入れるというような動きがあったりして、現実をわりと、どちらかといえばポジティブな方向に変えた、というような実績もある作品でございます。

ということで、この『SNS 少女たちの10日間』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「少なめ」。これね、緊急事態宣言下で都内で2館しかやっていませんし。これはしょうがないですね。賛否の比率では、「褒める」というよりは「見てよかった。この映画が作られてよかった」というニュアンスの肯定的意見がおよそ半分。「これはダメ」と明確に否定してる方が3分の1ぐらいはいらっしゃいました。全体的には「内容、もしくは映画の手法にモヤモヤした」と割り切れない意見も多かったです。

主な褒める意見としては、「見終わった後には心底げんなりしたが、こうした問題にみんなが向き合うきっかけになればよい」などがございました。一方、否定的な意見としては、「中盤に出てくる青年の扱いや終盤の展開、とある仕掛けなど、ドキュメンタリー映画としての手法に大いに疑問がある」とかですね、「問題の原因や解決には向かわず、上辺をなぞるだけ」とか、「この映画自体が性的虐待の二次加害なのでは?」といった意見までございました。また「ネットリテラシーを学ぶための映画として、万人が見るべき」という意見と、「人に勧めるには注意が必要」と相反する声も多かったという感じでございます。

「見終わった後に嫌でも考えさせる時点で、この映画を作った意味が大いにある」byリスナー

代表的なところをご紹介しましょう。「タイガーます子」さん。

「映画が終わった後のトイレで、『やだー気持ち悪~』と女子トークが炸裂してました。実際に鑑賞すると、予想以上のゲスな内容に、12歳の少女を演じている女優同様、観ているこちらも疲弊してきます。私は女子校出身で、近所の変態オヤジが昼休みに下半身モロ出しで現れたり、学校近くで追いかけられたりしたこともありました。なので、今回の作品に出てくる変態野郎共も、そういう類なんだろうと思っていましたが、見終わる頃にはちょっと違うような気もしました。

どなたか評論家の方が書いていたと思うのですが、これは小児性愛ではなく、『支配欲』なのではないかと。よく聞く『弱い者が更に弱い者を叩く』といった構図と考えた方が個人的には腑に落ちます。どうしたら社会の歪みから子供たちを守ることができるか、見終わった後に嫌でも考えさせる時点で、この映画を作った意味が大いにあると思いました。所々、あまりの間抜けさに吹き出してしまう場面もありましたが、とにかく体と気を張りまくった3人の女優さんの勇気ある演技に拍手を贈りたいです。この問題作、全国の学校で上映すべし!」といったご意見。

一方、「名無し猫」さん。

一生分のモザイクを見た気がします。想像以上にキツく、気分が悪くなりました。上映後の女性トイレで明らかに吐いている音が聞こえて、『ひょっとして映画のせいか?』と心配になりました。

監督のインタビューで『政治家がサーバ環境の犯罪取り締まり強化を決定した』『文部省が性教育のカリキュラムを改定した』などとあった通り、大変意義のある映画だし、カフェも含めてあれだけのセットを作り上げたのは素晴らしいとは思ったのですが、疑問点もいくつかあります」……ということで、この方が挙げていらっしゃる疑問点は、まさに私も抱いた部分なので、これは私の評の中で後ほど挙げさせていただきます。

一方で、こんな意見もございました。ちょっとこれは一部抜粋というか。省略しながらのご紹介で申し訳ございません。

ラジオネーム「ヴァンダム」さん。

「初投稿です。池袋シネマ・ロサで鑑賞しました。感想は否です。SNS上での児童虐待をテーマにしているのにも関わらず、12歳役を演じる3人の女優やスタッフ、監督、誰一人としてSNS上での児童虐待問題を深刻に捉えていない、最悪の映画でした。チャットをする男たちが彼女らに要求してくる事に対して、女優の3人や監督達がしっかりと対応ができている様には全く見えませんでした。

僕自身、幼い頃に虐待を経験しているので、監督やスタッフたちが事態が悪化していくのを楽しんでいるように見え、殺意を覚えるほどに怒りを感じました。SNS上での児童虐待をテーマにしていますが、被害者側が受けた恐怖を監督たちが理解しているとは思えないし、自分たちの薄っぺらい正義感で加害者を断罪したいだけで、その結果が被害者側を傷つける事になっても構わないと監督たちは思っていたんじゃないか、とすら感じました。確かに劇中に出てくる加害者側の男たちは最低最悪ですが、僕には監督たちが、被害者側も加害者側もどちらも笑い者にしてしまう、その無神経さが加害者側と同じか、それ以上に被害者側の人たちを深く傷つけているかも知れないと、しっかりと理解するべきだと思います。僕にはこれは、偽善ですらない、ただの自己満足的な映画としか思えませんでした」

という、大変厳しい意見ですし、その当事者のお一方としての意見ていうのは、やっぱり僕らはそう簡単にね、「わかった気」になっちゃいけない部分でもあって。そうか……という感じがいたしました。ありがとうございます。皆さん、メールをいただきました。

■見るに堪えない出来事の連続。万人におすすめはできない

さあ、ということで私も『SNS 少女たちの10日間』、キネカ大森で2回、見てまいりました。緊急事態宣言下、そもそも営業してる映画館自体が少ない中、本作の上映館は、ここと池袋シネマ・ロサの2館だけだったということもあるのか、非常に僕が行った回、さまざまな客層、老若男女、ほぼ満席でした。もちろん本作が、日本とも無縁ではない問題を凄いやり方で切り取ってみせた、社会的にも非常に注目度の高い話題の一作である、ということも一番大きいんじゃないかと思います。

構図は極めてシンプルで、先ほどから言ってる通り、12歳の少女という設定のアカウントを各種SNSに作り、そこに性的な目的で群がってくる大人たちが、どのように子供たちへアプローチしてくるのか」を、実際にはもちろん成人している女性3人と、子供部屋を模したセット、そして当然の如く、出演者側への専門家のケアという体制を整えた上で、つぶさに記録していく、という。まあ、カジュアルな言い方をすれば、リアリティショー的なつくり。しかし、そこから浮かび上がってくるものの巨大な深刻さからすると、一緒の社会実験と言ってもいいような試みをしている。そんなドキュメンタリーなわけですよね、この『SNS 少女たちの10日間』は。

なんのためにこれをするのかといえば、もちろん大義としては、インターネットを使うこと自体はもちろん避けえない現代の子供たちが、今、現にさらされている性的虐待のリスクに注意を喚起するため……という言い方ができると思います。ただですね、この映画の本題の部分でもありますが、本当にね、言葉を失うような、まさしく本当に見るに堪えない出来事の連続。これ、作り手たち自身も、ここまではっきり犯罪性の高い連中がぞろぞろ出てくるとは予測してなかった、というようなこともインタビューなどで答えていて。ゆえに、後ほどどうなったのか、詳しく言いますけど、最終的には警察の捜査が入って、一部は起訴され、判決が出るというところまでは行ったりした、ということなんですけど。

まあこれ、どう考えてもチェコ固有の現象なわけがなくて。世界中で同じ試みをすれば、同じように……それか、もっと酷いことになることは間違いない。無論、日本でも、もっともっと酷いことになってしまう気もする、という。要は、まったく他人事ではない件ですよね、間違いなくね。ということだけに、非常に映像的に、えげつない映像……要するに出てくる男たちが最悪なんだけど、それにしても、ここまで映す必要があるのか?というレベルでえげつない映像も映るので。そういう意味では、万人におすすめはできないですね。

特に、やっぱりそういう性的虐待であったり、嫌がらせとかに対する経験があるという方には、安易におすすめできない部分がある。そういう意味では、大抵の女性であるとか……まあ、女性に限らずなんですが。というところはあるんですけれども。あと、これは後ほど言いますが、手法とかやり方に関して、疑問もやっぱり、僕自身もあります。ちょっと後ほど、これは言いますが。ただですね、僕はやっぱりこの作品を見てよかったという部分が、私側の立場の見方からひとつ、あるなとは思っていて。

性的搾取の主体としての「普通の男たち」こそ、目をそらさず向き合うべきものがここには映っている

それはやはり、先ほどTBSアナウンサーの山本匠晃さんも仰っていましたけど、特にやはりその性的搾取というものの、現状の社会における「主犯」たる我々男性こういう言い方をさせてください。まあ今回の映画の試みで言えば、あの12歳の少女にコンタクトを取ってきた2458人の成人たちのうち、女性は340人だったという。まあ、同性愛者の方も含む、という。で、劇中でもね、クライマックスで実際に会うというシークエンスで、1人ね、男女のコンビっていうのが出てきたりしますけども。でも、とにかくやっぱり現状の社会では、その性的搾取側になることがやはり圧倒的に多いことはもう明らかな、我々男性こそ、その性的搾取の主体としての男性こそ、目をそらさず向き合うべきものが、僕はここには間違いなく映っている、という風に思いました。

実際この作品は、女の人が見て間違いなく不快になるようなもの、言動が山ほど出てくるわけですけど、それは同時にですね、要は我々男性観客に、自分たちの中の最も醜い部分、恐ろしい部分、卑劣な部分、とにかく自分たちの中の最悪の可能性を、最悪の形で鼻先に突きつけられる、というような体験でもあってですね。正直これはだから、たぶん女性とはまた違った意味でもう、いたたまれないような、キツい映画でもある、という言い方ができると思いますね。映画.comのビート・クルサークさん──こちら、男女の監督、2人のコンビなんですが、その男性の方の監督──のインタビューでも、「同じ男性としてとても恥ずかしく思います。映画館でこの作品を見た知人からは『見終わってトイレに行って自分の性器を見てドキッとした。恐ろしくなった』と言われました。まさに私も同じ気持ちです」って言っている。これ、僕もまさに、キネカ大森のトイレで「うわっ……って。なんかこう、自分の性そのものに対する嫌悪というか、そういうものが湧いてくるぐらいの感じが、やっぱり実際にあったんですよね。

で、もちろんその、映画に出てくる連中というのは本当に、僕を含め大抵の男性が見ても、もちろん言うまでもなくはっきりおぞましい、最低のやつらで。「あんなのと一緒にするな!」で終わらせたいのは山々なんですけども。やはりですね、その彼らを、特別な、異常な、怪物的存在として「別枠」にくくって済ませては、それこそがダメだという風に思う。しかも、それは実際に違うわけなんですよ、彼らは。というのは、劇中、性科学者の女性が指摘していて「なるほど」と思ったのは、その自称12歳の少女に、性的アプローチを特に恥じもせずしてくる主に大人の男たちというのは、意外にもと言うべきか、いわゆる小児性愛者(ペドフィリア)の特徴には、当てはまらない。要は割とこれ、「普通の男たち」ですよ、っていうことが出てくるわけですね。

ではなぜ彼らが、その少女にわざわざ群がるのかといえば、これはこの実験が始まって……つまりその本題が始まって、劇中で、次から次へと出てくる男たちの、本当のそのクソみたいな言動から嫌でも分かってくることなんですけど、要はどいつもこいつも、やっぱりと言うべきか、女性から性的に搾取すること、あるいは女性を支配することしか考えてない。なんなら、搾取したり、支配することにこそ性的興奮を覚えているようですらあるような、そういう了見の連中で。

その意味で、思春期の少女……判断は未熟だが、好奇心と、あと親とか先生が押し付けてくる規範に対する反発だけはめちゃくちゃ旺盛という、要するに非常に危なっかしい存在だからこそ、彼らにとってはコントロールしやすいし、自分の都合のいい方に導いて搾取しやすい、格好の対象という。だから少女に行く、っていうことであって。つまり、本質として、女性を内面がある1人の人間としてちゃんと考えようとしない、捉えようとしない。そういう考えが根本にある。つまり、大きく言えばやっぱり、根本にあるのは女性蔑視視点だ、という風に思います。少女に限らず、っていうことだと思う。

人を性的搾取の対象としてしか見ない男たち、彼らの顔面を覆う「ぼかしマスク」の効果

次々と登場する男たち……要は、実際全く、「会話になっていない」わけです。少女側が何かをしても、全然実は会話になってなくて。そのやり取りからも明らかなんですね。二言目には、自分の性的欲望の方に誘導しようとする。二言目には、「服、脱げ」。二言目には、「僕のも見る?」って。で、「見ねえよ!」って答える間もなく……場合によっては最初から、とにかくその、局部を即座に見せたがる男ばかり。こんなに多いもんかと、正直本当に中盤のそこのつるべ撃ちには、心底げっそりしますけども。

で、思い通りにならないと、対話をね、ブチッとネットを切っちゃうっていうのは、まだそれはマシな方で。やっぱりすぐ、今度は脅迫とか、恐喝の類が始まってくる、ということで。まあ要するに、騙すか、脅すか、あるいはすぐに「お金を出すよ」って……500コルナ、出すよ」とか「2000コルナだすよ」とか。その500コルナとか2000コルナとかっていう単位を調べたんですけども、結構な金額でしたけどね。まあ、日本とその向こうの通貨単位の差もあるんですけど。たぶん、物価とかのね。

とにかく、騙すか脅すか買うかしかないのか?っていう。そういう、要するに性というものの捉え方っていう、そこの根本の大きな問題があるとしか、思えなくなってくるわけですね。特殊な人が出てくるというよりは、この我々男性社会側の性の捉え方、女性というものの捉え方そのものに、なにか根本的な問題があるように思えてならなくなってくる、ということですね。で、ここで本作の大きなポイントとなってくるのが、ご覧になった誰もが強く印象に残ったと思います、その男たちの顔にかかったぼかし、そのぼかしのかけ方で。非常に特徴的なかけ方として、目と口だけ、目出し帽みたいな感じで見えているわけです。

で、これがまた、要は男たち側が、その人間を性的な搾取の対象としてのみ、まさに品定めするように、文字通りなめるように見るという、その男たちの目線のおぞましさというものも際立てるし。同時にそれは、こうやって我々に、客観的に見返されているわけですよ。こうやって「ウヒヒ……」って、自分が一方的に「ウヒヒ……」って見てるやつが、見返されている。見返されていると、なんと間抜けで滑稽で、そしてやはり醜いものであるか、というのも際立つという、そういう仕掛けになっている。

なんにしても、さっき言ったようなその男性性の、特に有害、かつしょうもなさの部分を、ギュギュッと凝縮してカリカチュアしてみせるみたいな、そういう効果が、このぼかしマスクにはあるわけですね。で、ちなみにこれ、第3幕、実際にその連中と会うことになるクライマックスに突入する、その手前のところ、要するに第2幕目の締めくくりの近くあたりにですね、このマスクぼかしが実に劇的に機能する、とある「感動的」なくだりがあったりする。

ただこの「感動的」を、なんで私、カッコ付きで言ってるのか?っていうのは、後ほど説明しますけど。とにかく基本は、次から次へと出てくる男たちの、卑劣で下劣な言動、やり口の数々に、まあ呆れるやら怒るやら、っていうね。もう、それはもう、見れる人は見てください、としか言いようがないです。本当にゲス。これが人類の行きついた果てかと思うともう、げっそりとしますけども。そして、さっき言ったようにその第3幕、クライマックスにあたる部分。実際に彼らと会う展開に突入していく。

■溜飲を下げる「エンタメ化」の仕方でいいのか? という疑問も湧く

この部分は特に、まあ一番近いのは『ボラット』ですかね。やっぱり、どっきりカメラ性というか。言っちゃえばその、「悪役」を罠にかけてギャフンと言わす、という、多少溜飲を下げる部分なんですね。まあね、異様にデカい(スマホの)呼び出し音が鳴って、一律みんな、その連中がギョッとして。「あっ、電話だ!(ギョッ!)」ってなって。「パパ、今ここに来るって」「帰ります!(バタン!)」みたいな。そういうちょっと滑稽なくだりがあったりするっていうね。そういう人目があるところでの(男たちの)小心さ。でも、自分で(これから何がしたいかの)段取りを説明してみせるくだりの、本当に間抜けさ。

そしてやっぱり、自らの欲望のみを満たすために人を見るという、この人間のあり方のおぞましさみたいなのも……「こういう人か」っていう。でも、街中の、普通の人たちですよ。はい。まあ、最後の最後ね。あの、ずっと偉そうで、最も悪質なあの脅迫を繰り返してきた若い男。イキり散らかした若い男。彼が、恐らく最も嫌だったであろう形……つまり、自分の言いなり用に使うはずだった少女が、あろうことか「自分をどう見ていたか」をぶちまけだす。文字通り「頭から」ぶちまけられる、というね。まあ、ざまあみろなくだりなんですけどね。でも、そこで急に態度が小さくなって、「自分に自信があるっての?」「いや、ない……」「自分の人生に満足してるっての?」「いや、してないっす……みたいな。

まあ、哀しいけども、だったら最初から自分よりも弱いものを見つけてイキってるんじゃないよ!っていうくだりで。ここは多少溜飲を下げるところではありますが。果たしてこれ、こういう「エンタメ化」の仕方をしていいのか?というモラル的な疑問も、当然湧く部分です。そして本作は、更にそこから踏み込んで、ラスト。偶然にも途中、そのスタッフの、知ってる人物が出てきちゃうわけですね。

で、なおかつその人は、子供と接する仕事してる!ということで。これは作り手たちがちょっと、要するに普通に座視していると実際に危険が起こりかねないから、緊急性もあるということで、その中年男にアポなし直撃をする、という。ここはマイケル・ムーア調と言っていいでしょうね。で、ここでその彼が、逆ギレしてまくし立てる、その「俺は悪くない」っていうクソ理屈がですね、まさに彼が象徴している立場、何者かというのを、非常にことごとく集約していて。

まあその、「少女たちが危ない目にあうとしたら、それは親が悪いんだ。育ちが悪いんだ」とか、「それよりもお前、大事な問題があるだろう? ジプシー(ロマ)が生活保護を受けている問題とか、取り上げろよ!」みたいな。これ、どこかの国でも似たようなことを言い散らかすやつら、いるな、っていう。要するに、そういう根本にある、ある種の差別主義であるとか、社会の見方みたいなものを、ご丁寧に露呈したという。とにかく責任転嫁。「悪いのは俺以外の誰かだ」というような、そういうあり方みたいなのを露呈する、というね。あと、「実際に手を出さない代わりだ」みたいな、すごいことも言ってましたけどね。

まあとにかくそんな感じで、「警察が動き出しました」というクレジットがあって。実際にですね、その映画のクレジットは「警察が動き出しました」で終わっているんだけど、実際に警察が動いて、52人の男性と1人の女性に捜査が入って、8人は裁判で起訴され、判決が出た、というところまでは行った。あるいはそのチェコの公的機関、社会が動いたりとか。実際に動かした、ということもある。そういう意義はある本作なわけです。

■途中で出てくる、ある「感動的」な展開。あれは「いい話」扱いをしていいのか?

ただ、個人的にはというか、これを指摘している方は多くいらっしゃいましたが、やり方と語り口に、一部かなり強い疑問を抱く部分もありました。

まずやはり、コラージュ、合成しているとはいえ、ヌード写真を実際に作って相手に送って、それがまんまと悪用される。それを引き出すためのものなんだけど。もちろんね、実際に少女たち……まあ少年もだけど、彼ら、彼女らが、そういう風に促されて、後先を考えずにそういうことをやってしまう、という事例があって、それに対して警鐘を鳴らす、という意図があるのはわかるけども。あの、演じていらっしゃる女性の顔がくっついたヌード写真が、ネットに出回ってしまった、ということは本当だし。そこは取り返しようがないことだし。それってどうなの?っていうのは、ちょっと思わざるを得ない部分ですし。

もっと安全なやり方で検証しようはなかったのか?って、やっぱり思わざるを得ない部分ですし。あと、さっき言ったその、2幕目終わり近くの、ある「感動的」な展開。いや、たしかに、それまでがあまりにもひどすぎる事例のオンパレードだったし、その流れで見るとね……音楽もね、そこまではジャンボジェットの轟音みたいなのが「ゴォォォォー」ってなったりして、すごい嫌な感じ、男の性のあり方、そのおぞましさを象徴するように、「ゴォォォォー」って要所で鳴り響いていたのに対して、そこで初めて、優しいメロディーが流れて。

で、さっき言ったマスクぼかしがフッと……要するに、「人間」がそこにいる、っていう。非常にこの、演出は上手いんですよ。演出がめちゃくちゃ上手いんです。それも相まって、劇中に出ていた皆さんと同様、僕も初見では正直、ホロッときちゃった。ちょっとここ、涙が出ちゃったんですけど。ただ、冷静に考えてですね、この程度の「普通の人」……普通の人っていうよりは、そこまで悪い人とは言い切れない、一応まともに会話はできるっぽい、っていう程度の人というだけで、ここまで「感動的」になってしまうっていうのは、逆に言えば我々男性にとっては、大問題ですよ。このレベルで感動されてるって、どういうこと? むしろ、恥ずかしいことだよ?

だし、もっと言えば、あの彼、とはいえ大学3年生で、見知らぬ12歳少女をネットで探して話したがるって、無条件で「いい話」扱いをしていい件なのか?って、やっぱりちょっとモヤりますよね。そこはね。なんにせよ、だからあそこの過剰な感動演出に、なにか「いや、これはやりすぎじゃないのか?」っていう感じは抱きました。

■「俺は関係ないから」という男性こそ見る価値がある

ということでですね、まあネットリテラシー喚起であるとか、実際の社会を動かしたっていうその実績の部分、意義の部分。あるいは、僕もまさにそうですけど、そこまで問題意識を持ってなかった者に問題を喚起するっていうところは、本当に意義は認めざるを得ないし。

あと、先ほど言ったように、やはりその男性性の醜さっていうところを突き付けてるくるというか、「他人事でないものとしてちゃんと受け止めろよ」というものとして……僕はやっぱり、「俺は関係ないから。俺は問題ないですから」っていう男性こそがある種直面すべき何かとして、という意味では、見るべき価値がすごくあると思います。ただ、先ほどから言ってるように、非常にショッキングな映像。ちょっと過剰にショッキングというか。

そういったところも含むので、決して万人に安易におすすめできる作品ではないですし、というのはあります。これ、ただ、やり方のバランスをもうちょっとちゃんと考えた上でなら、世界中の国版、特に日本版をやったらどんなことに……オエッ! ちょっともう、考えるだに吐き気がしてくる恐ろしさですが。という、でもこういう問題提起として、そういう吐きそうになるところまで考えさせられたという意味では、僕は見た意義がありました。万人にはおすすめはしませんが、そんな作品です。いつか、見る気があったら見てみてください……

(ガチャ回しパート中略 ~来週は、都内の映画館の多くが休館中ということで「配信限定映画ムービーウォッチメン」に企画変更。課題映画は、Amazonプライム・ビデオの『ウィズアウト・リモース』です)

 

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。


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