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宇多丸、映画『マネー・ショート 華麗なる大逆転』を語る! by「週間映画時評ムービーウォッチメン」2016年3月12日放送

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「映画館では、今も新作映画が公開されている。
 一体、誰が映画を見張るのか?
 一体、誰が映画をウォッチするのか?
 映画ウォッチ超人、シネマンディアス宇多丸がいま立ち上がる――
 その名も、“週刊映画時評ムービーウォッチメン”!」

毎週土曜日、夜10時から2時間の生放送でお送りしている
TBSラジオ AM954+ FM90.5
『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』。

その中の名物コーナー、ライムスター宇多丸による渾身の映画評
「週間映画時評ムービーウォッチメン」(毎週22:25〜)
の文字起こしをこちらに掲載しています。
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今回紹介する映画は『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(日本公開2016年3月4日)です。

Text by みやーん(文字起こし職人)

**************************************************

宇多丸:
今夜、扱う映画は先週、ムービーガチャマシンを回して決まったこの映画。『マネー・ショート 華麗なる大逆転』

(BGM:レッド・ツェッペリン『When the Levee Breaks』が流れる)

はい。これ、最後に流れるレッド・ツェッペリンの『When the Levee Breaks』という、ヒップホップの古典的ブレイクビーツとしても知られているあれですけども。この歌詞の内容がシンクロしているということですね。訳すと、「堤防が決壊する時」。意味深ですね。アメリカを代表するベストセラー作家、マイケル・ルイスのノンフィクション小説『世紀の空売り−世界経済の破綻に賭けた男たち』を映画化。世界中を襲った世界金融危機の裏側で一世一代の大勝負に挑んだ4人の男たちを描く。 

監督は『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』などコメディー映画を数多く手掛けてきたアダム・マッケイ。まあ、過去5本ですね。出演はクリスチャン・ベール、スティーブ・カレル、ライアン・ゴズリング、ブラッド・ピット。非常に豪華なキャスティングとなっております。今年のアカデミー賞、賞レースでも非常にあちこちにノミネートなんかされておりました。脚色賞を取りましたしね。ということで、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』、これをもう見たよというリスナーのみなさま、ウォッチメンからの監視報告をメールなどで頂いております。ありがとうございます。

メールの量は……まあ、普通という。アカデミー賞、脚色賞止まりだったということもあるんですかね? 賛否で言うと、賛が6割。否、「あんまり良くなかった」とか、「面白かったけど不満もある」が4割。「予想と違ったけど最後まで飽きずに見られた」「専門用語がたくさん出てくるが、劇中の説明で最低限はわかる。完璧に理解できなくても十分楽しめた」などが主な褒める意見。それに対して、「出てくる用語がわからず、劇中で何が起こっているのか全くわからない」「どのキャラクターにも感情移入できず、退屈だった」が主な否定的意見。

また、賛否どちらの人も「あのサブタイトル『華麗なる大逆転』や予告編は詐欺だ」という意見が本当に多かったということなんですけどね。

(中略〜メールの感想読み上げ)

……はい、ということで行ってみましょう。『マネー・ショート 華麗なる大逆転』、私も、要はね、やっぱりたしかにね、一度では理解しきれないところも多かったため。あと、原作を読んでからとかいろんなセッティングを試すためにですね、三度ほど見てまいりました。まあね、この邦題『マネー・ショート 華麗なる大逆転』。こういう日本題をつける気持ちはわかるけれども……たしかに誤解を与えやすい感じだな、という。原題は『The Big Short』。『マネー・ショート』っていうと「なんかお金が足りないのかな?」みたいな。そんな話に思えちゃうけども。

「ショート(Short)」は金融業界とかああいう業界用語。ウォール街で言う「売り」。「買い」が「ロング(Long)」で「売り」が「ショート」っていう、そういうことらしいんですよね。マイケル・ルイスさんが書いた原作のノンフィクション。『マネーボール』の原作者ですね。『マネーボール』は僕、2011年11月26日に映画評をしましたけども。ノンフィクションの日本題が『世紀の空売り』。『The Big Short(巨大な売り、デカい売り)』っていうことですね。『世界経済の破綻に賭けた男たち』という、文春文庫から出ておりますが。

で、改めて言うならば、2007年から始まる、2008年にかけてクライマックスを迎える世界金融危機。その後も、もちろん余波があるわけですけど。いわゆるサブプライム住宅ローン危機からリーマン・ショックみたいなところに行く時にあったことが題材。それを元にしたフィクションということですね。で、僕ももちろん世界金融危機。スーパー大事なのはもちろんわかっているつもりだったけど、じゃあ実際にどういうことなのか?っていうことについては本当になんとなくしか分かってない。「リーマン・ショックっていうんだから、リーマン・ブラザーズがなんかやったんでしょ?」みたいな。

やったんだけど、別にリーマン・ブラザーズがたとえば主犯格的な役割とか、そういうことじゃないんだよ、みたいなね。そういう誤解をしている人、ぼんやりした誤解をしている人、いると思うんですけど。で、今回の映画を見て、原作のノンフィクションを読んで。あと、アカデミー賞も取ったドキュメンタリーで『インサイド・ジョブ』。これはまさに金融危機を描いていますけども。を、見てみたりなんかして、ようやくまあ、ビギナーレベルで。ビギナーレベルね。僕より知らない人になんとなく、たとえ話とか使って説明できる程度には理解したかな? 理解したつもり、ぐらいの感じですけども。

で、非常にシリアスかつ、ややこしい題材なわけですが、それを脚本化・監督したのが、映画ファンとしては「おっ!」となるところ。アダム・マッケイっていうね。驚きではあるんだけど、実は納得の人選と。まあ、ご存知の方も多い通り、もともとは完全にコメディー畑の人ですね。先ほども説明がありました。『サタデー・ナイト・ライブ』の作家出身という。で、その『サタデー・ナイト・ライブ』で仲間になった、僕、本当に大ファンなんですけども、ウィル・フェレル。もうウィル・フェレルが出ている映画は全部見ているというぐらい、ウィル・フェレル大好きなんですけども。

ウィル・フェレルと組んで数々の超ナンセンスコメディー映画の傑作を作ってきた。代表作はやっぱり『俺たちニュースキャスター(Anchorman)』というのがありますよね。あと、『タラデガ・ナイト オーバルの狼』なんていうレースが舞台のやつとか、『俺たちステップ・ブラザース −義兄弟−』。思い出すだけでちょっと吹き出しちゃう大バカコメディーの数々、傑作を撮っています。ただ、2010年。つまり金融危機の後に作られた『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!(The Other Guys)』。『その他のやつら』っていうタイトルですね。刑事もの。が、ちょっとターニングポイントになっている。この作品も素晴らしいんですが。

特にエンドクレジットでですね、割とストレートに。それまではもう大バカコメディー、ナンセンスコメディーなわけですよ。すげーバカなギャグをやっている、そういう映画ばっか作っていたんだけど。『アザー・ガイズ』もそうやって進むんだけど、金融詐欺が題材になって、エンドクレジットでまさに俺がさっき、『あいつら、罰されてねえんだよ!』みたいなのとかも含めて、初めてそういう金融界とかの社会的不正義に対する怒りを、結構ストレートに叩きつける作品になっていて。ここがターニングポイントになる。

その後、たとえば2012年。原案と脚本を書いた『俺たちスーパー・ポリティシャン 目指せ下院議員!』。これもウィル・フェレル主演のやつですけども。これなんかも、メッセージの着地はすごく真面目だったっていうね。っていうかそもそも僕、パンフレットのバイオグラフィーでこれを初めて知ったんですけども。アダム・マッケイさん。『マイケル・ムーアの恐るべき真実 アホでマヌケなアメリカ白人』シリーズ。テレビでやっていたドキュメンタリーシリーズ。これの企画・制作とかをやっていたということなんですね。だから、もともとそういうポリティカル志向はあったということですけどね。

今回の『マネー・ショート』もですね、原作者のマイケル・ルイスさんの弁によればですね、『俺たちニュースキャスター』の続編。2013年の『俺たちニュースキャスター 史上最低!?の視聴率バトルinニューヨーク』という、これがもう輪をかけてくっだらない、もうくだらねえにも程があるっていうギャグが連発するのがあるんですけど。これも大好きなんだけど。これを作るかわりにスタジオから、「絶対に儲かる『俺たちニュースキャスター』の続編を作るんだったら、『マネー・ショート』っていう小難しいやつも作っていいよ」みたいな。そういうバーターで……っていう噂を原作者のマイケル・ルイスさんがおっしゃっておりますが。

で、それだけアダム・マッケイ監督的には社会派メッセージ路線っていうのは大マジっていうことですね。もうこれで行くぞ!っていう。で、その大バカ、ナンセンスの極みみたいな『俺たちニュースキャスター』の続編もですね、同時に劇中、近年のアメリカにおける報道倫理の変化みたいなものを歴史的に俯瞰する、言ってみればジャーナリスティックな視点みたいなものも入っている。

もともと、たとえば『ニュースキャスター』の一作目で非常に性差別ネタがあったりとか。二作目だと人種差別ネタがあったりとかっていうのも、まあ『サウスパーク』とかもそうなんだけど、実は非常に知的な批評性があって初めて笑えるんだよ。もともと、大バカなんだけど知性がベースになっているタイプのコメディーではあったということですね。で、そんなアダム・マッケイさんがですね、初の、ウィル・フェレル主演じゃなくて。ウィル・フェレルが今回出ると、さすがにちょっと……(笑)。どこで脱ぎ出すんだろう? とかね、暴れたりするんだろう? みたいになっちゃうけど。初の非コメディー。でも、スティーブ・カレル。立派にね、コメディアンなわけですけど。

初の非コメディーというか、この『マネー・ショート』も本当にあった笑うしかない、あまりにもすごすぎて、もはや笑えない不条理な事実を扱った、広い意味でのコメディーとは言えると思うんだけど。とにかく事実ベースの非ナンセンスコメディー。事実がベースのというのは初めてで。それでアカデミー賞で一気に脚色賞をゲットしましたし。作品賞ノミネート。ねえ。『俺たちニュースキャスター』は絶対に作品賞はノミネートされないですからね。それは、どんなにベースに知性があろうが何をしようが。大出世と言えるんじゃないかと思いますけども。

ただですね、予備知識ない未見の方にやっぱり、一応断っておかなきゃいけないのは、たとえば日本版のタイトル『華麗なる大逆転』。あるいは、日本版のポスターから当然受ける『オーシャンズ11』シリーズ的な印象。要は、悪いやつらに腕っこきチームが知恵を使って一泡吹かせるみたいな、そういう『オーシャンズ11』シリーズ的な印象とは根本から全く違う映画です!っていうことですね。そもそも、とても華麗に大逆転したって、そんな「華麗」なんてとても言えないような。「大逆転って言うのか? してないよね?」っていう、そういう話だし。

あと、そもそもポスターのあの4人。一組除いてチームじゃないどころか、会ってもいないっていうね。顔を合わせてもいないっていう、そういう話なんで。むしろ、そういうエンターテイメントとしてのわかりやすさとかカタルシス。スカッとする感覚。わかりやすさとかカタルシスの逆を行くような、それを狙っている作品なわけです。つまり、はっきり言うと、わかりづらいし、見終わっても全くスッキリしないっていうことですね。だから先ほどの否定的な意見も全くその通りっていうか。そういう風に作ってある作品ですね。

ただ、これも同時に、これは僕の見方として念を押しておきたいのはですね、そのわかりにくさとか、スカッとしなさ、カタルシスのなさっていうのは世界金融危機というこの題材に対する必然的アプローチ。もっと言えば、倫理的に唯一適切なアプローチという風に作り手が作って選んだやり方だと思うんですよね。つまり、たとえばですね、この物事。金融危機が起こった構図を過度に単純化してわかりやすくしすぎたり、あるいは善側にいる主人公が悪いやつらを倒すというような安易なお話的カタルシスを創作したりすると、これは全然違うことになってきちゃう。

つまり、金融危機っていう出来事の本質を歪めて、見誤らせてしまうことになる。そういう意図がはっきりあった上での、この作りなんだと思うわけですよね。まず、これも先ほどの最初のメールにあった通りだと思います。劇中でも言われている通り、現代の金融界。債権市場。これが破綻を招く元にもなったんだけど、その市場自体がまさにその「わかりづらさ」。難解そうな見かけっていうのを隠れ蓑に好き放題やってきたっていう事実が、これ、劇中でも言われているわけですよ。

しかも、完全に抽象的な商取引の世界ですからね。なので、原作のノンフィクションでさえ、わかりやすく説明はすごくしているんだけど、途中で何度も、「いやー、わかりにくくてすいませんね」って。脚注とかで「こんな話、よくここまで読み続けてくれて。すいませんね」みたいなことをエクスキューズが入ってくるぐらい。ということで、とてもじゃないけど、原作者のマイケル・ルイス自身も、「とてもじゃないけど映画化なんてできるわけがねえだろ? 『マネーボール』ならわかるよ。まだ、野球だから」って。あれだって、でも野球の試合のところは出てこない、変な野球映画だったわけですけども。

ただ、それをですね、監督アダム・マッケイさんはですね、それこそナンセンスコメディー畑ゆえの、非常に自由な発想とアプローチで、ものすごくポップに語ってみせることでですね、要は金融のプロたちがですよ、「まあ、素人さんにはわかんないと思いますよ」って言って煙に巻いて好き放題やってきたっていうのを、「って言っても、そんなご立派なもんじゃないんだぜ」っていうことを暴くがごとく、批評的に観客に伝えるために、非常にポップなアプローチを取っている。

具体的には、たとえば登場人物が、やおらこちら側に向かって話しだす、そういうメタな作りであるとか。あるいは、登場人物どころじゃない。実在の著名人が本人役で出てきて、こちら側に向かって話しだす。そういう、何重にもメタになった作りであるとかですね。様々な現実の映像ソースのコラージュ。ミュージックビデオから、報道からね、スチール写真から。あの時代をパパパッて表す時のスチール写真の選び方のセンスがすごいアダム・マッケイ、いいなと思いましたね。

「LL・クール・Jの『Mama Said Knock You Out』。『ババァ、ノックしろよ!』の途中のテーマでかかる、『Mama Said Knock You Out』の年だ」「あ、2パックとか出てきた頃だ」みたいなね。あと、最初にブルース・ブラザーズが出るのは、さすが『サタデー・ナイト・ライブ』出身っていうことかもしれませんけどね。まあ、そういう映像コラージュであるとか。あるいは、BGとして流されるポップミュージックと内容の、歌詞的なシンクロであるとかですね。もちろん独白ナレーションとか字幕など。とにかく映画として使える手段は、リアルと虚構のレベルとかそういうのを問わず。もう手段を問わず、全てブチ込むというやり方でやっている。

この情報量とスピードだけで、僕は十分もう、全然楽しいっていうか。超楽しいと思って見るわけですけども。いちばん映画の作りとして近いのはですね、もちろん、マーティン・スコセッシが大傑作『グッドフェローズ』である種開発した手法をさらに自ら発展させてみせた2014年。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』が非常に題材そのものも近いですし、アプローチも非常に近いですし。そして、まさにそれを連想せざるを得ないぐらい、同じマーゴット・ロビーさんが出てきてね、しゃべったりなんかするわけですけども。

ほとんど、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のあの奥さんが出てきて、風呂入ってしゃべっているような感じだよね。ただ、ぶっちゃけ、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』がものすごいシンプルな話だったように思えてくるぐらい、やっぱりあれよりもさらに何倍も複雑怪奇な世界というか。はっきり言って、犯罪的。金融犯罪というか、そういうことで言えばもう規模が違うんで。規模も複雑さもケタ違いなので。やっぱり正直言って、この映画だけを一度見ただけで、全てを理解するというのは、僕も含めて普通の観客は難しいっていうか。はっきり言って無理だと思いますね。

おすすめは、映画を1回見て、次に原作を読むんです。そうすると、理屈がよりスッとね、具体的な画を伴ってフッと入ってきやすいですし。あと、原作の実際にあったノンフィクションの起こったことと、今回の映画版がどうアレンジしているのか? みたいな。そういう違いも明確にわかったりなんかする。たとえば、マーク・バウムっていう名前の人は元の本には出てこないんだけど、それに当たる人が、映画だとお兄さんを亡くされているというのが心の傷として設定されていたけど、実物はあれ、お子さんを亡くされているんですね。

みたいな、そういうアレンジも含めて、映画を見てから原作のノンフィクションを読むと理屈がポンポン入ってくるでしょうし。で、もう1回、映画に戻ると……僕、実際にそれをやったんですよ。映画を見て、ノンフィクションを読破して、映画に戻ると、あら不思議! なんちゅうわかりやすい映画なんだ。この映画、めちゃわかりやすいよ!っていう。むちゃくちゃわかりやすく映画化していると。いろんな情報とかが、本当に過不足なく入って、とってもわかりやすい映画だという、印象がガラッと変わるようになっておりますので。ぜひ、この順番をおすすめしたい。

まあ、そんな手間はかけられないよという方もですね、初見でも、ちゃんと頭をフル回転させてついて行こうとすれば……っていうかこのね、劇中で与えられる情報に頭がフル回転してついて行こうとする感覚そのものが、僕はこの映画の結構大きな魅力だと思っていて。「あっ、こういうことか。こうか、こういうことか!?」って、普通使わないような頭の使い方をするという。これも魅力の部分だと思うし、途中の部分。それこそ著名人が、セリーナ・ゴメスとかが出てきてですね、いろんなたとえを使って説明する。

まあ、ジェンガだとか、レストランの料理だとか、ベガスのブラックジャックなどを使った解説で、最低限、だいたいこういうことですよっていう。お話の展開上、必要レベルの情報は与えられるようになっているとは僕は思っております。ただ、敢えて言えばさっき言った、最初にね、マーゴット・ロビーさんという非常にきれいなブロンドの女性が出てきて、サブプライムローンとは何か? とか、それについてかける実質、保険ですね。クレジット・デフォルト・スワップとは何か?っていう説明をするという。

要は、一発目なんでここはギャグ効果なわけですね。「こんな小難しい話を聞くのは退屈でしょうから、美女のお風呂姿でも見てください」っていうのでやるんだけど、ここだけね、わかりやすいたとえみたいなのを使わずに説明している。要するに、ギャグとしてのみ機能させているため、しかも、サブプライムローンの危なさの説明とか、そのクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の説明は結構根幹に関わることだから、ここはもうちょっと、後半と同じようにわかりやすいたとえをしておいた方がよかったんじゃないかな? とはちょっと思わなくもないということなんですけどね。

で、まあ何よりもですね、我々のような観客全員が、登場人物の誰よりも、見ながら「専門用語わかんないな」とか、「すごい頭のいい人たちが勝手になんかいろいろやっているような話だな」なんて思うかもしれないけど。我々は、その登場人物の誰よりも知的優位に立つ、圧倒的なある一点があるんですよ。それは何か?っていうと、冒頭でも示される通り、我々は事の顛末を知っているっていうことですよ。誰の言っていることが結果的に正しかったかっていうのを、我々だけが知っているんだから。で、それを基点に見ていけば、多少金融市場の概念とか用語がわからなくても、少なくともお話的顛末っていうのには、それほど混乱はきたさないっていう作りになっているはずです。と、思います。

ただ、ここがこの『マネー・ショート(The Big Short)』。ひいてはその世界金融危機という話の厄介なところなんだけど。まず、あまりにも舞台となる金融市場の理屈が、あまりにも不条理な状態が進行しすぎていて、まともに考えたらそれこそ、「華麗なる大逆転」となるような局面でも、それが始まってもですね、何も変わらない。どころか、逆行する現象すら起こるっていう。要は登場人物たちも、「えっ、どうなってんの、これ。おかしくない?」みたいな。全く登場人物たちでさえ納得できない、わからない展開に後半、突入するわけですよ。

つまり、現実がもうおかしすぎて、「なんだよ、わかんないよ!」っていうことになる。それ故、お話としてはどんどんわかりづらくなるし、カタルシスがどんどん減っていくということになる。せっかく大仕掛けしたのに、「えっ、意味ないの?」みたいな。ひどすぎて……みたいな。しかもですね、その主人公たちの正しさが証明された時というのは、要は一旦、落ち込むわけですよね。「おかしいな。こんなはずじゃないのにな」って落ち込む。それは、後にクライマックスで、たとえば主人公たちの正しさが証明された瞬間のカタルシスを倍増させる、お話上の効果的な負荷……とは、扱われないということなんですね。

ここでグーッと下がったんだから、「やっぱりわかったか。ざまーみろ!」とは、ならない作りになっている。っていうのも、我々がつい、我々と同じように、劇中にある若者が出てくるんだけど、若者たちが調子をこく。「これで俺たちの勝ち、間違いない!」って。実際に彼らがいちばん最後に乗ってきた分、いちばん儲けるんですけど。あの2人が。劇中、ブラッド・ピットの口を借りて言われる通りですね、その主人公陣の正しさが証明されるということは、イコール、社会システムが崩壊して大量の被害者。なんなら、現実に死者が大量に出るというような事態を意味する。

しかも、主人公たちの勝利っていうのは別に、システムそのものを全体に正すわけじゃないわけですよ。むしろ、システムの隙を掠め取るだけだから。たとえて言うなら、こういうことですね。火事が起こりつつあるのに、まだ誰も気づいていない建物に火災保険をかけて。で、実際に傍目から見ても明らかなぐらい火の手がボーボー上がって、被害者も出て。なんなら、死人も出たような状態になって初めて、大金を得るっていう。もう、火事場泥棒なわけですよ。言っちゃえば。

だから、途中でね、「格付け機関が全くちゃんと格付けしていないから、市場がちゃんと動いてないじゃないか!」って文句を言いに行くところがある。後半で。格付け機関の女性。彼女は立場的に、物語上は明らかに悪の立場にいる人なんだけど、非常に象徴的な黒い眼鏡を外す。つまり、最初はね、何も見えてない人。何もわかっていない人風なんだけど、やおら黒眼鏡を外す。つまり、「私も本当は見えて、わかっているのよ」と。で、彼女がやおら、彼女のことを追求しているスティーブ・カレル演じる怒れるヘッジファンド・マネージャー——このスティーブ・カレルの役が観客の感情移入をさせるいちばんの器だと思うんですね。つまり、「こんな不正が許されるのかよ!?」っていう怒りがベースな人。まあ、怒りすぎなんだけど。ちょっと(笑)。あと、空気読まなすぎの件。あれ、全部本当らしいからね。講演の最中に「はいはいはーい!」ってやってね——まあ、それはいいんだ。スティーブ・カレルは正義の立場から格付け機関の女性をこうやって追求しているはずなのに、その彼女がフッと眼鏡を外して、「私だってわかっているのよ。バカのふりをしているぐらいなのよ」みたいな感じなんだよね。取って、「『格付けを下げろ』って? それで何をするの? CDSの格付けが下がって、めちゃくちゃになって、あなたたちは儲けようとしてるんでしょ? ……偽善者」って言うというね。

つまり、そういうのを突きつけてくるわけですよ。気持よく勝たせてくれないわけですよ。つまり、どうしたってカタルシスなどないし、そもそも、この件をたとえ主人公たちの読みが歴史的には正しかったとしても、気持ちをさ、カタルシス。スカッとした勝ちとして描いてはいけないっていう、そういう倫理が強くベースにある話だということなんすね。しかもですね、その結果、せめてあからさまに大きな不正を働いた中枢のやつらとか、失敗したやつらみたいな。そのせいで、いろんなところに迷惑をかけたやつらはどうなったか? そいつらが正されたか? 罰されたか?っていうと、後味最悪……!っていうね。

つまりですね、こういうことだと思います。アダム・マッケイさんが今回の脚本も書いています。後から脚色しましたけど。監督がどういうことを伝えたかったのか? つまり、今回の映画、ハリウッドエンターテイメントの作品だけを見て、なにかをわかったような気にさせて、お話的にめでたしめでたしで安心して。安心して観客を映画館から送り出すなんて気はさらさらなく。そうじゃなくて、「この事態の見かけのわかりづらさから逃げるなよ、お前ら! 見かけのわかりづらさから逃げていたら、また繰り返すぞ、これ。何も解決されてない。現実には。わかってんのか、お前ら!?」と。

つまり、観客に「そういうものに向き合え」っていう風に促すような作りになっているわけですよね。たとえばこれね、アメリカの金融市場に限らないと思うんですよ。現代の巨大で“複雑に見える”システムなら、なんでもメタファーとして当てはめられることだと思う。それこそ先ほどね、日本の金融市場である、本当に日本のさ、借金があんだけ膨れ上がって。どうすんの、これ。破綻手前じゃないの?っていうね。それこそ、賭けているやつ、いるかもよ。日本の負けにさ。

だし、原発事業とかでもいいですよ。根本的な危険が内包されているのを指摘もされていながら、個々のパートに属している人は、誰も全体像を知らないから責任を取らない。『悪の法則』のあのね、売人たちのシステムみたいなもんですよ。でも、現場を見ると、問題が明らかに山積していたりとかして。で、一旦システムが文字通りメルトダウンし始めると、その被害の広がりは元の事業責任者がもう取れる責任をはるかに超えて……っていうか、どこまで責任が広がっているか、CDSもそうなんですけど、どこまで行ってるかわからない。総量が把握できない。似てるね、みたいなね。そういう風なメタファーとして取ることもできる。

だから非常に普遍的な話を問うてもいると思います。ラストにレッド・ツェッペリンの『When the Levee Breaks』。ヒップホップの超古典的定番ブレイクですけど。「堤防が決壊する時」という歌詞とのシンクロに非常にワーッと戦慄するということでございます。BGMとのシンクロという意味ではですね、最高なのはベガスの日本料理屋『Nobu』という店でですね、CDO(債務担保証券)マネージャーという……「CDOの何をマネージしてんの、お前は?」っていう。要は非常に危ない商品をメリルリンチのあれに従って作っているだけの男とスティーブ・カレル。さっきの怒れるファンドマネージャーが対峙して、そのCDOっていうのがいかに不正に膨らませられた代物か?っていうのをマーク・バウムがはっきりと認識するシーンですね。ここで流れるBGMが、こちら!

(BGM:徳永英明『最後の言い訳』が流れる)

徳永英明『最後の言い訳』っていうね。間違いなくこれ、アダム・マッケイが「日本料理屋で流れる日本語の歌で、なんか『言い訳』とかそういうの、ない?」みたいな(笑)。たぶんそれで選んでいるのは間違いないと思う。このシーンに限らず、スティーブ・カレル演じるマーク・バウムさん。サブプライムに関わる調子コイたやつらの弁舌を前に、一応ね、調査しているから我慢して聞いてるんだけど。もう、顔が怒りにゆがんで、その表情がもうスティーブ・カレル、最高なんですけど。『フォックスキャッチャー』の真逆というかね。すごい役者だなと思いますけども。

特にこのいま言った日本料理『Nobu』のシーンはですね、鉄板がジューッと焼ける音。これが彼の怒りが沸騰しているぞというのを半分漫画チックに盛り立てもするし。ここがすげーなと思うんだけど。要は、ひどすぎて笑っちゃうコメディー。さっき言った広義のコメディーであることの非常にブラックな証として、シットコム(シチュエーションコメディー)のような、足し笑いがコラージュされるんだよ。あの場面ね。

相手の人がなんか言って、「なんだ、それ? なんだ、その仕組み!?」ってなると、「ワハハハハッ! ワハハハハッ!」って。……ひどすぎるでしょ?っていう(笑)。すごい、そういう作りになっていて、このあたり、バリー・アクロイドさんというカメラマン。ドキュメンタリックな撮影だったり、ハンク・コーウィンさんの非常にキレッキレな編集も相まって、僕は今回の『マネー・ショート』、白眉となるシーンだと思いますね。『Nobu』のシーンね。

一方、他の登場人物と全く絡まない。どころか、ほとんどオフィスの部屋も出ないし、人と話している時も同一画面に収まることがないという。つまり、本作における絶対的な孤独を体現するクリスチャン・ベール演じるマイケル・バーリという天才的な数字読みがいるわけですけど。クリスチャン・ベールは義眼をしているっていうね。マイケル・バーリさんはそういう設定なんだけど。なんとあれ、コンタクトレンズどころではなく、純肉体演技だそうです。その演技を含め、クリスチャン・ベール。要はアダム・マッケイの非常に即興を多用してドキュメンタリックに押さえる演出も相まって、なにかこう、圧倒される迫力がある演技ですね。すごかったですね。クリスチャン・ベールもね。

あと、軽薄そのものに今回は徹したライアン・ゴズリング。軽薄な債権トレーダーに徹したライアン・ゴズリング。あと、無表情。今回も脇に徹して、持たざる若者を引き立てるブラピもすごくいいし。あと、脇に至るまで、キャスト全員が最高。たとえば、サブプライムローンの仲介業者のあの2人の、ザ・DQNぶり(笑)。絵に描いたようなDQNぶり。最高です。基本、笑える話なんです。僕、今ちょっと重たい話をしましたが、基本、随所で笑える、ブラックな笑いがある話です。

決して万人向けとは言いがたいが、本当は万人が見て、頭を抱えるべき。これは本当に力作だと思います。なにより、「よくこれを映画にしようと思ったし、実際にしたよね」っていうだけで、僕は5億点差し上げたい。本当にこの心意気に。アダム・マッケイ、感動した! 『マネー・ショート』、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(中略〜来週の課題映画は『マジカル・ガール』に決定)

以上、週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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